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Web誌友会 板/2

1616a hope:2013/06/04(火) 20:22:30 ID:edEDolt2
訊け管理人さま

復興Gさまが、ご講話のテーマを提案してくださっています。
後半の誌友会は、どのように進行されますか?
わたしは、訊け管理人司会の誌友会も、心から楽しみにしています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

1617a hope:2013/06/04(火) 20:28:24 ID:edEDolt2
>>1616
本文中の「訊け管理人」さまの名前に敬称が抜けました。
申し訳ありませんでした。

1618ユタカ:2013/06/04(火) 22:05:31 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま

よく読んでおりませんでした。結局一緒ですね、そのようで結構です。

よろしくお願いいたします。 楽しみにしています。

1619復興G:2013/06/05(水) 05:33:31 ID:AB6RqYXc

皆様、おはようございます。

ユタカ様、a hope様、志恩様、「訊け」管理人様、トキ様、皆々様。

ありがとうございます。

第14回web誌友会は、「まさに正念場」。
とても重要な意味のある誌友会になりそうです。

日程等の確認をしたいと思います。

日程は、a hope様が>>1599で書かれた通り、

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

《第14回 web誌友会予告》

・前半 (司会 復興G)
日時:6月7日(金)
内容:復興Gの講話 質疑等

・後半 (司会 「訊け」管理人さま)
日時:6月8日(土)
内容:自由参加の誌友会

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

とさせてください。

>>1602で、
>>もう「前半」の「復興Gの講話」は要らないのではないか<<
と書いたのは、撤回します。

そして、

>>前半の司会は復興Gさま、後半の司会は「訊け」管理人さまですから、時間配分や内容等に関しましては各司会者さまにお任せする形でいいのではないかと思います。
ですから、具体的な時間や内容は、復興Gさまや訊け管理人さまが、加筆くださるとありがたいです。<<

ということでした。で、前半については私が決めます。

前半の「講話」は、6月7日(金)午後8時(19時)までに終えるようにします。

講話が一応終わったら、質疑に入ります。

テーマは、昨夜ユタカさまが、(>>1618
「(表現は違っても)結局一緒ですね、そのようで結構です。」
と言ってくださった通りでまいりましょう。

「組織運動と信仰生活」とし、内容は ユタカ様が>>1612>>1613に書かれたとおですが――

具体的には、これまでに書いてきたこととは別の視点から――2.26事件の背景を今までに聞いたことのない切り口で語られる 橋本徹馬氏の自叙伝資料などを提示しつつ、歴史に何を学ぶか、大局的な新たな視点から、今のことを考えてみることも致します。


前半の6月7日(金)についてはそうしたいと思いますが、
後半の6月8日(土) 具体的な開始・終了時間などについては、司会の「訊け」さま、お世話役のユタカ様などで相談して決めて下さい。
よろしくお願いします。

ありがとうございます。

1620復興G:2013/06/05(水) 06:28:07 ID:AB6RqYXc

>>1619 訂正です。

× 書かれたとおですが――

○ 書かれたとおりですが――

1621「訊け」管理人:2013/06/05(水) 09:04:11 ID:???

>>1619復興Gさま


 ありがとうございます。「組織運動と信仰生活」をテーマにやり取りをする今回ですが、橋本徹馬氏の自叙伝資料など、興味深い誌友会になりそうです。ですので個人的にも、今から楽しみであります。

 さて、誌友会後半に関して以下ご提案致します。
 この誌友会「後半」ですが、開始するのは「質疑応答の終了後」頃を考えております。さらには内容ですが、「前半の話の流れ次第」ということに、決定しようと思っております。いやいったい、どんな話になっていくのかが現時点、全く読めぬためであります。ですので仮決定になりますが、誌友会後半は現時点、

○ 開始時期は、誌友会前半部の「質疑応答の終了後」頃
○ 内容は、「前半部の流れ次第」

 という感じを、考えております。状況次第で軌道修正を行いますが、基本線はこれで行こうと考えております。

 以上なにかご提案等あらば、賜れましたら幸いであります。宜しくお願い致します。



1622復興G:2013/06/05(水) 16:21:25 ID:AB6RqYXc

>>1621 :「訊け」管理人殿

今日は日中、他の仕事に入っておりましたので、お返事が遅くなり、失礼しました。

ええと、web誌友会前半は7日(金)、後半は8日(土)という予定になっていたんですが、何も日を変える必要はなかったんですね。

それなら、7日の質疑応答から、もう貴殿の司会で進めて頂いてもよいと思います。

それでよろしいでしょうか?

1625「訊け」管理人:2013/06/05(水) 16:46:33 ID:???

>>復興Gさま


 以下の件ですが、了解致しました。

>>それなら、7日の質疑応答から、もう貴殿の司会で進めて頂いてもよいと思います。<<

 ただし、以下二点をお知らせ致します。目下この様な状況でありますので、貴殿より「それでも宜しい」とのご快諾を頂戴できれば、当方は上記の件受けることは可能であります。その、目下の状況とは、

○ 7日(金)19:00直後くらいは、PCの前にいられるかどうか不明である事。
○ なお司会ですが、「論点整理の役目である」と云う認識を当方は持っている事。

 です。

 補足致しますが一点目に関しましては、現誌友会システムでは「ある程度、時間の融通は効く」との認識であります。19:00直後くらいに参加出来ずとも、皆さんへの迷惑は回避されましょうか。もしもご返答が「その通り。迷惑にはならぬ」で御座いましたら、当方は7日の質疑応答から司会が出来ると思います。

 さらに二点目ですが、「あくまでも論点整理をする役目」との認識であります。いろいろな質問が寄せられましょうから、当方では「それはこういう意味でしょうか」等の、なんと言うのか、「質問明確化の役目」との認識でおります。これについても、貴殿ご返答が「その通り」と云うことであらば、当方は7日の質疑応答から司会が出来ると思います。

 まとめますが、

○ 7日(金)19:00直後くらいは、PCの前にいられるかどうか不明。されど、8日(土)午前零時以降であれば、「参加可能か?」と云う状況です。
○これでご迷惑にならぬのならば、司会をすることは可能です。
○あくまでも「論点整理」が、メインとの認識です。(司会について)そうであれば質疑応答からの司会も、可能だと思っております。

 となります。

 以上、今回誌友会に関する、当方の状況報告で御座いました。



1626復興G:2013/06/05(水) 17:40:04 ID:AB6RqYXc

>>1625 :「訊け」管理人殿

ええと、私は第13回web誌友会までの のんびりしたペースを考えていました。

つまり、50時間、3日間にわたる、のんびりした誌友会のペースです。

それをいっぺんリセットして、ユタカさん主導の自主勉強会のペースに切り替えて考えなくてはいけなかったのですね。

前半・後半に分けるという案は、最初>>800でa hopeさんが提案され、>>837で私が、
「前半の講話に厄半日」
「後半の自由会話が1日」
で合計1日半ぐらいかけて、という提案をしていました。

私の考えでは、夜は11時頃に終えて寝(やす)み、
翌日また夜に後半を始める、ということを思っていました。

しかし、「訊け」殿のお考えは、夜から午前様になっても寝まず続けるということのようですね。

熱意はすごいなと思いますが、あまり無理せずに夜は寝て、翌日適当な時間に再開でもよろしいのではないかと、私は年のせいもあって、そう思っていたのですが……

いかがでしょうか。

1627初見者:2013/06/05(水) 18:06:00 ID:NqKwCCw6

複雑な誌友会ですねー。生長の家の誌友会ってこんなにややこしいものですか?

1628復興G:2013/06/05(水) 18:16:41 ID:AB6RqYXc

では、7日(金)は夜11時で一応お開きにします。
それまでは、皆さんのお助けをいただきながら、私がなんとか司会兼務の覚悟でさせていただきましょう。

11時以後は、書き込みしたい人は自由に書き込みをする。
それは、今までの「後夜祭」に当たりますが、同時に今度は次の自由会話誌友会の始まりになる――ということで、あとは貴殿がユタカさんなどとも相談して決めていただいたらありがたいと思います。

1630トキ:2013/06/05(水) 18:31:48 ID:7x7v50rs
>>1627

 リアルの誌友会でも、時間の制限はあります。ネット上の場合、ネット独特の制限は必要だと
思います。

合掌 ありがとうございます

1632トキ:2013/06/05(水) 21:47:13 ID:7x7v50rs
>>1629の御発言は、誌友会開催の関係から、別板の浄心行板へうつしました。
投稿者様には申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1633復興G:2013/06/05(水) 22:35:04 ID:AB6RqYXc

トキ様、お心遣いありがとうございます。

合掌

1634トキ:2013/06/05(水) 22:44:56 ID:7x7v50rs
>>1633

復興G様

 こちらこそ、行き届かないで、申し訳ありません。

 これは「暴論」かもしれませんが、誌友会開催中、不規則発言は、講師と司会の方がご意見が一致
したら、管理人の意見に関係なく、別板へうつす、という約束もあり得ると個人的には思います。

 実際には少しタイムラグはありますが、不規則発言の抑止にはなると思います。

1635ユタカ:2013/06/05(水) 22:51:19 ID:R1D4Jmeg
復興G様 ありがとうございます。

7日の開始時刻は何時でしょうか? すみません、長いことお休みしていてわからないのです、教えてください。(a hope様、ご存知でしたら教えてください。) 訊け様の8日の午前0時継続の提案ですが・・・訊けさんの体力とやる気は本当に素晴らしいですね。 ですが、復興G様は、お身体にさわるといけませんので仰いますように、その日は終了時間になりましたら、それ以降は早い時間から準備されていらっしゃいますでしょうし、一旦終了してお休み下さい。ご回答なさる明日以降〜に備えて一旦、ご退場・・・なされてくださいませ。  私も一旦終了して頂いてあとは自由ですと有難いです。


訊け様、

ありがとうございます。 WEB誌友会創始者の訊け管理人様のご登場を心から嬉しく有難く思います!!
お世話になります。再びの名司会を楽しみにしています、そのままの心を大切に!と言うことですから、蝶ネクタイ(かな?今回は別のサプラズかな?)の訊けさまで颯爽と??頑張ってください。司会のみは訊けさまで、ご講義・解説は復興G様で、生長の家の真理を<正しく学べる>と言うのが嬉しいひと時です。。。 私は参加者ですが、今の考えを発言させてください。7日は<夜通し>ですと、皆さんも大変ではないでしょうか?。訊け様も、どうぞお休みなってください、と思いますが、それは訊け様の自由です。私は参加者ですので睡眠とります。。で、その日の終了時間からは、遅い時間からの参加者様もおられるでしょうし、自由に書きたい皆様がいらしたら自由に書いていただいて、
次の日に<訊け様が要点の整理>をなさって、夜に再び登場されて復興Gさまのご都合にあわせて<御回答を復興G様に頂くよう>になさったらいかがでしょうか? 8日の土曜の昼間は皆さんそれぞれいそがしいでしょうから、夜からスタートしていただければ有難いのではないでしょうか。 復興G様もそのように仰っていますし・・・如何でしょう?

あと・・・志恩様を、どうかおとりなしくださいますようよろしくお願いいたします。

1636復興G:2013/06/06(木) 05:20:16 ID:AB6RqYXc

>>1635 :ユタカさん

ユタカさんの参加があれば、もうweb誌友会は活性化すること間違いなし! うれしいです。

ありがとうございます。

7日、と言えば明日ですね。
開始時間について――まだ決めていませんでした。

やはり開会の祈りをして、神様の天降る誌友会にしたいと思いますから、その時間を決めましょう。

いつものように、21時(夜9時)以後がよろしいのでしょうね。21時に開会の祈りでよろしいでしょうか。
祈りの言葉は、どなたか書き込んでいただけますか?

(a hope様も、“お役に立てることがあればお手伝いしたい”と言ってくださっていましたね。)

しかしその前に、午後の早い時間にでも、“2.26事件に光を当てる” “歴史から「今」を学ぶ” というような復興Gの講話といいますか、論文の投稿をしておきます。

それを読んで頂いて、ご意見あるいは質問の発表を用意して頂き、実際の質疑開始は原則として開会の祈りのあとから、ということにして頂けたら……と思います。

いかがでしょうか。

1637復興G:2013/06/06(木) 05:33:30 ID:AB6RqYXc

なぜ、生長の家の誌友会に2.26事件の話など持ち込むのか? 

「現象は、ナイ」と言われるが、歴史とは何なのか?――

≪歴史というものは、実在の生命が『無』の世界を征服して進軍する結果として現象界に現れる作用すなわち生命は如何なる階調序列をもって其の現れ方をなすか、更に『生命』が、『無』を征服する際に起こる反作用すなわち其処に如何なる自壊作用を起こすかという事の跡を辿って行くことによって、ちょっと考えると過去の出来事であって今の事とは何の関係もないように見えている過去の記録の中に、生命の『今』、生活の『今』が現れている。

過去の記録と見えるものの中に現在があり、今があり、久遠の相(すがた)があり、その久遠の相が過去に於いても現実に現れて来たし、今もこれからも現実に現れて来るのであるから、その歴史を把(つか)むことによって、『今』を知り、そうして『久遠』を知り、未来を知るということが出来るのであります。≫

――と、谷口雅春先生は『限りなく日本を愛す』の135〜136頁に書かれています。

そういうわけで、過去の歴史を調べて『今』の私たちの生き方を考えてみるのは有意義なことであると思うのであります。どうぞよろしくお願いいたします。

1638ユタカ:2013/06/06(木) 08:02:04 ID:R1D4Jmeg
復興G様

21時開始ですね。有難うございます。よろしくお願いいたします。
お祈りは今まで通りa hope様がなさると思います。

復興G様構想の歴史から紐解いた今を起つ信仰と組織との誌友会は、内容が重厚で盛り沢山で皆さんも喜ばれると思います。
住吉大神様の聖霊天降る素晴らしいWEB誌友会にご尽力くださいまして有難うございます。

1639a hope:2013/06/06(木) 08:54:47 ID:edEDolt2
みなさま おはようございます。

第14回web誌友会に関しまして、復興Gさま、訊け管理人さま、トキさま、ユタカさまなどで、
お話し合いを進めて下さっているようでありがとうございます。

>>1636で、復興Gさまが、

<<やはり開会の祈りをして、神様の天降る誌友会にしたいと思いますから、その時間を決めましょう。
いつものように、21時(夜9時)以後がよろしいのでしょうね。21時に開会の祈りでよろしいでしょうか。
祈りの言葉は、どなたか書き込んでいただけますか?
(a hope様も、“お役に立てることがあればお手伝いしたい”と言ってくださっていましたね。)>>

と、おっしゃってくださっています。
そして>>1638でユタカさまも、

<<21時開始ですね。有難うございます。よろしくお願いいたします。
お祈りは今まで通りa hope様がなさると思います。>>

とおっしゃってくださっています。
ありがとうございます。


今まではa hopeが、第2回web誌友会でユタカさまが用意してくださった『準備祈願』を、ユタカさまの代わりに再掲載させていただだいたあと、
聖経「真理の吟唱」より祈りの言葉を謹写させていただいておりました。

ですが、今回はユタカさまも登場されていますし、すでに午後から復興Gさまがご講話を始められるご予定のようですし、
わたし自身明日の日中は仕事で参加できませんので、今回は開会の「祈りの言葉」のみを担当させていただきたいと思います。
(ですが、開会の「祈りの言葉」はいくつあってもいいと思いますので、他にも「祈りの言葉」を謹写されたい方があったら遠慮してくださいね!)

a hopeの予定としましては、明日の21時(夜9時)になりましたら、「招神歌」のあと、聖経「続真理の吟唱」より『住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り』、
そして、「みすまるの歌」を謹写させていただきたいと思っております。
(リアルタイムでの謹写は不可能ですので、明朝の神想観で心を浄めた後謹写させていただき、
開会直前にもう一度お祈りした後、心をこめて掲載させていただく予定でいます。
みなさま、ご理解いただけますようお願い申し上げます。合掌。)

1640a hope:2013/06/06(木) 08:58:55 ID:edEDolt2
>>1639訂正
遠慮してくださいね!→遠慮なくなさってくださいね!

