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顕正会の実態を検証する
310
:
愚鈍凡夫
:2004/02/21(土) 15:57
細井日達師の「事の戒壇」に関するスピーチを検索してみました。
1960(昭和35)年1月1日 訓諭
「日達先キニ日淳上人ヨリ昭和三十四年十一月十六日丑寅の刻に血脈相承をウケ、十二月二日日蓮正宗管長ノ職ニツキ、総本山六十六世ノ法燈をツグ宗門ノ現状ハ洵ニ旭日昇天ノ勢ニシテ日本仏教界ヲ独走スト言ウモ過言ナラズ、然シナガラ此レニ伴ツテ、三障四魔フンゼントシテ来タルハ聖語ノムナシカラザルヲ証スルモノデアル。宜シク宗門ノ僧俗ハ一致シテ広宣流布の願行に徹シテ、克ク開山上人以来ノ伝統ヲ護持セネバナラナイト信ズル、此処二大イニ教学ノ興隆ヲ期シテ宗門ノ龍象ヲ養イ、宗風ノ刷新ト僧俗一致ノ実ヲアゲテ弘教二精励スル由縁ガアル。日達徳薄垢重ト雖モ忝ケナクモ冨士ノ法器トナッテ茲二猊座二登ル、只今ヨリハヒタスラ宗開両祖ノ遺訓ヲ奉ジテ身ヲ謹ミ、歴代諸師ノ遣風ヲ仰イデ実践二移シ、異体同心ノ緇素(しそ)ニヨッテ挙宗一致、日蓮正宗ノ宗勢拡張ヲ期スルモノデアル冀クバ日淳上人ノ憎俗一致ノ言葉ヲ帯シテ日達が赤誠ヲ諒セラレ身口意三業ヲ謹ンデ和衷協力各自ソノ分ヲ尽クシテ宗門ノ願行タル戒壇建立二勇猛精進セラレンコトヲ」
同年同月 「大日蓮」1月号
「『万人一同に南無妙法蓮華経と唱えれば、吹く風枝をならさず雨土くれをくだかず』と大聖人は平和な仏国土建設を唱えられておりますが、広宣流布を念願とする、日蓮正宗の僧俗は、共々一致協力して、真の世界平和は国立戒壇の建設にありと確信して、本年も益々折伏行に徹底邁進せられんことを願うものであります」
1965(昭和40)年2月16日 第1回正本堂建設委員会
「いよいよ、きょうこの委員会が開かれるにあたって、初めて私の考えを申し上げておきたいのであります。
大聖人より日興上人への二箇の相承に『国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』とおおせでありますが、これはその根源において、戒壇建立が目的であることを示されたもので、広宣流布達成のためへの偉大なるご遺訓であります。
これについて一般の見解では、本門寺のなかに戒壇堂を設けることであると思っているが、これは間違いであります。堂宇のなかのひとつに戒壇堂を設けるとか、あるいは大きな寺院のなかのひとつに戒壇堂を設けるというのは、小乗教等の戒律です。
小乗や迹門の戒壇では、そうでありましたが、末法の戒律は題目の信仰が、すなわち戒を受持することであります。よって大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂でなく、本堂にご安置申し上げるべきであります。
それゆえ、百六箇抄には『三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり』と大聖人のお言葉が、はっきりご相伝あそばされております。
また同じ百六箇抄の付文に『日興嫡嫡相承の曼茶羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり』と、こう明らかにされておるのでございます。
したがって、その曼茶羅を現在では大石寺の本堂にご安置することが、もっともふさわしいと思うわけであります。戒壇の大御本尊は大聖人ご在世当時、また日興上人がいらした当時、身延山で本堂に安置されていたものであります。
また当時は大聖人のおいでになるところが本堂であり、ご入滅後は御本尊のおわしますところが本堂となってきたものであります。そして本堂で御本尊に信者が参拝したのであり、大聖人ご在世当時、身延へ参拝しにきたのは、信者だけですから、だれでも直接に御本尊を拝めたのです。したがって今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。
ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります。ゆえに正本堂とはいっても、おしまいしてある意義から、御開扉等の仕方はいままでと同じであります。したがって形式のうえからいっても、正本堂の須弥壇は、蔵の中に安置申し上げる形になると思うのでございます」
つづく
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