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顕正会の実態を検証する

238れん:2004/02/01(日) 20:24
次に先に引用した大石寺九世日有師の御主張は、日興跡条々事を踏まえれば、智父日蓮の寺、嫡子日目管領の大石寺→能生の事戒壇。日本乃至一閻浮提の内の山寺等(境母日興の寺の重須を含む)→所生の理の戒壇にして、半分は嫡子分として日目師が管領・残る半分は自余大衆等領掌で、能生の事の戒壇である大石寺に本門寺の戒壇(本尊三度相伝第二本尊聞書)を建立すべしとの意図であると、私は理解しております。

239れん:2004/02/01(日) 20:47
最後に、大石寺は本果妙・重須は本因妙の事ですが、ここにおける本因本果の語彙は所謂、種本脱迹説から導きだされる本因本果教主論の意味ではなく、有師の「上行菩薩の御後身日蓮大士は九界の頂上たる本果の仏界と顕れ、無辺行菩薩の再誕日興は本因妙の九界と顕れ畢ぬ」(日拾聞書)との言葉を踏まえれば、大石は本果妙・重須は本因妙の語は、あくまで大石寺→智父上行・仏界本果妙の日蓮の寺、重須→境母無辺行・九界本因妙日興の寺との日有師の御主張・持論の強調の意図で相対させたものと思います。以上ガンコさんの教学上の参考になれば幸甚です。

240愚鈍凡夫:2004/02/01(日) 20:51
>>234:ガンコさんへ

> いわゆる三大秘法抄の「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて」という御文ですが、ここでは「三大秘密の法」となってますよね?

「むむっ。気づかなかった」(独り言) (^_^;)

「戒壇とは王法、仏法に冥し、仏法、王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王、覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戎壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ。」(「三大秘法禀承事」昭和定本)

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持て、有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。」(「三大秘法禀承事」昭和新定)

「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ」(「三大秘法禀承事」学会版)

仰る通り、それぞれ「三秘密の法」となっていますね。

ちなみに「六巻抄」の「文底秘沈抄」を検索すると、
「秘法抄に云わく、王臣一同に三秘密の法を持たん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ、事の戒法と申すは是れなり等云云。」(「文底秘沈抄」富要3-90)

これも「三秘密の法」となっていますから、早坂師の勇み足のようですね。多分、意識の中に「三大秘法」のことがあって、しらぬまに「三大秘密の法」としてしまったのではないでしょうか。

241犀角独歩:2004/02/02(月) 00:01

「三秘密の法」についてですが、かなり古い書き込みになりますが問答名人さんが転載されたことがありました。

2001/03/07(水) 09:10、『富士門流と国家諌暁』の8です。
以下、転載します。

*** 転載はじめ ***

昭和三十年に奉安殿と名付けられた新御宝蔵が建設されたおりの、第六十四世日昇上人の慶讃文によく現われているので、参考のためここに引用する。

「夫れ戒壇の本尊は、宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生帰命の法体、一宗依止の当体なり。
宗祖大聖人弘安二年十月十二日之を建立して、血脈付法の二祖日興上人に身に宛て給はるところなり。
上人心魂を尽くして護持し大石寺に奉安し、
一閻浮提の座主日目上人に付属してより血脈の法主歴世に奉戴し、
或る時は校倉を、あるときは土蔵を宝蔵として奉安し、
専心に守護し、国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。
国立戒壇こそ本宗の宿願なり。
三大秘法抄に『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、
王臣一同に‘三大秘密の法’を持ちて、
乃至、勅宣並びに御教書を申し下して建立するところの戒壇なり』と。
之は是れ、宗祖の妙法蓮華経が一天四界に広宣流布の時こそ之の時なり。・・・・・・
血脈付法の法主を継げる日昇・・・・・・『時を待つべきのみ、事の戒法とは之れなり』の金言を身に体して、
必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。
後々の法主も一心同体たるべきと確信す。
願わくば宗祖大聖尊の法魂、安穏に常住したまわんことを」と。

*** 以上転載おわり ***

たぶん、この趣意を早坂師は承けたのでしょう。

242犀角独歩:2004/02/02(月) 11:49

241の自己レス

昇師の記述にも表れる「三大秘密の法」は、「文の底に沈め」を「文底秘沈」とする如き、言い換えなのではないでしょうか。

まあ、些細なことです。愚鈍凡夫さん、ガンコさんの気を殺ぐ意図はありません。
引き続きのご投稿を期待します。

243犀角独歩:2004/02/02(月) 12:34

れんさん、横レス失礼します。

> 「観心本尊抄で示された四菩薩出現の二パターン

これはすなわち

此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す

を指すのでしょうか。

> 上行再誕の賢王(天皇)が広布の暁に出現して残る本門戒壇を建立

先に引く如き「賢王」は飽くまで「愚王を誡責」するというのであって、戒壇建立をするという記述は見られません。何より、同抄で戒壇に関する論及すら見られません。

244ガンコ:2004/02/02(月) 14:18
れんさん、濃密なるご教示、どうもでした。

やや揚げ足取りを承知で書きますが、
>日興跡条々事を踏まえれば

この日興跡条々事を拝すると、はじめに「本門寺建立の時」とあって、つぎに「本門寺に懸け奉るべし」とありますが、最後は「大石寺は御堂と云ひ墓所と云ひ・・・」となっています。
これをもっとも素朴に読むと本門寺と大石寺はべつのお寺を意味しているように思うんです。
まあ、広宣流布の暁には大石寺が本門寺になる、という会通は昔からあるみたいですけどね。


愚鈍さん、独歩さん

日昇上人の慶讃文ですが、要注意だと思うのです。
「三大秘密の法」で検索してみると、ほとんどが顕正会にからむ内容なんです。問答名人さんのあれだって、顕正会の資料の丸写しでしょう。ですから、ほんとうに慶讃文の原文がそうなっているのかどうか、確認してみないとあやしいのでは? (わたくしもずいぶんうたぐりぶかくなってしまったものだ)

245犀角独歩:2004/02/02(月) 14:49

235 ジャンノレンさん:

有り難うございます。
ここで皇室と現石山との話題は限界があります。
機会があれば、口伝(笑)ということで。

戸田さんのこと。何も名を伏せる必要はありません。
乗った御輿を「車駕」と言ったわけです。車駕とは天子の輿ですね。あるいは天子を指す言葉です。境内を踏みにじり、僭称し天子を気取ったあの強行は二重の大罪と、わたしは見ます。

重鎮の石山役僧とこの話を交わしたとき、重々しく苦渋に満ちた表情になったことが思い出されます。とある石山人は「あんな馬鹿なことをするから、直ぐに罰が当たって死ぬことになったのだ」と吐き捨てるように言ったものでした。事実、あの事件が3月16日、その2週間を経て死没しました。それでも石山では「大宣院法護日城大居士」との戒名を下し、五重塔脇に墓所を赦したわけです。

まあ、そうは記しても、わたしは石山の肩を持つものではありません。しかし、生まれて間もないときから半世紀近く、数百回も登山した地です。いまのわたしのスタンスから遙か遠い山になりはしましたが、郷愁を伴います。その地を汚した陵辱には、やはり、不快感が伴います。狸祭り同様、実に不届きな事件でした。

246犀角独歩:2004/02/02(月) 16:35

244 ガンコさん:

なかなか鋭い指摘ですね。
条々事の読み、同等に考えます。
昇師慶讃文、時間の余裕があるとき、古い『大日蓮』を捲ってみることにします。

さて、早坂師のこと、わたしはこの論文は高く評価します。
愚鈍凡夫さんの言葉を籍りれば「勇み足」は、寛師その人であると思います。

247れん:2004/02/02(月) 19:21
独歩さん。観心本尊抄には勿論戒壇建立についての文はありませんが、蓮祖が本尊抄執筆の当時、四菩薩再誕の賢王の出現を期待していたのは事実でしょう。また身延入山後執筆の取要抄草案(真蹟身延曽存)には、比叡山迹門戒壇に相対して、場所は富士と選定してませんが、本門戒壇を建立すべき文意が示されております(都守基一師解説による)。つまり、蓮祖は上行再誕の賢王が愚王を誡責し、その延長線上に戒壇建立を意図していた節があるので、あのように記したまでです。この辺は、興風談所の山上師が興風誌上で指摘してるので、ご一読ください。

248ケン:2004/02/02(月) 19:31
223 独歩さん
「蓮師の末法観」についての解説有難うございました。
2日間ほど出張していたので、お礼が遅れました。

249れん:2004/02/02(月) 19:47
ガンコさん。石山六世日時師の御指南によると、石山には当時まで興師が南条時光氏に「本門寺の朽木書の御堂を大石に立て申す」云々と述べられたことを伝承しております。条々事の読みは上代石山貫首(有師の代まで)の御指南に本門寺建立の場所について、石山以外の地を選定したものは無いので、有師の説のごとく、石山義としては大石寺を事戒壇として本門寺(戒壇を含む)建立の地と理解して差し支えないでしょう。ゆえに「本門寺」「大石寺」という表記の相違のみをもって、本門寺は大石寺とは別のものと読み込むのは逆に早計に存じます。m(__)m

250愚鈍凡夫:2004/02/02(月) 20:34
>>244:ガンコさん。
「三大秘密の法」が顕正会絡みとは面白いですね。

ひょっとして、日蓮宗は顕正会対策の小冊子「顕正会について」を出していますから、これと関係があるのでしょうか。それとも、日寛師、日昇師ともに破す目的で「三大秘密の法」と表現されたのでしょうか。ちょっと興味があります。

話は変わりますが、戒壇論に関して、こんな論文もあります。

「現代に於ける本門戒壇建立の必然性と必要性について 齋藤朋久」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/kyouka/03/03_050.htm

「顕正会について」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/booklet/booklet.htm

251ケン:2004/02/02(月) 20:52
独歩さん
230:『事実を事実としてしっかりと認識掌握し、
そのうえで「では、日蓮は」と考え・・・』について

上記のような立場で執筆された日蓮入門書で、
独歩さんのお薦め書籍があれば、教えてください。

252犀角独歩:2004/02/03(火) 11:00

247 れんさん:

> 観心本尊抄には勿論戒壇建立についての文はありません

そのとおりですね。
この段階で蓮師に題目・本尊と並び称して戒壇を考えるアイディアには至っていなかったでしょう。

> 蓮祖が本尊抄執筆の当時、四菩薩再誕の賢王の出現を期待していたのは事実

ええ、これも同抄の文面から読み取れます。

> 身延入山後執筆の取要抄草案(真蹟身延曽存)には、比叡山迹門戒壇に相対して、場所は富士と選定してませんが、本門戒壇を建立すべき文意

これをそのままに受け止めても、それは本尊抄執筆からあとの話です。
本尊抄には戒壇義はなく、「現折伏時成賢王誡責愚王」は涅槃経の有徳王・覚徳比丘説話に基づく摂折論であり、「此時地涌菩薩始出現世但以妙法蓮華経五字令服幼稚」の結として記されるところです。同抄全文、また、この句説は戒壇義を述べるところとなっていません。

また、富士・大石寺は日蓮没後、目師の縁故で建つ寺院に戒壇を建てることを意図しているなどと考えられるはずはありません。
大石寺建立の工を始めたのは正応2(1289)年のことであって、本尊抄執筆の文永10(1273)から16年もあとのことです。

蓮師は真跡で見る限り、富士山に対する特定の思い入れもなく、さらに没後建立される大石寺のことなど、知るはずもないわけです。ですから、そこに建造物としての階段が建つことを想定して「現折伏時成賢王誡責愚王」と記したというのは作為的な解釈と言うしかないとわたしは思えます。ただし、これはれんさんに難癖をつける意図ではありません。

253犀角独歩:2004/02/03(火) 11:03

251 ケンさん:

残念ながら、ご質問の如き内容をまとめた良書をわたしは知りません。
それ故、当掲示板において管見を記してきたとおり、自力で考えるしかありませんでした。

254犀角独歩:2004/02/03(火) 11:31

○興師の「朽木書」について

れんさん、引用される「石山六世日時師の御指南」とは何でしょうか。ご教示いただけませんか。

冨要で「朽木書」を検索すると以下のような記述が見られます。
たしかに石山に係るものもありますが、その意味するところは重須(北山本門寺根元)、それも八幡神社の造立を意味するものです。富士大石寺戒壇との脈絡は見いだせるのは近代に係ります。

***

一、日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり内には本尊を懸けらる、是れは本門寺の朽木書と云云(化儀抄)

