[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
素朴な疑問
2899
:
犀角独歩
:2006/11/03(金) 21:59:14
しゅんかんさん
> 私の家の曼荼羅には授与之とだけあり、〇〇授与之の〇〇が
空いております。これは開眼式をしていないからですか?
大量生産の印刷、仮本尊だからです。
ただし、それが学会頒布ではなく、石山末寺からのものであれば、開眼式は、いわゆる「本門戒壇の大御本尊」の前に積んで行ったことになっているはずです。
この慣習が、いつからできたのか知りませんが、日顕さんの時代からはやっていました。最も、このやり方は、日亨師の解説とは違っています。
> 破門前の学会時、そして正宗は開眼式をしておれば誰それに
授与したと名前が入るんでしょうか?。
わたしは、寡聞にして、こんなやりかたがあることは知りません。
先にも記したとおり、石山では漫荼羅か威厳に当たる方法を、日亨師は、以下のように記しています。
「此の判形こそ真仮の分るゝ所」
ただし、これは開眼と言うより、真と仮の差異であり、前者は石山住職の花押が認められたもの、仮はそれがないもの。ところが、印刷漫荼羅の花押まで印刷とは、矜持も何もあったものではないという感を懐きます。
> 独歩…曼荼羅
わたしが所持している石山の‘本尊’は日達さんの印刷仮本尊です。
「授与之」とあるばかりです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板