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Web誌友会 板/2
2861
:
ユタカ
:2013/09/21(土) 19:17:53 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます、少し回復しました。画面はまだ読めませんが終わりのお祈りはできそうです。
終わりの時間になったらまた出てきます!!
すみませんでした。>2856削除おねがいします。
2862
:
復興G
:2013/09/21(土) 19:20:48 ID:AB6RqYXc
<
>>2855
のつづきです>
霊界(あの世)も現界(この世)のつづきの現象界であり、「万教帰一」 の真理によって大調和が実現するのですね。
<< 祖先の信奉しておったところの宗教を生かすということによって、まず第一祖先と和解するのであります。祖先と和解し、祖先の信仰と和解し、ただ和解するだけでなしに、その祖先の信仰に光を与え、生命を与え、祖先を済(すく)い、そうして一家を光明化し自分自身をも済うというのが 「生長の家」 であります。>>
(『生命の實相』 第28巻 p.78 より)
このような、他の宗教では成し得なかったことを成就する使命をもって、神計らいによって出現したのが生長の家でありますね。
さて、テキストの98ページにありました、坂下夫人が言及されている、羽仁もと子さんを主宰とする 「友の会」 について、私の母が縁あって羽仁もと子さんを信奉していたことは
>>2816
でちょっと触れましたが、母は羽仁もと子さん主筆の 『婦人之友』 という月刊雑誌の愛読者でもありました。
羽仁もと子さんが設立された 「自由学園」 というのが東京の目白(西池袋)にあり、私も母の意向でこの 「自由学園」 入学が検討され話題に上った記憶があります。それは実現しませんでしたが……。
今も 「自由学園明日(みょうにち)館」 というのがあって国の重要文化財に指定され、現在動態保存として一般に開放、利用されており、私も2度ほど音楽会に行ったことがありますが――
この 「自由学園」 という名称は、羽仁もと子さんが17歳で洗礼を受け、生涯にわたってキリスト教を信仰した(教会に属さない無教会の立場であった)ので、新約聖書ヨハネ伝第8章31〜32節の
「汝らもし常に我が言(ことば)に居らば、真(まこと)にわが弟子なり。また真理を知らん、而して真理は汝らに自由を得さすべし」
というイエスの言葉からとって、信仰と自律・自由の精神をモットーとしたからだと言われています。
ともかく私はそうしたご縁があったので、キリスト教にはとても親近感をもっていて今でも毎月一回讃美歌を合唱する集いに参加し、感動と祈りをこめて歌っています。
明日はその讃美歌合唱の日です。そして明後日23日は天台宗のお寺で、彼岸会供養の法事に参加し、般若心経・観音経などを、これまた全心全霊で感動をもって読誦します。
このようなことが何の違和感もなく出来ることは、まったく生長の家の御教えのおかげにほかなりません。
本当にありがたいことです。
この 「万教帰一の真理」 を、完璧に伝え伝えて行くことこそ、私たちに課せられた大切な大切な使命であると信じています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「汝らは地の塩なり。塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき。後は用なし、外に捨てられて人に踏みにじらるるのみ。
汝らは世の光なり。山の上にある時は町は隠るることなし。また人は燈火(ともしび)をともして升(ます)の下におかず、燈台の上におく。かくて燈火(ともしび)は家にある凡ての物を照らすなり。かくの如く汝らの光を人の前にかがやかせ。……
(新約聖書 「マタイ伝」 第5章13〜15節)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ありがとうございます。
2863
:
ユタカ
:2013/09/21(土) 19:21:52 ID:R1D4Jmeg
11時にまたきます
2864
:
復興G
:2013/09/21(土) 19:24:56 ID:AB6RqYXc
ユタカさま。
祈っています。
もう、だいぶ元気になられたと信じています。
だいじょうぶです!
2865
:
a hope
:2013/09/21(土) 19:31:12 ID:dyDQLtZQ
>>1863
ユタカさま
それでは、よろしくお願いいたします。
2866
:
a hope
:2013/09/21(土) 19:33:37 ID:dyDQLtZQ
>>2865
訂正
>>1863
ユタカさま →
>>2863
ユタカさま
2867
:
復興G
:2013/09/21(土) 19:35:06 ID:AENtSm/U
>>2857
:トキ様
>> 昔、近所の神社では、元旦になると、初詣の人達に向かって、キリスト教の人達が、「偽りの神を拝むな」と叫んでいたのを記憶しています。ところが、ある年に、神社が、そのキリスト教の人達を神社に招待して、神社を説明し、話し合いをしたら、翌年から、そういう光景がなくなったことがありました。伝え聞いたところでは、その神社の神主さんが、生長の家の誌友だったみたいです。<<
それは素晴らしいことですね。バンザーイ! です。
2868
:
復興G
:2013/09/21(土) 19:46:25 ID:AB6RqYXc
a hope さま
大量の聖典引用などして、すみませんでした。
もし疑問点などありましたら、遠慮なくご質問ください。
2869
:
復興G
:2013/09/21(土) 20:31:22 ID:AB6RqYXc
テキストの202ページに、
<< 沢田――なんでも医者がもうあの方の肺臓は大分空洞になっているといったとかで、非常に悲観しておられたとき、佐藤さんは突然 「肺臓なんか無くってもよいじゃないか」 と語調鋭くいってしまったが、気がついて 「オヤオヤこれは大変なことを口走ってしまった。そのあとをどう収拾したものだろう」 と思ったが、その言葉が病人に大変力を添えたようだった、それは神さまから言わされた言葉だったようですといっておられました。
谷口――「肺臓なんか無くとも生きられる」 と佐藤さんが断乎としていわれた、それは実に尊いお言葉です。そのために肺臓がかえってよくなって、今まで腐っていた肺臓が再生してきたというのは大変おもしろい事実じゃありませんか。「肺臓がないと困る、肺病が伝染(うつ)っては困る」 などと、なまじっか生理学や衛生思想にとらわれてそう思っているとかえっていつの間にか肺臓が腐っていたのに、「肺臓なんか無くとも生きられる」 と心の思い煩いが肺臓から全然なくなったときに肺臓がかえって復活してくる。>>
という記事があり、また205ページには
<<一燈園の経済は無一物の経済であります。無一物から無腎臓が出て来る経済だといわれます。すべてを捨てたときにすべてが得られる、という真理を一燈園は経済的にそれを実証しているのであります。>>
とあります。そして、
<< 「生命力の無尽蔵」 を実証せられていよいよ一燈園生活も揃うのであります。>>
(215ページ)
と書かれています。
これを読んですぐに浮かんだのは、近所の誌友 I さんの体験です。 I さんは、かつて文学青年でした。その文学仲間の同人誌に書かれた I さんの投稿文をご披露させていただきます。
* * * * * * *
<< むじんぞう余滴
「小説家は、あらゆる人間のうちで、最も神に似ている。彼は神の摸倣者である……。」(フランソワ・モーリアック・小説論)という悪魔の囁きに邂逅してから幾年経ったろうか。
「人物を創造し、心の秘密を探究する恐るべき才能を与えられた人間は、しかし神無き人間の不幸が何を意味するか。神の国が見出されるのは、人間の中のみである。」という言葉が、もはやセピア色となって久しくなり、茫茫として漂泊する風のように年を重ねていたある日の事。
平成五年二月から四ヶ月間に、母を始め、仕事関係近親者の五人もが他界した。もはや絵空事ではない。人はどこから来て、どこへ行くのか。死後の世界はあるのか。
このような場合、小説の効用など微塵もない。毎日暗澹として過ごしていた冷夏のある日、たった一度の自覚症状がおこった。(十分間程度の地に引き込まれそうな嫌悪感)そして、ヤブ(・・)医者と周りの人から言われている医師により、お腹を触手しただけで、異変を知らせてくれ、私は、後に神の手だと思った。
(何故なら、腎臓に疾患があったのだが、それは背中の方にあって、通常お腹の方から触手した位では、わかる筈はないのである)。
<つづく>
2870
:
復興G
:2013/09/21(土) 20:32:06 ID:AB6RqYXc
<つづき>
精密検査の結果、即腎臓を剔出する事になった。後にわかった事であるが、紹介された病院は、癌病棟であった。
後日わかった事であるが、手術前日家族に病名が伝えられた。
腎臓癌。それも腎臓よりも大きな腫瘍がまわりをとりかこんでいる事。手術して、最悪の場合には、そのまま閉じてしまう事、等等。
兄姉の内で、喪服を用意する者さえいたという。しかし、神癒祈願のお蔭で、手術時癌細胞はことごとく死滅し、転移はどこにもなかった。手術は成功し、翌朝肋骨三本と腎臓を剔出した身体で、リカバリー室から、病棟に自力で歩いて帰った。
しかし名医と言われた手から、十七年に一度といわれた手術ミスがおこり、出血多量で輸血がまにあわずに、瀕死の状態から、再手術して、奇蹟的に生還した。この経験時、多くの奇蹟的な事がおこった。すべて人智力では、理解出来ない事ばかりである。
私は退院後、人類光明化運動を提唱し、人間は神の子であり、そのままで救われずみであり、真理を知るだけで、暗黒(やみ)なく、病なく、老いなく、死なし、の教えを知った。
昭和七年の発足以来、その教えの原点である聖典 「生命の実相」 は千八百万部を越える。多くの人が、この聖典の教えによって救われている。凡そ宗教の宗派なるものは、神が人間を救済し給うための計画の中にはない。
神とは真、善、美であり法則である。善にして愛なる所の神には神罰はない。恐怖心を煽る宗教は邪教であり、宗教ではない。
環境は、自分の 「念」 の投影であるから、法則を正しく使い、協調することにより、幸福になる。
宗教とは、奇跡を見せる所ではなく、奇跡をなくする所である。
あたりまえがありがたく、あたりまえが奇跡である。
私は、腎臓がなくなったが、無尽蔵の教えを得た。この教えのもとに、この教えを実践し、人類光明化運動を推進すべく、努力している今日この頃であり、多くの光を得ている日々である。
(特に宗教問題が、とかく言われている時期に、世に少しでも多くの光を点したいと思い、体験の一端を書した。)>>
* * * * * * *
――以上ですが、「無腎臓」 (片方は残っているのですが) になって、「無尽蔵」 の教えを知り、無尽蔵の霊的宝を得たという体験記でした。
2871
:
復興G
:2013/09/21(土) 20:40:07 ID:AB6RqYXc
I さんは今も相愛会長として、日々信念をもって常人の及ばぬような活躍をされています。
自己の信念を曲げず、「かえりみて直くんば百万人といえども我れ往かん」 の気概を持って発言される方です。
2872
:
a hope
:2013/09/21(土) 21:45:34 ID:dyDQLtZQ
みなさま こんばんは
昨晩
>>2838
で書きました、ボランティアの問題ですが素晴らしい方法で解決しました。
ここに事実をハッキリ書けないのがもどかしいのですが、
とにかくわたしの支援が必要なくなったという状況になったのです。
その状況の報告は、わたしにとっても、とてもうれしい報告でした!
わたしは、その方を「救おう、救おう」としていましたが、でも自分の力量に不安がありました。
そんな時、このweb誌友会のお勉強のためにたまたま開いた「生命の實相」にその問題に対する回答がありました。
そして、復興Gさまからも『静思集』のお言葉を紹介していただきお勉強させていただきました。
そして、今朝の神想観で相手の方の実相(本来の力強いお姿)をお祈りさせていただいていると、
その方への尊敬と感謝の気持ちが自然にわいてきました。
そんな風に自分の心が変って「気持ちが楽になったな〜」と思ったら、間もなく嬉しい報告の電話をいただいたのです。
これは、わたしの心が変ったから起きた奇蹟なのではないかと感じています。
みなさま、「生長の家の教え」はすごいですよ!!!
また、復興Gさまのご指導内容も、何回か拝読させていただいているうちに、だんだんわかってきたような気がします。
『雅春先生もお悟りになる前は、たとえ慈悲の心を起こされても家族すれ救えなかった』ということは「慈悲の心」にも段階があるということですね!
