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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

214いちりん:2002/08/08(木) 00:39
問答迷人さん

なるほど、たしかに書かれていますね。
ただ、「若悩乱者頭破七分、有供養者福過十号」の書体の雰囲気が違うので、あとから日蓮さんが書き加えたみたいな感じもするし。
あと、謗法がなんとかという言葉も、書かれていますね。

215犀角独歩:2002/08/08(木) 05:30

問答名人さん:

> 211

ご丁寧に有り難うございます。恐れ入ります。


いちりんさん:

「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」と記された聖人真筆曼荼羅は8幅現存するようですね。引用される経文・釈文は20種類近くもあるようでもあります。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/mandara_shakumon.gif
(季刊教化情報第12号 桐谷征一著『いま大曼荼羅の世界を考える』P20から転載)

216五月雨:2002/08/08(木) 08:44
問答迷人さん

ご友人が実際に見て、戒壇本尊に「有供養者福過十号、若悩乱者頭破作七分」が書かれていない事を確認されたのですね。
迷人さんが、質問をされてそれに対する僧侶の回答は本当にヒドイです。こうして誤魔化し続けてきたのでしょう。「日興上人がこう言われた、血脈付法のご法主上人がこう言われた」と嘘に嘘を重ねて今の宗門があると思います。
現猊下は「正直な信心」と常に言われているのは、ただのブラックジョークだったのか・・・嘆息つかせて頂きます。

>元々の御本尊に賛文が入っていたからに違いない

この元々の御本尊は一体どこにあるのでしょうか。これがあれば問題は一挙解決する気がします。

217五月雨:2002/08/08(木) 09:12
独歩さん

ご丁寧なご教示をいつも有り難うございます。私は「血脈付法のご法主上人」を不思議な力がある方だと捉えていました。大聖人様からのご内証をお持ちだから一般僧侶・信徒には分からない事が分かるのだと。「三十万登山は大聖人様の御命です」と猊下が言われた時、「血脈付法のご法主上人」だからそういう事が分かるんだと納得したものです。
大聖人様の法門が乱れない為に時の「血脈付法のご法主上人」が仏法の判断をするのだと聞いた事があります。確かに誰でも彼でも御書を勝手解釈してああだ、こうだと言い始めると宗内に乱れが生じると思うのです。だから今でもその点には引っ掛かるのです。信徒が御書を勝手に解釈してよいのだろうかと。反面、石山僧侶のテイタラク振りと信用ならん「時の血脈付法のご法主上人」の解釈はホンマに正しいのかと訝しく思うのです。複雑な心境です。
石山のおける相伝の実態、『三師御伝土代』についてよく分かりました。有り難うございました。

218いちりん:2002/08/08(木) 09:30
犀角独歩さん

>「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」と記された聖人真筆曼荼羅は8幅現存するようですね。引用される経文・釈文は20種類近くもあるようでもあります。

桐谷征一さんの目録で、よくわかりました。ありがとうございます。

あれを見ますと、日蓮さんは、いろいろな賛嘆文を書かれているわけですね。
そうして、「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」というのは、たくさんある曼荼羅のなかでも、現存するものは、8幅ほどであると。

これらを見ると、日蓮さんは、『法華経』や『涅槃経』などの文句を書いており、取り立てて「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」をしっかり書けと、わざわざ相伝することもないような気もしました。

どうして、冨士門流は、この文句にこだわろうとしたのでしょうね。

219五月雨:2002/08/08(木) 09:34
いちりんさん

横レス失礼致します。
私も信心を始めて以来、この二つの言葉でよく脅かされていました。「御本尊様にはこう書かれています。“若悩乱者頭破七分、有供養者福過十号”と。謗れば頭と心臓が七つに割れ、供養する者には功徳があります」と何かの折に聞かされたものです。

>「罰」と「功徳」で縛り上げているような感じもしますですね。

確かに縛り上げられて活動しなきゃと脅迫観念を持ちました。組織を離れた時も頭の片隅にこの言葉がありましたが、実際には周りの人間の期待にも反して罰にも当たらず平穏な日々を送っています。
どうして、大聖人様はこういう事を多く言われたのでしょう。慈悲の仏法には残酷な一面もあるのでしょうか。

>で、どうも、そういう信仰は、違うんじゃないかなあ、ということ

そうですよね、宗教は人の心を救ってほしいと思います。

220いちりん:2002/08/08(木) 10:23

五月雨さん
この文句は、もともとは『法華経』の「陀羅尼品第二十六」に出てきますね。

若し我が呪に順ぜずして 説法者を悩乱せば
頭破れて七分に作ること 阿梨樹の枝の如くならん

鬼子母神が、お釈迦さまの前で、誓うわけです。
『法華経』の教えを説く法師を守護します。そのために、悪鬼にやられてしまわないように、呪文を捧げます。そして、もしも法師を迫害する者があったら、わたしたちが、そやつの頭を七つに割ってしまいましょう。

阿梨樹(アルジャカ)という花があるらしいのですが、それは七つの花弁があるんだとか。見たことはないので、わかりませんが。

この七つと、南無妙法蓮華経の七文字と結びつけたりもするんでしょうね。

あるいは、頭上の七穴とも関係して、首から上に七つの穴があると。口一つ、鼻の穴が二つ、耳が二つ、目が二つで、合計七つ。その穴が病になるのだとか。

あるいは、心破作七分ともいって、物理的に頭が破壊されるというよりも、心が駄目になる。精神錯乱するなどと、言われてきました。

いずれにしても、おそろしいですね。
まあ、もとはといえば、『法華経』に罰と功徳の脅しと勧誘みたいなものが、たくさん書かれています。まあ「譬喩品」あたりを読んでみてください。

この『法華経』のもつ排他的なエネルギー、独善的なエネルギー、我の強さが、じつはおおもとの源泉であろうとわたしは思っています。

『法華経』はすばらしい経典ですけど、すばらしい部分と、厄介な部分がごっちゃになっています。まあ、いろんな人たちが、長い期間によってたかって作り上げた(もとの教えに、あれやこれやとくっつけたりしました)という成立事情にも原因があると思いますけど。

221アネモネ:2002/08/08(木) 12:46
横レス失を礼いたします。

犀角独歩さん

独歩さんがご紹介して下さった、桐谷征一著『いま大曼荼羅の世界を考える』の転載を拝見しますと、「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」と記された聖人真筆曼荼羅が8幅あって、そのうちの7幅にはあわせて「有開罪於無間、讃者積副於安明」という賛文も書かれているようですね。問答迷人さんがご紹介下さった御本尊にもこの賛文が確認できました。
よく似た意味合いのことだと思うのですが、ところが、私たちが下付されている御本尊には、私が見たところでは「有開罪於無間、讃者積副於安明」の賛文はないようですけれども、どうしてなのでしょう。
また、8幅のうちNo.59の御本尊もこの賛文がないわけですが、これも何か理由が考えられるのでしょうか。
また、この8幅ないし7幅において、たとえば下付された相手の状況などで何か共通する点などあるのでしょうか。
また、本尊集の番号がほぼ続いているようですが、この番号は年代順につけられた番号なのでしょうか。

もしも以前にもこれらについて書かれているようでしたから誠に申し訳ありませんが、今、ここで疑問に思いましたので、ご質問させて頂きます。よろしくお願いいたします。

222犀角独歩:2002/08/08(木) 16:01

アネモネさん:

曼荼羅に記される経文(釈門)に、なぜ差異があるのかは、よくわからないですね。

なお、桐谷師の所についている曼荼羅の番号は、その曼荼羅の写真が掲載されている『本尊集』の通し番号であろうかと思います。
いま、手許にその写真集がありませんので、どのような順番になっているのかはたしかめられませんが。

223犀角独歩:2002/08/08(木) 17:51

―222からつづく―

ところで、アネモネさんは「賛文」という言葉を使用されていますが、桐谷師はこれを単に経文・釈文と呼んでいます。何か固有名詞がついているのかどうか私は知りません。

なお、讃文は、同書によれば、以下のような変遷があるとのことです。

(1)「文永八年太才辛未九月十二日蒙御勘遠流佐渡国、同十年太才葵末酉七月八日図之。此法華経大曼荼羅、仏滅後二千二百二十余年、一間浮提之内未曾有之、日蓮始図之。如
来現在猶多怨疾況滅度後、法華経弘通之故有留難事、仏語不虚也」(佐渡始顕、本尊鑑3)

(2)「大覚世尊入滅後二千二百二十余年之間、雖有経文、一閻浮提之内未有之大曼荼羅也。得意之人察之」(文永11年7月25日、本尊集13)

(3)「大覚世尊御入滅後、経歴二千二百二十余年、雖尓月漢日三ケ国之間、未有此大本尊。或知不弘之、或不知之。我慈父以仏智隠留之、為末代残之。後五百歳之時、上行菩
薩出現於世、始弘宣之」(文永11年12月日、本尊集16)

(4)「仏滅後二干二百二十(三十)余年之間、閻浮提之内未有之大曼荼羅也」(同書P22)

また、他のロムの方にも参考に記せば、弘安期における仏滅年代「二千二百二十余年」「二千二百三十余年」の出入についても表が設けられています。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/butumetunendai.gif

桐谷師の同書の言おうとしていることは、日蓮曼荼羅には定型はないということのようです。山中喜八師の整理も上げ、現存127幅を山中師は107種に分類するけれど、これではもはや、定型はないのに等しいと見解を述べています。もっともだと思います。

では、石山は、「戒壇之曼荼羅(之)を書写し奉る」と言いながら、何故、それには記されていない「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」にかくも拘るのでしょうか。
(なお、奉書写之の之が、元来は戒壇之曼荼羅を指すのではなく、その書写した曼荼羅を指すことは、かつて重須資料に基づき記したとおりです)

石山は「内証を写す」などと言いますが、すると、戒壇之曼荼羅にないのに書かれる「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」が内証なのかといえば、そんなことではないだろうと思うわけです。

この点について、問答名人さんとも意見が一致したとおり、これは興師・弘安二年授与の曼荼羅にそのような書き留めがあったのであろうと私も想像します。もちろん、この曼荼羅は、いわゆる戒壇之曼荼羅でも、万年救護曼荼羅でも、禅師授与の曼荼羅でもない、かつて北山にあって盗難に遭い紛失した曼荼羅であろうというのが、先の問答名人さんと私の議論の結論でした。この曼荼羅に、たぶん、この釈文があったのであろうと思います。

もう一つ、これは本尊三度相伝に係り、私が留意している点ですが、文永9年大歳壬申正月元旦に興師に授与された曼荼羅(要法寺所蔵)には

問答第一行戒智徳“筆跡付法”の沙門日興に之を授与す

とあるといいます。この「筆跡付法」とは何を指すのか、いかにも本尊三度相伝の内容、あるいは曼荼羅に記す釈文「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」と記すことを付法することなのかと想像を逞しくしたいところです。

この点は『破愚邪立正論』にも、この点を論い、

一大事の仏法をば付属し相続する者は日興一人ならではと思ひ定め玉いて自ら御筆を染め玉へ忝くも本地寂光自受用報身如来の境智の尊躰大聖人の魂をさらさらと一幅の御本尊に書き顕し日興上人へ下され候、其の書に云く文永九年(壬)申正月元日、問答第一行戒智徳筆跡付法の沙門日興に之を授与すと書き印るし下され候此れ千万の法門も入らざる大聖多くの弟子あれども日興は四徳を備へたる故に我が一期の大事の仏法をば残らず付属する者なりと遊はされ候事唯我与我の御内証を顕し玉ふ御本尊なり

まで讃歎するのですが、しかし、この曼荼羅は文永9年なのです。
実に解を得ることが難しい点であろうかと思います。

224犀角独歩:2002/08/08(木) 18:18

【223の訂正】

誤)この点について、問答名人さんとも意見が一致したとおり、
正)この点について、問答名人さんが記されたとおり、

225アネモネ:2002/08/08(木) 22:54
犀角独歩さん

唐突な質問にも関わらず、ご丁寧なレスを有難うございました。
まずは「賛文」、私の意図したものではなくて、打ち間違いです。すみません。「賛嘆文」と「讃文」そして「賛文」はそれぞれ意味が違ってくるのでしょうか。

>文永9年大歳壬申正月元旦に興師に授与された曼荼羅(要法寺所蔵)

この御本尊にも「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」は書かれているのでしょうか。

質問ばかりで恐縮ですが、日興上人がしたためられた御本尊は全て「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」が書かれているとみて良いのでしょうか。
本当に古い法華講の家で、日興上人の御本尊をお持ちのお宅もあると聞きますが、「有供養者 福過十号 若悩乱者 頭破七分」が書かれているのかどうか知りたいような‥、また厄介な興味を抱いてしまうところです。

余談になりますが、「御本尊集」についていろいろ検索してみましたら、

日蓮宗 現代宗教研究所 Nichiren Buddhism Modern Religious Institute HOME 目次 現宗研所報 第29号 所報第29号:69頁〜 研究ノート ←前|▲|次→| 《研究ノート》 日蓮宗の本尊は、 なぜ解りにくいのか、 どうした
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho29/s29_069.htm

で、以下の文章をみつけました。内容がとても興味深かったです。一部、抜粋しますと、

【「百二十余幅の大曼荼羅は内容・形状共にバラエティに富んでいる。 「一紙のお曼荼羅」 (中尾尭 『ご真蹟にふれる』 日蓮宗新聞社) はお守りとされたかもしれない。 あるいは信徒の集会では、 何枚も継がれた大きな大曼荼羅を前にして教義の説示、 解説がされたであろう。 例えば、 『御本尊集』 (立正安国会) 中、 第十八番目の平賀本土寺蔵の大曼荼羅は両界の大日如来を勧請して、 真言宗に対する何等かの意図を示したのである。 大曼荼羅は単なる礼拝対象ではなく、 信徒に教義を伝える情報機能を併せ持っていたと見てよかろう。 」(三原正資氏著)
 
御本尊のこういう捉えかたも、けっこうイメージがつかみやすいなと感じました。

他にもいろいろな論文がありまして、面白かったです。日蓮聖人がかなり軍記ものの書物の影響を受けているといったものもあり、人間像に迫れるようでした。

日蓮宗 現代宗教研究所 Nichiren Buddhism Modern Religious Institute HOME 目次 現宗研所報 第33号 所報第33号:61頁〜 教化学研究 ←前|▲|次→| 日蓮聖人の『平家物語』受用を通して布教教化のあり方を考える 今
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho33/s33_061.htm

