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素朴な疑問
2939
:
犀角独歩
:2006/11/29(水) 08:49:36
―2938からつづく―
『御伝土代』の該当部分の、先に挙げた前文に
「本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫、常在不滅、我本行菩薩道所成寿命、今猶未尽復倍上数の本仏なり。
法を云へば妙法蓮華経の涌出寿量以下の十四品、本極微妙、諸仏内証、八万聖教の肝心、一切諸仏の眼目たる南無妙法蓮華経なり」
とあります。一読すれば、明らかなようにまず教師として仏を挙げ、次に法を挙げています。つまり、土代作者は、仏を挙げ・法を挙げるという論の運びをしています。この点は「脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事」でも、同様でしょう。まず、仏につき仏像の奉安を述べ、次いで法について漫荼羅を論じるという別に立てています。
この仏と法が同じであると言うのが、問答さんの主張なのでしょう。しかし、仮に漫荼羅の前に一尊四士の仏像を置いていても、このような文章になるでしょう。
また、この段の末に、土代作者は「本尊問答抄に云く」と、その論拠を示します。この書には、
「釈尊と天台とは法華経を本尊と定給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く、法華経を以て本尊とする」
ここでは明らかに釈迦と法華経の相違を論じています。
『本尊問答抄』をもって捌く、この段において、仏=法は成り立たないことになります。
なお、さらに付言すれば、問答さんは一尊四士=一塔二尊四士であるとのことですが、同抄では「不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊…。不空三蔵法華儀軌は宝塔品の文によれり。此は法華経の教主を本尊とす。法華経の正意にはあらず。上に拳る所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意」といい、二尊四士の御本尊が妙法蓮華経であるという論法になっています。
なおまた、同抄は、法華経の題目を本尊というのは、釈迦(仏像)に対するのですが、しかしながら、それが漫荼羅であるとの論究ではありません。あくまで、「法華経の題目」です。ここには四士も、釈迦多宝も簡ばれます。この点で、日道の考えとは実は違っています。日道は、仏としては一尊四士の釈迦仏像、法としては未曾有の大漫荼羅とするわけですから、『本尊問答抄』からは、ここでも飛躍があるわけです。
以上の点から、日道が漫荼羅を一尊四士とも、一塔二尊四士とも見なしていないと考えられますが、如何でしょうか。
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