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91ヤスツ:2003/01/25(土) 15:46
「諸君、私は戦争が好きだ」は、平野耕太作「ヘルシング」という吸血鬼マンガ(一度深夜アニメにもなっていますが)に登場する、(ナチス残党の)大隊指揮官の演説の抜粋ですね。

81式氏の主張は、「戦争という状態、それを構成する戦闘、戦闘を成り立たせる兵器群、そして総合的に戦闘に勝つ方法を考えるのが → 好き」という意味かと認識しております。

81式氏に「軍隊(戦闘従事者)にとって、どのような政治的条件下、どのような政治的方針(思想的背景)の政権が必要か」を問い、それに氏が「戦闘従事者の立場からの要望」として応えることは、「軍事(軍人=ミリタリー)が文民(行政権者=シビリアン)に、戦闘遂行のための要件を要求すること」になる可能性がある、と81式氏はお考えになっておられるように、(私には)思えることがたびたびありました。

81式氏ご本人は、「戦争に勝つにはどうしたらいいか?」を「戦闘」の視点からお考えになっておられる一方で、「ただし、軍事はシビリアンのコントロール下になければならない。独立して軍事がシビリアンを従えてはならない」というセーフティを常にかけておられます。

「大砲を撃つために弾をよこせ、標的をよこせ」というのは論外ですが、「大砲を撃てと命じられたなら、確実に命中させなければ意味がなく、確実に命中させるために今ある装備で対応せねばならず、そのための条件は、撃てと命令した者が提示した条件に従って行われるべき。それ故に、軍事を使おうとするシビリアンは、命令を発したものとしての責任を負わなければならない」というのが、81式氏の過去の主張から読みとれたことではないか、と。

その上で、81式氏ご自身は、「市民として命令権者の側に立つ」ことを、忌避しておられます(このことは、しばしば批判の対象にもなっています)。
その理由が「実際に戦闘に従事する者(命令を受けるもの)であるという立場を維持したまま、命令を発するもの(=シビリアン)の立場をも兼務することは、自分の都合(欲望)を解決するための命令を、自分自身が出すことに繋がる」と考えているからかな、と思っていました。

これについても、もし認識に齟齬がありましたらばご指摘下さい>81式さん


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