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Web誌友会 板/2
2761
:
a hope
:2013/09/12(木) 18:11:59 ID:dyDQLtZQ
みなさま こんばんは
本当に、2020年のオリンピック開催が東京に決まり、日本の未来に一筋の明るい光が射したようですね!
ここで、次回 web誌友会の予告をさせていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第17回web誌友会予告
日時 9月20日(金)21時30分〜
9月21日(土)23時まで
テキスト 『生命の實相』第4巻
第5章から第8章まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この第5章〜7章までは、雅春先生と談話者の会話形式で書かれていて、とても具体的にわかりやすく真理が説明されていると感じています。
特に、わたしは気功をしていたことがあるので、第5章の『「生命磁気」の流れ』のお話のところは興味津々です。
手と手を合わせる合掌にも、とても重要な意味があるのですね。
このweb誌友会にはどなたでも参加できて、復興Gさまの素晴らしいご指導が受けられます。
どうぞ、みなさま、テキストの範囲を拝読されて、質問はもちろんですが、心に残ったり場所を紹介してくださるだけでもいいですので、気軽にご参加くださいね!
2762
:
復興G
:2013/09/12(木) 18:32:01 ID:AB6RqYXc
a hope さま、特にお世話をかけます。
皆々さま、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
2763
:
トキ
:2013/09/12(木) 18:46:39 ID:JoLlTw8I
>>2759
ありがとうございます。祈らせていただきます。
また、誌友会のご指導、ありがとうございます。
楽しみであります。よろしくお願いいたします。
合掌 ありがとうございます
2764
:
トキ
:2013/09/12(木) 20:55:53 ID:JoLlTw8I
先日、私の縁者の「一白鳩会員」と話していたら、大昔の話になりました。
戦前や戦後の谷口雅春先生の講習会など、活気がすごかったと言います。何よりも、会場から出て来た人の
顔つきが生き生きとしていて、明るく、元気な様子だったといいます。戦前はともかく、戦中や戦後の誌友会
なども、あんな困難な状況だったのに、たくさんの人が集まり、その上、どうやって工面したのか、あの物資
が不足した時代にもかかわらず、茶菓子が出ていたそうです。誌友会に集まる人もみんな素晴らしく、真剣に
道を求める人達の集まりである、という事がよく分かったと話していました。
そういう誌友会の雰囲気を味わえる機会は、リアルの世界では減りましたが、webの世界では、せめて味わい
たいと思います。
皆様のご参加をお待ち申し上げます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2765
:
復興G
:2013/09/12(木) 21:22:44 ID:AB6RqYXc
トキ様
ありがとうございます!
2766
:
ユタカ
:2013/09/12(木) 22:12:35 ID:R1D4Jmeg
志恩さま
>みい〜〜んなの復興G様であることを、お忘れなく!! (ドストライクな一言をありがとうございます。)
ですが、早速、復興Gさまの方から、「みなさん、だ〜〜〜い好き!」って言っていただいたからOKですね?! えへっ!えへっ!
2767
:
ユタカ
:2013/09/12(木) 22:46:11 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
> 私は2020年東京オリンピック決定には神意が働いており、神の御心は必ず実現する。だから、よろこんで神意に添うように私たちみんなが協力し合うことが大切だと思っています。
神意に添う心というのは、中心帰一・大調和の心、感謝の心です。
神意に適わない争いと我欲の心を優先させていては、神のご加護を得ることができない。
神の御心から外れた方向へ暴走すれば、7年後にオリンピックが開催される東京に関東大震災級の大地震が起きないとも限らない。もしそうなったら、世界人類にとっての大ショックとなります。
決してそうならないように、私たちは今こそ 「世界平和の祈り」 を日々熱祷してまいりたいと思います。神に感謝し、全人類に感謝祝福と愛の実践を行じてまいりたいと思います。私たちにはその使命、責務が与えられていると思います。
一緒にお祈りさせてください。是非! 賛成です!希望の言葉をありがとうございます。
いろいろ教えてください。
a hopeさま ありがとうございます。
お世話になります。今度の終わりのお祈りは出せるよう旧PCで見ていますね!
いつも本当にありがとうございます。気功されていらしゃるのですね!すばらしいですね、時間のあるときまた聞かせてください。
2768
:
復興G
:2013/09/12(木) 23:43:59 ID:AB6RqYXc
ユタカさま
>>一緒にお祈りさせてください。是非! 賛成です! <<
ありがとうございます!
全体の1%の人が真剣に祈ったら、全体の運命が変わると言われています。
毎日、世界平和の祈りの後、
>>2759
に書きましたように、
「神様の天降る 2020年東京オリンピックの大成功」
を祈り続けてまいりましょう。
具体的な祈りの言葉は、そのときに思い浮かぶ言葉を、思い思いに念ずればよろしいと思います。
ありがとうございます!
2769
:
復興G
:2013/09/12(木) 23:51:11 ID:AB6RqYXc
みなさま、web誌友会参考文献板の方も長文になりましたが、お読み下さって、感想をお聞かせ頂ければ幸せです。
2770
:
復興G
:2013/09/13(金) 11:08:51 ID:AENtSm/U
>>2755
:ユタカさま
>>私なりに心に残ったので赤線を引いたご文章を下記に・・・
生命の実相第4巻 P、159
山口ーー「縁なき衆生は度し難し」と申す言葉がありますが・・・・。
谷口ーー縁のない衆生はひとりもない。ただ機縁が熟しているかいないかです。釈迦に弓を引いた提婆達多も成仏する。キリストを売ったユダも成仏する。地獄も餓鬼も修羅道も成仏する。地獄も餓鬼も修羅道もいっさいの不完全なものは実在でないから
「やがて 消える去るべき 運命 をもっているのです。」<<
――私は上記を読んで、それは具体的にどういう体験があるから 「心に残った」 のか、訊きたいという思いに駆られましたが、やめました。そんなことをしても何のプラスにもなりませんからね。
「縁のない衆生はひとりもない。」
「あらゆる人間は、救われるほかにありようはない」
のですから、われわれは人を救おう救おうと力むのでなく、救いは神様にお任せして、われわれは常不軽菩薩として他を拝んで行けばいいんですね。
2771
:
復興G
:2013/09/13(金) 11:09:27 ID:AB6RqYXc
私は、今朝も 「世界平和の祈り」 をしましたが、そのとき、「我れ」 というものは本来無い。私の中にすべてがあり、全ての中に私はあるんだ。だから、「神の無限の愛、われに流れ入り給いて……」 という 「われ」 は、人類すべてである。だから――
「神の無限の愛、すべての人類に流れ入り給いて、すべての人類において愛の霊光燦然と輝き給う……」
そう祈りました。
そうしたら、おのずから2020年の東京オリンピックでは愛の霊光燦然と輝くすがたの中で、各国選手たちが存分にその個性と無限の可能性を発揮し、生命がいきいきとあふれ出る、すばらしい 「平和の祭典」 として大成功裡に行われると信じられました。
2020年東京オリンピック大成功、バンザイ!! です。
ありがとうございます。
2772
:
復興G
:2013/09/13(金) 11:20:45 ID:AB6RqYXc
>>2761
: a hope さま
>>特に、わたしは気功をしていたことがあるので、第5章の 『「生命磁気」の流れ』 のお話のところは興味津々です。<<
――私は 「気功」 を知りませんので、 「気功」 というのはどんなものなのか、「気功」 と生長の家の教えとはどのようにつながるのか、など、興味津々で、a hope さまから教えて頂きたく思っています。よろしくお願いいたします。
2773
:
トキ
:2013/09/13(金) 17:27:26 ID:DGM/Xq/g
「気功」で少し思い出した事があります。生長の家宇治別格本山に参拝したときに会ったご高齢の信徒さんが、
『10年程前、大腸がんになり、ある人から勧められて「気功」を始めたら、逆に病状が悪化した。その後、
練成を受けてから、好転をした。」
という話をされていました。別の友人もガンでなくなられたのですが、なくなる前に「気功」をしていた、と
聞いた事があります。しかし、効果がなかったと聞いています。
もちろん、「気功」は、やはり健康に効果がある人も多いと思います。テレビなどを見ると、不思議な事が
多々あるみたいです。ですから、きっと優れたものに違いありませんが、やはり限界もあると感じます。
2774
:
a hope
:2013/09/13(金) 20:30:38 ID:dyDQLtZQ
ユタカさま 復興Gさま トキさま
気功にしても、ヨガにしても、宗教にしても、突き詰めればすべて同じ「人間は霊的実在(神の子)である」という
真理を体得するための方法なのではないかと感じています。
わたしは、病気治しや、他の現世利益のために気功をしていたわけではなく、
自分が独身時代に経験した幽体離脱がなんだったのかを知りたい一心に、精神世界のことを色々調べているうちに、
ご縁があってある気功の先生とめぐり会い、一時期ご指導を受けていたのです。
詳しいことは話せませんがトキさまがおっしゃるように、気功をしているときにはわたしにも色々不思議な事が起きました。
人体をめぐる「氣」の状態がよければ健康ですべてがうまくいくし、滞っていれば病気になったり不幸が続いたりします。
この、気功の「氣」に相当するのが、第5章に出てくる「生命磁気」なのではないかと思うのです。
いずれにしても、それが神の御心に沿った正しいものであれば病気も治り、運命も好転するのだと思いますが、
そうでなければ、反対の結果が現れるのだと思います。
ですから、気功に限らず、宗教も神の御心から外れた教えであれば、同じような危険が伴うのだと思います。
2775
:
復興G
:2013/09/13(金) 21:15:29 ID:AB6RqYXc
>>2774
:a hopeさま
なるほど。
私も、「気功」 は病気治しのためにするものではないと思っていました。
a hopeさんは、独身時代に 「幽体離脱」 という体験をされたのですか。それはどんな体験だったのか、お時間のあるときに教えて頂けるとありがたいです。
2776
:
ユタカ
:2013/09/14(土) 08:42:18 ID:R1D4Jmeg
復興G様 トキ様へ
今朝も
>>2741
とWEB版の参考文献の霊性の目覚めを読みまして、浄化されました。
お祈りの大切さ、それがわずかでも全体を動かせると思うと嬉しくなってしまいます。
復興Gさまは連休中もいろいろと多忙でしょうから、連休が終わってひと段落がつきましたら、誌友会の後でも、始まりでものお祈りの時に「神さまの天降りる喜びの平和の祭典東京オリンピック」を震災などがないように?かまたは祝福してのお祈りの言葉を貼ってはいかがなものでしょうか?
今は決定直後で嬉しい!ですが、7年後ですから、途中忘れないようにここで貼っておいては如何でしょうか?
そうすると、世界平和のお祈りもずーーと、熟祷の継続になると思うのですが??
如何なものでしょうか??
2777
:
ユタカ
:2013/09/14(土) 08:46:32 ID:R1D4Jmeg
訂正
>2776 お祈りの言葉を貼ってはいかがなものでしょうか?