だんだんわかってきたので、ワクワクしてきました!
これからプリントアウトして、ゆっくり拝読させていただきます。
復興Gさま、素晴らしいご指導に心から感謝いたします。
合掌。
2873
:
復興G
:2013/09/21(土) 21:53:48 ID:AB6RqYXc
a hope さま
具体的なことはわからないけど、とにかくよかったですね。
ご報告、ありがとうございました。
2874
:
トキ
:2013/09/21(土) 22:31:35 ID:HscXDpxA
>>2871
Iさんの体験談、感銘を受けました。文学青年らしく、印象深い文章だったと思います。
こういう体験談が知られる事は、多くの人の参考になると思います。
2875
:
復興G
:2013/09/21(土) 22:56:16 ID:AB6RqYXc
トキ様、ありがとうございます。
さて、私は、ユタカさんが
>>2755
で
>>私なりに心に残ったので赤線を引いたご文章を下記に・・・<<として貼って下さった
<<生命の実相第4巻 P、159
山口ーー「縁なき衆生は度し難し」と申す言葉がありますが・・・・。
谷口ーー縁のない衆生はひとりもない。ただ機縁が熟しているかいないかです。釈迦に弓を引いた提婆達多も成仏する。キリストを売ったユダも成仏する。地獄も餓鬼も修羅道も成仏する。地獄も餓鬼も修羅道もいっさいの不完全なものは実在でないから
「やがて 消える去るべき 運命 をもっているのです。」>>
と引用されたご文章のつづきで、
<<そのほかにありようはないのです。罪でも病気でも悪癖でも結局は消えてしまってその人は結局救われるほかはないのですけれども、相手が反抗しているのをこっちから強制的に救うことはできない。それは人間は本来自由を与えられているから、強制することができないように造られているからです。……
われわれは形を強制しても心を強制することができないのです。心は無限の自由を与えられているから、悟りたくないものを無理に悟るように強制するということはできないのです。だから心を悟らせる上では、形の上で、「ソレ悟れ」といわんばかりにいろいろの苦しみが来る。欲しないのに苦しみが来る、いわば強制的に来るのです。>>
とあるところに、注目しました。
私は学生時代に、デール・カーネギーの 『人を動かす』 (原題 “How to Win Friends and Influence Poeple”) というのを原書講読したことがあり、その最初のところを暗記していました。それは
“There is only one way under high Heaven to get anybody to do anything. That is to let anybody want to do it.”
だったと思います。(昔々のことなので、ちょっとあぶないですが)
<人に何かをさせたいと思ったら、道は一つしかない。それは、その人に 「それをしたい」 と思わせることだ。>
ということですね。
今、教団と “本流” の人たちが、いずれもこの法則を破って、相手に強制的に何かをさせようとしているように見受けられますが、それは不可能なことでしょう。なぜなら神はすべての人間に自由を与えられたのですから。
2876
:
ユタカ
:2013/09/21(土) 23:00:33 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます、復興Gさま、トキさま、a hope さま、ご心配をかけて申し訳ありませんでした。大浄化作用でした、もう、大丈夫です、ありがとうございます。元気になりました!お祈りをありがとうございました。 ここで一旦、WEB誌友会を閉会させていただきます。
復興Gさまの第14回のすばらしい閉会のお祈りを再掲します。ますます浄まります。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神 元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし 生長の家の大神守りませ。
生長の家の大神様 ありがとうございます。ありがとうございます。
web誌友会を、大神様の御導きにより、最高の真理の奥殿に導かれ終了することができましたことを感謝申し上げます。ありがとうございます。ありがとうございます。
私たちは、大神様のお導きにより、次のことをはっきりと自覚させていただきました。
≪我々の運動の根拠となるもの、それは生命、実在だけであり、一瞬一瞬に久遠と無限を生きることである。
今此処の一点に、宇宙と天皇と日本と世界と久遠とを生きることである。
人が生きるとは、絶対が生きることであり、絶対が生きるとは実相独在を生きるということであり、実相独在をもち続けることが生命の純粋持続ということである。この他には、光明というものはなく、光明化運動というものはなく、創造というものはない。けだし、実在以外は「無」であるからである。
私達一人一人が実在そのものであり、神そのものである。このことを教えられている私達にはもはや後退ということはあり得ない。金剛不壊の実在の巨歩があるのみである。私達が実相であり、金剛不壊であり、巨歩そのものであるから。そして、祈りそのもの、神想観そのものの生きて歩む姿としての人類光明化運動が今、此処に立っているのである。それが、今ここに「住吉大神の全身全霊として生きる」ということなのである。≫
○
新たに生まれるための祈り
われ今、合掌、天地四方を礼拝して、天地一切のものに感謝し奉る。古き天と地と四方一切のものは過ぎ去り、役目を果たし終りぬ。
ここにわれ住吉大神に導かれて龍官海に入り、龍宮城の“神癒の社(やしろ)”に入り、大神の御前に坐して大神を礼拝し奉る。大神、右の手をあげてその掌もてわが全身を撫下(ぶか)し給いて霊をもって我を浄め給う。
古き現象界の人類意識の妄想ことごとく浄められて、わが実相完全のすがたここに顕われたり。
今より後、一切の悩みあることなく、苦しみあることなく、病いあることなく、老衰あることなく、貧しさあることなく、悲しみあることなく、憂いあることなし。
久遠不滅の生命われに宿れり、常住健康、歓喜無限の生命なり。
われ住吉大神の御禊(みそぎ)を受けて霊によって潔められ、霊によって復活のいのちを受けしことを、大神に感謝し奉る。
今後、われ現象界に帰還したる後も、永遠にこの自覚をもちて生活せんことを大神に誓い奉る。ありがとうございます。
(『如意自在の生活365章』21〜22頁より)
住吉大神様 web誌友会を正しく導き給い、参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給いしことを感謝申し上げます。ありがとうございます。ありがとうございます。
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
ありがとうございます。ありがとうございます。
2877
:
a hope
:2013/09/21(土) 23:11:20 ID:dyDQLtZQ
ユタカさま
<<ますます浄まります。>>
ほんとですね!
わたしたちはすばらしい御教えをここでお勉強できるのですから『浄まるしかない』のですね!!
すばらしい、復興Gさまのお祈りを再掲してくださりありがとうございます。
a hope これからも「生長の家の教え」をしっかりと勉強して、まことに法燈継承させていただきます。
復興Gさま トキさま ユタカさま、閲覧者のみなさま、今回も素晴らしい学びをさせていただきました。
ありがとうございました。
2878
:
ユタカ
:2013/09/21(土) 23:14:28 ID:R1D4Jmeg
これから後夜祭ということでお続けください。
ユタカももう一度読みましてから出てきます!
今日はおやすみなさい!
2879
:
復興G
:2013/09/21(土) 23:18:11 ID:AB6RqYXc
a hope さま、ユタカさま、トキ様、皆々さま。
ありがとうございました。
おやすみなさい。
2880
:
復興G
:2013/09/22(日) 07:15:06 ID:AB6RqYXc
おはようございます。ありがとうございます。
>>2872
:a hope さま
>> 『雅春先生もお悟りになる前は、たとえ慈悲の心を起こされても家族すら救えなかった』 ということは 「慈悲の心」 にも段階があるということですね! <<
―― 「慈悲の心」 に段階がある というより、 「慈悲の心」 に 「正しい智慧」 を伴わないと人を救うことはできない、ということではないでしょうか。
「正しい智慧」 とは、般若の智慧すなわち 「色即是空」 (物質はない、肉体はない、現象はない) ただ神のみ、仏のみ実在すると知り、心の法則を正しく使える智慧です。
愛と智慧とは車の両輪のようなもので、どちらか一つでも欠けるとうまく走れない、ということではないでしょうか。
こう言うと僭越に聞こえますね。谷口雅春先生も初めは智慧が欠けていて迷ったあげくに悟りを開かれたというように聞こえますが、そうではなく、
<<迷う心も無いから、悟って仏になる心もない。迷う心が進化して悟って仏になると思っていたのがまちがいであったのである。ただ初めから仏であり、神である 「実相の心(われ)」 があるだけである。その実相の心が展開した実相の天地があるだけである。浄飯王(じょうぼんのう)の王宮を出て、伽耶城(がやじょう)を去ること遠からず、菩提樹下(ぼだいじゅげ)に六年静思して初めて悟りをひらいて仏となったという現象の釈迦牟尼仏は本来無かったのである。
『法華経』 の中で、釈迦自身が、
「我実に成仏してよりこのかた、無量無辺百千万億那由他劫(なゆたこう)である」 と言ったその久遠の仏のみが実在であったのである。その久遠の仏が今ここに生きているのだ!
十字架上に磔けられて、「神よ、神よ、なんぞ我れを捨て給うや」 と哀号(あいごう)したイエスは本来無かったのだ。永遠の神性――「アブラハムの生まれぬ前(さき)から生き通し」 とみずから言ったキリストのみが実在であったのだ。
自分もまた、明治二十六年十一月二十二日に母の肉体より誕生したのではなかった。そして、現在の今はじめて悟ったのでもなかったのである。ここのままで、久遠の昔、そして久遠の今、はじめなき始めから仏であった自分であったのだ。>>(自伝篇より)
というのが真実 実相なのでした。そして、このお悟りに到るすべてのことが、闇ではなく、光が現れんとする過程の尊いご体験なのでした! ありがとうございます!
2881
:
ユタカ
:2013/09/22(日) 07:15:24 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、トキさま、a hopeさま、みなさま、ありがとうございます。
今朝は全世界が光輝いているように感じています。再掲させていただいた復興Gさまのお祈りの言葉がすばらしくって涙がでました。
トキ様、ご親戚の白鳩さまありがとうございます、私は知らない間に生まれ変わっていました。
感謝のお礼を申し上げたいです。
まだまだこれから勉強をすることは沢山ありますが、今はここまでこれたことを特に感謝しています。
ありがとうございます。 ユタカ 拝
仕事にいきますので、夕方もどります。
2882
:
トキ
:2013/09/22(日) 17:48:51 ID:vJ4ORW8I
復興G様、ご指導、ありがとうございました。
皆様、ありがとうございました。
2883
:
ユタカ
:2013/09/23(月) 20:20:27 ID:/B6zFSOc
ありがとうございます。
私はweb版の勉強会で生まれ変わったと思いましたが、生まれ変わっていませんでした。
今日は原宿本部の最後の公式行事に参加して、たまたま一番前で総裁と近距離の場所にいまして、もうすでに総裁のほうが先に座っていて、「顔」を見ただけで怒りの気持ちが湧き起こってきました。
慰霊祭の祭壇は真っ赤なカーテンで「実相額」を隠して黒い箱から過去帳を出して、その中から、今年なくなった功労者名簿を読み上げていました。
壇上の総裁の後ろには、金魚の糞のように、大塚、雪島菅原佐藤大久保三好らと第1の植田もいた。落慶式と同じようにいた、異様な光景だった。
総裁は両足を広げ背中を丸めイスに斜めに座っている姿が「つまらない!」と全身で言っているように感じられて、さらにムカついた。
総裁の挨拶は、これから引越し作業を続行するので忙しいとかで、自分は30年同じところにいたからクダらない荷物が沢山あるので整理するとか・・なんとかで。。。
最後に信徒のみなさんは、生長の家の大調和の真理を宣布して欲しいということと、「死は悪ではない」という事を伝えて欲しいとか・・・
総裁の挨拶は現象のことばかり言っているのは方針なのでしょうか? 総裁の挨拶は軽かった。。。新しい事務所に行くのに職員の顔は暗い。
ということで、総裁は「死は悪ではない」 と言いました。
私は死は本来ない、生き通しの永遠不滅の生命を教えていただきましたが、
総裁は「死は悪でない」などと表現することは、
2884
:
SAKURA & NANCY
:2013/09/23(月) 21:03:08 ID:4bzfQCNk
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」へ
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【 SAKURA & NANCY 】で〜〜〜す。
■□ 本日で?「公式行事が終り……」という事で…下記URL…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/2883
上記を閲覧させて頂きました。
■>>死は悪ではない…<<
この言葉に目がとまりましたでしょうか?現象での【死…】この一点に集中しての解釈を
致しますと?当然ながら“ネガティブ感情…”が〜〜〜誰しも生じますでしょうネ?