日蓮本仏論が崩れてから、かえって日蓮の人となりに興味が広がりました。蓮長の時代にも興味が尽きません。まぁ、その興味が信仰といえるものなのかどうかは、また別ですけれども、ドブチェクさんの「日蓮聖人の本尊観」のレスを読んでいて、気持ちがわかるなぁと思いました。

226いちりん:2002/08/09(金) 10:41
しかし、日蓮さんの曼荼羅は、いろいろと論議がありますね。
日蓮宗にあっては、冨士門流ほどのこだわりがないのでしょうが。

浄土真宗などは、南無阿弥陀仏の六字名号が本尊というようになつているかと思います。厳密には、阿弥陀如来が本尊であって、形にあらわれた「有相」のものにはこだわってないようです。

日蓮さんの曼陀羅も、「もうこれなくしては本尊の意味がない」というエッセンス中のエッセンスをとらえるとしたら、南無妙法蓮華経の七文字でいいんでありましょうね。

もっともプライオリティーが高いのは、南無妙法蓮華経の七文字。(さらに凝縮すれば、「妙法」さらには、「妙」の一字になるのでしょうが)

ついで、日蓮という字。そして、花押でしょうか。
ついで、釈迦・多宝の二仏ということでありましょうか。
そして、四天王(まあ結界的な意味で)とか。。

227川蝉:2002/08/09(金) 13:47
横から失礼します。

御本尊写真集である立正安国会刊「御本尊集」の通し番号は図顕の年月日順の番号になっていますね。

208 : 問答迷人 さんのコメントの中に
「僕の友人が、奉安殿で、最前列で御開扉を受けたときに、有供養者福過十号、若悩乱者頭破作七分が認められていない事を確認して、」
と有りましたが、
本化妙宗の高橋智遍師が「創価学会が真実ならー私は日蓮聖人の信仰をやめる(昭和35年刊)」において、大石寺の板本尊の座配を示しています。それによると「頭破・・」が有ります。
また、美濃周人氏の「虚構の大教団」においても、「今は大石寺宝蔵に眠る、昔からある戒壇の大本尊」として板本尊に「頭破・・」が有るとしています。

現在、問答迷人 さんのご友人が拝したという御本尊と別物と云うことになるようですね。

230問答迷人:2002/08/09(金) 17:33

川蝉さん こんにちは

いつも、貴重な書き込みを頂戴し、まことにありがとうございます。今後とも、よろしくお願い申しあげます。

>御本尊写真集である立正安国会刊「御本尊集」の通し番号は図顕の年月日順の番号になっていますね。

その様です。なお、ネット上の「御本尊集」は、この立正安国会の御本尊集をそのままアップしてある様です。通し番号も同じだと思います。日蓮正宗関連HPリンク集に文献・資料の「御本尊写真集」としてリンクさせてあります。

http://campross.crosswinds.net/GohonzonShu/001.html


>本化妙宗の高橋智遍師・・「頭破・・」が有ります。美濃周人氏・・「頭破・・」が有るとしています。

そうですか。友人の質問と、それに対する宗門高僧の回答が、「頭破・・」が無い、という点で一致していたので、戒壇板本尊には「頭破・・」が無いものと、考えておりましたが、有るという文献が有るわけですね。

実際はどうなんでしょう。戒壇板本尊の写真からは、有無は読みとることは先ず不可能でしょう、ぼけていますから。どなたか、大石寺戒壇板本尊の座配、讃文について、資料をお持ちの方、お示しいただけると幸いです。

231犀角独歩:2002/08/09(金) 17:35

> 本化妙宗…高橋智遍師…大石寺の板本尊の座配

これはいったい何を元にして座配を示したものなのでしょうか。
板曼荼羅の写真が公開されたのは後にも先にも明治44年(1911)熊田葦城著『日蓮上人』に1回だけ、今から91年前の小さな写真製版です。これを元に座配を予想されていますが、これらの信憑性は如何ばかりのものなのでしょうか。ここでは、「有供養者…」が記されていると断定されているわけですか。

孫引きですが、こんな記述があります。

一、大石寺板本尊之事、日憲参詣の時委しく拝し奉る。竪五尺横二尺四寸也。去(さ)て御勧請の次第は上段には釈迦多宝本化の四菩薩、次の段には文・普・薬・弥・舎・迦・大梵・釈提・大日月・明星、次の段には天・章・伝・転・阿闍・提、次の段には鬼子・十羅・天八、仏滅後二千二百二十余年○大曼茶羅也・日蓮御判、其の下に横
 右為現当二世造立如件
御判の右の脇に
 本門戒壇之願主弥四郎国重法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日云云
弥四郎とは波木井殿の事也。私云板御本尊を彫りしも御影も日法の御作也。」(日憲「当家諸門流継図之事」=立正大学編「日蓮宗宗学全集第18巻149頁」)

日宗全が手許にないので、詳しく当たれませんが、この記録では「有供養者…」については、まったく語られるところがありません。座配についての説明であるから書かれていないと言えば、それまでですが、特記すべき内容ですね、本来であれば。

ただ、川蝉さんが引くところと同様なものであるかどうか失念したのですが、私が過去に見た座配図にも「有供養者…」はあったように記憶しています。これは高橋師のものであったのかも知れません。

> 美濃周人…「今は大石寺宝蔵に眠る、昔からある戒壇の大本尊」

だいたい、この記述は何を根拠しているのかまったく不明です。私は40年も石山に関与していましたが、これを言い出したのは創価学会であり、紙幅正本ありと言ったのは久保川法章師です。しかし、これらはまったく裏の取れない、いわば“ガサネタ”の類のような気がしますが、どうなのでしょうか。

ただ、川澄勲師の文章などを読むと

阿部さんが丑寅勤行をしていることは、御宝蔵には今も厳然と本因の戒旦の本尊が坐すことを前提とした(仏道雑記  http://homepage2.nifty.com/houmonken/sub2.htm#0600)

などということが書いてあるので、「?」と思うわけですが、美濃さん辺りは、いったいどこから得た情報を書いているのか、まったく理解できません。

> 現在、…御本尊と別物

まあ、こう結論づける蛮勇は俄に起きませんね。
第一、レプリカとして作るとすれば、同じように作るでしょうから。

232犀角独歩:2002/08/09(金) 18:05

私がもっているいちばん大きな戒壇之曼荼羅の図です。

たしか虚構山幻想寺から落としたのですが、惜しいかなかここがなくなってしまったのです。ここに座配図もあったと記憶しています。

このサイト、すばらしい出来であったので閉鎖は残念でした。…知らないうちに私のサイトとリンクが組んであってびっくりさせられたものだったのですが(笑)
この虚構山幻想寺、また管理者の方の情報をご存じの方は、ぜひともお教えください。

私は、この戒壇之曼荼羅図を見て、直ちに思ったのは上段左右にある鶴丸です。
鶴丸が身延で使われていた?はずはないので、少なくともここの部分は後世のものであることは間違いないであろうということです。

また、第1段の座配は左右3行ずつ、つまり憲師の「釈迦多宝本化の四菩薩」の六尊、それ以上は記されていない気がします。

ほとんど、ぼやけてわかりませんが、釈文が書かれている余地はないように思えます。あくまで、そう見えるという話ですが。

233犀角独歩:2002/08/09(金) 18:08

―232からつづく―

失礼、ジャンプを入れ忘れました。以下です。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaidanmandara/kaidanmandara.html

234アネモネ:2002/08/09(金) 18:11
川蝉さん

こんにちは。よろしくお願いいたします。

>御本尊写真集である立正安国会刊「御本尊集」の通し番号は図顕の年月日順の番号になっていますね。

ありがとうございます。

>現在、問答迷人 さんのご友人が拝したという御本尊と別物と云うことになるようですね。

私も今年のお正月の初登山のとき、自分の目で確認してみたいと思い、一時間以上並んで前のほうに座って拝したところ、やはり「頭破・・」はなかったようんですね。
どういうことなんでしょう。昨日みつけた多くの論文のなかにも、たしか大石寺の大御本尊に「頭破・・」があるといったものがありましたが、これは勘違いではないのかな?と思って読み流しました。ますます不可解になってきました。

235アネモネ:2002/08/09(金) 18:13
問答迷人さん

「御本写真集」ありがとうございます。
いくつか見てみましたが、どれも「頭破‥」の向きが他のお文字と随分と違うようですね。

236アネモネ:2002/08/09(金) 18:28
富士年表でも本尊授与に本集と番号が記されてあり、また学会の方が運営されているサイト(?)で、もう少し詳しい年表をみつけました。
http://www.ginpa.com/karagura/nenpu8/nen8.html
http://www.ginpa.com/karagura/nenpu9/nen9.html

それを参考に「頭破‥」の入った御本尊を時系列にピックアップしてみますと。

1278年(弘安元年)
8月
*本尊を「日頂上人」に授与 (本集53・清水海長寺蔵) (要8-222) ・賛文「有供養者福過十 悩乱者頭破七分」・日興→日頂舎弟寂仙房日澄に付属 注57-08
*本尊を顕す (本集54・京都本能寺蔵) ・賛文「有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分」

11月21日
*本尊を俗藤太夫日長に授与 「有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分」 現存最大(243.9cm ×124.9cm) (本集57・岡宮光長寺蔵) 注57-11

1279年(弘安2年)
2月
*本尊を妙心に授与 (本集59・中山浄光院蔵) 「有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分」

*本尊を日目に授与 (本集60・桑名寿量寺蔵)(要8-222) [日興→新田卿公日目 (宗全2-112)] 「有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分」

4月8日
*本尊を「日向法師」に授与 (本集61・茂原藻原寺蔵) 「有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分」
        
7月
*沙門日法に本尊を授与 (本集65・沼津光長寺蔵)「若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号」

10月
*本尊を沙弥日徳に授与 (本集67・戸田妙顕寺蔵) 「若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号」

237アネモネ:2002/08/09(金) 18:30
(つづき)
一方、この時期で他に本尊集の番号のあるもので記載のあったもの、つまり「頭破‥」が入っていない御本尊は、

1278年(弘安元年)
3月16日
*本尊を顕す (本集47・中山法宣院蔵) [通称・病即消滅御本尊] [これより以降、十方分身諸仏、善徳仏の列座なし]
*4月21日 本尊を俗日専に授与 [本集48・京都立本寺蔵]
7月
*本尊を顕す (本集49・岩本実相寺蔵) ・当本尊以降、天照、八幡の2神の位置が定まる ・当本尊以降の花押、「ボロン」字に(御書の花押は5、6月頃より変化) 注57-06
5日
*本尊を沙門日門に授与 (本集50・京都頂妙寺蔵)
*本尊を顕す (本集51・京都本圀寺蔵)
10月19日
*本尊を顕わす。(本集56・京本圀寺蔵)
1279年(弘安2年)
4月8日
*本尊を優婆塞日田に授与(本集62・玉沢妙法華寺蔵)
*本尊を比丘日弁に授与(本集63・峰妙興寺蔵)
6月
*本尊を比丘尼日符に授与(本集64・中山法宣寺蔵)
9月
*本尊を優婆塞日仰に授与(本集66・和歌山蓮心寺蔵)
11月
*本尊を優婆塞日安に授与(本集68・沼津妙海寺蔵)
*本尊を沙門日永に授与(本集69・京立本寺蔵)
*本尊を優婆塞日久に授与(本集70・千葉随喜文庫蔵)

分類してみると、何かあるかなと思いましたが、残念ながら私にはわからないです。

238犀角独歩:2002/08/09(金) 19:09

> 優婆塞日安に授与(本集68・沼津妙海寺蔵

この曼荼羅を達師は戒壇之曼荼羅の臨写である(『板本尊偽作論を粉砕する』)と言っています。著者・安永師は、この曼荼羅を模刻したのが板曼荼羅という主張ですが。
つまり、この曼荼羅に釈文がなければ、ほぼないと見てよいような気がします。

ところで本尊集でみると68はaとbがあります。続けてみても、ほとんど同じように見えます。山口師が言う剥離法による正本と影本かなと思い、並べてみました。ほぼ似ているのですが、幅とか細かいところで違っています。これは真筆なのでしょうか。達師が臨写というもわかる気がします。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/myokaiji/myokaijimandara.html

239犀角独歩:2002/08/09(金) 19:17

>238

自己レス、この二つは座配も違い、別の曼荼羅なのですね。
しかし、68bは墨がべったりとした感じで、筆の勢いもなく、どうも真筆とは見えません。
まあ、素人鑑定ですけれども。

240犀角独歩:2002/08/09(金) 19:31

アネモネさん:

ここのところのアネモネさんの書き込み、なかなか情報性があって、面白いですね。
ジャンプ先を追うだけでもたいへんです。

241犀角独歩:2002/08/09(金) 20:28

問答名人さん:

先にご紹介いただいた御本尊集のサイトに、礼に日禅授与の曼荼羅は載っていますか。
何か見つからないようなのですが、お教えください。

242問答迷人:2002/08/09(金) 20:58

犀角独歩さん

>日禅授与の曼荼羅は載っていますか

僕も、それを探しましたが、見当たりませんでした。立正安国会の御本尊集には漏れているようですね。

243犀角独歩:2002/08/09(金) 22:41

242 問答名人さん:

あ、やはり、そうでしたか。
禅師授与曼荼羅、いわくありげですね、やはり。

達師の言を合わせて整理すると、戒壇之曼荼羅は禅師授与の曼荼羅を元に作成され、それを元に妙海寺曼荼羅が臨写された…とこうなります。

ところで、この妙海寺曼荼羅臨写説は達師の『板本尊偽作論』だけで読むと、68aの曼陀羅と言うことになるのですが、実際、全体のイメージからすると93の曼荼羅のほうが、ずっと似ています。「おかしい」と思い、『板本尊偽作論』そのものにあたってみました。

やはり、安永師が言うのは、こちら93の曼荼羅のほうでした。ただし、願主その他の着想を68aの曼荼羅から得たと言うのが安永師の主張でした。

試みに戒壇之曼荼羅を白黒反転し、妙海寺曼荼羅(93)と並べてみました。
確かに、よく似ています。が、細部では異なっているようです。

※以下に画像をアップしました。が、このような曼荼羅の画像の処理、比較などを不敬・謗法と感じる方は無理してみることはありません。また、戒壇之曼荼羅を「生身の日蓮大聖人・究竟の大曼荼羅」と思われている方には刺激が強いかも知れません。御覧にならないないほうがよいでしょう。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/myokaiji/hikaku.gif