お祈りの言葉を貼るというのはどうでしょうか? に訂正させてください。
2778
:
復興G
:2013/09/14(土) 22:01:07 ID:AB6RqYXc
>>2776
:ユタカさま。
>>2741
とWEB版の参考文献の 「霊性の目覚め」 は、ほんと、すばらしいですね。読み返して、また私も感銘を深くしています。ユタカさまが貼ってくださったおかげです。
>>誌友会の後でも、始まりでものお祈りの時に 「神さまの天降る 喜びの平和の祭典 東京オリンピック」 を震災などがないように? かまたは祝福してのお祈りの言葉を貼るというのはどうでしょうか? <<
はい、では私の内からわきあがる言葉が出てきましたら、公開させていただきます。
それは私だけでなく、皆さまの内なる神様のみ声と申しますか、思い浮かんでくる言葉も、遠慮なく公開してくださいますように。
ありがとうございます。
2779
:
a hope
:2013/09/15(日) 11:43:09 ID:dyDQLtZQ
復興Gさま
わたしの幽体離脱(体外離脱)体験ですが、あまり詳しい説明をすると身バレしてしまうので簡単にしか書けませんが・・・。
20代前半のとき、心身ともにものすごいストレス状態にあったときに経験したのです。
当時のわたしは、「神」の存在を否定し続けていました。
その時も、「神なんかいるはずがない。神がいたらわたしをこんな苦しめるはずがない。もし神が姿を現したらたら殴り殺してやる。」
というような恐ろしいことを呪文みたいに唱えながら自室のベッドに横たわっていたのです。
そしたら、突然、わたしの体がフワリと浮いて、天井から下を眺めていたのです。
そこで、見たのがベッドに横たわる自分自身の姿でした。
なにが起っているのか全く分からず、不安になって「自分の体に戻りたい!」と思った瞬間に戻りました。
その時の感覚ですが、それは夢とか幻想ではなくて、ものすごい現実感があったので今でもはっきり覚えているのです。
その経験の後、すぐに神の存在を認めたわけでも、自分が「霊的実在」であることを悟ったわけではありませんが、
とにかくまわりの景色が以前よりもずっと明るく見えて、気持ちがとても楽になりました。
余談になりますが、その後海外に行く機会があったのですが、その体外離脱した時の浮遊感が、
飛行機が滑走路から離陸した後、高度を上げていくときの感覚にすごくよく似ているのに驚きました。
最近では、あの時の体外離脱経験は、神が「あなたはそんなに苦しんでいるけれども、本当のあなたはその肉体ではないんだよ。」ということを、
つまり、人間は「霊的実在」であることを、気づかせてくれるきっかけを与えてくれたのではないかと思っています。
実際、その後徐々にわたしは精神世界に目覚めていきましたから・・・
本当にすべての出来事には意味があるのだと思います。
2781
:
復興G
:2013/09/15(日) 20:11:34 ID:AB6RqYXc
>>2779
:a hopeさま
幽体離脱(体外離脱)体験について詳しく書いて下さって、ありがとうございました。
そういうことが、あるんですね。
2782
:
山本富士子
:2013/09/16(月) 19:46:34 ID:ugbc/P.M
合掌 ありがとうございます。
復興 G 様
いつもレベルの高いまごころあふれる誌友会を開催してくださり
ありがとうございます。ピントがずれた質問かもしれないと思い、
迷う気もありますが、質問させていただきます。
私は「今のおしえ」問題について、雅春先生だったら、なんとお答えに
なるだろうか?と考える時に思い起こす本に「善と福との実現」の中で
恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章のなかに、ある信徒がみ教えを
実践すべきではないかといわれたことに対して先生は信徒の誰がそこまで実践
したものがあろうかと答えていました。(その時、私はみおしえの底の深さに
、G様のご文章を拝読するときもそれは感じます。)
そして、もしかしたら雅春先生は、全面的に雅宣総裁についていきなさいと
いうのかなとおもったりしてしまいます。
☆しかし私は幸せな気持ちで誓願券を記入することができないのです。
全然変わってしまった文章をまごころこめてかくことができないのです。
そして、それを書くことをことわることもできないのです。わずか数枚のわりあてを
上手に断ることができないのです。
実相完全円満のすばらしさ(講話)に感動する心とは別にこんなささいなことに
こだわる自分があるのです。
G様にはなにをお聞きしたいのかわけがわからなくなりましたが、、、、
2783
:
復興G
:2013/09/16(月) 23:21:45 ID:AB6RqYXc
>>2782
:山本富士子さま
ご質問、ありがとうございます。
私は、『善と福との実現』 のご本を持っていますけれども、その中で 恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章 というのをよく読んでいませんでした。
今、じっくりと読んでいるところです。
よく読んでから、明日、お答えするつもりですので、しばらくお待ち下さい。
ありがとうございます。
2784
:
復興G
:2013/09/17(火) 10:13:12 ID:AB6RqYXc
>>2782
:山本富士子さま
ご質問、ありがとうございました。
『善と福との実現』 のご本を読み返しました。
お気持ちは、わかります。
私だって、迷います。ささいなことにこだわりもします。
現象世界に生きていれば、だれでも迷います。
谷口雅春先生も、迷われた。それは、『善と福との実現』 に書かれていますね。
このご本を持っていない人のために、その内容の一部、私が感銘を受けたところを謹写掲示させていただきましょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
離婚は悲しきことであり、離縁は痛ましきことである。私にも地上の悲しみがあり、避けがたき悲劇がある。私を、天上の御簾(みす)の奥にある寳座(ほうざ)に坐つて如意自在の法悦三昧にふけつてゐる神様だと思つてゐる人があるかも知れないが、私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから憐むことによつて多くの人達の悩みを知る。
私は自分の妻と子供の病苦をみづから征服することによつて多くの人々に病苦克服の道を教へて彼らを救ふことが出來たのである。家庭苦の問題に於いても同様である。眞に体験を通してのみ悲劇が如何ほどのものであるかを知ることが出來る(悲徳)。それは私に使命的に課せられた課題だと云ふことが出來る。
私が人生に於いて嘗める悲劇は、わたし自身がつくるものではないのであつて、神から如何に解決するかの課題として提供せられたものである。私はひとつひとつそれを解決することによつて、人間苦は斯くの如くにして解決し得るものであると云ふ具体的解決法の模範を示すべき使命があるのである。
みづから苦しむことによつて他の人の苦しみを解決し(悲徳)、他の人に樂なる生活を開示しなければならない(慈徳)。そのためには實相を観て喜ぶ方法(喜徳)と、行くべきを行かしめ、捨つべきを捨てしめて、解放によつて相手を救ふ方法(捨徳)とがある。
慈悲喜捨の四徳は互にからみ合つて糾(あざな)へる縄の如きものであり、時にはみづから苦しみて体験によつて苦を乗り超え、抜苦の方法を示さなければならないのである。
私は貧苦を身みづから体験し、關東大震災にて焼け出され、眞に無一物になつてから、人より富を頂かずして神より富を仰ぎ受ける道を発見し、その道を人々に授ける事によつて多くの人々は救はれたのである。
眞に体験を通して得たる「苦」の克服の道でないものは迫力がなく権威がない。私は養父母と新夫婦との生活の調和の道を、たがひの生活を別にして、互が互を縛らぬやうに生活し得ることにしてそれを解決したのであつた。
人間は幾度も生れ更る世代のうちに色々の人生の体験を経なければならないのである。釈迦も過去現在因果経や本生経を読むと、色々なものに生れて來てをられる。かくてこそ人を救ふ完全な人師となることが出來るのである。
併し、まだその頃には私には、悲しい離婚の経瞼もなければ、苦い離縁の体験もなかつた。離婚の悲しみ、離縁の苦しみに悩みゐる者は如何にしてその悩みから脱し得るだらうか。
それは頭脳ではわかつてゐるにしても眞に悲痛な体験を身みづから体験しなければ、眞に悲痛な家庭苦に悩む者のために倶(とも)に泣き、倶に苦しみ、その苦しみから解脱する伴侶となることは出來ない。それは悲徳の足りない道學者となり勝である。
さう云ふ道學者は、ただ離婚したならば相手の實相を拝みやうが足りないのだと簡単に批判する。相手の悲しみに同悲する心もなければ、その苦しみを眞に抜き去る慈徳もない。
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<つづく>
2785
:
復興G
:2013/09/17(火) 15:44:49 ID:AB6RqYXc
>>2784
のつづきです。
谷口雅春先生は、同上書に、あるご婦人に対して次のようなご指導をされたことが記されています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
或る時の白鳩会例会で一人の婦人が、「結婚してから一年になりますが、良人(おっと)の妹が事毎に自分に楯ついて、一緒に生活するのが到底たへがたい思ひがします。一そうのこと離婚して頂きたいと思つてゐますが、先生一体どうしたら宜しうございませうか」と問うたのであつた。
私は其の時、日本の家庭が今迄どんなに人間を縛つてゐるものであるかを痛感したのである。結婚は新夫婦當事者の愛の結合であつて、決して「小姑」と称せられる如きものから窘(いじ)められるために結婚するものではないのである。また良人の姉妹であるがゆゑにとて彼の妻を圧迫して好(よ)いものではない。其処には日本の家庭にありがちな、深く父コンプレックスに根ざしたところの悪習俗が残つてゐると云はなければならないのである。
良人側に属する姉妹なるが故に、妻側をいぢめて好いと云ふやうな考へが、完全に日本の各人からぬき去られない限りは、日本の家庭の不幸は払拭されやうがないのである。
無論、いぢめられるのは其の婦人自身の自覚が足りないのでもある。恐らく其の婦人の心の中に、嫁に行けば姑や小姑とからいぢめられるのが當然である。これは巳むを得ざる女性の運命であると云ふやうな諦めが其の婦人の心の中に存在したことが、其の婦人が小姑からいぢめられた原因の最大なものであるのであらう。
『智慧の言葉』にも、「人間は先づ自分を侮つて他より侮られる」と云ふことが書かれてゐる。「弱きものよ、汝の名は人妻なり」と云ふやうな氣の毒な自己輕蔑自己侮辱が、他の圧迫を招び出すやうになつてゐるのだと云ふことも出來るのである。私はその時斯う答へて云つたものである――
「なにも貴女は妹からいぢめられる必要はないではありませんか。世の中には姑にいぢめられる嫁もあるが、姑をいぢめる嫁もある。それは必ずしもどちらを窘(いじ)めるかは決つてゐない。しかし弱い者は強い者に窘められるのであつて、その反封はあり得ないのです。
貴女が妹にいぢめられると云ふのは貴女が弱いからなんですよ。あなたの爲すべきことは貴女が強くなることなんです。鼠(ねずみ)は猫に窘(いじ)められる。それは鼠の方が猫より弱いからです。鼠が強くて猫が騒ぎ立てても平然としてゐるし、咬みついて來たら、逆に払ひのける力があるならば、猫は決して鼠をからかひには來ないでせう。他から虐められないためには先づ強くなることが必然です。」
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――そうしてこのご婦人には、夫婦が一緒にその妹のところから去って別居することを勧められたのですね。
愛娘 恵美子様の最初の結婚の場合は、戦時中のことでしたが、夫と性格が合わなくて、夫を尊敬し愛したいと努力しながら、どうしても愛することができなくて、悩み苦しみ、だんだん痩せ衰えて行く。それを、「私が悪いのです」 と自分を責めつづけている恵美子様の日記を見られて、谷口雅春先生は婿養子になっていた恵美子先生初婚相手の夫を離縁、離婚させられるわけですね。そうして――
≪私は雑誌に、離婚のことを発表したのである。(中略)
平和家庭の模範であると考へられてゐる私の家庭に養子の離縁を発表することは、自分で自分の顔に泥を塗るやうなことになるのである。けれども私は自分で自分の顔に泥を塗ることに決心したのである。私は私がどんなに攻撃されても誤解されても好い、娘の生涯に新しい希望と道とを開かねばならないと考へた。
今のやうに娘の良人がただ漠然と召集されて消息がないかのやうに、朦朧たるうちに隠されてゐたのでは娘は再び結婚の幸輻を味ふことは出來ない。ハッキリ別れたことは別れたと発表することによつて次の新生活の道がひらけるのである。私は決心して養子の離婚を発表したのであつた。≫
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
<つづく>
2786
:
復興G
:2013/09/17(火) 16:42:28 ID:AB6RqYXc
>>2785
のつづきです。
谷口雅春先生も、こうしてある意味でたいへんお悩みになったと考えられます。先生は
≪私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから憐むことによつて多くの人達の悩みを知る。≫
と書かれているわけです。
そうして――