思いなおしまして??
正直申しますと【この前後に〜〜〜何かの“コトバ…”がありましたのでは〜♫】そのように思います。
この?前後の“コトバ…”を教えて頂きますと幸です。…が?
此処では?私自身は【 死=生きとおしの魂 】との解釈を致しました…。
そうです〜〜〜ョネ!一般的には【死=恐怖心…】を抱いてしまいますのでは?私自身もなきにしも?
創立者「谷口 雅春先生」が?
■□【人間は〜〜〜「肉体人間…」ではない!「霊的人間…!!という事…」を、思い浮かべます。
そうしますと?【悪しき事…】でなく?【次なる世界へと…新たなる旅立ち…】という事でしょうか?
そのように「捉え方…」を少しだけ変えますと【気持ちが〜〜〜少し楽!】になりませんでしょうか?
いつも〜〜いつも〜〜【グサリする言葉…】がありますモノ!
そして、本日の【開催行事…】の光景を教えて頂きました事に、深く〜深く〜【感謝…】です。
再合掌
2885
:
a hope
:2013/09/23(月) 21:25:15 ID:dyDQLtZQ
>>2883
ユタカさま
正直にいいますと、わたしも総裁先生の森のオフィス落慶式でのご様子の映像や写真を拝見したり、
雅宣先生の唐松模様や、FBでのご発言を拝読しますと、なんともやるせない気持ちになります。
そして、今回はまた、なぜ雅宣先生は「死は悪ではない」などと発言されたのでしょう・・・気になりますね。
「死も悪もない」ならすんなり理解できるのですが・・・。
>>2884
でSAKURA&NANCYさまも、
<<正直申しますと【この前後に〜〜〜何かの“コトバ…”がありましたのでは〜♫】そのように思います。
この?前後の“コトバ…”を教えて頂きますと幸です。…が?>>
とおっしゃっていますが、わたしも、この総裁先生の「死は悪ではない」の発言の前後のお話が聞きたいです。
ユタカさま、どうぞよろしくお願いいたします。
2886
:
ユタカ
:2013/09/23(月) 22:36:34 ID:R1D4Jmeg
総裁の言葉は、唐松ブログで出てくると思います。
総裁の言葉うろ覚えですが、生長の家の教えは大調和の教えであるということと、今日は慰霊祭でした、皆さんも皆さんもいつかは死にますが、「死は悪でない」という真理を多くの人に伝えて下さい。
というように覚えています。 「え?? 死はない、永遠不滅の生命でしょ!」って思わず言いいました。
このような総裁でも退場には渦を巻くような拍手を受けて退場して行かれましたよ。 それと今日は189名の出席者なので語呂あわせで「イワク」のある日だとか何とか・・・意味不明でした。。
久しぶりに近距離で見た総裁はモーニングがだぼだぼで痩せてガンでは?と思うほど顔色が悪く見えた、総裁の挨拶になってから、姿勢が良くなって顔に赤味が差して来たように見えました。
光明の塔のホール?に、紙に不用と書かれた事務椅子やら書棚が乱雑に投げられていて引越し作業が始まっている様子でした。本部の内部は昭和時代そのままでした・・・トイレが男女一緒に近い感じの仕様で骨董品の水道の手洗い場でした。。
大ホール一回は満席に近かったですが二階はガラガラ。 そういえば、クイーンエリザベス2号のプラモデルの作りかけがあってそれを引っ越すときに持ってはいかないとか、どうでもよすぎて、総裁の挨拶とか言うものは、耳を素通りしていきます。。。
あまり覚えていなくてすみません。。。 誰かに脅かされているのでしょうか? 椅子に警護と書かれ男が座ってもいました。
総裁は誰かに脅されているのかな?って思いました。。。
2887
:
志恩
:2013/09/23(月) 23:07:34 ID:.QY5jUA6
ユタカ様
総裁の顔色は、ガンじゃないかと思えるほど悪くて、痩せていらしたというのは、
なんか、痛々しいですね。
総裁ご夫妻は、ノーミートで、主食も多分雑穀米を召し上がっておられるとお見受けしますが、
健康を保つのは、食事も大事ですが、ご先祖様やご両親やご兄弟、その他、
周囲への感謝の気持ちがあるかどうか、とか、
ストレスを多く抱え込んで、くよくよしてないかどうかという、精神状態のほうが、
健康保持には、すごく大事だと、思います。
私は、最近、ご近所に住む、友人のことで痛感しているのです。
その人は、61歳の女性なんですが,
昔から、玄米菜食主義者で、肉も魚も食べない人でしたが、
なんと、最近、彼女から電話が来て、彼女は、胃がんの末期で肝臓にもがんが転移してたというのです。
あと、5年の命と医者に言われたそうなんです。
私は、生長の家の話は、以前から彼女に伝えていましたから、
彼女は、死は、寿命もあるし、人間は生き通しだと教えてもらっているし、
不安はないと、あっけらかんと笑って話していましたが、抗がん剤の点滴治療を
受けているそうなんです。
私は、肉も魚も感謝して食べていいと思っている人間です。
肉を食べたときは、野菜や大豆食品、海草類を多く摂り、
明るくストレスを、上手に解消しながら生きれば、
健康も保てると考えています。
総裁の健康状態は、心配ですね。
病院へ診てもらいに いらしてないのかしら。
ユタカ様から伺った
総裁のお話は、生長の家の総裁とは、思えないような内容ですけれど、、
2888
:
志恩
:2013/09/23(月) 23:21:43 ID:.QY5jUA6
その彼女は、なんでも考えすぎる人で、一緒に住んでたお嫁さんと
相性が悪く、実の妹さんや、弟さんとも、相性が悪く、それをくよくよ
自分の責任だと言って考えてた内向的な性格の人だったんです。
私のように、さばさばした性格でなくて、
私は、いつも彼女の悩み事を聞いてあげて、励ましていたのです。
2889
:
ユタカ
:2013/09/23(月) 23:32:48 ID:R1D4Jmeg
志恩さま
総裁の慰霊祭での挨拶は唐松ブログで全文でると思います。
>>総裁ご夫妻は、ノーミートで、主食も多分雑穀米を召し上がっておられるとお見受けしますが、
健康を保つのは、食事も大事ですが、ご先祖様やご両親やご兄弟、その他、
周囲への感謝の気持ちがあるかどうか<<
@年末にローストチキンを食っていたのはどこのどいつだ〜〜い??
総裁の礼服がサイズが合っていなくてそう見えたのかも? 本当にダボダボでした。。
引越し作業が忙しくて激痩かも? 痩せたからすごいお爺さんに見えましたよ。でも、椅子から立ち上がって話したときは、顔に赤味が差してキチンと話していました、クダラナイ話を。
「いやな人だ!」と思う自分が情けない、総裁が神の子と思えなかった。ユタカの信仰はニセモノ。
2890
:
復興G
:2013/09/23(月) 23:41:21 ID:AENtSm/U
ユタカさん、そんなに自分を責めることはないですよ。
すべては浄化の過程、いっそうよくなる過程、進歩の過程ですよ。
私は慰霊祭に参加しませんでしたが、私のところにも参加を勧めるハガキが来ていました。これが原宿本部会館使用の最後の行事になるからと。全会員宛ではないと思いますが、少なくとも講師や第一線幹部まではハガキが出されたのでしょう。
それにも拘わらず、189名の参加にとどまった。400人程度は入れるホールだと思いますが・・・・これが現実ですね。
いま役員改選が行われていて、今月一杯で組織役員は新しく交替します。これで、私の予想では、おそらく役員の数すなわち単位組織の数は、2割程度は減ると思います。もっと減るかも知れません。残念ながら教勢が、目に見えてガタッと落ちます。
総裁ならびに教団上層部の方たちは、この現実をしっかと見て、考えていただきたいですね。
私は、今日は原宿本部の春季慰霊祭には参加せず、お寺の彼岸会 先祖供養の法事に行ってきました。
住職が、4月に交替して初めての彼岸会でした。
交替したのは、先代が父親で、息子に引き継いだ形です。法燈継承みたいなことがなされたのです。
しかし、先代の父親もまだおつとめに同席して読経などしているのです。
新住職は挨拶で、「先代が約50年間この寺を護り育て、檀家は増え、こうしてたくさんの方たちが彼岸会にも集まってくださるようになった(50人近くの人たちが集まっていた)。私はそのあとを継いで、先代に頼らずしっかり頑張ってやっていきますから、よろしく……」 というような挨拶をされました。
少しも飾るところがなく、一所懸命な気持ちが表れていて好感が持てましたが、そんなに頑張らずに、「こうしてあとを継がせて頂けるのは、私の力ではなく仏の大慈悲のお力であり、先代のおかげ、また檀信徒みなさまのおかげです。」 と、ただ感謝の言葉だけだったらもっとよかっただろうと思いました。
2891
:
志恩
:2013/09/23(月) 23:44:37 ID:.QY5jUA6
いいんじゃない。気にされないで....。
そういう人でも、
「すてきな人だ!♡」と思う人もあれば、
「いやな人だ!♥」と思う人もあれば、
それは、自分の波長と 合うか合わないかの差ではないでしょうか。
そう、思ったんだから、しょうがないでしょう。
映画を観た感想と同じで、人それぞれではないでしょうか。
現象なんて、夢幻ですもの。気にされること、全然ないですよ。
2892
:
SAKURA & NANCY
:2013/09/23(月) 23:48:28 ID:txgr3N66
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA & NANCY】で〜〜〜す。
>>2884
の投稿の続きです…。
■ブログ【 唐草模様… 】に投稿される??でしょうかと?云う事ですネ!教えてくださいまして【感謝…】
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/2886
から〜〜〜♫
閲覧者の皆様も御存じでしょうが?先程ですが〜〜〜
【総裁先生のフェイス ブック】…の中に? ≪一枚の写真≫が投稿されていました。それは?30年間!
住みなれました【お山…の家】を今月で・・・ ><しかもその写真は〜〜〜
【 梱包された荷物の箱…の数々(部屋の中) 】です。おそらくは〜〜〜?><大小かなりの
“段ボール箱”の数でしょうか?ましてや?【思い出の品も〜〜〜かなり捨て去り】かと。
私も個人的には【TYO在住】頃は?3年に一度の?【引っ越し…摩?】と云いますかしら〜〜〜ン!
その短期間ですら〜〜住みなれました“地…”への「思い出…」は、いざとなりますと?
こみ上げてくるモノが〜〜〜ありますモノ。
一つの区切りとしての【山梨…森のオフィス】は〜〜〜その事前作業である【引っ越し…荷物の梱包】…etc
今年の異常なる“夏の暑さ”も手伝っての〜〜〜>< 外見上での【やせ方…】に御心配して
いらっしゃいますようで?ある面は?公式行事(講演活動…)も含めまして、
【体力消耗…】となりましたのでしょうかと。私の捉え方です。…が?これも?あくまでも〜〜〜
「捉え方の問題」ですかと?思う次第に思うのです〜〜〜ョネ!
雅春先生時代の場所から…つまり【東京から〜〜〜新しい地…山梨】へと行かれますのですから?
殊のほか【思い出が〜〜〜走馬燈のように脳裏に】かと思えます。その事が?姿・形として・・・
第三者であります皆様に?どのように受け止められますかは?当にその人の「感情論…」が入って参りますでしょうかと思うのです…。
■【ポジティブでの感情】でしょうか?それとも【ネガティブでの感情】でしょうか?
この事一つでも〜〜〜【人生への旅路】に於けます【道は如何に開けるのでしょうか??】この様に
繋がってまいりますのでは?ないのでしょうか〜〜〜?