「本門寺の朽木書等」とは・重須の垂迹堂を八幡なりとすること(亨師)

大石寺は鎮護国家の本門の朽木書(類聚翰集私)

本門寺根源とは事戒壇を造立すべき根源の堂と云ふ意にして此の朽木書の本堂を広高厳飾して事の戒壇とするの義(両山問答)

***

大石寺を朽木書とするのは、左京阿教師が勝手解釈と見えます。

255犀角独歩:2004/02/03(火) 11:33

【254の訂正】

誤)富士大石寺戒壇との脈絡は見いだせるのは近代に係ります
正)戒壇、との脈絡は見いだせるのは近代に係りますが、北山について述べるばかりです。

256れん:2004/02/03(火) 13:26
独歩さん。興師の「朽き書」を記した文献は応永年間の晩年の石山日時師談を弟子某が筆録した「大石記」です。これは戦前刊行の雪山書房版の富士宗学要集に全文収録されてますが、戦後の山喜房版や学会版の富士宗学要集や歴全には収録されていません。近年の刊行書では、大黒喜道師編著「日興門流上代事典」に全文収録があり、興門資料刊行会からも、雪山書房版のコピーが出版されて出回っていると記憶しています。m(__)m

257犀角独歩:2004/02/03(火) 16:50

256 れんさん:

有り難うございます。やはり『大石記』ですか。
この書について、石山・水島公正師は

「また『大石記』は、家中抄にあるごとく文献的にも問題のある文書であり、宗門の大事に引用するほどのものではないのである」(『久保川論文の妄説を破す』所蔵『「世界宗教への脱皮』の妄見を破す』第2章第1項(1)「大石記」について」日蓮正宗宗務院教学部 昭和56年2月16日 P44)

と言います。その根拠とする『家中抄』の記載が何を指すのか。同師はしかし、「その理由については冗長となるので今は省略する」とその言及を避けています。

当時、教学部に傾倒していたわたしは、この経緯から『大石記』傍系資料とそれを軽んじいまに至っています。

仮に時師が、引用の如き思いを懐いていたとして、そののちの嫡嗣分である有師がこの説を言わず、北山八幡社壇造立を「朽木書」とすることは整合性を欠くように思えます。

達師の略解に拠れば「朽木書とは絵画の下書のこと、手本の意」(P92)というわけですから、大石の寺も重須八幡社壇も、ともに未来、本門寺の雛形として造立したという見方は出来るかも知れません。

しかし、わたしは蓮師は事壇を説かず没したと考えますので、いずれにせよ、興師の発展的解釈がその濫觴であると考えます。

258ガンコ:2004/02/03(火) 19:04

みなさん、こんばんは。

愚鈍さんご提示の二つのサイト、ざっと読ませていただきました。面白かったです。
しかし、齋藤朋久先生のこの論文、お読みになったかどうか存じませんが、おそらく独歩さんなら思いっきり突っ込みいれたくなるでしょうね。
わたくしにとってはけっこう明快でした。
要を取って申せば・・・大聖人はなぜに本門の戒法といわず本門の戒壇と仰せられたか? すなわち戒壇ということで築壇の意味を含ませている。よって、大聖人の戒壇義は事壇である。
この論文の全体的な輪郭は、わりと顕正会の戒壇論に近いように思いました。もちろん詳細はちがいますけど。

もう一つのサイトは、まあ、顕正会の本部でそれなりの反論を発表すべきでしょうし、わたくしがどうこう言ってもしょうがないですから、とりあえずノーコメントです。

それから、れんさんって、書いていることだけ見ていると、ばりばりの法華講員みたい。気に触ったら、ごめんなさいね。

それでは、みなさん、本日はこれにて失礼つかまつりまする。

259れん:2004/02/03(火) 19:47
独歩さん。大石記の信憑性ですが、同書には例えば「越後国の法華宗平孫太郎助時は法すきの者なりしが、伊賀阿闍梨を教化して日目上人に参らす」とあります。この孫太郎について他資料を検索すると、延慶二年十月十三日、千葉妙本寺蔵日興書写本尊日目脇書に「越後国孫太郎妻女申与」とあり、同書に登場する人物の一人の実在を裏付けています。この様に他資料により裏付けが採れるものがある以上、水島師の如く、現宗門の如く、安易に大石記を軽視するのは早計です。また他資料による裏付けは、多少なりとも大石記の資料的価値を高めていると存じます。

260れん:2004/02/03(火) 20:18
それから、もう一つ、独歩さんは蓮師は事壇を説かず没したとご意見ですが、蓮師は法華行者値難事や法華取要抄等の真蹟に本門「戒壇」と残された以上、斎藤師ならずとも比叡山迹門戒壇に相対する将来の本門戒壇建立を蓮師の意思の中に見るのは可能かと思います。しかし、蓮師の晩年にも四菩薩再誕の賢王は現じなかったことから、蓮師の中では四菩薩再誕の賢王によるの折伏に対する希望は薄れたのも事実です。故に蓮師は上行再誕の聖僧として不軽の精神・行儀を継承し、門弟にもそれを奨励した、それを示すのが諫暁八幡抄末文です。

261れん:2004/02/03(火) 20:37
ですから、諫暁八幡抄の末文から読み取ると、蓮師は将来的には本門戒壇建立を希望しながらも、現実に四菩薩再誕の賢王が出現しない限りは、ご自分とその門弟は釈尊の因行と伝えられる不軽菩薩の精神・行儀を継承して、ひたすら上行菩薩所伝の妙法五字(一大秘法)を受持唱題し、非暴力・非妥協の逆縁広布・法躰折伏に徹するべきと考えておられたと拝察いたします。しかして、富士戒壇論そのものは、現存資料から推して、独歩さんの云われる如く、興師の発展的解釈がその根源にあることは否定できないものです。

262れん:2004/02/03(火) 20:57
ガンコさん。私の書いた文だけ読むと、ばりばりの法華講員に見えますか?まあ、私自身勤行の際の観念文はと言いますと戸田氏の勤行要典講義に掲載された奉祈念天皇陛下護持妙法云々と記された古いものを観念しているので多少は法華講員チックになってしまうのでしょうかね。まぁ、私は気にしないので、お気遣いなくm(__)m
では、ガンコさんにならい、今日はこれにて失礼つかまつるm(__)m

263犀角独歩:2004/02/04(水) 10:45

れんさん:

レス、有り難うございます。
何点か。

まず、大石記に関するご指摘については参考になるところ大でした。
ただし、時師資料を直ちに信頼する蛮勇はわたしは起こりません。
しかしもちろん、仰せのとおり、一を捨て全体を捨てるは愚であると思います。

次に戒壇について。たしかに事檀論を持っていたと考えることは可能でしょう。しかし、蓮師は自ら「三つの法門」と言いいます。これは実質的な建造物を指すと言うより、法門、すなわち理論的な構築と見るほうが、字句どおりであるとわたしには思えます。
また、事檀は、その機能するところは、れんさんも指摘されたとおり、天子の受戒を最大の目的とするわけです。また、副次的な目的もあるでしょう。もし、比叡山を迹門戒壇と斥けて、それに代わる本門戒壇とすれば、僧侶の出家受戒その他においても、機能を果たすことになります。しかし、これら方法論について、蓮師は何ら考証することも、伝えた形跡もありません。仮に事檀構想があったところで、有名無実といわざるを得ないわけです。結局のところ、戒壇に関しては未完のまま没したと見るほかありません。

> 上行再誕の聖僧…法躰折伏

この記述は本尊抄が指示しません。
「此四菩薩…行‘摂受’時成僧弘持正法」ですから、四菩薩変化の僧が成すのは折伏ではなく‘摂受’です。

ま、些細なことですが。

264れん:2004/02/04(水) 19:28
独歩さん。事壇論については、蓮師は信頼できる真蹟現存・曽存の著作において書き残されてないので独歩さんの様な見解も成り立つ余地はあります。学問的には富士戒壇論は興師の師説の発展的解釈により成立し、不造像・不読誦という石山の伝統法義の土台の上に石山の戒壇義が成立したと見た方が自然ですね。なお、観心本尊抄の四菩薩の解釈は興風収録の山上師論文「日蓮大聖人の折伏観」における「現実的には逆縁世界において上行再誕の僧たる大聖人及びその門下が摂受(不軽菩薩の折伏)を行い、将来上行再誕の賢王が出現し、勢力的折伏をもって愚王を

265れん:2004/02/04(水) 19:37
誡責し、『法華経』は広宣流布するのである」(興風第十四号収録)との解釈に基づき記させていただきました。独歩さんの観心本尊抄の四菩薩に対する解釈は、普通一般の日蓮宗の方々と同様の模範的解釈と拝察いたしました。m(__)m

266れん:2004/02/04(水) 20:11
訂正。
誤、不造像・不読誦という石山の伝統法義の土台の上に石山の戒壇義が成立した。
正、不造像・不読誦という石山の伝統法義の土台の上に曼陀羅中心の石山の戒壇義が形成された。

267犀角独歩:2004/02/05(木) 11:28

れんさん:

> 普通一般の日蓮宗の方々と同様の模範的解釈

いや、そんなことはないですよ(笑)
わたしは単に日蓮真跡から読み取れるままを記したまでです。
宗派や、指示する解釈はありませんので、そのままの日蓮を素描すれば、そうなると言うだけのことです。引用される山上師の解釈も()内はまるで不用のはずです。
「上行再誕の僧たる大聖人及びその門下が摂受を行い」は何も間違っていません。本尊抄の四菩薩が僧と現ずる姿を正確に記しています。

ところで「折伏」という語の用法は近年は創価学会によって定着しました。それに倣うのが顕正会ですね。

「相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化道法のこと」(『日蓮大聖人御書辞典』昭和51年12月10日3刷 聖教新聞社 P474)と言います。

しかし、真跡、あるいは天台に見られる折伏の用法からすれば、この解釈は明らかに間違っています。たとえば、れんさんは「不軽菩薩の折伏」と記されていますが、「不軽菩薩は折伏された」のであって、「折伏した」わけではありません。かくの如き摂折論は、今成師の言説を基礎にして、過去に論じられたことでした。

さらに言えば「法体折伏」という石創に通じて使用される用語は、れんさんに申し上げるまでもなく、真跡遺文に見られません。真跡で「法体」を言うときは「如是者所聞法体」などと記さればかりで、折伏との合成語で述べられることはありません。

しかしながら、以上の点は、文献証拠の問題ではなく、それを扱う際、‘解釈上の固定観念(すなわち、石創の解釈論)’が判断を枉げてしまう点について申し上げることです。これらの解釈は日蓮の教説を扱うとき、やはり、真跡遺文から抽出した日蓮の原思想を基礎とすべきであり、滅後、中世から近代に至る人々の宗派の、なにより護教・宗派教学擁護の解釈は用いれば、答えは違ってしまうと考えられます。

いわば「法体折伏」とは、その典型と映じましたので、一言、その点を指摘させていただいたものでした。以上です。

268中道一筋:2004/02/05(木) 12:41
皆様初めまして、中道一筋と申しあげます。
我が家は戦国期から代々石山信仰をしておりますが「創価学会等の主張していた石山義」そして「石山への批判者が言う石山義」そのどちらも我等から見ればまるで他宗を論じているとしか思えない。
本来、日蓮正宗にて戒壇という建物にこだわる歴史は無かった。
我等代々の感覚では、以下のような解釈をしていた。

『蓮祖御立ての法門の「本門戒壇」には、傍意の戒壇と正意の戒壇がある。
まず傍正をもって本門戒壇を述べるなら、本門の妙戒は既に理戒ですから、本門戒壇も事相の戒壇である。ではこの戒壇はどこにあるのか。戒壇とは如法に戒受得の道場である。本門戒壇は、本門如説修行者の行者の心中にこれを求める。
しかし先師尊宿は、本門戒壇をもって本門本尊の住所としている。心性即妙法蓮華経の久遠本時の寂光土であり、久遠本時の寂光とは本門戒壇である。すなわち「己心中の久遠本時の実相の眞壇、南無妙法蓮華経の中に生佛のけみょうを絶して、三世十法法界悉く久遠本時の寂光土なり」これが正意の戒壇である。
次に傍意の戒壇を述べれば、浄地に事相の本門の戒壇を設け、本門の本尊を安置し、更に本門の戒儀を選し、本門伝戒の師は如法に当家(富士門)の僧俗に本門の妙戒を授与する。この事相の戒壇をもって傍意の戒壇となす。大石寺に伝わる「一期弘法抄」の事の戒法を受けるため、国主が願主となって、富士山に建立すべき戒壇及び百六箇抄の種の本迹勝劣を説ける中の四十三条に出ずる三箇の秘法建立の勝地に造立すべき富士山本門寺の本堂の戒壇とは、僧俗の受戒の道場であり、明らかに事檀ですから、傍意の戒壇である。』

