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Web誌友会 板/2
2316
:
こんにちは
:2013/07/14(日) 10:24:13 ID:cCXifkCY
こんにちは
http://888.pm/4nx
http://888.pm/hkd
http://888.pm/7rg
http://888.pm/t3m
http://888.pm/DXu
2317
:
ユタカ
:2013/07/14(日) 14:14:01 ID:R1D4Jmeg
>2316 を開いたら ブランドバックの¥広告だった>< イランわ!! 興味無い!!\\\
トキさま2316と2317削除してください。
2318
:
a hope
:2013/07/14(日) 17:23:05 ID:edEDolt2
別板の「まじめな話」の板から引用させていただきます。
とてもすばらしい体験談ですし、「人間神の子の真理」を悟れば、
本当に病気は消えるという、動かぬ証拠だと思います。
宇治では、今でもこのような奇蹟が実際に起こっているのですよね。
ジャリンコチエさま、勝手に引用してすみません。
チエさまもよろしかったら、web誌友会ご参加くださいね!
1320 :ジャリンコチエ:2013/07/13(土) 19:22:32
宇治の体験集より*Hさん65歳の男性です。
この方は食道がんで余命6ヶ月の宣告を受け宇治に来られました。
とても感動しましたので謹写
さあ後六ヶ月ということは八月です。「八月には愈々死ぬのだ」と思いますと、この八月までに腹を決めて
「にっこり笑ってさようなら」と谷口先生のあの別れの言葉を私も二十年も前に読んでおりましたし、
「またいずれお会いします」という風に、はっきり書いてありました。
「よし、これからは谷口先生のこの人間神の子の真理を
本当に心の底まで納得してから死のう」ときめました。
生長の家の組織との縁は切れておりましたが、谷口雅春先生の一信徒でなかった日は
一日としてありませんでした。
(中略)
ちょうど長田先生の御講話の最中でございました。
そこで先生が「現象は無い、物質は無い、肉体は無い」と
書かれて、これに×印を付けておられました。そして最後に「無し、無し、無し」と漢字で書いてあります。
本で読んだ通りに書いてあるわけなのですが、その後に私は自伝編の二十巻で「心も無いのかなあ」と、
心に思った時に、「心も無い!とその声は言ったのであった」という一行も思い浮かべたのです。
丁度その時に長田先生が「心も無い!」とおっしゃってですね、これを黒板消しでお消しになったのです。
その時に私の魂にグサッと矢が刺さりました!
「分かった!」と思ったんです。「あーこれで死ねる、これで死ねるぞ」と。
「分かった!」と思って体が震えるような喜びでした。
(中略)
その事があった後、この二ヶ月も三ヶ月も通らなかったご飯がですね、
その三日目の晩に通ったんです。それで部屋に戻りまして一緒におられた方に
「通ったぜー俺、今日、俺、分かったから、俺、それで通ったのかな⁈
という話をしまして、いよいよ最終日を迎えました。
(中略)
予約を入れていたのですが、もう分かったので、楠本先生には何もお聞きすることはありませんでした。
しかし、あの世で母に会ったとき、"最後に楠本先生にお会いしてご挨拶をしてきた"と
伝えたく思い、お会いすることにしました。
楠本先生は、「あなた何しに来たの、聞くことないの」と言われまして
「ありません、全部分かりました」と申しました。「そうか、分かったか、あっはっはっー」と先生はお笑いになりました。
その後、先生の最終のご講義を受け、使命があるということを教えて頂きました。
「よし、この人類光明化運動という使命が俺にはあるんだ」という気持ちを持って帰りました。
(後略)
翌日、ゼロになっていた穴が直径一センチ(普通は二センチ)まで拡がっていることが病院で確認されます。
そしてその後Hさんは食道がん克服の体験を生かして他の癌患者を救う使命を果たされます。
*部分的に略しましたが、文章は原文ママのはずです。携帯からチマチマ打ってるので読みにくかったらすみません。
1323 :ジャリンコチエ:2013/07/13(土) 19:35:58
余命を告げられた時の決意に圧倒されました。
2319
:
a hope
:2013/07/14(日) 17:57:23 ID:edEDolt2
それから、もう一つ同じ板に、とても同感できる投稿がありましたので紹介させていただきます。
閲覧者Aさま、勝手な引用をお許しください。
1325 名前:閲覧者A 投稿日: 2013/07/14(日) 06:39:16
会社組織で働いてたら、本当によくわかる。
トップの考え、方針の変更で、会社の雰囲気が、ガラッと変わる。
トップの考えについていけないから、トップの考えは変だから、自分の考えで事を運ぶと動いたら、会社組織と和解がなくなる。
ストライキを起こすしかないだろう。
会社をより早くするための、ストライキを起こすしかないだろう。
トキさんのような人が、日本各地に現れて、聖使命を納めないストライキを起こすならば、もしかしてもしかしたら変わるかもしれない。
――――――――――――――
わたしも、独身時代から会社勤めは何度もしていますので、閲覧者A さまのおっしゃる意味が本当によくわかります。
会社だけではなくて、幼稚園、学校などでもその上に立つ人(園長・校長)によってその雰囲気はガラリと変わります。
ましてや、人の魂の問題を扱う宗教団体のトップといったら、霊や魂のレベルまで影響を与えてしまうでしょう。
これはわたしの個人的な推測ですが、おそらく、現在教団に残られて「雅宣先生の教え」となんとか折り合いをつけながら、
本来の「人間神の子」や、「現象は無い、物質は無い、肉体は無い」などの講義をされている先生方は、
今は「雅宣先生の教え」のおかしさよりも、閲覧者Aさまのおっしゃる「組織との和解」を第一に考えていらっしゃるのではないのでしょうか?
だって、宇治の講師の先生方が「雅宣先生の教え」のおかしさに気づかれていないはずがありませんからね。
宇治で今でも奇蹟が起きているのは、今現在は、この「和解」が成立しているからだと思います。
大調和の神示にハッキリと「すべてと和解したものの中にのみわれはいる(略)汝がすべてのものと和解したとき其処にわれは顯れる」
とありますからね。
ただ、これから先はどうなるかはわたしにはわかりません。
わたしは、閲覧者Aさまのおっしゃるように、信徒がストライキでも起こすしか手はないようにも感じてしまっています。
みなさまは、どう思われますか?
2320
:
a hope
:2013/07/14(日) 21:29:37 ID:edEDolt2
宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、
結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。
そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。
これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?
一方、雅宣先生は今、何をなされているのでしょうか?
わたしは、雅宣先生は「生長の家」と信徒を愛していらっしゃると感じています。
ですが、本来の「生長の家の教え」とはかけ離れた方法でその愛を表現されようとしていらっしゃる。
練成道場もない森のオフィスで、雅宣先生はご自分のやりたいことをされたらいいのではないでしょうか?
そしてその代わりに、宇治別格本山や長崎総本山や他の練成道場の練成会は、
本来のままにそっとしておいてくださいませんか?
2321
:
閲覧者A
:2013/07/14(日) 21:48:06 ID:???
>>2320
のa hopeさん、私のコメント引用恐れいります。
しかし、雅宣さんが生長の家総裁ですから、宇治や総本山や道場をどうするかの決定権は、雅宣さんですよ。
お気持ちは重々解りますが、総裁は自分のやってることが、正しいと自信持って、やっているのですよ。
経営者は、自分の方針に合わないなら、社員はお去り下さって結構と思っているのではないですか?
雅宣さんにしがみついても、駄目ですよ。
彼の生命を生かして差し上げないと。
教団組織に和解するんじゃなくて、真理に和解ですよ。
人と人に和解してはいけない。
真理に和解することは、雅宣さんの生命を生かされることも、その1つです。
そこに、信徒は自ずから何をすべきか見えてくるでしょう。
2322
:
rei
:2013/07/14(日) 22:09:44 ID:ZIftZ1jM
復興Gさま
ユタカさま
a hopeさま
あたたかい言葉をありがとうございます。
お言葉に甘えましてちょっと書かせて頂きます。
ただ、私は打つのも読むのも遅く、会話にならないかもしれないことを
先にお伝えしておきます。
この2年あまり、ここを拝見させていただきながら、
ずっと頭に引っかかっておりました。
それは「天使の言葉」の最後のほうにある言葉で
ーーー万の物ことごとく意に従って出現し、
用足りておのずから姿を消す。ーーー
という言葉です。
15、6年位前ではなかったかと思うのですが、
信徒の幹部の方からの訴えで
運動が辛くて辛くてたまらないという内容のものが雅宣総裁だったか、純子先生
にだったかに届けられて、信仰をそんなに苦しんでしないで頂きたいという答え
だったかと覚えております。その訴えが切実なものだっただけに、総裁はとても
悩まれたように、私には感じられました。
それ以後、組織運動がどんどん楽なものに変わっていったように思えるのです。
1年ごとだった講習会が2年ごとになり、講習会の目標数も教区大会の目標数も今
は自主目標になり、教区大会も隔年になりました。教区ごとに上からの伝わり方
に温度差があるのかもしれないとは思いますが、「自主目標」に間違いはないと
思います。強制的に数を押し付けられている運動は今はないと思うのです。
団体参拝も会員だけに限定されているのは、無理に誘わないでも良いという事で
はないかと思えます。総本山と河口湖での母親練成会もなくなりましたし、普及
誌の大量伝道もしなくて良いという方針で、ハッキリ言ってとても楽な運動です。
支部長にとっては。
政治運動もないし、署名活動もないですし。地元の誌友会を大切にして下さいと
いう運動ですね。ご縁があって生長の家に触れた信徒が楽な様にと楽しい生活が
出来るようにと変わっていったのではないかと思うのです。こんなことを言って
も、私も総裁の講話は超嫌なんですが、運動の面で言えばこのように思わざるを
得ません。
信徒が楽をのぞんだから。
伝道をしていくとそれはそれはとんでもない批判や厳しい目を向けられる事も常で
仲間内だけで真理の勉強しているほうがよっぽど楽だと思った事も何度かあります。
今の総裁の方針だと宗教っぽさがなくて、環境団体のようで世間一般の人に受け入
れられやすいと思われたのではないかと思えてきます。実際は反対になって、楽を
すればするほど、伝道の意欲も低下してしまったように思います。
だから、
「ストライキ」をするのじゃなくて、
「法悦を喜ぶ」ことをどんどんすべきだと思います。
信徒が喜んで喜んで、神の子だ!嬉しい嬉しい!ありがたい!
という声が大きく大きくなったら、
そのことに大勢が気づいたら、
総裁の今の姿は、用が足りて消えるのじゃないかと、こんな事を考えているのです
が、私の考えは甘いでしょうか・・・。
大勢ではなく、「わたし」が気づいたらいいですね。
もう、ユタカさまが実践しておられますね。
わたしも今からやります。
私は神の子、日本一バンザイ!!!バンザイ!!!万歳!!!
逢う人ごとに言っていきたい。
「私は神の子って教えられたの、嬉しいね、有り難いね!」
今まではこの言葉が足りてなかったように思う。
復興Gさま
田中曹長の話に照らして考えたらこのような気持ちになりました。
ありがとうございました。
合掌
2323
:
閲覧者A
:2013/07/14(日) 22:39:04 ID:???
横から口を挟みますが、人間は誰しも今を生きて生かされていますから、1秒前の自分は誰しもが、用足りて死んでいるのではありませんか?
神の子を喜ぶ声が増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えるという考えは、総裁に失礼ではありませんか?
2324
:
ユタカ
:2013/07/14(日) 23:18:44 ID:R1D4Jmeg
すぐ忘れちゃう人に何度も読んで頂きましょう。。。
>>2282
2282 :復興G:2013/07/13(土) 06:15:03 ID:AB6RqYXc
ユタカさま、あさひ様、皆さま、ありがとうございます。
「行動」は、無鉄砲な、軽はずみな、心が一部にのみ引っかかっているような行動ではいけない、と思います。
「抗争」であってはいけません。
>>全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。<<
とお教え頂いているのであります。
自分の中に宇宙がある。自分は宇宙である。すべての根源なるものである。一切者である。だから、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのである! 山に動いて海に入れと云うとも、必ず成るのである!
ありがとうございます。
2325
:
a hope
:2013/07/14(日) 23:25:45 ID:edEDolt2
>>2321
閲覧者Aさま
コメントありがとうございます。
<<彼の生命を生かして差し上げないと。
教団組織に和解するんじゃなくて、真理に和解ですよ。
人と人に和解してはいけない。
真理に和解することは、雅宣さんの生命を生かされることも、その1つです。
そこに、信徒は自ずから何をすべきか見えてくるでしょう。>>
というと、やっぱり、ストライキということでしょうか?
ストライキすることが、雅宣先生の生命を生かすことにつながるというのを、
もう少し詳しく説明してくださいませんか?
