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聖典引用 板

797a hope:2012/06/06(水) 08:10:41 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

神経衰弱を治す法


陽気にしておれば、楽をしておれば、その方が健康になるという考え方は、
今までの考え方なのでありますが、それは実際は嘘なのです。間違いなのです。

神経衰弱の患者なんかが私のところへやってこられて相談をなさると、
「あんた働きなさい」こう申し上げて働かせると病気が治るのであります。
これは何も生長の家だけの話ではないので、精神衰弱の治療法で
医学博士になった森田正馬(まさたけ)博士なども、そう説いていられる。

あの人の療法は作業療法といって、働く事によって病気を治すのです。
病院を建てて入院料を取って働かせる。
入院患者は、金を払った上でガラス障子を拭かせられたり、
廊下を拭かせられたり、畑を耕したりさせられる。
男の人でもレースの編物や、毛糸の編物までさせられて、
一生懸命に働かせられて、それによって病気が治るのであります。

そういう工合(ぐあい)に、働く方の人が金を払って働かせてもらうと病気が治るのですが、
月給を貰って働くと働くのがばかばかしくなる人が多いのは変な話であります。

その病院に入院すると入院費が要る。即ちこちらから病院へ月給を払うわけです。
それで早く治すためには働かなかったら損だというので、一生懸命働く。
長くいるほど金が要るから、早く働いて早く治らなかったら損だというので、
一生懸命働くのです。そうすると本当にその病気が治ってしまうのです。

それで森田さんは、入院費を貰って人に働かせて、お剰(まけ)に自分は博士になったのです。
そういうふうに、働きというものは、私達を健康にする不思議な力をもっているのです。
というのは、人間の生命(いきるちから)は働きであるから、私達は働けば健康になるわけです。
(つづく)

798SAKURA:2012/06/06(水) 23:18:16 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…
もう“梅雨シ−ズン”なのです〜〜ネ!
「通勤途中…」に、或るお店の軒先の前に“アジサイの花”が〜〜♫〜〜
くたびれた様な?元気のない“色”に、一瞬見えてしまいまして???
今から…段々色づいて行きますでしょうが〜〜〜 ><
これも【私の心のレンズ】が、曇っているのでしょうか???
さて!【心のレンズの焦点】を、キャッチ出来ます〜〜〜ョネ!
勿論!「雅春先生の言葉」で可能ではないでしょうかしら〜〜ン!!
いまから開きます・・・・・・【さぁ〜〜〜“スタ−ト”】

■幸福を招く365章
――−――汝の霊の根元に感謝せよ――−――
骨が折れるのは、神と先祖と父母に対する尊敬と愛が足りないからである。
ホネは霊根である。自己の霊のそだつところの根元である。
吾らの霊は、神・先祖・父母と云う風に伝わって来て今日あるを得たのである。
霊根をつちかわないから骨が折れる。父母に反抗している場合に脊椎カリエスに
かかっていて医療では中々治らない場合がある。北海道の札幌で幹部教修会が
あったときに○○修二と云う人が話した体験によると、十四歳の時に家出して
ヤクザの群に入り、ついに刑務所で服役までしたのであるが、出獄後脊椎カリエス
にかかり三つの楼口から毎日多量の膿を排出し、段々生命旦夕に迫ると云う処まで
来たが、たまたま自分の父親が七十幾歳にて老衰した姿で枕元に来て優しい言葉を
かけてくれたとき、父がこんなに老衰させたのは私が済まなかったと思って
おわびの心をおこしたのである。するとその重体が三カ月で癒え炭坑で
重労働をしても耐えられる健康さが恢復したのであった。
                       (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

【両親に感謝する事】でしょうか……?今の私は、もう“両親”はいないのですが?
時折…「仏壇のある部屋」に行きますと、元気な姿の“両親の写真”が……
時々!思い出してしまいます…。一抹の寂しさも?この頃は感じます…。

「父・母の時代…生長の家の活動」を思い浮かべますと…当時は!のどかな感じ〜〜♫
でしたでしょうか〜〜〜?
自宅に本部講師であられました「亡き喜多先生」何度か私の自宅に宿泊して…
その当時の“誌友さん”と…雑談!!今思いますと“身近な存在”当に!!
和気あいあい〜♫〜でしょうか。懐かしく思う次第です…。

更に!当時の私には、そこに集まる方達(誌友さん)は、普通の方が多く…
どうかしますと「知識階級が多かったですもの??」
今思いますと、その様に見受けられるのです。
そして、集まる方達は“熱心”そのものでしたし、
やはり「亡き父」の周りは多くが【大卒…】その中で「亡き父」は〜〜〜!
更に!私自身も“落ちこぼれ族”なのでしょうか〜〜〜? ウフフ

■或る時?小学校の頃でしょうか…?
【佐賀の教化部長】でしたでしょうか…?「喜多先生」が私の家に“講演”
更に!【泊まり込み体制】なのです。{何度か泊まられました〜〜ネ!}

■戦後の事ですから〜〜当時“近所”では〜〜隣の夕食が分かる時代ですモノ?
子供の頃、私は?此の先生が「怖い〜〜〜おじさん」に見えた時がありました。
が……“大人…”は、いつも〜いつも〜笑い転げていた様ですが…?
【真面目に布教活動】されていた“地方講師の方”で、
人気がありましたかと?確か??当時“78歳…”ではなかったかと?いつも
「誌友会」に来られて、又!此の先生にも【個人相談…集中】です。私に家で!

どうかしますと、夜遅くまでの【相談者が多く】私の家は、いつも人だらけ ><
子供の頃落ち着く場所がなく、そのまま“高学年”に入ってからは、
正直申しまして、余計に“落ちつく場”がなく〜〜良く反抗したモノですが??

その私が〜〜今では「生長の家の布教…」を真剣に考えている事に、自分自身
驚いています次第です。そして「此の教え…」を導いてくれました…
「亡き両親…」に対しまして…深く〜〜深く〜〜感謝している昨今です。

■今から【新・生長の家の門を…今は“狭き門”でも“心で広き門”に入門!!】
【両親の愛に護られて…私は今から〜〜“父・母の伝導”を再開始!!】致します。
更に仲間が…頑張れ〜〜♫〜〜と!毎日“連絡…”なのです。
此の出会い…めぐり合い…感謝!!感謝!!         再合掌

PS:トキ様へ…「今日の言葉」からの受けられた“感想”何かありますでしょうか?

799ハマナス:2012/06/07(木) 00:31:52 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
ありがとうございます。

真理の消化、吸収  (『新版 生活の智慧365章』P.173)

 潜在意識の奥底に横たわる普遍にして超越せる超在意識――“個”としての肉体自己を
超越しながら“個”として其処に顕現し表現せんとしている“本当の自己”(即ち神性)の
内には“無限”が内在しているのである。その無限を開発すれば、無限を内蔵する鉱山から
欲する鉱石を掘り出してくるように、自己の欲する色々のアイディアや能力を喚び出して来る
ことができるのである。

 吾々の意識の奥底に潜在する“無限”を現実化するには聖典、聖経、神誌の反復精読のほか
に神想観の如き瞑想によらなければならないのである。潜在せる“無限”は色々の成分を含んで
いるところの植物みたいなものであり、それを真理解説の聖典等によって頭脳に入れることは
その食物に消化するようなものであり、神想観の如き瞑想法は、その消化した真理を吸収し同化し、
真理と自己とが一体となる行事である。その時、真理と自己とが一体となり、真理の馬に人間が
乗っているのではなく、”鞍上人なく鞍下馬無し”の如く「真理即自己」となるのである。

感謝合掌

800ハマナス:2012/06/08(金) 00:22:12 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。

運命における栄養不良  (『新版 生活の智慧365章』P.174)

 若しあなたが非常に少(すくな)くしか神誌・聖典を読まず、非常に少くしか神想観を行わない
ならば、“無限”の栄養ある食物を与えられながら、それを少ししか咀嚼せず、少ししか消化せず、
少ししか吸収同化しないようなものであって、誠に残念な事だと言わなければならないのである。
若し食物の栄養分を吸収同化することが十分でないならば、その外的表現としてあなたの肉体が
痩せて来るのと同じように、若しあなたが内在“無限”の宝庫から充分のアイディアや能力を消化
吸収同化することをしないならば、その外的表現としてあなたの運命が痩せて来ることは当然だと
いわなければならないのである。しかも気の毒にも、その運命の悪い人は、何故自分の運命が悪い
のかその理由を知らぬ場合が多いのである。

 そのような運命の栄養不良の人たちは、肉体の栄養不良の人たちが何か間食を求めたり刺激物を
求めたりするように、ない具の“無限”から汲むべきことの代償として、肉体的五官の快楽で、
一時の衰弱感をまぎらそうとすることになるのである。

感謝合掌

801SAKURA:2012/06/08(金) 04:26:16 ID:ZlYnQTFI
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

おはようございます…  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。

益々”心”をしっかり意識する訓練が、必要になりましたです〜〜ョネ!
今日は、更にそれを意識強化する言葉は?……【意識革命!】でしょうか〜〜〜??
勿論!先生の書物をしっかり”インプット”のみです〜〜〜ネ!そうしますと…
益々!現在の総裁の先生の本も、理解力アップ!ができますのでしょうか〜〜?
【意識に繋がる本〜〜〜”スタ〜〜〜ト!”

■【幸福を招く365章】
――−――神は暗黒を照す光――――

神は人間が暗黒なる状態を通過する時に、是非なくてはならない光である。勇気を
見出すであろう。神は遠いところにましますのでなく、極めて
近く自己の内にましますのである。次の如く念ぜよ。
「我は神の子である。神の光が自分に宿っていて自分を導き給うのである。
神の光は智慧の光である。智慧の光の射すところ決して暗きことはないのである。
神の智慧の導きに感謝します。」     (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■ 「神様」は?まるで遠くにいるような気持ちに〜〜
以前は確かにその様な私ではありましたが…
或る時から「神様は、私の内にあるのだ〜〜ワ」と、分かり、それが“心…”なのです〜〜ョネ!
【心=潜在意識】に入り込む…【内なるもの!】それは〜〜〜♫
“意識”で物事を見て行く事に…ある本に【霊界…】に行きますと“言葉で会話する”のではなく
“意識”で話をしているのだと、云う事になりますよ〜〜ネ!

■以前!妹がまだ結婚したばかりの頃の家に、子供が生まれて“和室の部屋”に、
子供を寝かせていますと…当時!賃貸の一軒家でしたから…実はその部屋に、
その部屋は少し不気味な部屋でしたが…><
子供が生まれましたので、その“部屋を使用する事”に…したのですが?
ある時、御主人の帰宅が遅くて、子供を寝かせるために、一緒に添い寝していますと…
何となく〜〜誰かがいる様に思え、こっそり薄眼で“眼”を開けますと…
布団の横に“年寄りのおばあさん”が坐っていたのだそうです…。
瞬間!妹は“ぎゃ〜〜〜〜〜ッ”と声を…!同時に…妹は“心”でつぶやきはじめたのです…。
「〜〜〜あっちに行って!〜〜〜!あっちに行って!〜〜〜」と!集中して…
【30分間位…思念!!】していますと、いつの間にか消えたそうですが…?
その後!このような状態が再び起きましても、いつものお決まりに〜〜
本人なりの【呪文…としての活用】を、したそうですが〜〜〜><
後日!!調べますと、やはり“元の賃貸の方の幽霊”でしたが〜〜〜><

■この様に、気づかずに、妹は【心で対話・・・幽霊と…!!】をしたのです〜〜〜ョネ!
つまり【内的意識…集中!!】でしょうか??
“心”で“【内的意識=心の念波】は、通じるのですから、今の現状も
【祈り…】で、叶うはずですョ〜〜ネ!益々!断定しまして【祈り…】に“今日の言葉”を念じます。

■■「我は神の子である。神の光が自分に宿っていて自分を導き給うのである。
神の光は智慧の光である。智慧の光の射すところ決して暗きことはないのである。
神の智慧の導きに感謝します。」 
【意識=心】が、先生の言葉で、今日は、良く解りましたので、さっそく【実行!!】です。

きっと“私の願い”は、叶うのみです〜〜〜〜〜ネ!!!
【本来の生長の家…】への願い        ありがとうございます…。

                                                再合掌

802金木犀:2012/06/08(金) 10:36:40 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである  谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より)

生命軽視の風潮はどこから来るか

皆さん、有難うございます。(拍手)
今日の皆さんの発表、大変感激致しました。特に、最後の諸田講師のお話は、本当に実相を直視された素晴らしい体験であると思いました。

さて、“いのちの進軍”という題でありますが、“いのち”というものは一体何であるか?今までは人間の生命というものは、なにか物質のアミノ酸というような簡単な蛋白質の一種みたいなものの分子が偶然に衝突して結合して出来た、それが段々と進化して猿になり、その猿が人間に進化したと、そんな風に人間の生命を、つまらない物質の分子の結合であると思っていたのでは、本当に生甲斐というものは感じられないわけであります。

