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184壱学生:2003/02/16(日) 16:24
>>159
確かにファシズムと民主主義の境目は曖昧ですし、市民は常に民主主義が暴走してファシズムに走る事を監視しなくてはなりません。
それは民主主義を採用している国家にすむ国民の当然の義務と言えるでしょう。

で、問題は「その際にどういう基準を持てば良いのか?」と言う事でしょう。
ここで大前提として考えなければならないのは現在のいわゆる「民主主義」というものは
正確に言うならば、「自由民主主義」であることを思い出せば良いかと考えます。

「民主主義」という言葉も「自由主義」という言葉も皆さん良くご存知かと思いますが、
それらが接合した「自由民主主義」というものがいかに危ういバランスの上に成り立っているのか、という事は
政治学を学んだ事がない人にとっては分かりにくいことで仕方がないとは思います。
しかしながら、うろちい氏が提起した議題は正にそこの部分にかかわるものだと僕は考えます。

「民主主義」という概念は古代ギリシャの時代にまで遡る古いものであることは皆さんご存知かと思います。
しかしながら、当時の哲学者は例えばプラトンやアリストテレスにしても「民主主義」に対しては批判的でした。
それはよく言われるように、これが「衆愚政治」になりやすいからであったのが一つの理由です。
これに対して「自由主義」という概念はその起源を近代・近世に求める事が出来る、「民主主義」よりもかなり新しい概念です。
例えばイギリスのマグナ・カルタやアメリカ独立宣言、フランス革命のように。

しかしながらこの二つの概念は半ば矛盾した概念です。
「民主主義」とは自らの意思を政治に反映するという意味にいて「権力への(アクセスの)自由」を意味するのに対して
「自由主義」は権力からの干渉を排除するという意味において「権力からの自由」を意味するのですから。

具体的にどのように矛盾するのかといえば、
例えば「民主主義」においては政府は人民の合意の元にできているのですから、「政府の権力を大きくする」方向に行きます。
「国民の合意」よりも上位の価値がないから「民主主義」の文脈から言えばそれは当然の事です。
それに対して「自由主義」においては政府権力の干渉を嫌いますから、「政府の権力を小さくしよう」とします。
この考え方では政府は圧制者のようなイメージを持たれていますので、やはり「自由主義」の文脈から言えば当然の事です。

現在のいわゆる「民主主義」国家が採用している「自由民主主義」とは、以上のような矛盾する概念の
危ういバランスの上に成り立っている事を、皆さん忘れがちです。
「民主主義」によっても否定できない「自由主義」がある事、「民主主義」の元では許されない「自由主義」がある事、
良くお考えになってはいかがでしょうか?


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