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顕正会の実態を検証する
301
:
ガンコ
:2004/02/20(金) 14:06
戒壇論雑感 その2
中道一筋さんご提示の傍意・正意戒壇は難解をきわめる。わたくしのような不勉強の者には一々の用語が理解できず、何を言っているのかわからない。しかも、それだけではない。ようは、三大秘法抄・一期弘法抄を真書としながら、なおも戒壇建立を正意とせず、傍意に置くのである。まさに暴威である。
しかし、どうにか、わたくしなりに理解できたので、ここに書いてみたい。
まず、正意というと、わたくしがただちに思い浮かぶのは、本尊問答抄のつぎの御文である。
「此は法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にあらず。上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。」
すなわち、末法においては法華経の題目を以て本尊とすべきであり、それが法華経の正意であり、法華経の行者の正意である、と。
ここでしばしば問題となるのが、本門の本尊と本門の題目の重複である。しかし、大石寺においてはさしたる問題とはならない。それは、一つには曼荼羅正意であるからだが、さらに申せば「三大秘法総在の本尊」なるがゆえではなかろうか。
「三大秘法は本尊と戒壇と題目の三つに分れていても、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。そのわけは、本門の本尊のおわします所が本門の戒壇であり、またこの御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である。すなわち戒壇も題目もすべて本門の本尊より発するゆえである。」(折伏理論書)
じつは、これではまだ意を尽くしていないのではないかと思う。あえて大胆に書くとつぎのごとくなる。わたくしの云はく「本門戒壇の大御本尊は、本門の本尊であると同時に本門の戒壇であり、本門の題目である」と。これならば、本門の本尊と本門の題目の重複は問題ではない。本尊問答抄では煩瑣を避けて戒壇を略されているだけであって、とうぜん戒壇も加わってしかるべきと思う。すなわち、「本門の本尊と戒壇と題目の五字」とが重複する、これこそ「一大事の秘法」にふさわしいし、「法華経の行者の正意」ではなかろうか。
手順としては、これを踏まえたうえで、本尊所住の処に約しての戒壇があり、所弘・所修に約しての題目があるわけで、この順序次第を忘れてはならないのである。
当たり前のことだが、建物にこだわりすぎると本義を見失ってしまう。ゆえに築壇を傍意とするのではなかろうか。
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