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素朴な疑問
2926
:
犀角独歩
:2006/11/27(月) 19:42:57
2924 問答迷人さん
この点は、既に何度も、論じてきたことですが、身延の宗廟に日蓮手製の一体仏が安置されていたことは、動かない事実です。日興が仏像を斥ける理由はありません。
消し去られてしまった事象を、証明することは困難ですが、むしろ、富士においては、本来あった日興と仏像の関係を消し去ったのに過ぎないのではないでしょうか。
わたしは、日興は、日蓮手製の一体仏を崇敬する故に第二転(なくなってしまったから、複製を作る」ことに反対したということは、むしろ、大いに仏像を崇敬したことを意味したのだろうと考えます。
また、日蓮がいずれのところは定めなかったけれど、未来、本門戒壇が建立された暁に立つ本仏釈尊像に思いを馳せ、一尊四士の義を示したのは、仏像を斥けたということではなく、むしろ、仏像を重視する故のことであったと考えます。
また、本尊抄に見られる如く、日蓮は僧は摂受をもって法の弘持に責務を置き、妙法蓮華経の五字を授与するところにその責務を置き、しかし、正法を信仰する王は、そこで初めて本門釈尊像を造立する役務を負っていると読めます。
仏像造立は賢王の仕事。故に日興は仏像を立てなかったという脈絡です。これは日興が漫荼羅正意から仏像を斥けたという意味にはなりません。
仏像を造立する賢王在家の四菩薩が出現していないために仏像が造立される時を日興が生きなかったという時系列を示すばかりではないですか。
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