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2004年参院選スレ

1デモクラット:2003/11/21(金) 18:39
民主党スレで挙がっていたので、立ててみました。
自民、民主の候補者一覧にリンクしておきます。
自民 http://www.jimin.jp/jimin/jimin/sen_san20/index.html
民主 http://www.dpj.or.jp/news/200308/candidates2.html

1264とはずがたり:2006/10/05(木) 18:40:32
2004参院選

最激戦区の舞台裏 <上>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/kikaku/026/1.htm

 民主県連は六月初め、岡山選挙区の情勢分析を行った。自民と雌雄を決する全国二十七の一人区の一つ。江田と加藤の差はわずか、だった。副代表の生き残りをかけた戦いに、党本部は岡山を「最重点区」に位置づけた。

 江田は、旧社会党の理論的支柱だった父、三郎を継いで参院議員に初当選。約九年間、旧社会民主連合代表を務め、科学技術庁長官にも就いた。衆院四期、参院二期の実績。自民に対抗する野党の顔の一人として、全国的な知名度は加藤をはるかにしのぐ。

 対する自民。同じ時期に実施した独自調査で、こちらの結果も「小差」だった。五月八日、加藤の事務所開きに駆け付けた幹事長の安倍晋三は「日本で最も激しい選挙」と言い切り、前総務相の片山虎之助は「ここは自民の金城湯池。負ければ、自民党の看板が泣く」と危機感をあおった。

 加藤も、父武徳が県知事と参院議員、叔父六月が農相などを歴任した政治一家の出身だ。義理のいとこに当たる加藤勝信は昨秋、衆院比例で初当選した。

 「総理にお会いした時、岡山は大変だ、勝たなきゃいかん、という話になった」。県連会長の熊代昭彦は打ち明ける。小泉は十九日、公示前ながら、さっそく応援に訪れる。

 岡山選挙区が、現職が必ず落ちる定数削減の対象になったのは、二〇〇〇年十月、改正公選法の成立にさかのぼる。

 推進したのは、当時、参院自民の国対委員長だった片山である。二人区のままでも、有権者数では一人区の鳥取などを大きく上回る。それでも踏み切った事情について、片山は「人口の少ない順に切らなければならなかった」と振り返る。が、民主県連幹部は唇をかみしめながら言う。「岡山は狙い撃ちにされたんだ」。

 県内の参院議席は長らく、自民系と旧社会・民主系で分け合ってきた。しかし、衆院は九六年に小選挙区制を導入して以来、五選挙区を自民が独占する状況が続く。「金城湯池」。片山の言葉は、雄弁にその自信を物語る。

 看板議員を落とせない民主は五月、幹事長(当時。現代表)の岡田克也、前代表の菅直人が相次いで来県。「岡山と言えば、江田五月。日本の政治の良心、良識を表す人を間違いなく選択してほしい」(岡田)「岡山の戦いが民主党にとって正念場の戦い」(菅)。懸命に訴えた。

 自民も、幹事長、総裁の来援に加え、県内の大物政治家が「天下分け目の戦い」と強調する。「全力を尽くして勝ち抜きたい。そう願いながら帰ってまいりました」。元首相の橋本竜太郎は聴衆に語りかけ、元経済産業相の平沼赳夫も「お父様の代からまじめにやってきた加藤先生を絶対勝たせなければならない」と力を込める。

最激戦区の舞台裏 <中>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/kikaku/026/2.htm

 津山ではあまり見かけない男が壇上に上った。衆院岡山五区の自民代議士、村田吉隆(59)。五月二十九日、津山文化センターで開かれた自民党県第三選挙区支部の時局講演会。前総務副大臣の自民現職・加藤紀文(55)のための会で、村田は「一区から五区まで競いあって頑張りましょう」と呼びかけた。

 参院選に向け、自民が敷いた「挙党態勢」。村田を始め、平沼赳夫など衆参合わせて計七人の国会議員が、加藤の選対事務所に一人ずつ秘書を送り込んだ。五十五人の県議のうち、三十九人を占める自民県議団は連日、二人が事務所に詰める。村田の登壇は、三区の平沼の支持者に新鮮さと危機感を訴える作戦だった。

 「四区の事務所をまだ、決めておられないようだ。もし良かったら、私の所を使って下さい」

 五月八日、岡山市内で開かれた加藤の事務所開きで、橋本竜太郎の申し出に拍手が沸いた。加藤の叔父・六月は、かつて同じ選挙区で「六竜戦争」を繰り返した相手。集まった約二千人に、一丸となって戦う姿勢を印象付けた。

