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Japanese Medieval History and Literature

1釈由美子が好き:2007/06/03(日) 21:01:22
快挙♪ 3
 本日の歴史学研究会総会・大会2日目、日本史史料研究会さんのお店、中島善久氏編・著『官史補任稿 室町期編』(日本史史料研究会研究叢書1)が、なんと! なんと!!

  41冊!!!

 売れたと云々!!
 すげェ!! としか言いようがない。

 2日で、71冊。
 快進撃である。

233はぎつきみたえ:2007/09/05(水) 18:35:19
吾妻鏡事典
 買いました☆
 『事典』といってもボリュームたっぷり!読む事典ですね。

 さて、一冊買ったからなんか一冊捨てないと、もう置くところがない…。

234井上渉子:2007/09/05(水) 23:40:56
一体何が起こったのか
葛飾区郷土と天文の博物館特別展
『関東戦乱 〜戦国を駆け抜けた葛西城〜』

「今年は、葛西城に初めて学術的なメスが入ってから35年目を迎え、また、博物館考古学ボランティア活動も15周年を迎えます。今回、この節目の年にあたり、今までの葛西城の考古学による調査成果と文献による調査成果を多くの方に知っていただけるよう、博物館考古学ボランティアの協力を得て展示会を開催いたします。」(葛飾区郷土と天文の博物館webページより抜粋)

■期間 10月21日(日曜日)〜12月9日(日曜日)

関連のシンポジウムなどもありますので詳細は
http://www.city.katsushika.lg.jp/museum/ev-tenji.html
にてご確認ください。

なお、今回の展示及びシンポジウムは下記の博物館とも連携しているそうです。

〈 展 示 〉
 川越市立博物館「後北条氏と河越城」  平成19年9月15日〜10月22日
 行田市立博物館「忍城主成田氏」    平成19年10月13日〜11月25日
 寄居町鉢形城歴史館「印判状と後北条氏」 平成19年10月13日〜11月25日
 埼玉県立嵐山史跡の博物館「後北条氏の城」 平成19年12月1日〜平成20年2月24日
〈 シンポジウム 〉
 埼玉県立嵐山史跡の博物館「後北条氏の城−合戦と支配−」 平成20年1月26・27日
 江戸東京博物館「大田道灌と城館の戦国時代」 平成20年3月8日

幸せすぎてこわい(笑)。

235釈由美子が好き:2007/09/05(水) 23:49:20
走る城。
>井上さん
>戦国を駆け抜けた葛西城
 ハウル?


>小太郎さん
>もう発表してもよいのでは。
 もうちょっと引っ張りませう。不気味で良いざんしょ?
 「大山鳴動して・・・」とならぬよーにせにゃ、なりませんが。

236鈴木小太郎:2007/09/06(木) 22:02:45
抜けた城。
ラピュタ?

>筆綾丸さん
>山之口洋
作品の幅が広い方ですね。
『天平冥所図会』は品切れ中らしいので、先にノモンハン航空戦を扱ったという『瑠璃の翼』を読もうと思います。
主人公の「稲妻部隊」隊長・野口雄二郎は実在の人物で、著者の祖父とか。
http://yamanoguchi.cocolog-nifty.com/blog/cat7614635/index.html

>井上さん
写真見ましたが、これひとつで猫の肉球と断定していいのかなと若干不安になりました。

>釈さん
了解ざんす。

237水戸御史太夫:2007/09/08(土) 00:12:49
逢善道人宝篋印塔
鈴木小太郎様

逢善寺にある逢善道人の宝篋印塔ですが、以前調査したことがあります。その結果、基礎に「文禄癸巳」「定珎□□(敬白カ)」と刻まれており、銘文からすれば1593年に逢善寺の住持・定珎によって建てられたことになります。古式にも見えますが、相輪もだいぶ太くなり、時期相応の様式といえるでしょう。この定珎さん、織豊期の関東天台の僧のなかでも有名であり、信長の焼き討ちにあった延暦寺の復興支援も頼まれたそうです。

これと少々関連しますが、ただいま、私担当で「千妙寺―天台の歴史と美術―」を開催しております。茨城県筑西市黒子の名刹に伝わった護法童子や毘沙門天の仏画、青蓮寺門跡の法親王からの、そして足利晴氏巻数返書、宇都宮国綱書状、北条高広禁制、秀吉・家康の朱印状なども公開しております。

http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/02_tenji/thema/sennmyouji.htm

238鈴木小太郎:2007/09/08(土) 18:11:57
石山寺・亀谷禅尼供養塔
>水戸御史太夫さん
>相輪もだいぶ太くなり
隅飾は古風だなと思ったのですが、相輪も判別のポイントなんですね。
ご教示、ありがとうございます。


宝篋印塔で検索していたら、石山寺の「亀谷禅尼供養塔」というのがちょっと気になりました。
伝承では「亀谷禅尼」は中原親能の妻で「頼朝乳母」とされているそうですが、建立時期からすれば、中原師員の後妻で、叡尊との関係が深い「亀谷禅尼」を考えるべきなんでしょうね。
などとエラソーに書いてしまいましたが、kariさんの論文「亀谷禅尼の軌跡」の単なる受け売りです。

http://www5.city.otsu.shiga.jp/kankyou/public/view.asp?piid=02030200030061&view=1
http://www2.pf-x.net/~sanraku/ohmi11/images/0011.htm
http://www5e.biglobe.ne.jp/~truffe/hokyo-into.htm

239筆綾丸:2007/09/08(土) 20:15:43
モンゴルの桜
小太郎さん
『瑠璃の翼』、さきほど、読了しました。
野口雄二郎は収容所で亡くなり、一昨年、遺骨が帰ってきたそうです。
ノモンハンという名がラマ僧の階級を意味する言葉とは、はじめて知りました。また、
飛行機にはじめて機関銃を装着したのは、全仏オープンのテニス・コートに名を残す
ローラン・ギャロスというパイロットだった、とは驚きました。
稲妻戦隊の主力戦闘機97式は中島飛行機製で、あの時代、翼面積荷重がずば抜けて軽く、
空中で六方が踏めたそうです。勧進帳の弁慶のようですが、戦闘機について、こういう表現
ははじめて知りました。
稲妻戦隊の撃墜のエースは、敵機撃墜後、近くに着陸し、草原に咲く白い花で敵兵の屍を覆
い尽くした、という描写がありました。
「うん。なんだか寒そうな飛行服に木靴を履いててね。墜落のはずみで青い両眼が飛び出
しちまってねーあんなところで醜い屍をさらして、敵味方の空中戦を毎日見あげているのは
さぞつらかろうと思って花をかぶせてやった・・・それだけだよ」
白い花は草原の地名からホロンバイル桜と呼ばれ・・・この詩人肌で音楽通の撃墜王が戦死
したのは、東郷駐ソ大使とモロトフとの間で停戦交渉が妥結した日だったそうです。

引用サイトの主人「ほあぐら」さんは、石造建造物に造詣の深い人なんですね。西欧の
ロマネスク様式と鎌倉期の宝篋印塔と・・・興味深い美意識です。

240釈由美子が好き:2007/09/09(日) 07:28:34
アップ情報♪
 史料を増補して、ネタ2つアップしました。

 ネタは、前に掲示板で作ったヤツですが、自信作ですんで、笑ってくだせ♪

241はぎつきみたえ:2007/09/09(日) 17:50:43
後半は尾篭なお話。
 所用で午前中に江ノ島へ向かいました。
 江ノ電鎌倉駅に着きましたら、建長寺のお坊さん5人発見。
 ちょっと太ったお坊さんが、前にいたすらっと背の高いお坊さんに、90度のおじぎをして何か言っていました。
 何だろ、と思ったら、太ったお坊さんがトイレにダッシュ。
 戻ってきたら、先ほどのお坊さんにまた90度お辞儀をして、「東司、ありがとうございましたっ!」
 おお〜、禅宗のお坊さんって体育会系(笑)。

 せっかく同じ江ノ電に載るので、尾行を気取ってみることにしました。
 いったいどこに行くのだろう。
 隣の車両に乗って、連結の窓越しにお坊さんを見張ります。
 修行中だから座らないのかな、と思ったのですが、全員席に座っておいででした。がらがらでしたしね。

 鎌倉を出発〜。
 長谷。極楽寺。稲村ガ崎…と通り過ぎて、七里ヶ浜駅でお坊さん全員下車。
 私はそのまま見送ったのですが、いったいどこへ行ったのか。
 七里ガ浜なんて禅宗のお寺あったっけ?
 檀家に行くにもまだ時間は早いし、それで5人もというのもよくわからない。
 山を越えて北鎌倉まで歩いて帰る修行かな〜。あの山の向こうは北鎌倉なのか???

 実は以前も建長寺のお坊さんが七里ガ浜で江ノ電を降りるのを見たことがあるのです。そのときはお一人だったんですけど。
 なんぞ建長寺と七里ガ浜には関係がある?
 謎です。

 で、この先、東司にちなんでトイレのお話を書くので、お食事中の方はご遠慮くださいませ。

 源義朝が討たれた野間大坊でトイレの神様『烏枢沙摩明王』の札をもらったことがあって、トイレに貼っておくと穢れを出してくれると言われました。
 で、貼っておいたら、次の日から家族全員下痢になりまして、うちの家族はなんか相当穢れていたようです(笑)。
 便秘の方、試してみてはいかがでせうか(笑)。

 こんなHPも見つけました。

 http://www.y-morimoto.com/haisetsu/tousu.html

242NAO4@吟遊詩人:2007/09/09(日) 23:20:26
東博グッズ
>はぎつきみたえ様
七里ヶ浜で降りた禅宗のお坊さん、どこに行かれたのか興味ありますね。

私は、土曜日に「京都五山禅の文化展」に行ってまいりました。空いているだろうと、高を括って行ったのですが、さすが最終日の前日だけあって、ほどほど人が入っておりました。もちろん、行列は作っておりませんでしたが。

ところで、ミュージアムショップで↓の扇子を見かけて購入いたしました。1575円でした。書かれているのは「般若心経」です。法眼殿お持ちの、梵字の書かれた扇子に匹敵するものを探していたのですが、適わないまでも、面白いから良いかと思い購入しました。ただ、紙なので、2日で痛み始めました。他に鳥獣戯画の扇子があったのですが、こちらはしっかりしていましたね。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003651.jpg

243井上渉子:2007/09/10(月) 07:35:14
金沢文庫企画展「陰陽道×密教」
重陽の日、金沢文庫で標記の企画展を見学してきました。

展示室に入るとすぐ式盤と呼ばれる密教の道具を模式的に再現したものがあってこれが紙製なんですが、ダキニ天を始めとして全面に描かれたイラストが楽しかったです。
毎回子供(あるいは大きなおともだち)向けに作られているリーフレットの裏にも展開図が描かれていますのでペーパークラフトを作って遊べるという芸の細かさ。
もしかすると今回最大の目玉はこれかもしれません。

潅頂や修法のやり方を書き残した文書など、読める人には垂涎ものなのでしょうが、
普通の古文書と比べて「いつ、誰が、どこで、なんのために書いた」ということがわからないのでちょっととっつきにくい部分があるかな…という気がしないことも。

そのかわり上記のように式盤モデルを作ってみたり、説明書き「同じ図案でも人によって巧拙がある」(下手な人もいるってことです)と突っ込んでみたりと遊び心に溢れた楽しい展示でした。

私がこの日に文庫に行った主な目的は講談社新書メチエの『陰陽道−呪術と鬼神の世界』を書かれた鈴木一馨氏の講座を聞くこと。
上掲書を読んだときにも感じたことですが、陰陽道というものに対して持っていた先入観が次々に覆されるエキサイティングなお話でした。そちらの感想はそのうち自分のブログにでも書こうと思います。

次回の特別展「鎌倉北条氏の興亡」がこの板的には目玉なのでそちらに目がゆきがちですが今回の展示も楽しかったです。お勧めです。

http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiannai.htm

244亜季多幸孝:2007/09/10(月) 19:31:27
石造物関連2件
シンポジウム「『石造物が語る中世職能集団』を読む」のご案内

主催 石造物研究会・歴史考古学研究会・NPO法人摂河泉地域文化研究所

開催の趣旨
 これまでの石工研究は、川勝政太郎氏などにリードされ伊派をはじめ大蔵派などの工人集団の石造物報告を中心に系譜について論じられてきました。
 さて、昨年発表された山川均氏著『石造物が語る中世職能集団』(日本史リブレット29 山川出版社 800円)によって、これまでにない石工研究の新しい方向が示されました。伊派と大蔵派の関係をはじめ中世においては希有な職能集団として歴史の中に位置付けようと試みられました。
 そこで、山川氏の論を基にこれまでの石工研究について考え、さらなる石工研究の展開について考えて行きたいと思います。参加にあたっては、標題の著書を熟読のうえ積極的に発言していただくことを望みます。
 なお、本シンポジウムは石造物研究会・歴史考古学研究会・NPO法人摂河泉地域文化研究所の共催で、第8回石造物研究会を兼ねています。

日時・場所
 日 時:2007年9月29目(土) 午前10時より 午後4時30分まで (9時30分より受け開始)
 場 所:大阪大谷大学 17−101教室
    (近鉄長野線 滝谷不動駅下車徒歩10分。駐車場はありませんのでご注意ください)

基調講演
 「中世前期の石工と石造物」  山川 均氏 大和郡山市教育委員会

報 告
 1.「中世石工と番匠」  西山昌孝氏 大阪大谷大学大学院生・NPO法人摂河泉地域文化研究所
 2.「中世石工の研究批判」  田村信成氏 歴史考古学研究会
 3.「大和の宝篋印塔と石工」  古川久雄氏 摂陽文化財調査研究所・石造物研究会

シンポジウム
 パネラーとして、報告者のほかに関西の主要な研究者を予定。藤澤典彦氏(大阪大谷大学)、三木治子氏(歴史考古学研究会)、小林義孝氏(大阪府文化財センター)ほか。

その他
 資料代の実費として500円程度徴収。
 ※シンポ終了後、滝谷不動駅周辺で懇親会を予定。

参加申込み
 参加希望の方は、次まで電話かメールの連絡をお願いします。
  西山昌孝あて  (電話)06-6652-5781  (Eメール) m7307003@osaka-ohtani.ac.jp
  〒545-0052 大阪市阿倍野区阿倍野筋4−18−12−1103

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日本史リブレット/ 31.『板碑と石塔の祈り』

著者 千々和 到
価格 \840(本体\800)
刊行 2007.8.31
仕様 A5変型・112

解説 中世の日本では、多くの石塔・板碑が作られた。これらは、なぜ、どのような祈りを込めて作られたのか、そして今まで、どのように残ってきたのだろうか。石に刻まれた銘文を読み解き、造形を詳細に調べながら、そこに込められた中世人の祈りの世界を探る。

もくじ
石の文化
1.石というもの
2.板碑と石塔を考える
3.板碑の履歴書
4.石塔のある風景
5.石造物の保存の利用へ

メッセージ・あとがき
著者紹介 石は、どこにでもあるものです。
だから、ときには「石っころ」とさげすまれることもあるけれど、古来、人びとは、石に心からの願いを刻みつけました。
その硬く、重たい性質が、願いを永久に残してくれると信じたからなのでしょう。
私は、そのような石に刻み込まれた人びとの願いに、耳を傾けてみたいと思います。

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山川氏の『石造物が語る中世職能集団』と千々和氏の『板碑と石塔の祈り』を「読み比べると、非常に面白いと思います。

245はぎつきみたえ:2007/09/10(月) 19:51:37
お坊さんウォッチング
>NAO4@吟遊詩人さま

 いつもしょうもない私のカキコにレスありがとうございます。
 予定がなければ七里ヶ浜駅を降りてそのままついていくんですが、用事があるので鎌倉いったり江ノ電乗ったりするわけで、当分謎のままでしょう。

 個人的な感想ですが、建長寺のお坊さんは若い方が多く、こうして鎌倉へ行きますと、比較的よく町中でお見かけします。円覚寺のお坊さんは逆にベテランさんが多いように見受けられ、外ではあまり見かけませんし、なんか年齢の重みがありまする。

 それはさておき。
「クイズ ココはどこ」。NAO4@吟遊詩人さまがいらっしゃらないので現在たいへん苦戦しておりますわ!