戦後、小学生や中学生という幼い少年たちが、ちょっと親から叱られたら自殺するとか、あるいは上級学校の入学に失敗したから自殺するとかいうような、生命を軽視する傾向があるのですが、そういう子供が生れてきたということは、これは戦後の教育が人間の神聖性を失わしめている。人間をただの物質の結合である、“肉体の子”である、きたないセックスの結合から生れて来たところの存在であるというような低い次元に立って人間を説いて来たからであります。

そして、それが民主主義の人生であるというようなに人生観をずうっと学校で教えて来た。だから肉体を感覚的に楽しませている時にはそれに気を取られて別に悲しいとも思わない、むしろ楽しいと思うかも知れないけれども、一つ躓(つまず)いたり、一つ叱られたり、一つ失敗したりしたら、忽ち自分の生命の拠り所がない。そこに“何のために生れているのか”という自分自身の価値(ねうち)の自覚というものが失われてしまっているのです。物質というものには、本来値打ちはないのです。

それでは値打ちとは一体何かというと、これは、本当にあ’る’というものに値打ちがある。結局諸行無常で壊けてしまうものが自分であったとしたならば、結局それはなくなる値打ちであって、値打ちの外観を呈しているようでも、そんなものには値打ちがないのである。こうして、本当の値打ちの自覚というものが内部にないものだから、生甲斐が感じられないということになるわけなのであります。

803金木犀:2012/06/08(金) 10:40:16 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである  谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より) (2)

なぜ地上に人間が誕生したのか

吾々がどうしても生甲斐が感じられる人生を生きようと思ったならば、根本的に、“人間とは何ぞや”という観方が変わらなければならないのです。それが“いのちの革命”ということになる。ここに私の書いた『いのちの革命』という本があります。ちょっと開いてみます。
『そこで神様は、御自分の生命を人間として顕現して、大自然の生の力のままでは出来なかったところの創造の御業(みわざ)を、人間の姿に神があらわれて、それを完成したまうということになったのです。これが地上に人間が誕生したところの目的であるということができるのであります』と書いてある。

火山を爆発させ、台風を吹かせ、地震を揺らせる、これらの大いなる自然力というものは、吾々が見ることも体験することも出来ますが、その大自然力で一つ、この湯呑を拵えてみよと言っても、神様には出来ないですね。どうしても、芸術的作品といったようなものは神様にはできない。神様が自然力のままではできないのです。そこで神様は、出来なものがあったら全知全能の神という資格がない、もっとも神様は資格など欲しがりはしないけれども、その全知全能の創造の働きが無限に完全に、無限に細かいところまで気がついて、そして、どんな自由自在なものでもつくるという、この神様御自身の創造の喜びを完(まっと)うするために、神様の生命が具体化として、しかも無機物的な具体化ではなくて、有意識的な具体化として、ここに人間が生れて来た。そこに、地上に人間が誕生した価値があると考えられるわけなのであります。

そこで、その人間誕生の価値を本当に生かすとすると、神様が大自然力の段階においてはできなかったその神様の生命がそこに噴出して来るということになるのですから、不可能なことはなくなる。人間誕生の価値を本当に生かした生き方に吾々の生活がグラリと変って来たときに、例えば病気でも大自然力のままではもう死ぬはずの生命であっても、それがもう一つ飛躍した高い段階で、“人間として現われた神”であってはじめてできるという価値を創造できるようになったら、それは神様の大歓喜であるから、神様の生命の流れが滔々として吾々に流れ入って来て、今までになかった新しい生命の噴出がそこに起って来るということになるわけなのであります。

こういうところから先程の諸田講師の御自身の体験でも、又、諸田講師が導かれた病人の体験でも生れてきたわけで、そういうところまで生命の自覚を高めてあげることが出来たら、どんな病人でも再び生きかえるということになるのであります。

804金木犀:2012/06/08(金) 10:45:37 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである  谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より) (3)


人間は神様のアイディアの具体化

さて、人間の生命というものは、そういう神様の自己顕現でありますが、人間の生命だけではなく、他の生命という問題をも考えてみたい。

最近、私の書いたものが集まって、『国のいのち人のいのち』という書物が出たのですが、そこに詳しく出ていますが、日本国がどうして誕生したかという問題がある。日本国の生命の発現の原点とでも言いますか、それはどこにあるかといいますと、それは『古事記』にあるように、天照大御神様の御心の中に発現したわけである。全てのものは神様の生命の中にあるところのアイディアの具体化であります。聖書のヨハネ伝には「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。万の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり……」とありますが、この場合の言(ことば)とは、神様の生命のエネルギーの上に乗っているところのアイディアであります。アイディアというものは、いたるところに充満している。

例えば冬になって雪が降ってくる。あの雪の結晶を顕微鏡でのぞいてみると、六稜形の美しいデザインがちゃんと出来ている。それが、細部の構図まで皆同じかというと、六稜形という輪郭は同じでも、その中の細かいデザインが一つ一つ異(ちが)うというのです。無数のアイディアが宇宙にあって、ある条件が整えばそれが形になって現われて来るということになるのであります。

終戦後間もなく、私が東京から九州の島原の方へ講習に行った時、正月のことでしたが非常に寒かった。寒いけれどもその時分は物資の欠乏で暖房などはなく、徐行の汽車ですから、東京から行くととこかで夜行にならなくては仕方がなかった。その時も九州のあたりで夜行になって、夜が明けた。すると汽車のガラス窓に実に美しい絵模様が出来ているのです。吾々の吐く息の水蒸気の分子の結晶が、金魚藻のような、あるいは正月の鏡餅の上に飾るウラジロのような、隠花植物の葉や枝のそのデザインが、ずうっとどの窓にも結晶しているんです。それは同じ水の結晶であっても、あの雪の結晶とは形が違うのであります。神様の心の中には無数のアイディアが初めからある。隠花植物のようなアイディアも六稜形の雪の結晶のようなアイディアもある。しかし、その中から、それが現れ出るのにふさわしい条件が整うたものだけが形となって出て来るのであります。

それは恰度、無限のテレビ番組が放送局から送られて来ていても、波長を合わせた番組だけがテレビ・セットの画面の上に浮かんで出て来るようなものです。

私はその汽車の窓ガラスに浮かび出た絵模様を見て、非常に神秘の感じに打たれたのでありますが、後に、あの「牝鹿の脚の話」で有名なグレン・クラーク教授の別の本を読んでいると、こういう話が出て来たんです。

ガラスの表面に水蒸気の水滴が結晶するときに、暗い夜半に結晶すると隠花植物のような姿が現れて来る。ところが、同じような温度で、同じ汽車の窓のようなガラスにおいて、昼の明るい太陽の光線を当てながら結晶させると、バラの花のような又ボタンの花のような美しい花の姿にその水滴の結晶があらわれるというわけです。そういう実験をクラーク教授は書いているのです。

この世界には無限のアイディアがあるのだけれども、そのアイディアの、放送局が神様みたいなもので、その受像機つまりテレビセットが無限のアイディアの中からそれを受けとる波長になった時に、ある場合には隠花植物、ある場合には顕花植物の素晴らしく明るいバラやボタンの花の恰好のものがそこに現われて来るという訳なのです。

805金木犀:2012/06/08(金) 10:54:40 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである  谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より) (4)

国柄も神様のアイディアの実現

ところで、何故私がこういう話をするかといいますと、この日本の国が天皇国家として天皇中心の形をもって現われているのは、それは住んでいる人間が勝手に相談して、吾々個人でバラバラだったら敵が襲撃して来たとき防ぎのしようがないから、自分たちを守るために国家というものをつくろうじゃないかそれには規則がいるから憲法みたいなものを拵えようというわけで、部分部分なる人間が相談をして拵えた国家というものではないということです。

日本の国家が天’皇’国’家’としてそこに出現しているということは、もっと次元の高い天照大御神様の宇宙放送局みたいなところにある“尊いアイディア”がそれを日本民族が受像する心境において、自然に天皇国家として現われて来たものである。すなわち、人為的な存在として日本国家があるのではなく、これは惟神(かんながら)の、神様の御意(みこころ)の中にある“日本国はどうしても天皇国家でなければならない”というアイディアが実現して来たものであるのです。そこに、日本国の生命の尊’さ’というものがある。

これは神様のプランの内につくられているのであるから、日本民族というものは他の民族とはとり替えようがない尊い民族であり、他の国の国柄とはとり替えようのないところの国柄が、この天皇国家なる国柄であるということが言えるわけです。ここに、日本という天皇国家なる国柄の中に生れさせて頂いた自分の使命というものの自覚が大切になって来るのであります。

例えばソ連なら、あの鎚と鎌の国旗に表れている、ああいうアイディアが具象化してプロレタリア独裁の国柄が、あそこに現われている。アメリカならば、国旗に水平の直線で表された“天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず”という平等の思想と、色々の地域民衆が各州となって星の数だけ集まっているという合衆のアイディアの実現である。これとて人間がつくった国家ではないと思うのです。アメリカ合衆国にあるテレビ・セットが、神様の無数の国家のアイディアの中から、ああいう国家のあり方を受像して実現したということなのであります。


国の生命と一つになった時本当の喜びがある

こうして、各々の国家は夫々の神様のアイディアをそこに実現しているのであるから、アメリカが大統領でもうまく治まっているのだから日本も大統領でもいいのではないかという考え方はあてはまらないわけです。それは桜の花は五弁で大変美しく出来ているのだから、すべて他の花も桜の形でいいではないか、藤の花とかボタンの花の形になる必要はないではないかというのと同じである。すべて、ボタンの花にボタンの形を与えているのは、これは神様のアイディアであり桜の花に桜の形を与えているのは神様のアイディアであるし、日本国家に天皇国家の形を与えているのも、これも神様のアイディアであるのです。

吾々日本国民はどうしても、この国家形態の奥にあるところの神様の御意(みこころ)を守って行く。そうして個人の生命が神様のアイディアの中にまで延長して行って、つまり、自分が国家のために生きることによって自分の生命を国家的な広さにまで広げて行く、小さな個人の生命が国家の生命と一つになる、そこに本当に吾々の生きる喜びというものが起こって来るのであると、私の体験から言うと、そういうように感じられるわけなのであります。

それで、この個人の谷口の生命は結局「天皇国日本」の生命と一つである、どうしても天皇国日本を守らなければならないし、又守ることが、私をはじめとして日本人ひとりひとりが本当に生きる道であって、この他に尊き道はないのであると、この天与の尊き道を生きる時その人は本当の生甲斐が感じられる。そういう感じを私は持たして頂いているのであります。

今日はこれで終ります。(拍手)   おわり

806金木犀:2012/06/09(土) 15:10:41 ID:j28jHRaM
聲字即實相の神示

吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云ふ。完成(ななつ)の年になりて吾が第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。七つが事物の顕現の周期律になってゐる。吾に神殿は不要であると嘗て示したことがあらう。吾は道(ことば)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。『生命の實相』は吾が本體であり、無形の『生命の實相』を形にあらはしたものが『生命の實相』の本゜である。『言葉』を載せた書物を『本』と云ふのも、『言葉』こそ事物の本であり本質であり、本體であり、本物であるからである。『言葉の宇宙』が先づ出来て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらはれるのである。今迄の宇宙は、『言葉』が實相を語らず、不調和で濁ってゐたから、宇宙の萬物の運行が亂(みだ)れて生活苦や、病気や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起ったのである。『生命の實相』の本゜が出た以上は、言葉が實相を語り、善き圓滿(えんまん)な調和した言葉の『本』が整うたのであるから今後何事も急轉直下(きゅうてんちょっか)する。『生命の實相』を披(ひら)くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の實相(ほんとのすがた)を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)にすぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の實相である。吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披いて讀むものにさせたのも象徴的因縁のあることである。『生命の實相』を展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。今は過渡期であるから、仮相(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦ひはその序幕である。神が戦ひをさせてゐるのではない。迷ひと迷ひと相摶(あいう)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであらうともそれは迷ひのケミカライゼーションであるから生命の實相をしっかりと握って神に委せてゐるものは何も恐るる所はない。
(昭和七年一月十一日神示)

807金木犀:2012/06/09(土) 16:07:59 ID:j28jHRaM
a hope様

人生読本のつづき、待っています。毎朝、a hope様の人生読本を読まないと
一日が始まったけじめがなんとなくつかないで困ります。
私達は皆修行途中の菩薩ですから、いろいろありますが、
明るく神様の方を向いて、頑張りましょう。

