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2004年参院選スレ

1デモクラット:2003/11/21(金) 18:39
民主党スレで挙がっていたので、立ててみました。
自民、民主の候補者一覧にリンクしておきます。
自民 http://www.jimin.jp/jimin/jimin/sen_san20/index.html
民主 http://www.dpj.or.jp/news/200308/candidates2.html

1198とはずがたり:2004/08/01(日) 02:14
>>1197
情報感謝っす。もう二年も前か…。

今回の
真紀子→直紀(自民県連の支援は無し)
民主・社民→近藤
の民主系独占wが参考になるのでは?

現実的には黒岩氏には無所属で行って貰って
森←田中真紀子・旧自由系後援会
黒岩←非自由系民主・社民・連合
で票割りでしょうかね?森は何かと目立ちますが地元での知名度どのくらいなんでしょうか。

1199とはずがたり:2004/08/06(金) 00:53
[激闘終えて]
前編 小沢王国 横綱相撲程遠く
http://mytown.asahi.com/iwate/news01.asp?c=3&kiji=911

「岩手で負けるようなら、私は政治家として活動していけなくなる」

  選挙戦最終日の10日、水沢、盛岡など5カ所で遊説した民主新顔の主浜了氏(54)の応援に駆けつけた小沢一郎氏は、こう言い切った。

  この発言に、達増拓也県連代表は「心がざわついた」と語る。「陣営の雰囲気ががらりと変わった」と。

  選挙戦終盤に県内入りしてテコ入れするのは、前回と同じ。だが、今回は無党派対策を意識して、田中康夫長野県知事を伴っての登場。公示前から県内入りを繰り返したことも含め、陣営や本人の危機感は、これまでにないものだった。

     ■  □

  小沢氏が自自公政権から離脱して4年が過ぎた。「野党暮らし」の悲哀は、地元にも広がっていた。20年間秘書を務めた高橋嘉信前衆院議員の離反をきっかけに、小沢氏を支えてきた業界団体にも「与党志向」が広がっていた。

  相手候補の高橋洋介氏(62)は、北上出身で副知事まで務めた実力者。実績と人脈を生かし、現職首長の支援を次々と得ていく強敵だった。「小沢王国」の根城、衆院4区で切り崩しを始めた。

     ■   □

  公示後、参院選3連敗中の自民党は、安倍幹事長や麻生総務相ら党幹部、閣僚クラスを投入。公認候補並みに高橋陣営をテコ入れした。達増氏はこの状況を「自民による岩手の改革つぶし」と見た。行方の見えない戦いに「跳ね返すのは容易ではない」とも思った。

  6月30日、県議会棟で開かれた民主党県議の議員総会。各県議から「情勢は厳しい」との報告が続いた。「やはり小沢先生に来てもらわないと」との弱音も漏れた。

  そこで千葉康一郎県議が「小沢先生に頼らなくても、勝ち抜かなければならない」と言った。複数の県議が、「そうだ」と同調した。

  なお残る「小沢首相」への期待。「岩手で負けたら終わりだと、みんなわかっていた」と、藤原良信議長はいう。

     ■   □

  終わってみれば、6万票の大差をつけての勝利。陣営が「予想以上の結果」というように、年金問題で吹いた全国的な追い風が、最終盤で主浜氏を押し上げた。岩手は、自民と公明の政党支持率を足しても、民主を上回れない全国随一の地盤だが、「横綱相撲」にはほど遠い、あまりに苦しい戦いだった。

  主浜選対事務局長の佐々木博県議は「主浜氏と、比例区の工藤堅太郎氏と、衆院2区が地盤の2人の参院議員が誕生した。次の衆院選では、全区で勝たないと負け戦と評される」と、王国維持のハードルが高くなることを、覚悟している。

     ◇

  参院選で「小沢王国」は死守された。その「激闘」の跡を振り返る。
(7/15)

1200とはずがたり:2004/08/06(金) 00:53

後編 高橋氏、軸足定まらず
http://mytown.asahi.com/iwate/news01.asp?c=3&kiji=912

  「どぶろく特区ってのは岩手。今までどぶろくを造っちゃいけなかったんだ民家は。特区という名前で民宿は夏、予約でいっぱいだそうです」

  選挙戦も終盤に入った5日。ワイシャツ姿の小泉首相が自信たっぷりに構造改革特区について語りながら、無所属高橋洋介氏の手をとり、大きく掲げた。立候補表明以来、演説会で「どぶろく一本造るにも特区が必要」と政府を皮肉っていた高橋氏はぎこちない笑顔でこたえた。県庁前に約5千人が詰めかけ、盛況に終わった街頭演説だったが、選挙戦を通じて高橋氏の置かれた微妙な立場を象徴していた。

    ■   □

  投票前日の10日午後8時前。盛岡市の事務所前に戻ってきた高橋氏は、待っていた支援者や国会議員に頭を下げた後、前衆院議員高橋嘉信氏のもとに近づき、握手した。

  秘書、側近議員として小沢一郎氏に仕えた嘉信氏。小沢氏の「名代」として20年近く、地元の選挙を仕切り、幾度も劣勢を跳ね返して「王国」の基盤を築いた嘉信氏は、小沢氏から離反。逆に高橋事務所の陣頭指揮をとる立場になっていた。高橋氏の演説原稿や選挙カーから呼びかける言葉の内容まですべてチェック。高橋氏は嘉信氏の指示通り動いていた。

  「年金法の強行採決は反対」「高橋さんは自民党なんでしょ。入れません」

  閣僚や自民党幹部が続々と高橋氏の応援に立った公示日以降、高橋陣営の電話での投票の呼びかけに対し、有権者からこんな反応が返ってきた。

  選対会議で嘉信氏は、椎名素夫氏の後継者として参議院改革の主張を訴えの中心に据える戦術への転換を主張。その日から選挙カーは「良識の府と言われる参院の改革を主張している選挙区は、この岩手だけです」と強調しはじめた。

  皮肉にも、首相の県内入りが決まったのは、その直後。嘉信氏は首相と高橋氏が一緒に街頭に立つことに反対したが、自民党本部の意向が最優先された。首相遊説の2日後、高橋氏は盛岡市内で50カ所近くも街頭演説に立ち、再び「無所属の高橋」を強調した。

  ところが、その2日後には、自民、公明両党の幹事長が来県する……。かつて小沢氏の県内入りのタイミングを計り、その段取りまで決めて選挙を仕切った嘉信氏だが、自公両党幹部の日程にまで口をはさむ余地がない。小沢氏名代だった立場との違いを痛感していた。

    ■   □

  副知事まで上り詰めた人脈から、谷藤裕明盛岡市長のほか県下33人の市町村長を選対に置き、参院選3連敗中の自民党から「最強の候補」と称賛された高橋氏。結果は3年前、自民公認で敗れた玉沢徳一郎氏が獲得した票さえ下回った。同党関係者も「やっぱり無所属じゃ燃えないんだよ」と振り返る。

  与党か無所属か。最後まで軸足が定まらなかった高橋陣営の戦術は、結果として「小沢王国」の維持に手を貸した。

  「無所属で出て、与党の推薦をもらったのは間違いではない。出馬表明した昨年末の時点では、与党への逆風はなかったのだから……」

  高橋陣営の幹部に加わった椎名派の関係者は、そう言って唇をかんだ。

 =おわり

 (この連載は松田京平、田中陽子、福田直之が担当しました)



(7/15)

1201計政会:2004/08/06(金) 18:41
第20回参院選各党得票率
ーーー自、ー民、ー公、ー共、ー社、ー
北海ー26ー42ー14ー08ー04ー

青森ー33ー39ー11ー05ー06ー
岩手ー26ー49ー08ー05ー07ー
宮城ー29ー39ー13ー06ー07ー
秋田ー37ー33ー11ー06ー07ー
山形ー37ー35ー11ー05ー07ー
福島ー36ー35ー11ー07ー05ー

茨城ー33ー35ー17ー05ー04ー
栃木ー34ー38ー13ー04ー04ー
群馬ー39ー33ー13ー05ー04ー
埼玉ー27ー40ー15ー08ー05ー

東京ー26ー38ー14ー09ー05ー

1202計政会:2004/08/06(金) 18:42
第20回参院選各党得票率
ーーー自、ー民、ー公、ー共、ー社、ー
千葉ー29ー38ー15ー07ー04ー
神奈ー27ー39ー14ー07ー06ー
山梨ー39ー34ー13ー06ー03ー

新潟ー32ー40ー09ー06ー07ー
富山ー42ー31ー09ー04ー09ー
石川ー41ー34ー11ー05ー03ー
福井ー43ー33ー11ー04ー03ー
長野ー25ー41ー12ー09ー07ー

岐阜ー32ー36ー14ー07ー04ー
静岡ー31ー39ー14ー06ー04ー
愛知ー25ー44ー14ー07ー04ー
三重ー28ー45ー15ー05ー03ー

1203計政会:2004/08/06(金) 18:43
第20回参院選各党得票率
ーーー自、ー民、ー公、ー共、ー社、ー
滋賀ー31ー40ー11ー09ー03ー
京都ー26ー36ー14ー16ー04ー
大阪ー24ー35ー20ー12ー03ー
兵庫ー24ー39ー18ー09ー04ー
奈良ー27ー43ー15ー07ー03ー
和歌ー34ー32ー20ー08ー02ー

鳥取ー33ー32ー20ー06ー05ー
島根ー42ー29ー15ー05ー04ー
岡山ー30ー36ー20ー06ー04ー
広島ー31ー35ー18ー05ー05ー
山口ー35ー35ー16ー06ー03ー

1204計政会:2004/08/06(金) 18:43
第20回参院選各党得票率
ーーー自、ー民、ー公、ー共、ー社、ー
徳島ー37ー30ー14ー06ー02ー
香川ー37ー31ー15ー05ー06ー
愛媛ー33ー34ー17ー05ー04ー
高知ー30ー30ー17ー12ー04ー

福岡ー26ー34ー20ー07ー06ー
佐賀ー39ー32ー14ー04ー06ー
長崎ー35ー35ー15ー04ー05ー
大分ー31ー33ー15ー04ー12ー
熊本ー41ー32ー15ー04ー03ー
宮崎ー36ー23ー18ー04ー14ー
鹿児ー42ー29ー14ー04ー06ー
沖縄ー28ー34ー15ー08ー10ー

1205計政会:2004/08/06(金) 18:45
第20回参院選各党得票率
ーーー自、ー民、ー公、ー共、ー社、ー
全国ー30ー37ー15ー07ー05ー

*小数点は切り下げで表示
いろいろ参考に使ってください

1206とはずがたり:2004/08/09(月) 03:55
>>1201-1205
初めまして,計政会さん。
利用させていただきます。また情報提供お願いします。

1207計政会:2004/08/12(木) 06:44
第20回参院選<自公対民社>得票率比較
ーーー与、ー野、ーーーー与、ー野、ー
北海ー41ー47ー千葉ー45ー43ー
ーーーー、ーー、ー神奈ー42ー45ー
青森ー45ー46ー山梨ー53ー37ー
岩手ー34ー56ーーーーー、ーー、ー
宮城ー42ー47ー新潟ー42ー47ー
秋田ー49ー41ー富山ー51ー40ー
山形ー48ー42ー石川ー52ー37ー
福島ー48ー40ー福井ー55ー36ー
ーーーー、ーー、ー長野ー38ー48ー
茨城ー50ー40ーーーーー、ーー、ー
栃木ー48ー43ー岐阜ー47ー41ー
群馬ー52ー38ー静岡ー46ー43ー
埼玉ー42ー45ー愛知ー39ー48ー
ーーーー、ーー、ー三重ー43ー48ー
東京ー41ー44ーーーーー、ーー、ー
ーーーー、ーー、ーーーーー、ーー、ー
<与>は自民、公明の合計得票率
<野>は民主、社民の合計得票率

1208計政会:2004/08/12(木) 06:45
第20回参院選<自公対民社>得票率比較
ーーー与、ー野、ーーーー与、ー野、ー
滋賀ー43ー43ー徳島ー52ー33ー
京都ー40ー40ー香川ー53ー38ー
大阪ー45ー39ー愛媛ー51ー39ー
兵庫ー43ー43ー高知ー48ー35ー
奈良ー42ー47ーーーーー、ーー、ー
和歌ー54ー34ー福岡ー47ー41ー
ーーーー、ーー、ー佐賀ー53ー38ー
鳥取ー53ー37ー長崎ー51ー41ー
島根ー57ー34ー大分ー46ー45ー
岡山ー51ー40ー熊本ー57ー36ー
広島ー49ー41ー宮崎ー54ー38ー
山口ー51ー39ー鹿児ー56ー35ー
ーーーー、ーー、ー沖縄ー44ー44ー
ーーーー、ーー、ーーーーー、ーー、ー
<与>は自民、公明の合計得票率
<野>は民主、社民の合計得票率

1209計政会:2004/08/12(木) 06:47
第20回参院選<自公対民社>得票率比較
全国ー<与>45.4ー<野>43.1ー

大接戦の滋賀、京都、兵庫、沖縄では小数点の差で民社が競り勝っている

全国47都道府県で
自公が多いのは31県、民社が多いのは次の16県
北海道、青森、岩手、宮城、埼玉、東京、神奈川、新潟、
長野、愛知、三重、滋賀、京都、兵庫、奈良、沖縄

*各都道府県の得票率の算出の経緯
自、公、民、社の得票率の小数点第1位までを自公、民社と足して、
小数点を切り下げたため上の表の数字は実際よりも1p
少なく表示されている場合もあるかもしれません

1210とはずがたり(1/2):2004/08/17(火) 20:24
参院選・敗北の理由:
保守王国で何が起きたのか/2 農協造反、見逃さぬ民主
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20040811ddm005070149000c.html

 ◇「野党が陳情したことはなかけんが、近いうち恥を忍んでお願いにいく」

 長崎県農協会館は、江戸時代のオランダ人居留地として有名な出島の近くにある。参院選公示を翌日に控えた6月23日、この建物で、自民党現職、松谷蒼一郎氏(76)の落選を決定づけるかのような会議が始まった。

 最上階の7階にある会議室に集まったのは、農協の政治団体である県農政連盟の本部役員、支部長ら18人。県内14万といわれる農協票の行方を決める会議だった。県農政連が、公示前日まで選挙に臨む態度を決めていないのは異例だった。

 「自民党に推薦を出すなんてとんでもない」

 「むしろ、民主党を推薦すべきじゃないのか」

 減反、補助金カット、食糧自給率の低迷−−。自民党農政に対する農家の不信は限界を超えており、会議室は「松谷批判」一色に染まった。県農政連委員長を兼ねるJA県中央会の上野広志会長が「(県農政連)三役に、ご一任願いたい」と引き取り、副委員長2人を伴って6階の会長室に下りた。

 「これまでは『県農政連イコール自民党』でやってきた。私の立場上、自民党が政権政党である限り、推薦は無理でも支持は出さなければ困る」

 上野氏の悲痛な説得を受けた両副委員長は、こもごも「気持ちはよく分かる」とうなずき合い、ようやく農政連の「自民党支持」が決まった。

 農政連の場合、「推薦」候補なら農協会館に選挙事務所を置き、この事務所が県内9支部を束ねて電話作戦に乗り出す。これにより、投票すべき候補者の名前が一軒一軒の農家に浸透していく。これが「支持」候補となると、選挙事務所は置かず、末端への働きかけは各支部の自主判断にゆだねられる。

 「松谷選対」本部長の谷川弥一衆院議員(自民)は、農政連の決定を伝え聞くなり農協会館に乗り込み、「推薦と同じように運動するよう、各支部に要請願いたい」と上野氏に頭を下げた。上野氏は各農協に抜き打ち的に電話を入れてチェックしたが、投票前々日の段階で職員が「候補者の名前を知らない」と答えた農協さえあった。

 「農協票の半分も松谷氏には行かなかっただろう。こんなことは初めてですよ」

 上野氏の苦い回想だ。

1211とはずがたり(2/2):2004/08/17(火) 20:24

   ■  ■  ■

 農協票の造反は、みちのく秋田にもあった。今回の参院選で秋田県農政連盟は、県内16支部に諮った上で自民党現職・斉藤滋宣氏(51)の推薦を決めた。だが、斉藤氏の得票は26万5419票にとどまり、31万657票を取った無所属(民主、社民推薦)新人・鈴木陽悦氏(55)に負けた。

 「組織がそう決めたから、しかたなく応援したんです」

 県内最大級の農協「JA秋田ふるさと」の大沼崇・副組合長が率直に内幕を語った。

 選挙期間中、県内の農協の前で斉藤候補が「年金」と「イラク」について熱弁をふるうのを聞きながら、大沼氏は「ここでそんな話をしたって意味がない」と思った。「おれが話せば斉藤批判になってしまう」ので応援演説も断った。「自民党の農政は、ずーっと場当たり的だった。農家はもう何も期待しませんよ」と大沼氏は言い切る。

   ■ ■ ■

 民主党は農家の自民党離れを見逃さなかった。公示直前、衆院農水委員長でもある民主党の高木義明衆院議員(長崎1区)が「JA島原雲仙本店」(長崎県国見町)を訪ねた。

 初対面の前田方隆組合長が応対すると、高木氏は「皆さんと対話しながら教えていただきたい」と切り出した。地元農家の現況について説明を聞き、しばし歓談した同氏は、立ち去り際に「今度の選挙はよろしく」とささやくことを忘れなかった。

 選挙後の7月下旬、「JA島原雲仙本店」を訪れた記者に、前田組合長は、こう語った。

 「もう、政党がどうのこうのとか言っとられん。野党の先生に陳情したことはなかけんが、近いうち恥を忍んで高木さんとこへお願いにいく」=つづく
毎日新聞 2004年8月11日 東京朝刊

1212とはずがたり(1/2):2004/08/17(火) 20:26

参院選・敗北の理由:保守王国で何が起きたのか/1 建設業の集票組織、崩壊
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/20040810ddm005070165000c.html

 ◇「見返りもなかとに、なんで応援せんばいかんとか。金の切れ目が縁のの切れ目」

 「なぜ、選挙事務所に誰も来ない? なぜ、会社の朝礼に私を呼ばない?」

 参院選に長崎選挙区から自民党公認で出馬する松谷蒼一郎氏(76)の怒声が響いたのは、投票まで38日と迫った6月3日のことだった。長崎県庁に近い長崎グランドホテルの会議室に、県内の建設業者の幹部30人が集まっていた。松谷氏のけんまくに押されて一座は静まり返ったが、出席者の一人は「なんて傲慢(ごうまん)なんだって思いましたよ」と振り返る。

 長崎に限らず、建設業界は自民党の集票マシンだ。選挙のたびに全国の建設業協会は自民党と一体化する。企業は社員を動員して電話作戦、ポスター張り、演説会場設営に力を注いできた。松谷氏は元建設省住宅局長。県内の建設業界に支えられ、過去2回の参院選を乗り切ったが、今回ばかりは勝手が違った。

 6月13日、県北の佐世保市で行われた松谷氏の選挙事務所開き。約250人集まったが、作業服姿の建設会社社員がズラリと並ぶいつもの風景はない。「えらい少なかネ」。駆けつけた大石保県議は、隣り合わせた同僚県議と顔を見合わせた。

 系列の佐世保市議は、県建設業協会佐世保支部から「頼む時だけ頼みに来て……。業界の実情が分かっているのか」と反発を買っていた。各企業に勝手に動員要請をかけないよう、クギをさされていた。

 小泉改革に伴う公共事業費削減で建設業界は仕事を確保できず、倒産が相次いでいる。帝国データバンクの担当者は「都市部の大手ゼネコン(総合建設会社)はしだいに順調になってきたが、中小は依然、厳しい。地方にいくほどゴロゴロ倒産している」と話す。

 建設業界の自民党離れの兆しはあった。今年2月26、27の両日、松谷氏が、全国建設業協会の推薦を受けた参院比例代表立候補予定者(自民党現職=当選)・脇雅史氏とともに、長崎、諫早など県内4市を回った時のこと。建設会社の役員たちは「仕事がない」「社会資本整備を軽視するのはおかしい」と異口同音に不満をぶつけてきた。

 首相官邸の「小泉内閣メールマガジン」に1通の「造反宣言」メールが届いたのもこのころだ。差出人は島原市に住む建設下請け業の男性。住所・氏名を明らかにした上で「今回は自民党に入れません。『2年間だけ我慢してくれ』という(首相就任時の)約束が守られていない。もう3年たった」と書いた。

1213とはずがたり:2004/08/17(火) 20:27

 取材に応じてくれた男性によれば、従来は自民党候補のために、カステラを手に知人を訪ねては投票を頼み込む買収まがいのこともやってきた。だが、今回はまったく動かなかった。

 「公共事業が削られ、議員も『口利き』できんようになった。前は自民党公認のハンコがあれば業界は自動的に動きよったが、見返りもなかとに(ないのに)なんで応援せんばいかんとか。金の切れ目が縁の切れ目」

 男性はそう言った。

    ■ ■ ■

 選挙後、松谷氏は毎日新聞の取材に応じた。同氏は全国の自民党公認候補の最高齢。「イメージ戦に負けた。私に責任がある」と率直に認めた上で、こう語った。

 「熱心だった支持組織の、選挙に対する熱が冷めた。強かった郡部の投票率が軒並み下がったのがその表れですよ。小泉総理は『自民党をぶっ壊す』と言ったが、本当に党を支える組織は壊れてしまった……」

 松谷氏が保守地盤に広がる異変を初めて肌で感じたのは5月19日、玄界灘に臨む離島・壱岐を訪問した時だった。島内4町が合併し、全島が壱岐市となって2カ月。臨時市議会の昼食時、松谷氏は仮議場の控室に集まった約50人の新市議に向かって「離島振興、漁業振興のために尽くしてまいります。よろしく」と声を張り上げたが、市議たちは「まるで、うわの空だった」(松谷氏)。

    ■ ■ ■

 選挙結果は民主党新人の犬塚直史氏(49)が34万4606票、松谷氏は30万3723票。自民党のベテランは4万票差で落選した。参院選全体を見ると、自民党の獲得議席は49で、勝敗ラインの51を割り込んだ。圧勝のはずだった合計27の1人区も、14勝13敗と民主党に押し込まれている。有権者の気まぐれか、選挙地盤の構造的変化か。注目の激戦区を再訪し、自民党敗北の理由を探る。=つづく<コラージュ・土屋幸男>
毎日新聞 2004年8月10日 東京朝刊

1214とはずがたり(1/2):2004/08/17(火) 20:30
参院選・敗北の理由:保守王国で何が起きたのか/3 垣根払った小沢氏行脚
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/20040812ddm005070134000c.html

 ◇「どちらでもいい。勝ち馬に乗らなければ食っていけなくなる。勢いのある方につく」

 「民主党は岡田(克也)も小沢(一郎)も、田中(角栄)派の系譜。小泉(純一郎)は福田(赳夫)派だ。今の政治状況は自民党単独政権時代の『角福対決』の再来だと思えばいい。市民運動出身の菅(直人)の退場でそれが鮮明になった」

 こう語るのは自民党堀内派の幹部だ。今日の与野党攻防は往年の自民党の派閥抗争と変わらず、つまりは自民党と民主党の垣根など無いに等しい。幹部はそう言いたいようだ。

 今回の参院選で小沢氏が演じた最大の役割は、民主党が引きずる「革新勢力」のイメージを払しょくし、政権交代に不安がないことを自民党支持層に納得してもらうことだったに違いない。昨年9月の民主、自由両党合流から11月の衆院選を経て今日まで、小沢氏はそこにエネルギーを注ぎ込んできた。

 参院選公示日の6月24日、小沢氏は奈良県橿原(かしはら)市で第一声をあげ、その後も大分県千歳村、挟間町▽福井県今立町、丸岡町▽滋賀県水口町▽大分県国東(くにさき)町▽高知県芸西村−−など、保守地盤の強い1人区を中心に、民主党候補の応援に歩いた。公民館などでの小集会が多く、必ず一人一人と握手した。

 長崎に入ったのは同28日。佐世保市、東彼杵(ひがしそのぎ)町と大村市を回り、7月10日には改めて諫早市を訪れている。

 6月26日、佐世保市の高級料亭で、地元自民党関係者が「秘密会合」と呼ぶ宴席が設けられた。民主党の山田正彦衆院議員(比例九州ブロック)とテーブルをはさみ、県内有力企業2社の社長が並んで座った。ともに長崎、佐世保両市の商工会議所の幹部を務める「本来なら自民党支持者の中心になる人たち」(地元自民党関係者)だ。

 山田氏は単刀直入に「犬塚をやってもらえませんか」と切り出した。民主党新人・犬塚直史氏(49)への支援要請だ。

 社長のうちの一人は後に、自民党現職の松谷蒼一郎氏(76)に対し、「山田さんから『犬塚を』と頼まれたが、それはできませんと申し上げた」と釈明している。だが、宴席は盛り上がり、料亭近くのスナックへ繰り出して2次会が続いた。うわさは広まり、商工業者の間に「自民党一辺倒でなくても……」という空気ができた。小沢氏が同市に入ったのは2日後。中心部の四(よん)ケ町(ちょう)アーケードで「小泉政治批判」をぶつと、聴衆から大きな拍手がわいた。

 佐世保市は今年2月まで、民主党が支部さえ持てず、自民党に歯が立たない土地だった。犬塚氏の同市での得票は5万2092票。松谷氏の4万7408票を上回り、犬塚氏当選のポイントとなった。犬塚選対幹部も「松谷さんを推薦した企業に『犬塚の演説会にも来てくれ』と頼んだら、来てくれたケースが、少なくなかった」と明かす。

 松谷氏の有力支持者の一人はこう語っている。

 「2大政党化の流れの中で、どっちにもいい顔をする人間が出てきた。民主党でも自民党でもどちらでもいい。勝ち馬に乗らなければ自分が食っていけなくなると思っているから、勢いのある方につく……」

1215とはずがたり(2/2):2004/08/17(火) 20:32

佐世保重工労組の支援も得て4区は宮島を民主公認での流れかね。
農協ともパイプがあったのでは?兄貴かなんかの不祥事もあったようだが…。
>「うちはもともと民社党だったが、基地問題を抱える中、企業の先を考えて会社に協力し、
>自民党に便乗しながらやってきた。しかし、昨年の衆院選で民主党が躍進し、今年2月に
>佐世保市に民主党長崎4区総支部が発足したことで、民主党をやるべきだとハラを固めた」

   ■ ■ ■

 造船業界準大手、佐世保重工業(SSK)の労使間では、公示の数日前、「会社は松谷、労組は犬塚」というすみ分けで合意が成立した。従来は労使あげて自民党を支援してきた。

 「うちはもともと民社党だったが、基地問題を抱える中、企業の先を考えて会社に協力し、自民党に便乗しながらやってきた。しかし、昨年の衆院選で民主党が躍進し、今年2月に佐世保市に民主党長崎4区総支部が発足したことで、民主党をやるべきだとハラを固めた」

 こう語るのはSSK労組の久野哲委員長である。これまでは自民党しか頼れる先がなかったが、今後は民主党に期待するという割り切りだ。それは、労使で与野党双方に保険をかけるという、2大政党時代の企業の生き残り戦略でもあった。

 保守層の民主党に対するアレルギーがなくなれば、自民、民主両党の政策がいよいよ厳しく吟味される時代が来る。連合長崎の高石哲夫事務局長は「これからは地方議会で、もっと民主党議員をつくっていかなければならない」と課題を語った。次の衆院選では、地方組織を整え始めた民主党が、政権をかけて自民党と勝負することになる。=つづく
毎日新聞 2004年8月12日 東京朝刊

1216とはずがたり(1/2):2004/08/17(火) 20:33
参院選・敗北の理由:
保守王国で何が起きたのか/4 限界に来たトップダウン
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/20040813ddm005070143000c.html

 ◇「号令がかかって、集まって終わり。そこから先に運動の広がりがない」

 参院選に秋田選挙区から出馬して落選した自民党公認、斉藤滋宣氏(51)の陣営が、「反省事項」をA4判のペーパー1枚にまとめた。

 「新しい票の掘り起こし作戦がなかった。既存の県議・市議票を頼りにした」

 「国政報告会を全市町村で行ったが、その中から『働き手』を探せなかった」−−。

 ペーパーは、自民党の県議や市議が自分の系列団体や支持者を通じて投票を依頼するトップダウン方式に対する反省というトーンで貫かれている。

 公示前の6月12日、秋田市の「キャッスルホテル」で、斉藤陣営の「秋田地区総決起大会」が開かれ、斉藤氏が籍を置く旧橋本派の青木幹雄参院自民党幹事長(当時)や小渕優子衆院議員も応援に駆けつけた。約1000人が詰めかける盛況だったが、よく見ると、地方議員と建設業者、高齢者ばかり。「まれに若い女性がいるかと思うと、公明党関係者だった」(自民党市議)

 こんな証言もある。選挙戦さなかの6月28日正午、斉藤氏は県南の中心・横手市の市役所前で街頭演説に立ったが、聴衆わずかに50人。あらかじめ動員をかけなかったとはいえ、かつてない低調さであり、居合わせた萱森(かやもり)真雄・横手市議は「これは危ないかな」と感じた。