>釈由美子が好きさま

 新ネタ、拝見いたしました。これが入りましたか(笑)。これほど食欲がうせる料理も珍しいですよね。

 でも、個人的には「黒雪賦―梶原景時のテーマ−」が大好きなんです!!
 いつでも、何回読んでも、涙せずにはいられません!

246猫ひぢり:2007/09/11(火) 18:35:14
石シンポ
基調講演では、新ネタを2本立てでやるらしい…噂ですが(笑)まあ、せっかくのシンポですから、単なる書評会にはならないだろうと思います。

>『板碑と石塔の祈り』
いや、待ちに待った(笑)甲斐がありました。この本こそ今後の石造物研究の指針です。

247井上渉子:2007/09/12(水) 07:10:56
石の来歴
>日本史リブレット/ 31.『板碑と石塔の祈り』
紹介されているメッセージがいいですね。
遅ればせながら書店に走ります。

>石シンポ
仕事がなければ馳せ参じたいところです。

248筆綾丸:2007/09/13(木) 19:53:52
号外を手にした憂国少年?
仙台行の新幹線に Train Vert 9月号があって、工藤雅樹氏の監修で、「東北の名族、
安倍氏・清原氏を旅する」という特集が組まれていました。
まず、東北地方の南北を反転した3D地図があり、出土した太占用の肩胛骨みたいだな、
と読んでゆくと、奥羽本線に後三年という駅があって、恥ずかしながら、初めて知り
ました。このJRの駅を少し時間遡及すると、後三条の宣旨枡があり、東北では、閉伊
から衣曾別嶋にかけて、大きな戦争(延久合戦)があったのですね。
帰宅後、テレビをみると、号外を手にした8歳前後の小学生が、
「安倍さんが辞任して、政治がよくなるなら、安倍さんがやめるのはよいことだと思い
ます、うん」
などと、インタビューに冷静沈着に答えてました。コドモに聞いてどうすんだ、とは思
いましたが、十歳未満の人間の高度な言語能力にあらためて驚きました(至極当然の能力
ではあるのですが)。五十過ぎの爺さん婆さんに聞いても、三十代のバリバリのサラリ
ーマンに聞いても、答えはたぶん、あまり変わるまい。これをジャック・デリダ風に言
えば・・・いやいや、やめておこう(笑)。

薬学の専門家である鳥越泰義氏の『正倉院薬物の世界』(平凡社新書2005年10月)を
みますと、宮内庁正倉院事務所の杉本一樹氏の論文「献物帳の書に関する一考察」
(1999年『正倉院紀要』)が引用され、「国家珍宝帳」と「種々薬帳」の書風の相違
が論じられていますが、山之口洋氏は、これらの論文を読み込んだうえで、あの小説
を書かれたのだな、と思いました。

249釈由美子が好き:2007/09/14(金) 07:19:09
1行レス
>筆綾丸さん
 盛岡市に「前九年町」というのもありますが、町村合併後のことはわかりませぬ。

 と言って、去る。

250筆綾丸:2007/09/14(金) 20:13:53
六朝の残映
釈由美子が好きさん
どこが軍事貴族なものか、ふん、破落戸野郎の源氏忘るべからず・・・リメンバー・パール
ハーバーという訳ですね(笑)。


杉本一樹氏「日本古代文書の研究」(吉川弘文館 2001年)の「第六章 献物帳の書」を
みますと(185頁〜)。
国家珍宝帳の書が歐陽詢の書に似ているとするのが通説であるが、王羲之七世孫の智永
の真草千字文に類似する、と著者は言う。
種々薬帳は国家珍宝帳に比べると、やや古風な南朝風と云われるが、なぜ北朝風ではな
いのか。薬物の知に多大の貢献をした鑑真の故地は揚州であるから、南朝貴族階級の
正統を受け継ぐ書が撰ばれ、南朝風になったのだろう、と著者は言う。
類似性は畢竟主観的で所詮実証になじまぬ、という著者の留保条件はつきますが、書風の
比較考察を興味深く思いました。
口絵として、国家珍宝帳、種々薬帳、法隆寺献物帳、屏風花氈等帳の巻末の写真が掲載され
ています。全部に、従五位上行紫微少忠葛木連戸主の署名があり、書体は初唐の楷書では
なく南朝風で、戸主さんの文化教養の基盤は六朝様式だな、と思いました。

追塩千尋氏「中世南都の僧侶と寺院」(吉川弘文館 2006年)の「第三章 平安・鎌倉期
広隆寺の諸相」をみますと(217頁〜)。
 太秦の薬師がもとへ行く麿を しきりとどむる木嶋の神  梁塵秘抄
この歌の薬師は広隆寺の薬師如来であろうが、裏の意味は、広隆寺周辺の遊女が目的だ
ろう、と著者は言う。
承久元年(1219)8月11日の仁和寺御日次記の、後鳥羽上皇女房伊賀局(亀菊)が権大納言
公経造進の広隆寺の新邸に移る、という記述をみて、亀菊はなんでまた転居したのかな、
と思いました。公経の経済力をもってすれば、妾宅のひとつやふたつ、赤子の手をひねる
ようなものだろうけれど。
院の寵愛が衰えて、さめざめと空閨に突っ伏していた、のではよもやあるまい。承久の変
とは何の関係もないはずですが、この記述が妙に気になりました。

251鈴木小太郎:2007/09/15(土) 01:36:40
『瑠璃の翼』
>筆綾丸さん
少しずつ読んでいて、先ほどやっと読了したのですが、驚きました。
大変な才能の作家ですね。
あとがきの冒頭に、
------------
いま、この文を書いている書斎の、机に向かった私の背中を見おろすところに、祖父野口雄二郎の遺骨が安置されている。ロシア連邦イワノヴォ州の墓地から日本政府の遺骨収集団が掘り起こし、昨年わが家に帰ってきたものである。没後四十七年、最後に満洲国を発ったときから数えると、じつに六十年ぶりに祖国の土を踏んだことになる。
------------
とありますが、孫としては確かに「いつかは書かねばならない作品」ですね。
今日はもう遅いので、8歳前後の小学生の感想文程度にて失礼します。

http://www.bunshun.co.jp/jicho/samurai/samurai.htm

252筆綾丸:2007/09/15(土) 21:13:18
蘭花
小太郎さん
工学部はふとしたはずみで入ったのではないか、というくらいの才能を、私も
感じました。
『天平冥所図会』とは文体がまるで違い、いろんな文体を書き分けられるよう
です。とにかく多才な方ですね。
満州国皇帝の象徴の花を借用した蘭花特別攻撃隊と満映理事長の甘粕との関係は
初めて知りましたが、甘粕という人はつくづく不気味な人ですね。

253鈴木小太郎:2007/09/16(日) 09:40:44
島田大尉のマンドリン
>筆綾丸さん
ちょっと調べたいことがあって、John Dowerの『Embracing Defeat』を先に読み始めていたのですが、しみったれた文章にいいかげんうんざりしていたところ、『瑠璃の翼』のきびきびした文体がちょうど良い口直しになりました。
リンク先の「自著を語る」で山之口洋氏が言われているように、戦争を知らない世代の人間が戦争を描けるはずがない、と決め付ける人たちの大半は、実際には単なる被害者として戦争の最終局面を経験しているだけであって、戦争の全体像を知りたいと思ったら、むしろその前の世代の話の方が参考になりそうですね。
ノモンハン事件についての私の乏しい知識は殆ど地上戦に限られており、当時、新聞を賑わせていたのはノモンハン空戦の「空の英雄」物語だったことも知りませんでした。朝日新聞従軍記者・入江徳郎氏の『ホロンバイルの荒鷲』も読んでみようかなと思います。

>ローラン・ギャロス
プロペラ機において機関銃をどのように発射するかという難問を最初に解決した人ですね。
もっとも、「木製のプロペラの背面に金属板を張り、プロペラブレードに当たった弾ははじき飛ばす」「当然、何度か出撃するとプロペラはぼろぼろに痛むが、そのたびに交換」するという、あまりに乱暴で面白すぎる方法ですが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AD%E3%82%B9

>詩人肌で音楽通の撃墜王
マンドリン好きの島田大尉ですね。
作者はさまざまな人物像を実に鮮やかに描き出してますね。

>井上さん
>『板碑と石塔の祈り』
購入しました。
表紙の「真仏報恩板碑」を始めとして、掲載されている写真を見るだけでも楽しいです。

254相国入道:2007/09/16(日) 11:39:48
勝手に宣伝
皆さんこんにちは。本日は下記の講演会のご案内が参りましたのでお知らせいたします。

    中世館林の謎に迫る!!
    〜佐貫荘と戦国の館林〜
日時 10月13日(土)午後1時半から3時半まで
演題 「中世館林城 〜その四度にわたる落城の歴史〜」
講師 峰岸純夫氏

日時 10月20日(土)午後1時半から3時半まで
演題 「謙信・氏康の大利根戦国絵巻 〜戦国武将は利根川をどう越えたか〜」
講師 簗瀬大輔氏

会場 両方とも、館林市文化会館 2階小ホール(館林市城町3−1 電話0276‐71-4111
定員 各150名
連絡先 館林市教育委員会文化振興課に電話・FAXで申し込んで下さい。
電話  0276−74−4111
FAX 0276−74−4113

第40回日本古文書学会大会のお知らせ

開催日 10月13日・14日(土・日)
場所  日本女子大学目白キャンパス 新泉山館一階大会議室
10月13日 午後1時より
 シンポジュウム「文化財と古文書学−筆跡論−」
  基調報告 「筆跡論への視角」      湯山賢一氏
  報告1  「大江広元とその筆跡」    林 譲 氏
  報告2  「文化財調査における筆跡」  池田寿 氏
  報告3  「太田牛一真筆論」      杉崎友美氏
  報告4  「書札聖教の筆跡」      永村 真氏
パネルディスカッション
 (司会湯山賢一氏 パネラー林譲・池田寿・杉崎友美・永村真の各氏)
総括

10月14日(日)研究発表
(午前の部)午前9時半より
1 永観文庫所蔵「東寺長者補任」についてー寺院文書の集積と供僧ー
  宮崎 肇氏
2 牒と書札様文書ー古代文書と中世文書をつなぐものー
  佐藤雄基氏
3 『平戸記』所載「高麗国金州防禦使牒」について
  近藤 剛氏
4 『久我家文書』の伝来過程に関する一考察
  野村朋弘氏
5 鎌倉・建武期の牒に見る「衙」−雑訴決断所牒を中心にー
  喜多泰史氏
(午後の部)午後1時より
6 室町時代の藤氏長者宣
  高山京子氏
7 初期室町幕府に「将軍」・「鎌倉殿」の成立過程
  −将軍・鎌倉殿の分離と直義・義詮の執政−
  桃崎有一郎氏
8 「大内氏御家人制」の再検討−袖判下文の考察を中心に−
  萩原大輔氏
9 古河公方の評定・引付衆補任過程をめぐって
  −足利晴氏の事例を中心にー
  和氣俊行氏
10 戦国大名武田氏の「精」朱印について
  西脇 康氏
11 戦国・織豊期における両属事例ー柳沢氏を中心にー
  十河靖晃氏
12 町奉行与力伝来史料と南北会
  滝口正哉氏

なお会員以外の方は参加費500円をいただくそうです。
皆さん奮ってご参加ください。以上お知らせいたします。

255鈴木小太郎:2007/09/16(日) 12:25:27
中前勉荒行班主催「『吾妻鏡』荒行本番2007」
本日午後4時から明日午前10時まで、都内某所にて、荒行大先達細川重男大行者の指導の下、中前勉荒行班による「『吾妻鏡』荒行本番2007」が敢行されます。
18時間連続で、入れ替わり立ち替わり『吾妻鏡』に関する報告と質疑を行うという、まさに前代未聞の大行事であります。
という訳で、本掲示板の投稿者のうち、かなりの人数が荒行に参加し、明日にはヘトヘト・ヘロヘロ状態となる予定ですので、レス等、遅れるものと思われますが、何とぞご容赦ください。
なお、不肖わたくしも参加いたしますが、発表者ではなく単なるオブザーバーなので、行者の方々の修行をよそに8時間熟睡しようと思っております。


>相国入道さん
いつもありがとうございます。

>その四度にわたる落城の歴史
はっきり言って、ちょっと情けない歴史ですね。

256筆綾丸:2007/09/17(月) 08:55:06
味噌に抱かれて 
小太郎さん
荒行、ほんとにはじまったのですね。
embrace は悩ましい単語です。仏語ですと、bras(腕)を動詞化した embrasser、
伊語ですと、braccio(腕)を動詞化した abbracciare と一系の言葉ですね。
親しい人への手紙の末尾に、Ti abbraccio などと使うようですが、抱き締めて抱き
締めて絞め殺してやりたいくらいの愛情、といったニュアンスでしょうか(笑)。
北緯30度43分17秒、東経128度04分00秒、1945年4月7日14時23分、羅針儀に体を縛り
つけて「大和」と運命を共にした有賀艦長のことを、なんとなく思い浮かべました。

NAO4@吟遊詩人さま
火坂雅志氏『天地人』(NHK出版 2006年)の上巻を、昨日、読みました。
2009年の大河ドラマの原作に決定という帯に釣られたのですが、なかなか面白いです。
カバーは、以前話題になった『川中島合戦図屏風』(和歌山県立博物館所蔵)です。
『風林火山』で人気沸騰中のガクトが、ナルシスチックに embrace している謙信愛用の
琵琶の名は、朝嵐、というのですね。どこかの相撲部屋の関取の名のようですが。

Iさん
『天地人』に、越後上田庄(南魚沼市)の古刹雲洞庵に関連して、関興庵の味噌の
話が出てきます。謙信没後の内紛で焼失したとき、味噌のお蔭でお経だけは助かったそう
ですが、花の寺の爺さん婆さんと、思想的な関係があるような、ないような・・・。
地獄の猛火の責苦からのがれられる、というような。
http://www2.ocn.ne.jp/~kankouji/miso.htm

257NAO4@吟遊詩人:2007/09/18(火) 02:15:43
お呼びになりました?
>筆綾丸さま
ちょっとネタが無くて出て来れなかったのですが、呼んでくださりありがとうございます。
「天地人」ですか。とてもそこまで手が回っておりません。
ところで、↓の写真ですが、前回の史料講読講座の後の飲み会で皆様にご披露した本です。
ジュンク堂に1冊だけあるのをネットで見つけて購入いたしました。ちょっと日焼けしていて、ジュンク堂の方から、それでも良いか問い合わせがあったのですが、購入してしまったものです。(値引きなし。)結構面白かったですよ。小山三兄弟が身近になりました。

アマゾンとかで見て見ると、定価1500円に対して、2800円位の高値がついていますね。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003667M.jpg

258亜季多幸孝:2007/09/18(火) 13:51:13
<親鸞>宝塔の遺骨は本物か「納めた」との墨書発見
<親鸞>宝塔の遺骨は本物か「納めた」との墨書発見
 京都  9月18日3時5分配信 毎日新聞

 浄土真宗本願寺派寺院、常楽台(今小路覚真住職、京都市下京区)が所蔵する肖像画「親鸞聖人影像(花の御影=ごえい)」の修理で、「親鸞の遺骨を宝塔に納めた」と記した墨書が見つかった。調査した真宗史研究の第一人者、千葉乗隆・元龍谷大学学長(本願寺史料研究所所長)によると、寺に伝わる金銅製宝塔(高さ34.5センチ)の骨片が、今年没後745年になる真宗の開祖親鸞の遺骨であることを裏付けるという。伝統仏教界の最大勢力、本願寺の僧侶、門信徒の信仰のよりどころとなる信ぴょう性の高い遺骨であることが新たに明らかになった。