みなさま、どうぞ、このようにアホなアホープに遠慮なさらず、どんどんご参加ください。(;'∀')

1641ユタカ:2013/06/06(木) 09:05:16 ID:R1D4Jmeg
a hopeさま ありがとうございます。

続吟のお祈り! 最高だと思います! 何か、今回の誌友会にピッタリと思いました。 神業ですね。

真心こもったご愛行を有難うございます、お世話になります。 よろしくお願いいたします。

1642「訊け」管理人:2013/06/06(木) 10:43:25 ID:???

>>誌友会関係者各位


 皆さん、ありがとうございます。さて、現時点での感想を述べますと、「よく分らない」ということになりましょうか・・・・いや、今後の展開が「読めない」上に7日(金)ですが、未だ予定がつかないのです。(申し訳ありません・・・)無論、19:00頃から参加出来るかもしれませんが、あくまでも「かも」なのです。確定が出来ぬため復興Gさまには、ご迷惑をおかけ致します。

 まあそれでも、後半は「流れで」行いたいと思います。

 流れで行くとは一見、いい加減に映りましょうけれども、さにあらずです。前半の誌友会で問題に上がった点など「どこを膨らませるか」とか、「どこに関して補足資料を挙げるか」とか、現時点でまったく読めぬのです・・・・ですので「流れ」で行きたい、後半部です。

 なお、8日(土)も個人的には、「午前中から開始する」方向で調整しておりました。ところが拝読する限り、なにか違っていたみたいですねえ・・・・まあ、余りご迷惑をおかけせぬ方向で調整します。いやなにせ、現時点では「まったく読めぬ」のです。こんな返答で、誠に申し訳ありません・・・・




1643ユタカ:2013/06/06(木) 13:40:15 ID:R1D4Jmeg
訊け様

すみません、訊け様のやりやすいように土曜日はなさってくださいませ。。。
ご発言が沢山出ていたりしたら、時間があるようでしたら、どうぞ、そのようになさってくださいませ。。 よろしくお願いいたします。

あと・・・・<補足資料 >って??  どういう場合に補足がいるのでしょうか?
補足でなくて、いつもの例題のような<紹介文>という資料のことなのですよね? 

あまり先を心配せずに力を抜いて、皆さんと一緒に勉強するつもりでいつもの「そのままの」訊け様で充分にOKでないですか?『流れ』で充分だと思います、有難いです。皆さんが一杯ご発言できるように導いて下さいませ。
楽しみにしています、どうぞよろしくお願いいたします。

住吉大神様の聖霊天降るWEB誌友会ですから、神様の流れに乗らせていただいて、明るく楽しくされど勉強は真剣にやりましょう〜。^^ありがとうございます。

1644復興G:2013/06/06(木) 15:22:01 ID:AB6RqYXc

>>1639 :a hope様

7日 開会の祈りなど、どうぞよろしくお願いします。

「訊け」様

>>1643 :でユタカさんのおっしゃってるように、『流れ』で充分・・・・・・土曜日午前中からでも、やりやすいようにやってください。

皆様、よろしくお願い申し上げます。

礼拝

1645復興G:2013/06/07(金) 16:47:14 ID:AB6RqYXc

合掌 
皆様、ありがとうございます。

只今より、第14回web誌友会の「第1部」(前半)、
基調講話のようなものの投稿を始めさせて頂きます。

生きとし生けるものを生かし給える御祖神
元津みたまゆ幸はえ給え
わが生くるはわが力ならず 天地を貫きて生くる祖神のいのち
わが業はわが為すにあらず 天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし 生長の家の大神守りませ


ありがとうございます。ありがとうございます。

生長の家大神様
只今より 第14回web誌友会の基調となる講話を始めさせて頂きます。
われ心を空しくして大神の御導きにしたがい奉る。
この投稿文が大神の御導きのままに正しい真理を現すことが出来ますことを感謝申し上げます。

このweb誌友会にご参加あるいは閲覧くださいますすべての方々の神性仏性、神の子の魂にひびく書き込みが出来、すべての人・物・事を生かすことができますように。


大神様、ありがとうございます。ありがとうございます。
大神の大いなる御導きに感謝申し上げます。
ありがとうございます。ありがとうございます。


天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり
天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり

1646復興G:2013/06/07(金) 16:48:07 ID:AB6RqYXc

皆様、ありがとうございます。

今回 第14回web誌友会のテキストは、『生命の實相』 第3巻 巻頭に掲げられた神示から 第4章の終わり 95頁まででございます。

既に2回にわたって自主勉強会が行われています。
まずは、そこで学んだことを 「今」、実生活、信仰生活にどう生かすべきか。

「組織運動と信仰生活」

をテーマとして、おさらい、まとめをさせて頂きたいと思います。

まずは、テキストから「ここぞ」と思われるところを抜粋させて頂きます。( )内の頁数で、書名が書き入れてないものはすべてテキスト『生命の實相』第3巻です。

       ○

○ 「言葉の宇宙」が先ず出来て、「形の宇宙」がその映像(かげ)としてあらわれるのである。(p.1)

○ 『生命の實相』が展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。(p.2)

○ 精神界が先きで現実界はその影である。(p.3)

○ 形あるものはすべて、「生命」そのものが表わした影であります。(p.20)

○ 元来、人間は行をしなければ、水で身体(からだ)を洗わなければ、浄まらないというふうな窮屈な不完全なものに作られていないのであります。また人間は神様がお造りになったものでありますから、病気になるように不完全には造られていないのであります。それから神は人間を罪を犯すように造っておき、その人間を罰するというような矛盾はされないのであります。神さまのお造りになったこの世界には罪もなければ、病気もない。そういう不完全な人間を神さまがお造りになっていると思うのが迷いであったということがわかってきて、今までの信仰に革命ができ、この新しい信仰を発表するために生まれましたのが、「生長の家」であります。(p.26)

○ 「生長の家」の発見しました縦を貫く真理は、「人間は神の子である、神そのものである」という真理である。(p.28)

○ 「生長の家」の真理を体得するには、神想観や『生長の家』の読誦などという静的の工夫のほかに、動的の工夫が要るのであります。真理は生命そのものでありますから、そして生命は「動」が本態でありますから、動的の工夫に移って、真理というものは、はじめてその潜在していた生命の正体――生かす力の正体をあらわすのであります。(p.33)

○ 「できたら、しよう」というのではなく、意を決してすればできるのであります。「余裕があったら、しよう」というのではなく、断じて行なえば、必ず余裕ができてくるのであります。(p.35)

○ われわれあの「本質」は無限の智慧であり、無限の愛であり、無限の生命であっていろいろ多方面のハタラキをするものであって、その完全な発現を大和精神(やまとだましい)というのであります。完全にわれわれが自己「生命」の実相(ほんとのすがた)を自覚し、大和精神が発揮されますと、いろいろ多方面において自分の生活が自由自在になってくるのであります。(p.38)

○ 一人が真理を知ればその人一人が光明に照り輝くばかりでなく周囲までもその光明に化せられる。光明は感染する。ではではできるだけこの光明を人に伝えようではありませんか。……時は今、常に時は今である。(p.50)

○ 「生長の家」所説の真理は、神が、至上の愛が、万物を生かすところの真理を人間に吹き込んで、その人間の筆により仮に書かせたものであります。だからこの真理によって生かされないものは何物もないのであります。読んで病気が治るばかりでなく、家が「生長の家」となり、国が「生長の国」となります。(p.51)
<つづく>

1647復興G:2013/06/07(金) 16:48:50 ID:AB6RqYXc

<つづき>
○ われわれはいかにしても本当に実在せる世界、すなわち「実相世界」においては神から離れることはできないのであります。(p.75)

○ 神の創造し給えるそのままの状態を念じますことを「正念(しょうねん)」といいまして、その正念の影が映れば現実世界は完全な病気も災難もない状態を現出するのであります。つまり「正念」とはあらゆる事物を神の造り給えるままの状態そのままに念ずることで、そういう正念をもって生活することを神に結ばれた生活というのであります。(p.76)

○ “正念”というのは、「ここは正念場だ」などというでしょう。「ここが正念場だ」というのは、正念を出して来なければならないギリギリの場だ、という意味であります。(『真佛教の把握』50頁)

○ 本当の神というものはただ一つ――それは力が足りないこともない、愛が足りないこともない、われわれが悪いからとて神罰をあてるということもない、といってわれわれを悪いようにも造ってい給わない(われわれが罪を犯すように見えるのは本当の相ではないのであって、念の仮作せる影であります)。無限の力で、われわれとこの世界とを実に円満完全に神そのままの相(すがた)に造ってくださった神が本当の神であります。(p.77)

○ 生長の家の神というのも固有名詞ではないのでありまして、生長の家において顧わされた宇宙神であります。しかし今まで、神はいろいろの相をもって顕われ給うたのであります。時にはいろいろの名称をもって呼び奉る日本の神々として、時には旧約のエホバ神のように怒りの神、嫉みの神の相(すがた)をもって、時にはまた、いったん万人の罪の実在を肯定しておいて、万人の罪にかわって十字架にかかるというような愛の相において、時には阿弥陀如来のように肉体死後の世界において霊魂をお浄土に救いとってくださるというような相(はたらき)において、しかし、今、神は生長の家において万教の本尊は「一」であるというその全相が実に円満完全なそのままの相で顕われ給うたのであります。(p.77〜78)

○ あなたは万事万般、どんな些細なことでも自己の内からの催しで導いてくださる本当の神にお頼りになりたくはありませんか。(p.86)

○ 神からの十全の神徳を真っ直ぐに射し込ましていただくに必要な条件であるところの、神を完全の相(すがた)において理解した上で神を信ずるというのが「生長の家」の信仰なのであります。ただ、なんでも彼(か)でも怪力だから信ずる、御利益(りやく)があるから信ずる、霊力があるから信ずるというのでは生長の家の信仰ではないのであります。(p.88)

○ 神をその十全の神徳において理解し、同時に神の創造(つく)り給える「実在世界」の実相を理解して、本当のおかげを得ていただくために、わたしは聖典『生命の實相』を世に贈り出したのであり、また毎月の『生長の家』誌を書いているのであります。(p.88)

○ 同志よ、同志を作れ、そしてこの人類光明化運動を燎原の火のごとく野火のごとく広がらしめよ。(p.93)

○ 現在の経済組織がいかにともあれ、また来らんとする経済組織がいかにともあれ、現実世界は心の世界の顕現でありますから、人間が生命の実相を悟らず、人間の征服欲が、人間の我欲が、人間の復讐欲が、現実世界を操っている以上は、そこに人間にとっての地上天国が実現すべき必然的理由がないのであります。(p.94)

○ では世界の改造運動に内より燈(ひ)を照らすものは生長の家でなければならない、だから世界の改造家がもし切実に人類を愛し、本当に地上天国をこの世に招来しようと思うならば、まず生長の家に来り地上天国の雛型たるべき各自の生命の実相を「見真」しなければならないのであります。(p.94)
<つづく>

1648復興G:2013/06/07(金) 18:39:45 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 勉強のテーマは、「組織運動と信仰生活」でありました。

 さて、「組織」 は 「生命体」 であります。

 動植物あるいは人間の肉体組織も生命体であり、社会組織も生命体であります。

 個生命は、組織の中で役割を果たすことによって生かされます。

 服部仁郎先生の『今を生きる』という本の中に面白いご講演記録がありました。その一部を謹写させていただきます。

       ○

    「自他一体」を生きる

 「今を生きる」というのは具体的にどういうことかと申しますと、生命が生命の目的を生きることなんですよ。それは、皆さん、夫婦喧嘩の目的はと申しますと、喧嘩の目的は勝つこととすぐに思いますけれども、夫婦喧嘩の目的が勝つことにあるとしますと、それは理屈が正しいか、力が強い方が勝ちますよ。勝ったら勝った方はよろしいが、負けた方はくやしいな。一方の目的がかなえば一方の目的はかなわん。自他一体なら、両方の目的がかなわなければいかん。

 そうすると、喧嘩の目的はというと、勝つことは過程であって日的はちがうんです。目的はいったい奈辺にあるかというと、それは結婚生活の陶冶にあり、仲のいい幸福な家庭を作ろうということにあるでしょう。それを一方はすんだ過去のことを言っているんだ。そうすると一方は、そんなすんだことを言っては困るといって未来のことを言っているんだ。過去と未来のチャンバラが喧嘩なんですな。

 しかし目的は、仲よくすることにある。仲よくなったらもう、喧嘩はありませんわな。目的を観じ目的をすぐ生活するんですな。それが宗教です。

 谷口先生がお説き下さっている宗教は、即生活です。そこで私たちはその生活をいかにすべきか――それは、宇宙普遍の法則にのっとった生活、自と他が一体であるという自覚を深めないといけない。自と他が一体であるという自覚が深まると、最も合理的な生活ができる。自分が一人の生活をするように、矛盾なく自と他が一体の生活の合理化ということができる。

 この生活の合理化が科学となり、教育となり、哲学となる。そしてそれが実生活に行われる時に、政治になり、あるいは経済になり、自然科学、医学等にもなる。科学の目的も人類が幸福で平和な生活をするためにあるんですね。宗教というのは、自と他が一体であるという自覚のもとに高度の生活をすることであるわけです。

 神社の前で合掌する、あれは宗教の行事です。信仰というのは一人一宗であります。一軒の家にキリスト教の人がいらっしゃってもいいし、天理教の人がいらっしゃってもいいし、あるいは日蓮宗の人がいてもいいでしょう。キリスト教では「天にましますわれらの父よ」と言って、偶像崇拝を排斥しますが、お宮をそこに置いたから偶像というのではなく、「天にまします神」というのが偶像のような信仰だったら、これも同じことだと私は思いますよ。

 ともかく神仏の前で皆さんが合掌する。こうして合掌して、まさか「バカヤロウ」「コンチクショウ」はないはずです。

 争っていた人が仲なおりするのに、仲裁にはいった人が「手打ち」をしますね。手は右と左は反対ですな。反対だからってこれがお互い自分の立場を主張してゆずらなかったら、永遠にこの手は合わん。それを合せるのです。神仏の前で合掌すると、どんな場合でもスカッとやましい心が消えてしまう。今の自民党も社会党も、ひとつこうやって合掌してやってほしいですな。
<つづく>