 太田町の高貝久遠町長も、こう語っている。

 「旧態依然の自民党には意識改革ができなかった。今はトップダウンじゃない、ボトムアップの時代だ。そのことに気づいていない……」

 斉藤陣営は県内を12ブロックに分け、春先にはブロック別に選対事務所を設けた。地元選出県議が事務所ごとに張りつく。県央のあるブロックの選対事務所では、毎週月曜の朝、地区の責任者15人前後が集まり、1時間の作戦会議を開いた。

 会議は、いつも同じ調子だった。コの字形に並んだテーブルに沿って各地区の責任者がすわり、通り一遍の報告が続く。県議から「あんたの所は動きが鈍い。徹底して」と注意された責任者は、その場では何も言わないが、会議が終わると「ウチだけ悪いのか」とこぼす……。

 「下から意見をくみ上げるっていうことがない。まあ、意見なんて出もしないけど」

 ある県議は自嘲(じちょう)気味に振り返った。

1217とはずがたり(2/2):2004/08/17(火) 20:34

 この点で、斉藤氏を破った無所属(民主、社民推薦)新人、鈴木陽悦氏(55)の陣営は対照的だった。選対会議では地位や立場にこだわらない意見交換が続き、「どうすれば若い層の支持が得られるか」という共通の宿題を持ち帰る。次回はそれぞれが答えを持ち寄り、再び活発な議論が始まる……。

 「おしつけがましくなく、末端まで参加意識があり、自然発生的にアイデアが生まれる」

 鈴木陣営の内情を知った自民党関係者がうらやんだ。

 県南地区選出のある自民党県議は、こう言っている。

 「自民党の支持者は『いつものかたち』に疲れてるんだと思う。上からドーンときて、人を集めて『ガンバロー』。それだけだ。日常の草の根活動が連携してまとまるんじゃない。号令がかかって、集まって、それで終わり。そこから先に運動の広がりがない……」

 斉藤選対の仕切り役の一人、大関衛県議の証言も聞こう。

 「今や『○○事務所ですが』なんて電話したって何の効果もないですよ。知ってる人がお願いするんでないと。電話のかけ方は向こう(鈴木陣営)が上手だった。『友人の友人』といった形でかけまくり、水面下でずいぶん離されてしまった」

   ■  ■  ■

 「もとより、大きな団体のトップの言う通りにみんなが投票するような時代じゃない。企業だって、労組だってそうだ。そんなことを考えている自民党議員は一人もいませんよ」

 東京・永田町の自民党本部で選挙を統括する町村信孝総務局長は苦笑するが、参院選は、トップダウン型に安住した自民党の実態を浮き彫りにした。

 これに対し、強固な地方組織を持たず、系列地方議員も少ない民主党は、トップダウン方式を取りたくても取れなかった。草の根に分け入り、耳を澄まして新しい票を掘り起こさざるをえず、結果的に時流に乗ったと言える。=つづく
毎日新聞 2004年8月13日 東京朝刊

1218とはずがたり(1/2):2004/08/17(火) 20:37
自民党に入れて貰うために色々やったみたいだけど支持者は醒めたたみたいですねぇ。次はオチロ(゚∀゚)

参院選・敗北の理由:保守王国で何が起きたのか/5 神経逆なで「いろいろ」発言
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/20040814ddm005070144000c.html

 ◇「小泉さんに愛想が尽きた。演説聴き、やっぱり自民党に入れまいと確信した」

 「自民党最大の敗因は首相の『人生いろいろ』発言」という評が多いが、こうなると、かえってムキになるのが小泉純一郎首相である。今月3日、自民党若手議員グループのパーティーで「批判もいろいろ」とおどけてみせ、10日には、野党議員の発言撤回要求を拒否する政府答弁書の閣議決定に及んだ。

 参院選も後半戦に入った7月6日夕、首相は秋田県大曲市で街頭演説に立った。自民党現職・斉藤滋宣氏(51)と無所属新人(民主、社会推薦)・鈴木陽悦氏(55)の対決。首相の秋田入りは、6月20日に続いて2度目だった。

 「国会に行くとね、ダメだダメだ、やめろやめろって、もうそういう声ばっかり。ここに来ると、雰囲気が温かくて、いいなあ……」

 大曲市は01年4月、首相が自民党総裁選出馬を初めて表明した因縁の地。おのずと演説には熱がこもった。だが、聴衆約3200人(主催者発表)の相当部分は御法川(みのりかわ)信英衆院議員の後援会による動員だった。御法川氏は昨秋の衆院選に無所属で出馬して当選、近く自民党入りする。はた目には大盛況と見えたが、3年前とは異なり、明らかに熱気が欠けていた。

 この時、聴衆に交じって首相演説を聴いたという数人に選挙後、感想を聞いてみた。

 「総理大臣の演説聴いたからって自民党に票を入れるわけじゃないさ」(60代男性)

 「もう小泉さんには愛想が尽きた。演説を見に行って確信した。やっぱり自民党には入れまいと思った」(50代女性)

 「イラクと年金の話だけバーッと一方的にしゃべって、最後に付け足しで『斉藤さんもよろしく』。一体、何のために来たのか」(50代男性)……

 結局、斉藤氏が大曲市で獲得した票は8100票余にとどまり、鈴木氏に約2700票も水をあけられた。

1219とはずがたり(2/2):2004/08/17(火) 20:37

 「1勝8敗」−−。今回の参院選で、小泉首相が2回応援に入った「1人区(改選数1の選挙区)」の戦績だ。自民党は世論調査などで苦戦と判断した9選挙区にテコ入れするため、これらの地域では首相遊説日程を2回組んだ。が、小泉効果が実を結んだのは熊本だけ。秋田、長崎、三重、岡山、高知などでは自民党候補が負けた。

 自民党は「小泉ブーム」に乗って前回01年参院選で圧勝したが、今回は、そうはいかなかった。自民党本部選挙対策本部の関係者は「今回も『総理が来る』と言えば人は集まった。しかし、それが票に結びつかなかった」と振り返る。

 7月24日、秋田県南部の本荘市で全市一斉の消防訓練が実施された。同市選出の小田美恵子県議(自民党)が、ある地区の公民館で開かれた消防団の反省会に顔を見せると、話題はおのずから、終わったばかりの選挙に向かった。40人ほどの寄り合いだったが、小田県議の近くにいた30歳代の男性が、きっぱりとした口調で言った。

 「いつも自民党だったけど、こっちの方を向いてくれなかったから、先生には悪いけど、あっち(鈴木氏)をやったよ」

 小田県議は「あ、『人生いろいろ、会社もいろいろ』のことだなと思った」という。小泉首相は6月2日の衆院決算行政監視委員会で、勤務実態のない不動産会社から給料をもらい、厚生年金に加入していた過去を追及され、「人生いろいろ、会社もいろいろ……」という人を食った答弁でかわした。

 「自民党を愛してくれていた人たちが、あれで離れてしまった。零細企業は死ぬ思いで税金や年金保険料を払っている。あの発言は明らかに、そういう人たちの神経を逆なでした」

 小田県議はそう見ている。

 前回参院選が実施された01年は、年初の時点では森政権だった。人気低迷と支援組織の衰弱で民主党勝利と見る予測が多かったが、4月の政権交代を契機に小泉人気が沸騰、結果は自民党の大勝で終わった。

 以来3年間、支援組織の立て直しという課題は手つかずのまま放置された。「小泉さんは決してカリスマではない。何でも首相のせいというのはどんなものか」。公明党秋田県本部の工藤任国代表は、首相の人気低落を恨む自民党に首をひねってみせた。=つづく
毎日新聞 2004年8月14日 東京朝刊

1220とはずがたり(1/2):2004/08/17(火) 20:42
植松女史には今後も是非頑張って頂きたい>>1220-1221

>2区では高松市に隣接した4町で植松氏が山内氏に競り勝ち、県庁所在地で民主党が得票率を伸ばす「1区現象」の周辺への拡大を裏付ける結果となった。 

>昨年の衆院選では自民党候補が民主党候補の3倍の票を獲得したが、今回は山内氏5027票、植松氏4887票の大接戦となった多度津町を訪ねた。瀬戸内海に面した同町に、民主党は町議はおろか、支部すらない。

参院選・敗北の理由:保守王国で何が起きたのか/6 都市周辺部でも民主浸透
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/20040817ddm005070130000c.html

 ◇「表向きは自民党でも実際は離れている。だから票の動きが幽霊みたいで分からない」

 「幽霊と戦ってるみたいや」

 参院選中盤の7月4日、香川選挙区の自民党現職、山内俊夫氏(57)陣営は途方に暮れていた。マスコミは中盤情勢として山内氏の苦戦を伝え、原因が分からない陣営幹部は、その状況を「幽霊」に例えた。

 香川県は島根、愛媛両県とともに、比例代表を含めて衆参で野党議員が一人もいない「自民独占県」。山内氏は勝ったものの得票は20万4392票どまり。民主党新人で、高松市内の温浴施設を経営する植松恵美子氏(36)に7022票と「髪の毛1本の差」(平井卓也自民党県連会長)まで詰め寄られた。山内氏自身、「投開票日の夕方は『敗戦の弁』が頭をよぎった」と打ち明ける。

 山内氏の得票は昨年の衆院選の自民党候補に比べ、1区で17%、2区で18%、3区で19%それぞれ減少。一方、植松氏は衆院選時の民主党候補と比較し1区で2%、2区で15%、3区で21%とそれぞれ得票を伸ばした(1、3区は民主、社民の合計得票との比較)。この結果、2区では高松市に隣接した4町で植松氏が山内氏に競り勝ち、県庁所在地で民主党が得票率を伸ばす「1区現象」の周辺への拡大を裏付ける結果となった。 

 高松市の東隣の三木町。山内氏を支援した自民系町議は「100人ぐらいに支持を頼んだ。いつもなら『よっしゃ』という感じだが、今回は3分の1ぐらいに断られた。『民主党に入れるわ』と言い切る人もいて当惑した」と当時を振り返る。

 山内氏の出身地、丸亀市のある3区も例外ではなかった。区内17市町のうち、10市町で自民候補の得票が20%以上減り、かつ民主候補の得票が20%以上増える「自民→民主シフト」が起こった。

1221とはずがたり(2/2):2004/08/17(火) 20:43
>選対幹部から「アホや、アホや」と言われながら、植松氏はカラオケ大会や工事現場、地域の祭りに頻繁に顔を出し、有権者個人に直接接触する戦術に固執した。

>ボランティアの「特殊部隊」もつくり、軽トラックの荷台に自転車4、5台を積み込み、地盤のない2、3区で自転車に乗ったボランティアがパンフレットを各戸に配った。

 保守王国でこの現象を引き起こしたのは、何だったのか。

 昨年の衆院選では自民党候補が民主党候補の3倍の票を獲得したが、今回は山内氏5027票、植松氏4887票の大接戦となった多度津町を訪ねた。瀬戸内海に面した同町に、民主党は町議はおろか、支部すらない。

 「いろいろ縁があって、今まで自民党をやったが、今回は民主党にした。自民党から働きかけがなかった。民主党? チラシをポストで見たなァ」(初老の男性)

 「この辺はみな自民党。でも『人生いろいろ』とかあったし、初めて、あの女の人(植松氏)に入れました」(中年女性)

 記者は100軒を訪ねたが、自民党から民主党へ投票行動を替えたことを認めたのは2人。「自民党に投票」は13人で、あとは明らかにしてくれなかった。山内陣営の幹部は「みんな、まだまだ自民党の影響力が怖くて表向きには民主党候補に入れたとは言わないが、実際には自民党から離れている。だから、全体の票の動向が幽霊みたいで分からない」と言う。

 香川で起こった現象について、蒲島郁夫東大教授(政治学)は(1)野党が民主党に一本化され、対抗図式が明確になった(2)小泉改革で地方都市の荒廃が進み、自民党に頼ってもどうしようもないと有権者が認識した(3)農協や企業などの社会的組織の構成員への拘束力が弱まり、組織自体も自民党とつながるメリットを見失った−−の3点を指摘した。さらにこうした流れは一過性でなく、「町村合併が進んで自民党が手足にしていた地方議員が減れば『2区現象』は全国化する」と予想する。

 選対幹部から「アホや、アホや」と言われながら、植松氏はカラオケ大会や工事現場、地域の祭りに頻繁に顔を出し、有権者個人に直接接触する戦術に固執した。ボランティアの「特殊部隊」もつくり、軽トラックの荷台に自転車4、5台を積み込み、地盤のない2、3区で自転車に乗ったボランティアがパンフレットを各戸に配った。

 党本部→県連→市町支部という上意下達のツリー構造が揺らぎ、地縁血縁を介した集票網のほころびも指摘される。その中で、香川県に応援に入った松本剛明民主党衆院議員は「植松さんの『有権者個人』に焦点を当てた戦術が奏功した」と言う。

 山内陣営の選対本部長だった自民県連の重鎮・木村嘉己幹事長(75)はこう振り返った。

 「最近の選挙は我々の予測を超えたところで動くが、何が変わったのかすらつかめない。僕らが旗を振る時代じゃないことだけは痛感するな」=つづく
毎日新聞 2004年8月17日 東京朝刊

1222とはずがたり:2004/08/18(水) 21:32
返す返すも惜しいねぇ。

参院選・敗北の理由:保守王国で何が起きたのか/7 多彩な人材に門開く民主
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/saninsen/news/20040818ddm005070170000c.html

 ◇「役人は、以前は自民党から出たが今は違う。候補の差が響いている」

 「ただ今、36歳です。会社員の夫と小学6年生の娘の3人家族です」

 7月2日夜、高松市で行われた演説会。民主党新人の植松恵美子氏のあいさつは、若さのアピールから始まった。植松氏は高松市の温浴施設「天然温泉きらら」の経営者。「香川の自民党は大した発想もないのに自分たちが社会を動かしてると勘違いしている。よどんだ空気を入れ替えたい」と、立候補に踏み切った。

 植松氏の父・木村博徳氏(63)は大手のクレーン会社「北四国クレーン」の創業者。建設会社の娘が野党から立候補したこと自体が異変だった。植松氏は90年に松下電器産業を退社。父親の会社で県内初の女性クレーン運転手として働き、「元ミス神戸大」と重機のミスマッチで注目された。

 選挙戦は経歴を生かした「新型の土建屋選挙」。ヘルメットを積み込んだ選挙カーで全県を巡回し、工事現場を見つけては立ち止まる。

 「こんにちはー。北四国クレーンの娘です」。作業員らはけげんな表情で振り返るが、「おう、選挙出とったやなァ」。握手を交わすと「現場の手だな」とほほ笑まれる。そんな光景が繰り返された。

 「(元々、自民支持の)建設会社に行って追い返されるんやったら、直接現場に行ったほうが早い」。植松氏は発想を変えた。

 参院選出馬は、昨年秋の衆院選香川1区で民主公認候補で落選した小川淳也氏(33)が持ちかけた。植松氏の実弟が小川氏の同級生として選対本部長を務め、植松氏自身も選挙を手伝った縁があった。小川氏は東大卒の自治官僚。94年に沖縄県庁に出向し、本土よりも高い国の補助率で「公共事業づけ状態」となった沖縄経済を見て「社会の新陳代謝には政権交代が必要」と痛感。01年秋、菅直人幹事長(当時)に面会し、政治家になる意思を固めた。

 民主党は自民党に比べ空白区が多く、立候補を希望すれば比較的容易に選挙区を割り当てられるゆとりがある。これが、滋賀選挙区で当選した林久美子氏(31)や植松氏など子育て中の母親を含む、多彩な人材の確保を可能にさせている。党組織が未熟という短所が、候補の擁立においては自由度が高いという長所に変わるからだ。

 一方、自民党には世襲議員や県議が議席に群がる。部外者は入り込みにくく、新鮮な選択肢を有権者に提示しにくい欠点が指摘されている。香川の衆院選挙区の自民現職は全員世襲議員。参院も今回、植松氏の猛追をかろうじてかわした県議出身の山内俊夫氏(57)と、議員秘書出身の真鍋賢二氏(69)の2人。新人が割り込む余地はない。

 今回の参院選で民主党候補の平均年齢は51・1歳、40歳代以下の比率は43・2%に上る。一方、自民党候補は平均56・9歳、40歳代以下の比率は22・2%に過ぎない。従来は、自民党からの立候補が主流だった中央官僚も、最近は民主党志向が目立つ。

 「役人は、以前は自民から出たものだが、今は違う。経済産業省などは民主党から多く出るし、それが他の省庁にも広がってきた。香川に限らず、タマ(候補)の差がじわじわと響いてきている」。自民党選対幹部は、しがらみから抜け出せない現状を嘆く。

 「田舎ではまだ共産党や社民党に抵抗感がある。でも、民主党やったらいいんじゃないかと感じ始めている。私自身も民主党は自民党に近い存在だと思っている」(自民系さぬき市議)

 2大政党化が強まった昨年の衆院選を境に、香川でも民主党の知名度は高まった。安全保障など国家の基本政策で、自民、民主の違いもあいまいになり、それが民主党への抵抗感を薄くさせたのだ。

 民主党選対は「能力に差のない政党同士なら、若い候補者が選ばれる。市場原理でいう『後発有利』が当てはまる」と今後の選挙に期待を膨らませる。

 「おきゅうをすえようといったん野党に投票した支持者が、向こう(民主党)に行ったきりになってしまうんじゃないか」。平井卓也・自民党香川県連会長の危機感は募る一方だ。=つづく
毎日新聞 2004年8月18日 東京朝刊

1223無党派さん </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2004/08/27(金) 14:26
http://www.iwate-np.co.jp/news/y2004/m08/d27/NippoNews_8.html
高橋前副知事 政治活動継続へ


 7月の参院選岩手選挙区に無所属で出馬し、落選した前副知事高橋洋介氏(62)は28日、政策などの調査研究機関を発足させ、今後をにらんだ政治活動を再開する。将来の方向性は時間をかけて決めていく方針だが、高橋氏は「今回挙げた手を下ろすわけにはいかない」と“再挑戦”に意欲を見せている。

 高橋氏は参院選岩手選挙区に副知事を辞職して立候補。自民党、公明党、無所属の会の推薦を受けて戦ったが民主党公認の元県農林水産部次長主浜了氏(54)に6万票余りの差で敗れた。

 国政への進出はならなかったが、28日は選挙前から予定していた時局講演会を盛岡市内で開く。後援会関係者らに、選挙戦を総括しながら今後の身の振り方を説明するとみられる。

 同日は高橋氏が今後の活動の拠点とする「産業経済政策調査会」を設立する。同会設立委員会の委員長は、参院選で同氏の総括責任者を務めた小野繁前岩手医大学長。設立委員には、県内各界の支持者24人が名を連ねる。

 会の設立趣意書には「来るべき時に備えて高橋氏の調査研究活動と政治活動を支援したい」とあり、選挙を念頭に置いた組織であることが明確に書かれている。

 今後の政治日程を見ると、次回参院選が行われる2007年までは衆院選もないとの見方がある。知事選や高橋氏の出身地である北上市の市長選が行われるのも、07年の統一地方選だ。

 参院選で高橋氏を「公認候補並み」に支援した自民党県連は選挙後、県内各市町村に構築した同氏後援会との連携を継続することを確認。藤原泰次郎幹事長も「一緒に戦ったスタンスを大事にしたい。ただし、今後のことは腰を落ち着けて考えることになるだろう」とする。

 高橋氏は、事務所も盛岡市内丸の県庁裏に移転し、心機一転の構え。「(選挙について)今から具体的にどうこうという話はない」としながらも「せっかく後援会もできた。挙げた手を下ろすわけにはいかない」と捲土(けんど)重来を期している。

1224無党派さん </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2004/08/27(金) 14:35
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&amp;d=20040827&amp;j=0023&amp;k=200408271826
連合北海道、民主「2人擁立」を評価 参院選総括 候補養成塾を提言  2004/08/27 07:23
 連合北海道は二十六日までに、七月の参院選の総括案をまとめた。民主党北海道が道選挙区(改選数二)に二人の候補を擁立したことを評価する一方、二○○七年の知事選、道議選をにらみ、同党に対し、候補者を養成する「民主塾(仮称)」の開設を求めている。九月二十二日の地方委員会で正式承認される見通し。

 総括案は当選した現職と落選した新人の得票計が、昨年の衆院選を上回る約百十六万票に達した民主党の道選挙区の結果について「衆院選を引き継ぐ結果を生み出したことは複数候補擁立の効果」と評価し、今後の教訓にすべきだとしている。

 また、民主党に対し、次期衆院選に向けた体制づくりや、○七年の知事選、道議選の戦略を策定する「政治目標の確立」、その政治目標達成のための「北海道政権戦略会議(仮称)の発足」も提言している。

1225おりーぶの木@合併反対:2004/08/28(土) 02:45
>山内氏の得票は昨年の衆院選の自民党候補に比べ、1区で17%、2区で18%、3区で19%それぞれ減少。一方、植松氏は衆院選時の民主党候補と比較し1区で2%、2区で15%、3区で21%とそれぞれ得票を伸ばした(1、3区は民主、社民の合計得票との比較)。この結果、2区では高松市に隣接した4町で植松氏が山内氏に競り勝ち、県庁所在地で民主党が得票率を伸ばす「1区現象」の周辺への拡大を裏付ける結果となった。 

組織の拘束力が少ない参院選と衆院選は単純比較できないがこの流れはさらに加速することはあっても戻ることはないでしょうね。これはもう「時代の要請」なのです。
民主党が最も注意すべき点はこれまでの躍進の後に必ず起きたようなスキャンダルで足元をすくわれないようしっかり危機管理の体制を整えること。無論、注文は多々あれどこれをしっかり心がければ政権奪取は射程圏内。それにしても香川を取れば民主51で自民党の目標議席に肩を並べたのになぁ。

1226とはずがたり:2004/08/28(土) 15:27
>>1223
3年後を目指すにしては65になるし自民入党・衆院岩手4区からなんてのもあるのかね?
県知事選はいつだっけ?

1227名無しさん:2004/08/29(日) 07:39
http://www.nga.gr.jp/tijifile/f_file.html
岩手知事選は19年の4月なんで衆院選のあとになる可能性のほうが高いですね・・・

1228とはずがたり:2004/08/30(月) 13:45
>>1227
情報提供感謝っす。珍しくもまだ統一地方選の時に改選なんですな。

1229とはずがたり:2004/08/30(月) 13:47
>>1210-1222 続き
防衛庁から3人は共倒れするやろ。
農水担当は今回改選が大河原太一郎→日出英輔,裏が石川弘→福島啓史郎という流れか。農水省が農家ではなく農業と向き合う様になった傾向は評価。

参院選・敗北の理由:保守王国で何が起きたのか/8 基本構図「政・官・業」に…
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/saninsen/news/20040819ddm005070140000c.html

 ◇基本構図「政・官・業」に異変

 ◇「議席獲得にそれほど意味はなく、毎回、役所OBを出す必要はない」

 今回の参院選比例代表の一つの特徴は、役所OBの落選が目立ったことだ。元林野庁長官で現職の●入沢肇氏、防衛庁では現職の●月原茂皓、元職の●鈴木正孝、新人の●関肇の3氏がそろって落ちた。元消防庁次長の●北里敏明氏も及ばなかった。とりわけ自民党が衝撃を受けたのは、農水省OB、●日出英輔氏のまさかの落選だった。

 得票数は11万8000票余で18位にととどまり、当選圏の15人以内に届かなかった。同氏は農協系の全国農業者農政運動組織協議会などを支援団体にし、強固といわれた農林水産票を基盤に置いていた。

 旧全国区時代、100万票を超える集票力を誇った農林水産業は近年、参院比例代表の改選ごとに自前の候補者を擁立してきた。日出氏は元農水省農産園芸局長。同省事務次官を経て、80年から3期18年、参院議員を務めた大河原太一郎氏の後継として、98年に初当選した。

 農林水産業の関係団体が農水省OBを支える構図は、日出氏だけではない。01年の参院選比例で初当選した福島啓史郎氏も、元農水省食品流通局長。食糧庁長官や農水省事務次官を務め、89年に参院比例代表で初当選した石川弘氏の後継者だ。「役所出身なら、関係団体全体に影響力がある」(自民党選対)との判断の下、農水省OBは比例代表の一角を占めてきたのだ。

 1期目、日出氏は外務政務官を務め、福島氏は経済産業委員会に所属した。自民党農林族幹部は「農産品の市場開放がからむ自由貿易協定(FTA)交渉に向けて、関係する外務省と経済産業省ににらみを利かせる狙いがあった」と振り返る。OB議員の政治活動は「省益」とも密接にからんでいた。

 しかし日出氏の落選は、自民党政治の基本構図である政・官・業のトライアングルに異変を感じさせるものだった。自民党選対も「選挙中、農水省はほとんど動いていない」と分析する。

 その背景は何か。政府の農業政策は、生産性の高い農家への補助金集中配分が検討されるなど、国際競争力の強化に比重を移しつつある。農政改革が進むなか、役所も族議員も農家に対していい顔ばかりはできず、厳しい調整に直面している。当然のことながら農水省のOB議員に求めるハードルは高くなった。

 ある農水幹部は日出氏に手厳しい。「何かやってくれたという印象がない。抜本改革を支持するのか、旧来の農政を続けるのかはっきりしないから、役所からも、農協からも評価されない」。さらに「大事なのは農政改革の最中、どういう人を立てるかだ。議席獲得自体にそれほど意味はなく、毎回毎回、役所のOBを候補者として出す必要はない」とまで言い切る。なれ合い的に官僚と農協と政治家がトライアングルを組んでも、物事は進まないと気づき始めたとも言える。

 一方、選挙後、地方農協幹部からは「役所OB候補者は遠い存在。農協青年部や婦人部など身近な存在を立てないと、戦えない」との指摘が相次いでいる。自民党農林族からも「比例代表が安易な役人の天下り先になっている」との批判が出る。農家の中央省庁への「お上意識」も薄れ、全国農業協同組合中央会は「候補者のあり方を含め、今後1年くらいかけて、選挙態勢を再検討する」という。

 参院選比例に非拘束名簿式が導入され、2度目の選挙戦が終わった。有権者に個人名か、政党名のどちらかを書かせる非拘束式は、組織力だけでなく、候補者自身の「発信力」がより問われる。07年に改選期を迎える福島氏は、農水省OBを比例代表候補に擁することについて、「据わりがいいんだ」と話す。ただ2回目の出馬は、まだ固まっていない。=つづく

毎日新聞 2004年8月19日 東京朝刊

1230とはずがたり:2004/08/30(月) 13:49
参院選・敗北の理由:保守王国で何が起きたのか/9止 執行部は責任論を封印
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/saninsen/news/20040821ddm005070170000c.html

 ◇「負けを認めない限り反省できない、まして、再生になど乗り出せない」

 「こっちがしっかりせんから、国民が『自民党、お前は横着かよ』ってすねたんだ。今回が最後の警告。次の選挙までに反省せんとボカッとやられるぞ」

 長崎選挙区に立候補した自民党現職、松谷蒼一郎氏(76)=落選=の選対本部長を務めた谷川弥一衆院議員は、参院選をこう振り返った。

 また20年来の自民党運動員だったが、今回は民主党新人、犬塚直史氏(49)=当選=に投票した長崎県島原市の建設業者は、「見限った人もいるが、まだ半々なんですよ。迷っている。自民党が反省して田舎のためにやってくれるのではないかという期待も半分ある」と語る。

 秋田県南の雄物川沿いの丘にそびえる国民保養センター「三吉山荘」で今月18日夕、「自民党県議団と語る夕べ」が開かれた。同党県議15人が横一列に並び、集まった約130人の住民と向かい合った。

 「これからは個性の時代だ。一人一人の個性が見える党にならないと。今は旧態依然の感じがする」「いつも同じパターンの選挙では勝てない。魅力ある戦略を組み立てなければならない」「自民党が変わったということをはっきりと発信しなければならない」

 参院選で公認候補が落選した後だけに参加者からは、厳しい注文が相次いだ。だが小田美恵子県議は「若者や女性が思いのほか集まった。3分の1は党員以外だったと思う」と手応えを感じたという。次の国政選挙を念頭に、全県を9地区に分け、残りの8地区でも「夕べ」を順次開催していく。

 高知県連もまた公認候補を落選させた。その「無党派層が自民党を支持していない。党改革を進めなければ自民党は終わり」(県連幹部)という危機感から、7月29日に「県連改革アクションプラン」をまとめた。県連役員に地域支部の代表を登用したり、幅広い参加を認める開かれた総務会の開催など「下意上達」の意思決定を目指した組織改編を掲げた。近く無党派層に的を絞った「タウンミーティング」を始める。

   ■  ■  ■

 地方の動きに自民党本部は呼応できているのだろうか。

 自民党は4日、全国会議員に呼びかけ参院選の総括を行う党改革検証・推進委員会を開いた。「全員参加型」の選挙総括は、野党に転落した93年以来。党本部9階の大会議室に約100人の衆参両院議員が集まった。

 「負けは負けと認めるべきだ。このままでは来年の都議選は間違いなく負ける」「与党で安定多数を確保したというのは、国民に誤解を与える」

 2時間に及んだ議論は、ほぼ「負けを認めるか、認めないか」に終始した。参院選直後、小泉純一郎首相が「与党で安定多数を維持した。責任問題は生じない」と強弁し、自身と安倍晋三幹事長、青木幹雄参院議員会長の責任論を封印したことが、党再生に向けた建設的な議論を封じ込める形になっている。結局、委員会は久間章生幹事長代理が、「敗北」の文言の入っていない選挙対策本部作成の総括文書を報告しただけで終わった。「負けを認める総括をしない限り反省できない。まして再生に乗り出すことなどできない」と旧橋本派の若手議員は語る。