このような比較を是非とも禅師授与曼荼羅で試みたいのですが、肝心の写真がありません。残念です。

244犀角独歩:2002/08/09(金) 22:54

―243からつづく―


大きさを比較すると

戒壇之曼荼羅 丈 四尺七寸五分 幅 二尺一寸五分
妙海寺曼荼羅 丈 三尺二寸七分 幅 尺七寸九分

となっています。戒壇之曼荼羅のほうが一回り大きいのですが、余白装飾部があるので、ほぼ同じくらいの大きさのように感じます。

仮に、もしこの二つが正本と臨写であったとしたら、どっちがどっちなのかということになりますが、妙海寺曼荼羅が真筆であれば、片方は木彫です。当然、妙海寺曼荼羅が正本と言うことになるでしょう。けれど、もし妙海寺曼荼羅が真筆ではない場合、戒壇之曼荼羅を臨写したことになるのでしょうか。しかし、この曼荼羅が真筆ではないというのは石山ばかりではないでしょうか。私は愚論を記すことは差し控えます。

245犀角独歩:2002/08/09(金) 22:59

―244からつづく―

ただし、243、244は単なる比較と資料の提示です。
問答名人さんが主張される禅師授与曼荼羅を臨写し木彫の下書きとするなどの可能性を否定するものではありません。

246問答迷人:2002/08/10(土) 00:18

犀角独歩さん

243の比較、興味深く拝見しました。よく似ているなぁ、と思いました。ただ、向かって右側の梵字と、蓮の字の右端との位置関係がかなり違っていますね。仮に十界の諸衆が、あとから書き加えられたと仮定しても、主題と梵字との関係は保たれると考えるのが至当でしょうから、やはり、よく似ているけれども、別の御本尊だと思います。如何でしょうか。

247犀角独歩:2002/08/10(土) 00:32

246 問答名人さん:

ほぼ賛成です。ただ、この大きな花押といい、その他の配列。
薄紙を乗せて、なぞるというのではなく、見ながら写すとこのぐらいの差はありかなと思うわけです。でも、全体的に戒壇之曼荼羅のほうが優美ですね。

禅師授与曼荼羅とも同じような比較をしてみたいですね。

いずれにしても、戒壇之曼荼羅が後世の作であるとすれば、一つのものをそのまま写したと言うより、寄せ集めた可能性もあるわけです。

唯一、私が戒壇之曼荼羅で評価するのは、この木彫は筆順がしっかり彫り込められている点です。あのややこしい花押も筆順がわかるわけです。想像で彫ったのかどうかは別として、この点はすばらしいとともに、それなりの水準を感じるわけです。

248犀角独歩:2002/08/10(土) 00:33

一つ、書き落としました。
やはり、戒壇之曼荼羅のほうにも釈文はないように見えますが、この点は々お思いになりますか。

249犀角独歩:2002/08/10(土) 00:35

やってしまいました。

248の訂正

誤)この点は々お思いになりますか
正)この点はどう、お思いになりますか

250問答迷人:2002/08/10(土) 00:37

追加です。

あと、明らかに相違が伺えるのは、主題の経の字と、日蓮との距離が戒壇本尊は接近しており、93は離れています。

また、経の字の右下端と、大廣目天の大の字との位置関係が違っています。戒壇本尊では、大の字の左下端に経の字の右下端が来ているのに対して、93では、経の字の右下端は、大の字のほぼ中央を貫いています。

251問答迷人:2002/08/10(土) 00:47

犀角独歩さん

>やはり、戒壇之曼荼羅のほうにも釈文はないように見えますが、この点は々お思いになりますか。

この写真で見る限りでは、一段目は、左右三行ずつですね、ここには、「有供養者云々」は認められていないようですね。二行目以下も、列衆だけで、そのような書き込みは見当たりませんね。恐らく、認められていないのではないかと思います。

252アネモネ:2002/08/10(土) 01:23
横レスを失礼いたします。

犀角独歩さん

>240)
 恐れ入ります。

>唯一、私が戒壇之曼荼羅で評価するのは、この木彫は筆順がしっかり彫り込められている点です。

筆順まではわかりませんでしたが、戒壇之曼荼羅からは確かに日蓮聖人の筆跡がはっきり見える気がしますね。黒字に金字が映えるからでしょうか、かなり遠くに座っても聖人のお文字の勢いが目に飛び込んできます。
演出ばかりではなく、そういうところも、心を動かしてきている一因かもしれないなと思ったりもします。

253アネモネ:2002/08/10(土) 01:25
252)訂正です。

誤→黒字に金字
正→黒地に金字

254犀角独歩:2002/08/10(土) 05:19

250 問答名人さん:

細かい点での相違があるのは、要するに臨写であれば、そのようなことは起きても不思議はないと思うのです。たとえば68aと68bの曼荼羅はよく似ていますが、横幅が違っています。しかし、全体的なイメージはよく似ています。これは、まあ両方真筆であるということなのですが、臨写ではこれぐらいの差は起きるだろうと思います。ただ、だから、戒壇之曼荼羅と妙海寺曼荼羅がその関係にあると即断するわけではありません。

252 アネモネさん:

石山の板曼荼羅は、筆順がしっかりわかるように彫られています。これは末寺の曼荼羅でもそうです。殊に板曼荼羅の場合、花押の筆順もしっかりとわかるわけです。これは興師のみが花押の筆順を伝えられたからであるとすら豪語するわけです。その真偽はわかりませんが、しかし、少なくとも、あの複雑な花押の筆順が彫り込まれていることは興味が惹かれます。

ただ、少し曖昧な記憶ですが、妙蓮寺の板曼荼羅も花押が彫られていたと記憶しますので、特に石山に限ると言うことではないのかも知れません。ただ、他門ではこのような彫刻の仕方をするところはなかったと思います。むしろ、「掘り下げ」と石山の彫刻を蔑視し、墨を削り取った点を強調し、非難しています。

別段、石山を擁護するわけではありませんが、あの彫刻の仕方は明らかに筆順を表すために有効であるとは思います。

255犀角独歩:2002/08/10(土) 10:18

画像を反転してみて、思ったのですが、戒壇之曼荼羅は妙海寺曼荼羅より、種子その他も優美で、かつ筆跡も明確。もし妙海寺曼荼羅に疑義があるとすれば、達師の言も捨てるべきではないと思いました。

河辺メモで取り沙汰される禅師授与曼荼羅も、このような比較はできるだろうと思いました。こちらは剥離法で正本と影本の2福がありながら、本尊集に載っていないようなのですが、写真は出回っていないものでしょうか。大きさその他の比較もしてみたいと思うのです。

それにしても、真筆曼陀羅と言われるものは、本当にすべてが真筆なのであろうか?という疑問が改めて沸きました。

いわゆる格式のある寺院が永年所蔵してきたなどといういわくがあるために、疑義があっても、古来からの真筆説がまかり通っているものも、いくつかあるなどということはないのであろうかと思ったりします。ただ写真集ができ、これだけ出回り、さらに山中師などの研究もあるわけで、いわる120余幅は日蓮門下の共通認識と言うことでしょうか。

戒壇之曼荼羅はいずれにしても、木彫なのであって、元より真筆議論に乗せるべくもありません。いったい、その元が聖人の真筆によるのか、あるいは真筆を模した筆を彫ったものであるのか…、素朴な疑問と言うより、なんだか複雑なことを書いていますが、知的好奇心には素直であろうと思うばかりです。

256ワラシナ:2002/08/11(日) 00:46
no180の無徳さんへ「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 13」

0、「フォーラム21」(11号)の「さよなら人間革命」という学会活動実録風
エッセイでは、無徳さんよりちょいと年上の60位の往年の学会男子部員の半生が
つづられた連載になっていて毎回これを読むのが一番の楽しみです。

1、その人はs’35年二十歳入信だったか。s’40年正本堂御供養には半年間の
飲まず食わずで給料の三倍、約10万?出したとか、のところの迫力が強烈に印象に
残った。生活面では中卒左官職人からスタートしてタテ線隊長までやって結婚。
バブル期までには自動車修理工場を経営して6人くらい使って順調だったが、平成に
入ってから破綻して、家屋敷処分して、小さな自動車修理業で再出発したが借金が
残った。

2、その時その主人公の苦境を見かねたかっての担当組織の男子部員だった人がいて
、現在中堅会社の幹部をやっていた。その人の縁故営業力で有力な得意先を紹介して
もらえた。そして、何とか経営が軌道に乗った、という話なのである。
その男子部員は30年前は司法試験かぶれの大学生で、主人公が何かと弟分のよ
うに面倒を見ていたのであった。

3、私はこの挿話に組織活動の偽らざる真実をみるのである。その男子部員は活動的
には当時から見れば落ち零れ評価だったのである。活動家の人物評価基準では「勉強
ばっかで、本当はもっと学会活動が必要なんだ今の彼にとっては、、」位に思われて
いたことであろう。
ところが、面倒を見られていた側の大学生の方では、「先輩学会活動ばかりやって
て、本当はもっと将来を見据えた勉強が必要な時ではないのかな、いくら中卒だか
らといったって、、」位に逆な評価基準で先輩隊長を低評価していた節が伺えたの
である。
なぜなら、30年後苦境の先輩を手助けするために再会したときには、かっての男
子部員は学会活動(正宗信仰そのものまでもかどうかまではわからなかったが)か
ら縁を切っていたからであった。

4、かっての自分が面倒を見ていた後輩の組織の一員に逆に面倒をみられる立場に
なってしまう事。これはよくあるケースで、だからこそ、年長者は後輩の将来の成
長を見据えて気を配る必要がある。だが、ここで私が注目したいのはちょっと違っ
た角度であって、アネモネさんが評したように「かえって組織活動を適当にやって
る人のほうが」仕事と信心のバランスが上手い具合になってる、、という観察が否
定できない、、そのように映って見える現実がある、ということなのである。
活動にのめり込むように我を忘れている信心の先輩の姿勢に何か健全でない、ふに
落ちないものを感じても、その瞬間にはその先輩には遠慮して言い出せない後輩。
ここには5,6年の年長差のある青年同志の心にある「永遠の通い合いと行き違い」
のようなものが見える。その当時はお互いがこれでいいのかな、とチラっと感じた
だけで、この先どちらの生き方が、という勝敗まであらそう積もりはないから、もっ
ぱら自己主張の権利は先輩だけが独占してしまったであろう事は容易に想像できたの
であった。

5、組織活動、講中信心活動にのめり込むのではなく、かといって否定するつもりも
全くない、さめた感じの人々が組織にはいた。当時、活動中心主義だった私にはこの
人々の生き方の価値がなかなか分からなかったが、ふとしたきっかけで徐々にわかり
かけてきた。

6、とりあえず、うそかほんとか確認できませんが信心活動停止した後輩の援助で仕
事が旨くいったというエッセイの紹介をした次第です。(h14/8/10)

257いちりん:2002/08/11(日) 01:09
わたしは、フリーで仕事をしてきて12年くらいになりますけど、まあつくづく感じるのは、

●チャンスというのは、たくさんある。けれども、なかなかそのチャンスを活せない。
 そのとき、こちらに実力がそなわってなかったり、金がなかったり。忙しかったり。
 実力というのは、チャンスを生かす力だなあと思いますね。

●当たり前だという気持でいると、必ずしっぺ返しが来る。
 ありがたいなあという気持でいると、いい仕事が来る。
 けれども、あるがたいという気持でいると、いい仕事がくるから、ありがたいと思わなくちゃというのでは、いい仕事が来ない。それは、取引であって、純粋な心からの気持ではないから。

●まったくあたりまえのことだけど、やはりすべては人間関係だということ。
 こいついいやつだあ、こいつ信頼できるなあ、こいつは安心できるなあ。そのように思われる器があれば、それは仕事はきますよね。

●仕事というのは、楽しくないと努力が要るし、力が発揮できない。仕事を趣味にしてしまえるのが、いちばんいいのだけれども。それには、自分が楽しめる、力が発揮できる仕事を見つけなくちゃいけない。

●なにがあっても、天におまかせ、みたいな気持だとうまくいくみたい。
 一見、どないしょう。これは困った。えらいこっちゃ、というような事態になっても、あとになったらそのことでいい方向に行くということがある。だから、凡夫の浅はかな判断で、いまくいったとか、あかんとか決められない。

258アネモネ:2002/08/11(日) 03:21
ちょっと疑問に思いましたので、レスさせて頂きます。

「頭破‥」が入った御本尊の中で、本尊集53と60は、富士年表には記載されていないようなのです。特に60は先日ご紹介した年表によると、

1279年(弘安2年)2月
*本尊を日目に授与 (本集60・桑名寿量寺蔵)(要8-222) [日興→新田卿公日目 (宗全2-112)] 「有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分」

とあります。これを本尊集で確認してみますと、「大廣目天王の右側に日興聖人の添書が存在したのを、削損してある。今「王」字の鮎の中に「日興」の二字が残存している」説明がされていました。

大石寺の歴史スレッドの独歩さんの(163)のレスに、この御本尊のことについて書かれてありました。以下抜粋させて頂きます。

「気になるのは弘安二年本尊で

弘安二年太歳己卯二月日、釈子日目に之を授与す、(天王の点の中に日興の二字存在す余の御加筆の文字は後人抹却したるなり) 桑名寿量寺。

2月なので、土代の記述には当たらないのでしょうか。」

この御本尊は、最初、日興上人が授与された御本尊ということなのでしょうか。
桑名寿量寺は、日蓮宗のお寺のようなのですが、日目上人に授与された御本尊がどうして日蓮宗のお寺にあるのでしょう。また、どうしてこの御本尊授与については、富士年表に記載されていないのでしょう。

259アネモネ:2002/08/11(日) 05:01
今はどうなのか知りませんが、かつて自衛隊員に学会員がとても多かったと聞きました。自衛隊と学会はどちらも組織なわけですが、自衛隊組織での上下関係が、一方の学会組織では逆転していることが多かったということを聞いたことがあります。
ワラシナさんの256)のレスを拝見しまして、そんな話を思い出しました。

職場では、仕事の出来る人が尊敬され、法華講や学会では、活動に熱心な人が尊敬されるんですね。仕事の出来る人とは、一概には言えませんが、とりあえず会社に利益を上げる人ということで、これは数字で顕されるものといえます。一方、信心活動の場合はどうかというと、お寺によく来る人、唱題をたくさんする人、折伏をよくする人、そして御供養をたくさんする人といった具合で、どうやらこちらも数字で顕されるもののようです。
数字で顕されるということは、その優劣が目で見てわかりやすく、誰もが認めてしまうところですが、でもここが錯覚というか落とし穴なのでは‥と思ってしまいます。
他のお寺はどうか知りませんが、私のお寺には、いたるところに折れ線グラフや棒グラフの大きな紙が張られていて、まるで営業所のようです。