2326
:
ユタカ
:2013/07/14(日) 23:26:57 ID:R1D4Jmeg
>神の子を喜ぶ声が増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えるという考えは、総裁に失礼ではありませんか?
ほとんどの残留の信徒が皆さん、そのように思って我慢しているのに!!何を今更言うのか!!??
あなたは生長の家の信徒ではありませんね!!! どこの誰なんですか??? 教えに反する裁判をやってのけるのは誰なんですか??!! ご存知ない??
あぁ〜〜〜!!今日は夏みかん食べ過ぎた!!! アーーーー・・・スッパイ!!スッパイ!!!
ご苦労さん!!
2327
:
a hope
:2013/07/14(日) 23:28:07 ID:edEDolt2
>>2322
reiさま
組織に属さないわたしのような個人が「生長の家の教え」を信仰していくのであれば、
ただ、「人間神の子」を喜んで「生命の實相」をお勉強していればいいのかもしれません。
しかし、組織に属していると、人間って意外に洗脳されやすいものだと感じています。
雅宣先生の教えが最初はおかしいと感じていても他の皆が疑わずに信仰していると、
そんなもんだと感じてきて、だんだん本来の教えから遠ざかっていくようなきがします。
わたし個人的には何も問題はないのです。
ただ、こうしてこの掲示板にご縁があって、今「生長の家」の問題を直視している状態で、
わたしが何をすべきかを考えています。
この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、
今のわたしの使命のような気がしています。
2328
:
トキ
:2013/07/14(日) 23:30:56 ID:6oJ0A2W6
ジブリの新作映画は、零戦の設計で有名な堀越二郎さんです。この零戦は、海軍がプランを出して来た時に、あまりにも矛盾するような要求が
多く、ライバルの中島飛行機が設計を断ったという話があります。こっちを立てれば、あっちが立たない、という要求でしたが、それを苦労して
両立する設計をなしとげ、零戦は世界最高の戦闘機になったのです。
他にも、歌舞伎など、昔は女性が演じていたのが、ある時、突然、幕府が女性の歌舞伎を禁止したのです。それが契機で女形という形式で歌舞伎
は独自の発達をとげたのです。
生長の家も、いわば組織が迷走を始めたのですが、それを凶とするか、吉とするかは、信徒の今後の言動によると思います。
これを乗り越えたら、生長の家はほんとうの世界宗教になると思います。
2329
:
ユタカ
:2013/07/14(日) 23:35:32 ID:R1D4Jmeg
いまの総裁の姿=裁判ってこと!! プラス兄弟親戚との抗争。 父親の通夜の席の行状。その他もっともっと現象的には最悪ということを言っているのでしょ。。。
何処が失礼だ?? 事実でしょ。
2330
:
ユタカ
:2013/07/14(日) 23:40:28 ID:R1D4Jmeg
フォローにまわっているのですが・・
>この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、
今のわたしの使命のような気がしています。
分かってないねーーー。 a hope さまは。↓
reiさまと私は一致していますがね。。。。
2331
:
閲覧者A
:2013/07/14(日) 23:42:43 ID:???
a hopeさん、一言言葉を添え忘れました。「組織、教団に留まり、内部から変革をしたいと思っている場合には、何らかのストライキが必要」だと思います。
あまり、ストライキという言葉に引っ掛からないで下さい。
ストライキを教団にあてはめれば、聖使命を納めないことも選択肢の1つでしょうが、例えば、生命の實相誌友会を復活したいと、署名運動を起こしたりすることも、内部変革の1つではありませんか?
ストライキという言葉を用いたのは、不適切でしたらお詫び申し上げます。
生長の家は拝の教えでありますが、表現するために生かされているのですから、なんでもハイハイ現象に従う教えではないと思うのです。
2332
:
a hope
:2013/07/14(日) 23:45:50 ID:edEDolt2
>>2330
ユタカさま
わたしわかってないですかね(笑)
でも、こうして現象をみて問題提起してみることで、
より多くの方のご意見が聞けるのも事実ですよね?
2333
:
閲覧者A
:2013/07/15(月) 00:12:34 ID:???
>>2326
ユタカさん、私は末端の一信徒です。教団に所属していませんが、何せまだまだ学びが、これからの身です。
どこの誰かは、言った方がいいのでしょうか?住所氏名を明かす勇気はないので、お許しいただけませんか?
私は、雅宣さんの方針や過去の色々な言動を理解しているつもりです。正直、団体のトップとして、あるまじき行為だと憤慨しています。
しかしながら、信徒の人生は、総裁の責任にしてはなりません。信徒自身が責任をもって生かされていかねばなりません。信徒の信仰の責任を教団に求めることをしてはならないと思います。
教団信徒の方にも、色々な意見がありましょうが、「神の子の喜びが増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えると、我慢して残留している人が、多い」と言われますが、何故我慢されるのですか?我慢して雅春先生はお喜びなるでしょうか。
雅春先生は「生長の家のパテントは、皆さん1人1人に渡しましたよ。あなたにも。あなたにも。あなたにも。」とおっしゃいましたよね?
雅宣さんの言動には多々問題点あれど、経営者としては、社長と同じです。社長の意見に合わないならば、辞めるか内部変革を社員自身が行うしかないのではありませんか?
2334
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 00:15:45 ID:R1D4Jmeg
閲覧者Aさま
>神の子を喜ぶ声が増えて大きくなると、いまの総裁の姿は用足りて消えるという考えは、総裁に失礼ではありませんか?
どうして失礼になると思いましたか?
私は、マサノブ総裁を観世音菩薩と見立てていると思っていらっしゃると思いましたが?
2335
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 00:23:32 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
>>2232
わたしわかってないですかね(笑)
でも、こうして現象をみて問題提起してみることで、
より多くの方のご意見が聞けるのも事実ですよね?
>>この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、
今のわたしの使命のような気がしています。
a hope様の 使命はそこでは↑ないのではないですか?? そこを分かって欲しいと思います。
話題の提供には同感で感謝いたしますよ。。。
2337
:
閲覧者A
:2013/07/15(月) 00:25:38 ID:???
a hopeさん、私は真理に和解することは、雅宣さんの生命がいかされることと、書きましたが、ストライキすることが、雅宣さんの生命を生かすこととは、書いてないと思うのですが。
2338
:
a hope
:2013/07/15(月) 00:40:47 ID:edEDolt2
>>2335
ユタカさま
そうですね。
わたしの本当の使命は、そんなちっぽけなことではないかもしれませんね〜〜
↑
と、ちょっと大きく出てみました(笑)
なんせ、人間無限力を悟れば、地球ぐらいは蹴とばすこともできるのですからね!
でも、わたしの経験(雅宣先生の教えで体調を壊したという)を生かすという意味においては、
それが、今現在のわたしの使命だと感じています。
これから、もっともっと「生命の實相」をお勉強して、ちゃんと「教え」を悟れば、
もっと大きな使命を果たせるかもしれませんね!
でも、それは神縁あって「生長の家の教え」に触れた皆さんに言えることですね!
2339
:
閲覧者A
:2013/07/15(月) 00:51:32 ID:???
ユタカさん、私は総裁を観世音菩薩と見立てて書いてはいません。
総裁は、一団体のトップであり、最高責任者です。
総裁は、総裁自身の考えで、教団を経営されています。
そして、雅宣さんの人生は雅宣さんの責任であります。
雅宣さんの人生の責任において展開されている雅宣さんの人生に対して、「信徒が神の子の喜びを大にしていけば、総裁のいまの姿は用足りて消える」と、教団信徒さんが所属している組織のトップに対して言うのは、失礼ではありませんか?
しかしながら、教団信徒さんのなかで、現状を知らない人には、私は真実を語り歩いています。
私は、所属している、学ぶ会の代表の先生方には、感謝の思いで一杯です。
今日はこれ以上書けません。もし何かありましたら、その際には他の板に書きます。
2340
:
a hope
:2013/07/15(月) 01:01:42 ID:edEDolt2
>>2337
閲覧者Aさま
本当ですね。
読み直してみると、わたしの早とちりですね。
大変失礼いたしました。
ユタカさま宛ではありますが、
>>2333
のご意見には、深く同意させていただきます。
「本当の和解は互にこらえ合ったり、我慢し合ったりするのでは得られぬ、
こらえたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ、
感謝し合ったとき本当の和解が成立する、・・・」
という「大調和の神示」の文章は、とても大切だと感じています。
我慢の上に成り立つ和解は、本当の和解ではなく、むしろ我慢してる方の潜在意識に、
恨み、憎しみ、怒りなどの悪感情が抑圧されていくのだと思います。
ならば、どうしたら相手に感謝できる心境になれるかといえば、
やはり、我慢せずその時の自分の心(神の心)に正直な行動をとるべきだと感じています。
そしてその行動の現れは、その人その人によってちがうのでしょうね。
2341
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 02:20:59 ID:R1D4Jmeg
閲覧者A様
観世音菩薩と見立てた方は閲覧者Aさまではありませんことは充分に分かっております。
>雅宣さんの人生の責任において展開されている雅宣さんの人生に対して、「信徒が神の子の喜びを大にしていけば、総裁のいまの姿は用足りて消える」と、教団信徒さんが所属している組織のトップに対して言うのは、失礼ではありませんか?
上記の場合、雅宣総裁に誰も言いにいきませんよ、信徒である一人一人の雅宣総裁への見方、即ち教えに反するように見える行為に見える自分の観方は、自己内部神性の光明で照らして観ていくという事を申しております。
あくまでも、自己の神性開発ということでありまして、総裁と直接関わりはありませんが?
>しかしながら、教団信徒さんのなかで、現状を知らない人には、私は真実を語り歩いています。
そうですか。私は現状を知らない人はそう数は多くないと思います。学ぶ会が活躍されていますから。
現状を知らない人などは、深く真理も知らない人だと思いますので、そのような方々に現象のこと、裁判や悪口を言うと、結局嫌気がさして、教団にも学ぶ会にも距離を置くのではないでしょうか?
そういう方々にこそ、本当の生長の家の御教えを正確にお伝えしてあげたら、其のほうが早く現状を認識してさらに信仰を深化させていけるものと信じます。
学ぶ会ならば、自由にのびのび、普通に嬉しい楽しいでしょうが、教団では、長い信徒はみな苦悩しているのは事実です、残念ですが・・・・ ですがそこが修行の正念場です、この御教えを深く正確に学べるなら
明るくやっていけるでしょう。 大体、深く学びたい人はこの間の地方講師の先生のように教化部長と副代表の前原先生に許可を頂いたりして靖国見真会で勉強してくるのですから・・・ご心配なく。。。
雅宣総裁は総裁自身の展開で、天災や裁判、インターネット悪口か書かれたりなど、相当に自分自身の展開で生活されていらっしゃいますから、閲覧者A様も自己の展開になられるでしょう。
学ぶ会なら大丈夫、神殿があるのですから。。。そしてWEB誌友会でみんな一つと教えていただきました。
教団も他団体も神様にとって一つ。みんな住吉大神様に愛されている。。持ち場持ち場で大光明を発するの事が使命でしょう。これだけが事実であると思います。
2342
:
rei
:2013/07/15(月) 08:29:47 ID:ZIftZ1jM
おはようございます。
ユタカさま
そうです、そうです。
私は総裁に向かって言ったのではありません。
なんで総裁に失礼になるんだろう?って考えていました。
正確に読んで下さり感謝です。
それにしても
閲覧者Aさまに向かって
「あなたは生長の家の信徒ではありませんね!!!どこの誰なんですか???」
と言われたあなたはとてもカッコよかったです。
ありがとうございました。
合掌
2343
:
a hope
:2013/07/15(月) 10:41:27 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。
>>2341
ユタカさまの閲覧者Aさまへの発言ですが、
<<私は現状を知らない人はそう数は多くないと思います。学ぶ会が活躍されていますから。
現状を知らない人などは、深く真理も知らない人だと思いますので、そのような方々に現象のこと、
裁判や悪口を言うと、結局嫌気がさして、教団にも学ぶ会にも距離を置くのではないでしょうか?
そういう方々にこそ、本当の生長の家の御教えを正確にお伝えしてあげたら、
其のほうが早く現状を認識してさらに信仰を深化させていけるものと信じます。>>
この前半部分のお言葉にはほとんど同感ですが、ひとつだけ、<<現状を知らない人はそう数は多くないと思います。>>には首を傾げてしまいます。
教団に在籍されている、多くの白鳩会員さまは現状をご存じないように見受けられますが・・・。
特に、年齢が上の方々でパソコンを使わず、長年、聖使命会費をご家族、親せき、知り合いの方々の分まで、
沢山納められてこられたような方々です。(はっきり言えば、今の教団を経済的に支えていらっしゃる方々です)
わたしはそのような方々に、今現在の教団の状態、つまり雅宣先生が今までどんなことをされて、
これから何をなさろうとされているのかをしっかりご説明してあげるのは、本来であればそれは教団サイドの義務であると思っていますが、
実際には、意図的であるかどうかはわかりませんが、それがされていないわけですから、
その代わりに、閲覧者Aさまのような心ある信徒の方が事実を伝えてあげるのは素晴らしいご愛念だと思います。
ですが、教団にいる多くの白鳩会員さま方が「学ぶ会」や「ときみつる會」と聞いただけで嫌悪感を示すというのも事実だと思います。
だったら、現教団に在籍していて事実をご存じの信徒の方々が、「森のオフィス」や「裁判」に関する正確な情報等を、
何もしらない白鳩会員さま方にお伝えして差し上げたらいいのではないでしょか?
