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Web誌友会 板/2

2639きのゆり:2013/08/19(月) 11:21:00 ID:.QY5jUA6
2638:ユタカさん

ポイントついた いい質問を、書いて下さってありがとうございます。
こんなふうに、突然質問されたら、私なんか、すぐには答えが出てきません。

もう一度「生命の實相」のここのところを、読み直さなければ、と思いますから、
ありがたいです。

web誌友会参考文献板に、毎朝、1つ、復興G様が、謹写してくださいます
ご文章も、毎日、たのしみに拝読させていただいております。ありがとうございます。

2640ユタカ:2013/08/19(月) 12:08:44 ID:R1D4Jmeg
きのゆりさん、ありがとうございます。

きのゆりさんも問題を作ってみてください。 ユタカも解いてみたいので・・・

ありがとうございます。

2641きのゆり:2013/08/19(月) 14:34:57 ID:.QY5jUA6
ユタカさん
お返事を、
ここへ書き込んだつもりでしたが、本流対策室に書き込みました。

2642a hope:2013/08/19(月) 16:13:28 ID:Hev0anJY
>>2638ユタカさま

素晴らしアイデアですね!
わたしは講師試験というのがどんなものなのか知りませんが、
講師試験の問題ってこんな風に出題されるのでしょうか?

ただ、聖典を拝読するだけではなくて、このような質問に自分の言葉で答えてみると、
より教えが良く身に付くのではないかと思います。

また、きのゆりさま(志恩さまですよね?)が戻られてとてもうれしいです。
やはり、この掲示板には志恩さまがいてくださらないと寂しいです。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、わたしもユタカさまの質問の答えを考えながら、今回のweb誌友会範囲の復習をしてみます。

感謝 合掌。

2644ユタカ:2013/08/19(月) 19:15:38 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
褒めてくれて有難うございます。 講師試験はユタカのときは、国際平和運動とはどういう運動ですか?3つの中から選びなさい。
1.戦争によって世界平和を作る、2・・
あと、ちょっと忘れたけど・・・ため息がでるほど。。ばかばかしい問題だったような覚えがあります。。。

余白にいたずら書きして提出したのに合格しちゃった。。そして合格してから通信教育されるんだけど、その後の問題がもっとバカっぽい内容だった。。。
年間何人受験とかノルマがあったのか知らないけど、受けてって頼まれて受けたよ。

a hopeさまも問題出してね。

2645神の子さん:2013/08/19(月) 22:40:38 ID:???
ああ、そんな試験だったらここに出入りしているSAKURAさんでも
受かるかもね〜(爆笑)

2646きのゆり:2013/08/20(火) 02:15:03 ID:.QY5jUA6
a hopeさん

a hopeさんは、お若くいらっしゃいますのに、よく勉強されてますね。
ユタカさんの問い1に出てくるマグダレーダは、娼婦でしたけれど、
同義語では、売春婦、遊女ですが、

イエスキリストの時代は、貧しい時代でしたから、貧困のために、性的サービスを提供することに
より、金銭を得ていた女性が多かったんだろうな、と答えとは、別のことを考えていました。

娼婦は、最古の女性の職業だったそうですが、男性の最古の職業は、庭師だそうですよ。
思えば、マグダリーダは、自分のやっていることに強い罪悪感を持っていたから、激しく懺悔して、
改心して、救われたのでしょうね。

それにひきかえ、
どんな悪行を続けていても、本人に、全く罪悪感のない人間は、救われようも、救いようもないように
思われます。

2647a hope:2013/08/20(火) 08:24:27 ID:edEDolt2
>>2644 ユタカさま

ユタカさまは、講師資格をお持ちなのですね!
生長の家の講師試験は、すべて三択問題なのですか?

それにしても、ユタカさまがばかばかしい問題と思われる内容なのですね。
それはとてもショックですね。

宇治の盂蘭盆供養大祭も、今年も参加者が激減したようですし、早く「本来の生長の家の教え」に戻さないと、
教団は本当に破産してしまいますね。


>>2646 きのゆりさま

<<マグダリーダは、自分のやっていることに強い罪悪感を持っていたから、激しく懺悔して、
改心して、救われたのでしょうね。>>

↑わたしもそう思います。

「生長の家の教え」は「本来、罪なし」ですが、心に罪悪感を持つからこそ、
その「罪なし」の真理が本当に理解できるのではないかとわたしは思っています。

罪の意識を感じなければ「赦される」ということもないような気がします。

ただ、実相世界においては、わたしたちは「救われずみ」というのも事実なのですよね・・・。

「小懺悔」というのが、自分の心の罪悪感を表出させて懺悔することで、
「大懺悔」というのが、「罪なし」の真理(神の子の自覚)を悟ることなのだとわたしは理解しています。

その大真理を悟る(「大懺悔」する)ために、わたしたちは「生命の實相」をお勉強したり神想観をするのだと思います。

間違っていたら、ご指導をお願いいたします。

2648きのゆり:2013/08/20(火) 09:04:06 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

a hopeさまのおっしゃった「小懺悔」「大懺悔」の通りだと、私も思っています。
それから、私は、指導する立場の人間ではないです。よろしくお願いします。

2649復興G:2013/08/20(火) 10:10:57 ID:AB6RqYXc

>>2638 :ユタカさん

よい試験問題、公案を出して下さってありがとう。

私も、よい勉強になります。

>>問8 P19〜
皆さんは生命の實相を知った神癒医師(メタ・フィジッシャン)ですが、神癒医師の務めとは何かを書いて下さい。<<

その回答となるテキストのご文章に蛍光ペンで傍線を引きました。その部分を謹写させて頂きます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   肉体人間は「生命」の造った自働人形

 われわれは今まであまりに五官の働きに信頼をおきすぎて、生命の実相をみることを拒んでいたのであります。物質を見て霊を見ず、影を見て生命を見ず、肉を見て本当の人間を見なかった。(中略)

 けれども眼に見えない不思議な力が内から働くとき、脳髄細胞でも心臓の細胞でも肺臓の細胞でも、その内から働く無形の力が造り上げるのであります。この無形の内から働く力は、どの物質分子をどういうふうに有機的に化合させて、どういうふうに配列したら脳髄細胞に造りあげることができるかということを知っており、それをちゃんと脳髄細胞に作りあげて、物を考える物質(脳髄)というものを作りあげたのであります。この「無形の内から働く力」こそわれわれの「生命」であり、われわれの本当の心なのであります。(中略)

 この内から働く無形の力こそ「本当の自分」(生命)なのであります。この「生命」は肉体を超越して存在し、われわれの肉体がこの世にあらわれるまでにすでに存在していて、肉体を設計し創作したところの霊妙不可思議なる存在でありまして、この霊妙不可思議な生命力こそ「本当の自分」であって、われわれが今まで「われわれ自身」だと思っていたところのこの肉体は、この霊妙不可思議なる「本当の自分」の設計になる自働人形(ロボット)にすぎないのであります――言い換えますと、「本当の自分」が想念を起こした――その想念の反影がわれわれの肉体なのであります。(中略)

 だから、脳髄という肉体人間(ロボット)の頭で、どうしたらこの肉体は治るだろうかと思い煩うにはおよばないのであります。それは人造人間(ロボット)の頭で人造人間(ロボット)をいかに修繕しようかと思いわずらう必要がないようなものであります。人造人間(ロボット)に故障が起こったら人造人間(ロボット)を製作した技師が一等その修繕がうまいのでありますから、この技師に修繕のことを委ねるがよいのであります。

 この技師がわれわれ自身の「生命」でありまして、これが「本当の自分」である。「人間考え」「人間知恵」というものは人造人間の機構から発する作用で、いくぶんは「本当の自分」の考えを反映してはいますが実に不完全なものであります。医学的知識というものは要するに脳髄をこしらえたわれわれの「本当の生命」すなわち「本当の自分」から出る神知ではないのでありまして、拵えられた人造人間(ロボット)の脳髄から出る不完全な知識でありますから、内部から働く生命の自然療能の神秘的知恵に及ばないこと万々なのであります。

 肉体人間(ロボット)は人間の模型ではありますが、「真の人間」ではないのであります。われわれは「真の人間」を視つめなければならない。この「真の人間」を見いだし、その「真の人間」の実相を視つめますとき、それが「神の子」であり、いな「神」そのものの流れであって、その中に無限の供給がある、無限の生命の供給もあれば、無限の知恵の供給もある、無限の愛の供給もある――なくてはならぬいっさいのものの供給がそのうちにあるということが解るのであります。

 これを患者に解らせてあげるのは神癒医者(メタフィジッシャン)のつとめなのであります。すなわち神癒医者(メタフィジッシャン)というものは、人間を人造人間(ロボット)の境地から真の人間の境地にまで、高く上げる聖業を営むものでありまして、人造人間の故障の要所を外から繕(つくろ)う役目をするのではないのであります。(中略)

 みなさんが病人に対せられる時には真理を話して人間を治すことに主眼をおかれたいのです。(以上)

2650復興G:2013/08/20(火) 11:12:19 ID:AB6RqYXc

さて、>>2638:ユタカさん出題の
>>第2章
問1 P、24〜
倶てい和尚から指を切られた小僧の話を読んで、生長の家教団の状態を見ると「甘露の法雨」「生命の實相」を失った現状をどのように考えられるか?<<

――まず、その「倶胝竪指(ぐていじゅし)」とは、ということについて、テキスト 『生命の實相』 第4巻p.24 第2章冒頭のご文章を謹写いたします。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

   『無門関』第三の公案に「倶胝竪指(ぐていじゅし)」という条がある。金華山の住持倶胝和尚はいかなる参門者があって何事を問おうとも、ただ一本の指を竪(た)てて示すのであった。その指を見ても悟るものもあれば悟らずして去るものもあったであろう。形を見るだけで真生命を見ない者は悟ることはできないのである。

   小僧某、一日外にありて人に問われて答うるに倶胝和尚をまねて一本の指を立てて示した。

   小僧某はこのとき倶胝和尚の形をまねたにすぎないのであって、なにゆえ倶胝和尚が指を立てるかその真生命には触れていないのであった。

   和尚これを聞いて小僧の立てた指を切り去った。小僧は痛いので悲鳴をあげて逃げようとする。この時倶胝すかさず小僧の名を呼んだ。小僧は和尚がなにをいうのかと思って振り向くと倶胝は例によって指を立てて示した。それを見た瞬間その小僧は大悟(さと)った。

   なにを小僧は悟ったか――それを知るものはその人もまた大悟(さと)ることができるであろう。

   小僧は自分に立てるべき指のある間は形にとらわれて真生命を見なかった。が、今自分が指を切り去られたとき立てるべき指がない。しかも師の和尚はかくのごとく立てよと指を示しているのである。無い指をどうして立てるか ここに禅の真生命がある、立てるべき指は形の指ではなかったのである。

   指があって立つような指なら指が無くなったときには立たなくなるであろう。本当に立つ指は指が無くなっても、なにがなくなっても立つ指でなければならぬ。和尚が示したのはなにが無くとも束縛されない自由自在の「生命の指」であったのだ。

   これが無いと困るとか、あれが無いと困るとかいう者は「生命」の実相を知らない者なのだ。なにが無くとも少しも困らないのが、われらの「生命」の実相であるのだ。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

――さあ、ユタカさんがおっしゃるように、今

>>生長の家教団の状態を見ると 「甘露の法雨」 「生命の實相」 を失った現状<<

は、「小僧が倶胝和尚に指を切られたような状態」 と見ることができるでしょう。

 それは、教団にとってそうであると同時に、教団を離れている信徒にとっても、頼るべき総裁・教団が頼れなくなっているということは、「小僧が倶胝和尚に指を切られたような状態」 と言えるのではないでしょうか。

<<   小僧は自分に立てるべき指のある間は形にとらわれて真生命を見なかった。が、今自分が指を切り去られたとき立てるべき指がない。しかも師の和尚はかくのごとく立てよと指を示しているのである。無い指をどうして立てるか ここに禅の真生命がある、立てるべき指は形の指ではなかったのである。

   指があって立つような指なら指が無くなったときには立たなくなるであろう。本当に立つ指は指が無くなっても、なにがなくなっても立つ指でなければならぬ。和尚が示したのはなにが無くとも束縛されない自由自在の 「生命の指」 であったのだ。

   これが無いと困るとか、あれが無いと困るとかいう者は 「生命」 の実相を知らない者なのだ。なにが無くとも少しも困らないのが、われらの 「生命」 の実相であるのだ。>>

 ――今こそ、信徒みんながこの 「生命」 の実相をつかんで立たなくてはならない時であると思います。

<< 「光明化運動」 は単なる、實相をこの世に写し出す、影を生み出す運動ではないのである。光明すなわち實在それ自体の自己展開、価値創造として存在するのである。

 實在であることは、神であることであり、それ自体で不滅の久遠の自己展開そのものであるということであり、 「光明化運動」 は久遠不滅の自己展開それ自体である “生きもの” であるということなのである。

 斯くの如き、生長、創造それ自体であるものを光明というのである。 「光明化運動」 がみずから 「光明化運動」 を実現するのである。自分というものはどこにも要らないのである。>>

 ――と記されている榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 は、現在の公案にたいする素晴らしいヒントを与えてくれていると思います。

2651きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 11:57:32 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

以前、初心者様が、総裁を代弁されるような語り口で、「宗教」「神想観」についてを
語っておられる書き込みがございますので、再掲させて頂きます。

初心者様は、「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、
神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗
の結果が宗教であり、神想観なのですよ。」と、言われました。