 一方で、党本部には都道府県連幹部から「公明党に党の地方組織が相当食われた」との声が多数寄せられた。組織の弱体化を補うために「公明党依存」に走り、「比例代表は公明党に」と訴えることで、保守層の自民党離れを誘発する。この悪循環に悲鳴を上げているのだ。

 参院選は、衆院選に続き全国の比例票が民主党を下回った。自民、民主両党の政策的な差がなくなり、かつ小泉人気が下がれば「自民党は公明党との塊で次の選挙を戦わざるを得ない」(民主党幹部)という状況になる。公明党は「自民党とのパイプの太さ」を重視し、06年10月まで神崎武法代表−冬柴鉄三幹事長の体制を継続させる方向で調整に入っており、今後、ますます「自公連携」が進むことが予想される。

 民主党は地方組織の強化に取り組み、衆院300小選挙区のうち、約70ある候補者不在の「空白区」の候補擁立を急ぐ方針で、9月中には30〜40の選挙区の候補が決まる見通しだ。「2大政党化」が進む中、次期衆院選が政権をかけた「一大決戦」になるのは確実で、自民党には瀬戸際の戦いになる。(おわり)=この連載は中村篤志、坂口佳代、上野央絵、宮下正己、田中成之が担当しました。<コラージュ・平山義孝>

毎日新聞 2004年8月21日 東京朝刊

1231とはずがたり:2004/10/06(水) 22:35
あとは鈴木@秋田,近藤@新潟はどうなるかだな。

広田氏が民主・新緑風会へ 民主党には入党せず
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041005-00000094-kyodo-pol

 民主党は5日午前、7月の参院選で初当選した広田一氏(高知選挙区)の参院会派「民主党・新緑風会」入りを参院事務局に届けた。広田氏は当面、民主党に入党しないまま活動するという。
 これに伴う会派別勢力分野は以下の通り。
 自民党114▽民主党・新緑風会84▽公明党24▽共産党9▽社民党・護憲連合5▽無所属6
(共同通信) - 10月5日12時15分更新

1232無党派さん </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2004/10/09(土) 13:34
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041006-00000216-mailo-l39
 広田氏は会派入りに関するコメントを発表。その中で、「年金改革など、選挙で訴えた公約実現には、いずれかの会派に属さなければ大きな制約を受ける」と断ったうえで、「『無所属、民主党推薦』で当選させていただいたので、『無所属、民主党・新緑風会』で国会活動することが、県民のみなさんにとっても分かりやすく、期待に応える一歩だと判断した」と説明している。

1233名無しさん:2004/10/09(土) 22:24
ちなみに、広田一の父である広田勝・元県議は、民主党の平野貞夫前参院議員の後援者だったようですね。

1234とはずがたり:2004/10/12(火) 23:51
>>164-263
(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1069407561/?KEYWORD=環境)
ここらで環境政策について語られてますが(レスの箇所のまとめは>>263),>>181より「ちきゅうクラブ」は円より子は民主党へ(田島は社民から離党・辞職へ),「みどりといのちのネットワーク」の大石氏の息子が今回民主から当選。「ちきゅう」「みどりといのち」「原発いらない」の3党は「希望」へ合流したりとしてますがこれらの票は最終的には民主党にも多少は固定的に流れ込んだんですかね?

http://www.city.kamaishi.iwate.jp/senkan/page/data/sangiin/H010723sangi-hi.htm
平成元年7月23日執行 参議院議員通常選挙<比例代表>←社会党が大勝,宇野退陣に至った選挙。

ちきゅうクラブ(ちきゅう) 334,805
みどりといのちのネットワーク(いのち) 150,735
緑の党(緑) 121,248
原発いらない人びと(原発いらない) 161,523
環境党(環境) 29,929
────────────────────────
合計 798,240

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/1921
[’04参院選・宮城]制度が有利に働く−−大石正光氏の高順位当選 /宮城

 さらに、環境問題に尽力し環境庁長官も務めた父武一氏(故人)の人脈を活用し、全
国約30の環境団体から推薦を得たのも大きかったようだ。これらがうまくかみ合い、全
都道府県から幅広い集票を可能にした、というのが実態らしい。

1235とはずがたり:2004/10/29(金) 01:39
元相馬村議で社民系県議元参院議員の三上氏(>>1236-1237)は田名部氏を推したんだな。

<下> 二大政党に埋もれ惨敗
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/kikaku2004/minsyukaze/minsyu_3.htm
(2004/07/15)

 年金改革や自衛隊の多国籍軍参加などを受け、「二大政党とも政策は変わらない」と訴え、支持の拡大を狙った共産、社民両党。結果は自民、民主二大政党の壁に阻まれ、惨敗に終わった。
  ◇  ◇
(共産党部分…略)
  ◇  ◇
 「国民の怒りは民主党がほとんど受け止め(票につなげ)てしまった。社民党の力不足を痛感した。大変申し訳ない」
 十一日夜、青森市内での開票結果を見守った社民党公認の井上浩は、四候補で最低得票の結果にぼう然とした表情で、支持者に頭を下げた。
 昨年の衆院選で惨敗した社民党。今回参院選を「党再生を懸けた戦い」と位置付け、党県連幹事長の井上を十八年ぶりの公認候補として擁し、比例の連動を狙った。
 第三極の必要性を訴え、小泉批判票の取り込みを図ったが、結果は大敗。比例代表でも、青森県内の重点候補だった菅野哲雄が落選した。
 党県連代表の渡辺英彦は「第三極の必要性がなくなったわけではない」と強調したが、支援母体の県平和推進労組会議議長の川村数彦は「共産党も大きく落ち込んだのはショック」と護憲二政党の埋没に肩を落とした。
 二大政党への加速に加え、県議・三上隆雄も街頭で民主党候補の応援マイクを握るなど連携が乱れる場面も。
 労組の影響力低下など大きな様変わりの中で、「これまでのやり方が通用しなくなった」(党県連前代表・今村修)。活動の大幅な見直しを迫られる社民党。地方議員の空白区を埋めるなど、組織の再構築が急務だ。
    =文中敬称略=   (参院選取材班)

1236とはずがたり:2004/10/29(金) 01:39
(中)風 政治課題が方向左右
(2004/05/21)
http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/kikaku2004/kyojitu/kyojitu02.htm

 「自家用車も軽トラックも、いわゆる“黒塗りの車”以外はすべて手を振ってくれた。はっきりした手応えを感じた」
 一九八九年七月の参院選で初当選し、その後県議に転じた三上隆雄は、当時の選挙の状況を振り返った。
 リクルート疑惑、消費税問題、農政問題―。当時の宇野政権に対して全国的に盛り上がった「三点セット」の批判に加え、県内では反核燃運動がピークとなっていた。
 農業者と労働者が手を携えた選挙戦。追い風を一身に受けた三上は、自民系現職と自民公認候補の二人を破り、初当選を果たした。得票は三十五万票余り、得票率は52%を超えた。
 全県的にほぼ無名だった相馬村議が一躍、国会議員へ。青森県で初めて誕生した革新系参院議員でもあった。
 ●小泉ブームも
 参院選の特徴の一つに、時の政治課題がブームのように全国を駆け抜け、有権者の意識が一定の方向に向きやすいことが指摘される。“風”が吹きやすいというのだ。
 八九年は全国的にも自民が大敗、当時の宇野首相が退陣に追い込まれた。現職の山崎力が再選を果たした前回二○○一年選挙でも、誕生直後の小泉政権への期待で空前の風が吹いたといえる。
 こうした現象について、三上は「有権者はしがらみに縛られず、投票しやすいのではないか」と述べ、ブームだけでなく、有権者の政治的なバランス感覚も風を起こす要因の一つに挙げる。
 こうした考え方の根底には「参院議員は衆院議員に比べて、しがらみも含め地域との密着度が薄い」といった認識もあるようにみえる。山崎は「選挙制度を考えれば無理はない」と認める。
 さらに、「衆院はいつ解散があるか分からない。選挙区も狭く、系列議員を抱えて地域を細かく回る必要がある。参院は全県一区で六年間選挙がない。比較すれば、物理的にも有権者とのかかわりは薄くなってしまう」と語る。
 一方で山崎、三上とも「知事と同じ視点で地域を考えられるのは、参院議員だけだ」と、全県をふかんできる国会議員の特色を強調する。
 ●敵をつくらず
 ある政界関係者は、選挙に臨む基本姿勢が衆参で異なる―と持論を展開する。「衆院はまず絶対的な支持者が必要で、敵がいても構わない。参院は強力な支持者はなくてもいいが、敵はつくってはいけない」。これも、参院で風が吹きやすい要因なのだという。
(文中敬称略)

1237とはずがたり:2004/10/29(金) 01:40

県議会常任委で「町村会推薦」激論を呼ぶ
http://www.daily-tohoku.co.jp/tijisen/denaosi/news/denaosi030621b.htm
(2003/06/21)

 出直し青森県知事選で、県町村会が自民や公明などが推す三村申吾候補の推薦を決めたことをめぐり、二十日開かれた県議会総務企画常任委員会で委員同士が激しくぶつかる場面があった。
 取り上げたのは三上隆雄委員(社民・農県民連)。県民協会や社民などが推薦する横山北斗候補を支援している三上委員は、町村会が特定候補を推薦することに対する県の認識をただした。
 県市町村振興課は「町村会は任意団体で、県からの支出もない。違法性はなく、県は指導する立場にない」との見解。三上委員が質問を続けようとすると、中山安弘委員長(自民)が「県の範ちゅうにないことは答弁できないでしょう」とたしなめた。
 この後委員会は休憩に入ったが、議論はさらにヒートアップ。県民協会系会派・新政会の斗賀寿一委員が三上委員に加勢し「町村の財源から会費を出しているのであれば県も間接的に関与している」と指摘すると、自民、公明の委員が「それは拡大解釈だ」と応戦。
 さらに町村会の公共性を主張した斗賀委員に対して「何が公共性だ」との声も。「今の発言は大変な問題だ」「休憩中の発言でしょう」と、委員会室に怒号が響いた。
 最後に三上委員が常任委員会として推薦を取り消すよう申し入れるべき―と提案したが、中山委員長は「異論を唱える」として却下した。

1238とはずがたり:2005/01/16(日) 11:27
社民党と共産党が統一会派を組めば無問題じゃい。

<2005年1月11日 朝刊 2面>
各党の思惑で先送り/糸数氏会派入り
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200501111300.html#no_4

 昨年七月の参院選で当選した糸数慶子氏(無所属)の所属会派問題は、選挙協力した社大、民主、社民の三党で通常国会前に結論をだすという約束だったが、決着はつかず、同氏は無所属で活動を継続することを表明した。会派入りを要請した民主党に対し、後援会や市民団体を中心にした反対を理由に挙げた。だが、無所属のままでは委員会での質問機会も少なく、国会活動が困難という側面は否定できない。共闘を組んだほかの野党との思惑も絡み、「改憲論議などの推移を見た上で慎重に判断するしかない」(社大党関係者)と苦渋の思いで問題を先送りした。

 民主党の要請は政権奪取に向けた基盤強化を図るのが狙い。糸数氏の会派入りで反自公路線の共闘の幅が広がると期待する。同党の齋藤勁総務局長は「党の安全保障部会などで沖縄問題に取り組み、本会議や沖縄特別委員会、予算委員会で政府を追及でき、活動の場は広がる」と説明する。

 一方、糸数氏の後援会関係者からは「政党の思惑に左右され、独自色を失う」「改憲路線を進める民主党では、護憲を訴える糸数氏との隔たりが大きい」など無所属での活動を強く求める意見が相次いだ。

 後援会幹部は「会派入りすることで、糸数氏が民主党の政策をすべて受け入れたと県民に誤解されるのが怖い。無所属でも沖縄問題を軸に活動できる」と民主党の動きを強くけん制する。

 ほかの野党の思惑も食い違い、会派問題を複雑化させている。

 民主、社大と三党共闘を組んだ社民党は「ぜひほしい議席だが、本人の意向を尊重したい」というのが基本的な考え。しかし、次期衆院選の全選挙区で候補擁立を決めた民主党県連の独自路線への反発が広がっており、態度を硬化させている。

 「無所属」の覚書を交わして共闘した共産党は「特定の政党への所属は認められない」という主張だ。

 糸数氏が副委員長を務める社大党は、長く野党共闘のかなめを担ってきただけに容易に結論は出せない状況だ。喜納昌春委員長は「議会の場で政策を訴えることが政治家の最も大事な役割。無所属では質問機会も少なく、議会活動は難しい。だが後援会の意向や野党共闘の積み重ねを尊重しないといけない。苦しい立場だが、慎重に協議を積み重ねるしかない」としている。

1239とはずがたり:2005/01/16(日) 11:29
近藤議員は社民会派入り。
これはまぁ既定路線。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1036413264/1953-1957
<近藤参院議員>社民会派入りへ

1240とはずがたり:2005/01/20(木) 20:33
>>1238
前向きだったんですねぇ。

<2005年1月17日 朝刊 2面>
糸数氏、前向きに協議/民主会派入り
活動に限界 社大が確認
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200501171300.html#no_6

 糸数慶子参院議員(無所属)の所属会派問題をめぐり、会派入りを強く要請する民主党と糸数氏、社大党の協議が十六日、那覇市内で行われた。糸数氏側は「無所属では国会活動に限界があり、沖縄問題を前進させるためには国会での活躍の場を広げる必要がある」として、民主党・新緑風会への会派入りを前向きに協議することを確認した。後援会や市民団体の中には反対も根強く、幅広い論議を重ねて、結論を出すという。

 糸数氏の会派所属をめぐっては九日も同様の協議が行われたが、糸数氏側は支持団体の反対を理由に、無所属での活動継続を表明していた。この日の協議では通常国会に向けた所属会派届の締め切りが十七日に迫る中、ギリギリの話し合いが行われた。

 民主党の齋藤勁総務局長は「沖特委など活躍する場を設けたい。なるべく早く会派入りを決断してほしい」と早期決着を要請した。

 社大党の喜納昌春委員長は「糸数氏が社大党の政策を守る基本的な姿勢は変わらない。会派に入ることが即公約違反という短絡的な考えではなく、沖縄問題を一歩でも二歩でも前進させるため幅広い議論を重ねる」と述べ、会派入りに議論を始める意向を示した。

 糸数氏は財政金融委員会に所属するが、基地や経済振興など沖縄問題が討議される沖縄・北方特別委員会や予算委員会、本会議では質問できない状況だ。しかし、特定会派入りに強く反発する支持団体や参院選で共闘した野党などとの板ばさみが続いている。

1241とはずがたり:2005/01/20(木) 21:57
ちょっと古い記事だが。。
2004沖縄の公明比例票は結局8万票弱。およそ2万票の上乗せか。
自民は14万6千票余。2万4千票下回る。4千票が自公より流出。
翁長氏の得票は22万票。と読みを1万票余り下回る。また糸数氏の得票は30万票を越えてこれは23万票で勝利するつもりの自公に対して圧勝だったのか。

[2004参院選 熱闘の現場]沖縄 自公体制 自民内に見えた“ほころび”(06/18)
http://www.sankei.co.jp/databox/election2004/0406/040618m_pol_51_1.htm

 「自民党票が十七万、公明党票が六万」

 那覇市の沖縄県議会の一室で、自民党県連幹事長の仲里利信は六日投票の県議選を受け、参院選に自民公認で出馬する翁長(おなが)政俊の票読みをこう分析してみせた。

 県議選では自民は現職六人を含む八人が落選する一方、公明は公認三人と推薦した十四人中十三人が当選、うち三人が会派入りを表明し完勝を納めた。与党側は公明依存を強めながら二十八議席を死守し、野党側は現状維持の十八議席にとどまった。

 公明は今年三月、翁長の推薦を他の自民党候補に先立って決定。翁長は文字通り「自公」連合の候補として「野党共闘」候補と一騎打ちを繰り広げる。

 翁長が四月に公明と結んだ政策協定には「選挙区は翁長、比例は自民党立候補予定者と同様に浜四津敏子(公明党代表代行)、双方の当選に向け全力で選挙協力を行う」とある。

 比例代表のウエートは自民公認で沖縄が地盤の伊良皆(いらみな)高吉らと浜四津は同じと読める。公明党県本部の票読みは「沖縄で十五万票」。公明票六万に加え、自民票のうち半分の八万以上を要求しているということになる。

≪先行モデル≫
 平成十年の沖縄市長選以来、「自公」候補は沖縄で県知事選、衆院選など節目の選挙でほぼ連戦連勝。「沖縄は自公協力の先行モデル」(自民党県連幹部)とまでいわれる。

 昨年の衆院選では全国で公明党推薦を受けた百九十八人のうち三分の二に当たる百三十三人が当選した。一選挙区二万−三万といわれる公明票が自民候補の得票を下支えし、低投票率の中で固い組織票をもつ公明の威力が十分に発揮された。四月の統一補選でも同様に「自公」は完勝した。

≪新しい対立軸≫
 しかし、公明に傾斜する自民内の“ほころび”も全国に先駆けて見え始めている。
 「当選後、保革の壁を越えた会派づくりを模索してきた」
 県議選で初当選した呉屋(ごや)宏、當間盛夫、赤嶺昇は十四日の記者会見で会派旗揚げを発表した。保守系無所属の呉屋と當間は、昨秋の衆院選で「自公」に反旗を翻し沖縄1区から無所属で出馬、自民推薦を受けた公明の白保台一に敗れた元衆院議員の下地幹郎が背後で動く。赤嶺は無所属ながら民主党の推薦を受けている。

 参院選後の民主党入りも指摘される下地は、盛夏を思わせる日差しに焦げ付いた額に汗を浮かべながら、「自公が沖縄の万能薬と言わんばかりだ。しかし、参院選で自公崩壊の序曲が始まる。保革が沖縄の対立軸だったが、今は自公か反自公か」と語気を強めた。

 衆院選で下地が集めたのは五万二千三百七十四票。県議選で下地派は二人当選、三人落選と勢力は衰退したものの、参院選では接戦になればなるほど勝敗を決しかねない決め手となりうる。

≪投票率次第≫
 「下地派は“反自公”と糸数の名刺に刷って配らせてほしいと言ってきている」
 地域政党・沖縄社会大衆党の県議、糸数(いとかず)慶子の選対責任者はこう打ち明けながら「読みにくい下地票を当てにするより、政党、労組頼みの従来型選挙を脱却し、市民型選挙を展開して沖縄の心をつかむことだ」と言い切った。
 勇退する社大党委員長の島袋宗康の後を継ぐ糸数が社大、民主、社民三党と共産党、自由連合を媒介し、五党の「ブリッジ共闘」が実現。共産の約五万票が加わると、野党票は二十二万−二十三万票。「自公は二十三万−二十四万票。投票率が50%を切ると苦しい。年金、イラク問題を追い風に投票率が60%近くまで上がり、二万票上積みできれば勝機は十分」と糸数陣営は気合を込める。

 今回の参院選で自民は三十選挙区以上で公明の推薦を受ける。協力が功を奏して、相互依存が一層強まるのか。ただ、自民党内には、憲法や教
育をはじめ公明との国家観の相違から「自民党らしさ」を失うことへの危機感はくすぶる。自公協力の成否によって両党の行く末が見えてくるか
もしれない。=敬称略
 (木村正人)
                  ◇
[沖縄](一−2)
翁長 政俊54県議自 新 推=公
糸数 慶子56県議無 新 推=民・共・社・み

1242とはずがたり:2005/01/22(土) 16:20
社大スレより。
民主党本部が描いているのは社大・沖縄社民の民主合流だろうが果たして党内で飼いこなせるのかな?
まぁ自由党とも巧くやってるしねぇ。
ワジルってどういう意味だ?

392 無党派さん age New! 05/01/22 10:18:13 ID:xMeaDmjB
糸数さんの民主党の会派入りの話しはどうなったの?
個人的には反対だけど。妥協案としては決議の際、会派
で賛否を拘束されないことを絶対条件とすべきだね。
いずれ民主で改憲の動きが高まってきたらそれを理由に
会派離脱するとか、独自性を出して相手を利用して活動
することが活路かな。

393 無党派さん New! 05/01/22 12:42:21 ID:Jd59qqgF
共産が推薦する際に「特定政党の会派には所属しない」という協定を結んでた。

394 Ж sage New! 05/01/22 13:34:48 ID:saLFHn6L
>>392
今は無所属だと思うが社大党が民主党入りに反対してたが
新聞によると社大党も認める急展開になっている,
共産党はワジルはず。

那覇市議会の民主党は3人会派では活動が不十分という事で
社社クラブ〔前は社社ネットと読んでいた〕に合流しそうだ
社社クラブは社大党2名,社民党1名,無所属1名の5人だが
これで8人となり2番目に多い会派になる‥
社社クラブでは民主が一番多い,名前が変わるのか?

1243片言丸 </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2005/01/23(日) 00:36
>>1242
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/hirono/kaiwaniiretai.htm
わじる、わじわじする=ストレスを感じる ・・・「あの人ったらはっきり言わないからわじわじするわけさー。」

日本語スレにも( ・∀・)イイ!

1244とはずがたり:2005/01/23(日) 00:48
>>1243
おお,ありがとうございます。

「いらいらする」って感じですかね〜。

1245とはずがたり:2005/01/28(金) 20:53:09
連載・臨戦<1>公示迫り、自公協力に疑念
http://kyushu.yomiuri.co.jp/series04/04sanin/ren/ren_040525.htm

 予想される参院選の公示(6月24日)まで1か月。年金未納の“ドミノ現象”で政局が混乱し、拉致問題に世間の関心が集まるなか、立候補予定者たちは臨戦態勢に入った。(文中敬称略)
            ■                □
弘友氏のポスターや後援会加入申込書が並ぶ三原征彦氏の事務所(北九州市若松区で)
 1日夕、北九州市八幡西区にあるホテルの会議室で、市議・三原征彦(59)が気合を込めた。「参院選が近い。借りた票を返さなければならない」。大型連休中にもかかわらず選挙態勢をスタートさせたのは、危機感の表れだった。
 顔をそろえたのは弟の自民党衆院議員・三原朝彦(57)(比例選九州ブロック)の支援団体「明朝会」の幹部約10人。参院選で福岡選挙区から比例選に回る公明党現職・弘友和夫(59)の支援に向けての協議だった。
 「公明」と「朝彦」から一字ずつ取った明朝会は昨年11月の衆院選で発足した。福岡9区に立候補した朝彦と、比例票の上積みを図った公明党との票のバーター(交換)が目的だった。明朝会は「選挙区は三原、比例選は公明」と呼びかけ、約3万の公明票を取り込んで朝彦の復活当選に大きく貢献した。
 ところが、公明党や支持母体の創価学会側からは不満が噴き出した。朝彦陣営に対し「1万票は出してくる」と期待したが、9区で増えた公明党の比例票は約8000票だった。伸び率で見れば全国平均にとどまり、バーター効果は確認できなかったからだ。「もう選挙協力はするな」という意見も出た。
 約2か月後の1月上旬、征彦の元に、弘友後援会の加入申込書約1万通が届いた。征彦は「参院選での『お返し』の最低ライン」と受け止めた。
 明朝会は6月12日、八幡東区のホテルで朝彦と弘友の国政報告会を開く。動員目標は約1200人。公明党福岡県本部幹事長の森下博司(54)は「本当に集められるか、“本気度”を見させていただく」と目を光らせる。
 一方で、森下が「100点満点」と評価するのは、福岡11区で初当選した無所属・武田良太(36)だ。武田は当時の自民党現職を破り、公明党は大半の市町村で過去最高の比例票を獲得した。ともにバーターのたまものだった。
 武田は自民党田川市支部長だが、9日に地元で開かれた弘友の国政報告会で「公明党と弘友さんの恩に必ず報いる」と声を張り上げ拍手を浴びた。
 公明党との選挙協力について、自民党県連の幹部は静観している。「公明党アレルギーもあり、実際には自民党票は流れにくい。動くのは候補者の個人票」との読みがあるからだ。関係を悪化させれば、次の衆院選で苦戦するとの思惑も見え隠れする。
 参院選大分選挙区に立候補する自民党現職・仲道俊哉(74)は4月下旬、公明党大分県本部に推薦を要請したが、回答を留保された。衆院選で自民党がバーターの「結果」を出さなかったのが理由だ。陣営幹部は「公明票なしでは勝てない」と水面下で関係者回りに追われている。

1246片言丸 </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2005/02/28(月) 00:10:24
個人サイトでもあるので引用は控えめにさせてもらいますが、このコラムは面白いです。
私もボランティアしてみようかなぁ。それも自民党がいいんじゃないかという気がしてきた。

http://homepage2.nifty.com/bookazusa/
http://homepage2.nifty.com/bookazusa/z2.htm
(1) まもなく参議院選挙です。24日には公示で、7月11日に投票です。ひょんなことから、民主党の候補者である小川敏夫の選挙事務所でボランティアをすることになりました。今までに、10日、14日、15日と行きました。選挙まで、週に2〜3回は行く予定です。
(9)5日午前、6日は午前から午後3時近くまでと、ある男性が来ていました。持ち込みの名簿で、知り合いらしきところに電話をかけて、小川敏夫を売り込んでいました。私はその彼と直接に話はしませんでしたが、そのうちに様子がわかりました。1935年4月生まれ、今まで遺族会でさまざまな活動をしてきた人物らしいです。厚生省の戦地訪問・遺骨収拾ツアーの団長を47回務めたとか。その遺族会の知り合いにつぎつぎ電話します。姓を名乗るだけで、結構相手に通じていました。久しぶりの電話なので1本の電話が長くなっています。それにしても、遺族会といえば自民党でしょう。彼も、「今までは自民党を応援していたが、自民党にまかせておいては日本が駄目になってしまう。交代制くらいがよいと思って今回は民主党を応援するんですよ」と電話の相手に話していました。この口上に嘘があるとも思えません。実際に以前は自民党を応援する具体的活動をしていたようですし、何より以前からの知り合いに電話をかけているわけで、嘘を言ったりしたらすぐにばれる相手です。

 現在のところ、マスコミの世論調査によると民主党優勢とのことですが、それを象徴するような人物でした。もっとも「民主党」と言っても、その中には「鳩山」もいれば、「中川」もいる。いつのまにか自民に鞍変えした江藤新一郎(神奈川県の衆議院議員)だって、数年前までは民主党だったのです。かつての「社会党と自民党の差」に比べたら、「民主党と自民党の差」はわずかなものになってしまっているということの証左でもあるのでしょうか。私としてはかなり淋しい事態。

1247片言丸 </b><font color=#FF0000>(/3J5SzQQ)</font><b>:2005/02/28(月) 00:30:22
↑必ずしも協力するためというわけでなく、勉強と風読みのためには、です・・・

1248とはずがたり(1/3):2005/07/27(水) 03:06:00
「風」はどこへ・参院選公示まで1ヵ月<1>焦燥感 頼れるのは組織戦略
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/nagasaki/kiji/rensai01/r1_01.html

■比例候補と連携
〇一年の前回参院選。自民党の田浦直は内閣支持率80%台という小泉ブームに乗り、民主、社民が推した次点候補に大差で圧勝した。あれから三年。松谷陣営はかつてのような追い風を感じていない。

 では、どうするか。支持団体をしっかり固め、党の地方組織をフル回転させる―。自民党が得意とする組織選挙だ。もともと参院自民党の比例代表には、郵政関係や看護連盟など業界団体が全面サポートする議員が多い。松谷はそうした団体の会合に足を運び、支持を訴える。

 組織票を持つ比例候補との連携も重要だ。十日には、運輸業界をバックにする泉信也が長崎市内のホテルで開いた「運輸港湾後援会」に出席。「とにかく私と泉さんは昔からの盟友。長崎で多くの支持をいただきたい」と呼びかけた。

 ■事件の後遺症も

 だが、昨秋の衆院選では小泉改革に反発する支援団体の集票力の弱体化が指摘され、松谷陣営は危機感を強めている。それを象徴する場面があった。十七日の選対会議。「企業や団体が自民党を応援しないのであれば、陳情は受け付けない。選挙は取引だ」と幹部がげきを飛ばしたのだ。

 「票」と「利益誘導」で結びついてきた自民党と業界団体。その代表格の建設業界は構造不況にあえぐ。県内の中小の建設会社でつくる組合役員は「昔はどこの会社も、選挙のときに応援に派遣する社員を抱えていた。リストラ時代のいま、そんな余裕はない」と内情を打ち明ける。

 一方、集票活動の核となる自民党の地域支部。県連は、県内九ブロックごとに選挙態勢づくりを急ぐ。ただ、こちらも、一昨年に発覚した違法献金事件の後遺症で企業献金が集まらず、資金難の選挙戦となる。

 昨秋の衆院選長崎3区では、公示直前に立候補を表明した同党公認の谷川弥一が短期決戦を制した。「あのときぐらいに県議が動けば楽な戦いが出来る」。県連幹事長の末永美喜は強調する。

1249とはずがたり(2/3):2005/07/27(水) 03:06:29

「風」はどこへ・参院選公示まで1ヵ月<2>さざ波 “共闘”維持できるか
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/nagasaki/kiji/rensai01/r1_02.html

