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Web誌友会 板/2
2739
:
ユタカ
:2013/08/31(土) 19:52:38 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
いつも素晴らしい、楽しいWEB誌友会を有難うございます。
谷口雅春先生が論語のご本を出していらっしゃたのですね、素晴らしいご紹介を有難うございます!
ぜひ、「生命の實相」を充分に理会するためにご指導をよろしくお願いいたします。 次回はさらに楽しみです!
ここに出てこない人も、楽しみですね〜〜〜。
復興Gさま、有難うございます。 それを楽しみに勉強を頑張ります!!
2740
:
トキ
:2013/08/31(土) 23:42:11 ID:jdO0MB3M
復興G様、いつも素晴らしいご指導を賜り、深く感謝申しあげます。
教区にいる人間の一人として、この誌友会は、信徒にとって貴重な学びの場となっていることは断言できます。
それは、今、誌友会では、環境問題について触れる事が義務化されていて、純粋な真理を勉強できる場所が少なく
なってしまったという点があります。また、講師にも、ここで説かれるだけの深い内容が講義できる
人が少ないからです。
本当に、この誌友会でのご指導は、真理を学びたいと純粋に願う信徒の最高の学びの場の一つになっていると思います。
広く閲覧者様の参加をお願いする次第であります。
合掌 ありがとうございます
2741
:
復興G
:2013/09/08(日) 12:57:25 ID:AB6RqYXc
>>2696
・
>>2697
・
>>2698
に私が書きましたことについて、さらに思索・検証してみたことを書かせて頂きます。
7月7日、「森のオフィス」 落慶式の記録動画を見ました。
この中で、谷口純子白鳩会総裁が、谷口雅春先生の 「有情非情(うじょうひじょう)悉く兄弟姉妹と悟る祈り」 (聖経 『真理の吟唱』 より) を朗読されたのは、胸に響いて、よかったと思います。それは――
○
有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り
神は天地万物の創造本源であり給う。神は天地万物の生命(いのち)として、天地一切のものの内に遍満して、その存在を支えて居給うのである。
私たちが花を見て、花の美しさを感ずることができるのは、私たちの生命(いのち)と花の生命(いのち)とが本来ひとつであるからである。
私たちが空の星を見て、それを理解し天地の悠久を感ずるのも、星の生命と私たちの生命とが本来一体であるからである。
或いはまた空の鳥を見てその可憐さを感じ、その声の美しさに聴き惚れるのも、空の鳥の生命と私たちの生命とが本来一つであるからである。
大地に生うるいろいろの植物の果実が人間の食物となつて私たちを生かしてくれるのは、植物の生命に “神の生命” が宿っており、私たちの生命と本来一体であるからである。
そのように、すべての生きとし生けるもの、在りとしあらゆる物ことごとくに “神の生命” が宿っており、そのすべてが私たちの生命と一体であるから、天地一切のものは、私たちの心の響きに感応して、或る結果をもたらすのである。
それゆえに、物質と見えているものでも、私たちがそれに感謝し、それに宿る神の生命を直視(じきし)して祝福するならば、その祝福に感応するのである。果樹に感謝し、果樹を祝福するならば、豊かにして美味(おい)しい果実がみのるのである。
天候のごとき自然現象も、人の心に対して鋭敏な反応を示すものである。常にそれに対して感謝している人たちには、常に天候和順にして、その人に害を蒙らせることがなくなるのである。「私が旅立つ時には必ず天気はよくなる」 と言う人は、常に天候に対して感謝している人である。
この世界は “神の世界” であり、この宇宙は “神の宇宙” であり、御空(みそら)は “神の御空” であり、大地は “神の大地” である。天上天下、神の遍在し給わないところとては無いのである。
それゆえに、神を拝し、神を讃え、神に感謝し、みこころを自己の生活に実践する者には、如何なる災害も自己に降りかかってくることはないのである。
神は人間を万物の霊長として、天地一切のものを霊的に支配する権能を与え給うたのである。それゆえに、如何なる物も、人間が義(ただ)しき心をもって生活し、他を害する心を起さない限り、自分が害されるということはあり得ないのである。
すでに「実相の世界」においては、すべての物が、宇宙の本源たる “唯一の神” に中心帰一し、一切の生物、たがいに兄弟姉妹として相和し相睦び、すべてのものその処を得て大調和の相(すがた)であるのである。
神よ、この地上の現象世界においても、実相世界の中心帰一大調和の世界が実現して人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国が実現いたしますように護り且つ導き給え。ありがとうございます。
(聖経 『真理の吟唱』 より)
2742
:
復興G
:2013/09/08(日) 12:58:55 ID:AB6RqYXc
前記、「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」 は魂にひびいて、嬉しくなりました。
これは、雅宣総裁の 『日々の祈り』 から “「すべては一体」 と実感する祈り” でなくてよかったと、しみじみ思います。
○
「すべては一体」 と実感する祈り
神はすべての存在の創り主にてあり給う。我は神の子として、神の創り給いしすべての存在の懐の中に抱かれているのである。だから我は、すべての真実存在と一体であり、すべての真実存在は我と一体にして、我を包み、庇護(ひご)し、安らぎを与えてくれるのである。
真実存在は神の表れであるから、相互に不和はなく、不調和はなく、戦いや争いはないのである。我とすべての真実存在も、だから大調和中で神の愛に包まれているのである。
鳥たちのさえずりは、神の無限生命の表れである。遠く近く、長く短く、華やかに時に静かに、多様に、絶妙な調和の中に、鳥たちが呼び交わす数々の声は、そのまま天上の交響曲である。
森林を風がわたる低い和音、虫の声、小川の流れ、蛙の合唱、キツツキの槌の音。どれ一つとして互いに調和しない音はない。驟雨の音、雷の轟音、木の裂ける音でさえ、神の無限生命力の表現である。
神の無限の美が、すべての存在に満ち溢れているのである。だから神の子・人間は、すべての真実存在に美しさを感じ、喜びを見出すのである。
空の青と雲の白は、神の無限の美の表れである。輝く新緑と黒い木々の枝、若葉と森の深緑のコントラストを見よ。花々の鮮やかな色、微妙な色の移ろい、葉の緑の中でそれらが生み出す対照の妙を見よ。その対照を感じて、虫たちが花を訪れ、神の愛の使者として植物を受粉させ、新たな生命の進展を用意する。
植物が実をつければ、その色の信号を合図に鳥たちが訪れ、豊穣の香りと味と滋養を得て、神の知恵に導かれつつ植物の種を遠方に伝播する。植物は虫や鳥に愛を与え、虫や鳥は植物の命の発展に協力するのである。そこに神の生命があり、愛があり、知恵が表れているのである。
我らは神の子であるから、それら自然の営みの中に神の無限の知恵、無限の愛、無限の生命力を如実に感じるのである。神の無限の生かす力をすべての真実存在の中に感じるのである。
感じるとは共鳴することである。我がうちに神の無限の生かす力がすでにあるから、自然界に現れる神の力に共鳴することができるのである。だから我は神と一体であり、すべての真実存在と一体である。我は神に生かされており、すべての真実存在に生かされている。
それは、物質的栄養を得ているのではない。物質は、真実存在の仮の相である。物質は、真実存在が人間の頭脳によって翻訳された姿にすぎない。物質はエネルギーであることを知れ。エネルギーに色はなく、音はなく、肌触りはなく、匂いはない。しかし、人間の感覚と頭脳を通過するとき、エネルギーは色がつき、音を出し、匂いがし、肌触りのある“物質”のような外貌を呈するのである。
だから、我らの周囲には、神の無限エネルギーが満ち溢れているのである。周囲だけでなく、我が肉体も神の無限エネルギーの1個の表現である。神の無限の知恵と愛と命の表現として、我は自分の肉体を表現しているのである。
我は神の子であるから、1個の肉体の中に縮こまって存在しているのではない。木々の緑、鳥の声、川の流れ、大洋の大波、空の青、星雲の渦巻きに美を感じる我は、その微妙かつ壮大な美を我がうちに包蔵するのである。
それら自然の営みの中に不可思議の知恵を感じる我は、その知恵と同じ無限の知恵を我がうちに包蔵するのである。自然の営みの背後に生かし合いの愛を感じる我は、神の無限の愛を我がうちに包蔵するのである。
我は神と一体なり。我は宇宙と一体なり。すべては神と一体なり。すべては我と一体なり。我、真実存在の知恵と愛と生命を与え給いし神に、無限感謝の意を表現し奉る。ありがとうございます。
(谷口雅宣著 『「すべては一体」 と実感する祈り』 より)
2743
:
復興G
:2013/09/08(日) 13:00:12 ID:AB6RqYXc
――前記二つの 「祈り」 の言葉を見比べますと、字面を見れば、後者(「すべては一体」 と実感する祈り)の方が一見すると美辞麗句があふれていて 「進化した」 祈りのように見えます。しかし、それは決して 「深化した」 祈りではなく、五官の世界、本来無い世界から見て作られた言葉で、五官には快くひびいても、魂の深いところには響きません。
それは、谷口雅春先生の祈りは 「久遠の今」 なる創造の本源世界に立たれての祈りであり、雅宣総裁のそれは本来無い現象世界を 「有り」 と見て、前者をまねて作られた祈りの言葉であるからだと思われます。
時恰(あたか)も、2020年オリンピックは東京開催と決まった、喜びのニュースが流れています。
現在の異常気象は、海面の温度上昇が原因で起こったいると言われます。そして地球温暖化はCO2の増加が原因だという説が支配的です。それが本当なら、オリンピックには世界からたくさんの人たちが航空機に乗って移動しますから、その燃料消費は温暖化を加速する。だからもうオリンピックはやめた方がよいという議論が出てきてもよさそうです。
しかし私は、素直に2020年東京オリンピック開催決定を喜びます。それは、神計らいのように思われるからです。
なぜそう思うのか。それについては、項を改めてじっくり書いて行きたいと思っています。
皆さま、ぜひ 「web誌友会参考文献板」 の >96 以降に謹写掲載させていただいています谷口雅春先生の御文章を、じっくり読んで下さいますよう、お願いいたします。そして、次も――
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
(谷口雅春先生著 『光明法語』 より)
九月九日の法語 大生命の歓喜
大生命は内に無限の可能性を包蔵し、外に機会ある毎にその内蔵する可能性を顕現しようとする。而して内にあるものが外に表現せられた時に歓びを感ずるのである。
それは画家が自己の内にある美を絵に表現せられた時に歓びを感じ、音楽家が自己の内にある感情を音楽に表現せられた時に歓びを感じ、舞踊家が自己の内にある生命の衝動を舞踊に表現し得た時に喜びを感ずるのと同様である。大生命は森羅万象を自己に内在する美と感情と衝動とを表現せんが為に造った。
九月十日の法語 無限の生長と前進
かくて大生命の創造は、大生命の歓喜の爆発であるとも言える。大生命は内に無限を包蔵する故に、その表現されるものは常に一層大きく、一層豊かに、一層美しきものであるほかはない。それは無限の生長であり、無限の前進である。
時として過去に見出すことが出来ないところの全然新しいものを創造するのである。その新しき創造はつきることはないのである。大生命は無限の新しきものを内に包蔵する。その大生命が吾らのうちに流れ入って吾らの生命となっているのだ。
九月十八日の法語 神の生命の歓喜
神は生命の歓喜によって人間を創造したのである。神は生命の歓喜によって大自然を創造したのである。
美しい緑の若葉は神の生命の歓喜を物語る。牡丹(ぼたん)の豊艶(ほうえん)なる、海棠(かいどう)の幽艶(ゆうえん)なる、白百合(しらゆり)の清楚(せいそ)なる、桜の爛漫(らんまん)たる、梅花(ばいか)の孤峭(こしょう)なる……数えれば限りはないが、いずれも神の生命の歓喜の発露であるのである。
万物は、すべて神の生命の歓喜の発露であり、表現であるが、「神の生命」 そのものの発露であり表現であるのは 「人間」 である。人間が喜べば神が喜ぶのである。
九月十九日の法語 歓喜の創造
歓(よろこ)ばない人間は、神の生命の歓喜の出口を閉塞(へいそく)するものである。喜ばない人間は健康になることが出来ない。喜ばない人間は栄えることが出来ない。喜ばない人間は勝利することは出来ない。喜ばない人間は如何に盛んなように見えても最後に挫折するのである。
イザナギの神様は 「あなにやし、好乙女(えおとめ)」 と歓喜して世界を創造したのである。イザナミの神様は 「あなにやし、好男(えおとこ)」 と歓喜して世界を創造したのである。喜ばない人間は創造することが出来ない。歓びは創造する力である。
2744
:
復興G
:2013/09/08(日) 22:19:17 ID:AB6RqYXc
「久遠の今」 「未発の中(みはつのちゅう)」 から大生命の歓喜の爆発がビッグバンとなって、一切のものは時空間のスクリーン上に展開してきた。(「久遠の今」 については、web誌友会参考文献板 >96 以降をお読みください)
この 「未発の中」 を直観把握した日本人の祖先は、これを 「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」 として神話を創作した。それが古事記の物語である。
時空間は本来無い。それは生命が表現の場として仮に創り出したものである。だから時空間上に展開された現象も、すべて本来無いものなのである。
すべてはその本源なる 「久遠の今」 において、一つであり、大調和しているのである。
そこから、
>>2741
「有情非情(うじょうひじょう)悉く兄弟姉妹と悟る祈り」 (『真理の吟唱』)
も出てきたのである。
<<すでに 「実相の世界」 においては、すべての物が、宇宙の本源たる “唯一の神” に中心帰一し、一切の生物、たがいに兄弟姉妹として相和し相睦び、すべてのものその処を得て大調和の相(すがた)であるのである。
神よ、この地上の現象世界においても、実相世界の中心帰一大調和の世界が実現して人類すべてが兄弟姉妹の自覚に入り、永遠に地上に天国が実現いたしますように護り且つ導き給え。ありがとうございます。>>
と。
『光明法語』 には
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
十月一日の法語 異なる者の渾一調和
異なる個性あるものがその個性を没却せずして互いに協力しつつ完全なる 「一」 となるとき其処に無限の美があらわれるのである。
その完全なる美の極致の一つは交響楽である。各々の楽器はその個性を発揮し、その各々の吹奏が巧妙であればあるほど全体の音楽は一層妙なるものとなるのである。
それと同じく、各民族、各人種も、各民族の個性、各人種の個性を発揮しながら渾然たる調和が発揮されるとき、そこに最も美しき文化が建設せられるのである。
十月二日の法語 無限の健康調和
各々の細胞がその個性を発揮しながら完全なる協力を遂げているとき人体の健康は最も完全に実現するのである。
完全なる協力は 「本来一」 の自覚より生ずる。人間の健康も先ず人間同士が完全に 「一」 である自覚をもって互いに相結ばれ、人間相互にその感情が調和している時にのみ真に実現し得るのである。
人間同士の感情が争っているときには、肉体は心の影であるから、心の乱れている限り真に無限の健康は発揮されようはないのである。汝ら互いに調和せよ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
とあります。
日本の心、大和精神はこの 「本来一」 の自覚より生まれた渾一調和の心であり、これこそが真の世界平和を作り出す心であると思います。
オリンピックの精神、理想は 「平和」、人類が民族を超えて皆兄弟であるということであり、2020年のオリンピックが日本の首都東京で行われることになったのは、世界人類が新しい平和な神の国建設へのエポックを築くために、神のお導きがあってのことではないかと思い、私は胸を躍らせています。
2745
:
ユタカ
:2013/09/10(火) 22:13:32 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
真理の吟唱と日々の祈りの違いを教えて下さって有難うございます。
雅宣総裁もひそかにここをご覧でしょうから、どうぞお勉強なさってください。私達にこのような勉強の場を与えてくださった雅宣総裁に感謝します。
復興G様が東京五輪を神計らいとしていらっしゃっていますが、また、総裁は違います。そこでどう違うのか復興G様の続きを楽しみにしています。
よろしくお願いします。 日本五輪を私と私の周囲ではみな喜んでおります。
2746
:
ユタカ
:2013/09/10(火) 22:16:18 ID:R1D4Jmeg
現象の総裁に光は届くか?