仕事の場合、これはどうしたって、利益追求からは完全に逃れられませんから、数字がつきまとうのが現実ですね。それから逃げることは出来ないと思います。
だけど、信心の場合は本当に数字なんだろうかって、私はいつも疑問に思ってました。数字で、人のことが判断できるものなのだろうかって。むしろ数字が邪魔をして、人間性を考えることが出来なくなり、数字によって、盲信させられているんじゃないかって思うくらいです。
実際のところ、数字に煩わされるのは、会社だけでウンザリと言いたいところではないでしょうか。あっちの数字もこっちの数字もとそんなに背負えるものではないですから、結局はどっちかに傾いてしまうんですね。好きなほうに傾くものかと思いますが、信心で数字を背負ってしまうと大変なことになるかもしれません。お寺の中の人間関係に競争原理が働きますから、往々にして人間性を阻害させてしまう場合が多いです。また、仕事で数字が背負えなくなるので、生活が破綻する危険もあります。しかし、そのことを誰にも相談することが出来なくて、そうなってくると精神面さえ壊れてしまうかもしれません。何のための信心だったのかということになってしまいます。
私なんかは、信徒は数字を背負ってはならないと思うんですね。私も信心歴は短いものの、かなり危険領域にいたと思います。

結局、仕事の場合もそうかもしれませんが、数字って負うものではなくて、追ってくるものかもしれない、つまり後からついてくるものじゃないかなと思います。

260ワラシナ:2002/08/11(日) 12:02
「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 14」

−リベラル中間層の存在ー
0、前回13−5で、「組織活動にさめた態度で臨んでいた人々の価値があることをきっかけに分かりかけてきた」と書いたがそのきっかけを書く。

1、学会を自分から飛び出して妙信講に移ったわけが正本堂問題にあったから、御供養勧募の事情には前から興味があって私は知りたがっていた。ある日学会経由で顕正会に入った人から40年秋頃の体験を聞いてみたが、意外な感想に驚いた。一部マスコミで強調された狂気じみた募金獲得騒動をその人は「体験していない」というのである。何でも中堅担当幹部がの供養金獲得目標を無視して「配下の会員に決して無理をさせない」という自分流の基準で処した為無理をした金額ではなかったから「いくら出したのか覚えていない」というのである。だから、顕正会員として正本堂募金のあくどさをつい強調してしまいがちな自分は拍子抜けしてしまったのであった。
 その後この種の事例はほかにも聞いたことがあった。

2、大げさに言えば、学会では40年代に入ると旧リトアニア領事の杉原氏を小さくしたような英雄が組織の中に育っていたようなのである。こう考えてみて初めてつぶれるつぶれるといわれつづけてきた学会が今もって崩壊しない理由がわかると思う。表題の、自分の頭で判断するリベラル中間層がかなりいるからである、と考えられるのである。言い換えれば、組織体制べったりそうに見えて、普段は目立たない,低評価されている彼らではあったが、隠れたところでは立派な自己主張を貫き、長い目で見た時には組織の存続、世代間情報資産の継承といった課題に於いては、彼らこそが目立たないところで大きな貢献をしていた事になるのである。

3、このような見方は私たちと同時代に隣国共産中国で起きた権力闘争紛争である、「文化大革命」に乗せられてしまった事への反省が背景になっている。権力者が人生体験なき若者を政治権力闘争にあおり彼らから真の青春の楽しさ素晴らしさを奪ってしまった事への反省である。建前だけの急進革命派に長い間圧殺されてきた実権派の価値に気がついたからであった。
私には「正本堂問題」と「文化大革命」が重なって見えるからつい言ってしまうのである。

4、結局、どの集団,教団でもよいがリベラル中間層が育っているかどうかが大事なのだと思う。
(h14/8/11)

261ワラシナ:2002/08/11(日) 13:28
no259 アネモネさん

>私も信心歴は短いものの、かなり危険領域にいたと思います。

とのことですが、これは後から振り返ったとき言えることで、危険領域のさなかにいるときには、危険とは感じられないみたいです。往々にして本当に危険なときは絶望的なくらい孤立していますから一人で苦しむ。
。かっていた顕正会では「機関誌の立替」という有名なご奉公があり、これは「前回同様1割増という機関誌啓蒙のノルマ」のために一人で多部数取らざるを得ない修行なんですが、機関誌集計日の集会の陰惨な情景を思い出すたびに今でも恐怖で脂汗がにじむ思いがします。
ところがその当時はそうやって苦しんでいる事こそが修行と思っていますから、変なゆがんだ形の達成感で充実してたりするんです。
あれは恐ろしかった、などとは今始めて口に出せることで。

262犀角独歩:2002/08/11(日) 13:42

258 アネモネさん:

曼荼羅に興師の筆が入ったものがすべて興師授与の曼荼羅を他に譲ったという意味ではないと思うのです。しかし、この辺の事情は憶測の域を出ません。

富士年表に載らない曼荼羅、よくお気づきになりましたね。
なかなか興味深いところです。

> 桑名寿量寺は、日蓮宗のお寺のようなのですが、日目上人に授与された御本尊がどうして日蓮宗のお寺

このようなことは往々にしてあるのではないでしょうか。
桑名寿量寺の縁起は私は存じませんが、第一、曼荼羅は市価で取引されることもあり、また、寺院があとから流れを変えることもあったでしょうね。

仮に興門から他門に変わったとき、興師の筆を卑下・侮蔑し削り取ることは起きえたのではないでしょうか。石山末寺曼荼羅にあった「法華総講頭池田大作」の名を漆で埋めてしまうようなものです。

263いちりん:2002/08/11(日) 15:13
わたしなりに「危険領域」ということを考えてみましたが、
「選択肢・オプションがない生き方」という状態かなあとも思います。

オウムの出家信徒が言っていたことで印象深かったのは、
「ここを離れたら、どこに行ったらいいのかわからない。ここしか、人生はあり得ない」
ということばでした。

で、これは、オウムのみならず、ほとんどの人にもいえることで「サラリーマンの人生しかありえない」「この会社以外の人生はありえない」という人も多いですし、
そして、宗教になったら、まさにこの「教団以外に、行くところがない。この組織以外には、人生はあり得ない」という人は、とても多いと思います。

組織を離れたら、路頭に迷うとか、地獄に堕ちるとか、罰に当たるとい恐怖もありますし、それまでの人生において、絶対に正しいと信じ込んでいますから、それ以外の選択肢がないんですね。

で、これは「依存」ですね。「執着」ですね。とても「不自由な生き方」です。

どんなときにも、どこにあっても、いろんな選択肢がある。
まあ、なんとでもなる、どうにでもなる、という生き方、それが自由な生き方だと思いますね。
もちろん、組織で生きるのも、選択の一つですね。

要は、「それしかない」という選択の狭さ、そこに落ち込むと、危険領域ですね。
どこにも縛られないし、依存しない生き方を、ブッダは説いているのだと思います。

ダンマパダに、こんなことばもありました。

ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。305

愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがいい。孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。――林の中にいる象のように。30

旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。61

264ワラシナ:2002/08/11(日) 20:21
「私にとっての危険領域」

最近やっと気がついたのが、「無意識的に陥っていた心の中の或る偽善」というやつです。「快不快、苦楽と言う最も素朴なレベルを感じたとおりに正直に表現しなかった誤り」
で、いってみれば、まずい料理をおいしかった、とまげて言うような心の癖、です。

これはたとえ一人になっても心に巣くっているものだから始末が悪いと思う。
本当に正直に感じたまま心と体を動かすのは難しいと思う。

265いちりん:2002/08/11(日) 21:21

>「快不快、苦楽と言う最も素朴なレベルを感じたとおりに正直に表現しなかった誤り」

自分の心に正直というのが、とっても大切だなあと、思いますよね。
おもしろいものは、おもしろい。つまらないのは、つまらない。いやなものは、いや。
それが、大切と思います。

なかなか宗教を学ぶと、理屈で頭がいっぱいになって、あれやこれやと理由をつけて、自分の心に不正直になることがあります。

ある方から、「三歳ごころが大切」と教えられたことがあります。
いろんな宗教団体があるけれども、学べば学ぶほどに、子どもごごろに帰っていくのがよいのだと。

自分の心、表面意識じゃなくて、深い心の底といいましょうか。
そこの部分で納得して、生きていく。

頭で考えるより、そういう身体細胞レベルとでもいいましょうか、身体感覚というか、腑に落ちるというか、そういう次元で、ものごとをとらえていこうとする。それが、大切だなあと、わたしは思っています。つまり、頭の智恵よりも、からだの智恵のほうが、より深くて正確であると。

本仏がどうたら、久遠がどうたらと理屈で探求しても、それを受け止める器そのものの、みずみずしさがなければ、意味がないのかも。
小難しい理屈よりも、朝の露の珠が、光にあたって輝きわたる。そんなところに、美しさを感じられる感性が大切だなあと。。

266犀角独歩:2002/08/12(月) 03:36

> まずい料理をおいしかった、とまげて言うような心の癖

戦前・戦後を通じて、日本人が美徳してきたことを、うまく利用して人を操ってきた宗教団体の構造を見事に言い表した言葉であると思います。

危険領域というのは、また当を得た表現であると思います。

私はこの言葉を聞いて、Karl Jaspers の妄想の定義をまた思い出しました。
「間違った考え」「強い確信」「訂正不能」
自分が間違った考えであるかどうかはなかなかわからないのです。けれど、自分が一度言い出したことを引っ込められない、訂正できない、さも確信ありげに語るなどの特徴が、自分が間違える可能性が計算されていない場合、間違いなく危険領域に入っているのだと思います。「確信を持て」は宗教団体では美徳ですが、精神衛生上では危険領域ということなのでしょう。

妄想という点ばかり、先頃来、私は論っていますが、しかし、「確信」世界の日蓮門下には、自己点検として意識しておくべき点だと思うのです。高橋紳吾師は

精神病理学的に、妄想の言語構造論的分析をすると、簡単に言うなら「妄想とは欲望が変形したものだ」

と話していました。「こうあってほしい」が拡大すると、自分の願望が宗教教義の絶対性の肯定に反映された結果、訂正不能となり、それがまた強い確信にもなっていくのでしょう。

信じているものは絶対であってほしい、祈りは叶ってほしい、だから、考えが訂正できないという相互関係が無限連鎖の抜け出られない呪縛を生んでいくのでしょうね。そうして、ついには、まずい料理をおいしかった=間違った教義を正しかったと自分に言い聞かせる精神の地獄にはまっていくのだと思うのです。

267アネモネ:2002/08/12(月) 23:45
262) 犀角独歩さん

ご説明ありがとうございました。
一瞬、これがもしや弘安2年の日興上人に授与された御本尊だったのでは?と思ってしまいました。もちろん、究極の本尊といったものを、いまだに追い求めているものではないんです。セーガンではありませんが、やっぱり、単純に「知りたい」からなんでしょうね。
何を知りたいかというと、それは突き詰めると人間の心の傾向性なのかもしれません。
大石寺の歴史って、知れば知るほど、とんでもないなぁというところが見えてくるわけですが、だけど実は、皆が持っている人間の心の傾向性、業とか性というものかもしれないなと思ったりもします。つまりは自分の中にもあるものなんだろうと思うと、余計に知っておきたくなるんですね。それこそ自己をみつめる、手懸りになるものかと思ったりもします。

268アネモネ:2002/08/12(月) 23:50
260 261 ワラシナさん

「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 14」−リベラル中間層の存在ー

すごい観察と分析だなと思いました。特に、

>普段は目立たない,低評価されている彼らではあったが、隠れたところでは立派な自己主張を貫き、長い目で見た時には組織の存続、世代間情報資産の継承といった課題に於いては、彼らこそが目立たないところで大きな貢献をしていた事になるのである。

私は、これすごく重要なことだと思います。
歴史的にきちんと追って確認したことではありませんが、キリスト教は宗教改革以降、ワラシナさんがここで指摘するようなリベラル中間層が台頭してきて、今日のようなある程度カルト的ではない組織の実現に至ったのではないかと思います。とはいっても、無教会派を主張する人たちもいるわけですから、組織悪的傾向が根絶されたものでもないのでしょう。

>権力者が人生体験なき若者を政治権力闘争にあおり彼らから真の青春の楽しさ素晴らしさを奪ってしまった事への反省である。

社会も人生をも知らず、ただエネルギー溢れる青年たちに、イデオロギーを仕込んで洗脳するとはいとも簡単なことで、スイッチを押せば、勝手に動いてくれる存在だったことでしょう。
私は、創価学会の躍進と、団塊の世代、そして学生運動が重なるんですね。私は、その頃小学生でしたから、詳しいことを知っているわけではないのですが、たぶん大半の同年代が影響を受けていると思います。どちらかといえば、反面教師のような感じでしょうか。私が高校生の頃、三無主義(無気力・無関心・無感動)とよく言われたものです。「しらけ派」という言葉もありました。
イデオロギーに対して熱くなったり、大同団結したり、連帯感求めるといったことに、なんかしらけてしまうんです。それが本心からなのか、どうなのかよくわからないです。ですから同世代で創価学会に熱心な人の心を、知ってみたいような気持ちにそえなります。
だけど、オウムに嵌ってサリンを撒いた実行犯の大半は、私たちの世代(昭和三十年代生まれ)でした。また、最近の変な殺人事件を起す犯人に、同世代の人が多いのです。これは青春時代に、変にしらけてしまったことの、しわ寄せがきているのだろうかと思ったりもします。何か屈折しているんですね。
世代の問題ではなく、このへんのバランス感覚というのは、とても大事だなと思います。

269ワラシナ:2002/08/13(火) 23:06
「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 15」

*-1今回は若干経済から離れた話題だが、深い話題なのでここに含めさせていただいた。
*-2主張命題「私は宗祖仏法の特徴をその実行面から観察すれば、それを「当たり1/4、外れ3/4位の比率の、服用法が難しい特殊な漢方生薬、或いは香辛料一般の持つ効能」に喩えられると考える。」

