したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

2873犀角独歩:2006/10/16(月) 19:55:25

樒について、『日蓮宗事典』で引くと

「仏前に供える常緑樹の一つ。葉及び樹皮は抹香、線香の材料として使われている。また、葉は法要の散華の花葩としても使われるが、これは青蓮華の花に似ているからであるという。また、通夜・葬儀の際の一本花としても使われている。「木*佛」という国字も用いる。」

となっていますね。石山で樒の文献根拠とするのは、法華経方便品の「栴檀及沈水 木樒竝余材」でしたか。しかし、日蓮遺文では、その使用は見当たりません。

藤川さんが仰るように神道系の可能性はあるでしょうね。神上げに榊を使うことが先行し、仏にも常緑の葉を供えるようになったのかもしれません。ただ、その字が「密」をもって充てることは、既に密教の影響ありと思います。
また、[木*佛](しきみ)が国字であること、また、Japanese Anise Tree という英名が示すとおり、日本固有種ですから、仏教伝来後、仏前に使用されるに至ったのでしょう。

ちょっと検索してみたら、シキミは「悪しき実」から、その呼ばれがあるというのですが、字の成り立ちからみると“しき密”…“し木*密”といった連想も出来そうですが、これはもちろん、当て推量です。

http://www.geocities.co.jp/Outdoors/6286/shikimi.html

雖念さんがロムされていらっしゃれば、お尋ねしたいのですが、樒に含まれるアニサチン(anisatin)は、その使用によって幻覚を起こす用例などはあったのでしょうか。痙攣性の神経毒を有するとなると、元来は、呪術的な拝礼から神儀に用いられていたものが、神仏習合を通じて、仏教に使われるようになったのかもしれませんね。

http://www2.odn.ne.jp/~had26900/constituents/anisatin.htm

2874犀角独歩:2006/10/17(火) 07:35:40

自己レスです。

> 木樒…その字が「密」をもって充てることは、既に密教の影響あり

この文章は拙(まず)いですね。これでは羅什の漢訳の時点で、恰も密教の影響でこの字を使った如き印象を与えています。

樒は、「宮城県〜石川県以西の山地に生える常緑小高木」ということです。
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/medplant/sonota/shikimi.htm

日本の、それも限られた地域に群生していたもののようです。しかし、「樒」という字は、羅什の漢訳で使用されているわけです。けれど、中国にはこの木はなかったわけです。つまり、「木樒」とは、いま日本で言うシキミを指していたものでなかったことが知られます。

シキミが密教で用いられていく段階で、樒という字が密を旁に持つことから、これに充てられていったのではないのかと、わたしは考えるという意味で記したのです。ただし、これは憶測ですから、諸賢の叱正をお願いするものです。

石山発行の『続・日蓮正宗の行事』に

「しきみ
 『栴檀及び沈水、木樒並びに余の材』
 をもって御宝前を荘厳することが説かれています」(P21)

この文章は、少なくとも二つの嘘があります。一つは、先に挙げたとおり、羅什が「木樒」と訳した植物は、今で言うシキミではないこと。岩本訳では、該当部分は「天目樹の塔や種々の材木」(岩波文庫『法華経』上 P115)とあります。

そして、もう一つは法華経方便品には樒で御宝前(つまり、漫荼羅本尊の前)を荘厳するなどとはまったく書かれていないと言うことです。

「諸佛滅度已 供養舍利者 起萬億種塔 金銀及頗梨 車磲與馬腦 玫瑰琉璃珠 清淨廣嚴飾 莊校於諸塔 或有起石廟 栴檀及沈水 木樒并餘材 塼瓦泥土等 若於曠野中 積土成佛廟」

佛舎利を供養せんと、佛塔仏廟を木樒を含む材木、宝をもって建立するというのが、該当の経文の意味です。それにもかかわらず、これを採って、仏花は樒であったというまったくでたらめの文章を捏造しています。

石山のいい加減さには、今更ながら呆れるほかありません。

2875犀角独歩:2006/10/17(火) 08:18:05

重ねて自己レスです。

2874の投稿中「木樒并餘材」は、正確には「木[木*蜜]并餘材」でした。
いま少し調べたのですが、日蓮宗現代宗教研究所の資料集に載る妙法華経では「木樒」となっていますが、たとえば岩波文庫『法華経』では「木[木*蜜]」となっています。サイトで検索した引用の法華経も「木[木*蜜]」です。
http://www.buddhist-canon.com/SUTRA/DCX/DFaHua/T090008c.htm

正法華では、木[木*蜜]に当たるところは「木蜜」となっています。
さらに木密を検索してみると意外な文章に当たりました。

「『本草綱目』での、石蜜・木蜜・土蜜と家蜜という分類」
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00727/contents/00002.htm

石山が樒だと言い張ってきた「木樒」は、元来、「木[木*蜜]」で、さらにこれは木蜜(蜜を持つ樹木、もしくは蜜のような芳香を放つ樹木か?)という意味の可能性も見えてきました。

皆さんの批正をお願いいたします。

2876犀角独歩:2006/10/18(水) 08:16:23

岩波文庫『法華経』に、日深師の「木[木*蜜]」の注釈が付いていたのを、見落としていました。

「木[木*蜜] ― 形白檀に似て微かに香気あり、像を造るのに適しているといわれる」(上 P341)

[木*蜜] = http://www.buddhist-canon.com/SUTRA/DCX/DFaHua/fontimg/015754.gif

2878犀角独歩:2006/10/18(水) 08:22:34

以上の点が、次第にわかりましたので、2874の以下の投稿文を訂正します。

誤)「樒」という字は、羅什の漢訳で使用されているわけです
正)「[木*蜜]」という字は、羅什の漢訳で使用されているわけです

2879奈々:2006/10/20(金) 18:59:43
失礼致します
皆さんが使う、線香を教えて下さい。香を焚くと場の雰囲気が荘厳に感じられます
煙の少ないタイプも多く、匂いもナチュラルな線香が主流となっていますので、是非
ご教示願います。

2880通りすがり:2006/10/20(金) 23:12:01
 ん、線香は伽羅大観が一番いい

2881しゅんかん:2006/10/21(土) 00:21:52
藤川一郎さん犀角独歩さんありがとうございました。
沢山のスレッド文を所々、虫食いに読ましてもらいました。
(全てを読む事も出来ますねんで、ただ読んでもよう意味が分かりまへんから、
睡眠導入剤のような物になるんであえて読まんようにしてまんねん)
私なりに感じた事を記させて下さい、そして又、皆様のご教示お願いします。
1.犀角独歩さんお願いします。ここで色々と論じているのは詰まるところ、
日蓮上人の御書(曼荼羅も)等を各門流(大石寺版等)が(真筆がないものは真筆が
無いのをいいことに)自分の門流の都合のいいように記しているが。
そうじゃないだろ、日蓮上人はこう言ってるんだろ。そちらの門流はそう言うが
日蓮上人はそんな事をしていないだろ、と言うことを文献等から推察し論じられて
いるんですかね?。
2.何をもって本尊とするか?ですが、曼荼羅のみか、釈迦像かなんですが。
詳しくない私は一尊四士なども曼荼羅に図示されているんだからわざわざ仏像
として置く必要は無い。重複するじゃないか(富士門流はこのように言っているの
ですか?)だから曼荼羅のみでいいんだ、と誰かが言ってたらそうだろうなぁと私は
思います。日蓮上人は生涯、釈迦像を持っていたそうですが、正宗はそれを
ほしかった。でも、その釈迦像を他の上人に(日朗上人が頂かれれたと思うの
ですが?)持っていかれたので他の門流との差別化をはかる為に
仏像崇拝を禁じたんでしょううね(もうすでに論じられていることかもしれません)
それと、日蓮上人は曼荼羅は御自身で書かれたんでしょうが、仏像も御自身で
製作されたんでしょうか?もし仏像は作られていないのであれば、仏像崇拝を
否定している門流の論理として日蓮上人が作っていないんだからたいして
有り難くはない。だから曼荼羅のみでいいんだ、(これも、仏像は欲しかった、
欲しかったが先を越されてしまった。じゃどうしよう、曼荼羅しかない、困ったなぁ
そうだ!曼荼羅だけでいいと言う方便を考えよう)としたんじゃないでしょうか?
これはあくまでも私個人の推察です、皆さんのご意見をお聞かせ下さい。
犀角独歩さん創価学会のお方に私の疑問(学会の三宝を)をネット上で問うた
のですがお答えがありませんでした。
ですが、私は行っておりませんが家は正宗です。数ある日蓮宗の中の日興門流。
これも何かの縁なんだと私は思うのです。(独歩さんのお考えと異なりますが)
母は認知症ですが今すぐにとは出来ませんが(症状が軽いので)私は本門寺さん
にお世話になろうと思っております。

2882犀角独歩:2006/10/21(土) 07:06:53

しゅんかんさん

1の質問はお察しのとおりです。

わたしに投げかけた質問とは違いますが、日蓮所持の仏像は「先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔し之を刻み・弘安帰寂の日・随身せり」と言われたもので、この文から察すれば、日蓮その人が自ら刻んだものということなります。その後、船守献上伝説が追って言われるようになり、取って代わっていったのでしょう。

2883犀角独歩:2006/10/21(土) 07:19:31

もう一点。仏像と漫荼羅は、その趣旨が違うわけです。

同一だというのは、あとの解釈でしょう。
まあ、その区別が付かない人は、混同し、ごちゃごちゃに考え、同じものだと有り難がり、どっちか一つで言いと思うのであれば、そう思うのも、その人の思いに任せるところでしょう。ただし、そのような短絡は、日蓮の意図とは違うだろうと言うことです。

2884孤独な迷子:2006/10/29(日) 18:35:28
ときどきロムさせていただいています。

得度すると本山ではかなり厳しい修行を経て僧侶になるのでしょうか。

ふと疑問に感じたので質問させていただきました。

2885しゅんかん:2006/10/30(月) 11:01:55
独歩さん又、ご教示お願い致します。
紙幅の曼荼羅と板曼荼羅では紙幅のものが良しとの見解ですか?
そうだとしたら、それはやはり日蓮聖人は紙幅のみを図顕されたからですか。
私の関西地方には、日像上人のお寺が多いのですがほとんどが板曼荼羅でした。
(行ったのは末寺です)又、身延直末のお寺でもそうでした。独歩さんはこれを
どの様にとらえておられますか?
そして、境内に社ですか?(三十番神とか南無内々神など)があるのですが
これはどう言うことなのでしょうか、神仏習合で良しと言う事でしょうか。

2886しゅんかん:2006/10/30(月) 11:34:46
2885の続き
御書なのですが、わたしの頭脳では理解出来ないのです。
各宗派で出版されていると思うのですが、現代文に訳した物があれば
お教え頂ければ幸いです。(訳した物はやはり手前勝手で原文でないと
だめですかねエ)
もう一つ、仏教用語等なのですが、一念三千、五百塵・・、摩可止観
二筒相承、三大秘宝抄等の解説書と言いますか、辞典などは有りますか
ご存知であれば書籍名等お教え頂ければ幸いです。
以上、宜しくお願いいたします。
いつも不躾で申し訳ありません。

2887犀角独歩:2006/10/30(月) 17:18:57


しゅんかんさん

> …曼荼羅…紙幅…良し…見解…?
> …日蓮聖人は紙幅のみを図顕されたから

そうですね。
わたしが筆書きに憧憬を懐くのは、自分のために書写してくれたオリジナル性という点です。心が籠もっているからです。ただ、その前段階で、既存の漫荼羅に、それが印刷であったとしても、裏書きをする所謂‘開眼’は、授与者と受持者の心の通いがありますから、否定する理由はありません。ちなみに石山義では、漫荼羅表に、時の‘法主’が判形(花押)を書き入れることで、仮から‘本’へとするというのが日亨師の説でした。

> 日像上人のお寺…板曼荼羅…身延直末のお寺でもそう

奉安荘厳の仕方があるから、それぞれでしょう。しかし、それら寺院が板に日蓮が直接書いたなどとは言っていないでしょう。石山の「本門戒壇の大御本尊」は、そう吹聴しているから、ならば証拠を示せといっているわけです。富士では、日興が「形木」を禁じ、信心強盛な者には書写して授与し、それ以外を謗法であるといっているわけですから、この点は外せないだろうというのが、わたしが記してきたことです。

朗・像門家において、板に改めた造立縁起がしっかりしていれば、それを仰ぐ信者は納得しているということではないですか。

> 三十番神とか南無内々神…神仏習合で良し

この点については、わたしは詳しくありませんが、仰るようなことであったろうと思います。

日蓮の漫荼羅では日本国神である天照大神、元朝鮮の神であった八幡神(日本では大菩薩)、日本の伝教大師。中国の諸大師。インド由来・密教の不動・愛染、大六天魔王(ヒンドゥー教のシバ神)など、雑多に習合しています。日蓮以降、随方毘尼という見地から、各地域の国情に合わせた習合があったとして、それを違和感を懐くか否かは、各人の感覚に属するのだろうと思います。