>やっぱり、谷口雅宣総裁は「東京五輪」に反対しました! (538)
日時:2013年09月09日 (月) 12時17分
名前:「靖国見真会」参加者
谷口雅宣総裁のブログ「唐松模様」、2013年9月 8日 (日)「オリンピックの東京開催をどう考えるか」で、はっきりと、今回の「東京五輪」への反対を表明しました。
8日に行われた「山形講習会」でも、それを言ったことが述べてあります。
今回の山形講習会、参加者が500名を切ったようですね。
こんな話しを聞かされるのであれば、さすがに人のいい山形教区の信徒も、もはや、義理でも、或いは弁当がもらえるから言われても、参加しませんよ!
ところで、谷口雅宣総裁は、この500名を切った現実をどう思っているんでしょうかね?
生長の家信徒は、「生長の家」の講習会だからこそ、参加するのです!
そこでは、「生長の家」の真理が聞けると思うからこそ、参加するのです!
谷口雅宣総裁の自分勝手な“主義主張”を聞きたくて参加しているのではありません!
そこのところが、谷口雅宣総裁は、全然、分かっていない!
これはもう、仕方ありませんね。
だって、谷口雅宣総裁は、自分の“主義主張”をもって「生長の家の教え」だと言い張っているわけですから!
もう我慢ならない!
として、信徒がそれに見向きもしなくなる、講習会にも参加しない!
そういう現実を見せつけない限り、谷口雅宣総裁が、自分の、この“妄想”から目を覚ますことはないでしょうね?!
そういう意味で、山形教区の信徒が、500名を切る講習会を全国に見せつけた“勇気”を心から評価するものであります。
500名を切った「講習会」の“衝撃”が、今後、全国に飛び火すると思うからです!
2747
:
ユタカ
:2013/09/10(火) 22:17:37 ID:R1D4Jmeg
>谷口雅宣総裁に、このプレゼンはどう聞こえたのだろうか? (546)
日時:2013年09月09日 (月) 13時58分
名前:「靖国見真会」参加者
谷口雅宣総裁は、「反五輪」の立場から、こんなことを書いています。
>大石田町に住む75歳の女性からの質問である−−
「明るい方向に目と心を向けるべきとは分かっているつもりですが、東日本被災地、人々の事を思うとき、きまったばかりの2020年のオリンピックのことを考えると、どうしても心が晴れません。オリンピックの東京開催を、何事もなかった、ないように喜んでいる特に政治家の、心の内が理解しかね、悩んでいます。」
大石田町は、山形県の内陸部の最上川に面した町で、江戸時代は河港町として栄えた。天領として船役所が置かれ、奥羽山脈を越えて仙台藩にまで至る物資の流通ルートの要だった。そして、福島県にも近い。だから、この女性が「東日本被災地、人々の事を思う」と書いているのは、もしかしたら福島県から避難してきた人を直接知っているからかもしれない。そういう数多くの人々の破壊された故郷が、五輪の東京開催で今後どうなっていくのか……この疑問に政府は答えていない。巨額の借金を抱えた国が、五輪への投資と東北復興の両方をやるといっても、誰も信じないだろう。大都市と大企業の繁栄のために、東北地方は再び犠牲になるのかという疑念と不安は深刻だと思う。<
そこまで、震災に思いを致すのであれば、“森の中のオフィス”にかかった150億円を、まずはそちらに廻したら良かったのではありませんか?!
意地悪く聞こえるかもしれませんが、谷口雅宣総裁の言葉には、どうしても“為にする論”というのが私の耳にこびりついて離れないのです。
だから、少しも心に響かない!
それよりかは、こちらの方がよほど胸を打ちました。
>高円宮妃久子さまが被災地復興支援に謝意を述べられた後にプレゼンが始まった。壇上に立ったのは世界的には無名のパラリンピアンの佐藤だった。プレゼンメンバーの紹介をチアリーダー仕込みの高らかな声で、明るく華やかにスタート。
少し間をおき、東京決定へ流れをつくったエレガントなスピーチは始まった。彼女は、「私がここにいるのはスポーツによって救われたからです」と静かに語りかけた。目線はカメラに。両端に設置されたプロンプターは見ない。フワリと黒髪を揺らしながら、カメラ越しにIOC委員1人1人に語りかける。抜てきに「自分が立場に追いついてないな」と話していた3日前がうそのよう。
「骨肉腫で足を失ってしまいました」。右足膝下を切断したつらい過去には、言葉が詰まりそうになる。故郷の宮城県気仙沼市が東日本大震災で津波の被害を受けた。スクリーンには被災地の様子、佐藤が肉親と笑うシーンが映される。一瞬、佐藤はあふれそうになる涙に言葉が出なくなった。悲しみがあふれ出す寸前、佐藤は耐え、必死に話し続けた。
だが、幾度もスポーツに支えられた体験をアピールするうち、自然と笑みがこぼれた。決してオーバーアクションではなく、時に胸に手を当て、かみしめるよう。実感こもる姿に、聴衆は引き込まれていった。
人生を貫く「スポーツの力」。演技では表せない自然な笑顔、悲しい表情を交えて、約4分間。自分の人生をさらけ出し、IOC委員に届けた。「気持ちを込めて話せたな」。それは確かに人々の心を打った。
「とても印象的(impressive)でした」。プレゼンを終え、佐藤がロゲ会長にあいさつすると、耳元で優しくささやかれた。同会長は報道陣の前では「ベリーグッド」と親指を立て、佐藤のスピーチをたたえた。モナコ公国のアルベール2世公は「エモーショナルで感動的だった。他のIOC委員にも響いたはずだ」と絶賛。それは、東京が温めた「秘策」が成就した瞬間だった。<
谷口雅宣総裁、それでも「東京五輪」に反対ですか?!
2748
:
ユタカ
:2013/09/10(火) 22:21:06 ID:R1D4Jmeg
総裁はここまで観世音菩薩となって衆生済度してくれているのですか??
>谷口雅宣総裁には“友だち”がいない?NEW (576)
日時:2013年09月10日 (火) 08時37分
名前:「笑点」ファン
谷口雅宣総裁の近しい人から、「総裁には友達がいない」ということを耳にしたことがあります。
今、その意味がわかったような気がします。
だって、みんなで盛り上がっているのに、一人、冷ややかにそれを見つめている人がいたら、そんな人とお友達になろうなんて思いませんからね!
2020年の「東京五輪」に、明日の夢を、希望を輝かせ、みんなで頑張ろう!
日本が一つになって成功させよう!
そう盛り上がっているときに、ナンダラカンダラ、批判ばっかりしている人と誰がお友達になりたいと思うでしょうか?!
谷口雅宣総裁という人は、そういう盛り上がりを、単なる“喧噪”としか思い得ない人のような気がしております。
“森の中のオフィス”に引きこもって、「スポーツジム」で一人、汗を流す…。
それが谷口雅宣総裁の至福のときなのでしょうね…?!
ということで
by
昔、「穴グラ」という小説(?)を書いた頃と、本質的に、変わっていないということでしょうか?!