1649復興G:2013/06/07(金) 18:40:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 生長の家の信徒行持要目で、「そのままの心を大切にすべし」と唱えますが、私たちは合掌して美しい心でそのまま生活する、それが宗教です。それが本当にできますと、病気や不幸というものがなくなる、というよりは、はじめから存在しないということです。

 それでは「自他一体」の証明をしてみい、といって一体できるかなあということですなあ。私たちは、親子は一体だ、夫婦は一体だというが、いまだかつてその一体であるというのを証明してくれと言った人はないはずです。これはとうてい証明しようったってできない。そこでそのまま私たちは鵜含みにしているのね。自覚というのはね、証明を用いずして了知する、というのが自覚ですな。

 八紘一宇、四海同胞というのもこの自覚です。

 かりに私という一個の人間の各部について「自他一体」を説明しますと、「ごちそうができたよ」ということを聞きますね。そうしますと、私の足は疲れていても体全体をそのごちそうの場へ運んで行く。眼がそれを見ると、「えらいごちそうだ。私はごちそうをいつも見るだけでいっぺんも食ったことない。口ばっかり食べて損だなあ」という。鼻は、「私はちょっとにおいを嗅いだだけで、私の前はいつも素通りだ。」手は、「私はいつもごちそうを口まで運んでやって、いまだかつて一粒のごはんもごちそうになったことない。」耳は「私は、ごちそう、ごちそうって聞いてるけど見たことない。」

 ――みなさん、足はどうでしょう。足はいまだかつてごちそうだって見たことない、においをかいだこともない。それでお腹がすいたときには体全体をそこへ運んで行く。何も楽しむことはなく、献身的に尽しているけれども、いっぺんも足を上位に置いたということがない。いつも尻の下に敷かれている。それでも足は「これほど皆さんに協力したけど、いつも尻の下にしかれて」なんて文句を言わない。しかし、足が動かん限り、全体があっちこっちに行けないとするなら、足はすべての支配者にもなっているということではないかと思うね。

 その場合に、それぞれが意見を出して、「口ばっかりごちそうを食べて」と言って口を排斥するようになれば、おそらく口は言うでしょう、「それでは、私はもう食べない。これからストをやろう。そら、耳よ食え、鼻よ食え、眼よ食え」と言いだしたら、たいへんだと思いますね。

 私たちの体のどこ一つも切って捨てることはできない、そのように私たち三十億の人類のだれ一人も切って捨てることはできないのだということを知らなければなりません。宗教は自他一体の教えであります。
<つづく>

1650復興G:2013/06/07(金) 18:41:34 ID:AB6RqYXc

<つづき>

    宗教の極意はここにある

 皆さん、生長の家の極意は、『甘露の法雨』の最初に書かれていますね、「七つの燈台の点燈者の神示」の中にね。「汝ら天地一切のものと和解せよ」という和解の神示。その「和解する」ということは「感謝する」ということだと書いてある、それが極意ですな。本当に感謝ができるようになれば、価値ある生活ができるようになる。

 昔から、「猫に小判」という諺がある。猫は、どれほど小判を積んでやりましても、それは感謝がないから値打がなく、一文にもつかない。感謝をすると、そのものの値打が出る。その値打のもとはいったい何か――金とか物とか、それは私たちが払った生命に対する裏づけですな。その値打を知るものはやっぱり感謝です。

 だれかが紙を一枚くれたとき、「なんだ、紙一枚くらい」という場合にはなんらそこに値打がない。その紙一枚でも「ありがたい」と思ったときに、千枚、万枚とおなじ値打が出てくる。値打を知ることができたら、値打のあるように生かされる。感謝というのは、絶対価値の認識である。宗教は、感謝に始って感謝に終るわけですね。

 ところがその「心」の問題であります。宗教は即生活。お釈迦さんは「天上天下唯我独尊」自分の立ったところが宇宙の中心である、東西南北本来なしと言われた。

 せんだって私の家内の妹が、「兄さん、わたし家を買うので、お忙しいでしょうけどちょっと見てくれませんか」というので、見に行ったところが、つまらん家なんです。
 「こんな家、買ったってしょうがないじゃないか。こんなんだったら、ぼくの方にもっといい家があるよ」
 「ところが兄さん、わたし易者に見てもらったら、方角が、ともかくこっちの方がいいんだって」
 「こっちって、どちらだ」
 「私は西の西の西の、西へ行くほど今いちばんいいんだそうです」
 「そうか。それだったら、ぼくの方に来ないか」
 「だって、兄さんとこは東……」
 「西がいいんだろう。だったらぼくのところへ来なさい。地球は丸いんだから、西の西の西の、いちばん西じゃないか」
 と言ったんですがね。

 東西南北はもともとないもの、自分が立ったところに東西南北を立てているんですね。

 ではその自分とは、この肉体が自分かということ。神様につくられた自分とはいったい何か。神様につくられた自分とは、心でありますね。

 神様は宇宙の一切をお持ちになっていらっしゃるので、私たち人類三十億の一人一人に宇宙の一切を満ちそなえて生命の生みなしをされたのであります。一切(いっさい)であって、一切(ひとき)れではありませんよ。すべて、無限ですね。

 私たちは宇宙の一切をもっているから、各自が男であり女でありながら、そのまま自由自在で、平等であるということです。各自が宇宙をそっくり持っている。この辺からこの辺までという限りあるものではありません。

 いま、私が何千億円のお金を銀行に預けていて、その通帳を持っているとします。私はこの通帳に関しては、いくら引き出そうと意志の自由をもっていますね。かりに私が百円と書いて出せば、百円出してくれる。それでもあんたは何千億円あるんだから、まあ一千万円出してやろうとか、あるいは百万円やろうということはないね。こっちが書いて持って行っただけしか、払い戻してくれない。これが宇宙の法則ですね。

 神さまは、宇宙をそっくり持っていらっしゃるんでしょう。そっくり持っていらっしゃる神さまが、一人一人にそっくりくれると、鉢合せしはしないかと御心配の方もいらっしゃるでしょうけどね、けっして鉢合せしない。それは、太陽系統が何万年運行していてもけっして鉢合せしない、その通りです。
<つづく>

1651復興G:2013/06/07(金) 18:42:21 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 神さまは宇宙をそっくりくれるというのは、どういうようにしてくれるかというと、私たちは、持っとると自由だと思うけれども、これは思いちがいですね。

 私は、だれにも「服部、お前白墨を持って説明せい」といわれておらん。それをただ私が「白墨を持って皆さんに説明する」というので右の手に白墨を持っている。だれが私を制約したか、私が制約したんですね、皆さん。すると、私はもっとたくさん持てる力があるのに、これだけしか持てん。

 そこで皆さん、持たないということがいちばんいいのであります。それを私たちは、この現象の世界では自分で自分の自己制約をしているんでしょう。そして、なんの自由自在平等があるかということです。

 五尺何寸という肉体の制約、そして私は男だ、私は女だということも自分で自己制約しているんです。それはそれだけに制約しているから、それだけの自由がある。

 神様は宇宙をそっくりくれて、けっして私たちの自由を束縛しない。そっくり預ってくれているんですね。

 銀行に金を預けますと通帳をくれますが、神様はそっくりくれてそっくり預って、どういう通帳をくれたかというと、「心」という通帳であります。

 この「心」という通帳には、男もなければ女もない。『生命の實相』に、人間は死んで霊になったら、男も女もないと書いてある。神様の通帳にも男も女もないんですよ。

 そしてこの通帳は、自他一体のただ一つの通帳であります。
 この一つの通帳から、私は彫刻家だという自分の使命感をもって、彫刻を引き出す。ところが私がいくら彫刻を作っても作っても、これは減りはしない。作るほどふえているんですね。みんなそれぞれがそれぞれの与えられた職場で、力いっぱい生産をして行くならば、どこも減りはしない。

 これが本当にわかったら、およそこの世の中に、搾取するとか、搾取されるということはないということを知らなければなりません。

 神様はそっくりくれて、そっくり預ってくれている。この通帳はですよ、戦災で全国各地の都市が焼けたって、このように復興してきたのは、この通帳が焼けなかったからです。

 災禍にあって無一物になって、この通帳をいっぺんもひろげてみない人がある。そっくりしまいこんで、「もうだめだ」というような人もある。今からでも遅くはない、もしそういう人がいらっしゃったら、その通帳からいくら出しても減らないんですよ。神様のつくった世界は、けっして出したら減るということはない。

 この通帳は自他一体のものですね。自と他が一体であるという自覚を深めて行きますと、自分というものの使命を感ずる。
 そして、人間のからだで言えば、眼は眼の役をするため、鼻は鼻の役をするため、口は口の役をするため、私たちは合理的な生活をする。現象世界は有限の世界ですね。有限の世界で、無限の自由を求めるというのはおかしい。これは自己制約をしているのであります。

 お釈迦さんはこの世界について、「三界は唯心の所現である」と言われた。生長の家ではこれを「心の法則」と言いますね。既成宗教家にお説法をきくと、因果律ということを言います。因縁因果ですね。私はどういう因縁か、とか、どうして私はこういう因果でしょう、どうして私はこんなに業(ごう)が深いんでしょう、などという。

 この因果の法則というのは、昧(くらま)すことはできない。皆さん、よくいうように「蒔かぬ種は生えない。」だれも知らんだろうと思ってやったことが、自と他は一体ですから必ずだれかに知れる。「悪事千里」とも言いますな、皆さん。かくそうたって、かくせない。お米を蒔けばお米が生える。そのお米は、食べればなくなる。そういうようにして、現象というのはまた、なくなって行きよる世界ですね。
<つづく>

1652復興G:2013/06/07(金) 18:42:56 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 この世界は、仏教では、業の流転(るてん)の世界という。業は業のもつ因果の法則によって、業自身が流転して本来の無に帰って行く。それはそれにまかせることです。

 すべての争いをやめて、自と他が一体だということがわかったら、心というのはさっき申しましたように、男もなければ女もない、神様の通帳は一つなんです。

 お互いが無限を持っている、そこにお互いが自分を振向ける。これを廻向(えこう)と申します。これが即身成仏――この身このまま仏ですね。私たちは五尺何寸というようなチッポケなものじゃないですよ、皆さん。宇宙いっぱいに遍在する、その自分を男にし、女にし、そうやって縛っていた。その縛りを解きまして、もうひとつこっちへもってきて、この「有限」というのを見なおす。私は男だ、私は女だ、親は親であるし、子は子、夫は夫、妻は妻と、そこにはおのずから秩序がある。その秩序に従った生活が、自と他が一体で、「差等ある平等」の生活となる。そうしますと、現象と実相が別々でなく、現象即実相となる。これが生長の家の生活です。

 ところが、私たちの病気や不幸は一体どこから出てくるか。私たちは自己制約している肉体の自分をもって、自由自在平等をあこがれ、あれもこれもたくさん自分が持ちたいと思い、物に対する執着が出てくるからであります。体に執着をいたしますと、体は病気になる。現象を実在だと思う思いちがいからそういう不調和な世界ができる。

 つねに生活を、正念(しょうねん)をもってすることですね。すると妄念(もうねん)がなくなって、執着がなくなる。

 私たちは宗教生活がそのまま目的です。病気治しが目的でもなんでもないんですよ。結局私たちは、本当の生活ができたら、病気がなくなって、不幸がなくなる。病気や不幸はだれがつくったかというと、だれもつくらない。それは思いちがいなんですね。
<つづく>

1653復興G:2013/06/07(金) 19:36:11 ID:AB6RqYXc

<つづき>

『幸福を招く365章』の117頁〜には、次のようなご教示がありました。

         ○

    既に天国の饗宴に招かれている

 吾々が宗教的立場に立つ限りにおいて、現象界のことは別に思い煩う必要はないのである。それぞれの役目の人がそれぞれの立場に配置してあってそれぞれの役目を果していてくれているのである。

 地上に天国浄土が実現するには色々の役者が要るのであって、シテもワキも、二枚目も三枚目も馬の脚も要る訳である。吾々は此等の舞台上の役者と議論を戦わす必要はないのである。唯、各々がその役目を最も完全に実現してくれるように祈っていれば好いのである。

 尤(もっと)も自分自身も局外者と云う役ではなく何らかの役目を割当てられているのだけれども。

 吾々は神様が主催される天国の婚筵(こんえん)に招かれる客のようなものである。すでに御料理は出来ているのである。ただ、ハイとその招待をお受けすれば好いのである。

         ○

 さて、私は “2.26事件に光を当てる” というような資料――私たちが 「今」 どう起ち上がるべきかを考える資料を提示して、“歴史から「今」を学ぶ” よすがにしたいと、予告申し上げていました。

 遅くなりましたが、あと制限時間が2時間以内に迫りましたので、できる範囲でそれをこれから書き込ませて頂きます。

 2.26事件というのは、昭和11年2月26日、陸軍の青年将校らが「昭和維新」を掲げて1400人以上の兵を動かし、岡田啓介首相、高橋是清蔵相、斎藤実内相、渡辺錠太郎教育総監らを「君側の奸」として襲撃したクーデター未遂事件。昭和天皇がこれを断固として鎮圧を命じられたことはご承知のとおり。

 それについて、最近私は、友人から 「2.26事件とその背景」 という橋本徹馬氏の自叙伝によるユニークな資料をもらいました。氏独自の人脈による資料提示と見方があって興味深く、現在の生長の家教団の有様についても考えさせられましたので、皆様にもご披露したいと思います。

<橋本徹馬(はしもと てつま。1890-1990)氏は政治評論家、紫雲荘初代主幹、紫雲山地蔵寺初代住職 (開山者)。
明治23年(1890)2月4日、愛媛県西条市に生まれる。
早稲田大学在学中、大隈重信に寵愛され、また原敬首相との交誼もあった。在学中政治団体青年党を結社、政治家を目指すも、政治裏面の醜悪に嫌気がさし、のち激しい修行と共に、政治評論家として活躍。戦前毎月、東京、大阪の新聞紙上に、約半頁大の声明文を発表し続けた。佐藤栄作元首相の精神的指導者としても知られ、佐藤首相に為政者の心構えとして「般若心経」の写経を勧めたのも橋本氏である。佐藤首相の雅量は、橋本氏の影響もあるといわれる。平成2年(1990)5月19日、満百で逝去。葬儀委員長は福田赳夫元首相であった。
橋本氏はかつて生長の家の誌友でもあったと聞いています。>

さて、歴史とは何か。

「歴史というものは、実在の生命が『無』の世界を征服して進軍する結果として現象界に現れる作用すなわち生命は如何なる階調序列をもって其の現れ方をなすか、更に『生命』が、『無』を征服する際に起こる反作用すなわち其処に如何なる自壊作用を起こすかという事の跡を辿って行くことによって、ちょっと考えると過去の出来事であって今の事とは何の関係もないように見えている過去の記録の中に、生命の『今』、生活の『今』が現れている。

過去の記録と見えるものの中に現在があり、今があり、久遠の相(すがた)があり、その久遠の相が過去に於いても現実に現れて来たし、今もこれからも現実に現れて来るのであるから、その歴史を把(つか)むことによって、『今』を知り、そうして『久遠』を知り、未来を知るということが出来るのであります。」