> 御書…現代文に訳した物

さあ、この手のお薦めは、わたしは知りません。

> 仏教用語…辞典

これは数多、刊行されています。
わたしの個人的なお薦めは『織田佛教大辞典』です。

2888乾闥婆:2006/10/31(火) 01:20:37
>現代文に訳した物

よいかどうかはわかりませんが中央公論社の『日本の名著 8 日蓮』は紀野一義氏の現代語訳です。
ある程度まとまった分量のものでは、これぐらいかと思います。

2889しゅんかん:2006/10/31(火) 09:27:04
独歩さん、乾闥婆さん早々のご返事ありがとうございます。
早速調べさせていただきます。

2890しゅんかん:2006/10/31(火) 10:01:32
月光浴さん2861の記載にある、北山本門寺も・・・
檀家は布施をお供えして、貫首さんが一体ずつ書写をしていますので製版本尊なる
類は今は無いと思います。
私は先代日幹上人より、形木本尊を授与して貰い脇書を認めて戴きました。
についてもう少しお聞かせ下さい。
月光浴さんの授与された形木本尊と製版本尊はどの様な違いがあるのですか。
私の家に有る、正宗の形木は手書きではなく印刷だと思うのですが。
そして月光浴さんのご本尊さまのサイズはどれくらいですか?
私の所は、幅約40Cm、縦約60Cmです。
先日、先代日幹上人さまのお書きなられた御本尊さまを二幅拝見と
日幹上人の一代前の上人さまのものを一幅拝見させてもらいましたが、
三幅共、桐の箱に入っていて脇書きもあり幅約60Cm、縦約2M
もある床の間に掛ける掛け軸のようなものでした。(三幅共に同一家です)
月光浴さんのもこの様な御本尊さまなのですか?
以上、宜しくお願いいたします。

2891しゅんかん:2006/10/31(火) 10:09:13
2890の追記、重須系の末寺で拝見させてもらいました。
檀家さんがお寺にお返しになられたそうで、
ご本尊さまをご住職さまのご好意により拝見させて頂く
ことができました。

2892再挑戦者:2006/11/01(水) 19:57:13
失礼します。
 緊急避難を余儀無くされているわれ等は、一番の願いは何でしょうか。
 曲折はございましょうが「、限りなく日蓮様に近い真筆に近い曼荼羅様を請願者の名前と発行者の裏書が存在するような曼荼羅こそ願望します。
 発行者の直筆なら有り難いが、シンドイでしょうから写真製本後の要所の裏書と下付者名の記録さえあれば、そこそこでしょうか。 ただ日蓮様の誠のお心を伝承されておるか(ホウボウ厳戒、、)、否かかが、重要です。
 今、迷える愚求者からの一語提言ですが、。 よろしく。

2893月光浴:2006/11/02(木) 20:18:57
しゅんかんさん、お返事遅くなりました。
藁半紙に近い紙に印刷されていて、表具をいれても幅20cm、縦40cm
ぐらいです。正宗さんの形木本尊と同じですね。

2894しゅんかん:2006/11/03(金) 11:05:29
2890の訂正
(誤)私の家に有る正宗の形木本尊は、幅約40Cm、縦約60Cmです。
(正)表具をいれて幅約20Cm、縦約40Cmです。

2895しゅんかん:2006/11/03(金) 11:43:47
再挑戦者さん月光浴さんありがとうございます。
私が先日、重須系の末寺で見た幅約60Cm、縦約2Mもある本尊
は、当然仏壇に奉安できないのですから掛軸の如く安置し
日々のお勤めをするのですかね?ご存知の方宜しくお願いします。
又、この御本尊さまを納めていた桐箱の表書に〇〇家常什とあったと
思いますが、(常什の前の〇〇家と記しましたがさだかではありません)
常什とは(じょうじゅ)か(じょうじゅう)ですか?
ウェキペディアだったと思いますが、正宗の下付本尊に①形木、②特別形木、
(私の家は特別形木です)③常住とあったのを覚えています。
昨日、数少ない歴史の有る正宗寺院へ(私の住む関西では)独歩さん
達が御指摘をされている事を確認しに行ったのですが。
そこには、常住とありました。常住と常什は同じ意味の事ですか?
合わせて宜しくお願いします。

2896しゅんかん:2006/11/03(金) 14:56:40
独歩さん何時も指名して申し訳ありません。
つぶやきすれっど2で2288ひきこもりさんの『本尊問答抄』に
「法華経の題目を以て本尊とすべし」とあります。において、
独歩さんは真蹟と言う文字を使っておられますが、
本尊問答抄のこの一文は日蓮宗派全てにおける一致したいものでは
ないのですか?何処かの派の私がよく使う手前勝手な都合のいい
偽文なのかもしれないのですか。
宜しくお願いします。

2897しゅんかん:2006/11/03(金) 15:18:25
独歩さん、つぶやきすれっど2で
2287自分宛の曼荼羅と記しておられますが。
他の掲示板でも見かけたのですが、〇〇授与之と
開眼式を行って脇書をしてもらったとありました、月光浴さん
もおっしゃってます。
独歩さんも私と同じ学会二世と言う事なのでお尋ねしますが。
私の家の曼荼羅には授与之とだけあり、〇〇授与之の〇〇が
空いております。これは開眼式をしていないからですか?
破門前の学会時、そして正宗は開眼式をしておれば誰それに
授与したと名前が入るんでしょうか?。
独歩さんとこの曼荼羅は入ってましたか。

2898再挑戦者:2006/11/03(金) 21:20:36
 横から失礼します。
 いろいろ迷走・考察中ですが、、。 各門は「我こそは、、」、、と手ぐすね引いて舌をなめておるようです、、。
 石山系は「、、反省がいまいち、、」、、「、、正信会は日達サンを未卒業のマザコン体質、?、、」、、そこで、重須の北山様が「、、日達サンのM&Aの勧誘にもメゲズ、寺を維持したのは、今での判断は高く評価される、、」、かと思います、。 流れに抗した態度でした。
 それなりに「評価」したいです、、。 エラソウに、、すみませんです、、。

2899犀角独歩:2006/11/03(金) 21:59:14

しゅんかんさん

> 私の家の曼荼羅には授与之とだけあり、〇〇授与之の〇〇が
空いております。これは開眼式をしていないからですか?

大量生産の印刷、仮本尊だからです。
ただし、それが学会頒布ではなく、石山末寺からのものであれば、開眼式は、いわゆる「本門戒壇の大御本尊」の前に積んで行ったことになっているはずです。
この慣習が、いつからできたのか知りませんが、日顕さんの時代からはやっていました。最も、このやり方は、日亨師の解説とは違っています。

> 破門前の学会時、そして正宗は開眼式をしておれば誰それに
授与したと名前が入るんでしょうか?。

わたしは、寡聞にして、こんなやりかたがあることは知りません。
先にも記したとおり、石山では漫荼羅か威厳に当たる方法を、日亨師は、以下のように記しています。

「此の判形こそ真仮の分るゝ所」

ただし、これは開眼と言うより、真と仮の差異であり、前者は石山住職の花押が認められたもの、仮はそれがないもの。ところが、印刷漫荼羅の花押まで印刷とは、矜持も何もあったものではないという感を懐きます。

> 独歩…曼荼羅

わたしが所持している石山の‘本尊’は日達さんの印刷仮本尊です。
「授与之」とあるばかりです。

2900犀角独歩:2006/11/03(金) 22:33:46

【2899の訂正】

誤)最も、このやり方は
正)尤も、このやり方は

誤)石山では漫荼羅か威厳に当たる方法を
正)石山では漫荼羅開眼に当たる方法を

2901犀角独歩:2006/11/04(土) 09:31:22

誤解があるといけないので補足しますが、もちろん、わたしは石山の印刷本尊を奉安していませんし、いまは拝んでもいません。

彫刻本尊(いわゆる「本門戒壇の大御本尊」)の原本となった日禅授与漫荼羅が日蓮筆であるという点では疑義を感じます。その疑義のある原本を元にした彫刻は、さらに不動そのた見るからに日蓮の筆法とは異なる他筆です。つまり、まったくの模造品です。その模造品を書き写したと言いながら、さらにまったく書かれている内容が違うのが石山大量頒布の印刷本尊です。さらに、石山には本尊相伝というものがありながら、まったく違った内容で書かれ、さらには、真仮を決めるはずの書写者の花押まで印刷されてしまったのが、石山法華講、創価学会、顕正会の‘本尊’です。果たして、日蓮が漫荼羅を拝めと言ったかどうかという問題以前に、石山の本尊は拝む蛮勇は、今となっては起きません。

2902犀角独歩:2006/11/04(土) 14:28:11

2896 しゅんかんさん

一つ見落としていました。

> 『本尊問答抄』…「法華経の題目を以て本尊とすべし」

同抄は日蓮の真蹟(直筆、つまり真筆)を遺していません。
しかし、日興写本があることから、古来より真筆写本として扱われてきたというのが、まあ、通論と言うことになります。

要は、直弟子日興に完全に信頼を置いた‘解釈’ということでしょう。
しかし、わたしはこの点を疑っています。簡潔に言えば、日興が偽書を作ったとしても何の不思議もないからです。
日興の写本遺文には、他と内容がかけ離れているものがいくつかあり、この点は、以前、問答さんと議論したことがありました。

> …日蓮宗派全てにおける一致

これはどうでしょうか。大半は、同抄を真筆写本として扱うでしょうが、厳格に、採用しない方もあります。もっとも端的な例は米田淳雄師が発願編者である『平成新修日蓮聖人に文集』(日蓮宗連紹不軽庵)です。同抄は載っていません。

ちなみに、この書は、顧問に身延山短期大学学長/立正大学名誉教授:宮崎英修師・立正大学教授/日蓮教学研究所所長:浅井円道師・立正大学教授/日蓮宗教学研究所所員:高木豊師・立正大学教授/日蓮宗教学研究所所員:小松邦彰師、協力として立正大学講師/日蓮宗教学研究所所員:寺尾英智師・日蓮宗教学研究所所員:都守基一師(肩書きは平成6年10月13日初版第一刷発行当時)という錚々たる顔ぶれになっています。

なお、もし、この書が真筆写本であったと想定した管見は以下に記しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/614-

法華経の題目を本尊という発想は、わたしは実に奇異に感じますが、無仏の時代、題目をもって下種という教学的な態度から師、法を本尊と拝すれば、このような言い回しは、あるいは可能なのかもしれません。けれど、地涌菩薩のごとく、五百塵点成道の釈尊に直接下種をされ、妙法蓮華経の五字を所伝されたならば、その本尊は、久遠本仏・釈尊をおいてあるはずはありません。宝をもらったら、その宝らこそ大事で、くれた人はどうでもいいといった忘恩を日蓮が冒すはずがないからです。これではまるで禅・真言の所説に異なりません。くれた方を仰ぎ、宝を伝持する。本門の本尊と題目の五字は別です。

久種覚知の仁においては仏本尊を立てることは当然の流れです。日蓮は本門本尊とことわっているわけです。本門とはまさにこの久遠本仏成道と地涌結縁、法付属を説く段です。迹門立てで題目(妙法蓮華経裏一念三千珠)をいうならいざしらず、本門段で法を表に立てるのは論理として整合性がありません。

妙法蓮華経によって覚った諸仏と、地涌所伝の妙法蓮華経による我々は、その立場が違います。また、地涌菩薩に遇わない凡夫ともまた違うとも言えるでしょう。本仏との下種を覚知できず、今番地涌菩薩に遭えない者にとって、題目を本尊と仰ぐという脈絡は題目本尊という教学的な余地を残しているのかもしれないというのが上記の管見です。

2903しゅんかん:2006/11/04(土) 20:04:52
独歩さん、ご丁重な教示ありがとうございます。
内容が難しくってこの板ばかりを見ておりましたが、
他の板も拝見させて頂きますと、独歩さんが多くのお方に
一つ々丁寧にご返事をされておられる事に驚きました。
私ごとき者にも・・・本当に恐縮しております。
>『本尊問答抄』…「法華経の題目を以て本尊とすべし」
について難しい回答ですが(仏教用語等が)、勉強をします。
(しかし、自分から投げかけたとはいえ、何を言うてはんのんか
ちんぷんかんぷんやなぁ)
法華経の題目を以て本尊とすべし」とは
母(〇〇ちゃんとご本尊さんに勤行したんか?)
の本尊のみを日蓮聖人は定義していないかもしれないと
言うことですか。(題目の本尊等とかおっしゃてますね)
本尊とは必ずしも物体(実物)のみを指していないと。

2904犀角独歩:2006/11/05(日) 09:13:16

しゅんかんさん

> …法華経の題目を以て本尊…のみを日蓮聖人は定義していない
> 本尊とは必ずしも物体(実物)のみを指していない…

「物体」という表現が適切かどうかはわかりませんが、「…のみを指していない」という点はそのとおりですね。

『本尊抄』の記述は、(1)自分の心のなかで観た本仏、(2)実際に造立される仏像、そして、(3)文字としての妙法蓮華経、という3本立ての論攷です。この三つの、どれが一番かという比較ではなく、それぞれの重要性を論じているという視点が重要です。

また、御漫荼羅の全体を本尊と仰ぐのは門下一般の在り方ですが、「法華経の題目」という『本尊問答抄』の趣旨からすれば、本尊は「妙法蓮華経」の五もじということになります。そして、これは音声と思い(イメージ)ではなく、まさに漢字で書かれた五文字だというのが、日蓮の達観であるわけです…、と、書くと、また、難しいと言われそうですが。

2905天蓋真鏡:2006/11/05(日) 10:27:14
横レス失礼します。 三法門は「本尊≒仏陀像・戒壇≒漫荼羅・題目≒法華経」で、本尊とは勝れ足るを用いる、天台密教から法華一乗へ布き治す、法華経の信心学問修行を提唱して祈る事と今頃まとまりました。漫荼羅は、シャクソンと法華経を繋ぐ役割があるのでは?