このお言葉と、その後の総裁のなさることは、連動しているなあと、最近、私は思っております。
^^^^^^^^^^^^^^^^^
トーキングスティックボード

699 :初心者:2011/11/09(水) 08:52:28 ID:hogyfr1M
(前略)

志恩様

わたくしは、自分が雅春先生より上だとはいちども発言したことがありません。
わたくしは、人を救うことはできません。救おうとも考えておりません。真理と
救済を切り離す。それがわたくしのやり方です。真理と救済とを結びつけている
かぎり、これはうまくいかない。そのように結論したからであります。

さらに志恩様は、わたくしが天皇を否定しているだとか、『古事記』が嫌いだとか
といっておられますが、そのような発言をしたことは、いちどもありません。わたくし
がいっていないことを、志恩様は勝手に決めつけられて、それを根拠にわたくしを
非難しておられるようにも感じられるのでありますが、今回の雅春先生よりも自分の
ほうが上だとわたくしが考えているという言及もふくめて、再考していただきますこと
を要望いたします。

それと、わたくしの「悟り」について言語化せよといっておられますが、それをひと言で
いえば、神へとつづく無限次元の空間が見えたということであります。しかしその
ことはそれほど重要なことではなく、それによって生じた特別な感覚があり、それが
永続的に持続しているということのほうが、よほどわたくしにとりましては重要なこと
であります。この感覚をお持ちの方ならおわかりでしょう。これがあれば、ほかはなに
もいらない。これはそんな感覚でもありますよね。

それと、神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、
神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗
の結果が宗教であり、神想観なのですよ。

右脳意識状態というのがおわかりですか?完全ともいえる宇宙との一体感。これが
右脳意識であります。必要とあらば、神との一体感と置き換えることも可能でありま
しょう。この一体感は、圧倒的な感情として体験されます。これが人類のほんらい
あるべき姿ではないでしょうか。ことさらに神想観という方法によらずとも、宇宙との
一体感が当たり前のごとく感じられる。これがほんらいのあるべき姿なのではない
ですか。それができなくなったために、人類は、神や宇宙との一体感を得るために、
瞑想や神想観という方法にたよらざるを得なくなったのではないですか。
ちがいますか。

あるがままの宇宙との一体感。それがあれば、宗教も神想観も、人類は必要とする
ことがなかったでありましょう。左脳意識の発達により、あるがままの宇宙との
一体感が崩壊し、それをおぎなう手段として、宗教や神想観という手段が編み出さ
れたのではありませんか。もしそうであれば、宗教も、そして神想観も、人類の
失敗をおぎなう手段であるということになるような気がいたします。

                           つづく

2652きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 11:59:55 ID:.QY5jUA6
つづき

トーキングスティックボード

701 :初心者:2011/11/09(水) 09:00:03 ID:hogyfr1M

それと、以前、復興Gさまも、ラカンの思想は百年もたてばあぶくのごとく消え去る
といわれました。

そして今回、志恩様も、わたくしの例えは、数十年もすれば
使いものにならなくなるといわれました。

まずラカンについては、人類が言葉を
もちいるかぎり、その思想が消え去ることはありません。ラカンの思想とは、
言葉についての思想であり、この問題は、千年以上も前から語られておりますが、
いまだ人類は、その解決の糸口さえ見いだせてはおりません。

しかも雅春先生は、この問題にかんして、おそらくひと言も言及しておられません。
わたくしが、雅春先生の教えに疑問をもつとすれば、生長の家が、言葉によって
真理を宣布しようとする団体でありながら、言葉の問題についてひと言も言及して
おられないということであります。うまく避けられた。そのような印象さえあります。

「スパイ」という言葉がなければスパイを見ることはできません。これと同様に、
「実相」という言葉がなければ、実相を観ることも、観じることもできないので
あります。言葉と、その言葉が指し示す対象は同時に生起します。実相が
まずあって、それに「実相」という言葉がつけられたのではありません。「実相」という
言葉と、この言葉が指し示めした実相は、同時に生起したのであります。少なくとも
わたくしは、このように考えるのであります。

これにより、実相とは、言葉の効果ではないのか、との疑問が出てまいります。
この疑問に、雅春先生は、答えておられない。ただのいちどとして向き合っても
おられないのです。いまだ解決されていない重大な問題を、雅春先生は避けて
とおられた。わたくしはこのように考えているのであります。

ラカンの思想があぶくのごとく消え去ることはありません。たとえ消えたと見えても、
ちがう形で生き残ります。なぜなら、ラカンの思想とは、人類が、そして雅春先生で
さえも解決しえなかった、言語それじたいの問題への言及だからであります。
ラカンは、誠実にその問題と向き合ったのです。。雅春先生は、なぜかしら向き
合われなかった。誠実に向き合ったラカンの思想があぶくのごとく消え去り、なぜか
しら向き合われなかった雅春先生の思想が永遠に輝きを放ちつづけると考える
のは、はたして正しいことなのでありましょうか。わたくしは、雅春先生が、言語の問題
に向き合われなかったことに、重大な疑惑を抱いております。

それとわたくしの例えが数十年先には消え去ると、志恩様はいっておられますが、
これはどのような根拠にもとづく推論なのでありましょう。ひも理論があと数十年で
解消される。そういう意味なのでありましょうか。数学的な記述としては、おそらく
ひも理論は、完全なものなのでありましょう。数学的に完全ともいえるひも理論が、
数十年で解消され、消え去るということが考えられるのでありましょうか。

それは絶対にないとはいえませんが、ひも理論に代わる理論としては、たとえば
ロジャー・ペンローズのツイスターと呼ばれる理論があるということを、わたくしは
存じております。こうした理論が、ひも理論に打ち勝つとすれば、それこそが、
役行者様のいっておられる弁証法的発展ということになるのでありましょう。

科学はこのようにして発展をつづけます。弁証法的発展を拒絶し、変われない
宗教と、弁証法を受け入れて変われる科学。いったいどちらが優れているので
ありましょう。数十年で変わるからといって高をくくっていると、いずれ宗教は、
さらに手痛い挫折を味あわされることになるのではありませんか。

それと志恩様は、「真理」という言葉を使って、それが完全無欠であるということを
述べておられますが、まずひとつは、「真理」という言葉をどういう意味で使って
おられるのか、それを問うてみたいとおもいます。

それと、「真理」にしても、「完全無欠」にしても、これは言葉であります。

このような言葉を易々と使われておられる
ことから、わたくしは、ラカンが直面した言語の問題に、志恩様が誠実に向き合われているとは、
とてもおもうことができないのであります。

いまいちど、言語について
深く考えていただきますことを希望いたします。

2653きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 12:43:00 ID:.QY5jUA6
「森のオフイス」は、宗教色を無くして、神想観行事も無くして...います。
他の宇治大祭の行事などは、生長の家総裁として、されてますけれどね。
そうしければ、生長の家の看板が使えないからじゃないでしょうか。

2654神の子さん:2013/08/20(火) 13:54:35 ID:AB6RqYXc

>>2651 :きのゆり(志恩)様

 ありがとうございます。

 「初心者」 さんがラカンの説を金科玉条のように宣べておられたようですが、それは生長の家ではなく、宗教でもない。「初心者」 さんがラカンを信奉されるのは勝手だけれども、それなら言語学者として学会でそれを述べられたらよろしい。

 おそらく誰も相手にしてくれないでしょうが……。

 私も、そんなもの、相手にしません。

 ただ、初心者さんが
 「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。失敗の結果が宗教であり、神想観なのですよ。」

 と言われているのは、
 「人類は神想観の修行をしなければ救われない、というのは迷妄であって、生長の家はそんな教えではない」 ということなら、そうだと思います。

 谷口雅春先生は神想観をすすめられたけれども、神想観をなさなければならない(神想観しなければ救われない)とはおっしゃっていない。人間は皆、既に救われ済みである、そのままで神のいのち、神そのものである、ただそのままのいのちをよろこべばよい! とお教え下さっています。それをよろこぶのが神想観であると。そのことを、またあらためて口をすっぱくして言い続けて来られたのが榎本先生です。

 「救済」 とは、その、既に救われ済みの自分に気がついて、無条件に喜べる生活に入ることだと思います。

 宗教がそういう 「救済」 をもたらさなかったら、存在の意味はありません。

 もし、生長の家からそういう 「救済」 が消えたら、信徒はどんどん離れて、教団を維持することはできなくなるでしょう。現に、今の教団はそうなりつつあります。それは今後ますます加速し、衰滅に向かうでしょう。

 初心者さんが、教団、総裁と関係があるかどうかは知りません。しかし、もし初心者さんの言われるような方向、つまり、

 「わたくしは、人を救うことはできません。救おうとも考えておりません。真理と救済を切り離す。それがわたくしのやり方です。」

 という道へ教団が導かれるなら、「与える者が与え返される」 というのが宇宙の法則、繁栄の法則ですから、信徒に何も与えなくなった教団は、自滅するしかないでしょう。

 いくら机上の空論をふりまわしても、現に、教団はそうなりつつあるのですから、そのことに早く気がついてほしいです。

2655神の子さん:2013/08/20(火) 13:56:26 ID:AB6RqYXc

>>2654 は復興Gです。
なぜ「神の子さん」になったんだろう?

2656復興G:2013/08/20(火) 13:58:43 ID:AB6RqYXc

何かが、リセットされてしまったみたいです。

2657きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 15:44:02 ID:.QY5jUA6
復興G様

ご返信、ありがとうございます。

以下の文は、ポステイングジョイに載っていたものですが...、

>>ージョイー
ケーちゃんさん2011/08/04 08:07

榎本一子先生が、主人は、神想観が大好きで、暇さえあれば、幽斎殿で神想観をしてましたと話しておられます。
私も、幽斎殿に行けば、榎本先生が一緒に座っていらっしゃると思ってしまいます。<<

このように、神想観が大好きな榎本先生が、雅春先生と同じく、「人類は神想観の修行をしなければ救われない、
というのは迷妄であって、生長の家はそんな教えではない」 と、おっしゃったのは、

例えば、われわれが、生長の家人意外の人たちと旅行へ行った場合、その旅行期間中は、神想観が出来ない場合がありますよね。
そういう場合は、臨機応変に考えて、しなくても大丈夫ですよ。

しなければならない という 心の縛りを解いて下さっているお言葉なのだと、私は、思っておりました。

つまり、「神想観をなさなければならない(神想観しなければ救われない)とはおっしゃっていない。
 既に救われずみなのだから」という意味のことです。

それに対しまして、初心者さんが、あのとき、おっしゃった。

 「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、
 人類の失敗であると考えます。失敗の結果が宗教であり、神想観なのですよ。」

につきましては、榎本先生が、おっしゃったこととは、ニュアンスが異なると、私は思いました。
あの頃、初心者さまは、神想観については、否定的な発言をされてましたし。

宗教と神想観を、肯定しているけれど、それに、こころを縛られないように、、ということと
宗教と神想観を、やることになったことは、人類にとって失敗だったことと、

この2つの意味は、全然、意味が違うのではないでしょうか。

2658きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 15:53:26 ID:.QY5jUA6
別のジョイに、いい文章が載っていましたので、こちらも転載させて頂きます。

登録日:2012/07/07 15:12 登録者:ずんちゃんさん

宇治から届いていた『宝蔵』(宇治体験集)を、今朝読みました。
そして、同封されている「ネットワーク宝蔵」も。
すごいのすごいの
榎本一子先生のご文章が今朝は私の魂にしみこみました。
「宝蔵会員で良かった〜」
と、感動しきり。


「若い頃、生長の家の熱心な信徒だった父に(後に本部講師、(藤原敏之先生のこと))、
「生活の中で悦びが感じられないんだけどいつも喜んでいられるようになるにはどうしたらいいでしょう」と訊いたことがありました。

 父は「悦びというのも感情だからそれも現象。

 喜べても喜べなくてもどちらもナイのだからどうして味わえないのだろうかと引っかからなくてもいいね。
 常に喜んでいる自分があることさえわかっていればいいね」とこともなげに言いました。

 “生長の家の信徒たるものいつも喜んでいなくてはならない”と心まで縛っていた縛りが解けた想いがして楽になったことがありました。

「私は神の子、悦びそのものである!感謝そのものである!調和そのものである!幸福そのものである!」
 現象の心に悦びが満ちていなくても、毎日少しずつでも心に唱えて実践していっているうちに、
 本来の悦びが、感謝が心に満ちてきたことがありました。」(ネットワーク宝蔵第219号より抜粋)

喜べなくても、常に喜んでいる自分があることさえわかっていればいい。
榎本恵吾先生の、「実相が観れなくても、実相があることを喜んだらいい。」というお言葉を思い出しました。

2659きのゆり(志恩):2013/08/20(火) 16:09:38 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

名前欄に、お名前を、書き込むのを忘れた場合、自然と「神の子さん」と表示されると、
以前、トキ様がおっしゃってましたよ。それじゃないでしょうか。または、自然とリセット
することも、あるのでしょうか。私は、そういうことは、わからないのです。すみません。

2660復興G:2013/08/20(火) 16:43:06 ID:AB6RqYXc

きのゆり(志恩)様

 もちろん、初心者さんが

 「神想観でありますが、わたくしは、人類が宗教を必要としたことも含めて、神想観をなさなければならなくなった事態も、人類の失敗であると考えます。」

 といわれるのは、神想観とは何か(なさなければならないというようなものではないこと)が全くわかっておられない、誤解、思い込みの迷妄ですね。私はそう思いますよ。

 榎本先生が 「神想観大好き」 だったのは、「しなければならない」 ものではなく 「せずにはおれない」 ものだったということでしょう。

2662ユタカ:2013/08/20(火) 23:36:34 ID:R1D4Jmeg
最近の講習会で神想観をしているかは分かりません。

近隣教区の講習会にわざわざ行っても。午前中までにお弁当食べて帰るので。その後何をしているかは分かりません。閑散とした中で実習しているのかね??

