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素朴な疑問
2967
:
犀角独歩
:2006/12/03(日) 09:24:46
やや小結しましたが、問答さんの「漫荼羅は仏」という着想は、しかし、頷く人は多いと思います。その理由は、『本尊抄』と『報恩抄』の対応でしょう。
本尊抄「其本尊為体 本師娑婆上宝塔居空 塔中妙法蓮華経左右釈迦牟尼仏多宝仏釈尊脇士上行等四菩薩」
報恩抄「本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となる」
この文を比較すると妙法蓮華経=本門の教主釈尊であるように思えるからです。
しかし、果たして、そうでしょうか。
この対応関係を分析すれば、以下のようになります。
(図表が崩れて見える方は、
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/msfont.html
)
┌──────────┬──────────────┐
│其本尊為体 │本門の教主釈尊を本尊とすべし│
│本師娑婆上宝塔居空 │× │
│塔中 │宝塔の内 │
│妙法蓮華経 │× │
│左右釈迦牟尼仏多宝仏│釈迦多宝 │
│× │外の諸仏 │
│釈尊脇士上行等四菩薩│上行等の四菩薩脇士となる │
└──────────┴──────────────┘
この対象からすると、まず「為体」は“ていたらく”を意味するのではなく、“本尊が体(教主)と為る”であることがわかります。
そして、教主釈尊に対応するのは妙法蓮華経ではなく、体であることがわかります。体とは仏=本体の意味でしょう。
では、妙法蓮華経に対応するのは、と、『報恩抄』の文を見ると、それがありません。これは「宝塔の内の釈迦多宝」が「宝塔の内の“妙法蓮華経左右”釈迦多宝」ということを意味するのでしょう。つまり、妙法蓮華経の五字が、略されていると解せます。
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