2906天蓋真鏡:2006/11/05(日) 10:37:08
脱字すみません。戒壇とは天台密教から法華一乗へ布き治す、題目とは法華経の信心学問修行を提唱して祈る事。

2907しゅんかん:2006/11/05(日) 22:26:38
独歩さん、ありがとうございます。
皆さんのやり取りを拝見させてもらい、自分なりに
解釈していたものは{曼荼羅本体、釈迦仏像(この二つは物体、固体です)
もう一つは南妙法蓮華経と唱えている人、その人の内なる物に、唱えたと同時に
内在されているものである本尊}の三つです。
その人の内なる物に内在されている物を指しているのかな?と思ったのは
当然、皆さんのやり取りと、南妙法蓮華経と三弁唱えれば、と教科書で習った
、この一文です。
独歩さん、そこそこ近かったでしょうか?

2908犀角独歩:2006/11/06(月) 05:44:18

題目の三唱というのは、種々の解釈があるように思います。仏・法・僧の三宝に一唱ずつ、あるいは空・仮・中の三諦、法報応の三身とも。ただ、これらは日蓮の文証は、といえば根拠未詳です。

たぶん、日蓮の教えというのは、釈迦仏への信仰であり、妙法蓮華経への帰依なのだろうと思います。それを具体化するとき、個人では漫荼羅の授与/受持、広く大衆に示すのには仏像造立、唱える妙法蓮華経は、仰るとおり、内心の、十法界、殊に仏を観じ成仏を信じ、目指すことなのでしょう。

2909とんび:2006/11/09(木) 00:01:55
皆様、こんばんは。
仕事に忙殺されていました。もう少しだけ発言させていただきます。
また、いろいろなスレッドのレスを読む精神的余裕はありません。(良くここでは過去の議論・発言を
読むよう指摘されていますので)ご理解下されば、幸いです。

 法華経シャク門、方便品の「唯仏・与仏、乃能究ジン、諸法実相」の文について...
通説では、釈迦如来と多宝如来を指し、正宗では、唯我与我、ということで、日蓮聖人と日興上人を
指しているものだと思っています。

 疑問に思うのは、どちらも聖人に当てはめていることです。この娑婆世界に当てはめて考えると、
仏界の代表(仏)・地獄界の代表(仏)ということで、譬えていうと、マザーテレサのような聖者と、暴力
団山口系の組長(修羅界というべきか)というように、光の世界を知る人と闇の世界を知る人とが、実は
「乃能究ジン、諸法実相」に当てはめた方が、道理にかなっているように感じたりします。

 私は、教学的に「乃能究ジン、諸法実相」を理解しているわけでは、ないので、譬えが適切ではない
かもしれませんが、疑問として発言しました。

2910しゅんかん:2006/11/11(土) 18:22:29
月光浴さん又、お願いします。
2859 において万年救護の御本尊は埼玉の仏具店の主人が開帳後に寮
(庫裏)で販売していました。
に付いてもう少し詳しくお聞かせいただけますか。
店舗名など判ればお願いします。(少しの情報でも結構です)
連絡を取って見たいのです宜しくお願いします。

2911とんび:2006/11/12(日) 00:07:02
追伸です。
十界を、己心の十界に当てはめるか、国土世間などの三世間などに当てはめるか、
いろいろあると思いますが。。。
 仏界の中の地獄界より、地獄界の中の仏界...と比べると、後者の方がなんか
良いような気もしたり。

 世の中の貯金と借金に当てはめて考えると、貯金をしている人は、なるべく有意義に
お金を使用した方が、良いと思うし、借金をしている人は、貸してくれている人を困ら
せないように、借金を返すようにした方が、世の中がうまい行くように思ったり。

 昔、福運だの功徳だのとか、いろいろと教えられましたが、今幸福を感じている人は、
貯金を使っている状態で、逆に、今苦しんでいる人は、借金を返している状態...とも
言えるのかな...とも、思ったり。

 サークルなどのように、類は類を呼ぶ、で、同じ物などを好む人が、集まる..という
ことがある反面、男と女、磁石のS極とN極とが引き合うように、全く逆の性質をもった
ものが、結びつく...ということもあるのかな、と思ったり。

 ちよっと関係ないですが、日蓮聖人の御書の一節で、有名な言葉なので、あえていうこ
ともないですが、「日蓮が仏果を遂げられたのは、良観や東条かげのぶ等のおかげ」趣意
というのが、あったかと思います。余談でした。

2912天蓋真鏡:2006/11/12(日) 18:19:47
【漫荼羅・天台密教から法華一乗へ布き治し守る法華経表現の一つ】 個人の幸福・自身のコントロールには漫荼羅、社会の繁栄・公共のセキュリティには戒壇堂が形として表現される。皆成仏道なので一人ひとりが法を伝授護持する者。僧は昔からの教えを過不足無く衛る者。 極端でしょうか。

2913再挑戦者:2006/11/14(火) 21:08:31
 失礼します。
 諸賢様の深い御洞察には頭がさがります。
 オチコボレを自認の愚考です。 「観心本尊」についてです。
 先日「不得貧勝利」(囲碁十誡、12世紀頃、囲碁の知・入門、集英社・畠秀史)の意味を知りました。  「ムサボリは勝利を得ず」=「勝とう勝とうは負けの元」=「相手の石を獲ろう盗ろうは、取られの元、」、、を意味するようです。
 そこで「観心本尊」、はどのように判断するのでしょうか。 先の例文から見ますと「、、心して本尊を観る、、」、でしょうか、、。 どんな「、本尊、」、なのでしょうか、。
 、、「日蓮が魂を墨に、、信じさせ給え、、」、「、、南無、、に過ぎたるは無し、、」、、と御座いました。
 、、やはり、基本、、原点になるのは「本尊」=日蓮様直筆の「本尊集」、のような「本尊」でしょうか、。
 今「心して本尊を観られるような歴史に耐えうるような”曼荼羅さま”を拝観は可能、」、でしょうか、、。 現実は「混沌」としていますようです。                                               早急なる「善後策」を超宗派的な「合同調査委員会、、」などで御検討を願望したいが、、、。 
 今重要なのは「一本になるような方向性さえ”確認、”、できれば、某S・K会さま達は、マッサオ」でしょうか、、。 迷言ですがお許し下さい。

2914月光浴:2006/11/19(日) 00:14:51
しゅんかんさん、ご返事が遅くなりすいません。
さいたま市の正〇寺の前の仏具店です。

2915みかん:2006/11/19(日) 07:03:56
正信会の正因寺のそばの鶴林堂佛具店?(身もふたもなくてすいません)

さて、
>2860 しゅんかんさん

1.日蓮正宗は重須本門寺では仏像崇拝を行っていると発していますが
本当でしょうか?

日蓮正御影信仰はありますが、仏像はないとおもいます。本堂の曼陀羅の前には正御影が飾られています。重須北山本門寺根源において御開帳とは、本尊の御開帳ではなく、正御影の開帳です。

4.重須本門寺の末寺は関西圏に存在しますか?

あります。たとえば和歌山の大新公園の向かいの寺院は北山本門寺根源の末寺です。(北山本門寺本末寺の縁起集を持っていますが、行方不明。出てきたらまた調べます)

5.身延系においての僧侶の法衣は赤、紫と煌びやかですが日蓮正宗のそれ
(薄い灰色)とは相違します、重須はどっち?

北山に限らず、日興門流寺院はわたしの知る限り薄墨です(北山、西山、要法寺、小泉久遠寺を見た)。色の法衣や黒色の法衣は見たことがありません。

6.正宗、要法寺とはやはり違いました(本能寺は勝劣派でしたっけ?)

本能寺は勝劣派ですね(法華宗本門流。田村芳朗先生がいらっしゃった宗派)。法衣は忘れましたが、紋は鶴丸だったはずです。本堂の本尊は仏像。(一尊四士か、一塔両尊四士かわすれました)

2916しゅんかん:2006/11/19(日) 19:12:06
月光浴さん、みかんさん、有難うございます。
知識の深さに驚かされるばかりです。
本当に有難うございます。

2917しゅんかん:2006/11/26(日) 19:50:43
問答迷人さん初めまして。しゅんかんと申します。
(初めてではないかも?、管理人さんでもありましたか?)
元、学会員でしたか?(間違っていたらすいません)
数点私の疑問にお答えいただけましたら幸いです。

独歩さんに以前お尋ねしました所、興師は仏像崇拝をしていたとの
お言葉を頂きました。そこで疑問に思ったことがありました。

〇他の掲示板で見かけたのですが、精師(十七世)が謗法を働き
 寛永十五年(一六三八年)下谷常在寺の再建並に造仏をしたと記してあり、
 後年、俊師(二十二世)啓師(二十三世)が撤去したと思われる。
 と言う文面をみかけました。
 当掲示板でもこのような内容の物を論じられた事がありますか?

〇興師の時代には仏像崇拝をしていた。精師は謗法を働いた(事実なら)
 のであれば何時の時代ぐらいまで仏像崇拝が続いていたのでしょう?
 精師の造仏は事実と思思わますか?

〇当掲示板には非常に知識豊富な元学会、元正宗と思われるお方が
 多くおられるようですね。
 多くのお方が真面目に活動をされていて折伏もされた事だと思います。
 疑問を抱き退会等をされた方などは折伏をし入信していただいた方に
 どの様な感情を持っているのでしょうかねエ
(私は貴方に勧めたが考えが変わったので貴方もやめればとか、
 イヤ個人の自由だからとか、黙っていると入信させたあいつに
 非難されないだろうか等、色々悩むんじゃないかなア)
どうでもいいでしょうけどふと頭に浮かび、尋ねてみたくなりました。
宜しくお願い致します。

2918アキラ:2006/11/27(月) 00:06:55
どんな本なのですか?詳細がわかる人、教えて下さい。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4846003167/sr=11-1/qid=1164431819/ref=sr_11_1/503-5965839-3713530

2919問答迷人:2006/11/27(月) 08:35:34

しゅんかん さん

いつも御参加ありがとうございます。

ご質問、痛いところを突いておられると言うか、なかなか簡単にはお答えできないような内容です。よく考えてお答えしたいと思います。一日ほど時間を頂戴したいと存じます。

2920問答迷人:2006/11/27(月) 17:02:04

しゅんかん さん

>興師は仏像崇拝をしていた

この点は、僕は慎重です。原殿書には、仏像崇拝に類似する表現は有りますが、結果的には仏像造立を制止し曼荼羅を勧めています。日興上人が実際に仏像崇拝をしていたとは、僕は考えていません。

>精師・・・造仏

これは史実として固まっているのではなかったでしょうか。

>何時の時代ぐらいまで仏像崇拝が続いていたのでしょう

日興門流としての日蓮正宗においては、仏像崇拝は行われてこなかったと僕は考えています。行われていたという証拠をご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授賜りたいと存じます。

>折伏をし入信していただいた方にどの様な感情を持っているのでしょうか

非常に心苦しく辛いですね。その人からお尋ねがあれば、当然のことながら、僕が知りえた事実を全て話します。ただ、今、嬉々として活動している人に対して、止めよ、と言うのは、信教の自由の観点から憚られます。それに、創価学会員は、大きな流れから見たら、日興門流に属する信徒、という事になると考えていますから、無下に信仰を捨てさせることが、果たして蓮祖のお心に随う事なのかどうか、疑問が残ります。現に、僕の知っている創価学会婦人部の人は、

「学会活動は、もう十二分にやってきた、足らなかったのは、自分の家庭を疎かにしてきた事だ。子ども達が可愛そうだった。これからは、お題目根本に、家庭を立て直して行きます。」

こう言っています。この人に果たして「創価学会の教えてきた事は間違っている、大石寺戒壇板本尊は偽物だから捨てなければならない、日寛上人の教学は日蓮聖人の教えを破壊している・・・」等と焚付けるべきなのでしょうか。静かにお題目を根本に、家庭を立て直してゆこうとしているのだから、そっとしておいて上げるべきではなかろうかと思います。僕は一度はその方に、戒壇板本尊が偽物である事を語りましたが、今は、却って、お会いするたびに、その方の家庭が安泰となってゆくように励ましています。一生懸命にお題目を唱えよましょう、と。

こんなところで、お答えになっているでしょうか。

2921問答迷人:2006/11/27(月) 17:04:37

訂正です

× 一生懸命にお題目を唱えよましょう、と。
○ 一生懸命にお題目を唱えましょう、と。

2922犀角独歩:2006/11/27(月) 19:17:07

わたしは、日興には仏像本尊の意識は当然、あったと考えます。
もしなかったのであれば、一尊四士を我が義として、日澄がその義を盗んだなどと述べる理由はまったくないことにならです。

わたしのHPにアップしてありますが、執行師の解説に頷きます。

…「原殿御消息」には、大曼荼羅と仏像との関係を論じて、

「日蓮聖人御出世の本懐、南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候へども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道殿御徴力以ての形の如く造立奉り思召立候を、御用途も候はず、大国阿闍梨奪い取り奉り候仏の代りに其程の仏を作らせ給へと教訓し進らせ給て固く其の旨を御存知候を、日興が申様は責て故聖人安置の仏にて候はゞさも候なん、それも其の仏は上行等の脇士もなく、始成の仏にて候き、その上其れは大国阿闍梨の取り奉り候ぬ、なにのほしさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給へ候べき、御力契給せず御子孫の御中に作らせ給仁出来し給ふまでは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし。」

