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お試し/本気書き込み歓迎

1うろちい:2002/12/22(日) 15:04
設置もお手軽だったんで、思いきって設置してみました。
レンタルなので僕の意志とは直接関係ない広告が付いています。
使用感レポート歓迎します。

85卵の名無し</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/01/23(木) 22:59
>>73
ご意見有難うございました。

86ヤスツ:2003/01/24(金) 01:29
>>82

戦争は何故なくならないのか。
このテーマを考えたときに、(日本やその他の国の歴史と照らし合わせても)真っ先に思いつくのは、
「戦争に勝つことで、経済的・外交上の利益を獲得し、自国の主張の正しさ(=正義)を力で裏付けることに満足する」
という、【甘い果実】があるからではないかと思います。

日本の場合、反戦(厭戦)に民意が傾いたのは、最後に経験した戦争が「太平洋戦争に負けた」という敗北の結果だったから、というのは大きいと思います。
それが証拠に、日清戦争、日露戦争など、勝った戦争(もしくは負けなかった戦争)の後の民意は、「我々は勝利者の正当な権利としての甘い果実を得るのが当然である」「我々は勝利したことによって、自らの主張の正しさを証明した」というものでした。
そうした「戦勝国」の民意は、日中戦争や日米戦争(=太平洋戦争)を開戦することに対して肯定的であったように思います(これは、当時の新聞や雑誌などの世論形成からの感想。それも、大政翼賛会成立前の)

話はもどって、歴史が下ってから「戦争以外の回避策があったのではないか?」と考えるのは負けた側の反省であり、勝った側は「戦争に勝ったことによって利益を得、主張が通る」わけですから、勝った戦争を反省する者はいないでしょう。
アメリカでは太平洋戦争の終わった8/15を、今も「戦勝記念日」と言ってることからも、そのあたりは明らかではないか、と。

では、「戦争に勝つことに負い目を感じるような環境を作ればよい」のか?
もしくは、「戦争に圧勝できる国ができるだけ単独で開戦しにくいようにすればいい」のか?

現在、渦中の対イラク戦争は上記2項をアメリカに対して試しているようにも見えます。(EUに懐疑的なイギリスを除く)欧州は、アメリカが勝ちすぎることを望まない。だから「開戦すれば絶対に勝つだろうアメリカ」を牽制し、勝てる戦争をさせないことで、欧州の発言力を遺そうとしている。
必ずしもイラクを庇っての攻撃慎重論ではないように見えますもんね。(もちろん、フランス、ロシアは武器輸出先を減らしたくないというのもあるんでしょうけど)

戦争というのは、「勝つ国」と「負ける国」が必ず出ます。(明確に勝敗が決着つかないケースもあるでしょうけど、国土の荒廃や復興を考えれば、【戦場にされた国】の負けなんでしょうね)
勝利国が存在する限り、戦争で「いい目を見る勢力」がある限り、戦争が悪でなければならない道理というのは、通用しないのかもしれません。

87ヤスツ:2003/01/24(金) 01:46
前項で「戦場にされた国の負け」ということを書きました。
これは、おそらくイカフライさんが戦争を嫌がる理由に通じる部分なのではないかと思います。

・自分の意志ではなく始まった戦争によって、日常生活/生命が脅かされるのが厭(被害者にとっての戦争は、台風や地震と同じ「災害」でしかないということでしょうか)
・戦争=自分の生活圏が戦場になるから厭
・そんなに戦争をしたいなら、したい人だけが集まってどこかの無人島でやればいい(Gガンダム?(^^;))

以前、緑装薬4さんが述べておられましたが、「専守防衛とは本土決戦と同じ意味なんだ」ということ。
イカフライさんのこれまでの主張(私が憶えている限りの)に照らし合わせると、イカフライさんが考えておられる戦争は、必ず「日本(自分の生活圏)の本土で起こる」「だから厭」という認識であったように思います。
(もし現在は違うお考えということであれば、その旨指摘してください。謹んで訂正させていただきます)

私は、全世界的な平和は実現不可能と考えていますので、実現可能な安全を得るには、というスタンスから申し述べますと、やはり「日本が戦場にならない」ことで、少なくとも「勝たなくても負けない」は達成できるのではないかと思います。
(もし日本が戦争当事国になる場合、理想的なのは本当は日露戦争なんですよ。陸戦の大部分は会戦のできる原野で行われ、海戦は民間船を排した海上決戦でしたし。いずれも本土は無傷。というより、本土を無傷で守るためにそうなったのだとも言えますが)

「自国(自分の生活圏)を無傷で守る=本土決戦の回避=安全が確保される」
を最優先にするのか、
「相手国の生活圏に迷惑を掛けない=自国領海・領土での戦闘=本土決戦=安全は確保されない」
で折れるのか。
そのどちらでもないとしたら、自国領以外を舞台にした「海戦(=消耗戦)で決着」か、「空軍力で相手の戦略拠点を叩いて、継戦意志を挫く」か。

このあたりの細かいことになってくると軍事をもっと詳しく研究されている方のほうが本領を発揮しそうですが(^^;)。

戦争は自分で仕掛けるものばかりでなく、対話を拒否した相手がしかけてくるものもある。(直接的被害が出るものだけが軍事力の行使ではなく、「撃つぞ」「死んでもいいのか」と、軍事力を背景に武力威圧するのも軍事力の行使に含まれると思いますが)
その場合、対話では解決できないわけで、そうなった場合に「最低でも自国を戦場にされないこと」が、負けない(=勝たなくていいけど損害を最小にする)ために私が思いつく最善の方法です。

話が散逸しまくって申し訳ないんですが、hanatareさんはまだROMっておられるのでしょうか??
もしまだいらっしゃるのでしたら、過去の議論をまとめたものとして、以下の覚え書きにひとことご意見を賜りたいと思います。

●戦争の対応についての論旨と要点
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/template/senso-01.htm

88イカフライ:2003/01/24(金) 09:35
>イカフライさんのこれまでの主張(私が憶えている限りの)に照らし合わせると、イカフライさんが考えておられる戦争は、必ず「日本(自分の生活圏)の本土で起こる」「だから厭」という認識であったように思います。

 まあ、基本的にはそうです。
 ただ、いや、私はそれほど「世の為、人のため」を考えてる人間ではないけれど、世界の各地で起きる戦争を見ていて、自分の意志によってではないパンピ−(無辜の市民といういいかたは、あまり好きではないので)が、生活権、最悪の場合生存権を奪われる、ありゃ、ひどいなあ、おかしいなあ、納得できないと思えるわけです。
 戦争に限らず、社会と言うのは弱者が最初に犠牲になるようには出来ている。
 けれど、それを当たり前としていいのかなあ、と常に思えるんですよ。

8981式:2003/01/24(金) 10:34
>>82
> 81式さんの、はじめて本音を聞いたような思いがします。

ボクの本音は単純デスよ。

http://www.google.co.jp/search?q=%8F%94%8CN%81A%8E%84%82%CD%90%ED%91%88%82%AA%8DD%82%AB%82%BE&amp;hl=ja&amp;lr=lang_ja&amp;sourceid=mozilla-search

> 私はそれほど歴史に詳しいわけではないのですが、戦争が起きた時って、その時は戦争をせざるを得ない状況になっていたように思える。
> けれど、後で、振りかえってみると、本当にそれしか方法がなかったんだろうか?
> 回避する手段があったんじゃないだろうか? 
> そんな風に思える事が多いです。

戦争以外の手段もあると考えるデス。しかしながら、その時、それを妥当と判断したか、状況に流されたか様々な場合はあるデスけど、主体的意思で戦争を望んだ事は間違いないデス。

> その「仕方ない」の先を考える事って出来ないでしょうか?

可能だと思うデス。仕方ないというのは思考停止とも言えるデスから、仕方ないというよりも、どんなに最悪な状況であっても最善の手を打とうと考える事が重要だと思うデス。

90哀My:2003/01/25(土) 15:23
↑81式さんのリンクは『諸君、私は戦争が好きだ』を指してるんでしょうか?
ちょっと感動して読んでしまいました。
意味深長な、あらゆる立場の人の心を揺さぶるポエムだと思いました。
そうそう、私は2chの暮れのお祭りがあってから、81式さんのファンです(笑)
私信でスミマセン。

91ヤスツ:2003/01/25(土) 15:46
「諸君、私は戦争が好きだ」は、平野耕太作「ヘルシング」という吸血鬼マンガ(一度深夜アニメにもなっていますが)に登場する、(ナチス残党の)大隊指揮官の演説の抜粋ですね。

81式氏の主張は、「戦争という状態、それを構成する戦闘、戦闘を成り立たせる兵器群、そして総合的に戦闘に勝つ方法を考えるのが → 好き」という意味かと認識しております。

81式氏に「軍隊(戦闘従事者)にとって、どのような政治的条件下、どのような政治的方針(思想的背景)の政権が必要か」を問い、それに氏が「戦闘従事者の立場からの要望」として応えることは、「軍事(軍人=ミリタリー)が文民(行政権者=シビリアン)に、戦闘遂行のための要件を要求すること」になる可能性がある、と81式氏はお考えになっておられるように、(私には)思えることがたびたびありました。

81式氏ご本人は、「戦争に勝つにはどうしたらいいか?」を「戦闘」の視点からお考えになっておられる一方で、「ただし、軍事はシビリアンのコントロール下になければならない。独立して軍事がシビリアンを従えてはならない」というセーフティを常にかけておられます。

「大砲を撃つために弾をよこせ、標的をよこせ」というのは論外ですが、「大砲を撃てと命じられたなら、確実に命中させなければ意味がなく、確実に命中させるために今ある装備で対応せねばならず、そのための条件は、撃てと命令した者が提示した条件に従って行われるべき。それ故に、軍事を使おうとするシビリアンは、命令を発したものとしての責任を負わなければならない」というのが、81式氏の過去の主張から読みとれたことではないか、と。

その上で、81式氏ご自身は、「市民として命令権者の側に立つ」ことを、忌避しておられます(このことは、しばしば批判の対象にもなっています)。
その理由が「実際に戦闘に従事する者(命令を受けるもの)であるという立場を維持したまま、命令を発するもの(=シビリアン)の立場をも兼務することは、自分の都合(欲望)を解決するための命令を、自分自身が出すことに繋がる」と考えているからかな、と思っていました。

これについても、もし認識に齟齬がありましたらばご指摘下さい>81式さん

92ヤスツ:2003/01/25(土) 15:53
感想をひとつ付け加えるとすると、

(先の敗戦を経験した)日本人の大多数が戦争に否定的なのは、その世代の方とお話しする限りでは、

・負ける戦争はするな
・勝てない戦争はするべきでない

に起因しているように思います。
裏を返せば、「勝てる戦争ならしてもいい」もしくは「こちらが勝つ戦争だと相手に理解させることができれば、開戦に至らずに済む」です。
前者「勝てる戦争ならしてもいい」は、日清、日露戦争と負け知らずだった戦前日本の軍事体制を肯定してきた論理であり、後者「こちらか勝つと相手に理解させられれば開戦せずに済む」は、実は専守防衛の深部にある論理なのではないかと思います。
十分な反撃力を持っていること、手を出せば、出した側がただでは済まないと十分に理解させられるだけの実力を備えれば、仕掛けられずに済む、という考え方は、「だからつまり、しかけられない限りは、こちらから戦争をしかけないで平和を守れる」という専守防衛の前提に繋がるわけで。

勝敗に関係なく「とにかく戦争はするな」は、どちらか一方にだけ因果を含めても効果のない制止命令であり、では、「しかけてくる相手にそれをどう理解させるか」が、反戦平和運動の実務で求められているのではないかな、と思いました。

93卵の名無し</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/01/25(土) 19:42
>>80
関係無い事で申し訳ないが、一つ聞いていいですか?興味あり。
2Chで哀Myさんの名前を見かけた事が無いところを見ると、名無しコテで発言されているのでしょうか?
私は板によりけり、時によりけりで、コテハンもするけど、名無しもします。医療板は名無しの人が多くて自分も名無しでやっています。
最近は、殆ど此処ばかりです。

では、関係無い話題をして失礼します。

9481式:2003/01/26(日) 02:07
>>91
ボク個人としては勝つに越したことはないデスけど、しかし、勝つ事よりも戦争をする事の方が重要デス。
軍事従事者は、全く仰しゃられる通りシヴィリアン・コントロールの下にあるデスし、同時にそれはシヴィリアンは最終的な責任をとらねばならないデス。
ただ、もしボクが一市民として考えねばならないとすれば、それは戦争のために戦争をするしか考えられないデスし、勝利、敗北を無視した一心不乱の大戦争を望まねばならないと考えるデス。もし、その思いが許されるならばボクはシヴィリアンとして絶対戦争を追求して世界を火の海にしてみたいデス。
ただ、それは非常にアクロバティックデスから、現実的には意味をなさないとは思慮されるデスね。デスから、現実と折り合いをつける為に、シヴィリアンとしての立場を禁忌するわけデスけど・・・