808神の子さん:2012/06/10(日) 12:51:04 ID:YqJJ0isE
「トンデモ本の世界」と学会・編
トンデモ用語の基礎知識
●シオンの議定書(プロトコール)
「ユダヤプロトコール」とか「シオン長老の議定書」などとも呼ばれている、ユダヤ人が世界征服のために記し
た恐るべき大陰謀の秘密文書、ということにされてしまっている文書のこと。二十四の議定書に分けられてお
り、「我々の合い言葉は権力と偽善である」とか「計画遂行に役立ちさえすれば、暗殺、買収、詐欺、裏切り等
に決して尻込みしてはならない」とか「神聖なるユダヤ王の頭に、欧州各国が彼に捧げる王冠を戴くとき、彼は
全世界の族長、家長となるであろう」などという文句がちりばめられ、いかにして非ユダヤ人の国家を衰退さ
せ、ユダヤ教以外の宗教を撲滅し、世界統一の革命を起こすかということが繰り返し書かれている。
『プロトコール』の存在が広く世間に広まったのは、一九〇五年に神秘主義者セルゲイ・ニルスが自著『卑小な
るもののうちの偉大』の第三版に収録してからだ。『プロトコール』が日本に上陸したのは、一九二一年にシベ
リア出兵した兵士らが、わら半紙五十枚ほどに書かれた物を持ち帰ってきたのが最初とされる。日本で単行本化
されたのは一九二四年で、包荒子というペンネームで書かれた『世界革命之裏面』が最初といわれる。
『プロトコール』は、一八九七年にバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の議事録という謳い文句で広く流
布された文書だが、その文章の五分の二までが、モーリス・ジョリという人物がナポレオン三世批判のために出
版した『モンテスキューとマキャべリの地獄対話』(一八六四)というパンフレットからのパクリだった、とい
うことが一九二一年に英国『タイムズ』紙の報道で暴露されている。
 つまり、『プロトコール』は、疑いようのない明らかな偽書なのだ。

809神の子さん:2012/06/10(日) 12:51:54 ID:YqJJ0isE
(つづき)
 だが、『プロトコール』を読んだヒットラーは、「歴史的に事実かどうかなどはどうでもよい。内容的に事実
であれば体裁などは論ずるに足らん」と述べたとされ、『プロトコール』はナチスのユダヤ人迫害にも大きな力
を貸した。
 この史上最低の偽造文書についての最もまとまった書としては、『シオン賢者の議定書』(ノーマン・コーン
・KKダイナミックセラーズ・一九八六)がある。同書は、一八世紀末から始まったユダヤ=フリーメーソンの
陰謀史観を詳細に迫っていき、最終的に『プロトコール』は、ロシア帝国秘密警察のピョートル・イワノビッチ
・ラチコフスキーが、ロシア帝国政府のユダヤ人弾圧のためにでっち上げたものだと断定している。
『プロトコール』はユダヤの陰謀に名を借りた、ユダヤ人迫害のための陰謀の書であることに間違いはない。
 どう見てもおかしいトンデモ本の多くが、普通の人に広く、まじめに読まれてしまっているという日本の現状
が身に染みている我われとしては、「大衆の力は盲目で、非理性的で、判断力が無く、従って右にも左にも耳を
傾けるものであることに注目しなくてはならない」(第一議定書)などと宣う『プロトコール』が、偽書で良か
ったとつくづく思うわけである。
参考文献:『シオン賢者の議定書』、『増補ユダヤ人論考』(新泉社)

810 志恩:2012/06/10(日) 13:19:51 ID:.QY5jUA6
むかし、むかし、上記のような極悪人の賢者・「シオン」が、居たのですね。
おなじ呼び名の、現代のシオン「志恩」は、皆様に知れ渡ってる通りの 「非・賢者」ですので、
おまけに、そそっかしいところもありますので、油断されてて、だいじょうぶです。

811金木犀:2012/06/10(日) 13:42:07 ID:j28jHRaM
本當の信仰についての神示

平和は内界にあるのであって、外界にあるのではない。外界は現象であり目眩(めまぐる)しく移り変る世界である。常に変移する世界を追ひ廻してゐて落着かうと思っても落着けるものではない。一世を支配する権力者の位置にのぼれば誰も自分を脅かすことが出来なからうと思って最高の位置にのぼってみても、高ければ高いほど不安であるのが常である。では、誰よりも下座の地位について、もうこれ以上は落ちようのない貧しい生活を送ったら不安がなからうと思って、乞食の生活を送ってみても、やはり不安は去るものではない。下座々々と心掛けても、一碗の食にありつくとき、尚、その一椀の食にすらありつき得ない同胞があることを思ったら、その一椀の食も安心して食べられないであらう。所詮は、高く上(のぼ)るも、低く下るも、比較上の世界に住む以上は、その人の心から不安が去らないのは当然である。

何故汝らは絕對の世界に住しないのであるか。目眩(めまぐる)しく回転する円周の世界を追い廻さないで、円の中心の世界に住しないのであるか。中心の世界に坐せば、上下左右天地四維(しい)のいづこに顕現するとも不安はないのである。『我れ神の子』の世界に住すれば、如何に高き位置につくとも高過ぎると云うこともなく、如何に低き位置につくとも穢されたと云う感じも屈辱の感じも受けるものではないのである。かくの如き『我れ神の子』の實相に参ぜしめ、無畏怖の境地に入らしめるのが本当の宗教である。

恐怖心を唆って遷善改過(せんぜんかいか)せしめるものは、それは一種の社会施設であり、刑務所であり、懲治場(ちょうちば)であって宗教ではないのである。宗教とは己が真性を自覚せしめ、上下左右天地四維いづれに動いても、いづれに置かれても、縛られない、恐れない、自由自在の『神の子』たる本姓を自覚せしめるものを云うのである。

汝ら恐怖の宗教に心せよ。神の子は、金剛不壊の実相身、無礙自在(むげじざい)の無罣礙身(むけいげしん)であるから、凡そ恐怖すべき何ものもないのである。恐怖を教えるものは迷を教へるものである。恐怖を唆るものは、迷を唆るものである。病気や天変地変や色々の災厄で恐怖を教へるものは人間の幸福が物質の増減で左右せられ、或は火に焼かれ、或は水に溺れるものだとの迷信に立脚して教をなすのであり、それを信ずる者は、それは信仰は信仰であっても、迷信に堕するものである。火にも焼けず水にも溺れず、天地四維上下左右いづれに置かれるも自由自在な人間の本性を信ずる信仰こそ本当の信仰である。    (昭和8年8月5日神示)

812SAKURA:2012/06/11(月) 21:45:39 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは
静かな流れの中の聖典でしょうか??久しぶりに訪れまして
人それぞれの捉え方を見ますとオモシロイですネ此処でも
類は友を呼ぶのでしょうか??さて・・・私の捉え方の解釈で今日もSTART!!

■【幸福を招く365章】
―――――自己の内に宿る神を自覚せよ―――――

あなたの中に「今」神が宿っているのであります。神の無限力があなたを支えて
いるのです。神の愛があなたを護っているのです。神の生命があなたに流れ込んで
あなたの生命となっているのです―――此の素晴らしい真理を目を瞑って、黙想
してごらんなさい。悦びがしみじみと内から湧いてまいります。どんな困難でも、
大問題でも、神にゆだねて解決しないと云うことはありません。
神と云うのは外にあるのではありません。あなたの内に宿っていられるのです。
あなたの肉体は神様のお宮なのです。「わが内に宿り給う無限力なる神よ、あなたは
常に私を導いてくださいます」と呼び掛けなさい。
あなたの肉体は神の宮であり、神の叡智の湧き出でるパイプであり、神の生命が
具体的に顕現するための自動的機構であります。その中に神は座しまして
あなたを導き、動かし、生かしていられるのです。あなたの肉体はあまりに完全
な自動的機構でありますから、それ自身、「我」の意識を有していて、時としては
内に宿りたまう神(これが本当の貴方自身です)の御意に背反するようなことを
行うことがあるものです。そう云うような時に、所謂る「我が出た」と云うことに
なるのでありまして、事物が調子よく行かぬようになったときにはよく反省して
神に懺悔し、神の御心に従って実践して行きますと万事よくなります。
あなたの内に宿り給う神は、常にあなたを内部から力づけ、善き想念を生み出し、
善き計画を思いつかせてい給うのであります。あなたの内に宿りたまう神は、
常にあなたに呼びかけて次のように云っておられるのです。
「わが愛する者よ、わたしはお前を愛している。わたしの愛を受けよ、そして
お前のハートを、全身を全霊をわたしにおくれ。わたしはお前と一体になり
たいのだよ」と何故あなたは、神様のこの尊き求愛を受けないのですか。
神の愛を受けて一体となるとき、貴方には何んでも貴方の欲するものを
得ることが出来るのです。神は無限の富者であるからであります。
                          (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

今日!久しぶりに【神様に導き給え〜〜〜】と、唱えまして“本”を開きますと!
〜〜〜アッ!!何と【心 の 法 則】なのです…。
まだ〜まだ〜足りない「精神面がある!」私自身にと、「自覚…」しましたが…><

そうです〜〜ネ!物事が思うようにいかない時は、私自身の“我”が
芽生え出しますのでしょうか?又“出た〜〜の”と【反省…】なのですが…?

此処「2チャンネル…」は本当に“我”の働きが強く出ていますでしょうか??
さて!!ここが“肝心…”ですかしら〜〜〜ン!

私自信を磨く“精神修行…場”と、この頃ようやく思えるようになりました。
本を開くと「神様の導き…」を〜〜♫〜〜更に!「暗示を下さいます」…。
本当に【感謝!感謝!なのです〜〜〜ョネ】…
そして【内なる神様】は、私の“心…”ですから、どんな状況でも必ず!必ず!
私を「いい方向に導いてくだる」のです。

しかも!【内なる神様】は、私自信ですから、正しい“理念”も植え付けて下さるのです。
■モット〜〜♫〜〜♫〜〜「神様…」に甘えて行こう〜〜〜!!
更に【神様に、全身全霊…集中!!して“神地一体”になった時、
必ずや・…私の「希望=夢」は“実現”です〜〜〜ネ!】

今日から【内なる自己の神様に“トレ−ニング”……start!!ダッシュ!!
■■「わが内に宿り給う無限力なる神よ、あなたは常に私を導いてくださいます」と…
神様への“メッセ−ジ”
                     
                                 再合掌

PS:トキ様へ
今日の言葉…私自身“全托”が出来ない時も〜つまり“我”が先に?“欲望”と
申しまっすかしら〜〜ン?優先してしまいます時があります。特に!精神的に
余裕がない時起きますのですが?
トキ様は、如何でしょうか?

813ハマナス:2012/06/11(月) 22:10:56 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。

来週は谷口雅春先生の二十七年祭が総本山でおこなわれます。
団体参拝でいらっしゃる教区もあると思います。その前まで、雨が降っていても、不思議に
お祭りの直前にうぐいすの美しい声とともに、雨が止みます。
今年も素晴らしい年祭であります事をお祈り申し上げます。

光明面のみを見る  (『新版 生活の智慧365章』P.173)

 事物の暗黒面を見てはならない。また他(ひと)の暗黒面を見てはならない。更にまた
自分の暗黒面をも見てはならない。暗黒面を見るとき、必ず自己の“心”の中に暗黒な事を
描くことになるのである。そして自己の“心”の中に描かれたものは必ず、いつかはその描か
れたる姿が現実化して自己の運命となったり、自己の境遇となったり、不測の災いとなったり
してあらわれて来るのである。


 暗黒面を見るかわりに事物の光明面を見よ。他の光明面を見よ、更にまた自己の光明面のみを見よ。
光明面を見るとき、光明面のみが“心”に描かれ、“心”に描かれたものが増大し、具体化し、
自分が一層明るい気持ちになり、運命が一層好転し、身辺に気持ちよきもののみが現れ、ついに
自己の住む世界が地上の天国浄土となるに至るのである。暗黒面を見るよりも、光明面を見る方が
余程楽であり、容易であり、気持ちがよいのに、何故多くの人々は光明面よりも暗黒面を見たがる
のであろうか。彼らは心の法則を知らないからである。

感謝合掌。

814HONNE:2012/06/11(月) 23:27:54 ID:jtmmmlXY
単純な質問です。

谷口雅春先生は、「諸悪の根源は現憲法」と仰った。
上記掲載の「光明面を見る」の引用は、「物事は正確に見て判断する」と
混同しているように私は考えますが、いかがでしょうか。
「物事は正確に見て判断する」ことは「暗黒面を見る」とは違うと考えます。
「諸悪の根源は現憲法」とすることが、「暗黒面を見る」ことにはならないでしょう?

815金木犀:2012/06/12(火) 08:04:41 ID:3iUAOjZ.
HONNE様

「諸悪の根源は現憲法」とすることが、「暗黒面を見る」ことにはならないというのは、
おっしゃる通りだと思います。
谷口雅春先生は、和解の倫理について、虚説に和解してはならぬと
仰せられています。汝の敵を愛せよといったイエスも、サタンに対しては
決して和解せず、その邪説に耳を傾けようとはしなかったと言われて、
このサタンとは、異端、邪説、妄説、妄想、雑念のことであると仰っています。
「ただ神のみ、ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、
ただこれのみに事(つか)うべし」ということであり、そのほかの妄説妄想には決して
和解してはならない、耳を傾けてはいけないとおっしゃって、かつて、
雅春先生の弟子で、新説を出して「真我も迷う」と言い出した人の説を、
雅春先生は、文章において、徹底的に排撃されたそうです。しかし、そのかたの実相は、
あくまで神の子で、完全であるとして、そのかたの行った公金横領などの罪は、
許されて、実相を観られたということです。
そして、和解とは実相に対して和解することであり、
皆さんも虚説は、徹底的に排撃してくださいとおっしゃっています。

この日本国憲法というものは、唯物的肉体的な考えに基づいて民主主義が語られており、
基本的人権も、その人権が、実相の人間ではなく、唯物論的な人間の人権であり、国家観も
雅春先生が説かれるような生命体国家としての国家ではなく、部分としての個人が集まって
国家という全体が出来上がったとする、組合的国家観であり、日本国家の実相を現していない
憲法であり、唯物論憲法です。
雅春先生は、虚説の中で、最大の虚説は「物質はある」という見解だと仰っていますから、
この憲法がひとつの大きな虚説であることは確かであり、だからこそ「諸悪の根源」となって
いるのだと思います。
この虚説である日本国憲法を破棄して、神話研究など、日本というものを真剣に研究した井上毅が
起草した大日本帝国憲法こそ、実相の観点で書かれた憲法であると思います。

憲法のことが中心の話になり、申し訳ありませんでした。

816SAKURA:2012/06/12(火) 22:37:55 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。
どのような状況でも…どのような環境でも…【真理をつかむ事…】???
『マザ−テレサ』も“祈り”に徹する…最後!に【ゴ−ル!】でしょうか??