といっている。いまこの文に依れば、宗祖の奉安せられたる一体仏の釈尊が、祖滅後朗師によって安置せられるに至ったので、波木井の原氏がその一体仏の釈尊と同ようなものを造立せんと試みたものゝようである。茲に於て興師は、一体仏の造立は始成仏に濫するが故に不可であることを述べ、更に本化の四士を添へたる仏像の造立は経済上の問題を伴うものであるから、一仏像造立の出来るまでは、宗祖の認められたる紙墨の大曼荼羅をもってこれに代へても何等異りはないと訓へられたものである。即ちこの文に現れたる日興上人の思想は、後世に伝へられているが如き、仏像否定でもなく、また大曼荼羅正本尊思想でもない。寧ろ仏像造立を肯定し、大曼荼羅所顕の一尊四士をもって本尊奠定の様式と解されてゐたとみるべきであらう。然るにこの文をもって、日興上人の造仏論者を誘引せんがための巧説であるといい、或はまた、造仏論者に対して且らく一尊四士の造立を許されたのみにして、これは真意にあらずといふが如きは、却って上人の真意を誣ふるものではなかろうか。少くともこの消息による限り、この時代に於ける上人の本尊意識は本門の妙法蓮華経の教主久遠実成の釈尊であったのである。

 なお興師の仏本尊思想を窺うべき文献として「三時弘経次第」と「引導秘訣」とがある。即ち「三時弘経次第」には明かに師弟の次第を述べ、久成の釈迦仏をもって本仏とし、この本仏を富士山の戒壇本尊とみなしているのである。更に「引導秘訣」には曼荼羅を説明して

「曼荼羅ノ事、是即冥途挙(テガタ)状也(乃至……)是釈迦法王ノ印判と云ふ意也、曼荼羅授与之時、深此旨思フベシ。」 といい、また「題目を書事は釈迦の智慧を顕す也。」ともいって、題目を仏智と解し、この大曼荼羅を拝するには「心強仏身念可シ」であると相伝しているのである。然るに第二類の文献たる「富士一跡門徒存知事」には

2923犀角独歩:2006/11/27(月) 19:17:31

―2922からつづく―

「日興云聖人御立法門ニ於テハ、全ク絵像仏菩薩以テ本尊為サズ唯御書意任せて妙法蓮華経五字ヲ以テ本尊ト為可シ即自筆本尊是也」

といって、大曼荼羅と仏像との間に軽重を論じ、大曼荼羅正本尊を強調して仏像造立の不用を論じている。次いで更にその下には

「此御筆ノ御本尊ハ是一閻浮提未だ流布せず正像末未だ弘通ざる本尊也(乃至)六人一同守護し奉る可し、是偏広宣流布有時ノ、本化国王御尋有らん期まで深く敬重し奉るべし。」

といって、大曼荼羅そのものを願業の本尊とするものの如くである。これは前の「原殿御消息」に於て、仏像本尊の出現を所期とするものと全く相反するものである。従って本書に現れたる本尊意識は、本尊の実体を妙法五字にとるところの謂ゆる法本尊である。ところで「五人所破抄」には、「門徒存知事」のこれらの文に相当するところを

「日興云諸仏之荘厳同じと雖も印契に依テ異を弁ずべし、如来之本迹は測り難し、眷属を以て之を知るべし、所以ニ小乗三蔵之教主は迦葉阿難脇士ト為し、伽耶始成之迹仏は普賢文珠左右に在ス(乃至)図する所ノ本尊は亦正像二千之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也、当ニ今は迹化教主既ニ益無し、況多多婆和ノ拙仏哉、(乃至)執スルハ尚強チニ帰依致サント欲スレバ、須ク四菩薩を加ウベシ、敢えて一仏を用ルコト勿レ」

とあるが、この文に於ける本尊意識は果して、「門徒存知事」に現れたる本尊意識と同一なりや否やについては研究の余地があろうと思はれる。即ちこの「五人所破抄」の文は大曼荼羅と仏格との軽重を論じたものでなく、脇士に依って仏格を定めようとするものである。故に大曼荼羅対仏像の問題ではなく、大曼荼羅所顕の仏格本尊と、一体仏並に迹仏との優劣を論じたものであるとみるべきはなかろうか。然してこの文の末文たる「執者尚強欲帰依」云云の十八字は、大石寺6世日時の写本になく、また西山代師の直筆と伝う代師本にはこの文を抹消してあるとのことである。そこで、この十八字は果たして原本に存していたものか、それとも後人の加筆によるものかの疑いもある。

 然し仮令この文があったとしても、「執者尚強」の文は一尊四士の仏像を指すのではなく、それは一体仏を指す意と解すべきであろう。かように考察し来れば「五人所破抄」に現れたる本尊意識は寧ろ前の「原殿御消息」の思想に近いものであるということができる」…

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_003.html

2924問答迷人:2006/11/27(月) 19:29:13

犀角独歩さん

>わたしは、日興には仏像本尊の意識は当然、あったと考えます。

この点は、執行師の仰る事を否定するものでは有りません。僕が問題視しているのは、実際に日興上人が仏像を安置して崇拝していた事を示す故事やら、文献やらが有るのだろうか、という事です。僕の浅識の為に知らないだけかもしれませんが・・・

2925犀角独歩:2006/11/27(月) 19:32:49

もう一点。やや横レスをさせていただけば、問答さんのお記しになるところは、同意するところもありますが、しかし、それは創価学会員の、会に属することによっての被害者としての側面です。

勧誘をし、選挙依頼もし、時には物品まで買わせた、人を活動に駆り立てた、虚偽を真実のように語ったという“加害者”としての側面が考慮されていないように、思えます。やってきたことに対する責任を、どこかで取ること、そのためには、事実を受け入れる勇気とタイミングを持つことは、不可欠であるとわたしは思います。

日蓮正宗創価学会に関わったすべての人は、嘘の本尊、嘘の教義をもって、日本を席巻し、創価公明が日本を跋扈してやまない安国ならぬ、暗黒社会を作ってしまったのは事実でしょう。一人ひとりに責任があります。

2926犀角独歩:2006/11/27(月) 19:42:57

2924 問答迷人さん

この点は、既に何度も、論じてきたことですが、身延の宗廟に日蓮手製の一体仏が安置されていたことは、動かない事実です。日興が仏像を斥ける理由はありません。

消し去られてしまった事象を、証明することは困難ですが、むしろ、富士においては、本来あった日興と仏像の関係を消し去ったのに過ぎないのではないでしょうか。

わたしは、日興は、日蓮手製の一体仏を崇敬する故に第二転(なくなってしまったから、複製を作る」ことに反対したということは、むしろ、大いに仏像を崇敬したことを意味したのだろうと考えます。

また、日蓮がいずれのところは定めなかったけれど、未来、本門戒壇が建立された暁に立つ本仏釈尊像に思いを馳せ、一尊四士の義を示したのは、仏像を斥けたということではなく、むしろ、仏像を重視する故のことであったと考えます。

また、本尊抄に見られる如く、日蓮は僧は摂受をもって法の弘持に責務を置き、妙法蓮華経の五字を授与するところにその責務を置き、しかし、正法を信仰する王は、そこで初めて本門釈尊像を造立する役務を負っていると読めます。

仏像造立は賢王の仕事。故に日興は仏像を立てなかったという脈絡です。これは日興が漫荼羅正意から仏像を斥けたという意味にはなりません。
仏像を造立する賢王在家の四菩薩が出現していないために仏像が造立される時を日興が生きなかったという時系列を示すばかりではないですか。

2927問答迷人:2006/11/27(月) 20:08:23

犀角独歩さん

>加害者としての側面が考慮されていない

仰る通りです。僕のスタンスでは、確かに、加害者としての側面が全く考慮されていませんね。

それは、信仰者として、「日蓮聖人が命に代えて我々に教えたかったことは何か」という問題意識が先行しているからです。それを知ったところから日蓮信者として、如何にあるべきか、という社会に向けたベクトルが出てくるのだと思っています。

信仰者としての責任として、先ず、何としても蓮祖の伝えたかった事を正確に会得すべきだと考えています。

批判は敢えてお受けいたします。

2928問答迷人:2006/11/27(月) 20:13:24

犀角独歩さん

>消し去られてしまった事象を、証明することは困難ですが、むしろ、富士においては、本来あった日興と仏像の関係を消し去ったのに過ぎないのではないでしょうか。

消し去ったのは、いつ頃、誰が、何の目的で消し去ったとお考えでしょうか。

これから仕事で出かけますので、続きのレスは明日になります。

2929犀角独歩:2006/11/28(火) 08:36:03

問答名人さん

2928について、わたしは、「批判」をしているわけではありません。
「日蓮正宗創価学会」員、「法華講」員であったという対外的視点は、考慮させざるを得ないという意味です。仏教を行じるというのであれば、そのもっとも基本にあるのは懺悔(さんげ)から始まると、わたしは考えるからです。無反省、過去の責任を負わないことでは仏道は成じ得ないとわたしは思います。「無慚無愧」では仏道になりません。けれど、このような掲示板を置かれる問答さんは、十分にそのような視点に立っておられる。ただ、そのような自画像が見えない人には気づきを待つという寛容のお立場からのご発言と拝します。

2929について。「いつ頃、誰が」という点については、あるいは、日興本人が重須に移って中盤以降から、もしくは存知事、所破抄などが記された頃、その著述者たちが。「何の目的で」という点は、むしろ、ご質問としては不適宜で、仏像を寄進するような十分な寄進が得られない状況下で、漫荼羅が徐々に本尊と見なされていき、さらに御影像信仰の勃興で、仏像の等閑視される経過があったためではないのかと想像します。

しかし、日興の消息などには、「仏聖人」といった表現は見られます。
石山や、正信会は、これを漫荼羅本尊であるというわけです。しかし、本当にそうでしょうか。日興の段階で、日蓮本仏論などまったく見られないわけです。また仏本尊に対して、法華経の題目(法)が本尊だというのです。とすれば、仏が漫荼羅を表すはずはありません。

では、何を指して、日興はそう書いたのか。すでに御影信仰が起きていたとすれば、ここでいう「聖人」は日蓮御影でしょう。では「ほとけ(仏)」はどうでしょうか。漫荼羅でしょうか。漫荼羅であれば、法ではないですか。つまり、仏とは、釈尊像を指す以外に考えられません。
つまり、日興が消息に、供養の品々を仏聖人に供えたというのであれば、そこには釈迦仏像と日蓮聖人御影像があったことを意味すると考えるのは、日蓮本仏、漫荼羅正意に汚染されていない目から見れば、当然すぎることではないでしょうか。故に、わたしは、日興が重須に移ったのちも、その宝前には仏像が置かれ、そして、御影像も置かれてあったと類推します。

むしろ、わたしが反詰したいのは、それほど、日興が漫荼羅を崇敬し、仏像を斥けたというのであれば、日興はいったい、どの漫荼羅を拝んでいたというのでしょうか。そのことこそ、まさに明確になってはいないのではないでしょうか。

日興が漫荼羅正意である、石山日目が漫荼羅正意であるというのであれば、その正意とされた根本の漫荼羅本尊とは何かを証すること、肝要になります。
「それは本門戒壇の大御本尊である」などという戯言は、既に問題外であることは言うまでもありません。

もし、日興が漫荼羅正意、日目が漫荼羅正意であるというのであれば、それぞれの根本崇敬の漫荼羅とは、日蓮のどの漫荼羅でしょうか。なお、後者、日目に関してですが、所謂、「御座替本尊」ではないかという類推は直ちに浮かぶことでしょう。しかし、わたしはこの可能性は、否定します。なぜならば、この漫荼羅は現在も客殿に懸かるのです。本堂に懸かる漫荼羅こそ根本であることはいうまでもないからです。

問答さん、如何でしょうか。

2930問答迷人:2006/11/28(火) 11:46:08

犀角独歩さん

三師御伝土代の文を先ず引用します。

一、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事(富士宗学要集第五巻十二頁)。
小乗釈迦は舎利弗目連を脇士となす権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士となす、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす云云、一躰の小釈迦をば三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦とも申すなり、御書に云く劣応勝応報身法身異なれども始成の辺は同しきなり、一体の仏を崇る事旁々もつて謂はれなき事なり誤まりが中の誤まりなり。
仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや、既に本尊の階級に迷う、全く末法の導師に非るかな。

2931問答迷人:2006/11/28(火) 12:18:19

これは、大石寺第四世の日道師の著作とされています。この点に疑義があるとの説も有りますが、今は通説を採用しておきます。

ここで、道師は「何を以って末法の本尊とすべきか」という視点で論じていると思います。結論的に、一体仏を退け、蓮祖図顕の曼荼羅を以って本尊とすべき事を論じています。

さらに「何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや、」と述べています。これは微妙な表現です。要するに、一尊四士こそが、法華本門の本尊であり、その本尊が図顕されている曼荼羅を本尊とすべきだ、と述べていると思われます。実際に一尊四士の仏像が寄進されておれば、もちろん、それを拝む事を否定しているとは読めません。