 常楽台は本願寺第三世の覚如(かくにょ)の長男で、親鸞の玄孫(げんそん、曽孫の子)、存覚(ぞんかく)(1290〜1373)が開いた。「花の御影」は縦134.5センチ、横79センチ。存覚が南北朝時代の1354年、夢で感得した親鸞の姿を画工、浄耀(じょうよう)に描かせたと伝えられる。

 修理のため掛け軸の表具を外したところ、軸(長さ104.3センチ、直径3.6センチ)から墨書が見つかり、軸の中央部が3.8センチ×2.3センチの長方形にくりぬかれ、ふたをするよう細工されていた。

 墨書は江戸時代に書かれ、▽寛文7(1667)年6月下旬、高祖等身(親鸞)夢想の御真影を修復し、親鸞の遺骨を銀の筒に籠(こ)めた▽宝永3(1706)年6月17日、遺骨を取り出し、宝塔に納めた――などと記されていた。「寂恵(じゃくえ)謹書」とあり、常楽台の第十三世住職寂恵が舎利容器でもあった軸から遺骨を出し、宝塔に納めたことがわかった。
 宝塔は内部が3層になっており、下の2層に「親鸞の遺骨」と伝える骨片があるが、外部には知られていなかった。

 存覚は覚如に義絶(勘当)されたが、一時は後継者の座にあり、遺骨を入手しやすい立場にあったことや、軸を細工して目につかないように納め、ひそかに伝えていたことなどから、千葉元学長は信ぴょう性が高いと判断した。「御影には存覚が夢で見た浄土にいる親鸞を描き、軸に納めた遺骨は人間親鸞を表す。遺骨と御影を一体として拝んだと考えられる」と話す。

 親鸞は1262年、数え90歳で京都で亡くなり、火葬された。門弟らによる分骨とされる遺骨が三重県、栃木県、新潟県などの真宗寺院に伝わり、真宗大谷派(東本願寺)にも墓所「大谷祖廟」(京都市東山区)がある

 ◇遺骨・舎利塔(宝塔)・墨書の3点セット
 筆跡研究などの進展で今では親鸞の実在を疑う研究者はいない。だが、親鸞に直結する史料は乏しく、明治期には歴史学界の権威が「親鸞は架空の存在」と唱えたほど。1921(大正10)年に西本願寺の宝庫から親鸞の妻恵信尼(えしんに)から末娘覚信尼にあてた消息(手紙)が発見され、存在・非存在論争に終止符が打たれたが、遺骨・舎利塔(宝塔)・墨書が3点セットとなって世に出た今回の発見は、それ以来の衝撃を与えそうだ。

 重要なことは仏教者にとって遺骨は単なる史料ではなく信仰の対象という点だ。鎌倉時代の親鸞の遺骨が残ったのは、多くの門弟に慕われた高徳の宗教家であったことに加えて、没後も真宗教団の祖師として崇敬されているためだ。

 親鸞は「それがし閉眼せば賀茂川に入れて魚にあたふべし」と語ったが、覚信尼らは京都・東山の鳥辺野で火葬し、大谷に納骨した。東国の門弟らにも分骨されたとされ、今日まで伝わる遺骨もある。

 没後10年、覚信尼と東国の門弟は遺骨を東山吉水の北辺に改葬して廟堂(びょうどう)を営み、親鸞の影像を安置。覚信尼が留守職(るすしき)と呼ばれる廟堂の管理者となった。親鸞の曽孫覚如は親鸞から孫の如信、覚如へと続く血脈によって法脈が受け継がれたと主張し、廟堂を寺院化して本願寺とした。

 覚如の長男存覚は父を補佐して門弟の教化にあたり、いったん留守職を受け継いだが、後に2度にわたって義絶(勘当)された。学徳を兼備し、東国の門弟の信頼があつかった存覚に対する覚如の警戒心が義絶につながったというのが通説。存覚はさほど留守職に執着しなかったといわれてきたが、実は父に反発し本願寺の正統な継承者であることの証しともなる遺骨を隠し持って再起を期したという見方も成り立つ。新史料発見を機に本願寺教団の形成の過程、ひいては本願寺教団とは何かをめぐって激しい論争が起こりそうだ。

【田原由紀雄】

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070918-00000007-mai-soci

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小太郎さんが紹介されていたように、千々和到氏『板碑と石塔の祈り』の表紙には、真宗信者が建立した埼玉県蓮田市馬込の真仏報恩板碑の写真が掲載されていますが、これに関する論文、千々和氏「東国における仏教の中世的見解−板碑研究の序説として−」(『史学雑誌』82-2・3号)、峰岸純夫氏「鎌倉時代東国の真宗門徒−真仏報恩板碑を中心に−」(同氏『中世東国の荘園公領と宗教』)、菅原多喜夫氏「『教行信証』開板前夜の親鸞教団」(『寺院史研究』11号)などによって、初期の真宗の資金が潤沢であったことが知られています。
今回のニュースの、存覚が留守職に執着していた、という話が事実であれば、或いは初期真宗の資金力や権力がどんなに魅力的であったか、ということの証なのかも知れませんね。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003668M.jpg

http://www.osaka-ohtani.ac.jp/lecture/kouza_li.html

259亜季多幸孝:2007/09/18(火) 18:52:44
大阪大谷大学文化財学科公開講座「中世における日中交流と石造遺物」
大阪大谷大学文化財学科公開講座「中世における日中交流と石造遺物」

平成19年11月10日(土) 13:30〜16:30 (13:00受付開始)
 大阪大谷大学博物館11-201教室

「中国石造宝篋印塔について」   (元興寺文化財研究所) 佐藤 亜聖氏
「日本における中国石造物の受容過程」  (大版府立弥生文化博物館)  岡本 智子氏
「日本に渡来した宋人石工」  (大和郡山市教育委員会) 山川 均氏
「総話」  (大阪大谷大学)藤澤 典彦

 申込方法 往復はがきに「氏名・郵便番号・住所・電話番号」をご記入の上、10月31日(水)までにお

申込ください(必着)。
 定員 150名
 申込 〒584-8540 大阪府富田林市錦織北3-11-1 大阪大谷大学文化財学科公開講座係
 問い合せ先 TFL・FAX 0721-24ー1183 (文化財学科直通) (月〜金 9:30〜16:0O)

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003669.jpg

http://www.osaka-ohtani.ac.jp/lecture/kouza_li.html

260筆綾丸:2007/09/19(水) 19:15:04
表具師
http://www.j-kyoto.ne.jp/j_kyoto/koe/17go/17-a/17a.html
「表具 宇佐美松鶴堂」さんの詳細な報告があれば、ありがたいですね。


NAO4@吟遊詩人さま
ずいぶん著作のある方なのですね。去年、宇都宮に行った時、書店の歴史コーナーで
この方の著作をみたことがあるような。

261鈴木小太郎:2007/09/22(土) 00:31:18
荒行の様子
釈さんが編集長ブログで書かれていますので、次回は参加してみようかなと思われる奇特な方は参考にしてください。
ちなみに参加7人中、完走したのは釈さんと女子大生1名の合計2人のみで、私は午前1時半に敗退し、缶ビールを飲んで布団で寝てしまいました。
午前5時に起きて会議室(和室)に偵察に行くと、2名が畳の上にうつぶせになって死んだように眠っており、釈さんたちは脱落者男子のいびきがうるさいという理由で別室に移動して修行を続行中でした。
午前11時半に終了したときには釈さんもお疲れ気味で、最後までとことん元気だったのは女子大生1名のみでしたね。
http://blog.goo.ne.jp/shaku-henshucho/

>筆綾丸さん
一部、削除されましたか。
難しかったので、じっくり調べてから、可能ならばレスしようと思っていたのですが。
今週はいきなり荒行で始まり、バタバタと雑用に追われているうちに週末になってしまいました。
『天平冥所図会』もやっと勢田大橋にたどりついたところで、周回遅れもいいところですね。

262鈴木小太郎:2007/09/22(土) 00:37:29
鎌倉遺文研究会第134回例会の御案内
例によって勝手に宣伝です。
------------------------

日時:9月27日(木)18:00〜
場所:早稲田大学文学学術院第2研究棟(39号館)6階第7会議室
報告者:林譲氏
題目:「検討の要ありとされる源頼朝文書について
     −特に相田二郎氏分類の第一筆蹟を事例として−」
[報告者の一言]
「偽文書、検討の要あり、案などの按文のある『平安遺文』『鎌倉遺文』収載の源頼朝文書のなかには、正文と理解すべきものも少なくないように思われる。頼朝文書の筆跡分類に定評のある相田二郎氏「鎌倉時代における武家古文書の筆蹟」の問題点とともに、藤原俊兼の筆跡かとされる第一筆蹟を事例として、正文と理解すべき方法を考える機会としたい。」

http://www.f.waseda.jp/ebisawa/top.html

263筆綾丸:2007/09/22(土) 12:33:40
水と石
小太郎さん
宗教となると、つい、余計なことを書いてしまい、悪い癖だと反省しております。
勢多大橋で若水が出てきますが、あの水の表現方法は卓抜ですね。

千々和至氏の『板碑と石塔の祈り』を読みまして、緑泥片岩の形態もさることながら、
とりわけ円照寺の板碑を興味深く思いました。
有名な臨刃偈が彫られていますが、蓮華に座す胎蔵界大日の梵字と七絶の文言が、あまり
調和してないような感じがしました。密教的な悉曇文字と臨済禅的な対句表現の混在が、
なんか変だ、と。
こういう遺偈を彫った板碑というのは、どのくらいあるものなのでしょうね。

附記
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=30584922
この本と重松明久『覚如』(吉川弘文館人物叢書)を読み比べますと、覚如・存覚の
父子像がまるで正反対なので、驚きました。前者によると、覚如は大変な俗物です。
後者の口絵を見ますと、遺言で善如に譲渡した別当職は二千石なのですね。多いのか
少ないのか。遺言の書は親鸞の書によく似ている、と思いました。
覚如没後2年(1353年)、円寂に画かせた影像に存覚が加えたという賛文のうち、
紫雲聾遮眼。青漢晴断魂。冷灰見遺骨。分布如琢○。
という表現が気になりました(○=王+昆)。

264高遠彩華:2007/09/23(日) 14:56:29
日本中世史研究会例会のご案内
日本中世史研究会例会のご案内をいただいたので、
勝手に宣伝させていただきますです。

♪♪♪♪♪♪♪

日本中世史研究会例会のご案内

日時  2007年9月29日(土)
  午後2時〜5時30分

於中央大学理工学部 6号館 6426教室
 地下鉄丸の内線・南北線 後楽園駅
 都営三田線・大江戸線  春日駅 ほか

※中央大学理工学部(後楽園キャンパス)へのアクセスマップ
 http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/access/access_korakuen_j.html

 島田 次郎氏
  「前近代民衆運動と竹橋事件」

【参考文献】
竹橋事件百周年記念出版編集委員会編『竹橋事件の兵士達』(徳間書店、1979年7月)
沢地久枝『火はわが胸中にあり』(文春文庫、1987年10月)
麻生三郎『飛び起つ竜』(「竹橋近衛暴動記竜の軌跡」第1部、丸善、1976年1月)
 同 『倒された竜』(同、第2部、丸善、1976年5月)
 同 『埋められた竜』(同、第3部、丸善、1976年8月)
我妻栄『日本政治裁判史録 明治前期』(第一法規、1968年11月)
陸軍裁判所『近衛砲隊暴動始末』(三条実美文書資料)

☆お問い合わせは、日本中世史研究会事務局まで。
 関 周一
(e-mail)fwhw6117@mb.infoweb.ne.jp

265御座候:2007/09/24(月) 00:27:11
2007年度・日本古文書学会大会(勝手に宣伝)
会期:2007年10月13日(土)・14日(日)
会場:日本女子大学目白キャンパス 新泉山館第一大会議室
   〒112-8681 東京都文京区目白台2-8-1
開場時間:受付開始 13日(土)午前10時
          14日(日)午前9時

○10月13日(土)
午前11時〜
・開会の辞 日本古文書学会会長 中尾堯氏
・総会
午後1時〜
・シンポジウム開会の挨拶 日本古文書学会会長 中尾堯氏
・開催校代表挨拶 日本女子大学長 後藤祥子氏
・シンポジウム「文化財と古文書学−筆跡論−」(日本女子大学文学部・同大学院文学研究科と共催)
・基調報告「筆跡論への視覚」湯山賢一氏(奈良国立博物館館長)
・報告1「大江広元とその筆跡」林譲氏(東京大学史料編纂所教授)
・報告2「文化財調査における筆跡」池田寿氏(文化庁文化財部美術学芸課主任文化財調査官)
・報告3「太田牛一の真筆論」杉崎友美氏(日本女子大学文学部助教)
・報告4「書札と聖教の筆跡」永村眞氏(日本女子大学文学部教授)
・パネルディスカッション
 (司会:湯山賢一氏 パネラー:林譲・池田寿・杉崎友美・永村眞の各氏)
・総括
・閉会の辞

・懇親会 会場…日本女子大学新泉山館三階
     時間…午後6時より
     会費…6000円(当日受付)

○10月14日(日)午前9時30分より
・研究発表(午前の部・午前9時30分より)
(1)「永観文庫所蔵「東寺長者補任」について−寺院文書の集積と供僧−」宮崎肇氏
(2)「牒と書札様文書−古代文書と中世文書をつなぐもの−」佐藤雄基氏
(3)「『平戸記』所載「高麗国金州防禦使牒」について」近藤剛氏
(4)「『久我家文書』の伝来過程に関する一考察」野村朋弘氏
(5)「鎌倉・建武期の牒に見る「衙」−雑訴決断所牒を中心に−」喜多泰史氏

・研究発表(午後の部・午後1時より)
(6)「室町時代の藤氏長者宣」高山京子氏
(7)「初期室町幕府における「将軍」・「鎌倉殿」の成立過程−将軍・鎌倉殿の分離と直義・義詮の執政−」桃崎有一郎氏
(8)「「大内氏御家人制」の再検討−袖判下文の考察を中心に−」萩原大輔氏
(9)「古河公方の評定・引付衆補任過程をめぐって−足利晴氏の事例を中心に−」和氣俊行氏
(10)「戦国大名武田氏の「精」朱印について」西脇康氏
(11)「戦国・織豊期における両属事例−柳沢氏を中心に−」十河靖晃氏
(12)「町奉行与力伝来史料と南北会」滝口正哉氏

※会場(日本女子大)までの交通
 JR山手線目白駅から 徒歩:約15分 バス:約5分
  【バス停(2)】日本女子大学行きスクールバス(学05)→「日本女子大前」下車(ただし休日運休)
  【バス停(1)(3)】新宿駅西口・椿山荘行き都バス(白61)→「日本女子大前」下車
 東京メトロ有楽町線護国寺駅(4番出口)から 徒歩:約10分



今年は日本史研究会大会と日程が完全にバッティングしております。

266はぎつきみたえ:2007/09/24(月) 19:02:46
頼朝再興の軌跡をたどろうツアー
 『頼朝再興の軌跡をたどろうツアー』と称して、一人で房総半島に行ってきました。
 船で海を渡って房総半島に上陸し、東京湾をぐるっと(電車で)まわって鎌倉に入ろうという計画です。
 真鶴から船は出ていないので、東京湾フェリーで代行。
 その後、上陸地説がある安房勝山の竜島と洲崎、両方いきました。
 房総半島には、はじめて行ったんですけど、海からすぐ山なんですね。
 しかもむくっと起き上がったような傾斜の急な山々ばかりで、がけも多くて。