 ■年金問題が直撃

 「今度は、犬塚さんをぜひ通してもらいたい。どんなことがあっても落とすわけにはいかないんです」

 対馬市内のホテルで、二十二日にあった民主党の国政報告会。同党衆院議員の山田正彦は、今夏の参院選に立候補する同党新人の犬塚直史と固い握手を交わした。地盤の対馬で山田が約二百人の支持者を前に、犬塚への“恩返し”を約束した場面だった。

 昨秋の衆院選長崎3区に民主党から出る予定だった犬塚は、旧自由党との合併による候補者調整で山田に党公認を譲り、参院選に回った。山田は比例九州ブロックで復活当選。民主党は県内の衆院比例票で自民党に二万票差まで迫り、旧自由党との合併効果を示した。

 だが、参院選を前に、特別代表の西岡武夫と代表代行の山田の年金未加入が分かり、相次いで県連の役職を辞任。党の看板の菅直人も未納で代表辞任に追い込まれ、党のイメージは大きく傷ついた。

 犬塚が自民党の松谷に競り勝つには、都市部の浮動票の取り込みが絶対条件。投票日が予定される七月十一日に向け、「711時間街頭演説ラリー」を続ける犬塚は「逆風を感じる。年金問題を含めて、早く政策論争をしたい」と危機感を隠さない。

 ■冷ややかな声も

 民主党と社民党、連合などの労働団体でつくる「六団体懇話会」は昨年暮れ、犬塚の推薦を決定。犬塚は社民の支援の約束を取り付けた。

 ところが、今年二月、民主党県連が県北に総支部を結成したことをきっかけに、“さざなみ”が立った。総支部結成は自民党に対抗できる勢力を目指す民主党の既定路線だが、次期衆院選に党の存亡をかける社民党県連合は敏感に反応した。

 元自民党衆院議員が、次期衆院選の長崎4区に民主党からの立候補に意欲をみせたこともあり、社民党は県連合代表の今川正美の擁立を決めたのだ。異例に早い時期の決定は民主党へのけん制の意味合いがにじんだ。

 その社民党が二十二日に長崎市内で開いた長崎支部の参院選総決起集会。同じ日に対馬市で開かれた民主党の国政報告会に参加するとみられていた県連代表の高木義明が姿をみせ、犬塚推薦への「感謝」を強調した。だが、会場の社民党支持労組の幹部から冷ややかな声も漏れた。「次に今川を応援してくれるのでなければ、犬塚支援に力が入らない」

 一方、共産新人の原口敏彦は二十一日に長崎市の繁華街で演説を行うなど、街頭活動に力を注ぐ。「これまでになく、私の訴えを聞く人が多く、手応えを感じている」と原口。年金法案の廃案や憲法順守などを訴えていく方針だ。 (敬称略)

1250とはずがたり(3/3):2005/07/27(水) 03:06:52

「風」はどこへ・参院選公示まで1ヵ月<3>推薦願 絡み合う3者の思惑
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/nagasaki/kiji/rensai01/r1_03.html

 ■比例候補に距離

 自民党からは今回、比例代表に県議の田口一信が立候補する。四月の県連大会。その田口をめぐる県連トップの一言に記者団から驚きの声が漏れた。「田口さんは全国の(三十二人の)比例代表候補の一人。県連として特別に支援することはできない」。県連会長の田浦直が記者会見で明言したからだ。

 「県連としては選挙区の松谷当選が最大課題。比例で田口を公認したのも、田口が選挙区に立候補して松谷との分裂選挙になるのを避けるためだった」。県連関係者は口をそろえる。

 田口は東京に続き、十八日には大村市に後援会事務所を開設。長崎、佐世保両市でも開設準備を進める。県連幹部の発言に対して支援者の間に反発もあるというが、田口は「県連には公明との関係もあり、仕方がない」と表向き冷静だ。

「風」はどこへ・参院選公示まで1ヵ月<4>苦悩 存亡かけ「違い」強調
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/nagasaki/kiji/rensai01/r1_04.html

 ■かつては10万票

 今年三月に佐世保市内で開かれた社民党佐世保支部の定期大会。同支部代表の森信也は「昨秋の衆院選での敗北の責任を取る」として、任期を一年残して代表職を辞任した。

 昨秋の衆院選長崎4区に立候補した党県連合代表(当時は党県連合特別常任幹事)の今川正美は、自民党候補に約四万七千票の大差で敗れ、議席を失った。かつて社民党の牙城の一つとされた同選挙区での敗戦は、党の退潮を物語っていた。その後も、地元の有力地方議員の離党がうわさされるなど、支部立て直しに向け、険しい道のりが続く。

 党の退潮は県北だけの現象ではない。副党首の渕上貞雄を重点候補とする県内の比例票の目標は五万九千票。長崎市内の目標は二万票だが、昨秋の衆院選で、わずか一万二千票だった現実が重くのしかかる。「本当に厳しい。かつては長崎市内で十万票を超えたこともあったが…」。党県連合幹事長の佐藤龍一の表情に苦悩がにじむ。

 国会では、有事関連法案が自民、民主、公明三党の賛成で衆院本会議で可決された。憲法改正の動きも本格化する気配だ。佐藤は「今こそ社民党の主張する政策が求められている。私たちは平和、護憲を訴え続けていく」と、他党との違いを強調した。

1251とはずがたり:2005/07/27(水) 03:19:36
>>1248-1251
選挙区 長崎(改選1)結果
得票数 氏名 齢 党派 新旧 現職肩書
当 344,606 犬塚 直史 49 民主=六団体懇話会 新① 党県副代表
□ 303,723 松谷 蒼一郎 76 自民=公明 現 (元)官房副長官
47,547 原口 敏彦 42 共産 新 党県政策委員長

田口氏 自民党比例区 30位で落選(46,536票)

社民党 長崎県比例区得票 39,038票→目標59,000票に比して善戦では?

>>1249
>次に今川を応援してくれるのでなければ、犬塚支援に力が入らない
のきっかけとなった記事↓

民主党が長崎4区に支部設立 宮島大典氏も入党
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kako/200402/02.html#03

 民主党県第4区総支部の結成大会が一日、佐世保市内であり、政権交代実現に向けた党勢拡大や今夏の参院選勝利への決意を盛り込んだ大会決議を採択した。

 高木義明県連代表ら党、旧同盟系労組などから約二百五十人が出席。自民党に離党届を提出した元衆院議員、宮島大典氏(40)も民主入りした。大会では、元佐世保市議の谷口真氏(77)を総支部長に、同市議の高村照男氏(60)を幹事長にそれぞれ選出した。

 高木代表はあいさつで「参院選に勝って、政治を確固たる新しい枠組みに変えたい。4区総支部の結成が大きなパワー、エネルギーになると確信している」と述べた。

 一方、4区総支部の旗揚げで、民主党が次期衆院選長崎4区に候補者を擁立するかが焦点となっている。過去の衆院選で、民主、社民両党は互いの公認候補を支援。同区では、社民党が候補を立て、すみ分けをしてきた。

 衆院選への対応について、川越孝洋民主党県連幹事長は「話し合いはこれからだ」と白紙状態を強調するが、宮島氏は記者会見でも同区から国政復帰を目指す考えを表明。今夏の参院選長崎選挙区で民主、社民両党と連合長崎などでつくる六者懇は民主党候補の推薦を決めているが、今川正美社民党県連代表は「民主党の出方次第では、選挙協力に大きな影響が出るのは避けられない」とけん制している。

1252とはずがたり:2005/07/27(水) 05:16:26
●民主党総支部は、同党を支援する二十六労組でつくる長崎北部地区友愛連絡会議が中心になって結成。核になったのが約九百三十人の組合員を擁する佐世保重工(SSK)労組

●宮島氏は先月下旬、同市松浦町の農協会館に後援会約三百人を集め、犬塚氏個人演説会のおぜん立てをした。宮島氏は自民離党後も、農家の有志約六百人の支持グループを持つなど、一定の影響力を維持。

●中選挙区時代からの影響力を衆院4区で維持する山田氏

長崎県/2004参院選 ながさき=保守票争奪戦が激化 旧自由党勢 活発な動き 自民陣営は警戒
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/nagasaki/kiji/kiji14.html

 参院選の長崎選挙区に立候補した自民現職と民主新人の両陣営の間で、保守票をめぐる綱引きが激しくなっている。昨年秋に旧民主党と合併した旧自由党の西岡武夫参院議員と山田正彦衆院議員が、民主新人を強力にバックアップしているからだ。民主候補の弱点とされる郡部や離島の保守票の掘り起こしを狙う動きに、自民陣営は神経をとがらせている。

 公示直前の二十二日、民主党の岡田克也代表が長崎市内で街頭演説した直後、西岡氏は近くのホテルに後援会員らを集め国政報告会を開いた。約五百人を前に「参院選で民主党が勝つことで一気に民主に政権がくる」と、民主新人への支援を呼び掛けた。

 公示後には、地盤の長崎市や島原半島などで支持者回り。対馬、壱岐両市で候補が開いた個人演説会に顔を出すなど全面支援の構えを見せる。

 山田氏は二十五、二十六日と対馬、壱岐を訪れた候補に同行。一緒に選挙カーに乗ったり、商店街を歩行遊説したりして支持拡大に汗をかいた。二十八日には、旧自由党を率いた小沢一郎前代表代行が佐世保市や大村市などで街頭演説。山田氏も一緒に保守層にアピールした。

長崎県/2004参院選ながさき=民主、総支部効果は未知数 全体占う佐世保市情勢 支援組織にも変化 自粛解禁のSSKに注目
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/nagasaki/kiji/kiji19.html
 自民党現職の松谷蒼一郎氏と民主党新人の犬塚直史氏が接戦を演じている参院選長崎選挙区で、佐世保市での戦いが全体を占う焦点となっている。同市は自民党が圧倒的に強い保守地盤だが、民主党組織の空白地区だった県北の拠点として二月、同市に同党県第4区総支部が発足した波及効果が未知数だからだ。支援組織などの相関関係も微妙な変化が生じている。

 民主党総支部は、同党を支援する二十六労組でつくる長崎北部地区友愛連絡会議が中心になって結成。核になったのが約九百三十人の組合員を擁する佐世保重工(SSK)労組だった。

 同労組は過去の参院選で民主、社民両党と労働四団体でつくる「六団体懇話会」などが推す社民党系候補を続けて応援。今回、民主党の組織誕生と党公認候補の擁立を受け、犬塚氏の陣営は「より積極的な選挙運動を展開できるようになった」と、同労組をはじめとする友愛連絡会議の集票力に期待を寄せる。

 SSKは、二〇〇二年の助成金詐取事件以来、会社として自粛してきた選挙活動を今回から解禁。松谷氏陣営が「SSKが抱える港の軍民すみ分け問題は自民党が解決してきた」とアピールするのに対し、SSK側も「与党の政治力が必要」と九日、千人規模の総決起集会を開いて応えようとしている。

 そうした中、犬塚氏陣営が新たに加わる票として期待しているのが、自民党から民主党にくら替えした元衆院議員の宮島大典氏と、民主党衆院議員の山田正彦氏の票だ。

 宮島氏は先月下旬、同市松浦町の農協会館に後援会約三百人を集め、犬塚氏個人演説会のおぜん立てをした。宮島氏は自民離党後も、農家の有志約六百人の支持グループを持つなど、一定の影響力を維持。犬塚氏陣営は保守票の掘り起こしに期待する。

 中選挙区時代からの影響力を衆院4区で維持する山田氏も、犬塚氏の個人演説会の弁士などとして本格的な応援を続けている。

 一方、社民党県連合代表の今川正美氏は、犬塚氏の応援演説のたびに「党公認候補のつもりで全力で戦う」と宣言し、地区労などもフル回転。今川、宮島両氏はいずれも次期衆院選への立候補に意欲を見せており、互いに警戒心を強める中での選挙戦が続いている。

1253とはずがたり:2005/07/27(水) 05:17:07

長崎県/2004参院選ながさき=自民 選挙区での危機感反映 公明への配慮強める 比例代表で支援アピール
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/nagasaki/kiji/kiji20.html

 参院選長崎選挙区で、民主新人と激しく競り合う自民現職陣営が、比例代表で公明党支援の姿勢を強めている。当初は、「一方通行の選挙協力になるのでは」との懸念があった公明党内からも評価の声が聞かれる。建設業界や農業団体など支援組織の自民離れが指摘されるなか、「お返し」の姿勢を示すことで、十万票ともされる県内の公明票を確実に取り込みたい思惑がにじむ。

 公明党は今回、比例代表での支援を条件に自民現職を推薦したが、自民党本部は、選挙区候補が支援のお返しに「比例代表は公明に」と訴えることを禁止。自民現職の陣営も、比例代表の自民候補への配慮もあって、公示直後は公明支援に慎重姿勢だった。

 だが、調査で「大接戦」が伝わると、危機感を強めた自民陣営の対応が変化。川棚町で六月末にあった演説会では、会場に比例代表の公明候補のポスターが張られ、自民現職が「比例は公明に、とはいえませんが意をくんでほしい」と自らの支持者に公明支援を暗に求めた。

 さらに、長崎市で二日に開いた集会には公明比例候補の親族を招いた。会場を埋めたのは、自民現職の選対本部長の谷川弥一衆院議員の息子が社長を務める建設会社や協力会社の社員ら。谷川氏は「うちの社員が自民現職と公明候補のために徹底して(集票に)回る。公明党とは親せきのつもりでおつき合いをしたい」と呼びかけた。

 公明党県本部の江口健幹事長は「自公の選挙協力の形がようやく見えてきた。推薦をしたからにはうちは全力で支援する」と語る。

 ただ、西日本新聞が一―三日に行った調査では、「選挙区で自民に投票」と答えた人は公明支持者の70%近いのに対し、「比例で公明に投票」は自民支持者の5%未満。自民支持者に公明への抵抗感が強いことを示している。

長崎県/2004参院選ながさき=民主は長崎、自民は佐世保に 優勢地区に“大物”投入
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/nagasaki/kiji/kiji22.html

 参院選もいよいよ最終盤となった九日、自民現職と民主新人が横一線の戦いを繰り広げる長崎選挙区では、激戦を物語るように、両党本部から幹部クラスの来援が相次いだ。民主は岡田克也代表、連合の笹森清会長が長崎市で演説。自民は八日の小泉純一郎首相に続き、青木幹雄参院幹事長が佐世保市入り。それぞれ有利な戦いを展開している地区に集中させ、勝利へのムードを盛り上げた。

 佐世保市では、青木幹事長が三会場で応援弁士に立ち、久間章生幹事長代理が六会場で演説、舛添要一参院議員が商店街や佐世保駅前などで街頭演説をするなど、総力戦で支持を訴えた。

 佐世保重工業が二年前の助成金詐取事件以来初めて開き、社員や下請け業者ら二千人余りが参加した総決起集会で、久間氏は現職候補を「港のすみ分けの中で佐世保重工業が十分に仕事をしやすい環境づくりを進めてきた。即戦力があり、この選挙に負ければ、長崎県にとって大きな損失になる」と持ち上げた。

 どの会場も目標数が集まり、選対幹部は「危機感から組織が最後に締まった」と満足そうに話した。

 同市には海・陸の自衛隊員約七千人がおり、隊員OBも多く、同党は元防衛庁長官の久間氏に加え、十日には石破茂・同庁長官が来て自衛隊票を固める。

 一方、民主陣営は、長崎市尾上町で長崎地区の総決起集会を開いた。「長崎は今回の参院選の象徴。長崎で勝てば民主は自民に勝てる」。岡田代表は、集まった有権者に長崎選挙区が全国でも大きな焦点になっていることを強調した。連合の笹森会長も「自公政権が勝ち、あと三年間も小泉政権が続いたら、生活の痛みは広がるばかりだ」と呼び掛けた。

 午後六時半から始まった集会には、仕事帰りの作業服姿の男性や支持労組の旗を持った組合員らが駆けつけ、熱気にあふれた。民主新人は、労組などの全面的な支援を受ける長崎市で、自民現職にどれだけ差をつけられるかが勝敗の分かれ目になっている。支持労組の幹部は「昨秋の衆院選の雰囲気に似てきた。あと一日が勝負」と手応えをつかんだ様子だった。最終日の十日、民主は小沢一郎前代表代行が諫早市入りし、保守層の取り込みも図る。

1254とはずがたり:2005/07/27(水) 06:16:29
熊本県/保守の壁 民主の風阻む 参院選 記者座談会 争点ぼやけ論戦不発 自民、公明にしこり
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/kumamoto/kiji/index.html

参院熊本選挙区の衆院小選挙区別得票率
  本田良一 木村仁 山本伸裕
1区 50.6 41.9 7.5
2区 44.5 48.4 7.1
3区 52.2 42.0 5.9
4区 39.0 54.3 6.6
5区 40.4 52.8 6.8

 A 本田氏は大健闘だった。差は約四万票といっても、得票率では5ポイントほど。しかしそれは、民主への風というより自民の敵失。それも二つあった。一つは小泉政権の「増長」。公示翌日、熊本市で演説した首相が「自民党は比例候補もいろいろいるでしょ。『人生いろいろ』だけじゃないですよ」と言ったときは耳を疑った。有権者の怒りに鈍感な証拠だ。

 もう一つは自民党支持組織の弱体化。木村氏の陣営は「熱心な支持者から『政権交代があった方がいい』といわれた」と驚いていた。関係者は「ほおっておいても自民党に投票してくれるほど有権者は甘くない」とショックを受けていた。

 B 本田氏にとっては、公明党が木村氏推薦をめぐってもめ、事実上自主投票になったことが大きかった。八代、水俣、人吉市で木村氏と接戦を展開したのは、比例で自民とのバーターがうまくいかなかった公明票がかなり本田氏に流れたからだ。自力で風を起こしたとはいえない。

 C やはり、民主に風は吹いたと思う。本田氏が基礎票を大幅に上乗せする健闘をみせたのは、民主党による二大政党制実現への期待があったからだ。

 ただし、本田氏個人は公示まで街頭に立たず、組織票固めに専念する自民党型の選挙運動をしており、無党派に受けるタイプではない。本田氏には現職の強みがあったと思うが、もし若くて清新な候補者だったら、とも思う。結局、民主は、岡田克也代表が公示前を含めて計三回熊本入りしたにもかかわらず、比例でも県内第一党を逃した。まだまだ県内に浸透していない印象だ。


 D 今回、選挙区以上に県内の話題を集めたのは、球磨で「衆院選以上」といわれるほどの活動を展開し、比例代表で初当選した自民新人の松村祥史氏(40)。県議らを取材していても、出るのは松村氏の話ばかり。木村氏と松村氏が争っていると勘違いした有権者も少なくなかった。選挙区で「松村」と書かれた無効票がかなりあり、木村氏は損したかもしれない。

 B 比例で競合する公明党関係者はカンカン。支持者の集会では松村氏を「敵」とまで言い切った。最終盤には党本部の幹部が木村氏支援を頼みに来たが、自主投票の県本部関係者は会いもしなかったらしい。

 A 松村氏を支援した自民党5区支部長の金子恭之衆院議員(43)は、公明と比例票をバーターしなかったとみられ、公明党との間に大きな溝ができた。公明関係者は「昨年の衆院選で金子氏にどれだけ協力したか忘れたのか。票には票で返すのが礼儀だ」と怒っていた。これは次期衆院選に尾を引くだろう。

1255とはずがたり:2005/07/28(木) 00:39:24
<深層 参院選>(2)公認なき公募候補 共倒れ懸念で「県連推薦」(06/16)
http://www.sankei.co.jp/databox/election2004/0406/040616e_nat_48_1.htm

 「だめです。上がれません」
 自民幹事長の安倍晋三がマイクを握る党の宣伝カー。五月十六日、名古屋駅前。参院選愛知選挙区(改選数三)の党公認候補、浅野勝人(六六)に続き、二人目の候補者、古井戸康雄(三九)が車に上がろうとした瞬間、県連職員が立ちふさがった。古井戸は安倍のその後の遊説にも、同行を許されず、「党公認」と自分に与えられた「県連推薦」との埋めようもない隔たりに落胆を隠せなかった。
 「幹事長と同じ車に公認のない候補者を乗せにくい」
 事前調整で党本部からくぎを刺されていた県連は、古井戸にも配慮。安倍が演説を終えるまで二人をともに車の傍らで待機させる手はずだった。だが、浅野の“ハプニング登壇”で県連の段取りはあっさりと崩れた。
           × × ×
 「自民の衰退ぶりは極限にまできた」(県連幹部)
 昨年秋の衆院選で、「民主の牙城」を切り崩すどころか、大敗を喫した自民。六年前の参院選も二人を擁立し、結局共倒れに終わった。
 「一議席の奪還」を至上命題とし、手堅い選挙を志向していた県連の風向きが変わったのは、二度の敵失だった。
 民主衆院議員の都築譲派の選挙違反事件と、元自治相の佐藤観樹の秘書給与詐取事件が立て続けに発覚。ダメージの大きさを見て取った県連は一気に主戦論に転じた。
 県内党員による初の予備選で選ばれた前衆院議員の浅野に加え、公募で新人の古井戸を擁立。ベテランに若さを合わせた二枚看板に県連会長、倉知俊彦は胸を張った。
 「新生・愛知自民への第一歩」。起死回生を狙う二人擁立に込めた期待は意に反して崩れる。
 「共倒れになっては困る」。倉知が出向いた党本部で、幹事長代理の久間章生から、古井戸の公認申請を突っぱねられたためだ。
 「今や情勢は変わった。二人公認は決して野望ではない」。六年前の参院選で敵側だった公明が自陣に加わった。元首相で県選出の衆院議員、海部俊樹も復党した。党本部のお墨付きも得た公募だったはずなのに、なぜ急に消極的になったのか。釈然としない思いを抱きながら倉知は上京しては党幹部にこう訴えている。
           × × ×
 「『常敗』の県連は党本部の信頼も薄く、押しも利かない」
 関係者からそんな見方すらあがるなか、古井戸の処遇をめぐって県連内部からはこんな“奇策”まで出ている。
 「公認候補が『比例は公明』と言えば党議に反する。だが、推薦候補なら思う存分、こうした訴えもでき、選挙区で公明の支援も期待できる」
 党本部への要望はあえて推薦にとどめ、県連が公認候補並みの態勢で支援する、というシナリオだ。
 自民の選挙を左右しかねない公明県本部は迷走する公認問題の推移を見守る。
 県本部幹部は「二人の当選に向けて、自民が目に見える形になるまで本気になることが大切だ」と自民に盤石な選挙態勢づくりを促したうえでこう語った。
 「自民をあげて『比例は公明』とまでは求められないが、見えないところでやってくれれば二人に暖かい風が吹くだろう」
 =敬称略

1256とはずがたり:2005/07/28(木) 01:34:30
福岡県/参院選 福岡選挙区 公明は自主投票 古川氏推薦願見送り受け
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/fukuoka/kiji/kiji12.html

 参院選福岡選挙区(改選数二)で自民党現職の吉村剛太郎氏(65)への推薦を見送った公明党福岡県本部(代表・木庭健太郎党参院幹事長)は二十一日、同選挙区での対応を「自主投票」とする方針を固めた。同選挙区で出馬を予定する元自民党県議で無所属新人の古川忠氏(55)が公明党に推薦要請をしないことを決めたためで、同党県本部幹部は「今後は地域ごとの対応になる」としている。

 公明党は今回、現職の弘友和夫氏(59)を福岡選挙区から比例代表に転出させ、吉村、古川両氏を選挙区で応援する見返りに、比例代表で弘友氏の集票に協力を得る選挙協力を模索してきた。

 しかし、自民党福岡県連が同党比例代表の候補予定者二人を推薦したことから、公明党県本部は「自民は選挙協力の意思がない」と判断。二十日の幹事会で「党推薦」などの支援はしないと決めた。

 一方、古川氏は前回の参院選で公明党の推薦を受けたが、「自民党の公認・推薦がない今回は公明党の推薦は期待できない。自主投票で事実上の協力を得た方が得策」と推薦要請の見送りを決めた。古川氏は公明党の支持母体、創価学会以外の宗教団体からも支援を受けており、「公明推薦で逃げる票が出ないよう配慮したのでは」(公明党関係者)との見方もある。

1257とはずがたり:2005/07/28(木) 01:36:06
福岡県/2004参院選ふくおか=福岡選挙区 公明「吉村氏支援せず」波紋 票の争奪戦焦点浮上
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sanin/fukuoka/kiji/kiji11.html
 公明党県本部が二十日、参院選福岡選挙区(改選数二)に立候補予定の自民現職吉村剛太郎氏(65)の支援見送りを決めたことが、波紋を広げている。公明党は今回、同選挙区に公認候補者を立てないことから、その票の大半は当然、連立与党を組む自民党候補に流れると見られてきた。しかし選挙協力が不調となれば、話は別。公明票の争奪戦は、選挙戦の焦点の一つに浮上してきた。

 公明は吉村氏側に、選挙区での支援と引き換えに比例代表に転出する現職弘友和夫氏(59)の集票協力を求めてきた。しかし自民党県連が県出身の比例候補二氏を「重点候補」として推薦したことを受け、二十日の幹事会で「吉村氏側に協力の意思なし」と判断した。

 吉村氏側は困惑。ある自民県連関係者は「うち(自民党)も自前で比例候補を抱えている。公明は少しでも票を高く売ろうと無理な『誠意』を求めてきた」と反論。別の関係者は「公明の焦りの裏返し。今回の決定が弘友氏にプラスなのか」と疑問視する。ただ吉村氏の後援会幹部は「こちらは公明へ協力する努力をなお進めている」と話し、公明党の「支援見送り」が最終結論ではないことに期待を寄せた。

 公明党県本部の幹事会では、吉村氏と「保守分裂選挙」を展開する元自民党県議で無所属新人の古川忠氏(55)に対する支援の議論もあった。三年前の参院選で、公明党と協力した実績を持つ古川氏の後援会幹部は静観の構え。しかし「(公明党が)自主投票になれば、過去の信頼関係があるこちらに有利」と読む。公明票へ水面下で接近する動きは野党の立候補予定者にもある。

 自民党の安倍晋三幹事長は二十日、党県連が比例重点候補の一人とした新人西島英利氏と吉村氏の応援で福岡に入った。自公の選挙協力をめぐる地元での“冷戦”をよそに、支援者集会で「比例では西島氏、選挙区では吉村氏の名前を書いて欲しい」と声を張り上げた。

1258とはずがたり:2005/08/12(金) 11:03:21

挨拶ぐらいするのが筋だったんちゃうのん?
>〈ニアミス〉を知った社民幹部は「県内の党の顔なんだから頭を
>下げに来るのが筋じゃないのか」と露骨に嫌悪感を示した。

民主”落下傘候補”を自賛<中>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tottori/kikaku/009/3.htm

 五月二十九日。曇天を映す東郷湖ほとりの国民宿舎水明荘に、社民党県連幹部が顔をそろえた。議題は民主党から求められた選挙支援について。出席した県東部の常任幹事の男性は、朝から気分が晴れなかった。

 〈土屋氏が東部事務所開き〉。自宅で朝刊を広げると、気勢を上げる民主公認、土屋正秀の写真が目に入った。「うちには招待状すらなかった……」。結局、幹事会では「土屋の政治スタンスが分からない」として結論を持ち越した。

 同じ時間帯、水明荘の同じフロアに、民主党で県内唯一の衆院議員・山内功もいた。別の会合に来賓で呼ばれ、会場で社民幹事会に気付いた。「(選挙支援は)どうなるんでしょうね」。動きを気にしながらも、山内が社民の部屋をノックすることはなかった。

 〈ニアミス〉を知った社民幹部は「県内の党の顔なんだから頭を下げに来るのが筋じゃないのか」と露骨に嫌悪感を示した。

     ◆

 政権公約(マニフェスト)への期待で民主党が躍進した昨秋の衆院選。県内でも二〇〇一年参院選の約一・八倍にあたる八万八千五百六十六票の比例票を集めることに成功した。参院選で流れを加速させようと仕掛けた「年金政局」。そこでつまずいた。相次ぐ〈党の顔〉の年金未納に、全国の地方組織はポスターやハガキの刷り直しに追われた。候補予定者の選定が遅れた民主鳥取県連。皮肉にも影響はなかった。

     ◆

 昨年十二月、連合鳥取、社民党県連、部落解放同盟県連合会の四者で統一候補を立てる方針を決めた。年明けにいきなり計画が狂った。〇二年の参院補選に擁立した勝部日出夫、鳥取市長選で善戦した元県議、奥田保明の担ぎ出しに相次いで失敗。県連幹部の責任を追及する声も出始めた。

 結局、同県連は公示二か月前になって党の公募制度に手を挙げていた土屋の擁立を決めた。「党の支持者すら知らない候補者で戦えるのか」と、あきれ顔の他党をよそに、当の土屋は〈本人です。〉と書いたタスキをかけ、街頭でひたすら頭を下げる。

 そんな“落下傘候補”を民主県連幹事長の福間裕隆は「素直でまじめ。クリーンな党のイメージにぴったり」と“自賛”するが、支援組織以外への攻め手は見つからない。一方で憲法、イラク問題などで、食い違いをみせる社民にある幹部は「拝んでまで力を借りる必要はない」とそっけない。

     ◆

 六月二十日、水明荘。社民の幹部が再度集まり、土屋を〈支援〉することを決めた。幹部の一人は「今後の選挙協力を考えて〈最低限〉の協力はしようということだな」と解説した。「まぁ三年後に民主党があるかどうかは分からないけどね」

 呉越同舟。舟の行き先は読めない。(文中敬称略)

1259とはずがたり:2005/08/24(水) 21:27:37

◆ 河合氏(自民)初当選 谷林氏猛追及ばず
http://www.kitanippon.co.jp/backno/200407/12backno.html#seiji1

 参院選富山選挙区は11日投開票の結果、自民党新人で公明党推薦の河合常則氏(67)=前県議、党県連常任顧問、城端町=が23万6,318票を獲得、平成10年の前々回に繰り上げ当選した民主党現職の谷林正昭氏(57)=1期、党県連代表、魚津市村木町=を約4万6,000票差で振り切り、初当選した。社民党新人の小川晃氏(64)=前県議、党県連幹事長、高岡市戸出町=、共産党新人の上田俊彦氏(51)=党県委員会書記長、小矢部市平桜=はともに及ばなかった。投票率は57.62パーセントと、前回平成13年の58.78パーセントを1.16ポイント下回った。
 河合氏は県議8期、党県連幹事長などを務めた経験を生かし、「地方からの日本再生」を訴えた。全35市町村に後援会を設立、県議や市町村議を動員して地域への浸透を図り、県内全域で党や友好団体の組織票を確実に取り込んだほか、与党内連携で公明票を上乗せし、追い上げる民主に競り勝った。

 谷林氏は社民党の候補擁立で労働界分裂を余儀なくされたものの、県民社協会、連合富山の推薦を受け、民間労組を主体に支持を集めたほか、保守、無党派層に浸透。得票は前々回に自ら獲得した約10万8,000票を大きく上回ったが、再選には届かなかった。

 小川氏は社民の退潮傾向に歯止めを掛けるため、今年4月に立候補を表明。支援母体の自治労を軸に組織票を集めたが、社民単独で候補を立てた前々回の約8万8,000票より約3万千票下回る結果に終わった。上田氏は共産支持層以外への広がりに欠けた。

 投票は午前7時から県内449カ所で一斉に始まり、一部の繰り上げ投票所を除いて午後8時に締め切られた。

 河合氏の当選で、参院選富山選挙区は、非改選分を合わせて2議席とも自民が獲得。県在住国会議員の構成は自民が衆院5人、参院2人の計7人、民主が衆参各1人の計2人、社民が参院1人となった。

富山選挙区開票結果
 当選 河合常則、自民・新 236,318票
    谷林正昭、民主・現 190,013票
    小川 晃、社民・新  57,486票
    上田俊彦、共産・新  26,458票

1260とはずがたり:2006/07/25(火) 12:17:17
2010年参院選スレ向け話題かね?