2930の引用文を以って、曼荼羅正意が日道上人の段階で定着していたとは、僕は判断できないと思います。基本的に、日興上人の考えとそして変わっていないと思います。

そこで、問題です。日道上人は、曼荼羅を「三身即一の有縁の釈尊」と捉えていた点です。この視点で考えれば、日興上人の「ほとけ聖人」との表現されている仏とは、曼荼羅として顕された一尊四士像を意味しておられたと考えるのが妥当ではなかろうかと思います。

無論、実際に一尊四士像が寄進されていた、という歴史的事実を示す証拠があれば別ですが。

以上、非常に回りくどい言い方になりましたが、まとめますと、

一、日興上人とほとんど変わらない本尊観を日道上人が持っていたと思われること。
一、日道上人は曼荼羅に顕された一尊四士像を「ほとけ」と拝していたこと。
一、このことから、日興上人の「ほとけ」という表現も、曼荼羅として顕された一尊四士像を「ほとけ」と表現した可能性が高い。

以上です。

なお、どの曼荼羅を「根本の曼荼羅」としたか、という点ですが、日道上人はそのような考えはなかったと思います。あくまでも、本尊は本門教主釈尊であり、一尊四士で有ったと思います。曼荼羅正意という内容は、少なくともこの御伝土代には書かれていないと思います。

2933犀角独歩:2006/11/28(火) 17:23:43

問答名人さん

「以上です」といわれても、これでは議論は落着しません。
もう少しお付き合いいただけませんか。
まず、話が噛み合っていないと思います。

要は、わたしが漫荼羅正意と記したことに対して、漫荼羅も仏像も、一尊四士であるという意味なのでしょうか。しかし、議論は、その点を論じあっているのではなく、日興が仏像を奉安していたかどうかです。

どうも、仰ることがどうもよくわかりません。2920に

> 仏像造立を制止し曼荼羅を勧めています。日興上人が実際に仏像崇拝をしていたとは、僕は考えていません

漫荼羅正意ではなく、一尊四士が本意であるというのは、どのような意味なのでしょうか。

わたしは日興が仏像を立てていたであろう証拠として、一尊四士義と「仏聖人」という消息の一節を引いたわけです。また、これはしかし、“日興”についてです。なぜ、突然、日道の話になるのでしょうか。

わたしは日興は仏像として一尊四士義を有していたという立場です。
けれど、漫荼羅図示が一尊四士であるというのは、いったい、いかなる意味でしょうか。漫荼羅には四菩薩が記されているから一尊四士であるとは、論理の飛躍ではないですか。

「隋身所持の俗難は只是継子一旦の寵愛、月を待つ片時の蛍光か。執する者は尚強ひて帰依を致さんと欲せば、須く四菩薩を加ふべし、敢へて一仏を用ゆること勿れ」

のちの加筆と思われますが、日興の説としてされる、以上の一尊四士に見られる二カ所の成句、「隋身所持」「一仏」、これは両方とも、仏像を指してのことでしょう。

日蓮が終生所持したのは一体仏像である。それ故、一体仏で是とするものがあれば、それは甚だ非である。すべからく四菩薩像を加えるべきだ、というのが、その文意です。寿量仏釈尊の仏像は四菩薩の像を加えなければ、それを表現できないという、あくまで仏像奉安に関する話です。これが何故、漫荼羅に四菩薩が記されているから仏=一尊四士という話になってしまうのでしょうか。漫荼羅は一尊四士ではなく、敢えてそのような奉安に充てれば一塔二尊四士(中央首題、釈迦・多宝、四菩薩)ではありませんか。

引用される伝・日道の言とされるところは、実は生前、日蓮が一体仏を随身奉安した在り方を非難した形になっています。あろうことか日蓮を謗法であると断じています。師敵対、ここに極まるというほかありません。ここに至っては、石山を謗法の所行と断言しても憚りは要しません。

2934犀角独歩:2006/11/28(火) 17:24:17

―2933からつづく―

さて、このような不埒な土代記述の有様を踏まえたうえで、以下の点について勘えます。

> 一、日興上人とほとんど変わらない本尊観を日道上人が持っていたと思われること。

『御伝土代』は、近代以前は日時作とされていたわけですが、わたしもこの説に傾きます。しかし、いまは土代の作者考証ではないので、「土代作者」とします。

土代作者の文面の「三身即一」「本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏」などという点で、時代は日興よりさらにあととは思えますが、一尊四士という一面を採れば、このように言えないことはないと思います。

一、日道上人は曼荼羅に顕された一尊四士像を「ほとけ」と拝していたこと。

なぜ、このようなことが言えるのでしょうか。
この点を、もう少し、説明していただけません。

一、このことから、日興上人の「ほとけ」という表現も、曼荼羅として顕された一尊四士像を「ほとけ」と表現した可能性が高い

繰り返しになりますが、漫荼羅の図示は、一塔二尊四士です。さらにいえば、十界衆生、不動愛染、四大天玉まで勧請されています。つまり、十界勧請漫荼羅です。しかし、日興がいう仏像奉安一尊四士です。これはつまり仏菩薩に留まります。この両者は、まったく違います。なぜ、題目首題、多宝如来、さらに他の十界衆生まで示す漫荼羅が一尊四士と言えるのでしょうか。

まして、日興は『本尊問答抄』を筆写(?)して、本尊を法華経の題目であるというのです。法華経の題目は妙法蓮華経なのであって、四菩薩を脇士とする寿量釈尊、さらに諸仏の師であるところであるというのが、その規模ではありませんでしたか。

以上からすれば、漫荼羅を一尊四士と見なすことは決してできないと思いますが、如何でしょうか。

ただし、日興が一尊四士を「ほとけ」としたのは、当然のことだと思います。しかし、それが「漫荼羅に記された首題と四菩薩」とは、いずれの文献も指示をしないのではないでしょうか。

2935問答迷人:2006/11/28(火) 20:20:04

>2933 漫荼羅には四菩薩が記されているから一尊四士であるとは、論理の飛躍ではないですか。

確かに論理の飛躍があるとは思います。ただ、これは御伝土代の文意によれば、という事です。
御伝土代では、どのような奉安式の仏を末法の本尊とすべきか、という論点の中で、「法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす」と述べて、脇士の無い一体仏を否定しています。そして、その次に「未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く」と述べて、「曼荼羅」=「四菩薩を脇士とした本門教主釈尊」を本尊とすべき事を述べています。さらに、「何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや」と御伝土代は結論付けています。つまり、「三身即一の有縁の釈尊」とは「本門教主釈尊」、「一体修三の無常の仏陀」とは、「脇士の無い一体仏」という対比です。
道師はこの文脈からみれば、大曼荼羅を法本尊としてではなく、仏として、本門教主釈尊として拝していたことが明らかであると思います。なお、御伝土代の文意から一尊四士と書きましたが、正確には、もちろん一塔両尊四士ですね。

2936問答迷人:2006/11/28(火) 20:29:44

>2934 日道上人は曼荼羅に顕された一尊四士像を「ほとけ」と拝していたこと。

これは今述べたとおりです。土代の文脈がそのように指し示しています。

>漫荼羅を一尊四士と見なすことは決してできないと思いますが、如何でしょうか。

これも今述べたとおりです。一尊四士に拘っているわけではなく、曼荼羅を仏と拝していたという意味です。一塔両尊四士と拝していたのだと判断できます。

2937問答迷人:2006/11/28(火) 20:38:37

>なぜ、突然、日道の話になるのでしょうか。

日道上人は日興上人に直接指導を受けた弟子です。日興上人のあり方が、弟子たる日道上人の著作に色濃く影響していると考えるからです。弟子が、何を以って「仏」と捉えていたかを探れば、師匠の「ほとけ」と表現された内容をうかがい知る事が出来ると思うからです。必ずしも一致していると断定しているわけでは有りませんが、有力な傍証足りうると思うからです。

2938犀角独歩:2006/11/29(水) 08:48:59

問答名人さん

記されることは、あくまで、御伝土代が日道の作であり、かつ、日道が日興に忠実であったという前提に基づく仮定に過ぎないでしょうね。ご自身お認めのとおり、論理の飛躍があります。

日道は、日興の弟子というのは、新六を言うのでしょうが、これを直ちに受け取ってよいものでしょうか。また、『御伝土代』に記される年代は、1333年とされますが、作者が日道であるということと併せて、この点、一考を要するはずです。この書が日時作であるとすれば、成り立たないところとなります。

> 弟子が、何を以って「仏」と捉えていたかを探れば、師匠の「ほとけ」と表現された内容をうかがい知る事が出来ると思うからです

こんな論法は成り立たないでしょう。もし、斯様な理想が実現されているのであれば、いまに至る師弟子の関係で、日蓮の考えが現在の弟子にそのまま伝わることになります。本弟子六人にしても、みな弟子ですから、日蓮と同意となることになりますし、となれば、弟子間で異撤が生じることはないことになります。けれど、実際は五・一相対などと称する事象が起きています。

以上の点からしても、『御伝土代』が日興の仏本観を反映したというのは、あくまでも仮定に過ぎないでしょう。

「一、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事。
小乗釈迦は舎利弗目連を脇士となす権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士となす、法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす云云、一躰の小釈迦をば三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦とも申すなり、御書に云く劣応勝応報身法身異なれども始成の辺は同しきなり、一体の仏を崇る事旁々もつて謂はれなき事なり誤まりが中の誤まりなり。
仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く意は罪を無間に開く云云、何そ三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀を執らんや、既に本尊の階級に迷う、全く末法の導師に非るかな。
本尊問答抄に云く。」

『御伝土代』の上記の文をもって、関連づけを試みておられますが、読み方に違っていると言わざるを得ません。この文章は、漫荼羅が一尊四士であるなどとは、記していません。法華本門釈迦は四菩薩を脇士とすることを言うのは、あくまで仏像の様式について述べています。そもそも、この段は一尊(釈迦)四士(四菩薩)のみを言うのではなく、その前文に、小乗釈迦、権大乗釈迦の仏像奉安も上げ、小・大・本、それぞれの釈迦仏像は脇士像を付すを是とし、それに対して、脇士なき釈迦を「三蔵を修する釈迦とも申し又頭陀釈迦」を非とし、対比している文章です。一尊四士のみを証しているわけではありません。まして、脇士の有無を論じるわけですから、並座の多宝を表す一塔二尊四士とは意を異にしています。

また、一尊四士を一塔二尊四士と言い換えられましたが、この両義は意味を異にします。一尊四士は、日興の義であることが知られ、また、たぶん偽書であろう『四菩薩造立抄』にも見られるところです。富士方、中山方にその濫觴を見ることが出来ることになります。しかし、一塔二尊四士は、京で起きた仏像奉安、また、「三宝さま」と称される二尊奉安は身延でのことであって、これらを日興義とすることは出来ません。つまり、一尊四士をイコール一塔二尊四士であるという認識は『御伝土代』からも、その他、日興義とされるところからも、いっさい、看て取ることはできません

2939犀角独歩:2006/11/29(水) 08:49:36

―2938からつづく―

『御伝土代』の該当部分の、先に挙げた前文に

「本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。
法を云へば妙法蓮華経の涌出寿量以下の十四品、本極微妙、諸仏内証、八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経なり」

とあります。一読すれば、明らかなようにまず教師として仏を挙げ、次に法を挙げています。つまり、土代作者は、仏を挙げ・法を挙げるという論の運びをしています。この点は「脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事」でも、同様でしょう。まず、仏につき仏像の奉安を述べ、次いで法について漫荼羅を論じるという別に立てています。

この仏と法が同じであると言うのが、問答さんの主張なのでしょう。しかし、仮に漫荼羅の前に一尊四士の仏像を置いていても、このような文章になるでしょう。

また、この段の末に、土代作者は「本尊問答抄に云く」と、その論拠を示します。この書には、

「釈尊と天台とは法華経を本尊と定給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とする」

ここでは明らかに釈迦と法華経の相違を論じています。
『本尊問答抄』をもって捌く、この段において、仏=法は成り立たないことになります。

なお、さらに付言すれば、問答さんは一尊四士=一塔二尊四士であるとのことですが、同抄では「不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊…。不空三蔵法華儀軌は宝塔品の文によれり。此は法華経の教主を本尊とす。法華経の正意にはあらず。上に拳る所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意」といい、二尊四士の御本尊が妙法蓮華経であるという論法になっています。

なおまた、同抄は、法華経の題目を本尊というのは、釈迦(仏像)に対するのですが、しかしながら、それが漫荼羅であるとの論究ではありません。あくまで、「法華経の題目」です。ここには四士も、釈迦多宝も簡ばれます。この点で、日道の考えとは実は違っています。日道は、仏としては一尊四士の釈迦仏像、法としては未曾有の大漫荼羅とするわけですから、『本尊問答抄』からは、ここでも飛躍があるわけです。

以上の点から、日道が漫荼羅を一尊四士とも、一塔二尊四士とも見なしていないと考えられますが、如何でしょうか。

2940犀角独歩:2006/11/29(水) 10:25:12

【2939の訂正】

誤)この点で、日道の考えとは実は違っています。日道は、仏としては一尊四士の釈迦仏像、法としては未曾有の大漫荼羅とするわけですから、『本尊問答抄』からは、ここでも飛躍があるわけです

正)この点で、土代作者の考えとは実は違っています。土代作者は、仏としては一尊四士の釈迦仏像、法としては未曾有の大漫荼羅とするわけですから、『本尊問答抄』からは、ここでも飛躍があるわけです

2941問答迷人:2006/11/29(水) 11:26:00

>土代作者は、仏を挙げ・法を挙げるという論の運びをしています。この点は「脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事」でも、同様でしょう。