■今日も【SAKURA】は【GOAL…】に向かい“一直線…”
そうなのです〜〜ョネ!!【明日に架ける…一本道…GOAL!】なのです…。

■【幸福を招く365章】
―――――呟けば病気となり感謝すれば治る――――

呟くかわりに感謝することです。万物に感謝することをもって新生活を
始めようではありませんか。同じものでも不平をもって受取っては、自分自身の
心も苦しいではありませんか。同じものでも感謝して受取れば、苦痛が苦痛で
無くなり、困難が困難で無くなるのです。和歌山の講習会で川上喜一氏と云われる
元海軍将校が終戦後内地に帰還して見ると、国内の状態は見るに耐えない有様なので
それに対して不平不満の心ばかりを起していたら、全身が硬直して全然板のように
棒のようになっていて一寸も動かない病気に罹った体験談をなさいました。
阪大病院で診て貰ったが全然治療法がない。その時、和歌山県の生長の家連合会長
藤田氏に触れて毎晩『甘露の法雨』を読むことと、『有りがとうございます』を
一日一万編となえて感謝の念を起すことを勧められた。さて手が動かないので
『有りがとうございます』を何遍となえたかをどうして教えようかと思って、
天井の羽目板の木目で心覚えをして其の言葉を心で唱えていたのです。
すると、自分の子供が二個の熟した柿の実を樹からもいで来て、「お父さんこれを
おあがり」と云って懐に入れてくれた。その時、無性にありがたい感じが起って
思わず、自分の手の胸の上へあげて合掌した。その時はじめて手が動きだした
ことが分かり、やがて、全身が自由に動き出したのである。
                         (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■ネガティブ感情「呟く…」前に【感謝!感謝!】なのです〜〜〜〜〜〜〜ネ!
今日は、早速“呟き悲しむ状態”に、陥りそうになりましたが……><
このような“心境”こそ、私の“精神”を高める為の【原動力…パワ−】でしょうか?
その様に思いますと……
“心”を静めて「神の叡智」に〜〜〜【祈る!】
そうなのですョ〜〜〜ネ!
【一心に“神の御心”に、そうように“祈る!”…】と?
自ずから“答え給う”…“神の提示”を頂けるように思えました…。

そして【感謝!感謝!…】の“心”の訓練は、勿論!
「生長の家」では、伝統的な「御教えの一つ」でもありますが……!

■【感謝!】が生みだす“原動力=パワ−”は、私の“エネルギ−”です〜〜ネ!
そして【感謝=愛!!!】でしょうかしら〜〜〜ン?

今日も、こうして「パソコン」に向かい“KEY”を打つ事ができます事に【感謝…!】
更に!投稿者の皆様のいろんな考え方・思考を教えて頂きまして【感謝!・感謝!】

そうなのですョ〜〜ネ!
■■【感謝!】から〜〜〜“私の生命(いのち)”がほとばしるように…
滔々と“川の流れ〜♫〜”のように“アイデアの源泉”が湧き出でて参ります“モノ”

今!【感謝!】此のポジティブなる素晴らしい〜〜“感情”から〜〜
“身体が軽く〜〜軽く〜〜♫”なりました。ありがとうございます…。
【賛歌の合唱です〜〜♫〜〜 “感謝の言葉”】

■ ■すべての言葉のしめくくり〜〜♫〜〜【ありがとうございます…感謝の言葉】
                             
 再合掌

PS:トキ様へ…今日の「雅春先生の言葉」に関しましてどのように受け止められ
ましたでしょうか?“アドバイス”頂きますと幸いです…。

817ハマナス:2012/06/13(水) 00:07:33 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま、金木犀様、
こんばんは。
HONNE様のご質問に対する、素晴らしいご返答をありがとうございました。

汝の信ずる如く汝になれ (『新版 生活の智慧365章』P.176)

 心に描くものが形にあらわれ、心に信ずる如くその人は成るのでる。これが釈尊のお説きになった
“三界唯心”の真理であり、キリストがお説きになった「汝の信ずる如く汝になれ」の真理である。

若し面白くない事件が過去の暗い想念の具象化としてあなたの周囲に起こったとしても、その時、
自分の心を暗黒の方向に下降せしめて暗い失望落胆の境地に陥れてはならないのである。若し暗い
失望落胆の谷底にあなたの心が堕ちるならば、折角、暗黒の後に光明が訪れて来ようとしている時に
その光の流れを堰き止めてしまう事になるのである。

 暗黒が現象世界にあらわれて来るのは、過去の暗黒な想念の貯蓄が、窓口から現象界に払い戻されて、
「暗黒の貯蓄」の残額が少なくなりつつあるのだということを充分知って、もう「暗黒の貯蓄」は払い
戻されたのだから、今後は決して「暗黒」なことは出て来ないということを知り、心を一転して光明面
に転ずる習慣をつけましょう。習慣は第二の天性となり、今後は常に幸福が訪れましょう。 

感謝合掌

818金木犀:2012/06/13(水) 00:34:27 ID:3iUAOjZ.
ハマナス様

うっかり、現憲法という言葉に反応して、差し出がましいコメントを
書いてしまいましたが、そのように仰って頂き、有難くうれしく感じます。
いつも謹写されている真理の言葉から差してくる光明に、はっとして暖かくなります。

819HONNE:2012/06/13(水) 11:22:36 ID:jtmmmlXY
生長の家の人の感覚は、一般常識人からズレているのではないかと思います。
間違った事、又は不適正な事を指摘すると「暗黒面を見るな」と言う。
誰がこの中に「暗黒面」を見ているにでしょうか? 生長の家の人だけではないでしょうか?
指摘した人は「暗黒面」など見ていません。「善」の実現のため指摘しているだけなのです。
私が投稿した№814の趣旨がうまく伝わっていないように感じます。
「光明面を見る」ということについて、私は考えます。
誰かが私の行動について間違いを指摘しました。その指摘が当たっているなら、私は指摘した人に対して
感謝し、善き結果を得るよう行動を改めます。その指摘に不満なら、お互いに納得できるように話し合います。
未来がマイナス(思考)にならないようにすることが「光明面を見る」ことなのだと私は思います。

820金木犀:2012/06/13(水) 16:36:14 ID:3iUAOjZ.
HONNE様

何となくあなたの御投稿の主旨からずれたような気がしましたが、
そのまま投稿してしまい、憲法の話のようになり申し訳ありませんでした。

正しい指摘が、暗黒面を見ることにならないとおっしゃることはその通りだと思います。

821金木犀:2012/06/13(水) 18:39:46 ID:3iUAOjZ.
HONNE様

>>820のように言いましたが、
その人の実相の完全円満さを見るということが常に伴っているならば、指摘するのも
指摘しないのも、ケースバイケースだと思います。
でも、基本的には、仰るとおりでいいのではないでしょうか。

822うのはな:2012/06/13(水) 21:02:00 ID:gTn97m6I
智慧の言葉 (新編 聖光録)

○ 意志の力よりも想像の力の方が強い。想像力は創造力だ。

○ みずから起て。自分の弱さを語るな。自分の弱さは語るほど自分を弱める。

○ 人は自分と同じ者を相手に見出す。あらゆる場合において、人は相手そのものを
  見るのではない。自分の心を相手という鏡にうつして見るのである。

○ もっと奥深い「生命」まで突っ込んで行け。奥の奥、裏の裏にある生命を見よ。

○ 愛でひとを世話する人もあるが、誇りでひとを世話する人もある。前者は神の前で
  高くせられ後者は神の前で低くせられる。

○ 世話したい人には素直に世話してもらって感謝し、世話されて余裕のある人は、また
  助けを呼んでいるものを世話してあげよ。これが愛の巡環であり、報恩の道である。

823SAKURA:2012/06/13(水) 21:53:03 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

■「生命の実相」より一部抜粋

厳として今ここに、実相の浄土が存在するのであって、その実相円満完全の表面
に、心頭滅却したり、心境を一変したり、向下したり、向上したり、劫火が燃えていたり、
原子爆弾が爆発したり、衆生阿鼻叫喚につつまれていても、それは玲瓏円月上の身雲が
描く陰影にすぎないのである。病気もまた、一片の浮雲にすぎない。
三省して自己の実相の円満完全さを見よだ。


「生命の実相」より抜粋です!!!      谷口雅春著

              <つづく>

■別の「ボ−ド」では”やくざみたいな方の文章??”拝読していますと…
まるで”現象で物事”を、語られています…。
【現実=現象】で見るのではなくて【実相=心の目】で見る事でしょうか??

これって?とても〜とても〜♫〜大事なのではないかしら〜〜ン?
先ず【心の法則】にもとずく”エクササイズ!!”をしてまいりますと…
全て!整っていくようで〜〜〜す。当時の私は【現象で物事】を考える…
そうです〜〜ネ!「タタキ男…」に振り回されてしまいました”結果”は?
「聴覚喪失…」となります結果に…><
モット〜モット〜【心の法則…】を、しっかり〜〜【心の中に根ずかせて…】!!
いましたら、きっと!!「聴覚喪失」までには、至らなかった事でしょう!!

■■”心を駆使”できる人は【心の王国…ですから、絶対の『君臨…王者』】です…。

                            再合掌

824みすまる:2012/06/13(水) 22:21:35 ID:GpLjp1XI
ハマナスさま

800のご文章大変心に染み入りました。
反省と学びの機会を与えて頂いてありがとうございます。

合掌

825HONNE:2012/06/13(水) 22:26:53 ID:jtmmmlXY
本スレッドには適さない事かもしれません。
人間というものは、善に向かう行動しかとれないと思います。
自分が楽しくなりたい、幸せになりたいという思いが第一義だと思う。
ただ、ここに欠落するのは『自分以外の者(他者)』だ。
想像するに、雅宣総裁も自分にやりたい事が第一義として、
創始者である雅春先生の思いに優先させている事が混乱の原因だと思う。

さて、指摘という行為も善に向かう行動といえる。
特に自分に関わるような問題が発生した場合は、一刻も早く解決したいというのが一般的で
あろうと思うし、その解決手段として原因がどこにあるのか、何なのかを指摘することはある。
一方、「時間が解決する」という事もあり、何も対応策を取らない事もある。
この場合は、問題を持つ当事者間に解決のための時間的緊急性はないと思われる。

826ハマナス:2012/06/13(水) 23:43:39 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。

宇宙の本源に無限智がある  (『新版 生活の智慧365章』P.177)

 宇宙の最始元には、物質はまだ存在しなかった。真空よりして物質が発生するその過程は
今でも見ることができるのである。宇宙最始元の其処は、星と星との間の空間のように真空で
あったのである。その真空の中に極めて微量の水素がつくられつつあり、それが、宇宙雲として
観測せられるのである。その水素は微量であるが、宇宙空間は広いのであるから総計すれば随分
多量に上り、それが集団して天体を形成したのだと天文物理学者は説明する。

 そうして出来上がった天体上に無数の生物が生れたが、その生物の微妙精緻な構造は、偶然に
物質が集合して出来たというにしては余りにも精巧複雑であり、人間が脳髄の知識などでは到底
製造できない極めて高度の知性の表現であるのである。即ち宇宙は「真空」を素材として、高度
の知性によって一切を現したものだということができるのである。鉱物の結晶から人体の組織に
至るまで色々の形、構造、組織等悉く人知の及ぶことのできない智慧によって設計されている
ことを思うとき、どうしても宇宙の本源に無限智の神を認めずにはいられないのである。

感謝合掌

827ハマナス:2012/06/13(水) 23:59:08 ID:u5mC.eb2

みすまる様
 
暖かいお言葉をありがとうございます。励まされます。
私も謹写しながら、自分にぴったりのご文章だなと思うことが度々、あります。
素晴らしい聖典を通して真理を教えて下さいました生長の家と、雅春先生とに感謝します。

感謝合掌

828金木犀:2012/06/14(木) 08:24:37 ID:cOQV.ogI
HONNE 様の問いかけられた問題に、少なからず関係ある気がするので、
本流掲示板の伝統様のスレッドにありました尊師の真理の言葉を転載致します。

