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142うろちい:2003/02/14(金) 08:38
>>138
>もしも、そのシステムの決定に逆らうという意志を遂行するのでしたら、そもそもそれによる恩恵を受ける資格がないのでは?

「その」民主主義からの恩恵を受ける原理は失われます。
何が恩恵か、と言う議論は別にありますが、とにかく民主主義の決定に従うことから得られる利益、逆らうことで得られる利益、我々はそれを秤りながら生きています(民主主義からの利益が民主主義に従う原理だとするなら)。

国家主義者さん的に「民主主義の決定に常に従うべき」を説明するためには「任意の民主主義に従う利益は逆らう利益を常に上回る」を論証してみてください。

>>140
>つまりは、「少数の意見は常に多数の意見を屈服させる機能を持っていなければならず、少数意見は民主主義という仕組みの維持を放棄することを【脅迫材料】として、本来の民主主義の裁定上での勝利者である多数意見を曲げさせることをヨシとする」ということですね?

前半の「少数の意見は常に多数の意見を屈服させる機能を持っていなければならず」は僕の主張と因果関係がありません。
後半は、そうとってもらって良いです。
ただし、少数の決定意志の内容に対して僕が賛同するかどうかは別の話ですが。

>その、「互いが」というところがミソなわけです。

そのとおりです。

>>141
>そのような体制を政治学では一般に「ファシズム」と言うのです。
つまりうろちい氏の例は、「民主主義的決定を否定する」ものではなく、「ファシズム的決定を否定する」例題でしかありません。

それは何に冠して「民主主義」を言っているかによります(多数決装置を指すのか、精神を指すのか)。一応何について僕が言っているかは自明のつもりだったのが、壱学生さんを混乱させているのかも知れません。

壱学生さんにとって、地球上に民主主義国家として「完成(多数決がファシズムを選択しない、が保証される)」している国ってあるんですか?原理的に、民主主義を自称する国家で多数決によってファシズムを選択することは可能です。ですから、民主主義による決定(多数決)と民主主義精神とは区別する必要があります。

この一連の話は「命令なら何でも従うべき?」という僕の問いかけから始まっています。想定される命令が常に民主主義の精神にもとらない因果関係があるなら、良いんですけどね。


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