信じがたいことですが、本当はすべての信徒の方々にはご自分の納めている聖使命会費がいったいどんな風に使われているのか、
正しい情報を知る権利があり、そして教団側にはしっかりわかるように知らせる義務があるにも関わらず、それがなされていないようですので。
(つづく)
2344
:
a hope
:2013/07/15(月) 10:43:02 ID:edEDolt2
(つづき)
そして上のユタカさまのご発言の後半部分ですが
<<そういう方々にこそ、本当の生長の家の御教えを正確にお伝えしてあげたら、
其のほうが早く現状を認識してさらに信仰を深化させていけるものと信じます。>>
このご発言に関してですが、
大自然讃歌や観世音菩薩讃歌が平然と読誦されるようになってしまった現教団で、それは可能でしょうか?
いくらわたしたちがここで復興Gさまから『本当の生長の家の御教え』を学んでも、
ニセのお経や、誤った教えがはびこりだした教団で伝道していくのは、わたしは自分自身の経験から不可能に感じています。
なぜならそれは結果的に二元論を信徒に伝道することになり、伝道された方々の魂を深く迷わせる結果になると思うからです。
わたしは、今、大切なのは<<本当の生長の家の御教えを正確にお伝え>>する場所を確保することだと感じています。
そう考えたので、
>>2320
の発言を、雅宣総裁と、本部関係の方々に向けてご提案させていただきました。
以下、再掲載させていただきます。
2320 :a hope:2013/07/14(日) 21:29:37 ID:edEDolt2
宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、
結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。
そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。
これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?
一方、雅宣先生は今、何をなされているのでしょうか?
わたしは、雅宣先生は「生長の家」と信徒を愛していらっしゃると感じています。
ですが、本来の「生長の家の教え」とはかけ離れた方法でその愛を表現されようとしていらっしゃる。
練成道場もない森のオフィスで、雅宣先生はご自分のやりたいことをされたらいいのではないでしょうか?
そしてその代わりに、宇治別格本山や長崎総本山や他の練成道場の練成会は、
本来のままにそっとしておいてくださいませんか?
2345
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 11:57:31 ID:R1D4Jmeg
>教団に在籍されている、多くの白鳩会員さまは現状をご存じないように見受けられますが・・・。
a hope様は何年同じ支部に所属して、どんな奉仕をされたのでしょうか?
教区でよく顔をあわせ、練成のお手伝いや講習会には実行委員として立たれましたか?
そうやって、会員同士仲良くしているならば、みなさんは本音をいいますよ。
a hopeさまはどのようにして白鳩の会員さんが現状を知らないと言われたのでしょうか?
勿論、私とて、入信したての人に組織の事を質問されても、知らん振りしていますがね??
特に、私の教区では、私の知り合いの中で、何も分からない、知らないなどという人は誰もいませんよ。。。
特に普段から教団擁護を発言しているのに、こっそり学ぶ会の全国大会にちゃっかり参加していたらしいですので、笑ってしまいました。
それほど、学ぶ会は盛んですし、信徒にとっては魅力でしょう、内容が。。。
それから、真理を学ぶ場も、人それぞれ確保されております。
自分の誌友たちと生命の実相の輪読会や読経、写経と様々。
それから、うちの総連の中で、もう引退しているお年寄りは、とっても情報が早く、いろいろなことを知っていながら、悠々自適、どーんと構えていらっしゃいます。
真理も充分ご存知で、個人指導能力も高いですが、高齢で引退、それでも、月一回は自分の誌友にやらせている誌友会に参加し影から操っています。
どういう風に操っているかというと・・・・
今日は、Bタイプ、来月もBタイプと、60歳過ぎた方の趣味の会にしています。 それは、がむしゃらに若いころに奉仕や出講伝道に励んできたから、私は神様からのプレゼントの時間なんだな、と微笑ましくみています。
話が脱線しましたが、教区でも自分の道場を持ってただしく真理普及している『場』はまだまだ沢山あります。教団の中でも。
正しく真理を学んでいれば、新経など何でもありません。
偽教など、 ニセモノハ やがて消えてゆく運命にあるのですから。
いかがでしょうか?
2346
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 12:00:04 ID:R1D4Jmeg
reiさま
応援をありがとうございます。
教も一日明るく元気によろこでイキイキ生活していきましょう!
2347
:
閲覧者A
:2013/07/15(月) 12:00:17 ID:???
ユタカさん、地元白鳩でも有名講師で活躍中のある先生は、社会事業団をご存知ありませんでした。学ぶ会や、ときみつる会もご存知ありませんでした。裁判も生長の家関連の第三者が行っていると思われてました。
パソコンも何も情報源がなく、情報は教化部からのお知らせと機関誌のみという、そういう方がまだいらっしゃるのです。現に最近もまだ、いらっしゃったのです。
生命の実相が品切れになっていってる言っても、信じない「そんなバカな、そのうち出てくる」と言われる方もいらっしゃったのです。
どこか別世界のお話だと、受け付けない方もいたのです。
ですから私は真実をお伝えするばかりです。雅宣さんの悪口や様々な過去の言動など低次元な話は無意味ですし、そういう無意味な話はしようと思いません。
2348
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 12:33:08 ID:R1D4Jmeg
>ユタカさん、地元白鳩でも有名講師で活躍中のある先生は、社会事業団をご存知ありませんでした。学ぶ会や、ときみつる会もご存知ありませんでした。裁判も生長の家関連の第三者が行っていると思われてました。
パソコンも何も情報源がなく、情報は教化部からのお知らせと機関誌のみという、そういう方がまだいらっしゃるのです。現に最近もまだ、いらっしゃったのです。
珍しいですね。。。 冗談みたいです。
少なくとも、私の知り合いの中では、時代に乗っていない方はおりません。地域によって違うのでしょうか?
いろいろと魂の段階もあるようですから、ひとそれぞれでその自身が自身の運命の責任者ですから、、、ありがとうございます。
2349
:
a hope
:2013/07/15(月) 13:06:10 ID:edEDolt2
>>2345
ユタカさま
<<a hope様は何年同じ支部に所属して、どんな奉仕をされたのでしょうか?
教区でよく顔をあわせ、練成のお手伝いや講習会には実行委員として立たれましたか?
そうやって、会員同士仲良くしているならば、みなさんは本音をいいますよ。
a hopeさまはどのようにして白鳩の会員さんが現状を知らないと言われたのでしょうか?
勿論、私とて、入信したての人に組織の事を質問されても、知らん振りしていますがね??>>
4年前に入信した時は、わたしはまことの新人でしたから、ユタカさまのいうように質問をしても適当にあつかわれ、
何も知らないうちに組織の歯車の一つにされそうになりましたよ(笑)
実際に、講師の先生がわたしの知り合いに小声で、
「いいから、何にもわからないうちにお役をつけちゃえばいいのよ・・・」とわたしのことを話しているのを聞いてしまい、
組織に対する不信感を増大させましたし・・・。
ユタカさまの言う「会員同士の本音」というのと、わたしのいう「現状」とはなんとなく違う内容のような気もしますが・・・
組織に長く属していなわたしが、今の教団組織の現状をどうして把握しているかはいえません。
身ばれがしてしまいますから・・・
<<話が脱線しましたが、教区でも自分の道場を持ってただしく真理普及している『場』はまだまだ沢山あります。教団の中でも。
正しく真理を学んでいれば、新経など何でもありません。
偽教など、 ニセモノハ やがて消えてゆく運命にあるのですから。
いかがでしょうか? >>
そうなのですか。
それは、とてもうれしい情報です。
ニセモノはやがて消えゆく運命ですね・・・わたしが消えちゃったりして・・・(笑)
いずれにしても、明るく前向きに信仰していくことは大切ですよね!
でも、その上で、これからも思うことを素直に発言させていただきます。
いつも感じていますが、この掲示板は沢山の生長の家の先輩方が閲覧してくださっていて、
もし、わたしが間違った発言をしたり、増上慢になったりしたら、きっとどなたかがご注意してくださったり、
警告してくださると信じているからです。
ユタカさまもそのおひとりです。
ですから、いつも心から感謝しています。
2350
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 14:07:15 ID:R1D4Jmeg
>実際に、講師の先生がわたしの知り合いに小声で、
「いいから、何にもわからないうちにお役をつけちゃえばいいのよ・・・」とわたしのことを話しているのを聞いてしまい、
組織に対する不信感を増大させましたし・・・。
それは、嫌な思いをなさましたね。 ですが、私もそうでした、嫌な言い方するな〜。と思いましたが、私は「神様に奉仕したい」からやる。と決意してお役につきました。そして神様のお役に立って奉仕させて頂くうちにいろいろな事が学べました。
知り合いも増えて有難いことでした。 a hopeさまのところは教化部から遠い地域ですか? 私は、学ぶ会か教化部やどちらかの団体に所属することをお勧めします。
学ぶ会が3ヶ月の無代神誌進呈などされていますから(今は終了したかも?)それはスゴイ勢いがありました。。。 そういうのが、届いていない人もまだいるのですね。
2351
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 14:34:30 ID:R1D4Jmeg
>>2227
○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)
素晴らしいからもう一度貼ります。
2353
:
曳馬野
:2013/07/15(月) 17:49:45 ID:TZ2/719s
a hopeさん
>>この掲示板で、「おかしいこと(雅宣先生の教え)をおかしい、間違っている」と言い続けるのが、今のわたしの使命のような気がしています。
>>大自然讃歌や観世音菩薩讃歌が平然と読誦されるようになってしまった現教団で、それは可能でしょうか?
いくらわたしたちがここで復興Gさまから『本当の生長の家の御教え』を学んでも、ニセのお経や、誤った教えがはびこりだした教団で伝道していくのは、
わたしは自分自身の経験から不可能に感じています。
「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の何処が可笑しいのでしょうか?
ここに参加されている人達が皆さん揃って可笑しいというので、今読んでみました。
一言一句可笑しいところは有りません。このような生き方のできる生長の家でなければいけないと私は思いました。
汝ら『人間神の子』の自覚より更に進んで『神の子人間』の自覚に入るべし。との続々甘露の法雨の言葉をよくよく味わい体得することが必要だと思います。
「人間神の子」には現象の残滓がありますが『神の子人間』には現象の残滓は有りません。
私も妻も昭和45年ごろに生長の家に触れ、51年の青年全国大会には当時二泊三日の大会でしたが、九段会館に泊まっての参加者が270名余、
一日参加者を含めると300名余の参加者を、私が青年会事務局長、妻が女子部長として(結婚はその年の秋でしたが)雅春先生の膝下にお連れしたのです。
雅春先生に会う機会の最後になる全国大会であるとの思いでした結果、過去最高の参加者でありました。
当時『限りなく日本を愛す』『我ら日本人として』『日本を築くもの』『聖なる理想国家国民』古事記と現代の予言』『美しき日本の再建』『わが憂国の戦い』等読み耽りの生活でした。
ですから愛国主義者の云わんとすることは理解はします。
しかし古代から日本民族は善悪正邪という言葉を使わず、善くない心を「きたなき心」といい善き心を「清く明き心』といい「汚れる」「気涸れる」ことを嫌いました。
霊の本の中心帰一の理念の天下りはこの日本に顕れてはいますが、現実の日本が中心であると言いつのれば諸外国とは調和が取れないでしょう。
一人一人が汚れることなく気涸れることなく、自然との調和の内に生活し、神明に感謝を奉げつつ生活した、その結果として皇統連綿の日本国家が顕現して来たものと私は思います。
小泉八雲は日本に来てこんなに心のきれいな民族は世界に無いといい、日本に帰化したのであります。
光明思想が個人の欲望実現のために利用されようとしていると観るのは間違いでしょうか?
現象が先に立てば実相と云いつつも、穢れの世界であります。『人間神の子』の世界であります。
『大自然讃歌や観世音菩薩讃歌』は『神の子人間』の世界であります。
私たち夫婦は20年程特志家族です、その前はもちろん什一会員でありました。その献資が国際本部の建設に使われることに何らの異議はありません。
妻は雅宣先生の代に準教務になり、教区の練成会の司会等のお手伝いをし、白鳩会の教区副会長をしています。ここ五年程はほぼ毎日教化部の早朝行事に出ています。
妻は頭の回転の良くない人ですが、素直に素直に40年にわたり生長の家についてきました。心の底から中心帰一です。本流なる人々は生長の家でないと私は断言してはばかりません。
「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は全く正しい生長の家です。
2354
:
神の子さん
:2013/07/15(月) 18:27:02 ID:???