0、前回「信心即生活」を理想的な形でやってのけている信者は全体の四分の一程度ではないかとの予想を述べた。そこで今其の根拠を述べる。これは身近な教団現実を正直に観察したことから来ているものである。学会、顕正会、正信会、法華講の内、前三者は正式信徒として認められなくなってしまった事、これを言う。議論展開の上でとりあえずこういう乱暴な扱いしたまででを前三者に属する人々を差別したり見下したりする意図は毛頭ないのである。この四者は元全員が正式な正宗信徒であった事実を強調したいだけなのである。
そして、その四分の三が正式門徒としては脱落してしまった(或いはさせられたのか)事の意義を強調したいのであった。
 正しい信仰をしている信者のうち四分の三がおかしくなってしまった実績を数字で表現したのが「当たり1/4、外れ3/4。」の言葉なのである。けっして四分の三の異教徒がおかしくなったのではない。元からおかしかった人々ではないのであった。真面目にやっていた筈の正宗信徒の四分の三がおかしくなってしまった事実に注目したのである。あるいは当人からみればおかしな結果になってしまった事、としても良い。

1、この事実をもっと広く視野を広げて観察すれば「急速にはびこって急速にしぼみ、ある時期最初勢力の殆どがダメになる特徴」が日蓮系教団の歴史に観察出来ると思う。その例をあげれば、
1−1、御在世教団では、龍口法難の折の退転者の比率が「一千中990人(種々御振舞抄)」だったこと。
1−2、御宗祖滅後身延山での五一相対では六分の五がダメになった、という石山的史観があること。
1−3、佐渡御書では、「仏になるものが殆どいないくらい少ない、殆どがダメになる(趣意)」との宗祖のご発言がある事。
1−4、中世天文法難では洛中を席巻したほどの日蓮宗19本山が壊滅的打撃をこうむった事。
1−5、上古大石寺では70年間続いた東坊地領有権紛争の影響で衰亡の危機を迎えた事。
1−6、近代戦前の学会は当局の弾圧で大半が退転したこと。

1−7、更に現代に移って平成の宗門と学会抗争の結果、最大信徒数を抱えた学会が離れた為勢力が激減した事。

1−8、今度は量的に見るのではなく信者個人に注目して観察すれば、上の量的な激減の影響から免れる事は出来ない。個々の信者の人生履歴の上にも、よく観察すれば、「浮き沈みの激しい教団史に翻弄される」その特徴が顕れていると観察されるのである。
量的な見方で本質を代表してしまえば、大半の信者が「人の出入りの激しい教団」の中にあってその影響を受けているから、自分一人だけ平然と呑気な程の信仰人生を遅れた人は例外扱いされてしまうのである。

1−9、ここで二、三の信者信仰履歴を体験事例としてお名前を出しては申し訳ないと思うのであるが、掲示板公開の情報を利用させていただければ、

1-9−1、独歩さんの人生遍歴などはご自分で「人生を棒に振った」旨の宣言をされ、落とし前をつけていらっしゃる事でも明らかなように「人生の最初の四分の三が失敗であり、残りの四分の一程度が成功(或いはもっと失敗率が大きい)」、として観察される、、と思う。

1ー9−2、ついで無徳さんも似たようなもので、「人生の最初の四分の三が失敗であり、残りの四分の一程度が成功」、として観察される

1ー9−3、私ことワラシナなど自分で今から総括すれば13年学会+19年間顕正会の32年間が失敗であり、平成11年法華講移籍の3年間が成功という感じをもっている。もちろん当時は「最高の大当たり!!我が青春に悔いなし」人生だと思っていたし、中盤19年間の顕正会人生は「死ぬ気本気」だったから今でも「当たり人生」の感を持っているが、、、、、。但し、今から思えば欲が出て平成元年頃顕正会を除名されてしまった方が良かった、という後悔が出てきた。

以上、時間的な尺度でいえば、一部の浮き沈みの激しい信者に関して言えば、「人生の最初の四分の三が失敗であり、残りの四分の一程度が成功」と評し得ると思う。これは「42年間権教方便で後八年法華真実」の権実相対教判にチョット似ていて面白い。これによれば偽ものの人生期間の方が長いのが当たり前なのかもしれない。もちろん人生の最初から大当たり人生の人も居ると思うが。
勿論ここで使った「あたり、成功」「外れ、失敗」とは、飽く迄「理想的な信心即生活の実現如何」の観点のみに注目しているものである。
(続く)

270ワラシナ:2002/08/13(火) 23:11
「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 15」(続きA)

2−0、「当たり1/4だけに注目して、外れ3/4に目を瞑るのではなく、逆に外れ3/4だけに注目してに当たり1/4に目を瞑るのではない。」この全的見方の自然さをなんとか美味い具合に表現する事は出来ないものかと前から思案してきた結果思いついたのが、タイトルの「宗祖仏法信仰の効き目というかその特質と香辛料や漢方処方の考え方とのアナロジー」だったのである。

2−1、
この考えの一番の利点は宗祖仏法を受付ようとしない(入信しようとしない)信仰拒否態度の自然さが適切に表現される点にある。

それは、「香辛料を全くつけないで食事ができる人の自然さ」として解されると思う。
ここでは香辛料としてラー油を例にとって、香辛料常用態度と信心態度との対応を私なりの観察してみる。

全くラー油を受けつけない人=信心拒否者
少したらして満足な人=信心即生活が美味くやってのけられる人
タン面の表面全体が真っ赤になる程かける人=10時間唱題毎日やる人

上の分類に示されたものの見方でで注意すべきは、すべての態度が任意、自由なものとして認められている事である。三者の誰もが他の態度を排斥する事が出来ないのである。少々垂らして満足な人からみれば、真っ赤になるほどかける人は普通は「馬鹿扱い」だろうが好き好きな世界だから否定は出来ない。

また、入信拒否者に正当性根拠を与えた考えだから、信心否定も自由とする分類ともなっている。

さて、この見方では香辛料常用の世界に入った事=すなわち信仰信者になった事を意味する。そこで「当たり」は分かるけど「外れ」をどう解釈するのかといえば、「香辛料の配分、かけ方に問題があったから」と考える。

2−2、この考えの2番目の利点は、「当たり外れ」を症状として見て、その原因を「個々の信者の体質の違い」と「生薬の配合・処方」のミスマッチと解釈できる点である。従って何故はずれが四分の三も出てきてしまうのか、は、元々「服用法が難しい特殊な漢方生薬」としての宗祖仏法そのもののあり方に四分の三も欠陥部分があるのではなく、服用する信者の側に対する「個々の信者の体質の違い」に対するノウハウに未開拓な部分が(現在から見れば)四分の三程度残っている為ではないかと思うのである。従って今後の取り組み如何では「外れ率」を激減させることが可能とする立場なのである。現状では服用法が完璧でないために外れが出ているのであって、将来的には外れがなくなり当たりばかりになると予想しているのである。

但し勿論、服用法の不適切さとは見ず、特殊な漢方生薬に喩えられた宗祖仏法そのものに四分の三もの欠陥があったからだとする解釈も否定はしない。

(続く)

271ワラシナ:2002/08/13(火) 23:13
「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 15」(続きB)

2−3、つい最近までの傾向では機根については一様に聞法下種だから「強いて説き聞かすべし」で乱暴に扱っていたのではないかと思われる。例せば、自分の体験では精神疾患系の信者に対しては各人の素質を考慮せずにはいられない。普通一般の信仰基準を押し付けると望むところの信心増大が得られず、失敗する。飽くまでその人にとっての快適さを保持しながら接する特殊なノウハウが必要なのである。

3−0、
このような「人間構造的な機根ノウハウの欠如」と1で指摘した「急速な繁茂の後に急速に落ち込む」教団史とは何か関係があるのではないかと予想するのである。

ここでいう機根とは天台宗教義にあったようなものよりもっと生々しいもので精神医学、精神病理よりの概念のものを想定していっているのである。これに対する顧慮が教界では欠けているように思う。この原因は無理からぬ事であった。なぜなら御書に登場する人物像の類型を見ればわかる。近現代人には濃厚な神経症的人物像がほとんど出てこないからである。禅定修行では悪しき症状とされる遅疑逡巡する人物像がほとんど出てこないのは当然かもしれないが、丸で頭の中では何も考えていないかのようで、思い立ったらすぐ行動しているような人物ばかり登場しているからである。まるで鎌倉御在世での人間性基準の常識というものが、「人間の思想とは意識になんかには無くではなく行動そのものなのだ」といわんばかりの見事な割切り方をしている人物ばかりである。これが当時の常識であったなら現代的な神経症的人間像、病理学的人間像へ肉迫する事はまだ無理だったのだ、と言えよう。
これを環境的に言えば、当時では思想の自由も表現の自由もそれほど無く選択肢がない状態だった、これが当時の常識だったからなのだと思う。
前に書いた「鎌倉遺文的に感受すること」とそれを「平成現代的に表現すること」との微妙なギャップとはこれである。

3−1、教界では人間の価値を何かの所産、何かからの結果で決め付けることに忙しい。決して人間を何かの能産・原因として扱おうとしていない。従って、人間それ自体の価値が信じられず常に疑う傾向である。だから人間それ自体の可能性探求には興味を示さない。「言われたことだけおとなしくやってりゃそれで良い」という人間観だから。
(h14/8/13)

272ワラシナ:2002/08/13(火) 23:19
「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 15」(続きC)
-訂正-(続きB)
「なんかには無くではなく行動そのものなのだ」中の「ではなく」を削除する。

273いちりん:2002/08/13(火) 23:51
ワラシナさん

なんか、よくわからないけど、とてもおもしろいです。
もいちど、じっくり読みます。
ワラシナさんらしい投稿、楽しみにしている人が多いです。

274犀角独歩:2002/08/14(水) 10:03

せっかくのワラシナさんの考証だから、途中で余計な管見を述べることはやめにします。けれど、ちょっと、私の名前が出ていたので、そこの部分だけ補足させていただきます。
> 独歩…「人生の最初の四分の三が失敗であり、残りの四分の一程度が成功(或いはもっと失敗率が大きい)」

私の人生時間をワラシナさんの記述に添って表せば
        35年学会+5年間法華講の40年間が失敗…以後、脱派・社会運動で
> ワラシナ(さん)13年学会+19年間顕正会の32年間が失敗…法華講3年間が成功

というワラシナさんの人生と私の人生では、石山法華講に対する見方が180度違っている点が興味をひかれます。私の40歳以降の人生が成功か、あるいは失敗率が高いのかは現時点では答えを出さないこととしますが(どちらかといえば成功、確実な方向性と認識していますが)、しかし、ワラシナさんは法華講を成功とされるのに対して、私は法華講を創価学会の経験以上に失敗であると考えています。この点だけ補足させてください。

275いちりん:2002/08/14(水) 10:48
日蓮主義というのは、「幻想を抱きやすい」ことが特徴といえましょうか。
たとえば、────。
日蓮さんの「予言」的な要素があります。やれ戦争が起きるとか、同士討ちになるとか。
そして、「使徒意識」といいましょうか「殉教意識」を鼓舞します。まあ地湧の菩薩につらなるのだという意識です。
「国家とか政治権力に対するビジョン」みたいなのがあります。国立戒壇だとか、国家諫暁だとか。
そして「選民意識」みたいなのがありますね。おれたちこそ正しい、おれたちこそ仏意仏勅。それにひきかえ、あいつらは地獄だ、謗法だ、魔だといってしまう神経。

でもって、若いときには、盛り上がるわけです。さらには、「幻想の共同性」みたいなもので、なんかこのままいくと「広宣流布が実現するぞぉ」みたいな浮かれた状態になる人たちもいたり。

ところが、所詮は、「幻想」でありますよね。
「幻想」というのは、自分の内側にあって「なんとかしたいなあと思っている理想」が投影されたものですね。組織とか、教義とかがいわば映し出されるスクリーン。映し出すのは、自分の内部の「欲望、欲求」ですね。それも、「抑圧されたはけ口としての理想」が投影される。

つまり、自分の欲が外部のスクリーンに映し出されているのだから、やはり現実は、つじつまが合わない。自分の理想通りではないということが、徐々に、わかってくる。

そうして、「失望」するわけですね。
しかし、それはスクリーンに失望するので、また違うスクリーンを探し出す。
こんどは、もっとましな組織とかドグマに出会うと、それに対する理想がまた起きる。
でもって、まついつか失望する。必ず失望する。だって、映し出す内部のメカニズムを観察しないからですね。

映し出す内部のメカニズムを観察しなさい。その虚構性を見破りなさい。──というのが、ブッダの道なのでありましょう。

276ワラシナ:2002/08/14(水) 15:10
274 独歩さんへ。 「石山法華講に対する見方の違い」について。

0、私の法華講入講が「当たり」だったと思うのは、前居た顕正会との比較で言えた意味が大きいのです。前居た会社がひどすぎたからそれから比べれば今は天国だ、みたいな感じから言ってるのです。
一般に転職者というか会社を辞める人の心理の中で辞職を決断させる原因の一つに「今の職場で味わっている苦痛と前の職場体験で味わっていたものとの居心地の良さの比較」があると思います。従って今の職場を辞めない人の心理も同じで
前の職場体験(居心地よさ)との比較心理が働いていて、今の方が前よりよほどマシ、と思っているからだと推測するものです。

1、私にとってなぜ、この法華講在籍の二年間が「当たり」だったのかは、あとでその間感じたことなどを色々書こうと思っていますが、
何と言ったらよいか「雰囲気が水に合っていた」「幹部でないただの平講員だからノルマがない」「会合が少なく束縛される時間があまりないから気楽」という自分中心に見た事情が大きいと思っています。

それと一番大きく効いていたのは何と言っても「もうここは顕正会じゃないのだ、もう無理して全面的に共感した振りしてまで浅井会長の指導を飲み込まなくてもいいんだ」という開放感に浸された喜び、だったといえます。
それと、別に顕正会じゃなくても法華講にいても清純な信心は維持できそうだ、と感じたことも大きかった。

2、、ところで、独歩さんの法華講体験の低評価、とことん失望も、わかるような気がします。理想を求めようとすると傷つかざるを得ないような何かがあった、と予想してます。

277犀角独歩:2002/08/14(水) 15:32

ワラシナさん:

> 法華講体験の低評価、とことん失望も、わかるような気がします

こう、ご理解いただけるだけでも充分です。
どうぞ、考証をお続けください。

278ワラシナ:2002/08/14(水) 16:30
275 いちりん さんへ。

>日蓮主義というのは、「幻想を抱きやすい」ことが特徴といえましょうか。

*上の一行は全く日蓮主義の欠点を突いていて痛く感じられます。何故そうなってしまうのか以下に色々考えてみました

0、御書をよめば、本当に知らねばならない範囲が自己の煩悩以外のもの迄広がっているように見えます。これは、特に佛国土建立を言った立正安国論の影響が大きいと思う。これは自己の外側、社会への関心を促したものだから、それにこだわる姿勢の反動で自己の煩悩滅却という出発点への執着が薄れてしまった、と考えられます。