≪一切衆生 悉有佛性 の眞理は、一切の男女を平等に 「佛」 として礼拝し、「佛」 として自由に幸幅を創造し享受することが出來る時代が來たのである。私の娘も、「佛」 のひとりとして、男性に劣らず初婚ならずとも幸福を創造し、享受する自由を得ることになつたのだ。併し、娘は尚、自分は再婚だから、二度目の結婚はどうせ、好い相手を選ぶ資格はないと信じてゐる……
「汝の運命は、汝の信ずる通りのところのものである」
この生長の家の教は眞實である。「私はどうせ好きな相手を選ぶ資格はない」 と云ふ娘の信念は、自分で自分の運命に堰をすることになつてゐる事を観た。
世間の多くの女性たちが、みづから最も良き相手を選ぶ資格がないと、自分で自分を限定して如何に不幸の運命に自分を幽閉してしまつたことが多いことであらう。
私は、私の娘の運命をきりひらくことは、ただ自分の娘の運命だけの問題ではないと思つた。私の娘と同じやうな境涯の幾十萬人の婦人の運命をひらいて見せるために神が私に斯のやうな課題を與へた。
「人間は再婚でも何でも、みづからを不幸にわざと押し込め鎖ざさない限りは、無限に新たなる幸福が待ちかねてゐるものである」 と云ふ眞理を實際に實現して見せることによつて、幾十萬人の再婚の婦人の運命を救ふことになつてゐるのである。
それは初婚の良人と生きて別れた女性だけの問題ではないのである。應召した良人に死別した女性の再婚の問題の解決は、今後の日本の女性にとつては由々しき問題を提供してゐるのである。
みづから好んで、一人の良人を守り通す健氣(けなげ)な婦人のことは別として、傅統に縛ばられ、習俗に阻まれて再婚する決心もつかず、再婚するにしても、「どうせ私は再婚だから幸幅な結婚は出來ない」 と自分の運命を迷信で縛つてゐる女性のために、再婚は決して神の掟に反(そむ)くものでないこと、
過去はないこと、人間は常に 「今」 新生するものであること、そして人間はいつでも永遠の処女であり、永遠の神性であるから、どんな時にも、最大の幸福生活を希望する自由と権利とを神から與へられてゐるものであること――
此の眞理を、ただ説くだけではなく、生活に實践しなければならない。それは私の娘の運命を救ふと同時にそれを模範として、幾十萬の若き日本の未亡人を救ふ事になるのであり、それこそが神が私に解決すべく課したる処の課題であると。
私はその時、一人の青年の姿を私の娘の良人として思ひ浮べた。そしてそれは成就した。彼の名は荒地清超と云ひ……≫
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
――ということになるわけですが、その間、次のようなご指導があります。これは、たいへん素晴らしい貴重なご指導だと思います。
<つづく>
2787
:
復興G
:2013/09/17(火) 16:43:05 ID:AB6RqYXc
>>2785
のつづきです。(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
≪娘が時々母親にすすめられたままに日曜の道場の集会に來るときには、私は、無時間、無空間の話をしたり、「今」「此処」の一点のみあつて過去もなく未來もない、随(したが)つて、過去の罪もなく、未來に流転する業因も存在しないと云ふやうな話をした。
神のつくり給ひしこの世界には一切の悪もなく罪もない、吾々はあるべきやうにあらしめられるべく、内部の神の催しによつて動かされてゐる。自分で「かう生きよう」と力むときは、そのままがくだけ、神の催しがくだける。來るもの、催して來るものは悉く有り難いものだけである。
旧(ふる)い道徳的の眼をもつて人を批判してはならない、眞に民主主義の宗教は、「人を斯くあれ」と縛る宗教ではない。各人の内から催して來るところの催しをいづれも神の催しであると拝んでそのまま受けるとき煩悩もそのまま菩提である。
悩みは「悩み」と云ふ實在があらはれてゐるのではなく神の實相があらはれようとする陣痛の如きものである。悩みを通じて實相が尚一層輝いて顯現する。
しかもその陣痛の如き悩みもお産のときの陣痛が、産婦の心持で無痛分娩となつたり、快樂となつたりするやうに、神性があらはれ向上するための魂の陣痛も、それは必至のものではなく、受ける心持の如何によつて苦痛が苦痛でなくなるのである。
苦痛は本來無いのであつて、それは如何にして人生の体験を受けるかの受け方の練習課題としてあたへられる。課題は過ぎ行くべきものであつて、いつまでも課題をつかんでゐるのでは進級が出來ないのである。
あらゆる体験は人生の教科として與へられたる課題である。離婚と云ふやうな人生上の悲劇も、その課題と真剣にとり組んでそれを解決するとき、そのやうな問題と取組まなかつた人々よりも其の人の魂は進化するのである。……≫
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
<つづきます>
2788
:
復興G
:2013/09/17(火) 17:23:46 ID:AB6RqYXc
さて、
>>2782
で 山本富士子さまは、
>>私は 「今のおしえ」 問題について、雅春先生だったら、なんとお答えになるだろうか? と考える時に思い起こす本に、「善と福との実現」 の中で 恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章のなかに、ある信徒がみ教えを実践すべきではないかといわれたことに対して
先生は信徒の誰がそこまで実践したものがあろうかと答えていました。
そして、もしかしたら雅春先生は、全面的に雅宣総裁についていきなさいというのかなとおもったりしてしまいます。
☆しかし私は幸せな気持ちで誓願券を記入することができないのです。
全然変わってしまった文章をまごころこめてかくことができないのです。
そして、それを書くことをことわることもできないのです。わずか数枚のわりあてを、上手に断ることができないのです。
実相完全円満のすばらしさ(講話)に感動する心とは別に、こんなささいなことにこだわる自分があるのです。<<
――と書かれていましたね。
誓願券については、この板の
>>2586
〜
>>2625
あたりでいろいろ論議してきました。私は、
>>2608
のように書いて提出しました。
ユタカさまが
>>2604
で言われているように、
「教化部から文句が来たら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう」
を実行するつもりです。
でも、これにはかなりの決意と勇気が要ることです。
山本富士子さま。
どうぞ、強くなってください。
≪神のつくり給ひしこの世界には一切の悪もなく罪もない、吾々はあるべきやうにあらしめられるべく、内部の神の催しによつて動かされてゐる。自分で 「かう生きよう」 と力むときは、そのままがくだけ、神の催しがくだける。來るもの、催して來るものは悉く有り難いものだけである。
旧(ふる)い道徳的の眼をもつて人を批判してはならない、眞に民主主義の宗教は、「人を斯くあれ」 と縛る宗教ではない。各人の内から催して來るところの催しをいづれも神の催しであると拝んでそのまま受けるとき煩悩もそのまま菩提である。
悩みは 「悩み」 と云ふ實在があらはれてゐるのではなく神の實相があらはれようとする陣痛の如きものである。悩みを通じて實相が尚一層輝いて顯現する。≫
のですからね。
あなたはそのまま、神様の自己実現なのです!
よろこびましょう!
2789
:
トキ
:2013/09/17(火) 19:32:32 ID:p7wViwYo
谷口雅春先生のご文章を拝読し、ある戦前ご入信の先達の話を思い出しました。
この件があったとき、谷口雅春先生はかなり悲しまれたそうです。ところが、あるお弟子さん(K氏としておきます)
が、この件で、谷口雅春先生を批判されたのを聞き、当時、若輩ながらも谷口雅春先生の事を尊敬していたその先達
は唖然とされたそうです。その後、K氏は生長の家を辞めて、一派を立てられたので、その先達はそのことを思い出し
たそうです。
ただ、それまでは信徒が離婚をするのを憚れる雰囲気があったそうですが、その件があって以降、その事をとりたてて
問題にする風潮はなくなった、と聞いています。
どうも、話の腰を折るような話をして、申し訳ありません。
2790
:
トキ
:2013/09/17(火) 19:34:52 ID:p7wViwYo
それと、思い出したのですが、その先達と話している時に、
『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」
と話したら、
『悲願ではなくて、喜願ですよ」
と訂正をされた事がありました。復興G様のご文章を拝読し、思い出しました。失礼をしました。
2791
:
復興G
:2013/09/17(火) 20:43:16 ID:AB6RqYXc
お詫び・訂正です。
>>2784
・
>>2786
×私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから[憐む]ことによつて多くの人達の悩みを知る。
↓
○私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから[悩む]ことによつて多くの人達の悩みを知る。
2792
:
復興G
:2013/09/17(火) 20:46:46 ID:AB6RqYXc
トキ様、ありがとうございます。
>> 『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」
と話したら、
『悲願ではなくて、喜願ですよ」
と訂正をされた事がありました。<<
――「悲願」 は、「慈悲の心から発する、衆生を救うための誓願」 ということで、本来 「悲しい」 とか 「悲壮な」 という意味ではなかったので、「尊師の悲願である人類光明化運動・・・」 でもいいんでしょうけどね。
2793
:
山本富士子
:2013/09/18(水) 03:08:13 ID:ugbc/P.M
合掌 ありがとうございます。
復興G様
《山本富士子よ! つよく、あれ!》ご指導の一言確かに
いただきました。
我は金剛不壊身なり!実相完全円満なり!としずかに称えながら
新生させていただきます。
百万運動とかいう、野望のてさきにだまされたのではなく
たしかに理想世界誌に盛られた雅春先生のご文章に感動した
若い日々だったのだと、悲しい気持ちも払拭できました。
ご指導ありがとうございました。 合掌
2794
:
a hope
:2013/09/18(水) 09:44:17 ID:dyDQLtZQ
>>2793
新生(神性)山本富士子さま
<<我は金剛不壊身なり!実相完全円満なり!としずかに称えながら
新生させていただきます。>>
お誕生おめでとうございます!
生長の家の教えは、世界最高の教えです。
その教えに忠実に生きればわたしたちは必ず光り輝くのだと思います。
「いのちを守り、人々の魂を救う運動」こそ「生長の家の運動」ではないのでしょうか?
すくなくとも、今現在の生長の家がする運動はわたしにはそれ以外は考えられません。
「教団」」がそれをしないのであれば、自分が足元からしていけばいいのだということに、
大熊先生の「いのちを守る」運動への意気込みを拝見していてやっと気づかせていただきました。
もちろんわたし自身も、大熊先生の「いのちを守る親の会」を支援させていただいています。
そして、たくさんの奇蹟をいただき、感動の毎日を送らせていただいています。
2795
:
a hope
:2013/09/18(水) 09:46:05 ID:dyDQLtZQ
>>2790
トキさま
>>2792
復興Gさま
トキさま:<< 『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」と話したら、 『悲願ではなくて、喜願ですよ」と訂正をされた事がありました。復興G様のご文章を拝読し、思い出しました。失礼をしました。>>
復興Gさま:<<――「悲願」 は、「慈悲の心から発する、衆生を救うための誓願」 ということで、本来 「悲しい」 とか 「悲壮な」 という意味ではなかったので、「尊師の悲願である人類光明化運動・・・」 でもいいんでしょうけどね。>>
わたしは、このお二人のやり取りを拝見させていただいて、今まで自分の中で「もやもやしていたもの」がすっきりとしました。
「実相独在」を貫き通された榎本恵吾先生の御文章等を拝見していると、生長の家の運動は「よろこびの運動」ではなければいけないということはとても良くわかるのですが、
その運動の発進の動機も「よろこび一色」でなけれいけないような気がしていたのです。
ですが、今回、「悲願」という言葉の意味をあらためましてyahooの辞書で検索しみまますと、
―――――――――
語辞書の検索結果 - 大辞泉(JapanKnowledge)
1.
ひ‐がん【悲願】
1 ぜひとも成し遂げたいと思う悲壮な願い。「年来の―が実る」
2 仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。
――――――――
という、二つの意味があることがわかりました。
「生長の家」の光明化運動は、まさにこの″2″の意味、「菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。」が発進の動機であったのだと確信できました。
この菩薩の慈悲の心というのは、右翼・左翼も関係なく、日本人・中国人・韓国人・アメリカ人・・・関係なく、
胎児・老人関係なく、貧乏・金持ち関係なく、教団・本流関係なく、都会・自然関係なく、
すべての人類の魂を平等に救えなかったら本物とは言えないと思います。
谷口雅春先生は、まさにそのような大きな菩薩の慈悲の心で「人類光明化運動」を始められたのだと感じました。
感謝。合掌。
2796
:
復興G
:2013/09/18(水) 20:16:46 ID:AB6RqYXc
>>2793
:山本富士子様。
ありがとうございます!