基本的には、戦争を自己目的化する大体指揮官殿の考えには共感するのデスよねー

95ヤスツ:2003/01/26(日) 09:53
>>94
81式さんを命令権者にすると「戦争を趣味とする」という趣味人の欲望に枷がなくなるということでしょうね。
マジメな話をするなら(^^;)、もし81式さんの思想が多数派であったら、反戦平和気取りの方に多い「軍隊・軍人は存在そのものが悪であるから根絶しなければならない」という思想は正当性を帯びてくるかもしれません。
ただ、あくまで「趣味の範疇にあり」また、「市民(=命令権者)の制御下からの離脱を志向しない」のであるなら、そういう考えの人もおってよかろう、ただし、現実の戦争が起きてしまった場合は、徹底的なシビリアン・コントロール下において、その能力を発揮することだけを希望する、といったところでしょうか。

私は技術論者の位置にとどまらせ、どのような命令を発するか(自分の命令の意味の理解も)が、市民に課せられた義務であろうし、そのための議論(方針や考えの違いを摺り合わせること)は惜しまないつもりでおります。

96ヤスツ:2003/01/26(日) 11:40
>私は技術論者の位置にとどまらせ、どのような命令を発するか(自分の命令の意味の理解も)が、市民に課せられた義務であろうし、そのための議論(方針や考えの違いを摺り合わせること)は惜しまないつもりでおります。

私は【81式さんを】技術論者の位置にとどまらせ、【自分は市民として】どのような命令を発するか(【政権の出す命令の意味と利益の所在をどう吟味するか及び】自分の命令の意味の理解も)が、市民に課せられた義務であろうし、そのための議論(方針や考えの違いを摺り合わせること)は惜しまないつもりでおります。

なんか、かなり意味の通じない文章を書いていた感じがしましたので、補足しましたm(__)m

9781式:2003/01/26(日) 18:20
>>95
そうデスね、その通りだと考えるデス。
ボクは仰しゃられる通り、悪かもしれないデス。しかしながら、反戦平和主義者の正義は誰が保証してくれるのか疑問デスね。

もちろん、シヴィリアン・コントロールは重要デス。

98哀My:2003/01/27(月) 15:56
レスが遅れました。
ヤスツさんが繰り返しおっしゃる

>・負ける戦争はするな
>・勝てない戦争はするべきでない

というのは、実はイマヒトツ釈然としなかったんですが、
(あの当時の人達の気持ちなら、そうなんだろうなぁって思いますけど)

>「こちらか勝つと相手に理解させられれば開戦せずに済む」は、
> 実は専守防衛の深部にある論理なのではないかと思います。

というご説明なら、納得しやすいですね。
でも、負けるとわかってても攻撃してくる輩がいるのが困り者ですが。
(だからと言って、武器を持つなという意味じゃないです)

81式さんの示された言葉の意味も捕捉説明してくださって有り難うございます。
そういう漫画やアニメがあったことは知りませんでした。
81式さんに限らず人間は皆多面体で、今まで見えてたのと違う面が見えてくるほど
親しみを感じるし、理解もしやすくなってきますね。
対話する時大切なのは「相手のどの面を引き出させるか」ってのが私の一番心したいことです。

ところで、シヴィリアン・コントロールでいつもわからなくなるんですが、
いざ開戦になった時、反戦唱えてた人達も含めて「民意だった」と言われちゃうんでしょうか?

卵さん
> 2Chで哀Myさんの名前を見かけた事が無いところを見ると、
> 名無しコテで発言されているのでしょうか?

2chは時々ROMだけさせていただいてます。
実はたった1回だけ名無しで1行レスしたことあるんですけど、どれだったかはナイショです(笑)

9981式:2003/01/27(月) 18:17
>>98
> ところで、シヴィリアン・コントロールでいつもわからなくなるんですが、
> いざ開戦になった時、反戦唱えてた人達も含めて「民意だった」と言われちゃうんでしょうか?

基本的にはシヴィリアン・コントロールなり、法治主義なり、民主主義といったシステムが有効に働いているかが分水嶺になると考えるデス。
何を以って有効かは微妙な問題ではあると考えるデスけどね。

100うろちい:2003/01/27(月) 20:02
>>98

それこそ「命令だったら何でも従うべき?」というテーマに関係します。
民主主義が絶対なら、反戦論者の戦争責任は一切問えません。しかし、実際には問われます。

僕たちは民主主義装置の出した答えに従うかどうかの選択を、実は、常にしています。だから、反対を唱えていても、民主主義装置の出した答えに従う選択をした以上は「戦争」はその人が主体的に持つ「民意」なんです。

民意を共有したくなければ、その民主主義秩序では「非合法」とされることをする必要がでるでしょう。

だから「命令だったら何でも従うべき?」てなわけなんです。
それに対して「逆らうのは非合法だから、民主主義の秩序に外れるから従うべき」みたいな答えは、問いのポイントを失っているんです。

101卵の名無し</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/01/27(月) 21:07
>>98
了解しました。

102ヤスツ:2003/01/27(月) 22:54
>>100
たいへんご無沙汰しております。

>民意を共有したくなければ、その民主主義秩序では「非合法」とされることをする必要がでるでしょう。

つまり、民意(=所属する社会における多数意見の合意した決定)に対して、「合意できない。従えない。拒否する」という選択をする自由意志そのものは、民主主義の精神の中にはあるかもしれませんが、それを選んだ場合、民主主義の精神に基づき「合意に違反する非合法行為を覚悟の上で選んだことに対する責任」をも負わなければならないと思います。

「命令に従わない」=「命令(=民意(=多数意見の合意した決定))に自分の意志で背く」
です。

それをするのは勝手ですが、その他の多数意見に合意しない責任を負うかどうかなのです。

兵役拒否をした人間がいたとします。命令不服従の自衛官でもよろしい。
そうした「民意に背く決断」を自発的にした人は、罰則としての懲役刑や自衛官の身分とその身分で得てきた収入の返納を行い「責任を遂行できなかったこと(=民意に従う義務を放棄したこと)」に対して償いをするのであれば、「そういう選択」もアリでしょう。
ですが、「民意には背く、責任は負わない、自分は正しいのだから罰則も受けない」では、ただのワガママです。

また、民主主義は「多数決主義」であり、「法治主義」でもあると理解しています。
民主主義的な手続きを経て行われた合意、法令に従わない=非合法 ということは、すでに「民主主義、法治主義の秩序のもとで罰則を受け」なければならないわけです。
罰則を受ける覚悟があるなら、いくらでも「非合法な決断」をすることは可能でしょうけれども、その非合法な決断をしなかったその他の多数意見にとっては、迷惑な話ということになりますね。

というわけで、今、私は民主主義で法治主義な国で、その国が許す範囲内で好き勝手な意見を発露しているわけですが、これで「インターネットで政治的な議論を行うことを禁じ、違反したものには罰則を与える」という法律が成立したら、例え成立前にどれほど私が反対を唱えていたとしても、成立後はそれに従ってインターネットでの同様の議論は辞め、他の楽しみを見出すことでしょう。
民意という多数意見の合意に従う、とはそのようなことかと。

「悪法もまた法なり」とは確かソクラテスの言葉だったと思いますが、民主主義で多数決主義で法治主義というのは、「悪法でも悪令でもそれを遵守することで秩序が保たれる」という社会のことを指すのだと思います。
法律または法律に基づく命令に従うのが厭だったら、法律が成立する以前に全力で自分の意見を「多数意見にする努力」をするしかないと思います。

反対意見に対して罵倒すること、駆逐することでは「自分の意見に共感する人」を増やし、自分の意見を「多数派」にすることはできません。
反戦運動、平和運動を目指す方には、「できるだけたくさんの共感者」を増やす努力をしていただきたいと思います。
できれば「闘争」ではない方法で。

103ヤスツ:2003/01/27(月) 23:05
スレの趣旨とは外れますが、駄話としてひとつ思い出したことを。

以前、他の反戦平和系掲示板で、「なるほど」と感心したことがありました。
ちょっと記憶が朧気なんですが、ログを漁りなおすのも億劫なので、朧気な記憶のリプレイということで勘弁してください。

確か、

「反戦平和運動は、目の前の戦争に対して今すぐその最善の方法(具体的な回避方法)を提示することはできない。
しかし、時間をかければ、今、平和運動をしている自分たちより後の世代が、具体的かつ画期的な方法を見つけだすかもしれない。
だから、対話することや議論することで、できるだけ目の前の問題の解決にかけられる時間を稼ぎ、限りなく未来へ向けて【逃走】し続ける。
なるべく、今、この時点で結論を出してしまわないように逃げ続けることが、今の反戦平和運動が実際にできる戦争に対するささやかな抵抗である」

……と、概ねこのようなお説だったかと思います。

この説は、その掲示板で反戦平和運動を推し進めていらっしゃった反戦平和主義者の方が述べられた言葉だったと記憶していますが、「反戦平和を勝ち取る闘争」でなく「反戦平和を【いつか】勝ち取る【ための逃走】」というところに合点がいきました。

なるほど、これは対話を辞めないことで(例え結論が出なくても)、限りなくタイムリミットを引き延ばそう、という考え方であり、戦力・武力に依らない、なかなか相手を交渉の席から立たせないことで時間稼ぎをする、一種の「戦争回避の平和外交」であろうと思います。
が、実際にはタイムリミットが無限に引き延ばされることはあり得ません。

相手国の困窮がそれを許さなかったり、相手国の政治体制が維持できるかどうかの瀬戸際がそれを許さなかったり、緊張に耐えきれなかった前線の一兵卒の発砲がそれを許さなかったり、事情は様々です。
そうした、「起きてしまう戦争」をどのように速やかに終結させることができるか? についても、いずれ考えておく必要はあるでしょう。

104緑装薬4</b><font color=#FF0000>(aL5K3vps)</font><b>:2003/01/28(火) 04:37
>ヤスツさん
オヒサですなぁ。

要するに「問題先送り」=「争いを解決しない」ちうことですな(笑)

まあ、それもひとつの選択肢でわあるたぁ思うが、その人に言いたいねぇ。
「争いを解決しない」という選択肢は、双方合意の上で初めてなりたつ、ちう
ことをね。

ヤスツさんが言うとおり、「それを相手が許さない」場合を考慮する必要が
あるよね。

105卵の名無し</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/01/28(火) 10:28
ンだ。相手がそれを許さないから戦争になるという場合も多い。

106無名人:2003/01/28(火) 10:59
>>105
アメリカとイラクの場合、それを許さないのはアメリカのほうだね。
ああいう狂ったような好戦国に対しても、世界世論で封じ込める以外の方法はない。
アメリカを戦力で封じ込めることが出来るとは思えない。

107卵の名無し</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/01/28(火) 11:48
>>106
まずは、レスを有難う。

まあ、戦力を用いないで済むなら、それが一番ですわな。復讐が復讐を呼ぶ可能性も有りますしね。

ちなみに、イラクも戦力を用いる事が有るけど、どう考えていますか?それにも、本来ならそれにも反対するべきじゃないでしょうか?

アメリカが狂ったような好戦国と断言してしまう理由はどのようなものでしょうか?私としましては、色んな角度からの見方があるので一概には言えないのですが、北朝鮮とかイラクも戦力を保持する国であって、それらの近所の国に対して、又はアメリカに対しても、戦争を仕掛ける可能性が有ると見ています。現在アメリカが取っている政策は、万が一に備えての事を考慮したものであると考えております。勿論、アメリカにとって有利と思われる選択では有るでしょうけど。

108卵の名無し</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/01/28(火) 12:01
>>106
>ああいう狂ったような好戦国に対しても、世界世論で封じ込める以外の方法はない。

これなんですが、「国連」の組織が戦勝国で成り立っていて、戦勝国の言い分が有利である事実は、ご存知ですよね?アメリカは戦勝国です。
ちなみに、地球の環境面において、二酸化炭素を減らす為の国連での議論で、アメリカだけが反対したことも有りますが、戦勝国の強みでしょうか。アメリカの言い分も通ったように記憶しています。この件は、詳しくは失念しました。もう一度、調べます。

そういった、戦勝国が有利な国連に対しても、少しでも改善したいと考えるのが、右翼側の考えです。こう云う面で考えるに、右翼側の主張もわかります。

109イカフライ:2003/01/28(火) 12:14
 ど-も。
 流行りの風邪にかかってしまったようで、頭がすこしぼ-っとしてます。

>ところで、シヴィリアン・コントロールでいつもわからなくなるんですが、
いざ開戦になった時、反戦唱えてた人達も含めて「民意だった」と言われちゃうんでしょうか?

 独裁国家であれば、民間の意見なんてないも同然ですが、
民主国家の場合、言われちゃう、と思います。
 随分前に書きましたが、例えば、日本人全員がアフガン空爆に反対しても、アメリカはやったでしょうね。
でも、アメリカ人全員が反対したら、やりましたか? 
全員、とは言わないまでも、反戦運動が盛り上がったり、世論が反対方向に大きく傾いたりすれば、開戦が難しかったり、また、現在行っている戦争を終結させざるを得なくなるのではないでしょうか?
実際、ベトナム戦争なんか、それだけが原因とは言いませんが、いろいろな報道や、それによって起きた反戦運動が、アメリカが負けた原因だった、という部分もあるのでは? 