日時:2012年06月02日 (土) 05時07分
名前:伝統


     *『光明道中記(六月 神にむすばる)』より

六月ニ日  恐れずに所信を貫く日

 【闇に対しては光をもって相対せよ。
  非実在を滅するものは実在のほかに在(あ)らざるなり。(『甘露の法雨』)】


悪は無いと云うことと、悪を征服することとの問題が時々混同せられる。
彼らは悪が有(あ)るからこそ征服しなければならぬのではないかと言う。

併し私に言わせれば、悪は無いからこそ征服し得るのである。
暗は無いからこそ光によって征服し得るかのようにである。

光が如何にして暗を征服するかの過程をよく眺(なが)める時、
吾等は教えられるところが非常に沢山あることを発見する。

光は暗をみとめてその進軍を遠慮すると云うことはない。
光は驀(まっしぐ)らに暗に向かって進むのである。
光が暗に向かって進軍するとき暗は消える。

進軍は行(ぎょう)である。

「本来『悪』無し」とは、悪に対して卑怯にも眼を閉じて、
「悪」を見ることを避け、それに触れることを避けて、
「触らぬ神に祟りなし」式に行動することではない。

「悪」をその眼の中に直視するのである。
偽存在(にせもの)はその眼をじっと視詰(みつ)められると、裁判官の前に
引き出された罪人のように眼を外(そ)らして、其処にいたたまらなくなるであろう。

光に視詰められるとき暗は消えるのであって、
暗を消す方法は、暗なんてどうせ無いのだからとて
灯(あかり)を点(とも)さないことではない。

829HONNE:2012/06/14(木) 19:41:16 ID:jtmmmlXY
闇に対しては光をもって相対せよ。

闇というものは本来存在しません。それは光が当たっていないだけです。
あらゆる角度から光を当てれば、影(闇)はなくなります。

指摘のいうものは、光はどこにあるのか、どこに光を当てれば影が無くなるのかという
いわば気付きのための助言のようなものです。
ものの見方を変えれば、あらゆる事象の中に光を見出せます。ありがとうございます。

830SAKURA:2012/06/15(金) 00:19:42 ID:L/SSPPk2

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

「真理の言葉」は、矢張り【心の探究…書物】に、限ります〜〜〜ョネ!
その「秘訣」は、【真理の本を読む事!更に…毎日がグッド!デ―!】でしょう?
では【心の世界…に“START “〜〜〜♫】

■【栄える生活365章】
――――困難に遭って――――

落葉したときに、その木は委縮したのではなく、年輪をきざみつつ、
その木質は堅緻となる。而して来春の花のために準備がすすめられつつあるのである。
それと同じく、人間も失敗したように見え、行き詰ったように見え、
足ぶみしたように見えるときに、その魂は進歩しつつあるのである。
外に見えるものだけで自分の運命を判断してはならないし、自分を不幸だなと
考えてはならないのである。一長一弛のうちに生命は進歩し、
内在の無限の美と力とを一層より多く展開して行きつつあるのである。
砂の上に建てられた楼閣は崩れ易いけれども、色々の困難によって
搗きかためられた地盤の上に建てられた楼閣は、地震が来ても、大風が来ても
崩れるということはないのである。いつも伸びてばかりいる草木
はウドの大木の如く、堅緻さを失って、早く腐敗してしまうのである。
よくよくこの理を考うべきである。
                       (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■ 今!まさに「現象…」で見ている世界に【意気消沈…><】……ダウン!ダウン!
その様に見えました時は,

わたしの“心は曇り空”でしょうか〜〜〜?
この様な時こそ【祈りが一番…】なのです〜〜〜モノ!!
そして【魂の生長(成長)?】を、前以上に高めてゆけますから、当に!今の現状は、
【魂の進歩の過程〜〜!】なわけなのですョ〜〜〜ネ!

こんな時こそ〜♫〜どんな時こそ〜♫〜【自分に誇り…】に思う様に…
【心の世界を広げる!】時なのです〜〜〜ョネ!

■通じない“相手”と話す場合は、本当に〜〜〜〜〜 ><
【出口が〜〜〜なくなる〜〜〜><】と聞きましたが…
当に、今日はそれを【体験…】…今の私は〜〜〜【ストップ!モ−ション!!】
その様な時こそ…ひたすら【神にゆだねます…!】といいです〜ネ!!

■■【ウドの大木の如く、堅緻さを失って、早く腐敗してしまうのである】
当に“当たり〜☆☆☆☆☆ 5つです!!”その様に、本日は思いました…。
■【意味のない会話】【上げ足を取る事】しかできない人は〜〜〜><
そう言いますと…此処“九州…?”は、多いですかしら〜〜ン?
【上げ足…取るマン?ウ−マン?連合会】でしょうか??
全くいつまでも、伸び〜〜伸び〜〜しています【草木…】と一緒です〜〜〜ネ!
「だらだら会話」でしょうか??それとも「根なし草…」と云います言葉が、
一番適しておりますでしょうか??
この様に思いました私は…【一歩引く事…!】と判断いたしましたが??

■どんな状態でも、私の「思考」は崩さずに、更に!「精神は揺るがない心」を、
植え付ける様に…今日は一つ勉強になりました…。ありがとうございます…。

■■【魂の修行】をしてきました〜〜〜ルンルン〜〜〜♫〜〜〜が??
まだ!まだ!見えない【心の世界の法則…】に、見えを張らず…
“地”に“足”をつけて〜〜〜【実相世界…】に、当に【突入〜〜〜なのです。】

                            再合掌
PS:トキ様
本日の【言葉…】にて理解しましたのが「ウドの大木」……
この言葉の表現…「雅春先生」はすごいです〜〜〜ネ!本日の“言葉”?
どの様に捉えられましたでしょうか…??

831ハマナス:2012/06/15(金) 01:02:13 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。
『生命の實相』の第14巻にHONNNE様のご質問に関するご文章がありましたので、
謹写させて頂きます。

現実の悪はどう改善するか  (『生命の實相』第14巻 P.108〜P.111)

 しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。「悪」をそのまま
放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらさないでもよいもので
しょうかとは、わたしがしばしば質問を受けることであります。しかしわれわれは「悪」に
執着しないでも「悪」を改めしめることは可能であるのであります。それが「悪」であると
われわれが知るのは、そこに「善」が無いということであって、悪が積極的にあるという
ことではないのです。――これは実に大切なる真理であります。「悪」は無でありますから、
「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、
さらに理想化してどこまでも無限に相手を高め上げてゆくことにすればよいのであります。
どこまでも人間を理想化して眺めても、人間は理想化しすぎるということはありません。
なぜなら人間の実相は神の子であり無限に善さを備えているからであります。

 およそ相手を善くするには自身を良くすることが第一であります。自身が良くならないのに
相手をよくなしうるということは困難であります。そしておよそ自身をよくするための方法は、
自分の心の中に光明の精神波動を照り輝かすことであります。自分の心の中に光明の
精神波動が波立っているときその人は善き人であり、自分の心の中に光明の精神波動が
波立っていないとき、暗黒の思念が押しかぶさっているとき、その人は悪しき人なのであります。
人の欠点を見るとき、その欠点に自分の心が捉(とら)われ、それをとやかく言挙げするとき
自分の心の中には暗黒の思念が波打たずにはいないでしょう。「暗黒の思念」は決して相手を
良化することはできないのです。良人(夫)を良くしてやろうと思って小言をいう細君が良人を
ますます悪くするのは、細君の心の中に「暗黒」の思念が波打っているからであります。細君を
良くしてやろうと思って叱りつける良人が細君を良化しえないのも、細君を叱るときの良人の心
には「暗黒の思念」が波打っているからであります。相手を良化しようと思うならば、先ず自分
の心の中から「暗黒の思念」を除去(とりさ)らなければならない。まず自分自身を、「光明思念」
でみたさなければならない――換言すれば、相手の悪を見るような心になってはならないのです。
結局相手の悪を見ないで実相を見る心にならなければならないのであります。ここにこそ自分
自身が光明化し、さればこそまた相手が光明化してくる可能性があるのであります。

(つづきます)

832ハマナス:2012/06/15(金) 01:06:23 ID:0kyCzJg6

(つづきです。)

 「われらが何人に対してでも相手の実相を見るようにするとき、われらは相手と調和するよう
になってくるのであります。実相においてはわれらは本来自他一体であるからである。調和し
ないで反目し相争うのは実相を見ないからであります。妻は良人の実相の円満完全なる姿を見る
ようにするとき良人と完全に調和してしまうのです。親は子の実相を、子は親の実相を見、執着
の念を捨て、神の完全な護りのうちにあることを信じて、相手を神にまかせ預けるとき、親子は
調和したものとなってしまうのです。そしてその家庭は幸福の家と化し天国浄土となってしまう
のであります。

 諸君よ、どれだけでも自分の妻を無限によい妻だと思い、自分の良人を無限によい良人だと思い、
自分の親を無限によい親だと思い、自分の子を無限によい子だと思え。善く思いすごすことに遠慮
するな。どれほど諸君は自分の家庭を理想化して考えてみても考えすぎるということはないので
あります。この行事を毎日続けよ。諸君の親は、諸君の良人は、諸君の妻は、諸君の子供は日増し
にその理想に近づいてくるでありましょう。進歩は絶えず継続する。そして歓びに満たされた
家庭は出現する。家族の各員たち互いに相手を理想化して眺める行事にもまして尊い行事はない
のであります。

感謝合掌

833金木犀:2012/06/15(金) 06:39:32 ID:cOQV.ogI
ハマナス様

いつも本当に素晴らしい御文章を謹写されますことを、感謝致します。
心に響くような感じで拝読しました。有難うございます。

834SAKURA:2012/06/15(金) 21:20:05 ID:V.pKl3yA
トキ様へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
今日も、いつものように“本”を……開きます。
正直、以前は【栄える365章…】を日々読んでいましたが…… ><
現在の私は【幸福を招く365章…】を、中心に“日々拝読”しています…。
この本は「亡き母」が、生前使用していました“モノ”なのです…。
所々に“赤いボ−ダ−ライン”が、入っています…。「亡き母」の字が…><
無くなる!“3年前の字体”なのでしょうか??
よ〜〜く見ますと“字体”が、くずれてきた様な感じで…
ふと!「亡き母」の…若い頃の“字体”を思い出しながら〜「きれいな字」でしたが?

■【幸福を招く365章】
――――人間の本質は健康である―――――

神の子は、その本質に於て神と同質であり、神の美と健康と一切の宜しさとを
表現せるものであるのである。神の自己表現であるところの自分が不完全で
あったり、不健康であったりする筈はないのである。神の完全さはその無限の力を
もって、視えざる世界から絶えず間断なく見える世界へと表現すべく押し迫って
来ているのであるから人間がその力にまかせ切るとき不健全などになりようは
ないのである。若し神の完全さがあらわれないならば、それは、神に委せ切らず、
神の生命の流れ入るのに素直にならず、我の働きが神の波長に合わなかった
結果にほかならないのであります。我によって「癒ろう、癒ろう」と力むことは
却って神の癒す力の流通露を妨げることになるのである。自分を捨てよ
「ままよと云う心にならねばお陰は得られぬ」と金光教祖もいっている。
                           (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■まだ!まだ!「神様は遠くにいるような気持ち??」になる事が、しばしばですが??
このような時は、まだ「神様に甘えていない私?」なのです〜〜ョネ!
更に!もっと掘り下げますと…「まかせ切れていない“私”なのかも?」
その様に、思ってしまいます…。

■今日の言葉から“現在の境遇”に、もう〜〜〜“アキラメ気分”の私が
チョッピリ“心”の隙間にもたげだした事に…気づき出しました…。

■時間のたつのは??速いものでしょう〜〜〜か?「此処4年目…」に入りまして、
どうしても【自由…!】が〜〜〜><と云う感じで
毎日!毎日!絶え間なく「監視されているの〜〜〜?」
その様な気分に陥りやすいのですが…全く!此処30年間近く“接点”のない人物が…
他人の【プライバシ−に土足で入り込む…】つまりは【監視…】です…。
勿論!【行動も全て監視…状態】に、されているとの“判断”しましたのが…
そうです〰〜ネ!【3年前…】でしょうか〜〜〜?
思い出しますが…「3年前…東京の美容院」に参りました時も…“娘”に…??
でしたかしら〜〜〜ン!!

■まだ「神様に…私は完全に全托?出来ていないのでしょう〜〜か?」と…
今日、つくづく思いました。もう一度「神様に甘えるように」すがって
【祈り…】に徹してみようと…そうなのですョ〜ネ!
「今日から〜〜再スタ−ト」
東京在中の時は、いろんな【奇蹟…】がありまして【祈り…】もそれなりに〜ですが…

■■今の私達は、まだ〜まだ〜【現象で物事を判断している】と自覚しました。
「梅雨に入り」このような時こそ…【ボディティブにて祈り】…との思いにて、
【神様に…全てを“おまかせ主義”…】委ねて行きま〜〜〜す。

                                    再合掌
PS:
トキ様へ…「神の子」この自覚が…本当に出来る方は少ないものと思います…。
此の点は?どう思われますか…?(難しい時がありますのですが〜〜)
「雅春先生の書物」の中からの抜粋…当に“その人の心の影…”と申しますか・
都合のいい解釈論での抜粋になりますかしら〜〜ン!
いつも「祈り…」にて、“本”を開きますと…不思議なのですが??“ピッタリ”
これも?【神様におまかせ?】ウフフ?
本当の「神の子…の自覚」これは…『父上様である我が神…』に全て委せ切る…
これが何処まで出来ますかと云うことが…“課題”なのでしょうか?