ダレも知らないよね・・・そんなこと。

2663ユタカ:2013/08/20(火) 23:58:38 ID:R1D4Jmeg
バカなことを書きすぎました。 まじめなことも書きます。 

生命を立てたら下記の祈りをして神さまと共に歩もう。



使命を生きる祈り

住吉大神(すみよしのおおかみ)
宇宙を浄め給う
宇宙浄めの天の使い
として生まれしが、

○○○○(氏名)なり。

神は○○○○に使命を授け給う 

今日何を為すべきか教え給う 

この神より教えられし使命を

実践することが、
○○○○の生き甲斐であります。

2665復興G:2013/08/21(水) 15:15:15 ID:AB6RqYXc

ユタカさまが >2661 に書かれていました、

>>復興G様、私の問いの解答とご解説をありがとうございます。 谷口雅春先生は本当に素晴らしいですね、何も無くても立つ生命、それが生命の実相ということと私は理解しました。<<

ということについてですが、谷口雅春先生は 『生活の智慧365章』 の163頁以下に、次のように書かれています。

≪  幸福の鍵は何処にあるか

 若(も)しあなたに 「どんな幸福の扉でも開く鍵があるのですが、あなたはそれを欲しくありませんか」 と言われるならば屹度(きっと)あなたは、「本当にそんなものがあるならば、それを得たいものだ」 と思われるでしょう。その鍵は決して金属でできているものでも、楠や檜の板で出来ているものではありません。そんな物質で出来ているものは結局はこわれるものであります。虫食い錆くさるものに幸福を求めてはならないと教えられました。

 その鍵は “霊的なもの” で出来ているのです。そして他物にそれを求めても得られるものではなく、自分自身の内にその鍵があるのです。その鍵を 『生命の実相』 と呼ぶのです。それは必ずしも書籍の名前ではありません。『生命の實相』 の本はその鍵の在所(ありか)を示した本ですからそのように名づけたのです。

 その鍵はすべての人が自己の内にもっている万人具有の鍵であります。人間の生命のうちには 「無限」 が宿っているのです。その無限に気がついたとき、その人はその鍵を発見したのです。自分自身の生命のうちに 「無限」 が宿っている、何という素晴しい事でしょう。≫

 と。

 幸福を開く鍵は、万人の生命の内にある。
 「その鍵を 『生命の実相』 と呼ぶのです。それは必ずしも書籍の名前ではありません。『生命の實相』 の本はその鍵の在所(ありか)を示した本ですからそのように名づけたのです。」

 というお教えなのですね。

 『生命の實相』 の本に頼っているばかりでもいけない。『生命の實相』 に書いてある言葉を、悟っていないのに悟ったような顔をして真似して言っているだけでは、倶胝竪指の、小僧が立てた指みたいなことになってしまう。

 『生命の實相』 の本がなくなっても立つ 「生命」 の実相を悟れ、と私たちには今、天の声が天降っているのでしょうか。

2666復興G:2013/08/21(水) 16:58:39 ID:AB6RqYXc

 さて、谷口雅宣総裁は、私たち小僧の立てた指を切る役目をして下さっているように思えます。

 ただ指を切る役目だけで、指を切っても立つ生命を示し教えてはくださらないのです。

 だから多くの信徒が迷うほかない状態に追い込まれているのです。

 そのうち生長の家教団は潰れて地上から一時的に姿を消すことがあるかも知れないと思います。

 それでも、『生命の實相』 の本、そこに書かれた永遠の真理の言葉が地上から消えることはないでしょう。

 イエス・キリストが

 「天地は過ぎゆかん。されどわが言(コトバ)は過ぎゆくことなし。」

 と言ったように。

 そして、天上界にある生長の家本部は、永遠に 「過ぎゆくことなし」 で、潰れることはありません。

 神の国の構図は必ず実現します。

 神の国の構図は、中心帰一・万物調和の日本(ヒノモト)の理念そのものです。

 私は、それを信じます。

2667トキ:2013/08/21(水) 19:14:30 ID:/56QLe72
>>2662

 講習会では、現在も神想観のご指導の時間はあります。世界平和の祈りをしますね。

2669あさひ:2013/08/21(水) 19:51:29 ID:/3nxKE2Q

復興G様

新しい視点を教えられました。

すでに救われ済みの自分に感謝することでしょうか。

ありがとうございます。

2670あさひ:2013/08/21(水) 19:53:30 ID:/3nxKE2Q
ユタカ様

素晴らしい問題 答えも教えていただきたいです。

よろしくお願いいたします。

2671ユタカ:2013/08/21(水) 22:29:11 ID:R1D4Jmeg
> 『生命の實相』 の本に頼っているばかりでもいけない。『生命の實相』お に書いてある言葉を、悟っていないのに悟ったような顔をして真似して言っているだけでは、倶胝竪指の、小僧が立てた指みたいなことになってしまう。

うわ〜〜!ユタカの心にグッサ!!っと刺さりました・・・・ですが、分かっていなくても・・・おのれわたわざる先に・・・って聞いていますし・・・

 

>『生命の實相』 の本がなくなっても立つ 「生命」 の実相を悟れ、と私たちには今、天の声が天降っているのでしょうか。

無意味に教団から根本聖典が無くなるなんて思えないので、何かのメッセージか、摂理の手の内だと思います。

2672ユタカ:2013/08/21(水) 23:11:50 ID:R1D4Jmeg
>>さて、谷口雅宣総裁は、私たち小僧の立てた指を切る役目をして下さっているように思えます。

 ただ指を切る役目だけで、指を切っても立つ生命を示し教えてはくださらないのです。

 だから多くの信徒が迷うほかない状態に追い込まれているのです。


@ 谷口雅春先生の時代に「生命の實相」の本や講義の講習会や神癒祈願、練成道あ場まで作ってもらってとても優しい修行をさせてもらっていました。それで教区に帰ってからは伝道やら自宅誌友会。ですが、実態は数だけの表面運動ではなかったですか?ユタカには相見えました。

水泳で例えるなら、、信徒は谷口雅春先生によってクロールも平泳ぎも背泳ぎもバタフライも教えてもらっていました。
ですが、信徒はもう泳げるのに、なぜかプールサイドでウロウロして飛び込もうとしません。

そこで、雅宣先生が、本当はもう泳げるのだよ!!とドン!と背中をおしてドボンと突き落としてあげている様子が頭に浮かびました。
第1コース 学ぶ会はスイスイ泳いでいます。 第2コース ゆっくりながら順調に泳いでいるときみつる会・・・ っていう感じがします。


 >>そのうち生長の家教団は潰れて地上から一時的に姿を消すことがあるかも知れないと思います。

@長い地球上の歴史から考えても生長の家が無い時代の方が長かったのでは? それに、卆寿のお祝いで雅春先生はもっと大きな会場で2度3度お目にかかりましょうと仰ってくださいました。
そのとき、自分に恥じないよう、雅春先生に喜んでもらえるように今をどのように生きるか?? と思いました。
私は、以前復興Gさまが
萬教帰一を言う生長の家が分裂しているのではお話にならない、とのお言葉に深く反省をした次第です。。。

 >>それでも、『生命の實相』 の本、そこに書かれた永遠の真理の言葉が地上から消えることはないでしょう。

@光明思想社様から出ていますし・・・ 大丈夫だと思います。 すべては神様の意思であると信じて悪くなるはずが無いと思える今日この頃になりました。

WEB誌友会のお陰です。ありがとうございます。


トキ様

世界平和のお祈りをされていたのですか! そこまで残ったことないので知りませんでした・・・有難うございました。

あさひさま

ページ数を書いてあるので自分で回答がでる問題だから自分で読みましょう。。

2673ユタカ:2013/08/21(水) 23:14:22 ID:R1D4Jmeg
古いPCで書いたのでカーソルが飛んでしまい、途中で余計な字があったり、脱字をお詫びします。

2674ユタカ:2013/08/21(水) 23:25:37 ID:R1D4Jmeg
水泳の話はちょっとヘンだったかも・・・すみません。。。

その下に書いた文章と矛盾している感じがするからです。 ですが、思ったまま書いたのであります。

2675神の子さん:2013/08/22(木) 04:44:46 ID:kzsrkxKM
>>2666

>>さて、谷口雅宣総裁は、私たち小僧の立てた指を切る役目をして下さっているように思えます。

ただ指を切る役目だけで、指を切っても立つ生命を示し教えてはくださらないのです。

だから多くの信徒が迷うほかない状態に追い込まれているのです。>>

だからこそ、学ぶ会やときみつる会の受け皿があるのだと思います。
指を切っても立つ方法を教えてくださらない教団と総裁ならば、私は行動を起こしたい。
切られた現象の指を手当てしながら、実相は完全円満だと想うのみでなく、
生命の實相によって、悦びの渦が巻き起こるための、行動という偉大な愛行を、身をもって実践したい。
それでこそ、生かされている神の子だと思う。

教団や総裁に、信徒の人生の責任を負う必要はないのだから。
信徒の人生の責任は、その人自身であるのだから。

2676復興G:2013/08/22(木) 09:48:48 ID:AB6RqYXc

>>2675 :神の子さん

あなたのおっしゃるような意味で、学ぶ会やときみつる会の受け皿ができたのは、必然性があるとも思われます。

しかし、真理は一つ、神界の生長の家本部は一つであり、それが正しく地上に顕現すれば、地上の神の国建設運動も中心は一つでなければならないと私は考えます。

したがって、私は学ぶ会やときみつる会に入ろうとは思いません。

教団の組織に所属したままで自分の信ずるところを発言し行動します。

その結果どうなるかは、神のみぞ知り給うところでしょう。

2677神の子さん:2013/08/22(木) 12:43:20 ID:ZTt15T/6
>>2676

私は、決して復興G様に学ぶ会やときみつる会勧誘のために、発言したわけではありませんので、誤解なきようお願いします。
復興G様が教団一筋なのは、大変良く良く存じあげております。
復興G様の考えを変えようと、発言したわけではございません。
そのような考えは、ございません。

私は、教団の信徒の方が生命の實相を大切にされる活動も、学ぶ会における活動も、ときみつる会もどれも否定しません。

ただ復興G様、あなた様の発言に、不特定多数の閲覧者の方が誤解を受けてはなりませんので、一言申し上げます。

地上の神の国建設運動を行っているのは、教団にいらっしゃる、生命の實相を大切に思われる信徒のみではございません。
学ぶ会やときみつる会、新教連なども素晴らしい神の国建設運動を行われているのではありませんか?
現象としては、別れて見えるかもしれませんが、魂意気は同じではございませんか。

将来的には、先のことはわかりませんから、教団や学ぶ会やときみつる会がひとつになる時代が、100年先200年先来るやも知れません。
そのときに、神様は「お前は教団にずっと席を置かずに、学ぶ会にいたから駄目だ」と仰るでしょうか。
住吉大神様は、そんな狭い神様なのでしょうか。

2678復興G:2013/08/22(木) 14:15:27 ID:AB6RqYXc

>>2677 :神の子さん様

ありがとうございます。

私は一貫して、学ぶ会やときみつる会を否定したことはありません。

その存在意義を認め、学ばせていただいてもいます。

ただ、学ぶ会の方たちの中には、教団組織に所属している者に対して、そこに居続けているだけで罪作りに荷担していることになるのだと責めたり、愚か者呼ばわりする方がいらっしゃるようで、それはいけないと思います。

どこにいようとも、真剣に道を求め、懸命の努力をしている者同士、皆神の子として、お互いに尊敬し合い、よりいっそう無我になって神を現わす生き方、運動をしてまいりましょう。

2679ユタカ:2013/08/22(木) 23:25:34 ID:R1D4Jmeg
復興G様

復興G様はよく無我ろいう言葉をお使いになられますが、無我というのはどのようなものでしょう。

前に仰っていました、無我になって歌うとは?どういう状態なのでしょうか?

また、日常生活において無我とは? 自分以外の人の意見に合わせるということでしょうか?

どこからが自我でどこからが無我という区別はどのように判断したらよいのでしょうか?

無我って難しいですね??