そして【或る一定年齢…】になりますと現象世界での【死…】を見つめ直す事も?多くの人にとりまして
当然ながら?考える事となりますでしょう。それは【表現法…人それぞれ】でしょうか?
【 死は悪ではない… 】
今回は?皆様の投稿で…多々なる“捉え方…”を考えます機会を頂きました事に…『感謝…』です。
つづく
2893
:
a hope
:2013/09/24(火) 00:06:39 ID:dyDQLtZQ
ユタカさま
ご報告ありがとうごさいます。
わたしは詳しいことはわからないのですが、慰霊祭というのは今年亡くなった信徒を慰霊される行事なのですよね?
ユタカさまが参加された理由は、どなたかご身内かお知り合いで亡くなられた方がいらして、その方を慰霊するためなのでしょう?
それなのに、雅宣先生の行事中の総裁先生の<<両足を広げ背中を丸めイスに斜めに座っている姿が「つまらない!」と全身で言っている>>ような態度をご覧になったら、嫌な気分になるのは当然だと思います。
さらにお話の内容も、自分の引っ越しのことだったりしたわけでしょう?
おそらく、わたしもその場にいたらユタカさまと同じ反応が起ると思います。
2894
:
SAKURA & NANCY
:2013/09/24(火) 00:22:00 ID:txgr3N66
「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【 SAKURA & NANCY 】で〜〜〜す。
>>2884
>>2892
の投稿の続きです…。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/2886
から〜〜〜♫
■□さらに「総裁先生」が〜〜〜或る人にとりましては【癌…】とか???そのようにお見受けするかと?
このような【話の展開…】で、つい!つい!笑ってしまいましたのです。…が?
今回「パートナーの父様」が【癌との宣告…】となりまして!私が「食事療法…」を率先して、
“パートナー”ともども【食事療法…】を致しましたのです。・・・が?
その時に〜〜〜ハット!気づきましたのが〜〜〜?
「現総裁先生の奥様(純子先生)の料理」は【癌…】にもなりにくい“食事…の献立”内容なのですが??
食材の数々〜〜〜内容は?参考になりますかと。さらに、付け加えますと【癌…になられやすい方】は〜〜〜?
たいていの方々が〜〜〜ある面では“中肉系?”・さらには“肥満系?”の方が多いのでしょうか?
あくまでも?私の捉え方です。…が?
【癌…の宣告】を受けられましてから、ダン〜ダン〜痩せられていく方々の過程が多いのです。…が?
此処で「現総裁先生…雅宣先生」は創立者「谷口 雅春先生」と同じ【体型…】ではないのでしょうか?
本当に〜〜〜皆様と同じ捉え方となりますが〜〜〜「ダブダブ背広…」ですモノ!かなりの痩せ方?
これは?ある面では■【意志の強い!!】・【必ずや!成し遂げる精神力!!】が多大に感じられます。
逆に、私も含め〜〜〜「ふくよかタイプ…」いかがでしょうか?? (微笑)
ですから、只今【自覚でのダイエット!トライ〜〜〜】始まりなのです。「自称…何回目の決意?」(微笑)
それこそ〜〜〜><そちらの方が〜〜〜心配ではと、思いますのですが???
この事は「観覧者の皆様」どのようにお考えでしょうか??
再合掌
2895
:
復興G
:2013/09/24(火) 05:26:37 ID:AB6RqYXc
私は
>>2890
で
>>残念ながら教勢が、目に見えてガタッと落ちます。
総裁ならびに教団上層部の方たちは、この現実をしっかと見て、考えていただきたいですね。<<
と書きましたが、外に、他に求めることは間違いでした。
一切はわが心の展開なのでした。
『論語』 にも
「君子(くんし)は諸(これ)を己(おのれ)に求め、小人(しょうじん)は諸(これ)を人に求む。」 《君子は何事も自己の責任に帰し、小人は他人の責任に帰する。》
とあることを胆に銘じてまいりましょう。
で、すべて総裁や教団上層部の方々に求めるということではなく、自分をかえりみて、谷口雅春先生のお教えや中国の古典などに学びながら、自分のこととして考えることですが……胸にこたえる言葉を引用してみましょう。
まず、前回のweb誌友会テキストから――
* * *
谷口――その娘さんの方も、あまり世間の苦労というものを知られないために、恩を恩だと感じられないのでありましょう。
ともかく、その方がその娘さんを後嗣(あとつぎ)ということにして、今まで人生で苦労して得たすべての財産を譲ろうとせられる。その譲られる財物を得るために、本来その義父母たちがどれだけ人生の戦場で労苦されたか、その労苦の結果得られた尊いものを譲ろうとされるのであるから、ありがたいことである、と感ずれば、感謝の念が自然に湧いて来るべきはずでありますのに、そういう感謝の念が湧いてこないのは、財物を得るのにはどれだけ人生の戦場で苦しまなければならないか、その苦労の体験がないからです。
つまり苦労が足りない、苦労が足りないから、……財物を得るにはどれだけの苦労が要るか、その苦労しなければ得られない財物を譲るには、どれだけの思い切りと愛とが要るかということを体験させられるのでありましょう。
(『生命の實相』 第4巻187ページより)
* * *
「売家と唐様に書く三代目」 と云う諺もあります。
第一代目は自分が大いにサービスをし、人によいものを与えて来ましたので第一代目はつぶれません。
第二代目になっても第一代目のサービスの徳が蓄えられているのでまだ其の家はつぶれません。
第三代目になるとだんだん初代の徳が失われまして中味のない形ばかりの富になって来ますから、とうとう先祖からの家も売り払ってしまわなければならぬようになるのであります。 (谷口雅春先生 『生活読本』 第13章より)
* * *
徳は孤ならず、必ず隣(となり)有り。 《徳というものは孤立するものではない。必ず隣ができるものだ。》 (『論語』 より)
* * *
桃李(とうり)もの言わざれども下(した)自(おのずか)ら蹊(みち)を成す。 《桃や李(すもも)は何も言わないが、美しい花にひかれて人が集まり、その下には自然に道ができる。徳のある者は弁舌を用いなくても、人はその徳を慕って集まり帰服する。》 (『史記』 より)
* * *
――私たちは、大聖師谷口雅春先生から大きな大きな財産をゆずられた。それは、全国各地の道場、教化部やたくさんの信徒同志というような財産もありますが、もっと大きいのは形あるものではなく、宇宙のすべてと言ってもよい、「人間は神の子」 という大真理、そして「人類光明化運動」 のパテントを譲られたのであります。
しかし、苦労知らずのまま大きな大きな財産を譲られて、そのありがたさを十分知らないまま、自分が偉いのだと錯覚して、その無限大の財産を生かし切ることができなかった。
それで現 雅宣総裁は、倶胝和尚が小僧の指を切って落とされたように、私たちの指を切るような役を果たしてくださって、「形だけ真似したのではだめだよ」 とお教えくださっているのである。その雅宣総裁に感謝しなければならない。
――私は今、そのように考えています。
2896
:
ユタカ
:2013/09/24(火) 05:45:27 ID:R1D4Jmeg
>それにも拘わらず、189名の参加にとどまった。400人程度は入れるホールだと思いますが・・・・これが現実ですね。
参加者の中には、私が気がついただけでも、世界聖典普及協会の社員、本部講師の奥さん等、数合わせで参加しているのかな?と感じる人もいました。
ですから、純粋な遺族の参加はもっと少ないでしょう。。。
上層部が裁判などをして争っているから、信徒同志も「あっちを通りなさいよ!」等と譲らない声が聞こえて会場もいやな雰囲気でした。
これでは、人も激減するでしょうね。。。納得します。。
2897
:
ユタカ
:2013/09/24(火) 05:53:54 ID:R1D4Jmeg
>2895を見ないで書きました。
>2895 復興Gさま
そうでした! 復興Gさまの言葉で今日は考えたいと思います。 さらに勉強してまいりたいですから。
ありがとうございます。合掌。
皆様、ありがとうございます。
2898
:
a hope
:2013/09/24(火) 09:00:50 ID:dyDQLtZQ
みなさま おはようございます。
>>2895
復興Gさま
<< ――私たちは、大聖師谷口雅春先生から大きな大きな財産をゆずられた。それは、全国各地の道場、教化部やたくさんの信徒同志というような財産もありますが、もっと大きいのは形あるものではなく、宇宙のすべてと言ってもよい、「人間は神の子」 という大真理、そして「人類光明化運動」 のパテントを譲られたのであります。
しかし、苦労知らずのまま大きな大きな財産を譲られて、そのありがたさを十分知らないまま、自分が偉いのだと錯覚して、その無限大の財産を生かし切ることができなかった。
それで現 雅宣総裁は、倶胝和尚が小僧の指を切って落とされたように、私たちの指を切るような役を果たしてくださって、「形だけ真似したのではだめだよ」 とお教えくださっているのである。その雅宣総裁に感謝しなければならない。
――私は今、そのように考えています。 >>
わたしは、雅宣先生はわたしたち信徒の心をすべて見通されているのではないかと感じています。
だからこそ、大観世音菩薩さま(写し鏡)となって、わたしたち信徒の姿を映し出してくださっている。
昨日の慰霊祭で、霊感の強いユタカさまの感じた「怒り」は、本来は慰霊されるべき霊魂の心のこもらない形だけの慰霊祭に対する「怒り」なのではないかと感じました。
本当に、形だけの行事ならやらない方がいいような気がします。
2900
:
閲覧者99
:2013/09/24(火) 09:42:30 ID:ZjEQmzns
ユタカさんも、a hope さんも霊感があるというか、人の言葉として
上がっていないところまで読み込む力がおありのようですね。
ちょうど、復興Gさまが、『生命の實相』に立ち返って、適度な解説をいれて
くださってるので、わかりやすい、まとまった誌友会を見学させていただきました。
合掌、ありがとうございます。
今後もよろしくお願いします。
拝。
2901
:
復興G
:2013/09/24(火) 14:42:46 ID:AB6RqYXc
一昨日の22日(日)、私は讃美歌などを無我になって美しく合唱するつどいに行ってきました。
そこでだいたいいつも最初に歌うのは、讃美歌310番 「しずけき祈りの…」 です。 その歌詞は――
1.しずけき祈りの ときはいと楽し
なやみある世より われを呼びいだし
父のおおまえに すべての求めを
たずさえ至りて つぶさに告げしむ
2.しずけき祈りの ときはいと楽し
さまよいいでたる わが魂(たま)をすくい
あやうき道より ともない帰りて
こころむるものの 罠(わな)をのがれしむ
――これを歌って、私はある誌友会のことを思い出しました。
それは、先祖供養のことを話題にした時、ある女性の方がこんな話をされたんです。
その方は最近お姉さんを亡くし悲嘆に暮れていらっしゃったとき、ひろ・さちやさんという仏教学者の話を聴かれた。ひろ・さちやさんは、こう言われたそうです。
「皆さん、みんないずれあの世へ行くことになるんですが、あの世へいくのに手ぶらで行きますか、それとも何か手土産を持って行きますか?」 と問いかけられた。「手土産を持って行くとしたら、どんな手土産がいいでしょうか?」 と。
それでみんな考えてしまったけれど、ひろさんの答えは、
「あの世への手土産は、この世で悩み苦しんだ話、苦情や小言をいっぱい土産話に持って行きなさい。あの世は極楽で、なんにも苦しみのない世界だから、そういう苦しみの話が、よい手土産になるんですよ。」
ということだった。それを聴いたその方は、なにかホッとして、とても救われた気持になったと話されました。
私は言いました。
<< 「あの世」 というのを、死後霊魂が修行する場としての霊界と考えると、そこは現象界の続きだから、必ずしも 「なんにも苦しみのない世界」 ではない。だけど、「あの世」 というのを 「実相世界」 「絶対愛の神の国」 と考えれば、そういうことが言えるでしょうね。>>
と。そのことを思い出して、讃美歌310番 「しずけき祈りの…」 の歌詞――
1.しずけき祈りの ときはいと楽し
なやみある世より われを呼びいだし
父のおおまえに すべての求めを
たずさえ至りて つぶさに告げしむ
――というのは、「あの世への手土産」 のことだな、と思いました。その 「あの世」 は、なにも死んでから行くところではない。今、此処にあるんだ。今、ここにある天国浄土、神の国なんだ。それは時空を超えた今、「久遠の今」 此処なんだ! 「父」 とは、その絶対愛にしてわれらの内より導き給う神なのだ! そう思いながら、うれしい感動をもって歌っていたのでした。
<つづく>
2902
:
復興G
:2013/09/24(火) 14:43:35 ID:AB6RqYXc
<つづき>
2番の歌詞――
2.しずけき祈りの ときはいと楽し
さまよいいでたる わが魂(たま)をすくい
あやうき道より ともない帰りて
こころむるものの 罠(わな)をのがれしむ
――は、「生長の家の歌」 の3番の歌詞
(三)古事記讃歌
天津日子(あまつひこ) 火遠理の命(ほおりのみこと)
現象の わなにかかりて
海幸(うみさち)を 我(が)の力にて 釣りたまう
されどつりばり 失いて
まがれる鉤(はり)に まようとき
しおづちの神 あらわれて
めなしかつまの み船にて
龍宮城に みちびきぬ
龍宮城は いま此処ぞ
龍宮城は いま此処ぞ
――を思い起こさせてくれました。
「さまよいいでたる わが魂(たま)」
というのは、私たちが 「實相独在」 をわすれて現象界を 「あり」 とみて、我(が)の力でガンバロウとする心です。五官の世界を 「あり」 と見る 「現象のわな」 が、「こころむるものの罠(わな)」(讃美歌) であります。
「めなしかつまの み船」 とは、時間・空間の目盛のない、時空がそこから現れた一切創造の根源世界、創造(うみ)の根底(そこ)なる龍宮界へ航行する船。そこへ導いて下さるのが、しおづちの神すなわち生長の家の大神であるわけですね。
こんな解釈をしながらうたうことは、まことに 「しずけき祈り」 であり、 「いとたのし」 であります。
さらに、16世紀の宗教音楽家 パレストリーナ作曲の“Sicut Cervus” 「ああ神よ 鹿の渓水(たにがわ)をしたい喘(あえ)ぐごとく」 も歌いました。これは、
泉を求める鹿のように
清水わく泉をもとめる鹿のように。
神よ、このように私の魂はあなたをもとめる。
生命(いのち)の泉たる神を、私の魂は渇望している。
いつのことか、私の神の御前にすすみ出るのは?