 竜島は駅から10分くらいですぐでした。
 その後館山市に出て洲崎へ行ったんですが、これから行こうと思っている方、ご注意あれ。
 平日は、洲崎方面には一日2本しかバスがありません!!土・日・祝には1時間に一本になります。平日は動きにくいですよ〜。
 で、洲崎の上陸地の碑は、洲崎神社じゃなくて、2本手前のバス停「矢尻の井戸」にありました。
 上陸した頼朝が、水を求めて矢を突き刺したら水が出たという井戸です。まだ底には水があります。
 その横に碑があったのですが、道路のすぐそばのせいか、砂ぼこりで白くなっていて読みづらい!ひと文字ずつ確かめながら音読してましたら、どこからか現れた近所に住んでるっぽいおっちゃんにすごい不審な目で見張られてしまいました(笑)。

 竜嶋も洲崎も、碑のまわりは夏草ぼうぼうで「ボランティアでいいから草刈りさせてくれないかな〜」と思いました。あと、洲崎の石碑はぜひ水拭きさせていただきたい…。

 その後、電車でぐるっと東京湾沿いにまわったのですが、すっごい時間かかりますね!肩こっちゃいました。海路が断然いいってことがよくわかりましたです。
 途中置石踏んだかなんかで電車が遅れて、鎌倉駅に着いたら20時。時間があれば鎌倉をふらふらするつもりだったのですが、あきらめて駅でゴールってことにして帰宅の途につきました。

 房総半島を歩きつつ、頼朝は、ここに上陸して「とりあえずここまでくれば一安心」と思ったのか、「ここまで来たのはいいけどこれから大丈夫かよ、俺」だったのか。どっちだったのかなあと、そんなことばかりつらつら思っていました。
 お天気も良く楽しかったです。

267釈由美子が好き:2007/09/24(月) 23:59:38
アップ情報♪
 「水風呂蒸発」、訂正・増補いたしますた。

 ひさびさに出て来ましたが、これにて失礼いたしやす。

268筆綾丸:2007/09/25(火) 20:01:35
竹橋の反古
竹橋と言えば、江戸期、勘定奉行所管の文庫があり、太田南畝が、

 五月雨の日もたけ橋の反古しらべ 今日もふる帳あすもふる帳

などと狂歌を詠みながら、文書を整理したところですね。
「竹橋蠧簡」と「竹橋余筆」が記す対象文書群の大半は、幕府の瓦解時、文字通り反古
として処分されたそうですけれども。

http://www.corriere.it/gallerie/2007/09_Settembre/24/sigillo.shtml
乾隆帝の御璽(白翡翠製?)、サザビーズの競売へ、とミラノの新聞にありました。
150〜200万ユーロ相当とのことですが、大皇帝のものとしては、流出経路が気になる
ものの、意外に安いのですね。

昨日、テレビでハトシェプスト女王の番組がありました。
エジプト考古学庁は、CTスキャンとCGを駆使して、一本の臼歯から、女王のミイラを
同定したのですね。以前、新聞で読んだとき、どういう方法を使ったのか、よくわかりま
せんでしたが、納得しました。

269むらじ:2007/09/26(水) 13:12:33
おひさです
どーもいろいろありまして・・・公私共に。ぐったりな気分です。−−;

>はぎつきさん
>ツアー
面白そうですね。こういうの。
現代の交通機関を使っても、大変さが十分伝わる行程だったかも?^^;
私は出不精なので、せいぜいやったのは桶狭間合戦体験ツアーくらいなものかな?

>筆綾丸さん
>同定
ミイラの報道は知っていたのですが・・・見逃しました。
同定といえば、トリノの聖骸布、またぞろ真贋論争が蒸し返しになったらしいですね。
前回の炭素検査はどうも幼稚すぎる・・・とは感じていたのですが。
たしか新刊で原寸大の折込の入った本が出ていたと思いますが、そちらのほうはご関心おありでしょうか?

270筆綾丸:2007/09/26(水) 20:40:04
saint suaire
上卿、近衛府を召す。大将、政人を召す。将監、小庭に候す。雨日、宜陽壇上に候す。
上卿云、印て。将監、唯(おお)と称す。将監少納言主鈴、印を召す。将監、敷政門
より出ず。少納言等、日華門より入り、長楽門橋西に立つ。雨日、廊中に立つ。掃部寮、
案を立つ。軒廊の中間に立つ。少納言、案に就く。主鈴、印を案上に置く。将監、南に
在り。少納言、官符を覧る。省符あらば、案を覧ぜず。上卿、見了りて返し授く。少納言、
官符を持ちて案下に帰る。主鈴、官符を取りて之に捺し畢る。少納言已下、共に印を納む。
掃部、案を撒す。少納言、日華門より退出す。

以上は、内印を捺す時の『西宮記』の記述の由(中村直勝『日本古文書学下 356頁』)。
近衛府の出席は意外です。平安期の少納言の職掌は、現行の法体系では、宮内庁侍従職
のようですが、御璽はともかく、国璽の所管は内閣府(総理府)だと思ってました。
http://www.kunaicho.go.jp/15/d15-02.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%92%BD
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%92%BD
国璽は製作時の「大日本国」のままというから、自己矛盾というか、日本国の最高法規
である憲法に抵触するような気もしますが、まあ、いいか。


むらじさん
saint suaire ですね。
ルネサンス前の pigment(染料)で描かれている、というような説を読んだことが
ありますが、聖骸布には興味があります。トリノのカテドラルは、いつか行って
みたいですね。
テレビでは、ハトシェプストの汚名が雪がれて、才媛の菊川玲さんが涙ぐんでいましたが、
彼女、クレオパトラのような顔立ちの人ですね(って、クレオパトラの顔は知りません、
沙翁の戯曲からのイメージです)。

271はぎつきみたえ:2007/09/26(水) 21:34:31
のぶながくん、はい!
>むらじさま

 お久しぶりです。お疲れみたいですね。
 季節の変わり目でもあります。お身体大切にしてください。

>桶狭間

 私、名古屋市内のほうに行ったことがあります。豊明市にも桶狭間の史跡があるんですよね。
 桶狭間の戦いも、昔の「豪雨の中の奇襲」から、ちゃんと準備して行ったんだよん、というものに変わりつつあるようですね。
 と、思いつつネットサーフィンしていたら

http://www.city.toyoake.aichi.jp/pr/cara.html

 ↑豊明市では「のぶながくん」「よしもとくん」というキャラが作られてました。

 私が先日行った千葉の鋸南町でも↓「よりともくん」がいました。町のホームページから

 http://www.town.kyonan.chiba.jp/

 鋸南町イメージキャラクターをクリックしてみてくださいませ。

 3人を比べると、よりともくんが一番かわいいと思います。よしもとくんも捨てがたいですが(笑)。

272釈由美子が好き:2007/09/29(土) 00:18:59
地下活動終了。
 復活したいのですが、すっかり浦島太郎状態でございます。
 ボチボチ出没しますので、よろしゅうに。
 んで、


>はぎつきさん
>「のぶながくん」・「よしもとくん」・「よりともくん」
 この手のマンガチック・アニメチックなキャラクターて、最近、はやりなんすかね?
 たしかに、「よりともくん」が一番かわいいですな。
 隣は政子なんでしょかね?

 そー言えば、閉鎖しちゃった「鎌倉北条氏後援会」(http://www1.plala.or.jp/kamonegi/HOUJYOU.HTML)の「たかときくん」は、あたしゃ、お気に入りだったんですよ。

 ところで、「黒雪賦−梶原景時のテーマ−」(http://jparchives.sakura.ne.jp/column/db/kagetoki_no_theme.html)、お褒めにあずかり、恐悦至極にござりまする。


>筆綾丸さん
 カメにほどがありますが、前にレス戴きました岩手県盛岡市の前九年町なんですが、調べたら、昭和40年(1965)からの町名なんだそーです。
 なんか、行政区名としては、昭和20年(1940)頃から存在したそーですが、いずれにしろ、昭和になってからの地名ですた。
 ネーミングとしては、なかなか良いセンスじゃと思います。

273筆綾丸:2007/09/30(日) 13:19:49
男道の戯れ
釈由美子が好きさん
当時の自治体の親分が、筋金入りの河内源氏嫌いだったのかもしれませんね。

氏家幹人『サムライとヤクザー「男」の来た道』(ちくま新書2007年9月)を読み、
サムライたちの情けない生態がよくわかって、面白かったです。
会津藩の正史『家正実紀』に、「男道の戯れ」という表現があるそうですが、江戸期の
武士を端的に物語っているような気がしました。
南條範夫『大名廃絶録』(文春文庫2007年7月)には、
「いかに幕府の武力が卓絶していたからとて、二百四十件に及ぶ除封削封において、ただ
の一家も、これに対して武力抗争を試みようとしたものがなかった事は、戦国の武士魂全
く消失し去ったものとみるほかない」(28頁)
などとありますが、武士道などにはあまり幻想を抱かないほうがいいようですね。

274釈由美子が好き:2007/09/30(日) 14:34:27
まぼろし。
>筆綾丸さん
 ど〜も、おひさひぶりで。

>筋金入りの河内源氏嫌いだったのかもしれませんね。
 はっはっは。
 前九年の役の時の安部氏の拠点の1つ厨川柵は、厨川町として地名が残ってるみたいですね。
 こっちは、マジに由緒正しい地名ですな。

 ところで、昨日の飲み会で聞いたのですが、キリストの墓があるので有名な青森県の戸来村は、今は村でなくて、新郷村の中の大字になってるそーです。

>氏家幹人『サムライとヤクザー「男」の来た道』(ちくま新書2007年9月)
 氏家氏は、またまたおもしろそうな本を書かれたのですねェ。読まにゃ。

>サムライたちの情けない生態
 江戸時代の武士は、ただのお役人、古代・中世の武士は、極道であります。
 ですんで、

>武士道などにはあまり幻想を抱かないほうがいいようですね。
 おっしゃると〜りなのであります。

275筆綾丸:2007/10/01(月) 21:08:14
津軽南朝秘聞
釈由美子が好きさん
http://www.kotoito.net/log/item/1852
http://www.geocities.jp/kitadewa/namioka.htm
http://www3.starcat.ne.jp/~koten/toupage/tousi52.html
http://homepage2.nifty.com/tagi/galle069.html
昨日は、長尾宇迦『津軽南朝秘聞』(新人物往来社2006年3月)という本を読みました。
津軽半島の根っ子の浪岡御所に、戦国末期まで続いた北畠顕家の末裔の話で、小説として
の面白味はイマイチでしたが、本州最北端の畑に北畠とは・・・帰思方悠哉、という感じ
でした。
帰去来兮、田園将蕪胡不帰、南朝四百八十死、いやいや、南朝なんぞ、とうの昔に滅びて
いるんですよね。

276高遠彩華:2007/10/01(月) 21:14:02
勝手に宣伝。
「史料講読講座のお知らせ」に、
次回(第5回)のお知らせを掲載しています。
そのお知らせの中で、
第1回史料講読講座の様子が(一部ですが)動画で見られるようになりました。
アドレスは↓です。

http://jparchives.sakura.ne.jp/kouza/siryohkohdokukohza.html

史料講読講座はいつもこんな感じで、
懇切丁寧に和気藹々と、マニアックな会話も出たりして開催しております(^_^)。
画像を御覧いただいて興味を持たれた方々、ぜひぜひご参加くださいませ。


>はぎつきさま
>よりともくんなど。
八王子城には「うじてるくん(北条氏照)」という、
パーマンのコピーロボットに似た感じの可愛い顔したキャラクターがいます。
うまい画像が見つからないのでお見せできないのが残念ですが。

他にも、こんなのも。
↓の右上にいる男の子は、「四郎くん(天草四郎)」だそうです。

http://www.shinkin.co.jp/amakusa/

277釈由美子が好き:2007/10/02(火) 10:59:02
南朝後胤(あくまで自称)。
>筆綾丸さん
>いやいや、南朝なんぞ、とうの昔に滅びているんですよね。
 熊沢天皇家は、たしか、まだ存続してるはずだす。
 今上か皇太子が、女帝だとか内親王だとか、噂に聞いた気がします。


>高遠さん
>動画で見られるようになりました。
 宣伝、ありがとござんす。
 それにしても、自分が動いてるの見るて、変な感じだわ。

278はぎつきみたえ:2007/10/02(火) 19:46:19
いろいろ
>釈由美子が好きさま
 レスが遅くてすみません。
 よりともくんの隣にいるのは「みかえりちゃん」で、政子ではありません。浮世絵の見かえり美人のキャラクター化。鋸南町が見返り美人を書いた菱川師宣の出身地なのだそうです。

>高遠彩華さま
 四郎くんかわいい!パラグライダーなんかして、いい余生ですよね(違)。もっと大きく見たいですが、ここ以外には画像がないのでしょうね〜。もったいない。
 天草四郎メモリアルホールなんていうのもあるんですね。名前的に教会か葬儀場かと早とちりしてしまいましたが、正体はこちら↓
 http://www.kamiamakusa-c.kumamoto-sgn.jp/kankou/memorialhall.html

 関係のないお話。
 先日ランチしてましたら、後ろの席でフランス人男女と日本人男性ひとりが話をしておりました。大きな声なんで聞くともなしに聞いていると、日本人男性は自分で事業を起こした人のようで、フランス人男女はその話に聞き入っている様子。
 日本人男性のほうはだんだん話が熱っぽくなっていって、
「…どんどんどんどん複雑になっていくんだけど、つきつめるとシンプルになるんだよ。出来あがったものはシンプルなんだけど、その奥は複雑というか」
 すると、聞いていたフランス人女性が

「日本は禅の国だからね〜」

 何でやねん!とつっこむべきなのか、いっそ座布団一枚あげるべきなのか、悩みました。

 さて。
 鎌倉国宝館でも秋の特別展示が始まるみたいですよ。

 http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/index.htm

 秋はあちこちで特別展があってほんとに忙しいですね〜。

279筆綾丸:2007/10/02(火) 21:15:54
尊熟王
釈由美子が好きさん
Friedrich Nietzsche には悪いのですが、Also sprach Zarathustra と同じような
もので、啓示を受けた人は、もうどうにもとまらないですね。アルゾ・シュプラッハ・
クマザワ・・・というような訳で。

「私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシア
ではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォル
テールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがある
ような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります」
とは、晩年のニーチェの言ですね。

http://www.7andy.jp/books/detail?isbn=4054034705
セブン・イレブンは、この商品を買った人はこちらも買っていますと、「のだめカンタ
ービレ」を宣伝してますが、のだめと熊沢天皇と、如何なる関係があるのか、奇っ怪
ですね。
同書によりますと、
後亀山天皇ー実仁親王ー尊雅王ー信雅王(熊沢家祖)ー(中略)ー尊憲王ー尊熟王
というジェネアオロジーなんですね。尊熟法皇の花押は尊の字の上半分を崩したものの
ようですが、見慣れぬ「熟」の字はちょっとエキセントリックな感じがしますね。

280高遠彩華:2007/10/02(火) 21:49:44
秋の特別展
>はぎつきさま
>天草四郎メモリアルホール
真っ先に葬儀場を連想しましたが、違いましたね。

>秋の特別展
おお、いいですね!情報ありがとうございますm(_ _)m。

この秋、私的に一番気になるのは、
神奈川県立金沢文庫の特別展「鎌倉北条氏の興亡」です。
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiyokoku.htm

もうひとつは、
横浜市歴史博物館の企画展「鶴見合戦−『太平記』にみる横浜−」。
http://www.rekihaku.city.yokohama.jp/index.html

どちらも、北条時行ファンにはたまらない展示ですよね(^_^)v。

281釈由美子が好き:2007/10/03(水) 16:41:18
新刊2冊。
>筆綾丸さん

?氏家幹人氏『サムライとヤクザ―「男」の来た道』(ちくま新書、2007年9月)
?藤巻一保氏『吾輩は天皇なり―熊沢天皇事件―』(学研新書、2007年9月)

 御紹介の ↑ 2冊、今日、買いました。
 まだ、ざっと読んだだけですが、良いですね。

 ?は、近世武士の実態を赤裸々に描きまくってくれてて痛快。
 ?は、熊沢天皇事件に関しては、基本文献になりましょう。

 いや〜〜〜、良か本をご紹介戴き、ありがとうござりますた。


>高遠さん
>神奈川県立金沢文庫の特別展「鎌倉北条氏の興亡」
 今週の土曜日に中前勉(再興中世前期勉強会)の遠足で行きますな♪
 宣伝した方が、良いのかな?