835HONNE:2012/06/15(金) 21:52:22 ID:jtmmmlXY
私の問いかけに関して、雅春先生の文章が掲載されました。ありがとうございます。
さて本題なのですが、
掲載された雅春先生の文章と、雅春先生が「諸悪の根源は現憲法である」として
『明治憲法復元』の主張及び運動したこととの整合性を説明してもらえないでしょうか。

836ハマナス:2012/06/16(土) 00:40:21 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。
金木犀さま
ありがたいお言葉を恐れ入ります。

想念は万物の創造者  (『新版 生活の智慧365章』P.178)

 原子は無論肉眼には見えないし、顕微鏡下にも殆ど見えないほどの微小なるものである。
この極小の中に驚くべきエネルギーが詰め込まれていて、そのエネルギーの扉を開くとき
巨大な動力又は爆発力を得ることができる事は既に何人もよく知る通りである。単に物質の
微小体だと思われていたところのものが、実は“原子の扉”を開いてみるとき、原子全体が
驚くべきエネルギーの宝庫であり、物質とは実はエネルギーの圧縮された塊であったことが
判るのである。宇宙は実にエネルギーが法則によって、無相より無限の相(すがた)に色々
と姿を変えてあらわれているものであることが判明したのである。

 神はどんな微小体にも秘められている此の無限に巨大なるエネルギーをば、如何なる手段
によって変形して、この宇宙を、天体を、万物を造ったのであろうか。宇宙の最始元には
如何なる物資的道具も機械も無いのである。神はただ“心”によって創造するほかに方法を
もたなかった。即ち神の“心”は唯“想念”することによって万物を想像したのである。

感謝合掌

837金木犀:2012/06/16(土) 00:45:58 ID:3HEelJFk
HONNE様

私は>>819で、あなたが憲法に関しては、ただ例としてあげられただけで、
暗黒面を指摘するという事の意味を、問題にされているのかと思いました。

とはいえ、憲法問題が主旨であられたとしても、この伝統様の引用された御文章は
憲法にも当てはまると考えます。
私は、現憲法は、諸悪の根元ですから、本来無いものであると
思います。だから>>828での文章のように、しっかりと見つめてその正体を見れば、
この憲法が、本当は正しい手続きによらないで成立させられたもの、日本の国体を表してないもの、
そういった様々な矛盾が暴露されてくるという意味にとりました。
だからこそ、この憲法をしっかりと見つめてこの憲法の正体を国民の前に暴くことが
必要であり、石原都知事はその一石を投じられたと評価します。そして、本来あるべきでないものとして、
破棄されるべきであると考えます。

もっとも運動論方法論は、あなたの仰るように、運動しながら、それを分析しては、
工夫を凝らして発展させてより良くしていくべきと思います。
運動や方法の結果分析を、暗黒面を見るといって拒否する人がいるとは思えませんが。
また憲法が悪いと知った人が、憲法が間違っているといった人を、
暗黒面を見ていると批判するとは考えられない気がします。

838金木犀:2012/06/16(土) 01:35:44 ID:3HEelJFk
HONNE様

今最初のご質問の部分を見なおしまして、物事を正確に見ることは暗黒面を見ることにはならないと仰ったことについて、
それはそのとおりですが、物事を正確に見た上で、悪は無いと否定することが、暗黒面を見ないということだと思います。
また、人間のような人格を見る場合と憲法のような、理念そのもののようなものを見る場合は違うと思います。

人間は表面の現象がどんなに悪く現れていても、その実相は神の子で完全円満であると教えられました。
だから、表面の現象の奥にある実相を見ることをまず行わなくては、その現象の間違っていることをいくら指摘しても、
それは時には素直に受け入れられる場合もあり、時には反発されることもあると思います。
これは実相を見て、本来善であり、悪はないと否定するときに、
その人の素直さが現われて、指摘したことをすぐに受け入れてくれることもあるでしょうし、
間違った部分を指摘しないで、良いところを逆に指摘したほうが、
かえって良いところが伸びることによって悪いところが改善されることもあると思います。
実相を見ないで、間違っているところを指摘しただけでは、
感謝して受け入れる人もあるかも知れませんが、
反発して激怒する人もあると思います。

それから憲法は、基本法という理念そのものですから、その理念が間違っていれば、(理念というべきかわかりませんが)
これは良くなりようがないのですから、完全に悪として拒否しなくてはならないものだと思います。
妄念、妄説、虚説に相当するものだと思います。

あなたの問いかけがハマナス様への問いかけだったのかも知れませんが、
一応私としても答えさせて頂きました。余計なことだったらすみません。

839ハマナス:2012/06/16(土) 23:52:54 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

全ては想念の具象化  (『新版 生活の智慧365章』P.179)

 人間は神の生命を宿し生まれた。(実は神の他に生命の根源はないのだが)そして、神の生命は
心に“想念”を思い浮かべる事によって万物を想像したのである。そうすれば神の生命を宿し生れた
人間もまた想念によって万物を想像することができる筈である。実際、一切の発明も、設計も、機械
も、建築も、文学も、美術も、彫刻も、政治も、戦争も、平和も、悉く、もとは“想念”として心に
思い浮かべられたものが具体化したのである。

 では、あなたの“想念”に暗黒な事を描くな。あなたの“想念”に唯光明のみを描けよ。あなたは
神の如く、“想念”によって万物を造る。殊更に、“想念”に暗黒を描いて暗黒なものを作る必要は
ないではないか。あなたは“想う”という過程を通して、常に間断なく“何ものか”(あなたの想う
もの)を形の世界にあらわすべくその要素を引き寄せつつあるのである。あなたの“心”はラジオ派
のように宇宙にひろがる。そして肉眼に見えない処のものを動かして引き寄せつつあるのである。

感謝合掌

840HONNE:2012/06/17(日) 19:40:25 ID:jtmmmlXY
ハマナスさんの投稿意図とは全く違う事とは思いますが、私の勝手な解釈から考えてみました。
指摘という行為の前に、「“想念”に暗黒な事を描くな。」を思う人もいるのではないか。
コレは妙な事だ。
「光明面を見よ」の生活を提唱しながら、指摘という行為の中に
「“想念”に【暗黒】な事を描くな。」という【暗黒】を見出す事に躍起になっているように思える。
「光明面を見よ」という人が、【暗黒】に対してこだわるというのか、通常以上に反応することには滑稽に見える。
ひょっとして、光明面を見る人は、暗黒を探すのが好きなのだろうか?

841HONNE:2012/06/17(日) 19:51:29 ID:jtmmmlXY
補筆

「本音を見透かれる」ということがすべての人に適用されるのなら、
人はもっと純粋に生きることができるのかもしれない。
この世ではないけれど、そのような世界もあるそうだ。

842SAKURA:2012/06/17(日) 22:48:28 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
「本格的?梅雨…」に入り“湿っぽい空気が部屋の中に?充満”でしょうか?
“雨ふり〜〜のこの頃”ちょっと“見方”の角度を変えてみますと〜〜?
“楽しい雨〜〜”になります〜〜ネ!

もう何十年ぶりでしょうか?「学生時代」からでしょうか〜〜〜?
先日「素敵な雨用の靴…ハ―フ靴」を見つけました。
今!その品物が来ますのが〜〜〜“楽しく!ルン〜♫ルン〜♫”です…。
意外にも、これだけの些細な事でも、何となく〜〜随分“気持ちの変化!”が…
通勤時の『カラフルな雨傘…雨用の靴…』  ウフフ!
さて!! 今日も【楽しい心のペ−ジ】を…もっと“心の探求心”も出来ますように!

■【幸福を招く365章】
――――難問題は神様に委ねること――――

事態が紛糾して来て解決がつかなくなったと思われるような時に直面したならば、
その時に必要なのは、取越苦労でもなければ、とつおいつの思案でもない。
あらゆる人間智を捨ててしまって、神の智慧を呼び出すのが解決の早道である。
心が転倒したり、腹が立ったり、恐怖したりした瞬間に、カッとなって物事を
断行してはならないのである。そんな時に必要なことは唯一つ、心を平和にして、
難問題を神様の肩の上に委ねることである。それには
(一)先ず取越苦労をやめる。
(二)必ず良き解決の道があることを信ずる。そして「わが内に宿りたまう神、
無限の智慧をもってすべての人に最もよいように問題を解決し給う」と
繰返して念ずることである。
                   (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■【問題?】…そうなのです【難問題は神に委ねる事…】でしょうか〜〜〜?
幾ら、「心をイメ−ジ」してみましても…『現象』で物事を見て行きやすいです〜〜ネ!
そんな時は、やはり“目”を閉じて…私の“心の奥殿”に入り“対面”でしょうか???

ア〜〜〜ッ!時間が〜〜〜 ><その様な“云い訳…”タブ−でしょうかしら〜〜ン!
「わずらしくても、ちょっと“5分…10分間”…心の“目”を…
目を瞑る「イメ―ジ」するだけでも…『現象的な判断が消え』去って行っていますし、
更に!もっと深い“内容”でしたら…これは?そうですョ〜〜ネ!

■【神想観=瞑想…】でしょう〜〜〜か???神様への“メッセ―ジ”

なのに不思議と【現象的=現実的】に見てしまいますし“理性”で判断しがちですが…
今後!気軽に【祈り…】です〜〜〜ョネ!
【祈り=神=潜在意識に突入=イメージ物事の解決】なのでしょうか???

今日は、出勤前に「軽い神想観」をしましたが…意外!にも“スム−ズ”に…
何とな〜〜く?何とな〜〜く?身体が軽く…物事がうまく行きましたようなのです。

更に「今日の言葉」より【難問題は全て神に委ねますし、取越苦労は私には不必要】と…!
今日の言葉より【2項目の言葉…実行するのみでしょう…唯今!進行形…です!!】

                                  再合掌

トキ様へ…
今日の言葉…『取越苦労』…どうかしますと“ネガティブ感情”の時は、
ついつい〜〜この事が、もたげてしまいます事が〜〜〜>< 度々??
トキ様は、この経験はあられますでしょうか??
今の私は!その「気づき」の時点で、全く関係のない事を…考えるようにしています。

843ハマナス:2012/06/17(日) 23:44:57 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。今日は原宿の本部でも、谷口雅春先生の27年祭が厳かに行われました。
雅春先生のCDを拝聴し、その中で聖経『甘露の法雨』の由来をお話しされていました。


神意の実現者たれ (『新版 生活の智慧365章』P.180)

 吾々が植物の種を蒔く。植物は発芽し生長し、花を開き、実を結ぶ。この微妙にして
神秘なる働きと機構と過程とは、どんな“電子計算機”でも出来ることではないのである。
人知の最高を尽くした“電子計算機”も一個の小さき植物の種子に及ぶことはできない
のである。人間はもっと謙虚に大自然の智慧の前に跪(ひざまず)いて、神からの智慧を
受けるようにしなければならないのである。
 
 医師は傷口に消毒薬を塗って繃帯(ほうたい)する。繃帯も消毒薬も、新しき肉芽と
なることも新しき皮膚となることもできない。傷口に新しき肉と皮膚とを新生せしめる
ものは人体の内部に宿る神の生命である。医師は神の生命の動きに唯協力するに過ぎない。
こう言っても私は医術をいやしめるのではない。人間のすべての動きは「神の生命の動き」
に協力することによって万物を成就するのである。「神の生命の動き」とは法則である。
法則を守り、法則に協力することによって、吾々は益々神と一体となり偉大な神意の実現者
となる事ができるのである。

感謝合掌

844SAKURA:2012/06/18(月) 20:20:04 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

“雨”が、シトシト〜〜〜“憂鬱”になり易いです〜ネ!
そのような時には、やはり“仕事”に集中したり…“本”を読んだりして?
このネガティブ感情=憂鬱を、吹き飛ばすのも〜〜“メイン”でしょうか??
今!私自身、平均的には、この“ボ−ド”に投稿させて頂いております“書物”…
これで、随分“心が豊かに”なりますでしょうかしら〜〜〜ン!“不思議”なのです。
今日の「ネガティブ感情への神様からの“メッセ−ジ”頂きました…。
では【課題】に〜〜“本”を開きます〜♫〜

■【幸福を招く365章】
――――人の悪しき言葉に乗るな――――
怒りは火事のようなものである。あなたの心を焼きつくし、地獄の焔の中に投げ込み、
ついに身体までも病気にする力をもっているのである。誰かが不親切な言葉を
発したからとて、それを自分の心の竃の中に抛り込んではならないのである。
不親切な言葉は、あなたの心の竃の中で燃える地獄の火の燃料となるのである。
不親切に対して深切をもってし、憎しみに対して愛をもってするのは、自分の心の
中にほり込む燃料に水を注ぐようなものである。人の告げ口に乗るな。
それは怒りの焔を煽る風のようなものである。愛語と調和の言葉を雨ふらして、
心の火事をけすことである。常に「平和」を念じて祈れ。 (谷口雅春著)                       
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■さっそく「事件…」は起きました…。本当に【開けて〜“ビックリ”なのです。】

■まるで〜まるで〜「他人のプログ」に乱入したような感じにされているの?
その様にも受け止められます感じでしょうか…?
もしくは?まるで「このボ−ド」は、私の“モノ”なのョ!〜〜〜とおっしゃって
いるのかしら〜〜〜ン!と思う次第なのですが…「感情文章表現」ですか?
拝読しまして“いやな気持=ネガティブ感”になりましたが…先ず!
持ち前の【SAKURA】に戻り、友人に“メ−ル”で読んでみて〜〜〜と?送信!!
やはり【類は友を呼ぶ…】でしょう“駒がとぶ”ような仲間には、分かる様です〜ネ!

