したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

2949犀角独歩:2006/11/30(木) 09:15:21

問答名人さん

一遍首題は漫荼羅ではないでしょうか。
墓石の首題、塔婆の首題、過去帳の首題もまた、略本尊であるというのは、通途の習いではありませんか。日蓮の筆法をもって、記されるところの妙法蓮華経の五字はすでに漫荼羅の意義を有するのではないでしょうか。もちろん、これは通論です。

土代作者が、では、漫荼羅をどう考えていたのかというのが、いまの議論です。
(本来の議論は、日興はどう考えていたかで、その前提として、土代ですが)

「一、脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法の事」という文末は「本尊問答抄に云く」で終わっています。このような文の書き方は、あとは、本尊問答抄の如くであるという意味ですね。この点はよろしいでしょうか。つまり、作者は、曼陀羅・本尊を考えるのに、問答抄を証としているということですね。

では、当の問答抄において、(1)妙法五字を漫荼羅と見なしたか、(2)漫荼羅を本尊と見なしたか、(3)本尊を法と見なしたかという3点を考えれば、問答さんの問いには事足りることになりますか。

(1)妙法五字を漫荼羅と見なしたか
同抄に「法華経の題目を以て本尊とすべし」とあります。
この一文を読むかぎりでは、題目=本尊であるということです。では、題目本尊は漫荼羅かということになります。

問答さんは「法華経の題目=曼荼羅では有りません」としますが、概ね、この考えにはわたし賛同しますが、開合という観点からすれば、日蓮の筆法で記された首題は、合して漫荼羅の意義を籠もるということはあると思います。

(2)漫荼羅を本尊と見なしたか
ただし、作者が強調するのは「仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内、未曾有の大曼荼羅なりと図し給ふ」という点です。これは、このように讃文された特定の漫荼羅を指すのか、もしくは漫荼羅図示のなかで「二千二百二十余年」を簡んでということなのか、この文章からではわかりません。しかし、問答抄の結論は「此御本尊は世尊説おかせ給後、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず」ですから、作者はこの点を少なくとも考慮しているとは思えます。

わたしは、この問答抄の結論部分で言う「本尊」が漫荼羅を指すという考えには、やや消極的です。しかし、この作者は、法華経題目、二千二百三十余年を記した漫荼羅を本尊と選定していませんか。問答抄の真意と言うことではなく、土代作者の意図はここにあると思えます。

以上の2点は、いまの議論の前提ですが、この点では、特に問答さんとわたしに大きな考えの相違はないと思います。その前提で進めますが、もし違っておりましたら、また、ご指摘いただければと存じます。

(3)本尊を法と見なしたか
もう少し、具体的に言えば、漫荼羅を本尊とみなし、その本尊(の首題部分、もしくは四士も含め)が仏か・法かというのが、いまの問答さんとわたしの議論であると受け止めています。

土代作者、日興も、漫荼羅(本尊)は仏を表していると考えていたというのが、問答さんのお考え、いや、法と見なしていたのだろうというのが、わたしの管見です。ただし、これは漫荼羅を本尊と見なすという前提に立った日興以降の門下の見解を採ったうえでの議論です。(わたしは漫荼羅を、ただちに本尊と見なす考えには消極的です)

では、考証を試みます。

『法華取要抄』に「如来滅後二千余年龍樹・天親・天台・伝教所残秘法何物乎。答曰 本門本尊与戒壇与題目五字也」と、本門本尊を秘“法”といいます。

『報恩抄』に「天台伝教の弘通し給ざる正法ありや。答云、有。求云、何物乎。答云、三あり。末法のために仏留置給。迦葉・阿難等、馬鳴・龍樹等、天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求云、其形貌如何。答云、一は日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝、外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱べし。此事いまだひろまらず。」と、ここに正“法”といいます。

三つの法門、三大秘法ともに、法と言うわけです。
(日興、土代作者の考える)本門本尊=漫荼羅は法ではないでしょうか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板