282釈由美子が好き:2007/10/03(水) 21:34:53
♪ 勝手にでもないが、宣伝 ♪
 ♪ 再興中世前期勉強会(中前勉)10月例会 ♪

  神奈川県立金沢文庫「特別展 鎌倉北条氏の興亡」展示見学会

日時:10月6日(土) 14:00〜
場所:神奈川県立金沢文庫
集合場所:金沢文庫ロビー

 http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/riyouannai.htm

[内容]
 北条氏発祥の地である中世守山遺跡群の史跡北条氏邸跡の発掘調査の成果から、北条氏最後の発給文書や伊豆国北条に帰った一族の鎮魂の遺品まで、鎌倉幕府を主導した執権北条氏の200年の歴史を展示いたします。北条氏の故郷伊豆国や武家の都鎌倉とその周辺に残る文化財から、北条氏が鎌倉幕府を主導した時代を探ります。

 http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiyokoku.htm

解説:永井晋氏(神奈川県立金沢文庫主任学芸員)


☆誰でも参加可能なので、ふるってご参加ください♪

※本展示は入館料が通常とは異なり、個人 成人500円、20歳未満・学生300円 (高校生等以下・65歳以上・障害者の方は無料)となりますので、ご注意ください。

283鈴木小太郎:2007/10/04(木) 01:15:31
ニーチェとの対話
自称ニーチェ氏:「私はドイツにいたころはニーチェでした」
筆綾丸氏:「ああ、そうですか」
自称ニーチェ氏:「その前は・・・」
筆綾丸氏:「知っているから結構です」


地下活動をしていたわけではないのですが、詰めて考えたいことがいくつかあって、掲示板への書き込みをサボっていました。
すみませぬ。
ま、鎌遺研例会や釈さんの史料講読講座に参加したほか、長瀞の川くだりや巾着田の曼珠沙華見物など、昭和レトロな休日を送ったりして、けっして陰気な生活だったわけではないのですが。
長瀞は先月の台風9号の影響で雑炊、じゃなかった増水が激しく、2週間ほど川くだりを休んでいたそうですね。
私が乗ったときも、普段なら25分くらいのコースが8分短縮だったそうで、プチスリルが味わえました。
長瀞近辺は板碑の材料である緑泥片岩が露出していて、増水でかなり崩落していましたね。
薄く剥がれるように落ちるので、昔の人はあんまり苦労しなくても、手ごろな大きさ・厚さの材料をいくらでも入手できたのかなと思いました。
http://www.chichibu-railway.co.jp/line/

巾着田(きんちゃくだ)というのは曼珠沙華の群生で有名なところですが、田んぼの畦道に咲いているのかと思ったら、川沿いの林の中で咲いているんですね。
曼珠沙華は墓地の花みたいな怖いイメージもありますが、密生していると非常に華やかで、なかなか良いものでした。
http://www.kinchakuda.com/

>筆綾丸さん
>勢多大橋
亀レス、すみませぬ。
あの独白体に、私は折口信夫の「死者の書」を連想しました。
した した した・・・・ というやつ。

>はぎつきさん
>鋸南
「きょなんマリエンバートで」という古いフランス映画がありましたね。
禅問答のように難解な。

284筆綾丸:2007/10/04(木) 21:02:30
訴訟
小太郎さん
あの映画、むかし、3回くらいみました。偶数と奇数がどうしたの、と確率論のような話を
するシーンが、印象に残っています。フランスらしい思わせぶりな作品でしたね。
江戸期の板碑研究の名残りから、秩父の青石というようですが、緑泥片岩の故地である長瀞
周辺を、関東では、秩父とは言わないですよね。高校で地学部に在籍した人の話では、緑泥
片岩は結晶構造上、綺麗に剥離しやすい、とのことでしたので、板碑製作の費用は大した
ものではなかったろう、と思いました。
ニーチェが啓示を受けたスイスの湖畔は、いつか行ってみたいと思っています。

彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んで
いるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。
した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。

全く気がつきませんでしたが、たしかに、死者の書を思わせますね。


釈由美子が好きさん
藤巻一保という方を全く知らなかったのですが、質の高い本ですね。
「現天皇不適格確認訴訟」(昭和26年1月5日)のことは、はじめて知りました。
「三代将軍義満時代に於ける皇統簒奪の事実を隠蔽し・・・」(165頁)という訴状は、
今谷明氏の義満王権簒奪計画仮説などより半世紀近くも先行する過激な説ですね。
東京地裁の却下理由をみると、司法の論理は単純な自同律にすぎぬのであって、これ
では弁証法にならぬと思われますが、GHQの統治下だからこそ、こういう訴訟も可能
だったのかもしれませんね。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/miura-kamakura-51-53.htm
? 訴人にして訴訟を提起せんとすれば、訴状(解状とも申状ともいふ)、具書(証拠書類)
 を副へて、幕府若しくは六波羅の問注所に提出す。・  ・・此くの如くすること各々三回、
 これを三問三答の訴陳を番(ツガ)ふといふ。
? 引付は訴陳状に依りて、文書の審理を行ひし後、其理非曲直の明白な?? るものゝ外は、
 召符(召文ともいふ、即ち召喚状なり)を発して、訴論?? 人を召喚す。・・・訴論人の中、
 訴訟に勝ちしものを引付の座に召してこれを給ふ。
? 訴訟人にして若し判決に服せざる時は、再び引付頭に訴へて再審を求むることを得、これ
 を覆勘といふ。若し覆勘を得ざれば、更に越訴奉行に訴へ、又庭中に訴ふることを得べし。

熊沢天皇の筆(177頁)は、南朝風というより北朝風の書体ですね。

285はぎつきみたえ:2007/10/04(木) 21:55:13
無念じゃ
 下で宣伝されてます金沢文庫の展示見学。
 …急用で行けなくなってしまひました。
 解説も聞けるはずだったのに残念無念。

 とりあえず目的のひとつ「北条時行奉行人連署安堵状」は11月7日まであるそうなので、日を改めてひとりで行きまする〜。
 しかしこれ、何で明王院所蔵だったんでしょうかね>高遠さま
 鎌倉に来たときここに本拠地を置いた?いや、それは勝長寿院だったよな…。

286高遠彩華:2007/10/04(木) 23:16:42
北条時行奉行人連署安堵状。
>はぎつきさま
>金沢文庫の展示見学
そうですか、お会いできなくて残念です。
文書は(11月7日までは)逃げませんから、またの機会に行かれれば(文書が)喜ぶでしょう(^_^)。

で、
>北条時行奉行人連署安堵状
私たちの間では有名な文書ですが、ご存じない方も多かろうと思うので、全文あげてみました。

・正慶4年(建武2、1335)8月12日付北条時行奉行人連署安堵状(相模明王院所蔵法華堂文書、『南北朝遺文 関東編』265号)

右大将家法花堂禅衆清弁申相摸国林郷大多和村内田在家事、為寺領之処、有違乱之仁云々、甚無謂、所詮関東静謐之上者、如元可令知行、若於不拘制止輩者、就注申交名、可被処罪科状如件、
????  正慶二二年八月十二日   宏元(花押)
                 貞宗(花押)
                 高泰(花押)

以下、とある方にご教示いただいたことの受け売りです(ありがとうございますm(_ _)m)。
『南北朝遺文 関東編』では、これを明王院所蔵法華堂文書としています。
これはもともと法華堂にあった文書で、いつのころからか明王院の所蔵となったもののようです。
法華堂と明王院は繋がりがありますが、どうして法華堂文書が明王院にあるのかは、いろいろ考えられるようです。
『鎌倉市史 史料編』の解説に、文書の所蔵のことなど詳しく書かれているらしいです(ただ、明王院文書や法華堂文書について書かれているかはわからない、とのこと)。

287はぎつきみたえ:2007/10/05(金) 06:14:44
御礼
>高遠さま

 布教ありがとうございます(笑)。
 私も『鎌倉市史 史料編』確認いたします。

288あまの(夫):2007/10/05(金) 23:39:05
勝手に宣伝
もしかしたら、先を越されてるかもしれませんが・・・

日本仏教綜合研究学会第6回大会日程
    期日 平成19年12月8日(土)9日(日)
    大会会場 : 山形大学小白川キャンパス
    エクスカーション:慈恩寺・若松観音
    懇親会・宿泊:天童温泉 ほほえみの宿滝の湯
   参加費 : 大会・エクスカーション・宿泊・懇親会  20,000円
        大会・エクスカーション・懇談会     14,000円
        大会・エクスカーション         4,000円
        大会               1,000円


12月8日(土)
中条家文書の公開             11:00〜12:00
受付                   12:30〜13:00
富田正弘教授講演
    中世寺院文書の世界        13:00〜14:00
エクスカーション慈恩寺・若松観音見学   14:15〜16:30
宿泊ほほえみの宿滝の湯          17:00
懇親会                  19:00〜21:00


12月9日(日)
受付                    9:30〜10:00
会長の挨拶 松尾剛次(山形大学)     10:00〜10:10
研究報告(報告30分・質疑20分)
? 長岡 龍作(東北大学)        10:10〜11:00
    彼岸・因果・表象
    −仏教美術への開かれたアプローチとして−
? 永井 晋(神奈川県立金沢文庫)    11:10〜12:00
     延慶年間の山門強訴と京都の諸勢力
? 佐藤 弘夫(東北大学)        13:00〜13:50
    板碑を通して見る中世東国の宗教世界
講演(講演50分・質疑10分)
  末木 文美士(東京大学)       14:00〜15:00
     顕密体制論以後の仏教研究
総会                   15:00〜

289相国入道:2007/10/05(金) 23:45:13
企画展のお知らせと講演会のお知らせ
 本日栃木県大田原市に所在する。道の駅那須与一郷内にあります。「那須与一伝承館」が開館いたしました。それに関連しまして「那須与一伝承館」では次のような企画展を開催いたします。

 日時 10月5日(金)〜12月2日(日) 午前9時から午後5時まで(入館は4時半まで)
 那須与一と「那須家資料」の世界
 図録も1000円で発売しています。
 休館日 毎月第2・第4月曜日(ただし祝日が重なった場合は翌日が休館)
 連絡先 大田原市那須与一伝承館 電話0287−20−0220です。

 ここには、那須家が所蔵の資料が寄託されています。それが今回公開されています。中々見られないものばかりです。場所が遠いですが是非いらしてください。

 もう一つ企画展のお知らせがあります。

 「下野北部の城」
 日時 9月22日(土)〜11月25日(日)まで 午前9時から午後5時まで(入館は4時 半まで)
 場所 とびやま歴史体験館(飛山城の跡です)
 休館日は毎週月曜日(ただし、10月8日(月)は開館し10月9日(火)は休館)。
 この企画に関連して講演会も開催。

 日時 10月21日(日)午後1時半から3時まで
 場所 とびやま歴史体験館
 演題 「戦国時代の宇都宮氏と那須氏)
 講師 阿部能久氏(那須与一伝承館学芸員)

 申し込み とびやま歴史体験館 電話またはFAXで
 電話 028−667−9400
 FAX028−667−9401です。
 阿部能久氏は、昨年『戦国期関東公方の研究』を出版された新進気鋭の研究者です。
 以上お知らせいたします。

>鈴木小太郎様
 私は、館林城が4度落城した情けない歴史ではなく、4度も復活し最後は近世城郭になるのですから、何度もよみがえるゾンビの城という見方も出来るような気がするのですが。

290井上渉子:2007/10/06(土) 08:46:25
木簡に書かれた最古の起請文55点出土…滋賀・塩津港遺跡
読売オンライン10月5日付の記事を以下に転載。
「滋賀県西浅井町の琵琶湖北端にある塩津港遺跡(平安時代後期)で、神仏への誓約「起請文(きしょうもん)」を書きつけた12世紀ごろの大型木簡55点が出土したと、県教委が5日、発表した。

起請文として国内最古で、木簡に書かれた例も初めて。琵琶湖の水運に携わった流通業者などが魚や米を盗んでいないなどと誓約、誓いを破れば神罰を受けるという内容で、県教委は「商売を含む日常の営みに、信用や潔白さを重んじた人々の有り様がわかる」としている。

木簡には国内最長のものも含まれ、神社遺構の南約35メートルの堀跡から出土。長さ2・2〜1・3メートル、厚さ1・4〜0・4センチの杉板で、10点はほぼ完全に形が残り、保延3年(1137年)〜永暦元年(1160年)の年号が確認された。

墨書の起請文は冒頭、梵天(ぼんてん)、閻魔(えんま)大王、八幡や賀茂、地元の鎮守神などを列挙。後半に「決して米を盗んでいません」などと誓い、偽りがあった場合に受ける神罰を記した。

木簡の下端にひもでくくりつけたような跡があり、神前での宣誓後は屋外に掲げたり、神社に奉納したりしたらしい。塩津港は古代から、北陸と畿内を湖の舟運で結ぶ物流の拠点として栄えた。

高橋一樹・国立歴史民俗博物館准教授(日本中世史)は「当時は盗みなどのうわさが出るだけで周囲から白眼視された。自分は信用できる人間だと知らせるために起請文を高々と掲示したのだろう」と話している。

現地説明会は7日午後1時。木簡は8日、県立安土城考古博物館で公開。」
(2007年10月5日21時47分??読売新聞)

下にコピー元記事のURLを貼っておきます。

真っ先に888さまを思い出したのですが、こういうのは微妙に守備範囲外でしょうか?

<10:24追記>(3連投はさすがに鬱陶しいので)
産経新聞では千々石到・國學院大學教授が
「当時は、現行犯以外は自白だけが犯人を特定する決め手だったのだろう。一度犯人扱いされたら、潔白を証明するため、起請文を書かされたのではないか。うそならば起請文にあるように体に神罰が加えられたような症状が表れ、そうでなければ潔白と判断する中世の裁判みたいなものといえる」
とのお話を寄せておいでですねv (上の記事をアップしたあとで朝刊を開いて気がつきました)

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20071005i414.htm

291井上渉子:2007/10/06(土) 08:52:07
連投&横レス失礼します
>あまのさま
興味深い情報をありがとうございます!
すごく魅力的ですね。そしてかなりいいお値段;

わがままですが申し込み先も教えていただけるとすごくありがたいです。

追記:事後承諾で恐縮ですが、下記の記事を「歴史系イベント情報」に転記させていただきました。
申し込み先を教えていただいたら追加いたします。

http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tenjiannai.htm

292釈由美子が好き:2007/10/06(土) 10:39:41
うわ!
 盛況だな♪


>筆綾丸さん
>「三代将軍義満時代に於ける皇統簒奪の事実を隠蔽し・・・」(165頁)
 後花園天皇が実は足利義満の子供だということなにですが、私の好きな論文である村田正志氏「皇統に関する熊沢一派の俗論を筆誅する」によって、史料の読み間違いによる誤説であることが明らかにされております。
 おもしろいっちゃ、おもしろいんですが。

 そーいえば、『吾輩は天皇なり―熊沢天皇事件―』、熊沢天皇の系譜の真偽に関する論争には、ほとんど言及してませんね。
 私的には、ちょっと残念なんですが、世間の人々の興味は、あんま引かないんでしょかね?