■私も、昔の【古典文学…】は分かりません。…が!何度も読み返していきますと〜〜
アバウト的に“理解”が出来るのですが〜〜?

■■【英語】でも【日本語】と同様に【方言=なまり】がありますでしょ〜〜ウ!
この【なまり…】が〜〜現代の私には【日本語から英語…】に表現します時、
その時点での“感情”を踏まえましての【英語】になりますので…難し〜〜い!

更に【古典…】で表現されます場合???その時の“環境・慣習…”も踏まえまして、
現代日本語表現になりますので、これも私に取りましては?難し〜〜い ><
なのですが〜〜〜今回!投稿者様方々より【SAKURAは火星人】にされましたが?

先ず!相手からの御親切なる“メッセ−ジ”には、一応!受け止めさせて頂きまして、
その上で、私なりの考え方を【女子会にて投稿】させて頂きました。

■今回【生長の家…お家騒動】でも、昔の【生長の家の信者】と比較しますと…
あちらの方はまるで?【創価学会なの〜〜】そのようにも見えて仕方が…
ありませんのですが…?その様な事を相手に伝えたとしても【理解が出来ない〜〜】
なのか?
むしろ【何らかのほかの”目的”が〜〜〜】との判断に至りましたが…

■【人それぞれ??ですから、自分の”視野での考え”を押しつけない事では、
ないのでしょうか〜〜♫〜〜

今回!!私自身も「この人の”文”くらい〜〜ネ!」と”心”で思っても、
いざ!それを”文章投稿”に掲載する事は、相手への??でしょうか。
やはり“本日の言葉”にて、いけないと改めて思いました…。
人の【批判・中傷…】と同じです〜〜〜ョネ!
同様に「告げ口…」は、私は昔から好きではないし、先ず【賛嘆した言葉の表現】を、
私なりに…そうなのです!
どしゃぶりの雨?様に【今後!賛嘆言葉のどしゃぶりの訓練】をして行こうと決意!
私も表現が足りない時も?そう思いますと【どしゃぶりの雨位…賛嘆表現】へ、トライ!
前以上に思った次第なのですが…!今回「先生の言葉」より、

■■【益々!賛嘆物語り】で〜す。【SAKURA…益々” 賛嘆日記…開始!】 再合掌

PS:トキ様…今日の“言葉”どの様に受け止められましたでしょうか?
“アドバイス”頂きますと幸いです…。

845ハマナス:2012/06/18(月) 22:46:50 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。今日から、第 三 部 繁 栄 の 泉 に入ります。

  いま吾が生活を支配する法則は、
  愛と信仰と繁栄と、そして真理とである
  吾れは人の間違いもなしに吾が未来を透見し得る――
  何故なら吾れは今日(こんにち)
  未来の刈入れのために善き種子を蒔きつつあるからである。
  われは善き収穫を予期する。
  それ故、吾れは平和と信仰とのうちに晏然(あんぜん)としているのである。 
  我れは神の御手に委ねる。 
  神の法則は愛である。
  愛なる神に感謝致します。
                 (谷口雅春先生著 『日々読誦三十章経』より)

第七篇 無限の供給を受ける道
 物質は神の愛の表現   

 キリストが或る時、奇跡を行った。五つのパンを五千人に分けたら食べ飽きて尚籠十二杯に
山盛りにパンが残った。そんな馬鹿らしいことがあるのかと一見思われるのであるが、聖書を
注意して読むと、イエス「一片のカケラも残らないように其のパンの屑を集めよ」と弟子に
指令しているのである。爰(ここ)に真に無限供給の原理があるのである。

 一片のカケラも全て神からの賜(たまもの)なのである。その賜を尊重する心のあるところ
に、そのカケラが増殖して、ついに十二杯の籠に山盛りのパンともなったのである。神からの
賜を尊重しないで、唯単にそれを物質的な塊だと、軽くあしらっているとことに、人間が貧しく
なる原因があるのである。物質はそのまま「神の愛の実現」である。百丈和尚は一枚の菜の葉が
川へ流れて行ったのを駈足で追って行き、それを拾って「仏物」として押し頂いたと云うことである。

感謝合掌

846ハマナス:2012/06/18(月) 22:49:03 ID:0kyCzJg6

ありがとうございます。
『新版 生活の智慧365章』P.183からの引用です。

847ハマナス:2012/06/19(火) 00:09:04 ID:0kyCzJg6

HONNE様、金木犀様
ありがとうございます。
金木犀様が、838でお書きになっていることに殆ど、同意見です。

生長の家では、“現象なし、実相独在”と教えられています。
私達の日常で、何か問題が起きた時に、余程、悟られている方でしたら、すぐに「光明面を見る」と
言われて、すぐに「実相を観る」事が出来るでしょう。
しかし、多くの場合、(長く生長の家を信仰していましても)問題(暗黒面)にひっかかって悩ん
だりします。そこで、雅春先生は、 “光明面”に対比してわかりやすくお説きになるために、
“暗黒面”という言葉をお使いになって、“心”の持ち方の重要性を教えて下さっていると思います。
決して“暗黒面”に引っかかっているのではありません。

光明面のみを見る  (『新版 生活の智慧365章』P.173)
 「事物の暗黒面を見てはならない。また他(ひと)の暗黒面を見てはならない。更にまた自分の
暗黒面をも見てはならない。を見るとき、必ず自己の“心”の中に暗黒な事を描くことになるので
ある。そして自己の“心”の中に描かれたものは必ず、いつかはその描かれたる姿が現実化して
自己の運命となったり、自己の境遇となったり、不測の災いとなったりしてあらわれて来るのである。」
 
「暗黒面を見るかわりに事物の光明面を見よ。他の光明面を見よ、更にまた自己の光明面のみを見よ。
光明面を見るとき、光明面のみが“心”に描かれ、“心”に描かれたものが増大し、具体化し、
自分が一層明るい気持ちになり、運命が一層好転し、身辺に気持ちよきもののみが現れ、ついに
自己の住む世界が地上の天国浄土となるに至るのである。暗黒面を見るよりも、光明面を見る方が
余程楽であり、容易であり、気持ちがよいのに、何故多くの人々は光明面よりも暗黒面を見たがる
のであろうか。彼らは心の法則を知らないからである。」とお書きになっています。

どんな暗闇も、光にあうと、パッーと消えてしまうように、ただ私たちが光になれば良いと教えて
下さっています。
うまくHONNE 様のお答えになっているかどうかわかりませんが。
神想観をして、神の子の自覚を得て、神との一体感を得ることが、大切ではないのでしょうか。

感謝合掌

848金木犀:2012/06/19(火) 09:50:24 ID:vaQBf3X6
相手に宿る美しき清き完全円満なる実相が
あらわれるように祈ってあげることほど
素晴らしい祈りはないのである
実相の中には“全て”が蔵されているのであるから
その実相が顕現するように祈るところの祈りには
相手が健康になるための祈り 裕かになるところの祈り
家庭が調和しすべての人々と完全に調和に入るための祈り
相手が完全に魂の自由を得て完全に個性を発揮し得る祈りが
含まれているのである
祈りは一種の霊波であって
それは電波よりも一層鋭感的に時間を超え 空間を超え
超時空の世界を媒介として われらの祈りの愛念を全人類に通じ
以て全世界に争いなき調和ある美しき裕かなる理想世界を
実顕するためのエネルギーとなるものである

谷口雅春先生著 『真理は生活にあり』より  生長の家誌昭和55年12月号

849HONNE:2012/06/19(火) 12:15:04 ID:jtmmmlXY
人は指摘を受けると、暗黒面しか見えなくなるようです。

「ある人は教えから離れ、人生の暗黒面を見て、
 人々の悪口を言う生活に自ら進んで入っていくこともある。
 せっかく光明一元の人生観を教わっても、人生の何に注目し、
 どういう目的、どういう動機で物事を行うかという点で暗い、
 間違った選択をした場合には、
 生長の家でかつては幹部活動をしていた人でも、
 光明思想から離れていくこともあります。」


【間違った選択】と決め付けていいのでしょうか?

850神の子さん:2012/06/19(火) 12:53:54 ID:???
HONNE さんが指摘した部分の文章はまさに

人間神の子の教えではなく「暗黒思想」を持った人の文章ですね。

教団から離れた人達が・・人々の悪口を言う生活・・って発想がそれです。

光明思想から離れているのはこの作者ですね。

851SAKURA:2012/06/19(火) 21:57:02 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。

昨日から、相変わらず?人に押し付けているのかしら〜〜〜ンとの“想い”?
ちょっと考え込んでしまいましたが?当初の「計画…」からは、大幅に狂って… >< 
いろんな方々がいますから、当然“相手の生活環境・考えの方”も異なります〜ョネ!
ト−タル的に考えますと“複雑“なる気分です〜〜ネ??
このような“ネガティブ感情=気持ち”で…では!本を開きま〜〜〜す。
■ 名目… 合掌!! … 沈黙〜〜〜
【我此の書を開き給いて なすべき道を〜〜〜☆】出ました…では?“スタ−ト”

■■ 【幸福を招く365章】
――――天地万物に感謝せよ――――
ブラザ−・ロ−レンスは「自分は神の愛を感じながらフライパンの上でケ−キを焼く。
神の愛を感ずるには自分にとっては地に落ち散っている藁ひと筋を拾うだけで充分である」
と云ったそうである。「木の切株に腰をおろすときにはその切株を拝んでから腰をおろせ。
大根を抜くときには、大根にお礼を云ってから抜け」と云うのが金光教祖の教えであった。
一筋の藁、一本の大根、それに神の愛を感じ、感謝出来るのが宗教的境地であって、
金が儲かるから集ると云うのは相場師の境地である。百丈和尚は一枚の大根の葉が流れ
行くのを追っかけて往って拾って頂いたと云う。
人生が退屈であったり、無意識に見えたりするのはその人の愛が乏しいからである。
愛して何事でも、愛のために行うならば自然と歓喜が湧いて来て退屈であったり、
無意識に感じられたりする筈はないのである。
仕事が退屈なのは、その仕事を経済的理由で自分の労力を切売するような気持ちで
するからである。「神様、あなたの愛をこの仕事を通して実現させていただきます。
ありがとうございます」と感謝しながら仕事をするならば、決して仕事は退屈な
重荷となってこないのである。利己主義のところに真の悦びは湧いて来る筈はない。
神の愛を実現する処にのみ真の悦びは湧いてくるのである。  (谷口雅春著)                           
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■子供の頃は!“トイレの掃除”は、意外とさせられました方?なのでしょうか?
段々と高学年になっても…正直申しまして“イヤナ感情=気持ち”はなく【実行…】
逆に…【トイレの掃除をしますと〜〜〜綺麗になれる】と、ひたすら信じる“私”
従いまして“高校卒業”しました頃、初めて化粧を…しました時なのですが?
近所の方が「綺麗に〜〜なったネ〜〜♫〜〜去年より〜〜〜綺麗に〜〜♫〜〜」
更に!「美人に見えるョ〜〜〜まるで“ハ−フ”みたいに見えるの〜〜ネ!」と…
良く云われだし、更に!専門学校に行き出してから、帰りが遅くなる…
そして更に!“音楽活動でヤマハ”に行ったり…バイトに行ったり…【時間調整が〜〜】
               <つづく>             NO.1

852SAKURA:2012/06/19(火) 21:59:21 ID:V.pKl3yA
<つづく>             NO.2
トキ様 へ
観覧者様 へ
>>851投稿の続きより

■気がつきますと「トイレ掃除は??」…そうなのです〜〜ョネ!
現在!私の“パ−トナ−”の方が、気が付きますと、私より「トイレ掃除の回数」が
多いのかも??この頃!彼女は“綺麗〜〜〜”に見えます…。
本当に、良く見えるのですが…??おまけに“トイレの歌…”ありますもの〜〜ネ?

■ ■本当に「トイレの神様」は、いらっしゃいますかしら〜〜〜ン???
皆様は、どの様に思われますかしら〰〜ン!