1、宗祖の本来の唱題行にも心のあり方を見詰めるビパッサナー的要素があるのだが、これが忘れられてしまって、宗祖の使った「事の」という単語が「佛国土実現」の意味を含んでいる(ここでは含んでいると仮定して言う)からと言って、題目がいつでも何かの闘争目標実現の為の修行のようにその仏法的意義範囲が狭められてしまっている感を受けます。
 だから、ご指摘の日蓮主義の思想傾向の非仏教性という欠点が出てきているのだと思います。

2、大体、日蓮主義が注目される時と言うのはその思想価値が直に評価されると言うのでは無しに、何か社会を騒がせた、事件を引き起こす、から注目されて来たのです。
決して、一般的な人間自体の心理、真理に関して日蓮主義、日蓮教学が何か新知見を齎す、と言う形で他の人文学がしているような形での社会に対する寄与が見られない、これが自分には哀しく感じられるのです。これがもともと実現不可能ならばこれからの人類的な課題に対して日蓮教学は無縁のものとなってしまうと思う。

3、では、宗祖は人類全体に通底した何かの人間学的真理を何も残されていなかったのか、といえば、私は「これからの人類にとって必要になる大事な思想を残された」と思っています。それは何かと言えば「人類にとって一体家族とは何なのか、それに対する回答が宗祖仏法であった。だから宗祖仏法の本質は「家族教」として括れる」とする考えで、この点では伊藤瑞叡氏の「聖人が人類的規範としたのは菩薩誓願行」という大構想に少しは似ています。(h14/8/14)

279ワラシナ:2002/08/14(水) 16:41
no277,独歩さんへ

>どうぞ、考証をお続けください。
休暇がもう終わりそうなので考証はすこしお休みになります。

280いちりん:2002/08/14(水) 18:35
ワラシナさん
>一般的な人間自体の心理、真理に関して日蓮主義、日蓮教学が何か新知見を齎す、と言う形で他の人文学がしているような形での社会に対する寄与が見られない

親鸞が、いわゆる知識人に大きな影響を与え、道元は、世界に誇りうる哲学の深さを示していると言われたりします。しかし、日蓮はというと、どうも一般的には馬鹿にされているのは事実ですね。

なんか、「現世利益」「国家主義」の親分というイメージが強いですもんね。
たしかに、「難に遭っても負けずに信念を貫いた人」と思われていますが、しかし、思想的な深さ、実存的な深さはないとみられている。教義も哲学性は低くて、形式論理を展開している。優劣、勝劣にこだわっている偏狭な人、自分だけが正しいという傲慢な人。そういうイメージでしょうか。

そしてまた、日蓮系の新興教団の信徒たちの論議を見ると、自分自身のあり方はほっといて、こちらが正しい、おまえは間違っているみたいな情けないやりとりが多い。また、新興教団のトップの人間性が、やはりなんというか、勲章コレクターのようになっていて、あんましみっともよくない。……など、と。

>宗祖は人類全体に通底した何かの人間学的真理を何も残されていなかったのか、といえば、私は「これからの人類にとって必要になる大事な思想を残された」と思っています。

「難に遭っても負けずに信念を貫いた人」だとか「末法の御本仏」みたいな日蓮イメージは、どうもあかんなあと思いますね。

「難に遭っても負けずに信念を貫いた人」って、いまどき、魅力はないし。「末法の御本仏」などというのは、いわゆるドグマ、思いこみでしかないわけだから。

日蓮さんは、「これからの人類にとって必要になる大事な思想」を残されたのでしょうか。それつて、なんなのでしょうかね。

ある意味では、それって日蓮を「わたしたちとおんなじ人間」としてとらえるところから、出てくるように思いますよね。

281犀角独歩:2002/08/14(水) 19:27

ワラシナさんの考証はいったんお休みに入るそうなので、では、私なりの感想を少し。

基本的に日蓮の教えも、なにより今日の石山法華講においても、「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題」など、そもそも元より問題にされていないのだろうと思うわけです。

日蓮信徒であった富木氏、四条氏、池上氏などの武士階級には、そもそもこの問題は無縁でしょうし、農民信徒といえども、改宗以降、日蓮の教えの元で「飯を食う」ことを想定したものではなかったでしょう。

戦後の創価学会、顕正会、また法華講にしても、「信心したら幸せになる」という極めて無責任なかけ声で、信者の活動参加と寄付(供養なんてものではない)を煽って、教団の発展と宗教法人職員(僧侶・本部職員)の経済的安定を目指してきたわけです。ここで信者のことなど、少しも考慮されているはずはありません。あるのは「信心強盛ならば経済的にも、生活は安定する」という“御本尊任せ”の放任主義が罷り通っているだけでしょう。

しかし、例えば創価学会はそれなりの共同体を構成し、“むしり取る”案配をしっかりと掴んでいるから、信者は、一般生活を守りながら、信心と生活を両立させるバランスを掴むに至った。これは、“問題”を解決したと言うより、宗教専従者(本部職員)の食い扶持を大多数で賄うから、一個人の負担が低下しただけの理由によるわけでしょう。

それに対して、石山は、学会との蜜月時代には500万規模の信者の搾取から、一挙に10数万程度に激減した。おまけに池田さんへの怨恨から建物を壊しては建て直すなどの暴挙を繰り返し、年に4回の登山を義務づけるなど、およそ常軌を逸した信仰という名の下の搾取形態を実行するに至っているわけです。これらはしかし、信者の経済問題ではなく、考えられているのは、単に石山と宗教専従者(僧侶)の生活のみです。

いまの石山の打ち出しは、広宣流布であるとか、日蓮主義であるとか、そんな高尚なものではなく、単に坊さんの食い扶持の確保、経済構造の構築に主眼が置かれたものであって、宗教的な理想とはまったく何の縁もゆかりもないものでしょう。

このようなところで、賢明な信者がなすことはただ一つ、適当な距離感を掴み、坊さんの言いなりにならないこと。石山の打ち出しは信仰とは関係なく、自分たち(僧侶)の飯の種にもっともらしい屁理屈をこねているだけという現実を見極め、自分たち(信者)を鴨ネギ扱いしている実態を知り、信仰は個人のものであるという原点に戻ることであろうと思うわけです。要するに生活の負担にならない、もっといえば生活を豊かにする宗教関与の仕方を自分たちで見つければよいわけです。

折伏は本来、僧侶の仕事、在家は個人と過程の幸福を願って、生活上の、精神面を豊にする目的で信仰を利用すればよいわけです。

私が過去40年間、「創価学会のため、池田先生のため」あるいは「日蓮正宗のため、日顕上人のため、寺院のため、ご住職のため」とやってきた失敗は、要するに「自分のために生きていなかった」ことが失敗なのであって、反面40歳以降、それがボランティアその他の参画であっても自分の意志で、自分の人生として考え直したことが成功であったと考えているわけです。つまり、与えられた線路=失敗、自分の人生=成功という縮図であって、けっして「信仰の名の下の隷属化、搾取を許さない」という生き方を確立できたことを成功といっているわけです。その意味で、法華講に入ったことが成功であるというワラシナさんの発言は私にはまったく理解できないわけです。ただし、記されている大方の考証はもっともであると思うところはたくさんあります。

ここで理解できないと言うのは、今の石山には、元来、目的とされた富士戒壇建立の意志もなければ、広宣流布の意志もない、つまり萎えた理想の代わりに食い扶持の確保だけに追われる餓鬼道だけが横行している。そこで、経済効率から、鴨(信者)にネギ(供養と労働力・忠誠心)を背負ってこさせるために役職だなんだと個人の優越感をくすぐる換言すれば修羅界(勝他の念)の斡旋で「信仰心があるという自惚れ」を増長させて人を動かす構造に身を委ねることが信仰であるとは思わないと言う意味です。

率直に言えば、その意味に置いて、ワラシナさんに「法華講3年間が成功」と言われると単に踊らされているだけではないのか?と、思えるわけです。

まあ、歯に衣の着せることは綺語であって仏戒に背くという見地から、敢えて思うままに記させていただきました。

どうも全体の文章は頷けるのですが、「法華講3年が成功」という一点だけは引っかかります。法華講以外の自分の生き方に戻ったことが成功というのであれば、納得はできるわけですが。

282ワラシナ:2002/08/14(水) 23:03
no280 いちりんさんへ

0、
>しかし、日蓮はというと、どうも一般的には馬鹿にされているのは事実ですね。
>思想的な深さ、実存的な深さはないとみられている。教義も哲学性は低くて、
>形式論理を展開している。

1、上のように私も感じていたんですが宗祖本佛論の論理構造を考えていて、信者になって初めて宗祖の頭の空前のよさに気がつきました。これほど頭のよい方ならもっと本気になって信心しても後悔することにはならないのでは、、と思いました。

>「これからの人類にとって必要になる大事な思想」それつて、なんなのでしょうかね。

2、これは私の当てずっぽでして、家族という国家民族の下位に位置するちょっと中途半端な共同体の意義が、釈尊論の教義の上から捉え直されているように感じたんですね、「眷族妙」として。
それと宗祖はご自分のご家族のことを片時も忘れていないですね。そこから「永遠の家族」のような発想があったのじゃないかと予想したのです。家族にこだわったのも、いわば独特の普遍化された家族概念に基づいているんじゃないか、という予測です。

3、これは自分の予測なんですが、現代の暗闇は大抵家族問題にあると思うから、将来の人類もこれで悩むと思う。経済のグローバル化は経済弱者の切り捨てを助長し勝ちです。人々は男も女も経済という中性的なものの確保のために心身をすり減らさざるを得ない。これ自体が性本能の反対方向なので高齢晩婚化とともに身体や嗜好の変化を生み、経済の不安回避を第一目的とする為リスクを避ける生き方をせざるを得ず、これは性本能の犠牲に等しいと思う。これは結婚に結びつくような異性間の恋愛においては、その恋愛自体が持つゲーム的面白さ(偶然性)に身を委ねる傾向が少なくなる事につながる。そうすれば、人々は結婚と恋愛を分離するようになる。
そうなれば、今日の欧米圏に見られる傾向のように血縁的家族にこだわる必要がなくなってくる。また、生殖が性本能に依存しないで可能になったことがこれを助長して、血縁的家族概念に変わる普遍化的(永遠的)家族観が求められるようになる。

またこの傾向は一方では「家族消滅論(偶然的家族論の極限)」を助長する。これは人類全体がその生殖を拒否する「永遠的シングル人類、永遠的チョンガー人類」になることに等しい。
実は「仏教の出家非婚思想」はこの将来人類の生殖観を先取りした考えであったのかもしれないのである。

宗祖にはかような二種の家族観があって人類の将来の為に備えていたと考えています。
その他にもありますが時間がないので又の機会にいたします。

283ワラシナ:2002/08/14(水) 23:54
no281 独歩さんへ、「私にとって法華講3年が成功」の意味。

0、>あるのは「信心強盛ならば経済的にも、生活は安定する」という“御本尊任せ”の放任主義が罷り通っているだけでしょう。

このご指摘が重要で、いずれ将来、「信心すれば、、、こうなる」式の無責任な折伏トークが詐欺行為扱いされるのではないかと懸念しています。
私が「服用法がとても難しい特殊漢方薬」として、宗祖仏法をたとえたのもこのご指摘への対応を考えていたからです。

1、>「法華講3年が成功」という一点だけは引っかかります、、。
何度もいいますが、自分中心に振り返ってみて「今のところまあまあ当たり人生」と思えたから成功としたに過ぎません。
宗祖仏法の理想から見て今の教団現況を裁く基準では、確かにおっしゃる通りお話にならないような欠陥があると言えばあります。
そんなところにぬくぬくと身を置いていて何が成功だ!といわれれば確かに私は堕落してしまったのでしょう。

しかし、私はあなた程板御本尊を拝みぬいていないからまだまだ執着と未練があるのです。本山参詣なんかもやはり大きな楽しみですし、。ご批判は現状の教団体制、機構制度の大改革がない限り直らないから信者にできることはご助言の通りであります。

2、それとかかる環境においても先輩同輩の方々の信心の姿勢の美点に触れる楽しみ、というのがあり、そういう感動がこの二年間にあったこと、これが躊躇なく「成功」という単語を呼び出させたのです。
具体的に言えば、自分も他人のお世話をよくするほうなんですが、もっと凄い人が一杯いてその人のいのちに感動したことがあったから。

284犀角独歩:2002/08/15(木) 12:23

ワラシナさん:

別段、私は批判したつもりはありませんし、また、板曼荼羅を拝みきってもいません。

> 先輩同輩の方々の信心の姿勢の美点に触れる楽しみ…感動…「成功」
> 自分も他人のお世話をよくする…もっと凄い人が一杯…その人のいのちに感動

このような点は別段、批判しませんが、これは何も法華講という狭い井中に係るばかりではなく、外にはさらに多くの善意の人たちがいます。また、法華講が善意の団体であるという感動はけっこうなことですが、残念ながら、こんな認識をしている一般人はいません。石山は単に学会といがみ合って、日蓮に泥を塗っている、憎悪によって動く以上集団だというのが大方の見方でしょう。こんな現況にあって「成功」を享受するとは、ワラシナさんらしからぬという感想を述べたものです。

ただし、これは私に対する「残りの四分の一程度が成功(或いはもっと失敗率が大きい)」という分析において、法華講の井中でご自身を成功と言いながら、一般社会の善意の知識人・実践家と連なって10年足らずの基礎を固めてきた私のほうが「或いはもっと失敗率が大きい」などとする理解の仕方に対する疑問でもあります。

私は脱派後の自分の歩みを一度たりとも「失敗率が大きい」と考えたことはありません。むしろ、法華講に寄生するほうがリスクははるかに高いであろうと、己の法華講経験から思う故、係るワラシナさんの、無徳さん・私との比較は、当を得ていないと思った次第です。しかしながら、これは「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題」全体に係る疑問ではありません。