ありがとうございます。
2749
:
復興G
:2013/09/11(水) 00:11:28 ID:AB6RqYXc
ユタカさん、しばらくぶり。
2020年東京オリンピックについてのコメント、ありがとうございます。
竹田恒泰氏が、次のようにようにツイートしています。
≪ ○ 東京五輪招致の本当の目的は、復興です。ただ、招致委員会は、他国へは戦略的にその点を示さなかった。世界にとって復興のための五輪には興味がないからです。
○ 東京招致成功で、東北の復興が遠のくとかいう人がいるらしいが、分かってないな。これで復興はぐんと近づくんだ。聖火が東北を走る光景は、復興の象徴になるだろう。
○ 五輪で復興が停滞すると言う人がまだいるようだ。五輪の予算は東京都が既に確保してあるから、五輪によって復興予算が削られることはない。五輪のある復興と、五輪のない復興は何かが違うはず。大きくプラスになる。7年後に向けて復興の目標も設定でき、被災地を聖火が走る事は大きな希望になる。
○ 東京五輪は「復興五輪」というと「震災より前から招致活動していたじゃないか」と反論する人がいる。これはおかしな反論。前回は東京である理由を国内外に示せず落選したではないか。その後震災が起きて、国内に向けては震災、世界に向けては安心・安全を新しいテーマとして掲げて招致に成功したのだ。
○ 東京五輪はアベノミクスを成功に導く鍵になると思う。景気が回復し、デフレから脱却するための、大きな後押しになる。五輪招致は4本目の矢になったといえる。日本が元気になることは、震災復興に大きなプラス要素として働くに違いない。
○ 前回の東京五輪は「戦災復興」を象徴する五輪だった。次の東京五輪は、7年の内に復興を成し遂げて、「震災復興」を象徴する五輪にしなければいけない。それでこそ、世界に安心・安全を示す五輪を示すことができる。日本は復興を成し遂げることで世界に貢献できる。≫
――私も、前回(2016年に向けて)の招致活動の時は、賛成しませんでした(町内会で署名運動の回覧板がまわってきたとき、署名しなかった)。しかし、その後震災が起きて今回、
≪「日本が元気になることは、震災復興に大きなプラス要素として働くに違いない。次の東京五輪は、7年の内に復興を成し遂げて、「震災復興」を象徴する五輪にしなければいけない。それでこそ、世界に安心・安全を示す五輪を示すことができる。日本は復興を成し遂げることで世界に貢献できる」≫
と竹田恒泰氏がおっしゃることは、その通りであると思いますね。
総裁は、今年の異常気象はCO2による地球温暖化のせいであると断じて、
≪先進諸国は、インフラや技術が整備されているため、異常気象に対する抵抗力は比較的強い。しかし、途上国はそうはいかないから、異常気象による死傷者の数は当然、途上国の方が先進国を上回ることになる。つまり、我々の贅沢な生活や、放縦的なライフスタイルによって途上国の罪のない人々が死傷するという現象が、今後続いていくことになる。それでも五輪を開催して、自分たちの経済発展を進めていこうというのだろうか。私は、こういう倫理観の欠如した国の政策を嘆くのである。≫
と言っておられますが、もしそれが本当なら、人類はもうオリンピック大会そのものを廃止すべきだ、ということになるのではないかと思います。しかし、そうはおっしゃらない。東京開催にだけ反対されるのでは、日本だけよければ他の国ではどうでもよい、みたいになってしまいます。
異常気象は地球の海面温度上昇が原因と言われ、それはおそらくその通りでしょうが、そもそも地球の温暖化はCO2の排出増加によって起きたとする説は間違いだとする学者もあり(太陽の活動変化によって温暖化が先に起き、その結果CO2が増えたのだとする説など)、その真実は多数決で決まるようなものではないと思います。
<つづく>
2750
:
復興G
:2013/09/11(水) 00:12:07 ID:AB6RqYXc
<つづき>
ともかく、神はこの世界を創り給うて 「甚だ善し」 とおっしゃった、その 「みこころの天に成る世界」 が既にあることを信じ、「神の子」 の自覚を確立して愛と感謝に生きることが根本である。
「みこころの天に成る世界」 は、
≪すでに 「実相の世界」 においては、すべての物が、宇宙の本源たる “唯一の神” に中心帰一し、一切の生物、たがいに兄弟姉妹として相和し相睦び、すべてのものその処を得て大調和の相(すがた)であるのである。≫
(「有情非情悉く兄弟姉妹と悟る祈り」)
≪ 十月一日の法語 異なる者の渾一調和
異なる個性あるものがその個性を没却せずして互いに協力しつつ完全なる 「一」 となるとき其処に無限の美があらわれるのである。
その完全なる美の極致の一つは交響楽である。各々の楽器はその個性を発揮し、その各々の吹奏が巧妙であればあるほど全体の音楽は一層妙なるものとなるのである。
それと同じく、各民族、各人種も、各民族の個性、各人種の個性を発揮しながら渾然たる調和が発揮されるとき、そこに最も美しき文化が建設せられるのである。≫
(『光明法語』)
という世界である。
それを 「地にも成らせ給え」 と祈り、現象世界に実現するのが神の子人間の目的、使命であります。それでオリンピックというのは平和の祭典と言われ、世界人類がそういう姿をあらわす祭典として行うのは、神意の実現であって、それをやめるべきだと言うなら、人類は地上に生まれてこなければよかったのだ、ということになりかねません。
なかでも日本は 「八紘一宇」 (世界人類は皆神の子の兄弟姉妹、世界はひとつの家族) という理想をもって中心帰一のすがたを現してきた日本の、天皇陛下のいます東京で、オリンピックが行われることは、まことに神意の実現であると、私は信じます。
それを悦ばずして、何をよろこべばよいのでしょう。
もちろん、ただ喜んで浮かれているだけではだめです。神意実現のために、祈りと決意をもって、真心を尽くし愛を行じてまいりましょう。
2752
:
復興G
:2013/09/11(水) 08:17:08 ID:AB6RqYXc
前回1964年の東京オリンピックは「戦災復興」を象徴する五輪だった。
その開会式では空前の世界93ヵ国・地域から集まった選手団が、それぞれの衣装・スタイルで誇らしげな笑顔を昭和天皇様に向け、喜びの礼を表わしながら入場した。
(生政連板869 :アクエリアン様 「感動の東京オリンピック開会式1964年」 より)
https://www.youtube.com/watch?v=1cZAq19IozM&feature=youtube_gdata_player
私は、ここで開会宣言をされる昭和天皇様のお姿を、ハリウッド映画 「終戦のエンペラー」 のクライマックスシーンとオーバーラップさせながら拝ませて頂きました。
天皇様はマッカーサーの前に進み出て 「このたびの戦争の責任はすべて私一人にあります。他の誰にも責任はないから、処罰は私一人に限っていただきたい」 と申し出られる。マッカーサーは感動して、「処罰など、とんでもない。この国の再建のために協力しあいましょう」 という。
ここから、その後今に到るまでの日米親善協力の歴史が始まったのである、ということが、ハリウッド映画の大作として公開されるに到ったのです。(
>>2568
)
2020年のオリンピック東京開催決定の前にこの映画が公開され、どんなに激しい戦いをした敵同士でも、この天皇様のように全く無我無私で一切を自分の責任と引き受けられると、イエス・キリストが 「生命(いのち)を得んとする者はこれを失い、生命を棄つる者はこれを得ん」 と言っているように、陛下は生命を捨てて生命を得られた。
このような無我無私の天皇様が中心にいらっしゃるから、日本は安定して、世界で最も人気のある国となっている。それで、2020年のオリンピック東京開催が決まった。大震災、原発の大事故も乗り越え、復興した姿を世界に見せて、新しい世界平和への道を示す使命が、今日本に与えられているのではないかと、私は思います。
夢を描け 谷口雅春先生
若きと老いたるとを問わず
兄弟よ、夢を描け、
蜃気楼よりも大いなる夢を。
夢はあなたの肉体を超えて虚空にひろがり、
ひろくひろく宇宙にひろがる雲となって、
あなたをより高き世界へ
あま翔けらす大いなる翼となるであろう。
此の翼こそ世にも奇(くす)しき翼である。
夢の奇しき翼に乗るとき
若きものは向上し
老いたるものは若返る。
(中略)
兄弟よ、悲しみに打たれるな。
打たれても起き上れ。
描いた夢が破れても
あなたはまだ夢を描く自由はあるのだ。
自分にまだ偉大な力が残っていると想像せよ。夢を描くものにとっては
此の世界は常に新天新地である。
兄弟よ倒れるな、
倒れても起き上れ、
希望を失っても試みが破れても
倒れ切るな。
夢は希望の苗床である。
兄弟よ、出来るだけ明るい大きな夢を心に描け。
自分を暗い悲しいものだと想像するな。
あなたの「心」が全能の創造者(つくりぬし)だということを知れ。
あなたは自分の心で自分を想像した通りのものにするのだ。
自分を暗い悲しいものだと想像したら
その通りにあなたはなるのだ。
自分を明るい偉大な人間だと想像しても
その通りにあなたはなるのだ。
何故なら心は全能者であるからだ。
(後略)
2753
:
あさひ
:2013/09/12(木) 01:55:44 ID:u9w/1zYY
復興G様
2020年のオリンピックのことをお書きくださり 嬉しいです。
全く同じ思いです。 日本万歳 万歳 万歳
2754
:
志恩
:2013/09/12(木) 03:30:20 ID:.QY5jUA6
あさひ様もおっしゃいましたが、
復興G様が、オリンピック東京開催決定についての
前向きな発言をして下さってので、とても心強く存じました。
復興G様同様にユタカ様も、ありがとうございます。
他板でも、前向きな発言をされた方々がいらして、うれしいです。
オリンピックが、決まったのですから、
震災復興や経済のことなど 総理が宣言したことを有言実行すべく
政府が一丸となって、取り組んで行かざるを得なくなりました。
政治連合板にも、私は先に書きましたが
これで、原発問題も震災復興も、後回しに出来なくなった。
期限を切られたも同然なのですから。
世界中から人が来るからには、もう日本政府に逃げ場は無いのです。
なんとしても原発を安定させ被災地を復興させなくては世界中の恥さらしになります。
オリンピックが来れば、経済が活性化される。
納税額も増え、震災復興にはプラスに働く。
オリンピック反対派が言う誘致費を復興に回せばよかった、
なんてのは後ろ向きの意見
お金を稼ぐからこそ復興が、いっそう出来る。
7年後という目標が、定められたことは、とてもいいことだと
前向きに私も考えております。
2755
:
ユタカ
:2013/09/12(木) 10:05:23 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま あさひさま 志恩さま
ありがとうございます。
復興Gさまのご文章は、谷口雅春先生率いる優秀で明るくて皆が仲が良くて親切で、明るくて建設的で素晴らしい時代の神誌を思い出しませんか? 本当に嬉しくなってしまいます。
復興Gさまお書き下さるものは
『 神 誌 』です。 神誌がWEB版から今も発行されて続けていると言ってもいいのではないでしょうか?! 私にはそう思えて懐かしくてうれしくて嬉しくてたまりません。そしてこの喜びが日々の生活の生きる力となります。
あんまり素晴らしい!!ので コピーして皆さんでまた、読ませていただきます。 これを自分だけで呼んでは勿体無いと思いますので。
あさひさまも 志恩様も皆さん、嬉しいですね〜〜〜!! 有難いです。
復興Gさま ここで神誌を発行していると思ってこれからも沢山ご活躍くださいね! 楽しみにしております。
=================
私なりに心に残ったので赤線を引いたご文章を下記に・・・
生命の実相第4巻 P、159
山口ーー「縁なき衆生は度し難し」と申す言葉がありますが・・・・。
谷口ーー縁のない衆生はひとりもない。 ただ機縁が熟しているかいないかです。釈迦に弓を引いた提婆達多も成仏する。
キリストを売ったユダも成仏する。地獄も餓鬼も修羅道も成仏する。 地獄も餓鬼も修羅道もいっさいの不完全なものは実在でないから
「やがて 消える去るべき 運命 をもっているのです。」 以上 謹写 終わります。
あなたが神である。 あなたが仏である。
住吉大神
神愛充満
光明一元
ありがとうございます。
では、今日も一日明るく元気にがんばります!! 勉強がんばる!!
2756
:
ユタカ
:2013/09/12(木) 10:11:47 ID:R1D4Jmeg
復興Gさまが好きでたまらない!!
復興Gさま〜〜〜〜!!!
神様だから〜〜〜〜だ〜〜〜〜〜い〜〜〜 好き〜〜〜〜〜〜!!!
ありがとうございます〜〜〜〜!!
2757
:
志恩
:2013/09/12(木) 10:37:43 ID:.QY5jUA6
ユタカ様
みい〜〜んなの復興G様であることを、お忘れなく!!
2758
:
復興G
:2013/09/12(木) 10:40:11 ID:AB6RqYXc
あさひ様、志恩様
ご賛同のコメント、ありがとうございます。
私は2020年東京オリンピック決定には神意が働いており、神の御心は必ず実現する。だから、よろこんで神意に添うように私たちみんなが協力し合うことが大切だと思っています。
神意に添う心というのは、中心帰一・大調和の心、感謝の心です。
神意に適わない争いと我欲の心を優先させていては、神のご加護を得ることができない。
神の御心から外れた方向へ暴走すれば、7年後にオリンピックが開催される東京に関東大震災級の大地震が起きないとも限らない。もしそうなったら、世界人類にとっての大ショックとなります。
決してそうならないように、私たちは今こそ 「世界平和の祈り」 を日々熱祷してまいりたいと思います。神に感謝し、全人類に感謝祝福と愛の実践を行じてまいりたいと思います。私たちにはその使命、責務が与えられていると思います。
2759
:
復興G
:2013/09/12(木) 10:58:07 ID:AB6RqYXc
皆さま、ありがとうございます。
私は、毎日 「世界平和の祈り」 とともに、
「神様の天降る 2020年東京オリンピックの大成功」
を祈り続けてまいります。
皆さまも、いっしょに祈りませんか?
(東京第一教区では、全誌友会場に 「神様の天降る誌友会」 という額を掲げて誌友会を行っています)
2760
:
復興G
:2013/09/12(木) 11:10:07 ID:AB6RqYXc
ユタカさま、だ〜〜〜〜〜い〜〜〜〜〜好き〜〜〜〜〜!!!
みなさま、だ〜〜〜〜〜い〜〜〜〜〜好き〜〜〜〜〜!!!
日本万歳 万歳 万歳 バンザイ!!!
世界人類 万歳 万歳 バンザイ!!!
2761
:
a hope
:2013/09/12(木) 18:11:59 ID:dyDQLtZQ
みなさま こんばんは
本当に、2020年のオリンピック開催が東京に決まり、日本の未来に一筋の明るい光が射したようですね!
ここで、次回 web誌友会の予告をさせていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第17回web誌友会予告
日時 9月20日(金)21時30分〜
9月21日(土)23時まで
テキスト 『生命の實相』第4巻
第5章から第8章まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この第5章〜7章までは、雅春先生と談話者の会話形式で書かれていて、とても具体的にわかりやすく真理が説明されていると感じています。
特に、わたしは気功をしていたことがあるので、第5章の『「生命磁気」の流れ』のお話のところは興味津々です。
手と手を合わせる合掌にも、とても重要な意味があるのですね。
このweb誌友会にはどなたでも参加できて、復興Gさまの素晴らしいご指導が受けられます。
どうぞ、みなさま、テキストの範囲を拝読されて、質問はもちろんですが、心に残ったり場所を紹介してくださるだけでもいいですので、気軽にご参加くださいね!
2762
:
復興G
:2013/09/12(木) 18:32:01 ID:AB6RqYXc
a hope さま、特にお世話をかけます。
皆々さま、よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
2763
:
トキ
:2013/09/12(木) 18:46:39 ID:JoLlTw8I
>>2759
ありがとうございます。祈らせていただきます。
また、誌友会のご指導、ありがとうございます。
楽しみであります。よろしくお願いいたします。
合掌 ありがとうございます
2764
:
トキ
:2013/09/12(木) 20:55:53 ID:JoLlTw8I
先日、私の縁者の「一白鳩会員」と話していたら、大昔の話になりました。
戦前や戦後の谷口雅春先生の講習会など、活気がすごかったと言います。何よりも、会場から出て来た人の
顔つきが生き生きとしていて、明るく、元気な様子だったといいます。戦前はともかく、戦中や戦後の誌友会
なども、あんな困難な状況だったのに、たくさんの人が集まり、その上、どうやって工面したのか、あの物資
が不足した時代にもかかわらず、茶菓子が出ていたそうです。誌友会に集まる人もみんな素晴らしく、真剣に
道を求める人達の集まりである、という事がよく分かったと話していました。
そういう誌友会の雰囲気を味わえる機会は、リアルの世界では減りましたが、webの世界では、せめて味わい
たいと思います。
皆様のご参加をお待ち申し上げます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
2765
:
復興G
:2013/09/12(木) 21:22:44 ID:AB6RqYXc
トキ様
ありがとうございます!