私は今、明後日20日夜から始まる第17回web誌友会のテキストになるところを再読しているのですが、『生命の實相』 第4巻 150〜152頁に、次のようなご指導があります。
歌川さんという方の体験発表についてのご指導ですが、私はこの 「痛み」 についてのご指導は、人生のすべての悩み、苦しみについても当てはまるのではないかと思いました。
その部分を謹写させて頂きます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
歌川 (前略) わたし自身はまだ本当に健康になりきれないのです。先日も神経痛で激しく痛むものですから、『生命の實相』 の一部分を一所懸命に読んで、肉体は物質だから痛むはずがないという念を強く心に思うようにしましたが、痛みが依然として止まないので、諸方の洋裁の講習に出ますのにはさしつかえるものですから、とうとう医者にかかって治しました。
谷口――あなたはその痛さを病気だと肯定して、その痛さからのがれようとしていられるから痛みが去らないのです。あなたはその痛いということを病気だと思いますか。一局部が痛むということは全身の血液をその一局部へ集中する動員命令がくだっているということです。
胃痙攣(けいれん)などで激痛があったり、手足に激しい痛みを感ずる時には、おうおう脳貧血を起こすことがあるものですが、これは脳髄の血液にも動員令がくだって、故障のある一局部へ血液軍をし集中する結果、一時的脳貧血を起こすのです。
痛みは激しいほどよく、熱は高い方がよい。痛みも熱も病気ではない。かえって病気を治す生命力が強く働いている結果です。物質なる肉体そのものは痛んでいるのではない。肉体は物質であるから本来痛覚はないというのはそういう意味です。肉体が痛んでいるのではない、心が血液に動員令をくだしているのです。
痛むということは、われわれに対するなにか害物の襲来に防禦戦を展開している証拠で、その防禦軍の指揮官がわれわれの心なのですから、痛いときにこれは大変、大病だと思って心が萎縮すると、敵に恐怖して全防禦軍の指揮官が退却命令をくだしたのと同じである。溶菌細胞、抗毒細胞、自療修覆細胞などの兵卒どもが萎縮してしまって、敵の蹂躙にまかせてしまうことになる。そのために病気の経過が永びき、かえって痛みの期間が永びいて治らない。
これに反してこの痛みはけっこうなことである、痛みは病気になったのではない、病気を治しているのである。盛んに防禦戦を行なって敵を早く撃破してくれと思っていると、全身細胞の総帥たるわれわれの心が少しも恐怖しないので、全防禦細胞軍の士気がふるいたち、敵がすみやかに剿滅(そうめつ)されるから、血液の召集命令たる痛みもすみやかに解除されて、痛みが間もなく治るのです。
痛みを恐れて逃げようとすると、痛みはかえって永びく。痛みを喜び迎えるほどになると痛みはかえって早く去る。「恐るるものは皆きたる」というのが心の法則なんです。
あなたの××炎の痛みが永びいたのは痛みを逃げようと思ったからです。しかしその痛みの頂上が来たから医者にかかって治ったといわれるが、医者にかからなくとも痛みの頂上は防禦戦の頂上だから、その次には放置しても治るのです。
この肉体の痛みということは、一つの自分の身に近い実例であります、人生の痛み――人生では痛みといわず、悩み苦しみというのですが、この人生の悩みでも苦しみと思って逃げまどえば、いっそう苦しくなる。この苦しいのは治す働きである。いい換えれば、自分の神の子たる真性を鍛え顕わす働きであると思って敢然と受けることにすると、苦しみがそんなに苦しみでなくなんなく人生の苦しみをくぐり抜けることになるのです。
(以上、『生命の實相』 第4巻 150〜152頁より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――肉体の痛みは病気ではなく、生命が血液に動員令をくだしているのである。
人生の悩み苦しみは、神の子の真性を鍛え顕わす働きである。
感謝して受け、逃げないことにいたしましょう。
2797
:
トキ
:2013/09/18(水) 20:23:00 ID:HPyZdUGM
復興G様
ご指導、ありがとうございました。また、a hope様の言われる通り、悲願は、慈悲の事ですね。納得しました。
2798
:
復興G
:2013/09/18(水) 20:26:59 ID:AB6RqYXc
>>2795
: a hope 様
>>この菩薩の慈悲の心というのは、右翼・左翼も関係なく、日本人・中国人・韓国人・アメリカ人・・・関係なく、胎児・老人関係なく、貧乏・金持ち関係なく、教団・本流関係なく、都会・自然関係なく、すべての人類の魂を平等に救えなかったら本物とは言えないと思います。
谷口雅春先生は、まさにそのような大きな菩薩の慈悲の心で「人類光明化運動」を始められたのだと感じました。<<
まさに、その通りですね。
その法燈を、信徒ひとりひとりが、しっかと継承しなければなりませんね。
2799
:
復興G
:2013/09/18(水) 22:12:07 ID:AB6RqYXc
>>2797
:トキ様
ありがとうございます。大変失礼しました。
話は戻りますが、谷口雅春先生が 『善と福との実現』 の中で、
≪私を、天上の御簾(みす)の奥にある寳座(ほうざ)に坐つて如意自在の法悦三昧にふけつてゐる神様だと思つてゐる人があるかも知れないが、私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。≫
と書かれていることに関連して、私は東山(とうやま)半之助先生がご著書 『ざっくばらん』 に書かれていることを思いだしました。「師は壇上に泣き給う」 というご文章です。
『ざっくばらん―この道三十年―』 のカバーそでに書かれている 「著者略歴」 には
<<著者略歴 明治24年香川県に生まれる。高等小学校卒業後新聞配達、貸本屋等を経て朝日新聞・時事新報の地方記者となり活躍。38歳にして郷土の新聞「四国民報」社長となり、在職16年。その間生長の家の信仰に救われ、終戦後本部講師・理事となる。昭和30年3月より1年間ハワイ駐在布教に従事。現在(昭和40年当時)生長の家本部講師・個人指導部長、また日本教文社取締役・四国新聞社相談役。>>
とあります。
<つづく>
2800
:
復興G
:2013/09/18(水) 22:12:48 ID:AB6RqYXc
<つづき>
さて、その 「師は壇上に泣き給う」 です。
* * * * * * *
師は壇上に泣き給う
明朗とほほ笑みと和顔をモットーとせられる先生が、一千名近い信徒と若き血燃ゆる青年大衆の前で、本当の衆人環視の壇上に立たれて、白いハンヵチで顔を蔽われつつ咽(むせ)び泣かれたことがある。そして聴講者大衆も先生の涙に誘われて嗚咽(おえつ)して泣き、中には声をあげて泣くものさえあったのは、まさに歴史的事態といわねばならぬ。
昭和二十五年五月三日。尾道市久保町の加藤慶一郎、豊子夫妻が半生の心血で築きあげた割烹旅館「藤半」の全域を挙げて生長の家に寄進した、尾道市生長の家道場で、全国青年大会が開催され、谷口総裁、輝子奥様、清超副総裁が西下御臨席で、全館満員の大盛況であった。
まず清超先生が青年を湧かせる名講演で大会が開かれ、輝子奥様はあの清麗なお姿に満場の視線を集めてお立ちになり
「私の父はすでに四十年前――私の十二歳の時に亡くなりました。私は十番目の末っ子で、ことに父に可愛がられましたが、その父の愛はいまだに私の心の中にはっきりと生きております。私は日本一の父だとその当時から今もなお固く信じております。
父は無口な性(たち)で子供たちには何にも話しませんが、母は子供たちに町内第一の父だと常々言いつづけておりましたのが、私の心の底にしみとおったのでございましょう。父はまた、母を生涯一人の女として深く愛しておりました。
いま私は娘恵美子にも、先生を日本一の父だ、夫だと教えております」
と冒頭されて、女性のため感激無上の御講演があり、やがて谷口先生が登壇せられた。沈痛なる語調で……
「今、私は家内から、日本一の夫であり、父であるとか何とか言われましたが……私はそのような資格あるものではないので……」
と絶句して嗚咽され、白いハンカチで涙をぬぐわれつつ、涙声で――
「ほんとう言えば、こうした壇上に立って多くの人々に向かって、教えを説く資格が自分にあるとみずから信じ得る人がはたして世にありましょうか……」
と嗚咽がつづく。
満場寂(せき)として静まり返った瞬間、たちまちあちらこちらから咽び泣きの声が、すすり上げる声が起こると思う間に、悲鳴に似た男の泣き声が私のすぐそばから起こった――大阪教区の重鎮 星丘重一(ほしおかしげかず)氏であると認めた瞬間、私もとうとう咽喉(のど)の奥から泣き声がほとばしってしまった。
満場惨然たる流涕(りゅうてい)嗚咽の声、悲しみにあらず、歎きにあらず、哭(こく)するにあらず、慟(どう)するにあらず。ただ如来大悲の前にみずからを顧みて 「心は蛇蜴(だかつ)の如くなり」 と自責悲泣した親鸞と同じき、谷口先生の謙虚無執の自己懺悔の大慟哭に、呼び醒まされた自己叱咤の涙であった。
「師は壇上に泣き給う」と語り伝えられて、全国の本部講師と地方講師は、粛然とその言動を慎しむに至った。
「寝床を他(ひと)に始末させるのは豚である。講師は豚であってはならぬ」と神誌にお書きになり、本部講師が巡講の旅先で夜具蒲団を始末する習慣が始まったのも、この頃からである。
(東山半之助著 『ざっくばらん―この道三十年―』 より)
* * * * * * *
――同書には、そのほか、戦前から谷口雅春先生のお側に仕えた東山氏の、今となっては本当に貴重な、先生に関するエピソードが満載されていますね。
2801
:
復興G
:2013/09/18(水) 22:18:27 ID:AB6RqYXc
訂正です。
「心は蛇蜴(だかつ)の如くなり」→ 「心は蛇蝎(だかつ)の如くなり」
2802
:
a hope
:2013/09/19(木) 09:34:25 ID:dyDQLtZQ
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第17回web誌友会予告
日時 9月20日(金)21時30分〜
9月21日(土)23時まで
テキスト 『生命の實相』第4巻
第5章から第8章まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
みなさま、ありがとうございます。
第17回web誌友会が明日の夜から開催されます。
今回は、準備祈願ではなくて開会時間の21時30分になりましたら、「開会の祈り」と「開会宣言」をさせていただきます。
復興Gさま、トキさま、ユタカさま、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
2803
:
山本富士子
:2013/09/19(木) 09:51:31 ID:ugbc/P.M
a hope 様
いつも誌友会で、丁寧な誠実な対応と投稿に
感謝しながらよませて頂いています。
すてきなお誕生祝いメッセージありがとう
ございました。 合掌
2804
:
志恩
:2013/09/19(木) 13:48:57 ID:.QY5jUA6
2799で復興G様が、
東山半之助先生の著書「ざっくばらん」のお話をして下さいましたので、
私は、生高連のときから、東山先生のご講話を拝聴しておりましたから、
大変お懐かしく 東山先生の事、回想しております。
本部に奉職している間も、機会のあるごとに、お話させて頂いておりましたが、
当時、東山先生は、とても神々しい雰囲気の 品のいい初老の紳士でいらっしゃいました。
今は、雅春先生、清超先生方のおそばにいらして
後輩であるわれわれ全員を、きっと、霊界から見守って下さってるのでしょうね。
2805
:
志恩
:2013/09/19(木) 13:53:07 ID:.QY5jUA6
復興G様は、われわれ信徒達の「宝物」でもあると思っています。
いつも 深い真理を教えて下さいまして、ありがとうございます。
2806
:
復興G
:2013/09/19(木) 22:23:34 ID:AB6RqYXc
志恩様
勿体ないお言葉、ありがとうございます。
普通なら、「何、私なんか人間のくずですよ」 などと謙遜(?)するんでしょうが、生長の家では、自分を神の子として尊敬し、自己を礼拝せよと教えられていますから、「ハイ、私は人類の宝でございます。ありがとうございます」 と感謝礼拝させていただきます。
そして、そのようにおっしゃってくださる志恩様もまた、人類の宝であられます。どうぞ自己礼拝讃嘆してくださいませ。
ありがとうございます。
2807
:
復興G
:2013/09/19(木) 22:35:56 ID:AB6RqYXc
東山半之助先生は、『ざっくばらん』 を出版された昭和40年に74歳でいらっしゃいました。
74歳は、今なら 「初老」 と言ってもおかしくないですね。ずっと昔は、40歳で 「初老」 と言っていた時代もあったようですが。