 確かに、一部の人間が「戦争反対」といったところで、戦争はなくなりはしないかもしれんけど、民意っていうのを、それほど軽く見るもんでもないんじゃないかなあと。

 まあ、だからこそ、こうやって、蟷螂の斧を振るっている部分もあるのですけどね。

110無名人:2003/01/28(火) 12:40
>>107
>ちなみに、イラクも戦力を用いる事が有るけど、どう考えていますか?それにも、本来ならそれにも反対するべきじゃないでしょうか?

当たり前でしょう。
しかし査察が入り、飛行禁止区域では民間人にドカスカ爆弾落としている。
今のイラクには手も足も出せない。
武器を足元に落としてホールドアップしている状況だ。
その状況で、国連の承認すらなくっても戦闘体制に入るというアメリカを、
狂ったような好戦国ということにどういう異議がありますか?

111卵の名無し</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/01/28(火) 13:02
>>110
>狂ったような好戦国ということにどういう異議がありますか?

民間人が犠牲になるのは良くないと思いますが、いくらなんでも、「狂ったような好戦国」という表現は聞き捨てならないですな。

>当たり前でしょう。

そら、当たり前でしょうな。

112卵の名無し</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/01/28(火) 13:04
>>109
> 随分前に書きましたが、例えば、日本人全員がアフガン空爆に反対しても、アメリカはやったでしょうね。
でも、アメリカ人全員が反対したら、やりましたか? 

それ、懐かしいですな。雑感まで。

113卵の名無し</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/01/28(火) 13:17
>>無名人さん
イカフライ氏が別スレを立てています。そちらでお願いします。
しいて言えば、一人に対してレスをつけるのではなく、他の同じような意見にもつけてもらいたい。
経過も見てもらいたい。
#こちらの主張をあたかも全て否定するような議論はどうかと。
#どうして反戦平和主義って、こういう傾向なんだろ?正直、又かと思う。
そういう態度が譲歩強要主義と呼ばれる所以なんだけどなあ。
「だから何?」としか答えられないがな。
反戦するならば、此処でするよりも、いっそうの事、実際に反戦運動でもする事をお勧めします。その方が、同意も出来るがな。

無名人さんは、もしかして前にも別名でこのHPにカキコしていないか?

114ヤスツ:2003/01/28(火) 14:42
>>104
ご無沙汰しております。
なんだかもう、毎日バタバタ過ごしていまして(^^;)

以前にも緑装薬4さんのご意見を参考にしつつ一度まとめていますが、
(1)戦争が起こらない努力を続ける
(2)戦争が起きた後、当事国の人的・物質的被害が最小になる努力をする
(3)戦争が起きた後、戦争そのものが最短で終わる努力をする
(4) (1)〜(3)を努力した上で、自国の主張が相手国に考慮されるよう努力する
(5) (4)が考慮された上で、相手国の主張を考慮する

反戦平和運動を続けておられる方々の努力は、(1)で止まっているか、(2)〜(3)について思考を禁じておられるか、(4)を放棄して(5)だけを尊重しておられる方が多すぎるように感じます。
もう少し、(2)〜(4)を考えることもしていただきたいかと。

>>110
については、アメリカスレで。

115うろちい:2003/01/29(水) 21:44
>>102
>それをするのは勝手ですが、その他の多数意見に合意しない責任を負うかどうかなのです。

それは大事なポイントです。
当然に責任を負います。
だからこそ、同じ理由で反対のことも言えます。民主主義に従う選択をした場合も(民主主義絶対主義の公理系でなければ)、やはり、責任は存在します。

民主主義は優れた装置だし、できるだけ、その秩序は大事にした方が良いですよ。でも、それは絶対ではありません。「民主主義で決まったことだから」は万能な免罪符ではありません。

簡単な話です。

まあ、尤も、軍隊に下る命令がそもそも民主主義の秩序の上に成り立っているかどうかも問題なんですけどね。

116ヤスツ:2003/01/30(木) 02:14
>>115
もちろん、同じ理由で「民主主義に従う選択」に伴って生じる責任は負うことになるでしょう。

民主主義が扱うテーマが戦争の場合、最良の選択を選んだ結果として
「相手が死んで、自分が生き残った」
という事態が少なからず生まれるでしょう(あらゆる局面で)。
その場合、「責任を取って生き残った自分も相手と同様に死ぬ」のは、責任を果たすことにはなりませんよね。
自分の属する側の選択した「最良の選択」が、相手に対しても最良に働くとは限りません。

私は民主主義は、「今のところいちばんマシな装置」だと思っています。
であるが故に、なるべく例外や抜け道を容認すべきではないと思っています。
「民主主義は絶対ではないから、例外はあって当然だ」「だから、例外的行動は推奨されるべきである」
これでは、民主主義の秩序は崩壊します。

公共で共有されている秩序が「民主主義」であるなら、そこに属してそこから恩恵を受けているものは、その秩序を崩壊させない努力を欠かすべきではないと思います。

うろちいさんがたびたび仰る「何事にも例外がある」「例外は推奨される」「絶対ではないのだからやってもいい」という、例外主義とも言うべき姿勢については、強く疑問を感じます。

117ヤスツ:2003/01/30(木) 02:20
>>115
「軍隊に下る命令が民主主義の秩序の上に成り立っているかどうか」

ですが、「どこの軍隊」にもよるでしょう。
民主主義ではない国の軍隊はもちろん含まれませんから。

ですから最初の設問が「民主主義の国の軍隊に」という定義であるなら、シヴィリアン・コントロールが正常に機能している(民主主義に則って軍隊の設置が容認(もしくは否定されない)されており、民主主義に則って選ばれた代表者にその最終的な指揮権限が委ねられている。またそれが法律によって条文化されている)のであるならば、その「民主主義の軍隊」も、その軍隊に下る命令(命令権者の立場)も、民主主義の秩序の上に成り立っていることは疑いようがないと思います。

むしろ問題なのは、「民主主義ではない国の軍隊」が、「民主主義ではない決定(独裁とか)に基づいて交戦を仕掛けてきた場合」は、民主主義の軍隊はどのようにそれに対応することができるか?では?

「気の毒なのは独裁者に逆らうことのできない命令をさせられている、その国の軍人たちである」
「だから、民主主義の軍隊は、独裁者の気の毒な犠牲者を傷つけることは許されない」

どうも、このような理論がまかり通っているのではないか? と訝しく思うことがありますが、いかがでしょうか。

118国家主義者</b><font color=#FF0000>(HCOHd/MU)</font><b>:2003/01/30(木) 22:27
>>115 うろちい様。

どうも私にはわからないのですが・・・・・・。
うろちい様の仰ることが、「単なる我が儘」とどう違うのか、全く理解できません。
各々が勝手に「私益」を追求することが、秩序を乱し、大多数の人間の利益を害することになるのは自明の理なのですから。
で、もしも人間が自ら「私益」を抑制する存在であるなら、そもそも国家も法律も必要ないのでは?
一昔前のアナキストみたいな考えは、現実問題として無理があるのですから。

もしも己の我をあくまで通すのでしたら、それなりのペナルティーを受けるか、もしくは自国籍を離れ、海外に出るのが筋なのではないかと。
どうも「無法状態奨励」「テロ奨励」みたいに思えるのは私だけでしょうか?

119哀My:2003/01/31(金) 11:38
あの、もしかしたらヤスツさんや国家主義者さんと、うろちいさんの仰る「責任」は、意味が違うんじゃないでしょうか?
ヤスツさん達の仰る「責任」は、秩序のために「果たす」もので、うろちいさんの言われるのは「覚悟」というような「心積もり」のことなんじゃないでしょうか?
例えば“命令は絶対だから命令に従った者に責任(罰則?)はなくても、自分が命令に従う立場を「選んだ」という責任からは逃れられない”という言い方もできるのではないでしょうか?
この後者の「責任」を言い替えれば何になるのかが浮かばないんですが、うろちいさんのことですから「良心」とかそんな単純なものじゃないと思うんですが…

120ヤスツ:2003/01/31(金) 14:20
>>119

なるほど、そうかもしれませんね。
よく「責任を取る」という物言いをするときに、「辞任」や「受刑」と同義とする人がいますが、うろちいさんの仰るのはその「責任」でしょうか?

最悪の事態を招いた結果として、それを避けられなかった担当者が「辞任をする」のも責任の取り方かもしれません。
が、最悪の事態を招かないようにするために、付与された権限を行使して舵取りをする、そのためにそこから一歩も引かない……というのは、哀Myさんの仰るとおり「責任を果たす」です。

私が言うところの「責任」とは、取る(引き受けて辞任/受刑)ものではなく、【果たす】ものである、という考えです。

責任を取る、ですが、「事が起きたら辞めれば済む」という解決方法として認識されている方が多いのは事実です。
でも、事が起きてからじゃ遅い、という事態に臨む「責任」は、事を起こさない「努力」を指すものだと思いますが、いかがでしょう。

121国家主義者</b><font color=#FF0000>(HCOHd/MU)</font><b>:2003/01/31(金) 21:19
>>119 >>120

「責任」という言葉で思い出したのですが、以下の記事、

 万引き中3死亡事故で嫌がらせ電話、書店閉店へ?(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/04/20030130i104.htm

なのですが、果たしてこの店主に責任があるのでしょうか?
板違いというのは重々承知なのですが、なにやら私の直感が訴えておりまして。(笑)
うろちい氏の仰る「責任」なるものが、この店主に対しての責任なるものに、非常に似ているのではないかと感じました。
単なる私の勘違いかも知れませんけど・・・・・・。
その上で、皆様方に、この事件における店主の、責任の有無についてご意見をいただければ幸いと存じます。

ちなみにこの事件、今日のニュース(日テレ系)でも取り上げておりました。
で、責任について、子供を持つ主婦と、商店街の方々に対してインタビューしたのですが、

 主婦→責任はある。
 商店街→責任はない。

と、真っ二つに分かれていました。

122cathoderay:2003/02/01(土) 01:39
責任がある・・?
だから主婦はワイドショーばっかり見てるからあ(略
っていわれちゃうんだよな 

万引きで潰れる書店やスーパーだってあるって言うのに
それこそ死活問題なんだよね、泥棒に配慮する必要があるのか
と私は思う
万引きってのは一種の精神病だからね、一度警察につかまったり
してお灸を据えないとなかなか直らないものですし。
自分の生活がかかってる書店主をせめるのはお門違いかと思う。

123tamago</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/01(土) 02:00
>>121

誰の責任?現場を見ていないのではっきりとした事言える訳がない。

本屋は閉める事はないと思うが。

#だから、この件も、人は好き勝手言うんだろ。自分なりの解釈で。お互いになあ。
(んで、ここでも議論が対立するとか。まとまりゃいいけど、まとまらん場合が有るでなあ。嫌だね。スマソ。)

124緑装薬4</b><font color=#FF0000>(aL5K3vps)</font><b>:2003/02/01(土) 18:17
雑談覚悟で(笑)

万引きした御仁を店主が刺し殺した、ちうならちと「過剰防衛」かな?たぁ
思うが、万引き→逃走→警察官に捕まる→警察官から逃げる→死亡
じゃぁ、そら「自分の犯した罪の重さに初めて気がついてパニック状態になった
厨房」だよなぁ(笑)

店主に対して「人殺し」などという抗議する御仁がおったこと自体のほうが
驚きであるがな。
#俺にしてみればね。

125tamago</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/01(土) 21:54
>>123訂正す
「本屋は閉める事はないと思うが。」→「(責任をとって)本屋を閉めなくても良いと思うが。」

126T-34A:2003/02/01(土) 22:37
本日、その本屋を励ますオフ会に行きました。その本屋で本を買ったり、励ましの
言葉を送る予定でしたが、当日開く予定の店は閉店中でした・・・。店主が出勤しな
かったみたいです。でも店はちゃんと再開する方針みたいです、よかったねw。

127八百鼡</b><font color=#FF0000>(/Re6aTC.)</font><b>:2003/02/01(土) 22:52
>>124=緑装薬4さんへ
>万引き→逃走→警察官に捕まる→警察官から逃げる→死亡
 それは正に『天罰』ですね(笑)。

128緑装薬4</b><font color=#FF0000>(aL5K3vps)</font><b>:2003/02/03(月) 17:43
>127
天罰ちうか、ホント一言で言って「本人のあほさ加減」だわな。

それを「死んだ」ちうことで大騒ぎする御仁のほうが、俺には驚きなんだよね。

人の死ちうもんに過敏になりすぎて、根本的なこと忘れてるような気がするね。

129バッドカルマ:2003/02/04(火) 10:57
まあ、大騒ぎしているマスコミやその他の野次馬などは論外だけど、死んだ当人の親にしてみれば
それなりに騒ぐのも仕方ないことだろうかなあ、と思ふ
複雑な気分です。

