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顕正会の実態を検証する

316ガンコ:2004/02/22(日) 16:36

>ガンコ説がまとまりましたら、御教示下さい。

愚鈍さん、ガンコ説はすべて崩壊しました。戒壇論については不案内なもので、ゆえに雑感と題して書いたのですが、そのうちみんなが忘れたころにまた書きたいと思います。

さて、急ごしらえでお返事を書いたので、ずいぶんと間違いを指摘されてしまいましたが、一点だけ確認させてください。
愚鈍さんは治病大小権実違目の御指南をいかが思われますか?
開目抄のテーマは、法華経の行者は現世安穏であるはずなのに、なぜに大聖人はこうも大難に遭われるのか? 大聖人は法華経の行者ではないのでは? といったことがずうっと書かれています。拝しかたによっては悲愴的であり、痛ましいと感じることがあります。
ところが治病抄にはそうした悲愴感がありません。完全に突き抜けてしまっていると感じます。
「止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず。今日蓮が時具に起これり。又天台・伝教等の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに殊なりことなりと、御臨終の御時は御心へ有るべく候。」
大聖人が大難に遭われることは、じつはそれ自体が法義上、きわめて重要なことなのだと思います。
「天台・伝教の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさりたり」は、何故でしょうか?
「観念すでに勝る故に、大難又色まさる」との仰せが答えです。
ようするに、「竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし」というのは難の大きさを示しているようでいて、そのじつ、大聖人の仏法の何たるかを示していると思います。
申すまでもなく、法華取要抄・報恩抄などには「天台伝教の弘通し給はざる正法」をお示しですし、また、撰時抄には「・・・天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘の正法」と仰せです。
ゆえに治病抄の「観念すでに勝る故に、大難又色まさる」とは、明確に天台伝教等とのちがいを仰せになられたものと思います。まさに「最大深秘の正法」なるがゆえに、肩を並べる者がいないほどの大難に遭われたとの仰せと拝します。


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