と、谷口雅春先生は『限りなく日本を愛す』の135〜136頁に書かれています。

そういうわけで、過去の歴史を調べて『今』の私たちの生き方を考えてみるのは有意義なことであると思うのであります。
<つづく>

1654復興G:2013/06/07(金) 21:04:43 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 橋本徹馬氏は当時50歳弱、政治評論家として国を揺るがす朝野の政治家、軍人との頻繁な交流もあった。

 同氏『自叙伝』(「私の昭和史」)によると、当時の青年将校たちは北一輝(きた・いっき)の感化を受けつつあり、純真にして無垢の将校を思うにつけ、その危険性を第一師団長柳川将軍と語ったことがあるという。

≪北 一輝(きた いっき1883-1937)は、戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。
明治維新の本義は民主主義にあると主張し、明治憲法における天皇制を激しく批判した。 すなわち、天皇の国民ではなく、国民の天皇であるとした。国家体制は、基本的人権が尊重され、言論の自由が保証され、華族や貴族院に見られる階級制度は本来存在せず、また、男女平等社会、男女共同政治参画社会など、これらが明治維新の本質ではなかったのかとして、再度、この達成に向け『維新革命』『国家改造』が必要であると自著で主張した。当時の内務省は、北の考えを”危険思想”とした。後に、北に直接の関与はないが、この主張等に感化された若手将校たちによる2.26事件で、理論的指導者の内の一人として死刑判決を受け、銃殺刑に処された。
よって、北が、生前にその『維新革命』『国家改造』の実現を見ることはなかったが、8年後、連合国軍が、軍国主義を突き進む日本を武力で倒し、北の主張の多くは、占領政策を実施したGHQ主導による日本の戦後改革で実現されることとなった、とも言われる。≫

 そもそも2.26事件の事件の背景としては、陸軍部内に 「皇道派」 と 「統制派」 と呼ばれる二つの派閥の激しい相克があった。

 「皇道派」は、北一輝らの影響を受けて、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指し、対外的にはソビエト連邦との対決を志向した。「統制派」は皇道派青年将校と異なり、陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現するという合法的な形で、列強に対抗し得る「高度国防国家」の建設を目指した。陸大出身者がほとんどいなかった皇道派に対し、陸大出身者が主体で軍内の規律統制の尊重という意味から統制派と呼ばれる。皇道派の中心人物である荒木貞夫が陸相に就任した犬養内閣時に断行された露骨な皇道派優遇人事に反発した陸軍中堅層が結集した派閥とされるが、皇道派のような明確なリーダーや指導者は居らず、初期の中心人物と目される永田鉄山も軍内での派閥行動には否定的な考えをもっており、「非皇道派=統制派」とする考え方もある。

 この二つの派閥に分かれて険悪な雰囲気があった。
 そうした中で、

 1.浜口内閣の不景気対策以来の国政宜しくないため、入営兵士の中、家庭が窮乏する兵士も多く、甚だしきは日曜日に紙屑拾いまでして郷里の家計を助けている兵士たちさえあるという有様であった。こういう事情が上官である青年将校たちを刺戟したこと。

 2.「国体明徴運動」に対する当時の政府、元老、重臣等の態度を許し難いと思ったこと。

 (「国体明徴運動」とは、幕末以来、記紀神話を基礎としながら、日本国の特色は万世一系の天皇をいただく神国である点にあると主張する国体論が起こってきたが、それをうけた明治以後の国体論は二つの方向で展開された。第1は,1890年の教育勅語が、忠孝の道を〈国体の精華〉としたように、天皇崇拝を国民道徳の根幹にすえようとする方向であり、第2は、国体を統治権の所在によって分類し、大日本帝国憲法は天皇を絶対とし統治の全権が天皇にあると規定している、という憲法解釈を軸とするものであった。)


 3.陸軍部内の統制派が国体明徴運動について、時の政府や元老重臣等と妥協しつつあったこと。さらには皇道派を抑えようとしたことにも憤激していたこと。

 4.昭和8年3月、日本の国際連盟脱退後、日本の国際的立場が憂えられ、大戦争に至るやもしれない、時局対処上、危険至極であると考えたこと……等である。
<つづく>

1655復興G:2013/06/07(金) 21:05:30 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 2.26事件で決起した青年将校たちは、自分たちは「君側の奸」を斬って天皇をお守りするために決起したので、天皇にお喜びいただけるものと信じていた。

軍事参議官によって宮中で非公式の会議が開かれ、穏便に事態を収拾させることを目論んで26日午後に川島陸相名で告示が出された。

一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ真意ハ国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、国体ノ真姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ

この告示は、二、の「真意」というところが「行動」に差し替えられて伝わり、決起将校たちは自分たちが認められたと思って喜んだが、豈計らんや、この事件に対する陛下の憤りは深く、特にその後、二ヶ月余を経た同年5月1日に至ってもなお、

 「今次東京に起これる事件は、朕の憾(うら)みとするところなり」

 という激しい勅語が下されたほどであるから、自分たちの忠誠を信じて疑わなかった叛乱将校たちは、全く夢想だにもしなかった逆徒の汚名を着せられ。秘密裁判の結果、その心事を国民に訴える機会も与えられぬままに、銃殺されてしまったのである。

 以下、橋本徹馬氏の自叙伝より、抜粋転記させて頂きます。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  湯浅内大臣と筆者との争点(自叙伝より)

 かくして叛乱将校たちに対する、秘密裁判(後段紹介)が進行中の或る日(昭和11年5月のこと)、私は湯浅内大臣に面会して

「今回賜った、朕の憾(うら)みとする処という勅語の奏請者は誰であるか」
と問うと、「それは広田内閣が奏請したので、私の与からぬ処であるが……あの勅語に対してあなたに意見があるなら、試みに私が承りましょう」といわれたので、私は詔勅を論議することの不敬を謝した上にて「ああいう勅語を奏請するのは間違いであって、非常に悪い影響を及ぼす」意味のことを述べると、湯浅内大臣は、「憾みとする処とは、遺憾に思うというところである。あなたはああいう事件が起こったのを遺憾に思わぬのか」といわれた。私はいった。

 「遺憾なことは相違ないが、詔勅はその影響する処を考えて奏請すべきものである。あれでは叛乱将校たちに対して、陛下の深い御憎しみがかかっていることが観取されるから、所謂皇道派と統制派との争いが一層ヒドクなる。それが下に至るほど鋏状に甚だしくなってゆくことを、お考えになりませんでしたか」(中略)

「それではどういうお言葉ならよいのか。あなたの考えをいってごらんなさい」と湯浅内大臣がいうから、私は御免を蒙っていった。
「国家に不祥事が起こった時には、如何なる場合にも陛下は、

『朕の不徳による』
と仰せられるようでありたい。今回のことでもあの詔勅によって軍部内の二派の争いが一層ヒドクなるが、あれが若し『朕の不徳による』というお言葉であったならば、皇道派も統制派も共に恐れ入り、理非は何れにあるにしても速やかに相克をやめねば、陛下に申し訳ないという考えになるでしょう」

 湯浅内大臣はそれでもなお「遺憾に思うというのがなぜ悪いか」と口の中でつぶやいていた。
<つづく>

1656復興G:2013/06/07(金) 21:06:06 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  各将軍たちの感想

 右の如き勅語問答を、その頃問題の人であった眞崎、柳川両将軍にお話ししたら(二人は叛乱将校たちの与望を負っていたから、統制派から憎まれていた)、二人の将軍は眼に涙を浮かべて何も言わなかった。事件当時の陸相であった川島大将に話をすると、同じく涙ぐまれて、

「ああ若(も)しそういうお言葉であったらなァ……」
といわれた。さらに皇道派の間に立って、散々苦労をせられた林陸相は
「そういう勅語を賜ったのならば、これほど有り難いことはなかった。そうすれば万事よくいったのだが……残念であった」といわれ、これも涙をおさえられた。

 私は今でもああいう勅語を奏請した広田首相等及び、それをそのまま看過した湯浅内大臣は、非常な誤りを犯したものだと考えている。

  筆者と内大臣の第二の問題

 今一つ、私が湯浅内大臣に進言したいことは、「叛乱将校たちが勝手に兵を動かし、そのうえ重臣たちを殺傷した罪は万死に値いする。それゆえ彼等が如何なる極刑に処せられても、私に異論はないが、ただあの人たちは全く純真に国を思い、陛下の御為と思って事を起こしたのであるから、陛下に対する叛逆の罪名だけは、彼等が処刑される以前に取消して戴きたい……そうしないと彼等は浮かばれないです」ということであった。

 湯浅内大臣は一向平気な顔をしているので、私はさらにいった「若し彼等を叛逆者として処刑したならば必ず今後にたたりをなすでしょう」

  栗原中尉は幽鬼となった

 さらに栗原安秀中尉は、銃殺の刑と聞いた時、どうしてもそれが信じられない。

 「わしが銃殺されるなどという事があるものか」と言いはった。つまり彼はこの純真に天皇の御ために起った自分が、如何に間違っても銃殺などされるはずはない」と信じて疑わなかったのである。その愚かさを笑う者は笑え、私にはどうにも笑えないのである。栗原中尉の遺書にいう。

 「……余万魁の憾みを呑み、怒りをふくんで斃れたり。我が魂魄、この地に止まり、悪鬼羅刹となり、余は断じて成仏せざるなり、断じて刑に服せしに非ざるなり。余は虐殺せられたり、余は斬首せられたり(中略)」

 「余輩国家の非常時を座視するに忍びず、可憐なる妻を捨て故旧と別れ、挺身ここに至れり。而もその遇せられるこの状なり。何んぞ何んぞ安心立命する能わんや」
 死体下げ渡しの報に接して駆けつけた栗原中尉の父親は、棺を開けて見ると栗原中尉の顔は無念の形相凄まじく、到底二た目と見るに忍びなかったという。父親はたまりかねて、

 「安秀、よくやった。お父さんはお前のやったことに満足しているぞ」

 といわずに居られなかったという。


  嗚呼皇軍この日に滅ぶ

 拙著『天皇と叛乱将校』には、この事件の結論を下記の如くに書いてある。率直にいえば、叛乱将校達を反逆者として処刑した時、大元帥陛下の率い給う皇軍すなわち天皇の軍隊は滅んだのである。

 彼等を銃殺のために撃った銃声は、実は皇軍精神の崩壊を知らしめる響きであったのである。しかもその銃には菊の御紋章の入っている銃で、刑死の瞬間まで尊王絶対を信念とした人々を、極度の憎しみで射殺したのである。この深刻な不祥事の国運に及ぼす悪影響を思うと、戦慄せざる者は神経の麻痺者であろう」

 かくして忠君や尊王をいう者が馬鹿者扱いされる時代が始まったのである。私のこれらの言葉を誇張であると思う者は、その恐るべき我が国運の推移を見るがよい。
<つづく>

1657復興G:2013/06/07(金) 21:06:38 ID:AB6RqYXc

<つづき>

  前門の虎を防ぎ後門には

 国体明徴派を嫌い抜いた人たちは、これで狂信的愛国者の、根を絶つことが出来たと考えたであろう。何んぞ知らん、それは前門の虎を防ぐことに急であったため、後門に狼を招きよせたことに、気づかなかったのである。

 もっと明白にいえば、うるさいと思う皇道派を徹底的に叩きつけたことは、軍隊の指導権を皇道の何んたるかを知らぬ統制派に渡したことである。やがてその者等は大元帥陛下の御命令をも奉じなくなって「兵馬の権」は統制派の手に帰し、「また中世以降の失態」を招くに至ったのである。

 そうして「兵は国の大事、死生の地、存亡の道、察せざる可からず」という兵法第一の戒めさえ弁えぬ者たちが、妄りに功を急ぎ事を構えて、遂に陛下の御心にもなき戦争に突入し、敵味方も多くの生霊を殺して、無数の寡婦孤児を造ったのちの、敗戦降伏までに至ったのである。


  争民なくんばその国危し

 それにしても、あれほどの事件から――いわば叛乱将校たちに死の直観から、何の教訓も学び得なかった、元重臣たちの失態は最も大きい。

 若し諸君も尊王の大義に徹し、その奉公において欠ける処のない人であるならば、手段を誤ったとはいえ、先の相沢中佐や(昭和10年8月、永田軍務局長を斬殺した人)今回の叛乱将校たちに対して、深刻悲痛な同情心を持つべきはずである。又その間にしばしば陛下に御進言すべき事もあったはずである。

 明治天皇にお仕えした山崎侍従や、藤波主馬ノ頭の如きは、陛下の好ましからぬ御嗜好をお諫めするためにさえ、一身を賭している。況や国家の非常重大事においておやである。国に争民なくんばその国危うしという、古人の金言も思い合わせられて残念至極である。

 若し日本国が私の先にしばしばいうが如く「各国間に大調和あらしめて、等しく万人の栄える時代の招来」を国是として、実際その如くに行動をしているならば、その国が止むに止まれずして起った時、天佑が伴うのは当然である。然らざる場合には天佑が伴わぬことも当然である。

 戦争は好む処ではないが、既に戦争に臨む以上は、「正しい国の戦争には必ず天佑が伴うのである」ことを示すのも、日本が人類文明史上に貢献する一つの道であるが、過般の戦争は日本の歴史上それとは全く逆の汚点を残した。

  嗚呼天佑なき戦争よ

 下記に掲げるのは広島県江田島の旧海軍兵学校に保存されている、特攻隊勇士の遺書の一つである。広島市山仲一二氏より送られたものである。

     ○

お父さんお母さん
この世に生まれて死を厭うことは、今昔ともに変わりありません。故に万人が長寿を願った昔話が今も残っています……けれども若干二十五歳で戦死しても決して驚いてはなりません。悲しんではなりません。
たとえ私が敵艦とともに砕けなくとも、私の運命はその時に止まっているのです。父上にはそのことが十分解っていただけるとは思うのですが、お母さん!やさしいお母さんでした。ある時は私の寝顔に、夜具をかけて下さいました。久喜(本人の名であろう)は、あれほど可愛がられ、何の報いもせずに散るのが、母上にすまないと思います。
然し私の胸の奥底には、大きな願いがあるのです。それは大義に生きることです。お母さん、決して悲しんで下さるな……その悲しみに打ち耐えて、強く生きる一億の母がいることを思い起こしてください。(下略)

     ○

 遺書の残っていない他の特攻隊の勇士の感想もこれに似たものが多いであろう。天佑なき戦争でかかる純真可憐な青年を殺して、申しわけがたつであろうか。戦時中に生きた私たちは、深く深く責任を感じて、天佑なき戦争は、将来絶対にしないことを誓わねばならぬ。その反面に、戦う時は必ず天佑のあるようにこの国政を運用すべきである。
<つづく>

1658復興G:2013/06/07(金) 21:07:14 ID:AB6RqYXc

<つづき>


  英霊は死なぬ、生きている

 あの事件で刑死した諸君は、最早成仏したであろうか。いや私は成仏していないと思う。

尊皇愛国を口にする者は、馬鹿者扱いされ、或いは不逞の徒扱いされるこの国で、あの諸君が成仏出来るはずがない。

 過去において、国家のために命を捨てた人たちを祀る、靖国神社の祭典さえ、公式にすることも出来ぬ年月が続いているではないか。

 ああ早く日本をあの諸君の安らかに眠り得る時代にしたいものである。


    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 以上で、橋本徹馬氏の自叙伝からの転記を終わります。

 皆様は、これを読んでどうお考えになりますか。

1659a hope:2013/06/07(金) 21:11:31 ID:edEDolt2
復興Gさま、ご講話をありがとうございます。
これから、最後までじっくり拝見させていただきます 。合掌。