130八百鼡</b><font color=#FF0000>(/Re6aTC.)</font><b>:2003/02/04(火) 13:36
>>128=緑装薬4さんへ
 そうですね。店主に非があると騒ぐ人は根本的な事を忘れていますね
(だいぶ前の事になりますが、全共闘擁護者にもそれは通じますね)。

それにしてもこの少年は「一死をもって大罪を償わん」としたのかも知れま
せんが、残された親は電車を止めたことによる損害賠償(確か数千万ですかね)
も払わないといけない訳ですから、少年の親はたまりませんね。

131ヤスツ:2003/02/04(火) 15:45
>>129
原罪主義を突き詰めるなら、
「万引きを咎めた古書店店主に責任がある」よりも
「万引きを咎めた警察官に責任がある」よりも
「万引きするような子供(未成年だし)を育てた親に責任がある」
までいっちゃうと思う。
「万引きするような子供をこの世に生んだ責任」
は、問われないと思う。生んだ時点ではわからないし。
ただ、未成年は成人するまでは「親の監督責任下」にある。
未成年の犯した罪(軽犯罪)については、本人の責任+親の監督不行届が責められる。
親は、自分の監督不行届が原因で犯した万引き……が原因で事故死を誘発したことに際して、「自分は事故死誘発には無関係」だと思っているからこそ、「息子を奪われた気の毒な両親ヅラ」だけができる。

子が犯した罪について、責めるべき子供がいない以上、本当は監督者である自分自身しか責める相手はいないはず。
しかし、自分を責めず、子供を喪った事態に関わった正当な「正義」の遂行者を責めるのは、「親としての責任を全うしていない」ということで、その点が世間に叩かれている。

この場合の事故死について、十分な損害賠償金を支払えるだけの保険金が支払われると、親も少しは楽でしょうね。

先日のバイク事故以来、「やっぱ保険は絶対必要」と心を入れ替えました(もともと入ってたけど(^^;)、ランクを引き上げようかどうしようか検討中(T_T))。

132バッドカルマ:2003/02/05(水) 10:36
なるほど、参考になりました。さんきゅ

133うろちい:2003/02/08(土) 14:08
結果に対して責任がある=結果の原因を選択した
(ですから、結果がプラスに評価されるときは責任者もプラスに評価されるんですよ)。
原因とは結果が起こるための十分または必要条件ですから、ある現象の責任者は一般的に複数になるはずです。
その人に責任があることと、社会が特定の責任者に責任を果たすことを求めること、責任の果たし方を定めること、はそれぞれは相関しながらも別の問題です。
例えば民主主義装置はその民主主義の決定に従ったことに責任を求めません(あたりまえ)。しかし、その民主主義社会が産んだ結果は、外社会に対しては社会全体に責任があるのです。したがってこの民主主義に同意を与えた構成員にも、その視点から見たとき責任があります(どれだけ責任が軽いかは、どれだけ民主主義に逆らったかによる。)。

国家主義者さんが「単なる我が儘と区別が付かない」というのは、ある意味正しいです。なぜなら僕は「我が儘(=多数の決定に逆らう)にも良いのと悪いのがあり得る」って言っているのであり、「我が儘はいつも良い」って言っているわけではありませんから。もし「我が儘は全て悪い」ていう宗教に国家主義者さんが浸かっているなら、僕が何を言っているのか永遠にわかんないです。

例題:少数民族虐殺を決定した民主主義の決定に、その少数民族が逆らうことは、否定されるべき「単なる我が儘」か。

134ヤスツ:2003/02/08(土) 14:32
>>133
お久しぶりです。
間が空きすぎで、何に対するレスなのかわかりませんでした(^^;)
レス番号を入れていただければ幸いです。

「よいワガママ」と「悪いワガママ」は何の基準に沿って誰の主観で決めるのでしょうか?

また、
>例題:少数民族虐殺を決定した民主主義の決定に、その少数民族が逆らうことは、否定されるべき「単なる我が儘」か。
この例題ですが、「虐殺」という項目が入った時点で、例題がズルくないですか?

135壱学生:2003/02/08(土) 16:23
>うろちい氏
それは例題として適当ではないのではないでしょうか?

と言うのは、「民主主義社会」というのは基本的に「敵の頭を叩き割る代わりに頭数を数える」というのが原則です。
また「民主主義」ならば普通は「基本的人権」というものを保障されています。
この「基本的人権」というものは「自然権」と解釈されるものであり、
いかなる成文法・民主主義的決定によっても剥奪する事はできない、まさに「人間が人間であるがゆえに当然持っている権利」です。

したがって「少数民族を虐殺」するような決定は、例えそれが手続き上は民主主義に則っていたとしても
民主主義の根幹を支える「精神」に反するものです(これはあくまで政治思想上の事であり、実際にそのような事態が起きないと言う訳ではないですよ)。

136国家主義者</b><font color=#FF0000>(HCOHd/MU)</font><b>:2003/02/08(土) 21:06
>>133

ヤスツ氏と壱学生氏に、言いたいことはほとんど言われてしまいましたが・・・・・・。
とりあえず、触れていないところだけ。

>もし「我が儘は全て悪い」ていう宗教に国家主義者さんが浸かっているなら、僕が何を言っているのか永遠にわかんないです。

はい、全くわかりません。(笑)
別に私は『我が儘は全て悪い』なんて、一言も言っていませんが・・・・・・。
ただ、我が儘はある制約下においてのみ、許されるということでして。
そうやって、秩序を保つことが出来ると。
要するに人間は全て我が儘な存在で、それを抑止する必要がある、そういうことです。

>例題:少数民族虐殺を決定した民主主義の決定に、その少数民族が逆らうことは、否定されるべき「単なる我が儘」か。

失礼ですが、この例題以前の前提条件がなければ、私には何とも言えません。
うろちい様は、この決定に至るまでの過程をすっ飛ばしております。
よって、個人的には質問になっていないと思います。

例えば、これを(私の得意の)利益論で語ると、少数は生存権という利益を侵害されたことになりますね。
当然ながら利益を侵害されれば、これに立ち向かうのは当然でしょう。
しかし、この場合、少数が大多数の利益を全く侵害していなかったという前提がありますね。
もしも大多数が、少数によって多大な不利益を被っていた場合、どうでしょうか?
オウム真理教なんか、いい例ですね。
麻原の我が儘は、果たして正当化できますでしょうか?
個人的には、弾圧されて当然だと思いますが。

137うろちい:2003/02/12(水) 21:46
>>134
>ヤスツさん
>「よいワガママ」と「悪いワガママ」は何の基準に沿って誰の主観で決めるのでしょうか?

「基準は何でもいい」と、とりあえず言っておきましょう。
その基準を全て放棄した人が絶対的な民主「主義」者です。

>>135
>壱学生さん
>それは例題として適当ではないのではないでしょうか?

我々が民主主義の決定を選択的に受け入れていることが示せれば適当です。
例えば民主主義の精神に反する決定もあり得ることが説明できました。
それを理由に我々は民主主義の決定に従わないこともある、と。
で、民主主義の決定に逆らうべき場合は、決定が民主主義の精神にかなわない場合っていうのが、実際僕の大きな基準なんですね、実際。

「虐殺」は確かに極端な例でしたが、では「死ぬほど嫌なことを強いる」は、どうでしょう?たぶん、まだ民主主義の精神にかなっていないでしょう。と、なると、こんな調子で、結構グレーゾーンは広いんです。

ただ、事実として、個人の総合的利益が、民主主義の決定に逆らった方が大きくなるような決定を、民主主義が下したとき、当然の結果としてこの民主主義社会の秩序は失われるでしょう。そして実際、ブラックあるいはグレーゾーンを犯しうるわけです、民主主義装置は。

これがいわゆる「民主主義には少数意見の尊重が不可欠」と言う所以です。きれい事として説明されがちだけど、全く力学に裏付けられていますよね。

民主主義自体にさして価値がある訳じゃありません。互いがまあまあ我慢できる範囲で物事が決められる、という状況に中心的価値があるのだと思います。

横にそれるかもしれないけど、「民主主義の決定は全ての人が従うべきだ」と「全ての人が従いうる決定を、民主主義はすべきだ」との関係は、「続けることに伝統の価値がある」と「価値がある伝統だから続いたのである」の関係に似ると思う。

>>136
>国家主義者さん
>失礼ですが、この例題以前の前提条件がなければ、私には何とも言えません。

それで良いです。
前提条件次第では答えが変わりうることを自覚してもらえるのが僕のとりあえずの目的ですから。

138国家主義者</b><font color=#FF0000>(HCOHd/MU)</font><b>:2003/02/12(水) 22:33
>>137

ますます、わからなくなってきたのですが・・・・・・。
要するに、うろちい様は、個人個人の意志によって秩序は保つことが出来ると、つまりそういうことですか?
簡単に言えば、一種のアナキストであると。
誤解があれば訂正しますけど。

個人的には、国家なり民主主義なりのシステムは、私益を抑え公益を追求するためにあると認識しています。
そうやって、(共産主義ではないですけど)利益の再配分を行っていると。
119番をかければ救急車がすぐに来て、110番をかければ警察が来て交通事故の処理をしてくれるというような。
もしも、そのシステムの決定に逆らうという意志を遂行するのでしたら、そもそもそれによる恩恵を受ける資格がないのでは?

少なくとも、秩序を保ち、安定を得ることが出来るからこそ、大多数の国民は(意識、無意識は問わず)そういったシステムを支持しているわけで。
前にもどこかで申しましたが、秩序を保つのは容易ではなく、下手をすれば「北斗の拳」になってしまいます。
例えば前の例題にしても、その少数の者達によって大多数の利益が侵害された場合のみ、それを弾圧することは容認されるのではないかと私は思いますが。
オウムしかり、赤軍しかりで。
戦争において敵を殺すのにしても、敵戦力の殲滅という理由からで、それがシステム内における大多数の利益に直結するからだと思います。
もしもそれが間違っているというのでしたら、現存するシステム以外で、秩序と安定を得ることの出来る新案を提示するのが筋ではないかと。
どうでしょうか?

139ヤスツ:2003/02/13(木) 00:30
>>137
>>「よいワガママ」と「悪いワガママ」は何の基準に沿って誰の主観で決めるのでしょうか?
>
>「基準は何でもいい」と、とりあえず言っておきましょう。
>その基準を全て放棄した人が絶対的な民主「主義」者です。

で、誰の主観でそれが「ヨイ」か「ワルイ」かを決め、誰が採用を決定するのですか?
「ヨイ」という主観の個人の多数意見を採るのが「民主」の決まりであり、「ワルイ」とした人が「ヨイ」とした人に破れた場合、「民主的なやり方の決まりには従わなくてよい」というのがうろちいさんが繰り返されている主張ですが。

>我々が民主主義の決定を選択的に受け入れていることが示せれば適当です。
>例えば民主主義の精神に反する決定もあり得ることが説明できました。
>それを理由に我々は民主主義の決定に従わないこともある、と。
>で、民主主義の決定に逆らうべき場合は、決定が民主主義の精神にかなわない場合っていうのが、実際僕の大きな基準なんですね、実際。
>
>「虐殺」は確かに極端な例でしたが、では「死ぬほど嫌なことを強いる」は、どうでしょう?たぶん、まだ民主主義の精神にかなっていないでしょう。と、なると、こんな調子で、結構グレーゾーンは広いんです。

では、虐殺に準じて回答します。
その場合、虐殺を求められた人々は、「民主主義」の決定から逸脱することを選ぶでしょう。
民主主義が自分たちにとって利益をもたらさないと考えれば、それ以外の方法を選ぶでしょう。
そのとき、「独立運動」が起こるでしょうし、それは「民主的な方法」ではなく、「民族主義的な方法」で、「民主主義の決定に反対するリーダー」の元で行われるでしょう。
もし、「それでも虐殺が是である」というのが民意であるなら、政府はその決定に従って、少数民族の虐殺を止めないでしょう。
虐殺される側は、「虐殺対象になる地域からの撤退(もしくは他への移動)」というカタチで、民主主義の決定を事実上無効にさせるための方策を採るか、虐殺を肯定した「民主主義」という装置そのものを否定するために、別の主義主張(民族主義でも強力なリーダーに従うでもなんでもけっこうですが)に代わる。
主義主張は生き延びるための方便です。
虐殺認定された人々が民主主義から離脱するのも、その当事者にとっての正義である「生存」を満たすためであるなら、当事者が民主主義を否定するのも仕方ないでしょう。

という答を導き出させたいということから考えると、うろちいさんは少数意見に対しては「民主主義からの離脱をほのめかしている」または、「少数意見は民主主義からの離脱を正義として唱えても良く、多数意見は民主主義を維持するために少数意見の言い分に折れる(=少数意見の尊重)のが正しいことだ」とお考えなのですね。
つまりは、「少数の意見は常に多数の意見を屈服させる機能を持っていなければならず、少数意見は民主主義という仕組みの維持を放棄することを【脅迫材料】として、本来の民主主義の裁定上での勝利者である多数意見を曲げさせることをヨシとする」ということですね?

