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139ヤスツ:2003/02/13(木) 00:30
>>137
>>「よいワガママ」と「悪いワガママ」は何の基準に沿って誰の主観で決めるのでしょうか?
>
>「基準は何でもいい」と、とりあえず言っておきましょう。
>その基準を全て放棄した人が絶対的な民主「主義」者です。

で、誰の主観でそれが「ヨイ」か「ワルイ」かを決め、誰が採用を決定するのですか?
「ヨイ」という主観の個人の多数意見を採るのが「民主」の決まりであり、「ワルイ」とした人が「ヨイ」とした人に破れた場合、「民主的なやり方の決まりには従わなくてよい」というのがうろちいさんが繰り返されている主張ですが。

>我々が民主主義の決定を選択的に受け入れていることが示せれば適当です。
>例えば民主主義の精神に反する決定もあり得ることが説明できました。
>それを理由に我々は民主主義の決定に従わないこともある、と。
>で、民主主義の決定に逆らうべき場合は、決定が民主主義の精神にかなわない場合っていうのが、実際僕の大きな基準なんですね、実際。
>
>「虐殺」は確かに極端な例でしたが、では「死ぬほど嫌なことを強いる」は、どうでしょう?たぶん、まだ民主主義の精神にかなっていないでしょう。と、なると、こんな調子で、結構グレーゾーンは広いんです。

では、虐殺に準じて回答します。
その場合、虐殺を求められた人々は、「民主主義」の決定から逸脱することを選ぶでしょう。
民主主義が自分たちにとって利益をもたらさないと考えれば、それ以外の方法を選ぶでしょう。
そのとき、「独立運動」が起こるでしょうし、それは「民主的な方法」ではなく、「民族主義的な方法」で、「民主主義の決定に反対するリーダー」の元で行われるでしょう。
もし、「それでも虐殺が是である」というのが民意であるなら、政府はその決定に従って、少数民族の虐殺を止めないでしょう。
虐殺される側は、「虐殺対象になる地域からの撤退(もしくは他への移動)」というカタチで、民主主義の決定を事実上無効にさせるための方策を採るか、虐殺を肯定した「民主主義」という装置そのものを否定するために、別の主義主張(民族主義でも強力なリーダーに従うでもなんでもけっこうですが)に代わる。
主義主張は生き延びるための方便です。
虐殺認定された人々が民主主義から離脱するのも、その当事者にとっての正義である「生存」を満たすためであるなら、当事者が民主主義を否定するのも仕方ないでしょう。

という答を導き出させたいということから考えると、うろちいさんは少数意見に対しては「民主主義からの離脱をほのめかしている」または、「少数意見は民主主義からの離脱を正義として唱えても良く、多数意見は民主主義を維持するために少数意見の言い分に折れる(=少数意見の尊重)のが正しいことだ」とお考えなのですね。
つまりは、「少数の意見は常に多数の意見を屈服させる機能を持っていなければならず、少数意見は民主主義という仕組みの維持を放棄することを【脅迫材料】として、本来の民主主義の裁定上での勝利者である多数意見を曲げさせることをヨシとする」ということですね?

>民主主義自体にさして価値がある訳じゃありません。互いがまあまあ我慢できる範囲で物事が決められる、という状況に中心的価値があるのだと思います。

その、「互いが」というところがミソなわけです。


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