トキさんが下記に記したようまず、文法がおかしいんだよ!!!
** 盲信はやめろ!マサノブ氏が
一番嫌うことだ!
** それとも文法など問題ではない!内容だ〜とまるでカルトか〜*
**
** >>一時、文法的に間違いが多い、と指摘された「新経本」ですが、見ると、まだおかしな部分が多いです。
それと、以前も言いましたが、亡くなった人が、『新経本だけはやめてくれ」と化けて出て来た、という
話もきいています。
私は、根本的な解決は、教団が本流復活派と和解をして、聖経を使えるようにすることだと思います。
こういう新経本を読ませるのは、とんでもない間違いだと思います。
ただ、現実には、経本を読む事が義務化されているのも事実です。教区によっては、誌友会で講師が読む事が義務化されているというところもあるみたいです。しかし、現実には、『私は読まない」と公言する人もいて、それが今の段階では黙認されています。<<
2355
:
a hope
:2013/07/15(月) 19:27:17 ID:edEDolt2
曳馬野さま
とりあえず、
<<「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の何処が可笑しいのでしょうか?>>
へのご質問のお答えは、
わたし a hopeの投稿
>>2221
>>2222
復興Gさまのご投稿
>>2225
>>2226
をご覧ください。
その上で、曳馬野さまが
<<「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は全く正しい生長の家です。>>
と心から思われるのであれば、わたしは何もいうことはありません。
本流の方々の愛国運動(政治運動)に関しては、わたしも今まで自分の意見をたくさん述べてきました。
その時感じたことを率直に投稿してきましたが、自分が本当に正しいかはわかりません。
閲覧者さまにご判断していただくしかないと思っています。
<<私たち夫婦は20年程特志家族です、その前はもちろん什一会員でありました。その献資が国際本部の建設に使われることに何らの異議はありません。
妻は雅宣先生の代に準教務になり、教区の練成会の司会等のお手伝いをし、白鳩会の教区副会長をしています。ここ五年程はほぼ毎日教化部の早朝行事に出ています。
妻は頭の回転の良くない人ですが、素直に素直に40年にわたり生長の家についてきました。心の底から中心帰一です。>>
素晴らしいひたむきな信仰姿勢だと感じます。
でしたら、もしかしたらこういう『「今の教え」と「本流復活」を考える』と名前がついているような、
掲示板はご覧にならない方がいいのかもしれませんね。
2356
:
a hope
:2013/07/15(月) 19:33:13 ID:edEDolt2
曳馬野さま
>>2236
>>2237
にも「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」についてのわたしの意見を投稿してありますのでご興味があればご覧さい。
2357
:
トキ
:2013/07/15(月) 19:37:16 ID:LMGO1Q8s
曳馬野 様
ご投稿、ありがとうございました。久々の総裁援護派の参戦(?)、心から歓迎申し上げます。
この私でも、援護をするのを諦めているのですが、さすがは先輩、堂々たる態度での援護意見を
開陳して下さり、感激しています。
個人的には、ご意見には賛成しませんが、管理人としては、感謝申しあげます。
今後とも、よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
2358
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 20:11:24 ID:R1D4Jmeg
>「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」は全く正しい生長の家です。
@ >> 正しい、正しくない << と言う問題ではないでしょ。。。 「正しいのは「甘露の法雨」だけ」
@ 教団にあった「甘露の法雨」を今まで使用していたのに、わざわざいちゃもんつけて使えなくしたのはだ〜〜れだ??
@ どうして使えなくなってしまったんでしょーーーねぇ?? な〜〜〜んでだ??
2359
:
a hope
:2013/07/15(月) 20:46:16 ID:edEDolt2
>>2358
あっ ユタカさま!
今夜の 23時が、第15回web誌友会の終了時間ですね。
ユタカさま、閉会のお祈りをお願いしてもいいですか?
もしかしたら、ユタカさまはこのweb誌友会では、
聖典「生命の實相」の内容だけに徹底してお勉強されたかったのかもしれませんね。
それなのに、わたしが現象に関する問題提起を数回にわたりしてしまい、
途中論争のようなことにもなってしまいすみませんでした。
ですが、わたしは「生命の實相」をお勉強すればするほど、「雅宣先生の教え」のおかしさに気づいてしまうので、
それは仕方ないことなのかなあとも思います。
『「虚説」には「真説」をもって相対せよ。』
ですから、これからも生長の家の真説、「生命の實相」のお勉強を頑張りたいと思います。
復興Gさまは、昨日から登場されていませんが、最初のコメントで、
ご講義のまとめをweb誌友会の後にしてくださるとおっしゃっていたので、
きっとそのうちご登場されると期待しています。
それにしても、12日から15日までの4日間長かったですね〜〜
4日間期間の言い出しっぺの「訊け」管理人さま、
わたしとユタカさまに、いつかきっと、クリームあんみつをおごって下さいよ(笑)
2360
:
復興G
:2013/07/15(月) 22:25:55 ID:AB6RqYXc
皆さま、ありがとうございます。
>>それにしても、12日から15日までの4日間長かったですね〜〜<<
トキ様、a hope 様、ユタカ様、あさひ様、rei様、閲覧者A様、曳馬野様、そのほか皆々様。
本当にお疲れさまでした。
私は昨日・今日、今まで登場できなくて、ごめんなさい。
ユタカさまの謹写して下さった「無病常楽の神示」ご講義から、ご投稿文、貴重なご発言、すべてプリントアウトして、丁寧に拝読しています。
まずは、近々に投稿して下さった
>>2353
:曳馬野様のご投稿は、a hope 様あてになっていますが、私も「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」はニセ経だ、と言ってきました。(
>>2226
)
>>私自身この『大自然讃歌』・『観世音菩薩讃歌』を読んでみての感想は――
聖経『甘露の法雨』には、「完全なる神」 のみ実在であると書かれているのに対して、「讃歌」なる詩は現象をありとする方から書かれていて、立ち位置がちがい、聖経とは全然ちがうものだと思います。文法的にも、文語的な表現に口語的表現が混入していて不統一で、おかしいです。
これは、ただの長編詩ではなく、聖経に似せてつくった 「似せ経」 であり、[人為]的に作った「偽」 経であると思います。([人為]を一字にすると[偽]になる)<<
と書いていました。
それで、曳馬野様のご投稿に、
>>「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」の何処が可笑しいのでしょうか? ここに参加されている人達が皆さん揃って可笑しいというので、今読んでみました。
一言一句可笑しいところは有りません。このような生き方のできる生長の家でなければいけないと私は思いました。<<
とありましたので、私も、総裁の「唐松模様」に掲載されたもののプリントを取り出して、もう一度読んでみました。私は、経本型になったものは、買う気がしないから、買っていません。
感想は、前にもまして、「これはおかしい」と感じました。
頭だけで、言葉と体裁を聖経にある程度似せて作られたニセ経で、文法的にも、文語の中に口語的表現が入り交じった、まったく変な日本語です。こんなものを青少年に読ませたら、誤った変な国語を習わせることになり、絶対にいけません。私自身は、読めと言われても絶対に読みません。
そうは言っても、よくできているなと感じたところもあります。それは「観世音菩薩讃歌」の締めくくりの部分です。
しかし、その部分でも、「雲晴れるが如く」の「晴れる」というのは口語で、文語なら「晴る」が終止形で、「晴るるが如く」が正しい。
助詞の使い方もおかしいです。文語では、主語の後には助詞を付けないのが普通ですが、目的語のあとには「を」をつけます。
「すべてのもの
観世音の教え説かざるはなし」
は、
「すべてのもの
観世音の教えを説かざるはなし」
が正しく、
「陽光映してきらめく様は、……」
は、
「陽光を映してきらめく様は、……」
が正しいのです。
文法的におかしいと思うところは、ほとんど毎ページごとにざらにあります。こんなものをありがたがって読むなど、嫌悪感をもちます。
率直な感想を申し上げました。
2361
:
復興G
:2013/07/15(月) 22:54:09 ID:AB6RqYXc
a hope 様。
>>2293
の投稿文は、わかりにくいところがありましたが、その後のご投稿をよく読んでいたら、だいたいわかりました。
>>今、わたしは自分の使命を感じています。
それは、「生長の家の教え」で病気を克服したり、生活苦を解消したり、人間関係を改善したりした人たちがその後、使命感をもって、伝道に励まれるのと同じ気持ちなのではないかと思います。
わたしは、これから「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ! と、声を大にして発言していかなければいけないような気がしています。<<
――この前半のところは、
>>2318
で引用された、宇治の体験集より*Hさんの体験 そして
>>2320
で
>>宇治の長田先生という方は、ご講義で一人の男性の魂を救われ、結果、その男性の病気という「本来ないもの」が現象からも消えました。そして、その魂を救われた男性は、ご自分の体験を生かして他の癌患者の魂を救う使命を果たされています。これが、本当の生長の家の「人類光明化運動」なのではないのですか?<<
――と書かれた。a hopeさまの使命感は、このHさんと同じ気持ちなのではないか、ということですね。
そして後半の、<「生長の家の教え」はそんなんではないのですよ! と、声を大にして発言していかなければいけない> の、“そんなんではない” というのは、雅宣総裁の説かれるようなものではない、という意味なのですね。
ちょっとわかりにくかったけれど、わかりました。
さて、テキスト以外ですが、『新版 真理』 第3巻のご教示
<< (香厳上樹) 口で樹の枝にぶらさがっていて、さあ返答せよと云われる場合、口をひらいたら千仞(仞は一尺の八倍。八千尺)の谷底に落ちると云うが、それは自分で、自分の手は動かないと信じて、自分の手で枝を握ることを忘れているだけのことであります。
この「動けるだけの力を、その時、その場、その人に適する相(すがた)に動かす」と云うことは、是こそ禅の極意なのであります。
「禅機の把握」と云うことは「全機の把握」でありまして、全体に行きとどいてあらゆる点を動かし得ることであります。これは心が全相(あらゆるすがた)に達したときに出来るのでありまして、心が一部にのみ引っかかっているときには、その引っかかっていることに気をとられて、他になすべき道が無数にあるのに、それを行なうことが出来なくなるのでありまして、自分で自分の力を「これ位のもの」と限ってしまうから二進も三進も(にっちもさっちも)行かなくなるのであります。
そこで全局(ぜんたいの場面)を支配するには、すべてのものと自分が渾然一体にならなければ、「対立」が残っているようなことでも思うようになりませぬ。
(中略)
「何故お前は本来神の子であるのに、脚を擡(もた)げてこの宇宙全体を蹈翻(けとば)すことが出来ないのか、出来るではないか」と云う強い自覚を促す言葉がここに書かれているのであります。
本当にあなたが自分自身の無限力なる「神性」を自覚したならば地球ぐらいは蹴とばすことが出来るのが当り前なのであります。キリストも「もし芥子種(からしだね)ほどの信だにあれば、この山に動いて海に入れと云うと雖も、必ず成らん」と教えているのであります。これが生命の実相をさとった境地であります。 >>
――このご教示をかみ締め、皆さまのご投稿文を拝読しながら、今、自分は何ができるか、何を為すべきかを沈思黙考しておりました。
<つづく>
2362
:
復興G
:2013/07/15(月) 22:54:53 ID:AB6RqYXc
<つづき>
行動は、「風林火山」 ――
「疾(と)きこと 風の如く
徐(しず)かなること 林の如し
侵掠すること 火の如く
動かざること 山の如し」
という神想観の極致の境地で参りたいと思います。
それは、「絶対無」 の境地。
<<「自分」といふものがある間は「自分」と「他」と、或いは「自分」と「神」とが対立してゐる。
対立は摩擦であるか、絶縁であるか、どちらかで、ピッタリ「一つ」になることが出来ない。先ず自分がなくなることが必要である。「自分」がなくなり、カラッポのパイプの中へ水が流れいるように「神」を流れ入らしめたら、「吾が一変し、天地が一変し、人生はただ、歓びの讃歌にみたされるのである。>>
(「無病常楽の神示」ご講義<ユタカ様ご謹写>より)
そして、
「闇に対しては光をもって相対せよ」 である。
○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」 などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)
○古事記神話に、イザナミノミコトが「一日千人くびり殺す」と言われたら、イザナギノミコトは「では、千五百の産屋を建てよう(千五百人生みだそう)」と言われたように。
――それで、具体的に、如何なる行動をするか。
私は、今、「web誌友会参考文献板」 に掲示中である榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動論』 を本にして出版し、心ある生長の家幹部・信徒すべての方々に読んで頂きたいと思う。
そんな思いが湧いてまいりました。
これについては、トキ様が、「本当に、今、求められる内容だと思います」と書いて下さり、
a hope 様も
>>榎本恵吾先生の――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― をプリントアウトしてゆっくり拝読し直しました。そうすると、それ自体が「生長の家の教え」(『生命の實相』)の現代版解説書のように思えてきました。
わたしが今まで疑問に思ってきたことへの回答が、スパッと書かれていて目から鱗が落ちていくようです。
これは、すごい真理に満ちた御文章だと感じています。<<
と書いて下さっていました。
ユタカ様、皆さま、どう思われますか。
私は、これからの課題、目標として行きたいと思います。
あ、もうこのweb誌友会、終了の時間ですね。
皆々様、本当に、本当にありがとうございました。
合掌 礼拝
2363
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 22:59:15 ID:R1D4Jmeg
閉会の御祈りは前回は復興Gさまが素晴らしい言葉と共になさいました。
今回は私でいいのでしょうか?