昼も夜も、私の涙が私の糧である。
あなたの神は何処(いずこ)? と
日々私に語りかけるとき。
というような意味の歌詞をラテン語で歌うのです。
私たち人間の本当の故郷(ふるさと)は神の国、実相世界ですから、人間の魂はみな、清水わく泉をもとめる鹿のように、みおやなるかみ、主(主人公なるほんもののわれ)をしたい喘(あえ)ぐのですね。
<つづく>
2903
:
復興G
:2013/09/24(火) 14:44:24 ID:AB6RqYXc
<つづき>
そして23日(秋分の日)は、お寺での彼岸会供養の法事に行きました(
>>2890
既出)。
ここでは、50人近くの参加者全員で、観音経(妙法蓮華経 観世音普門品)と、般若心経を読誦しました。
ほとんどの人には、「さっぱり意味が分からない」 での読誦だったようですが、私は 「半分以上、意味が解るよ」 と言えました。それは、大聖師から 『日々読誦30章経』 3日の経言 「観音妙智観」 で 観音経の意味をわかりやすく教えられ、『あなたは自分で治せる』 の第13章 「般若心経講義」 で般若心経の深い意味をご教示いただき、そして聖歌 「生長の家の歌」 では
(二)仏教讃歌
衆生 劫(こう)つきてこの世の
焼くときも 天人みつる
我が浄土 安穏なりと
釈迦牟尼の 宣りたまいしは 現象の
この世かわるも 実相の
浄土はつねに 今ここに
久遠ほろびず 燦々(さんさん)と
まんだらげ降り 童子舞う
光輝く世界なり
光輝く世界なり
(四)万教帰一讃歌
しおづちの うみのそここそ
創造の 本源世界
汝らの 内にありとて
キリストが のりたまいたる 神の国
この世焼くるも 亡びずと
法華経の説く 実相の
浄土何(いず)れも ひとつなり
十字まんじと 異なれど
汝のうちにある天国ぞ
汝のうちにある天国ぞ
とお教えいただいていたからにほかなりません。
昨日はキリストの讃美歌、今日は仏陀のお経を、何の違和感もなく一つの真理だとして、ありがたく歌ったり読誦する、このような芸当ができるのは、「現象なし」 とする生長の家ならでは、おそらく不可能なことだと思います。
>>2962
でも書きましたが、
この 「万教帰一の真理」 を、完璧に伝え伝えて行くことこそ、私たちに課せられた大切な大切な使命であると信じます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「汝らは地の塩なり。塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき。後は用なし、外に捨てられて人に踏みにじらるるのみ。
汝らは世の光なり。山の上にある時は町は隠るることなし。また人は燈火(ともしび)をともして升(ます)の下におかず、燈台の上におく。かくて燈火(ともしび)は家にある凡ての物を照らすなり。かくの如く汝らの光を人の前にかがやかせ。……
(新約聖書 「マタイ伝」 第5章13〜15節)
ですね。
テキスト 『生命の實相』 第4巻の191ページで、谷口雅春先生は
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
谷口――自殺するというような人は、心が狭くて主我的で自分の一つの考えに執着しすぎて、世界を自分の考え方に強制するか、でなければ世界から自分が逃げて行こうとするのです。自分の考えばかりを通そうとして、他の考えを生かそうとしないものはかえって自分自身が生きなくなるのです。
「自分」 という殻から一生出ないひよこは死んでしまうほかはないのです。「自分」 という殻を破って出たときに人間もはじめて生長できるのです。人間は一度は自分の小さい世界を捨てる修行をしなければならぬのです。その方は今その修行を神さまから課せられているのでしょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
とご教示くださっています。
「久遠の今」 なる本源世界に超入し、自由を得て、あらゆる殻を破りすべてを生かす精進・伝道を、実践してまいりましょう。
2904
:
復興G
:2013/09/24(火) 14:54:51 ID:AB6RqYXc
>>2900
:閲覧者99さま
うれいいコメントをありがとうございました。
こちらこそ、今後ともどうぞ よろしくお願いいたします。
合掌
2907
:
復興G
:2013/09/25(水) 12:19:26 ID:AB6RqYXc
合掌 ありがとうございます。
今日 「web誌友会参考文献板」 にアップさせていただいた榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 <九十三>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/124
を拝読して、再確認したこと――
「万教帰一」 の 「帰一」 とは、「一」 に帰るということですが、その 「一」 とは、「久遠の今」 であることです。
現象界のすべての教え、すべてのものは、「久遠の今」 なる 「一」 から展開して出てきた映像(かげ)であるが故に、その本源(もと)の 「久遠の今」 なる 「一」 に立ち還ってみれば、すべての教えの神髄はひとつであることが自明の理としてわかる。
谷口雅春先生は、その本源(もと)の 「久遠の今」 なる 「一」 に立って、「万教帰一」 を説き給うたのである、ということです。
「久遠の今」(1) 谷口雅春先生ご講義
http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8
「久遠の今」(2) 谷口雅春先生ご講義
http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes
榎本先生も、この 「久遠の今」 を自覚し、「久遠の今」 に立って 『神癒の展開としての人類光明化運動』 を書かれていると思います。
私たちは皆、この 「久遠の今」 から顕(で)てきたものであり、 「久遠の今」 こそ私たちの本当の故郷(ふるさと)なのです。
この故郷に帰れば、私たちは本当にくつろぐことができて、癒やされる。
だから、讃美歌517番の歌詞に
1.「われに来(こ)よ」 と主はいま、
やさしく呼びたまう、
などて愛のひかりを
避けてさまよう。
「かえれや、わが家(や)に
帰れや」 と主は今呼びたまう。
2.つかれはてしたびびと、
重荷をおろして、
きたりいこえ、わが主の
愛のみもとに。
「かえれや、わが家(や)に
帰れや」 と主は今呼びたまう。
とあるのです。
この 「わが家」 が 「久遠の今」 であり、それが 「生長の家」 であると思います。
この、生命の故郷(いのちのふるさと)にかえれば、みんな一つ生命(いのち)だとわかり、仲良くなれるのだと思います。そして、ただ喜んでよろこんで、よろこびのうちに無限生長して行ける! ここに立ち還りましょう!
2909
:
ユタカ
:2013/09/25(水) 19:29:01 ID:R1D4Jmeg
そうでしたね、、、現象は無かったのですね。。。
今、すべて光明燦然として輝いていたわけですね。。
そうか・そうか・・・そうでした。。。
どうしてすぐ忘れてしまうのかな〜〜自分? 実相に浸る時間がすくないのかも・・・
もう少し自己分析しないと!