そういう論運びに見えるのは、「一、天台沙門と仰せらる申状は大謗法の事。」に限ると思われます。他の論点では、そのような論運びはどこにも見当たりませんが・・・
しかも、当該部分も「仏を挙げ・法を挙げるという論の運び」ではなく、「本地は・・・上行菩薩」「本門教主は久遠実成無作三身」「法を云へば・・・一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経」「弘通を申せば後五百歳中末法一万年導師」という、蓮祖の「本地、教主、法、弘通」の各視点から、天台沙門の表現は間違いだ、と述べているわけです。「仏を上げ・法を挙げる」という順序は確かにその中に含まれていますが、論の運びがそうなっている訳ではないと思います。

「脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事。」の論運びは、まず、脇士について「法華本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす」「一体の仏を崇る事旁々もつて謂はれなき事なり誤まりが中の誤まりなり」と述べて、それが「未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ御本尊に背く」ことであり、「三身即一の有縁の釈尊を閣きて強て一体修三の無常の仏陀」に執着してはならないと結論付けています。いずれも本尊=仏についての論述であり、そこには、「法」との観点は見られないと思います。曼荼羅=法という捉え方は述べられておらず、日道上人がそのような見解に立っているとは思えません。

まず、この点、如何でしょうか。

これから出かけます。続きは夜に書き込みます。

2942犀角独歩:2006/11/29(水) 11:39:57

>2941

では、議論がややこしくなるので、仏・法という論の進め方になっていない、土代作者が、法=漫荼羅と述べていないという点は、譲ることにします。

その他の回答をお待ちします。

2943犀角独歩:2006/11/29(水) 11:48:46

一点だけ、補足します。

> 曼荼羅=法という捉え方は述べられておらず、日道上人がそのような見解に立っているとは思えません

この点は、わたしの文章が拙く伝われなかったようですが、土代作者は、『本尊問答抄』と明確に挙げていますので、そこで展開される法華経題目本尊観は、法を本尊とするものである以上、その脈絡から、土代作者は、南無妙法蓮華経(法)漫荼羅本尊観を摂取しているという意味です。

2944問答迷人:2006/11/29(水) 17:59:22

>一尊四士をイコール一塔二尊四士であるという認識

これは、僕の書き方が拙くて、独歩さんに誤解を与えてしまっています。そうではなくて、曼荼羅を仏と捉えていたか、法と捉えていたか、問題にしているのは、この一点です。僕は、文脈から、曼荼羅を仏と捉えていたと考えています。ただそれだけです。

この点について、後ほどもう少し詳しく書き込みます。

2945犀角独歩:2006/11/29(水) 18:20:34

> 2944

あ、なるほど。了解しました。
その線で、よろしくお願い申し上げます。

2946問答迷人:2006/11/29(水) 19:13:34

>その脈絡から、土代作者は、南無妙法蓮華経(法)漫荼羅本尊観を摂取しているという意味

これは違うと思います。確かに、本尊問答抄は法華経の題目を本尊すべし、と述べていますが、法華経の題目=曼荼羅では有りません。曼荼羅は、題目の他、諸尊が配置されて始めて曼荼羅であり、諸尊の配置が無く、ただ題目を認めただけでは、それはあくまでも題目に過ぎません。

この御伝土代の文脈では、題目を取り上げているわけではなく、あくまでも、曼荼羅本尊を取り上げています。題目は仏か法かと言えば、法ですね。それでは、曼荼羅は仏なのか、法なのか、という事が今の議論であるわけです。

そして、この御伝土代の文脈は、日道上人は、曼荼羅を仏と捉えていた事を示していると僕は思います。

如何でしょうか。

2947素人:2006/11/30(木) 05:37:02
我等の勤行の姿勢は正座合掌ですが、御影様は両膝を開いて座しておられます。
「端座して、実相を思え」とも聞いたこともあるし、時代劇を見ると将軍の前に進み、対する時でもあぐらであるようにも見えるし、往古の勤行の姿勢はどうだったのだろうかとふと素朴な疑問です。
どなた様かお教えください。過去ログにあったらすみません。

2948モトミナ:2006/11/30(木) 07:18:47
作家の秦恒平氏が、「日本経済新聞」に書いてあるので参考までに。

「天子も公家も武士も女も僧も神様も仏様も、古来、正座などしてこなかった。(ー中略ー)正
座というと茶の湯と、反射的に思う人が多かろう、が、利休の画像や彫像の遺例はみな正座など
していない。利休が正座をして茶をたてた例がかりに有ったにしても、禁中で天皇に捧げたとき
ぐらいで、おそらく秀吉の前でも浅いあぐらか軽い立て膝であったろう。(ー中略ー)元禄時代
ごろから、やっと日本人の生活に正座が定着したのは、衣服や家屋の変化、ことに厚畳の普及が
ものを言ったのだろう。徳川という近世支配が、いわゆる土下座に正座の名を与え‥‥云々」

ということらしいです。

2949犀角独歩:2006/11/30(木) 09:15:21

問答名人さん

一遍首題は漫荼羅ではないでしょうか。
墓石の首題、塔婆の首題、過去帳の首題もまた、略本尊であるというのは、通途の習いではありませんか。日蓮の筆法をもって、記されるところの妙法蓮華経の五字はすでに漫荼羅の意義を有するのではないでしょうか。もちろん、これは通論です。

土代作者が、では、漫荼羅をどう考えていたのかというのが、いまの議論です。
(本来の議論は、日興はどう考えていたかで、その前提として、土代ですが)

「一、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事」という文末は「本尊問答抄に云く」で終わっています。このような文の書き方は、あとは、本尊問答抄の如くであるという意味ですね。この点はよろしいでしょうか。つまり、作者は、曼陀羅・本尊を考えるのに、問答抄を証としているということですね。

では、当の問答抄において、(1)妙法五字を漫荼羅と見なしたか、(2)漫荼羅を本尊と見なしたか、(3)本尊を法と見なしたかという3点を考えれば、問答さんの問いには事足りることになりますか。

(1)妙法五字を漫荼羅と見なしたか
同抄に「法華経の題目を以て本尊とすべし」とあります。
この一文を読むかぎりでは、題目=本尊であるということです。では、題目本尊は漫荼羅かということになります。

問答さんは「法華経の題目=曼荼羅では有りません」としますが、概ね、この考えにはわたし賛同しますが、開合という観点からすれば、日蓮の筆法で記された首題は、合して漫荼羅の意義を籠もるということはあると思います。

(2)漫荼羅を本尊と見なしたか
ただし、作者が強調するのは「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ」という点です。これは、このように讃文された特定の漫荼羅を指すのか、もしくは漫荼羅図示のなかで「二千二百二十余年」を簡んでということなのか、この文章からではわかりません。しかし、問答抄の結論は「此御本尊は世尊説おかせ給後、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず」ですから、作者はこの点を少なくとも考慮しているとは思えます。

わたしは、この問答抄の結論部分で言う「本尊」が漫荼羅を指すという考えには、やや消極的です。しかし、この作者は、法華経題目、二千二百三十余年を記した漫荼羅を本尊と選定していませんか。問答抄の真意と言うことではなく、土代作者の意図はここにあると思えます。

以上の2点は、いまの議論の前提ですが、この点では、特に問答さんとわたしに大きな考えの相違はないと思います。その前提で進めますが、もし違っておりましたら、また、ご指摘いただければと存じます。

(3)本尊を法と見なしたか
もう少し、具体的に言えば、漫荼羅を本尊とみなし、その本尊(の首題部分、もしくは四士も含め)が仏か・法かというのが、いまの問答さんとわたしの議論であると受け止めています。

土代作者、日興も、漫荼羅(本尊)は仏を表していると考えていたというのが、問答さんのお考え、いや、法と見なしていたのだろうというのが、わたしの管見です。ただし、これは漫荼羅を本尊と見なすという前提に立った日興以降の門下の見解を採ったうえでの議論です。(わたしは漫荼羅を、ただちに本尊と見なす考えには消極的です)

では、考証を試みます。

『法華取要抄』に「如来滅後二千余年龍樹・天親・天台・伝教所残秘法何物乎。答曰 本門本尊与戒壇与題目五字也」と、本門本尊を秘“法”といいます。

『報恩抄』に「天台伝教の弘通し給ざる正法ありや。答云、有。求云、何物乎。答云、三あり。末法のために仏留置給。迦葉・阿難等、馬鳴・龍樹等、天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求云、其形貌如何。答云、一は日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱べし。此事いまだひろまらず。」と、ここに正“法”といいます。

三つの法門、三大秘法ともに、法と言うわけです。
(日興、土代作者の考える)本門本尊=漫荼羅は法ではないでしょうか。

2950藤川一郎:2006/11/30(木) 09:19:10
当時は正確には「あぐら」ではありません。
「あぐら」は足を組むのですが、殿中の作法では、両足を合わせる形です。
はっきり言って真似すると、辛い体勢です。慣れれば楽になるのでしょうが・・・。
昔の殿中は、御前でも総畳はありません。板に畳で出来たような丸い座布団のような物が備えてあり、そこにそれぞれ端座しました。
官位の低い方はそれすらありませんでした(冷たそうですが)。
また殿上人との謁見と、公家どおしの場でも足の合わせ方が異なるのですが、
文書では表現しにくいのですが(爆)。左右の下げ足の違いがあるようです。

2951問答迷人:2006/11/30(木) 13:56:14

犀角独歩さん

>日蓮の筆法をもって、記されるところの妙法蓮華経の五字はすでに漫荼羅の意義を有する

曼荼羅の意義ではなくて、本尊の意義ではないですか。そう考えれば本尊問答抄とも符合しますね。

> 曼陀羅・本尊を考えるのに、問答抄を証としているということですね。

これは仰る通りであろうかと存じます。

> では、当の問答抄において、(1)妙法五字を漫荼羅と見なしたか、(2)漫荼羅を本尊と見なしたか、(3)本尊を法と見なしたかという3点を考えれば、問答さんの問いには事足りることになりますか。

はい。了解です。

> わたしは、この問答抄の結論部分で言う「本尊」が漫荼羅を指すという考えには、やや消極的です。

僕はこれが、直ちに紙幅曼荼羅を指すとは思いませんが、仏像群曼荼羅を含めて、曼荼羅を指していると思います。
仏像群曼荼羅とは、紙幅曼荼羅の図の如く、将来建設されるであろう伽藍に安置される仏像群です。それは、一尊四士なのか、一塔両尊四士なのか、更に十界の諸像を加えるか、色々な形式が考えられると思います。それらの、紙幅曼荼羅を元として建造された仏像群は、立体曼荼羅であり、これらを視野に入れて、問答抄は「本尊」を述べていると思います。

> 三つの法門、三大秘法ともに、法と言うわけです。
> (日興、土代作者の考える)本門本尊=漫荼羅は法ではないでしょうか。

三つの法門という縛りでは、本門の教主釈尊も「法」として捉えられているわけですね。しかしながら、これは三つの法門という縛りでは、という限定が付いていると思います。「本門の教主釈尊」が仏か法か、と問えば誰でも「仏」と答えるでしょう。この縛りの意味をもう少し考えてみる必要が有ると思います。この点、どのようにお考えでしょうか。教主釈尊を法だとすれば、仏と法との区別はなくなってしまっているのではないでしょうか。

2952犀角独歩:2006/11/30(木) 16:37:10

問答さん

ようやくと確信に近づいてきました。

>> 日蓮の筆法…妙法蓮華経の五字…漫荼羅の意義を有する
> 曼荼羅の意義ではなくて、本尊の意義ではないですか。そう考えれば本尊問答抄とも符合しますね

そうとも言えますが、両方ではないでしょうか。
この点は、しかし、取り敢えず、置きます。

> 仏像群曼荼羅を含めて、曼荼羅を指している

重須、京方の文献からすれば、確かにそうなります。
先にも他スレで記しましたが、仏像では日蓮の漫荼羅は表せません。讃文の「二千二百三十余年」、咒とも思える経釈の書き込み、日蓮の御影は作れても、肝心の花押は仏像では表せません。しかし、問答抄の記述にあるとおり、仏滅年号は必須であり、また、「日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持ざらん者をば御用あるべからず」という点からして、漫荼羅における書き判は極めて重要な意味を持ちます。しかし、これを仏像で表すことは出来ません。わたしは漫荼羅と仏像では、そもそも意義が違うと考えます。

> 三つの法門という縛り

この縛りを設けたのは、ほかでもない日蓮その人です。

> 「本門の教主釈尊」が仏か法か、と問えば誰でも「仏」と答えるでしょう。

ええ、ここです、核心は。

> 教主釈尊を法だとすれば、仏と法との区別はなくなってしまっている

そう思われるでしょうね。しかし、先に挙げたとおり、日蓮は本門の本尊=教主釈尊を秘法、正法、法門であると言っています。つまり、この点は動かせないわけです。問答さんのお言葉を借りれば、“縛り”ということです。

では、観心本尊とは如何なることでしょうか。己が心に観じる寿量本仏です。十法界における仏・法界です。つまり、己が心に観る十界各衆生とは法ではないですか。すなわち、心法です。一念三千法門です。

