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素朴な疑問
2923
:
犀角独歩
:2006/11/27(月) 19:17:31
―2922からつづく―
「日興云聖人御立法門ニ於テハ、全ク絵像仏菩薩以テ本尊為サズ唯御書意任せて妙法蓮華経五字ヲ以テ本尊ト為可シ即自筆本尊是也」
といって、大曼荼羅と仏像との間に軽重を論じ、大曼荼羅正本尊を強調して仏像造立の不用を論じている。次いで更にその下には
「此御筆ノ御本尊ハ是一閻浮提未だ流布せず正像末未だ弘通ざる本尊也(乃至)六人一同守護し奉る可し、是偏広宣流布有時ノ、本化国王御尋有らん期まで深く敬重し奉るべし。」
といって、大曼荼羅そのものを願業の本尊とするものの如くである。これは前の「原殿御消息」に於て、仏像本尊の出現を所期とするものと全く相反するものである。従って本書に現れたる本尊意識は、本尊の実体を妙法五字にとるところの謂ゆる法本尊である。ところで「五人所破抄」には、「門徒存知事」のこれらの文に相当するところを
「日興云諸仏之荘厳同じと雖も印契に依テ異を弁ずべし、如来之本迹は測り難し、眷属を以て之を知るべし、所以ニ小乗三蔵之教主は迦葉阿難脇士ト為し、伽耶始成之迹仏は普賢文珠左右に在ス(乃至)図する所ノ本尊は亦正像二千之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也、当ニ今は迹化教主既ニ益無し、況多多婆和ノ拙仏哉、(乃至)執スルハ尚強チニ帰依致サント欲スレバ、須ク四菩薩を加ウベシ、敢えて一仏を用ルコト勿レ」
とあるが、この文に於ける本尊意識は果して、「門徒存知事」に現れたる本尊意識と同一なりや否やについては研究の余地があろうと思はれる。即ちこの「五人所破抄」の文は大曼荼羅と仏格との軽重を論じたものでなく、脇士に依って仏格を定めようとするものである。故に大曼荼羅対仏像の問題ではなく、大曼荼羅所顕の仏格本尊と、一体仏並に迹仏との優劣を論じたものであるとみるべきはなかろうか。然してこの文の末文たる「執者尚強欲帰依」云云の十八字は、大石寺6世日時の写本になく、また西山代師の直筆と伝う代師本にはこの文を抹消してあるとのことである。そこで、この十八字は果たして原本に存していたものか、それとも後人の加筆によるものかの疑いもある。
然し仮令この文があったとしても、「執者尚強」の文は一尊四士の仏像を指すのではなく、それは一体仏を指す意と解すべきであろう。かように考察し来れば「五人所破抄」に現れたる本尊意識は寧ろ前の「原殿御消息」の思想に近いものであるということができる」…
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_003.html
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