それでは、みなさま
これから、みなさまどなたでもご参加いただける、第14回web誌友会の開会となります。
開会の前に、 a hopeが、今朝謹写しました「祈りの言葉」を謹んで転写させていただきます。

1660a hope:2013/06/07(金) 21:12:55 ID:edEDolt2
聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉

生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給え。
吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命。
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の機能。
天地の祖神の道を伝えんと顕れましし生長の家の大神守りませ。

(招神歌四首朗誦の後、次の如く祈る)

龍宮実相世界の本宮にまします住吉大神の御前に谷口雅春(ここへ各人の姓名をとなえる)畏みかしこみ祈り奉る。

大神よ、龍宮の本宮より出御(しゅつぎょ)ましまして、大神の稜威(みいつ)をあらわし給いて、
現(うつ)し此の世の迷いの雲を祓い給いて、宇宙いよいよ清まりて、日本国の聖なる実相を顕現せしめ給え。
天照大御神の大御光(おおみひかり)を岩戸の彼方に幽閉することなく、その大御光をあまねく六合(りくごう)に照り徹(とお)らしめ給え。
すめらみことの身に恙(つつが)なく、憂えなく、その御徳(おんとく)いよいよ冴え輝きて、
此の世の人々悉くその光を仰ぐことを得せしめ給え。

凡そ〝悪〝と見ゆることは、実は〝悪〝が存在するにはあらずして、
天照大御神の御光がいまだ其処にあらわれざるという消極的な姿にてあれば、
天照大御神、天之岩戸より姿をあらわし給うならば、光が必ず闇を消すごとく、
此の世のすべての暗雲と不浄と争いと戦いと混乱と騒擾(そうじょう)とは消え去りて、
あとかたも無く、光あまねく人生の隅々までも射貫ぬきて、
一切の禍と不幸とは此世よりその姿を消し去ること必定なり。
今より後、人類に悲しみなく、嘆きなく、苦しみなく、ただ喜びのみに満たされて、
人生の不幸ことごとく消え失せん。

住吉大神、龍宮実相の本宮より出でまして、尽十方(つくし)の光明遍照(ひむか)の、
竪端(たちばな)の音霊(おと)のひびきにて宇宙を浄化したまう時熟しぬ。

堅端の音のアハギが原とは、〝今此処〝の祓いの事であるのである。
即ち迷いをハギ取り実相の完全さを開顕するための言霊五十音配列の竪(たて)の端(はな)にある
〝アオウエイ!!〝の母音が唱えられる場所のことであるのである。
発声の語尾にアオウエイの音霊(おんれい)をつづけるとき、
宇宙すべての言葉は浄まりて、
一切の災いも、病いも、悲しみも、悩みも悉く雲散霧消(うさんむしょう)して、
住吉大神の御光あらわれ、
一切の〝悪〝と見えるものは消え去り、
すべての妖雲はその姿を消し、
今まで覆われていましたる天照大御神の大御光は白日となって六合(りくごう)に照り渡り、
万物・万生ことごとく、その光を受けて、
暗黒は消え、禍は滅し、病いは癒え、争いはなくなり、
まことに天国浄土を今此処に顕現するのである。

そのゆえに我れ今〝竪端の音霊(おと)〝を大神の光を迎え奉るコトバの力として恭(うやうや)しく唱え奉る。

(朗らかに高音にて次の如く朗吟する)

アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!
アー、オー、ウー、エー、イー!!(三回)

(かくて宇宙浄まりて天照大御神輝くことを心に瞑視しながら、〝みすまるの歌〝を次の如く朗誦すること二回)

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。
天照す御神の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり。

1661a hope:2013/06/07(金) 21:14:04 ID:edEDolt2
 聖経「続真理の吟唱」より
〈如意宝珠を神より授かる祈り〉

わたしは〝神の子〝であると言うとき、それは神なる無限力がわたしに於いて具象化し、
現象的姿をもって顕われていることを意味するのである。

〝神の子〝は要するに〝神〝以外の何物でもないのである。
〝人間の子〝と言うとき、それは人間以上の何者でもないのと同じなのである。
それゆえに、〝神の子〝は神が応変自在、神通無礙(むげ)であるのと同様に、
人間も〝神の子〝を自覚すれば、妙智自在、事に応じ、物に応じ、人に応じ、
場所に応じて、迅速無礙に最も適当なる処置がとれるのである。

〝神の子〝は神の有(も)ち給えるあらゆる善き性質を承(う)け継(つ)いでいるのである。
神は愛であるから、わたしは神の愛を完全に承けついで、充分に愛深い人間なのである。
神の愛は偏りがなく、平等の愛であるから、わたしの愛も平等の愛であって、
決してある人を偏愛し、ある人には冷淡だということはないのである。

神は無限に完全であり給う。
それ故に実相に於いて、わたしたちは〝神の子〝として無限に完全なのである。
従ってわたしたちは実相に於いて病気に苦しんだり貧乏に悩んだり、色々の不調和に煩労することはないのである。

凡そ、〝神の子〝たる人間が病気するということは、実相に於いては無いのであるから、
もし病気がわたしたちの身体にあらわれるならば、それは夢を見ているのである。

凡そ、〝神の子〝たる人間は龍宮無限の富を自己の内に包有しているのであるから、
実相に於いてはわたし達は無限の富者(ふうじゃ)であり、貧乏に苦しむなどということはないのである。
それゆえにもし貧乏に苦しむようなことがあれば、それは実際ではなく、夢中に貧乏を見ているに過ぎないのである。
凡そ一切の不調和は、神のつくりたまえる実際の世界には存在しないのであるから、
その不調和は単なる夢に過ぎないのである。

わたしたちは、わたしたちの眼耳鼻舌身(げんにびぜつしん)の感覚にて知覚せられる一切の不調和を「有り」と観じてはならないのである。
それは五官の眼には「有る」かの如く見ゆれども、真実に於いて「実在」しないのであると積極的想念を思念する事によって否定しなければならないのである。
その思念による否定が強力であるならば、現象の不調和は一瞬にして消えはじめ、
ついに完全に、その不調和な姿は、本来の〝無〝の世界に没し去るのである。

わたしは今、積極的想念により、唯〝善〝のみ実在する世界を肯定し、
唯、調和のみ実在する世界を肯定し、一切の悪と不調和とを完全に否定し去るのである。
〝善〝の実在のみを肯定する想念を潮満珠(しおみつのたま)と謂い、悪の存在を完全に否定する想念を汐干珠(しおひるのたま)と称するのである。
われ今、住吉大神より潮満珠と汐干珠との陰陽二つの如意宝珠を授かり、
これを自由自在に駆使して神通自在に国を護り、世界を護り、家族を護り、自己を護り、
この地上に龍宮海そのままの住吉世界を実現するのである。
今われら大神の神護無限に感謝し奉り、大神の御心に副(そ)い奉らんことを契(ちか)い奉る。
ありがとうございます。

1662a hope:2013/06/07(金) 21:16:20 ID:edEDolt2
それでは復興Gさま、ご司会、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。合掌。
>>1646から復興Gさまのご講話が始まっています。

みなさまのたくさんのご参加よろしくお願いいたします。

1663復興G:2013/06/07(金) 21:22:57 ID:AB6RqYXc

a hopeさま

すばらしい

聖経「続真理の吟唱」より
〈住吉大神を顕斎殿に迎え奉るための祈り〉

と、

聖経「続真理の吟唱」より
〈如意宝珠を神より授かる祈り〉

のお書き込みをありがとうございました。

感動です。

皆様、どうぞ 上述の資料をごらんになって、ご意見、ご感想やご質問など、ご自由にお書き込みください。

ありがとうございます。

1664ユタカ:2013/06/07(金) 21:28:21 ID:R1D4Jmeg
復興G様、a hope様有難うございます、まず、読ませていただきますが、時間内に投稿できないかもしれません。

では、続けて、読んでまいります。。。

1665髪の子:2013/06/07(金) 21:34:57 ID:zcruWQj2
復興G先生、ありがとうございます。
ご講話、ゆっくり拝聴させて戴きます。
ありがとうございます。

1666ユタカ:2013/06/07(金) 21:39:47 ID:R1D4Jmeg
今、自分が宇宙をそっくり持っている、と言うところを読んでいます。

自分ってなんて素晴らしいのだろう!!! と嬉しくなっています。。。

また、続けて読んできます。

1667復興G:2013/06/07(金) 21:43:09 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、髪の子さま、皆々さま。

私の投稿文の量が多いので、どうぞごゆっくりお読みくださって、時間外になっても・・・・・・明日になってでも、ご意見など出して頂けたらありがたく思います。

そのときは、「訊け」管理人さま、司会をよろしくお願いいたします。

合掌

1668a hope:2013/06/07(金) 22:06:07 ID:edEDolt2
復興Gさま

わたしは、今まで、2.26事件に関してほとんど無関心でしたので、今拝読し終わって衝撃を受けています。
個人的な感想もありますが、内容がとても深いので、プリントアウトしてもう一度しっかり心読してから発言します。

わたしもユタカさま同様、時間内の投稿はできないかもしれません。

明日は、早朝から仕事ですが午後は戻ります。
訊け管理人さま、ご司会のweb誌友会(後半)には参加させていただく予定でいます。

それでは、もう一度、ゆっくり拝読します。

1669:2013/06/07(金) 22:13:29 ID:ip8PrAeo
復興Gさま、ご指導ありがとうございました。
まだ、十分に読み込めていないところもありますが、まずは最初の部分の感想から。

復興Gさまがご紹介して下さいましたご文章

○ 本当の神というものはただ一つ――それは力が足りないこともない、愛が足りないこともない、われわれが悪いからとて神罰をあてるということもない、といってわれわれを悪いようにも造ってい給わない(われわれが罪を犯すように見えるのは本当の相ではないのであって、念の仮作せる影であります)。無限の力で、われわれとこの世界とを実に円満完全に神そのままの相(すがた)に造ってくださった神が本当の神であります。(p.77)

上記のご文章を読んで、改めて、感動いたしました。
不完全な、未熟な自分を心の法則で責めたりしていた時、この生命の実相の教えによって、心が解放されました。
神様の大いなる愛に包まれていることを知って、はじめて、生きている喜びを感じるようになりました。
その喜びは、魂の奥底から湧き出てくる喜びでした。

本日のWeb誌友会で、感動を新たにしたところです。
ありがとうございます。

1670復興G:2013/06/07(金) 22:39:04 ID:AB6RqYXc

>>1668 :a hopeさま

どうぞゆっくりレスしてください。衝撃的な、むつかしい投稿をして、すみません。


>>1669 :香さま

ご投稿ありがとうございます。

>>この生命の実相の教えによって、心が解放されました。<<

よかったですね。

私も解放された気持で、うれしいです。

ありがとうございます。

1671ユタカ:2013/06/07(金) 22:41:00 ID:R1D4Jmeg
復興G様、 今1656を読んでいる途中ですが、まず、漢字の読み方が分からないのが多々あります。

明日は辞書を持ちながら読み直しします。。。 あ〜〜〜、難解、、、誰か日本語にして! と言いたい位難解・・・

コメントどころか<読めない・・・> です。   皆さん、先にドンドンコメントして下さい。 それを読んだら、意味がよく分かりそうな気がします・・・・

1672復興G:2013/06/07(金) 22:44:41 ID:AB6RqYXc

>>1666 :ユタカさま

>>今、自分が宇宙をそっくり持っている、と言うところを読んで 自分ってなんて素晴らしいのだろう!!! と嬉しくなっています。。<<

服部先生のご講演は、ほんとに深くて説得力があって、楽しくて、すばらしいですね。

1673復興G:2013/06/07(金) 22:53:44 ID:AB6RqYXc

>>1671 :ユタカさま

行き届かず、すみませんでした。

読み方を(  )で入れようかとも思いましたが、あまりそれが多くなるとかえって読みにくくなるかと思い、また漢字を見ればだいたい意味はつかめると思って、そのまま転記していました。

生長の家の現在の分裂状態も、なにかこの2.26事件の時と似ている点もあるのではないかという気がして、転記させていただきました。

1674復興G:2013/06/07(金) 23:06:52 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

では、予定時刻になりましたので、今夜は一応お開きにさせていただきます。

どうぞ、このあとも、また明日にでも、ご自由にご意見などをご投稿ください。

そのときは、「訊け」管理人さま、自然体で、司会をよろしくお願いいたします。

では、皆さま おやすみなさい。

ありがとうございました。

1675ユタカ:2013/06/07(金) 23:11:19 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま、皆様、有難うございました。

天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり
天照らす祖神の神の大調和の生命射照らし宇宙静かなり

おやすみなさいませ。

1679復興G:2013/06/08(土) 03:00:35 ID:AB6RqYXc

ちょっと目が覚めて、デジタル表示の時計を見たら、2:26と出ていました。

不思議に思って、起きてPCを開きました。

そしてちょっと書き込みを読み返しましたら、誤植と思われるところを発見しました。

>>1657

× それにしても、あれほどの事件から――いわば叛乱将校たちに死の [直観] から、何の教訓も学び得なかった、元重臣たちの失態は最も大きい。

○ それにしても、あれほどの事件から――いわば叛乱将校たちに死の [直諫] から、何の教訓も学び得なかった、元重臣たちの失態は最も大きい。

(友人からもらった資料は「直観」となっていましたが、「直諫」の誤植(変換ミス)であると思います。

1680復興G:2013/06/08(土) 03:02:44 ID:AB6RqYXc

トキ様

>>1678は web誌友会と無関係だと思いますので、善処(削除)お願いします。

1681復興G:2013/06/08(土) 04:00:52 ID:AB6RqYXc

>>1656 の後ろの方に、

≪嗚呼(ああ)皇軍この日に滅ぶ≫

とありますが、それについて補足資料を提示して説明します。

(昭和14年12月10日・大阪朝日新聞に掲載された橋本徹馬氏の声明文より)

         ○

  「日本国民に告ぐ」
    人類史上より功利主義の戦争を絶滅せしめよ

 一体何がこの頃の国際政局をして、複雑怪奇を極むるに至らしめて居るのであるかといえば、そは前回吾等が「米国大使に答う」の文中に於いて述べたる如く、世界の各大国の指導者諸君が「他国を犠牲にするにあらざれば、自国の繁栄を期することが出来ぬものと考える」錯覚よりして、相互に対立闘争を為し、そこにあらゆる狡知と奸才とを競うに至るが故である。

 (中略)何れも列国が、相互に他国を犠牲にする事によって、独り自ら栄えんとすれば却ってその禍いを受け、逆に相互に協力してその共栄を計るならば、幾多の困難を克服して、共にその生を全うし得る事を示せるものであるが、欧州中にても最も文明国を以って任ずる英仏独等の諸国が、先の大戦の苦き経験を以ってするも、なおこれ程の事を悟らずして再び大戦争を開始し。以ってノアの洪水ならざる対立闘争激化の坩堝(るつぼ)の中にて、自他共に焼き尽くされようとしつつあるのは何事であろうか。