では、五百塵点成道の釈尊の御前におわす菩薩が、現前に拝謁する仏は、己心の仏界でしょうか。違います。これは本師、仏です。

妙法蓮華経の五字は一念三千(法)の珠を裏むというのが、日蓮の教説でした。

では、仏像に表す本師釈迦牟尼仏は、己心の釈尊でしょうか。
わたしは違うと思います。五百塵点劫に下種をしてくださった本仏、つまり、我が心法とは別ではないですか。この仏が上行に所伝した妙法蓮華経を認めたのが漫荼羅であれば、これは仏ではなく、法ではないでしょうか。しかし、仏像と示す過去五百塵点已来の下種の本主は、慥かに仏です。

つまり、漫荼羅と仏像と、共に本尊ということは出来ても、その意義は、かくのごとく違っていると、わたしは考えます。この程度の相違を、日興がわからないはずはなかったと、わたしは考えます。

2953問答迷人:2006/11/30(木) 17:01:35

なるほど。そう捉えれば、矛盾無く整理できますね。少し考えさせてください。

それと、一つ、観心本尊が紙幅曼荼羅ならば、なぜ観心本尊抄に「曼荼羅」という言葉が一つも出てこないのか、不思議です。また、書き表す、という内容が書かれていないのも不思議です。仏像群の建立を期して、紙幅曼荼羅と、仏像群曼荼羅とを両方の基本原理を示したからでしょうか、不思議です。

2954問答迷人:2006/11/30(木) 20:53:55

犀角独歩さん

>つまり、漫荼羅と仏像と、共に本尊ということは出来ても、その意義は、かくのごとく違っていると

なるほど。ほぼ了解しました。

ここで疑問が湧きます。曼荼羅が本尊であると言う場合は、観心の本尊だとすると、仏像が本尊であると言う場合は、観心に対比するとすれば、教相ということになります。それでは将来建立されるべき仏像群曼荼羅は教相の本尊なのでしょうか。しかしながら、観心と教相と言えば、観心の方が、一重立ち入った、深い意義があるのではなかったでしょうか。観心の本尊を元にして、教相の本尊を建立するというのは、果たして、どういう意味があるのか、怪訝な気がしますが・・・。

或いは、教相と観心という対比ではなく、もっと違った捉え方をすべきなのでしょうか。

これについては、独歩さんは、どうお考えでしょうか。

2955犀角独歩:2006/12/01(金) 10:11:31

問答さん

敢えて、ご質問からずれて、前提を記したいと思います。
ここのところ、問答さんとの議論では、実はいくつかの隠れた根があると思うのです。

思いつくままに、挙げてみますが、一つには、れんさん、また、顕正居士さんなどが触れられた「漫荼羅設計図論」とも言うべき、富士の見解です。この考えは富士に留まらず、たとえば身延では日向が絵漫荼羅を描かせたとか、また、その後の一塔二尊四士像と言ったものも、ある意味、同様の脈絡にあるのかもしれません。富士方について言えば、日興の弟子分にこのような動向があることは、日興にその考えがあった。また、門下一般にその動向があったということは、日蓮もそのように考えていたという前提に、議論が進んでいると思うわけです。

しかし、わたしは違うと考えています。
というと、創価学会の如く、日蓮の正意は仏像にも、御影にもなく、ひたらす漫荼羅(彼らの言い方を示せば、御本尊)なのだと、誤解を招きそうですが、そうでもなく、漫荼羅と仏像の両立に本意があったと考えます。では、その漫荼羅と仏像がイコールの関係であるというのが、いわば「漫荼羅設計図論」ということなのでしょう。わたしは、これは違うと考えます。

以上の点は粗々記してきましたが、日蓮が漫荼羅と示すのは、上行所伝妙法蓮華経の授与を目的としている。では、漫荼羅図とはいえば、その妙法蓮華経が多宝証明の許に釈迦仏から上行の所伝された様を示しているのだというのが、わたしの見解です。日蓮の判の認められた妙法蓮華経を授与されることが彼の因果の功徳を譲与することなのだという、実に具体的な秘儀が、漫荼羅授与ということではないのかということです。漫荼羅は、紙と墨を使ってのものですが、この授与は一念三千という心法の授与ではないですか。妙法蓮華経の五字は紙に記された墨字ですが、それは容器です。中身は一念三千宝珠。これは仏が上行に伝えた心法です。そして、その授与の時を言えば、法華説教八品のことですね。(しかし、首題は五百塵点已来のことという、さらに一重立ち入った点はありますが、議論を簡潔にするためにこの点は置きます)

一方、一尊四士と刻まれる像は、木絵(草木)に仏菩薩の相貌を示すものです。
日蓮は、像だけでは三十一相しか表せないというのです。(木絵二像開眼之事)
ために梵音声を具すために、その像の御前に法華経典を置き、これを充足するを開眼といったわけですね。これは仏身です。では、四菩薩を脇士にする釈尊、その時とはいつですか。漫荼羅に図示されるの同様の今番法華の会座でしょうか。
わたしは、違うと思います。釈尊の成道、上行等が初発心の弟子となった久遠五百塵点成道のその時ではないですか。故に、そこでは一塔二尊四士の如く、多宝の証明など無用です。釈迦と四菩薩の直接の関係です。つまり、一尊四士は久遠のこと、一塔二尊四士は今番法華会座のことで、その意味は違うということでもあります。

2956犀角独歩:2006/12/01(金) 10:12:00

―2955からつづく―

漫荼羅は上行を介して妙法蓮華経という仏種を下すことでしょう。ここでは上行(日蓮)を能化とし、衆生を所化とします。しかし、一尊四士は久遠已来の師弟の関係、久遠下種を高々と謳い上げるところです。能化は釈尊であり、所化は上行等です。根元的、その意味が違っています。わたしが仏像に拘る理由はここにあります。漫荼羅は、久遠師弟、久遠下種を表に示していないからです。しかし、それは漫荼羅が不完全だからではなく、漫荼羅の前提に一尊四士の関係があるということです。ですから、漫荼羅と仏像、この両者は揃わなければ、日蓮の本意は完結しないということです。まず、これが一つです。

次に『御義口伝』の影響を色濃く受ける中世以降の富士方は、日蓮日興のあずかり知らないところを恰も、日蓮日興の教学であると思いこんでしまっているところが多々あります。「漫荼羅は仏である」という問答さんのご意見をお聞きし、わたしが直ちに想起したのは『秘密荘厳論』でした。

「自受用身者一念三千也。伝教云一念三千即自受用身自受用身者出尊形仏矣。出尊形仏者無作三身云事也云云」

『御義口伝』で引用される件です。この考えによれば、仏=漫荼羅という考えは容易く導かれます。しかし、わたしは日蓮にこの考えはなかった。また、日興の段階でも採用されていなかったと考えるわけです。それを端的に示すのが、実は『本尊問答抄』ではないでしょうか。これも一つです。

次に、石山方では日寛の五重相対の「種脱相対」にまるで誑かされてしまっています。このために、本門と観心の相対を見落としています。日蓮門下一般では、『開目抄』のそれを「教観相対」としますが、『本尊抄』では「迹門一分宣之不云本門与観心」というわけですね。

漫荼羅と仏像。この点を考えるうえで、問答さんもご指摘なさっていますが、実は、教観の相対、正確に言えば、本門と観心の本尊を、『本尊抄』において、巧みに説き分けているのにもかかわらず、富士方の門下教学に誑かされて、この点を見落としていることに、わたしは気づきました。これが、もう一つです。

たぶん、ここまで記せば、問答さんは、ご了解いただけるでしょう。
取り敢えず、ここまでとします。

2957犀角独歩:2006/12/01(金) 11:00:54

【2955の訂正】

誤)仏が上行に伝えた心法です。そして、その授与の時を言えば、法華説教八品のことですね。
正)仏が上行に伝えた心法です。そして、その所伝の時を言えば、法華説教八品のことですね。授与といえば、今時、末法です。

2958素人:2006/12/01(金) 11:37:29
モトミナさん、藤川一郎さん、ありがとうございます。
つぶやきスレッドですが議論の応酬がつづいていますのでチョット遠慮しておきます。
宗祖が祈られるお姿はどうなのだろうなというつぶやきです。
また、あわせて女性はどんな姿勢だったのだろう?と。

2959素人:2006/12/01(金) 11:41:10
重ねてすみません。ここは素朴な疑問でした。
つぶやきではありませんでした。おわびします。

2960問答迷人:2006/12/01(金) 12:05:04

>迹門一分宣之不云本門与観心

「竜樹・天親等は如何。答へて曰く、此等の聖人は知って之を言はざる仁なり。或は迹門の一分之を宣べて本門と観心とを云はず、或は機有って時無きか、或は機と時と共に之無きか。」

一尊四士は本門の本尊、曼荼羅は観心の本尊。このいずれも、竜樹・天親は述べなかった、という意味ですね。

そして、蓮祖の語句の使い方としては、「本門の本尊」=「仏像群」と「観心の本尊」=「紙幅曼荼羅」とは別だと。こういう理解で宜しいでしょうか。

ところで、この立て分けは、観心本尊抄では、蓮祖はどう記されているのでしょうか。

2961犀角独歩:2006/12/02(土) 07:23:37

問答さん

> 竜樹・天親等…知って之を言はざる…迹門の一分之を宣べて本門と観心とを云はず

つまり、この部分は『開目抄』の「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。龍樹天親知て、しかもいまだひろいいださず。但我が天台智者のみこれをいだけり」と対応するわけでしょう。

> 「本門の本尊」=「仏像群」と「観心の本尊」=「紙幅曼荼羅」

ここなんですが、直ちにこのように「立て分ける」ということではないと思うのです。
本門の本尊は一尊四士。観心の本尊は、本尊抄の段階では一念三千における仏法界。『本尊問答抄』では題目本尊へと経年して補完されていくということだと思います。

人本尊・法本尊と言われますが、十界論から捌くのに仏を人というのは不適切である、という提案は以前にしました。仏本尊・法本尊ではないか、というのが過去述べたことです。しかし、日蓮の真蹟から見ると、本門本尊・観心本尊であり、より具体的には仏像(一尊四士)本尊、題目本尊です。そして、後者は授与の形式として判形を為した漫荼羅となる次第です。

わたしは『本尊問答抄』を偽撰ではないのかと主張してきたのですが、しかし、観心本尊という側面から見れば題目本尊は、一連の脈絡と看取できました。

> 観心本尊抄では、蓮祖はどう記されている

同抄を改めて読むと「観心」という用語は、題名を含めて五カ所しかありません。

如来滅後五五百歳始観心本尊抄
観心之心如何。答曰 観心者観我己心見十法界。是云観心也。
迹門一分宣之不云本門与観心。

「観心者観我己心見十法界」は、「釈迦多宝十方諸仏我仏界…我等己心釈尊五百塵点乃至所顕三身無始古仏…当知身土一念三千…本尊為体」という一連の記述は観心本尊。

「正像未有寿量仏。来入末法始此仏像可令出現…本門寿量品本尊並四大菩薩」「本門本尊」

「此時地涌千界出現本門釈尊為脇士 一閻浮提第一本尊」は本門本尊と観心本尊の両意。

わたしは教観相対という語彙は、やや正鵠を得ていないと思えます。日蓮は教相をもちろん、語りますが、開観両抄を通じて、その使用はただ1回のみです。教相から観心に臨むと言うより、突然、極意に至る如く、観心を語ります。それも、本門から観心というより、観心から立ち帰るように本門を語る如くです。ですから、言いづらいのですが、本門・観心相対、本観相対とすべきだろうという思いがあります。それはそれとして、『本尊抄』の記述は、本門、観心、どちらを述べているのか誤読しやすく、さらに両意に亘る箇所もあります。
粗々ですが、以上のような次第であろうと思えます。

2962問答迷人:2006/12/02(土) 08:49:45

>本門本尊・観心本尊であり、より具体的には仏像(一尊四士)本尊、題目本尊です。そして、後者は授与の形式として判形を為した漫荼羅となる次第です。

なるほど。すっきりしました。そういうことなんですね。もう一度本尊抄を読み直してみたいと思います。ありがとうございました。

ところで、この粗方の結論が出たところで、日興上人が仏像を安置して拝んでいたかどうか、この結論から見直すと、この点はどうなるでしょうか。

2963犀角独歩:2006/12/02(土) 10:50:31

> 日興上人が仏像を安置して拝んでいたかどうか

ええ、今回の議論はここから始まりました。
この点を考えるに当たり、わたしは言葉の用法を注意しなければならないと思います。日興の記述から事実を考えるとすると、日興の言葉の用法から考えるということです。これを現在、わたしどもが使用してきた石山や、正信会の解釈、誤用といった植え込まれた富士門ならでは先入観を払拭し、虚心坦懐に当時の文をそのままに読むということです。この際、日興の語法の経年変化も考慮されなければならないわけです。

ところが実際のところ、日興の著述というのは、ほとんど伝わらないのであって、伝説と仮託ばかりが目立つわけです。しかしながら、日蓮の薫陶を受けた日興が、日蓮の語法と極端に齟齬を来すことは少ないだろうと考えられます。ただし日蓮から時を経た教学信仰体系そのものの変遷として、語法の変容は当然予想されます。

問答さんとのかつての議論で申し上げましたが、日蓮が漫荼羅を直ちに本尊と呼称することを常としていたのか、わたしはいまもって慎重です。しかし、日興は『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』という如く、漫荼羅を本尊と呼んでいます。また、御影信仰の勃興もまた、たぶん、日蓮在世には遡れないことではないのか思えます(この点は一考を要しますが)が、日興はこれを受容しています。以上のような経年変容は考慮されなければなりません。