2680ユタカ:2013/08/22(木) 23:32:46 ID:/B6zFSOc
明日から12月までユタカは勉強をしに学校へいきますので、夜に出てきます。

また、その勉強をしないといけませんので、こちらに来る回数が減ると思います。合格しないといけないので。。。

進行はa hopeさまよろしくお願いいたします。 志恩さんもヘルプをお願いします。

2681a hope:2013/08/22(木) 23:40:53 ID:SxnB56Eo

みなさまのご投稿を拝見させていただき、とてもお勉強させていただいています。
特に>>2665復興Gさまのお言葉

<<『生命の實相』 の本に頼っているばかりでもいけない。『生命の實相』 に書いてある言葉を、悟っていないのに悟ったような顔をして真似して言っているだけでは、倶胝竪指の、小僧が立てた指みたいなことになってしまう。
『生命の實相』 の本がなくなっても立つ 「生命」 の実相を悟れ、と私たちには今、天の声が天降っているのでしょうか。 >>

には、ユタカさま同様、とても考えさせられました。

今、わたしたち信徒にとって大切なことは、物質である「生命の實相」という聖典の著作権を守ることなのではなくて、
「生命」の実相を悟るためにお勉強したり、正しく伝道することのできる環境を守ることなのではないかと思いました。


ですから、>>2666で復興Gさまが

<<そのうち生長の家教団は潰れて地上から一時的に姿を消すことがあるかも知れないと思います。>>

とご発言されているのには正直驚きました。

わたしは、「学ぶ会」さまや「ときみつる會」さまも「聖典」を守ってくださったり、「雅春先生の教え」を守って下さったりと、大変ご活躍してくださっていて心から感謝しています。

ですが現在教団には、その二つの団体よりも遥かに多くの教化部や練成道場があり、そして信徒の数もまだまだずっと多いです。

ですから、教団の教えが本来の「生命の実相」に戻ってくださえすれば、即座に大規模な人類光明化が可能となり、
本来の「生長の家」の使命をはたしていけると思うのです。

復興Gさまがおっしゃるように、<<生長の家教団は潰れて地上から一時的に姿を消す>>ことになるのか、
それとも、<<本来の人類光明化運動に戻り、「生長の家」のまことの使命をはたして行く>>ことになるのか、
それは、すべて雅宣先生のご決断一つにゆだねられている状態なのだと思います。

わたしは雅宣先生は、今こそ神意に導かれたご決断をされるべきだと感じています。
それには、ご兄弟に相談されるのが一番良いのではないかと思います。
なぜなら、ご兄弟は雅宣先生をまことに愛していらっしゃると思うからです。
そして、雅宣先生だってご兄弟をとても愛していらっしゃるのでしょう?

本当は、わたしたち信徒すべてが「生長の家」の家族なのですよ。

雅宣先生、わたしたち家族を守るためどうか勇気あるご決断をなさってください。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

合掌。

2682志恩:2013/08/23(金) 06:55:08 ID:.QY5jUA6
ユタカさん

あしたから12月まで、学校へいらっちゃるそうで、4か月ちょっと、通学されるのですね。
勉強、がんばってね。

ユタカさんが、掲示板に出て下さっていたので、
最近、復興Gさまも、ahopeさんもいらして下さってました。

夜、ちょこっとだけでもいいですから、お顔、出して下さると、うれしいです。

2683復興G:2013/08/23(金) 09:38:25 ID:AB6RqYXc

>>2679 :ユタカさま

>>無我というのはどのようなものでしょう。
前に仰っていました、無我になって歌うとは? どういう状態なのでしょうか?
また、日常生活において無我とは? 自分以外の人の意見に合わせるということでしょうか?
どこからが自我でどこからが無我という区別はどのように判断したらよいのでしょうか?<<

 いつも、素直なよい質問をぶつけて下さって、ありがとうございます。
 そのように素直なのが無我だと思います。

 私の経験では、ある日フト、「あ、“自分が自分を守らなければならない” と掴んでいた “自分” というものは本来なかったんだ!」 と気がついた。――というような体験があるのですが、これは、説明は難しいですが……

 「 “自分” というものは本来なかったんだ! “空っぽ” だったんだ!」

と 気がついた。そしたら、 「本来の “空っぽ” に還ったら、自由自在だ!」 と思えた。そして、

 「自分の中にすべてがあり、すべての中に自分がある。みんな自分だ、すべては自分だ! だから、見栄や体裁を繕う必要はなく、そのままの自分を出していけばいいんだ、なんと楽でありがたくうれしいことか!」

 と思えたんです。

>> 無我になって歌うとは? どういう状態なのでしょうか?<<

 これは、僕は今もコーラスをやっていますが、我の力で発声練習をしてパート練習をして良い声で音程を正確に歌おうなんて自力でやってたら音楽は 「音が苦」 になってしまう。

 そうではなく、まず全体の和音の中に自分の声が消え入ってハモるときの何とも言えない快さをしっかり味わいながら “無我になって” ――我れを忘れて歌うと、「音が楽しい」 本来の 「音楽」 になって、声は自然に出てくるんですよ。

>> また、日常生活において無我とは? 自分以外の人の意見に合わせるということでしょうか?<<

 孔子は、

 「小人は同じて和せず。君子は和して同ぜず」 (論語)

と言っています。人の意見をよく聴くことは大切でしょうが、自分の意見を殺していつも他人の意見を入れるということではなく、自分の良心から出た想い、意見を素直に表明して、時には意見を戦わすことも 「無我」 だと思いますよ。

>>どこからが自我でどこからが無我という区別はどのように判断したらよいのでしょうか?<<

榎本恵吾先生の 『研修のヒント』 というのに、こんな話があります。
<つづく>

2684復興G:2013/08/23(金) 10:27:25 ID:AB6RqYXc

>>2683 のつづきです。

榎本恵吾先生の 『研修のヒント』 というのに、こんな話があります。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 あるとき、研修生の一人がたずねたことがあります。

「人間智慧ではなく神の智慧でなければ、と言われるんですが、私には、どれが人間智慧でどれが神の智慧なのかわからないんです!」

 と眼に涙をにじませて言うのでした。これば実に素直に自分の心を表現しています。その人はおそらく、このように質問することそのことが神の智慧か、人間の智慧かと考えたかもしれませんが、このような質問は実に素直で美しいのであります。このような言葉には、神だとか人間だとかということを忘れさせてしまうものがあります。素直さが出れば、それが文句なしにこちらに喜ばしいものを感じさせてくれるのであります。

 その質問に感動した講師は次のように話したといいます。

 「あなたねえ、本当の神の智慧というものは、人間の知恵が出て来たからといって、無くなってしまうものではありませんよ。人間の知恵に邪魔をされて輝きがにぶるというのは、実はそれは本当は神の智慧ではなかったのです。
 人間が心してやらなければ出来ないようなものは、神のものではありません。神の智慧は、人間がどうあろうとも、それによってくもるものでも、無くなるものでもないのです。そしてすべてを満たし、生かし、遍満しているものです。われわれが、それがあるとかないとかを心配する必要は全然ないのです。
 ただただ “わが生くるはわが力ならず” というコトバを喜んでとなえていればよいのですよ」

 というと、その研修生は
「それで安心しました。楽になりました。」
 といって、なんとも言えない表情で講師にほほえんだのでした。
 「そら、そんな喜びの表情が素直に出ているのは、もう神さまなんですよ」
 と講師は言ったのでした。

 またあるとき講話中に、聴いていた練成員がつかつかと演壇のところに近づいて来たかと思うと、講師の前にあるマイクを手でつかんで、それを前後にゆさぶりながら泣き声ともつかぬ切なる声で

 「先生! そこがわからない! どうしたら解るんですかッ。三十年もやっているんです。どうしたら……」

 といって片手のにぎりこぶしで演壇をたたいておいおいと泣かれるのでした。これはもう、自分の中にある神性なる太陽の輝きが、表面の心の雲をつき破って全地上を照らすときの様相であります。その姿には講師も聴衆も感動したのであります。

 「素直」 のあるところ、必ず美しいものがそこにあり、そこには感動が生れるのであります。感動した講師はいいました。

「あなた、“神の子がわからない” と言われますが、いったいそんな立派な大きなお声はどこから出て来るのですか。あなたの心臓を動かし、体を生かし、そして声を出さしめているのが神なのですねェ。私から観たら神のいのちが、神が、『解らない!』 といっていられるんですよ。神も、神の子も、ひとごとではないんですよ。あなたが神であり、神の子なんですよ。私から見たら、『解らない!』 といって神のいのちが輝いていらっしゃるんですよ。ありがとうございます。」

 こう、その講師から言葉が出て来たことに、講師自身が感動したのでした。これがまた感動を呼んだのであります。そしてその人の声は、喜びの声にかわったのでありました。
<つづく>

2685復興G:2013/08/23(金) 10:28:10 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 自分を喜び拝むためには、現象の自分を見ていては拝めません。現象というのは、心と、心の現われとしてのすべてです。この現象は、生長の家では 「無い」 と言うのです。

 現象はたえず変化しているのです。心の状態はたえず変化し、一秒間に三千回も変化すると言った人もおります。それが正常な心だと言われております。

 ただし、それはたとえば雲のようなものです。雲はいくら曇っていても、青空はよごれないのです。今日どんなに曇っていても、明日晴れたら、今日の雲のしみは青空に残らないのです。心と心の現われなる現象は雲のようなものです。変化しない實相は、青空のようなものです。

 一秒間に三千回も変化するのが正常なる心であり、正常なる心の雲であり、正常なる現象です。ただし、それは現象であって、いくらあるように見えていても無いのであります。自分を拝むというのは、雲を飛び越えて青空なる自分をたたえることなのです。

 青空は、雲がなくなってからあるのではありません。雲があろうがなかろうが、全宇宙が青空であります。このように、心の変化がおさまっていいことが出来てから、自分を拝むのではないのです。

 心のきれいな人ほど、反省して心をきれいにしてから自分を拝もうとされるのですが、それは、タバコの煙を、火のついたタバコをもった手で消そうとするようなもので、人類は何千年間もそれをやって来たのですが、これをやればやるほど迷いが深まって行くという結果になったのです。

 また心のきれいな人ほど 「私は我がつよいですから、宗教で反省して、この自我をたたき壊してから自分を拝もう」 とされるのですが、これは宗教ではありません。

 宗教は神の完全と人のいのちの完全とを拝むのですから、「神は完全だから、自我というような不完全なものはつくっていられない」 と、自我という雲を放っておいて、青空である、太陽である自分をたたえるのが宗教です。

 本当の宗教は、反省によって心を浄めて行くのではないのです。それではいつまでたっても新しい反省の材料が入って来ますから、浄まり切るということは出来ないのです。

 つまり、我をなくしてから自分を拝むのではなく、我はあろうがなかろうがそんなものは放っておいて、神そのものなる、完全なる自分を讃えるのであります。

 電気をつけると暗はそのあとで消えるのであって、反省して心の暗をみがいて明るくしてから電気をつけるのではないのです。
 自分を祝福するという光明の電燈がつくことによつて、あとで自我という暗は消えると思ってもいいのであります。

 要するに、「ハイ」 と素直に、神のつくられた完全なる自分を受けるのです。感謝をして、神想観をして、本を読んで、愛行をして、生長の家になり切ってから自分を拝み、喜ぶのではないのです。それらの何ものがなくとも、このまま 「神は完全」 「自分は完全」 と拝むのであります。これが生長の家であります。
 (以上、榎本恵吾先生 『研修のヒント』 より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――結局、「我(が)」 というのは、「ない」 ものなのですね。「我」 というものは 「ない」 のですから、「どこからが自我でどこからが無我」 という区別も 「ない」 のですね。

2686復興G:2013/08/23(金) 11:09:20 ID:AB6RqYXc

 結局、感謝とよろこびのあるところに 「我(が)」 はない、我は消えている。

2688トキ:2013/08/23(金) 18:58:42 ID:2xWswl1k
>>2680

 勉強、頑張って下さり。合格をお祈りしています。

2689a hope:2013/08/23(金) 20:25:52 ID:kcv2QXTk

>>2680ユタカさま

<<明日から12月までユタカは勉強をしに学校へいきますので、夜に出てきます。
また、その勉強をしないといけませんので、こちらに来る回数が減ると思います。合格しないといけないので。。。>>

ユタカさま、そうなのですか。
何かの試験なのか興味津々のa hopeですが、ユタカさまの合格を心からお祈りさせていただきますね!

わたしも、数年前にある資格試験に合格しました。
その資格は今回の就職に役立ちましたが、お勉強することで得た知識も今の仕事に活きていると感じています。


<<進行はa hopeさまよろしくお願いいたします。 志恩さんもヘルプをお願いします。 >>

わたしも、日中は仕事をしていますし、家事、育児等などもありますから、
今までどおり、自分のペースで書き込みを続けさせていただきます。
その時出来ることをさせていただきますが、
このweb誌友会はお勉強したい人がみなで協力しながら進行していけばいいのではないかと感じています。



というわけで、わたしもさっそく問題作りに挑戦してみました!

第2章 
問2 P27〜
薬剤をやめた方が「生命の実相」を悟りやすいのはなぜか?

問3 P27〜
病人に「薬剤無用論」を説くときの注意点はなにか?

問3 P40
医師のまことの役割とはなにか?

問4 P40〜
「逆念の想念」とはどのようなものか、医師の治療を例にあげて説明せよ?


以上

問題作りってすごく勉強になりますね。
また、自分なりに回答を出してみますと「生長の家の教え」を人に伝道するときのマニュアルになりそうです。
あらためまして、ユタカさまの素晴らしいアイデアに感謝しています。

2690ユタカ:2013/08/23(金) 22:45:31 ID:R1D4Jmeg
皆様、素晴らしい光輝く、嬉しいお言葉をありがとうございます。

活気があってちょっと見ないとどんどん上に上がってしまいます。ですが、明日は上の方からじっくり読ませてお勉強させて頂きます。
ありがとうございます。

復興G様のお言葉に沢山の方が救われているように思えてなりません。ありがとうございます。

2691ユタカ:2013/08/27(火) 10:20:32 ID:R1D4Jmeg
>要するに、「ハイ」 と素直に、神のつくられた完全なる自分を受けるのです。感謝をして、神想観をして、本を読んで、愛行をして、生長の家になり切ってから自分を拝み、喜ぶのではないのです。それらの何ものがなくとも、このまま 「神は完全」 「自分は完全」 と拝むのであります。これが生長の家であります。
 (以上、榎本恵吾先生 『研修のヒント』 より)

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――結局、「我(が)」 というのは、「ない」 ものなのですね。「我」 というものは 「ない」 のですから、「どこからが自我でどこからが無我」 という区別も 「ない」 のですね。


復興Gさま、
復興Gさまに質問いたしますと、正確で分かりやすい回答をいただけます。
最後の「我」がないと言うお話を読んで笑って脱力いたしました。 ですが、私は訓練しないと、「我」が付きまとっているような気がします。

それなので「神想観」をして本当の自分を観じていきたいと想います。 唯今、勉強が難しくて行き詰ってしまい、復興Gさまのを読み返して、息を吹き返し安堵いたして、無我とは「自分の力で生きていない、生かされている」と実感したところです。
ありがとうございます。

a hopeさま

8月21日の謹写文に力を頂きました、ありがとうございます。生命の実相の問題も有難うございます。
問題を作るとなると、自分が集中して一生懸命読むので、勉強になりますね。

復興G様の上記の無我のお答えは本当に素晴らしいですね、「お見事!」って拍手しました!! きっと、ここを見ている読者さんも喜んでおられるでしょうね!
ありがとうございます。

2692ユタカ:2013/08/27(火) 10:26:48 ID:R1D4Jmeg
トキさま

応援を有難うございます、 勉強が難しくて、頭に入っていかなくて、後悔して落ち込んで、此処を見てまた立ち直ったりして、信仰の浅さを実感して反省もできました。頑張らないと!!