では、光輝く第15回WEB誌友会を閉会いたします。ご指導くださいました復興G様、参加者の皆様、有難うございました。神様の祝福のシャワーを頂いた素晴らしいWEB誌友会となりましたことを感謝申し上げます。
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
ありがとうございます。ありがとうございます。 終わります。
2364
:
ユタカ
:2013/07/15(月) 23:00:22 ID:R1D4Jmeg
あ、復興Gさま、すみません。
お続けくださいませ。。。
2365
:
a hope
:2013/07/15(月) 23:05:38 ID:edEDolt2
復興Gさま
素晴らしいまとめのお言葉をありがとうございます。
ユタカさま
閉会の祈りをありがとうございます。
トキさま
いつもあたたかく見守ってくださっていてありがとうございます。
ご参加、閲覧してくださった「生長の家」のみなさま
最後までお付き合いくださりありがとうございます。
今回のweb誌友会もたくさんお勉強させていただきました。
心より感謝いたします。
合掌。
2366
:
復興G
:2013/07/16(火) 07:51:16 ID:AB6RqYXc
皆さま、おはようございます。
昨夜まで長丁場のweb誌友会にお付き合い下さいました皆さま、本当にありがとうございました。
ところで、曳馬野さんに、ちょっとご質問をしたいと思います。
「本流なる人々は生長の家でないと私は断言してはばかりません」 と書かれていました。
あなたは谷口雅宣総裁を支持する生長の家教団の幹部でいらっしゃると思います。
総裁が機関誌 『生長の家』 の八月号に書かれている 「対称性の論理を学ぶ」 を読みますと、
「牛でないものが人間であり、牛は人間ではない――これが非対称性の論理です。」
と書かれています。
その論理から言うと、
「本流なる人々は生長の家でない」
というのは、非対称性の論理である、ということになりませんか?
2367
:
復興G
:2013/07/16(火) 07:54:35 ID:AB6RqYXc
曳馬野さま
私は今日 日中は出かけますので、PCを開けるのは夜になりますが、私の質問にお答え願えれば幸せです。
よろしくお願いいたします。
2368
:
トキ
:2013/07/16(火) 09:53:03 ID:csJKRmmg
復興G様、運営の皆様、参加者の皆様、ありがとうございました。
合掌 ありがとうございます
2370
:
曳馬野
:2013/07/16(火) 18:21:54 ID:TZ2/719s
「本流なる人々は生長の家でない」
というのは、非対称性の論理である、ということになりませんか?
その通りです。調和を言いながら分離したものの見方をしていると云いたいのですか?
対称性として生命の実相の共通性があるのは言を俟たないです。
曳馬野のハンドルがどうタラつまらんことを言う人が本流だと云うから、
そんな対象を分析するような心の使い方をする人たちは生長の家でない、と申し上げました。
生命の実相など何も知らなくても、ここに本来の心があるのですから、素直であればそれは働きます。
素直であれば、印税を恒久的資金として事業団に与えたのであることは論を待たない、
自分の意に染まないからと生命の実相の書を人質に取ることが人の道とは考えられません。
つまり雅宣先生は異端であると、生命の実相の中途半端な理解に基づく行動をとり分離の行動をとった人たちが本流と申し上げたのです。
2371
:
復興G
:2013/07/16(火) 19:33:50 ID:AB6RqYXc
>>2370
:曳馬野さま
お気持ちは、わかりました。
ありがとうございました。
2372
:
復興G
:2013/07/18(木) 11:35:56 ID:AB6RqYXc
曳馬野さま。
>>2371
のつづきです。
私は、“本流”が全面的に正しいとは思っていません。「学ぶ会」に入会する気はないし、「学ぶ」誌の購読を勧められても拒否して、一度も購読したことはありません(頂いて読んだことはありますが)。
>>曳馬野のハンドルがどうタラつまらんことを言う人が本流だと云うから、そんな対象を分析するような心の使い方をする人たちは生長の家でない<<
とおっしゃるのは、同感できます。
しかし、「本流なる人々は生長の家でない」 と断言して、元の同志であった人々を不倶戴天の敵として争うようなのが生長の家なのですか? そんなことで、「万教帰一」が成り立つのですか?
私は去る5月、○○高校卒業後61年余の傘寿(80歳)記念同期会に115人集まった話は
>>1223
・1224に書きましたが、途中20年あまり同期会に出ていなかった(生長の家の運動に没頭していたため)時期がありました。退職して同期会に出るようになったとき、みんなから訊かれました。
「お前は、なぜそんなに“生長の家”をやっているんだ?」と。
「俺は、生長の家の教えによって、人間は死んでも死なない生命だとはっきりわかったから、今もこんなに元気で生き生きと生かされている。
そして、生長の家は万教帰一で、究極の世界平和の鍵を握る教えだ」
と言ったら、
「生長の家は今、分裂しているそうじゃないか。お前はいったいどっちに属しているんだ?」
と来ました。
それが、世間一般の見ている「生長の家」です。
もう、生長の家のお家騒動、分裂騒ぎは有名です。
総裁が、いくら「森の中のオフィス」に万教帰一を象徴する「七つの燈台の点燈者」のご神像や仏説の七宝の塔、多宝塔を象徴する「七重の塔」を建て、「万教包容の御祭」を行われても、元生長の家の熱心な同志をすら包容できないでは、物笑いの種になるだけでしょう。
>>『大和精神 すべての人・物・事は常に調和の中にあり、互にあらそったりしない世界である。という日本古来の精神。日本の建国は、この精神によっている。それが大和魂(やまとだましい)』
でも、それにはやっぱり 「生長の家」 の大調和は不可欠なような気がします。
だって、今の若者は生意気ですから、必ず反論されると思いますよ。
「大調和? 大和精神? えっ? 何それ意味わかんないし・・・。 それで生長の家のおじさんとかおばさんは、それ、実行してるわけ? 自分ができないこと、人に押し付けないでよね。」<<
――上記は
>>1493
:a hopeさま投稿文からですが、
上記の 「大調和」 「大和精神」 というのを、最近総裁が力説される 「対称性」 という言葉に置き換えても、同様なのではないでしょうか。
私は今日も、榎本恵吾講師の 「神癒の展開としての人類光明化運動論」 を 「web誌友会板」 に謹写掲示させていただき、拝読しなおして、深い感銘に打たれています。
>> イザナギの命(ミコト)が禊(みそ)ぎ祓(はら)い給うということは、イザナギの大神が、はじめのはじめに還ることを意味しているのである。そのはじめのはじめとは、高天原(たかあまはら)であり、神詰まります神、即ち、七柱(ななはしら)の身(みみ)」を隠し給う、幽の幽なる神の御姿に還ることを意味しているのである。イザナギの命が 「私は無いのです」 と澄み切りになる御はたらき、 「無い、無い、無い」 と、そして、その 「無い」 も 「無い」 と澄み切りの澄み切りに澄み切る御はたらき、そしてそこに澄み切るよろこびが輝き顕れる、それが天照大御神の出でましているお姿なのであると拝察されるのである。
天之岩戸(あまのいわと)隠れに際して、神々が咲(わら)いに咲った時に、出でまされたことは、天照大御神さまは、よろこびそのものであり給うことをあらわしているのである。<<
――この 「はじめ」 なる 「無」 に還った時、本来の 「大調和」 が実現すると思います。
2373
:
復興G
:2013/07/18(木) 13:34:55 ID:AB6RqYXc
曳馬野さま。
“本流”を名乗る方々の投稿には、根拠のないデマや偏見、聞くにたえない罵詈雑言のようなものも多々あると感じます。
しかし、中には傾聴に値するものもあります。
たとえば、信仰/体験板の 1143 :うのはな様投稿
信仰と人生
http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533
同じく1144 :うのはな様投稿
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=748
などからは、とてもよいヒントをいただきました。
総裁は、『「無駄なものは何もない」と知る祈り』 で
>> 「無駄」は「空しい」から来たというが、神の創造し給う実在の世界には空しさはなく、したがって無駄もないのである。すべてのものが、すべてのものに対して目的と意味をもって存在しているのである。ある行為が、その目的とする結果をもたらさない時、“無駄な行為”と表現することがあるが、それは特定の目的に固執した、特定の立場から見た偏見である。別の目的をもった別の立場の人が見た場合、同じ“無駄な行為”が“偉大な結果”への道程であることは数多くある。神は、特定の人間の特定の目的のみに合わせて世界を創られていないから、個人の狭いものの見方で神の創造を“無駄”と判断することは、間違いである。(中略)
人生の道程における“失敗”は、だから本当の意味での失敗ではない。それは、実相・神の子の本質が人生に表出される際に、人・時・処において不足、過剰、遅速、混乱が起こった結果である。失敗だと分かれば、次の機会には人・時・処を正しく選び、不足、過剰、遅速、混乱が起こらない工夫をすればよいのである。この種の失敗は大抵、実相・神の子の本質を自覚せず、自己を感情の流れに任せたときに起こるのであるから、よろしく神想観を実修し、神の御心を我が心としてやり直せばよいのである。スポーツでも、技芸でも、学問でも、一見“失敗”と思えることの繰り返しを通してのみ、成功に到達するのである。その場合、数度の失敗で諦めた人だけが、自ら本当の失敗を選び、無駄を経験することになる。失敗を無駄と考えず、成功への“飛び石”と考えて努力する者には、無駄は存在しないのである。(中略)
人生で出会うあらゆる人々との関係は、無駄ではない。それらはすべて、我がうちなる神性・仏性を引き出し、「神の子」「仏」として互いに認め、讃嘆し合うための手続きであり、配役である。“敵”と見える人でさえ、自分の現象的不足を教えてくれる“鏡”であり、さらなる向上の道を切り拓いてくれる教師である。
これらの真理を教示したまい、無駄のない人生を感謝して歩む勇気を与えたもう神に、満腔の感謝を捧げます。ありがとうございます。<<
とご教示くださっています。
『“敵”と見える人でさえ、自分の現象的不足を教えてくれる“鏡”であり、さらなる向上の道を切り拓いてくれる教師である』
のですね。
それを言うだけでなく実生活に実践し、互いに拝み合いを実行しましょう。
2374
:
あさひ
:2013/07/18(木) 13:46:39 ID:/3nxKE2Q
復興G様
合掌
復興G様の長老としてのご指導感謝申しあげます。
さすがに長老としてのご指導と感服しております。
今後ともよろしくお願い申しあげます。
合掌
2375
:
復興G
:2013/07/18(木) 17:46:28 ID:AB6RqYXc
>>2374
:あさひ様
ご声援、ありがとうございます。
2376
:
トキ
:2013/07/18(木) 20:26:17 ID:6wKLL.Xk
復興G様が指摘されたような話は、現場の活動者はよく経験しています。
家庭訪問をしても、裁判の件や総裁の件は話に出されます。私のような
古い人間は切り返せますが、大半の活動者は返答に困る様です。
谷口雅春先生は、悲しんでおられると思います。
2377
:
傍聴人より
:2013/07/18(木) 21:22:14 ID:???
http://youtu.be/cus-CoB9gQU
今回の記録動画は保存版です。内田弁護士が判りやすく解説しています。
谷口雅春先生が誰の発言(持論)を悲しんでおられるか判ると思います。
すべてはその人の迷いから引き起こされた事なのですから。
2378
:
a hope
:2013/07/19(金) 10:04:24 ID:edEDolt2
>>2366
に復興Gさまが雅宣先生の「対称性の論理・非対称性の論理」を例に挙げ、
曳馬野さまに質問をされていますが、
わたしは、雅宣先生のこの論文を読んではいませんが、
以前、トキさまが概要をこの掲示板でお知らせくださったのは拝見しました。
この雅宣先生のお考え(見解)こそ、二元論そのものだと思うのです。
わたしは、
>>2287
で自分の経験をもとに「唯神実相」の教えの「生長の家」で、
二元論的見解をすることの危険性を述べさせていただきました。
この雅宣先生の「対称性の論理・非対称性の論理」は、生長の家の「唯神実相」と
明らかに矛盾していると思います。
生長の家は「対称性の論理」のみを説いていればいいのではないでしょうか?