2910
:
復興G
:2013/09/25(水) 19:32:07 ID:AB6RqYXc
イエスは 「真理は汝を自由ならしめん」 と言いました。「佛」(ほとけ)とは束縛からほどけて(解脱して) 自由になった者、という意味だと教えて頂きました。
それは、この時空超脱の 「久遠の今」 を知り、肉体はない、自分はないと知り、 「久遠の今」 に立って、愛に生きること。
時間は本来なく、空間も本来ない。それは生命の中にある。時空は生命が創りだした認識の形式にすぎない。生命は時間の中に、空間の中に生まれたのではなく、時間・空間を作り出したものである。
「現象時間は存在しない、従って非存在の現象時間の中にある事物も存在しない」。それが 「現象はナイ」 の意味である。したがって、罪も病いも死もない、争いも不調和もないのである、あるかのごとく見えてもそれは悪夢に過ぎず、と教えて頂きました。
この 「久遠の今」 に立つと、聖典に書かれてあることが、よく解るようになります。
たとえば、『幸福生活論』 の 「はしがき」 に、
* * * * * * *
多くの人達は、幸福をもとめながら、しかも不幸になっているのは何故でしょうか。幸福の法則を知らないからです。多くの人達は物質や、富や、領土や、凡(およ)そ形あるものを目蒐(めが)けてそれを掴もうと思って驀進(ばくしん)して行くのでありますが、「形あるものは形なきものの影」でありますから、影のみを掴むと、掴んだと思った刹那(せつな)、それは消えてしまうのであります。本当に幸福になるためには吾々は影の奥にある「実物」(実相)を把まなければなりません。
人類が平和を求めながら戦争に突入し、永久平和の至福の世界を求めながら、それが実現しないのも同じ原理によるのです。また、あなたが健康を求めながら健康を得る事が出来ないのも同じ原理によるのです。形あるものはすべてその奥にある、形なきフィルムの投映(かげ)ですから、形なき世界を捉えて自由にすることを知らなければならないのです。
幸福の法則を知ると云うことは、換言すれば原因結果の法則を知ると云うことです。これは簡単に云えば、因果の法則を知ると云うことです。昔から蒔かぬ種子は生えぬ、瓜の蔓(つる)には茄子(なす)が生(な)らぬと申します。
仏教では三界唯心(さんがいゆいしん)と申します。基督(キリスト)教では「汝の信ずる如く汝になれ」と申します。あなたの心の状態が形の世界にあらわれて来るのです。
あなたが何を心に捉えているかと云うことが形の世界にあらわれて来るのです。争いの心で「物」を捉えたのでは、「争い」が出て来るばかりで、幸福が出て来る筈はありませぬ。
(谷口雅春先生著 『幸福生活論』 はしがきより)
* * * * * * *
――多くの人は、上記のように教えられても、その 「因果の法則」 の 「因」 は、現象界の中の原因だと思っている。現象はもともと無いもので、私たちはその奥にある根本因、即ち 「久遠の今」 なる 形なきフィルムに、至福平和の理念という第一原因があると知らなくてはなりません。それを谷口雅春先生は、この本の第一篇第一章に 「先ず神をわがものと為せ」 とお説きくださっているのです。
第三章には、「吾に宿る力」 という小見出しで、次のように書かれています。
* * * * * * *
「無限者」 の力は私の中に、あなたの中に、全ての人の中に宿っているのであります。「無限者」 とは神のことです。
神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。
ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。
しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。
わが内に宿るところの生命は決して有限なる内の力ではない、神そのものの生命(いのち)なのです。吾々人間に生命を与え給いし神の愛を理解するにつれて、聖パウロが嘗(かつ)て言ったように神に満たされているように吾々はなることが出来るのです。
(谷口雅春先生著 『幸福生活論』 p.61〜62より)
<つづく>
2911
:
復興G
:2013/09/25(水) 20:08:13 ID:AB6RqYXc
私たちは、かつて谷口雅春先生に頼りすぎていたのです。
『菩薩は何を為すべきか』 に
<<生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。>>
とあることを金科玉条として、神意は総裁・副総裁を通してのみ天降るのであって、生長の家信徒たるわれわれは、それに盲目的に従わなくてはならない、と思い込んでいたのは間違いであった。
私たちは、「神意」 に中心帰一しなくてはならない。それは、前記 光明化運動指針第9条のつづきに、
<<如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。
若(も)しも人を中心とすれば、その人が理解し把握している以上の運動の展開は不可能となり、歪んでいれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反対意見の者は身を引くか、対立して禍根を残すであろうし、若し或る人が情熱的な信仰を持つ場合、その人が真に中心を明らかに自覚している場合はよいが、唯熱心であるだけならば、何時かその人に頼り過ぎ、その人が転任或は他界した場合は、忽ち火の消えた様に衰微してしまった如き事例は往々にしてある。
すべて皆中心を誤っていることに気がつかなかった為である。光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。>>
と書かれているのでありますし、
>>2910
で引用させていただきました 『幸福生活論』 では
<<神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。
ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。
しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。>>
とご教示いただいているのであります。
今でも、「神意は総裁を通してのみ天降るのだから、総裁に中心帰一しなければならない」 と、信徒に盲目的な奴隷信仰のようなことをすすめる役員や講師があるようですが、それは雅宣総裁が排除される 「原理主義」 に通じることで、間違っていると思います。
<つづく>
2912
:
復興G
:2013/09/25(水) 21:56:15 ID:AB6RqYXc
<
>>2911
のつづきです>
私たちは、「法燈継承」 には 「外なる法燈継承」 すなわち形の上で教団総裁の後継者を決めることと、 「内なる法燈継承」 すなわち信徒一人一人が谷口雅春先生のお心をしっかと受け継ぐこと、の両面が必要なのではないかと、論議してまいりました。
ふりかえってみますと、それは、「トーキングスティック板」 から始まって、「web誌友会板(1)」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/
では、次のようなやりとりがありました。
* * * * * * *
36 :金木犀:2012/05/20(日) 23:05:24 ID:L0Ei6.zw
私が君民同治の神示を謹写いたしましたのは、天皇というものが日本国民にとって、どういうものかをはっきりとこの神示で、皆様に自覚して欲しかったということと、憲法が占領憲法のままでは日本の実相が蔽われていることの最も象徴的なことであるということを考えて欲しかったからです。
この神示は、国と言うものが日本国民の外延であり、天皇の神聖性が日本国民自身の神聖性の自覺から来ているものであることを示して下さっており、さらには、観られるものは、つまり環境は観るものの心の反映であることを教えて下さっております。
いわゆる心の影ということではありますが、
環境とはわが心の世界、外延であるということであれば、
生長の家教団における総裁先生の行状は、信徒の心の反映であります。
法灯を正しく継承しない総裁は、信徒自身が法灯を正しく継承しないことから来ているのだろうかとも思います。
また、愛国書を絶版にされていることは、信徒が愛国的な真理を理解しないか、そういう愛国の思いが希薄になってきたことの心の反映なのではないかと思います。
このことは、雅春先生の強い愛国の情からすれば、まさにその法灯が継承されていないのではないかと考えます。
生長の家とは堂塔伽藍でもなく、建物や組織でもなく、生命の實相を語る神の言葉のあるところが生長の家だとすれば、実相世界の生長の家が現われたものが、教団であるのか、それとも本流であるのかは、両者の意識次第ではないかとも思います。
真理の法灯を継承するという意識の強いものが、法灯を継承することになるのではと考えます。組織の大きい小さいとか、教団という名前には関係ないのではないかという気もします。心の反映が環境でありますから、一滴もこぼさずに継承するという意識のないところには、法灯の継承が形の上でも現れず、それが生命の實相の敗訴にもなったのではないでしょうか。
(中略)
総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、
真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。
* * * * * * *
37 :a hope:2012/05/21(月) 08:35:08 ID:kcv2QXTk
金木犀さま
素晴らしいご意見をありがとうございます。
大切なのは、わたしたち「生長の家」を愛する一人ひとりが、そのことを自覚することなのではないかと感じました。
そこに、素晴らしい正論があっても、わたしたち一人ひとりがそのことを自覚して、
正しい行動をしていかなかったら、物事は良い方向に進展していかないのではないかと思います。
金木犀さまの最後のお言葉
>>真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<<
これが、心に響きました。
復興Gさま、わたしは、この金木犀さまのお言葉が今回のweb誌友会のテーマにふさわしいように感じました。
つまり、
『わたしたち一人ひとりが、真に法灯を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』
です。
そのことを、是非、みなさんと一緒に考えていきたいとわたしは今思っています。
* * * * * * *
<つづく>
2913
:
復興G
:2013/09/25(水) 21:57:12 ID:AB6RqYXc
<つづき>
* * * * * * *
39 :復興G:2012/05/21(月) 09:23:59 ID:84pogn5s
>36 :金木犀様。
>総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<
a hope様は、>30で
>今、「生長の家教団」において、昔のような奇蹟が起きなくなってきてしまっているのは、まさに、現総裁が現象の悪や罪を認め、人間を神の子として認めていないからだとわたしは感じてしまいます。<
と、率直な感想を述べてくださいました。
>環境とはわが心の世界、外延であるということであれば、生長の家教団における総裁先生の行状は、信徒の心の反映であります。法灯を正しく継承しない総裁は、信徒自身が法灯を正しく継承しないことから来ているのだろうかとも思います。<
とすると、信徒一人一人が正しく法燈を継承すること――それは、基本としては、前回のWEB誌友会のとき出てきた言葉――
>われわれが「生命」を礼拝すると申しますれば自分自身を敬い拝むことになるのであります。
――自分が生きているのではない。神が今ここに生きていらっしゃるんだ。だから、自分を拝むことが、神を拝むことなんだ。<
>谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。
「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。<
と書いておりました、これが基本ではないかと私は考えておりますが……
>37 :a hope様。
すばらしいご意見をありがとうございます。
『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』
これを今回のweb誌友会のテーマとして、みなさんと一緒に考えていきたい、ということですね。
それで行きましょう! ありがとうございます!
* * * * * * *
――というようなことで、「一人ひとりの法燈継承」 ということをこのweb誌友会では大きなテーマとして、今まで1年半ほど、17回にわたり続けてきたのでした。
ありがとうございます。
2914
:
復興G
:2013/09/25(水) 22:29:25 ID:AB6RqYXc
「君民同治(くんみんどうじ)の神示」 を再度掲示させていただきますと――
* * * * * * *
君民同治の神示
国は人間生命の外延(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。
人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。
この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。
しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主(しゅ)であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。
身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。
天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。
観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。
人間は自己自身の神聖性の故に神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。
かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。
是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝み給う治(じ)は、君を拝むところの事(じ)と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)えるとは一体であり、君民同治である。
天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。
打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。
(一二・二八 午後一二時)
* * * * * * *
――これが 「君民同治の神示」 であります。
「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」
と置き換えることもできるでしょう。
私たち信徒一人一人が、真剣に生長の家の深い真理を学び、愛を実践してまいりましょう。
2915
:
トキ
:2013/09/25(水) 22:36:10 ID:WYu6F15c
復興G様のご意見に全く賛同します。
生長の家がここまで大きくなったのは、生長の家の教えが優れていたからですが、同時に谷口雅春先生が人間的に優れていたから
というのも事実です。私がお話をした先達の一人は戦前入信の医師の方でしたが、
「谷口雅春先生は人間味溢れる方でした。そこにいるだけで、心が暖かくなるような人でした、」
と言われていたのを覚えています。信徒は、皆様、谷口雅春先生を父親のように愛していたとも聞いています。しかし、そのような
風潮が、教えよりも、総裁個人への崇拝という風潮を作った可能性もあると思います。(大先達の復興G様の前で、こんな事をいう
のは思い上がっていると思うので、お詫びします。)でも、これは、谷口雅春先生のご真意というか、ご希望ではなかったと拝察
しています。
その意味で、復興G様のお考えは、今後の指針となるものだと思います。
2916
:
復興G
:2013/09/25(水) 22:42:50 ID:AB6RqYXc
>>2915
:トキ様
ご賛同、ありがとうございます。
合掌
2917
:
ユタカ
:2013/09/25(水) 22:44:56 ID:R1D4Jmeg
>その意味で、復興G様のお考えは、今後の指針となるものだと思います。
そして、原点でもあるような気もします。
復興Gさま、有難うございます。全くその通りだと、完全同意します。ごめんなさい。
2918
:
復興G
:2013/09/26(木) 03:59:41 ID:AB6RqYXc
>>2917
:ユタカさま
ありがとうございます。
合掌
2919
:
志恩
:2013/09/26(木) 05:18:36 ID:.QY5jUA6
復興G様
曵馬野様が、「皆様、【君民同治の神示】を読んで下さい」とおっしゃいましたが、
過去にWEB誌友会で、復興G様ご指導のもと、長期間語り合っていたテーマでした。
今回、曵馬野様がおっしゃってくださいましたので、
あらためて、この重要な神示の意義を学べまして、ありがたく思っております。
>>2913
:復興G様より
>36 :金木犀様
>>総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、
今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、
真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<<
これは、昨年の5月に、金木犀様が投げかけて下さったコメントですけれど、
これにつづいて、復興G様ご指導のもと、
「1人1人の法灯継承..」....このことについて、
皆様とともに、長期間、今まで学ばさせて頂いて来たのでした。
私もWEB誌友会の過去文を、読み返してみましたが、昨年より、今の方が、おっしゃることが、
納得出来るようになりつつあります。
また、気持ちを新たに、教えて頂けますこと、深謝申し上げます。
2920
:
復興G
:2013/09/26(木) 10:40:19 ID:AB6RqYXc
>>2919
:志恩さま
ありがとうございます。
ほんとに、この約1年半の記録をざっと読み返してみて、われながら真剣に取り組んで来れた、充実した勉強が出来たと思います。それは、神(高級霊)のお導きをいただけたおかげであり、また多くの天の使いともいうべき方々が参加されて貴重な発言をしてくださったおかげであると感謝しています。志恩様とは必ずしも常に意見一致ばかりではありませんでしたが、だんだん解って頂けるようになりつつあるとのこと、うれしく思います。
まだまだ、私もこれからが正念場の本番だと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
頓首 合掌礼拝
2921
:
復興G
:2013/09/26(木) 12:03:17 ID:AB6RqYXc
>>2914
で私は 「君民同治の神示」 から、
>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」
と置き換えることもできるでしょう。<<
と書いておりました。
ここに、「民が主」 あるいは 「信徒が主」 という言葉がありますが、その 「民」 や 「信徒」 は、現象界の対立する自我であってはならない。肉体の自我を 「無し」 と消し去った、「久遠の今」、絶対なる神、佛なるものでなければならないと思います。
<< 神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。
ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。
しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。>>
と書かれている谷口雅春先生のご著書 『幸福生活論』、私は旧かな・正漢字の旧版も持っていますが、これを読みやすい大きい活字の 『新版 幸福生活論』 として新たに出版し平成20年全国大会のテキストとして使用されたのは、現総裁 谷口雅宣先生です。
総裁 谷口雅宣先生を讃嘆し、感謝します。
(「総裁」 という役職名に 「先生」 をつけて 「総裁先生」 というのは、社員が 「社長様」 とか 「社長先生」 というのがおかしいように、社会常識からいって誤用でありおかしいので、私は 「総裁先生」 とは言いません。)
また、「本流」 の方たちは、私を
>>2910
・
>>2911
に書きましたような心境に導いて下さいました、生長の家信徒の自覚を深め高めるための使命を持った菩薩様であると認め、感謝します。
(ただ罵詈雑言のような自我まるだしの言葉を吐かれる方があるのは戴けませんが)
生長の家の原点、時空超脱の 「久遠の今」 に立つ時、分裂は 「無い」、争いは 「無い」。
<< 天地一切と和解する祈り
・・・・すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。
現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。
妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆(おお)うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹(あんたん)たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。
心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗(やみ)を消してしまう処置ができるのである。
(『真理の吟唱』 より) >>
ありがとうございます。
2922
:
mm
:2013/09/27(金) 22:00:51 ID:Aleu45Tg
布教功労物故者追悼慰霊祭について
ユタカ様の記述に事実誤認があるようですので。
事実ではないことから始まる議論は、真実味がありませんので。
参加者189名!