有難うございます。

トキさん、無我て素敵ですね〜〜!! 『我』って『無い!』のですって!!
なにか、すごく嬉しいです〜〜。
このままで良いって有難いですね。 心が跳ねていますよ〜。

有難うございました。 勉強してきます。。

2693a hope:2013/08/28(水) 10:55:10 ID:dyDQLtZQ

ユタカさま 

わたしも、コーラスをしていた経験があるので、復興Gさまの

<<“無我になって” ――我れを忘れて歌うと、「音が楽しい」 本来の 「音楽」 になって、声は自然に出てくるんですよ。>>

というご指導には実感があります。

そして、

<<感謝とよろこびのあるところに 「我(が)」 はない、我は消えている。 >>

のですよね!!

ご謹写くださった、恵吾先生の御文章も素晴らしく感動しています。
復興Gさまの、素晴らしいご指導には、いつも感謝の気持ちいっぱいです。


また、部室板 >>1321に恵美子先生作詞の「地球の人よ」をご紹介くださりありがとうございます。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/1321

人類が「神の御心」を生き、「神の子」同志と知るとき、愛の心は国境を越え通じあうと歌われていますね。

わたしは「無我」の状態からでた行動には、必ず「相手への愛」がともなっているのではないかと思いました。

神は愛である!
無我とは「愛」である!!

今朝の神想観のときに、そんなことを考えていました。

2694a hope:2013/08/29(木) 10:00:24 ID:dyDQLtZQ

「生命の實相」第4巻第3章より

問1 P47
生命の自由自在な力を発揮するために悟るべきただ一つのこととは何か?

問2 P50
祖先の霊魂の念波が子孫の運命に影響を及ぼす原因は二つあるが、その二つの原理を説明せよ。

問3 P55
「本当に愛する」とはどういうことか?

問4 P57
「念」と「業」の関係を説明せよ。

問5 P58〜
「生長の家」の因縁の超越方法とはどういうものか?

問6 P62
釈迦の「知らずに犯す罪は、知って犯す罪より重い」という言葉の意味を説明せよ。

問7 P62
「人類暗黒化運動」とはどのようなことか?

以上

答えはすべて、テキスト「生命の實相」の中にあります。
是非、「生長の家」総裁谷口雅宣先生、「白鳩会総裁」谷口純子先生、そして本流の先輩方にもご回答をいただきたいです。
わたしは、聖典をお勉強すればするほど、今の「生長の家」の現状が納得いかなくなります。


「恵味な日々」に純子先生が7月16日17日に行われた、生長の家国際教修会でお話された内容(「生長の家」が森に行く理由)をご発表されています。

<<「生長の家」の運動が今、なぜ都会を離れ、〝森の中〟へ行かなければならないのか。生長の家の国際本部が、なぜ都会にあってはならず、自然の中へ移転しなければならないかという理由を五つ挙げ、皆さんのこれからの運動や生活の参考に提供したいと思うのです。

その理由とは、次の五つです――

① 都会では自然がわからない

② 都会では人間中心主義から脱け出すのがむずかしい

③ 都会では、浪費と消費過多をやめられない。よって地球環境問題は解決しない。

④ 都会での生活は宗教の目的と矛盾する

⑤ 都会では新しい生き方は生まれない>>

http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/

と、箇条書きされそのあとその具体的な理由をとても丁寧にお話されています。
雅宣先生の御文章よりもずっと一般的でわかりやすいです。

ですが、純子先生、それって本当に「生長の家の教え」なのですか?

2695トキ:2013/08/29(木) 18:25:57 ID:i0wguQyw
>>2692

 いえいえ、もったいないお言葉、ありがとうございます。

2696復興G:2013/08/29(木) 22:39:53 ID:AB6RqYXc

>>2694 :a hope さま

① 都会では自然がわからない
② 都会では人間中心主義から脱け出すのがむずかしい
③ 都会では、浪費と消費過多をやめられない。よって地球環境問題は解決しない。
④ 都会での生活は宗教の目的と矛盾する
⑤ 都会では新しい生き方は生まれない
純子先生、それって本当に 「生長の家の教え」 なのですか? >>

――断じて、違います! 

ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。

 生命は、物質的環境に支配されるものではない。

 それは第16回web誌友会テキストの範囲でも、

 <<自由自在の霊性こそ人間自身の本来の面目であります。>>(「生命篇」巻頭の扉)

 <<こういうしだいですから「生命」の本来相を自覚しないで、ただなんでも薬をやめさえしたならば病気が治るなどと考えて、薬をやめるなどは実に迂闊千万(うかつせんばん)な話でありまして、それでは薬というものを今まで自分の生命を縛っていた縄のように思うこととなり、薬をやめることをその縄から解放されるように思うようでは物質というものに「生命」を縛る力があるということを肯定し、「生命」は物質に縛られるものであることを肯定していることになり、そのような「生命」に対するアヤフヤな信念では、薬をやめたとて断じて効果があるものではないので、その人は心の奥底では、物質の「生命」を縛る力を認めているのですから、それは「生命無力」の自覚が形を変えて現われているにすぎません。>>(p.26後半)

とあり(「薬」=外のもの、「外的環境」も同じ)、いたるところで常にそれを説かれてきたのが生長の家の教えです。

2697復興G:2013/08/29(木) 22:47:51 ID:AB6RqYXc

「来たって来たる所なく、去って去る所なし」

時空超脱の自由自在な霊性が人間生命の本質であり、人間本来の面目です。それが 「神の子」 ということです。

2698復興G:2013/08/30(金) 07:53:17 ID:AB6RqYXc

 上記は、「森へ行くのは間違いだ」 と言っているわけではありません。神の子は、何処へ行くのも自由ですから、もちろん森へ行くのも自由で、行ってもかまいません。しかし、「森へ行かなければならない」 として5つの理由を挙げられたのは、生長の家の教えとは全然違う、ということを申し上げました。

 宗教家は、イエスが 「真理は汝を自由ならしめん」 と言ったその真理、教えを説いて人々に真の自由の自覚を与え、魂を救済することが第一でしょう。その第一のものをくらませてしまっているのでは、宗教としての役割、使命をないがしろにしていることになると、私は思います。

2699a hope:2013/08/30(金) 11:35:54 ID:dyDQLtZQ

>>2696 >>2697 >>2698 復興Gさま

ご指導をありがとうございます。

やっぱり、どう考えても、違いますよね。

<<――断じて、違います! 
ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。
  生命は、物質的環境に支配されるものではない。>>

という、力強いお言葉に心より感謝いたします。合掌。

雅宣先生も、純子先生も「自然」というものを「物質の自然」としてとらえていらっしゃる。
そこからすべておかしくなってきてしまっているような気がしています。

「人間は自然の一部である」という雅宣先生のお言葉ですが、現象(物質)をみれば確かにそうなのだと思います。
ですが、「生長の家の教え」は「物質なし」「現象なし」なのではないのですか?

それなのに、お二人はこれから、太陽光パネル、電気自動車、森のオフィス、森での生活・・・
すべて物質にたよった生活をされていかれようとしているのですよ!!!
おかしくないですか?


「生命の實相」第4巻 P62 1行目〜

『考えてみますに、「罪」とは実相を「包み」隠すということでありますから、世の中に何が「罪」であるかといっても
「物質」にたよることを教えて、「実相」たる生命の威力を発揮せしめないことほどの「罪」はないのであります。
しかも、それは深切のつもりで罪を犯すのですから、なかなかとめ度がないのであります。
釈迦が知らずに犯す罪は、知って犯す罪より重いといったのはこの意味でありまして、「生長の家」でも、愛は尊いことだけれども、
知恵のともなわない愛は本当の愛ではないと教えられているのであります。
結核予防宣伝にしても、社会改造運動にしても善だとか、人類愛だとかいって、ひとかどその看板は立派なように見えましても、
人間は、その神の子たる実相を見失わしめ、結局物質にたよる心のみを増進せしめるような運動は、
すべてわれわれ「生長の家」から見れば、人類光明化運動ではなく、人類暗黒化運動なのです。
げんに以上の例でも人間を暗黒化しています。(注・60〜61参照)』


「生長の家」総裁、雅宣先生、「白鳩会」総裁、純子先生、お二人が自信をもってされようとしている運動は、
この「人類暗黒化運動」なのではないのでしょうか?


わたしは、聖典の言葉を利用して人を批判するのは良くないことだと充分理解しています。
ですが、「生長の家」の総裁、「白鳩会」総裁であるお二人関しては、例外なのではないかと感じ始めています。
なぜなら、「生長の家の教え」の法燈継承者として、わたしのような信徒の「教え」に関する率直な質問にはすべてお答えしていただく義務があると思うからです。

今までずっと、お二人は本流の先輩方のご批判やわたしのような信徒の率直な疑問を無視され続けてきました。

そして、独断で、ここまで「教え」を捻じ曲げられてしまっては、「もう庇いようがない」というのがわたしの正直な感想です。
おそらく、まことの「生長の家の教え」を理解されている信徒の方でしたら、みな同じ感想を持たれているのではないでしょうか?
だから、退会者が続出しているのだと思います。

2700トキ:2013/08/30(金) 11:46:08 ID:.RNTMl.2
 私の友人は、都会生まれの都会育ちでしたが、定年の後、田舎暮らしに憧れて、山の中の家を買い、晴耕雨読の生活をしています。
その友人には、普及誌を送っていますが、それを読んだ友人は、「実際に住むと、都会では想像していたのと違う世界が展開している」
と話していました。

 まず、冬季になると極端に寒くなるので、暖房対策は必須です。これを間違うと死ぬ事もあるようです。当然、使用するエネルギー
も増えます。プラス、水の問題は重要です。排水の処理も重大で、下水がないぶん、かなり処理が問題になるみたいです。

 人間関係も複雑で、地元には地元の慣習があるので、余所者である都会からの転入者は困る事があるみたいです。具体的なケースは
書きませんが、その友人も地元の人とトラブルになり、弁護士と相談する羽目になったといいます。余談ですが、沖縄県に移転を希望
する本土の人が増えていますが、そういう人達が地元でトラブルを起こしているとも読んだ事があります。少し前に山口県で大量殺人
があった事件も都会から戻った犯人の人間関係のトラブルだと聞きます。

 次ぎに、田舎暮らしを始めたらからと言って、別に質素な生活になる訳ではないみたいです。週に何回かスーパーに行くし、ライフスタイル
は変化はないみたいです。むしろ、田舎では自動車は必需品なので、どこにいくのも自動車に頼る事になります。都会で過ごしている人
がある程度の年齢になると免許を返上して公共交通機関を利用するのと対照的です。

 田舎では自然がわかる、といのはその通りです。でも、すぐに飽きると友人はぼやいていました。

 都会では新しい生活は生まれない、というのは逆で、田舎では毎日、家族以外に接する事があまりないので、生活のパターンが固定化
するみたいです。

 都会での生活が宗教の生活と矛盾する、というのは意味が不明ですが、田舎でも都会でもすばらしい信仰者は多数います。インドの
マザーテレサはスラム街の中に住んでいましたが、尊敬を集めた信仰者でした。

 そういう話を聞くと、実際には森の中の生活だけがすばらしい、というのは少し誇張があるみたいです。どこに住んでも、ベストを
尽くす、という姿勢が大事なような気がします。

2701曳馬野:2013/08/30(金) 16:08:55 ID:TZ2/719s
http://www.youtube.com/watch?v=FQ-moleGtLc&amp;list=PL77218CD291B782BF

土井裕子 「美しき天然」なんと美しい詩でしょう。

私は雅宣先生の心はこの歌の世界におられると思うものです。個人の幸せはもとより大切でありましょうが、それは数多の雅春先生、清超先生のご著書により各自で求めていただければ良いことです。

私は思います、本流と云われる50,60年代の生長の家を指導された方々が、初期の雅春先生と同じように、10人の人々が集まれば喜んで自宅でで誌友会を開き、集まれる人々の悩みを取り除いたでしょうか?先生のお宅の誌友会での遣り取りが次号の生長の家誌になったのでしょう。あの教化部長の話をぜひ聞きたい、あの本部講師の話をぜひ聞きたいと、誌友に求められる存在でありましたでしょうか?戦前の当市での雅春先生の講習会は夜だけの三日間だと聞いています。戦前の交通事情悪しきなか呼ばれるままに講演旅行に出られ、次号の生長の家誌の原稿を旅先から印刷所に送られる、そんな生活にして初めて聖霊篇 燃えさかる聖霊の火は出来たのです。