以上が代々檀家の1人が昭和40年代に、創価学会への批判的論法をもって著作した「本門一仏乗論」からの要旨抜粋ですが、本来は石山といえども「正意は己心戒壇」なのであります。
その上で「傍意の本門寺の戒壇」を論じるのが本来の石山義なのでありますが、創価学会が広宣流布達成を誇るために、無理に片方だけをとりいだし、妙信講がそれを同じ土俵に乗って批判し 現在も勘違いしていると考えた方が良いと考えます。
妙信講も無理に傍意の戒壇にこだわることは無かった。傍正のたてわけが出来ていれば、正意の戒壇が壊されてないのだから、創価学会さんが何を言おうと笑って済ませれば良かった。

269ガンコ:2004/02/05(木) 15:48

うあああっ、む、むずい。

270ジャンノレン:2004/02/05(木) 17:01
中道さん、はじめましてジャンノレンです。

遂に登場なさったのですね、御高名はお聞きしております。
本門一仏乗論、某古書店では7、8万するような稀書だったと記憶しております。
100部限定で確か、全部配られずにホンの一握りの人だけが、浴したという事も聞いております。
しかし、難解な論ですが傍正の立て分けから考察すれば本門伝戒之師のところに戒壇義も備わるという
様に聞いております。

271愚鈍凡夫:2004/02/05(木) 18:41
皆さん今晩は。
ガンコさん、齋藤師の論文がお気に召されたようですね。
それでは、石山に在籍する方の論文を紹介しますので、お楽しみ下さい。

「本門事壇論 〜日蓮大聖人は理壇か事壇か〜」
http://www.h4.dion.ne.jp/~hotaro/lenpou02.htm

次は、日達師の御指南です。石山の戒壇論を理解する上で役立つと思います。

「日達上人講述・略解日興遺誡置文」
http://www.h4.dion.ne.jp/~hotaro/yuikaiokimon.htm

272TT:2004/02/05(木) 18:56
>日蓮正宗にて戒壇という建物にこだわる歴史は無かった
そうなんだ。
あれ、ならばどうして正本堂建て、現時における事戒壇と言ったの?
中道さんは日達さん批判者なの?

273中道一筋:2004/02/05(木) 20:48
TTさんはどのようなお立場の方でしょうか。
「日達さん」と表記されている事を見ると、当宗の信徒さんではありませんね。簡単に自己紹介御願いします。

さて本題ですが、
当宗には、信徒間に差別が歴然とあります。
残年ながら「常住御本尊様御下付前の信徒さん」には真実の御指南はいたしません。
御先師様は創価学会のように傍意の戒壇に執着する信徒が多い時代だったから、それに即して、傍意の戒壇のみ論じただけです。正意の戒壇については論じられていませんよ。
それがどうして、達師批判となるのでしょうか(Why)。

274れん:2004/02/05(木) 20:56
中道さんはじめまして。「正意は己心戒壇」は我が意を得たりですね。この板の性質上傍意の事壇論を論じて来ましたが、私自身は「正意は己心戒壇」です。但し、二箇相承や百六箇抄を石山伝承とするのは早計でしょう。二箇相承の蓮師「真蹟」と言われていた本は重須曽存ですし、両巻血脈も堀日亨師は「石山に於いても、古い時代の先師方々は此の両抄を余り大切になさらなかったらしい」と述べられております。二箇相承や両巻血脈を石山固有の伝承と見ることは、今日の学問上の諸研究の成果から見れば、些か首を傾げざるを得ないというのが私の感想です。

275犀角独歩:2004/02/06(金) 12:56

戒壇のこと、少し整理したほうが好いでしょう。

(1)蓮師の戒壇観
(2)興師の戒壇観
(3)石山の戒壇観

以上の三つが混濁して議論になっていませんか。
正傍の戒壇論ということが言われていますが、石山や、その信徒がそれを言うのは勝手です。しかし、そんな考えが蓮師や興師にあったかどうかは別問題です。あったというのであれば、その挙証を示されればよい。

石山住職がいうところの「真実の指南」がどんなもんであるか、それは石山相伝を信じる人たちだけの話で、その信仰者同士でのことです。また、石山住職が漫荼羅を書いて下したからといって真実の指南を語るというのもおかしな話であると思います。
我が家の近くに学会の古参幹部ながら畳一畳ほどの大きさの常住本尊を安置する家があります。だからといって石山住職から真実の指南を聞いたとは言っていません。
だいたい「(石山で言うところの)真実の指南」を石山住職が下すのは、信者ではなく、(石山住職が言うところの)唯授一人法嗣に限るのではないでしょうか。

ここまでの話の流れはれんさんは蓮師より事檀論あり。わたしは蓮師に具体的な事檀論なし。そこで中道一筋さん(はじめまして)は石山に傍正戒壇論と、こうなったわけです。(通論的には富士事檀論は興師、殊に重須檀林にその濫觴を見るというのが資料が指示するところでしょう)

なお、れんさんが

> 二箇相承や両巻血脈を石山固有の伝承…首を傾げざるを得ない

というご意見にはまったく同感です。

そもそも二箇相承は北山・蓮興代/澄順の血脉相伝で厳護していた(とされた)のであってそこに石山・蓮興目道の血脉相伝が介在する余地はないでしょうし、要山(上行院)・蓮興目尊の血脉相伝を伝える両巻血脉抄もまた石山の相伝譜とは脈絡を認められないからです。もしそれが石山の相伝であるというのであれば、例えば、譲座本尊、あるいは条々事(わたしが偽書説に立ちますが、それは置きます)のごとく、その正本が石山に伝わっているはずです。その伝承もなく、他山から写しを持ってきて自山の相伝というのはまことにもって珍妙なことです。隣家の権利書のコピーを持っているから、あの家は自分のものであるというようなものです。

276犀角独歩:2004/02/06(金) 13:39

中道一筋さん:

寛師説から質問させていただきます。
いわゆる己心戒壇が正異の戒壇論ということですが、この点は寛師の六大秘法論における義事戒壇と趣を異にしています。寛師は「戒壇之大御本尊」を安置するところを事戒壇というのであって、いわゆる一般日蓮門下の事理戒壇論とは別異の戒壇論を立てています。ですから、通日蓮門下でいう事檀と寛師がいう事檀は、字は同じでも意味が違っています。その点を確認して前に進めれば、寛師が理事戒壇を簡んで義事戒壇を言い、その上で事戒壇(戒壇本尊所住)を戒壇の正意としたことは自明です。

しかしながら、中道一筋さんが引くところに拠ると石山では己心戒壇が正意の戒壇論であるといいますが、これでは寛師の事檀を傍意と下していることになります。これは通日蓮では一般に理檀と言われるところであって、石山義であるというより池山の理戒壇論に似通っています。寛師と異なる理壇説がどうして正意の戒壇なのでしょうか。

277みかん:2004/02/06(金) 17:37
>>273
> TTさんはどのようなお立場の方でしょうか。
> 「日達さん」と表記されている事を見ると、当宗の信徒さんではありませんね。簡単に自己紹介御願いします。

当宗がどこか知りませんがw、他人に自己紹介を強要できない、あくまでも任意のお願いであるということは確認しておくべきだと思います。

当宗とは浄土真宗ですかねw

278ガンコ:2004/02/07(土) 17:11

愚鈍さん、どうもありがとうございます。

>それでは、石山に在籍する方の論文を紹介しますので、お楽しみ下さい。

楽しませていただきました。
きわめて個人的な関心を申しますと、この事壇論のなかで「三時弘経次第」に触れられていますが、浅井の書いた平成二年の諌暁書では「三時弘教次第」となっていること。
また、きわめて微妙なことを申しますと、浅井は引用文の後に(三時弘教次第)と出典を入れているわけですが、一昨年この諌暁書を復刊させた時には、その同じ部分に(日興上人・三時弘教次第)と、わざわざ日興上人を書き入れているんです。だからなんなんだといえば、べつにどうってこともないのですけど。

日達上人の御指南は、いくつか注意書きが付されていましたが、そこがたいへん興味をそそられました。

「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。」

この解釈が一定していないことは、顕正会幹部であれば、みんな知っているところです。日達上人の御指南も一理ありますが、ややひねりすぎの印象はぬぐい難いですね。今の御宗門でもその辺は承知しているのでしょう。

「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首或は習学の仁に於ては、設ひ一旦の媱犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事。」

ここで、わざわざ辞書を引いて「差し置く」に注意を促している意図を、愚鈍さんはいかが思われますか?

279愚鈍凡夫:2004/02/07(土) 20:50
ガンコさん、楽しんで頂けて何よりです。 (^_^)v

> 「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設い一旦の妖犯有りと難も衆徒に差し置くべき事。」

> ここで、わざわざ辞書を引いて「差し置く」に注意を促している意図を、愚鈍さんはいかが思われますか?

小生のような下々の者にはあずかり知らぬことという意味と解釈しました。
まあっ。正直言って、日達師の御指南にはがっかりというのが感想です。
相当苦しいこじつけと拝察いたしました。

280Jルーカス:2004/02/09(月) 09:25
ガンコさん
一応、言っておきますが辞書を引いているのは達師御自身では無く編者が勝手に引用しているだけです。
それが証拠に、国語辞典は1988年版という、達師御遷化後かなりたってからのものを、使用しています。

281れん:2004/02/09(月) 14:30
ガンコさん。「三時弘経次第」について、目師申状(真蹟保田妙本寺蔵)には、「三時弘経次第」とありますので、浅井氏の「教」字は間違いで「経」字の方が本来の表記ですね。本書は興師の真蹟は不現存で、古写本でのみの伝承ですが、堀日亨師の宗門古典考査によると、石山蔵・興師真蹟「破禅要文」(内容未詳)に同義の文があるとのことで、三時弘経次第はほぼ興師撰述の文献と見て間違いないものと存じます。m(__)m

282ガンコ:2004/02/09(月) 16:57

愚鈍さん、がっかりですか? そうか、がっかり(創価学会)ですか。
冗談はともかく、日達上人は御高徳の上人であられると、わたくし思っております。


れんさん、ご教示ありがとうございます。
しかし浅井にしてはめずらしい。
単なるミスか、あるいは何かの資料に依ったのか、どなたかご存知ありませんこと?


Jルーカスさん。
そそそんなこと、わわわかってますってば!

ですから、この「差し置く」にどのような意味があるのか、編者は何を言いたいのか、それがまったく見えてこないから、その意図するところはなんなのか、知りたいのです。
どうなんです? 何かご存知ですこと?

