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137
:
うろちい
:2003/02/12(水) 21:46
>>134
>ヤスツさん
>「よいワガママ」と「悪いワガママ」は何の基準に沿って誰の主観で決めるのでしょうか?
「基準は何でもいい」と、とりあえず言っておきましょう。
その基準を全て放棄した人が絶対的な民主「主義」者です。
>>135
>壱学生さん
>それは例題として適当ではないのではないでしょうか?
我々が民主主義の決定を選択的に受け入れていることが示せれば適当です。
例えば民主主義の精神に反する決定もあり得ることが説明できました。
それを理由に我々は民主主義の決定に従わないこともある、と。
で、民主主義の決定に逆らうべき場合は、決定が民主主義の精神にかなわない場合っていうのが、実際僕の大きな基準なんですね、実際。
「虐殺」は確かに極端な例でしたが、では「死ぬほど嫌なことを強いる」は、どうでしょう?たぶん、まだ民主主義の精神にかなっていないでしょう。と、なると、こんな調子で、結構グレーゾーンは広いんです。
ただ、事実として、個人の総合的利益が、民主主義の決定に逆らった方が大きくなるような決定を、民主主義が下したとき、当然の結果としてこの民主主義社会の秩序は失われるでしょう。そして実際、ブラックあるいはグレーゾーンを犯しうるわけです、民主主義装置は。
これがいわゆる「民主主義には少数意見の尊重が不可欠」と言う所以です。きれい事として説明されがちだけど、全く力学に裏付けられていますよね。
民主主義自体にさして価値がある訳じゃありません。互いがまあまあ我慢できる範囲で物事が決められる、という状況に中心的価値があるのだと思います。
横にそれるかもしれないけど、「民主主義の決定は全ての人が従うべきだ」と「全ての人が従いうる決定を、民主主義はすべきだ」との関係は、「続けることに伝統の価値がある」と「価値がある伝統だから続いたのである」の関係に似ると思う。
>>136
>国家主義者さん
>失礼ですが、この例題以前の前提条件がなければ、私には何とも言えません。
それで良いです。
前提条件次第では答えが変わりうることを自覚してもらえるのが僕のとりあえずの目的ですから。
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