私たちが生長の家の教えを正しく継承しているというのならば、地方講師時代の藤原先生のように、末井先生のように、お名前は失念しましたが愛媛の講師会長をした方のように全身全霊の伝道を、愛行をしたらよいのではないですか。空前の信濃練成会を雅春先生はいかばかり喜ばれたことでしょう。

しかし私はこのような活動が過って為されたにもかかわらず、残ったものは頭でっかちな人たち、家庭が善くなったことに満足したエゴイストが大多数ではないかと思うのです。栄える会の会則がどうタラの意見がありましたが、朝3時から神想観し神の英知に導かれヤオハンを運営しているから栄えていると云われ、栄える会会頭をした和田さんは今どうしているのでしょうか。

真理により家計が善くなったのでしょうが、それは自然をエゴが食いつぶしたに過ぎないのではないか。昔は冷蔵庫がない代わりに保存食品の技が発達した。今は漬物一つ付けられない女人が多くなりました。微生物の働きにより多くのアミノ酸が含まれる漬物を食べていればアトピーなどには罹らないのではないか。炭を粉にして食べれば必ずアトピーは治るという人もいます。雅宣先生が原発はいけないというのに、冷蔵庫の消費する電気は如何ほどになるのであろうか。沸かし直す方式のポットだけで原発一基に相当するという元原発従業員もいます。総じて手間暇かけず、利便を求めるところに電気を利用し、足らない電気を原発に頼る。そして原発事故に成れば、大騒ぎで税金の徴収を始める。

2702曳馬野:2013/08/30(金) 16:10:17 ID:TZ2/719s
つづき

私は今年まだ一度も茶の間のエアコンをかけていません。皆さんはエアコンを利用していませんか。暑さ寒さと云う環境を飴のように捻じ曲げて、生きていますか。

>>――断じて、違います! 
ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。
  生命は、物質的環境に支配されるものではない。

と云うことが観念でないのならば、エアコン、扇風機いりませんよね。
原発賛成の本流派の皆さんには福島に往って復興に協力していただきたいものです。放射能なんて外の物質には支配されないのですから。

http://www.miyashitashoji.com/cat1/  宮下正次さんのぶろぐ
現代の「はなさかじいさん」
彼は云います。大気汚染による酸性雨により森林の根元の微生物が減り、土中のアミノ酸が減ることにより、人間の白血球にもあたる木々の樹液製造能力が減ることにより、松くい虫等害虫の繁殖を抑えられなて、気の立ち枯れが60年代中ごろから始まったと。
そして木々の立ち枯れを救うために炭の粉を森林にまいて80パーセント枯れている木さえも回復させたのです。

その当時から高度成長の象徴のように自動車産業の進捗があり、昭和45年ごろには大気汚染防止法、水質汚濁防止法の制定がなされました。みんなが車を持つことが豊かさの象徴のように車に乗りました。その結果温暖化の問題を引き起こしたとして、人間の都合の観点から、温暖化対策はなされたのですが、大気汚染による自然への影響は顧みられませんでした。

彼れば彼は営林署の職員として森林の立ち枯れが気になったのです。その原因を探るうちに酸性雨による微生物の減少による土壌のアミノ酸減少が原因であると結論付けたのです。そして今森林に炭のアミノ酸の補給をすることに全力を奉げているのです。

日本人の現在の栄耀栄華は自然の命と引き換えであったのです。そして自動車業界は、国内での生産では勘定に合わないとばかりに、中国での生産にヨウロッバも日本も血道をあげています。その結果中国からpm25とかいう大気汚染が日本に来襲しています。大気汚染のし放題の国で物を作り自然を害しての人間の栄華であることを忘れていませんか。

2703曳馬野:2013/08/30(金) 16:12:09 ID:TZ2/719s
つづき

日本人は自然と共に生きてきました。その結果の美しき日本だったのです。

>>雅宣先生も、純子先生も「自然」というものを「物質の自然」としてとらえていらっしゃる。

物質なしと云いながら、何故物質の自然と「物質」と云う言葉がつくのですか、両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。

本流回帰の皆さんが神に実相を悟られたというのであれば、その心に自然の悲しみの声は何と聞こえているのでしょうか。

2704曳馬野:2013/08/30(金) 16:20:27 ID:TZ2/719s
>>2702

繁殖を抑えられなて、気の立ち枯れ を

繁殖を抑えられなくて、木の立ち枯れ に訂正

2705曳馬野:2013/08/30(金) 16:23:40 ID:TZ2/719s
>>2703

本流回帰の皆さんが神に実相を悟られたと を

本流回帰の皆さんが真に実相を悟られたと に訂正

2706名無しさん:2013/08/30(金) 17:19:41 ID:???

↑2701〜2705 この人はいったい何を言いたいのだろう?

2707HONNE:2013/08/30(金) 17:35:50 ID:jtmmmlXY
>栄える会の会則がどうタラの意見がありましたが、朝3時から神想観し
神の英知に導かれヤオハンを運営しているから栄えていると云われ、
栄える会会頭をした和田さんは今どうしているのでしょうか。


ネットで調べてください。
ヤオハンが全盛時、生長の家はヤオハンを広告塔のごとく取り扱っていました。
しかし、ヤオハンが倒産してからは、手のひらを返したようなものでしたので、
私は、生長の家に義憤を感じていました。
何故、ヤオハンは倒産したのか。その究明を怠った生長の家の組織の体質には嫌気を感じたものでした。
外面良しを優先する体質は、脚下照顧することを忘れることにつながり、
それは、現在の教団組織(本部だけではない)に蔓延しています。

和田和夫氏ですが、倒産(1997年)後の2001年に「ヤオハン 失敗の教訓」を
出版しています。
私は購入して読みました。しっかり、脚下照顧しておられますよ。
今の生長の家では、「脚下照顧」も「失敗の教訓」も禁句になっているように感じます。

2708a hope:2013/08/30(金) 19:06:36 ID:dyDQLtZQ

>>2701〜2705曳馬野さま

素晴らしい、歌「美しき天然」をご紹介くださりありがとうございます。合掌。
詩だけではなくて、歌声もオーケストラの伴奏もとても美しいですね。

これは、まさに実相世界(神の発した第1念の世界)の自然が歌われている歌詞だと思いました。

<<私は雅宣先生の心はこの歌の世界におられると思うものです。>>

でも、本当にそうなのでしょうか・・・?

それでしたら、

<<・・・両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。>>

というようなことは、ありえないと思うのですよ。

だって、実相世界では、すべてが完全円満に大調和していて、「自然が傷つけられる」なんてことも決してないわけですから。

雅宣先生と純子先生が本当に「自然が傷つけられている」と感じているのであれば、
それは両先生の心の「迷い」なのではないでしょうか?

2709a hope:2013/08/30(金) 19:07:52 ID:dyDQLtZQ

 「美しき天然」

(1) 空にさえずる 鳥の声
  峯(ミネ)より落つる 滝の音
  大波小波 とうとうと
  響き絶やせぬ 海の音
  聞けや人々 面白き
  この天然の 音楽を
  調べ自在に 弾きたもう
  神の御手(オンテ)の 尊しや

(2) 春は桜の あや衣(ゴロモ)
  秋はもみじの 唐錦(カラニシキ)
  夏は涼しき 月の絹
  冬は真白き 雪の布
  見よや人々 美しき
  この天然の 織物(オリモノ)を
  手際(テギワ)見事に 織りたもう
  神のたくみの 尊しや

(3) うす墨ひける 四方(ヨモ)の山
  くれない匂う 横がすみ
  海辺はるかに うち続く
  青松白砂(セイショウハクサ)の 美しさ
  見よや人々 たぐいなき
  この天然の うつし絵を
  筆も及ばず かきたもう
  神の力の 尊しや

(4) 朝(アシタ)に起こる 雲の殿(トノ)
  夕べにかかる 虹の橋
  晴れたる空を 見渡せば
  青天井に 似たるかな
  仰(アオ)げ人々 珍(メズ)らしき
  この天然の 建築を
  かく広大に 建てたもう
  神のみ業(ワザ)の 尊しや

2710ユタカ:2013/08/30(金) 20:49:01 ID:R1D4Jmeg
クソ真面目で神の子曳馬野さま
>私は今年まだ一度も茶の間のエアコンをかけていません。皆さんはエアコンを利用していませんか。暑さ寒さと云う環境を飴のように捻じ曲げて、生きていますか。

>>――断じて、違います! 
ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。
  生命は、物質的環境に支配されるものではない。

と云うことが観念でないのならば、エアコン、扇風機いりませんよね。


笑っちゃいました。。。
曳馬野さん、復興G様を「どなた と心得る!(水戸黄門の助さん、角さん)」

冷房どころか、純子先生は原宿から本部の川上君の運転する自動車に乗って、飛田給の玄関前まで来て、降車したのをしっかりユタカは見ましたよ。白鳩研修の時でしたね〜〜。

それでね〜〜〜〜!! 
復興G様は80歳と言うご高齢にもかかわらず、8月のあの超灼熱炎天下で子供お年寄りが熱中症で病院に運ばれるなかを、、、、

復興G様は、自宅から何十キロ先の飛田給道場まで『自転車』で行かれて一仕事して、また、自転車で自宅までお帰りになって、私達をご指導くださっているのですよ。。。


曳馬野さん、冷房なんて、、、小さい、チッサイ!! 復興Gさまのド根性のこのような生き様を総裁に伝えて下さい。近場の道場の移動ならば、せめて電車に乗ったり、ノーミートを言うなら、鶏肉はおやめください!と。。。

曳馬野さん、ちょっと、信徒をなめていません????


先の言葉、福島行きなどは両総裁に言ったらどうですか?? 自然の偉大さが身を持って解ると思いますし・・・・・

はよ、行きな、総裁室に。。。

2711ユタカ:2013/08/30(金) 21:54:27 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

まだ、前回のお勉強が続いていますが、次回はどうしますか?
テキスト範囲はどうでしょうか? 前回は勝手に決めさせて頂きましたが、

次回、ユタカはあまり勉強できないので、私は口出し出来ません。 

復興Gさまはどうでしょうか?

灼熱地獄のような熱い8月を、ご高齢で徒歩や自転車で超距離移動されて・・・復興Gさまの体調・・・いかがでしょう?

次回は気候の良い10月頃にしましょうか??

復興Gさま a hopeさまどうしましょうか? 勉強しないユタカが聞いてすみませんが・・・・

2712HONNE:2013/08/30(金) 21:55:49 ID:jtmmmlXY
私は、エアコンも使います。扇風機も使います。
遠い所には、徒歩や自転車ではなく、自動車を使います。
北海道の冬は寒いから、暖房も使います。給湯器も使います。燃料は灯油です。
病院で検診も受けます。インフルエンザの予防接種も受けます。
病気になれば、病院に行きます。
それでも、私は神の子でございます。

2713ユタカ:2013/08/30(金) 22:07:57 ID:R1D4Jmeg
HONNNEさま

ふ〜〜〜ん、 で、肉も食べるの?? 北海道なら熊の手やら馬とか?? 

あ、それと・・
私は犯罪者です。されど、神の子です。 ・・・って言いいたい人等は、出て来ないでいいからね・・・

2714HONNE:2013/08/30(金) 22:46:28 ID:jtmmmlXY
ユタカさん
私は肉も食べます。
熊の手やら馬とか食いませんが、人を食います。
あ、それと・・
私は犯罪者です。これまで、どれだけの人を傷つけてきたでしょう。
されど、私は神の子です。

2715a hope:2013/08/30(金) 23:00:14 ID:ITz8Q7T6

みなさま こんばんは。

a hope 、久しぶりにすこ〜し酔っ払っております(笑)
長かった夏休みもやっと終わりましたよ!!

今年の夏は我が家も大変エアコンのお世話になりました。
扇風機なんて、24時間フル回転でした。
最近、やっと朝夕が涼しくなってきましたが、今年の夏は本当に暑かったですね〜〜〜!


曳馬野さま

<<>>――断じて、違います! 
ですね。「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。
  生命は、物質的環境に支配されるものではない。

と云うことが観念でないのならば、エアコン、扇風機いりませんよね。
原発賛成の本流派の皆さんには福島に往って復興に協力していただきたいものです。放射能なんて外の物質には支配されないのですから。>>

というような、極論はちょっと違うのではないでしょうか。

復興Gさまがおっしゃる

<<生命は、物質的環境に支配されるものではない。>>

という意味は、神の子の自覚とは「エアコンを使うとか、放射能を浴びるとか、そんな現象の出来事には捉われない」ということのではないのでしょうか?

ですから、>>2712でHONNNEさまがおっしゃていることは、正しいのではないかと思いました。


>>2711ユタカさま

<<まだ、前回のお勉強が続いていますが、次回はどうしますか?
テキスト範囲はどうでしょうか? 前回は勝手に決めさせて頂きましたが、
次回、ユタカはあまり勉強できないので、私は口出し出来ません。 >>

そうですね。
お勉強は続けていくつもりでしますが、どのような形がいいのかはわたしもよくわかりません。

今のような形で、その時、思ったことを発言していけばいいのではないかとも思います。

わたしも復興Gさまのご意見を伺いたいと思います。

2716ユタカ:2013/08/30(金) 23:12:18 ID:R1D4Jmeg
HONNEさま

ついでに、次回WEB誌友会で司会者をしませんか??

神の子・神の子 と連呼しながら・・・ 面白い!