283犀角独歩:2004/02/12(木) 06:53

> 267までに「折伏」語の誤用について記しましたが、

先頃、発刊された『福神』第9号(太田出版)に『福神討論《日蓮再読》摂折観をめぐるテキスト論 今成元昭先生』としてこの問題を取り上げていました。
今成師がいままで主張されてきたことが整理されて繰り返されており、参考になります。また、末に『資料編』を置き、近代碩学の「折伏」語の誤用問題点、また今成論を裏付ける蓮師遺文、法華三大部も抜き書きされています。

その他、当スレッドからはずれますが、ついでに紹介すると、同誌では大木道惠氏『創価学会攻防史の研究(1)』の連載が始まっています。なかなか興味深い内容となっています。また、松戸行雄氏『凡夫本仏論の宗教的個人主義』も掲載。こちらは遺文真偽問題をぜんぜん無視した、なんともはやというところでしょうか。反面、澁澤光紀師『聖なる暴力は肯定されるか―「非戦と非暴力」日蓮/宗東京京浜教研会議報告』は考えさせられる内容でした。

284愚鈍凡夫:2004/02/12(木) 12:57
現在、読売新聞に「裸の教祖 10年目の真実」と称する連載記事があります。
この中で、カルト宗教指導者の自己中心で傲慢な態度の本質を突いていると思える内容がありましたので、引用します。

**************************************************
(前略)
 鵜飼いが盛んな岐阜県関市。長良川沿いの山の中腹に宮前住職の寺はある。
 「麻原は著書で、体がなくなる体験について語っているが、私も似たような経験をしたことがある」
 35年余り前、睡眠時間を極限まで削り、ひたすら座禅を組む日々を送っていた住職に、体が体と感じられなくなる瞬間が訪れた。「ついに解脱した」と思えてしまうほど強烈な体験だった。
 「おれは価値ある人間だと思ってしまった。解脱したのだから死も恐れない。何をやっても許されるという心境だった」
 「(神秘体験は)修行の入り口に過ぎないのに、麻原は解脱したと勘違いした」。宮前住職はそう指摘する。教団への強制捜査後、住職のもとには、50人以上のオウム信者が訪れ、半数近くが教団を脱会した。
*
 坂本弁護士事件の実行犯、端本悟(36)は、ドラム缶で作った潜水艦の実験でおぼれかかったことがある。「教団ではバカバカしい話が山ほどあった」。その度に疑問が芽生えかけたが、「グルはすべてを分かった上で自分に試練を与えている」と考えた。
 端本の弁護団は、「『疑念を持つこと自体、帰依が足りない証拠』という教えによって『自発的な』思考停止状態に陥っていた」と分析する。
 経済という名の暴力。理不尽なことも"試練"として正当化する教義――松本は、様々な手法で弟子たちの心を揺さぶりながら、忠誠心を絡め取っていった。
(被告の呼称略)

2004(平成16)年2月11日 読売新聞朝刊
**************************************************

世に恐ろしきは、「思い込み」と「勘違い」ってやつですか・・・・・・。 /(-_-)\ コマッタァ・・・

> 端本の弁護団は、「『疑念を持つこと自体、帰依が足りない証拠』という教えによって『自発的な』思考停止状態に陥っていた」と分析する。
> 経済という名の暴力。理不尽なことも"試練"として正当化する教義――松本は、様々な手法で弟子たちの心を揺さぶりながら、忠誠心を絡め取っていった。

かつて、創価学会員だった自分がだぶったりして・・・・・。 (-"-;A ...アセアセ

285犀角独歩:2004/02/12(木) 13:22

愚鈍凡夫さんは、いつも興味深い資料を紹介くださいますね。

「思考停止」はスティーヴン・ハッサン師が『マインド・コントロールの恐怖』(浅見定雄師訳/恒友出版)で使った破壊的カルト・メンバーの特徴を示す語でした。

実はわたしはこの語が自分にどう当て嵌まるのか、はじめてこの書を読んだ当初わかりませんでした。「自分は一所懸命に考えている」と思えたからです。

ですから、思考停止とは、実は集団と指導者が与える考え方・解釈以外の思考を停止させる心理プログラムによる技術なのだとわかったのは、ずいぶんとあとのことでした。つまり、集団と指導者に信託していた自分はやめたあとも永らく、そこで教えられた形でしか一所懸命に考えていなかったわけです。ここに脱会後もマインド・コントロールが溶けない大きな鍵があります。

「思考停止」の記述について同書から抜き書きすると、

カルトのメンバーの思想をコントロールするのにいちばんよく使われる効果的な方法は、“思考停止の儀礼”である。(P120)

思考停止を用いることで、メンバーたちは、実際は自分をただ中毒患者にしているだけなのに、自分はいま成長しているのだと考える。ある人が思考停止の技術を大幅に使うカルトから離れてから、その中毒を克服できるまでには、困難な禁断症状の過程を通過しなければならない。(P121)

思考停止は、現実を吟味する人間の能力を妨げるいちばん直接の方法である。実際、もしだれかが自分のグループとの関係を積極的にしか考えることができないとすれば、彼はほぼ確実にやられているのだ。教義は完全であり、またリーダーは完全なのだから、持ちあがってくる問題は何でも、個々のメンバーの落ち度とみなされる。彼はいつも自分を責め、もっと一所懸命働くことを身につける。(同)

ものを考えないでただリーダーのいうことに従うように教えるグループは、どんなグループでも危険だ。(P289)

(カルトにいるときは)疑問や矛盾のことをゆっくり考える暇が全然なかったのだった。『良い』会員として、そういうときはほとんどいつも『思考停止』にならなければならなかった。(同)

カルトの人間はみな、リーダーや教義や組織についての『否定的な』考えはすべて停止するように、条件づけられている。また、自分のグループはほかのどんなグループとも違い、それより優れているんだと信じるように教え込まれている。(P295)

思考停止の作用は、『正面攻撃』を受けるとすぐに働きだす。(同)

などとなっています。
この心理操作技術は学会を含む石山系集団、すなわち日蓮本仏圏は常に使われるものであると分析できます。

286愚鈍凡夫:2004/02/12(木) 18:37

犀角独歩さん、有り難うございます。

入口を出口と勘違いした麻原も哀れですが、その男に引きずられていった信者たちは、カルトから離れてもマインド・コントロールの後遺症と闘わなければなりません。
哀れどころの話じゃありませんね。

カルト宗教が不幸を招き寄せるのか、不幸な人がカルト宗教に集まるのか、論理の迷走が続きそうです。 (-。-;)

287孤独な迷子:2004/02/12(木) 22:50
こんばんは。

宗教って、冷静に見ていかないと、恐ろしいものなのですね。

288犀角独歩:2004/02/13(金) 13:59

孤独な迷子さん:

> 宗教…冷静に見ていかないと、恐ろしい

そのとおりでしょうね。
でも、もっと恐ろしいものがあります。その宗教と教義を利用する集団と指導者です。

289問答迷人:2004/02/13(金) 14:58

>でも、もっと恐ろしいものがあります。その宗教と教義を利用する集団と指導者です。

カルト宗教というのは、マルチ商法の一つの形態ではないかと僕は考えています。このマルチ商法では、販売する商品が「信仰」なので、マルチ商法であることに気が付きにくい。だけど、どこを捉えても、MLM(マルチレベルマーケッティング)そのものだと、僕は感じてしまいます。こうした実態を一言で言えば「宗教マルチ」。恐ろしいです。

290犀角独歩:2004/02/13(金) 19:07

> カルト宗教というのは、マルチ商法の一つの形態

同感です。宗教を利用し、人の善意に付け入り、自己改革の欲求を企業利益に代える詐欺商法であるとわたしは考えてきました。
宗教を利用する正法ならぬ、商法ですね。

291孤独な迷子:2004/02/15(日) 18:57
独歩さん、問答迷人さん

お久しぶりです。

> その宗教と教義を利用する集団と指導者です。

その指導者や集団のトップというのは何か目的があって意図的に宗教と協議を利用しているのでしょうか?

> カルト宗教というのは、マルチ商法の一つの形態

私も最近はそのような感じ方になりつつあります。多くの宗教教団がそのような形態ではないだろうかとさえ思っています。

そうなると、宗教(信仰)というのは有害無益なものと位置付けてしまってもよいのでしょうか?

292みん:2004/02/15(日) 23:33
私見ですが宗教の全部が有害無益とは思いません。人の心の支えになって家族や友人や社会と上手く強調していければ。『神仏は頼らず尊び』です。ただ残念な事にお金や権威に執着するトップがたくさんいるために教義を2の次にして、そこには私達がかかるようなシステムが生まれてしまうのでしょう。人の心を商品にするマルチ商法ですよね。最悪です!長くなってスイマセン

293一刀両断:2004/02/16(月) 23:24
様々な議論展開の中で横槍を入れるような形で申し訳ありませんが、顕正会の機関紙に以下の文が掲載されておりました。
これについて、私は一切の基本理念がないので、どう捉えるべきか何方かご指摘願えますでしょうか。

顕正新聞 第956号 平成16年2月15日 抜粋

「彼岸・盂蘭盆法要は本部会館で」 塔婆建立はせず、仏法の本義で回向

これまで春秋の彼岸法要ならびに盂蘭盆法要は東京会館で行われておりましたが、来る三月二十日(土)の春季彼岸法要からは、本部会館において、いずれも午後二時より、儀礼室の横田高明理事の唱導により執行されることになりました。
また塔婆については、今後前記三法要においては、建立しないことに決定されました。
その理由は、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉り、広宣流布に御奉公することが功徳を生じ、この功徳を故人に回わし向けるのが回向の本義であります。
この仏法の本義に則り、故人となられた同志および会員先祖代々の追善回向するのが、彼岸および盂蘭盆の法要なのであります。
よって塔婆は不要であります。
今後、この思いをもって、追善回向の志ある方々はご参詣下さい。

以上
・仏法から見た塔婆の意義
・日蓮本仏論系統の塔婆の捉え方
・既に塔婆を建立してきた意義
・今後不要とする意義

これらの点についてご教示願えれば有り難く存じます。
御存知の通り、顕正会ではほとんどこういった故人に対する回向、追善供養といった儀礼については端的な指導を受けてきておりません。
葬儀や彼岸、盂蘭盆法要などについては会員内での不幸でもなければ、まず知りえるところではないのです。
よろしくお願いいたします。

294犀角独歩:2004/02/17(火) 09:21

291 孤独な迷子さん:

> 宗教(信仰)というのは有害無益なものと位置付けてしまってもよいのでしょうか?

わたしの個人的な意見を述べれば、宗教=信仰ということ自体、仕組まれた等式であるということ。有害なのは宗教、信仰ではなく、それらを利用する集団と指導者であるということです。

292 みんさん:

> 人の心を商品

言い得て妙な表であると思います。

295犀角独歩:2004/02/17(火) 09:45

293 一刀両断さん:

塔婆の廃止は先に創価学会が行ったことでした。

> 仏法から見た塔婆の意義

石山で塔婆の意義を問えば、間違いなく以下の御書を引用するでしょう。


我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり(草木成仏口決)

去(みまか)りぬる幼子のむすめ(娘)御前の十三年に、丈六のそとば(卒塔婆)をたてゝ、其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、其の風にあたりて大海の苦をはな(離)れ、東風(こち)きたれば西山の鳥鹿(ちょうろく)、其の風を身にふ(触)れて畜生道をまぬ(免)かれて都率(とそつ)の内院に生まれん。況んやかのそとば(卒塔婆)に随喜をなし、手をふ(触)れ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてら(照)し、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水す(澄)めば月うつ(映)り、つゞみ(鼓)をう(打)てばひゞ(響)きのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此より後々の御そとば(卒塔婆)にも法華経の題目を顕はし給へ(中興入道御消息)


> 日蓮本仏論系統の塔婆の捉え方


また石山の考えでは題目を記した墓石、塔婆、過去帳は略本尊の意義を持つとしますから、つまりはその廃止を意味することになります。また、題目の下に亡者の戒名を書き付けることは師弟相対の成仏を表すことであるとしますので塔婆の廃止は人法一箇日蓮本仏との相対義を破ることを意味するでしょう。

> 既に塔婆を建立してきた意義

前言を平気で撤廃することは、仏教云々以前の問題として人道に悖る卑劣な行為であるとわたしは思います。

> 今後不要とする意義

僧侶不用、典礼までも在家が行う創価学会方式の導入以上の意味は持たないでしょう。
要は典礼権の掌握は在家集団の最終的な目的、金と心のすべて籠絡する意図以上のものはありません。

一節には顕正会は石山に帰り咲く意図があったと聞きますが、典礼を在家が行うことで、この道は塞がれたと言うことになるでしょう。

石山義に沿えば、以上のことが言えようかと存じます。

296一刀両断:2004/02/17(火) 12:22
犀角独歩さん 丁寧な解説有難うございます。

塔婆廃止は創価学会が先に行っていた事は存じませんでした。
そういえば顕正会でも戒名については不要論を取り入れていたことを思い出しました。

ある意味、創価学会と宗門が抗争が勃発してより、次々と行ってきた学会の信仰姿勢の改革は、僧侶を不要とする基準から打たれてきた手であろうかと思います。
そして顕正会においても、かつては盛んに宗門復帰、そして広宣流布主導を叫んでいた時点では、不要としなかった点が、ここへきて不要とされているのですから、あきらかに創価学会と同様の考えがあっての事だろうと考えられます。
つまり、顕正会でも僧侶は不要であり、いやもっというなら僧侶を不要とする以上、これらを廃止せざるを得なくなったということなのかもしれませんね。

僧侶を不要とする路線へ突如変更し、それを尚、可とできてしまう富士大石寺論法というものに、富士大石寺の歴史、教義の矛盾、狡猾さを垣間見る思いがします。

297愚鈍凡夫:2004/02/17(火) 19:51

横レス失礼します。
卒塔婆について

**************************************************
【起源と伝播】梵語のストゥーパの音写。卒都婆略して塔婆・塔などと書く。古代インドでは伏鉢型に盛り土した墓のことであるが,仏教では釈迦や仏弟子の舎利,遺髪などを埋めた上に土を盛り,その周囲を石や煉瓦で包んだ塔のことである。紀元前後この塔を崇拝の中心とする運動がおこり,大乗仏教にまで発展した。前3世紀半ごろ阿育王が多数のストゥーパを建てたと伝えるが,わが国でも奈良時代の百万塔造顕がよく知られる。造塔には大功徳があることは無量寿経・ヒユキョウ※注1※などの諸経に説くところで,これによって造塔の隆昌をもたらした。前1世紀後半ごろ西北インド在住のギリシア人が父母の供養のために建塔した例もある(『中村元選集』第16巻,1968,春秋社)。仏教が各地に広まるとともに仏塔建立の風習は南方諸国や中央アジア・中国・朝鮮でも行われた。中国では247年に呉の孫権が建初寺を建てた時が舎利塔造建の初めとせられる。

