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素朴な疑問

2929犀角独歩:2006/11/28(火) 08:36:03

問答名人さん

2928について、わたしは、「批判」をしているわけではありません。
「日蓮正宗創価学会」員、「法華講」員であったという対外的視点は、考慮させざるを得ないという意味です。仏教を行じるというのであれば、そのもっとも基本にあるのは懺悔(さんげ)から始まると、わたしは考えるからです。無反省、過去の責任を負わないことでは仏道は成じ得ないとわたしは思います。「無慚無愧」では仏道になりません。けれど、このような掲示板を置かれる問答さんは、十分にそのような視点に立っておられる。ただ、そのような自画像が見えない人には気づきを待つという寛容のお立場からのご発言と拝します。

2929について。「いつ頃、誰が」という点については、あるいは、日興本人が重須に移って中盤以降から、もしくは存知事、所破抄などが記された頃、その著述者たちが。「何の目的で」という点は、むしろ、ご質問としては不適宜で、仏像を寄進するような十分な寄進が得られない状況下で、漫荼羅が徐々に本尊と見なされていき、さらに御影像信仰の勃興で、仏像の等閑視される経過があったためではないのかと想像します。

しかし、日興の消息などには、「仏聖人」といった表現は見られます。
石山や、正信会は、これを漫荼羅本尊であるというわけです。しかし、本当にそうでしょうか。日興の段階で、日蓮本仏論などまったく見られないわけです。また仏本尊に対して、法華経の題目(法)が本尊だというのです。とすれば、仏が漫荼羅を表すはずはありません。

では、何を指して、日興はそう書いたのか。すでに御影信仰が起きていたとすれば、ここでいう「聖人」は日蓮御影でしょう。では「ほとけ(仏)」はどうでしょうか。漫荼羅でしょうか。漫荼羅であれば、法ではないですか。つまり、仏とは、釈尊像を指す以外に考えられません。
つまり、日興が消息に、供養の品々を仏聖人に供えたというのであれば、そこには釈迦仏像と日蓮聖人御影像があったことを意味すると考えるのは、日蓮本仏、漫荼羅正意に汚染されていない目から見れば、当然すぎることではないでしょうか。故に、わたしは、日興が重須に移ったのちも、その宝前には仏像が置かれ、そして、御影像も置かれてあったと類推します。

むしろ、わたしが反詰したいのは、それほど、日興が漫荼羅を崇敬し、仏像を斥けたというのであれば、日興はいったい、どの漫荼羅を拝んでいたというのでしょうか。そのことこそ、まさに明確になってはいないのではないでしょうか。

日興が漫荼羅正意である、石山日目が漫荼羅正意であるというのであれば、その正意とされた根本の漫荼羅本尊とは何かを証すること、肝要になります。
「それは本門戒壇の大御本尊である」などという戯言は、既に問題外であることは言うまでもありません。

もし、日興が漫荼羅正意、日目が漫荼羅正意であるというのであれば、それぞれの根本崇敬の漫荼羅とは、日蓮のどの漫荼羅でしょうか。なお、後者、日目に関してですが、所謂、「御座替本尊」ではないかという類推は直ちに浮かぶことでしょう。しかし、わたしはこの可能性は、否定します。なぜならば、この漫荼羅は現在も客殿に懸かるのです。本堂に懸かる漫荼羅こそ根本であることはいうまでもないからです。

問答さん、如何でしょうか。


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