293:2007/10/06(土) 11:00:40
「美作中世地域史研究をひら拓く―美作学への招待―」のご案内(再掲示)
 いつもお世話になっております。既に各所にご案内したところでありますが、下記のとおり「美作中世地域史研究をひら拓く―美作学への招待―」講演会・シンポジウムを開催いたします。大変、ご多用とは存じますが、皆様方にもご出席賜りたく、お願いを申しあげます。なお、資料準備のため、申し込みをお願いしておりますが、資料は余分を準備していますので、当日の飛び入り参加も大歓迎です。会場へは、京都・大阪方面からは、高速バスが早くて便利です(JRよりはるかに安いです)。また、懇親会も開催予定です(ご参加いただけるとうれしいです)。宿泊希望の方は、ホテルも紹介しますので、お申し付けください。どうかよろしくお願い申しあげます。

<以下案内>------------------------------------------------------------------------------

「美作中世地域史研究をひら拓く―美作学への招待―」のご案内
美作大学地域生活科学研究所
美作中世地域史研究グループ
 美作大学では、平成19年度に津山市教育委員会のご支援をいただき、計10回に渡って「美作学講座」を開催いたします。
 それを受けて、美作大学地域生活科学研究所美作中世地域史研究グループでは、「美作中世地域史研究を拓く―美作学への招待―」と題し、講演会・シンポジウムを開催することといたしました。この講演会・シンポジウムは、研究者はもちろんのこと、一般の方に広く開放するもので、どなたでも自由に参加することができます。奮ってご参加ください。

1.開催概要
?日 時:平成19年10月20日(土) 13時30分〜(13時開場)
?場 所:美作大学 本館 31教室
?基調講演<13:30〜15:00>
  題   目:「中世美作の民衆生活−生産・流通・宗教と地域社会−」
  講   師:前原 茂雄氏(福岡市史編集委員会委員/美作大学地域生活科学研究所共同研究者)
?シンポジウム<15:20〜16:30>
 パネリスト:前原 茂雄氏(福岡市史編集委員会委員/美作大学地域生活科学研究所共同研究者)
 パネリスト:苅米 一志氏(就実大学人文科学部准教授)
 パネリスト:辰田 芳雄氏(岡山朝日高等学校教諭)
 司   会:渡邊 大門氏(美作大学地域生活科学研究所客員研究員)
2.参加費:無 料
3.申込方法
  住所、氏名を明記のうえ、申込先へメール、葉書、FAXでお申込みください(資料準備のためですので、当日の飛び入り参加も大歓迎です)。
4.申込先
〒708-8511 岡山県津山市北園町50
美作大学地域生活科学研究所 美作中世地域史研究グループ 渡邊 大門 宛
TEL:0868-22-7310 FAX:0868-23-6936 E-Mail:wdaimon@mimasaka.ac.jp
※電話での連絡は、できるだけご遠慮ください。
主催:美作大学地域生活科学研究所 後援:津山市教育委員会

*********************************
美作大学・美作大学短期大学部
教務課 渡邊 大門(わたなべ だいもん)
〒708-8511 津山市北園町50
TEL:0868-22-7310(23-6936)
E-Mail: wdaimon@mimasaka.ac.jp
URL:http://www.mimasaka.ac.jp/
*********************************

294あまの(夫):2007/10/06(土) 11:22:29
>井上さま
日本仏教綜合研究学会の問い合わせ先は
事務局本部
  〒162-8644 東京都新宿区戸山1-24-1
  早稲田大学文学部 東洋哲学研究室内
  TEL 03-5286-3701

事務局山形支部
  〒990-8560 山形市小白川町1-4-12
  山形大学人文学部 松尾剛次研究室内
  TEL&FAX 023-628-4736
  E-Mail kmatsuo@human.kj.yamagata-u.ac.jp

になりますが、大会については詳細が8日の理事会後に正式に発表されるそうです。
案内が来ましたら、また載せますね。

295千々和:2007/10/06(土) 15:30:45
> 井上さま 皆さま
ご無沙汰しています。
知りませんでした。インターネット版とは記事が違うんですね。びっくりしました。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/071005/acd0710051808003-n1.htm
ありがとうございます。

>亜季多さま、猫ひじりさま、筆綾丸さま、鈴木小太郎さま
遅くなりましたが、いろいろとご批評いただき、ありがとうございます。
内容は、北関大捷碑の部分を除けば、本当は5年前には出ていなければいけない本でした。
編集部や、関係の方々には申し訳ないと思っています。
ただ写真は、自分で写したものが大半で、思い出深いものもあります。表紙は、1970年代前半のものですし。また他の方々にご協力いただいた写真は、すばらしい選りすぐりばかりです。
それだけは、少し自信があるといえるのかな。

それから、「板碑製作の費用」は、原石の費用だけではなく、運搬の費用、梵字を書いてもらう費用、彫刻の費用、そして供養の費用等々を計上しておきませんと。
そうなると、きっと結構高いですよね。
これは、如月さんが追求しておられるテーマに関係しますか。

296井上渉子:2007/10/07(日) 10:58:48
>千々和先生
こんにちは。私が浅はかなコメントをしたために; おでましいただきまして恐縮です。

最初に見かけたのが読売ネットの記事で、真っ先に千々和先生や888さまのことを思い出して書き込んだところ、次に見たのが紙媒体の産経新聞だったのです。(購読紙がバレますが…)

紙と木ではちょっと事情が違うのかな…などと考えておりましてお恥ずかしい限りです。お許しください。
888さまにもどうぞよしなにお伝えくださいませ。

297釈由美子が好き:2007/10/07(日) 13:50:49
おれーとか。
>井上さん
>購読紙がバレますが…
 あはは。


>千々和さん
 おひさひぶりでござります♪


>あまの(夫)さん・渡邊さん
 お知らせ、どもです♪


>おのおの方
 下で書きました村田正志氏「皇統に関する熊沢一派の俗論を筆誅する」、前にブログで紹介しましたんで、よかったらご覧になってくださいな。

  http://blog.goo.ne.jp/shaku-henshucho/e/49911adf5e84fa2105f327acbe83dcc0

298kari:2007/10/09(火) 12:37:19
就実大学 史学会 講演会
皆さま、ご無沙汰しております。
講演会のお知らせです。

就実大学 史学会主催 公開講演会

場所:就実大学 T館611教室(〒703−8516 岡山市西川原1−6−1)
日時:平成19年12月1日(土) 14:00〜
講師:西山 克 氏(関西学院大学教授)
演題:「怪異学の誕生 ― 妖怪・怪異・予兆」

入場無料。 詳細は http://www.shujitsu.ac.jp/web/department/cultural/history/kouen0411.html
へアクセスしてください。

299阿哈馬江:2007/10/09(火) 15:40:37
ばんざん
釈さま
皆さま

 長らくご無沙汰いたしております。先日、
釈さまのブログにて、こちらにも出没するようにとの旨を承りましたにもかかわらず、時間がなく、書き込みできないでおりました。
 さて、村田正志氏(まだ御存命ですよね?)の「皇統に関する熊沢一派の俗論を筆誅する」についての話題が出ておりますが、それに対する反駁が、

 吉田長藏『新天皇論』(東京、千代田書院、昭和二十七年(一九五二)七月)

なる本の中にあります。今、手元に現物がありませんので、アイマイなことしか言えませんが、村田論文の表題をモジっております。もっとも、説得力は全然ありませんが。
 なお、本書のカバーには、昭和天皇と香淳皇后のむつまじい写真が使われておりますが、それにツラレて本書を購入した人は、その内容に、唖然とすることでしょう。私は、古本屋で買いましたが、中に、「“熊沢天皇”死ぬ」という新聞記事の切拔が添付されておりました。

 ところで、熊澤寛道氏の養父、熊澤大然の手稿、『熊野宮信雅王御事績及御墳墓取調書』なるものが、早稲田大学中央図書館に所蔵されております。[ヌ2/4623]
 この時点では、まだ「天皇」を自称してはいなかったようです。

 ほかに、山地悠一郎『後南朝再発掘 ──熊沢天皇事件の真実』(東京、叢文社、二〇〇三年四月)というのを所持しておりますが、これはまだ読んでおりません。

http://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/ssk.html

300筆綾丸:2007/10/09(火) 20:03:08
蟻地獄
釈由美子が好きさん
第七章「”天皇ごっこ”の行方」において、熊沢天皇は、結局、万世一系という自己言及
性の蟻地獄にずるずる落ちたのだ、という著者のロジックを面白く思いました。「顕密
体制」という言葉を、特異な意味に転用していますが、これはこれで面白い概念ではあり
ますね。
貴種は頼まずとも第三者が「客観的な」系図を作ってくれる、非貴種は第三者を度外視し
て「主観的な」系図を自分で作る・・・とでもいいますか。
Douglas MacArthur(或いはGHQ、或いは米国政府)は、日本統治上、熊沢天皇をほん
とはどうみていたのかな、ということに、いちばん興味を覚えました。

千々和さま
緑泥片岩を花崗岩などと同様として、となれば、石の切り出しに大半の「労働価値」が
発生するだろう、と考えたのですが、もっと慎重な費用分析をしないといけませんね。

阿哈馬江さま
お久しぶりですね。

301筆綾丸:2007/10/09(火) 20:10:13
notte bianca(白い夜・・・)
http://www.komeyasoba.com/ooutijyuku/jyouho.html
明治初期、イザベラ・バード女史が泊まった大内宿に行ってきました。村社高倉神社の
半夏祭には、以仁王の潜行伝説があるらしいのですが、貴種流離譚に過ぎぬのでしょうね。
落魄の貴人に想いを馳せながら、亀のように布団に潜り、佐野眞一『阿片王ー満州の夜と
霧ー』を読む。満州帝国の巨大な資金源であった阿片を題材に、安房里見家の末裔と言わ
れる里見甫の生涯を描いたものである。
http://www.shinchosha.co.jp/book/436903/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E8%A6%8B%E7%94%AB
曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」の舞台となった里見家ゆかりの千葉県市川市国府台の古戦
場跡近くに、総寧寺という寺がある。その寺の片隅に、数十万人の中国人をアヘンで廃人
にしながら、極東軍事裁判で無罪となり、それから二十年の長い「余生」を送った里見甫
の墓がある(同書428頁)。
あんまり面白いので、思わず読み耽りました。阿片中毒患者を漢語で○者(○=ヤマイダレ+隠)
といい、荼毘に附すと、ピンクに変色した頭骨をみるという。
翌日、会津の飯盛山に行く。
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/sub4i.htm
独逸人の碑は、
    EIN DEUTSCHER
??      十
??   DEN JUNGEN RITTERN
      VON AIZU
とあり、十は端が鴨脚の十字架で、テンプル騎士団と同じものである。
伊太利の碑は、ポンペイ出土の赤花崗の円柱で、
   S.P.Q.R.
 NEL SIGNO DEL LITTORIO
??????????ROMA
????MADRE DI CIVITA
??CON LA MILLEWNARIA COLONNA
??TESTIMONE D'ETERNA GRANDEZZA
??TRIBUTA ONORE IMPERITURO
??ALLA MEMORIA DE GLI EROI DI BIACCOTAI
??????ANNO??MCMXXVIII
とある。碑文はあえて訳しませぬが(笑)、冒頭の常套句は、Senatus Populusque
Romanus(ラ)の略、元老院並びにローマ市民、という意味で、末尾は西暦1928年である。
両碑銘には、日独伊三国同盟前夜の影響が色濃く反映されているのだろう。隣の白虎隊
記念館には、東海散士の書がある。
  懐君半夜未成眠
  明月涓々水一天
  妾涙化為江上水
  駕風和両到君辺
もし妾を白虎隊の姉妹と解すれば、この七絶は鎮魂歌となる、水は猪苗代湖を源とする
日橋川か、荒海山から流れ出ずる阿賀川の水か、昼夜を舎かず、ただ流れ去るのみか。
長岡藩士殉節之碑をみる。戦死者の筆頭に、山本帯刀の名がある。もし、帯刀が戦死し
なければ、長岡藩次席家老の家名は絶えず、連合艦隊司令長官山本五十六なる存在は
ありえなかったかもしれぬ、いや、歴史に if など何の意味もない、ただ、あったこと
だけがあったのだろう。ふと、墓碑の背後の畑をみると、野晒しの白けた南瓜が四顆
あって、少年の頭蓋骨のようだった。
銘酒会津中将を買い、八葉寺で、阿弥陀堂や観応の碑や葦名氏に滅ぼされた猪苗代氏の
五輪塔などをみて、旅の終わりとした。

302はぎつきみたえ:2007/10/09(火) 21:43:36
一休さん
今夏日本一暑い町として熊谷とともに名をはせた、岐阜県多治見市にあります虎渓山永保寺に行ってまいりました。
「お前が以前行きたいと言ってたんじゃないか」と、父に言われたのですが、なんで行きたいと言ったのかさっぱり思い出せなくて、
「とりあえず行ってみればわかるだろう」と出かけたのです。

 夢窓疎石の造った庭園があるのですが、これが大変すばらしかったです!ぜひ鎌倉の某寺の庭もこれくらいのスケールで作っていただきたかった。
 一目見たとたん、うわあ、いいなあ、と、立ち止まってしまいましたもの。
 機会がありましたら皆さま、お勧めです!!ちょっと交通が不便ですが、それでも行く甲斐はあります!!ええと、うまく庭園の様子が説明できないというか、見たほうが早い!!

 公式ホームページ↓

 http://www.kokei.or.jp/

 こちらのほうが庭園の様子が良くわかるかしら。

http://www.k-ookubo.jp/haik/eihouji.htm

http://www.h4.dion.ne.jp/~o.emiko/ahozi.htm

http://muso.to/teienn-eihoji.htm

 紅葉の時期には人でいっぱいになるそうですが、今の緑一色の風景も十分素敵。うっとりです。梵音岩と飛瀑泉が特に気に入りました。
 本堂が火事で焼けるまではもっと趣深く美しかった、とは、父談。
 観音堂と開山堂は国宝です。

 それで、庭園を見ていただきますと、真ん中に池があって、橋が架かっているのがわかると思います。
 この橋にですね。

「このはし手すり危険につき通行禁止 虎渓山一休」

 と書かれた木札があったのです。

 皆さま、この橋、渡ります?

「…これってさ、渡っちゃだめなんだよね」
「…でも、「一休」だよ。はしじゃなくて真ん中ならいいっていうあのとんちでは?」
「けど、はっきり通行禁止って書いてあるよ」
「だからそれは…」
 私たちだけでなく、ほかの人たちも一様に迷い、結局橋を渡るのを断念している様子。
 これがほんとに一休さんにひっかけた木札なら、すご〜くすご〜く、無粋なことになる!とは思いながら、結局お寺の人に確認してしまいました。
 御朱印帳を書いてくださった方がにっこり。
「ええ、手すりがぐらぐらで危ないんで、真ん中を渡っていただければ」
 …ああっ、せっかくのしゃれた木札を説明させてごめんなさいっ!!