『ざっくばらん』 の表紙カバーに載っているお写真も、まだまだ溌溂たる壮年の感じです。
2808
:
復興G
:2013/09/19(木) 23:01:53 ID:AB6RqYXc
遅くなりましたが、私は今日は夜まで出かけておりました。地域の合唱団にも入っているので、夜はその練習があったのです。私も、この年になっても元気はつらつ、若者に負けない声で歌えます。私の人生はまだまだこれからです。ありがとうございます。
人間はみな――いや、人間だけでなく有情非情悉くみな、時空を超えた大生命、「久遠の今」 なる 「如(にょ)」 から来生したもの、すなわち如来である。神である。
その如来の生命(いのち)を なりひびかせることが成仏、成道(じょうどう)である。それが人類光明化運動である。
これは、たとえ天地がひっくり返っても変わることのない大真理であると、私は信じています。
ありがとうございます。
おやすみなさい。
2810
:
トキ
:2013/09/20(金) 19:02:52 ID:v.8oHb4M
東山半之助先生の「ざっくばらん」は、感銘を受けた本の一冊でした。
この本が今回登場するのは、とても楽しみです。たとえば浄土真宗の堕落に憤慨した先生が、
信仰からはずれ、それが生長の家に触れる事で、また、浄土真宗の行をされる部分などは、
鮮明に覚えています。
今回もご指導を楽しみにしております。
2811
:
トキ
:2013/09/20(金) 19:04:00 ID:v.8oHb4M
>>2809
すみません、あまり投稿者様の身元が分かるようなご投稿は慎重にお願いいたします。
せっかくのご投稿に水をさして、ごめんなさい。
合掌 ありがとうございます
2813
:
志恩
:2013/09/20(金) 19:50:55 ID:.QY5jUA6
「ざっくばらん」は、昭和40年に刊行されてますから、実母の東山先生の
ご講話を拝聴したことがございまして、とても尊敬申し上げていた先生でしたので、
私は、当時、母と一緒に
拝読したに違いない本なのですが、手元になくて、覚えていません。
古本を探しましたが、売っていませんでした。
お話を、伺うのを、楽しみにしています。
それから、
本日のweb誌友会テキスト、
「生命の實相」の、 第4巻の第5章〜は、拝読しましたが、
今回のところは私は、差し障りがあり、発言してはいけない内容でした。
すみませんが、そういうわけで、今回は、見学にさせて頂きますので、
よろしくお願いします。
2814
:
志恩
:2013/09/20(金) 19:53:15 ID:.QY5jUA6
>>2813
:実母の→実母も
2815
:
トキ
:2013/09/20(金) 20:43:10 ID:v.8oHb4M
>>2813
そう言われずに、どんどん投稿をして下さい。期待しています。
2816
:
神の子さん
:2013/09/20(金) 21:02:31 ID:AB6RqYXc
トキ様、お世話になります。
よろしくお願い申し上げます。
皆さま、どなたでもご遠慮なくご参加下さい。
まもなく21:30から第17回web誌友会です。
テキストは 『生命の實相』 第4巻の第5章〜第8章で、これを機に私もその範囲を精読して深く学ばせて頂いています。
今回のテキストの範囲は、大部分にあたる第5章〜第7章は座談会の形になっていて 「生命磁気」 などにはあまり興味がなかったので、私は今まで 「精読」 はしていませんでした。
しかし、a hope さまが
>>2761
で
>>この第5章〜7章までは、雅春先生と談話者の会話形式で書かれていて、とても具体的にわかりやすく真理が説明されていると感じています。
特に、わたしは気功をしていたことがあるので、第5章の『「生命磁気」の流れ』のお話のところは興味津々です。
手と手を合わせる合掌にも、とても重要な意味があるのですね。<<
と書いてくださったことから、今回はみっちりと精読しました。すると、ここには羽仁(はに)もと子女史の 「友の会」 のことも書かれていますが、私の母がその 「友の会」 に入っていたようで、家の本棚に 「羽仁もと子著作集」 が約20冊ずらりと並んでいた事も思い出し、感慨深いものがありました。とても勉強になりました。
皆様とともに、さらに深めた勉強が出来ますことを楽しみにしています。
ありがとうございます。
2817
:
復興
:2013/09/20(金) 21:07:26 ID:AB6RqYXc
>>2816
は、復興Gです。
2818
:
a hope
:2013/09/20(金) 21:19:56 ID:dyDQLtZQ
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第17回web誌友会予告
日時 9月20日(金)21時30分〜
9月21日(土)23時まで
テキスト 『生命の實相』第4巻
第5章から第8章まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2819
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 21:27:47 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
ユタカいてます。 a hopeさまよろしく!
復興Gさま、よろしくお願いします。
2820
:
a hope
:2013/09/20(金) 21:30:55 ID:dyDQLtZQ
第17回WEB誌友会開会時刻となりましたので「開会の祈り」をさせていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、
すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
2821
:
a hope
:2013/09/20(金) 21:33:31 ID:dyDQLtZQ
続きまして、聖経 真理の吟唱より 「神の光を受ける祈り」を謹写させていただきます。
「神の光を受ける祈り」
私の魂の内には永遠に消えない光が宿っているのである。
それは神から来たれる光である。
如何なる暗黒なる時にも、その光に照らされて進んで行けば、私たちは決して道に迷うことはないのである。
その光は愛の光である。智慧の光である。生命の光である。
愛が輝きだすときすべての憎しみは消えるのである。
智慧が輝きだすとき迷いが消えるのである。
生命(いのち)が輝きだすとき疲労は消え、老衰は消え、病気は消え、死が消えるのである。
神の愛の光が私の内に輝きだすとき「自」と「他」との障壁(しょうへき)が消える。
利益の奪い合いがなくなり、慍(いか)り憎しみは赦しと変じ、さらに相手を祝福することが可能となるのである。
私は常に心の窓をひらいて、神の愛の光を今受けるのである。
だから私の全存在には神の愛の光が照り渡っているのである。
神の智慧の光が私の内に輝き出すとき、人間が物質的存在だと見えなくなり、霊的存在だということが悟られて来、
物質的欲望が少なくなり、霊的愛他的な行ないに導かれて行き生活が浄(きよ)められるのである。
すでに神の生命(いのち)の光が、私の内に輝き出したのある。
わが全身は生命力にみちあふれ、老いなく、病なく、疲労なく、溌剌として人類の共通的歓喜のために尽くすことができるようになっているのである。
神の愛の光も、智慧の光も、生命の光も、無限であるから、それは輝かせば輝かすほど与えれば与えるほど、
光輝燦然(こうきさんぜん)としてその光と力とを増すのであるから、私は愛を人に与えることを吝(おし)まないのである。
智慧を与えることを吝まないのである。生命を与えることを吝まないのである。
人は神の子であり霊である。
霊であるということがわかると、自と他とが一体であり、彼と我とが一体であり、超焉(ちょうえん)として自他を超え、
彼我(ひが)を超え、私の愛憎を超えて、全体の栄のために尽くすようになるのである。
全体の栄のために自己を挺身(ていしん)するとき、一粒の麦が姿を没して大地に身を任すとき、
多くの新しき芽を分蘗(ぶんけつ)して、多くの実を結ぶことができると同様になるのである。
私はもはや、肉体的存在でないことをさとったのである。
私は「個」にして「全」、「全にして個」である。
個性を完全に発揮する悦びを味わいつつ、しかも全体の栄のために身を挺してそこに何等(なんら)の矛盾もないのである。
感謝 合掌。
2822
:
復興
:2013/09/20(金) 21:36:22 ID:AB6RqYXc
a hope 様、ありがとうございます!
ユタカさま、ご参加、うれしいです!
皆さま、どんどんご参加お願いします。
「神様の天降る誌友会」 となりますように。
2823
:
a hope
:2013/09/20(金) 21:47:27 ID:dyDQLtZQ
復興Gさま
今回もご指導をどうぞよろしくお願いいたします。
ユタカさま
来て下さってホッとしました。
今回も、どうぞよろしくお願いいたします。
志恩さま
さしつかえない程度でいいですから、参加くださるととてもうれしいです。
トキさま
いつも、ありがとうございます。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
2824
:
復興G
:2013/09/20(金) 21:48:52 ID:AENtSm/U
>>2822
:復興: は、復興Gです。
>>2808
再掲載
人間はみな――いや、人間だけでなく有情非情(うじょう ひじょう=生き物も、無機物も)悉くみな、時空を超えた大生命、「久遠の今」 なる 「如(にょ)」 から来生したもの、すなわち如来である。神である。
皆さまは如来にまします。神にまします。
その如来の生命(いのち)を なりひびかせることが成仏、成道(じょうどう)である。それが人類光明化運動である。
これは、たとえ天地がひっくり返っても変わることのない大真理であると、私は信じています。
皆さま、よろこびましょう!
ありがとうございます。
2825
:
復興G
:2013/09/20(金) 21:56:30 ID:AB6RqYXc
テキストのp.94、p.140などに、予知・予感・予言のことが出ていますが、「予知夢」 について、次のような興味ある記事が、2013.9.14 の日経新聞夕刊に載っていました。
同紙編集委員の嶋沢裕志氏が、作家の 椎名誠さんに聞く というインタビュー記事です。
* * * * * * *
「予知夢」 で母の死を知った
世界中を旅する一方、ほぼ月に1度のキャンプで仲間たちと焚(た)き火を囲んで怪気炎を上げるなど型破りな生き方がファンを魅了する。その椎名誠さん(69)が今、老いと死を問いかけている。
椎名さんには忘れられない衝撃的な体験がある。
「1997年1月、真夜中に母が死ぬ夢を見ました。いわゆる 『予知夢』 です。リアルな夢だったので、夜3時ごろ妻に 『母が死んだ』 と伝えました。『きっと実家から電話が来る』 と。
すると朝7時ごろ、母が倒れて今病院に運ばれたと実家の義姉から電話がありました。
『絶対に何かあった。すぐ実家に行こう』。
当時、都内の近所に住む弟に連絡すると、一番親孝行だった弟は、前日に元気な母の声を聞いたと言います。
その弟と車で実家に向かうと、自動車電話に母が病院で息を引き取ったと知らせが入った。午前9時でした。
6時間後を予知する夢を見たのです。兄弟で青くなりました。」
――学術的にも注目される 「予知夢」 の研究を進めている。
<<しいな・まこと 1944年東京生まれ。東京写真大(現東京工芸大)中退。流通業界誌編集長を経て、作家、エッセイストに。映画監督、写真家でもある。「さらば国分寺書店のオババ」で作家デビューし、「アド・バード」「哀愁の町に霧が降るのだ」「岳物語」など純文学、SF、エッセー、写真集など著書は多数。>>
* * * * * * *
皆さま、そのようなご体験がおありですか?
2826
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 22:00:49 ID:R1D4Jmeg
私はP、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。
という所から普通の人間が尊い生活を実現するのが生長の家の生活なのです。
谷口雅春先生が、本部もそれで良い、学ぶ会もそれでよい、ときみつる会も、新教蓮も、社会事業団もそれで良いとおっしゃって下さっているように、自分独自の解釈をいたして喜んでいました。
2827
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 22:02:21 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、横切ってごめんなさい!!
どうぞ続けてください!