少な!
生長の家、終わり?
みたいなコメントにつながっておりますが、189名の方は今回新たに合祀された布教功労物故者の方々です。
ちなみにホール最前列中央は、新たに合祀された遺族の席。
壇上にに向かって右は、良本長老以下来賓席。
聖歌隊寄りの左側はどのような方が座っていたのか、知りませんが。
雅宣総裁からは遠い位置だと思いますが。
遺族として物故者慰霊祭に参列した者として、その意義も知らず教団の揚げ足を取る目的で参列した方がいると思うと悲しい限りです。
慰霊祭はそんな場ではありません。
現教団云々以前に、慰霊祭自体は非常に厳かな行事だと、私は以前親族が合祀されたときに思いましたね。
2927
:
mm
:2013/09/27(金) 23:32:53 ID:Aleu45Tg
事実を正しただけなんですが・・・
爆発しちゃえば!
私は、事実なら何を言おうと一切感知しませんので。
2928
:
mm
:2013/09/27(金) 23:48:52 ID:Aleu45Tg
そういえば信徒行持要目に、「常に人と事と物との光明面を見て〜、暗黒面を見るべから〜ず!」てのもありましたね。
なかなか実践するのは、難しいですが。
2930
:
ユタカ
:2013/09/27(金) 23:54:51 ID:R1D4Jmeg
189名のことは本部に各自で確認してください。
揚げ足とりは事実ではありません。
2933
:
復興G
:2013/09/28(土) 16:58:27 ID:AB6RqYXc
>>2922
:mm様
しばらくこの掲示板を見ていなかったのですが、今はじめて見ました。
ユタカ様は、一年半にわたり掲示板上でお付き合いしてきてわかることですが、「物故者慰霊祭に教団の揚げ足を取る目的で参列」 するような、曲がった根性の人では絶対にありません。
きわめて純情で、直情径行の人、というのが私のとらえているユタカ様の印象です。
思ったこと、感情的にもあふれてきた言葉をそのままバッと表現される方ではありますが。
教団組織からしばらく離れて、「本流」 の方に行っていたけれども、私がいつか<< 「生長の家」 は 「一つ」 でなければならない>> と書いたことから、教団組織に復帰することを決意され、現在聖使命会員、組織会員として復活、活躍されているのです。
春季慰霊祭は、原宿の本部会館使用の最後だと聞いて、会館の見納めのためにもと参加された。
ところが、中央正面に 「實相」 のお額が見えず、それは赤い布で覆い隠されていると思い、かっと怒りがこみ上げた、というのが真相のようです。
お互い、冷静に、真実霊性に徹し、光明面を見てまいりましょう。
私はこれから出かけなければなりませんので、しばらくこの掲示板を見ることはできません。よろしくお願いいたします。ありがとうございます。合掌
2934
:
志恩
:2013/09/28(土) 19:50:12 ID:.QY5jUA6
>>2928
mmさま
>>そういえば信徒行持要目に、「常に人と事と物との光明面を見て〜、暗黒面を見るべから〜ず!」てのもありましたね。
なかなか実践するのは、難しいですが。<<
お前もな!! 私もな!! 総裁もな!!
2935
:
うのはな
:2013/09/28(土) 20:30:44 ID:.nzoConk
神様は、「そういう」ために、私たちを出合わせた。
実は、そういうことのために、わたしたちは、出会っている。
2936
:
志恩
:2013/09/28(土) 20:40:54 ID:.QY5jUA6
>>2935
:
うのはなやっこねえさん
なかなか、意味深いことばですね。
>>神様は、「そういう」ために、私たちを出合わせた。
実は、そういうことのために、わたしたちは、出会っている。<<
2937
:
HONNE
:2013/09/28(土) 23:05:06 ID:BwZCzsIU
「常に人と事と物との光明面を見て〜、暗黒面を見るべから〜ず!」
という人が、実は、暗黒面にこだわりつづけ、光明面を見ずにいる。
誠に滑稽なことであります。
続きは、明日、書いてみたいと思います。
日時計とは、太陽に照らされてできる影の位置で時刻を知るものです。
さて、光はどこにある。
そんなところからです。
2938
:
マリーゴールド
:2013/09/29(日) 00:18:25 ID:???
私は、どう考えても、復興G様の仰る
>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客であ る。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客で ある。」
と置き換えることもできるでしょう。<<
が、どうしてもわかりません。
どうわからないかと言うと、なぜ教団のことが、天皇陛下に例えられるのでしょうか?
生長の家が、高天原だからですか?
決して「総裁が悪い」という角度から質問しているわけでは、ありません。
2939
:
神の子さん
:2013/09/29(日) 00:21:14 ID:???
真理で人を裁くべからず・・・
この戒めを今の教えは守らないのですね。なんか終末を感じます。
2940
:
神の子さん
:2013/09/29(日) 00:23:49 ID:???
上記はmm氏の書き込みに対する感想です。
2941
:
志恩
:2013/09/29(日) 05:38:51 ID:.QY5jUA6
マリーゴールド様
正直に申しますと、私もマリーゴールド様、同様に、
復興G様が、おっしゃる、それは、理解できません。
「合わせ鏡」という考え方で、以前にも、このお話は
ここの話題にでました。
私は、どうしても、未だに、分からないし、納得がいかないことの1つです。
以前のとき、私は復興G様に
「それでは、北朝鮮の将軍様のされることも、私の心の影(反映)というか、合わせ鏡なんですか?」
と、おたずねしましたところ、
復興G様は、「そういうことになりますね」とおいっしゃいました。
雅宣様のされることだけでなく、将軍様のされることも、
どこかで、詐欺や殺人をやった人のことも
世界中で起こる、すべてのことが、自分の合わせ鏡(自分のこころの影、反映だ)
そうです。
>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客であ る。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客で ある。」
と置き換えることもできるでしょう。<<
私も、上記のことは、天皇が、国民を想われるお気持ちであるのであって....
と考えておりまして、
私にも、置き換えて、考えられません。
2942
:
志恩
:2013/09/29(日) 05:45:39 ID:.QY5jUA6
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/?q=%B9%E7%A4%EF%A4%BB%B6%C0
2943
:
志恩
:2013/09/29(日) 05:48:45 ID:.QY5jUA6
>>2942
は、昨年5月にweb誌友会板で「合わせ鏡」のお話が出たときの再掲です。
2944
:
志恩
:2013/09/29(日) 05:56:35 ID:.QY5jUA6
2942につづく「合わせ鏡」の話題が、もう少しございました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/?q=%B9%E7%A4%EF%A4%BB%B6%C0
2945
:
志恩
:2013/09/29(日) 06:26:25 ID:.QY5jUA6
復興G様
光明掲示板2に、投稿された
まめすけ様のコメントです。
>>悪口を書くつもりはありません。ただお伺いしたく思いました。
会費は十数年収めていて、普及誌も多数取っています
ただ最近、純子先生のブログなど拝見していると
お料理や、景色や、自然や・・・
一生懸命コツコツ貯めて、やっと会費を払える状況なので、
現象的には、貯金も少ないし、大きな家や、田舎の家を買えない私には
(そうしたくても、仕事や持ち家や、お金の問題があります)
自慢にしか見えなくて、貧しい今の自分と比べてしまい
良い環境に住めない、今の自分はダメなのかな・・・と
凹むことがあります。
はっきり言って、会費や神誌代を払えるほどの余裕もありません。
でも一生懸命、それだけは払っています。
でも、そのお金が、1部の人達の贅沢な生活に使われてるようで・・・悲しくもあります。
総裁先生に対し、こんな事を思っちゃいけない、バチが当るのでは、などと思ってしまう、情け無い自分が居ます。
純子先生のブログで、豪華な料理を見ると、お金持ちってすごいなあ・・・とため息ばかり出て、全然嬉しくありません。
総裁先生=神様の天下りだとの教えを習ってきたので、
一緒によろこべない自分を、悪い自分だと思ってしまいます・・・
綺麗な景色、自然、料理。いかにも幸せはそれで分かります。
でも、貧しい中から、必死で数千円のお金を払っている私は
こんな贅沢の為に、お金を納めているんだろうか・・・と
疑問というか、ねたみというか・・・
そういう気持ちで、とても嫌な気分になるのです。
ポスティングジョイに、何か投稿しても、愛を与えましょうとか、祝福をしていないからでは、とか色々と裁かれてしまうので
、以前嫌になってやめました。
真理だけを生きている、上級者たちだけで,,,,,,, (略)<<
このように、
生長の家のポスティングジョイに、割り切れない総裁ご夫婦のことで、投稿しても、帰って来る解答は
「愛を与えましょう。祝福しましましょう。」そして、「合わせ鏡だから自分を内省し祝福し祈りましょう」
というのなら、
信徒の心は、救われないと思います。
2946
:
神の子さん
:2013/09/29(日) 07:41:49 ID:???
給食にハエ付きパン…除いて食べるよう学校指導
岐阜県可児市の市立蘇南(そなん)中学校と市立東明(とうめい)小学校の給食で出されたパン計約100個にハエが付着していながら、両校とも付着した部分を取り除いて食べるように指導していたことが28日わかった。
市教委によると、付着していたのはクロバネキノコバエ(体長約1ミリ)。蘇南中では今月2日、ハエが付いたまま焼かれた丸パン4個が、また東明小では同9日、同様のクロワッサン約100個が見つかった。両校とも児童生徒の訴えで明らかになった。そのパンを食べた子供もいた可能性があるという。
市教委は、給食の異物混入で、「健康に影響がないと判断した場合は食べる」との方針を手引書で示しており、両校ともその手引書に従ったという。市教委は「配慮が足りなかった」として、手引書の改定を検討している。
・・・・・・・
どこかの宗教法人と同じだ。
2947
:
ユタカ
:2013/09/29(日) 10:11:15 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
他版で雅宣先生の過去のあいさつ文を読みました。今まで受け入れられなかったのが、今度は少し読めて自分が少し進歩した。
実相額が赤いカーテンで隠されていたのは、神様からまだまだ自分の実相が出ていないよ、もっと、もっと勉強しなさい、魂を磨きなさい。
「死は悪でない」 と皆さんも皆さんも死ぬ。 と失礼極まりない総裁の言葉。
これは復興Gさまの指摘にもありましたように、私は純情、直情径行の人間なので、自分の知らないところで 人を傷つける言動をしているのだな、と反省しました。
今回の総裁のスピーチに腹を立てたのは私の間違いでした、私をよりすばらしい人間に導こうとしてくださった観世音菩薩様のお示しと感じさせていただきます。
神聖なWEB版に、変な投稿をしてしまいすみませんでした。。。
ありがとうございます。 合掌。
2948
:
マリーゴールド
:2013/09/29(日) 10:19:21 ID:???