 県内の市町村長と県議、市議に、その街で獲得すべき票の目標を示して走らせる。応援企業には二百人分の電話番号簿を渡し、片っ端から掛けさせる。舞台裏では、自民独自の手法で票狩りが続く。

1265とはずがたり:2006/10/05(木) 18:41:04
>>1264-1265
□   ■
 「私は、来賓と紹介を受けましたが、実は選対本部長代行と認識しています」
 四月二十四日、岡山市内のホテル。民主党副代表の現職・江田五月(63)の総決起パーティーで、四百五十の労働組合で作る「連合岡山」会長の森本栄はこう切り出した。

 組合員数十一万人を抱える最大の支援団体。が、市民型選挙を標ぼうしてきた江田が、労働団体から直接支援を受けるのは国政選では初めてという。

 六年前の参院選で連合岡山は、知事選で敗れ、衆院からくら替えした江田ではなく、現職の民主候補、一井淳治を支援した。「割り込んだ」という印象が強く、しこりは今なお残る。

 「でも」と、森本は語る。「衆参七議席を全部自民に取られてもいいのか。好きだ、嫌いだと言ってる場合じゃない」。江田事務所には連合のスタッフ四人が常駐し、各組合と連絡を取って運動を進める。

 手の空いている議員は岡山へ。「最重点区」の岡山に、民主党本部は今後、国会議員を次々に送り込み、必勝を期す。前代表の菅直人は十九日、五月十六日に続いて訪れる。

最激戦区の舞台裏 <下>
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okayama/kikaku/026/3.htm

 荒島信昭は、届いた招待状の数に首をひねった。前総務副大臣の自民党現職・加藤紀文(55)の選対事務長。岡山市の総合展示場で五月八日に開かれる「公明党フォーラム」に来訪を求める手紙は百三通。「誠意を示さねば」。ぴったりの人数を連れて行った。約四千人が埋めた会場の中央に、「加藤紀文後援会様」と書かれた席が用意されていた。

 「公明さんは紀文が勝つための命綱」。荒島はこう言い切る。八年前の県知事選で、自民は建設省官房審議官だった石井正弘(58)を推薦し、新進、社民、公明などの推薦を受けた江田五月(63)を約五千七百票差で破った。薄氷の勝利。この時、十数万と言われる公明の組織票は江田に回った。

 十八日夕、岡山市内のホテル。公明党県本部代表の景山貢明が、加藤に推薦状を渡し、がっちりと握手した。「大半の公明票が加藤に行くだろう」。公明幹部は断言する。

 一方、知事選の二年後、参院議員に返り咲いた民主党副代表の江田は今年一月、公明の新春パーティーに顔を出し、かつての盟友と旧交を温めた。「あいさつの機会はありませんでしたが、友情あるご配慮に感謝します」。自身のホームページに書き記した。

 しかし……。岡山市内のホテルで三月二十七日に開かれた公明党参院議員・日笠勝之(58)と、党の参院比例候補予定者・谷合正明(31)のパーティー。江田のお祝いメッセージを手にした民主県連副代表の衆院議員(中国比例)・津村啓介(32)は、一階受付で丁重に会場入りを断られた。招待状が、なかった。

   □   ■

 「事実と違う。黙視できない」
 自民県連幹事長の大杉尚久は三月十五日、急きょ県庁内で記者会見を開き、怒りをあらわにした。

 二日前、今秋の知事選に三選出馬を表明した石井に対し、民主県連が推薦を決定。発表の記者会見で、代表の江田が「石井知事は『偏らないように、そこはしっかり頭に刻み込んでおきます』というお答えでした」と述べたからだ。

 問いただした自民に対し、石井側は発言内容を即座に否定したという。

 民主は四年前、石井の推薦を見送った。江田は「まだ四年前じゃ、体の火照りが取れていなかった。八年たてば、火照りもそろそろ収まっているから」。がけっぷちの参院選を前に、かつての敵の後押しを決めた気持ちを語る。

 その二か月後、岡山市内のホテルで開かれた自民県連合同会議。国会、県会議員らが一堂に集まった場に、石井は顔を見せ、加藤を応援する言葉を述べた。同じ日、数百人が集まった江田の事務所開きには、県出納長の黒崎一秀が代理出席した。


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