「入党の考えない」/鈴木参院議員が民主党に回答
http://www.sakigake.jp/servlet/SKNEWS.News.kiji?InputKIJICODE=20060725c

 本県選挙区の鈴木陽悦参院議員(無所属)は24日、秋田市の事務所で民主党県連の寺田学代表(衆院秋田1区)と京野公子幹事長と会談し、同党への入党要請に対して「(民主党・新緑風会への)会派入りを模索している段階で、入党についての考えはない」と回答した。

 寺田代表は同日開いた同県連常任幹事会後、鈴木氏の同意を得て回答書を公表。鈴木氏は「民主党、社民党、連合の『非自民連合』で誕生した議員として活動していくのが筋」との見解を示した上で、「(民主、社民、連合との)共闘路線を持ってステップを積み上げたい」と無所属を続ける意向を表明した。

 一方で、会派入りには「参議院の議員活動においては無所属の制約があり、活動範囲が狭められるため、タイミングを模索している段階」と前向きな姿勢を示した。

(2006/07/25 08:58)

1261片言丸 ◆MACDJ2.EXE:2006/09/15(金) 20:24:38
竹中関連
>>669>>684>>760>>785>>884>>925

1262とはずがたり:2006/09/20(水) 03:22:42
林氏擁立は二月だったのか。今回は自民の現職に対して民主が急がねばならない番である。

「目には目」で蔦田氏か
混迷する自民の参院選候補者選び
上野氏固辞、藤井氏が急浮上
=党本部が調整に乗り出す!?=
http://www.bcap.co.jp/s-hochi/bno/2004/04-04/n040415.html
大パニックに陥っている自民党県連
(全 県)
 七月十一日に予定されている参院選滋賀選挙区(定数一)には、共産党県委員会が昨年七月、党県常任委員の林俊郎氏(59)の擁立を発表したのに続いて、民主党県連は今年二月、元びわ湖放送キャスターの林久美子氏(31)を公認候補として擁立すると発表した。残る自民党県連は、県連会長の河本英典参院議員(55)が出馬を固辞したため、後継候補の選考が難航し、迷走劇が続いている。[石川政実]

 自民党県連の混迷劇は、河本県連会長が昨年五月、今夏の参院選に立候補をしないことを表明したことから始まった。これ以降は、サッカー元日本代表主将の井原正巳氏(36)、NHKアナウンサーの野村正育氏(42)らを始め、近江八幡市出身で元衆院議員の西川知雄氏(55)など、さまざまな著名人が下馬評に上ったものの、絞り込みまでには至らなかった。

 民主党県連が林氏を担いだ二月あたりから、県連では河本氏続投を求める声が強まった。県議や県選出国会議員の間では「最後は河本氏が受けるはず」と甘く踏んでいた。ところが三月中旬になって、河本氏は渡欧先から「どうしても受けられない」と県連幹部に断りの電話を入れた。さらに同月二十四日には、県連幹部に河本氏の家族から出馬辞退の意向が伝えられ、県連はパニックに陥った。

 ●岩永氏にバトン

 これに伴い河本県連会長は、これまで務めていた選対委員長を三月末で辞職し、この四月一日から、岩永峯一衆院議員にバトンタッチ。この五日には大津市に国会議員や県連三役の県議らが顔を揃えて善後策を協議した。この間、県連幹部は、元官僚を口説き、比例から出る北里敏明前消防庁次長(55)とセットにしようと県副知事の安藤よし子氏(45)に白羽の矢を立てたが、辞退された。この十日にも県連は会合を開き、昨年十一月の衆院選滋賀1区から出馬し落選した元総務省官僚の上野賢一郎氏(38)を口説くことで合意。同日、岩永選対委員長が上野氏に打診したが「地道に滋賀1区で頑張りたい」と固辞。この週明けの十二日に河本県連会長も同氏にアタックしたと見られるが、進展はなかった。

 このため「目には目、歯に歯」と、民主の林氏に対抗する意味で、同じBBCのニュースキャスターで林氏の大先輩にあたる蔦田恵子県議(42)の再説得が始まりそうだ。「勝てる候補を優先する」としている岩永選対委員長の意中の一人だが、県会議員らが総掛かりで出馬要請する事態でもない限り、蔦田氏は難色を示しそうだ。

 ●河本氏に無断で公認申請?

 「参院選は、全県だけに選挙費用が一億円はいる。この六月十二日に政経パーティーを開いても三千万円が集まる程度だ。その意味では、古賀誠衆院議員の政策秘書藤井勇次氏(53)なら金は用意できる」と県連幹部は指摘する。しかし「これまで同氏を軽く扱かってきたと受け止めている古賀氏には『滋賀県連は無礼だ』との思いがあるとみられ、岩永氏や河本氏が古賀氏に真剣に頭を下げなければ、うんとは言わない」(同県連幹部)との声も。

 ある国会議員は「河本氏の了解を得ずに同氏の公認申請を出せば、家族も了解ぜざるを得ない」と奇策を主張する。さらには京都新聞の記者で県政のキャップを務め、かっては野中広務元幹事長の番記者でもあった石崎立矢氏(35)を口説こうとする動きも一部にあるが、「記者一筋」だけに現実味は乏しい。むしろ西川氏の再説得の可能性が高い。いずれにせよ蔦田氏、藤井氏を軸に、党本部の動きも交えて、この週末まで慌ただしく動きそうだ。

1263とはずがたり:2006/09/29(金) 00:35:29

陶磁器業界 <クニのゆくえ 保守の底流で:上>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200406200189.html

 自民2497票
 民主2544票

 昨年11月の衆院選比例区で現れた有田町の得票結果が、今も関係者の間で波紋を呼んでいる。

 「結果を見て私もびっくりした」。4日の自民有田町支部総会で西山清治町議が振り返ると、参加者の顔が一様にこわ張った。選挙区では自民候補が圧勝した佐賀2、3区の市町村で、比例区得票が民主を下回ったのは同町だけ。同町でも初めてだった。民主県連幹部も「なぜだか分からない」という異変だ。

 同町は、自民現職岩永浩美氏(62)の出身地、西有田町の隣。いわば「おひざ元」で、民主が組織的に動いた気配もなかった。西山町議は「有田の窯業界は10年以上も低迷しているから、自民への批判票という意味があるのかも」と話す。

 全国有数の陶磁器産地は苦境が続く。財務省佐賀財務事務所によると、有田焼業界で共販の3協同組合に属する約380社と直販大手2社の売上高は、03年で91億1400万円。ピークだった91年の4割に満たない。

 打開策として、同町など2市5町と県は5月、補助金の使途を地域で自由に考えられる制度「地域再生計画」の適用を内閣府に申請。一流デザイナーの下で研修を受ける人材育成事業などが近く認定される見通しだ。大有田焼振興協同組合の理事長でもある岩永氏は「制度の存在を私が県に助言した」と、業界代表の立場を強調する。

 岩永氏が75年県議選で初当選して以降、地元の西松浦郡には、県立九州陶磁文化館(80年)や県立有田窯業大学校(85年)などが出来た。95年参院補選で初当選した翌96年には「世界・ほのおの博覧会^」が開かれ、255万人を集めた。同組合幹部も「岩永氏を業界代表として支援する」。

 だが、その厚い地盤に異変が生じている。今年になって、有田町の陶磁器業者ら約10人が民主支持を訴え始めた。60〜70代が中心で、県連組織とは無関係の「草の根」。その多くは昨年衆院選でも、選挙区で自民候補に投票しながら、比例区では民主に投票した。

 ある人は、自民の国会議員や県議が理事長を務めた佐賀商工共済協同組合の破産(昨年8月)を、ある人は、年金改革関連法案の強行採決(今月)を、理由に挙げる。「自民への嫌気」が共通点で、岩永氏の「業績」についても「彼のお陰という根拠はない」と口をそろえる。ある男性(61)は「両党が拮抗(きっこう)して、政治に緊張感が出た方がいい」と言い切った。

 岩永氏は99年西有田町長選、03年県議選西松浦郡区で、それぞれ今の現職に、自分の周辺の人物を対抗馬としてぶつけた経緯がある。そのしこりを懸念する声もある。

 それでも、大有田焼振興協同組合の幹部は言う。「焼き物しかない町で、それがなくなれば、食堂も生き残れない。多少の行き違いがあっても、最後はまとまる」

 一方、民主新顔の川崎稔氏(43)支援に動き始めた男性は、こう見る。「自宅に岩永氏のポスターを張っても動かない人は多い。5分5分に近い票が出るのでは」

    ◇

 「保守王国・佐賀」でささやかれる保守地盤の劣化現象は、今回の参院選で、どう現れるのか。昨秋の衆院選に続いて、その底流をのぞく。
 (06/17)

1264とはずがたり:2006/10/05(木) 18:40:32
2004参院選

最激戦区の舞台裏 <上>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/kikaku/026/1.htm

 民主県連は六月初め、岡山選挙区の情勢分析を行った。自民と雌雄を決する全国二十七の一人区の一つ。江田と加藤の差はわずか、だった。副代表の生き残りをかけた戦いに、党本部は岡山を「最重点区」に位置づけた。

 江田は、旧社会党の理論的支柱だった父、三郎を継いで参院議員に初当選。約九年間、旧社会民主連合代表を務め、科学技術庁長官にも就いた。衆院四期、参院二期の実績。自民に対抗する野党の顔の一人として、全国的な知名度は加藤をはるかにしのぐ。

 対する自民。同じ時期に実施した独自調査で、こちらの結果も「小差」だった。五月八日、加藤の事務所開きに駆け付けた幹事長の安倍晋三は「日本で最も激しい選挙」と言い切り、前総務相の片山虎之助は「ここは自民の金城湯池。負ければ、自民党の看板が泣く」と危機感をあおった。

 加藤も、父武徳が県知事と参院議員、叔父六月が農相などを歴任した政治一家の出身だ。義理のいとこに当たる加藤勝信は昨秋、衆院比例で初当選した。

 「総理にお会いした時、岡山は大変だ、勝たなきゃいかん、という話になった」。県連会長の熊代昭彦は打ち明ける。小泉は十九日、公示前ながら、さっそく応援に訪れる。

 岡山選挙区が、現職が必ず落ちる定数削減の対象になったのは、二〇〇〇年十月、改正公選法の成立にさかのぼる。

 推進したのは、当時、参院自民の国対委員長だった片山である。二人区のままでも、有権者数では一人区の鳥取などを大きく上回る。それでも踏み切った事情について、片山は「人口の少ない順に切らなければならなかった」と振り返る。が、民主県連幹部は唇をかみしめながら言う。「岡山は狙い撃ちにされたんだ」。

 県内の参院議席は長らく、自民系と旧社会・民主系で分け合ってきた。しかし、衆院は九六年に小選挙区制を導入して以来、五選挙区を自民が独占する状況が続く。「金城湯池」。片山の言葉は、雄弁にその自信を物語る。

 看板議員を落とせない民主は五月、幹事長(当時。現代表)の岡田克也、前代表の菅直人が相次いで来県。「岡山と言えば、江田五月。日本の政治の良心、良識を表す人を間違いなく選択してほしい」(岡田)「岡山の戦いが民主党にとって正念場の戦い」(菅)。懸命に訴えた。

 自民も、幹事長、総裁の来援に加え、県内の大物政治家が「天下分け目の戦い」と強調する。「全力を尽くして勝ち抜きたい。そう願いながら帰ってまいりました」。元首相の橋本竜太郎は聴衆に語りかけ、元経済産業相の平沼赳夫も「お父様の代からまじめにやってきた加藤先生を絶対勝たせなければならない」と力を込める。

最激戦区の舞台裏 <中>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/kikaku/026/2.htm

 津山ではあまり見かけない男が壇上に上った。衆院岡山五区の自民代議士、村田吉隆(59)。五月二十九日、津山文化センターで開かれた自民党県第三選挙区支部の時局講演会。前総務副大臣の自民現職・加藤紀文(55)のための会で、村田は「一区から五区まで競いあって頑張りましょう」と呼びかけた。

 参院選に向け、自民が敷いた「挙党態勢」。村田を始め、平沼赳夫など衆参合わせて計七人の国会議員が、加藤の選対事務所に一人ずつ秘書を送り込んだ。五十五人の県議のうち、三十九人を占める自民県議団は連日、二人が事務所に詰める。村田の登壇は、三区の平沼の支持者に新鮮さと危機感を訴える作戦だった。

 「四区の事務所をまだ、決めておられないようだ。もし良かったら、私の所を使って下さい」

 五月八日、岡山市内で開かれた加藤の事務所開きで、橋本竜太郎の申し出に拍手が沸いた。加藤の叔父・六月は、かつて同じ選挙区で「六竜戦争」を繰り返した相手。集まった約二千人に、一丸となって戦う姿勢を印象付けた。

 県内の市町村長と県議、市議に、その街で獲得すべき票の目標を示して走らせる。応援企業には二百人分の電話番号簿を渡し、片っ端から掛けさせる。舞台裏では、自民独自の手法で票狩りが続く。

1265とはずがたり:2006/10/05(木) 18:41:04
>>1264-1265
□   ■
 「私は、来賓と紹介を受けましたが、実は選対本部長代行と認識しています」
 四月二十四日、岡山市内のホテル。民主党副代表の現職・江田五月(63)の総決起パーティーで、四百五十の労働組合で作る「連合岡山」会長の森本栄はこう切り出した。

 組合員数十一万人を抱える最大の支援団体。が、市民型選挙を標ぼうしてきた江田が、労働団体から直接支援を受けるのは国政選では初めてという。

 六年前の参院選で連合岡山は、知事選で敗れ、衆院からくら替えした江田ではなく、現職の民主候補、一井淳治を支援した。「割り込んだ」という印象が強く、しこりは今なお残る。

 「でも」と、森本は語る。「衆参七議席を全部自民に取られてもいいのか。好きだ、嫌いだと言ってる場合じゃない」。江田事務所には連合のスタッフ四人が常駐し、各組合と連絡を取って運動を進める。

 手の空いている議員は岡山へ。「最重点区」の岡山に、民主党本部は今後、国会議員を次々に送り込み、必勝を期す。前代表の菅直人は十九日、五月十六日に続いて訪れる。

最激戦区の舞台裏 <下>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/kikaku/026/3.htm

 荒島信昭は、届いた招待状の数に首をひねった。前総務副大臣の自民党現職・加藤紀文(55)の選対事務長。岡山市の総合展示場で五月八日に開かれる「公明党フォーラム」に来訪を求める手紙は百三通。「誠意を示さねば」。ぴったりの人数を連れて行った。約四千人が埋めた会場の中央に、「加藤紀文後援会様」と書かれた席が用意されていた。

 「公明さんは紀文が勝つための命綱」。荒島はこう言い切る。八年前の県知事選で、自民は建設省官房審議官だった石井正弘(58)を推薦し、新進、社民、公明などの推薦を受けた江田五月(63)を約五千七百票差で破った。薄氷の勝利。この時、十数万と言われる公明の組織票は江田に回った。

 十八日夕、岡山市内のホテル。公明党県本部代表の景山貢明が、加藤に推薦状を渡し、がっちりと握手した。「大半の公明票が加藤に行くだろう」。公明幹部は断言する。

 一方、知事選の二年後、参院議員に返り咲いた民主党副代表の江田は今年一月、公明の新春パーティーに顔を出し、かつての盟友と旧交を温めた。「あいさつの機会はありませんでしたが、友情あるご配慮に感謝します」。自身のホームページに書き記した。

 しかし……。岡山市内のホテルで三月二十七日に開かれた公明党参院議員・日笠勝之(58)と、党の参院比例候補予定者・谷合正明(31)のパーティー。江田のお祝いメッセージを手にした民主県連副代表の衆院議員(中国比例)・津村啓介(32)は、一階受付で丁重に会場入りを断られた。招待状が、なかった。

   □   ■

 「事実と違う。黙視できない」
 自民県連幹事長の大杉尚久は三月十五日、急きょ県庁内で記者会見を開き、怒りをあらわにした。

 二日前、今秋の知事選に三選出馬を表明した石井に対し、民主県連が推薦を決定。発表の記者会見で、代表の江田が「石井知事は『偏らないように、そこはしっかり頭に刻み込んでおきます』というお答えでした」と述べたからだ。

 問いただした自民に対し、石井側は発言内容を即座に否定したという。

 民主は四年前、石井の推薦を見送った。江田は「まだ四年前じゃ、体の火照りが取れていなかった。八年たてば、火照りもそろそろ収まっているから」。がけっぷちの参院選を前に、かつての敵の後押しを決めた気持ちを語る。

 その二か月後、岡山市内のホテルで開かれた自民県連合同会議。国会、県会議員らが一堂に集まった場に、石井は顔を見せ、加藤を応援する言葉を述べた。同じ日、数百人が集まった江田の事務所開きには、県出納長の黒崎一秀が代理出席した。

1266とはずがたり:2006/10/06(金) 20:32:47
前回もかように難航

民主 参院選で現職公認見送り
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000159999990243
2004年03月22日

■「2人擁立」歩調に乱れ

 7月の参院選で、民主党県連の候補者選びが迷走している。古賀潤一郎衆院議員(民主党を除籍)の学歴詐称問題や、佐藤観樹・前衆院議員の公設秘書給与詐取事件など同党への「逆風」の影響で、県連内で現職の藤井俊男参院議員(61)周辺のスキャンダルを問題視する声が急浮上。藤井氏の公認申請を見送り、昨秋の参院補選で惜敗した歯科医師の嶋田智哉子氏(41)の公認を決めた。県連は2人擁立する方針を変えていないが、参院選まで4カ月を切った今でも残りの1人は決まっていない。(大井田ひろみ)

■学歴詐称や秘書給与事件 スキャンダル続きで連合は共倒れ危ぶむ

 「判決文を持ってきてください」
 細川律夫・県連代表らが藤井氏に言った。

 2月28日、さいたま市内の県連で開かれた候補者擁立会議。県選出の国会議員らが集まった。参院選の候補者について、初めて藤井、嶋田両氏の名を挙げて話し合い、2人に決意や気になる点を質問した。

 その中で、藤井氏の公設秘書だった長男が03年3月に大麻取締法違反などの罪で実刑判決を受けたことへの質問が出た。秘書在職中も大麻を扱っていたかが焦点で、それを判決文ではっきりさせようとしたのだ。

 数日後、藤井氏は細川代表に判決文を渡し、話し合いもしたが、時期は正確にはわからなかったという。
 「答えがはっきり出ないこと自体が問題だ。このままでは他党からの攻撃材料になる」
 ある県連幹部は、今月10日の候補者擁立会議で「藤井おろし」を決めた背景をこう解説する。

 しかし、別の県連幹部は言う。
 「藤井さんが次の選挙に出たいことも、長男問題も前からわかっていたこと。何を今更という感じ。県連の対応は後手にまわっている」

 そもそも「2人擁立」をめぐって、歩調が合っていない。

 党本部は昨年11月、県連に2人を擁立するよう要請した。昨秋の衆院選小選挙区で県内で約134万票をとった実績を評価された。

 県連は12月の候補者擁立会議で2人擁立を決定。しかし、県内では98年の参院選で候補者2人を擁立して共倒れした自民党の例もあり、県連内でも当初からこの方針を疑問視する声があった。

 嶋田氏も、参院補選で落選が決まると、支持者を前にすぐに「次は勝ちます」と立候補の意思を表したが、その後、共倒れを心配するなどして慎重姿勢になっていた。

 支持組織の連合埼玉は、県連が2人擁立を決めた翌日の四役会議で、共倒れの危険があるとして候補者一本化の方針を確認している。今月8日の執行役員会後、吉沢邦雄会長は「民主が2人擁立しても、連合の推薦は嶋田さんだけ」と話した。13日、さいたま市内であった同県連大会のあいさつでも「参院選はそんなに簡単な選挙ではない」とくぎを刺した。

 公認申請を見送られた直後、無所属での立候補もほのめかしていた藤井氏は18日、朝日新聞の取材に「無所属での立候補は考えていない」と述べた。参院幹部や党本部選対などにもう1人の公認候補になれるよう依頼するなど、「逆転公認」への望みを捨てていない。

 一方、県連では数人の男性候補の名前が挙がっているという。細川代表は「何とか3月中には決めたい」と話している。

 岡田克也幹事長は今月6日の全国幹事長会議で、3月中に候補者が決まらない選挙区は党本部が決める考えを明らかにしたという。

1267とはずがたり:2006/10/07(土) 14:55:12

社民党北海道は護憲の中身にも微妙に共産党と温度差?

>社民は総選挙で落選した山内恵子氏をくら替えさせる。「半年前に訴えた内容を簡単に引っ込めるわけにはいかない」(党道連幹部)として、引き続き護憲が訴えの中心となるが、有権者の意識との乖離(かいり)に頭を悩ませる。
>島田俊明・道連幹事長は「イラク派遣部隊の一部は任務を終え、すでに帰国している。既成事実が積み重なるほど、訴えは届きにくくなる」と危機感を強める。

苦難の共産党・社民党 <参院選前線 北海道04>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200406100226.html

 7月の参院選で共産、社民両党は道選挙区(改選数2)にそれぞれ1人の候補を擁立する。昨年11月の総選挙で自衛隊イラク派遣への反対と絡めて護憲を中心に訴えたが幅広い支持を得られず、1ずつ持っていた道内の議席を失った。今回も「護憲」と「平和」を前面に出すが、厳しい戦いを迫られそうだ。

 咋秋の総選挙で、道内での比例得票は共産が25万3442票、社民が14万7146票だった。参院選道選挙区は60〜70万が当選ラインとされる。選挙区への候補擁立は、比例票の掘り起こしの側面も強い。

 共産は元札幌市議の岡千陽氏を立てる。島垣正信・道委員会参院選挙事務所長は「民主はすでに自民と同じ改憲の土俵に乗った。社民も土井前党首が『改悪には反対だが、改正には賛成』との姿勢を示した。憲法を守ることができるのは共産だけだ」と主張する。

 有権者の関心については「イラクで日本人4人が殺された。憲法9条を守らねばならないという意識は、国民の間に広がっている」と島垣氏。吉永春雄・道委員会政策委員長も「憲法は日本の針路にかかわる。関心が低いとは考えていない」と強気だ。

 社民は総選挙で落選した山内恵子氏をくら替えさせる。「半年前に訴えた内容を簡単に引っ込めるわけにはいかない」(党道連幹部)として、引き続き護憲が訴えの中心となるが、有権者の意識との乖離(かいり)に頭を悩ませる。

 島田俊明・道連幹事長は「イラク派遣部隊の一部は任務を終え、すでに帰国している。既成事実が積み重なるほど、訴えは届きにくくなる」と危機感を強める。

 陣営幹部は「これまでと同じような形で護憲を訴えれば、従来の支持者をつなぎとめるだけに終わる。しかし、どういう方法をとればいいのか、妙案は思い浮かばない」と嘆く。

 (06/06)

1268とはずがたり:2006/10/07(土) 21:30:43
田舎だから昔から投票率が高いと思ってましたが意外にも「1960年代ごろから林業が衰退し、土木業が中心になるにつれ、60〜70%だった投票率は80、90%と上がった」んですな。衰退が土木業=自民党依存を生みだしたのか。

投票率全国一続く利賀村 <とやま参院選04>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200407040208.html

 利賀村は国政選挙の投票率で全国一が続いている。いずれも選挙区で01年参院選97.73%(全国平均56.44%)、03年衆院選96.24%(同59.86%)。だが、11月に合併で南砺市となり、衆院解散などがない限り、村としては最後の国政選挙となる。なぜ村民の選挙への関心は、これほど高いのか。

 利賀村の有権者数は約770人。03年衆院選で棄権したのは、たった29人だった。「病人や高齢者以外は投票に行く」と村民は口をそろえる。

 「何もしなくても投票していただけるので……」。村選管も投票率アップのための啓発活動には力を入れていない。

 ●林業から土木へ

 元々は林業の村。出稼ぎに行く人も多かった。「昔の生活は苦しかった。多くの人が村を出ていった」と、坂上地区の区長をする米倉毅さん(68)は振り返る。

 1960年代ごろから林業が衰退し、土木業が中心になるにつれ、60〜70%だった投票率は80、90%と上がった。自民党支持が断トツで、03年衆院選比例区では投票者の8割が自民に入れた。

 利賀村は山に囲まれている。冬は深い雪に閉ざされ、かつては隣の八尾町や井波町に行く途中に、雪崩に遭って亡くなる人も多かった。

 しかし、国の補助事業で幹線道路やトンネル、ダムが造られた。村商工会の野原基外事務局長(55)は言う。「政治家に陳情する時、村を気にしてもらうには高い投票率が必要だった」

 ●「村良くしたい」

 村に住む郷土史家の浦辻一成さん(48)は「村民には村を良くしたいという切実な願いがあり、政治はそれに応えてくれるという思いがある。だから関心が高い」と分析する。

 「村を良くしたいから投票に行く」と村民は口々に言う。都市部での投票率低下が理解できない。米倉さんは「成人した東京の孫が投票に行かなかったら、きっちりしぼってやる」。

 投票したかどうかも、すぐにわかってしまう。他の町から引っ越してきた女性は、「後で『投票しなかったの?』などと言われるのも嫌だし」。

 ●合併で埋没不安

 11月の合併を控え、地区の集会では区長が「最後だからしっかり投票を」と訴える。合併すれば「旧利賀村」の投票率の高さは、ほかの旧町村に埋没する可能性が高い。

 「利賀の声が、今までのように政治に届かなくなるかもしれない」。村役場の職員(40)は心配する。でも、今回の参院選を含め、今後も投票には行くつもりだ。「習性みたいなものですから」

 (07/04)

1269とはずがたり:2006/10/07(土) 21:37:41
自治労は(又市氏の出身母体だけに)社民支持。連合富山は社民の擁立に不快感,草嶋会長(01年参出馬)は来賓として呼ばれた定期大会を欠席。

民主と修復、困難に 社民が独自候補 <とやま参院選04>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200406130099.html

 6月24日公示予定の参院選まで1カ月余。富山選挙区(改選数1)は、社民党が、民主党との政策的違いなどから独自候補の擁立を目指し、4月に県連合幹事長の小川晃県議(64)に決めた。「野党共闘」の消滅は、両党の支持母体・連合富山にも大きな亀裂をもたらし、現職の谷林正昭氏(57)の再選を狙う民主に逆風となるなど影響が広がっている。

 「周りから県議の立場を捨ててまで出る必要はないと反対されたが、(社民党支持者の)期待に背くわけにはいかなかった」

 4月25日、富山市で開かれた社民党県連合の定期大会。擁立の正式決定後、あいさつに立った小川氏は苦渋の決断をこう振り返った。

 社民が県議会に持つ議席数は5。小川氏の立候補により、県議の議席を失うのは大きな痛手だ。補選で再び獲得できない可能性もあり、「大きなリスク」(党関係者)があることは明らかだった。