2766
:
ユタカ
:2013/09/12(木) 22:12:35 ID:R1D4Jmeg
志恩さま
>みい〜〜んなの復興G様であることを、お忘れなく!! (ドストライクな一言をありがとうございます。)
ですが、早速、復興Gさまの方から、「みなさん、だ〜〜〜い好き!」って言っていただいたからOKですね?! えへっ!えへっ!
2767
:
ユタカ
:2013/09/12(木) 22:46:11 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
> 私は2020年東京オリンピック決定には神意が働いており、神の御心は必ず実現する。だから、よろこんで神意に添うように私たちみんなが協力し合うことが大切だと思っています。
神意に添う心というのは、中心帰一・大調和の心、感謝の心です。
神意に適わない争いと我欲の心を優先させていては、神のご加護を得ることができない。
神の御心から外れた方向へ暴走すれば、7年後にオリンピックが開催される東京に関東大震災級の大地震が起きないとも限らない。もしそうなったら、世界人類にとっての大ショックとなります。
決してそうならないように、私たちは今こそ 「世界平和の祈り」 を日々熱祷してまいりたいと思います。神に感謝し、全人類に感謝祝福と愛の実践を行じてまいりたいと思います。私たちにはその使命、責務が与えられていると思います。
一緒にお祈りさせてください。是非! 賛成です!希望の言葉をありがとうございます。
いろいろ教えてください。
a hopeさま ありがとうございます。
お世話になります。今度の終わりのお祈りは出せるよう旧PCで見ていますね!
いつも本当にありがとうございます。気功されていらしゃるのですね!すばらしいですね、時間のあるときまた聞かせてください。
2768
:
復興G
:2013/09/12(木) 23:43:59 ID:AB6RqYXc
ユタカさま
>>一緒にお祈りさせてください。是非! 賛成です! <<
ありがとうございます!
全体の1%の人が真剣に祈ったら、全体の運命が変わると言われています。
毎日、世界平和の祈りの後、
>>2759
に書きましたように、
「神様の天降る 2020年東京オリンピックの大成功」
を祈り続けてまいりましょう。
具体的な祈りの言葉は、そのときに思い浮かぶ言葉を、思い思いに念ずればよろしいと思います。
ありがとうございます!
2769
:
復興G
:2013/09/12(木) 23:51:11 ID:AB6RqYXc
みなさま、web誌友会参考文献板の方も長文になりましたが、お読み下さって、感想をお聞かせ頂ければ幸せです。
2770
:
復興G
:2013/09/13(金) 11:08:51 ID:AENtSm/U
>>2755
:ユタカさま
>>私なりに心に残ったので赤線を引いたご文章を下記に・・・
生命の実相第4巻 P、159
山口ーー「縁なき衆生は度し難し」と申す言葉がありますが・・・・。
谷口ーー縁のない衆生はひとりもない。ただ機縁が熟しているかいないかです。釈迦に弓を引いた提婆達多も成仏する。キリストを売ったユダも成仏する。地獄も餓鬼も修羅道も成仏する。地獄も餓鬼も修羅道もいっさいの不完全なものは実在でないから
「やがて 消える去るべき 運命 をもっているのです。」<<
――私は上記を読んで、それは具体的にどういう体験があるから 「心に残った」 のか、訊きたいという思いに駆られましたが、やめました。そんなことをしても何のプラスにもなりませんからね。
「縁のない衆生はひとりもない。」
「あらゆる人間は、救われるほかにありようはない」
のですから、われわれは人を救おう救おうと力むのでなく、救いは神様にお任せして、われわれは常不軽菩薩として他を拝んで行けばいいんですね。
2771
:
復興G
:2013/09/13(金) 11:09:27 ID:AB6RqYXc
私は、今朝も 「世界平和の祈り」 をしましたが、そのとき、「我れ」 というものは本来無い。私の中にすべてがあり、全ての中に私はあるんだ。だから、「神の無限の愛、われに流れ入り給いて……」 という 「われ」 は、人類すべてである。だから――
「神の無限の愛、すべての人類に流れ入り給いて、すべての人類において愛の霊光燦然と輝き給う……」
そう祈りました。
そうしたら、おのずから2020年の東京オリンピックでは愛の霊光燦然と輝くすがたの中で、各国選手たちが存分にその個性と無限の可能性を発揮し、生命がいきいきとあふれ出る、すばらしい 「平和の祭典」 として大成功裡に行われると信じられました。
2020年東京オリンピック大成功、バンザイ!! です。
ありがとうございます。
2772
:
復興G
:2013/09/13(金) 11:20:45 ID:AB6RqYXc
>>2761
: a hope さま
>>特に、わたしは気功をしていたことがあるので、第5章の 『「生命磁気」の流れ』 のお話のところは興味津々です。<<
――私は 「気功」 を知りませんので、 「気功」 というのはどんなものなのか、「気功」 と生長の家の教えとはどのようにつながるのか、など、興味津々で、a hope さまから教えて頂きたく思っています。よろしくお願いいたします。
2773
:
トキ
:2013/09/13(金) 17:27:26 ID:DGM/Xq/g
「気功」で少し思い出した事があります。生長の家宇治別格本山に参拝したときに会ったご高齢の信徒さんが、
『10年程前、大腸がんになり、ある人から勧められて「気功」を始めたら、逆に病状が悪化した。その後、
練成を受けてから、好転をした。」
という話をされていました。別の友人もガンでなくなられたのですが、なくなる前に「気功」をしていた、と
聞いた事があります。しかし、効果がなかったと聞いています。
もちろん、「気功」は、やはり健康に効果がある人も多いと思います。テレビなどを見ると、不思議な事が
多々あるみたいです。ですから、きっと優れたものに違いありませんが、やはり限界もあると感じます。
2774
:
a hope
:2013/09/13(金) 20:30:38 ID:dyDQLtZQ
ユタカさま 復興Gさま トキさま
気功にしても、ヨガにしても、宗教にしても、突き詰めればすべて同じ「人間は霊的実在(神の子)である」という
真理を体得するための方法なのではないかと感じています。
わたしは、病気治しや、他の現世利益のために気功をしていたわけではなく、
自分が独身時代に経験した幽体離脱がなんだったのかを知りたい一心に、精神世界のことを色々調べているうちに、
ご縁があってある気功の先生とめぐり会い、一時期ご指導を受けていたのです。
詳しいことは話せませんがトキさまがおっしゃるように、気功をしているときにはわたしにも色々不思議な事が起きました。
人体をめぐる「氣」の状態がよければ健康ですべてがうまくいくし、滞っていれば病気になったり不幸が続いたりします。
この、気功の「氣」に相当するのが、第5章に出てくる「生命磁気」なのではないかと思うのです。
いずれにしても、それが神の御心に沿った正しいものであれば病気も治り、運命も好転するのだと思いますが、
そうでなければ、反対の結果が現れるのだと思います。
ですから、気功に限らず、宗教も神の御心から外れた教えであれば、同じような危険が伴うのだと思います。
2775
:
復興G
:2013/09/13(金) 21:15:29 ID:AB6RqYXc
>>2774
:a hopeさま
なるほど。
私も、「気功」 は病気治しのためにするものではないと思っていました。
a hopeさんは、独身時代に 「幽体離脱」 という体験をされたのですか。それはどんな体験だったのか、お時間のあるときに教えて頂けるとありがたいです。
2776
:
ユタカ
:2013/09/14(土) 08:42:18 ID:R1D4Jmeg
復興G様 トキ様へ
今朝も
>>2741
とWEB版の参考文献の霊性の目覚めを読みまして、浄化されました。
お祈りの大切さ、それがわずかでも全体を動かせると思うと嬉しくなってしまいます。
復興Gさまは連休中もいろいろと多忙でしょうから、連休が終わってひと段落がつきましたら、誌友会の後でも、始まりでものお祈りの時に「神さまの天降りる喜びの平和の祭典東京オリンピック」を震災などがないように?かまたは祝福してのお祈りの言葉を貼ってはいかがなものでしょうか?
今は決定直後で嬉しい!ですが、7年後ですから、途中忘れないようにここで貼っておいては如何でしょうか?
そうすると、世界平和のお祈りもずーーと、熟祷の継続になると思うのですが??
如何なものでしょうか??
2777
:
ユタカ
:2013/09/14(土) 08:46:32 ID:R1D4Jmeg
訂正
>2776 お祈りの言葉を貼ってはいかがなものでしょうか?
お祈りの言葉を貼るというのはどうでしょうか? に訂正させてください。
2778
:
復興G
:2013/09/14(土) 22:01:07 ID:AB6RqYXc
>>2776
:ユタカさま。
>>2741
とWEB版の参考文献の 「霊性の目覚め」 は、ほんと、すばらしいですね。読み返して、また私も感銘を深くしています。ユタカさまが貼ってくださったおかげです。
>>誌友会の後でも、始まりでものお祈りの時に 「神さまの天降る 喜びの平和の祭典 東京オリンピック」 を震災などがないように? かまたは祝福してのお祈りの言葉を貼るというのはどうでしょうか? <<
はい、では私の内からわきあがる言葉が出てきましたら、公開させていただきます。
それは私だけでなく、皆さまの内なる神様のみ声と申しますか、思い浮かんでくる言葉も、遠慮なく公開してくださいますように。
ありがとうございます。
2779
:
a hope
:2013/09/15(日) 11:43:09 ID:dyDQLtZQ
復興Gさま
わたしの幽体離脱(体外離脱)体験ですが、あまり詳しい説明をすると身バレしてしまうので簡単にしか書けませんが・・・。
20代前半のとき、心身ともにものすごいストレス状態にあったときに経験したのです。
当時のわたしは、「神」の存在を否定し続けていました。
その時も、「神なんかいるはずがない。神がいたらわたしをこんな苦しめるはずがない。もし神が姿を現したらたら殴り殺してやる。」
というような恐ろしいことを呪文みたいに唱えながら自室のベッドに横たわっていたのです。
そしたら、突然、わたしの体がフワリと浮いて、天井から下を眺めていたのです。
そこで、見たのがベッドに横たわる自分自身の姿でした。
なにが起っているのか全く分からず、不安になって「自分の体に戻りたい!」と思った瞬間に戻りました。
その時の感覚ですが、それは夢とか幻想ではなくて、ものすごい現実感があったので今でもはっきり覚えているのです。
その経験の後、すぐに神の存在を認めたわけでも、自分が「霊的実在」であることを悟ったわけではありませんが、
とにかくまわりの景色が以前よりもずっと明るく見えて、気持ちがとても楽になりました。
余談になりますが、その後海外に行く機会があったのですが、その体外離脱した時の浮遊感が、
飛行機が滑走路から離陸した後、高度を上げていくときの感覚にすごくよく似ているのに驚きました。
最近では、あの時の体外離脱経験は、神が「あなたはそんなに苦しんでいるけれども、本当のあなたはその肉体ではないんだよ。」ということを、
つまり、人間は「霊的実在」であることを、気づかせてくれるきっかけを与えてくれたのではないかと思っています。
実際、その後徐々にわたしは精神世界に目覚めていきましたから・・・
本当にすべての出来事には意味があるのだと思います。
2781
:
復興G
:2013/09/15(日) 20:11:34 ID:AB6RqYXc
>>2779
:a hopeさま
幽体離脱(体外離脱)体験について詳しく書いて下さって、ありがとうございました。
そういうことが、あるんですね。
2782
:
山本富士子
:2013/09/16(月) 19:46:34 ID:ugbc/P.M
合掌 ありがとうございます。
復興 G 様
いつもレベルの高いまごころあふれる誌友会を開催してくださり
ありがとうございます。ピントがずれた質問かもしれないと思い、
迷う気もありますが、質問させていただきます。
私は「今のおしえ」問題について、雅春先生だったら、なんとお答えに
なるだろうか?と考える時に思い起こす本に「善と福との実現」の中で
恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章のなかに、ある信徒がみ教えを
実践すべきではないかといわれたことに対して先生は信徒の誰がそこまで実践
したものがあろうかと答えていました。(その時、私はみおしえの底の深さに
、G様のご文章を拝読するときもそれは感じます。)
そして、もしかしたら雅春先生は、全面的に雅宣総裁についていきなさいと
いうのかなとおもったりしてしまいます。
☆しかし私は幸せな気持ちで誓願券を記入することができないのです。
全然変わってしまった文章をまごころこめてかくことができないのです。
そして、それを書くことをことわることもできないのです。わずか数枚のわりあてを
上手に断ることができないのです。
実相完全円満のすばらしさ(講話)に感動する心とは別にこんなささいなことに
こだわる自分があるのです。
G様にはなにをお聞きしたいのかわけがわからなくなりましたが、、、、
2783
:
復興G
:2013/09/16(月) 23:21:45 ID:AB6RqYXc
>>2782
:山本富士子さま
ご質問、ありがとうございます。
私は、『善と福との実現』 のご本を持っていますけれども、その中で 恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章 というのをよく読んでいませんでした。
今、じっくりと読んでいるところです。
よく読んでから、明日、お答えするつもりですので、しばらくお待ち下さい。
ありがとうございます。
2784
:
復興G
:2013/09/17(火) 10:13:12 ID:AB6RqYXc
>>2782
:山本富士子さま
ご質問、ありがとうございました。
『善と福との実現』 のご本を読み返しました。
お気持ちは、わかります。
私だって、迷います。ささいなことにこだわりもします。
現象世界に生きていれば、だれでも迷います。
谷口雅春先生も、迷われた。それは、『善と福との実現』 に書かれていますね。
このご本を持っていない人のために、その内容の一部、私が感銘を受けたところを謹写掲示させていただきましょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