【塔婆の種類】日本では585年(敏達14)蘇我馬子が大野丘の北に建てたのを最初とする。塔婆には五重塔のような大きな建造物をも含むが相輪の部分はストゥーパの形式を残したものという。塔婆はふつう石造の宝塔・宝篋印塔・五輪塔・卵塔・笠塔婆・板碑や墓地に見る石塔が知られるほか木製の角塔婆・板塔婆・経木塔婆がある。このほか塔鋺・塔鈴・籾塔など多種多様である。ここでは人々の生活と関係の深い石塔類について述べる。

**************************************************

「塔 婆」
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N022L100.HTM

「卒塔婆供養の功徳」
http://www.zenryuji.or.jp/html/tayori-2.htm

「ボロブドゥール遺跡&バリ島写真集」
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/photo-indonesia/p-0031.htm

ご参考までに。

298一刀両断:2004/02/19(木) 16:34
愚鈍凡夫さん
情報提供有難うございます。
じっくりと拝見してみます。
とにかく顕正会ではこういった儀式に関する捉え方がまったく指導なされていないので、ここのサイトの情報を拝見するにつけ、よく今までこの程度で正統を叫んでいられたものだと、改めて恥ずかしくなる思いがいたします。

299Jルーカス:2004/02/19(木) 19:00
塔婆を廃止するのは、顕正会という宗派の自由だと思いますが、ここで聞きたいのは、数年前までは、護法山顕正寺の住職となっていた村松師の動向です。
在家主導となった以上、お払い箱でしょうか。首切られたのかな。

300ガンコ:2004/02/20(金) 14:05

戒壇論雑感 その1

今や冨士大石寺における戒壇論は多種多様にして複雑をきわめる。
このところ、傍だの正だの、あるいは己心だのと、およそ戒壇論とは思えぬ言葉がとりざたされていたが、手塚寛道先生は「心に本門の戒壇を」と仰せになっているそうである。あるいはこれが己心の戒壇に相当するのであろうか。

「此の御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり。」(日女御前御返事)

有名な御文である。端的に申せば、御本尊は我等の己心にある・・・じっさいには「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる」を省略すると正確さに欠けるのであろうが、ともかく端折って御本尊は己心に住するとしよう。つぎの「九識心王真如の都」とはものすごい御表現であられる。ここで「都」に注目するならば、なるほど大石寺では本尊所住の処を戒壇とするのであるから、これは己心戒壇となる。

「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候。」(十字御書)
「夫浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず、ただ我等がむねの間にあり。」(上野殿後家尼御返事)
「又衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。」(一生成仏抄)

これらの御指南は必ずしも戒壇論ではないが、あえて戒壇論に準拠せしむるならば、おそらくは理壇論の範疇に属するものであろう。
では、大聖人はこれを正意の戒壇とせられたのであろうか? わたくしはちがうと思っている。少なくとも、己心の戒壇をいうばあい、その己心とは、第一義的には日蓮大聖人の己心を申し上げるのであって、これを外してしまったら本門の戒壇たりえないはずである。
よって、御義口伝に仰せの「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」に準拠しなければならない、とするのが大聖人正意の戒壇となるはずである。

301ガンコ:2004/02/20(金) 14:06

戒壇論雑感 その2

中道一筋さんご提示の傍意・正意戒壇は難解をきわめる。わたくしのような不勉強の者には一々の用語が理解できず、何を言っているのかわからない。しかも、それだけではない。ようは、三大秘法抄・一期弘法抄を真書としながら、なおも戒壇建立を正意とせず、傍意に置くのである。まさに暴威である。
しかし、どうにか、わたくしなりに理解できたので、ここに書いてみたい。
まず、正意というと、わたくしがただちに思い浮かぶのは、本尊問答抄のつぎの御文である。

「此は法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にあらず。上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。」

すなわち、末法においては法華経の題目を以て本尊とすべきであり、それが法華経の正意であり、法華経の行者の正意である、と。
ここでしばしば問題となるのが、本門の本尊と本門の題目の重複である。しかし、大石寺においてはさしたる問題とはならない。それは、一つには曼荼羅正意であるからだが、さらに申せば「三大秘法総在の本尊」なるがゆえではなかろうか。

「三大秘法は本尊と戒壇と題目の三つに分れていても、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。そのわけは、本門の本尊のおわします所が本門の戒壇であり、またこの御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である。すなわち戒壇も題目もすべて本門の本尊より発するゆえである。」(折伏理論書)

じつは、これではまだ意を尽くしていないのではないかと思う。あえて大胆に書くとつぎのごとくなる。わたくしの云はく「本門戒壇の大御本尊は、本門の本尊であると同時に本門の戒壇であり、本門の題目である」と。これならば、本門の本尊と本門の題目の重複は問題ではない。本尊問答抄では煩瑣を避けて戒壇を略されているだけであって、とうぜん戒壇も加わってしかるべきと思う。すなわち、「本門の本尊と戒壇と題目の五字」とが重複する、これこそ「一大事の秘法」にふさわしいし、「法華経の行者の正意」ではなかろうか。
手順としては、これを踏まえたうえで、本尊所住の処に約しての戒壇があり、所弘・所修に約しての題目があるわけで、この順序次第を忘れてはならないのである。
当たり前のことだが、建物にこだわりすぎると本義を見失ってしまう。ゆえに築壇を傍意とするのではなかろうか。

302ガンコ:2004/02/20(金) 14:07

戒壇論雑感 その3

では、戒壇建立の御遺命にはどういう意味があるのか? ということになる。これについてはべつの機会に申し述べることにするが、いま言えることはつぎのごとくである。
大聖人仰せの「時を待つべきのみ」のその「時」が到来して、戒壇建立がなったとしよう、しかし、建物そのものに特別な力が備わるのではなく、あくまで力があるのは御本尊・・・すなわち本門戒壇の大御本尊に仏力・法力がましますのであり、それが日本ないし一閻浮提に波及するのである。これが本義であり、傍・正戒壇論の所詮であろう。

ここで日達上人の事壇論に触れたい。上人が法体に約して事壇を仰せになったことは今や常識であるが、いまだに「細井管長は創価学会に迎合して事の戒壇の定義を変更してしまった」と言い続けている団体がある。確かに日淳上人の御指南と相違するところがなきにしもあらずであって、事壇の定義を変更したというのはその通りであろう。しかし、創価学会に迎合したとの見方は、もうそろそろ改めるべきかと思う。
御高徳の日達上人であられる。迎合などされようか。しかし、当時の学会の金力・権力は絶大だった。そこで、一見非常手段とも思える事壇定義変更をもって、学会の慢心を誡められたと拝するべきである。
すなわち、「正本堂」なるがゆえに事の戒壇なのではなく、「戒壇の大御本尊」ましますがゆえに事の戒壇と仰せられた。御宝蔵も事の戒壇、奉安殿も事の戒壇、正本堂も事の戒壇、戒壇の大御本尊まします所はいつでもどこでも事の戒壇・・・これは、いまになって拝すると、正本堂という建物にこだわる池田大作氏を誡められたこと、一目瞭然である。

さて、従来の大石寺における主流の事・義壇論と、日達上人の事壇論は相違する。主流とは申すまでもなく日寛上人であられる。そうすると、やはり日達上人がまちがっているのだろうか? わたくしはそうではないと思う。もともと次元が違うのである。どちらも正しいのであるが、どちらかというと日達上人の御指南のほうが本源的である。
整理すれば、
※日寛上人は三大秘法抄・一期弘法抄にもとづき、実質的な戒壇建立に即して事・義の立て分けをあそばした。
※日達上人は「法華経の行者の一身の当体」ないし「法華経の行者の正意」に即して事壇を釈せられた。
ということになると思う。

303ガンコ:2004/02/20(金) 14:08

戒壇論雑感 その4

先に、「一見非常手段と思える事壇定義変更」・・・けれども「日達上人の御指南のほうが本源的」と書いた。その理由について、申し述べたい。

「問ふ、一念三千の正しき証文如何。答ふ、次に申し出だすべし。此に於て二種有り。方便品に云はく『諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見』等云々。底下の凡夫理性所具の一念三千か。寿量品に云はく『然我実成仏已来無量無辺』等云々。大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり。」(三大秘法稟承事)

申すまでもなく、三大秘法抄における戒壇の御指南はこの前の段であって、ここは戒壇についての仰せではない。しかし、すでに述べたごとく大石寺では本尊所住の処を戒壇とするわけであり、「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」(草木成仏口決)を合わせ拝するならば、戒壇論に応用できるであろう。
「底下の凡夫理性所具の一念三千」とは、その1で引いた諸御書の御指南と同義であり、おそらくは理壇論の範疇であろうと書いた。ここでは迹門に相当することになる。己心の戒壇といっても衆生の己心では、迹門の域を出ないわけである。
そして、「大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千」とは、理壇に相対するならば、まさに実質的な戒壇建立の意味となる。一般に、事壇とはこの意味であるが、しかし、日達上人はさらに原意に立ち還って、大聖人己心の戒壇を仰せられたものと拝する。すなわち、立宗より発迹顕本を経て出世の本懐に至る大聖人の御振る舞いこそ、「久遠実成の当初証得の一念三千」であり、その当体が本門戒壇の大御本尊にてましますのである。

また、「因果倶時・不思議の一法之有り」(当体義抄)をも戒壇論に応用すれば、順序次第のうえからは戒壇の大御本尊が因であり、戒壇建立は果となる。ところが御文のごとくならば、因果倶時である。つまり、戒壇の大御本尊が顕わされたと同時に本門の戒壇も顕われたと拝するべきであり、日達上人はこの趣きにしたがって事の戒壇を仰せられたものと拝することができる。そして不思議の一法は、そのまま三秘総在を思わせる御文でもある。

そもそも大聖人は、「延暦寺の戒壇は迹門の理戒」と仰せあそばす。注目すべきは、比叡山延暦寺の円頓戒壇をさして迹門の理戒とするところであろう。つまり、実質的な戒壇建立の有無にかかわらず、迹門は理戒であり、本門は事戒となる。いわゆる法体の相違である。
日達上人は法体に約して事壇を仰せられた。まさに「法華経の行者の一身の当体」「法華経の行者の正意」の戒壇である。

304ガンコ:2004/02/20(金) 15:21

塔婆供養に関しては、わたくしも顕正新聞の活字でしか知りえませんので何ともわかりませんが、個人的な考えを申しますと、分派独立傾向を強めたとは思いません。(思いたくない)

かつての浅井先生の自慢話
「これほど青年の比率の高い団体は顕正会をおいて他には存在しない」
なあんてことをむかしはよく言ってたですよね。

創価学会では「顕正会は若年者ばかりで熟年層がいない。若い人間だって、十年もすればみんないなくなってしまう。これがインチキの証拠である」って言います。
それにする浅井先生の公式発言「なめたらあかんぜよ」というのがあります。

今まで東京会館でやっていた行事を本部会館に移した。それも、いわゆる法事のたぐいであるから、顕正会にも熟年層が増えてきた証拠でしょう。

おそらく塔婆は村松先生が書いていらしたのだと思います。けっこう能筆でいらっしゃいますからね。ところがどんどん塔婆の申し込みが多くなってきて、とてもひとりじゃさばききれない、といって外注に出すわけにもいかないし、儀礼部員といっても御経はそこそこ読めても塔婆は一朝一夕に書けるものじゃないでしょうから、そういうことでやめたんじゃないかしらね。

305犀角独歩:2004/02/20(金) 20:56

ガンコさん:

300〜303、こういったフィクションを以てドキュメンタリーを騙る文章はよろしくない。もっと真面目な記述に努めるべきでしょう。

塔婆を書ききれなくなったから、在家がやる、そんな態度もまた、実に不真面目、不謹慎きわまりない態度と言えるでしょう。

306愚鈍凡夫:2004/02/20(金) 22:00

横レス失礼します。
ガンコさんに質問があります。

「底下の凡夫理性所具の一念三千」とは、人に本来備わっている「一念三千」を指していると思いますが、それに対し、「大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千」とは、教主釈尊が開悟した「一念三千」を意味するのだと思います。
小生は、今では「法華経」を編纂した僧団と、「大般涅槃経」を編纂した僧団とは違う思想体系に属するのではないかと考えています。分かりやすく言えば、「法華経」に説かれる「仏種」と、「大般涅槃経」に説かれる「仏性」とは別物ではないかと言うことです。即ち、「仏種」とは仏が化導によって衆生に植えるもので、「仏性」は衆生に本来備わったものである。このような違いかと思います。
そこで、ガンコ説にある二つの「一念三千」と、「理壇」、「事壇」の整合性が今一分からないのですが、御教示下さいませんか。

307犀角独歩:2004/02/20(金) 22:19

> 塔婆を書ききれなくなったから、在家がやる

自己レスが、結局のところ、典礼には必ず経済効果がついて回ります。
寺で言えば「塔婆料」。これを横からかすめ取ろうとすると、在家が僧侶に取って代わろうとします。

顕正会はいまはひどい本門戒壇之大御本尊と国立戒壇を振り回す商業カルトと成り果て、考えているのは金儲けばかり。純粋な信者は疑うこと、金儲けと考えることは不純なことと操作されて、浅井家族だけが儲かる商売に利用されている。そんな延長に納骨堂、塔婆、4月に始まる諌暁という名の出版業を考えないといけません。

ただの銭儲け、商売です。

308愚鈍凡夫:2004/02/20(金) 23:13

塔婆供養について、これが日蓮正宗の公式見解だと思います。

**************************************************
お塔婆の意味
もともと塔婆は、丸や角の形を積み重ねて一つの体をあらわしています。下から方形(四角)・円形・三角形・半円形・如意宝珠の順序で五輪の塔に組立てるのが基本的な形で、これは地水火風空の五大、すなわち妙法蓮華経の五字をあらわすことになります。
この五大をあらわす順序の中で、方形というのは地輪、円形は水輪、三角形は火輪、半円形は風輪、如意宝珠は空輪になります。一番下の方形は地輪で地面を意味し、水は地面の上に溜るので地の上になり、火は水より高く空中に昇る性質があるので水輪の上になり、風は火よりも上に昇ることが出来るので火輪の上になり、空は最も上にあるので一番上に載せるのです。そして地輪は四角に表現し、水輪は円く、火輪は三角に、風輪は半月型に、空輪は珠型に形造るのです。このように形造られた五大は宇宙の真理である妙法蓮華経をあらわしているのです。
御義口伝に「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五なり」と説かれています。
さらに総勘文抄に「五行とは地水火風空なり、乃至是則ち妙法蓮華経の五字なり」とおおせられています。
このようなことから考えますと五輪の塔婆は妙法蓮華経という仏様の体を表現したものであるという事になります。
塔婆にお題目を書くのは、この塔婆は、もう仏様のお体であり、この仏様のお心のなかに亡くなった人が一緒におられるということを示すのです。

「塔婆供養」より引用
**************************************************

「塔婆供養」
http://www.myokoji.jp/page/tokusyu/toubakuyou.htm

309一刀両断:2004/02/21(土) 01:12
ガンコさん
私も正直に、307で犀角独歩さんが御指摘の結論しか導き出せません。

たとえば教学は不要などという指導が、十数年前に会内の指導として罷り通っていたらどうなったと思いますか?
”ただ歓喜でよい”などと馬鹿げた言葉が通用してしまい、御書発刊も宣言しながら実現せず、学会員の方とも法華講員の方とも会話する義務も負わされず、ただ”トップ同志の話で結論つけてあげる、と言い切ってやりなさい。こちらは逃げも隠れもしない”と大見得を切らせる会長の言葉。
学会と宗門の抗争について、学会を罵り、宗門を罵倒し、そしてそのいずれの悪口をも自らが今は平然と会員に実践させており、尚会長は平然と無茶な指導をし、会員は疑う事を許されない。

こんな少しの変化にすら疑問を生じる感性を失い、擁護する見解が出てしまう時点で、”あなたの傾倒している信仰は実はカルトではありませんか?”とお聞きしたくなるのです。
どうも、あなたは日蓮本仏信者にあるべき見解を示されていないような気がします。
白か黒かはっきりさせるべき姿こそ、本来の日蓮本仏圏内の内外に対する姿勢であり、本仏圏内の教学論で申せば結論を出さずにはいられないはずです。
勿論、ガンコさんのように受動できる姿勢は大事だと思いますが、どうも、ガンコさんの姿勢をみていると大石寺が歴史上批難されてきた事に対する”逃げ口上”のような、そんな感じが見受けられるのです。
自らの欲した情報には相手に平気で迎合するようなスタンスを取るが、結局自分の都合の良いように解釈して身勝手な論を上げる。
今までの経緯を拝見させて頂いて、上記のような論を展開するガンコさんの心の内を垣間見、やはりカエルの子はカエルでしか有り得ないのか、という失望と、恐れを抱いた感がありました。
中傷であれば誠に申し訳ありません。

ただ元々同じ会員であり、何ら反論する知識すら持ち合わせない会員よりも、きちんと思うことを述べるガンコさんへの期待が、何だか崩れ去ってしまった感が正直、あります。
状況判断と証拠という問題はありますが、現状を垣間見て信じたい気持ちよりも現実を直視し、逃避癖を捨てるべきなのではないでしょうか。

310愚鈍凡夫:2004/02/21(土) 15:57

細井日達師の「事の戒壇」に関するスピーチを検索してみました。

1960(昭和35)年1月1日 訓諭
「日達先キニ日淳上人ヨリ昭和三十四年十一月十六日丑寅の刻に血脈相承をウケ、十二月二日日蓮正宗管長ノ職ニツキ、総本山六十六世ノ法燈をツグ宗門ノ現状ハ洵ニ旭日昇天ノ勢ニシテ日本仏教界ヲ独走スト言ウモ過言ナラズ、然シナガラ此レニ伴ツテ、三障四魔フンゼントシテ来タルハ聖語ノムナシカラザルヲ証スルモノデアル。宜シク宗門ノ僧俗ハ一致シテ広宣流布の願行に徹シテ、克ク開山上人以来ノ伝統ヲ護持セネバナラナイト信ズル、此処二大イニ教学ノ興隆ヲ期シテ宗門ノ龍象ヲ養イ、宗風ノ刷新ト僧俗一致ノ実ヲアゲテ弘教二精励スル由縁ガアル。日達徳薄垢重ト雖モ忝ケナクモ冨士ノ法器トナッテ茲二猊座二登ル、只今ヨリハヒタスラ宗開両祖ノ遺訓ヲ奉ジテ身ヲ謹ミ、歴代諸師ノ遣風ヲ仰イデ実践二移シ、異体同心ノ緇素(しそ)ニヨッテ挙宗一致、日蓮正宗ノ宗勢拡張ヲ期スルモノデアル冀クバ日淳上人ノ憎俗一致ノ言葉ヲ帯シテ日達が赤誠ヲ諒セラレ身口意三業ヲ謹ンデ和衷協力各自ソノ分ヲ尽クシテ宗門ノ願行タル戒壇建立二勇猛精進セラレンコトヲ」

同年同月 「大日蓮」1月号
 「『万人一同に南無妙法蓮華経と唱えれば、吹く風枝をならさず雨土くれをくだかず』と大聖人は平和な仏国土建設を唱えられておりますが、広宣流布を念願とする、日蓮正宗の僧俗は、共々一致協力して、真の世界平和は国立戒壇の建設にありと確信して、本年も益々折伏行に徹底邁進せられんことを願うものであります」

1965(昭和40)年2月16日 第1回正本堂建設委員会
「いよいよ、きょうこの委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたいのであります。
 大聖人より日興上人への二箇の相承に『国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』とおおせでありますが、これはその根源において、戒壇建立が目的であることを示されたもので、広宣流布達成のためへの偉大なるご遺訓であります。
 これについて一般の見解では、本門寺のなかに戒壇堂を設けることであると思っているが、これは間違いであります。堂宇のなかのひとつに戒壇堂を設けるとか、あるいは大きな寺院のなかのひとつに戒壇堂を設けるというのは、小乗教等の戒律です。
 小乗や迹門の戒壇では、そうでありましたが、末法の戒律は題目の信仰が、すなわち戒を受持することであります。よって大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂でなく、本堂にご安置申し上げるべきであります。
 それゆえ、百六箇抄には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり』と大聖人のお言葉が、はっきりご相伝あそばされております。
 また同じ百六箇抄の付文に『日興嫡嫡相承の曼茶羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり』と、こう明らかにされておるのでございます。
 したがって、その曼茶羅を現在では大石寺の本堂にご安置することが、もっともふさわしいと思うわけであります。戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。
 また当時は大聖人のおいでになるところが本堂であり、ご入滅後は御本尊のおわしますところが本堂となってきたものであります。そして本堂で御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは、信者だけですから、だれでも直接に御本尊を拝めたのです。したがって今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。
 ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の須弥壇は、蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます」

つづく

311愚鈍凡夫:2004/02/21(土) 15:59

1966(昭和41)年5月3日 第29回創価学会本部総会
「いまの時代は御本尊を護持し、付属してあることあらしめておるのはだれでありますか。学会であります。また令法久住のために死身弘法をもって、仏法を守護し、戒壇の大御本尊様を護持し、そして折伏をしておるのは学会であります。また、あらゆる謗法の難を破折し、六難九易を身をもって行ない、末法の広宣流布を実現しておるのも学会であります。これこそ大聖人のおっしゃるところの法華講であります。法華講の真の精神は、いまの学会員にあるのであります。かかるがゆえに私は、その学会の会長である池田先生を、法華講総講頭に依頼したのであります」
「私は、世界の人の前で、この身軽法重の行者、折伏の指導者である創価学会会長池田大作先生を大事にします。また折伏の闘士として、創価学会の皆さんを大切にします」

1967(昭和42)年1月 「大白蓮華」1月号
「日蓮正宗総本山に、事の本門戒壇堂ともいうべき正本堂の建立起工式が行なわれる」

同年9月12日 正因寺
「今年その正本堂の発願式が十月十二日に行なわれる次第となっておるのでございます。そこにいたって、初めて一切衆生成仏ができる、その成仏の根本である本門の戒壇が建立せられるのでございます」

同年10月12日 正本堂建立発願式
「夫れ正本堂は、末法、事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又、仏教三千余年、史上空前の偉業なり……今茲に発願せる正本堂は、文底独一本門の戒壇にして、唯我が日本民衆の鎮護国家の道場なるのみならず、世界人類の永遠の平和と繁栄とを祈願すべき根本道場なり」
「その証、ここに現われ、今将に八百万の純信の徒の歓喜の御供養を以て、正本堂を建立せんとす。向後、慈折宣化の精進勇猛によりて、全国民の仏性覚醒し、挙って妙法を願求するに到らば、その時正に、不開の門は開かれ、茲に本門戒壇の意義、その完結を見るものか。夫れ民衆は国家の主権者たり。されば、斯くの如き大戒壇は、正しく民衆立の戒壇と呼ばれるべきなり。その時代は未だ未来に居すと雖も、而も亦、甚だ近きを信ず。我等末弟、その日の実現の一日も早からん事を希い願うて、日々、月々、年々に、更に折伏行に断固邁進せんことを堅く誓うのみ」
「詮ずる所、正本堂の完成を以て、三大秘法ここに成就し『立正』の二字、すでに顕現せんとす」

1969(昭和44)年1月25日 第1回寺族指導会
「昭和四十七年、法華講総講頭池田大作先生の大発願によって本門戒壇が将に建たんとしているわけです」

同年4月6日 御虫払大法会
「今当に時来り、法華講総講頭池田大作先生が大願主となり、事実上の本門戒壇堂である正本堂の建立が進行中であります」

つづく

312愚鈍凡夫:2004/02/21(土) 16:01

1972(昭和47)年3月26日 指導会
宗務院は、(1)この日の『ご説法』と、(2)その趣旨を要約した『御指南』と、(3)宗務院教学部による『昭和40年2月16日第1回正本堂建設委員会猊下御言葉の要旨拝考』の三つを宗内に徹底するよう通達。公式見解となる。
 (2)の『御指南』は以下の通り。
 「正本堂は一期弘法抄の意義を含む現時における事の戒壇である」
 「(解釈)正本堂は広宣流布の暁に一期弘法抄に仰せの本門寺の戒壇たるべき大殿堂である。但し現在はまだ謗法の人が多い故に安置の本門戒壇の大御本尊は公開しない。この本門戒壇の大御本尊安置のところはすなわち事の戒壇である」
 (3)の要点は以下の通り。
 a)正本堂に本門戒壇の大御本尊を御安置する。b)末法では大御本尊安置の場所が〃戒壇〃であるから、大御本尊は特別な戒壇堂ではなく本堂に安置申し上げるべきである。=現時における事の戒壇。c)その意義は一期弘法抄・三大秘法抄の事の戒壇に相通じる。d)北山にある三堂の棟札の形式は日蓮正宗ではとらない。e)猊下の「天母山に何らかの建物を造ってもよい」のお言葉を天母山戒壇建立と取るのは明らかに間違いである。