 想うに人類が今日の如く対立闘争の激化に苦しむに至った由来をたずぬれば、そは一に人類そのものの錯覚……即ち顛到妄想によるのであって、他の何者のなさしめる業でもない(中略)。

 吾らは予てわが皇軍の兵士の用うる銃器に、菊(皇室)の御紋章の刻せられてある事を最も尊く想って居る。

 兵士は皆「銃はなぜ尊いか」と問われれば、

 「菊の御紋章が入って居るからであります」

 と答えるのであるが、若しこの答えに対して更に解釈を許されるならば、元来この銃器は、この地上に一人の処を得ざる者をも無からしめんことを期し給う……無私無限の大愛の体現者であらせらるる天皇の軍に授け給う処なるが故に、我が八紘一宇の使命達成のためにこそこの銃器は使用すべく

 「絶対に日本の功利主義のために、この銃器を使用することなし」

 と解する意味において尊いのであると信ずる。

 吾等はやがて全世界の各国が、皆我が今回の事変処理の態度、並びに銃器に刻せられたる菊の御紋賞に学ぶ処があって、そのあらゆる兵器……殊に続々発明される一切の新兵器に悉く 「この兵器は絶対に功利主義の戦いに使用する事なし」 との意味を刻して、その文字通りにすべての兵器が、取り扱わるる時代を見ん事を希うものである。

 その時に至らば、今事変のために尊き生命を失った我が幾万の英霊も、その犠牲が歴史的に極めて十台なる意義のあった事を知り、喜んで瞑目さるる事と信ずる。

 熟々思えば、今日は実は我が国土の上より、一切の功利主義と対立意識と、これに伴う狡知と奸才とを、微塵も残さず吹き払う神風の欲しき時である。そは若くして払ひ潔められたる日本国が、真にその本来の面目に立ちて聖戦の意義に鑑み、支那事変の処理を起点として、敢然世界平和への転機をつかんで起つならば、

 その日本の姿はそのまま既にこの大宇宙に画かれたる、金剛不壊の神国なのであるから、その神国日本の叡智と大愛とが、必ず八紘に通じ全人類を感応せしめて、
現代日本国民の双肩に負える、人類史上の大使命が必ず達成される事は、毫も疑うの余地もないからである。

    昭和十四年十二月  紫雲荘(橋本徹馬)

         ○

 ――上記、

「無私無限の大愛の体現者であらせらるる天皇の軍に授け給う処なるが故に、我が八紘一宇の使命達成のためにこそこの銃器は使用すべく」

あったはずの「菊のご紋章入り」の銃器を、国のためを思って決起した青年将校を銃殺刑にするのに使ったことは、皇軍の精神が滅びたことを意味すると橋本徹馬氏はいうのであります。

1682復興G:2013/06/08(土) 04:04:31 ID:AB6RqYXc

上記の誤字訂正です。

× 十台なる意義

○ 重大なる意義

失礼しました。

1683「訊け」管理人:2013/06/08(土) 05:56:50 ID:???

>>WEB誌友会参加各位


 ありがとうございます。さて、復興Gさまより素晴しい資料のご提示が御座いました。しかも、量・質共に圧倒的なものです。誠に感謝であります。

 ところで今回誌友会テーマですが、それは「組織運動と信仰生活」であります。今後の議論がどの様な方向に進むのか、全く不明の現在ですが、以下に於いて当方は、先ず、同氏ご謹写文を〝索引化〟致したいと思います。以下、今後の議論をされる際の補助資料としてお使い頂きましたら、幸いです。

 ・・・・なお、大枠でくくりますが今回ご謹写文は、以下趣旨のものに二分類できましょうか。少なくとも当方は司会者として、以下のように分類可能だと解釈、致しました。それは、「メインテーマ」「補助」のための資料という、二分類です。

<< メインテーマの資料 >>

橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)

>>1653 橋本徹馬先生略歴等
>>1654 226事件当時の我が国の現状
>>1655 事件の展開・橋本徹馬先生のご主張等
>>1657         〃
>>1658         〃


<< 補助資料 >>

○ 「〝自他一体〟が解らない方」向けの資料(>>1648>>1649
○ 「生長の家に於る〝感謝〟の意味」を、再確認するための資料(>>1650
○ 「正念の意味の再確認用資料」(>>1647
○ 「全托の意味の再確認様資料」(>>1650>>1651>>1652

 と(仮に)致しました。

(つづく)

1684志恩:2013/06/08(土) 05:58:00 ID:.QY5jUA6
復興G 様

復興G様、ご指導、感謝致します。

このたび私は、閲覧者側に居させて頂きます、と申し上げましたが、閲覧していて、心の底から疑問が湧いて
まいりまして、どうしても復興G様におたずねしたいので、やはり、出させて頂き、質問させて頂きたいと思いました。

復興G様が二、二六事件のことをお話下さいました後に

>>1671 :で、

>>生長の家の現在の分裂状態も、なにかこの2.26事件の時と似ている点もあるのではないかという気がして、転記させていただきました。<<

とおっしゃいましたよね。
そのお言葉ですけれど、私は、現在の生長の家の分裂状態と、2.26事件のどこが似ているのか、いくら考えてもさっぱり分らないのです。

私も、このたび、2.26事件について、あれこれ参考資料を読みましたが、
生長の家のこのたび、起こっている本流回帰の運動と、2.26事件のどこが共通性があるのか、私には、結びつきを考えているのですが、まだ分らないでおります。

あの、2.26事件の、2つの分かれた戦い、皇軍の名を借りて、数人の偉い方達を襲い、惨殺した将校達、そして、その後 事件を指揮した者たちの多くが、銃殺の刑に
処せられましたが、その皇軍派が、本流の運動だと、お示し下さったのでしょうか?

そして、敵を殺したものは、あのように処罰を受けるのだ、と教えて下さっておられるのですか?

1685誌友会資料【索引】:2013/06/08(土) 05:58:14 ID:???

<< メインテーマの資料 >>

 さてこの、今回のメインテーマと云うべき資料ですが、皆さんはどのようなご感想を、お持ちになられましたでしょうか。この御文章を拝読するに、様々な論点でのやり取りが、展開可能だと思います。立場に拠っては「総裁は『自身の不徳を恥じよ!』」「分派のせいにするな!」な主張も、可能でしょう。さらには別の立場からは「雅春先生は神界で『自身の不徳』と仰っておられないか」「教団も分派も今すぐ、争いをやめよ」という議論も、可能でしょう。

 ・・・他にもいろいろな議論(論点)が、成立しましょう。そしてこれは同時に、「議論の錯綜が多々発生するであろう」、そんな予感も致します。

 さて、その様な際ですが以下の(私が仮に)〝補助資料〟と名づけたご謹写箇所を、ご拝読ください。議論錯綜を防止するためにも最低限の語義確認を、されてからの投稿を希望致します。(※たとえば展開によっては、「全托だけじゃ、甘い!」という意見を投稿したくなる、そんな場面も出て参りましょう。ですが、その際はせめて、その「全托の意味はいったい、どんなものか」をご確認いただけますと、幸いです。そして、以下補助資料は議論の錯綜を、最小のものとすることでありましょう)


<< 補助資料 >>

<「〝自他一体〟が解らない方」向けの資料>

>>1648
>>1649

 今後のやり取りに於いてですが、展開によってはこの、「自他一体の自覚」 ―― 重要なキーワードとして浮上すると思います。さて、その際ですが「〝自他一体〟が解らない」という方は、同文ご拝読をお勧め致します。この御文章をご確認の上で質問等あらば、「質問文を寄稿する」ということと致します。

 さて、ところでこの「自他一体」ですが、難解な概念のひとつです。なかには「軽々しく言うな」と主張される方も、おられます。ですが難解とは申せこの、服部仁郎先生の御文章は、非常に説得力のあるものだと確信致します。もしもこの、「〝自他一体〟が解らない」という(私の様な)方がおられましたら、復興Gさまご謹写の>>1648>>1649文ご拝読を、お勧め致します。今後のやり取りに於いて展開次第ではこの、「自他一体の自覚」 ―― 重要なキーワードとして、浮上する可能性を観ます。


<「生長の家に於る〝感謝〟」の意味の、再確認資料>

>>1650

 これまた展開次第ですが、「生長の家に於ける〝感謝〟」が、重要なキーワードになりそうです。たとえば、「安易な感謝で事態解決だが、これが見込めると思うのか?」「甘いのではないか」と言った疑問ですが、「これが提出される場面があるかも」という意味です。
 ・・・・さて、誌友会ではいろいろな方が語られることとなると思いますがその際、「感謝」がキーワードとなる場面も、出てくると思うのです。その際は是非、「その感謝とはいったい、どんな意味でこの投稿者は使っているか」をご確認くだされば、幸いです。(議論錯綜が防げましょう)。それは「生長の家に於ける感謝か?」「たんなる思考停止ではないのか?」と言った視点ですが、「これを持って頂きたい」という意味になります。・・・・・・・・>>1650ご謹写文はその意味で、議論錯綜を防止致しましょう。

 
<復興Gさまご使用「正念」の意味、再確認資料>

>>1647>>1646>>1652も)

 この「正念」と云う言葉も、意味の再確認を要しましょう。少なくとも現在、司会者としてその様に感じた次第であり特にこの項を設けました。正念とは「完全無欠のもの」「金剛不壊のもの」「自動的に顕れてくるもの」 ―― そう云った〝久遠の今〟の展開に徹するという意味での「正念」場。同氏のご主張を確認される際はこの、>>1647>>1646>>1652も)をご拝読ください。


<「全托」の意味の再確認様資料>

>>1650
>>1651
>>1652

 服部仁郎先生御文章をここでは、「全托の意味の確認」資料としました。(私の解釈ですが・・・)さて、この全托ですが、なかなか出来るものでは、ありません。どうしても現象を見てそして、「不足感」などに苛まれます。さらには不足感に苛まれれば、「神の不完全を人間知恵で補おう」と云う考えが、頭をよぎります・・・・・・・世間では誉められた行動でしょうが生長の家、ここでは少なくとも、これは誉められた行動とは、「なりません」

 ・・・この意味をここでご確認の上ご投稿など、されることをお勧め致します。


<了>

1686志恩:2013/06/08(土) 06:02:19 ID:.QY5jUA6
訊けさん、ごめんなさい。
1683を拝見しないで、1684を書きました。
もう少しだけ、2、26事件のことで、調べた事がありますので、発言させて下さいね.

1687志恩:2013/06/08(土) 06:28:15 ID:.QY5jUA6
前置きですが、
私は,以前、カトリックの修道女であり、岡山県ノートルダム清心学園理事長を務めていらっしゃる
「渡辺和子さん」というお方の、宗教講話の動画を貼らせて頂いたことがございました。
題は「置かれた場所で咲きなさい」。

その渡辺和子さんのお父上が、この2、26事件で将校たちに殺された陸軍大将の
渡辺錠太郎氏です。

和子さんは、錠太郎氏の次女です。
9歳のとき、彼女は座卓の下にもぐり、伏せていたので、見つからず、命は取り留めたそうですが、
同じ部屋にいた彼女の目の前で、お父上は、43発の銃弾を受けて、殺害されたのでした。
http://ameblo.jp/1tubunomugi100tubu/entry-10704589367.html

====================================

1688ユタカ:2013/06/08(土) 06:33:10 ID:R1D4Jmeg
復興Gさま みなさま ありがとうございます。

私も226事件ということでウィキぺディアに言ったり、いろいろと読んできましたが、生長の家の「今の状態」とどこが似ていて共通するところがあるのかさっぱりわかりません。。。

総裁が天皇で内閣が色々な板で名が上がる磯部、大塚、菅原の参議理事たちで、将校が学ぶ会? というように読むように書かれたのでしょうか???

(参議理事の名前が間違えていたらすみません。 訂正をおねがいします) 戦争に例えられると、殺しなどの場面が出てきてちょっと怖いです。 

それか、天皇さまはそのままで、内閣が生長の家で将校が学ぶ会で、結局お互いに『争っていて』いても何の意味もない、と言う意味でしょうか? それにしても、最後に敗戦によって日本が左傾化してしまう結果なんかはどう読みとっていいのかさっぱり分からないのです。

何か、悲しい気分です。。。

1689ユタカ:2013/06/08(土) 06:43:00 ID:R1D4Jmeg
訊けさま、

沢山の補助資料を有難うございました。。

安易な感謝ですか・・・・・ すごく重く受け止めました。 思考の軽い私は軽い感謝だったのかな?と自己処罰もしてます、思考停止状態でなので、あとは皆さんの書き込みを読んで勉強します。。。。

何か、モヤモヤする・・・

1690志恩:2013/06/08(土) 06:51:08 ID:.QY5jUA6
復興G様が2、26事件についてお話して下さるとおっしゃってましたので、
私も、予習のつもりで、いくつも資料を読んでいました。

その中で、興味を持ちましたうちの1つは、
「ねずさんのひとりごと」に書かれてございました「ニ、ニ六事件」です。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
二・二六事件の背景については、

松本清張 著「 昭和史発掘(8)」よりの紹介で、次の如く載っていました。

〜事件の真相〜

《昨今、過去の歴史について、いろいろ脚色がなされ、なにやら二・二六事件の若手青年将校たちは右翼であったかの如くに言われている節があります。

しかし、当時若手に流行していた考え方は、ご皇室尊崇ではなく、マルクス・レーニン主義による階級闘争主義です。

つまり、軍の内部にさえ、コミュニスト(共産主義者)的思想がまん延していた。

資本主義者が貧民を作っているのだから、貧民は決起し、資本主義者を殺してもよい。

敵対する者、自分たちと異なる階級(上とか下)の者に対してなら、なにをしても許されるというのが、共産主義です。

共産主義革命の実現のためには、対抗勢力は抹殺せよ・・・これが階級闘争主義です。》


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜なぜ、事件に至ったか〜

《農村の疲弊は、慢性的に続いていた農業恐慌の上に、更に昭和6年と昭和9年に大凶作があって深刻化した。

農家は蓄えの米を食い尽くし、欠食児童が増加し、娘の身売りがあいついだ。

農村出身の兵と接触する青年将校が、兵の家庭の貧窮や村の飢饉を知るに及んで軍隊の危機を感じたというのはこれまでくどいくらい書いてきた。

そして青年将校らは考えた。
結局独占資本的な財閥が私利私欲を追求するために、こうした社会的な欠陥を招いたとし、それは政党がこれらの財閥の援助をうけて庇護し、日本の国防を危うくする政策を行っているからだとの結論に達した。》
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

事件を起こした青年将校達は、陛下の大御心は、血なまぐさいクーデーターは望んでおられなかったので、
その直後、事件を起こした青年将校たちは、揃って銃殺刑に処せられたのでした。

つまり、皇軍派とは、名ばかりの その名を借りた【共産主義 革命 尊奉者】たちが、策略 煽動した首謀者だったことが、暴露されて載っているのでした。

1691「訊け」管理人:2013/06/08(土) 06:53:57 ID:???