離婚は悲しきことであり、離縁は痛ましきことである。私にも地上の悲しみがあり、避けがたき悲劇がある。私を、天上の御簾(みす)の奥にある寳座(ほうざ)に坐つて如意自在の法悦三昧にふけつてゐる神様だと思つてゐる人があるかも知れないが、私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから憐むことによつて多くの人達の悩みを知る。
私は自分の妻と子供の病苦をみづから征服することによつて多くの人々に病苦克服の道を教へて彼らを救ふことが出來たのである。家庭苦の問題に於いても同様である。眞に体験を通してのみ悲劇が如何ほどのものであるかを知ることが出來る(悲徳)。それは私に使命的に課せられた課題だと云ふことが出來る。
私が人生に於いて嘗める悲劇は、わたし自身がつくるものではないのであつて、神から如何に解決するかの課題として提供せられたものである。私はひとつひとつそれを解決することによつて、人間苦は斯くの如くにして解決し得るものであると云ふ具体的解決法の模範を示すべき使命があるのである。
みづから苦しむことによつて他の人の苦しみを解決し(悲徳)、他の人に樂なる生活を開示しなければならない(慈徳)。そのためには實相を観て喜ぶ方法(喜徳)と、行くべきを行かしめ、捨つべきを捨てしめて、解放によつて相手を救ふ方法(捨徳)とがある。
慈悲喜捨の四徳は互にからみ合つて糾(あざな)へる縄の如きものであり、時にはみづから苦しみて体験によつて苦を乗り超え、抜苦の方法を示さなければならないのである。
私は貧苦を身みづから体験し、關東大震災にて焼け出され、眞に無一物になつてから、人より富を頂かずして神より富を仰ぎ受ける道を発見し、その道を人々に授ける事によつて多くの人々は救はれたのである。
眞に体験を通して得たる「苦」の克服の道でないものは迫力がなく権威がない。私は養父母と新夫婦との生活の調和の道を、たがひの生活を別にして、互が互を縛らぬやうに生活し得ることにしてそれを解決したのであつた。
人間は幾度も生れ更る世代のうちに色々の人生の体験を経なければならないのである。釈迦も過去現在因果経や本生経を読むと、色々なものに生れて來てをられる。かくてこそ人を救ふ完全な人師となることが出來るのである。
併し、まだその頃には私には、悲しい離婚の経瞼もなければ、苦い離縁の体験もなかつた。離婚の悲しみ、離縁の苦しみに悩みゐる者は如何にしてその悩みから脱し得るだらうか。
それは頭脳ではわかつてゐるにしても眞に悲痛な体験を身みづから体験しなければ、眞に悲痛な家庭苦に悩む者のために倶(とも)に泣き、倶に苦しみ、その苦しみから解脱する伴侶となることは出來ない。それは悲徳の足りない道學者となり勝である。
さう云ふ道學者は、ただ離婚したならば相手の實相を拝みやうが足りないのだと簡単に批判する。相手の悲しみに同悲する心もなければ、その苦しみを眞に抜き去る慈徳もない。
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
<つづく>
2785
:
復興G
:2013/09/17(火) 15:44:49 ID:AB6RqYXc
>>2784
のつづきです。
谷口雅春先生は、同上書に、あるご婦人に対して次のようなご指導をされたことが記されています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
或る時の白鳩会例会で一人の婦人が、「結婚してから一年になりますが、良人(おっと)の妹が事毎に自分に楯ついて、一緒に生活するのが到底たへがたい思ひがします。一そうのこと離婚して頂きたいと思つてゐますが、先生一体どうしたら宜しうございませうか」と問うたのであつた。
私は其の時、日本の家庭が今迄どんなに人間を縛つてゐるものであるかを痛感したのである。結婚は新夫婦當事者の愛の結合であつて、決して「小姑」と称せられる如きものから窘(いじ)められるために結婚するものではないのである。また良人の姉妹であるがゆゑにとて彼の妻を圧迫して好(よ)いものではない。其処には日本の家庭にありがちな、深く父コンプレックスに根ざしたところの悪習俗が残つてゐると云はなければならないのである。
良人側に属する姉妹なるが故に、妻側をいぢめて好いと云ふやうな考へが、完全に日本の各人からぬき去られない限りは、日本の家庭の不幸は払拭されやうがないのである。
無論、いぢめられるのは其の婦人自身の自覚が足りないのでもある。恐らく其の婦人の心の中に、嫁に行けば姑や小姑とからいぢめられるのが當然である。これは巳むを得ざる女性の運命であると云ふやうな諦めが其の婦人の心の中に存在したことが、其の婦人が小姑からいぢめられた原因の最大なものであるのであらう。
『智慧の言葉』にも、「人間は先づ自分を侮つて他より侮られる」と云ふことが書かれてゐる。「弱きものよ、汝の名は人妻なり」と云ふやうな氣の毒な自己輕蔑自己侮辱が、他の圧迫を招び出すやうになつてゐるのだと云ふことも出來るのである。私はその時斯う答へて云つたものである――
「なにも貴女は妹からいぢめられる必要はないではありませんか。世の中には姑にいぢめられる嫁もあるが、姑をいぢめる嫁もある。それは必ずしもどちらを窘(いじ)めるかは決つてゐない。しかし弱い者は強い者に窘められるのであつて、その反封はあり得ないのです。
貴女が妹にいぢめられると云ふのは貴女が弱いからなんですよ。あなたの爲すべきことは貴女が強くなることなんです。鼠(ねずみ)は猫に窘(いじ)められる。それは鼠の方が猫より弱いからです。鼠が強くて猫が騒ぎ立てても平然としてゐるし、咬みついて來たら、逆に払ひのける力があるならば、猫は決して鼠をからかひには來ないでせう。他から虐められないためには先づ強くなることが必然です。」
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――そうしてこのご婦人には、夫婦が一緒にその妹のところから去って別居することを勧められたのですね。
愛娘 恵美子様の最初の結婚の場合は、戦時中のことでしたが、夫と性格が合わなくて、夫を尊敬し愛したいと努力しながら、どうしても愛することができなくて、悩み苦しみ、だんだん痩せ衰えて行く。それを、「私が悪いのです」 と自分を責めつづけている恵美子様の日記を見られて、谷口雅春先生は婿養子になっていた恵美子先生初婚相手の夫を離縁、離婚させられるわけですね。そうして――
≪私は雑誌に、離婚のことを発表したのである。(中略)
平和家庭の模範であると考へられてゐる私の家庭に養子の離縁を発表することは、自分で自分の顔に泥を塗るやうなことになるのである。けれども私は自分で自分の顔に泥を塗ることに決心したのである。私は私がどんなに攻撃されても誤解されても好い、娘の生涯に新しい希望と道とを開かねばならないと考へた。
今のやうに娘の良人がただ漠然と召集されて消息がないかのやうに、朦朧たるうちに隠されてゐたのでは娘は再び結婚の幸輻を味ふことは出來ない。ハッキリ別れたことは別れたと発表することによつて次の新生活の道がひらけるのである。私は決心して養子の離婚を発表したのであつた。≫
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
<つづく>
2786
:
復興G
:2013/09/17(火) 16:42:28 ID:AB6RqYXc
>>2785
のつづきです。
谷口雅春先生も、こうしてある意味でたいへんお悩みになったと考えられます。先生は
≪私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから憐むことによつて多くの人達の悩みを知る。≫
と書かれているわけです。
そうして――
≪一切衆生 悉有佛性 の眞理は、一切の男女を平等に 「佛」 として礼拝し、「佛」 として自由に幸幅を創造し享受することが出來る時代が來たのである。私の娘も、「佛」 のひとりとして、男性に劣らず初婚ならずとも幸福を創造し、享受する自由を得ることになつたのだ。併し、娘は尚、自分は再婚だから、二度目の結婚はどうせ、好い相手を選ぶ資格はないと信じてゐる……
「汝の運命は、汝の信ずる通りのところのものである」
この生長の家の教は眞實である。「私はどうせ好きな相手を選ぶ資格はない」 と云ふ娘の信念は、自分で自分の運命に堰をすることになつてゐる事を観た。
世間の多くの女性たちが、みづから最も良き相手を選ぶ資格がないと、自分で自分を限定して如何に不幸の運命に自分を幽閉してしまつたことが多いことであらう。
私は、私の娘の運命をきりひらくことは、ただ自分の娘の運命だけの問題ではないと思つた。私の娘と同じやうな境涯の幾十萬人の婦人の運命をひらいて見せるために神が私に斯のやうな課題を與へた。
「人間は再婚でも何でも、みづからを不幸にわざと押し込め鎖ざさない限りは、無限に新たなる幸福が待ちかねてゐるものである」 と云ふ眞理を實際に實現して見せることによつて、幾十萬人の再婚の婦人の運命を救ふことになつてゐるのである。
それは初婚の良人と生きて別れた女性だけの問題ではないのである。應召した良人に死別した女性の再婚の問題の解決は、今後の日本の女性にとつては由々しき問題を提供してゐるのである。
みづから好んで、一人の良人を守り通す健氣(けなげ)な婦人のことは別として、傅統に縛ばられ、習俗に阻まれて再婚する決心もつかず、再婚するにしても、「どうせ私は再婚だから幸幅な結婚は出來ない」 と自分の運命を迷信で縛つてゐる女性のために、再婚は決して神の掟に反(そむ)くものでないこと、
過去はないこと、人間は常に 「今」 新生するものであること、そして人間はいつでも永遠の処女であり、永遠の神性であるから、どんな時にも、最大の幸福生活を希望する自由と権利とを神から與へられてゐるものであること――
此の眞理を、ただ説くだけではなく、生活に實践しなければならない。それは私の娘の運命を救ふと同時にそれを模範として、幾十萬の若き日本の未亡人を救ふ事になるのであり、それこそが神が私に解決すべく課したる処の課題であると。
私はその時、一人の青年の姿を私の娘の良人として思ひ浮べた。そしてそれは成就した。彼の名は荒地清超と云ひ……≫
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
――ということになるわけですが、その間、次のようなご指導があります。これは、たいへん素晴らしい貴重なご指導だと思います。
<つづく>
2787
:
復興G
:2013/09/17(火) 16:43:05 ID:AB6RqYXc
>>2785
のつづきです。(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
≪娘が時々母親にすすめられたままに日曜の道場の集会に來るときには、私は、無時間、無空間の話をしたり、「今」「此処」の一点のみあつて過去もなく未來もない、随(したが)つて、過去の罪もなく、未來に流転する業因も存在しないと云ふやうな話をした。
神のつくり給ひしこの世界には一切の悪もなく罪もない、吾々はあるべきやうにあらしめられるべく、内部の神の催しによつて動かされてゐる。自分で「かう生きよう」と力むときは、そのままがくだけ、神の催しがくだける。來るもの、催して來るものは悉く有り難いものだけである。
旧(ふる)い道徳的の眼をもつて人を批判してはならない、眞に民主主義の宗教は、「人を斯くあれ」と縛る宗教ではない。各人の内から催して來るところの催しをいづれも神の催しであると拝んでそのまま受けるとき煩悩もそのまま菩提である。
悩みは「悩み」と云ふ實在があらはれてゐるのではなく神の實相があらはれようとする陣痛の如きものである。悩みを通じて實相が尚一層輝いて顯現する。
しかもその陣痛の如き悩みもお産のときの陣痛が、産婦の心持で無痛分娩となつたり、快樂となつたりするやうに、神性があらはれ向上するための魂の陣痛も、それは必至のものではなく、受ける心持の如何によつて苦痛が苦痛でなくなるのである。
苦痛は本來無いのであつて、それは如何にして人生の体験を受けるかの受け方の練習課題としてあたへられる。課題は過ぎ行くべきものであつて、いつまでも課題をつかんでゐるのでは進級が出來ないのである。
あらゆる体験は人生の教科として與へられたる課題である。離婚と云ふやうな人生上の悲劇も、その課題と真剣にとり組んでそれを解決するとき、そのやうな問題と取組まなかつた人々よりも其の人の魂は進化するのである。……≫
(谷口雅春先生著 『善と福との実現』 より)
<つづきます>
2788
:
復興G
:2013/09/17(火) 17:23:46 ID:AB6RqYXc
さて、
>>2782
で 山本富士子さまは、
>>私は 「今のおしえ」 問題について、雅春先生だったら、なんとお答えになるだろうか? と考える時に思い起こす本に、「善と福との実現」 の中で 恵美子先生の離婚問題が書かれてあるご文章のなかに、ある信徒がみ教えを実践すべきではないかといわれたことに対して
先生は信徒の誰がそこまで実践したものがあろうかと答えていました。
そして、もしかしたら雅春先生は、全面的に雅宣総裁についていきなさいというのかなとおもったりしてしまいます。
☆しかし私は幸せな気持ちで誓願券を記入することができないのです。
全然変わってしまった文章をまごころこめてかくことができないのです。
そして、それを書くことをことわることもできないのです。わずか数枚のわりあてを、上手に断ることができないのです。
実相完全円満のすばらしさ(講話)に感動する心とは別に、こんなささいなことにこだわる自分があるのです。<<
――と書かれていましたね。
誓願券については、この板の
>>2586
〜
>>2625
あたりでいろいろ論議してきました。私は、
>>2608
のように書いて提出しました。
ユタカさまが
>>2604
で言われているように、
「教化部から文句が来たら、返して下さい、それでは提出しません とハッキリ言おう」
を実行するつもりです。
でも、これにはかなりの決意と勇気が要ることです。
山本富士子さま。
どうぞ、強くなってください。
≪神のつくり給ひしこの世界には一切の悪もなく罪もない、吾々はあるべきやうにあらしめられるべく、内部の神の催しによつて動かされてゐる。自分で 「かう生きよう」 と力むときは、そのままがくだけ、神の催しがくだける。來るもの、催して來るものは悉く有り難いものだけである。
旧(ふる)い道徳的の眼をもつて人を批判してはならない、眞に民主主義の宗教は、「人を斯くあれ」 と縛る宗教ではない。各人の内から催して來るところの催しをいづれも神の催しであると拝んでそのまま受けるとき煩悩もそのまま菩提である。
悩みは 「悩み」 と云ふ實在があらはれてゐるのではなく神の實相があらはれようとする陣痛の如きものである。悩みを通じて實相が尚一層輝いて顯現する。≫
のですからね。
あなたはそのまま、神様の自己実現なのです!