1976(昭和51)年 「大白蓮華」2月号
「事の戒壇とは本門戒壇の御本尊」

同年2月 「大日蓮」2月号
「戒壇にこだわるのは本当の信心がない」

1983(昭和58)年8月29日 全国教師講習会
「宗門も戒壇問題が起こり、ある時期には種々の考え方が出ました。たしかにそのなかには、ある意味での行き過ぎがあったと私は思っております。総じて法門において、法門を間違えたならば大変なことでありますから、そういうことに関して今後、もし問題があれば、私の職を賭してでも、やるべきことはやるつもりです。それだけにまた我々は、本当に法門を正しく命懸けで守っていかなければなりませんし、弘めていかなければなりません。」

1984(昭和59)年4月7日 総本山お虫払い法要
「三大秘法抄の戒壇全体の文意よりして、すでにそのすべてが顕現したと断ずることも早計」としながらも、「正本堂こそ本門の戒壇」との意義づけをする。


日達師の「お言葉」も、時を経るにしたがって変化してますね。
創価学会と顕正会の間で揺れ動いた時期があったのでしょうが、個人的には日蓮正宗総帥としての毅然とした態度を貫き通してほしかったです。

日達師の池田さんに対する賛辞などは、敬愛なのか、それともヨイショなのか、はたまたホメ殺しなのか・・・・・。
φ(゜0゜*)ホォホォφ(。_。*)メモメモφ(゜o゜*)フムフムφ(。_。*)カキカキ

これにも、石山教学の究極奥義である「文底解釈」があるのでしょうか?!
(・_・;)_・;)・;);)) ナントッ!!

313ガンコ:2004/02/22(日) 11:41
愚鈍さんよりご質問をいただきました。
十章抄に「一念三千と申す事は迹門にすらなを許されず、何に況んや爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る。」とありますから、三大秘法抄の「方便品に云はく・・・底下の凡夫理性所具の一念三千」と「寿量品に云はく・・・大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千」では明確な差異があると思います。平たく言えば、凡夫にも仏性がある、という理論を示したのが方便品であり、寿量品では事実において仏を証得したことを示していると思います。理論と事実・・・単純にこれを当てはめて理壇・事壇を述べさせていただいたのですが、もともと次元のちがう法門ですから違和感があるかもしれません。
四信五品抄に「・・・『廃事存理』と云ふは戒等の事を捨てゝ題目の理を専らにす」とあります。これがわたくし、長い間わからなかったんです。いかに仏法の基本がわかっていないか、ということなのですが、だいたい解説によると、小乗経等はおもに戒律を堅くたもつことを修行とするから「事」といい、天台は観念観法を主体とするから「理」というそうです。一種のすりこみだったんでしょうか、わたくしなどは事と理では事がまさると思い込んでいたものですから、なかなかわからなかったのだと思います。
十章抄に戻って「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。心に存ずべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり。日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなえさすべし。」とありますし、開目抄には「されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。」とありますから、これは当たり前のことですが、大聖人の仏法は基本的に天台の教理を踏襲していることになります。
しかし後年、大聖人は「竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし」等と仰せになられますし、すでに開目抄でも「設ひ山林にまじわって、一念三千の観をこらすとも、空閑にして三密の油をこぼさずとも、時機をしらず、摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき。」と、間接的に天台の教理を批判しているわけで、大聖人の仏法が別のものであることを示していると思います。
その顕著な御書のひとつが治病大小権実違目かと思います。
「一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。」
つまり、大聖人は天台伝教等との明確なちがいを表現するために事・理の立て分けをあそばしたのだと思います。四信五品抄では従来の教説を踏襲してそのまま「廃事存理」と仰せになっているだけで、最終的には廃理存事が大聖人の御本意であろうと思うのです。
そういうことで、御晩年に著わされたとされる三大秘法抄も同様に、廃理存事であろうと考えました。
いずれにしても、はじめに述べたように、もともと戒壇についての御教示ではないので、的外れかもしれません。
ぜんぜん質問の答えになってないかもしれませんね。失礼しました。

314ガンコ:2004/02/22(日) 11:45

一刀両断さんへのお返事

厳しくも暖かいお言葉を下さりまして、ありがとうございます。中傷などということは、まったく感じておりません。むしろ、わたくしが生活上、抱えている問題をみごとに言い当てられたような気がしていて、一刀両断さんの眼力には驚くばかりです。
おそらく、ご指摘のことどもは二つに要約できるのだろうと思っています。
まず、ひとつには、この富士門流信徒の掲示板では日蓮本仏論・戒壇本尊に対して否定の意見がまかりとおっている・・・にもかかわらず、きっちりと反論を述べるわけでもなく、のらりくらりとした態度に終始している、そういうわたくしがいるわけです。
もうひとつには、顕正会という組織の実態がここまでわかってきているにもかかわらず、あいも変らずのらりくらりとした態度に終始している、そういうわたくしもいるわけです。
はじめの問題については、みなさんよくわかっていらっしゃることですが、わたくしはまだ勉強をはじめたばかりの初心者であり、わからないことだらけなのです。それゆえに、みなさんから学ばせてもらっているつもりでいるわけです。それがまかりならんということであれば、もはや掲示板を去るしかないと思っています。
そして顕正会問題については、すでにここ1・2カ月の間にいろいろ書いてきました。じぶんとしてはかなり危険なことを書いていると思っています。直近の、事の戒壇についての所感は、もはや顕正会を即除名になってもおかしくない・・・ご存じない人のために説明しますと、これは顕正会が主張してきた法義上の重要な部分について、あえて異論を申し述べたものでして、顕正会の幹部からみればわたくしの所論は悪義以外の何ものでもないわけです。しかし、さりとて、わたくしはみずから顕正会を去ろうとの考えを持っていません。生意気を承知で申しますが、だいたいあのような論旨で御宗門と和解をすべき、というのがわたくしの考えです。
一刀両断さんはどのように評価されているか存じませんが、浅井先生のご子息たる浅井克衛主任理事はなかなかの人物と思います。しかし、問題がないわけではありません。わたくしの思うに、先生のご子息といえども主任理事はしょせん、解散処分以降の人間です。つまり、御宗門のことを知っているようで何も知らないのと同じわけです。このまま、いたずらに時間が過ぎて、顕正会も代替わりの時を迎えたとしましょう、そうなるとますます御宗門との和解は困難になるでしょう。つまり、主任理事にとって未知の世界である御宗門の傘下に入るよりも独自の路線を歩んだほうがいいという、わたくしから見れば魔心・愚心が出来するであろうと想像しています。
顕正会が独立することは原理的に不可能、独立は冨士大石寺顕正会最大の自己矛盾・・・というのがわたくしの持論です。すでに独立しているではないか、と言われればそうなんですけど。
いずれにしても、一刀両断さんをますますガッカリさせてしまったであろうと、恐れ入っております。

315愚鈍凡夫:2004/02/22(日) 14:13
ガンコさん、レス有り難うございます。

最初に、小生宛のレスではありませんが、気になったものですから。
教学研鑽のためにここの掲示板に来ているという意味では小生もガンコさんと同じです。

> それがまかりならんということであれば、もはや掲示板を去るしかないと思っています。

これには同意です(そんなことを思っている人はいないと思いますが)。

それでは本題に入りたいと思います。

> 凡夫にも仏性がある、という理論を示したのが方便品であり、寿量品では事実において仏を証得したことを示していると思います。

法華経方便品に凡夫(または衆生)に「仏性」があるとの文証があるのでしょうか。
法華経迹門に菩薩以外の衆生の成仏は説かれていますが、それは仏道修行の結果であって、もともと「仏性」が備わっているから成仏したとは説かれていないのではありませんか。
また、法華経寿量品に於いて「久遠実成」は説かれていますが、如何なる修行によって教主釈尊が成仏したかは説かれていません。単に「菩薩道」といっているだけです。意地の悪い言い方をすれば、「法華経」を編纂した僧団も、そこまでの想像力はなかったということでしょうか。
また、寿量品で「久遠実成」を証明するために地涌の菩薩が虚空会に連なりますが、教主釈尊の仏道修行の内容を明すためではありません。

蓮祖が、
「仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし。」(聖人御難事)と仰せになっているのは、法難についてであって、彼らの教理を破折するためではありません。
「されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。」(開目抄 上)
と同じ意味でしょう。
それに、
「天台・真言の学者等、今生には餓鬼道に堕ち、後生には阿鼻を招くべし。設ひ山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも、空閑にして三密の油をこぼさずとも、時機をしらず、摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき。」(開目抄 下)
とあるのは、「天台・真言の学者等」に対してであり、「間接的に天台の教理を批判しているわけで」はありません。

「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず。其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。」(唱法華題目抄)
また、ガンコさんが引用されている「十章抄」に、
「心に存ずべき事は一念三千の観法なり」
とあるように、「廃理存事が大聖人の御本意」ではありません。
重ねて言いますが、蓮祖は、日本天台宗の変遷を批判していますが、天台・伝教を批判しているのではありません。

小生は、「一念三千」と「理壇」、「事壇」の関係性を伺いたかったのですが・・・・・。
ガンコ説がまとまりましたら、御教示下さい。

316ガンコ:2004/02/22(日) 16:36

>ガンコ説がまとまりましたら、御教示下さい。

愚鈍さん、ガンコ説はすべて崩壊しました。戒壇論については不案内なもので、ゆえに雑感と題して書いたのですが、そのうちみんなが忘れたころにまた書きたいと思います。

さて、急ごしらえでお返事を書いたので、ずいぶんと間違いを指摘されてしまいましたが、一点だけ確認させてください。
愚鈍さんは治病大小権実違目の御指南をいかが思われますか?
開目抄のテーマは、法華経の行者は現世安穏であるはずなのに、なぜに大聖人はこうも大難に遭われるのか? 大聖人は法華経の行者ではないのでは? といったことがずうっと書かれています。拝しかたによっては悲愴的であり、痛ましいと感じることがあります。
ところが治病抄にはそうした悲愴感がありません。完全に突き抜けてしまっていると感じます。
「止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず。今日蓮が時具に起これり。又天台・伝教等の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊なりことなりと、御臨終の御時は御心へ有るべく候。」
大聖人が大難に遭われることは、じつはそれ自体が法義上、きわめて重要なことなのだと思います。
「天台・伝教の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさりたり」は、何故でしょうか?
「観念すでに勝る故に、大難又色まさる」との仰せが答えです。
ようするに、「竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし」というのは難の大きさを示しているようでいて、そのじつ、大聖人の仏法の何たるかを示していると思います。
申すまでもなく、法華取要抄・報恩抄などには「天台伝教の弘通し給はざる正法」をお示しですし、また、撰時抄には「・・・天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘の正法」と仰せです。
ゆえに治病抄の「観念すでに勝る故に、大難又色まさる」とは、明確に天台伝教等とのちがいを仰せになられたものと思います。まさに「最大深秘の正法」なるがゆえに、肩を並べる者がいないほどの大難に遭われたとの仰せと拝します。

317愚鈍凡夫:2004/02/22(日) 18:14

>>316:ガンコさん、御返事有り難うございます。

ガンコさんの文章を読むと、何やら不幸自慢と法門の浅深の相関関係を論じられているようにも感じます。
一つ確認しておきたいと思いますが、蓮祖は経典は全て釈迦牟尼仏が説いたものと信じていたと思います。それ故に、全ての経典には整合性があると考えていたでしょう。だから、末法で正法を広めることは、未曾有の大難が降りかかると信じておられたのだと思います。

さて、
「止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず。今日蓮が時具さに起れり。又天台・伝教等の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二つあり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此れは本門の一念三千なり。天地はるかに殊なりことなりと、御臨終の御時は御心へ有るべく候。」(治病大小権実違目)