2828
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 22:12:23 ID:R1D4Jmeg
正夢?かもしれませんが、
私が20歳のとき、従姉妹がはっきりとした顔の男の赤ちゃんを抱いている夢をみました。
4年後、初産で男の子を産んだというので、家族でお見舞い?に行きましてその赤ん坊の顔を見たとき忘れていた、夢に見たあの赤ちゃんを思い出して驚いたことがあります。
2829
:
a hope
:2013/09/20(金) 22:17:01 ID:dyDQLtZQ
すみません。
今回は、家がバタバタしていてなかなか落ち着いて参加できません・・・汗。
>>2825
復興Gさま
わたしは予知夢は見たことがありませんが、子どもが小さかったころ、川に流されてしまう夢とか、
車にはねられてしまう夢を見たことがあり、夢の中で、ワンワン泣いて起きてみると、
夢だったということが数回ありました。
そしてもちろんその後も、そのようなことは実現しませんでしたが・・・。
なんか、ホッとする反面、なんであんな夢見たんだろう?と、ちょっと嫌な気分になりました。
2830
:
復興G
:2013/09/20(金) 22:37:05 ID:AB6RqYXc
ユタカさま、a hopeさま
私もいろいろあってレスが遅くなり、すみません。
>>2826
:ユタカさま
>>私はP、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。
という所から普通の人間が尊い生活を実現するのが生長の家の生活なのです。
谷口雅春先生が、本部もそれで良い、学ぶ会もそれでよい、ときみつる会も、新教蓮も、社会事業団もそれで良いとおっしゃって下さっているように、自分独自の解釈をいたして喜んでいました。<<
なるほど。
>>2826
:ユタカさま
なるほど。
テキストのp.181〜p.181に
<<「生長の家」の生活は、形に捉われない、万人一様な型をきめるということがない自由自在な生活なのです。
一つの型をきめておいて、その型に自身の生活をはめ込まなければ苦痛を感ずるというような不自由な生活ではないのです。婦人は家庭のみを守らなければならないという旧い型もまちがいでありますし、家庭以外にぜひとも社会へ進出しなければ生き甲斐がないというのもまちがいでありましょう。
生命は生かさねばならない、今までの家庭婦人という旧い型は破らねばならないし、いわゆる社会婦人という新しい型の申へさえもはまっていってはならないのです。
型へはまった時、生命は必ず窒息しかけるから苦しむのです。生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。>>
とあるわけですね。
2831
:
トキ
:2013/09/20(金) 22:41:23 ID:v.8oHb4M
>>2825
今回もご指導のほど、お願い申し上げます。
身元が露見するのを防止するため詳細は言えませんが、予知というか、不思議な夢は結構見ました。
特に、信仰を始めた頃には、そういう経験がいくつかありました。それが、何年かすると、そういう
事があまりなくなったので、不思議な感じでいます。
と、言うか、子供の頃には不思議な夢を見て、大きくなってそれが現実になった事もあります。
実は、「たましいの共鳴」ーコロンバイン高校、附属池田小学校の遺族が紡ぐいのちの絆、という
本を読みました。この本は、コロンバイン高校(銃乱射事件で13名が死亡)と大阪の池田小学校
(小学校の児童8名が死亡)の遺族が交流した記録です。その遺族の一人、ドーン・アナさん、
ブルースベック夫妻はこの事件で死亡したローレン・タウンゼントさんのご両親です。お二人が、事件のあと、
お嬢様の部屋を整理していたら、日記が出て来て「人を目覚めさせるために、何かとてつもない事
が起きそうな気がする」と書いていました。「残念ながら、何か大きなことが起きなければ、人は
変わらないものだ。私はその一助となりたい。少なくても、そこに立ち会いたい」と書いていました。
また、遺書も出てきました。「死んでからのことは恐くないけど、死ぬ瞬間が恐い。苦痛かもしれ
ないから。でも、そのあとに約束されている永遠の命と比べれば、ほんの一瞬に過ぎない」
「この世の命の先にあることを切望して、わくわくする」
そして、この世の先の世界で会いたい人の名前をあげていました。キング牧師、キリスト、釈尊など
です。さらに、こういった人達にどういう質問をしたいかまで書いてありました。
遺書の最後は、次のように締めくくってありました。
「じゃあね。私がみんなに会う、というよりも、みんな、きっと私に会えるからね。」
と。
話がとんでしまいましたが、こんな話もあるのです。長い引用でごめんなさい。
2832
:
トキ
:2013/09/20(金) 22:46:16 ID:v.8oHb4M
× 話がとんでしまいましたが、こんな話もあるのです。長い引用でごめんなさい。
◎ 話がとんでしまいましたが、こんな話もあるのですね。本当に、長い引用でごめんなさい。
お詫びして、訂正いたします。すみませんでした。
2833
:
復興G
:2013/09/20(金) 22:48:31 ID:AB6RqYXc
予知がどうこうというようなことより、こちらの方が重大な課題であると思います。
>生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。<
というお教えの、「持ち場に応じて深く切に生きて」 ということを、それぞれ真剣に深めて行けば、
元は一つなのですから、やがて 「一つ」 に還ることになる、といいますか、現に実相においては一つである。
「一つ」 のものが多様性を発揮しているのだ、と観ることもできるかな と思いました。
2834
:
復興G
:2013/09/20(金) 22:51:42 ID:AB6RqYXc
トキ様、興味あるお話、ありがとうございました。
ちぐはぐになってしまって、申し訳ありません。
2835
:
復興G
:2013/09/20(金) 23:03:53 ID:AB6RqYXc
>>2829
:a hopeさま
私も、過去の苦しかったいやな思い出を、夢でくりかえし見ることがあります。
夢では、もしかしたら過去世のことが出てくることもあるのかも知れません。
「過去は、ない。現象は夢のようなもので、無い」 ということを自覚させてくれることもあるでしょう。
まあ、夢というのは複雑な、面白いと言えば面白いものですね。
2836
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 23:04:04 ID:R1D4Jmeg
また、話がそれますが、
奇跡のりんご の農家のおじさんが山の中で倒れて、UFOに乗せられて、そこで外国人を二人目撃して、その一人がどこかのテレビに出演してUFO体験談をしているのをみて、あの時一緒にUFOに乗った女性だ!と思ったと書いていました。
不思議な話でした。。。。
2837
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 23:06:16 ID:R1D4Jmeg
恐れ入りますが、ユタカは明日は夕方以降にまたお邪魔いたします。
今日はこれで失礼いたします。 みなさま、ありがとうございました。
2838
:
a hope
:2013/09/20(金) 23:06:57 ID:dyDQLtZQ
>>2826
ユタカさま
P、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。
この箇所はわたしも赤線が引いてありました!
実は、わたしは今朝、第7章(p172〜)を久しぶりに拝読しなおしたのですが、そこには、
今、少し悩んでいた事に対するぴったりの内容が書かれていて驚きました。
今回だけではなく、本当に「生命の實相」を開く度に、その時に求める答えが必ず書いてあるので不思議です。
実は、わたしは、私生活であるボランティアをしているのですが、今回また依頼が来まして、そのボランティアで受ける仕事がわたしにはちょっと難しくて負担に感じていたのです。
でも、自分は「人助けをしなけらばいけない」という義務感や、「社会的によわい立場の人をを救ってあげるのがわたしの使命なんだ」というような、自分があたかも相手よりも強くて高い立場に立っているような気持ちがわたしにあったので、悩んでいたのです。
それが、今朝拝読したところに、どんぴしゃりと、そのわたしのいやらしい心を見透かされてような雅春先生のお言葉がありました。
『谷口 ―― この「救う救う」といいますけれども「救ってやる」という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。・・・』
この御文章を拝読して、本当に驚きました。
そして、そのことに気づかせていただけたことに心から感謝しました。
2839
:
復興G
:2013/09/20(金) 23:23:05 ID:AB6RqYXc
>>2838
:a hopeさま
私も、
≪「救ってやる」という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。・・・≫
というところには赤線を引いていました。
関連するお教えに、『静思集』 p.33〜
<< 同情は善いことでありますが、憐憫(れんびん)はよくないことなのでございます。
人が悲しみに陥つてゐる際に、その悲しみに同悲の念を起して一緒に泣いてやるのは美しい同情でございます。然し、この人は 「憐(あわ)れな人だ」 と憐憫の情を起すのは善くないことです。
同情と憐憫とはよく似たことですけれども、非常に相異してゐるのでございます。同情は相手と同じ情に泣くのでございますけれども 「この人は弱い人だ」 と云ふ軽蔑は伴ひません。ところが憐憫は、「この人は憐れな人だ、とても起ち上る力がないであらう」 と云ふやうな相手を弱者と見るやうな軽蔑の感じが伴ひ易いものでございます。
憐憫は必ずしも同情を伴ひません。憐れなる乞食を見ても可哀想だとは思ひますが、乞食と同じ感情にまで成れないのが普通でございます。即ち同情と憐憫とはよく似た感情でございますが紙一重のところで全く相異してゐるのでございます。
吾々は人から憐れまれる事を断じて拒絶する強さを持たねばなりません。艱難に陥つてゐると云ふことは憐れまるべきことではありません。吾々の魂がその時こそ高められ浄められてゐる時なのでございます。
では艱難に陥つてゐる人を憐れむ理由が何処にあるでせう。吾々は彼等に 「可哀想だ!」 と云ふ言葉を投げかけるよりも、「君は起ち上がる力がある」 と強くその人の力を鼓舞する言葉をこそ投げかくべきでございます。>>
とあります。とても大切なことだと思います。
2840
:
復興G
:2013/09/20(金) 23:26:48 ID:AB6RqYXc
お話は尽きませんが、また明日がありますから、今夜はこの辺でお寝みさせていただきましょう。
おやすみなさい。
2841
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 23:41:02 ID:R1D4Jmeg
大熊先生のブログから引用。
>>素晴らしい体験談
平成25年9月20日(金)
その昔・・・ご婦人が長男さんを授かった時の話。
お腹の中に長男さんがいるときに不思議な体験をしたというのです。。
姑さんとの関係もなぜか険悪で・・そればかりか、ご主人さんの経営する会社も最悪な状況。
守ってくれるご主人のはずが、いつもイライラ。。とうとう・・破局的なケンカもしてしまいました。
ついに・・お腹の子を道ずれに。。自殺を決意。
車に乗り、猛スピ−ドで壁に激突する事を決意したのでした。。。
車に乗って暗闇を飛ばすが。。。。。。しかし、その日は渋滞。。いつにない渋滞。。
周りを見ると車。車。渋滞。渋滞。。異常な渋滞。。。。人生未経験の大渋滞。。
目的に向かっているのにまるで向かわせないとでもいうような尋常ではない「大渋滞」。。。。
とうとう・・奥さんは「目的地」につかず、死にそびれてしまいました。
そんなことがあるのですね。。それは、それは、なんとも、不思議な感覚でしたが、
後で考えれば、「救われた」のでした。
翌朝、不思議なことがありました。。。御主人が、
「おいっ。お前、まさか。
昨晩、死のうとして
いたのではないのか?」
と言うのです。。。
ご主人は昨晩、不思議な夢を見た・・と言うのです。
長男である赤ちゃんが夢に現れて、
「ぼくを助けてーっ。」
「ぼくを助けてーっ。」
「ぼくを助けてーっ。」
と叫んでいるというのです。。そして言ったそうです。
「お父さん。
ぼくを助けて。必ず、
お父さんのことを守るよ。。」
「○○家を守るよ。」
「だから・・助けて・・。。。。」
お父さんはこころの底から。。愛おしさと、申し訳なさとがこみ上げてきたのでした。
その愛おしさを仕事や家族に移入する事で・・その後、不思議なことに会社も危機を乗り越える事ができ、
夫婦関係がとてもよくなったのでした。。。
しかも、かわいい妹まで授かり、家は繁栄してゆきました。。。
あれから
・・20数年。。。。岡野先生は、これは重大な「示唆」を含む素晴らしい体験談ですよ。
と・・感動されていました。。<<
おやすみなさい。。。
2842
:
a hope
:2013/09/21(土) 00:05:57 ID:dyDQLtZQ
>>2839
復興Gさま
ご指導をありがとうございます。
『静思集』は、わたしは持っていませんが、たしか、さくらさまが好きな聖典だったような気がします。
(さくらさまはお元気でしょうか?)
先日、悲願という言葉を調べていて、悲願には二つ意味があることがわかりました。
そして、その一つは「仏・菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。」でした。
今回のweb誌友会では、そのことについて復興Gさまに質問してみようと思っていました。
実相世界はいつ何時でも完全円満なわけですが、現象は悲惨なことも多いです。
雅春先生もその現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められたのでしょう?
この菩薩の慈悲の心とは、実相の心なのでしょうか?
それとも、現象の心なのでしょうか?