(すみません。論文を読んだわけではないので間違っていたらご指摘ください。)
雅宣先生がそういう二元論的お考えだから、本流の方々と和解ができないのではないのですか?
そういうお考えを信徒に伝えているから、信徒も周りと和解ができず本当の「神の子の自覚」もえられず、
かつてのような奇蹟が起きなくなっているのではないのでしょうか?
わたしは、最近、ある白鳩さん(信仰歴20年以上)に、
「雅宣先生の教えはおかしくないですか?」と質問してみました。
そしてら、すごい勢いで「雅宣先生は、難しい雅春先生の教えを現代風にしてわかりやすく説いてくださっているのよ!」
と、反論されました。
そして、「もっとちゃんと雅宣先生のご著書を読めば、雅宣先生の教えが、雅春先生の教えとちゃ〜んとつながっているのがわかるはずよ」
と言われ、わたしに、雅宣先生の「森の中へ行く」をご推薦下さいました。
でも、購入はしませんでした。
わたしには、雅宣先生の教えの方がよほど難解ですから・・・。
2379
:
復興G
:2013/07/19(金) 13:07:35 ID:AB6RqYXc
>>2373
で触れました、うのはな様から教えて頂いた、魂に響いたご文章を、ここに貼らせていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
信仰と人生
信仰の生活は安易なイージーないい加減なものではない。
併し信仰によって神につながる時、我らは神の愛の慈手(みて)によって導かれ、ついに困難をのり切るのである。
レースに於ける競争者は殆どまけそうになる所でテストされると云われている。競争中彼は何回も、何回ももう抜かれるかも知れない、負けるかも知れないというキワドイ瞬間を経験する。然も彼は走り続ける。もうこれ以上耐えることの出来ない限度が幾度も来たと思いながらも不思議な力に支えられてそれを突き抜けて行くのである。斯くの如くして彼は、信仰につながる忍耐のゆえに、ついにレースの優勝者となるのである。
信仰の開拓にも同じことが言えるのである。吾々はもう続けることが出来ないと感ずるような苛烈な人生体験に面するのである。もう事業の根拠は失われ、生活の地盤は崩れ、わがたよりたる城は落ちてしまったと云うような苦しき苦い体験に出喰わすることがある。このような時に信仰なき者は『神も仏もなくなった』と考える。しかし吾々が神の善意を信じて最後まで持続するならば、またどんな高価な価を払おうとも最後まで行きつこうと決心するならば、やがて吾々は筆紙に尽すことの出来ない信仰の悦びを得ることが出来るのである。その時、労しただけのお蔭があるとわかるのである。
信仰への途(みち)は、最初は安易な御利益(ごりやく)信心から出発する。そして有頂天となり、やがて中途で光を失って大いに悩む。それは最初には「見せられた光」であり、「自分が見出した光」ではなかったからである。しかし一度見た光を見失うまいと勇気を鼓(こ)して進むとき、ついにその目標に到達する。其の時始めて彼は自分の蒔いた光の種を刈り取るのである。
谷口雅春師 『生長の家』 誌 昭和24年7月号 巻頭言
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
もう一つ、「かごめの唄」 の秘義について。
“かごめ、かごめ、カゴの中のトリは いついつ出やる。夜明けの晩に、ツルとカメが すべった。うしろの正面だーれ”
――誰が聞いても、その意味の理解のつかぬ何だか訳の分からん 「かごめ唄」。それを、日本のすみずみの人が、みな、知っている!という、この不思議――!!
これについて、『言霊(ことだま)』――ひつく神示のなぞことば――桑田二郎著・平成5年(株)潮文社・刊 から著者の霊感による解釈というのは、とても面白く読ませて頂きました。
これも、ポイントのことろを抜粋して貼らせて頂きましょう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
* 「かーごめ、かごめー」・・・この世の“いのち”は、「かごめ(籠の目)」 の如くにおりなされた宿命の肉体生命のオリの中、
* 「かーごの中のトリは」・・・「トリ」 は、内なる“魂”の意識。“魂”は、肉体生命の宿命(かご)を通して、霊的な進化の実現へと進んでゆかねばならないのだが--------
* 「いついつ出やーるー」・・・その “魂” の意識は未だに、肉体生命の内奥の次元で、目覚められず、眠ったままの状態でいる。その “魂” の意識を、いつ目覚めさせる事ができるのか?
* 「夜明けのー 晩にー」・・・今がその魂が “霊性の進化” という夜明けのとき、目覚めねばならぬ時が来ているのにまだ、精神の無明の闇(夜・晩)の中にいる。人々は進化への意識を見失っており、その岩戸は閉じられたままで、まだ暗い--------
<つづく>
2380
:
復興G
:2013/07/19(金) 13:08:34 ID:AB6RqYXc
<つづき>
* 「鶴とカメがすべったー」・・・はるかな過去から、千万の進化の時を経て、今ここに来て、進化の方向からすべり落ちつつある。ここには、更に深い意味が秘められている。
しかも、その意味が 「神一厘」 の仕組みに、深くつながっているのだ。
「鶴」 は――太陽を頭頂に頂き(丹頂鶴のイメージ)、日であり、進化の方向へとはばたく霊(上)であり、精神。
天の御柱の左まわり=鶴、天の御柱の右まわり=カメ、その進化がズッコケつつある。
「ツルとカメがすべった」 という唄の文句も二つの意味にわかれる-------
つまり、「滑る」 と 「統べる」 だ。進化から脱線してゆくのが 「滑る」 ツル、カメ。進化へと進みゆくのが 「統べる」 ツル、カメ。すなわち、進化の実現とは、“魂” が “いのち” を正しく 「統理(トリ)」 すること! 「十(と)の理(り)」 に目覚めることだ。
何がどうあれ、「滑って」 はならないのだ!! 死んで、すべてが終わるのなら、滑ろうが転ぼうがこの一生だけの問題だが、しかし、死はすべての終わりではない!!
そこから始まるのだ!! 霊としての意識は、不生不滅なるもの! 無限に続く「苦」の世界と無限に続く進化への次元!! 死を境にして、我々の “いのち” は、そのどちらかに分かれてゆく!
要は、意識のありようだ! 心の持ちようだ! 精神の方向性だ! 魂の自覚だ! それを進化の方向へと、しっかりと定める!! それをツルとカメが 「統(す)べった!」 という。「ツルと、カメ」 は、“いのち” の仕組みを 「たとえ」 の言葉にしたものだ。
* 「うしろの正面、だーれ?」・・・この、うしろの正面というのも、言葉通りの背中の真うしろ、という事ではない。そもそも、「夜明けの晩」 だとか、「うしろの正面」 だとかいう不思議なことばの言いまわしをするには、するなりの意味がある! 不思議な言いまわしは、つまり、不可思議次元を指し示しているのだ。
つまり、うしろの正面の 「<うしろ>」 というのは、この物質世界の<うしろ>という事ではなく、“いのち” の内奥にむけられた意識のことだ! 自らの “魂” へと向けられた意識のことだ! うしろの正面だからとて、そのままに振りかえっても、後ろはうしろ、やっぱりそこも物質世界! 振り返らねばならぬのは、うしろの正面! すなわち、「うしろの正面、だーれ」 とは、自らの “いのち” の内奥を振り返って、自らの “魂” と対面せよ!! という、神次元からの呼びかけだ! それが自らの意識の本体である!! と教えてくれているのだ!!
そのように、うしろの正面を見失ってしまっている意識の状態が、進化から外れた方向に意識を働かせてしまっている状態だ。そのままであっては、ならない!! その意識の働きの中から進化の法則に逆らったところの苦悩や、災いや、不幸の数々が、今、現在も、数限りなく生まれつつあるのだから!!
要するに、そのさかさま意識が、カゴメ、カゴメの状態なのだ。その中から “魂” の意識が、羽ばたき出なくちゃならない! 今、人間の精神の進化段階がその時期に来たのだ! 今までのような、「無明」 のコテカン(固定観念)であっては、ならない時がきたのだ! いつまでも、意識を、カゴメのオリの中に閉じ込め続けていては、「ノアの箱舟」 に乗り遅れてしまう!! 「世の建てかえ」 の大峠が超えられない!! かごの中のトリが目覚めるか、どうかが、ツルとカメが “滑る” か、“総べる” かの分かれ道!
カゴの中のトリを目覚めさせるには、まず、自らの “いのち” の内奥の次元に意識をむけよ!
うしろの正面の目を開け!
いま、人間のこころの岩戸が開かれねばならぬ時がきた!! その時ゆえに、かごめの唄の意味も、自然に解かれた。・・・つまり、ツルとカメが “いのち” を正しく統べるところに、夜明けの晩に光がさす! 「無明」 の晩の、岩戸がひらかれる!!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
――とても面白い解釈だと思いました。
2381
:
復興G
:2013/07/19(金) 13:37:08 ID:AB6RqYXc
ツルとカメは、滑ってはならない。 “いのち” を正しく統(す)べらなくてはならない。
「統べる」 とは、本来の 「一つ」 を自覚して、 「一つ」 に還ること。
さもなければ、進化の法則に逆らったところの苦悩や、災いや、不幸の数々が、今、現在も、数限りなく生まれつつあるのだから!!
「うしろの正面」 すなわち自らの “いのち” の内奥を振り返って、自らの “魂” と対面せよ!!
そうして進化の実現とは、“魂” が “いのち” を正しく 「統理(トリ)」 すること! 「十(と)の理(り)」 に目覚めることだ。何がどうあれ、「滑って」 はならないのだ!!
“かごめ、かごめ、カゴの中のトリは いついつ出やる。夜明けの晩に、ツルとカメが すべった。うしろの正面だーれ”
――この、カゴの中の 「トリ」 は、私だ! (私は、酉(トリ)年生まれでもありますから。)
と、思いました。
2382
:
復興G
:2013/07/19(金) 13:40:08 ID:AB6RqYXc
それにしても、うのはなさんって、霊感的な、とても面白い人ですねえ。
2384
:
曳馬野
:2013/07/19(金) 18:30:46 ID:TZ2/719s
復興Gさんへ
>>しかし、「本流なる人々は生長の家でない」 と断言して、元の同志であった人々を不倶戴天の敵として争うようなのが生長の家なのですか? そんなことで、「万教帰一」が成り立つのですか?
生長の家でない、とは言いましたが、不倶戴天の敵だとは申しておりません。生長の家の生き方をしていないと云っただけで、感情は有りません。敵対している二つの組織がある、というあなたの見方から出た感想でしょう。したの元生長の家の熱心な同志をすら包容できないとの感想もあなたの感想でありませんか。
>>それが、世間一般の見ている「生長の家」です。もう、生長の家のお家騒動、分裂騒ぎは有名です。
元生長の家の熱心な同志をすら包容できないでは、物笑いの種になるだけでしょう
分裂してこれが生命の実相哲学である、と外の人に勧めるのは何ら問題はないでしょう。
そして彼らの周りに素晴らしい組織ができることは大変に良いことでしょう。
有名にし笑いの種にしたのはどなたでしょうか、。可笑しいことがあれば講師会で論議し、教化部長に問いただし、埒あかなければ本部での総裁出席の場で教化部長が問いただし、本意を確認すればよい。
内輪のことを曝け出し、己が正当とする、去るものを追わず来るものを拒まず、の生長の家からは遠い。
私は今日も、榎本恵吾講師の 「神癒の展開としての人類光明化運動論」 を 「web誌友会板」 に謹写掲示させていただき、拝読しなおして、深い感銘に打たれています。
この 「はじめ」 なる 「無」 に還った時、本来の 「大調和」 が実現すると思います。
でありましょうが、余りにも諄い、生命の実相にすべて書いてあると言われた尊師の講義に解釈するなんて。
2385
:
復興G
:2013/07/19(金) 20:06:24 ID:AB6RqYXc
>>2384
:曳馬野さん
レス、ありがとうございました。
>>生長の家でない、とは言いましたが、不倶戴天の敵だとは申しておりません。生長の家の生き方をしていないと云っただけで、感情は有りません。<<
――たしかに、「不倶戴天の敵だ」 と言ってはおられないけれども、そのような気持で戦っておられるのかと感じていました。
>>敵対している二つの組織がある、というあなたの見方から出た感想でしょう。したの元生長の家の熱心な同志をすら包容できないとの感想もあなたの感想でありませんか。<<
――その通りでした。事実はそうでないのなら、こんな嬉しいことはありません。
>>分裂してこれが生命の実相哲学である、と外の人に勧めるのは何ら問題はないでしょう。
そして彼らの周りに素晴らしい組織ができることは大変に良いことでしょう。<<
――これは、「学ぶ会」 の活動などを、何ら問題はない、良いことだとおっしゃっていると解釈してよろしいのでしょうか。
だとすれば、これは、今まで両陣営から 「あり得ない、不可能だ」 と言われ続けていた 「和解」 へ、一歩近づいたのかなあという感じがします。それは、ありがたい、うれしいことです。曳馬野さんが教団の上層部の方であれば、です。
>>可笑しいことがあれば講師会で論議し、教化部長に問いただし、埒あかなければ本部での総裁出席の場で教化部長が問いただし、本意を確認すればよい。<<
――その通りですね。そのように動き出しています。
なお、榎本恵吾講師の 「神癒の展開としての人類光明化運動論」 は、「尊師の講義に解釈する」 ことをされているのではなく、榎本講師は幽斎殿での祈りの中から、内からほとばしり出る思い、インスピレーションを書きとめられたものであると思います。
私はこれを読んで心が、魂が浄められるような思いがし、「唯神実相の生命の実相哲学ここにあり」の感がします。
榎本講師の書かれたものを読んで『生命の實相』を読むと、一層『生命の實相』が輝いて読めます。それは私だけでなく、たくさんの人がそうおっしゃって下さっていますので、これからも続けて行きたいと思っています。
ともかく、こうして曳馬野さんと会話ができたことは、ありがたくうれしいことでした。
ありがとうございます。
2386
:
a hope
:2013/07/19(金) 21:23:12 ID:edEDolt2
>>2382
復興Gさま
うのはなさまって、ホント不思議なお方なのですよ。
わたしは、最初からうのはなさまの不思議な面白さ(?)さには魅せられているんです。
2387
:
a hope
:2013/07/19(金) 21:25:37 ID:edEDolt2
次回の第16回web誌友会の日程・内容などは、まだ決まっていませんが、
今夜から、また少しずつ「生命の實相」の自主勉強を始めさせていただきまます。
ユタカさま、勝手に始めますが今回もよろしくお願いいたします。
前回で「生命の實相」第3巻を終了したと見させていただき、第4巻に進ませていただきたいと思いますが、
範囲の目安としては、「第1章 人間は肉体でない話」と「第2章 真理はなんじを自由ならしめん」
くらいがよいかと思いますがいかがでしょうか?