今回の議論は、以上の前提から推定されなければならないわけです。
ここのところの議論考証は、日蓮における“仏”の語法を考えたものでした。通読すればわかるとおり、日蓮が漫荼羅を仏と呼んだ用法はありません。となれば、日興もその準じたというのは、無理のない判断と思えます。

さらに経年変化を考慮する必要はあります。日興の確実な著述とされるのは「『三時弘経次第』と『安国論問答』の二書」、その思想を伝えると見なしてよいのは「『富士一跡門徒存知之事』は大体『五人所破抄』と同調のものであるが日澄が日興の義を付嘱されたというように「追加分」が初めからあったとすれば、『五人所破抄』が重須系で成立したのに対し、『一跡門徒事』は大石寺系ではないかと思う。しかしこの両書は比較的日興の思想を伝えるものと思われる」というのが執行師の研究でした。これを考証してみる必要はあります。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_004.html

また、消息文は『日興上人』(継命新聞)に詳しく載りますが、正信会・興風談所における教学解釈は、日興正嫡、日蓮本仏という臭みがあるうえ、彫刻本尊の真偽も語れないお粗末なものです。古文書の識字能力は、教学力とは比例しない皮肉な見本となっているわけで、ここに載る解釈は依用に耐えません。

前置きが長くなりましたが、日興の「仏」という用法は、当の仏(如来)を指すものと仏像を指す範囲であって、漫荼羅=本尊=仏といった用法は、散見できません。用法が散見できない以上、ここにその実例を載せられないということになります。

日興が、漫荼羅を本尊と呼んだことは事実ですが、漫荼羅を仏と呼んだ証拠を、わたしは寡聞にして知りません。しかし、日興が御影信仰の人であったことは知られます。つまり、日興において崇敬される尊像画は、漫荼羅、仏像、御影の三種であったと考えられます。

では、その三種を、他にどのように呼び換えもしたか。漫荼羅は本尊、仏像は仏、もしくは本尊、御影は聖人といったところでしょうか。この語法から見るとき、消息文に見られる「仏聖人」とは、仏像と御影像であると考えられるというのが、わたしの見解です。

ただ、たぶん、ここで信頼できる資料として挙げられる『富士一跡門徒存知之事』、『五人所破抄』のおいて、仏像を造立を非難する記事が載るのに、日興が仏像を拝んでいたとは考えられないというのが、富士門下に刷り込まれた解釈だと思えます。しかし、ここでいわれる仏像批判というのは「一体仏」という限定を示しています。(この点は『御伝土代』も同様です)
しかしながら、門徒事追加八箇条には「日興が義を盗み取って四脇士を作り副ふ」といい、所破抄には「須く四菩薩を加ふべし、敢へて一仏を用ゆること勿れ」というわけです。

日興の義と言いながら、実際のところ、日興が釈迦仏像に四菩薩を副えていなければ、このような言説は意味をなさないことになります。以上の点から考えても、日興は一尊四士像を奉安していていたのだろうと考えられます。

2964問答迷人:2006/12/02(土) 13:29:51

犀角独歩 さん

明確ですね。了解しました。曼荼羅を懸けて、その前に一尊四士、そして一番前に御影でしょうか。なにか、日蓮宗の寺院でそのような配置を見た記憶が有ります。

しゅんかん さん

以上の如くですので、先の回答は撤回して、「仏像を崇拝していた」に訂正します。そうすると、まだお答えしなければならないご質問がありますが、少し時間をください。

2965問答迷人:2006/12/02(土) 22:56:50

>2917 独歩さんに以前お尋ねしました所、興師は仏像崇拝をしていたとの
お言葉を頂きました。そこで疑問に思ったことがありました。

>他の掲示板で見かけたのですが、精師(十七世)が謗法を働き、寛永十五年(一六三八年)下谷常在寺の再建並に造仏をしたと記してあり、 後年、俊師(二十二世)啓師(二十三世)が撤去したと思われる。と言う文面をみかけました。 当掲示板でもこのような内容の物を論じられた事がありますか?

当掲示板では、精師の造仏について、特に詳しく議論した事は無かったように思います。

>興師の時代には仏像崇拝をしていた。精師は謗法を働いた(事実なら)のであれば何時の時代ぐらいまで仏像崇拝が続いていたのでしょう?精師の造仏は事実と思思わますか?

精師は京都要法寺の方です。要法寺で、造仏は当然のこととして行われてましたから、精師が造仏しても何ら不思議は無いと思います。

造仏がいつまで行われてきたかは定かではありませんが、第四世の道師の段階では、既に造仏は行われなくなっていたのではないか、と思います。

2966犀角独歩:2006/12/03(日) 07:18:40

問答さん

今回も有意義な議論が出来ましたことを嬉しく存じます。

通途、漫荼羅を懸けっぱなしにしていたのか、それを拝んでいたのかという点で、わたしはやや疑問を懐いております。板に彫られるのは、日有の頃からでしょうか。それ以前、当初は板張りされていたという話もありますので、やはり、奉安しっぱなしということなのかもしれません。けれど、掛け軸に仕立てるということは、懸けたり外したりという便宜であり、その形を残すことにある意味、その扱いの原形があるのかと慮ったりもします。

仏像、御影像は、絵像の可能性も高く、そうなると、堂を分けて、それぞれに奉安、もしくは横並びに懸けていたとも考えられますね。

2967犀角独歩:2006/12/03(日) 09:24:46

やや小結しましたが、問答さんの「漫荼羅は仏」という着想は、しかし、頷く人は多いと思います。その理由は、『本尊抄』と『報恩抄』の対応でしょう。

本尊抄「其本尊為体 本師娑婆上宝塔居空 塔中妙法蓮華経左右釈迦牟尼仏多宝仏釈尊脇士上行等四菩薩」

報恩抄「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となる」

この文を比較すると妙法蓮華経=本門の教主釈尊であるように思えるからです。
しかし、果たして、そうでしょうか。

この対応関係を分析すれば、以下のようになります。
(図表が崩れて見える方は、http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html

┌──────────┬──────────────┐
│其本尊為体     │本門の教主釈尊を本尊とすべし│
│本師娑婆上宝塔居空 │×             │
│塔中        │宝塔の内          │
│妙法蓮華経     │×             │
│左右釈迦牟尼仏多宝仏│釈迦多宝          │
│×         │外の諸仏          │
│釈尊脇士上行等四菩薩│上行等の四菩薩脇士となる  │
└──────────┴──────────────┘

この対象からすると、まず「為体」は“ていたらく”を意味するのではなく、“本尊が体(教主)と為る”であることがわかります。
そして、教主釈尊に対応するのは妙法蓮華経ではなく、体であることがわかります。体とは仏=本体の意味でしょう。

では、妙法蓮華経に対応するのは、と、『報恩抄』の文を見ると、それがありません。これは「宝塔の内の釈迦多宝」が「宝塔の内の“妙法蓮華経左右”釈迦多宝」ということを意味するのでしょう。つまり、妙法蓮華経の五字が、略されていると解せます。

2968犀角独歩:2006/12/03(日) 09:45:30

―2967からつづく―

以上のように探っていくと、『本尊抄』『報恩抄』の文意における本尊は、単に本門本尊のみをあらわしているのではないことがわかります。

天台を迹面本裏、日蓮を本面迹裏と説明されます。天台は迹門を面(おもて)とし、本門を裏とした。日蓮は本門を表にし、迹門を裏にしたという意味です。

しかし、わたしは日蓮の法門、殊に本尊論は“本面観裏”、つまり、本門を面とし、観心を裏にするものなのだと考えます。

補完した『報恩抄』の該当の文で説明します。

「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の妙法蓮華経左右釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となる」

┌本門:教主釈尊を本尊(色形の仏像:一尊四士)
└観心:宝塔の内の妙法蓮華経左右釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士(心法を図す漫荼羅)

つまり、本門本尊は、観心本尊に裏打ちされる二重構造になっているということです。この観心を欠落して語られてきたのが、旧来の本尊論だったのではないでしょうか。

2969犀角独歩:2006/12/03(日) 11:01:15

2967の図をやや補完しました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/2967
(図が乱れるときはhttp://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html


   ┌───────────┬──────────────┐
   │本尊抄        │報恩抄           │
┌──┼───────────┼──────────────┼─┬───┐
│本門│其本尊為体      │本門の教主釈尊を本尊とすべし│色│仏像 │
├──┼───────────┼──────────────┼─┼───┤
│観心│本師娑婆上宝塔居空塔中│宝塔の内          │心│漫荼羅│
│  │妙法蓮華経      │×             │ │   │
│  │左右釈迦牟尼仏多宝仏 │釈迦多宝          │ │   │
│  │×          │外の諸仏          │ │   │
│  │釈尊脇士上行等四菩薩 │上行等の四菩薩脇士となる  │ │   │
└──┴───────────┴──────────────┴─┴───┘

2970犀角独歩:2006/12/03(日) 19:26:35

独学徒さんの掲示板におけるご紹介を受けて、さらに補完すれば、以下の如くです。再々にわたる訂正で恐縮です。
(同掲示板に御礼を記し、いただいたレスにも重ねて御礼を記そうと思いましたが、投稿数に限りがあるので、こちらで、御礼申し上げます)

   ┌───────────┬──────────────┐
   │本尊抄        │報恩抄           │
┌──┼───────────┼──────────────┼─┬─┬───┐
│本門│其本尊為体      │本門の教主釈尊を本尊とすべし│色│仏│仏像 │
├──┼───────────┼──────────────┼─┼─┼───┤
│観心│本師娑婆上宝塔居空塔中│宝塔の内          │心│法│漫荼羅│
│  │妙法蓮華経      │×             │ │ │   │
│  │左右釈迦牟尼仏多宝仏 │釈迦多宝          │ │ │   │
│  │×          │外の諸仏          │ │ │   │
│  │釈尊脇士上行等四菩薩 │上行等の四菩薩脇士となる  │ │ │   │
└──┴───────────┴──────────────┴─┴─┴───┘
(図が乱れるときはhttp://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html

『報恩抄』で「妙法蓮華経」が何故略されるのか、という点について、やや違う視点から記します。これはあくまで、試論ですが、『本尊抄』における「塔中」は‘たっちゅう’と読ませ、‘塔の中’の意と解されてきたのでしょう。『報恩抄』で対応するのは「宝塔の内」ですから、中=内ということになります。

しかし、この点は一考を要します。中とは‘あたる’という語法を有するからです。
つまり「塔中妙法蓮華経」とは、‘塔は妙法蓮華経に中(あた)る’という意味である可能性を有しています。しかも、この『本尊抄』の‘中’が、『報恩抄』の‘内’と対応すれば、中(なか)の意味を併せ被せて意味していると、わたしは考えます。

ややしく聞こえるかもしれませんので、簡潔に申し上げれば、『報恩抄』における‘宝塔’とは、直ちに‘妙法蓮華経’を意味するということです。ですから、ここに敢えて五字を記すまでもなかったということです。

なお、以上の議論は、『本尊と曼荼羅』スレッドの2005年5月頃の議論を参考にしてください。ここを基礎としています。問答名人さん、顕正居士さん、愚鈍凡夫さん、真部さん、ひたちさん等、また、他であったと思いますが、パンナコッタさん等の秀でた投稿が見られます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/

なお、この際、顕正居士さんからご教示いただいた行学日朝の見解を、今回の投稿の際で、わたしが忘却していると思われそうなのですが、もちろん、この点は十分に認知したうえで、敢えて、本門・観心立てで論攷しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/350
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40049288&VOL_NUM=00000&KOMA=60&ITYPE=0

2971顕正居士:2006/12/04(月) 13:37:28
本門の釈尊について

ひさしぶりです。ところで本門の(教主)釈尊の語には二義あります。

1 本門を説かれた釈尊 2 本門で説かれた寿命無量の仏自体

日朝や日寛の説は本門の釈尊に2種あるとするものです。
一個だという人がおりますが、その場合は 1 本門を説かれた釈尊 は始成正覚の釈尊と
変わっていない、多宝仏と並坐で本門の教主をあらわすのみだから、
本門の釈尊を 2 本門で説かれた寿命無量の仏自体 の意味だけに使うからです。

それで日蓮自身の究極的信仰対象は2種の本門釈尊のいずれかといえば、報恩抄の表現は
教主といって誤解を招くから、本尊問答抄で法華経の教主を本尊とはしないと明確に訂正した。

釈尊の本師は誰かという比叡山の質問に答えた唐決は名号毘盧遮那如来、国土毘盧遮那国とし、
つまり釈尊以前に人格的の仏は無いとしますが、円珍は無量寿命決定王如来だとしました。
この無量寿命決定王如来は阿弥陀仏の本地ですから、唐決では釈迦・阿弥陀が別仏になるのを
嫌ったのではないでしょうか。

日朝の説は円珍の説と日蓮晩年の修正に基づいたもので、合理的であるかと考えます。

2972犀角独歩:2006/12/04(月) 18:36:43

顕正居士さん

お久しぶりです。嬉しく存じます。
先にご紹介いただいた法華曼荼羅八葉九尊図、久遠寺の漫荼羅相伝資料から見つけました。国立図書館のものは、詳細に見えませんでしたが、こちらのほうは、よく読みとれます。ご投稿の内容とも関連しますので、アップしました。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/hokkemandarahatiyokusonzu.html


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板