 許可を得たので安心して橋の真ん中を渡り、写真などとっておりますと、周囲から不審な目が注がれました。あわてて
 「いえ、この橋はね、渡っていいんですよ。お寺の方に確認したんですけど、その木札の意味は…」
 またもや説明という無粋を重ねましたが、不審げなおば様たちの表情がふわあっと柔らかくなりまして、私たちとすれ違いに橋を渡っていかれました。

 というわけで楽しいひと時でした。
 …が、なんで私はここに行きたいと言ったのか、思い出せずじまいでした…。
 夢窓疎石さんでないことは確かなんですが…。ううん。略縁起とかみても、私が飛びつきそうな要素はないんです。
 でも嬉しい、思わぬ出会いでした。

303釈由美子が好き:2007/10/09(火) 22:13:10
祝♪ セドラー復活!
>kariさん
 お知らせ、どもです♪
 それにしても、東アジア恠異学会さんは、元気な学会ですなァ。


>阿哈馬江さん
 お帰りなさいませ。お待ちしておりました。
 そして、早速にセドラー(背取り師)ぶりを発揮して戴き、ありがたき幸せ。

>「“熊沢天皇”死ぬ」という新聞記事の切拔が添付されておりました。
 古本は、この手のオマケが嬉しいですよねェ〜。


>筆綾丸さん
>「顕密体制」
 ホントに特殊な意味で、ちょと違和感はあるのですが、説明としては、わかり易いですよね。
 それにしても、この本、おもしろいです。
 おもしろうて、やがて悲しき・・・ですが。


>はぎつきさん
>「ええ、手すりがぐらぐらで危ないんで、真ん中を渡っていただければ」
 わはは! やっぱ、このばやい、確認せざる得んですわなァ、現代人としては。
 木札もねェ、説明付けるのは、無粋だしねェ。

304阿哈馬江:2007/10/10(水) 16:40:40
wanted
筆綾丸さま

 こちらこそ、お久しぶりでござります。

> 村社高倉神社の半夏祭には、以仁王の潜行伝説があるらしいのですが、

 『日本歴史』の別冊、『伝記の魅力』(昭和61年11月)に所収の、多賀宗隼「自著後日談 −栄西・源頼政・慈円」(一〇六〜一〇九頁)中に、次のような文があります。

 (前略)以下引田氏【引田一郎氏】の御消息の一部を摘記してみたい。
 (中略)
 また、頼政戦死に際しては六人の侍が頼政の首をたずさえて山伏姿で関東に赴き、茨城県古河に到ってこれを埋めた、という。
 また、以仁王(【振仮名】もちひとおう)も奈良街道の棚倉の高倉神社に祭ってあるが、実は宇治で負傷して侍十二人に擁せられて仲綱の領地丹波綾部郡にのがれ、ここでなくなったので、ここに高倉神社としてまつられ天一明神とよばれる。お墓もここにあり、奈良の社と互に本家を称しているという。十二人の侍の子孫は丹波・単語・但馬に広まっている。以上引田宇治の極めて詳細な御手紙のあらすじであるが、なお、書状は詳しく頼政の子孫の動向を伝えている。


釈さま

 あたたかい御言葉、まことに恐縮いたしております。

> 古本は、この手のオマケが嬉しいですよねェ〜。

 そうですね! 古い葉書や、戦前の「省線」の切符が入っていたことがありますが、香淳皇后の妹君の生写真、というのもあります。なお、古本屋さんによりますと、埋没したヘソクリが挟まれていることも時々あるようです。私には経験がありませんが。

 なお、下記の本のカバーの画像がありました(写りは悪いです)。この表紙にピンと来たら、要注意です。ただし、古い本ですので、カバー付きのものはあまり多くないかも知れません。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003714M.jpg

http://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/ssk.html

305釈由美子が好き:2007/10/10(水) 17:18:43
ひょーし。
>阿哈馬江さん
 この『新天皇論』の表紙、今だったら肖像権とかが問題になるンじゃないですかねー?
 中身が中身だし。

 昭和は、今から見ると、いろんことが、いい加減つーか、おおらかつーか、のん気な時代だったんですねェ。

306筆綾丸:2007/10/10(水) 21:16:18
法皇庁の朝
阿哈馬江さま
会津で購入した『会津の伝説ー高倉以仁王の会津潜行記ー』(歴史春秋社2007年5月)
という本をみますと。
明治十四年(1881)、古来諸王の地方伝説並びに墳墓調査、という通達が宮内卿から
福島県に出て、奥会津や越後を調査したところ、以仁王の足跡が明らかになったそう
です。越後の小国保の受領は頼政の弟の頼行で、以仁王はここを目指したのだ、とか
いろいろあるようですが、著者は、柳田国男に倣って、木地師の口伝を想定しています。
写真をみまして、私は、尾形イッセーの映画を思い出しました。

釈由美子が好きさん
「法皇庁の朝は早く、まず法蓮華経の読経で明けてゆく。そしてすぐ目の前を通る電車
のゴウ音で、その声は消されがちであるが、巫女(今関夫人)は次第に無我法悦の境地
に入る。やがて、ありがたいお告げが巫女の口から聞かれるのだ。
法蓮華経の読経が止むと、巫女の夫人はうやうやしく日蓮上人のお指示を伝える。熊沢
天皇はかしこまって、一語も聞き漏らすまいと緊張する」(187頁)
・・・ここなど、涙なくしては、読めないですね。

307日本史史料研究会:2007/10/10(水) 22:05:46
日本史史料研究会から研究選書を発行しました。
日本史史料研究会から研究選書1を発行いたしました。執筆者は細川重男さんです。

日本史史料研究会研究選書1 細川重男著『鎌倉北条氏の神話と歴史― 権威と権力 ―』(1500円で頒布いたしております)

目次
序 (7〜13頁)
第一章 右京兆員外大尹   ― 北条得宗家の成立 ―(15〜37頁)
第二章 渋谷新左衛門尉朝重― 御内人と鎌倉期武家の主従制 ―(39〜66頁)
第三章 相模式部大夫殿― 文永九年二月騒動と北条時宗政権 ―(67〜86頁)
第四章 右近衛大将源惟康  ― 得宗専制政治の論理 ―(87〜108頁)
第五章 飯沼大夫判官資宗  ― 「平頼綱政権」の再検討 ―(109〜136頁)
第六章 秋田城介安達時顕  ― 得宗外戚家の権威と権力 ―(137〜165頁)
結(167〜169頁)
あとがき(171〜173頁)
附録[北条氏略系図](174〜175頁)
人名索引

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003717M.jpg

http://www17.plala.or.jp/t-ikoma/index.html

308釈由美子が好き:2007/10/10(水) 22:58:01
わはははははははは!!!
  ↓ が、私の6月から9月にかけての「地下活動」、そして先月、ブログでチョコッと書いた「デカい1発」の正体でございます。

 専門書(研究書。学術論文集)です!
 でも、研究者でない方でも、鎌倉幕府に興味のある人なら、読んで何言ってるかはわかるように工夫はしました。史料に現代語訳つけたり。

 そして、驚異の定価1500円!!!

 一万五千円じゃありませんよ!! 千五百円!!! せんごひゃくえん!!!!!

 内容は、賛否両論出ることと思いますが、とりあえず、破壊力には自信があります!

 だから、買ってね♪♪♪


  http://jparchives.sakura.ne.jp/system/shinwatorekishi.html

309釈由美子が好き:2007/10/10(水) 23:36:15
アップ情報♪
 連続カキコになっちゃいますが、アップ情報でござる。

 今日発売のわしの新著の書評、もう載せましたよん♪

「本、出ました。書評、出ました」
 という素早さ! この機動力が、ネットのスゴイとこ。

 そして、金石文を6つもアップしました。
 すごかろ?

 お楽しみくだせ。


  http://jparchives.sakura.ne.jp/column/db/shosekishinwatorekishi.html
  http://jparchives.sakura.ne.jp/document/medieval/medieval_kinsekibun.html

310高遠彩華:2007/10/12(金) 01:28:29
勝手に宣伝。
編集長ブログにもありますように、
日本史史料研究会は、10月13日・14日に
 ・日本古文書学会大会(会場・東京、日本女子大学目白キャンパス)
 ・日本史研究会大会(会場・京都、立命館大学)
において、書籍展示販売に参加します。
書籍のラインナップは、
 ・細川重男氏著『鎌倉北条氏の神話と歴史−権威と権力−』(日本史史料研究会研究選書1。1500円)
 ・中島善久氏編・著『官史補任稿 室町期編』(日本史史料研究会研究叢書1。1500円)
です。
日本史研究会大会では著者自らが売り子さんをされるそうなので、
ぜひ皆様おいでくださいませ。

311高遠彩華:2007/10/12(金) 02:08:54
更新情報
連続投稿、失礼いたします。

「コミュニティ」のコーナーに、ブログ「ナマズ貞顕のひとりごと」を追加しました。
金沢北条氏を中心に語るブログです。
皆様、よろしくお願いいたします。

http://blog.goo.ne.jp/kanesawahojoh/

312釈由美子が好き:2007/10/12(金) 02:22:32
新ブログ、開店♪
  ↓ で、高遠さんがカキコしてくだすったように、謎のブログが開店しますた。
 お楽しみに!


>筆綾丸さん
>涙なくしては、
 先祖や父(義父ですが)の妄念に生涯呪縛された熊沢天皇。
 後醍醐の呪縛により、ジャングルの奥地で、ず〜〜〜〜〜とガンバリ続けた南朝の人々と重なるような気がします。


 んじゃ、あたしゃ、今日の夜、京都に向かいまする。

313鈴木小太郎:2007/10/13(土) 01:25:37
土日
私は日本女子大で開催される日本古文書学会大会にて日本史史料研究会の書籍を販売しております。
来場予定の方々、よろしくお願いいたします。

>千々和先生
ご無沙汰しております。

>表紙は、1970年代前半のもの
私は2001年に真仏報恩板碑のある墓地を訪問しましたが、表紙の写真と比べると、だいぶ雰囲気が変わっていました。
検索してみたら、リンク先に墓地周辺の風景写真と真仏報恩板碑の写真がありましたが、板碑の後方の樹木は殆ど伐採されてしまったようですね。
http://haku02.hp.infoseek.co.jp/musashi/magome.html

>阿哈馬江さん
お久しぶりです。

>筆綾丸さん
>里見甫
女優の長山藍子氏は満州生まれで、父親は里見甫(はじめ)が創設した満州国通信社の記者だったそうですね。
私は週刊誌か何かでそれを見たのを契機に満州国通信社(国通)に少しく興味を抱いて、国会図書館で『阿片王』の参考文献にも載っている『国通十年史』(1942)を見つけて読んでみたところ、里見甫なる人物の文章が緻密で格調高い名文なので、一体何者なんだろうと思ったことがあります。
そのため、一昨年に『阿片王』が出版されたときはずいぶん期待して購入し、戦前の里見甫の活動については、ふむふむ、なるほど、と読めたのですが、戦後については全然追及がなされず、周辺人物のアラさがしばかりしているような印象を受けて、少しがっかりした覚えがあります。
改めて読み直してみたら、最初の妻の相馬ウメ、「男装の麗人」梅村淳、その養母の梅村うたに関する部分も、それぞれ時代を鮮明に映し出していて面白いですね。
結局、著者が戦後の里見甫について殆ど追及できなかったのは、里見が「児玉くん」や「笹川くん」などと異なり、大陸人脈を利用することを拒否して地味に生きたからなんでしょうね。
アヘン売買は確かに感心できることではありませんが、アヘン戦争以来、中国には既に暴力組織を伴った強大なアヘン販売網が形成されていて、日本人はとても直接の販売には関与できず、里見も中国側の元締めへの入り口部分を管理しただけで、しかも一切私財を蓄積しなかった訳ですから、「阿片王」のタイトルは少々的外れのような感じもします。
また、里見甫の名文に比べると、佐野眞一氏の文章は無駄な修飾語が多く、「経済の発展と反比例して亢進した日本人の精神の劣化」(あとがき)の一例となっているようにも思います。
例えば、
-------------------
梅村は里見と組んでアヘン密売の仕事に関わり、戦後は女優の卵、女医、名もなき女、そして世間知らずの女薬剤師と渡り歩いて、レズ三昧の生涯と閉じた。モラリストならきっと、畜生道に堕ちた女と、唾を吐きかけることだろう。
梅村のふるまいと欲望の深さは、いまさら、人倫に悖ると批判するのもおこがましいような怪物ぶりである。梅村は満州や「魔都」上海で里見と過ごした官能と蠱惑の日々が忘れられず、それを戦後までひきずって虚飾と放埓、淫奔と漁色の人生を送ったのだろうか。
私はあらためて里見という男の、周囲の磁場を狂わさずにおかない底知れぬ魔力に立ちすくむ思いだった。(p.71)
-------------------
などとありますが、ま、梅村淳さんも戦後は東京タワーに餃子の店頭販売の小さな店を出したり、鎌倉大町の本妙寺近くでささやかな天プラ屋を経営したりして地味に暮らしていた訳ですから、週刊誌連載中ならともかく、事実関係が一応確定して書籍にする段階では、そこまで下品にののしることもないんじゃないの、という感じがしますね。
佐野眞一氏自身、ちょっと頓珍漢なモラリストの面があって、それが里見への評価にも影響しているのかなと思います。

「阿片王」
http://www.shinchosha.co.jp/book/436903/

長山藍子
http://www.gekidanforyou.com/danin/aiko.htm

314筆綾丸:2007/10/13(土) 17:35:44
板東俘虜収容所
http://inoues.net/club/aidu_yamaga.html
碑は、
  山鹿素行先生誕生地
  大正十五年春元帥伯爵東郷平八郎書(花押)
とあって、裏面の発起人の一人に、若松市長松江豊寿の名があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B1%9F%E8%B1%8A%E5%AF%BF
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?isbn_cd=4167567032
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B0%8F%E6%9C%9D%E9%AE%AE
『二つの山河』をみると、松江は、1904年9月〜1907年10月まで、韓国駐剳軍司令官
長谷川陸軍大将の副官としてソウルに駐在したとあり、すると、滅びゆく李王朝の
末期に立ち会ったことになり、かなり複雑な思いだったのかもしれませんね。板東
俘虜収容所における、ベートーベン「第九」本邦初演が有名ですが、翌年、独逸兵の
墓の除幕式では、ローエングリンが演奏されたとあり(同書69頁)、私には、こちら
のほうに興味を惹かれました。会津落城、李王朝の滅亡、そして、Lohengrin・・・。
松江家は、仙台伊達家の家臣である茂庭氏の裔で、茂庭氏の祖は斉藤別当実盛で、鎌倉
時代初期、伊達郡茂庭村に土着して鬼庭姓を称した、と同書にありました。

小太郎さん
著者の「反道徳」感は、語るにおちたといいますか、著者自身に、フロイト的な意味で、
相当根強い komplexがあるんじゃないか、と感じさせるところが面白いですね。
梅村女史の lesbian について、たかがレズくらいで、そんなに目くじらたててどうす
んだ、と私も奇異な感じを受けました。
端唄のお師匠さんとの戦後の結婚生活は豊潤だったと思われますが、このあたりの記述
が物足りないですね。里見の隠者のような生活を、児玉くんや笹川くんや岸くんのよう
な懲りない面々と比べますと、西洋中近世のキアロスクーロをみるようで面白く思い
ました。
戦後日本の経済復興は満州帝国がモデルであった、とする著者の壮大な仮説は、この本
だけでは、よくわからないですね。

315山竜:2007/10/13(土) 23:41:22
買いましたよ〜
今日の日本古文書学会大会で、さっそく釈さんの新著を買ってきました。
専門書でこの定価はたしかにスゴイ!これから内容を読むのが楽しみです。

316釈由美子が好き:2007/10/15(月) 00:41:48
ありがと〜
>山竜さん
 ありがとござんす♪

>専門書でこの定価はたしかにスゴイ!
 だっしょ? ひっひっひ。

>内容を読むのが楽しみです。
 おもしろいはずだす。よろしゅう。

317鈴木小太郎:2007/10/15(月) 00:43:24
二日間
書籍売り場にいましたが、販売する側から書籍購入者を眺めるのは初めての経験で、なかなか面白かったです。

>山竜さん
ありがとうございます。

>筆綾丸さん
>著者の壮大な仮説
まあ、単なる勘違いでしょうね。
満州国の経済のモデルは明らかにソ連の五カ年計画であって、著者の仮説によれば「戦後日本の経済復興はソ連がモデルであった」ことになってしまいますからね。
開発独裁=高度成長ではないですからね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%88%E7%94%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88

佐野眞一氏の書かれることは細部は面白いけれど、全体像がトンチンカンですね。
例えば、アヘン取引の規模にしても、
---------------
「里見とペルシャ産アヘンの関係については、戦後の東京国際軍事裁判で、里見自身が驚くほど正直に証言している。その詳細は後に譲るが、里見はそのなかで、宏済善堂がペルシャ産アヘンで儲けた利益は約二千万ドルにものぼったこと、宏済善堂の手取りマージンはアヘン取引額の八パーセントだったことを明かしている。
宏済善堂がペルシャアヘンであげた二千万ドルという金額は、当時の為替レートで換算し、現在の貨幣価値に直すと、三十兆円近くにのぼる」(p.167)
「里見の証言でもう一つ注目すべきなのは、蒙古産アヘンの取り扱い量の多さである。その量はペルシャ産アヘンの実に二千五百倍に達している。これは、第二次世界大戦の勃発でヨーロッパに火の手があがり、ペルシャ産アヘンの輸入が思うようにいかなくなったことを意味している。
この大量のアヘン取り扱い量から見ても、日中戦争は二十世紀の「アヘン戦争」だったことがよくわかる。」(p.263)
---------------
とありますが、30兆円というのは大変な金額で、現在のトヨタの時価総額が約24兆円であることと比較しても、ちょっとありえない数字です。
そして、蒙古産はペルシャ産の2500倍の量があったというのだから、品質が同じだとして、2500×30兆円の利益ですか。
余りにバカバカしい数字であって、明らかに計算ミスがありますね。