それでは、まずは以前、信仰/体験板に投稿させていただいた内容を再投稿させていただきます。
【a hope自主勉強】
この第1章には、『ルカ伝』の中の清教徒シモンと娼婦マグダレーナのキリストへ対応を例に挙げて、
「赦されるという意味」が説明されています。
(赤線を引いた箇所)
P7 後から1行目〜
<<まことに「赦された」と申すことは罪の消えた状態をいうのでありまして、
たんに「勘弁してあげる」と口先でいってもらっただけで、本然の神聖が顕れておらず、
したがって罪が消えてはおらないで、再び罪をおかしたくなるような状態を指すのではないのであります。
自己本然の神聖があらわれた状態こそ罪が赦され消去された状態でありまして、
たんに口先で「あんたの罪は勘弁してあげる」といってもらうことを、
罪が赦されたなどと考えては大間違いであります。
本当に罪が赦され消去したならば、罪の顕れである病は消えてしまう。
それで神癒治療者は罪を消す人ともいえれば、相手の神聖を開顕する人ともいえるのでありまして、
施念者ばかりがいくら力んでみましても、相手に懺悔する心をもって
真理を受け入れてくれる心がなければ効果が少ないのであります。>>
P9 9行目〜
<<遊女マグダレーナは罪の赦し(生命の実相の開顕)を得るためには、
おそらく彼女の最も尊い香油の全部をキリスト(真理)の足下に注いだに相違ないのであります。
形ある宝はどんなに尊い宝でも、香油でも、自分が神の子であるという根本自覚に入ることにくらべるとなんでもない、
一切をなげうっても真理を知りたい、一切をなげうっても救われたい、その念願があれば必ずそれが形にあらわれる、
その現れが、マグダレーナでは香油をキリストの足に灌ぐという行為となったのであります。
なにもその行為に懺悔の事実を顕さないで、無代で、安いから治してもらった方が利益だ――と、
こういう物質的利益の方が先に立つようでは、その人は神癒の例波の受信機になれない
――したがって神癒によっては病気は治りにくいのであります。
治す方も治される方も、利害は全然念頭になく、神を愛する、神の栄を顕すためにならなんでもするというところまで達したら、
実にすばらしい顕著な治り方をするのであります>>
(所感)
このマグダレーナの懺悔のお話は何度読んでも感動します。
街中の人々から蔑まれていた娼婦であっても、心からの懺悔と真理を受け入れる心があったのでキリスト(真理)は赦されました。
そして、それが『まことの赦し』なのですよね。
「生長の家の赦し」も同じだと思いました。
すばらしい善人であっても、どんなに悪人と呼ばれる人であっても、神の御心(真理)は平等に働くのだと思いました。
2388
:
ユタカ
:2013/07/20(土) 17:02:37 ID:R1D4Jmeg
>>2362
○常に生活が引き算になってはいけない。加え算にしなくてはならぬ。「これをしては他の迷惑になりはしないか。あの人は自分を迷惑がってはいないか」 などと消極的に引っ込んでしまってはいけない。愛しよう、喜ばそう、為になろうと積極的に加え算になるようにすれば他をもいかし自分をも生かす。(智慧の言葉)
○古事記神話に、イザナミノミコトが「一日千人くびり殺す」と言われたら、イザナギノミコトは「では、千五百の産屋を建てよう(千五百人生みだそう)」と言われたように。
――それで、具体的に、如何なる行動をするか。
私は、今、「web誌友会参考文献板」 に掲示中である榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動論』 を本にして出版し、心ある生長の家幹部・信徒すべての方々に読んで頂きたいと思う。
そんな思いが湧いてまいりました。
これについては、トキ様が、「本当に、今、求められる内容だと思います」と書いて下さり、
a hope 様も
>>榎本恵吾先生の――『神癒の展開としての人類光明化運動』 ―― をプリントアウトしてゆっくり拝読し直しました。そうすると、それ自体が「生長の家の教え」(『生命の實相』)の現代版解説書のように思えてきました。
わたしが今まで疑問に思ってきたことへの回答が、スパッと書かれていて目から鱗が落ちていくようです。
これは、すごい真理に満ちた御文章だと感じています。<<
と書いて下さっていました。
ユタカ様、皆さま、どう思われますか。
===================================================
復興Gさま、私は榎本先生が何をおっしゃりたいのか?さっぱり分かりませんでした。 ですから、どう返事していいのか???(それより、わが使命行進曲のほうが好きです。と書こうかな?と迷いました。) 理解できなくて苦しんでいます、とは書けませんので、困っていました。 そして、繰り返し読んで、今日ゆっくり読める時間があったので、分からないところをじっくり呼んで、分かってきました。
神様が私は無いのです。というところが?分かりませんでした。榎本先生のは、上級者向けですね。私のような初級者は、現象的に神様がいないと信じてきて「生長の家」に出会って神様の存在を知らせて頂いたので、その神様が「私は無い」のですよ。となると思考が混乱してしまい、どう理解するかわからないのです。ですから。。。生まれつき神様の存在が分かっている人や、実相の内容を充分に理解できた人でなければ、榎本先生の本は難しいと思います。ですが、理解できた世界は光輝く世界でした。
これは、ちょっと難しい本ですが内容が素晴らしいので、勿体ないと思います、初心者に読みにくいと言うところが。、文章の一段落ごとに初級者でも理解できるようにやさしく解説をつけたらもっと良いと思いました。
2389
:
ユタカ
:2013/07/20(土) 17:22:57 ID:R1D4Jmeg
すみません、急な来客で途中で失礼します。
2390
:
閲覧者A
:2013/07/20(土) 19:05:27 ID:???
いつも素晴らしい真理の勉強をさせていただいて有難うございます。
閲覧者の身で、大変申し訳ないお願いですが、次回の誌友会は、お盆も近くなっておりますので、少しだけでも御先祖様の供養に関するお勉強ができたら嬉しくおもいます。
とくに何か先祖供養に関して質問があるわけではありません。
ここに、ご参加されていらしゃる、御先祖様の御霊様に、心から感謝申し上げます。
2391
:
復興G
:2013/07/20(土) 19:13:47 ID:AB6RqYXc
>>2388
ユタカ様。
率直なご感想を言ってくださって、ありがとうございます。
>>私のような初級者は、現象的に神様がいないと信じてきて「生長の家」に出会って神様の存在を知らせて頂いたので、その神様が 「私は無い」 のですよ。となると思考が混乱してしまい、どう理解するかわからないのです。<<
これは、榎本先生の 「無神」 というご文章を読まれますと、かなり解って頂けるのではないかと思いますので、「榎本恵吾記念館」 サイト
http://homepage2.nifty.com/hanabira/
の 「文書館 Ⅱ」 から、一部転写させて頂きます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
無 神
もしも、神というものがあって、その神に向かって誰かが「神は無い」と言ったとすれば、神は、「その通りである。私は無いのである。」と言われるであろう。
そして逆に、その人に対して、「あなたによって私は生かされているのであります」といって礼拝されるのではなかろうか。
神ご自身が『私が全宇宙の生みの親である。〇年〇月〇日。』などというものを、どこかに建てておられるとは、どうしても思えない。もしも、そういうものがあれば、そんなものを、自ら建てられるようなものを神と呼ぶ訳には行かない。
神は全宇宙を創造し給うていながら
その姿を消しておられるのであります。
神は、人間を礼拝し給うているので
あります。
春には花を咲かせ、野山を緑でかざり
雨を降らせ、陽を明るく
風を渡らせて、何とかして人間を喜ばせて
やろうとしておられるのである。
生きた花々草々をもって、神は我らを供養し給うているのであります。
しかし、依然として神はご自分を消しておられるのであります。
どこまで消しておられるか。
それは、神がお生みになった人間に「神は無い」といえるようにしておられるまでにであります。
「神は無い」という声も、神のいのちによって人間はそう言っているのであります。そこまで神ご自身で、無神になっておられるのであります。
「神など無い」と言えば言うほど、そこに、神の無神の聖なる輝きが、証明されているのではないでしょうか。
日本神道の幽の幽なる神とは、ある意味でこのことを言っているのかもしれません。宗教も、真の宗教はこの神の無神なる輝きをうつしたものであるはずである。宗教が「この教えがお前たちを救ってやるのである。この教えにふれなければ、あなたは救われない。」というようなものであれば、即、それは神ではなく、愛ではなく、聖なるものであるという訳にはいかないのである。
人前に立って「救ってやった。救ってやった。」というところには、聖なるものはないのである。
説法も、お経も、そこにもし「この説法を聴かなければ救われない」とか、「この本を、このお経を読まなければ救われませんよ」というのを、少しでも残しておれば、それは無我ではなく、愛でもないのである。
それは無神の聖なるいのちの流れとは、およそかけはなれたるものでありましょう。
おおよそ宗教は、
全能なる神を信ずるのである。
その信ずべき全能なるものの、生んだものの中に、これから救って完全にしてやらなければならないものがあると観ることほどの不信はあり得ないのであります。
それは、宗教自体の自己矛盾であるといわなければならない。そこに宗教の「我」が出てしまっているのである。
ただ、もし宗教にゆるされるべき道があるとすれば、それは神の生んだ萬物を拝むこと祝福することのみであります。それが無神なる輝きの世嗣なる宗教の姿でありましょう。
<つづく>
2392
:
復興G
:2013/07/20(土) 19:15:01 ID:AB6RqYXc
<つづき>
救済活動、救済活動と大声でよばわるものもあるが、おおよそ救済活動とか愛の行いとかいうものは、人前に宣伝すべきものではないのではないでしょうか。
「私はこれだけの救済活動をしました。」
「私はこれだけの愛の行いをしました。」
と、それを競っているところには、はたして愛なるものはあるのでありましょうか。
愛は夜露の如く音もなく訪れ、
萬物を潤して、
夜明けとともに消えゆくのである。
誰にも気づかれずにすべてを潤すのが愛であるとすれば、それが深ければ深いほど尊ければ尊いほど、気づかれないところの愛によって私たちはどれほど生かされていることでありましょう。
その意味において、即ち、宗教は萬物を礼拝し祝福するためにのみあるという意味においては、神道の神社には、ご神体として鏡が置かれているのでありましょう。
この鏡は、そこに来る人々の姿を写すのである。
その写った姿をまつっているのが、神社である。
その鏡の前に立った人をご神体としてまつっているのが神社なのである。
そして、その鏡の前に立って人は自分の姿に気づくのである。
自分で自分が甦がえるのである。
鏡がゆがみなく、完全に澄み切っていることが宗教の宗教たる所以なのである。
奈良に行ったとき、社寺の屋根の上に高い空があって白雲があった。空はこんなにきれいだったのかと思わされたことがある。何かお寺のいらかや、神社の建物を通してみると、山々、森々や、自然というものが、却って引き立って来ているのに気がついたことはないであろうか。神社の新造されたときに、そのような気持ちになった人は少なくないであろう。神社そのものが無我になってすべてを引き立たせているのである。神社そのものが周囲を礼拝し、讚嘆している。
それのみか、国全体が引き立って来る、ということも、自然なことであるのかも知れない。
アスファルトを突き上げて破れた所から芽を出している草の芽を見たことがある。芽というものは、先に行けば行くほど柔らかくなっている。先端は全然と言っていいほど堅さはないのにもかかわらず、なぜ突き上げ、突き破ることが出来るのか。機械でボーリングする場合は堅い岩盤と接触する部分の先端に最も堅い爪がつけられている。この芽の場合は、接触点に近づけば近づくほど、やわらかく出来ている。実は芽は全然アスファルトと接触していないのではないか。触れる寸前のところで、先に上の方で口を開けてくれているということが、あるのではなかろうか。芽には外に出ようとする意志、または願いがあるのだろうか。
いずれにしても機械の場合とは反対になっているのである。アスファルトの根源と芽の根源とは、どこかで出所を一つにしているのであろう。その一つなるところから、この事件は発しているのであろう。そこから見れば、すべてが同じであるというような何かの地点なのであろう。
仮に二十センチ下から地上に出ようと生長を開始したとき、それに合わせて地表のところに何か芽の動きに合った、働きが始まっていなければならないでありましょう。もしも、芽の動きと上の方の動きが調和していなかったならば、芽はつぶれるか横の方に曲がってしまうかするのでありましょう。石のようなものがある場合は別としても、たとえ土のようなものであっても、芽はそれよりどれだけ柔らかいか知れないでありましょう。何かが根源的なところで働いているのでありましょう。
しかし、依然としてその何かは 「そんなものは無い。」 と言おうと思えばいくらでも言えるようになっているのである。機械にくらべ生命の方は、何か地面に出るための知恵をそなえているのであろうか。
ある意味では、外から教えなくても自分で中から知恵を出して、生長の方法を知っているものを、生命というのかもしれない。
(後略)
2393
:
復興G
:2013/07/20(土) 19:28:11 ID:AB6RqYXc
私はある時、「自分が何とかしなければならない」 と思っていた、そんな「自分」というものは
本来なかったのだ! 空っぽだったんだ! ただ、生かされていただけだったんだ!
