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159
:
うろちい
:2003/02/15(土) 04:58
>>147
>個人の意志・判断で、多数意見(少数が制定した後でも、多数が支持・遵守している意見)に対して「従わなくていい」というからには、それに従わない場合のリスク・ペナルティを、その従わない判断をした「個人」が負うということは自覚なさっているのですね?
もちろんです。
だから軽率にはできませんよ。
多数決には「その」多数決に従うことを選択した人たちが責任を持つ。
それに逆らったことには逆らった個人が責任を持つ。
>>148
>ちょっと論点が混乱していますよ
こんなことなら最初から「多数決」と明確に書けば良かったですね。
一応「民主主義を自称するある社会の決定」とか「手続きが民主的」とか時々書いていたんだけど、中途半端だった。
>後者ならともかく前者とするならば、うろちい氏の例題は適当ではないですよ、という事を僕は指摘しているのですが。
後者です。
前者は提起しようがありません。ある瞬間まで完全に民主主義であった社会においても、ある人が、どうしても逆らわざるを得ない決定が下されたら、その瞬間からその「民主主義社会」の民主的完全性はほころびを生じます。
つまり、仮に理想的に民主主義が実現されていても、次の瞬間はそれが続くとは限らないのです。民主社会は「維持する」ものであって「あるもの」ではありません。
ですからその「瞬間」の後に生じた「非民主主義社会」を指して、壱学生さんが「それはそもそも民主主義とは言わない」と言うのは全く妥当です。
>「多数決による決定」とは「民主主義」の必要条件でしかなく、充分条件ではないのです。
僕の意図する提起は上記と構造が同じです。
「多数決による決定」だからといって「民主主義にのっとった決定とは限らない」。
だから、社会が決定を下すたび、各構成員がそれを評価し、民主主義社会が持続されるかどうかが決まります。「民主社会だから非民主主義的決定はなされない」というのは可能な推測の一つではありますが、唯一ではありません。何故なら因果が逆なのですから(y=f(x)のxはyを一義に決めるがyはxを一義に決めるとは限らない。)。
>したがって、まともな法制度・政治制度が整えられ、国民の大多数が支持している「民主主義」においては、余程の事がない限りうろちい氏の例題のような事態にはならないでしょう。
その「余程」かどうかの判断を、個々が放棄したときには、下された決定が民主主義的かが解らなくなるときです。「命令なら何でも従う」という態度はすでに民主主義社会の構成員としてあり得ないものです。
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