>民主主義自体にさして価値がある訳じゃありません。互いがまあまあ我慢できる範囲で物事が決められる、という状況に中心的価値があるのだと思います。

その、「互いが」というところがミソなわけです。

140ヤスツ:2003/02/13(木) 00:38
>>137
こういう例えはどうでしょうか?

例題:【男が7人、女が3人、10畳一間に詰め込まれていた】

人数比から、多数決によって「男7畳、女3畳」に分ける決定が民主的に下されたが、「男の意見と女の意見は対等でなければ不公平。男と女のふたつの意見しかないのだから、それぞれの意見に対して対等でなければならない」という反論によって、「男5:女5」にせよ、女3人が言い出します。
しかし、それでは人口比的にも、また多数決による民主的裁定の結果にも反します。
ここで、少数意見である女性の言い分を考慮するために、「男6畳:女4畳」になったとします。

これでは、多数意見の要望はまるで通らず、一見少数意見を尊重する仲裁裁定のように見えても、男性一人当たりの専有面積は1畳以下、女性一人当たりの専有面積は1畳以上と、結果的に「ゴネた少数意見が得をする」という結果になってしまいます。
結果として3人の女性は、要望である5畳獲得はならないので不満が残り(それでも1畳以上あるわけですからまだマシ)、多数意見だったはずの男性は1畳以下になってしまい、全体の7割は強い不満を抱くことになります。
この不満が残り続けると、双方は「思い通りにならない民主主義(=多数決)という方法」に疑念を抱き、その秩序の維持を放棄してしまうかもしれません。
つまり、「民主主義による解決に応じない、ふたつの勢力」が、それぞれの言い分を相手に強要するために、民主主義以外の強制力のある方法を選ぶ、ということになります。

つまり、戦争です。

もし、当初の「男7畳、女3畳」が通った場合、女性は不満かもしれませんが、不満は全体の3割で済みます。
残る7割の男性は満足しているわけですから、「多数決」が残る限りは「民主主義という決め方」は7割の支持を得るでしょう。
もし、3割の女性がそのやり方にどうしても納得がいかなかったらどうするか。しかも、民主主義の秩序を崩壊させない方法でやり返すには。
(1)部屋の外から5人以上の女性を連れてきて多数派に転じるか(票田の拡大)、(2)男性7人の中から3人以上を転向させるか(得票運動)、(3)はたまた10畳の部屋を20畳に広げるか(領土の拡大)。

つまり、うろちいさんはご自身の意見を通すためには、うろちいさんの主張に賛同なさる味方をさらにたくさん増やす(1)(2)か、(3)別のBBSで意見を述べられる(結果的に賛同者を増やして(1)(2)を満たす)かしかないわけですが、それをせずに「少数意見者が、民主主義の秩序を壊すという主張をもって多数意見者を脅迫する」ことを容認するというのは、はなはだ危険であると思います。

>横にそれるかもしれないけど、「民主主義の決定は全ての人が従うべきだ」と「全ての人が従いうる決定を、民主主義はすべきだ」との関係は、「続けることに伝統の価値がある」と「価値がある伝統だから続いたのである」の関係に似ると思う。
↑に関する回答は、前述の通りです。

141壱学生:2003/02/13(木) 20:50
>うろちい氏
ちょっと根本的に「民主主義」の理解がおかしいのですが。

僕が以前別のスレで述べた通り、「民主主義」というものは政争(頭のかち割り合い)を抑制する手段として誕生しました。
それまでの政治的決定が頭のかち割り合いに過ぎなかったとすれば、それは決定を不服とする者の「基本的人権」を無視したものでした。
それに対して「頭数を数える」民主主義では、たとえその決定に不服な者がいても「頭をかち割られる」ことなく生きていく事が可能なりました。
つまり「民主主義体制」においての少数者の最大のメリットとは、「反対者であっても生存が保障されている」事です。

で、うろちい氏が例に挙げているような「虐殺」や「死ぬ程嫌な目」に少数者が遭う場合、少数者側にそのような体制に所属するメリットがどこにあるのでしょうか?
その決定に賛成しても「頭をかち割られ」反対すれば勿論「かち割られる」、少数者は踏んだり蹴ったりです。
そのような決定を下すという事は、つまりはその「民主主義」の枠をも同時に「かち割る」ことに他なりません。
そのような体制を政治学では一般に「ファシズム」と言うのです。
つまりうろちい氏の例は、「民主主義的決定を否定する」ものではなく、「ファシズム的決定を否定する」例題でしかありません。

142うろちい:2003/02/14(金) 08:38
>>138
>もしも、そのシステムの決定に逆らうという意志を遂行するのでしたら、そもそもそれによる恩恵を受ける資格がないのでは?

「その」民主主義からの恩恵を受ける原理は失われます。
何が恩恵か、と言う議論は別にありますが、とにかく民主主義の決定に従うことから得られる利益、逆らうことで得られる利益、我々はそれを秤りながら生きています(民主主義からの利益が民主主義に従う原理だとするなら)。

国家主義者さん的に「民主主義の決定に常に従うべき」を説明するためには「任意の民主主義に従う利益は逆らう利益を常に上回る」を論証してみてください。

>>140
>つまりは、「少数の意見は常に多数の意見を屈服させる機能を持っていなければならず、少数意見は民主主義という仕組みの維持を放棄することを【脅迫材料】として、本来の民主主義の裁定上での勝利者である多数意見を曲げさせることをヨシとする」ということですね?

前半の「少数の意見は常に多数の意見を屈服させる機能を持っていなければならず」は僕の主張と因果関係がありません。
後半は、そうとってもらって良いです。
ただし、少数の決定意志の内容に対して僕が賛同するかどうかは別の話ですが。

>その、「互いが」というところがミソなわけです。

そのとおりです。

>>141
>そのような体制を政治学では一般に「ファシズム」と言うのです。
つまりうろちい氏の例は、「民主主義的決定を否定する」ものではなく、「ファシズム的決定を否定する」例題でしかありません。

それは何に冠して「民主主義」を言っているかによります(多数決装置を指すのか、精神を指すのか)。一応何について僕が言っているかは自明のつもりだったのが、壱学生さんを混乱させているのかも知れません。

壱学生さんにとって、地球上に民主主義国家として「完成(多数決がファシズムを選択しない、が保証される)」している国ってあるんですか?原理的に、民主主義を自称する国家で多数決によってファシズムを選択することは可能です。ですから、民主主義による決定(多数決)と民主主義精神とは区別する必要があります。

この一連の話は「命令なら何でも従うべき?」という僕の問いかけから始まっています。想定される命令が常に民主主義の精神にもとらない因果関係があるなら、良いんですけどね。

143うろちい:2003/02/14(金) 08:47
>>139

下のに答えるの忘れてました。

>で、誰の主観でそれが「ヨイ」か「ワルイ」かを決め、誰が採用を決定するのですか?
「ヨイ」という主観の個人の多数意見を採るのが「民主」の決まりであり、「ワルイ」とした人が「ヨイ」とした人に破れた場合、「民主的なやり方の決まりには従わなくてよい」というのがうろちいさんが繰り返されている主張ですが。

誰が?と言えば、全ての人がそれぞれにです。
>「民主的なやり方の決まりには従わなくてよい」
は、きちんと言えば
「民主的なやり方の決まりには常には従わなくてよい」
です。
自分の希望とは違う決定が下されても、あえて従う選択もあります。
それをするかしないかは、下された決定、従った場合と逆らった場合の結果、とそれに対するそれぞれの自己基準との相互関係ですから一定の答えは出ません。

144緑装薬4</b><font color=#FF0000>(aL5K3vps)</font><b>:2003/02/14(金) 11:43
人の価値観、考え方は多多様だよなぁ。

んで、いろんな価値観・利益をすべて具現化でける方法があるなら、そら民主主義
なんていう「乱暴な」手段わいらんし、自然だよな。

「俺は犬を食う。だっておいしいんだもん」ちう御仁と「犬は大切な人間のパートナー。食うなんてとんでもない」
ちう、ふたつの価値観が同居でければええんだがね。

おそらく、何の統制もなければこの両者はいつか殺し合いするよな。

んで、「とりあえずどっちにする?」ちうのを決めるのが、民主主義なわけだよね。
「犬を食う」ちう御仁が多ければ、とりあえずそれを採用して、それを妨げるものは
排除する。

より多くの人が「望む」「許せる」ものにあわせよう、ちうのが多数決だわな。

145誰だろう。:2003/02/14(金) 13:54
>んで、「とりあえずどっちにする?」ちうのを決めるのが、民主主義なわけだよね。
「犬を食う」ちう御仁が多ければ、とりあえずそれを採用して、それを妨げるものは
排除する。

くう〜っ!!!
じゃあ、個性が強くて周りに合わせられない人はハバチってかあ!!
やな世の中だよね・・・・・・。

146ヤスツ:2003/02/14(金) 15:40
>>142
>>>140
>>つまりは、「少数の意見は常に多数の意見を屈服させる機能を持っていなければならず、少数意見は民主主義という仕組みの維持を放棄することを【脅迫材料】として、本来の民主主義の裁定上での勝利者である多数意見を曲げさせることをヨシとする」ということですね?
>
>前半の「少数の意見は常に多数の意見を屈服させる機能を持っていなければならず」は僕の主張と因果関係がありません。
>後半は、そうとってもらって良いです。
>ただし、少数の決定意志の内容に対して僕が賛同するかどうかは別の話ですが。
前半の、「少数意見は、多数意見を屈服させる能力(機能→能力)を持っていなければならない」は、うろちいさんが再三繰り返されている「イヤだったら従わなくてもイイ」を保証するために必要な条項であり、因果関係はあると思いますが。
後半、民主主義を脅迫する(秩序の崩壊を根拠とする脅迫によって、少数意見が多数意見を従える可能性を残す)ことを、うろちいさんは「ヨシとする」わけですね。

つまり、「制度を破壊する可能性を示唆して、少数意見の要望を遠そうとする」、「制度の監視者を装うことによって、少数意見が多数意見を曲げさせる」ということですね?

147ヤスツ:2003/02/14(金) 15:58
>>143
>>で、誰の主観でそれが「ヨイ」か「ワルイ」かを決め、誰が採用を決定するのですか?
>「ヨイ」という主観の個人の多数意見を採るのが「民主」の決まりであり、「ワルイ」とした人が「ヨイ」とした人に破れた場合、「民主的なやり方の決まりには従わなくてよい」というのがうろちいさんが繰り返されている主張ですが。
>
>誰が?と言えば、全ての人がそれぞれにです。

つまり、個々の人々が、個々のそれぞれの判断に自由に従うことを無制限に許すということですか?
それだと社会の秩序は崩壊しますよね。個々の欲望を個々に許可することになるわけですから。

>>「民主的なやり方の決まりには従わなくてよい」
>は、きちんと言えば
>「民主的なやり方の決まりには常には従わなくてよい」
>です。
>自分の希望とは違う決定が下されても、あえて従う選択もあります。
>それをするかしないかは、下された決定、従った場合と逆らった場合の結果、とそれに対するそれぞれの自己基準との相互関係ですから一定の答えは出ません。

民主的なやり方に従わない場合の正当性は、誰が何の基準に従って保証するのですか?
例えば、「性交渉は無制限に認めない」法的には夫婦内、慣習的には恋人、内縁関係など。愛人は社会的に広く受け入れられておらず、援交は同意の上でも犯罪などのように、性行為が許される段階は、慣習と法の双方で規定されており、これを受け入れて守ることで社会秩序が維持されています。
一定の答は出ないけど、社会秩序維持のために法と慣習に従う。それでも決着しなければ多数決に従うというのが、「【民】が【主】たる権力を持って自ら全体の方針を決める【主義】」なのでは?

うろちいさんの解釈だと、民主主義とは「民(個人)それぞれに権利があるのだから、民はその民を含む全体(=社会秩序)の維持に協力しないことが許される」という、極めて「個人の利益を、それぞれ個別に保証する考え」となります。
民主主義というのは、「民(全体)の方針を特定の少数者が決めて強制する(君主主権)のではなく、意志をのべる権利を持つ全ての民が、多数決という妥協によって最大公約数を出し、それに従う」という、社会的な判断の方法と思いますが。

再々度の質問になりますが、うろちいさんは「一定の答は出ない」と仰っておられますが、民主主義の決定に対して従わない決断と選択をするのはよいとして、その場合のペナルティは負わなくてもよいのですか?
例えば、うろちいさんがスピード違反で掴まったとき、「自分は急いでいた」「スピード違反より重要な用事があり急いでいたことは正しい」「正しいので違反を指摘するのはおかしいし、従わない」と答えたとします。
でも、「重要な用事があっても、急いでいても、様々な条件を加味して決められた速度制限(=社会秩序の維持のための速度上限)を破ったのだから、それに対するペナルティは支払わなければならない」のは当然です。
では、ここで、選択として「それでもスピード違反は間違っていなかった!」とうろちいさんが個人の利益と意志によって判断するのはいいとしても、その個人の意志に基づく判断が、「違反に伴う罰金を払わなくていい(ペナルティを課されない)」ことの根拠にはなりませんよね?n

繰り返し伺います。
個人の意志・判断で、多数意見(少数が制定した後でも、多数が支持・遵守している意見)に対して「従わなくていい」というからには、それに従わない場合のリスク・ペナルティを、その従わない判断をした「個人」が負うということは自覚なさっているのですね?