よろこびましょう!
2789
:
トキ
:2013/09/17(火) 19:32:32 ID:p7wViwYo
谷口雅春先生のご文章を拝読し、ある戦前ご入信の先達の話を思い出しました。
この件があったとき、谷口雅春先生はかなり悲しまれたそうです。ところが、あるお弟子さん(K氏としておきます)
が、この件で、谷口雅春先生を批判されたのを聞き、当時、若輩ながらも谷口雅春先生の事を尊敬していたその先達
は唖然とされたそうです。その後、K氏は生長の家を辞めて、一派を立てられたので、その先達はそのことを思い出し
たそうです。
ただ、それまでは信徒が離婚をするのを憚れる雰囲気があったそうですが、その件があって以降、その事をとりたてて
問題にする風潮はなくなった、と聞いています。
どうも、話の腰を折るような話をして、申し訳ありません。
2790
:
トキ
:2013/09/17(火) 19:34:52 ID:p7wViwYo
それと、思い出したのですが、その先達と話している時に、
『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」
と話したら、
『悲願ではなくて、喜願ですよ」
と訂正をされた事がありました。復興G様のご文章を拝読し、思い出しました。失礼をしました。
2791
:
復興G
:2013/09/17(火) 20:43:16 ID:AB6RqYXc
お詫び・訂正です。
>>2784
・
>>2786
×私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから[憐む]ことによつて多くの人達の悩みを知る。
↓
○私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。みづから[悩む]ことによつて多くの人達の悩みを知る。
2792
:
復興G
:2013/09/17(火) 20:46:46 ID:AB6RqYXc
トキ様、ありがとうございます。
>> 『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」
と話したら、
『悲願ではなくて、喜願ですよ」
と訂正をされた事がありました。<<
――「悲願」 は、「慈悲の心から発する、衆生を救うための誓願」 ということで、本来 「悲しい」 とか 「悲壮な」 という意味ではなかったので、「尊師の悲願である人類光明化運動・・・」 でもいいんでしょうけどね。
2793
:
山本富士子
:2013/09/18(水) 03:08:13 ID:ugbc/P.M
合掌 ありがとうございます。
復興G様
《山本富士子よ! つよく、あれ!》ご指導の一言確かに
いただきました。
我は金剛不壊身なり!実相完全円満なり!としずかに称えながら
新生させていただきます。
百万運動とかいう、野望のてさきにだまされたのではなく
たしかに理想世界誌に盛られた雅春先生のご文章に感動した
若い日々だったのだと、悲しい気持ちも払拭できました。
ご指導ありがとうございました。 合掌
2794
:
a hope
:2013/09/18(水) 09:44:17 ID:dyDQLtZQ
>>2793
新生(神性)山本富士子さま
<<我は金剛不壊身なり!実相完全円満なり!としずかに称えながら
新生させていただきます。>>
お誕生おめでとうございます!
生長の家の教えは、世界最高の教えです。
その教えに忠実に生きればわたしたちは必ず光り輝くのだと思います。
「いのちを守り、人々の魂を救う運動」こそ「生長の家の運動」ではないのでしょうか?
すくなくとも、今現在の生長の家がする運動はわたしにはそれ以外は考えられません。
「教団」」がそれをしないのであれば、自分が足元からしていけばいいのだということに、
大熊先生の「いのちを守る」運動への意気込みを拝見していてやっと気づかせていただきました。
もちろんわたし自身も、大熊先生の「いのちを守る親の会」を支援させていただいています。
そして、たくさんの奇蹟をいただき、感動の毎日を送らせていただいています。
2795
:
a hope
:2013/09/18(水) 09:46:05 ID:dyDQLtZQ
>>2790
トキさま
>>2792
復興Gさま
トキさま:<< 『尊師の悲願である人類光明化運動・・・」と話したら、 『悲願ではなくて、喜願ですよ」と訂正をされた事がありました。復興G様のご文章を拝読し、思い出しました。失礼をしました。>>
復興Gさま:<<――「悲願」 は、「慈悲の心から発する、衆生を救うための誓願」 ということで、本来 「悲しい」 とか 「悲壮な」 という意味ではなかったので、「尊師の悲願である人類光明化運動・・・」 でもいいんでしょうけどね。>>
わたしは、このお二人のやり取りを拝見させていただいて、今まで自分の中で「もやもやしていたもの」がすっきりとしました。
「実相独在」を貫き通された榎本恵吾先生の御文章等を拝見していると、生長の家の運動は「よろこびの運動」ではなければいけないということはとても良くわかるのですが、
その運動の発進の動機も「よろこび一色」でなけれいけないような気がしていたのです。
ですが、今回、「悲願」という言葉の意味をあらためましてyahooの辞書で検索しみまますと、
―――――――――
語辞書の検索結果 - 大辞泉(JapanKnowledge)
1.
ひ‐がん【悲願】
1 ぜひとも成し遂げたいと思う悲壮な願い。「年来の―が実る」
2 仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。
――――――――
という、二つの意味があることがわかりました。
「生長の家」の光明化運動は、まさにこの″2″の意味、「菩薩(ぼさつ)が慈悲の心から人々を救おうとして立てた誓い。」が発進の動機であったのだと確信できました。
この菩薩の慈悲の心というのは、右翼・左翼も関係なく、日本人・中国人・韓国人・アメリカ人・・・関係なく、
胎児・老人関係なく、貧乏・金持ち関係なく、教団・本流関係なく、都会・自然関係なく、
すべての人類の魂を平等に救えなかったら本物とは言えないと思います。
谷口雅春先生は、まさにそのような大きな菩薩の慈悲の心で「人類光明化運動」を始められたのだと感じました。
感謝。合掌。
2796
:
復興G
:2013/09/18(水) 20:16:46 ID:AB6RqYXc
>>2793
:山本富士子様。
ありがとうございます!
私は今、明後日20日夜から始まる第17回web誌友会のテキストになるところを再読しているのですが、『生命の實相』 第4巻 150〜152頁に、次のようなご指導があります。
歌川さんという方の体験発表についてのご指導ですが、私はこの 「痛み」 についてのご指導は、人生のすべての悩み、苦しみについても当てはまるのではないかと思いました。
その部分を謹写させて頂きます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
歌川 (前略) わたし自身はまだ本当に健康になりきれないのです。先日も神経痛で激しく痛むものですから、『生命の實相』 の一部分を一所懸命に読んで、肉体は物質だから痛むはずがないという念を強く心に思うようにしましたが、痛みが依然として止まないので、諸方の洋裁の講習に出ますのにはさしつかえるものですから、とうとう医者にかかって治しました。
谷口――あなたはその痛さを病気だと肯定して、その痛さからのがれようとしていられるから痛みが去らないのです。あなたはその痛いということを病気だと思いますか。一局部が痛むということは全身の血液をその一局部へ集中する動員命令がくだっているということです。
胃痙攣(けいれん)などで激痛があったり、手足に激しい痛みを感ずる時には、おうおう脳貧血を起こすことがあるものですが、これは脳髄の血液にも動員令がくだって、故障のある一局部へ血液軍をし集中する結果、一時的脳貧血を起こすのです。
痛みは激しいほどよく、熱は高い方がよい。痛みも熱も病気ではない。かえって病気を治す生命力が強く働いている結果です。物質なる肉体そのものは痛んでいるのではない。肉体は物質であるから本来痛覚はないというのはそういう意味です。肉体が痛んでいるのではない、心が血液に動員令をくだしているのです。
痛むということは、われわれに対するなにか害物の襲来に防禦戦を展開している証拠で、その防禦軍の指揮官がわれわれの心なのですから、痛いときにこれは大変、大病だと思って心が萎縮すると、敵に恐怖して全防禦軍の指揮官が退却命令をくだしたのと同じである。溶菌細胞、抗毒細胞、自療修覆細胞などの兵卒どもが萎縮してしまって、敵の蹂躙にまかせてしまうことになる。そのために病気の経過が永びき、かえって痛みの期間が永びいて治らない。
これに反してこの痛みはけっこうなことである、痛みは病気になったのではない、病気を治しているのである。盛んに防禦戦を行なって敵を早く撃破してくれと思っていると、全身細胞の総帥たるわれわれの心が少しも恐怖しないので、全防禦細胞軍の士気がふるいたち、敵がすみやかに剿滅(そうめつ)されるから、血液の召集命令たる痛みもすみやかに解除されて、痛みが間もなく治るのです。
痛みを恐れて逃げようとすると、痛みはかえって永びく。痛みを喜び迎えるほどになると痛みはかえって早く去る。「恐るるものは皆きたる」というのが心の法則なんです。
あなたの××炎の痛みが永びいたのは痛みを逃げようと思ったからです。しかしその痛みの頂上が来たから医者にかかって治ったといわれるが、医者にかからなくとも痛みの頂上は防禦戦の頂上だから、その次には放置しても治るのです。
この肉体の痛みということは、一つの自分の身に近い実例であります、人生の痛み――人生では痛みといわず、悩み苦しみというのですが、この人生の悩みでも苦しみと思って逃げまどえば、いっそう苦しくなる。この苦しいのは治す働きである。いい換えれば、自分の神の子たる真性を鍛え顕わす働きであると思って敢然と受けることにすると、苦しみがそんなに苦しみでなくなんなく人生の苦しみをくぐり抜けることになるのです。
(以上、『生命の實相』 第4巻 150〜152頁より)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――肉体の痛みは病気ではなく、生命が血液に動員令をくだしているのである。
人生の悩み苦しみは、神の子の真性を鍛え顕わす働きである。
感謝して受け、逃げないことにいたしましょう。
2797
:
トキ
:2013/09/18(水) 20:23:00 ID:HPyZdUGM
復興G様
ご指導、ありがとうございました。また、a hope様の言われる通り、悲願は、慈悲の事ですね。納得しました。
2798
:
復興G
:2013/09/18(水) 20:26:59 ID:AB6RqYXc
>>2795
: a hope 様
>>この菩薩の慈悲の心というのは、右翼・左翼も関係なく、日本人・中国人・韓国人・アメリカ人・・・関係なく、胎児・老人関係なく、貧乏・金持ち関係なく、教団・本流関係なく、都会・自然関係なく、すべての人類の魂を平等に救えなかったら本物とは言えないと思います。
谷口雅春先生は、まさにそのような大きな菩薩の慈悲の心で「人類光明化運動」を始められたのだと感じました。<<
まさに、その通りですね。
その法燈を、信徒ひとりひとりが、しっかと継承しなければなりませんね。
2799
:
復興G
:2013/09/18(水) 22:12:07 ID:AB6RqYXc
>>2797
:トキ様
ありがとうございます。大変失礼しました。
話は戻りますが、谷口雅春先生が 『善と福との実現』 の中で、
≪私を、天上の御簾(みす)の奥にある寳座(ほうざ)に坐つて如意自在の法悦三昧にふけつてゐる神様だと思つてゐる人があるかも知れないが、私の實相は 「神性」 であり、萬徳圓満具足してゐる 「佛」 であるが、現象の私はなほ悩むのである。≫
と書かれていることに関連して、私は東山(とうやま)半之助先生がご著書 『ざっくばらん』 に書かれていることを思いだしました。「師は壇上に泣き給う」 というご文章です。
『ざっくばらん―この道三十年―』 のカバーそでに書かれている 「著者略歴」 には
<<著者略歴 明治24年香川県に生まれる。高等小学校卒業後新聞配達、貸本屋等を経て朝日新聞・時事新報の地方記者となり活躍。38歳にして郷土の新聞「四国民報」社長となり、在職16年。その間生長の家の信仰に救われ、終戦後本部講師・理事となる。昭和30年3月より1年間ハワイ駐在布教に従事。現在(昭和40年当時)生長の家本部講師・個人指導部長、また日本教文社取締役・四国新聞社相談役。>>
とあります。
<つづく>
2800
:
復興G
:2013/09/18(水) 22:12:48 ID:AB6RqYXc
<つづき>
さて、その 「師は壇上に泣き給う」 です。
* * * * * * *
師は壇上に泣き給う
明朗とほほ笑みと和顔をモットーとせられる先生が、一千名近い信徒と若き血燃ゆる青年大衆の前で、本当の衆人環視の壇上に立たれて、白いハンヵチで顔を蔽われつつ咽(むせ)び泣かれたことがある。そして聴講者大衆も先生の涙に誘われて嗚咽(おえつ)して泣き、中には声をあげて泣くものさえあったのは、まさに歴史的事態といわねばならぬ。
昭和二十五年五月三日。尾道市久保町の加藤慶一郎、豊子夫妻が半生の心血で築きあげた割烹旅館「藤半」の全域を挙げて生長の家に寄進した、尾道市生長の家道場で、全国青年大会が開催され、谷口総裁、輝子奥様、清超副総裁が西下御臨席で、全館満員の大盛況であった。
まず清超先生が青年を湧かせる名講演で大会が開かれ、輝子奥様はあの清麗なお姿に満場の視線を集めてお立ちになり
「私の父はすでに四十年前――私の十二歳の時に亡くなりました。私は十番目の末っ子で、ことに父に可愛がられましたが、その父の愛はいまだに私の心の中にはっきりと生きております。私は日本一の父だとその当時から今もなお固く信じております。
父は無口な性(たち)で子供たちには何にも話しませんが、母は子供たちに町内第一の父だと常々言いつづけておりましたのが、私の心の底にしみとおったのでございましょう。父はまた、母を生涯一人の女として深く愛しておりました。