 小川氏を支えてきた地元の党高岡支部にも、立候補に根強い反対があった。市議の一人は「厳しい選挙戦になるのは確実。引き受ける人がなく、幹事長として責任をとった」とみる。

 ○又市氏の面目

 候補者選びは検討を始めた今年1月から難航を極めた。にもかかわらず、県連合幹部が擁立を目指したのは、全国的な退潮傾向に歯止めをかける狙いのほか、民主との政策的違いが大きかったためだ。

 県連合の横山真人代表は「民主党も憲法改正の方針を打ち出し、自民との二大政党では戦争のできる国になってしまう。護憲政党として社民党は戦わなければならない」と危機感を強める。

 昨年11月の総選挙で残した民主との「しこり」もある。自民に対抗するため、富山1、3区で候補者を一本化したが、2区では別々に立てる結果となり、双方に不信感が生まれた。

 加えて、県内に支持基盤を持つ又市征治参院議員が昨年12月、党幹事長に就任し、全国の組織に参院選の候補擁立を働きかける立場になったことも大きい。

 「又市幹事長から『何としても立ててもらわなければ困る』と言われ、大変なプレッシャーを感じた」。小川氏は定期大会で述べ、又市氏の面目を保つための必死の決断だったことをにじませた。

 ○現職に大打撃

 社民の擁立に打撃を受けたのが民主だ。反自民票の分散を防ぐため、社民に擁立を見送るよう求めたが、はねつけられた形となった。

 「社民党とは政策の違いがあるが、候補者を一本化した県もある。自民打倒という大局を見て判断してほしかった」と県連の坂野裕一幹事長。

 兵庫や大分、長崎県などで社民は候補者を出さず、民主が擁立する立候補予定者に協力している。

 ○連合にも亀裂

 一方、社民より民主に軸足を置く連合富山は昨年7月、早々と谷林氏を推薦していた。だが、連合富山傘下の最大組織で、社民を支援する自治労県本部が小川氏の推薦を決め、一枚岩で戦えなくなった。

 連合富山の草嶋安治会長は、社民の定期大会に来賓として招かれていたが欠席。「労働界は一丸となって戦えるはずだった。野党現職の議席を大切にするという点で、社民党は判断してほしかった」と悔しがる。

 民主、社民両党は00年総選挙で別々に候補者を立てて大敗した教訓から、前回01年参院選では統一候補を擁立している。

 だが、坂野幹事長は「これまで試みてきた社民党との選挙協力は、見直さざるを得ない」と言う。両党の関係は修復が極めて困難となった。
 (05/23)

1270とはずがたり:2006/10/07(土) 22:06:26
憲法のある風景(上) ミカン農家 参院選2004
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1060165378/112

憲法のある風景(中) 在日3世 参院選2004
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200406200164.html

 陳信之さん(49)は徳島県に生まれ、「大原信之」という名で日本人に囲まれて育った。16歳の誕生日、外国人登録の指紋押捺(おうなつ)によって「国籍」と向き合うことになった。「なぜ自分だけ?」「友人がいなくなるのでは」……。3カ月ほど悩んだ末、役所の住民課の奥で墨をつけた左手人さし指を紙の上でころがした。

 自営業の父は、親類の会社に勤めていることにして厚生年金に加入していた。外国籍では国民年金に加入できなかったからだ。だが、役所から「勤務実態がない」と指摘され、厚生年金は解約させられた。同様に勤務実態がなかった小泉首相のように「当時の社長から『仕事は次の選挙で当選すること』と言われた……。人生いろいろ社員もいろいろ」とは当然、開き直れなかった。

 役所も民間企業も外国籍では雇ってくれない。年金も加入できない。自分の手で商売を営み、老後の資金をためて「自己責任」で生きていくしかない。だから陳さんは、東京の大学に進学したが就職活動はしなかった。

     □

 日本政府は1979年、国際人権規約B規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)に批准した。規約には、「すべての者は、法の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する」と国籍などによる差別を禁じている。欧米からの圧力でベトナム難民受け入れを余儀なくされた結果の批准だった。

 それまで、国民年金加入資格や公営住宅への入居を求める運動をしても国籍条項で拒否され続けた。憲法には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とある。だが陳さんたちには、その「国民」という壁が立ちはだかった。だから、B規約の批准で「すべての者」に基本的人権が保障されると知り、「目の前がパッと開ける思いがした」とふり返る。

 憲法とB規約を支えに運動を進めた結果、82年、国民年金加入は認められた。だが、受給には25年間の加入期間が必要なため、父は今も無年金生活を強いられている。

 今、陳さんらが求めているのは地方参政権だ。「地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」(93条)と、憲法は「住民」に地方参政権を保障しているのに、自分たちは選挙権・被選挙権から排除されている。その一方で、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」(30条)と、「国民」が対象の納税義務は、外国籍住民にも課せられている。

     □

 条文にちりばめられた「国民」という文字に多少の違和感を感じる。でも、今の憲法を基盤にすれば様々な民族がお互いの違いを認めあって暮らせる多文化多民族共生社会が実現すると思う。

 「『自由と平和と民主主義』をうたう憲法に誇りをもち、外交でも国内政治でも、絶えず憲法に照らして議論し実践する国になってほしい」。参院選を前にした陳さんの思いだ。

 (06/17)

憲法のある風景(下) 地区診断 参院選2004
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1097992700/300

1271とはずがたり:2006/10/07(土) 22:13:43
>社民が参院選の香川選挙区で公認・推薦の候補を決めないのは初めて。
>民主は今回、連合香川の推薦を取り付けた。衆院選で全面的には支持されなかっただけに、期待がかかる。
>中でも「社民最強の応援団」とされる自治労県本部が民主の公認候補の支持に回るのは初めて

民主に社民、選挙区協力は<票はいずこへ・中>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200407040194.html

 選挙戦に入って間もない6月下旬、香川選挙区に立った民主新顔、植松恵美子さん(36)は街頭演説の合間を縫って、県議会を訪ねた。面会の相手は西讃の社民党県議。支援の依頼だった。

 「党としては無理だが、個人として手伝いましょう」。県議は応じた。

 民主党は自らの組織が弱い西讃を中心に、社民の力を借りたいところだ。「社民票を取り込まないと勝負にならない」と話す県連幹部もいる。

 支援を頼まれた社民の県議は今、支持者を回って社民の比例区候補の支持を訴えつつ「選挙区は民主に」と言い添える。「自民の議席を減らし、小泉政権にストップをかけるにはこうするしかない」
      ◇
 社民は4月下旬の県連定期大会で、参院選では選挙区に候補を出さずに非自民の自主投票と決めた。社民が参院選の香川選挙区で公認・推薦の候補を決めないのは初めて。有力県議は「つらい。国会議員が減って政党交付金が減り、選挙の資金がない」とこぼす。

 一方、民主は「候補を出さなかったことが最大の支援」と受け取った。

 しかし、社民県連が民主支持でまとまるかどうかは別だ。

 昨秋の衆院選比例区では約3万7000票を得たものの、00年の衆院選より3万票減。多くは民主に流れたとみられることから、民主を敵視する見方もくすぶる。選挙区対応はあくまで個人の判断任せだ。
     ◇
 民主は今回、連合香川の推薦を取り付けた。衆院選で全面的には支持されなかっただけに、期待がかかる。中でも「社民最強の応援団」とされる自治労県本部が民主の公認候補の支持に回るのは初めてで、注目を集める。

 しかし、自治労の中にも微妙な温度差がある。ある市の労組幹部は「民主ではなく、候補本人を応援する」として組合員を説得したという。自治労県本部の森信夫書記長は「初めてなので、ある程度の揺れは予想していた。終盤にかけてさらに力を入れる」と組織固めに懸命だ。

 昨秋の衆院選。比例区では民主、社民両党合わせ17万票。自民党の18万余りに迫る。

 現職の山内俊夫さん(57)を擁立する自民の関係者は言う。「民主と社民がちゃんと組んだら、脅威になりうる」

 新顔の近石美智子さん(56)を立てた共産党県委員会幹部は「社民票は期待しない。ただ、改憲に走る自民と民主の政策に批判的な層の票は期待できる」と話した。  (07/03)

1272とはずがたり:2006/10/07(土) 22:20:14
>公明は今回、衆院選比例区で獲得した約6万5000票に2割上乗せした8万票が目標。
結局04年参の公明票の香川県下の得票は68,576票に留まる→公明党の不満はどんなもんでしょうかね?

連立の自公、微妙な関係<票はいずこへ・上>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/OSK200407040009.html

 「参院選では誠意を見せてほしい」
 公明党の支持母体、創価学会の四国地区幹部はこう言った。

 創価学会は昨秋の衆院選で、選挙区の自民党候補を支持した。その代わりに、自民が比例区で公明に協力するとされたが、この幹部は「実態はこちらが一方的に出しただけ」と話した。

 公明は今回、衆院選比例区で獲得した約6万5000票に2割上乗せした8万票が目標。それだけに、同じ与党である自民がどこまで動いてくれるかに注目している。

 公明の神崎武法代表が5月30日、比例区の現職弘友和夫氏(59)とともに高松市で街頭演説した。今回の参院選で四国を重点に置く候補だ。

 傍らで、自民県連会長の平井卓也衆院議員がマイクを握った。「連立与党の仲間として送り出していただきますことを、自民県連の会長ではありますが、お願いしたい」と持ち上げた。集まった2000人以上の創価学会員から盛んな拍手が送られた。

 しかし今回、自民の事情は複雑だ。

 医師会、郵政、財界、防衛、建設……と比例区では、様々な団体が推す候補がしのぎを削る。例えば建設業界の場合、01年の前回参院選で得た票の5倍以上にあたる、1万票を上回るのが目標だ。県内の業界団体幹部は「比例区候補の投票結果は市町村単位で分かってしまう。目標が達成できたかどうか、ごまかしがきかない」と必死だ。

 もちろん、候補自身も動く。県内に足場を置く自民現職月原茂皓氏(69→結局落選)は6月末、香川選挙区の現職の個人演説会で頭を下げた。「いろんな立場がおありだと思いますが、比例区は月原をよろしくお願いします」

 自衛官OBらの全国組織「防衛を支える会」から支持を得たが、同じ防衛庁OB2人が自民公認で出馬している。自衛隊だけでなく、地元の票に期待をかける。

 月原氏は5月16日の党県連大会でこんな演説をした。「夏の参院選は、過半数を回復するために大事な選挙だ」

 朝日新聞が全国の参院選候補に実施したアンケートでも、期待する政権のあり方として、自民候補の43%が単独政権を挙げた。昨秋の衆院選の13%を大きく上回る数字だ。

 自民候補同士の競争、そして単独政権論。自民の有力県議が「比例区票の協力は組織としては無理。個別の動きはあるかも知れないが」と漏らす状況は、公明や創価学会にとって気がかりだ。
     ◇
 今回の参院選比例区はほかに、みどりの会議、女性、社民、新風、民主、共産の各党が候補を立てた。四国では主に、共産新顔の仁比聡平氏(40)、社民現職渕上貞雄氏(67)、みどりの会議新顔の藤田恵氏(64)らが支持を訴えている。
 (07/02)

1273とはずがたり:2006/10/07(土) 22:22:47
渡辺智子さんは政党からの距離と自分に近い候補者の支援に関してなかなか上手な政治感覚の持ち主ではないか?

どこへ向かう無党派層 <票はいずこへ・下>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/OSK200407060040.html

 6月21日、県議会に新会派ができた。民主の2人と、政党に属さない議員らの計5人が結成した。会派として議員の活動を拘束しないという新しいスタイルをとったが、参院選公示を3日後に控えていただけに、記者会見では「選挙協力はするのか」という質問が飛んだ。議員らは「あくまで地方議会の改革が目的だ」ときっぱり否定した。
     ◇
 所属議員の1人、渡辺智子さん(50)。高松市区選出で当選3回。当初から政党に属さない市民派、無党派として活動。教育や平和、市民オンブズマン活動などに取り組んできた。県議になってからは、国政選挙では「必ず投票に行こう」と呼びかけるものの、特定の政党や候補にかかわらずにきた。

 その渡辺さんが昨秋の総選挙終盤、民主の新顔候補の支援を決め、選挙カーに乗り込んだ。あくまで候補者個人への応援で、党は支持しないという立場だった。

 それでも、支持者からは「安全保障で考え方が違う民主を支持するのか」と疑問の声があがった。渡辺さんは言う。「確かに迷った。でも政治を変えるため、現実的な選択肢のなかで意思表示する必要があった」

 今回の参院選は、環境問題を前面に押し出す党を比例区で支持するが、選挙区での表だった活動は考えていないという。
     ◇
 全国的に無党派層が拡大していると言われる。彼らは、現実的な選択肢を求めた渡辺さんや、それに疑問を呈した支持者と同じで、無関心層ではない。そして、地縁血縁が薄い都市部に多いのも特徴だ。

 だからこそ、「高松がかぎを握る」と、香川選挙区の各陣営は有権者の3分の1を占める大票田の動向に注目する。

 昨秋の総選挙。高松市では、民主候補が自民現職に8500票差まで迫った。無党派層が多い都市型選挙の傾向が強まり、全国的な「1区現象」の波が香川にも及んだと言われた。

 今回の参院選でも、自民は「高松とその周辺は年々、票を読むのが難しくなっている」と、保守地盤の変化に危機感を抱く。

 一方、議席獲得を目指す民主は「都市部での勝利が大前提。無党派層の支持を得やすい状況だ」と強気だ。

 6年前には無党派層を取り込んで躍進した共産は「自民と民主はうり二つ。我々との違いに耳を傾けてもらえば、自然と票は積み上がる」。
     ◇
 無党派層は「風」で動くと見られている。
 3年前の参院選では、自民現職の真鍋賢二さんが民主、社民両党が推薦した新顔候補を18万票以上引き離して4選。朝日新聞の出口調査では、無党派層の42%が真鍋さんに投票したと答えた。

 その年の4月に小泉政権が誕生したばかり。「自民党をぶっつぶす」というキャッチフレーズが注目を集めていた。真鍋さんの関係者は「あれほど取れたのは予想外。小泉人気の威力はすごかった」と振り返る。

 無党派層がどこへ向かうのか。今、誰も明確な答えを出せずにいる。
 (07/04)

1274とはずがたり:2006/10/07(土) 22:37:33
県道6号:高知伊予三島線

幹線 県道6号(鏡村最後の夏 山里からの一票:2)
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200406200166.html

 坂道をあがってきたバスが店の前でゆっくりブレーキをかけた。戸を開けて出てきた杉本末美さん(79)に運転手が窓を開け、朝刊の入った袋を手渡す。新聞が郵便で届く吉原地区に一足早く来る「バス便」。これを受け取るのが雑貨店を営む末美さんの朝の仕事になっている。この便に乗客はだれもいなかった。
 「昔々は、人もいっぱい積んで来よったけどねえ」
   ◆
 唯一の幹線道路・県道6号。この道の開通は住民の悲願だった。吉原公民館の庭にある石碑に、その歴史が刻まれている。
 「幾多ノ辛酸ヲ嘗メテ大正十年終ニ開通セシメタリ……地方開発ニ貢献スルコト偉大ナルモノアリ」
 険しい山間部。難航したが、住民も道を切り開き、費用の一部も出して開通にこぎつけた。
   ◆
 終戦から3年後に結婚し、4人の娘を育てながら店番をしてきた末美さん。窓越しに県道の往来がよく見える。道はアスファルト舗装され、市街地までの時間は半分ほどの約40分に短縮された。一方、多くの住民は仕事場を求めて村外に出た。
 人の流れは徐々にさみしくなった。4人の娘も結婚してみな、村外で暮らす。夫との2人暮らしも15年ほどになる。
 吉原地区では50年前に510人だった人口が、3割以下に減った。唯一の小学校は83年、廃校に。小学生は6人となり、7キロ先の学校にバス通学。そのバスも乗客数減で撤退が検討され、村が補助金を出してバス会社の赤字を埋める形で維持する。今年度に見込む補助金と委託料は約1160万円だ。
   ◆
 14日から県道6号の拡幅工事が始まった。山肌を削り取り、幅3メートルに満たない部分を約4メートルに広げる計画だ。「ライフライン」の整備は歓迎するが、戦前、戦後を見てきた末美さんはちょっと複雑な心境になる。
 「確かに、こんな狭くてカーブが多い道、いまどきないと言われる。でも、太くなったからといって、娘も孫も戻って来んろうねえ」
 (06/17)

1275とはずがたり:2006/10/07(土) 22:37:58
やはり寂れる商店街は自民に任せて民主は郊外型の楽しいショッピングを推進する勢力であって欲しいが。

中心商店街 <クニのゆくえ 保守の底流で:中>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/OSK200406200017.html

 県内の若手商工業者が佐賀市に集まった11日の県中小企業青年中央会総会。祝電披露で、自民現職の岩永浩美氏(62)の名前が読み上げられた。同市中心部のある商店街協同組合で役員を務める男性(48)は、軽い違和感を覚えた。県西部が地盤の岩永氏と佐賀市の商店街の縁は薄いと思われるからだ。総会で参院選の話は出なかった。

 同市中心部の主な商店街は呉服町、白山、唐人町など6つ。計約600店を数える。顧客との付き合いがあるため表立って支援しないが、伝統的な保守支持層の一つだ。優遇制度適用の働きかけや官公庁への問い合わせで「頼りになる」として、商店街の組合は国政選挙や県議選で自民など保守系候補を推薦するのが慣例だ。今回参院選でも、商店街などの政治団体「県商店街政治連盟」は岩永氏を推薦した。

 男性も国政では主に自民候補に投票した。組合代表らと推薦候補を連れて各店舗をあいさつ回り、街頭演説や集会にも動員された。「自民ならアーケード整備やカラー舗装に補助金を付けてくれる」と期待した。

 商店街の自民離れは89年に始まった。商店主が反対した消費税導入に踏み切った時だ。朝日新聞社の世論調査では、86年衆参同日選で7割近かった県内自営業者層の自民支持率は、89年参院選で約4割に落ち込んだ。

 90年代に入ってバブル経済が崩壊し、個人消費が低迷して商店街の売上高が落ち始めると、慣例だった自民候補の集会への動員がなくなった。それでも「景気を回復してくれるのは自民」と投票し続けた男性に転機が訪れた。00年衆院選だ。

 同年6月に大規模小売店舗立地法(大店立地法)が施行され、大型商業施設の出店が原則自由に。初めて不安を覚え、同月の衆院選では非自民候補に投票した。

 不安は的中した。同年9月、同市近郊にイオンショッピングタウン大和が進出。市調査によると、市中心部の日曜日の通行量は85年の約10万3千人をピークに減少、02年には約2万9千人まで減った。03年には市内にモラージュ佐賀も進出。男性の店の売上高はバブル期の3分の1に減った。商店街の会合で、自民への不満が公然と出るようになった。野党の政策を「具体的でいい」と紹介する役員も出てきた。

 男性の商店街は今回も自民候補を推薦する。自民に投票する商店主も多い。やはり「頼りになる」というのが理由だ。

 03年衆院選比例区で現れた佐賀市の得票結果は、自民約2万7千票、民主約3万2千票。当時の朝日新聞社の世論調査によれば、自営業者層の自民支持率は全県で約4割。佐賀市を含めた佐賀1区では3割だった。

 新顔の川崎稔氏(43)を擁立する民主は、貸し渋りや貸しはがしへの対策として、金融機関に融資条件の明示などを義務づける「金融アセス法案」を国会に提案するなど、中小企業の資金調達への支援を重視。共産新顔の武藤明美氏(56)は、大型店進出など乱開発を規制する大店立地法の改正も盛り込んだチラシを各商店街に配った。

 佐賀市や周辺には今後も大型店の出店計画がある。先の男性は、大型店の出店に何らかの規制をかけるよう法改正して欲しいと願う。「今度は『何となく自民』ではなく、それぞれの主張をよく比べて判断したい」
 (06/18)

1276とはずがたり:2006/10/08(日) 00:29:02
公明は成果が出て,社共は埋没。

④公共社3党
2004年7月16日
<岩手県>民、自激突で明暗鮮明
http://www.iwate-np.co.jp/saniin/hamon/hamon4.htm

 民主・主浜了氏(54)と自民など推薦の無所属・高橋洋介氏(62)による激しい攻防で、本県の2大政党化は一段と加速。自・民対決のはざまで、他政党も明暗を分けた。

 選挙区で高橋氏を推薦した公明は今回、比例代表で5万5826票を獲得。前回参院選から約3000票、昨年の衆院選より約1000票上積みする手堅い戦いを見せた。

 「比例は公明へ」。各地で開かれた高橋氏の後援会集会。同党支持者が笑顔で政党ビラを配布する。自民と選挙協力した過去の選挙では見られなかった光景だ。

 「選挙協力しても、自民候補の会場ではここまでできない。無所属候補を推薦する対等な立場だからこそ支持者も積極的だ」。党県本部の小野寺好代表は解説する。

 別の幹部も「各地の街頭で自民県議や椎名素夫参院議員が公明への投票を呼び掛けている。こんなことは初めて」。これまでにない選挙協力の成果を感じ取っていた。

 1986年に記録した最高得票には及ばなかったが、小野寺代表は「一定の成果は得られた」と総括。支持者からこれまでは「一方通行」と不満が漏れた自公連携の前進に自信を深める。

 藤原泰次郎自民県連幹事長も「公明さんには一生懸命やってもらった」と話し、「高橋氏後援会を含めて今回の体制は維持したい」と早くもラブコールを送る。

 全国的に顕著となる自民の「公明頼み」。支持母体の本県創価学会幹部は「今回も大満足とはいかないが、岩手での関係は良くなっている」とし、「ストップ民主」への共闘強化をにおわせる。

 一方、社民は選挙区の前回得票率で2・6ポイント、共産は1・1ポイント減少。ともに供託金没収点に届かず、二大政党論の大波に埋没が進行した格好だ。

 社民党県連合と合同選対を組織した平和環境県労組センターの斎藤健市議長は「二大政党論を克服する運動量がなかった」と分析。55年体制を支えた社会党時代の支持者は高齢化し、党勢衰退で死に票を嫌う支持者が他政党に流れる傾向も続く。

 共産・若山明夫氏(52)陣営も、政権与党に加え民主批判も展開したが、過去最高得票だった98年の6万7000票には程遠い敗北。県委員会の水戸正男委員長は「自民か民主かの流れを押し返せず残念」と受け止める。

 県内第三党への定着が進んだ公明とは対照的に、政権への逆風を感じ取りながら完敗を喫した社民、共産関係者のショックは大きい。打開策の模索は続くが、浮上の糸口はまだ見えてこない。

1277とはずがたり:2007/04/26(木) 11:38:26
今読んでも色々この時の状況が影響してますねぇ〜

野党共闘 生き残りへ複雑気分<焦点細見>
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200407020323.html

 24日、参院選公示の朝、大分市内は雨が降りしきった。大分選挙区の民主新顔、足立信也氏の出陣式に駆けつけた社民の横光克彦副党首は、傘もささずに訴えた。
 「国民を無視する小泉政権と戦う。国会を軽視する与党と戦う」。少し間をおいて、付け加えた。「そして、己自身のために戦う」
 昨秋の総選挙を大分3区で戦った横光氏は、27日も選挙カーに同乗。白い手袋をして、まるで候補者のように国東半島を1周した。
 大分では00年総選挙以降、民主、社民、連合大分で国政選挙の統一候補を立てる「三者協力」が続く。98年参院選で民主と社民が分かれて戦い、自民新顔だった仲道俊哉氏に敗れたことを教訓とした。
 01年は社民現職が統一候補で、今回は民主の順番。だが、社民県連の重野安正代表の胸中は複雑だ。「3年前から決まっていたとはいえ、社民の政策を訴える機会は少ない。難しい選挙だ」
 社民県連は、比例区で13万2000票という目標も掲げる。01年は9万4000票。目標達成のために「党内から候補者を出すべきだった」との声もくすぶるが、今後の大分での議席獲得を考えれば、民主との共闘は続けざるを得ない。
 民主県連の梶原九州男幹事長は、三者協力について「3年後はまったくの白紙」と言う。それでも、社民は足立氏を推す。重野氏は「社民としては、全国的にも厳しい結果が出るかもしれない。だからこそ、大分で推薦候補を勝たせて、3年後の統一候補に『社民』という選択肢を残さないといけない」。30日には村山元首相も大分市の街頭でマイクを握る。
 2大政党のはざまで第三極をめざす社民。最後の牙城でも、民主との共闘を通じて生き残りを模索せざるを得ない苦境にある。

 大分(改選数1)
仲道 俊哉(74)自現
足立 信也(47)民新
小野  勝(61)共新
荒木 国夫(59)無新
    □  □
 27日夜、沖縄選挙区の無所属新顔、糸数慶子氏は本島中部のレストランにいた。共産、社民、沖縄社会大衆(社大)の議員や首長ら70人余りも顔をそろえた。
 「取り組みが遅い。これで負けたら応援する側の問題だ」。村長の檄に選対幹部が続いた。「やるべきことをやろう」。だが、議員らは黙り込む。重い空気が漂った。
 沖縄は全国で唯一、民主、共産、社民3党が共闘する。他県と同じように民主、共産両党の溝は深いが、糸数氏の出身母体である社大が橋渡し役となった。不協和音を避けるため、合同選対は設けていない。
 その結果、選挙運動の「空洞化」が起きている。
 28日、宜野湾市の演説会。社大を中心とした選対本部が企画した。
 「首相は憲法改正と言ったが、9条改正は絶対に認められない」(共産の衆院議員)、「沖縄から自公にパンチを」(民主の衆院議員)。
 護憲を掲げて第三極をめざす共産、自公を相手に見据える民主。演説では両党の志向の違いばかりが際立った。1200人収容の会場に集まった聴衆は150人。本部から各党への連絡が遅れ、動員もかけられなかった。
 29日の勝連町での演説会は中止せざるを得なかった。「誰かが調整するはずだと、三すくみになっている」と民主県連の幹部は言う。
 不協和音を生じさせないための「ブリッジ共闘」だが、溝は隠しきれない。「負けたら共闘は二度と無理だ」。陣営に危機感がにじむ。

 沖縄(改選数1)
翁長 政俊(55)自新
糸数 慶子(56)無新
 (06/30)

1278いなばやま:2007/04/26(木) 23:41:19
「励まし」のメールのほとんどは礒崎支持者だろ。
矢野氏、候補者統一の議論とは関係なく立候補するそうです。
地方公務員の座を捨てさせ立候補まで決意させた吉良氏、
非常に厳しい戦いになるなか落選したときはどう責任を取るのか?
もし「受かる」といったならほとんど詐欺ですね。

選挙:参院選・大分選挙区 「“地方”の選択肢に」矢野氏、決意表明 /大分
4月26日15時1分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000215-mailo-l44

 参院選大分選挙区への立候補を決めた佐伯市観光大使、矢野大和氏(50)が25日、吉良州司・民主党県連代表の事務所(大分市)を訪ね「多くの方からの『立て』との励ましメールが大きかった」と決意の経緯を報告した。
 吉良氏の「田舎に光を当ててほしい」との言葉に、矢野氏は「地方に住み、講演活動で全国各地を巡り、田舎のことはよく分かっている。県民の皆さんの選択肢になりたい」と語った。観光大使の仕事を捨てがたい思いもあったが、「高齢者や青少年育成の問題など、講演で求められるテーマも変わってきた。こうした問題を『これでいいのか』と思っていた折、立候補の話をいただいて、挑戦しないと道は開けないと思い至った」と述べた。
 社民と民主の候補一本化問題については「どんな形になれ立候補する。『お前のことが好きだ』という輪が広がってくれれば」と話した。【梅山崇】
 ◇佐伯市長に辞表、今月末で退職に
 矢野氏はこれに先立ち、西嶋泰義・佐伯市長に辞職願を提出した。矢野氏は今月末で退職となる。

4月26日朝刊

1279とはずがたり:2008/01/14(月) 15:02:27
落選した紀文・虎之助・自民を放逐された熊代・平沼なんかが出てきて喋っているのがおもろい。

2004参院選
最激戦区の舞台裏 <上>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/kikaku/026/1.htm

 民主県連は六月初め、岡山選挙区の情勢分析を行った。自民と雌雄を決する全国二十七の一人区の一つ。江田と加藤の差はわずか、だった。副代表の生き残りをかけた戦いに、党本部は岡山を「最重点区」に位置づけた。

 江田は、旧社会党の理論的支柱だった父、三郎を継いで参院議員に初当選。約九年間、旧社会民主連合代表を務め、科学技術庁長官にも就いた。衆院四期、参院二期の実績。自民に対抗する野党の顔の一人として、全国的な知名度は加藤をはるかにしのぐ。

 対する自民。同じ時期に実施した独自調査で、こちらの結果も「小差」だった。五月八日、加藤の事務所開きに駆け付けた幹事長の安倍晋三は「日本で最も激しい選挙」と言い切り、前総務相の片山虎之助は「ここは自民の金城湯池。負ければ、自民党の看板が泣く」と危機感をあおった。