2717志恩:2013/08/30(金) 23:28:51 ID:.QY5jUA6
曳馬野さんは、この猛暑のなか、エアコンを使っておられないなんて、驚きです。
40℃近い日もありますからね。

そういう特殊な方、世の中には いらっしゃるようで、
エアコンがあるのに、使わなかった人が、何人も、死んでしまったというニュースを、
最近、テレビで放映していましたよ。

そういう考え方って、
まるで、輸血を拒否して、死んでしまう カルト宗教の「エ○○の証人」みたいじゃないですか。

>>ネット情報【エ○○の証人信者が輸血拒否で死亡:】
宗教問題と社会問題
2013年4月17日 - 信教の自由は守るべき、では輸血拒否で死亡も仕方がないのだろうか。
カルト・マインド コントロールの点から考える。<<

雅宣総裁の環境問題中心の教えを実行するとは、エアコンも使うな、と言ってるみたいです。

生長の家は、そのような不自然なことをする宗教では、ありませんので、
死ぬといけませんから、残暑厳しきおり、考え直されてください。

2718HONNE:2013/08/30(金) 23:34:53 ID:jtmmmlXY
神の子とは、感謝をする人のことだと思います。
夏は暑いものだと感謝する。
エアコンや扇風機があれば、涼しくなり快適になりましたとに感謝する。
だから、生長の家は【ありがとうございます】なのでしょう?

しつこくなりましたので、このスレッドはこの辺で去ります。

2719うのはな:2013/08/31(土) 00:09:09 ID:KJW8JIWI
>そういう考え方って、
まるで、輸血を拒否して、死んでしまう カルト宗教の「エ○○の証人」みたいじゃないですか。

 しかし曳馬野さんは、通常の人とちがう睡眠、出勤時間をクリアーしてるから
 エアコンなしと聞いても驚かないですね。

2720志恩:2013/08/31(土) 03:27:26 ID:.QY5jUA6
曳馬野さんは、仙人みたいな人だから大丈夫なんですか。
でも、もしも、そうでしたら、
私は、そのような事は出来ますが、皆さんは、命の危険がありますから、皆さんは、
まねしないで下さいねと言って欲しいですね。

2721ユタカ:2013/08/31(土) 06:34:34 ID:R1D4Jmeg
HONNEさま

しつこくないよ〜〜! 引き続き、もっと曳馬野さんに良く教えてあげて下さい。

曳馬野さんも茶の間にエアコンを入れていないけど、自室にはエアコン入れてガンガンに冷やしていますってか??

極端な持論が笑っちゃう、馬野さんは大真面目なとこがさらに・・(笑) 雅総裁も別荘近くで見つけた倒木を何時間もかけてのこぎりで切ってこれが自然の生活だ!とか何とか・・・よく思想が似ていますね。

HONNEさま、また出てきてください、待っています。

2722ユタカ:2013/08/31(土) 06:51:30 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
>人類が「神の御心」を生き、「神の子」同志と知るとき、愛の心は国境を越え通じあうと歌われていますね。

わたしは「無我」の状態からでた行動には、必ず「相手への愛」がともなっているのではないかと思いました。

神は愛である!
無我とは「愛」である!!

今朝の神想観のときに、そんなことを考えていました。


素晴らしい気持ちのいい言葉を有難うございます。 無我=『愛』  なんて素晴らしいんだろう!!

今日はどれだけ『愛』を見つけて感謝できるかな? 今日一日、無我を生きるように心がけます。素晴らしいな、有難うございます。

みんな神の子なのですね〜、ありがとうございます。

2723曳馬野:2013/08/31(土) 07:21:02 ID:TZ2/719s
A hopeさん

【と云うことが観念でないのならば、エアコン、扇風機いりませんよね。
原発賛成の本流派の皆さんには福島に往って復興に協力していただきたいものです。放射能なんて外の物質には支配されないのですから。】

というような、極論はちょっと違うのではないでしょうか。

復興Gさまがおっしゃる【生命は、物質的環境に支配されるものではない。】

という意味は、神の子の自覚とは「エアコンを使うとか、放射能を浴びるとか、そんな現象の出来事には捉われない」ということのではないのでしょうか?

ですから、>>2712でHONNNEさまがおっしゃていることは、正しいのではないかと思いました。

*極論ですか?【利用できるものは何でも自由に利用したらよい、これはいけないあれはいけないなどと縛られてはいけない】と云うことでしょうか?
そうなんですよ、あれがあったらいいな、こんなのがあったらいいな、と人間の欲望に企業家は火をつけて、それを得た満足感を生活の豊かさと錯覚させたのではないのかな。私の小学生の頃にはエアコンはおろか扇風機も無く、夜は蚊が一杯ですので、ムシムシの蚊帳の中で親子五人寝まして、暑いので母親は団扇で扇いでくれました。自分で汗の出るときに団扇で扇ぐと、涼しさと疲れとが同じで何にもならないことがわかります。母の愛は有り難いです。というわけで扇風機もエアコンも無くても元気に育ちました。利便追求の結果として存在している物質に頼ること、これを生命の自由と思いますか?夏の暑い日でも土方仕事は有りました。そんな作業従事者は筋骨隆々、暑さに負けない体になったのです。それに引き換え今のお年寄りはエアコンの中、花屋の一定の温度管理されている切り花同然で、ちょっとした温度変化に体がついていかないのですね。温度変化に負けない体を生命によって作り出すことが自由であり、エアコンに頼らなければいけない体は生命の自由とは思えません。物に頼る生活を物を自由に使うことと同じとは思われないです。電気製品に頼るところに電気の需要が膨らみ、自然エネルギーでは追いつかづ原発と云うことになったのではないのですか?。そして一端何か起きた時には手の付けようがない原発、使用済み核燃料の処理法のない核廃棄物を今に生きる人間の欲望を満たした負の遺産として後世に残す。これが生命の自由とは私は思えません。
【放射能を浴びるとか、そんな現象の出来事には捉われない」ということなのではないのでしょうか?】
放射能を浴びることに捉われなければその人にとって何の害にもならないということでしょうか?であるならば真理をよく知った本流派の人たちは率先して福島で活動すべきですね。生長の家が瞬く間に福島を席巻するでしょう。

2724曳馬野:2013/08/31(土) 08:04:33 ID:TZ2/719s
A hopeさん

【両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。】

というようなことは、ありえないと思うのですよ。

【だって、実相世界では、すべてが完全円満に大調和していて、「自然が傷つけられる」なんてことも決してないわけですから。】

【雅宣先生と純子先生が本当に「自然が傷つけられている」と感じているのであれば、
それは両先生の心の「迷い」なのではないでしょうか?】


人生苦に悩んでいる人を見て「辛いだろうな〜」と思わないのですか?
そう思う人は迷っているのでしょうか?
人間は完全円満大調和であるから悩むなんてことは無いのだから。

【私は、日本国家の前途を思い、日本民族に課せられたる運命を思い、泣くに泣けない悲しみの中に、眠られぬ幾夜を過ごしていたある日の未明】  秘められたる神示p7

【両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。】  私の文

同じと思いますかどうでしょうか。

2725ユタカ:2013/08/31(土) 08:10:22 ID:R1D4Jmeg
a hopeさまの>問3 P55
「本当に愛する」とはどういうことか? 無我に関連したので
上記を解こうとして・・・ 再読しました。
P53 

前略 日本に生まれた日本人は日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、人類に貢献すべきであります。
日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、桜の木が桜の花をさかせることによって人類をよろこばすのと同様であります。
国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、自分が現在安穏に生活をつづけられているのもすべて国土のお陰です。

国土の恩(おん)と同時に、その国土開発につぶさに艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜物でもあります。

この恩 この賜物の一切を否定してしまって、祖国などはどうでもよい、祖先の意思などというものはどうでもよいものだというように祖国に対して反逆的思想をいだくということは、恩の否定、賜物の否定、感謝の否定ということになって、
これは 神の道ーー人の道ではないのであります。

a hopeさま 
問題を作ってくださって有難うございます。前後を読んでいましたら、ここで教団のことと重なり、せっかく尊師谷口雅春先生が鎮護国家を祈念して総本山を建立したのに・・・
素晴らしい言葉の請願券のまま、何千年もその言葉をそっくりそのまま伝えついでゆくという伝統を重んずることが 「人の道」と思い、

教団幹部は自分で「生命の實相」を読むなり、WEB誌友会に参加して人の道からはずれないようにしてほしいものです。
「生命の實相」という宗教法人「生長の家」のバイブルをしっかり読んで教団を立て直してもらいたいものです。と責めながら読んでいましたが、

更に先を読んで、
私も摂理によって自分に与えられた者を愛して、その人に自己の生命が神の子 仏子仏性であることを伝えてその悟りによってその人の運命に幸福なる世界境遇健康が展開して出てくるようにしむけてあげるように
を読んで、私自身がやらないと、自分が神様のお手伝いをします。
総裁に責任を押し付けるよりも、日ごろの自分の愛行の量が足りないんだって反省をしました。。

やっぱり、総裁や幹部のお陰で勉強させていただいているのですね〜〜〜。 実感します。

2726復興G:2013/08/31(土) 09:49:12 ID:AB6RqYXc

 みなさま、おはようございます。

 曳馬野さまが出てきて下さったおかげで、この板がにぎやかになったようで、ありがとうございます。

 神の子の生活は、ただありがたいばかりの、自由自在な生き方ができるのですね。ありがとうございます。

 私は、かなりの距離を(と言っても往復30km程度)、出向先などへ自転車(アシスト付き)で行くことがありますが、それは趣味で自転車を使うのであって、二酸化炭素を出さないために自転車を使わねばならぬと縛られて使うのではありません。自転車は、歩くよりは早く、周囲の景色を楽しみながら走れるし、健康にもいいですから、楽しんで乗らせていただいています。

 さて、>>2711>>2715 (web誌友会) 「次回はどうしますか」 について。

 ユタカさんは学校で忙しいから司会は無理で、あまり参加出来ないのですか。やむを得ませんね。

 でも、無理のない形で、楽しんで続けていきましょうよ。

 孔子の 「論語」 に、

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「学んで時に之(これ)を習う、亦悦ばしからずや。」

 <真理を学んで、常にこれを実修し、道に生きることは何と悦ばしいことだろうか。>

 「朋(とも)有り遠方より来たる、亦楽しからずや。}

 <志を同じくする友があり、遠方からも参加して同じwebの場で研鑽し、語り合えるのは、何と楽しいことではないか。>

 「これを知る者は、これを好む者に如(し)かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」

 <真理を知っている者は、真理が好きな者に及ばない。真理(道)が好きな者は、道を楽しむ者に及ばない。>

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 ――とあります。

 これらの言葉は、『生命の實相』 が好きで、楽しんでこれを生きようとする私たちのために、用意された言葉であるような気がします。

 感謝して、それを実行させて頂きましょう。

 それで、9月 第17回web誌友会、テキストは、前回第16回のつづきで、

 『生命の實相』 第4巻の後半、第5章から終わりの第8章まで全部、というのが適当ではないでしょうか。

 日程は、私は第3金曜日の20日から22日(日)の間が好都合です。

 開始は20日夜か、21日夜からにするか、a hope さまが決めて、開会の祈り・開会宣言をしていただけるとありがたく思いますが、a hope さま、いかがでしょうか。

2727曳馬野:2013/08/31(土) 10:18:52 ID:TZ2/719s
志恩さんお初でございます。ちょっと曳馬野のHDでものを言われたようではありましたが。

曳馬野さんは、この猛暑のなか、エアコンを使っておられないなんて、驚きです。
40℃近い日もありますからね。そういう特殊な方、世の中には いらっしゃるようで、
雅宣総裁の環境問題中心の教えを実行するとは、エアコンも使うな、と言ってるみたいです。

生長の家は、そのような不自然なことをする宗教では、ありませんので、死ぬといけませんから、残暑厳しきおり、考え直されてください。

●a hopeさんのところで書きましたように、私としては不自然なことをしているわけではありません。体を鍛えることをせず、やごい体で電気製品に頼ることはどんなものでしょうかと。当市でも39度とか言っていましたね。水さえ飲んでいればokなんです。
【「生長の家の教え」 は、断じてそんな教えではありません。生命は、物質的環境に支配されるものではない。】への意見です。私たち夫婦の寝室にはエアコンはついていません。茶の間はついているが今年は使っていないということです。日本中で電気の浪費をする、ために原発が必要になる。ドイツは原発を止めるという。未来に負の遺産を残さないことを国として決めた。あなたのように生命の実相を深くお知りになり、国の永遠を言う人が個人の利便のため、国土の未来を危うくする行動をとることは如何なものでしょうかと。SAKURAさん風に

曳馬野さんは、仙人みたいな人だから大丈夫なんですか。
でも、もしも、そうでしたら、
私は、そのような事は出来ますが、皆さんは、命の危険がありますから、皆さんは、
まねしないで下さいねと言って欲しいですね。

●勿論その通りで、肉体的に弱い方にそうしろと云うのではありません。真似しないでくださいね。
【生命は、物質的環境に支配されるものではない。】この通りでありましても、どれだけの人がこのように生きられるのでしょうか?この真理を声高に叫ばれるのであればエアコンはいらず、福島の放射能を無毒に変じてご覧あれ、ということなんです。放射能を無毒にできないのであれば、毒を出す可能性のある原発をなくそう、それが先生の環境保全の考えだと思うのです。個人は無いと云いつつ個人の生活の利便を追うことと、すべて一つの真理から地球の生命の自然な発露を求める先生とどちらが真理にかなっていると思いますか?