いま私は娘恵美子にも、先生を日本一の父だ、夫だと教えております」
と冒頭されて、女性のため感激無上の御講演があり、やがて谷口先生が登壇せられた。沈痛なる語調で……
「今、私は家内から、日本一の夫であり、父であるとか何とか言われましたが……私はそのような資格あるものではないので……」
と絶句して嗚咽され、白いハンカチで涙をぬぐわれつつ、涙声で――
「ほんとう言えば、こうした壇上に立って多くの人々に向かって、教えを説く資格が自分にあるとみずから信じ得る人がはたして世にありましょうか……」
と嗚咽がつづく。
満場寂(せき)として静まり返った瞬間、たちまちあちらこちらから咽び泣きの声が、すすり上げる声が起こると思う間に、悲鳴に似た男の泣き声が私のすぐそばから起こった――大阪教区の重鎮 星丘重一(ほしおかしげかず)氏であると認めた瞬間、私もとうとう咽喉(のど)の奥から泣き声がほとばしってしまった。
満場惨然たる流涕(りゅうてい)嗚咽の声、悲しみにあらず、歎きにあらず、哭(こく)するにあらず、慟(どう)するにあらず。ただ如来大悲の前にみずからを顧みて 「心は蛇蜴(だかつ)の如くなり」 と自責悲泣した親鸞と同じき、谷口先生の謙虚無執の自己懺悔の大慟哭に、呼び醒まされた自己叱咤の涙であった。
「師は壇上に泣き給う」と語り伝えられて、全国の本部講師と地方講師は、粛然とその言動を慎しむに至った。
「寝床を他(ひと)に始末させるのは豚である。講師は豚であってはならぬ」と神誌にお書きになり、本部講師が巡講の旅先で夜具蒲団を始末する習慣が始まったのも、この頃からである。
(東山半之助著 『ざっくばらん―この道三十年―』 より)
* * * * * * *
――同書には、そのほか、戦前から谷口雅春先生のお側に仕えた東山氏の、今となっては本当に貴重な、先生に関するエピソードが満載されていますね。
2801
:
復興G
:2013/09/18(水) 22:18:27 ID:AB6RqYXc
訂正です。
「心は蛇蜴(だかつ)の如くなり」→ 「心は蛇蝎(だかつ)の如くなり」
2802
:
a hope
:2013/09/19(木) 09:34:25 ID:dyDQLtZQ
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第17回web誌友会予告
日時 9月20日(金)21時30分〜
9月21日(土)23時まで
テキスト 『生命の實相』第4巻
第5章から第8章まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
みなさま、ありがとうございます。
第17回web誌友会が明日の夜から開催されます。
今回は、準備祈願ではなくて開会時間の21時30分になりましたら、「開会の祈り」と「開会宣言」をさせていただきます。
復興Gさま、トキさま、ユタカさま、みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
2803
:
山本富士子
:2013/09/19(木) 09:51:31 ID:ugbc/P.M
a hope 様
いつも誌友会で、丁寧な誠実な対応と投稿に
感謝しながらよませて頂いています。
すてきなお誕生祝いメッセージありがとう
ございました。 合掌
2804
:
志恩
:2013/09/19(木) 13:48:57 ID:.QY5jUA6
2799で復興G様が、
東山半之助先生の著書「ざっくばらん」のお話をして下さいましたので、
私は、生高連のときから、東山先生のご講話を拝聴しておりましたから、
大変お懐かしく 東山先生の事、回想しております。
本部に奉職している間も、機会のあるごとに、お話させて頂いておりましたが、
当時、東山先生は、とても神々しい雰囲気の 品のいい初老の紳士でいらっしゃいました。
今は、雅春先生、清超先生方のおそばにいらして
後輩であるわれわれ全員を、きっと、霊界から見守って下さってるのでしょうね。
2805
:
志恩
:2013/09/19(木) 13:53:07 ID:.QY5jUA6
復興G様は、われわれ信徒達の「宝物」でもあると思っています。
いつも 深い真理を教えて下さいまして、ありがとうございます。
2806
:
復興G
:2013/09/19(木) 22:23:34 ID:AB6RqYXc
志恩様
勿体ないお言葉、ありがとうございます。
普通なら、「何、私なんか人間のくずですよ」 などと謙遜(?)するんでしょうが、生長の家では、自分を神の子として尊敬し、自己を礼拝せよと教えられていますから、「ハイ、私は人類の宝でございます。ありがとうございます」 と感謝礼拝させていただきます。
そして、そのようにおっしゃってくださる志恩様もまた、人類の宝であられます。どうぞ自己礼拝讃嘆してくださいませ。
ありがとうございます。
2807
:
復興G
:2013/09/19(木) 22:35:56 ID:AB6RqYXc
東山半之助先生は、『ざっくばらん』 を出版された昭和40年に74歳でいらっしゃいました。
74歳は、今なら 「初老」 と言ってもおかしくないですね。ずっと昔は、40歳で 「初老」 と言っていた時代もあったようですが。
『ざっくばらん』 の表紙カバーに載っているお写真も、まだまだ溌溂たる壮年の感じです。
2808
:
復興G
:2013/09/19(木) 23:01:53 ID:AB6RqYXc
遅くなりましたが、私は今日は夜まで出かけておりました。地域の合唱団にも入っているので、夜はその練習があったのです。私も、この年になっても元気はつらつ、若者に負けない声で歌えます。私の人生はまだまだこれからです。ありがとうございます。
人間はみな――いや、人間だけでなく有情非情悉くみな、時空を超えた大生命、「久遠の今」 なる 「如(にょ)」 から来生したもの、すなわち如来である。神である。
その如来の生命(いのち)を なりひびかせることが成仏、成道(じょうどう)である。それが人類光明化運動である。
これは、たとえ天地がひっくり返っても変わることのない大真理であると、私は信じています。
ありがとうございます。
おやすみなさい。
2810
:
トキ
:2013/09/20(金) 19:02:52 ID:v.8oHb4M
東山半之助先生の「ざっくばらん」は、感銘を受けた本の一冊でした。
この本が今回登場するのは、とても楽しみです。たとえば浄土真宗の堕落に憤慨した先生が、
信仰からはずれ、それが生長の家に触れる事で、また、浄土真宗の行をされる部分などは、
鮮明に覚えています。
今回もご指導を楽しみにしております。
2811
:
トキ
:2013/09/20(金) 19:04:00 ID:v.8oHb4M
>>2809
すみません、あまり投稿者様の身元が分かるようなご投稿は慎重にお願いいたします。
せっかくのご投稿に水をさして、ごめんなさい。
合掌 ありがとうございます
2813
:
志恩
:2013/09/20(金) 19:50:55 ID:.QY5jUA6
「ざっくばらん」は、昭和40年に刊行されてますから、実母の東山先生の
ご講話を拝聴したことがございまして、とても尊敬申し上げていた先生でしたので、
私は、当時、母と一緒に
拝読したに違いない本なのですが、手元になくて、覚えていません。
古本を探しましたが、売っていませんでした。
お話を、伺うのを、楽しみにしています。
それから、
本日のweb誌友会テキスト、
「生命の實相」の、 第4巻の第5章〜は、拝読しましたが、
今回のところは私は、差し障りがあり、発言してはいけない内容でした。
すみませんが、そういうわけで、今回は、見学にさせて頂きますので、
よろしくお願いします。
2814
:
志恩
:2013/09/20(金) 19:53:15 ID:.QY5jUA6
>>2813
:実母の→実母も
2815
:
トキ
:2013/09/20(金) 20:43:10 ID:v.8oHb4M
>>2813
そう言われずに、どんどん投稿をして下さい。期待しています。
2816
:
神の子さん
:2013/09/20(金) 21:02:31 ID:AB6RqYXc
トキ様、お世話になります。
よろしくお願い申し上げます。
皆さま、どなたでもご遠慮なくご参加下さい。
まもなく21:30から第17回web誌友会です。
テキストは 『生命の實相』 第4巻の第5章〜第8章で、これを機に私もその範囲を精読して深く学ばせて頂いています。
今回のテキストの範囲は、大部分にあたる第5章〜第7章は座談会の形になっていて 「生命磁気」 などにはあまり興味がなかったので、私は今まで 「精読」 はしていませんでした。
しかし、a hope さまが
>>2761
で
>>この第5章〜7章までは、雅春先生と談話者の会話形式で書かれていて、とても具体的にわかりやすく真理が説明されていると感じています。
特に、わたしは気功をしていたことがあるので、第5章の『「生命磁気」の流れ』のお話のところは興味津々です。
手と手を合わせる合掌にも、とても重要な意味があるのですね。<<
と書いてくださったことから、今回はみっちりと精読しました。すると、ここには羽仁(はに)もと子女史の 「友の会」 のことも書かれていますが、私の母がその 「友の会」 に入っていたようで、家の本棚に 「羽仁もと子著作集」 が約20冊ずらりと並んでいた事も思い出し、感慨深いものがありました。とても勉強になりました。
皆様とともに、さらに深めた勉強が出来ますことを楽しみにしています。
ありがとうございます。
2817
:
復興
:2013/09/20(金) 21:07:26 ID:AB6RqYXc
>>2816
は、復興Gです。
2818
:
a hope
:2013/09/20(金) 21:19:56 ID:dyDQLtZQ
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第17回web誌友会予告
日時 9月20日(金)21時30分〜
9月21日(土)23時まで
テキスト 『生命の實相』第4巻
第5章から第8章まで
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2819
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 21:27:47 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
ユタカいてます。 a hopeさまよろしく!
復興Gさま、よろしくお願いします。
2820
:
a hope
:2013/09/20(金) 21:30:55 ID:dyDQLtZQ
第17回WEB誌友会開会時刻となりましたので「開会の祈り」をさせていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、本日の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
今夜の生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
今夜の参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、
すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
2821
:
a hope
:2013/09/20(金) 21:33:31 ID:dyDQLtZQ
続きまして、聖経 真理の吟唱より 「神の光を受ける祈り」を謹写させていただきます。
「神の光を受ける祈り」
私の魂の内には永遠に消えない光が宿っているのである。
それは神から来たれる光である。
如何なる暗黒なる時にも、その光に照らされて進んで行けば、私たちは決して道に迷うことはないのである。
その光は愛の光である。智慧の光である。生命の光である。
愛が輝きだすときすべての憎しみは消えるのである。
智慧が輝きだすとき迷いが消えるのである。
生命(いのち)が輝きだすとき疲労は消え、老衰は消え、病気は消え、死が消えるのである。
神の愛の光が私の内に輝きだすとき「自」と「他」との障壁(しょうへき)が消える。
利益の奪い合いがなくなり、慍(いか)り憎しみは赦しと変じ、さらに相手を祝福することが可能となるのである。
私は常に心の窓をひらいて、神の愛の光を今受けるのである。
だから私の全存在には神の愛の光が照り渡っているのである。
神の智慧の光が私の内に輝き出すとき、人間が物質的存在だと見えなくなり、霊的存在だということが悟られて来、
物質的欲望が少なくなり、霊的愛他的な行ないに導かれて行き生活が浄(きよ)められるのである。
すでに神の生命(いのち)の光が、私の内に輝き出したのある。
わが全身は生命力にみちあふれ、老いなく、病なく、疲労なく、溌剌として人類の共通的歓喜のために尽くすことができるようになっているのである。
神の愛の光も、智慧の光も、生命の光も、無限であるから、それは輝かせば輝かすほど与えれば与えるほど、
光輝燦然(こうきさんぜん)としてその光と力とを増すのであるから、私は愛を人に与えることを吝(おし)まないのである。
智慧を与えることを吝まないのである。生命を与えることを吝まないのである。
人は神の子であり霊である。
霊であるということがわかると、自と他とが一体であり、彼と我とが一体であり、超焉(ちょうえん)として自他を超え、
彼我(ひが)を超え、私の愛憎を超えて、全体の栄のために尽くすようになるのである。
全体の栄のために自己を挺身(ていしん)するとき、一粒の麦が姿を没して大地に身を任すとき、
多くの新しき芽を分蘗(ぶんけつ)して、多くの実を結ぶことができると同様になるのである。
私はもはや、肉体的存在でないことをさとったのである。
私は「個」にして「全」、「全にして個」である。
個性を完全に発揮する悦びを味わいつつ、しかも全体の栄のために身を挺してそこに何等(なんら)の矛盾もないのである。
感謝 合掌。
2822
:
復興
:2013/09/20(金) 21:36:22 ID:AB6RqYXc
a hope 様、ありがとうございます!
