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顕正会の実態を検証する
315
:
愚鈍凡夫
:2004/02/22(日) 14:13
ガンコさん、レス有り難うございます。
最初に、小生宛のレスではありませんが、気になったものですから。
教学研鑽のためにここの掲示板に来ているという意味では小生もガンコさんと同じです。
> それがまかりならんということであれば、もはや掲示板を去るしかないと思っています。
これには同意です(そんなことを思っている人はいないと思いますが)。
それでは本題に入りたいと思います。
> 凡夫にも仏性がある、という理論を示したのが方便品であり、寿量品では事実において仏を証得したことを示していると思います。
法華経方便品に凡夫(または衆生)に「仏性」があるとの文証があるのでしょうか。
法華経迹門に菩薩以外の衆生の成仏は説かれていますが、それは仏道修行の結果であって、もともと「仏性」が備わっているから成仏したとは説かれていないのではありませんか。
また、法華経寿量品に於いて「久遠実成」は説かれていますが、如何なる修行によって教主釈尊が成仏したかは説かれていません。単に「菩薩道」といっているだけです。意地の悪い言い方をすれば、「法華経」を編纂した僧団も、そこまでの想像力はなかったということでしょうか。
また、寿量品で「久遠実成」を証明するために地涌の菩薩が虚空会に連なりますが、教主釈尊の仏道修行の内容を明すためではありません。
蓮祖が、
「仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし。」(聖人御難事)と仰せになっているのは、法難についてであって、彼らの教理を破折するためではありません。
「されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。」(開目抄 上)
と同じ意味でしょう。
それに、
「天台・真言の学者等、今生には餓鬼道に堕ち、後生には阿鼻を招くべし。設ひ山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも、空閑にして三密の油をこぼさずとも、時機をしらず、摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき。」(開目抄 下)
とあるのは、「天台・真言の学者等」に対してであり、「間接的に天台の教理を批判しているわけで」はありません。
「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず。其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。」(唱法華題目抄)
また、ガンコさんが引用されている「十章抄」に、
「心に存ずべき事は一念三千の観法なり」
とあるように、「廃理存事が大聖人の御本意」ではありません。
重ねて言いますが、蓮祖は、日本天台宗の変遷を批判していますが、天台・伝教を批判しているのではありません。
小生は、「一念三千」と「理壇」、「事壇」の関係性を伺いたかったのですが・・・・・。
ガンコ説がまとまりましたら、御教示下さい。
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