148壱学生:2003/02/14(金) 16:07
>うろちい氏
ちょっと論点が混乱していますよ。

民主主義を「決定に際して頭を叩き割る代わりに頭数を数える」とするのなら、
ファシズムは「多数者が少数者の頭を叩き割る」体制、
少数者による独裁は「少数者が多数者の頭を叩き割る」体制、という事が出来るでしょう。
つまりは民主主義においては「頭を叩き割られる事はない」という事です。
ということは、うろちい氏の例題は「民主主義的決定」ではない、という事を意味しますよ。
ただ単に、「多数決による決定の是非」を問うものでしかありません。決して「民主主義=多数決」でない事に注意してください。
例えば聖徳太子の十七条憲法や明治維新の時の五箇条のご誓文が「多数決による決定」を謳っていたとしても、それらが民主主義を意味しないのと同様です。
「多数決による決定」とは「民主主義」の必要条件でしかなく、充分条件ではないのです。

例えば「民主主義」の必要条件の中には「法治主義」とか「政治的権利の平等」などの概念が所与に含まれています。
日本においても憲法で基本的人権が保障されているように、そして憲法の前文が「民主主義の理念」を唄いそれが決して改正されないように。
したがって、まともな法制度・政治制度が整えられ、国民の大多数が支持している「民主主義」においては、余程の事がない限りうろちい氏の例題のような事態にはならないでしょう。
そのようなな決定を下すためにはそれ以前にしなければならない法改正(それはつまり民主主義を否定するものですよ)や国民への宣撫が欠かせません。

で、本題に戻りますと、うろちい氏がしたいのは「民主主義的決定」を覆す論理を建てる事ですか?、それとも「多数決による決定」を覆す論理なのですか?
後者ならともかく前者とするならば、うろちい氏の例題は適当ではないですよ、という事を僕は指摘しているのですが。
どうもうろちい氏の民主主義に対する理解と一般的な理解に齟齬をきたしているようなのですが。

149ヤスツ:2003/02/14(金) 16:17
うろちいさんの主張は、

「民主主義の決定には従わなくてもよい(許される)場合がある」
というものと理解しています。

「常に従わない」ではなく、
「場合によっては従わなくてもよい」「(従うことが法の遵守と多数決への従属であるにもかかわらず)従わないことは違法にならない」
という考え方です。

「従わない意志を持つことが是か非か」ということだけを問うなら、「従わない意志を心の中に大切にしまっておくなら是である」と思います。
が、「従わない意志に基づき、従わないという判断を決めてそれを実行する場合」は、「従うべき」という多数意見に対する叛乱になります。
すでにのべたように、ここで民主主義的な抵抗を試みるなら、「賛同意見/票田の拡大で、多数決で勝つ」です。
が、うろちいさんは、「賛同意見を拡大せず、票田も拡大せず、多数決にも従わず、個人の意見は個人の基準に照らし合わせて個人において正しい」を繰り返されるのみです。

うろちいさんは、「常に従わないではなく、従う決定もある」としていることから、その他の案件でその他の多数意見と意見を同じくすることで、その社会秩序から恩恵を受けていることは明らかです。
が、「特定の案件で自分個人に不利益なので、それには従わない」「従わないが、それは自分が正しいからで、従わないことに伴うペナルティを受けなくてもよい」とお考えなら、それは身勝手なのでは。

私は、「場合によっては従わない」という主張には賛成しかねますが、心情として理解できます。
が、「従わないことが許される(=リスク・ペナルティを負わない)」とする考えであるならば、おかしいと思います。
逆に「リスク・ペナルティを課されることを前提に、場合によっては従わない」ということであるなら、その考えも理解できます。

150ヤスツ:2003/02/14(金) 16:19
>>148
む、私もちょっと混乱気味だったかもしれません。
m(__)m

151ヤスツ:2003/02/14(金) 16:25
壱学生さんの指摘に基づいて再度考え直してみると、
うろちいさんは、多数決が暴走してファシズムになることに対して異論があるのですか?
(民主主義が多数決を採用していること=民主主義はファシズムになる要素を孕んでいること(まあ、そうですが)、だから民主主義=ファシズム的多数決には従わなくても許される、「少人数の正義が、大多数の愚民の選択を【民主主義を脅迫することで正す】ことは許される」ということでしょうか?

【民主的な多数決が独裁者を選んだことがある】から、【多数決も民主主義も信用ならない】という考えなんでしょうか?

152たまちゃん</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/14(金) 17:34
>うろちいさんへ
ふと、思ったのですが、元はと言えば、ここは反戦系のHpだったのですよね?

何でも自由に議論ができるHPなので、非情に良い事で、気に入ってはいるのですが、反戦を目的にしてここに来る人にとっては、「何か違うなあ」と、思うのかもしれませんね。
私達は、経過を知っているから、何でも自由な議論ができて良いなあと思うけど、初めて来る人は「あれ?」って、思うかもしれません。

(で、ここのような「自由な議論板」も、そのまま置いておきながら、もう一つ別に、「反戦専門掲示板」を用意すると言うのは如何でしょうか?勝手な事言いましたが、案に過ぎませんので、必要ないと思われれば、このままこれは放置して下さい。そして、サーバーが重いなど不都合が生じるようであれば、ライコスの方で無料のHPを作成できるし、掲示板もつけれるので、それを作成して、こちらのINDEXにリンクを貼るよにしてみたら如何でしょうか?)

ここは、イカフライさんの様に、ここで議論したことを生かして、小泉さんのメールマガジンにメールしてみるとか、そういう使い方をした方がより生かせますね。

153たまちゃん</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/14(金) 17:45
追加
ちなみに、我が家のHPの場合、まだ更新可能な領域ですが、それにも拘らず、ライコスの方には別の目的のHPと日記を作り(ライコスでは非公開にしてあります)、自宅のHPにリンクを張りました。

154たまちゃん</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/14(金) 18:04
それと、もう一つ追加。
ライコスで設置する掲示板は、IDを収得しないと書き込めないので、やっぱりダメかもしれませんね。
メールポストを貼る付するとか、他の方法を用いる方が良さそうです。
何度も、すみませんでした。<(_ _)>

155うろちい:2003/02/14(金) 21:09
>たまちゃんさん
ご意見ありがとうございます。
おっしゃるとおりです。どちらも(反戦を前提とした議論もそうではない議論も
)僕にとっては大事なんです。
約束は難しいですが、いつか「反戦が公理」のフィールド「も」用意したいと考えています。

156ヤスツ</b><font color=#FF0000>(GpSwX8mo)</font><b>:2003/02/14(金) 21:18
異論を唱えるつもりはありませんが、
「反戦を公理」にしたフィールドを用意したとしても、反戦を公理としない発言者の参加を物理的に制限しない限り、談話室2から人が流れ込んで同じようになっていくのではないかと思います。

「反戦」に対する異論を拒絶すると、反戦論は広がってはいきません。
とはいえ、「反戦に対する異論」を受け入れたら、結局ここと同じになるのでは?

「反戦を公理とする人を、その他の意見から守る」というシェルターとして設置するのだとしたら、止めませんが……。

157たまちゃん</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/14(金) 22:59
>「反戦」に対する異論を拒絶すると、反戦論は広がってはいきません。

「確かに、それは言える。」とは思います。私としては、いろんな人がいた方がいいと思います。今の現状で、皆が参加出来れば言う事無しです。

しかし、残念ながら反戦を公理と考える方が離れていくケースもありました。皆が皆、異論を受け入れて議論ができるかというと、残念ながらそうではないケースも偶にはあるようです。少しでも去っていく人がいなくて済むように、シェルターもやむ得ず有っても良いかと思う、今日この頃です。ただし、誰でもROM出来る環境ならばの話です。
個人的に、シェルターは好きではありませんが、中には、その方が発言しやすいと考える方もいるのではないかと思いました。

とは言いつつ、基本的には管理者が考える事であって、外部からの意見の一つとして、念頭していただければと思います。色々書いて、すみません。

158国家主義者</b><font color=#FF0000>(HCOHd/MU)</font><b>:2003/02/14(金) 23:46
>>142

仕事から帰ってきたら、ヤスツ氏や壱学生氏がすでにレスしており、私が述べるのもなんですが・・・・・・。

>国家主義者さん的に「民主主義の決定に常に従うべき」を説明するためには「任意の民主主義に従う利益は逆らう利益を常に上回る」を論証してみてください。

論証できるかどうかはわかりません。
私もそれほど賢くないので。(苦笑)
ただ、利益といっても個人か全体かで大きく変わるでしょう。
前にも申しましたが、個人の利益を追求することにより、全体が大損害を受けることは許されないと私は考えています。
まずそれを述べる前に、以下のサイトの文を読んでいただけたら幸いです。

 三菱銀行猟銃強盗殺人事件
 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/mitubisi.htm

この事件当時、私は小学生であり、幼いながらも強く印象に残っています。
映画化もされ(宇崎竜童が主演していた)、覚えてらっしゃる方もいるかも知れません。

この事件の主犯である梅川は、ここでいう民主主義国家の決めたルールに逆らい、凶行に及びました。
彼は、うろちい様の仰る、「民主的なやり方の決まりには常には従わなくてよい」を実践したわけですね。
それまでは比較的大人しかったにもかかわらず、己の正義と利益のためにやったわけです。
で、本文を読めばわかるように、大多数の人々の利益を害しました。
その結果、国家によるペナルティーを受け、銃殺されたわけですけど。

で、私が何を述べたいかというと、うろちい様のような論法がまかり通れば、梅川のような輩が社会を跋扈することになりかねません。
時と場合によりけりだという主張もあるでしょうが、そんなものは個々人の都合によってどうにでもなります。
もしもあくまで我を通すというのでしたら、>>147でヤスツ氏も申しているように、ペナルティーを受ける覚悟が必要ではないかと。
もしくは、国家主権の及ばないところ(例えば無人島など)で、自分一人で自給自足の生活をするべきでしょう。
その場合、元いた国家に迷惑がかからないよう、国籍の離脱はいうまでもありませんけど。

個人的には、秩序というのは各々の我慢の上に成り立っていると思います。
民主主義というシステムは、(完璧ではないが)今のところ秩序を維持するための最良の手段なのではないでしょうか。
状況によって、多数派が少数派、少数派が多数派に変わることが出来るのですから。
で、そのときには多数派の決定に従い、少数派は我慢すると。

消費税一つをとっても、例えば共産党などはこれに反対していました。
が、だからといって共産党員が消費税を払っていないでしょうか?
賛否に関わらず、きちんと払っていますよね。
だからこそ、自民党と共産党との間で武力衝突に至るまでの争いがないのだと思います。
民主主義というルールをお互いに守っているから。

最後に結論を述べると、うろちい様の論理は、秩序を乱し、最終的には内戦を誘発することになるのでは?
戦争には対外戦争だけでなく、そういった形態の戦争もあるのです。
もしも戦国時代に戻したいというのでしたら、私はこれ以上何も言いませんけど。

なんか、まとまりがなくてすいません。

159うろちい:2003/02/15(土) 04:58
>>147
>個人の意志・判断で、多数意見(少数が制定した後でも、多数が支持・遵守している意見)に対して「従わなくていい」というからには、それに従わない場合のリスク・ペナルティを、その従わない判断をした「個人」が負うということは自覚なさっているのですね?