 加藤も、父武徳が県知事と参院議員、叔父六月が農相などを歴任した政治一家の出身だ。義理のいとこに当たる加藤勝信は昨秋、衆院比例で初当選した。

 「総理にお会いした時、岡山は大変だ、勝たなきゃいかん、という話になった」。県連会長の熊代昭彦は打ち明ける。小泉は十九日、公示前ながら、さっそく応援に訪れる。

 岡山選挙区が、現職が必ず落ちる定数削減の対象になったのは、二〇〇〇年十月、改正公選法の成立にさかのぼる。

 推進したのは、当時、参院自民の国対委員長だった片山である。二人区のままでも、有権者数では一人区の鳥取などを大きく上回る。それでも踏み切った事情について、片山は「人口の少ない順に切らなければならなかった」と振り返る。が、民主県連幹部は唇をかみしめながら言う。「岡山は狙い撃ちにされたんだ」。

 県内の参院議席は長らく、自民系と旧社会・民主系で分け合ってきた。しかし、衆院は九六年に小選挙区制を導入して以来、五選挙区を自民が独占する状況が続く。「金城湯池」。片山の言葉は、雄弁にその自信を物語る。

 看板議員を落とせない民主は五月、幹事長(当時。現代表)の岡田克也、前代表の菅直人が相次いで来県。「岡山と言えば、江田五月。日本の政治の良心、良識を表す人を間違いなく選択してほしい」(岡田)「岡山の戦いが民主党にとって正念場の戦い」(菅)。懸命に訴えた。

 自民も、幹事長、総裁の来援に加え、県内の大物政治家が「天下分け目の戦い」と強調する。「全力を尽くして勝ち抜きたい。そう願いながら帰ってまいりました」。元首相の橋本竜太郎は聴衆に語りかけ、元経済産業相の平沼赳夫も「お父様の代からまじめにやってきた加藤先生を絶対勝たせなければならない」と力を込める。

 一方の共産・植本。現職同士の対決に埋没してはならない、と三月上旬には真っ先に選挙事務所を構え、独自の組織戦を開始した。五月末に訪れた党副委員長の上田耕一郎は「一人区でも勝つためには、党ですよ党。一人区でも勝てる党を作ろうじゃありませんか」と呼びかけた。
(敬称略)

1280とはずがたり:2008/01/14(月) 15:02:41

>組合員数十一万人を抱える最大の支援団体。
>が、市民型選挙を標ぼうしてきた江田が、労働団体から直接支援を受けるのは国政選では初めてという。
そうだったんですねぇ。

2004参院選
最激戦区の舞台裏 <中>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/kikaku/026/2.htm

 津山ではあまり見かけない男が壇上に上った。衆院岡山五区の自民代議士、村田吉隆(59)。五月二十九日、津山文化センターで開かれた自民党県第三選挙区支部の時局講演会。前総務副大臣の自民現職・加藤紀文(55)のための会で、村田は「一区から五区まで競いあって頑張りましょう」と呼びかけた。

 参院選に向け、自民が敷いた「挙党態勢」。村田を始め、平沼赳夫など衆参合わせて計七人の国会議員が、加藤の選対事務所に一人ずつ秘書を送り込んだ。五十五人の県議のうち、三十九人を占める自民県議団は連日、二人が事務所に詰める。村田の登壇は、三区の平沼の支持者に新鮮さと危機感を訴える作戦だった。

 「四区の事務所をまだ、決めておられないようだ。もし良かったら、私の所を使って下さい」

 五月八日、岡山市内で開かれた加藤の事務所開きで、橋本竜太郎の申し出に拍手が沸いた。加藤の叔父・六月は、かつて同じ選挙区で「六竜戦争」を繰り返した相手。集まった約二千人に、一丸となって戦う姿勢を印象付けた。

 県内の市町村長と県議、市議に、その街で獲得すべき票の目標を示して走らせる。応援企業には二百人分の電話番号簿を渡し、片っ端から掛けさせる。舞台裏では、自民独自の手法で票狩りが続く。
□   ■
 「私は、来賓と紹介を受けましたが、実は選対本部長代行と認識しています」
 四月二十四日、岡山市内のホテル。民主党副代表の現職・江田五月(63)の総決起パーティーで、四百五十の労働組合で作る「連合岡山」会長の森本栄はこう切り出した。

 組合員数十一万人を抱える最大の支援団体。が、市民型選挙を標ぼうしてきた江田が、労働団体から直接支援を受けるのは国政選では初めてという。

 六年前の参院選で連合岡山は、知事選で敗れ、衆院からくら替えした江田ではなく、現職の民主候補、一井淳治を支援した。「割り込んだ」という印象が強く、しこりは今なお残る。

 「でも」と、森本は語る。「衆参七議席を全部自民に取られてもいいのか。好きだ、嫌いだと言ってる場合じゃない」。江田事務所には連合のスタッフ四人が常駐し、各組合と連絡を取って運動を進める。

 手の空いている議員は岡山へ。「最重点区」の岡山に、民主党本部は今後、国会議員を次々に送り込み、必勝を期す。前代表の菅直人は十九日、五月十六日に続いて訪れる。

 共産党県政策委員長の新人・植本完治(45)陣営は、党員、後援会などを動員して機関紙「赤旗」の部数増を狙う。票の伸びに必ず結びつくという考えからだ。目標は現在の四万部の一・三倍。五月二十六日の演説会では、党副委員長の上田耕一郎が「読者を増やし、党の戦列に加わってもらおう」と訴えた。

■   □
 総力戦。
 自民「保守王国・岡山の名を賭け、革新勢力との戦いに決着を付ける」
 民主「自民に議席を独占されれば、日本の政治は岡山から悪くなる」
 共産「この党がどれだけ大きくなるかは、日本国民の運命に結びつく」
 鹿児島、熊本とともに改選定数が一減る岡山。党を挙げた争いが続く。(敬称略)

1281とはずがたり:2008/01/14(月) 15:04:08
>>1279-1281

2004参院選
最激戦区の舞台裏 <下>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/kikaku/026/3.htm

 荒島信昭は、届いた招待状の数に首をひねった。前総務副大臣の自民党現職・加藤紀文(55)の選対事務長。岡山市の総合展示場で五月八日に開かれる「公明党フォーラム」に来訪を求める手紙は百三通。「誠意を示さねば」。ぴったりの人数を連れて行った。約四千人が埋めた会場の中央に、「加藤紀文後援会様」と書かれた席が用意されていた。

 「公明さんは紀文が勝つための命綱」。荒島はこう言い切る。八年前の県知事選で、自民は建設省官房審議官だった石井正弘(58)を推薦し、新進、社民、公明などの推薦を受けた江田五月(63)を約五千七百票差で破った。薄氷の勝利。この時、十数万と言われる公明の組織票は江田に回った。

 十八日夕、岡山市内のホテル。公明党県本部代表の景山貢明が、加藤に推薦状を渡し、がっちりと握手した。「大半の公明票が加藤に行くだろう」。公明幹部は断言する。

 一方、知事選の二年後、参院議員に返り咲いた民主党副代表の江田は今年一月、公明の新春パーティーに顔を出し、かつての盟友と旧交を温めた。「あいさつの機会はありませんでしたが、友情あるご配慮に感謝します」。自身のホームページに書き記した。

 しかし……。岡山市内のホテルで三月二十七日に開かれた公明党参院議員・日笠勝之(58)と、党の参院比例候補予定者・谷合正明(31)のパーティー。江田のお祝いメッセージを手にした民主県連副代表の衆院議員(中国比例)・津村啓介(32)は、一階受付で丁重に会場入りを断られた。招待状が、なかった。
   □   ■
 「事実と違う。黙視できない」
 自民県連幹事長の大杉尚久は三月十五日、急きょ県庁内で記者会見を開き、怒りをあらわにした。

 二日前、今秋の知事選に三選出馬を表明した石井に対し、民主県連が推薦を決定。発表の記者会見で、代表の江田が「石井知事は『偏らないように、そこはしっかり頭に刻み込んでおきます』というお答えでした」と述べたからだ。

 問いただした自民に対し、石井側は発言内容を即座に否定したという。

 民主は四年前、石井の推薦を見送った。江田は「まだ四年前じゃ、体の火照りが取れていなかった。八年たてば、火照りもそろそろ収まっているから」。がけっぷちの参院選を前に、かつての敵の後押しを決めた気持ちを語る。

 その二か月後、岡山市内のホテルで開かれた自民県連合同会議。国会、県会議員らが一堂に集まった場に、石井は顔を見せ、加藤を応援する言葉を述べた。同じ日、数百人が集まった江田の事務所開きには、県出納長の黒崎一秀が代理出席した。
   ■   □
 公明票と石井知事を巡る自民と民主の綱引き。党県政策委員長の植本完治(45)を擁立する共産は「自民も、公明に協力してもらわなければ勝てない政党になったのか」と冷ややかな反応。民主の知事の推薦についても「選挙のための戦略にしか見えない」と突き放す。

 参院選公示まで、あと五日。読売新聞が十二、十三日、県内で実施した世論調査では、最多の四割近くが「投票先をまだ決めていない」だった。
(敬称略)

1282とはずがたり:2009/06/08(月) 01:12:15
こんなこと云ってたんですねw
04年の記事もちゃんと保存している読売に敬意を表しつつ転載。

土井前社民党首「参院選、違反すれすれで頑張ろう」
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin2004/news/20040623ia22.htm

 社民党の土井たか子・前党首は23日夕、党本部で行われた参院再選を目指す福島党首の「出発式」であいさつし、「『無理をしないで』とは断じて言わない。無理をして、無理をできる限りして勝って欲しい」と激励した。その上で、「選挙違反をやっていいとは言わないが、すれすれのところまで、本気になって頑張ろう」と述べた。

(2004年6月23日20:26 読売新聞 無断転載禁止)

1283千葉9区:2009/06/09(火) 23:43:32
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200406130158.html
 
存在 政権の枠組みに影響力(参院流04選挙やまぐち:上)
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 5月末、東京都内で開かれた参院選山口選挙区の自民党公認、岸信夫氏のパーティー。壇上にあがった人に出席者の視線が集まった。参院の「ドン」、青木幹雄・同党参院幹事長。「中国5県で山口だけが空白区。それを圧倒的な勝利で埋める。岸さんに課せられた大きな課題だ」

 「51議席」。今回の参院選で自民はこの勝敗ラインを設定した。参院自民党115議席のうち改選分50を上回るのが目標だ。公明党の議席を加えて総定員247の過半数を維持する計算だ。

 衆院が安定しても、参院で過半数未満なら法案は通らない。自民が他党と連携・連立してでも過半数を維持したい意向には、そんな事情がある。

   ■   ■

 「大所高所の議論が完全に働かなくなる」。自民党の林芳正・参院議員(山口選挙区)は98年の国会をこう振り返った。

 同年参院選で自民党は惨敗、過半数割れした。10月、公明党を含む野党は額賀福志郎防衛庁長官の問責決議案を参院に提出し、額賀氏出席の委員会審議を拒否。同案は可決され、額賀氏は辞任に追い込まれた。

 「野党がそうしようと思うと、そうなってしまう現状がある。このままじゃどうしようもないとなる」と林氏。その後、自民党は公明党との連立を模索し始める。

 戦後、貴族院を引き継いだ参議院は定数の4割近い無所属議員の存在から「良識の府」と呼ばれた。政争に距離を置き、政策論議をするとの姿勢からだが、自民が参院で過半数を占めると、次第に衆院の決定を参院が追認する形に。衆院との違いが見えにくく、「衆院のカーボンコピー」と呼ばれ始めた。

 民主党の松岡満寿男・参院議員(同選挙区)は「参院議員は無所属であるべきだ」が持論だ。議員を直接選挙で選ばず、自治体の首長や議長が兼務したり、案件によって専門を有する議員資格者が参加したりする――といった理想型を掲げた。「選挙を意識して党利党略に基づく判断を避けることができる」

 その松岡氏自身も昨年末、無所属の会から民主党に入党し、政党化の波にのまれた。「2大政党制の必要性を訴えたかった」と話したが、無所属の会では国会の質問時間が短いなどとして「入党は消極的選択だった」とうち明ける。

   ■   ■

 林氏は米国の二院制を理想とする。参院にあたる上院は各州定員2人。「どんなに人口が違っても改選で各州1人を選び、上院に多くの権能を与えている」。日本では各都道府県2人で計94人を3年ごとに半数改選するイメージになる。

 だが、これには「一票の格差」問題がある。訴訟で合憲とされたものの、01年参院選での選挙区人口の格差は5・06倍。判決では格差是正を求める意見も出たが、林氏は「(格差が出ても)米国の上院のように地方の声を届かせるには、憲法改正しかない」と話す。

 「長期的な視野で課題に取り組める」。こう参院の利点を挙げる林氏は、昨秋の総選挙山口2区の公認候補に名前が取りざたされた。県連が元職に代わり、林氏と岸信夫両氏を推薦したのだ。

 岸氏も「解散がなく、6年間、中長期の問題を取り上げられる」と言うが、関係者や有権者からは衆院を重視する声が聞こえてくる。

 なぜか。林氏は他県の人たちと話して、その理由に気づいた。「我が県は8人目の総理をとの意識が強い。憲法上はそうではないが、参院では総理になれないと言われる。参院の権能とか細かいことより、そこが一番大きい」

   ×   ×

 参院選まで1カ月余。参議院の実像を追う。


 (06/04)

1284千葉9区:2009/06/09(火) 23:44:59
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200406130162.html
集票 支持団体の動向が左右(参院流04選挙やまぐち:下)
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 「関西が票を取りすぎた」。01年参院選の直後、公明党の支持母体・創価学会の会合でこんな声が相次いだ。

 この選挙で公明党は比例候補8人を、支援する地域を分割して決定し、個人名での投票を徹底した。8人は比例区全候補204人のうち2〜9位に入り当選を果たした。

 ただ、結果は学会の組織力の差も如実に示した。例えばトップ当選の山本香苗氏(近畿2府5県)の128万票余に対し、山口県を含む中四国9県で支援した福本潤一氏は66万5000票だった。

 公明党・創価学会は基本戦略を変えないものの、候補が均等に得票できるよう地域割りの変更に着手。結果、地域割りの候補は6人に減り、学会票の厚い近畿を分割するなどの工夫をした。

 山口県を含む中国5県は今回、福井、滋賀、兵庫3県と一緒に新顔の元NGO職員、谷合正明氏(31)を支援する。四国は九州に付いた。「兵庫が加わったのが大きい」と山口県の学会関係者は期待する。

 昨秋総選挙では自民候補が選挙区支援の見返りに「比例は公明」と訴える事態が目立った。自民は今回「比例は自民」を徹底する方針。学会関係者は「自民と表だったバーターはできず総選挙より厳しいが、知名度の高い浜四津敏子代表代行を東京選挙区から比例に回して底上げを図る」。1000万票獲得が目標だ。

   ■   ■

 ほかの宗教団体は、自公の関係の推移を注意深く見守っている。

 4月18日、山口市に本部を置く新生佛教教団の開教50周年記念大会が開かれた。会場では小泉首相(自民党総裁)、菅民主党代表(当時)らの祝電が披露され、両党幹部が次々と祝辞を述べた。

 同教団は自民党との関係が深かったが、反創価学会の立場を取り、自公連立に批判的だ。昨秋総選挙では自民党のほか、民主候補の一部も支援した。

 今回比例区では自民党の山谷えり子氏を推薦。秋本協徳代表役員は「今回、自民は『比例で公明』を認めないと言っている。自公は離れている」と理由を説明する。

 やはり自公連立に批判的な立正佼成会は47選挙区の約半分で民主候補を推薦する予定。01年参院選から倍増だ。比例区でも民主2候補を推薦する。東靖憲・山口教会長は「投票率が40%余りまで落ちたら、特定の宗教団体の重みばかりが増してしまう。こんな投票率では議会制民主主義は維持できない」と投票率低下に危機感を抱く。

   ■   ■

 共産党は98年参院選で過去最多の15議席を獲得した。今回、比例区の改選は8議席だが、最近の退潮傾向を考慮して地域割りの候補を5人に絞り込んだ。最低でも7万2400票が県内の目標だ。

 同党は公明党と対照的に、01年の比例区では「日本共産党」を徹底させた。党名がどの候補者よりも知名度があると考えたからだ。前職の当選を重視してのことだったが、結果は予想に反し、前職3人のうち1人が落選。逆に新顔2人が当選した。このため今回は「政党名でも個人名でも可」とし、党支持層以外の取り込みもねらう。

 山口県では比例区の仁比(にひ)聡平氏(40)の当選を目指し、山口選挙区の吉田貞好氏(51)とともに支持を訴える。仁比氏は中四国、九州、沖縄17県の重点候補。

 北九州市を拠点とする弁護士の仁比氏は比例区で唯一の新顔候補。共産党の国会議員に弁護士がいないため、「憲法を守る弁護士の議席を回復したい」と訴える。

 党県委員会は比例区の議席確保を最優先にしている。「党の支持者でなくても、共産党の弁護士が1人ぐらいいてもいいと思う有権者はいる。支持拡大を図りたい」と佐藤文明書記長は話す。

 (06/06)

1285とはずがたり:2009/08/20(木) 01:06:26

2004参院選大阪選挙区
選挙サンデー 熱気 7候補、府内駆け回る
http://www.nnn.co.jp/dainichi/kikaku/senkyo/saninsen2004/news/200406281.html
2004/06/28

心斎橋の商店街に繰り出し、
市民とふれあう選挙区と比例
代表の候補者=大阪市中央区

 参院選公示後初の日曜日となった二十七日、大阪選挙区(改選数三)に名乗りを上げた七人の候補者は、時折小雨が降る中、少しでも多くの有権者とふれあおうと繁華街を中心に精力的に街頭活動を行った。女優や元首相が駆け付けた陣営もあり、なにわの“夏の陣”も熱気を帯びた。

 増田義雄候補(無所属新)は、午後一時から同四時まで梅田で街頭演説。政治を変えるために投票するよう呼び掛けた。

 宮本岳志候補(共産現)は、茨木市や寝屋川市の駅前で、比例代表候補の市田忠義党書記局長とともに街頭演説した。

 北川イッセイ候補(自民新)は、オリンピック金メダリストで比例代表の荻原健司候補と寝屋川市や大阪市内の商店街を練り歩いた。

 大城戸豊一候補(諸派新)は、キタやミナミで二時間ほど街頭演説。居合わせた増田候補ともエールを交換。

 一方、辻元清美候補(無所属新)は、応援弁士なしで和泉市や堺市、大阪市内の十カ所以上で街頭演説した。

 山下栄一候補(公明現)は、雨のため鶴見緑地での徒歩遊説を断念。女優の岸本加世子さんとともに大阪市北区の商店街に繰り出した。

 尾立源幸候補(民主新)は、羽田孜元首相とJR天王寺駅前で街頭演説。このほか堺市や岸和田市など府南部を中心に回った。

1286名無しさん:2009/09/08(火) 22:14:35
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-03-28/02_01.html

2004年3月28日(日)「しんぶん赤旗」

フルゲン(宗嘉)氏を擁立
日本共産党県委が発表
参院沖縄選挙区

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 日本共産党沖縄県委員会の赤嶺政賢県委員長・衆院議員、伊佐真市委員長代理らは二十七日、「参議院沖縄選挙区についての日本共産党の立場」を明らかにし、同選挙区に党県委員会のフルゲン宗嘉(むねよし)書記長(52)を擁立することを発表しました。

 同選挙区の共闘をめぐっては、沖縄社会大衆党との間で四回にわたり協議をすすめてきました。

 日本共産党は二月一日の第一回協議で、(1)憲法擁護、消費税増税反対など国政上の重要問題で「政策協定」を結ぶこと(2)候補者は革新の共同候補として、「無党派・無所属」とし、当選後も無所属をつらぬき、特定の党派に偏らない活動を展開すること―の二つの提案を行いました。

 しかし、社大党の態度は、“民主党の協力がないと勝てない”との立場で革新統一候補者でなく野党統一候補にしたいとの意向を表明。

 同時に、両党協議が続いているさなかの三月十三日に社大党、社民党、民主党の三党で「安保条約廃棄」「基地撤去」「憲法擁護」も欠落させ、選挙後、民主党会派入りを含めて協議するという「協定書」を締結しました。

 那覇市泊の党県委員会で記者会見したフルゲン氏は、社大党が「保守二大政党」づくりの流れにのみこまれ、革新の立場を投げ捨てたもとで、革新共闘の喜屋武真栄参院議員以来かかげてきた革新の旗を高く掲げ、「基地のない平和で豊かな沖縄」の実現のために全力を尽くしたいと決意を表明しました。

 フルゲン(古堅)氏の略歴 一九五二年生まれ、琉球大学卒。民青同盟沖縄県委員長、日本共産党北部地区委員長、ヘリ基地反対協幹事を歴任。一九九六年、二〇〇〇年衆院選沖縄三区立候補。現在、党県委員会書記長。家族は妻、長男。


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参院沖縄選挙区についての日本共産党の立場
3月27日 党沖縄県委員会
 日本共産党沖縄県委員会が二十七日に発表した「参議院沖縄選挙区についての日本共産党の立場」は以下の通りです。

 日本共産党沖縄県委員会は、参院沖縄選挙区の共闘に関して、沖縄社会大衆党との間で四回にわたり協議をすすめてきました。しかし、この協議は、社大党の、革新の大義にそむき、政党間の信義にもとる対応の結果、合意をみるには至りませんでした。日本共産党沖縄県委員会は、この間の経緯を明らかにするとともに、沖縄における革新の伝統を守るために、きたるべき参院選で党公認候補の擁立を決断したことを発表するものです。

 一、日本共産党沖縄県委員会は二月一日、社大党との第一回協議で、(1)今回の参院選は二十一世紀の日本と沖縄の進路がかかった選挙であり、憲法擁護、消費税増税反対、安保条約廃棄、基地撤去、有事法制反対など、国政の重要問題で政策協定を締結し、有権者に明らかにすること、(2)両党は共同してたたかう意思のもと、(社大党が候補者として提案してきた)糸数慶子氏(社大党県議)は、革新の共同候補として無所属でたたかい、当選後も無所属をつらぬき、県民への公約実現に努力する、国会内外の活動にあたっては特定党派にかたよらないことを保障する、という「覚書」をかわすことを提案しました。これは沖縄におけるこれまでの革新統一の当然の原則であり、革新の議席を守りぬくうえで最低限まもられるべきことでした。

 ところが社大党は、わが党との協議がつづいているさなかの三月十三日、一方的に民主党、社民党との間で、沖縄選挙区選挙協力に関する協定書に調印しました。この「協定書」の基本政策には、わが党が提起している憲法擁護、安保廃棄、基地撤去、消費税増税反対など、国政の中心点にかかわる内容が欠落しています。しかも「協定書」は、「所属会派は当選後に真摯(しんし)に協議」するとして、当選後に特定会派に所属する可能性を示しています。

 私たちは、このような「協定書」は、沖縄県民が、これまでつらぬいてきた革新統一の民主的な原則とは相いれないものだと考えます。

1287名無しさん:2009/09/08(火) 22:14:47
>>1286

 二、重大なことは、三党が合意し発表した「基本政策」は、県民の利益、革新の大義にそむく内容になっていることです。

 「基本政策」は、十の項目になっていますが、その第一は、「憲法9条を守り、憲法改悪にも反対します」となっています。しかし、記者会見で、憲法への態度を聞かれた民主党代表は、「憲法改悪には反対」と述べる一方、「民主党の立場は、論憲、創憲」などと説明しました。民主党が公然と改憲路線をかかげている政党であることは周知のことです。しかも、社大党代表は、わが党との協議のさい、「民主党は現時点で改憲勢力」と明言していました。

 記者会見で民主党代表が説明した立場は、「民主党が掲げる論憲、創憲の立場で『改正される憲法』は、改悪でないから、『改悪反対で一致できる』」というものです。これでは、「憲法改悪」を「憲法改正」と表現する自民党とどこが違うのでしょうか。

 政策の第四には、「米国追従型の軍隊による安全保障・日米安保体制による安全保障でなく、多国間の平和共存的な安全保障と…」としています。これは多くの県民がもとめる「安保廃棄」とはまったく異なるものです。民主党県連代表は、「民主党は日米安保廃棄ではない、堅持していく」と明言しており、社大党代表も「これまでの安保廃棄の基本政策も整理・検討中」「安保問題については違う表現がいまはされている」「基地も即時無条件全面撤去という方針から段階的に撤去すべきとの意見もあり、整理検討中」とまで述べています。

 マスコミが「『安保廃棄』消える」を見出しに、「九八年の参院選…で…結んだ政策と最も違う点は、『安保条約廃棄』の文言が消えたことだ」と報じるのも当然です。

 九八年の参院選で政策に掲げられた消費税増税反対の立場が、今回掲げられなかったことも重大です。消費税増税問題が今回の参議院選挙で大きな争点になることは明白です。

 憲法改悪、日米軍事同盟推進、消費税増税推進の立場をとる民主党の協力をえるために、このような「基本政策」を合意するまでに至った社大党の現在の指導部は、革新の立場を投げすて、多くの県民の願いに背くものだといわざるをえません。

 三、先に指摘したように、三党の協定書には「三党の統一候補者」、その「所属会派は当選後に、…協力関係にあった政党間で真摯に協議し、また、糸数慶子本人の政治理念が実現できるように配慮し決定」するとされています。

 これは参院沖縄選挙区の候補者は、「統一の無所属候補」「当選後も無所属をつらぬき、国会内外の活動にあたっては特定党派にかたよらないことを保障する」という、これまでの原則を大きくふみにじるものです。そして重大なことは、この確認が「当選後に民主党会派に所属する」という可能性をふくんでいることです。

 わが党との四回の協議のなかで、社大党の代表は、「民主党の協力がないと勝てない」、「民主党は『自分たちは革新でない』と述べており、これまでのような革新統一候補ではなく、野党統一候補ですすめている」「民主党に独自候補擁立を断念するようにもとめ、その妥協点が、『選挙前に会派入りは要求しない、当選後に会派入りを協議する』ということだ」と説明し、当選後の民主党会派入りについて、「可能性は否定できない」とはっきり述べました。そして民主党から「新緑風会に加わったうえで民主党会派に」という提案をうけていることも明らかにしました。

 三党による協定調印後、社大党委員長は、「二回にわたる小選挙区制によって…二大政党的な形にだんだんかわってきている。過去の革新共闘というものが、現実的にはなかなか、革新という立場についてこれないという方々もいらっしゃるということで、…野党統一というものがいいんじゃないかと…認識して」いると述べました。

 これは県民の願いである革新統一を、「二大政党制にかわってきている」ことを口実になげすてると告白したものであり、この点でも、同党指導部が県民の願いに反する道をすすんでいることを示すものです。

 四、社大党の態度は、「保守二大政党」づくりの流れにのみこまれ、沖縄県民がきずいてきた革新・平和の路線を放棄したものと指摘せざるをえません。日本共産党沖縄県委員会は、「基地のない平和で豊かな沖縄」の実現をめざし、党公認の候補者を擁立して、参院沖縄選挙区をたたかうことを表明します。

1288名無しさん:2009/09/08(火) 22:15:12
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-05-01/01_03.html

2004年5月1日(土)「しんぶん赤旗」

参院沖縄選挙区共産党と社大党
無所属候補として糸数慶子氏を推薦
きょう覚書と政策協定に調印

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 日本共産党沖縄県委員会と沖縄社会大衆党は三十日、参院沖縄選挙区で社大党副委員長・県議の糸数慶子氏を統一の無所属候補として、たたかうことで合意しました。

 五月一日、両党と糸数氏との間で「第二十回参議院選挙沖縄選挙区選挙に関する覚書」と「沖縄選挙区選挙に臨む基本政策」に調印します。


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参院沖縄選挙区
共闘合意に至る経過
 参院沖縄選挙区の共闘をめぐっては、日本共産党と社大党との間で協議をすすめているなか、社大党が“民主党の協力がなければ勝てない”という立場から、革新統一候補者ではなく、野党統一候補にしたいとの意向を表明。また、協議の最中の三月十三日に、社大党と社民党、民主党の三党で「安保条約廃棄」「基地撤去」「憲法擁護」を欠落させ、民主党会派入りを含めて協議するという「協定書」を締結しました。

 日本共産党は、これに対し「沖縄の革新の伝統にそむき、政党間の信義にもとる」と批判し、三月二十七日に古堅宗嘉党沖縄県委員会書記長の擁立を発表。この間の経過を県民にも明らかにしてきました。

 その後、四月二十日に新崎盛暉・沖縄大学元学長らのよびかけで、参院選挙区をめぐる討論集会が開かれ、その翌日、社大党指導部から日本共産党に、話し合いたいとの連絡がありました。

 二十五日に、日本共産党と社大党は協議をおこない、社大党指導部から、(1)共産党との協議の最中に三党で別の枠組みをつくったことは、政党間の信義に反した(2)記者会見で安保問題についての社大党の政策を見直すよう発言したことは真意ではなく、安保条約反対・基地撤去の政策は変わらない(3)所属会派の問題では、「民主会派入りを否定しない」立場を撤回し、特定政党会派入りはないという立場を明確にする―という三点の反省と釈明を明らかにしました。

 日本共産党の赤嶺政賢県委員長(衆院議員)は、両党の共闘を実現するために(1)安保条約廃棄、基地の全面撤去を明記した政策協定を結ぶ(2)当選後も革新無所属を貫くことを公約にして選挙をたたかう(3)政策協定、覚書は、候補者をまじえて調印する―の三点を提案しました。