菩薩の慈悲の心について、教えていただけるとうれしいです。
2843
:
a hope
:2013/09/21(土) 00:06:31 ID:dyDQLtZQ
>>2841
ユタカさま
素晴らしいお話を聞かせてくださりありがとうございます。
大熊先生のブログも、岡野先生のブログも感動がいっぱいですね。
生まれてくる前のいのちであっても、魂が宿っているという証拠ですね。
その命を守ることで、自分自身の魂が救われるのですね。
すべて、自分自身にかえってくるのですね。
わたしも、これで今夜はお休みさせていただきます。
みなさま、おやすみなさい。
2844
:
復興G
:2013/09/21(土) 06:37:10 ID:AB6RqYXc
おはようございます。
ユタカさま
>>2836
「奇跡のりんご」 というのは
http://www.twinkle.eew.jp/easyfree11.html
ですね。
私は、UFOとか宇宙人とかは、体験がないからにわかには信じられないけれど、宇宙には、まだまだわかってない未知のことがいっぱいあるということね。
上記の最後に
<<私達は全てと繋がっているのですね。私達はかってに生きているのではなく生かされているのですね。>>
とあることは、まったく真実ですね。
>>2841
大熊先生のブログのお話も、あり得る、おもしろいお話ですね。
テキスト167頁 谷口雅春先生のご指導に、
<<あらゆる苦しみは 「迷い」 の自壊作用なのです。ちょうど、われわれの肉体に疼痛や発熱が、病気の人にとっては病気の治る救いの一過程になっているようなものです。……わたしはこのごろ、この世の中はすべて調和していると考えるようになっています。発熱もよい、疼痛もよい、蚊にさされるのもよい。盲人はその眼が盲目なことがその人の本当の救いになっている。……>>
とあります。三宮麻由子(さんのみや・まゆこ)さんは4歳で肉眼は光を失い盲目になったが、それで心の眼が開け、たくさんの人々に希望を与えるエッセイを次々に書いて数々の大賞を受賞していらっしゃる。名ピアニストでもある、すばらしい方です。
それを考えると、生長の家の現状も、いっそう素晴らしいものがここから生まれ出てくる過程なのでしょうね。
2845
:
復興G
:2013/09/21(土) 07:27:29 ID:AB6RqYXc
>>2842
: a hope さま、お返事は少し待ってくださいね。
2846
:
a hope
:2013/09/21(土) 08:10:24 ID:dyDQLtZQ
みなさま おはようございます!
>>2845
復興Gさま
わたしは今日はこれから仕事に行きます。
夕方には戻りますすが、家のこともあるので戻れるのは夜になってしまうと思います。
お返事をとても楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
2847
:
復興G
:2013/09/21(土) 10:31:51 ID:AB6RqYXc
>>2842
:a hopeさま
>>先日、悲願という言葉を調べていて、悲願には二つ意味があることがわかりました。
そして、その一つは「仏・菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。」でした。
今回のweb誌友会では、そのことについて復興Gさまに質問してみようと思っていました。
実相世界はいつ何時でも完全円満なわけですが、現象は悲惨なことも多いです。
雅春先生もその現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められたのでしょう?
この菩薩の慈悲の心とは、実相の心なのでしょうか?
それとも、現象の心なのでしょうか?
菩薩の慈悲の心について、教えていただけるとうれしいです。 <<
――テキストの174〜176頁に、次のようにあります。
<<人間はなにができなくとも自分の価値は不減不耗(ふげんふこう=すりへることがない)の神性である事実が第一なのです。
それがわかればなにもしなくともよい、人を救わなくともよいというのではないのです。それがわからなければ第一自分が救われていないのです。
「生長の家」の「智慧の言葉」に「自分に深切であれ」という言葉がある。自分が救われなければ、他を救うことがわからないのです。
救われたという状態はどんな状態だということがわからなければ、本当に人を救われた状態に導くことができないのです。盲目の手引きでは救いに導いているつもりで、かえって河の中へ引きずり落すかもしれないのです。
人を救うことを、金を義捐(ぎえん)したり、救恤(きゅうじゅつ)品を集めて送ることやら、結核療養所という建物設備をつくることのように思っていられる人もありますが、それも一つの救い方で時には尊いのでありますが、本物の救いではないのです。
物品や金をもらって人の愛に感じて救われる人もありますが、物品や金をもらったために懶(なま)け心や依頼心を増長させてかえって堕落する人もある。結核療養所という厖大(ぼうだい)な建築物をたて、それに不快な恐怖すべき名称をつけたために、病気の心的観念を周囲に撒布(さんぷ)して、一方には結核を治そうと努力しながら一方ではその治す力の何十倍も病人をふやしているとしたら、救っているつもりで一体なにをしているのかわからないのです。
物によって人を救おうとする企ては必ず一利一害があって、利益の方を見る人はその利益を誇張して大変世の中を救っているように考えますけれども、物によって救うその救いは永久性の救いになっていない、物は永遠性のものでないから、物だけで救われた救いならば、その救いは必ず壊(やぶ)れる時が来るのです。
物がなくとも救われる救い、何物がなくとも自分が神である――そのままで救われているという自覚上の救いにあずからなければ、本当に救われたといえないのです。>>
谷口雅春先生は、「現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められた」 というのは、必ずしも当たっていないと思います。というのは、『生命の實相・自傳篇』(頭注版第19・20巻)に書かれていますように、谷口雅春先生は 「現象なし、実相独在」 の真理をお悟りになるまでは、ご家族に対してすら、慈悲の心を起こして救おうとされても救うことが出来なかった。
光明化運動を始められたのは、(『生命の實相』 第20巻 p.134〜 )
<<ある日、わたしは静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。わたしはその時、偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉を思い浮かべた。と、どこからともなく声が、大濤(おおなみ)のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞こえてきた。
「物質はない!」 とその声は言った。で、わたしは 「空即是色(くうそくぜしき)」 という言葉を思い浮かべた。
と、突然その大濤のような声が答えた。「無よりいっさいを生ず。一切現象は念(こころ)の所現にして本来無。本来無なるがゆえに、無よりいっさいを生ず。有(う)よりいっさいを生ずと迷うがゆえに、有に執して苦しむのだ。有に執せざれば自由自在だ。供給無限、五つのパンを五千人に分かちてなお余り、『無』 より百千億万を引き出してなお余る。現象界は念のレンズによって転現せる化城(けじょう)にすぎない。かしこに転現すると見ゆれどもかしこに無し。ここに転現すると見ゆれどもここに無し。知れ、一切現象無し。なんじの肉体も無し。」
<つづく>
2849
:
復興G
:2013/09/21(土) 10:53:04 ID:AB6RqYXc
<つづき 『生命の實相』 第20巻 p.135〜 >
では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間、「心もない!」 とその声は言うのだった。
今まで、わたしは 「心」 という得体の知れない悍馬(かんば)があって、それを乗りこなすのに骨が折れると思っていたのだ。ところが 「心もない!」 という宣言によって、わたしは、その 「心」 の悍馬から実相の大地に降りたのであった。
「心もなければ何も無いのか」 とわたしは再びその声の主にたずねた。
「実相がある!」 とその声はハッキリ答えた。
「無のスガタが実相であるか。皆空(かいくう)が実相であるか」 とわたしは尋ねた。
「無のスガタが実相ではない。皆空が実相ではない。皆空なのは現象である。五蘊(ごうん)が皆空であるのだ。色受想行識(しき じゅ そう ぎょう しき)ことごとく空である!」
「空と無とは異なるのではないか」 とわたしはたずねた。
「空と無と異なるとは思うな。五蘊皆空であるのに空とは無ではないと思うから躓(つまず)く。空を無とは異なると思い、『無ではない』 と思うからまた 『五蘊は無いではない』 と引っかかるのだ。『五蘊は無い』 とハッキリ断ち切ったところに、実相が出て来るのだ。無いものを無いとしたところに、本当にアルモノが出て来るのだ。」
「では、実相とはなんであるか」 とわたしは訊いた。
「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。これが実相だ」 ここに神というのはむろん 「仏」 という意味も含んでいた。
「心も無いのが本当ではないか。」
「無い心は受想行識の心だけだ。そういう意味でなら仏もない、衆生もない。心、仏、衆生三無差別(しん、ぶつ、しゅじょう さんむしゃべつ)と説く場合には、心もない、仏もない、衆生もない。衆生を抹殺(ころ)し、仏を抹殺し、心を抹殺し、いっさい無いといっさいを抹殺(まっさつ)したときに、実相の神、久遠実成(くおんじつじょう)の仏が出て来るのだ。」
「それが、キリスト教ならイエスを十字架にかけることになるのですか。」
「そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前(さき)から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である! 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を活きよ。」
わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛(さんらん)と満ち漲(みなぎ)った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま坐っている自分をそこに見出したのであった。>>
○
――上記が、谷口雅春先生のお悟りの時であります。それは時空を超えた 「久遠の今」 であり、「あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。」 というところから谷口雅春先生は人類光明化運動に起ち上がられたのですね。
だから、私は
>>2847
で
<<谷口雅春先生は、「現象を見られて、慈悲の心を起こされて光明化運動を始められた」 というのは、当たっていないと思います。>>
と書きました。
先生は、まず現象を見られて、慈悲の心を起こされても、「現象なし、実相独在」 の真理をお悟りになるまでは、ご家族(輝子奥様・恵美子お嬢様)をすら、救うことが出来なかったのです。
<つづきます>
2850
:
復興G
:2013/09/21(土) 13:16:26 ID:AB6RqYXc
<
>>2849
のつづきです>
先生は、まず現象を見て慈悲の心を起こして光明化運動を始められたのではなかった。
「現象なし」 「完全円満な実相のみ実在」 とお悟りになったところから現象のすがたをご覧になった時、慈悲の心から起ち上がられて、『生長の家』 創刊号に掲げられた、いわゆる 「生長の家発進宣言」 と称されている、正しくは 「『生長の家』 出現の精神とその事業」 と題されたご文章です。
<<自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ。起たざるを得なくなつたのである。友よ助けよ。同志よ吾れに投ぜよ。
人類は今危機に頻してゐる。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将(まさ)に波にさらはれて覆没しやうとしてゐる小舟の如き観はないか。
自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れてゐたのだつた。一求道者としていつまでも謙遜でゐたかつた。併し今は謙遜でありたいと云ふことが自分にとつては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分はこの誘惑に打ち克って人類を救はねばならない。自分の有つてゐる限りの火で人類を救はねばならない。自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照さずにはおかないだらう。
此の火は天上から天降つた生長の火である。火だ! 自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上つた。見よ! 自分の身体が燃え尽すまで、蝋燭のやうにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。
自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示さうとするのだ。如何にせば境遇の桎梏から脱け出し得るか、如何にせば運命を支配し得るか、如何にせば一切の病気を征服し得るか、また、如何にせば貧困の真因を絶滅し得るか、如何にせば家庭苦の悩みより脱し得るか……等々。
今人類の悩みは多い。人類は阿鼻地獄(あびじごく)のやうに苦しみ踠がきあせつてゐる。あらゆる苦難を癒やす救ひと薬を求めてゐる。しかし彼らは悩みに眼がくらんでゐはしないか。方向を過つてゐはしないか。探しても見出されない方向に救ひを求めてゐはしないか。自分は今彼らの行手を照す火を有つて立つ。>>
――上記が 「生長の家発進宣言」 と称されているご文章ですが、『生長の家』 創刊号には、この 「発進宣言」 の前に、次のような言葉が掲載されています。
<< 巻頭のことば
蛇に睨(にら)まれた蛙は恐怖のために動けなくなつて蛇にのまれる。
國が國を恐れるとき莫大な軍費を要する。
就職試瞼に臨んで恐怖心を起す青年はその就職に失敗する。