 さて、今回ご提示の「橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)」ですが、いろいろな読み方が可能だと思います。復興Gさまのご真意の確認を待つ間、その「いろいろな読み方」を投稿致したいと思います。

 さて、「皇道派」「統制派」ですが、これは立場に拠って「教団」「分派」のいずれにも見えてくると思います。

 裁判判決を「御勅」として見るならば、〝朕の憾(うら)みとする処〟と云われた相手(つまり「皇道派」)は、「教団」になります。そして〝勝った〟統制派とは、「分派」側となりましょうか。しかしもしも・・・・・・以下は個人的所感になりますけれども、たとえば「神界の雅春先生」を基準にすれば、話は変わってくるとも思えます。

 語を接ぎます。もしも(さらにたとえば)神界の雅春先生が今回の騒動ですが、それを全て「自分(雅春先生)の不徳による」と言われているとすれば、どうでしょうか。・・・・とまあ、今回の「橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)」ですが、いろいろな読み方が可能だと思います。復興Gさまのご真意の確認を待つ間、その「いろいろな読み方」を投稿されては、いかがでしょう。「私はこう読んだ」という方向で、先ずは開始するのはいかがでしょう。




追伸

 この後9:00〜11:00まで急遽、少年野球のコーチを頼まれました。(ノッカーが怪我した模様で)その間は抜けますが、午後より再度現われます。よろしくお願い致します。

1692志恩:2013/06/08(土) 07:19:24 ID:.QY5jUA6
この昭和10年(1935年)7月の、2、26事件のクーデータが起きる動機となるものには、
昭和6年と昭和9年の大凶作の深刻化が 指摘されております。この大凶作は、現在の飽食の時代に生きるわれわれには、想定外の想像を絶する深刻な問題だったようです。

私が,先日読みました浅田次郎著「壬生義士伝」には、慶応時代の、特に東北地方、岩手県の庶民の暮らしが表現されてましたが、やはり大凶作があり、食べ物を得るための、
わずかな金銭を得るために、人を斬ることが、日常茶飯事のように行われていた 信じられないような 恐ろしい時代でした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

注:)1
青年将校たちの決起の背景を松本清張は 「 昭和史発掘( 8 )」の中で次のように書いています。

農村の疲弊は、慢性的に続いていた農業恐慌の上に、更に昭和 6 年と昭和 9 年に大凶作があって深刻化した。農家は蓄えの米 を食い尽くし、欠食児童が増加し、娘の身売りがあいついだ。
農村出身の兵と接触する青年将校が、兵の家庭の貧窮や村の 飢饉を知るに及んで軍隊の危機を感じたというのはこれまでくどいくらい書いてきた。

そして青年将校らは考えた。結局独占資本的な財閥が私利私欲を追求するために、こうした社会的な欠陥を招いたとし、 それは政党がこれらの財閥の援助をうけて庇護し、日本の国防を危うくする政策を行っているからだとの結論に達した。

注:2)
反乱部隊の幹部( 将校 )について父親の職業を調べた資料がありますが、それによれば調査可能な 14 名のうち 11 名までが武官であり 、長年軍務に服した後はその多くが退役少将として、恩給で十分な生活を保証されていた恵まれた地位にありました。( 軍事史、藤原彰 )

注:3)

[ 東北地方の惨状 ]

岩手県では農家 7 万 7千戸( 県人口の約 40 パーセント )が、生活救済 ( 支援、保護 )を必要となりました。

昭和 9年( 1934年 )10月12日から11月1日まで報道された東京朝日新聞の連続記事 「 東北の凶作地を見る 」 によれば

凶作の最激甚地、岩手県の 九戸 ( くのへ )郡や 二戸 ( にのへ )郡の山村では、
稗( ひえ )、粟( あわ )さえも尽きようとし、楢の実( ドングリ )が常食となり、上閉伊( かみへい )郡では 7千5百戸のうち、6千戸 が救済を求め、

附馬牛 ( つけまうし )村では農民が鶏の エサ であるふすま( 小麦の皮 )や 稗( ひえ )のぬかを買い、練り物にして食べていた。県下の10月現在の欠食児童は 2 万 4千名 を数え、12月には 5 万名 を超えるものと予想された。

注:4 )
写真は女衒 ( ぜげん、人買い )に連れられ売春宿に身売りされた気の毒な少女や娘達ですが、当時の農村の貧困、疲弊を示す具体的数値として山形県警察本部保安課による調査資料があります。それに依れば、
昭和 9 年1 月から11 月までの間に、県内での娘身売りの数は 3,298 名で、 内訳は芸妓 249 名 、娼婦 1,420 名 、酌婦 ( 公娼に対して私娼のこと ) 1,629 名 でした。

同じ年( 昭和 9 年、1934 年 )の10月10日現在の青森県の資料によれば、身売りしたもの、芸妓 405 名 、 娼婦 850 名 、酌婦 1,024 名 で、
これ以外に離村した女子は女給として 945 名、女工 1,427 名、女中その他の 2,432 名があり、合計では 7,083 名 でした。 ( 中央公論、昭和 9 年、1934年 12 月号による )



農家は凶作がもたらした飢餓と貧困にさいなまれ、青田を売り、娘を売り、しかも子は飢えに泣く状態でした。

掲示にある伊佐沢村とは、現在では山形県 長井市 上 ( 下 )伊佐沢に属します。

注:5)
青田売りとは経済的に困った農民が未だ稲が青い時期に、生活資金欲しさから米の収穫を見越して先売りすることで、相手から安く買い叩かれるのが普通でした。

その当時、社会主義者の山川均 ( ひとし、1880〜1958年 ) は雑誌 「 改造 」 に、「 ふとんのある農家は 一軒も無いといっ てもいいだろう 」、と農村の窮状を発表しました。

1693志恩:2013/06/08(土) 07:31:26 ID:.QY5jUA6
復興G様

それで、私は、

復興G様が、2、26事件と、今の生長の家で起きている分裂運動と
似ているとおっしゃいましたが、正直いって、どこが似ているのか、どうしてもわかりませんので、

どこが似ているのか、

具体的に、復興G様のお言葉で教えて頂ければ、有り難いと存じております。

1694志恩:2013/06/08(土) 07:39:00 ID:.QY5jUA6
私も、今日は、午前中、これから出かける用事がありまして、拝見できません。

夕方には、拝見させて頂きますので、よろしくご指導のほど、
お願い致します。

1695志恩:2013/06/08(土) 08:26:42 ID:.QY5jUA6
本流派の方達がおっしゃってるのは

「雅宣総裁、教団の参議、理事の皆様・・、いままでの責任をとって、辞任して下さい」と
言ってるだけで、
「銃殺するとも、殺すとも言っている訳ではないと思いますけれど」

彼らの今迄のされてきたことを、振り返れば、当然のことを申し上げているだけではないでしょうか。

普通の企業のトップや重役でしたら、当然、どこの企業でも、潔く責任をとって、辞任されることです。

それを、まるで、2、26事件の皇軍派か、統制派に似てるということは、

そのように分かれてたたかうと、ろくなことにならないと、お教え下さっておられるのですか?

私は、そのような共産主義が起こした運動と、生長の家のこのたび起きている運動とは、似ているとは

思えないのですけれど、、全く別種のものであると、思えるのですけれど、

私の受け取り方が、間違っているのでしょうか?

よく,言われる事ですが、このように争いごとにみえることをやっていると、

天国の雅春先生は,悲しんでおられると、、これにつきましも、私は、そうとは、思えません。

争いごとが起きている事よりも、争い事が起きて しかるべきなことを され続けている

孫である雅宣さんの諸行のほうが、よほど悲しんでおられると思います。

だって、生長の家の教えは、雅春先生の頭で考えられたものではなく、国家、人類救済のための

教えは、雅春先生が天から啓示を受けられた神様からのお預りものだからです。

神様のお預りものの教えを、つぎつぎに踏みにじる孫の諸行のほうが、よほど悲しく思われてる

に違いないと,私には思えるのです。

1696志恩:2013/06/08(土) 08:36:09 ID:.QY5jUA6
司会者の訊けさんに、ひと言もうしあげますが、
私は、将軍と揶揄される程の、悪の大物ではありません。一介の小物の末端信徒にすぎませんので、
お手柔らかにお願いします。

1697トキ:2013/06/08(土) 09:53:32 ID:tRbdVDEA
 橋本徹馬先生のご文章は始めて拝見しましたが、二・二六事件の青年将校が成仏をしていない、という話はありえ
ると思います。

 美輪明宏さんが、三島由紀夫先生とお目にかかったときに、三島先生の背後に、青年将校がいた、という話を書いて
います。手許に資料がありませんが、磯部 浅一などは、遺書に「成仏しない」と言い切っているので、あり得る話
かと思います。

 当時、関西方面で青年将校運動をしていた常岡瀧雄大尉や、軍神で有名な杉本五郎中佐は、北一輝や西田税などの
影響について心配し、関西以西で運動をしていた青年将校を集めて大阪湾の上に船を出し、議論をつくします。結果、
北一輝や西田税との関係を絶ち、また軍隊を使っての蹶起にも反対していたようです。事件の直前には、北一輝を
治安維持法違反で検察に告発までしています。常岡さんの言い分では、当時の状況を考えると、青年将校の怒りは
当然だが、手段は間違っているという事でした。(中央公論 「歴史と人物」(特集 証言 二・二六事件)

 ただ、橋本先生の言われる通り、あの事件についての汚点は、事件のあとの処理であったと思います。
青年将校は、事件のあと、自決をするか、裁判をするか、という選択があったときに、裁判をえらびます。つまり、裁判を
通じて自分達の主義主張を述べたかったという意志が強かったのだと思います。ところが、実際には、弁護士もつかず、
裁判も非公開という超暗黒裁判でした。今、226事件の裁判記録は残っていますが、これは、警護の任務についていた金子
さんとう憲兵伍長が、裁判の警護をしながら、自分が見聞した裁判の様子を書き残したもので、これがなければ、資料は
残らなかったみたいです。

 つまり、軍上層部の人達は、事件後、弾圧一辺倒で事件の処理をし、またこの事件を利用して、軍部の権限を強める
動きに出ます。その意味では、この事件の処理はたいへん問題があったし、結果、弊害が大きかったと言えると思い
ます。

 また、こういう無理な裁判をしたため、ご本人達も憤激し、橋本先生の言われるような心境になったと思います。

 なお、昭和天皇は、事件の第一報を聞かれると、「とうとうやったか、私の不徳の致す所だ」と涙を浮かべられた
とうかがっています。つまり、当時の軍や政府の上層部は、陛下の真意をくまなかったと考えるものです。

 ただ、これは個人的な意見ですので、ご理解下さい。

1698トキ:2013/06/08(土) 09:56:08 ID:tRbdVDEA
少し余談ですが、この事件のときに、岡田啓介総理が、警護官や女中のとっさの機転で押し入れに隠れて、危機
を逃れたのは有名な話です。

 この押し入れに隠れているときに、反乱軍の兵隊さんが総理を見つけてしまいます。しかし、この兵隊さんは、
これを見逃します。この事実は、岡田啓介回顧録や他の本にも書かれていますが、兵隊さんの名前は記録に残されて
いません。岡田総理の無事を陛下はたいへん喜ばれたそうです。

 しかし、昔、神誌を拝読していると、ある地方講師の方が、「自分は反乱軍の兵隊で、押し入れに隠れている
岡田啓介総理を見つけてしまったが、総理の堂々たる態度にうたれて、みのがした」という話を、別の講師に
話した、という記事を見つけました。今、その記事を探しているのですが、見当たりません。

 その時に、京都の石川貞子先生(地方講師、小木虎次郎先生のお嬢様)が、偶然、谷口雅春先生のお宅を訪問
すると、先生ご夫妻は並んで神想観をしておられ、最後に、「みすまろの歌」をとなえられます。これが、確か
「みすまろの歌」のはじめだと聞いていました。でも、以上は全部、うろ覚えなので、間違いがあったら、ご
訂正をお願いします。

1699復興G:2013/06/08(土) 11:10:44 ID:AB6RqYXc

皆さま、おはようございます。

合掌 ありがとうございます。

訊け様、司会者としてたいへんなご尽力――私の提示させて頂いた資料の整理などに すごい労力をかけてくださって、ありがとうございます。

これで、交通整理ができて、この誌友会がいっそう充実した実のあるものになると思います。

ただ、このweb誌友会は『生命の實相』をテキストにして生長の家の真理を学ぶ誌友会ですから、その基本から外れてはいけない。
そういう意味から言うと、貴殿が << 補助資料 >> とされたものの方をメインの資料とし、 << メインテーマの資料 >> とされた2.26事件に関する資料の方を << 補助資料 >> と考えた方がよいかも知れません。

それにしても、貴殿の献身的ご努力は多とします。

そして貴殿>>1691

>>今回ご提示の「橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)」ですが、いろいろな読み方が可能だと思います。……
「皇道派」「統制派」ですが、これは立場に拠って「教団」「分派」のいずれにも見えてくると思います。
……とまあ、今回の「橋本徹馬『自叙伝』(「私の昭和史」)」ですが、いろいろな読み方が可能だと思います。復興Gさまのご真意の確認を待つ間、その「いろいろな読み方」を投稿されては、いかがでしょう。「私はこう読んだ」という方向で、先ずは開始するのはいかがでしょう。<<

とおっしゃるとおり、私もその通りだと思っています。


志恩様が>>1684でおっしゃってるように、私は>>1671 で、
>>生長の家の現在の分裂状態も、なにかこの2.26事件の時と似ている点もあるのではないかという気がして、転記させていただきました。<<

と書きました。
これは、まさに

>>生長の家の現在の分裂状態も、なにかこの2.26事件の時と似ている点もあるのではないかという気がした<<

ということです。

生長の家の現在の状態が、“2.26事件の時とそっくりだ” とは言ってもいないし、そんなことは思っていません。
が、“似ている点もあるのではないか”という気がしたことは事実です。

当時の日本陸軍が、難局を打開して日本と世界を救いたいという共通の目標はありながら、「皇道派」と「統制派」と称される二つの派閥に分かれてきびしく対立抗争していた。これは、現在生長の家が人類光明化、地上天国実現を共通の目標としながら、総裁擁護の「教団側」と「本流(分派)」側とに分かれて対立抗争している点に、何か“似ている点もあるのではないか”という気がしました。

現在の生長の家の状況について、どちらが皇道派にあたり、どちらが統制派にあたるか、というようなことは、いろいろな受け取り方、感じ方考え方があるでしょう。
私は今、「これはこう考えるべきだ」と決めつけるようなことをする気はありません。皆さまがそれぞれの思いを発表していただきたいと思います。私は空っぽになって、皆さまの声を神さまの声としてお聞きしたいと思います。

ただ、基本の本来の目的――「夫婦喧嘩の目的は勝つことではなく、仲よく幸福な家庭をつくること」という服部仁郎先生の講演のお言葉(>>1648)は、面白いと思いましたが、いかがでしょうか。皆さま、どう思われますか、志恩様にも伺いたいです。


トキ様

トキ様は歴史にもたいへんお詳しいのですね。

2.26事件の詳細について、いろいろご教示ありがとうございます。
岡田総理が難を逃れたときの話は私も聞いたことがあります。
また、「みすまるの歌」のことは、谷口雅春先生がどこかに書かれていました。2.26事件のとき神想観をして皇国の平安無事を祈られたときに、はじめて出てきたものだと。

歴史のことは、私はまだまだ不勉強です。トキさんは博学なので、いろいろ教えて頂きたいと思います。

ありがとうございます。

1700【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/08(土) 12:12:59 ID:???