本来の空っぽに還った時、自分の中にすべてがあり、全ての中に自分があり、
自分は光だったんだ! 愛だったんだ! 神だったんだ!
と思えたことがありました。
いつも、その気持を忘れないようにしたいと、精進しています。
2394
:
復興G
:2013/07/20(土) 19:38:48 ID:AB6RqYXc
>>2390
:閲覧者Aさま
ご要望に応じたいと思います。
ご投稿、ありがとうございます。
2396
:
山本富士子
:2013/07/20(土) 19:51:46 ID:RgtAnGTI
>>私は、今、「web誌友会参考文献板」 に掲示中である榎本恵吾先生の
『神癒の展開としての人類光明化運動論』 を本にして出版し、
心ある生長の家幹部・信徒すべての方々に読んで頂きたいと思う。<<
ぜひ書籍になることを熱望します。
この本をチャッチャッと読まず、ゆっくりじっくり
読んでみたいです。
2397
:
閲覧者A
:2013/07/20(土) 19:57:17 ID:???
>>復興G様、有難うございます。心から感謝申し上げます。
2398
:
復興G
:2013/07/20(土) 22:03:42 ID:AB6RqYXc
a hope さま、どんどん自主勉強を進められていて、そのご熱意に脱帽です。
>>2387
清教徒シモンと娼婦マグダレーナのキリストへ対応――マグダレーナは罪の赦し(生命の実相の開顕)を得るためには、おそらく彼女の最も尊い香油の全部をキリスト(真理)の足下に注いだ。<<
このとき罪ある女マグダレーナは、高価な混じりけのない「ナルドの香油の入った壺」をこわして全部をイエスの足下に注いだといわれており、ある人々はそれを見て「なんでそんな無駄なことをするか、この高価な油を売って貧しい人々に施してやればよかったのに」と言ったということも聖書には書かれています。しかしイエスは、「この女はなし得る限りをなしてわが体に香油を注げり」 「全世界、何処にても、福音の宣べ伝えらるる処には、この女の為しし事も記念として語らるべし」と言われた。
それは、「讃美歌」391番に歌われています。
「ナルドの壺 ならねど
ささげまつる わが愛
みわざのため 主よ、潔(きよ)めて
うけませ うけませ」
と。
私は讃美歌が好きで、今も時々、教会ではない讃美歌を美しいハーモニーで合唱する集まりに出て、感動をもって歌うの楽しみにしています。
キリスト教会では、神の子なる人間イエスへの愛をささげたとするのでしょうが、生長の家では、キリストとは真理である。物質的利害を超え一切をなげうっても真理を知りたいという念願、神の栄えを顕すためにならなんでもするという真理への愛があれば、すばらしい顕著な治り方をするのである、と説かれているのですね。
2399
:
復興G
:2013/07/20(土) 22:06:37 ID:AB6RqYXc
>>2396
:山本富士子さま。
ご声援、まことにありがとうございます。
実現できるよう――御心ならば必ずできると信じて、頑張ります。
合掌
2400
:
ユタカ
:2013/07/21(日) 00:46:10 ID:R1D4Jmeg
すみません、沢山のレスを有難うございます。
>「神は無い」という声も、神のいのちによって人間はそう言っているのであります。そこまで神ご自身で、無神になっておられるのであります。
>神のいのちによって人間はそう言っている・・・・
という所が??です。人間は自由を与えられて強制されていないはずですが、ここでは「神に言わされて」いるように思えたのですが、
どういうように解釈するとよいのでしょうか?
すみませんが、教えていただけませんか?
2401
:
ユタカ
:2013/07/21(日) 01:14:35 ID:R1D4Jmeg
せっかく長文書いたのにまた消えた!! 頭に来たので、また、明日にします。!!!
2402
:
閲覧者A
:2013/07/21(日) 05:40:18 ID:???
私も、山本富士子様と同じで、榎本恵吾先生のご文章を、ゆっくりと拝読させていただいています。
本当に書籍になって欲しいです。復興G様、ありがとうございます。
正法眼蔵や般若心経の心とだぶるところがございます。
2403
:
復興G
:2013/07/21(日) 07:33:19 ID:AB6RqYXc
>>2400
:ユタカさま
ご質問、ありがとうございます。
>>人間は自由を与えられて 強制されていないはずですが <<
「神はない」 と、自分が言ったつもりでも、自分の力で言ったのではない。神の力によって、言わせていただいたのだ、ということになっているのではないでしょうか。
2404
:
復興G
:2013/07/21(日) 07:35:00 ID:AB6RqYXc
>>2402
:閲覧者Aさま
ありがたいご投稿、感謝します。ありがとうございます。
2405
:
ユタカ
:2013/07/21(日) 08:18:36 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま
有難うございました。榎本先生は神様を讃えておられるのですね。。 皆さんに好評ですが私には高尚すぎて・・・あと何年か修行したら理解できてくるのだと思いました。 以上 終わります。
そして、復興Gさま a hope様 みなさま、来月の誌友会はどうしましょうか?
3日間という日程についてはどうでしょうか? 訊けさんが不参加のようなので元にもどして当日2時間で終了しましょうか? 他に良いアイデアがありましたらどうぞご発言ください。
まず、日程を決定しましょう。 テキストは『生命の實相 第4巻』で範囲は第4章位でしょうか?? これは復興G様の御指示待ちです。
よろしくお願いします。
2406
:
ユタカ
:2013/07/21(日) 08:46:02 ID:R1D4Jmeg
すみません、訊けさんが不参加というのは、ユタカの想像で、御本人に確認しておりませんでした。
きけさ〜〜〜ん、出てきてくださ〜〜い。 来月は出席しますか???
返事してください。
2407
:
a hope
:2013/07/21(日) 09:07:42 ID:edEDolt2
ユタカさまって、ほんとにさっぱりした性格で、かっこいいですね!
来月(8月)だったら、第2週(9日〜11日)、第3週(16日〜18日)あたりがいいのではないかと思いますが、
これも指導者であられる復興Gさまのご都合を伺いたいです。
第15回web誌友会は司会者なしでも大丈夫でしたから、次回も司会者はいなくても大丈夫そうですね。
ですから、訊け管理人さまも、ご負担に感じられることなく一参加者として是非ご参加してほしいですね。
また、閲覧者Aさまが
>>2390
で、「先祖供養に関してのお勉強がしたいという」素晴らしいご提案をしてくださいまして、
復興Gさまがご承諾してくれたので、次回第16回web誌友会の復興Gさまのご講話は
「先祖供養について」ということになりそうですね。とても楽しみです。
わたしは、「生長の家の教え」に触れる前は、お墓が怖くて仕方ありませんでした。
でも、今は違います。
お墓のお掃除や、お墓参りに行くことで、心が浄められたり、とてもさわやかな気持ちになれます。
もっともっと、ご先祖さまのこと(霊界)をお勉強したいと思います。
復興Gさま、どうぞよろしくお願いいたします。
2408
:
ユタカ
:2013/07/21(日) 09:25:38 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま
3日間スタイルで続行ということですね・・・。
次回も生命の實相が基本で、範囲までは読み進んで、その他で『先祖供養』を盛り込んで下されば良いなぁと思います。
司会者さんの件はOKですね。 a hopeさま、お墓が怖かったのですか〜〜〜?? 幽霊??かな??
ユタカは親戚がお寺、なので、子供のころは夏休みになると寺に遊びに行くのが楽しみでした〜〜〜。
先祖供養のことですが、「霊界」もそうですが、まずは父母に感謝が始まりですよね。。。先祖供養のお話を同じく楽しみにしています。ワクワク。
2409
:
復興G
:2013/07/21(日) 09:55:29 ID:AB6RqYXc
>>2405
:ユタカさま。
>>榎本先生は神様を讃えておられるのですね。<<
そう。神は「全ての渾て」で、「神の外にあるもの無し」ですから、有無相対の有ではなく、絶対無 即 絶対有 なのですね。
だから、自分というものが有るとしたら、それは神なのですね。
だから、神が絶対無であれば、自分も絶対無なのですね。
バンザーイ! ですね。
2410
:
復興G
:2013/07/21(日) 09:59:34 ID:AB6RqYXc
ユタカ様、 a hope 様、皆々様。
次回 第16回web誌友会、日程は3日間なら、私は
8月 第3週(16日(金)〜18日(日))がいいですね。
その間には、17日から宇治での盂蘭盆供養大祭がありますが、私は今年は宇治へは行かず、自宅で先祖に感謝の聖経読誦をさせていただくつもりです。
皆様は、どうでしょうか。
テキストの範囲は、がんばって、ユタカさんがおっしゃるように 第4章 p.91までやりますか。
2411
:
ユタカ
:2013/07/21(日) 10:01:55 ID:R1D4Jmeg
>
>>2405
:ユタカさま。
>>榎本先生は神様を讃えておられるのですね。<<
そう。神は「全ての渾て」で、「神の外にあるもの無し」ですから、有無相対の有ではなく、絶対無 即 絶対有 なのですね。
だから、自分というものが有るとしたら、それは神なのですね。
@ ここまでは、分かります。
だから、神が絶対無であれば、自分も絶対無なのですね。
神様が絶対無???
あるのは(実在するのは実相、神さまのみ)って教えていただきました。それを否定されてしまうことに違和感を感じてなりません。
無のもんかんを超えられずにいます。。。
2412
:
ユタカ
:2013/07/21(日) 10:06:11 ID:R1D4Jmeg
テキスト範囲は自主勉強範囲で自分たちで読む範囲にしましょうか?
復興Gさまの頑張らない範囲でテキストを決定なさってください。
いろいろ出すぎましてお詫び申し上げます。ごめんなさい。。。
2413
:
復興G
:2013/07/21(日) 10:07:34 ID:AB6RqYXc
>>2409
のつづきです。
「絶対無」 なら、自由自在。思いのままに、何でもできる。
「絶対無」 の中に、「全て」 がある。
だから、自分の中にすべてがあり、無限に ユタカ なのですね。
バンザーイ!
2414
:
復興G
:2013/07/21(日) 10:15:46 ID:AB6RqYXc
>>2411
:ユタカさま
「久遠の今」谷口雅春先生ご講義
http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8
http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes
を、今一度、聴いてみてください。
2415
:
復興G
:2013/07/21(日) 10:38:18 ID:AB6RqYXc
テキストの範囲は、『生命の實相』 第4巻 第4章 p.91までやりましょう。
8月16日まで、まだあと 25日ありますから、それまでに十分自主勉強も可能でしょう。
ありがとうございます。
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