もちろんです。
だから軽率にはできませんよ。
多数決には「その」多数決に従うことを選択した人たちが責任を持つ。
それに逆らったことには逆らった個人が責任を持つ。

>>148
>ちょっと論点が混乱していますよ

こんなことなら最初から「多数決」と明確に書けば良かったですね。
一応「民主主義を自称するある社会の決定」とか「手続きが民主的」とか時々書いていたんだけど、中途半端だった。

>後者ならともかく前者とするならば、うろちい氏の例題は適当ではないですよ、という事を僕は指摘しているのですが。

後者です。

前者は提起しようがありません。ある瞬間まで完全に民主主義であった社会においても、ある人が、どうしても逆らわざるを得ない決定が下されたら、その瞬間からその「民主主義社会」の民主的完全性はほころびを生じます。

つまり、仮に理想的に民主主義が実現されていても、次の瞬間はそれが続くとは限らないのです。民主社会は「維持する」ものであって「あるもの」ではありません。

ですからその「瞬間」の後に生じた「非民主主義社会」を指して、壱学生さんが「それはそもそも民主主義とは言わない」と言うのは全く妥当です。

>「多数決による決定」とは「民主主義」の必要条件でしかなく、充分条件ではないのです。

僕の意図する提起は上記と構造が同じです。
「多数決による決定」だからといって「民主主義にのっとった決定とは限らない」。

だから、社会が決定を下すたび、各構成員がそれを評価し、民主主義社会が持続されるかどうかが決まります。「民主社会だから非民主主義的決定はなされない」というのは可能な推測の一つではありますが、唯一ではありません。何故なら因果が逆なのですから(y=f(x)のxはyを一義に決めるがyはxを一義に決めるとは限らない。)。

>したがって、まともな法制度・政治制度が整えられ、国民の大多数が支持している「民主主義」においては、余程の事がない限りうろちい氏の例題のような事態にはならないでしょう。

その「余程」かどうかの判断を、個々が放棄したときには、下された決定が民主主義的かが解らなくなるときです。「命令なら何でも従う」という態度はすでに民主主義社会の構成員としてあり得ないものです。

160うろちい:2003/02/15(土) 12:15
>時と場合によりけりだという主張もあるでしょうが、そんなものは個々人の都合によってどうにでもなります。

どうにでもなります。
それは個人の決定もそうですし、多数者の決定でも同じことです。
だから「常に多数に従え」は「常に個人の我が儘を認めろ」と同じ理論でしかありません。

>最後に結論を述べると、うろちい様の論理は、秩序を乱し、最終的には内戦を誘発することになるのでは?

なりますよ。
そんなもん、僕が理論を言わなくたってなるもんはなるんです。
何故国内に対してだけ絶対平和主義を主張できるのか不明ですね。
ならないのは、だれもが我慢可能な決定を社会が下しているからです。
もしくは武力で押さえつけているか。

>もしも戦国時代に戻したいというのでしたら、私はこれ以上何も言いませんけど。

別に今所属する社会をそうしたいと言っているわけではありません。しかし未来永劫そういう判断をするかと言えば、そうばかりではありません。
我慢できない不利益を少数者に強要すれば、そうなるのは仕方のないことです。我慢できるなら、我慢するのも良い。もし多数者が「どんな決定でも従え」と唱えるなら、それこそ「秩序を乱し、最終的には内戦を誘発する」ことにつながるでしょう。

日本共産党は武装闘争路線を放棄しました。「現在の日本はある程度民主的であり、この秩序を保ちがら改革を進めるのが得策である。ただし、民主性が崩れたら、再び武器を持つことがある。」と、いうことでね。日本共産党はこのように「選択」している自覚があります。選択の自覚は責任の自覚です。「命令なら何でもしたがうべき」という思想といっしょにするのはかわいしょうでしょう。

>状況によって、多数派が少数派、少数派が多数派に変わることが出来るのですから。
>で、そのときには多数派の決定に従い、少数派は我慢すると。

「ある範囲の決定」しか想定していないとしか思えませんねー。

何故、命令に従うのか?
民主主義が下した命令だからだ。
なぜ、それが民主主義の決定だと言えるのか?
従うべき命令を下すからだ。

161緑装薬4</b><font color=#FF0000>(aL5K3vps)</font><b>:2003/02/15(土) 12:42
なるほどね・・・
「反戦隔離掲示板」ちうのも面白そうだねぇ。

気弱な人が、どう「トンデモ反戦平和理論」展開していくかを観察するのも
楽しいかもね(笑)

反論一切厳禁、自分のいいたいこと、聞きたいことのみをやりとりするうちに
どう「トンデモ」な結論になっていくか・・・
あ、もちろんそこで楽しい議論が起きたら、こちらのほうで今までのように議論
すると。

・・・最近、燃料がなくってさぁ(笑)

162八百鼡</b><font color=#FF0000>(/Re6aTC.)</font><b>:2003/02/15(土) 13:17
 今まで去っていった『所謂』反戦平和の人

ぼーんさん:根拠もなく人を見下していたためそこを注意されると、自分が情け
      なくなったのか来なくなった

第四期石器人さん:暴言が凄かった。丁寧な言葉を使っても議論の流れが気に食
      わないとすぐに暴言を吐いていた。またプライドがやたらと高かっ
      たため誤りを指摘されても素直に認めずに、暴言を吐いていた。
      自分の書きこみを見て良心が咎めたのか二度と来なくなった

ちひろさん:レスに混乱が見られたため指摘されると来なくなった。何でだろう?

多分、来なくなったのは主義主張『以前』の問題だと思う。

163緑装薬4</b><font color=#FF0000>(aL5K3vps)</font><b>:2003/02/15(土) 15:31
>162

ぼーんさん:今、国会図書館で強制連行の被害にあった、ちう証拠資料を探している
      と思われ(笑)

第4石器人さん:理由はいらない、自分が気に入らないことはすべて悪い、ちう人だったからねぇ。

両者の共通点:
「肉まんはおいしい」
「加護ちゃんが昨日TVでおいしいと言っていたから、おいしい」(ソースの提示?)

だがな。

ちひろさん:韓国(朝鮮半島?)の利益の代表者
      いろいろと教えてもらえたけど、日本の利益代表してる御仁との
      説得がうまくいかなかったために来なくなった・・・

てなところかな?
俺的にわ、N.I奥様クラスが来れば楽しいんだがねぇ。
#俺のレベルにちょうどいいわ(笑)

164ヤスツ:2003/02/15(土) 16:42
>>157
「外から見られるけど、登録者以外は乱入してこないシェルター」という意味では、現在のAnother Lycos BBSが、十分にそのつとめを果たしていると思われます。
実際、談話室から去っていった方々が、生き生きと発言をなさっているのを見ると、「招かれざるモノが花園を踏み荒らすべきではないだろう」という気持ちが生まれますし。

165ヤスツ:2003/02/15(土) 16:50
>>159
>多数決には「その」多数決に従うことを選択した人たちが責任を持つ。
>それに逆らったことには逆らった個人が責任を持つ。

この場合の「個人が責任を持つ」という【責任】は、果たす方の責任ではなく、引責辞任のほうの責任ですか?
例えば徴兵拒否(イスラエル、ロシア、韓国などのケース)の場合は、「徴兵という責任」を拒否することでどのような責任を辞すのが適していると思われますか?
私は「ペナルティ(=懲罰)」だろうと思うのですが、この場合のペナルティは「辞す」ものではなく「果たさなかったことに対する罰」ですが。

>だから、社会が決定を下すたび、各構成員がそれを評価し、民主主義社会が持続されるかどうかが決まります。「民主社会だから非民主主義的決定はなされない」というのは可能な推測の一つではありますが、唯一ではありません。何故なら因果が逆なのですから(y=f(x)のxはyを一義に決めるがyはxを一義に決めるとは限らない。)。
>
>>したがって、まともな法制度・政治制度が整えられ、国民の大多数が支持している「民主主義」においては、余程の事がない限りうろちい氏の例題のような事態にはならないでしょう。
>その「余程」かどうかの判断を、個々が放棄したときには、下された決定が民主主義的かが解らなくなるときです。「命令なら何でも従う」という態度はすでに民主主義社会の構成員としてあり得ないものです。

つまり、うろちいさんは「多数決の破綻(=多数決の決定に破れたとき、多数決のシステムそのものに疑問を提示する行為)」が起きたあと、社会体制を別のモノに置き換えるために、この議論をなさっておいでなのでしょうか?
私も多数決は完璧じゃないと思いますが、多数決というやり方が破綻した後に、もっと「関わっている人間全員が妥協できる方法」が提示できるかと言われると、現状では思いつきません。
あっても、それは「多数に支持されていません」。つまり、ここでも「より多くの人の同意があって初めてそれが採用される」という多数決の原理は生きています。
その「多数の人の支持を得る」という多数決の原理そのものを否定して、それよりよい「決定方法」を求めようとしたら、後は「完全無欠でまったく間違いを起こさないマザーコンピュータに全てを任せる」みたいな、上級知性/超国家組織の絶対に正しい裁定に服従する、という社会しか思いつきません。

でも、「絶対に正しいマザーコンピュータ」に全てを任せるとか、「間違いなく正しい計画」に準じた党の決定に従うとかっていうのは、SFでも現実の歴史でも破綻してるんですよね(^^;)

166ヤスツ:2003/02/15(土) 17:00
>>160
>何故、命令に従うのか?

うーん、それ違いますよ。

何故命令に従うか?

従わないと痛い目(不利益)に遭うからです。
法令なら「罰金、拘束・拘置」、行政命令なら「資格取り消しなど」
個人からの命令なら「暴力を振るうことを前提とした威嚇」

私も性悪説支持者ですが、「法治」は、「従わないことによって生じる不利益がイヤなら、現状で我慢しろ」という前提であり、「従わなかったら現状の利益も奪う」もの。
その「法治」の元になる「法律」は、多数決で選ばれた議員が、国会という「法律を作る場」で決める。
法律を作る場の決定が気に入らないんだったら、反対する議員の数を増やすしかなく、議員を増やすためのプロパガンダは別に禁止されていません。
主張に対して賛同者が多ければ、議員を獲得でき、主張に沿った法律を作れる、というのが「多数決に基づく法治国」の前提だと思います。

それに、あとの3行ですけど、

>民主主義が下した命令だからだ。
>なぜ、それが民主主義の決定だと言えるのか?
>従うべき命令を下すからだ。

それは、「社会主義が下した命令だからだ。なぜそれが社会主義の決定だと言えるのか? 従うべき命令を下すからだ」と置き換えたって通用してしまいます。
説明になっているとは思えません。

167ヤスツ:2003/02/15(土) 17:04
>>162
そういうわけなので、Another Lycos BBSには、ぼーんさんも第四期石器人さんもちひろさんもみんないらっしゃるわけです。
なぜか。

「登録制だとあいつら(私など?(^^;))は来ないに違いない」(そして、実際に外からウォッチしていても、中には入っていかない)

ということではないか、と。
例えば、私がIDを取って入室申請をして(許可されればですが)ALBBSの会話に参加したとしますよね。
で、それに続いて国家主義者さん、壱学生さん、緑装薬4さんなどなど、次々にALBBSになだれ込んだらどうなるか。

たぶん、ぼーんさんはALBBSを閉じ、ちひろさん、第四期石器人さんは、またどこかに三々五々に散っていってしまうと思います。
そして「2ちゃんねらーがBBSを潰した」だの「バカウヨが反戦平和主義者の掲示板を荒らした」だの言われてしまうことでしょう(^^;)

花壇は花壇で、慈しむ必要もあるのかな、と思ったり。

168八百鼡</b><font color=#FF0000>(/Re6aTC.)</font><b>:2003/02/15(土) 17:06
>>163=緑装薬4さんへ
 そう言えばN.Iさんは見かけませんね。今何処にいるんでしょう?

169うろちい:2003/02/15(土) 17:24
>160
>説明になっているとは思えません。

僕も説明になっているとは思えません。
でも、それで良いんです。
それは僕が国家主義者さんの循環理論部分を指摘したんですから。

170うろちい:2003/02/15(土) 17:27
169の「>160」は>166の間違いです。

171たまちゃん</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/15(土) 18:18
>>161>>164
てか、他にも去っていった方はいますよね。Another Lycos BBSの住人以外にも。
Another Lycos BBSの住人なら、そこで発言が出来ますが、ライコスのIDすら持っていない方は、そこには行けません。Another Lycos BBSの住人以外の発言も見てみたいと思います。

反戦以外の話を受け入れずにいたら、どうなっていくのか、それとも、ここのような自由な議論が展開できる方が有意義なのか、一目瞭然な結果が期待できるのも良いかと思います。
とは言っても、結局は管理者の方針で決まる事だから、案に過ぎませんのであしからずです。

172たまちゃん</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/15(土) 18:25
>>167
>で、それに続いて国家主義者さん、壱学生さん、緑装薬4さんなどなど、次々にALBBSになだれ込んだらどうなるか。

私が流れ込んでも、同じようになって行くと思います。「バカウヨ」ぐらいは、私も他で言われていますから(笑)。
でも、実際は、どちらにも入れずにいますが・・・。

173たまちゃん</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/15(土) 18:33
追加
>そういうわけなので、Another Lycos BBSには、ぼーんさんも第四期石器人さんもちひろさんもみんないらっしゃるわけです。
なぜか。

それは、以前からライコスで顔見知りだからだと思います。こう言う事は、イカフライさんの方が良くご存知かと思います。私はライコスでは一緒じゃなかったので、間違っていたらすみません。

174国家主義者</b><font color=#FF0000>(HCOHd/MU)</font><b>:2003/02/15(土) 22:26
>>160は、私に対してのレスでいいのですね?

なにやら、うろちい様は私を「民主主義至上主義者」みたいに思っているみたいですね(勘違いでしたらすいません。
私は別に民主主義を絶対視した覚えはありませんが。
欠陥はあるし、完璧でないことは認めていますよ。
ベストではないが、ベターであると言ったまでです。
もしも、民主主義に代わる素晴らしい統治システムが現れたら、それを信奉する可能性はあるでしょう。

しかしながら、そのようなシステムが現れていない以上、そのルールに従うべきだというのが私の主張です。
ちょっと我慢するだけで、衣食住はある程度満たされ、制約はありますが少しは自由がある。
そして何よりも、自分の身を自分で守る必要がありません。
生きていくための十分な利益があると思います。
もちろん、上記のものが不十分になった場合、再考の余地はあるでしょう。
その場合も、「選挙による政権交代」という手段があるので、それを試みるべきでは?