2728曳馬野:2013/08/31(土) 10:20:06 ID:TZ2/719s
つづき

【だって、実相世界では、すべてが完全円満に大調和していて、「自然が傷つけられる」なんてことも決してないわけですから。】とa hopeさんが言われていますが、
これは七つの光明宣言第二に
【吾々がひたすらそれに従って生きていこうとする生命顕現の法則とは何であるかと申しますと生々化育ということであります。これも吾々が「生命」として顕現れて来たと云う否定できない事実から出発するのでありまして理屈ではないのであります。吾々は事実上生まれてきて生長しつつあるのであります。】と書かれています。これによれば

【「来たって来たる所なく、去って去る所なし」
時空超脱の自由自在な霊性が人間生命の本質であり、人間本来の面目です。それが 「神の子」 ということです。】
と同じで想念の中での実相世界に感ぜられるのです。「実相現象渾然一体、実相現象渾然一体」と唱えることもあり、如意宝珠観では、「わが全身の細胞ことごとく如意宝珠にして」と唱え、肉体なしの一喝はあくまで肉体のみが人間とすることに対し、肉体ではない如意宝珠であるとするのが生長の家であると思っています。

その意味で萬物は物質でなく如意宝珠そのものであるから個人の欲望のままに自然を乱開発するのはいけない、自然に戻らないものを作り出してはいけない、とて神、自然、人間の調和を雅宣先生は言われているものと考えます。

2729a hope:2013/08/31(土) 11:36:15 ID:dyDQLtZQ
>>2723 >>4724曳馬野さま

曳馬野さまのお名前は(ひくまの)とよむのですね!
なんとなくですが、曳馬野さまとは、以前にもお話したことのあるような懐かしい感じがします。

web誌友会板にたくさん書き込みしてくださって、とてもうれしいです。
これからもどうぞ、よろしくお願いいたしまね!

ところで、
<<私の小学生の頃にはエアコンはおろか扇風機も無く、夜は蚊が一杯ですので、ムシムシの蚊帳の中で親子五人寝まして、暑いので母親は団扇で扇いでくれました。自分で汗の出るときに団扇で扇ぐと、涼しさと疲れとが同じで何にもならないことがわかります。母の愛は有り難いです。というわけで扇風機もエアコンも無くても元気に育ちました。利便追求の結果として存在している物質に頼ること、これを生命の自由と思いますか?>>

とのご質問ですが、実は我が家も、エアコンは出来るだけ使わない主義なのです。
わたしは自分の子どもたちには世界中のどんな場所に行ってもたくましく生きていけるように育ってほしいと思っていまして、
各子供部屋にはエアコンはつけてませんから暑い中でも扇風機だけで眠らせてますし、冬も必要以上の暖房は使わせていません。

ですが、今年は自分が仕事をしていますから、仕事が終わって疲れて帰ってくる上に、家の中が灼熱地獄では疲れが取れず次の日の仕事に支障がでてしあいますので、今年はエアコンのお世話になりました。
そうすることが、ベストだと判断したからです。

まあ、わたしがまことの「神の子の自覚」を悟って人間無限力を発揮すれば、曳馬野さまのおっしゃるようなエアコン扇風機なしの生活も可能になるのでしょうが、
まだまだ、わたしはそこに至っていないので、今は自分の「悟り」と相談しながら文明の機械のお世話になっています。

曳馬野さまは、エアコンや扇風機は<<利便追求の結果として存在している物質>>であるとお考えのようですが、太陽光パネルや電気自動車はそうではないとお考えですか?



<<【放射能を浴びるとか、そんな現象の出来事には捉われない」ということなのではないのでしょうか?】
放射能を浴びることに捉われなければその人にとって何の害にもならないということでしょうか?であるならば真理をよく知った本流派の人たちは率先して福島で活動すべきですね。生長の家が瞬く間に福島を席巻するでしょう。 >>

本流派の方々に関わらず、すべての人々はその「悟りの段階」それぞれだと思います。
だから、放射能を浴びて被害をこうむる方もいるでしょうし、全く何でもない人もいると思います。


また、「真理」を知らなければ、自分は明るく前向きに生活していても、「人類意識」や、「先祖の念」に影響を受けて病気になったり、突然不幸になる人もいると思います。

<<人生苦に悩んでいる人を見て「辛いだろうな〜」と思わないのですか?
そう思う人は迷っているのでしょうか?
人間は完全円満大調和であるから悩むなんてことは無いのだから。>>

『そういう辛い思いをしている方々をなんとか助けたい!』
という思いから、「生長の家」の人類光明化運動が発動したのではないのですか?
「人間は完全円満大調和」していることをお伝えしていく、つまり「人間は神の子」であると、お伝えしていくことが「生長の家」の人類光明化運動(人類救済)なのではないのでしょうか?
(つづく)

2730a hope:2013/08/31(土) 11:38:03 ID:dyDQLtZQ

(つづき)
<<【私は、日本国家の前途を思い、日本民族に課せられたる運命を思い、泣くに泣けない悲しみの中に、眠られぬ幾夜を過ごしていたある日の未明】  秘められたる神示

【両先生は「物質なし」であればこそ宇宙と一体の命に溶け込んでいればこその、自然が傷つけられることの痛みをわがこととして感じるからこその自然回帰であると思います。】  私の文

同じと思いますかどうでしょうか。 >>


雅春先生は、完全に「生命の實相」を悟られていました。
その上で、現象を見られて起こされた運動が「生長の家」の愛国運動、政治的運動だったのだと思います。
だから、当時は「真理」とそれらの運動の間には何の矛盾もなかったのだと思います。
ですが、現象に対する運動というのは時代が変わり現象が変われば、それに合わせて変えていかなければ、
運動そのものが「真理」から外れてきてしまうのではないかと、わたしは感じています。


一方、雅宣先生の環境保護運動ですが、一番の問題は、雅宣先生ご自身が聖典「生命の實相」をないがしろにされています。
ですから、教えの内容も、「唯神実相」とはかけ離れた二元論で、まったく「生長の家」らしくありません。
自然破壊という現象をみて、「やむにやまれぬ気持ち」で始められた運動という点では雅春先生と同じかもしれませんが、
それは、「生長の家」の人類光明化運動とはかけ離れた運動になってしまっていると感じています。


曳馬野さま、以上、すべて a hope の私見です。(>>2727 >>2728のご投稿を拝見する前に作成した文章です)

2731志恩:2013/08/31(土) 11:47:48 ID:.QY5jUA6
曳馬野 様

ご丁寧なお返事を、ありがとうございます。
エアコンを使用されなくとも、お水をマメに補給されてらして、なんともないのでしたら、環境問題に
協力されてるということで、それに越したことはないですよね。

幼少のころより、夏は暑いもの、冬は寒いもの、と、割り切って生きて来られた方々は、結構、猛暑にも強いお方が多いそうです。
それに、人間は、年を重ねるごとに、暑さ、寒さを感じる神経が、鈍くなってくるとも、聞いています。

私の夫も、環境問題を考慮してというより、実は、昔から、大のエアコンぎらいの人間でしたので、今から10年前までは、どんなに
暑くても、エアコンを家に導入しようとはしませんでした。

しかし、昔と違って、夏の気温が高くなっていますので、10年前からエアコンを導入しました。
我が家では、使いすぎないように配慮しながら、健康保持のために、使用しています。
(昔は、夏の気温は、30℃こえてたほど、今は、40℃近い)

そのきっかけとなったのは、ご近所の60代のご夫婦、二人暮らしでお子さんのおられないお宅でしたが、ご主人が、エアコンが大嫌いで、
エアコンを、使わず生活なさってたそうですが、ある夏、奥様が脳出血で救急車で病院へ搬送され、亡くなられて、一人残された高齢者のご主人も、
その2年後、真夏の暑い日に、
今度は、脳梗塞で倒れて、あれから、10年経ちますが、まだ死んでは おられませんが、後遺症が重くて、自宅へは戻れず、施設に入リ、
ハビリを続けていると、他県から、ときどき、
その空き家になった家の管理にいらしているご主人の弟さんに、前に、伺ったからです。

高齢者になると、血管は細くなります。そして、夏は、暑い中に ずっといますと、血が 血管に詰まりやすくなるそうです。


以下のネット情報もございます。

「熱中症で救急搬送された高齢者のうち半数が、部屋にエアコンがあるのに使っていなかったことが、日本救急医学会の調査で分かった。
政府は7月から3カ月間、節電を求めているが、調査の担当者は「エアコンをうまく活用して、暑さを乗り切って」と呼びかけている。

日本救急医学会が2012年7〜9月に、全国103の救急医療施設に熱中症で救急搬送された【2130人】の症状などを調べた。重症度や発症のきっかけ
などを聞き取って集計した。搬送された時期は7月下旬が最多。昨年は7月16日から26日にかけて本州、四国、九州が梅雨明けし、連日35度を超える
猛暑日だった。

室内にいて搬送された患者について、エアコンの使用状況を「使用中」「(設置しているが)停止中」「設置なし」に分けて聞き取った結果、65歳以上は
「停止中」が111人と53%を占めた。40歳未満と40〜64歳は「設置なし」が最も多かった。 」

大丈夫な人は、大丈夫ですが、お体、おだいじになさって下さいませ。

エアコンの省エネ化は、年ごとに、すごい進化を遂げています。
むしろ、テレビのほうが、つけっぱなしのお方が多くて、そちらの方が、電力を食うと言われています。

2732ユタカ:2013/08/31(土) 11:56:18 ID:R1D4Jmeg
おお! 復興Gさま!

>神の子の生活は、ただありがたいばかりの、自由自在な生き方ができるのですね。ありがとうございます。

なんと、素晴らしい!! 八方十方唯有難い!!と自由自在な生き方をしたいです!!
最近は真理の言葉が、輝いて見えるのです。

一般学校の方も最初よりは大分緊張がとれてきましたから、大丈夫そうになってきました。。
生命の実相は勿論素晴らしいです、復興Gさまのおっしゃる論語の勉強も新鮮で、宗教を超えて様々な人に受け入れられるのでこれからも真理に盛り込んで下さって、いろいろと教えて下さってみなさんで勉強すると、さらにとても楽しくなりそうです。

私は、論語に興味深々です。 よろしくお願いいたします。

2733a hope:2013/08/31(土) 12:55:38 ID:dyDQLtZQ

>>2725ユタカさま

わたしの作成した問題に取り組んでくださりありがとうございます!
愛国心の強いユタカさまらしい回答の出し方だと感じました。

ちなみに

>問3 P55
「本当に愛する」とはどういうことか?

のわたしの回答は、「神を愛する前に自分の家族を愛すること」となりました。
なかなか身近な家族に本当の愛を表現するのは難しいですけどね(笑)

ところで、家族と言えば「生長に家」の信徒もすべて家族なのですよね!
だから、わたしは「生長の家」のお父さんお母さんである、雅宣先生と純子先生のことは心から愛しています。
そして、いつも心から感謝しています!

2734a hope:2013/08/31(土) 12:57:05 ID:dyDQLtZQ

>>2726復興Gさま

素晴らしい、論語のお言葉を紹介してくださりありがとうございます。

 「これを知る者は、これを好む者に如(し)かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」
<真理を知っている者は、真理が好きな者に及ばない。真理(道)が好きな者は、道を楽しむ者に及ばない。>

『好きこそ物の上手なれ』ということわざを思い出しました!


<<9月 第17回web誌友会、テキストは、前回第16回のつづきで、
『生命の實相』 第4巻の後半、第5章から終わりの第8章まで全部、というのが適当ではないでしょうか。
日程は、私は第3金曜日の20日から22日(日)の間が好都合です。
開始は20日夜か、21日夜からにするか、a hope さまが決めて、開会の祈り・開会宣言をしていただけるとありがたく思いますが、a hope さま、いかがでしょうか。 >>

そうですね、第17回web誌友会もまた、無理のない形で参加させていただきます。
それでは、20日(金)〜21日(土)ということで、いかがでしょうか?

2735a hope:2013/08/31(土) 12:58:33 ID:dyDQLtZQ
  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

第17回web誌友会予告

日時 9月20日(金)21時30分〜
   9月21日(土)23時まで

テキスト 『生命の實相』第4巻
      第5章から第8章まで

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


今回も皆さんと真理のお勉強ができることに心から感謝いたします。合掌。

2736復興G:2013/08/31(土) 13:22:20 ID:AB6RqYXc

a hope さま、ありがとうございます!

お昼ご飯も遅らせて、懸命のご奮闘、お疲れさま。

どうぞ少しゆっくりしてください。ありがとうございました!

第17回web誌友会、お世話様です。楽しみに、私も準備させて頂きます。

合掌

2737復興G:2013/08/31(土) 13:31:43 ID:AB6RqYXc

>>2732 :ユタカさま

ありがとうございます!

「論語」 も、それから 「老子」 も、宇宙に遍満する 「道」 を説いていて、私は大好きです。

真理は一つ、道は一つで、『生命の實相』 と共通、共感するものがあり、『生命の實相』 を理会するのにも役に立ちます。

だから谷口雅春先生も、孔子・老子を現代に生かすというご講義もされているんですね。

2738ユタカ:2013/08/31(土) 19:20:35 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
>ところで、家族と言えば「生長に家」の信徒もすべて家族なのですよね!
だから、わたしは「生長の家」のお父さんお母さんである、雅宣先生と純子先生のことは心から愛しています。
そして、いつも心から感謝しています!

こちらを読ませて頂いて、とても嬉しい気持ちになりました。私も感謝したいです。。。

そして、WEB誌友会の予告を有難うございます。 昼食を取る間もなくご愛行されてありがとうございます。復興G様が張り切ってくれています!!嬉しいですね!
お元気な復興Gさまで有難いですね。


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