>>2941
志恩様
ありがとうございます。
私も以前より、復興G様が仰って下さっている、合わせ鏡の話と、君民同治の神示の解釈の話が、どうしてもわかりません。
わからないなら、わからないで、私は良いと思うのです。
無理にわからないで良いと思うのです。
ただ、私は若輩者ながら甚だ失礼を覚悟で申し上げるのですが、すべてがすべて合わせ鏡であるならば、現象なしの教えであれど、苦しむ人が出てくるように感じるのです。
いま時間がございませんので、また時間とれるときに、ゆっくり拝見させてもらいます。
2949
:
志恩
:2013/09/29(日) 11:24:59 ID:.QY5jUA6
>>2948
:マリーゴールド様
>>わからないなら、わからないで、私は良いと思うのです。
無理にわからないで良いと思うのです。<<
そうおっしゃって下さったので、とても気が楽になりました。
ありがとうございました。
2950
:
ユタカ
:2013/09/29(日) 17:39:44 ID:R1D4Jmeg
志恩さま
復興Gさまのおっしゃいます合わせ鏡の意味ですが、間違えていたら修正して頂きたいのでこちらに書きますね。
合わせ鏡とは自分の前におかれた鏡ということ。 たとえば、自分の顔の頬ににゴマがついていても自分自身では見えませんよね?
ですから、鏡をみるとよくわかるという事ですね。 その鏡とは、自分の現状の姿を教えてくれる人やすべての現象ということではないでしょうか?自分に向かってくる誰かが顔にゴマを付けていても見落としてしまったり、気がつかなかったりするので、目の前に現れた人が顔の頬に黒マジックで大きく丸いものを書いてきて「あなたはこんな姿」ですよ。と教えてくれる。
ゴマだと小さくて気がつかないから大写しでくる。 それを見ると自分はそんな姿ではない!と思う。そんなことかな?と思いました。
それが、観世音菩薩やあわせ鏡というのではないでしょうか?
書き方が悪くて意味が通らなかったらすみません。
2951
:
ユタカ
:2013/09/29(日) 17:43:48 ID:R1D4Jmeg
あとで、もう少し、丁寧に書きます。はしょりすぎかな?
2952
:
復興G
:2013/09/29(日) 20:08:24 ID:AB6RqYXc
皆さま、ありがとうございます。
私は、私事ですが今日は朝早くから東京国体の自転車競技ロードレースに孫の一人が出場するので、家族と一緒に奥多摩まで応援に出かけていき、かなり疲れて帰ってきました。
明日も午前・午後と重要な行事があり、その準備をしっかりとしなければならないので、今夜はあまりここに書くことはできません。
志恩様・マリーゴールド様から、私が書いた
>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」
と置き換えることもできるでしょう。<<
ということが、どうしてもわかりません、ということですが、
私は
>>2875
・
>>2895
に、少し具体的な私の思いを書いていますから、ご覧になってください。
また、私が今読んでいる本のひとつ、曾野綾子さんの 『人間にとって成熟とは何か』 という本で、トマス・アクィナス(13世紀イタリアの神学者)が
「すべて存在するものはよきものである」
といっていることを知りました。
そしてweb誌友会参考文献板で、榎本恵吾先生は
<< 神は暗を見給わないのである。神は罪も迷いも病も死も見給わないのである。それ故、生長の家人類光明化運動は暗を知らないのであり、暗を見給わないのである。>>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/122
<< 「生長の家人類光明化運動」 は 「光明化」 と書かれているかぎり、これは 「暗(やみ)」 を相手にした、光明一元ではない、相対の運動ではないか。という言葉をきいたことがある。
しかしながら、 「暗」 という字をよく見れば、 「日」 と 「音」 との組み合わせで出来ており、 「日」 が二つも使われていて、これほど明るい字は無いということに気がつくのである。……>>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/127
<< 神が天地を創造され給うたのは、ご自分の中の不満足、不完全を満たすために創造され給うたのではないのである。神は不悩不苦(ふのうふく)そのものであり給うのである。生長の家人類光明化運動も不悩不苦なのである。
また、神は懺悔(ざんげ)をし給わないのである。神は罪を犯してい給わないからである。その如く、生長の家人類光明化運動は罪を犯してい給わないのである。そこにはただただ創造的前進あるのみなのである。
生長の家人類光明化運動の歴史は成功の歴史であって、反省のための歴史は有り得ないのである。この運動は 「罪を犯さんと欲(ほっ)するも罪を犯すこと能(あた)わず」 と約束されているからなのである。
ここに書きつづられている 「覚え書き」 も反省のためのものでは決して有り得ないのであって、ただただ讃偈(さんげ)のためのものであるのみなのである。>>
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/129
――とおっしゃっているご文章に、「これが生長の家の神髄だ! 相手の悪、欠点を見て自己反省するのではなく、“悪は無い” と自覚することだ。光明の前進あるのみだ!」 と思いました。悪と見えるものも、善が現れようとしている過程であり、なにかを気づかせ教えて下さっているのだと思います。
しかし、信徒は総裁の奴隷ではない。一人一人の内なる神の声に耳を傾け、それを宣べ伝えていくことが必要だと思っています。(
>>2910
・
>>2911
)
ありがとうございます。
2953
:
志恩
:2013/09/29(日) 22:39:25 ID:.QY5jUA6
復興G様
お疲れで帰宅されましたのに、ご丁寧なお返事をありがとうございます。
お孫さんのおひとりが、東京国体の自転車競技ロードレースに出場されたそうで、
それは、わくわくされましたでしょう。
見にいらしたそうで、よかったですね。
「合わせ鏡」のお話は、どんなに教えて頂いても、
いまの私には、どうしてもピンと来ませんので、
それにつきましては、申し訳ありませんが、わからないままにさせて頂きます。
2954
:
志恩
:2013/09/29(日) 22:42:50 ID:.QY5jUA6
ユタカ様
「合わせ鏡」が分からないといって、その意味じゃないんだけれど。(爆笑)
でもさ、私、わかんないから、無理にわかろうとしても、無理だから、
そのままで居たいのです。ご深切に、ありがとう。
2955
:
マリーゴールド
:2013/09/29(日) 23:16:58 ID:???
復興G様
お疲れのところ、コメントいただき、感謝申し上げます。
復興G様の言われるところも拝見させてもらいましたが、私も志恩様同様に、全くわかりませんので、わからないままでいさせていただきます。
ゆっくり、お休みになってくださいませ。
志恩様
何故か私は、この件においては、素直にわからないままでいいと感じました。思うことは多々ありますが、敢えていまは口には致しません。
これからも、よろしくお願いします。
2956
:
復興G
:2013/09/30(月) 06:43:07 ID:AB6RqYXc
おはようございます。
志恩様
>> 「合わせ鏡」のお話は、どんなに教えて頂いても、
いまの私には、どうしてもピンと来ませんので、
それにつきましては、申し訳ありませんが、わからないままにさせて頂きます。<<
マリーゴールド様
>> 何故か私は、この件においては、素直にわからないままでいいと感じました。思うことは多々ありますが、敢えていまは口には致しません。<<
――わかりました。それは、
「わたしはもう、谷口雅春先生のお教えはどうんなに教えて頂いてピンもと来ませんので、わからないままにさせて頂きます。」
ということですね。
谷口雅春先生は、
<< 「“本当の教祖” というべき “真理の啓示者” は “實相世界” にある “神” のみなのである。イエス・キリストも 『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』 といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。實相世界に生長の家の本部はある” といっているのである。」
このような文章――神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応(こた)えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些(いささ)かの悔いることなくお応えし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。
(中略)
諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め” を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
昭和六十年五月二十八日>>
(谷口雅春先生が最後に書かれたと思われる 『實相と現象』 の 「はしがき」 より)
――とおっしゃっているのですよ。この 「“聖なる求め”を 放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがですか。
今日は朝から出かけますので、また夜に。
2957
:
マリーゴールド
:2013/09/30(月) 07:07:56 ID:???
復興G様
おはようございます。コメントくださりありがとうございます。
ひとつだけ申し上げます。私は雅春先生の説かれていらっしゃる真理がわからないのではありません。
たった一度として、教えを学ぶことをやめたことはありません。
復興G様のお考えと申しますか、復興G様におかれては、真理の解釈を分かりやすくご指導下さっておられるとぞんじます。
ただ、真理がわからない…ではなく、復興G様の、その点に関する真理の解釈が、私にはわからないのです。
これ以上は、話の堂々巡りになってしまいますから、そっとしておいてくださいませ。
これから外出しますので。
2958
:
志恩
:2013/09/30(月) 07:11:33 ID:.QY5jUA6
>>2956
:復興G様
>>――わかりました。それは、
「わたしはもう、谷口雅春先生のお教えはどうんなに教えて
頂いてピンもと来ませんので、わからないままにさせて頂きます。」
ということですね.
この 「“聖なる求め”を 放棄する」 のであれば、
もう “「谷口雅春先生を学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがですか。<<
................................................................
私は、
雅春先生の教えを放棄するとは、申し上げておりません。
雅春先生の教えの「君民同治の神示」についてのご解釈が、
復興G様が受け取られた解釈と私の解釈は、以前から異なりますので、
その1点につきましては、復興G様とは、考え方が違いますので、
恐れ入りますが、「分からないまま」にさせて下さいと
申し上げたのです。
同じ「真理」の解釈でも、
どうしても、その人と同じ解釈では ない場合や、ご説明に
納得出来ない場合もあると思います。
同じ人間では ないのですから。
その場合は、
それつきましては、分からないのに、分かったふりは、
私は昔から出来ないのです。
ですから、いつかは、分かるかもしれませんが、今は分かりませんので、
今は、分からないままでいたいですと、申し上げたのです。
そのほうが「分からない!、分からない!」と自分を苦しめなくて済みますから。
お気にさわられたようですが、申し訳ありませんでした。
その他の真理につきましては、ご教授下さいます事は、納得出来ますし、
大変有り難く、学ばせて頂いております。
いつも、ありがとうございます。
2959
:
志恩
:2013/09/30(月) 07:21:40 ID:.QY5jUA6
「君民同治の神示」=「合わせ鏡」のことです。
復興G様のご解釈ー
>>世界中で起こる悉くが、自分の「合わせ鏡」であり、
自分の心の映し(心の影)である。
雅宣様のことも、悉く、自分の心の映しである。<<
2960
:
a hope
:2013/09/30(月) 10:49:38 ID:dyDQLtZQ
―――――――――――――
合わせ鏡 (Wikipediaより)
合わせ鏡(あわせかがみ)とは、2枚の鏡を合わせる(向かい合わせに配置する)ことである。
【概要】
鏡は自分の姿を写すために使われるが、その原理上、正面しか写らない。しかし自分の背中を見たい場合はある。そういうときは、背面に鏡を一つ設置、そこに背中を写して、正面の鏡で背中側の鏡に映った像を見ることができる。これが合わせ鏡である。
――――――――――――――
自分が鏡を見るとき、普通の状態では自分の正面の姿しか見えませんよね。
でも、もう一枚手鏡を使えばあらゆる角度から自分の姿を客観視できます。
わたしは、自分の周りに現われる人々は、すべてその手鏡(合わせ鏡)の役割をしてくださっているのではないかと思うようにしています。
だれしも、自分像(自己評価)というものをお持ちだと思いますが、でも、それだけが本当の自分とは限りませんよね。
たとえば、
人のケチな性格が気になる人は、自分にケチな心があるからだと言われていますが、
その人は自分にそんな「ケチな心」があるということにまったく気づいていないから、平気で「あんなにケチな人はいない!」と相手を批判してしまうのだと思います。
でも、「合わせ鏡の真理」を理解していると自分の心の中にも「ケチな心」があったんだと自己反省できるのだと思います。
ですが、これはすべて心理学的な解釈になると思うので、「生長の家の教え」でいえば、心の法則にあてはまる解釈なのだと思います。(間違っていたら、ご教示ください)
復興Gさまは(榎本先生も)、唯神實相のお立場から真理を教えてくださっているので、わたしたちにはわかりにくいのだと思います。
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