の答えは、同じ「治病大小権実違目」にこうあります。

「詮ずる処は天台と伝教とは内には鑑み給ふといへども、一には時来らず、二には機なし、三には譲られ給はざる故なり。今末法に入りぬ。地涌出現して弘通有るべき事なり。今末法に入て本門のひろまらせ給ふべきには、小乗・権大乗・迹門の人人、設ひ科なくとも彼れ彼れの法にては験有るべからず。」(治病大小権実違目)

要するに、「法華経の題目(本門の題目)」を末法に於いて弘通するのが地涌の菩薩であり、末法ではこれ以外に成道の法はないというのが蓮祖の主張であるということではありませんか。

「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。心に存ずべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり。日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなえさすべし。」(十章抄)

との御指南、日蓮仏法に於いて重要かと思います。

318Jルーカス:2004/02/22(日) 19:43
> 顕正会が独立することは原理的に不可能、独立は冨士大石寺顕正会最大の自己矛盾
> ・・・というのがわたくしの持論です。すでに独立しているではないか、と言われ
> ればそうなんですけど。

ガンコさん
不思議に思ったので質問しますが、宗教法人顕正会は浅井昭衛氏という管長を擁する一宗一派
なのでは無いのですか。顕正会は「冨士大石寺」と冠してますけど、法人名義には「冨士大石
寺」は無く、顕正会という一宗一派だと思うのですが・・・。

319ガンコ:2004/02/22(日) 19:50
ああ、どうもどうも。

だいたいおっしゃる通りと思います。まあ、十章抄に仰せの「一念三千の観法」は理ではなくて事だということなら大賛成です。

320ガンコ:2004/02/22(日) 19:56
あら、ごめんなさい。上のは愚鈍さんあてです。

Jルーカスさん、ですから、もう、そうなると、現在の顕正会の存在自体が矛盾である、ということになります。

321犀角独歩:2004/02/23(月) 01:14

横レス失礼します。

ガンコさん、あなた、『摩訶止観』を読まずに三千を語っているでしょう。
また、蓮師の御書全体を見ず、事理本迹を語っていませんか。

 華厳乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を説きかくさせ給えり。此れ等の経々に二つの失あり。一には存行布故仍未開権〔行布を存する故に、仍お未だ権を開せず〕。迹門の一念三千をかくせり。二には言始成故曾未廃迹〔始成を言う故に、未だ曾て迹を廃せず〕。本門の久遠をかくせり。此れ等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり。
 迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つ脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮べるにいたり。
 本門にいたりて、始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぶ。爾前・迹門の十界の因果を打ちやぶて、本門十界の因果をとき顕す。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備わりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。

三妙合論から思い合わして論ずべきところでしょう。[

まあ、あと余計なことですが、大石寺僧俗で顕正会が自分たちと関係があると思っている人などいないでしょう。まるで相手にしていない。これが現状です。破門した謗法団体、「日蓮正宗冨士大石寺」詐称団体と訝しく思っているだけです。破門離間した退転者を同心と見なすほど、石山は慈悲深くありませんよ。

322犀角独歩:2004/02/23(月) 01:18

発迹顕本が蓮師が本仏の境界を開顕したことなどというでたらめな解釈を信じていると、上述の文意は永久に読みとれません。

323犀角独歩:2004/02/23(月) 01:35

再度、ガンコさん:

> 日蓮本仏論・戒壇本尊に対して否定の意見がまかりとおっている

自分に都合の悪いところだけ読み飛ばし、「まかりとおる」などという不遜な言辞を吐くのであればもっと正々堂々とやりなさい。
初学だからどうのという逃げ口上は見苦しいばかりです。

324犀角独歩:2004/02/23(月) 10:30

> 323

もっと具体的に書きましょう。
わたしは意を尽くし、資料を挙げて、日蓮本仏論の是非、戒壇本尊の真偽を問うているのです。
日蓮本仏というのであればその資料を、戒壇本尊が本物であるというのであれば、その証拠を単に挙げればよいだけです。

325一刀両断:2004/02/23(月) 15:03
ガンコさん
私は元顕正会員であり、元日蓮本仏論者です。
また、過去のログより拝見するならば、会は違うといえども割と多数の方が、同様であったように思われます。
しかし、各々が持ち寄った資料から思索を重ねるうちに、考え方を変更された方も大勢いらっしゃいます。
では、そういった方々はどうであったかと思うならば、やはり最初はガンコさんのような、否、もっと頑なな気持ちを持っていらっしゃったのではないかと思うのです。
その方々が、以前の考え方を訂正し、現段階である程度の結論を導き出せているのだとすれば、それは自分自身がしっかりとした思考を持つことができた、ということではないかと思うのです。
現在、ガンコさんがその段階にある事は望ましいことでしょうし、また私には此処への参加をどうこうする権限もなければ、資格もありません。
ガンコさん自身が望まれるのであれば、もっと議論に参加されれば良いでしょうし、私はこの点、何も意見は持っておりません。

ただ、ガンコさんのスタイルを見ていると、やはり、どこかに顕正会擁護の姿勢が窺えるわけです。
勿論会員ですから、当然なのでしょうが、だとすると、それを証明するだけのそれなりの論拠は持ち合わせるべきだと思うのです。

326愚鈍凡夫:2004/02/24(火) 12:28

ガンコさん、追い打ちをかけるようで申し訳ないですが、「一念三千の観法」に「理」と「事」があるのですか。あるのであれば解説して下さいませんか。

それと大きなお世話ですが、
御書の文証を細切れにして、都合のいい部分を繋いでいく論法は、ここの掲示板では通用しませんよ。ここの掲示板に来られる方々は蓮祖の御書全集を持っていると思いますので、痛い目に遭いますよ。

327無徳:2004/02/25(水) 00:42
愚鈍凡夫さん横レス失礼します。

ガンコさんが日蓮御坊が『治病大小権実違目』に

「一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理
なり。今は事なり。」と仰せになっておられることを

>愚鈍さんは治病大小権実違目の御指南をいかが思われますか?

と問うて居られるのですから、まずそれにお答えになられる必要があるのではない
でしょうか?

確かに上記の事・理がただちに理壇・事壇に解されるのは問題かもしれませんですが、

>痛い目に遭いますよ。

とは、あまり適切なご発言と思えませんが如何なものでしょう?

328愚鈍凡夫:2004/02/25(水) 12:44

無徳さん、ご無沙汰しております。レス有り難うございました。
小生の>>317:のレスでは答えたことになっていないと判断されたのですね。

「治病大小権実違目」の御指南では、「理の一念三千=迹門の一念三千」、「事の一念三千=本門の一念三千」との関係が成り立つかと思います。

「理の一念三千=迹門の一念三千」は、法華経方便品の十如実相の文から天台智邈が導き出した理論(勿論、華厳経の唯心法界論の強い影響もあるでしょう)。「事の一念三千=本門の一念三千」は、法華経寿量品で本因・本果・本国土の三妙が合わせて説かれることにより、仏の「因位」・「果徳」・「国土」が明らかになり、仏の姿が具体性を持って説かれました。このことを「事の一念三千」と呼ぶのでしたよね。
さらに、この仏を仏たらしめている「仏種」こそが「南無妙法蓮華経」である。というのが蓮祖の結論で、この「南無妙法蓮華経(本門の題目)」を成仏に導く唯一の行法であるとして、「本門の一念三千」と仰せられているのではないでしょうか。

「詮ずる処は天台と伝教とは内には鑑み給ふといへども、一には時来らず、二には機なし、三には譲られ給はざる故なり。」(治病大小権実違目)

とあるように、「時」に約せば天台・伝教は像法に「迹門の一念三千」を流布させ、蓮祖は末法に「本門の一念三千」を流布させる。要するに役割が違うということではありませんでしょうか。
時機相応の行法ならば、「時」は違えど、共に成道するというのが蓮祖の考えだと思います。

そして、蓮祖の心には法華経神力品の次の文証が常にあったのではないでしょうか。

「爾時千世界。微塵等菩薩摩訶薩。從地涌出者。皆於佛前。一心合掌。瞻仰尊顏。而白佛言。世尊我等。於佛滅後。世尊分身。所在國土。滅度之處。當廣説此經。所以者何。我等亦自。欲得是眞淨大法。受持讀誦。解説書寫。而供養之。(爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者、皆仏前に於て一心に合掌して尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、世尊我等仏の滅後、世尊分身所在の国土・滅度の処に於て、当に広く此の経を説くべし。所以は何ん、我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持・読誦し解説し・書写して之を供養せんと欲す)」(妙法蓮華經如來神力品第二十一)

329犀角独歩:2004/04/08(木) 11:40

4月18日から顕正会はまた一国諫暁商売を始めるんだそうですね。
会員に本を買わせて郵送させて、これで広宣流布だっていうんだから石山のご開帳商売よりもっと悪いと言えるでしょうか。

1部200円で会員に買わせるならば、100万部で20億円。
広宣流布をしているのではなく、広宣流布を騙って商売しているに過ぎません。
100万達成のお涙劇はこの購買意欲を煽るための猿芝居であったのでしょう。
まったくよくやるというしかありません。

330愚鈍凡夫:2004/04/08(木) 20:45

>>329:の本、
「むむっ。大幹部のガンコさんは何部買うんでしょうか。」 (-"-;A ...アセアセ
「大きなお世話じゃ! ボケ!!って」 (^^ゞ

331Jルーカス:2004/04/08(木) 22:36
今回の一国諫暁は、前回と何処が違うのでしょうか。
新聞全面広告が無い分、規模が小さくなったとも言えるかも・・・。

332Jルーカス:2004/04/08(木) 22:38
それより、国会請願はどうなったんだ。
国会議事堂を10万人で囲む話は・・・。

333一刀両断:2004/04/08(木) 23:25
jルーカスさん
その話は会員内では禁句だそうです(笑

334犀角独歩:2004/04/08(木) 23:36


Jルーカスさん:

> 規模が小さくなった

今度の配布は小学生から老齢者までとさらに幅を広げて徹底するそうですよ。
購買者層を広げて売り上げを伸ばそうという魂胆なのでしょう。

本を会員に売って郵送させて、広宣流布だ、諫暁だとは笑止千万です。
だいたい、非常識であると思うのは、差出人の名前すら記さない郵便を無差別に送りつけてくることです。何冊も送りつけられるほうは溜まったものじゃありません。
こういうのを折伏、正義というのではなく「非常識」というのですよね。まったく呆れます。

> 国会請願…国会議事堂を10万人で囲む話

これはやらんそうです。やっても売り上げが上がらないので、100万達成の集会の志気を高める方便というやつだったんでしょう。方便といえば聞こえはいいですね。やらなければ、ただの「嘘」であったということですね。

335一刀両断:2004/04/09(金) 00:36
自らが所属した組織が起こす行動を改めて考えると、当時活動家として行っている真理は、こういった多くの人の批難を”下衆の勘ぐり”としてかえって蔑視する傾向があるんです。
ふと思い出しました。
平成9年に行った同様の行為についても、内部では”国家が震撼するほどの諌暁”のような表現を用いながら、外部、つまり一般の人たちは実は全くの無関心でしかありませんでした。

日蓮正宗系団体というのはいつまでこういったことを繰り返せば気が済むのでしょうかね。

336犀角独歩:2004/04/09(金) 00:57

335 一刀両断さん:

お久しぶりです。仰るところ、急所を突いていますね。

> いつまでこういったことを繰り返せば気が済むのでしょうかね

これは経済活動ですから、永遠に繰り返されるのでしょうね。
‘お客さん’は会員のみですから、そのコップの中だけで合意が得られればよいだけの話。

感動を演出し、購買意欲を、日蓮ブランドを付して、信心があるものは絶対に買うという集団浅慮を現出させれば、あとは自動的に会は利益が上がります。
濡れ手に粟、二匹目の泥鰌狙いの滑稽さも、どこ吹く風でしょう。
尊敬されて、人心を操作し、自分の影響力の中毒となった上で、巨万の富が転がり込む。皆は這い蹲って涙を流して、利益を運んでくるわけです。
宗教商売、一度魂を売ったらやめられないのでしょう。

337Jルーカス:2004/04/09(金) 08:38
経済活動と言えば「顕正会が差出人の封筒」で無差別発送すると、差出人不明の郵便は当然本部に戻るわけです。
すると顕正会には真新しい書籍が戻り、これをまた販売できるわけです。
これを繰り返しますと、莫大な二重販売、三重販売が出来るという事があるのです。
平成9年の時、それに気づいた私は大笑いしてしまった。


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