285ワラシナ:2002/08/15(木) 20:58
独歩さんヘ。
no269の「或いはもっと失敗率が大きい」の真意

0、若干上の文句が誤解を与えたようでお詫びします。これは、「人生後半の脱講後の社会的御業績の部分には全く関与してませんで、前半部分の失敗率が多分4分の3以上大きいものとして御自身は思ってらっしゃるのではないか。その前半部分の中には多分法華講体験迄も御自分では失敗に含められているのだろう。だから、もっと実際には失敗率が大きいだろう。」と言う意味でした。
法華講体験が全く苦々しいものだった事、また脱講以降本当に御自分にとっての真の青春が輝き出した、との感慨を前から伺っておりましたから。

286犀角独歩:2002/08/16(金) 04:12

ワラシナさん:

285に記されること、私にはどうにも判読できません。それはしかし、私の読解能力の不足によるのでしょう。非難されているのではないという一点は理解しました。

私にとって、ワラシナさんは大恩人です。どうそ、私も参考にさせていただいている考証をお続けください。

287桃梨:2002/08/17(土) 05:54
正しいものとはなんでしょうか?
現代に、釈迦、キリスト、孔子、アラー、ガンジーついでに天台、日蓮がいたとして、明快な答を示して人々はそれを信じるものなのでしょうか。
超カリスマ中のカリスマと言う事になりますが。
そんな会議が日本ではなく世界レベルで開かれたら戦争や紛争は起きないのでしょうか。

そうなればいいのですが、現実は違います。
宗教を始めた人は人々を救おうとしていたのであって、生きていたらがっかりするんだろうなぁ。
しかも、宗教について後向きな考え方には。
前向きな考えを教えて下さい。

288五月雨:2002/08/17(土) 12:34
桃梨さん

初めましてこんにちわ。五月雨と申します。

>前向きな考えを教えて下さい。

桃梨さんに言われんとする事は分かりますが、もう少し具体的にレスされた方が良いのではないでしょうか。ここの掲示板では独歩さん始め皆様方が親切丁寧にご教示下さいます。「何を」という事をお聞きになられたほうが答えられる方もお答えがしやすいように思うのですが。余計なお世話でしたらすみません。

289桃梨:2002/08/17(土) 13:15
五月雨さん こんにちわ。
桃梨と申します。
ありがとうございます。
すみません。
いろんな掲示板を読んでいる内に「素朴な疑問」として
思っていることをそのまま書いてしまいました。
ご迷惑をお掛けしました。
以後気をつけます。

290:2002/08/17(土) 13:19
五月雨さん。
具体的なレス、ありがとう。あちきも、五月雨さんと同じことを言いたかった。

291五月雨:2002/08/17(土) 13:29
桃梨さん

全然ご迷惑でも何でもありませんよ。以後気をつける事でもございません。
桃梨さんが素直にこう思うという事を、お書きになればいいと思います。
これからもどうぞよろしくお願い致します。


あ さん

ご賛同有り難うございます。ただ今室内温度31度、クーラーをつけるのがメンドクサイので茹だっています。私にはこの方が頭の回転にいいのでしょうか???

292いちりん:2002/08/17(土) 22:24
>釈迦、キリスト、孔子、アラー、ガンジーついでに天台、日蓮

う〜む。このなかの、一人としてお会いしたことはないですね。
やはり、じかにお会いしてみないと、わからないということも、ありましょうか。

293桃梨:2002/08/18(日) 00:44
いちりんさん

>やはり、じかにお会いしてみないと、わからないということも、ありましょうか。

実は掲示板を夜中ずーと読んでいて訳がわからなくなり書いてしまいました。
上記の人達は人々を慈悲で救おうとした人達と思います。
何かが違う?と思いました。
十界の縁覚、声聞の方々の意見では?と思いました。
この掲示板は宗教なので現代でも人々を救おうとする気持ちの人、
菩薩や仏界(慈悲のある意)を語る人がいたらなぁと言う期待でした。
「素朴な疑問」ですので深くは考えていません。
すみませんでした。

294いちりん:2002/08/18(日) 12:01
桃梨さん
こちらの掲示板は、知識ばかりで論議していて、そこには慈悲の心がないんじゃなかろうか、ということですかね。
で、大切なのは、人を救うということ、慈悲の心である。
そういうことでしょうか。

295いちりん:2002/08/18(日) 12:03
あ、そう書きましたのは、ケンカを売っているのではありません。
こちらは活発な掲示板ですが、新しい方が参加されると、また活気が出ますよね。
素朴な疑問を出してくだって、やりとりが進めばおもしろくなるかなあと思いましたので。

296:2002/08/18(日) 14:44
桃梨さん、こんにちわ。

私の読解力不足なのか、あなたの文章の意味がわかりません。

> 上記の人達は人々を慈悲で救おうとした人達と思います。
> 何かが違う?と思いました。

「何かが違う?」というのは「何と」「何の」何かが違うのですか?
主語を明確にしてくれなければ、意味がわかりません。

> 十界の縁覚、声聞の方々の意見では?と思いました。

この文の主語は何ですか? 上記の人たち、つまり「釈迦、キリスト、孔子、アラー、ガンジーついでに天台、日蓮」のことと捉えてよろしいですか?
「釈迦、キリスト、孔子、アラー、ガンジーついでに天台、日蓮は十界の縁覚、声聞であって、私、桃梨はそれが気に食わん」というご意見なのですか?
それとも他に主語があるのですか? 意味がとれません。

297:2002/08/18(日) 14:49
「主語」って言い方は不正確でした。誤解を与えたかもしれません。
しかし、私の言わんとすることは、汲み取ってもらえるかと思います。
桃梨さんの文章は、省略が多すぎると思います。

298:2002/08/18(日) 15:39
あ、そうそう、私も桃梨さんにケンカを売っているわけじゃないですよ。
意味がとれないから、とれない、と正直に書いてるだけでして。

教義について議論の許される掲示板で、ここほど、おとなしい掲示板はありませんよ。
他へ行ってごらんなさいよ、あーた。そりゃ、モノスゴイんだから。
「これが宗教やってるヤツのホントの姿なのかよ?!」とビックリするような所、いくらでも、ありまっせ。

慈悲の言葉が聞きたければ、お寺の掲示板に行きなさいな。
議論は許されないかわりに、上っ面だけのアリガタイお話なら、いくらでも聞けますよ。

299桃梨:2002/08/18(日) 17:22
あさんへ

>あ、そうそう、私も桃梨さんにケンカを売っているわけじゃないですよ。
>意味がとれないから、とれない、と正直に書いてるだけでして。

文章が下手というご指摘は分かります。大変申し訳ございません。

>「何かが違う?」というのは「何と」「何の」何かが違うのですか?
>主語を明確にしてくれなければ、意味がわかりません。

この掲示板の投稿内容と日蓮が生きていたらどんな投稿をするかなぁと思い
書きました。それに偉人を付け加えました。

> 十界の縁覚、声聞の方々の意見では?と思いました。

主語は「掲示板の投稿記事が」です。

>教義について議論の許される掲示板で、ここほど、おとなしい掲示板はありませんよ。
>他へ行ってごらんなさいよ、あーた。そりゃ、モノスゴイんだから。
>「これが宗教やってるヤツのホントの姿なのかよ?!」とビックリするような所、いくらでも、ありまっせ。

ご指摘の通りですね。
だからはじめてこの掲示板に投稿しようと思いました。

>慈悲の言葉が聞きたければ、お寺の掲示板に行きなさいな。
>議論は許されないかわりに、上っ面だけのアリガタイお話なら、いくらでも聞けますよ。

分かりました。誤解をされる文章を投稿してすみません。
「素朴な疑問」にこの掲示板の方の中から応えてくれる人がいたら有難いと
思っておりました。
明日からは会社が始まりなかなか見る機会がないと思いますが、いろいろと
教えて頂きましてありがとうございました。

300いちりん:2002/08/18(日) 18:05
>釈迦、キリスト、孔子、アラー、ガンジーついでに天台、日蓮

これらの方には、お会いしてないので、なんともいえませんが。
わたしがじかにお会いして、すごいなあと感銘したのはマザー・テレサでありました。

古いニュースの映像で見ますと、ガンジーが出てくると、やはり感銘しますね。

301五月雨:2002/08/18(日) 22:20
横レス失礼いたします。

あ さん

>他へ行ってごらんなさいよ、あーた。そりゃ、モノスゴイんだから。
「これが宗教やってるヤツのホントの姿なのかよ?!」とビックリするような所、いくらでも、ありまっせ。

ホンマにすごいですね。私も他の掲示板にレスして、罵倒されました。日蓮正宗の戒壇本尊を信じている人間は少なくとも、人としての“礼節”を知っているかと思いきや私の認識は非常に甘いものでした。洗脳されきった人間には何をどう言っても通じない事がよく分かりました。ここの掲示板にお集まりの皆様は、とても常識豊かな方ばかりなのは、管理人の問答迷人さんのお人柄に依るものだと思います。

302五月雨:2002/08/18(日) 22:51
「人を救うということ、慈悲の心である」
いちりんさんが、お書きになられていましたが、私は疑問に思うのです。
確かに大聖人様は折伏の大事を仰せになられていますが、私みたいなくだらない人間が、人を救う事なぞ出来るのかと。「折伏は御本尊様がするのよ」とはよく聞いたフレーズですが、御本尊様は言葉をお話しになられません。結局は“人”がするのだと思うのです。学会は折伏をして来ました。結果は皆様ご存知の通りです。
信心した人もいますが、返って反発を抱いた人はその何倍になるのでしょう。
一般の人が「創価学会」の言葉を発する時に笑顔で言いません。
桃梨さんが、この掲示板の人たちは人を救うという点がないと仰っていましたが、
それほど大事な事なのかと思ってます。「慈悲の心」はなにも人を救う事だけではなくて、現実生活の中で困っている人に「May I help you?」という気持ちで、接してあげる事が、本当は大切な事なのではないのかしらと思うのです。他者に対する優しさです。かくいう私はご存知の通りに“弱者”の立場です。だからこそ人のあたたかい振る舞いがとても有り難く、深い感謝の気持ちを持っています。でもその温かさが当たり前にならないようにとは、“自戒”していますが。
 
独歩さん
 
折伏しないと成仏出来ないと、大聖人様は本当に言われているのですか。そして大聖人様のご遺命は「広宣流布」あるのみなのですか。

303いちりん:2002/08/18(日) 23:03
五月雨さん
>「慈悲の心」はなにも人を救う事だけではなくて、現実生活の中で困っている人に「May I help you?」という気持ちで、接してあげる事が、本当は大切な事なのではないのかしらと思うのです。他者に対する優しさです。

それは、同感ですね。
数を達成するためとか、成果とか功名心とか、功徳のために布教する人もいます。それは、布教はたいへんですけどね。

しかし、大切なのは、根底のこころ、だと思いますね。
なんとかわたしにできることを、してあげたいな。なんとか、相手の苦しみを、小さくして喜びを与えられないだろうか。そういう気持が慈悲ですよね。

さらには、慈悲の「悲」とは、サンスクリット語で「カルナー」といいますけど、「ともになげく」「ともに慟哭する」というような意味があるようです。
なんにもできなくても、相手の気持ちになって、ともになげく、ともに泣くもともにはらはらする。それも、慈悲なんだろうなと思います。

大きなことをしようとか、そんなことは思わないで。
ほんの些細なこと、小さなことにこころを込める。そういうのが、大切なんでしょうね。

家族のために、おいしいごはんをつくる。心を込めて、お米をとぐ。心を込めて、お皿を洗う。それも慈悲ですよね。そういう、瞬間瞬間のこころのありよう。。そこだと思いますね。

304五月雨:2002/08/18(日) 23:11
いちりんさん

そうなんですよ、私の言いたかった事はそれなんです。「心根」です。
「心根」が通じるのですよね。
「同苦する」という言葉もありますが、慈悲とは少しニュアンスが違うのでしょうか。

305いちりん:2002/08/18(日) 23:27
五月雨さん

「同苦」もおんなじだと思います。
慈悲の「悲」には、「ともに苦しむ」という意味合いがありますよね。

わたしは、日蓮さんが、すばらしいなあと思うのは、迫害に耐えて信念を曲げなかったというところよりも、この「同苦」の人というところです。

まあ、四条金吾に、手紙を書いたものに、
《返す返す忘れられないことは、わたしが龍の口で頸を切られようとしたとき、貴殿は、わたしの乗っていた馬の口にとりすがって、哭き悲しんでおられた。そのことは、いかなる世になろうとも忘れません。
かりに貴殿が罪深くして地獄に堕ちたとしても、釈迦仏がいかに日蓮を仏にしてくださると言われても、わたしは貴殿とともに同じ地獄に行きましょう。わたしと貴殿が同じ地獄に行くならば、釈迦仏も『法華経』も、地獄におられるでありましょう》(『崇峻天皇御書』)

あなたが地獄に行くのなら、わたしもともに地獄に行くというのです。地獄でともに苦を同じくしようというのです。

ちなみに、仏教では「四無量心」というのがあります。
それは「慈悲喜捨」です。
「慈悲」はもう書いたから、いいですよね。

「喜」は、「ともに喜ぶ」ことです。わーよかったねえと、相手の喜びにわたしも喜べると言うことです。(「慈悲」の「悲」は、相手の悲しみと一緒に悲しめるという意味合いですね)

「捨」というのは、「捨てる」という意味じゃなくて、「心の平静」というような意味です。
相手のためにいいことをした、相手を救った、相手と嘆いた……とわたしたちは、なんかいいことをすると、それがまあベタッとひっつくのですね。すぐに、とらわれてしまう。とらわれると、思い入れが入って、執着になって、いろいろと厄介なのです。自分も相手も。
だから、いいことをしても、相手が喜んでくれても、あ、そうなの、とたんたんとしている。とらわれない。それが「捨」ですね。  ……とまあ、大ざっぱですが。

306五月雨:2002/08/18(日) 23:41
いちりんさん

良いお話を聞かせて下さいまして、心が洗われた気がします。所属寺院では一度もこういうお話は聞いた事がありません。こういうお話こそ
人の道を説き、為になるお話だと思います。
有り難うございました。

307犀角独歩:2002/08/19(月) 07:46

五月雨さん:

> 折伏しないと成仏出来ないと、大聖人様は本当に言われているのですか。

折伏とは何なのでしょうか。仏教の話をする、相手が入会の決意をする、なにがしかの書類にサインをする、印刷漫荼羅を買う。すると、「折伏ができた」と言いますよね。しかし、これは勧誘・増員なのであって、本当に折伏なのでしょうか。「桃梨さんが、この掲示板の人たちは人を救うという点がない」と言います。表面しか観ていない発言であると思うのです。