で、何が言いたいかというと、ハッキリいって失礼ですが、うろちい様の理論なるもの、『いったい何の役に立つのか?』ということです。
ご存じの通り、私は損得論者であり、希求するものは禅問答ではありません。
その理論が果たして意味があるのかが重要なのです。
残念ながら私にとって、この理論は全く役に立たないように見えます。
>>165でヤスツ氏が申しているように、もしも民主主義というシステムに不満があるのなら、それに対する代替案を出すのが筋なのでは?
大多数も少数も、全てが満足するような新システムを。

私もヤスツ氏同様、荀子や韓非子の唱える「性悪説」の支持者です。
欲望を悪とするなら、全ての人間は等しくそれであり、だからこそ秩序というものが必要なのでは?
というか、「北斗の拳」はさすがに私もごめんこうむりますね。(笑)
いまさら身を守る術(武術や銃器の扱いなど)を学ぶのも面倒ですし。

175哀My:2003/02/15(土) 23:06
久し振りにうろちいさんのご意見がたくさん拝見できて嬉しいです。
多数派って言っても、蓋を開けてみたら「なんとなく」とか「みんながそう言うから」っていい加減な(気の弱い)人がたくさん混ざってる可能性があるので、少数派でも声を挙げる人がいたら「そう、実は私もそう考えてたの」って、数がそっちにドッと流れていくこともあるかも知れませんね。
それが良い結果を招くかどうかは別問題として、現在多数とされてる考えが本当にみんなの考えかどうなのか、「多数に従うべき」の「多数」の正体って何?って疑問は常にあります。

…って、相変わらず観念的で「どっち着かず」の意見でごめんなさい。
とりあえずイラク攻撃に関しては、世論が政府の決定に「余り」影響しないって事は判りました。
まぁ、北朝鮮問題抱えてるから、私が政府の立場だったらやっぱりそうかなって思いますけど。
(流れ変えてしまいそうなので、このレス無視してやってください)(汗;)

176イカフライ:2003/02/15(土) 23:52
>>そういうわけなので、Another Lycos BBSには、ぼーんさんも第四期石器人さんもちひろさんもみんないらっしゃるわけです。
なぜか。

>それは、以前からライコスで顔見知りだからだと思います。こう言う事は、イカフライさんの方が良くご存知かと思います。

 石器人さんは、ここのところ、ライコスのクラブにもカキコミがなくて、経済問題で久々のカキコミでした。
ですから、お忙しかったのだと思います。
 チヒロさんは、「さようなら」とここで発言されていますから、来ないのではないでしょうか?
 ぼ-んさんは、解りませんが。クラブマスタ−なのでライコスを優先させるのは、当然でしょうし、
忙しくて、それ以外まで手が回らないのかもしれませんけど。

177うろちい:2003/02/16(日) 02:43
僕は国家主義者さんより遙かに自分の利益に忠実な主張をしています。
「自分の利益に反する場合は逆らえ」
「自分の利益にかなうなら従え」
僕の意見に国家主義者さんが反論する理由は有りません。
何故なら、僕の言っていることの片方を国家主義者さんは言っているに過ぎないから。

>しかしながら、そのようなシステムが現れていない以上、そのルールに従うべきだというのが私の主張です。

それで良いんですよ。
「あなた」が「選択」したんです。
自衛隊が海外に行くのは「あなた」が行かせるのであり、もしあなたが海外に行く自衛官なら「あなた」が自分の選択で行くのです。

>海上自衛隊第1護衛隊群の「きりしま」が16日、横須賀基地を中東に向け出航します。当日、基地周辺の護岸では、市民団体のみなさまが派遣反対運動と称して「きりしま」に罵声を浴びせ、反対の横断幕を掲げることが予想されます。しかし、「きりしま」乗員にはなんの罪もありません。命令に従って出航するだけです(旧談話室no.3126)

行かせる方にも、行く方にも責任が無いはずがない。
その自覚の無い人たちが僕の属する「民主主義社会」とやらの多数の構成員だとしたら、僕の利益はかなり危ないですね。

多数決は免罪符製造装置?
少なくとも外部社会(外国とか)に対しては全く通じないお札です。同じように、秩序に見切りをつけて命令違反を求める人たちに対しても同じことなんですよ。

少数民族虐殺を多数派が決定する。
少数民族はそれに逆らう。
ある人が、この少数民族に呼びかける。
「虐殺部隊に罪はありません。虐殺部隊は命令に従っているだけですから」

これと全く同じ構造のアホ臭さが旧談話室no.3126引用部にもあります。
いったいだれやねん、虐殺の「主体」は?
虐殺部隊も虐殺に承認を与えた多数派もそれを容認した反対者も、そして呼びかけたある人も、みーんな「主体」ではないですか。それが民主主義の原理なんです。その仲間内で「虐殺部隊に罪はありません。虐殺部隊は命令に従っているだけですから」も「「きりしま」乗員にはなんの罪もありません。命令に従って出航するだけです」も、ただのオナニーですね。

「きりしまは・・・だから行くべきだ。だから反対すべきではない」
そう言えばいいのに言わずにオナニー発言をしてしまうのは、自分の責任に自覚がないからです。
無責任者の「民主主義社会」って国家主義者さんの「利益」とやらを守ることができるんですか?僕は始終一貫、この「責任の無自覚さ」を批判しているんです。

178うろちい:2003/02/16(日) 03:06
>>175
>「多数に従うべき」の「多数」の正体って何?って疑問は常にあります。

まー、疑問を放棄したら奴隷ですな。
81式さんあたりは、それをハッキリ自覚した上で、あえて命令の奴隷であることを選択しているんですけどね。「命令に至るまでの決定こそ、しっかりしてくれ」を言うための方便という意味も多分にあるかも。

179たまちゃん</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/16(日) 08:49
>>176
確かに、自分のHPを優先するのは当然でしょうし、それ以外のHPまでは、なかなか手が回らないのでしょうね。<ここを去った当時が如何あれ、現在の状況では。

180たまちゃん</b><font color=#FF0000>(Ob/ersYQ)</font><b>:2003/02/16(日) 10:32
>>177うろちいさんへ

↓これの事ですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
[3126] スマソ。これコピペですが。 投稿者:卵の名無し 投稿日:2002/12/14(Sat) 20:44

>海上自衛隊第1護衛隊群の「きりしま」が16日、横須賀基地を中東に向け出航します。当日、基地周辺の護岸では、市民団体のみなさまが派遣反対運動と称して「きりしま」に罵声を浴びせ、反対の横断幕を掲げることが予想されます。しかし、「きりしま」乗員にはなんの罪もありません。命令に従って出航するだけです。

>突発OFF板では、2chネラーが集まって「U/W」(貴艦の航海の安全を祈る)の信号旗や旭日旗(海上自衛隊の正式な隊旗)で「きりしま」を送り出そうというオフ会が計画されています。

>プロ市民の罵声や否定的な横断幕に見送られての年末出航はあまりに可哀想だと思う方、派遣自体への賛成反対にかかわらず「きりしま」乗員を応援しにいきませう!


#激しく同意。この日は行けれないけど、健闘を祈りたいと思います。(^^)/~~~

#派遣反対を「きりしま」にぶつけるのはイクナイ。(・ж・)!

そりゃ、できれば派遣せずに済めば一番良いに決まっているが。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして、勿論、行く方も行かせる方も責任はあります。

181哀My:2003/02/16(日) 12:02
>>177 >>178
> 承認を与えた多数派もそれを容認した反対者も、
> そして呼びかけたある人も、みーんな「主体」ではないですか。

これは、うろちいさんの終始一貫したご意見ですね。
私もこれに共鳴して、ずっとうろちいさんを追っかけてきました(笑)
皆さんに「主体」たる「覚悟」があるかどうかですね。
私は、今ココに来られる方のほとんどに(意見の対立はあっても)その「覚悟」を見ています。
81式さんにも感じていました。皆さん「どの立場で腹をくくるか」ですね。

182緑装薬4</b><font color=#FF0000>(aL5K3vps)</font><b>:2003/02/16(日) 14:05
N.I奥様は、「自分に、住所氏名年齢職業メールアドレス電話番号」を教えて
くれた人のみとお話できる掲示板におられるものと(笑)

・・・掲示板の内容も見せないで「私のありがたいお話聞きたかったら、あんたの
すべてさらけ出してから来い!」などという御仁が、なぜ現れると確信できるのか
非常に不思議ですがねぇ。

アクセスしたら、N.I奥様のメアドだけが載ったページが表示されて、ひとこと
「住所氏名年齢職業メールアドレス電話番号を下記メールに送ってください。折り返し
URLとPWをお送り致します」ちう、とっても不気味なHPがお望みでしたから
ねぇ(笑)
#きっと、そんなHPの奥底で、まだ来ぬ白馬に乗った言うこと聞く王子様待ってるん
#だろうなぁ。

183国家主義者</b><font color=#FF0000>(HCOHd/MU)</font><b>:2003/02/16(日) 14:15
>>177

別に反論している気はないのですけど。
私は>>174でも述べているとおり、『それが何の役に立つのか?』を聞いているわけです。
もしもそれに一理あれば、納得するでしょうし。

大多数がある政策を支持した、それはそれでいいんじゃないですか?
それがそのシステム内で、最も要求する利益なのですから。
それに文句があり、実行する気がなければ、さっさとその統治システムから離脱すればいいわけです。
前にも申したように、無人島に一人で生活すればいいのですよ。
それを止める権利も意志も私にはありません。

で、そうでなければ、それとは違う利益をアプローチし、多数派工作を行えばよいと。
それすらせずに、『気にくわなければ逆らえばいい!』は少しおかしいのではないかと思ったわけです。
その政策が間違っていると感じれば、うろちい様の仰る「責任」のもと、それを変えようと努力するのが筋だと。
これが民主主義のルールです(と思う)。

で、何度も聞いているのですが、もしもその「無責任」だと感じるルールに疑義を呈するのでしたら、それに対する代替案を出すべきだと。
それまた、私の聞きたいことなのですよ。
私の思いもつかないような、新統治システムを。
「反対のための反対」では、それこそ「無責任」なのでは?

184壱学生:2003/02/16(日) 16:24
>>159
確かにファシズムと民主主義の境目は曖昧ですし、市民は常に民主主義が暴走してファシズムに走る事を監視しなくてはなりません。
それは民主主義を採用している国家にすむ国民の当然の義務と言えるでしょう。

で、問題は「その際にどういう基準を持てば良いのか?」と言う事でしょう。
ここで大前提として考えなければならないのは現在のいわゆる「民主主義」というものは
正確に言うならば、「自由民主主義」であることを思い出せば良いかと考えます。

「民主主義」という言葉も「自由主義」という言葉も皆さん良くご存知かと思いますが、
それらが接合した「自由民主主義」というものがいかに危ういバランスの上に成り立っているのか、という事は
政治学を学んだ事がない人にとっては分かりにくいことで仕方がないとは思います。
しかしながら、うろちい氏が提起した議題は正にそこの部分にかかわるものだと僕は考えます。

「民主主義」という概念は古代ギリシャの時代にまで遡る古いものであることは皆さんご存知かと思います。
しかしながら、当時の哲学者は例えばプラトンやアリストテレスにしても「民主主義」に対しては批判的でした。
それはよく言われるように、これが「衆愚政治」になりやすいからであったのが一つの理由です。
これに対して「自由主義」という概念はその起源を近代・近世に求める事が出来る、「民主主義」よりもかなり新しい概念です。
例えばイギリスのマグナ・カルタやアメリカ独立宣言、フランス革命のように。

しかしながらこの二つの概念は半ば矛盾した概念です。
「民主主義」とは自らの意思を政治に反映するという意味にいて「権力への(アクセスの)自由」を意味するのに対して
「自由主義」は権力からの干渉を排除するという意味において「権力からの自由」を意味するのですから。

具体的にどのように矛盾するのかといえば、
例えば「民主主義」においては政府は人民の合意の元にできているのですから、「政府の権力を大きくする」方向に行きます。
「国民の合意」よりも上位の価値がないから「民主主義」の文脈から言えばそれは当然の事です。
それに対して「自由主義」においては政府権力の干渉を嫌いますから、「政府の権力を小さくしよう」とします。
この考え方では政府は圧制者のようなイメージを持たれていますので、やはり「自由主義」の文脈から言えば当然の事です。

現在のいわゆる「民主主義」国家が採用している「自由民主主義」とは、以上のような矛盾する概念の
危ういバランスの上に成り立っている事を、皆さん忘れがちです。
「民主主義」によっても否定できない「自由主義」がある事、「民主主義」の元では許されない「自由主義」がある事、
良くお考えになってはいかがでしょうか?


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