318井上渉子:2007/10/15(月) 12:23:51
購入しました
日本古文書学会の会場で購入しました>釈由美子が好きさんの新著

「いつでも買えるから今回はいいや〜」と呑気に構えていたところ売り子をしていた小太郎さんに
「買ってってよ」と言われて購入した小心者です(笑)。

これから拝読したいと思います。

319釈由美子が好き:2007/10/15(月) 15:32:01
押し売り。
>井上さん
>購入しました
 ありがとごじゃいます♪

>小太郎さんに「買ってってよ」と言われて購入した小心者です
 押し売りですな。

 わしも京都で押し売りしました。
 かな〜り年下の知人が来たので、
「5冊買え」
 と言ったところ、
「5冊は〜」
 と言うので、
「じゃあ、1冊でよい」
 と言ったら、
「はい」
 と買ってくれました。
 悪徳商法の典型であります。

320筆綾丸:2007/10/15(月) 20:04:19
sollen と sein
小太郎さん
http://www.mof.go.jp/seifuan19/yosan004.pdf
財務省のHPによれば、平成19年度の一般会計予算(政府案)が約83兆円で、租税収入は
約53兆円ですから、30兆円(しかも8%のマージン!)などという数字は、絶対に有り得な
いでしょうね。
「当時の為替レートで換算し、現在の貨幣価値に直すと」とあるだけで、どういう数式に
基づくのか、まったく示しておらず、詰めが甘いですね。



http://www.bk1.jp/product/02927325
本郷和人氏の新著、さきほど読了しました。
主辞が賓辞を規定するのではなく、賓辞が主辞を規定するのだ、というニーチェの
『善悪の彼岸』にある言葉を思い出しました。
従来の歴史学は、sollen が sein を規定してきたが、sein が sollen を規定し
なければならぬ、と著者は宣言する。東国国家論は sollen であり、権門体制論は
sollen であり、顕密体制論は sollen であって、これら一群の sollen は sein
により一度解体しなければならぬ、歴史(記述)は須く sein からはじめねばならぬ。
「二つの王権論」を、seinとして提起し、諸兄の批判を待つ。・・・・・・
また、惣村とリゾームのアナロジーが非常に新鮮で、rhizome を「一味」と訳すこと
も可能なのですね。
http://sapporo.cool.ne.jp/btron/muon/_t7ECEYf.htm
些末なことで恐縮ですが、古文書の集合の概念図(84頁)は、下方に、「鎌倉→室町
奉書から直状へ」とあるので、左右を逆にして、時間の流れを左から右にするほうが、
私などには、わかりやすいです。
二次元平面上を左(奥)から右(袖)に時間が流れるという表記方法は、印欧語族の
エクリチュールにすぎないのでしょうけれども。

321釈由美子が好き:2007/10/16(火) 08:49:51
売り子の心。
>小太郎さん
>書籍売り場にいましたが、
 ありがとごじゃいますた♪

>販売する側から書籍購入者を眺める
 確かに、おもしろいですな。
 手にとって見てくれてる時、心の中で、
「買って! 買って〜〜〜!」
 と叫び、買ってくれると、
「やった〜〜〜♪」
 置いて去って行かれると、
「だあ〜〜〜」
 となります。


>筆綾丸さん
 まあ、いろんな人がいますから、いろんな本がありますわい。

322筆綾丸:2007/10/16(火) 20:39:47
沈める「惣村」
釈由美子が好きさん
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20071016/CK2007101602056519.html
最近の科学は、こんなことまで解るのですね。ドビュッシーの「沈める寺」を連想しま
した。
新聞によっては、マグニチュード6.5以上とあって、地震の規模がかなり違いますが、
マグニチュード6.5以上なら、京都も、「正中の変」の余燼が吹っ飛ぶくらいの被害が
あったかもしれませんね。

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0709/28/news121.html
NHKのニュースで知ったのですが、親鸞のカフェが出来たのですね。
いつか行ってみたいな。

323釈由美子が好き:2007/10/17(水) 17:23:12
>氏家幹人氏『サムライとヤクザ―「男」の来た道』(ちくま新書、2007年9月)
>筆綾丸さん
 前にご紹介戴いた ↑ これ、おもしろいですわ!
 とっくに読了してたのですが、京都に行商に行ってたりしたため、ご報告が遅れますた。

 江戸時代の武士のダメダメぶり、特に幕末のヒドさは、想像を絶しますな。
 これに対し、カブキ者やヤクザたちのアウトローぶりは、別の意味で驚きます。

 そして、氏家氏得意の切腹話もグロさ爆発で、素晴らしい。

 デタラメなアウトローぶりは、古代・中世の武士と近世のカブキ者やヤクザに共通すると思いましたが、カブキ者やヤクザは根っこが無い感じで、古代・中世の武士に比べると退廃的・刹那的だと思いました。
 古代・中世の武士も、デタラメで残虐ですが、なンつーか、根明な感じがします。
 このへん、突き詰めて考えてみたいと思います。


>おのおの方
 読んで損はしませんぜ。

324はぎつきみたえ:2007/10/17(水) 20:55:48
親鸞のカフェ
>筆綾丸様

 親鸞のカフェなんてものがあるんですね!情報ありがとうございます。
 営業は12月末までなんて、急いでスケジュール調整しなきゃ!!
 面白そうです。話のタネに行ってみたい。

325鈴木小太郎:2007/10/17(水) 22:11:41
電卓男
>筆綾丸さん
計算してみました。

「宏済善堂がペルシャアヘンであげた二千万ドルという金額は、当時の為替レートで換算し、現在の貨幣価値に直すと、三十兆円近くにのぼる」の部分ですが、ペルシャ産アヘンの輸入は昭和13年(1938)ごろの話なので、当時は1円=0.3ドル程度。
とすると、2000万ドルは約6666万円。
日銀の企業物価戦前基準指数を用いて、『阿片王』が出版された平成17年(2005)と昭和13年(1938)の物価水準を比較すると、
665/1.327=501.13
即ち、約500倍と考えればよい、と。
とすると、昭和13年当時の2000万ドル=6666万円は、平成17年には334億となり、佐野氏の言う30兆円とは3桁違ってきます。

また、「里見の証言でもう一つ注目すべきなのは、蒙古産アヘンの取り扱い量の多さである。その量はペルシャ産アヘンの実に二千五百倍に達している」との部分は、その前、262ページの「私の売った阿片の量は全体でいくらであつたかは正確には記憶致してゐませんが、大体ペルシヤ阿片四千函、蒙古阿片一千万両程であつたと思ひます」を受けているのですが、里見証言では明らかに「函」「両」を使い分けているのに、佐野氏は単位が同じだとして、10,000,000/4,000=2,500倍と計算してますね。
しかし、260ページに「ペルシアの阿片は一六〇ポンドの箱、即ち1920両づつの箱に入れられて来ました」とあることからも明らかなように、四千函とは1920両の箱が4000個ということですね。
蒙古阿片一千万両は1920で割ると5208箱となり、ペルシヤ阿片4000、蒙古阿片5280という割合は、当時の諸事情を考えると、まあ妥当かな、と。
アヘンの価格は時期によって相当変動が激しく、ペルシャアヘンは高く売れる時期に輸入したらしいのですが、ま、それも考慮せず、蒙古アヘン5208箱がペルシャアヘンと同じ割合で利益を出したとすると、平成17年の物価に換算すれば、
334×5208/4000=435億。
ペルシャと蒙古の合計で、平成17年の物価で考えて利益は769億、と。
ま、当たらずといえども遠からず、という感じはしますね。

江口圭一氏の『日中アヘン戦争』(岩波新書、1988)に、割ときちんと数字があげられていたような気がするのですが、手元にないため確認できません。
それにしても佐野眞一氏の注意力と計算能力はひどすぎますね。

参考
東京大学、伊藤隆敏氏「円の歴史PPP」
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~tito/course2006/JS/InternationalFinance/if_9.pdf
日銀「教えて!にちぎん」
http://www.boj.or.jp/oshiete/history/11100021.htm


>井上さん
サンキュです。

>釈さん
本をやたら乱暴に扱って買わずに去って行く人を見ると、一瞬、微かな殺意を覚えました。

326釈由美子が好き:2007/10/18(木) 00:09:27
アップ情報♪
 「目録」に「北条時輔関係史料目録」をアップしますた♪

 力作です。是非、ご活用くだされ。


>はぎつきさん
>「カフェ・ド・シンラン」
 渋い看板ですな。


>小太郎さん
>本をやたら乱暴に扱って買わずに去って行く人
 便所や校舎裏に拉致して、鉄槌を下し、常識や礼儀と言うモノを身体に叩き込ンでやるべきですな。

327筆綾丸:2007/10/18(木) 20:38:35
コム・サ・デ 浄土
小太郎さん
http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/weapon-price-sai-axx.htm
電卓の計算結果、とてもよくわかりました。
この値段表によれば、阿片の利益で、ステルス戦闘機ラプターなら3機買えることに
なりますが、妥当な数字でしょうね。エアバス社の旅客機A380なら2機ですか。
阿片の利益の何割が東條英機に流れたのか、何の根拠もありませぬが、ロッキード事件
などを考えますと、約1%の5億円くらいかな、と思いました。
基礎的な数にこれほどの錯乱があると、アルカロイド系の幻覚のように、佐野氏の描く
「満州帝国」は妄想の産物にすぎぬのではないか、などと思われてきますね。

はぎつきみたえさま
万障繰合せの上、私も行く予定です。
料理は洋風の「六角形の夢」と和風の「歎異懐石」、食前酒として美作国の芋焼酎
「アンチ顕密」、食中酒として隠岐国のロゼ「言葉」、食後酒として天国のリキュール
「コムサデ浄土」、デザートは戦国風抹茶のシャーベット「○如」、協賛は緑青蓮院
・・・などと仄聞しています。

釈由美子が好きさん
氏家氏の著書は面白いものが色々ありますが、「男の来た道」は絶品ですよね。一口に
武士と言っても、中世と近世と、これほど相違すると、鎌倉期の武者が聞いたら、そんな
やつらと一緒にするんじゃねえ、と激怒するでしょうね。よくもまあこんな駄目な連中
ばかりで江戸の公方様は続いたな、と思いましたが、穀潰しの士を除いて、「農工商」
がシッカリしていたからなのでしょうね。

328中世初心者:2007/10/18(木) 23:35:05
真慈悲寺展
東京都日野市の「日野市立 新選組のふるさと歴史館」は普段、新選組関係の展示をしてますが、今は中世の日野市にあった寺院「真慈悲寺」の展示をしてます。
特別展示「幻の真慈悲寺を追う」
平成19年9月23日(祝) 〜12月16日(日)
詳細 日野市立郷土資料館
http://www.city.hino.tokyo.jp/museum/
真慈悲寺は平安末期に創建され、源頼朝の支援を受けて源氏御願寺になった寺で、吾妻鏡に二ヶ所、名前は見えるものの長い間、所在不明だった幻の寺です。
吾妻鏡によると頼朝が行った後白河法皇の四十九日には3人の僧が招かれています。
展示には、吾妻鏡やたくさんの中世瓦、そこで出土した経筒などが展示されています。
日野市では、プロジェクトを造り、多数の市民ボランティアが謎に取り組んでいて展示の説明もボランティアが日替わりで担当してます。
あのあたりは、武蔵国府に近い上に鎌倉と武蔵を結ぶ要路際なので、そんな寺があったのでしょうね。
中世ファンなら見て置いて損は無いと思いますので紹介します。

329釈由美子が好き:2007/10/19(金) 08:27:51
異種。
>中世初心者さん
 いらっしゃいませ♪
 お知らせ、ありがとうございます。
 今後とも、よろしくお願い申し上げます。


>筆綾丸さん
>武士と言っても、中世と近世と、これほど相違すると、
 そーなんですよ。同じ呼び方されてますし、確かに繋がってはいるんですが、全然別のイキモノですよね。

330はぎつきみたえ:2007/10/19(金) 20:33:34
達者でな!
 東京ガスのガス・パッ・チョのCM、織田信長(最終回)編に泣かされております。

>筆綾丸さま
>料理は洋風の「六角形の夢」と和風の「歎異懐石」、食前酒として美作国の芋焼酎
「アンチ顕密」、食中酒として隠岐国のロゼ「言葉」、食後酒として天国のリキュール
「コムサデ浄土」、デザートは戦国風抹茶のシャーベット「○如」、協賛は緑青蓮院

 もうちょっとで信じるとこでしたよ(笑)!!
 イタリアンなのですね。↓

 http://www.sotokoto.net/lohasbar/menu.html

331釈由美子が好き:2007/10/19(金) 20:45:55
俺も。
>はぎつきさん
>織田信長(最終回)編に泣かされております。
 俺も泣いた。
 あれは、良いね。

 「論」とか言いながら、その実「論」でもナンでも無い、一見ご立派で実は中身の無いタワ言(思いつき・妄想のたぐい)を書き散らしたムダな紙のタバより、あの数十秒の方が、よっぽど素晴らしい。

332鈴木小太郎:2007/10/20(土) 01:21:02
電卓男2
>筆綾丸さん
江口圭一『日中アヘン戦争』(岩波新書、1988)を入手して、いくつか確認できたことがあるので、数字を修正しておきます。
里見が華中で販売したペルシャアヘンを輸入したのは三井物産であって、東京裁判に検察側書証として提出された「三井物産株式会社によるペルシャアヘン輸入」によると、1938年から1940年にかけて、都合6回の輸入量合計は4400箱、70万4000ポンド(316.8トン、880万両)だそうですね(同書p.104)。
4400箱というのは里見の記憶4000箱と近く、里見証言の信頼性を裏付ける書証です。
江口氏は「1939〜40年の為替レートは1ドル約4円なので」、ペルシャアヘンによる利益約2000万ドルは約8000万円としています。
8000万円だとすると、現在価値は500倍して400億円となりますね。
それと、里見証言で「ペルシアの阿片は一六〇ポンドの箱、即ち1920両づつの箱に入れられて来ました」は里見の勘違いらしくて、アヘン一箱は「160ポンド、72キログラム、2000両」だそうです。(p.99)
とすると、蒙古阿片一千万両は2000で割って5000箱。
ペルシャアヘン4000箱に対し、蒙古アヘン5000箱であって、「ペルシャ産アヘンの実に二千五百倍」ではなく、1.25倍ですね。

>ステルス戦闘機ラプターなら3機
なるほど。
江口氏は「この当時の8000万円は翔鶴・瑞鶴級(2万5675トン・84機搭載)の航空母艦一隻の建造費にほぼ相当する」としてますね。
戦艦大和でも建造費は1億3780万円だそうで、佐野氏の計算並みに潤沢な予算があったら、アメリカに勝てたかも。
兵器以外だと、エンパイア・ステート・ビル(1931年竣工)の建設費は2470万ドル、ゴールデンゲイト・ブリッジ(1937年竣工)の建設費が2700万ドルだそうで、2000万ドルではちょっと足りませんね。

『阿片王』を最初に読んだときは、何だか変なことを書いているなとは思ったのですが、まさか佐野氏が3桁の計算ミスを2回続けてやっているとは想像できませんでした。


>中世初心者さん
いらっしゃいませ。
シンポジウム「幻の真慈悲寺を追う」は12月16日(日)ですね。
詳細が分かったら、またお知らせください。




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