五月雨さんは、ここの掲示板にこられる以前、日蓮本仏論(下種三宝)・戒壇之漫荼羅が真実であると信じていた、しかし、創価学会、法華講について不審を抱いていおられた。

そこで、こちらにいらして、私どもと話されて、何か疑問が解けたところがあったでしょうか。もし、あったとしたら、これこそ、折伏の結果であると私は思っています。少し図々しい言い方をすれば、私はほんの少しかも知れないけれど、五月雨さんを“折伏”したのかもしれません。

誤認識を改めて、不明を開く、今まで知らなかった世界が見えてきた、そう差し向けた人がいる、さすれば、その人は自分の心の中の誤った考えを折り伏せて、少しでも正しいほうへ眼を向けてくれる、これが折伏であると、私は考えています。そして、その折伏の基底は常に慈悲であり、菩薩道を喚起するものである点が重要なのでしょう。

それは際限のない、無限の上昇でしょう。終わりはないのでしょう。私も多くの方から、このような意味での折伏を受け、月々日々新たに自分の間違いを改め、その度に心洗われます。そして、自分も知っていること、掴んだことの一端を人に語り、終わりなき心の上昇を促しています。それが私の折伏です。人を救おうなどとおこがましい事ではないのです。法の一端を知れば、やがて、その人は菩薩の道(慈悲に基づく行動)を重ねて、仏様の生き方を成就していく、それは各人と仏菩薩との関係に拠るのでしょう。

議論だけでは声聞・縁覚だなどというのは、勧誘・増員を折伏、あるいは慈悲と勘違いした、もっと言えば、そのように心に刷り込まれた(プログラミング、つまりはマインド・コントロールされた)植え付けられた誤った折伏・慈悲観であると私は思います。

ここの掲示板で、元々は一人として旧知の人などいません。しかし、そのまったく知らない人に対して、語らうこと、そして、その中から、何かを掴んでいただくことがあれば、それは折伏であると私は思っています。何の見返りも望まない、何の成果ともならない、この語らいこそ、折伏ではないでしょうか。あるいはまた、摂受でもあるでしょう。

私は五月雨さんを折伏し、五月雨さんはまた、私は折伏しているのではないでしょうか。

折り伏すという表現はとても強い響きがありますね。けれど、一心不乱に信じ込んだことに猪突猛進する直進的な思考を折ること、それまでの思いこみを伏せて新たな観点を提供すること、それが折伏なのではないでしょうか。

日蓮聖人の考えにしても折伏とは、もっぱらこの心の座標の変位を述べるものであって、徒に勧誘・増員を強調するような低俗なものであったとは、私には思えません。

折伏しないと成仏できない、そういう考えは日蓮にはあったかも知れません。
しかし、成仏を云々するのであれば、まずは折伏とはどういうことなのかを考え直してみる必要があると私は思います。

308犀角独歩:2002/08/19(月) 07:46

―307からつづく―

> 大聖人様のご遺命は「広宣流布」あるのみなのですか

いま、日本全土津々浦々、「南無妙法蓮華経」を知らない人はいませんでしょう。しかし、750年前、日蓮聖人の開教以前、それを知る人はいなかった。つまり、南無妙法蓮華経の広宣流布は日蓮その人が畢えたことであると私は思っています。いまはその流通(るつう)の時ではないのでしょうか。

ところが「広宣流布とは(富士)戒壇の建立である」という決め事が富士門にはあります。しかし、広宣流布とは、そんな意味ではないでしょうね。また国民の3分の1が会員になったとか、1000万人になったら憲法改正をして、戒壇を建てるとか、そんなことが広宣流布ではないでしょう。

創価学会は実際に1000万人近い人々によって事戒壇建立を企てた。しかし、結果はどうであったのでしょうか。顕正会に言わせれば、そのやり方が違っていたからだめで、新たな顕正会員1000万人で正しいやり方をすれば広宣流布して、一切の災難は起きなくなるようなことを言っていますが、そんなことが物理的に起きるはずはありません。

聖人は封建の二本の柱、天皇と武家の対象が法華経を持つことを目指された(折伏)、その結果、本門の本尊(教主釈尊像、四大菩薩像)を祀る堂宇を建立することになるという構想はあったかも知れません。そして、その場所を中心にすれば、国は災禍を逃れ、鎮えに安国となるというお考えもあったでしょう。しかし、これは聖人、または聖人の遺志を継ぐ弟子(僧侶)と封建統治者(天皇・武家為政者)における課題であって、在家信徒の義務では元よりないでしょう。

仮に五月雨さんがご質問されるような「広宣流布の遺命」があるとすれば、それは在家に対してのものではありません。偏に聖人の弟子、その弟子(僧侶)に託された命(めい)であるはずです。それは在家に与えられた職分ではないのです。

在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力演説も有るべきか

とは、真跡がないまでも、富士門も真筆の如く扱う一節でしょう。
在家分は日々にお題目を唱えること、僧侶は妻子眷属を捨て、命を捨てて、天皇・為政者を折伏して戒壇を建てさせること、これが元来の富士門の考えではないでしょうか。為政者に取り入れられて出先機関になれ(寺請制度)は富士門の教えではないことは明らかです。

在家が漫荼羅を書くことがないように、天皇為政者の折伏・戒壇堂の建立は僧侶がやるべき仕事、在家の折伏とて僧侶がやるべき仕事でしょう。そのような僧であればこそ、供養することも肝心となるのでしょう。

その本来の僧侶の職分を在家が肩代わりするところに今日の混乱があるのではないでしょうか。

職分を濫した在家が言う折伏は折伏になっておらず、広宣流布も広宣流布になっていません。また、在家に肩代わりさせて上前だけをはねようとする石山僧の、今の有様は仏教を商う売僧であると言うのです。故に「能仁の後は施を止む」という聖人の教えに従い、私は心でも、財でも供養をなさないのです。

石山で語れば、広宣流布は、ただ目師一人の職分であるというのが郷門より容れた伝説です。つまり、他の僧侶、仮に石山住職であっても、その仁ではないというのです。

目上遺言に曰く 此の申状奏せずして終に臨終す 此の土の受生 所用無しと雖も 今一度人間に生れ此の状を奏す可し 若し此の状奏間の人未来に於て之れ有らば 日目か再来と可し知る

つまり、未来広宣流布は日目がもう一度再誕して行うことというのが中古以降の興門の認識であったはずです。

それを在家の長が勝手に行い、おまけに折伏の対象を変えてしまい、さらには広宣流布するものまで取り違えて、自分に与えられたものでもない「遺命」を振り回す、まさに、ここに一切の混乱があると私は思います。

以上のような構造を少しも考えず、徒に自分たちの仕事を押しつける石山僧、また、分不相応な誤った折伏・広宣流布を振りかざす在家の長率いる団体の煽動を、聖人の教えと取り違えて無責任に信仰し、放言する人々が世を濫しています。

折伏・広宣流布と詐称された勧誘・増員・集金を、聖人の教えなどと取り違えることなく、一人ひとりが、もう一度、その真の意味を考え直してみる必要があると私は思うのです。ここの掲示板は、そのような意義に基づいて問答名人さんが運営されておられる拝察いたしております。

309五月雨:2002/08/19(月) 12:16
独歩さん

私は、独歩さんに“折伏”をして戴いています。
今まで「真実」と思っていた数々の石山の教え、だけれどもそれを実践する人々のおかしさを「矛盾する」と思っていた、この答えがこの掲示板にありました。数ヶ月前の私なら「こんな事言って謗法よ」と言っていたでしょう。
独歩さん始め、皆さんの仰ることが「否定しても否定しきれない」のです。自分でも怖いくらいに「納得」出来るのです。いろいろな文証を出していただき、それを読むと「やっぱり」と思いながら、「今まで信じてきた事は何だったんだー」と心の中で葛藤しています。今は「真実に到る」という過渡期にあるようです。だから少しおかしな事を言ってますが、どうかお許し下さい。

>誤認識を改めて、不明を開く、今まで知らなかった世界が見えてきた、そう差し向けた人がいる、さすれば、その人は自分の心の中の誤った考えを折り伏せて、少しでも正しいほうへ眼を向けてくれる、これが折伏であると、私は考えています。そして、その折伏の基底は常に慈悲であり、菩薩道を喚起するものである点が重要なのでしょう。

私がイメージしていた折伏の捉え方です(生意気な書き方ですみません)
人を騙して、書類にサインさせるのは絶対に折伏ではないと思っていました。学会員の家に行き、または未入信の方に対して「池田太作さんの悪口」を並べ立てるのがどうして“折伏”なのだろうかと常々疑問に抱いていたのです。私にはメールでやり取りする学会員の方、訪問してくる学会員そして、血の繋がった姉も学会員です。ともすると、こちらの考えを聞こうとしない態度に「不完全性定理」もええんじゃないですかぁー、という気持ちが沸き起こる事がよくありますが、独歩さんのお話を聞いて「慈悲を忘れず」「菩薩道を喚起」しながら、気長に話し合いを続けていく気になりました。有り難うございました。

>私は五月雨さんを折伏し、五月雨さんはまた、私は折伏しているのではないでしょうか。

と、とんでもござません。私如きに独歩さんを折伏だなんて、ご謙遜が過ぎます。

310五月雨:2002/08/19(月) 12:17
―309の続きです―

>「広宣流布の遺命」があるとすれば、それは在家に対してのものではありません。偏に聖人の弟子、その弟子(僧侶)に託された命(めい)であるはずです。それは在家に与えられた職分ではないのです。

僧侶は折伏をしないもの、しなくて良いものだと思っていました。ウチの指導教師はお寺に訪ねてくる学会員をお寺に付ける事はあっても「僕は折伏の経験はありません」と堂々と言ってたくらいです。この言葉は恥ずべきものであったわけですね。「ウチのお寺の折伏成果が無いのは、講頭の責任です」とも言ってましたから、「偏に聖人の弟子、その弟子(僧侶)に託された命(めい)」という教育を石山はしなかったのでしょう。
大聖人様のお教えが、長い年月の中でここまで摩り替わってしまったのは、一体どうしてと思うのです。もしも大聖人様が「ご本仏」であったなら
そこに不思議の力が働いて、大聖人様のお教えそのままが今に伝わっていると思うのですが、そうではありません。やはり大聖人様はひとりの「人間」で在らせられたと感じます。もちろんただの「人間」ではなかったとは思いますが。

>未来広宣流布は日目がもう一度再誕して行うことというのが中古以降の興門の認識であったはずです。

 僧侶の誰もがその可能性があるから、敬わなければならないという理由付けになっているのではありませんか。本当かどうか分かりませんが、時の御法主上人には、「せい」の無い話ですね。いくらどう頑張ってみても“日目上人の生まれ変わり”でなければ「広宣流布」は出来ないのですから。

>折伏・広宣流布と詐称された勧誘・増員・集金を、聖人の教えなどと取り違えることなく、一人ひとりが、もう一度、その真の意味を考え直してみる必要があると私は思うのです

今の法華講員も学会員も、大きな大きな意味の取り違えをし、その為に人生を無駄にしているように思います。私も本当の意味を再認識しながら、縁ある人ひとりひとりに、話をしていこうと思っています。
いつもながら、素晴らしいご教示を下さいまして、有り難うございます。

311犀角独歩:2002/08/19(月) 12:50

五月雨さん:

>> 未来広宣流布は日目がもう一度再誕して行うことというのが中古以降の興門の認識
> 僧侶の誰もがその可能性があるから、敬わなければならないという理由付けになっているのではありませんか。本当かどうか分かりませんが

そうですね。目師再来説が僧宝尊信の説明原理に“採り入れられてきた”わけですね。
先に挙げた我師の『申状見聞』の一節が、その根拠ともされてきました。

以下のことは、以前にも書いたのです。
実は見聞には石山にとってまことに都合の悪い文章が続いています。

爰に日要奏す之れを争か可けん疑ふ之れを乎

の一節です。つまり、郷門要師は、この目師の申状をもって奏したので、目師の再来であるというのが、実はこの文章の骨子なのでした。

この部分を隠して、目師再来説を言う石山義は二重に信者を欺いていると私は憤っているのです。さらには目師の事跡から戒壇之漫荼羅も二箇相承も富士戒壇論も窺い観ることはできません。すべては、後世に、複数の別々にある話を寄せ集めて作られた捏造であったわけです。

これに突き動かされる人々を、自分のことを含めて哀れみさえ感じざるを得ないのはこのためです。

なお、石山僧が彼等が言う如き折伏をしないのは、檀家制度を引きずっているからでしょう。信者の年貢を喰う癖が抜けていないからでしょう。

312五月雨:2002/08/19(月) 13:37
独歩さん

そーなんですか。私はまた気抜けしました。自分に都合の悪い箇所は隠すのが
石山の「教学」なのでしょうか。・・・でしょうね。
二重に信者を欺むく石山に「アンタ、ええ加減にしいや」と言わせてもらいましょう。

>なお、石山僧が彼等が言う如き折伏をしないのは、檀家制度を引きずっているからでしょう。信者の年貢を喰う癖が抜けていないからでしょう。

いつになったら目が覚めるのやら。猊下は平成三年から「祖道の回復」と言われていたと思うのに、全然回復していないように思うのは私だけでしょうか。

>郷門要師

この郷門というのは、石山の事なのでしょうか。要師とおっしゃる方は仏像を建立されたと学会が騒いでいたあの人物ですか。

313犀角独歩:2002/08/19(月) 14:21

>> 郷門要師

郷門というのは日郷門流のことです。
郷師は目師の弟子で、目師最後の天奏に尊師と供した一人です。
美濃の垂井で目師が寂したので、遺骨を富士に持ち帰り下之坊に納めたと言います。
その後、目師の蓮蔵坊跡地の継承者は自分であると主張し、道師と争い、目師三回忌に山を離れ、小泉に蓮蔵坊を創す、また、この年(建武2年)に妙本寺を創したとも言います。ここに郷師は石山から分離し、郷門という新たな派が生じました。

興門師弟図
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/siteizu.html

その妙本寺の第11代が要師です。

> 仏像を建立

これは多分、尊師のことでしょう。目師寂後、代奏して京都に土地を賜り建立されたのが上行院でした。この上行院は天文法難に灰燼に帰します。この上行院と住本寺を合併し、辰師によって再建されたの要法寺です。つまり、この流れは造像家です。この要法寺は石山を本山と仰ぎ通行があり、そのために100年以上にわたって要法寺出身の石山重職が続いた時期もありました。また元亀年間には石要共同で開版されたのが御義口伝です。


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