 その後、両党は協議を重ね、三十日の協議で、これまでの革新統一でたたかってきた歴史と伝統を大切にし、糸数氏を統一の無所属候補としてたたかい、当選を期して奮闘することを確認しました。

1289とはずがたり:2009/09/12(土) 18:44:55
既に5年も前だが先取りするような動きがあったのか。
>医療改革に反対する県医師連盟の全会員は、昨年から離党したままだ。

1.一丸 (2004/06/01)
「看板」支える地力に衰え
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200406bifu/01.html

 10571票対7472票。自民党兵庫県連の選対委員長内藤道成(71)は、その票差にがくぜんとした。五月十六日投開票の県議養父市選挙区補選。自民推薦の旧養父郡八鹿町課長(54)は、当選した会社役員(49)の七割しか得票できなかった。

 合併で四月に誕生した養父市。市長選に自民の前県議が転出したのに伴い、県議補選が実施された。これまでの無投票から一転、二十年ぶりの選挙は保守分裂に。会社役員側に前県議の後援会員や党の若手が流れ、民主党支持者とも共闘した。

 「個人個人が町の将来を考え、動いた。既存の組織が上からの指示で動く『自民ピラミッド』の論理は、もう通用しない」。“造反”した党員の自営業者(48)は、そう言い切った。

◇       ◇       ◇

 「こんなにまとまるのは初めて」。自民の県議らが苦笑する今回の参院選。公認する新人の末松信介(48)の選対本部長には、県議十一期で「重鎮中の重鎮」とされる鷲尾弘志(78)を据え、地方議員一丸で臨む。

 振り返ると、参院選には苦い経験がある。県議と神戸市議の足並みの乱れ、県議団を二分した争い。六年前は共産党に敗北。昨年の衆院選の県内比例票は民主を十九万票も下回った。内輪もめが許される状況にはない。

 唯一の誤算は、前県連会長宮本一三(72)の立候補表明。「党が割れたと誤解されたら困る」。県連は即日除名を決めた。

 かつてない一枚岩の裏には、将来への不安もある。「合併が進むと養父のように自民の結集が崩れやすくなる」と内藤。その後の出石郡出石町長選では、知事井戸敏三らも応援した現職が、超党派の住民団体に推された前共産党町議に負けた。

 利益誘導型で築いたピラミッドが、目に見えてやせていく。首相小泉が掲げる「三位一体改革」は、公共事業を大幅に減らした。医療改革に反対する県医師連盟の全会員は、昨年から離党したままだ。

◇       ◇       ◇

 県議補選から二日後。党本部に呼ばれた末松を前首相森喜朗や、いずれも森派の国会対策委員長中川秀直、総務局長町村信孝らが取り囲んだ。

 「宮本はどんな動きをしている」「公明党との協力は効果を見極め丁寧に」。森派入りを予定する末松に、「鈍いのはだれだ」と県内国会議員の動きまで問いただす森。その危機感は、末松の想像以上だった。

 三年前の参院選、昨年の衆院選と小泉人気に支えられた自民。だが得意のサプライズ(驚き)効果で高支持率を保つ手法は通用し続けるのか。

 連立を組む公明との選挙協力も自民を下支えするが、公明の影響力を「つえ」に例えた県連幹部は、「つえに頼り過ぎると歩けなくなる」と組織の弱体化を懸念した。

 「『小泉』の看板が倒れたとき、自民の地力はどれくらいあるのか」。末松陣営も党幹部も、自民が抱えるもろさを感じながら戦いに突入する。
◇       ◇       ◇
 政権選択の第二ラウンド、参院選の公示が迫る。特定の政党への追い風は感じにくい。だが、小泉改革やイラク、年金未納問題などの突風が吹き、候補予定者らの足元を揺らしている。(敬称略)

<<合併の懸念>>
 兵庫県議会の1人区は養父市を含め27、うち24を自民が占める。大半が無投票で決まった。22の選挙区で合併協議が進んでおり、県会は近く、選挙区や定数を見直す委員会を発足させる。合併が進めば自民が守ってきた過半数の維持は危うく、郡部に支えられた自民勢力の陰りにつながることが懸念されている。

1290とはずがたり:2009/09/12(土) 18:45:09

小沢氏は早く辞めるべきとか消費税アップしないとか色々今と交錯するねぇ。。
>菅の年金未納が発覚した直後の「おわび行脚」だが、アピールも忘れなかった。党の年金案に消費税率アップを明記したことを挙げ、「裏付けのある代案を示した」。与党への反対だけではない姿勢を強調した。
>しかし、有権者の関心は未納問題に集中。「菅さんは早く辞めるべき」と反応は厳しかった。

2.混迷 (2004/06/02)
仕掛けた「年金」返り討ち
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200406bifu/02.html

 立候補表明から半年。民主党新人の水岡俊一(47)は、この間の変化をひしひしと感じている。「今は大きな風が向かっている。大変厳しい」

 街頭で「民主」と言えば、有権者は耳を傾けてくれた。陣営が最も警戒していたのは「組織の緩み」だった。

 二大政党制への期待票などで躍進した昨年の衆院選。その流れを参院選で押し進めようと、民主が仕掛けた「年金政局」。そこでつまずいた。

 党代表だった菅直人らに加え、水岡の総合選対委員長を務める県連代表の土肥隆一(65)にも未納が発覚、一度は代表辞任問題が浮上した。党代表「菅直人」と入った大量のポスターやはがきの刷り直しも迫られ、選挙準備は大幅に遅れた。

 「これまでの期待票に信頼票を積むのが課題だった。しかし期待すら失ったのではないか」。焦燥感をにじませる陣営幹部は、最大の応援団である連合兵庫の組織固めに力を注ぐが、労組以外への攻め手は定まらない。
◇       ◇       ◇
 五月の大型連休最終日。党幹事長だった岡田克也は、県内五カ所を駆けた。四カ所は昨年の衆院選で議席を逃した地域。参院選の先の衆院選もにらむ行動に、政権奪取の意気込みが見えた。

 菅の年金未納が発覚した直後の「おわび行脚」だが、アピールも忘れなかった。党の年金案に消費税率アップを明記したことを挙げ、「裏付けのある代案を示した」。与党への反対だけではない姿勢を強調した。

 しかし、有権者の関心は未納問題に集中。「菅さんは早く辞めるべき」と反応は厳しかった。

 情勢はさらに悪化する。政府案の衆院通過に向け自民、公明との三党合意に調印したが、法案成立を容認したと批判を浴びた。参院選の前線に立つ地方は「支持者に説明できない」と猛反発。代表となった岡田は今、廃案を模索する。
◇       ◇       ◇
 「腹立たしいが、自民にはしたたかさがある。民主も早く一人前に」。首相訪朝を翌日に控えた五月二十一日、連合神戸地協議長の嶋田輝男(55)は集会で力を込めた。

 訪朝日程が発表された日、民主の小沢一郎が、後に辞退するものの代表就任を受託、首相の年金未加入も発覚した。「年金問題封じ」などといわれるタイミングに、嶋田は自民の政治力を見た。

 政治参加の形を探るNPO法人の元副代表で大学生の青山明日香(21)=埼玉県所沢市=は、「取りあえずの民主支持者」。昨年の衆院選では、ボランティアで兵庫県内の民主候補を手伝った。

 年金問題は各党に広がったが、新代表選びなどで混迷が際立った民主。「そうこうしているうちに年金では政府案が成立しそう。民主にはまだ、政権は任せられないかな」

 最大野党から政権を担える党へ。脱皮の難しさを年金問題は突き付けた。実現への道筋は、まだ見いだせていない。(敬称略)

<<最大野党>>
 国会での民主系会派の人数は衆院178、参院72。衆院では野党の9割近くを占めるが、自民との差は衆院67、参院43。マニフェストを掲げた昨年の衆院選では、民主の全国の比例得票は自民を上回り1位。兵庫でも小選挙区、比例ともに得票数でトップ。参院選を政権交代へのステップと位置付け、兵庫選挙区では90万票を目指す。

1291とはずがたり:2009/09/12(土) 18:45:26

3.釈明 (2004/06/03)
与党のうまみ 抱える矛盾
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200406bifu/03.html

 電話のベルがけたたましく鳴った。急遽集められた神戸市議らは、相手の言い分に聞き入り、ひたすらわびた。その日付から、内部では「5・12ショック」と語られる。公明党兵庫県本部の空気は張り詰めていた。

 この日、地元選出の党幹事長冬柴鉄三(67)を含む三役らの年金未納・未加入が発覚。「裏切り行為ではないのか」。先に明らかになった民主党への攻撃を強めていただけに、受話器越しの支持者の声は厳しかった。

 与党入りから四年半。国政選挙での県内得票は増加傾向をたどる。勢いを背に、県本部は昨年五月、参院選兵庫選挙区での候補擁立を表明した。人選の難航などで結局、断念したものの、比例に絞った戦いは、達成したことのない県内五十万票を目指す。

 そこへ、冷や水を浴びせたのが年金問題だった。支持母体の創価学会員は「不正」に敏感だ。矛先はまず、顔見知りの地方議員に向くが、今回、県本部に掛かった電話は三日間で百本近く。怒りが直接、県本部に届いた異例の事態は、批判の強さを示した。
◇       ◇       ◇
 年金問題が発覚した日の夜、県本部代表の赤松正雄(58)は東京から神戸に戻り、創価学会幹部に頭を下げていた。「党の必死さが伝わった」。幹部は党の姿勢に一定の評価をした。だが、「未納の党三役は辞めて当然」という批判は、支持者らの間でくすぶっている。

 選挙への支援を要請するはずの地域の会合は、年金問題の釈明の場に変わった。詰め寄る支持者を前に、別の神戸市議の胸に本音がよぎる。

 ―責任を取って党三役が辞めれば、既に発覚している自民の大臣はどうなる―。口にすれば、連立を組む自民への気遣いに批判が高まりかねない。平謝りしかなかった。
◇       ◇       ◇
 与党のうまみ。政策の実現は、多くの時間と労力を費やした野党時代に比べ、驚くほどスムーズになった。半面、矛盾も抱えた。「平和」「庶民の目線」「クリーンさ」を重視する党だけに、イラクへの自衛隊派遣や年金問題への対応は、支持者に違和感を与えた。

 「選挙への動きが鈍るのではないか」と県本部幹事長の野口裕(53)は危惧(きぐ)する。支持者だけでは到底届かない、県内比例五十万の得票は果たせるのか。昨年の衆院選では、一部の自民候補が「比例は公明へ」と叫んで顰蹙を買っただけに、自民からの票も衆院選ほど期待できない。

 県本部で電話の対応に追われた神戸市議は、十人に満たない支持者の集まりにも顔を出すことにした。「ただただ、頭を下げるだけ」

 参院選後、自民が十五年ぶりの「単独過半数」を達成すれば、公明の影響力は低下しかねない。二大政党化の流れもある。集票力で存在感をアピールしようとする公明。取り巻く情勢が焦燥感を募らせ、地方議員らの背中を押す。(敬称略)

<<固い組織票>>
 昨年の衆院選で公明は、県内42万の比例票を獲得。候補を立てない選挙区で他党を支援する見返りに、比例票をもらう「バーター」を巧みに利用した。今回の参院選兵庫選挙区では、一度は候補擁立を表明。その強い組織力から他党は危機感を強めた。擁立を断念した選挙区での票を元に、比例での他党の協力を模索する。

1292とはずがたり:2009/09/12(土) 18:46:05

>この半年で、四万人もの会員が増えた。購読代を払う機関紙読者の会員に加え、月一回、無料の印刷物を読んでもらうだけの「ニュース会員」の導入が大きい。

4.反転 (2004/06/04)
追い風やみ足場固めへ
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200406bifu/04.html

 会員十三万人を擁する共産党兵庫県後援会。会長の斉藤茂(76)=神戸市垂水区=は焦りを募らせている。「地域の世話人でさえ、党の政策パンレットを読んでいない人がいる。そんなことで支持は広がるのか」

 この半年で、四万人もの会員が増えた。購読代を払う機関紙読者の会員に加え、月一回、無料の印刷物を読んでもらうだけの「ニュース会員」の導入が大きい。

 会員増をそのまま支持拡大とはとらえられない上、目標会員数の三十万人には遠い。「一人の会員から二票、三票につなげなければ勝てない」と斉藤は言う。

 今回の参院選で、共産は「一層の対話重視」を掲げ、地道な戦術で臨む。支持者らが直接、有権者と会い、政策を訴える。それには政策の理解が欠かせない。

 五月の世話人会。斉藤は一人ひとりにパンフレットを読んでもらい、各地区での実践を求めた。

◇       ◇       ◇

 再選を期す大沢辰美(63)は、六年前の選挙で自民現職と競り、五十八万票で初当選した。県内比例票も四十万を超えた。いずれも参院選での最高得票を塗り替えた。

 戦後最悪といわれた不況下で、「経済失政」を問われた自民への逆風。一方、共産は上げ潮に乗った。大震災後の兵庫では、復興行政や神戸空港建設などへの批判を背に、風は一層、強まった。

 しかし、追い風は長くは続かず、退潮傾向に見舞われる。昨年の衆院選では自民、民主による「二大政党対決」に埋没。比例で守ってきた県内関係議席も失った。

 「六年前、だれが、どんな層が支持してくれたのか。今も十分には分かっていない」。複数の党関係者が明かすように、「予想を超えた」とされる六年前の支持の広がりは、その実態をつかめぬまま風とともに消えた。

 大沢の選挙で陣頭指揮を執る党県委員会書記長の岡正信(57)は、党を取り巻く六年の様変わりを見据え、足場固めに腐心する。「風に揺れない、しっかりとした、顔の見える支持が必要だ」

◇       ◇       ◇

 前哨戦で奔走する地方議員には、悲壮感が漂っている。「これは、と訴えても反応がない」。イラクや年金、首相訪朝と、時々に動く世間の関心。党の主張は、六年前のようには響かない。

 首相の訪朝結果に対し、党内では「批判すべき」との声もあった。だが、「日朝間の正常化」を掲げる党の方針に沿い、批判は避けることになった。年金未納問題でも「国会議員になる前は別」という党の基準で、首相への追及を控えている。

 共産を長年支持してきた宝塚市の元会社員(63)は、最近の党の姿勢に疑問を抱いている。「もっと柔軟になって世論にアピールすべき。共産が風をつくり出せなくてどうする」

 期待ともどかしさ。支持者らのジレンマは、退潮傾向から脱しきれない党の姿と重なる。(敬称略)

<<ソフト路線>>
 共産は、旧ソ連の崩壊など負のイメージからの脱却を狙い、1990年代から現実・柔軟路線を歩み、今年1月の党大会で、天皇制、自衛隊を事実上容認する新綱領を採択した。選挙では昨年の衆院選以降、自民・民主双方への対決姿勢を強く打ち出す。2人区で現職を擁する兵庫は重点区。3月以降、党幹部の来援が相次ぐ。

1293とはずがたり:2009/09/12(土) 18:46:40
>>1289-1293

イマイチ混乱して自己満足気味の文章で解りにくいけど兎に角中川は護憲共同で新社会系の原の支援をやって,土井も正式に表明しない迄も心情的には近いと云う事か。

5.再接近 (2004/06/05)
訴え広がらず連携模索
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200406bifu/05.html

 「自民と同じ。弱者切り捨ての党だ」。五月末、社民党の元衆院議員中川智子(56)=宝塚市=が、神戸・元町の駅前に立った。批判の矛先は民主党。社民県連は今回の参院選で、民主新人の水岡俊一(47)の推薦を決めている。しかし中川の隣には、市民団体に推され、無所属で挑む新社会党県本部委員長の原和美(54)がいた。

 兵庫の社民と新社会は旧社会党時代、激しい左右対立でたもとを分かった。一部とはいえ十年ぶりの再接近の裏には、「瀬戸際」ともいえる組織の事情と、改憲への強い危機感があった。

 昨年の衆院選で議席を激減させた社民。党首だった土井たか子(75)さえ小選挙区で敗れ、「ポスト土井」をにらむ動きもある。新社会は政党要件も国会議席もない。

 「今の党勢で護憲を押し出すには限界がある」と言うのは、中川と行動を共にする社民の宝塚市議(57)。その思いは、水岡の推薦をまとめた社民県連副代表、今西正行(65)にも通じる。

 「民主は改憲勢力」と批判してきたが、「教え子を戦場に送らない」とする元教師の水岡に託した。「憲法を守るには、他党であっても改憲否定派を増やすことが必要。党より個人。苦渋の選択だった」

◇       ◇       ◇

 昨年の衆院選でも、候補だった原と中川は連携した。参院選に向けては統一候補の擁立を目指し、市民団体「9プラス25改憲阻止市民の会」(佐治孝典代表世話人)を中心に話し合ってきた。

 土井も出席した四月の会合。候補に挙がった中川は「気持ちの整理がつかない」と固辞したが、支援は約束した。「だれであっても推薦人になってもらえますね」。メンバーの視線が土井に集まった。無言の土井。その心中を、メンバーらは「イエス」と読み取った。

 県連が水岡への推薦を決めたのはそれから約二十日後。「今の民主に憲法は守れない」と、土井は今西に気色ばんだが、県連とのねじれを懸念してか、原支援の態度は明確にしていない。

◇       ◇       ◇

 神戸市外国語大三年の福留庸友(21)は三月、イラク南部のサマワを訪ねた。現地は安全で、政府の言う「非戦闘地域」だと感じた。だからこそ、武器を持った自衛隊派遣に疑問を持った。

 自衛隊撤退の訴えには共感する。憲法問題も大切だが、「それだけで一票は投じない」。原の護憲の訴えは、「平和」に関心を持つ有権者でさえ、判断基準の一つにすぎない。

 「護憲を呪(じゆ)文のように唱えるだけではしんどい」「改憲による暮らしの変化に、市民はどれだけ危機感があるのだろう」。三日、原支援で集まった地方議員らは、響かぬ訴えに苦悩の表情を見せた。

 厳しさの中、陣営が注視しているのが、秘書給与詐取事件で有罪が確定した社民の元衆院議員、辻元清美(44)の動き。大阪選挙区での立候補が取りざたされ、離党して護憲ネットワークを立ち上げるという見方もある。

 「連携できればインパクトがある」。陣営に高まる期待は、兵庫から突破口を開くことの困難さを物語る。(敬称略)

=おわり=

1294名無しさん:2009/09/19(土) 09:19:20
http://www2.asahi.com/2004senkyo/news/TKY200406180129.html

自民、読めぬ得失点 比例区候補の登板と降板 
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 自民党の参院選比例区候補の座をめぐり、竹中経済財政・金融相(53)が小泉首相に説得されて16日に立候補を表明した。一方、政治団体「日本歯科医師連盟」(日歯連)が組織候補として推してきた日大助教授の笹井啓史氏(43)は、日歯連をめぐる汚職事件のあおりで出馬を断念した。有力支持団体の組織選挙から「改革」のイメージに頼る選挙に重点を移す自民党の移り変わりがにじむ出来事と言えるが、その損得勘定は――。

 ●竹中氏、地方から反発も

 「小泉構造改革を一番よくわかっているのはあなたなのだから、国民によく訴えてほしい」。17日、自民党本部。竹中氏は、党総裁の小泉首相から党公認証をもらう際にこう言われた。

 首相らが竹中氏に期待するのは、苦手とされる都市部の無党派層の取り込みだ。昨秋の総選挙での「小泉・安倍(晋三幹事長)」の二枚看板はあるものの、年金問題で世論調査の支持率も下降気味。改革イメージの新たな看板として「地方にいかず、東京、横浜、大阪あたりをうろうろしてくれるだけでいい」(幹部)という声もある。

 首相周辺は竹中氏に関する好感度調査を極秘に実施。「好感度が高い」という結果を受け、擁立に踏み切った。かつて竹中氏の改革路線を批判して更迭を求めた堀内光雄総務会長も「自民党の支持層を広げ、100万票は取るだろう」。

 竹中氏側にも計算はある。主導する郵政事業の民営化は党側の抵抗を受けてきたが、「選挙での貢献があれば、青木幹雄参院幹事長らも評価せざるを得ず、力関係が変わる」(政府関係者)との期待がある。

 ただ党内には、小泉改革に批判的な業界や地方組織から逆に反発を招くという不安の声もある。公明党幹部も「どういう人が入れるのかわからない」と言い、竹中効果は30万票程度とみている。

 ●候補断念、浮く「日歯票」

 日歯連は11日に都内で臨時評議員会を開き、笹井氏の選挙運動をしないことを決定。日歯連幹部と笹井氏は16日、自民党の青木参院幹事長と会談し、公認を辞退するという事実上の出馬断念の考えを伝えた。「比例区は『自民党』と書くよう呼びかける」と申し出るのが精いっぱい。中央社会保険医療協議会(中医協)を舞台とする臼田貞夫前会長の汚職事件を受けて、それまでも、笹井氏は参院選に向けた活動自粛を表明していた。

 日歯連は日本歯科医師会の政治団体。自民党の支持団体でも有数の資金力を持ち、01年参院選での組織内候補だった中原爽氏は10万票余りを獲得した。この基礎的な組織票が、笹井氏の断念で漂流しかねない。

 「多くが自民党と書くだろうが、さまざまな団体が都道府県単位で個別に連携を呼びかけており、『草刈り場』になっている」。党幹部はこう話す。関係者によると、日本医師会の政治団体である「日本医師連盟」は水面下で「3年後の参院選で日歯連の推薦候補に協力する」と申し出て、今回の選挙で日医連が推す候補を支援するよう交渉を進めているという。

 一方、最近では民主党参院議員が日歯連の一部幹部と勉強会を開くケースも。自民党内には「一部の票が民主など野党に流れるかも」(党関係者)、「一度組織候補の擁立を見送ってしまえば、3年後に立て直すのは難しい」(参院幹部)といった声も出始めた。

(06/18 10:33)

1295名無しさん:2009/09/20(日) 10:35:03
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-03-23/15_03.html

2003年3月23日(日)「しんぶん赤旗」

自民参院比例候補を
日本経団連が公募

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 日本経団連が来年夏の参院選の自民党比例代表の推薦候補者を決めるため、立候補予定者を公募し、予備選を四月下旬に行うことがわかりました。

 旧経団連は一九九八年、二〇〇一年の参院選で、財界代表を自民党比例代表候補として財界ぐるみの応援で当選させています。

 日本経団連内に、政治への関与を強めるために設立した「企業人政治フォーラム」(BPF)によると、応募資格は、「日本経団連など経済団体の会員企業・団体に十年以上在籍し、自民党の候補者として立候補する意志のある人」。応募受け付けは二十四日まで。

 応募者は三千字以内の「政策と抱負」のほか、BPF会員は三十人以上、同会員以外は六十人以上の推薦人名簿を提出します。書類選考、立会演説会を経て四月下旬に予備選挙をおこない、推薦候補を一人にしぼる予定。

 九八年の参院選では、東京電力副社長だった加納時男氏、〇一年は伊藤忠商事常務だった近藤剛氏が、それぞれ自民党比例候補として立候補、関係業界をはじめ財界のバックアップで当選しています。

 消費税増税キャンペーンの先頭を切っている日本経団連。奥田碩会長が一月に発表した「奥田ビジョン」では、企業・団体献金をする際の「ガイドラインを作成する」としており、自前の国会議員育成も含め、政界への影響力強化を図ろうとしています。

1296名無しさん:2009/09/20(日) 14:40:53
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200406130099.html

民主と修復、困難に 社民が独自候補 <とやま参院選04>
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 6月24日公示予定の参院選まで1カ月余。富山選挙区(改選数1)は、社民党が、民主党との政策的違いなどから独自候補の擁立を目指し、4月に県連合幹事長の小川晃県議(64)に決めた。「野党共闘」の消滅は、両党の支持母体・連合富山にも大きな亀裂をもたらし、現職の谷林正昭氏(57)の再選を狙う民主に逆風となるなど影響が広がっている。


 「周りから県議の立場を捨ててまで出る必要はないと反対されたが、(社民党支持者の)期待に背くわけにはいかなかった」

 4月25日、富山市で開かれた社民党県連合の定期大会。擁立の正式決定後、あいさつに立った小川氏は苦渋の決断をこう振り返った。

 社民が県議会に持つ議席数は5。小川氏の立候補により、県議の議席を失うのは大きな痛手だ。補選で再び獲得できない可能性もあり、「大きなリスク」(党関係者)があることは明らかだった。

 小川氏を支えてきた地元の党高岡支部にも、立候補に根強い反対があった。市議の一人は「厳しい選挙戦になるのは確実。引き受ける人がなく、幹事長として責任をとった」とみる。


 ○又市氏の面目

 候補者選びは検討を始めた今年1月から難航を極めた。にもかかわらず、県連合幹部が擁立を目指したのは、全国的な退潮傾向に歯止めをかける狙いのほか、民主との政策的違いが大きかったためだ。

 県連合の横山真人代表は「民主党も憲法改正の方針を打ち出し、自民との二大政党では戦争のできる国になってしまう。護憲政党として社民党は戦わなければならない」と危機感を強める。

 昨年11月の総選挙で残した民主との「しこり」もある。自民に対抗するため、富山1、3区で候補者を一本化したが、2区では別々に立てる結果となり、双方に不信感が生まれた。

 加えて、県内に支持基盤を持つ又市征治参院議員が昨年12月、党幹事長に就任し、全国の組織に参院選の候補擁立を働きかける立場になったことも大きい。

 「又市幹事長から『何としても立ててもらわなければ困る』と言われ、大変なプレッシャーを感じた」。小川氏は定期大会で述べ、又市氏の面目を保つための必死の決断だったことをにじませた。


 ○現職に大打撃

 社民の擁立に打撃を受けたのが民主だ。反自民票の分散を防ぐため、社民に擁立を見送るよう求めたが、はねつけられた形となった。

 「社民党とは政策の違いがあるが、候補者を一本化した県もある。自民打倒という大局を見て判断してほしかった」と県連の坂野裕一幹事長。

 兵庫や大分、長崎県などで社民は候補者を出さず、民主が擁立する立候補予定者に協力している。


 ○連合にも亀裂

 一方、社民より民主に軸足を置く連合富山は昨年7月、早々と谷林氏を推薦していた。だが、連合富山傘下の最大組織で、社民を支援する自治労県本部が小川氏の推薦を決め、一枚岩で戦えなくなった。

 連合富山の草嶋安治会長は、社民の定期大会に来賓として招かれていたが欠席。「労働界は一丸となって戦えるはずだった。野党現職の議席を大切にするという点で、社民党は判断してほしかった」と悔しがる。

 民主、社民両党は00年総選挙で別々に候補者を立てて大敗した教訓から、前回01年参院選では統一候補を擁立している。

 だが、坂野幹事長は「これまで試みてきた社民党との選挙協力は、見直さざるを得ない」と言う。両党の関係は修復が極めて困難となった。

 (05/23)

1297名無しさん:2009/09/20(日) 15:01:26
http://www2.asahi.com/2004senkyo/localnews/TKY200407040194.html

民主に社民、選挙区協力は<票はいずこへ・中>
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 選挙戦に入って間もない6月下旬、香川選挙区に立った民主新顔、植松恵美子さん(36)は街頭演説の合間を縫って、県議会を訪ねた。面会の相手は西讃の社民党県議。支援の依頼だった。

 「党としては無理だが、個人として手伝いましょう」。県議は応じた。

 民主党は自らの組織が弱い西讃を中心に、社民の力を借りたいところだ。「社民票を取り込まないと勝負にならない」と話す県連幹部もいる。

 支援を頼まれた社民の県議は今、支持者を回って社民の比例区候補の支持を訴えつつ「選挙区は民主に」と言い添える。「自民の議席を減らし、小泉政権にストップをかけるにはこうするしかない」

      ◇

 社民は4月下旬の県連定期大会で、参院選では選挙区に候補を出さずに非自民の自主投票と決めた。社民が参院選の香川選挙区で公認・推薦の候補を決めないのは初めて。有力県議は「つらい。国会議員が減って政党交付金が減り、選挙の資金がない」とこぼす。

 一方、民主は「候補を出さなかったことが最大の支援」と受け取った。

 しかし、社民県連が民主支持でまとまるかどうかは別だ。

 昨秋の衆院選比例区では約3万7000票を得たものの、00年の衆院選より3万票減。多くは民主に流れたとみられることから、民主を敵視する見方もくすぶる。選挙区対応はあくまで個人の判断任せだ。

     ◇

 民主は今回、連合香川の推薦を取り付けた。衆院選で全面的には支持されなかっただけに、期待がかかる。中でも「社民最強の応援団」とされる自治労県本部が民主の公認候補の支持に回るのは初めてで、注目を集める。

 しかし、自治労の中にも微妙な温度差がある。ある市の労組幹部は「民主ではなく、候補本人を応援する」として組合員を説得したという。自治労県本部の森信夫書記長は「初めてなので、ある程度の揺れは予想していた。終盤にかけてさらに力を入れる」と組織固めに懸命だ。

 昨秋の衆院選。比例区では民主、社民両党合わせ17万票。自民党の18万余りに迫る。

 現職の山内俊夫さん(57)を擁立する自民の関係者は言う。「民主と社民がちゃんと組んだら、脅威になりうる」

 新顔の近石美智子さん(56)を立てた共産党県委員会幹部は「社民票は期待しない。ただ、改憲に走る自民と民主の政策に批判的な層の票は期待できる」と話した。  (07/03)


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