入學試験に臨んで恐怖する學生はその入學に失敗する。
恐怖が自己の境遇を支配すること斯くの如く甚だしい。
更にそれが自己の病氣や健康に影響するに至つては云ふまでもないのである。
此の恐るべき恐怖心を人生より駆逐すべき道を示さんとするのが 『生長の家』 の念願の一つである。
* * *
吾れを伸ばすものは、
絶えず与へてゐると云ふ感じ、
絶えず人から喜ばれてゐると云ふ感じ、
与へる歓びは自己拡大の感じ、
自己の愛が次第に拡がる感じ、
この感じのうちに生命は伸びて行く。>>
――こうして見ますと、「発進宣言」 だけ読むと悲壮感をもって書かれているような感じを受けますが、その前のご文章を読みますと、そうではなく、「実相独在」 の境地から深い愛と智慧と歓びの情熱をもってこの創刊号が編集発刊されていることがわかります。
2851
:
復興G
:2013/09/21(土) 14:14:17 ID:AB6RqYXc
<
>>2850
のつづきです>
先生は、「肉体はないのである」 というご自覚から、「久遠の今・此処・われ」 「一切は自分である」 という 「大慈悲」 の心、「実相の心(われ)」 に立って、菩薩行を続けられた。
それは、仏道で 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 と言われる 「悟ってからの精進」 としての菩薩行であられたわけです。
だから、「自分の有(も)つてゐる限りの火で人類を救はねばならない」 とおっしゃっても、それは今回のテキスト173頁のご指導――
≪ 「救う救う」 といいますけれども 「救ってやる」 という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」 という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては 「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」 という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。≫
(『生命の實相』 第4巻 173頁)
――とご教示くださっていますように、先生が発進宣言で 「人類を救はねばならない」 とおっしゃったのは、現象を見て、人類を下に見ておっしゃったのではなく、人類みな本当は神の子であるという 「拝み」 の心、「わが業はわが為すにあらず、天地を貫く祖神(みおや)の権能(ちから)」 という自覚の心、空っぽの謙虚な心をもっておっしゃっているのだと思います。
私たちも、谷口雅春先生から
「皆さんが谷口雅春である」 と言われたのですから、そのように生きることが、信徒の務めであり、それが
「信徒ひとりひとりの法燈継承」 ということであろうと思います。
2852
:
復興G
:2013/09/21(土) 15:26:28 ID:AB6RqYXc
テキストで、私が注目し赤傍線を引いたところに、次のお言葉がありました。
* * * * * * *
(p.109〜 )
大崎夫人――人に手を当てて治すときには、「どうぞ癒りますように」 と一心に心に念じながら手を当てていると効果が多いのでございますか。
谷口――念じないでも、手を触れた瞬間、忽然(こつねん)と癒ったり、電話で癒ったりすることがある。これは神癒に属することで神様のお仕事で、こちらの知らないことです。
しかし、人間として癒やしてあげる場合は、愛の念波を起こすことです。愛の心は神の心、神の心は生かす心ですから、愛は必ず相手の苦痛を柔らげ、病を癒やすのであります。
しかし、愛の心も恐怖をともなった愛の心ではだめです。そもそも恐怖というものは神の全能の愛を信じないために起こるものですから、それは不信仰の表白でしかない、そういう愛が癒やす力がないということは当然なことです。
(『生命の實相』 第4巻 109〜110頁)
2853
:
トキ
:2013/09/21(土) 15:26:30 ID:HscXDpxA
>>2851
理論的、教義的な観点とは別に、現場の経験から言っても、伝道をする場合、相手への敬意と礼儀が大事だと考えています。
初対面の相手は、だいたいは信仰に偏見や警戒心をもっています。こういう人達に上から目線での対応は百害があっても、
何もいいことはないです。一部の宗教法人を見ていると、騙してでも入信させるのが正しいと思い込んでいる人がいるみたい
ですが、これも間違いです。相手はバカでありません。仮に1度か2度、騙せても、何度も重なると真実がわかります。する
と、感情的な反発を必ずします。これは逆効果だと思います。
人間界で言えば、相手は社会的な地位や立場もある人達で、自分と同等の存在です。単に自分がさきに真理に触れただけの
存在だと考え、同時に信仰的に考えて、相手も尊い神の子という視点で考える事が大事だと思います。
2854
:
復興G
:2013/09/21(土) 17:27:55 ID:AB6RqYXc
トキ様、ありがとうございます。
谷口雅春先生は、伝道の効果を考えておっしゃっているわけではなく、すべての人が本来仏であり神であるというのが真実実相であることを見抜かれ、観じられたから、
>>2851
のようにおっしゃっているわけですが、それが 「現場の経験から言っても、伝道をする場合に効果的」 ということは、それが宇宙の法則つまり真理に則っているということですね。
ところで、私は 「生長の家出現の使命、意義」 について考えています。
大切な使命の一つに、「万教帰一」 ということがあります。
生長の家は、人と人とを和解させるだけでなく、≪宗教と宗教を和解させる働きをする≫。
(『生命の實相』 第5巻p.134)。
そして ≪個人を生かし、家庭を生かし、国家を生かし、肉体を生かし、経済を生かし、環境を生かし、すべてのものを大和同せしめ、すべてのものを共栄せしめる教えがこの 「生長の家」 なのであります。≫
(同上書p.155〜156)
これはとても大切な、生長の家の一大特徴である。これが出来なくなったら、生長の家出現の意義がほとんど消えてしまうと私は思っています。
このことは、今回のテキスト範囲では、次のところに明示されています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(『生命の實相』 第4巻 p.96〜 )
坂下夫人――おかげさまで宅の子供はこのごろ元気で暴れてしかたがないくらい元気でございます。
谷口――そして生長の家の信仰は在来の御信仰とは衝突しはしなかったでしょう。
どうも今までの宗教の信仰家といわれるかたは、名前にとらわれていて、キリスト教信者ならキリスト教という名前のついたものでないと、承知ができない。
他の名前がついたものではどうも感情的に毛嫌いされるというような傾向があったのですが、キリスト教にもいく派もあり、みなそれぞれ教義や聖書の解釈が異っていて、名前は同じでもほとんど別物だと思われるのがあります。
ところが仏教にもいく派もあり、名前は仏教でも真正のキリストの教えに一致するものがあるかもしれぬ。
こういう場合、名前によって仏教を排斥し、キリスト教についているというようになると、教えの実質においてかえって真のキリストの教えを排斥して、他教についているということになるのです。
だからキリスト教でなければならぬと宗教の名前にばかり固執することは、かえってキリスト教に遠ざかるかもしれません。
本当をいえば、キリスト教の神髄も仏教の神髄も同じことである。真理は一つでなければならん。何教何教といって争っているようなことでは、その争っている気持そのものが、神の愛のみ心にかなうものではない。
神は一切を包容し給うものであるから一切の宗教をも排斥せず包容しなければならぬ。
それでは何々教といっていては争いの元になるから、教といわないで「家」ということにしよう。「家」というと、みながそこへ帰って、くつろいで落ち着くところである。それですべての宗教が生長の家へ来ると、元の巣へ帰ったことになる。
生長の家へ帰って来たならば、あらゆる宗教はこの家から生長して兄弟だということがわかる。そこでは宗教争いがなくなって始めて、本当の偏狭でない、伸び伸びした愛の心が甦生(よみがえ)ってくるのです。
<つづく>
2855
:
復興G
:2013/09/21(土) 17:57:53 ID:AB6RqYXc
<
>>2854
のつづき>
坂下夫人――わたしはキリスト教の家に生まれ、生まれつきのクリスチャンでございましたが、先年嵯峨の大覚寺の断食道場へいって断食修行したことがこざいます。そこでは断食中修行者が毎日仏教のお経をあげに行くところがある。
ところがわたしはクリスチャンでありますから仏教のお経をあげるということを、どうしても自分の心のなかに許さないものがあるのです。それで、とうとうそのお経をあげるお堂までわたしだけ行かないことにしましたが、そのために周囲と自分とが調和しない。
同じ人間でありながら、兄弟のような感じがしない。敵意というほどではなくとも、水と油との混ったような疎隔の感じに苦しめられたものです。
そういうわけで心が乱れた結果でありますか、その断食修行はあまりわたしには効果がありませんでした。
谷口――宗教が異なるために、その宗教の名によって人間がたがいに敵意を感じなくてはならないというのでは、その宗教が本物ではなく、かたよったところに執着している教えだということになるのです。それではすべての人間を和解さすことができない。すべての人間を和解さすのが本当の宗教の目的ではありませんか。
坂下夫人――わたしどもは羽仁もと子さんを主宰とする 「友の会」 の会員なのでこざいますが、羽仁さんがキリスト教であるがために 「友の会」 の集まりは、キリスト教の祈りで始めるということになっていたのでありますが、
仏教の方にはキリスト教の祈りについてゆくことはできないといわれる方もありますし、そのため常に問題が起こって、阪神の友の会ではキリスト教の祈りは止めにして、われわれは宗教団体ではない、家庭改善と社会事業の団体であるというので、何教の方もはいっていただいているのでありますが、
わたし自身顧みましても、わたしが嵯峨で断食しました時には他宗の祈りにはどうしてもついてゆけない苦しみをしみじみ味わったのでございますから、仏教の方がキリスト教の祈りについてゆけないのも無理はないと思ったのでございます。
だんだん生長の家でわからせていただきまして、仏教といっても名前は異なってもキリスト教とちがうものではないということが悟れてきまして、他宗の方に対しましても少しずつ広い気持にならせていただきましてありがたいと思っているのであります。
谷口――「友の会」 の指導精神が、生長の家の万教包容的な信仰になられますと、全体の調和が.とれて最もよいと思うのであります。こうして、坂下さんのようにキリスト教の人でも救われるが、仏教の人でも救われる。
(『生命の實相』 第4巻 p.97〜99)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――ところで私は、祖母が熱心なクリスチャンでした。そのことは前に、
>>2501
で書いたことがありました。
谷口雅春先生は、
≪クリスチャンの先祖がある家系では、精神病者とか、小児マヒとか、癲癇(てんかん)とか、医学で原因不明な病人が出る率が高い。
それはキリスト教が日本に移入されたのがきわめて近代であるために、他の祖先の霊魂たちがキリスト教というものを知らない。神道とか、仏教とかの信仰を持っていて、耶蘇(ヤソ)という名前を聞くだけでも嫌いだというふうな、異教を毛嫌いする霊魂たちが先祖に多いので、霊界で一緒につきあってもらえず、さびしいから子孫をたよって子孫に憑(かか)って来ることがあるからである≫
とお教えくださっています。
私も思い当たる節があるので、これはどうしても、キリスト教と仏教の神髄が一つであることを私自身がはっきりと悟り、先祖にそれを伝える供養ができるようにならなければと、真剣に学び精進してまいりました。
そして、結果は現れてきたと思っています。
<つづく>
2857
:
トキ
:2013/09/21(土) 18:38:59 ID:HscXDpxA
>>2855
インターネットでも、特定の宗教の人達が、他の宗教の批判を特集しているのを見て、寂しい気持ちになります。
昔、近所の神社では、元旦になると、初詣の人達に向かって、キリスト教の人達が、「偽りの神を拝むな」と
叫んでいたのを記憶しています。ところが、ある年に、神社が、そのキリスト教の人達を神社に招待して、神社を
説明し、話し合いをしたら、翌年から、そういう光景がなくなったことがありました。伝え聞いたところでは、
その神社の神主さんが、生長の家の誌友だったみたいです。
2858
:
トキ
:2013/09/21(土) 18:39:30 ID:HscXDpxA
>>2856
どうぞ、しばらくお休み下さい。
2859
:
a hope
:2013/09/21(土) 18:45:26 ID:dyDQLtZQ
復興Gさま
「菩薩の慈悲の心」についてのとても丁寧なご指導をありがとうございます。
内容が『雅春先生の悟り』にまでわたっているので、1、2回御文章を拝読しただけですぐに理解できません。
プリントアウトしてじっくり勉強させていただき、後日感想を述べさせていただく形になると思います。
トキさま
<<人間界で言えば、相手は社会的な地位や立場もある人達で、自分と同等の存在です。
単に自分がさきに真理に触れただけの存在だと考え、同時に信仰的に考えて、相手も尊い神の子という視点で考える事が大事だと思います。>>
わたしは4年前「生命の實相」というすばらしい真理に触れました。
最近は、たとえ組織に属さなくても、自分自身でその真理を体得し伝道していきたいという気持ちになっています。
今回、復興Gさまに、「菩薩の慈悲の心」について質問したのにはそんな意味もあるのです。。
「自分自身が「まことの慈悲の心」を起こせるようになって、神の御心のままに人を救えたらどんなに素晴らしいだろう・・・。」
と。
ユタカさま
ユタカさまは、今、何か違うことをお勉強されていてさらにお仕事もされていて、おそらく神経が疲れていらっしゃるのだと思います。
わたしも、神経が疲れているときは(本当は「疲労はない」のが真理ですが・・・)大好きな聖典の言葉でも頭に入って来ませんし、気持ち悪くなる時もあります。
どうか、ゆっくり休んで下さいね。
今夜は、わたしが閉会の言葉を担当させていただきます。
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