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
<復興Gさまよりの、志恩さまへの問いかけ>

>>1699より)ただ、基本の本来の目的――「夫婦喧嘩の目的は勝つことではなく、仲よく幸福な家庭をつくること」という服部仁郎先生の講演のお言葉(>>1648)は、面白いと思いましたが、いかがでしょうか。皆さま、どう思われますか、志恩様にも伺いたいです。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
<復興Gさまよりの、皆さまへの問いかけ>
>>1699より)現在の生長の家の状況について、どちらが皇道派にあたり、どちらが統制派にあたるか、というようなことは、いろいろな受け取り方、感じ方考え方があるでしょう。
私は今、「これはこう考えるべきだ」と決めつけるようなことをする気はありません。皆さまがそれぞれの思いを発表していただきたいと思います。私は空っぽになって、皆さまの声を神さまの声としてお聞きしたいと思います。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…


<司会より提案>

 ・・・・復興Gさまからの問いが発せられた、「皆さま」に対して一言。

 今回の橋本先生御文章を拝読されて、どんどんお考えを発表されてください。なお、「教団派×本流派」という視点以外のものを以下、発表してみようと思います。以下の視点なども考慮されれば、お考えがまとまるのかもしれません。さてその、「教団派×本流派」以外の視点とはたとえば、

○ 「神全托派 × 自力作善派」
(教団内にも、そして別派側にも、この両派が存在すると観ます)

○ 「聖典熟読派 × 運動重視派」
(   〃   )


 と云うものに、なりましょうか。思考の補助線として、お使いください。まあ、「教団派×本流派」という視点以外のもの考慮されれば、話が弾むのかもしれません。

 どんどんご投稿を、されてください。



1701復興G:2013/06/08(土) 12:30:01 ID:AB6RqYXc

志恩様の >>1690ご投稿

>>資本主義者が貧民を作っているのだから、貧民は決起し、資本主義者を殺してもよい。敵対する者、自分たちと異なる階級(上とか下)の者に対してなら、なにをしても許されるというのが、共産主義です。共産主義革命の実現のためには、対抗勢力は抹殺せよ・・・これが階級闘争主義です。<<

そして トキ様の >>1697ご投稿

>>当時の状況を考えると、青年将校の怒りは当然だが、手段は間違っている<<

というお説から学ぶことは――

「目的のためには、手段を選ばず」 というやり方は、自滅への道となる。

ということだと思いました。


トキ様のご投稿には、

>>昭和天皇は、事件の第一報を聞かれると、「とうとうやったか、私の不徳の致す所だ」と涙を浮かべられたとうかがっています。……<<

とありましたが、これは本当にありがたいことだと思いました。それが大御心だと、感動します。


志恩様の >>1695

>>本流派の方達がおっしゃってるのは 「雅宣総裁、教団の参議、理事の皆様・・、いままでの責任をとって、辞任して下さい」と言ってるだけで、「銃殺するとも、殺すとも言っている訳ではないと思いますけれど」<<

――は、その通りですね。

しかし、「生死の教え」という神示には、

≪ 生死はままならぬと言えども生死は心のままである。兄弟を生かす心の者は生き、兄弟を殺す心の者は死す。殺すと言うても刀で斬ることではない。兄弟を生かす心のないものは殺しているのである。周囲の人々の思わくを生かしてやるのは 『兄弟を生かす』 の最も大なるものである。自己の好まざる所を他に転嫁するは『兄弟を殺す』の最も大なるものである。周囲に痰を吐き散らすな、紙屑を投げ捨てるな。これは物質のことでもあれど、物質のことだけではない。口角沫を飛ばして兄弟を非難する者は兄弟の心に唾を吐きかける者である。腹立ちを手紙に書いて送る者は兄弟の心に紙屑を投げる者である。かれは兄弟の心を言葉で殺し文字で殺す者である。兄弟の心を殺すよりも尚大なる殺しがある。汝の両親の思いやりを殺し、汝の主君の思いやりを殺す者である。本当に汝が、心の殺人を止めて感謝の心に充たされるようになるまでは、心の波長が違うから神の救いの霊波は受けられぬ。(昭和六年九月五日神示)≫

とあります。心したいと思います。

1702ありがとう:2013/06/08(土) 12:31:17 ID:???

[146] 2・26事件と生長の家

これですね。

1703【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/08(土) 12:39:20 ID:???

>>1702ありがとう殿
>>靖国殿

 ありがとう殿、誠に「ありがとう」ございます。さて貴殿に問いかけを致しますが、以下の点を貴殿は、いかがお考えになられますか?ぜひ、ご自説の開陳を期待致します。

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…
<復興Gさまよりの、皆さまへの問いかけ>
>>1699より)現在の生長の家の状況について、どちらが皇道派にあたり、どちらが統制派にあたるか、というようなことは、いろいろな受け取り方、感じ方考え方があるでしょう。
私は今、「これはこう考えるべきだ」と決めつけるようなことをする気はありません。皆さまがそれぞれの思いを発表していただきたいと思います。私は空っぽになって、皆さまの声を神さまの声としてお聞きしたいと思います。
・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

 また、せっかくですので「靖国殿」のご意見も、求めたいと思います。だめですか?・・・・・(笑)。




追伸


 ・・・・司会してて、つらいこと。それは、「自分の意見が披露できない」こと(笑)。

 ああ、語りたい語りたい(笑)。

 ・・・でもあまり、(田原総一郎みたく)司会者が「私見を述べる」と、他の方が語りにくくなります。ですんで現段階、私見の披露は避けております。

1704髪の子:2013/06/08(土) 13:06:45 ID:H8pVL9Ic
>>1700
ゆっくり拝読進めていますが、まだまだ時間かかりそうです。
で、例えばその、ナントカ派とか、派閥!?路線の視点で発言しなきゃならないのですか?
参考の補助線にお使い下さいと、あるのですが、私は何事もそういう感覚で考えず、真理を柱にいつも感じたり、考えたりしてたのですが。

1705【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/08(土) 13:18:12 ID:???

>>1704髪の子さま

 あ、勿論いろいろな語り口はあると考えます。この、復興Gさまからの問いかけ(>>1699)ですが、この論点さえ外さなければ如何様にも、語られて構いません。どうぞ、よろしくお願い致します。私の投稿意図は「どうしても考えがまとまらない方」への、ちょっとした視点変更の提案でした。「最重要」の視点では、ございませんので、ご安心ください。




1706【司会者】「訊け」【発言】:2013/06/08(土) 13:23:08 ID:???

<補足>

 また、「論点なんて云われると、構えちゃうのよ」な方にも一言。

 ・・・・・・まあ、あまり外れては困りますけれども、ツラツラと箇条書きにされることも、お勧め致します。私の方で「こんな意味なんですかね?」という風に、整理致します。(議論錯綜した際ですが)ですので、まあ、「論点なんて云われると、構えちゃう」な方でもどしどしと、投稿されてください。そして、箇条書きなどされると案外、考えがまとまるとも思います。

 まあ、「あんまりな(大外しな)話」は困りますが、ある程度の思考混乱は気にされず、どしどしお願い致します。(やはり今回の誌友会は、ハイレベルだと思います。文章力と共に、かなりの「読解力」が要求されておりますので・・・・・)



1707髪の子:2013/06/08(土) 13:28:04 ID:9XBCB86g
訊け司会者さん、わかりました。あまりにハイレベルで、時間を要します。ありがとうございました。

1708復興G:2013/06/08(土) 14:21:26 ID:AB6RqYXc

>>1703 :【司会者】「訊け」殿

>>・・・・司会してて、つらいこと。それは、「自分の意見が披露できない」こと(笑)。ああ、語りたい語りたい(笑)。
 ・・・でもあまり、(田原総一郎みたく)司会者が「私見を述べる」と、他の方が語りにくくなります。ですんで現段階、私見の披露は避けております。

――あまり「司会者は自分の意見を述べてはいけない」ということに捉われすぎてもよくないのではないでしょうか。
ある程度自己抑制しながらも、自然体で語られたら、かえって皆さんが語りやすくなるかも……と思いますが……

1709こんにちは:2013/06/08(土) 14:24:11 ID:nSg7g3W2
皆様、お久しぶりです。
熱のこもったコメントの数々、本当に素晴らしいです。

226事件についての橋本徹馬の言葉
>>1658「あの事件で刑死した諸君は、最早成仏したであろうか。いや私は成仏していないと思う。」
については、語弊を恐れずに感想を述べると、「学ぶ会」側の方々を連想させます。

現在の教団の方針では、このままあの世に旅立っても「成仏できない」不満を持つ信徒方が大勢いらっしゃるのではないでしょうか?
すでに亡くなった信徒方にも、そのような方がいらっしゃるはずです。
もちろん、信徒として十分に教えを実践していれば、必ず成仏するでしょう。
しかし、それは教団に責任がないという理由にはなりません。

責任追求ばかりしているのは信徒として失格であるかもしれません。
しかし、心情的には対立するのも無理もないと思うのです。

思うに、こうした問題は大組織を形成すれば、どんな組織集団でも必ず出てきます。
ですから、トキ様が何度もおっしゃるように、これは自分自身の信仰態度へと脚下照顧すべきことだと思うのです。

脚下照顧しない雅宣総裁や学ぶ会が問題だと言っているのではありません。
おのれ自身が問題だと言っているのでもありません。
「信仰に徹しようとすること以上の解決策が、いったいどこにあるのだろうか?」と言っているのです。
努力してこられた信徒方の成仏を手助けする道は、それ以外にはおそらくないでしょう。

その意味でも、こうしたWEB誌友会は、大変価値のあるものだと思います。

1710ユタカ:2013/06/08(土) 14:37:41 ID:R1D4Jmeg
乱打かも知れませんが、投稿します。
>「国家に不祥事が起こった時には、如何なる場合にも陛下は、

『朕の不徳による』
と仰せられるようでありたい。今回のことでもあの詔勅によって軍部内の二派の争いが一層ヒドクなるが、あれが若し『朕の不徳による』というお言葉であったならば、皇道派も統制派も共に恐れ入り、理非は何れにあるにしても速やかに相克をやめねば、陛下に申し訳ないという考えになるでしょう」
========

「生長の家に不祥事が起こった時には、如何なる場合にも責任者である生長の家総裁は、

『生長の家総裁である私、谷口雅宣の不徳による』
と仰せられるようでありたい。今回のことでもあの<裁判>によって生長の家関係内の二派の争いが一層ヒドクなるが、あれが若し『谷口雅宣の不徳による』というお言葉であったならば、教団派も学ぶ会、ときみつる会等、諸団体派も共に恐れ入り、理非は何れにあるにしても速やかに相克をやめねば、谷口総裁に申し訳ないという考えになるでしょう」


と、こういって、退陣する決意で社会事業団と話し合って欲しい。

1711ユタカ:2013/06/08(土) 14:41:57 ID:R1D4Jmeg
訊け様

復興G様もそう仰いますし、語ってください。 今回はちょっと難しい・・・

1712ユタカ:2013/06/08(土) 14:58:24 ID:R1D4Jmeg
どのような争いも、いかなる理由があろうとも、

その争いを止めるのは、やはり常に祈り神の御心に合致した公平無私で人類から心から信頼され慕われるという中心者の存在が必要と感じた。

だけど、今回の裁判の事などは、ユタカは、今の総裁が清超先生のように忠実にあとを継いでくれたら、それこそ、1000年先には、自然に、緩やかに「生命の実相」が自滅してしまうと思われるので、今、現象的には争いをしていますが、それが、この「生命の実相」のこの世の後への価値を高める為の争いとしか思えないので、

私は、2・26事件事態がよく読めていないせいか、まだ、良く分かりません。。。 でも、繰り返し読んでいて、昨日よりは進歩。

1713トキ:2013/06/08(土) 16:18:39 ID:tRbdVDEA
 さきほど、紹介した「証言 二・二六事件」という雑誌ですが、処刑された青年将校の遺族の集まりである
「仏心会」の会長の河野司さんが「処刑された人々の怨念」という文章を書いています。河野さんは、弟さんが
事件に参加し自決しているので、この事件の調査に半生をかけられましたが、まだ、謎が多いと書いています。

 また、この雑誌には死刑を免れた青年将校が当時の様子を証言していますが、その人達もよく事情を知らな
かったと話しています。つまり、青年将校の中にも、事情を把握していない人がいたみたいです。
 
 少し誌友会とは離れますが、この本には、二・二六事件の特設軍法会議で警護官を勤めた金子桂憲兵大尉の
証言がのっており、ここで、事件の首謀者の磯部浅一が、死刑の判決を受けたあと、法廷で

 「吾々の忠誠無二の今回の事件を、このような裁判で、われわれの真意を理解せず、このような無茶な判決を
下すことは、現在の陸軍中枢部首脳は謀略をもってわれわれを抹殺するばかりか、たいへんな誤りを犯している。
軍首脳が誤りを反省せず、今回の事件を逆用して戦争を起こすような事があれば、必ず滅びる。日本帝国は必ず
滅びる。諸君、陸軍当局を信頼してはならない。軍の言う事は聞くな。よく陸軍当局の動きをみていてくれ!」

と叫んだとあります。この部分は橋本先生の主張と似た部分があると思います。反面、当時、青年将校の襲撃
を受け、頭を撃たれ乍ら奇跡的に生存した片倉衷少佐は、「手段が間違っているという点で、同情はできない」
と言っています。

 ただ、この事件について、戦後、調査をした原 秀男弁護士(元陸軍法務官、中央大学理事、故人)は、この
事件の前にも、後にも、陸軍がクーデターや反乱を起こした事があった。しかし、この事件の最大の問題点は
事件そのものよりも、事件の処理がたいへんマズかった点にある、と書いています。終戦時の近衛師団の反乱
が、当時の東部軍司令官の田中静壱大将の機敏で正確な処置で大事に至らなかった事と比較して、当時の上層部
の処置の間違いが、後年、国を滅ぼした、と書いています。と、同時に、田中大将の処置を高く評価しています。

 この原さんの意見は考えさせられます。

1714復興G:2013/06/08(土) 16:22:04 ID:AB6RqYXc

>>1709 :こんにちは様。

こんにちは様のコメントは、まことに当を得たものだと思います。「善のみ実在」の信仰ですね。ありがとうございます。


>>1710 :ユタカ様

ユタカさんのコメントも、当たっていると思います。

>>今、現象的には争いをしていますが、それが、この「生命の実相」のこの世の後への価値を高める為の争いとしか思えないので……<<

そう考えると、「必ずもっとよいことが出てくる」と思えて安心でき、希望が持てますね。ありがとうございます。

1715復興G:2013/06/08(土) 16:28:08 ID:AB6RqYXc


>>1713 :トキ様

貴重な情報を、ありがとうございました。

真実が、だんだん明らかになってきます。

考えさせられますね。


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