したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

お試し/本気書き込み歓迎

165ヤスツ:2003/02/15(土) 16:50
>>159
>多数決には「その」多数決に従うことを選択した人たちが責任を持つ。
>それに逆らったことには逆らった個人が責任を持つ。

この場合の「個人が責任を持つ」という【責任】は、果たす方の責任ではなく、引責辞任のほうの責任ですか?
例えば徴兵拒否(イスラエル、ロシア、韓国などのケース)の場合は、「徴兵という責任」を拒否することでどのような責任を辞すのが適していると思われますか?
私は「ペナルティ(=懲罰)」だろうと思うのですが、この場合のペナルティは「辞す」ものではなく「果たさなかったことに対する罰」ですが。

>だから、社会が決定を下すたび、各構成員がそれを評価し、民主主義社会が持続されるかどうかが決まります。「民主社会だから非民主主義的決定はなされない」というのは可能な推測の一つではありますが、唯一ではありません。何故なら因果が逆なのですから(y=f(x)のxはyを一義に決めるがyはxを一義に決めるとは限らない。)。
>
>>したがって、まともな法制度・政治制度が整えられ、国民の大多数が支持している「民主主義」においては、余程の事がない限りうろちい氏の例題のような事態にはならないでしょう。
>その「余程」かどうかの判断を、個々が放棄したときには、下された決定が民主主義的かが解らなくなるときです。「命令なら何でも従う」という態度はすでに民主主義社会の構成員としてあり得ないものです。

つまり、うろちいさんは「多数決の破綻(=多数決の決定に破れたとき、多数決のシステムそのものに疑問を提示する行為)」が起きたあと、社会体制を別のモノに置き換えるために、この議論をなさっておいでなのでしょうか?
私も多数決は完璧じゃないと思いますが、多数決というやり方が破綻した後に、もっと「関わっている人間全員が妥協できる方法」が提示できるかと言われると、現状では思いつきません。
あっても、それは「多数に支持されていません」。つまり、ここでも「より多くの人の同意があって初めてそれが採用される」という多数決の原理は生きています。
その「多数の人の支持を得る」という多数決の原理そのものを否定して、それよりよい「決定方法」を求めようとしたら、後は「完全無欠でまったく間違いを起こさないマザーコンピュータに全てを任せる」みたいな、上級知性/超国家組織の絶対に正しい裁定に服従する、という社会しか思いつきません。

でも、「絶対に正しいマザーコンピュータ」に全てを任せるとか、「間違いなく正しい計画」に準じた党の決定に従うとかっていうのは、SFでも現実の歴史でも破綻してるんですよね(^^;)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板