ユタカさま、ご参加、うれしいです!
皆さま、どんどんご参加お願いします。
「神様の天降る誌友会」 となりますように。
2823
:
a hope
:2013/09/20(金) 21:47:27 ID:dyDQLtZQ
復興Gさま
今回もご指導をどうぞよろしくお願いいたします。
ユタカさま
来て下さってホッとしました。
今回も、どうぞよろしくお願いいたします。
志恩さま
さしつかえない程度でいいですから、参加くださるととてもうれしいです。
トキさま
いつも、ありがとうございます。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
2824
:
復興G
:2013/09/20(金) 21:48:52 ID:AENtSm/U
>>2822
:復興: は、復興Gです。
>>2808
再掲載
人間はみな――いや、人間だけでなく有情非情(うじょう ひじょう=生き物も、無機物も)悉くみな、時空を超えた大生命、「久遠の今」 なる 「如(にょ)」 から来生したもの、すなわち如来である。神である。
皆さまは如来にまします。神にまします。
その如来の生命(いのち)を なりひびかせることが成仏、成道(じょうどう)である。それが人類光明化運動である。
これは、たとえ天地がひっくり返っても変わることのない大真理であると、私は信じています。
皆さま、よろこびましょう!
ありがとうございます。
2825
:
復興G
:2013/09/20(金) 21:56:30 ID:AB6RqYXc
テキストのp.94、p.140などに、予知・予感・予言のことが出ていますが、「予知夢」 について、次のような興味ある記事が、2013.9.14 の日経新聞夕刊に載っていました。
同紙編集委員の嶋沢裕志氏が、作家の 椎名誠さんに聞く というインタビュー記事です。
* * * * * * *
「予知夢」 で母の死を知った
世界中を旅する一方、ほぼ月に1度のキャンプで仲間たちと焚(た)き火を囲んで怪気炎を上げるなど型破りな生き方がファンを魅了する。その椎名誠さん(69)が今、老いと死を問いかけている。
椎名さんには忘れられない衝撃的な体験がある。
「1997年1月、真夜中に母が死ぬ夢を見ました。いわゆる 『予知夢』 です。リアルな夢だったので、夜3時ごろ妻に 『母が死んだ』 と伝えました。『きっと実家から電話が来る』 と。
すると朝7時ごろ、母が倒れて今病院に運ばれたと実家の義姉から電話がありました。
『絶対に何かあった。すぐ実家に行こう』。
当時、都内の近所に住む弟に連絡すると、一番親孝行だった弟は、前日に元気な母の声を聞いたと言います。
その弟と車で実家に向かうと、自動車電話に母が病院で息を引き取ったと知らせが入った。午前9時でした。
6時間後を予知する夢を見たのです。兄弟で青くなりました。」
――学術的にも注目される 「予知夢」 の研究を進めている。
<<しいな・まこと 1944年東京生まれ。東京写真大(現東京工芸大)中退。流通業界誌編集長を経て、作家、エッセイストに。映画監督、写真家でもある。「さらば国分寺書店のオババ」で作家デビューし、「アド・バード」「哀愁の町に霧が降るのだ」「岳物語」など純文学、SF、エッセー、写真集など著書は多数。>>
* * * * * * *
皆さま、そのようなご体験がおありですか?
2826
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 22:00:49 ID:R1D4Jmeg
私はP、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。
という所から普通の人間が尊い生活を実現するのが生長の家の生活なのです。
谷口雅春先生が、本部もそれで良い、学ぶ会もそれでよい、ときみつる会も、新教蓮も、社会事業団もそれで良いとおっしゃって下さっているように、自分独自の解釈をいたして喜んでいました。
2827
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 22:02:21 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、横切ってごめんなさい!!
どうぞ続けてください!
2828
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 22:12:23 ID:R1D4Jmeg
正夢?かもしれませんが、
私が20歳のとき、従姉妹がはっきりとした顔の男の赤ちゃんを抱いている夢をみました。
4年後、初産で男の子を産んだというので、家族でお見舞い?に行きましてその赤ん坊の顔を見たとき忘れていた、夢に見たあの赤ちゃんを思い出して驚いたことがあります。
2829
:
a hope
:2013/09/20(金) 22:17:01 ID:dyDQLtZQ
すみません。
今回は、家がバタバタしていてなかなか落ち着いて参加できません・・・汗。
>>2825
復興Gさま
わたしは予知夢は見たことがありませんが、子どもが小さかったころ、川に流されてしまう夢とか、
車にはねられてしまう夢を見たことがあり、夢の中で、ワンワン泣いて起きてみると、
夢だったということが数回ありました。
そしてもちろんその後も、そのようなことは実現しませんでしたが・・・。
なんか、ホッとする反面、なんであんな夢見たんだろう?と、ちょっと嫌な気分になりました。
2830
:
復興G
:2013/09/20(金) 22:37:05 ID:AB6RqYXc
ユタカさま、a hopeさま
私もいろいろあってレスが遅くなり、すみません。
>>2826
:ユタカさま
>>私はP、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。
という所から普通の人間が尊い生活を実現するのが生長の家の生活なのです。
谷口雅春先生が、本部もそれで良い、学ぶ会もそれでよい、ときみつる会も、新教蓮も、社会事業団もそれで良いとおっしゃって下さっているように、自分独自の解釈をいたして喜んでいました。<<
なるほど。
>>2826
:ユタカさま
なるほど。
テキストのp.181〜p.181に
<<「生長の家」の生活は、形に捉われない、万人一様な型をきめるということがない自由自在な生活なのです。
一つの型をきめておいて、その型に自身の生活をはめ込まなければ苦痛を感ずるというような不自由な生活ではないのです。婦人は家庭のみを守らなければならないという旧い型もまちがいでありますし、家庭以外にぜひとも社会へ進出しなければ生き甲斐がないというのもまちがいでありましょう。
生命は生かさねばならない、今までの家庭婦人という旧い型は破らねばならないし、いわゆる社会婦人という新しい型の申へさえもはまっていってはならないのです。
型へはまった時、生命は必ず窒息しかけるから苦しむのです。生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。>>
とあるわけですね。
2831
:
トキ
:2013/09/20(金) 22:41:23 ID:v.8oHb4M
>>2825
今回もご指導のほど、お願い申し上げます。
身元が露見するのを防止するため詳細は言えませんが、予知というか、不思議な夢は結構見ました。
特に、信仰を始めた頃には、そういう経験がいくつかありました。それが、何年かすると、そういう
事があまりなくなったので、不思議な感じでいます。
と、言うか、子供の頃には不思議な夢を見て、大きくなってそれが現実になった事もあります。
実は、「たましいの共鳴」ーコロンバイン高校、附属池田小学校の遺族が紡ぐいのちの絆、という
本を読みました。この本は、コロンバイン高校(銃乱射事件で13名が死亡)と大阪の池田小学校
(小学校の児童8名が死亡)の遺族が交流した記録です。その遺族の一人、ドーン・アナさん、
ブルースベック夫妻はこの事件で死亡したローレン・タウンゼントさんのご両親です。お二人が、事件のあと、
お嬢様の部屋を整理していたら、日記が出て来て「人を目覚めさせるために、何かとてつもない事
が起きそうな気がする」と書いていました。「残念ながら、何か大きなことが起きなければ、人は
変わらないものだ。私はその一助となりたい。少なくても、そこに立ち会いたい」と書いていました。
また、遺書も出てきました。「死んでからのことは恐くないけど、死ぬ瞬間が恐い。苦痛かもしれ
ないから。でも、そのあとに約束されている永遠の命と比べれば、ほんの一瞬に過ぎない」
「この世の命の先にあることを切望して、わくわくする」
そして、この世の先の世界で会いたい人の名前をあげていました。キング牧師、キリスト、釈尊など
です。さらに、こういった人達にどういう質問をしたいかまで書いてありました。
遺書の最後は、次のように締めくくってありました。
「じゃあね。私がみんなに会う、というよりも、みんな、きっと私に会えるからね。」
と。
話がとんでしまいましたが、こんな話もあるのです。長い引用でごめんなさい。
2832
:
トキ
:2013/09/20(金) 22:46:16 ID:v.8oHb4M
× 話がとんでしまいましたが、こんな話もあるのです。長い引用でごめんなさい。
◎ 話がとんでしまいましたが、こんな話もあるのですね。本当に、長い引用でごめんなさい。
お詫びして、訂正いたします。すみませんでした。
2833
:
復興G
:2013/09/20(金) 22:48:31 ID:AB6RqYXc
予知がどうこうというようなことより、こちらの方が重大な課題であると思います。
>生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。<
というお教えの、「持ち場に応じて深く切に生きて」 ということを、それぞれ真剣に深めて行けば、
元は一つなのですから、やがて 「一つ」 に還ることになる、といいますか、現に実相においては一つである。
「一つ」 のものが多様性を発揮しているのだ、と観ることもできるかな と思いました。
2834
:
復興G
:2013/09/20(金) 22:51:42 ID:AB6RqYXc
トキ様、興味あるお話、ありがとうございました。
ちぐはぐになってしまって、申し訳ありません。
2835
:
復興G
:2013/09/20(金) 23:03:53 ID:AB6RqYXc
>>2829
:a hopeさま
私も、過去の苦しかったいやな思い出を、夢でくりかえし見ることがあります。
夢では、もしかしたら過去世のことが出てくることもあるのかも知れません。
「過去は、ない。現象は夢のようなもので、無い」 ということを自覚させてくれることもあるでしょう。
まあ、夢というのは複雑な、面白いと言えば面白いものですね。
2836
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 23:04:04 ID:R1D4Jmeg
また、話がそれますが、
奇跡のりんご の農家のおじさんが山の中で倒れて、UFOに乗せられて、そこで外国人を二人目撃して、その一人がどこかのテレビに出演してUFO体験談をしているのをみて、あの時一緒にUFOに乗った女性だ!と思ったと書いていました。
不思議な話でした。。。。
2837
:
ユタカ
:2013/09/20(金) 23:06:16 ID:R1D4Jmeg
恐れ入りますが、ユタカは明日は夕方以降にまたお邪魔いたします。
今日はこれで失礼いたします。 みなさま、ありがとうございました。
2838
:
a hope
:2013/09/20(金) 23:06:57 ID:dyDQLtZQ
>>2826
ユタカさま
P、182の2L〜
生命は自由創造のものであるから、その人の持ち場に応じて深く切に生きてゆけばよいのです。
この箇所はわたしも赤線が引いてありました!
実は、わたしは今朝、第7章(p172〜)を久しぶりに拝読しなおしたのですが、そこには、
今、少し悩んでいた事に対するぴったりの内容が書かれていて驚きました。
今回だけではなく、本当に「生命の實相」を開く度に、その時に求める答えが必ず書いてあるので不思議です。
実は、わたしは、私生活であるボランティアをしているのですが、今回また依頼が来まして、そのボランティアで受ける仕事がわたしにはちょっと難しくて負担に感じていたのです。
でも、自分は「人助けをしなけらばいけない」という義務感や、「社会的によわい立場の人をを救ってあげるのがわたしの使命なんだ」というような、自分があたかも相手よりも強くて高い立場に立っているような気持ちがわたしにあったので、悩んでいたのです。
それが、今朝拝読したところに、どんぴしゃりと、そのわたしのいやらしい心を見透かされてような雅春先生のお言葉がありました。
『谷口 ―― この「救う救う」といいますけれども「救ってやる」という心では本当は人を救うことはできないのです。
「救ってやる」という心の中には自分は彼より偉いところにいる、高いところにいるという慢心がある。
そして相手に対しては「お前はわたしに救ってもらわなければ生きられない憐れな奴だ」という軽蔑がある。
この自己慢心と相手軽蔑とがある以上は本当は相手を救うことができないのです。
本当は相手を救うということは、相手を軽蔑して何かを与えるということであってはならないのです。
相手の神性をみる、相手を尊敬して相手の内に隠れている神性を拝み出し、本当の強い立派な相手を内から目覚めさせてあげるのが本当の救いなのです。・・・』
この御文章を拝読して、本当に驚きました。
そして、そのことに気づかせていただけたことに心から感謝しました。
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