■この頃、新たに「トイレの神様」思い始めまして、私は【ピッカと光が〜〜☆】
そうです〜〜〜ョネ!

■■【年をとらない…永遠性の秘訣??又!!「トイレ掃除…復活組」に〜〜】
今回!先生の言葉“一本の大根を抜くとき神様に感謝”……そうです〜〜ョネ!
この料理出来る“環境”…私の場合は【ダイエット料理】が出来る事…!【感謝!】
私も“神の愛”が伝わる〜〜〜と、“瞼”を閉じまして、「名目…合掌…」
本当に、不満を先に思う前に、狭い中野のあの頃の“思い出のワンル−ム”
そこにての“キッチン”は、問題にならないくらい、とても“狭かった状況”…
当時の私は【料理が…楽しくて〜楽しくて〜狭い“キッチン”を活かす料理】を…
但し、まだ“味付け”〜〜〜当に“下手”でしたが…
あれから比較しますと、現在は“リッチ感”但し私の自己満足??でしょうか?
それなのに〜〜〜 ><人間は「のど元過ぎれば熱さ忘れる?」慣れますと…
いつの間にか【感謝…】がおろそかに〜〜〜反省!
あの頃の“楽しかった事”を思い出しながら……今は“瞼”を閉じて【感謝行…】

■現在の私の環境は【四面楚歌…】ですが、小さな事から〜〜素敵な発見を〜〜
まるで【感謝!感謝!は宝の山が…一杯詰まってる!!】
今日から、再び【宝の山…探しなので〜〜す。】スタ−ト【感謝行…】   再合掌

PS:トキ様?今日の日常の些細な事柄…全て【感謝(心から)】難しいですが?
この【感謝…心から】どの様に思われますか??

853トキ:2012/06/19(火) 22:21:46 ID:tLG2kBs2
 感謝の心は大事ですね。感謝から始めて、感謝に終わる、という事ですね。

 些細な事から始めて、やっと大きな事にいくのですね。お互いに、頑張りましょう。

854ハマナス:2012/06/19(火) 22:26:29 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

生活力欠乏の原因  (『新版 生活の智慧365章』P.184)

 「物質は物質に非ず、それは神の愛の具象化である。」私たちが一片のパンの欠けらをも
神の愛として感謝する心になるとき、私たちは実相の世界にある無限供給の霊的波動に
波長を合わすことができ、必要に応じて、その欲するものを現実の世界に実現して来ることが
できるのである。

 生活力の欠乏――即ち虚弱や病気――それから、経済力の欠乏――すなわち貧乏や物質
不足は、私たちが神の愛の具象化に波長を合わさなかったときに、テレビに放送が映って出
ないように、受信力の欠陥としてあらわれて来るのである。この原理を知らないために、
或る種の人は、物質の潤沢を確保するために、霊的世界に波長を合わすことを忘れて、逆に
貪欲になって、貪り取ろうと云うような気持ちになるのである。

感謝合掌

855ハマナス:2012/06/19(火) 23:29:15 ID:0kyCzJg6

ありがとうございます。
今日『生命の實相』を読んでいましたら、ぴったりのご文章がありました。
 
それで、聖経の解釈に帰りますが、「吾は真理なり、真理より遣(つか)わされたる天使
(てんのつかい)なり。真理より照りかがやく光なり、迷いを照破する光なり」とあり
ますが、天の使いとはすなわち、真理より輝き出た光であるのです。それは迷いを破る光
であります。光がさせば闇は消えてしまう。よくない現われ、すなわち、迷いは真理に
照らされたら消えてしまうのです。ですから「生長の家」へ来ると病気が治るというのも、
何かの方法をもって病気を治すのではない。『生命の實相』を読んで、われわれが自分
たちの神の子なる実相を悟った時に、いっさいの闇は消えて不完全な現われである病など
は消え去る他はないのであります。  (『生命の實相』第21巻のP.164)

感謝合掌

856うのはな:2012/06/20(水) 19:39:01 ID:gTn97m6I
 『超宗教を建つるまで』 はしがき 谷口雅春 先生著

 此の書は近頃しきりに出る『我が生活を見よ!』と云うような気負った種類の
自伝ではない。これは寧ろ、幼きときから最近に至るまでの私の生活の恥ずかしい
方面の叙述と描写とである。此の一篇を私が『生命の實相』全集の第十巻に収録したとき、
『著者は聖者のごとき生活をしてきた人だろうと思っていたら、此の書で観ると通常の凡人の、
寧ろ穢れてきた生活を送って来た側ですね。私は今迄憧れていた目標に幻滅を感じずにはいられない』
と云っていた人もあった。また或る読者は『著者がこんなに赤裸々に自分の私生活を公表するのは
生長の家がインチキでない、真正直に本当のことを告白している証拠だと思う。

これだけ人生の色々の苦しみを嘗めて来た人にして初めて人生の指導者になり得るのだと思う。
これはトルストイの「我が懺悔」ルツソオの「懺悔録」以上に峻厳な自己暴露だ』と云って
『生命の實相』のほかのところに書かれている奇跡的な事実を、そのままあり得る、と承認して
救われた。『生命の實相』を読む人たちが、読むに従って、『自分の心の通りが書かれている』
と自己自身の心を自己解剖されて病気が治る事実が頻々あるのは、私自身が自分の心の底深く、その
暗黒面を貫くほどに見詰めて来たからである。一人の心の中に深く穿ち入るとき、それは同時に萬人の
心の世界に穿ち入ることになるのである。

かくして悩みの底にありながらも、光明に憧れ求めて来た私の光明を獲得するまでの喘ぎは、人類萬人の
等しき魂の喘ぎであると思う。この意味に於て、私は此の書が多くの悩んでいる人にも、光を求めている人にも
読んで頂きたいのである。
救いは凡人にも、悪人にも、罪人にも、如何なる人にも来るものであることを本書によって知って頂けば、本書を
単行本にして公刊する目的は足りるのである。
 最後に、最近実施された宗教団体法で、今まで教化団体なりと主張して来た『生長の家』が宗教だと認められるに到った経緯を
叙述したものを附録として収録することにした。それは礼拝の本尊なしに、礼拝の儀礼なしに、礼拝堂なしに、全然宗派的臭味なき
超宗教が、宗教とみとめられるに到った経緯である。やっぱり私は『宗教だ』と文部省でみとめられながらでも『超宗教』だと云い続けて
来たいのである。
この意味こそ、私は『超宗教を建つるまで』と本書を題した所以である。

 昭和十五年六月四日 著者 識     (現代仮名に変更写 投稿者)

857SAKURA:2012/06/20(水) 23:20:14 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。

“セルフイメ−ジ”の観点が悪いと、“プラス思考法の信頼性”は、かなり
低いのです〜〜〜ョネ!  ><
更に!「意志の力」や「気合い」「自制心」などの効率も〜〜〜><
そのような感情では、“心の世界”を考慮していく内に…【変化==>成功】にも、
影響しますかと??従いまして、それを為す前には!!
【心の世界の訓練】です〜〜〜ョネ!私の“メカニズム…脳を活性化”させましょう?
【脳の活性化】は、勿論“セルフイメ−ジの観点”を見直す“心の世界”へ〜〜ゴ−!
では“心の世界”・・・脳活性化・・・“s t a r t !”

■■【幸福を招く365章】
―――――無抵抗が最強者である―――――

恐れたところのものが、気がついて見ると味方であることがある。
困難は自分を磨く砥石である。気嫌いするから相手が意地悪く出る。同じ相手が
和解して見れば、実に自分にとって深切な味方である。この真理を貴方は
今一層はっきり自覚したのである。だから貴方は如何なる境遇にも如何なる人にも
和解の心をもって臨んで決してそれに抵抗し摩擦することはないのである。
今あなたは「無抵抗の真理」を悟ったのである。若し真にあなたが無抵抗に
なるならば何物も貴方を害する事は出来ぬのである。
                       (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■この頃「学ぶ会」の方々の「イメ−ジ」はかなり悪いです〜〜〜ョネ!
私の知り合いも…彼らの“言葉遣い?”は、【信仰…】ではない〜〜ョネ!!
聞くだけでも“悪口集合体”なの〜〜〜><この頃!
彼らの“投稿文章タッチ…”を見るだけでも〜〜??がでてくるの〜〜ョ!と?
この様な“メ−ル”が…確かに、それは、私でもいつ見ても“悪口集合体”なの〜♫〜

■彼らの【真理…】に対しての“レベル…捉え方”の相違が、感じ取られます。
【聖典…】を拝読していましたら、
もっと【調和的な精神…】更に!【人を引き付ける…言葉=用語】が
出てくる筈なんですが〜〜〜
いつの間にか?まるで【凡夫…】になり過ぎてしまったのでしょうか?
この頃は、特に!見えてしまいますが〜〜〜

これは私の“セルフイメ−ジ”を、決めつけているからでしょうかと??この頃
考えこんでしまいますのに………それでも、持ち前の「明るさ〜〜」で…
【光明面=良い面】を引き出しながら“イメ−ジ”しますが……
やはり“考え方の相違”なのでしょ〜〜か?それとも、
“聖典の捉え方”の相違なのかと……首をかしげてしまいます…。

■■このような時の【和解…?】は、難しいです〜〜〜ョネ!
逆に、そのような時程【相手の欠点…】が、目についてしまします。
そうです〜〜ョネ!【見えます時は…此方も一つの■危険信号の指令■でしょうか??】

先ず!あちら側に“好きなように”して頂きながら〜〜〜
何か?私に得る“モノ”を吸収する事でしょうか???
■■これが【無抵抗の真理】です〜〜ネ!・・・
きっと「現総裁雅宣先生派…」今!今!がまんの潮時??なのでしょうかしら〜〜ン!
このような時程【私の精神は、正しい理念に導かれていく事…この事を“信じ!!”

                               再合掌

トキ様へ
■無抵抗…あの“ガンジ−”の行動を、思い出しますが…??如何でしょうか??
トキ様は、此の“無抵抗”何か体験がおありでしょうかしら〜〜ン?

858ハマナス:2012/06/20(水) 23:47:43 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

天の倉に貯えられた徳  (『新版 生活の智慧365章』P.185)

 人の富を、その外形的な数量的な物質や貨幣の量によってはかってはならないのである。
真理を知ったところの人は、全ての富は物質の量ではなくて、天の倉に貯えられたる霊的
なる「徳」であり、その眼に見えざる「徳」が必要に応じて物質的な富として形をかえて
現象界にあらわれて来るものだと云うことを知っているのである。

 人間は神の最高の自己実現としてつくられたものであるから、神が人間を貧しくつくる
ようなことをしたまう筈はないのである。神は人間を自己の最高実現として、最高の「徳」
を実現することを目的としていられるのであるから、「徳」を行じ「徳」を実現するとき、
おのずから経済的にも豊かに「其の実相の富」をこの世に実現することができるように
なっているのである。

感謝合掌

859ハマナス:2012/06/22(金) 00:01:51 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。

現象の奥にある実相の富  (『新版 生活の智慧365章』P.185)

 人生の目的は富を得ることでもなければ名声を羸(か)ち得ることでもないのである。
人生の目的は最高の神の自己実現として、人格を神格にまで高めることである。現象に
あらわれている富を求めることは却って「実相の無限の富」を忘却させて、自己に与え
られている富を縮小することになるのである。神が与えたまう富は、霊的なものであって、
物質的な富は、ただその影に過ぎないのである。

 神は霊であり給う。それゆえに神は霊の賜を与えたまう。即ち、愛を与えたまい、智慧を
与えたまい、生命を与えたまうのである。それを感謝し受け且つ働かすとき、波長が合って、
それがテレビの画面に映像があらわれるように、物質界の富としてあらわれて来るのである。
現象の有限の富だけを握って、其のために現象の背後にある「実相の富」を
見失ってはならない。

感謝合掌

860ハマナス:2012/06/22(金) 13:49:18 ID:0kyCzJg6

SAKURA様

いつも【幸福を招く365章】からの引用をして下さり、ありがとうございます。
毎回素晴らしい、ご文章ですね。
また、精力的はご投稿に頭が下がります。SAKURA様も応援していますよ!

感謝合掌

861ハマナス:2012/06/22(金) 18:31:08 ID:0kyCzJg6
神の子のみなさま
こんばんは。

無限の宝庫を開く鍵  (『新版 生活の智慧365章』P.185)

 愛行をもって「実相の無限の富」の宝庫の扉をひらくために鍵とせよ。利己心をもって
「現象有限の富」を得ようとするならば、それは 「有限」を互いに取り分多く分配しよう
とするのであるから、其処に必ず無理が出て来て争いや戦いを生ずるのである。誰がどんな
に使っても減らないところの富と云うものが実相世界にはあるのである。実相の富は無限で
あるから、其処から幾ら富を引き出して来ても、其処には尚、無限の富が残っているのである。

 徳を積まないで、現象の富のみを積もうと考えてはならない。背後の「徳」を失っている
現象の富は吾々に生活の豊かさと安全とを保障するように見えながら実は色々の心労を齎
(もたら)すのである。それは権力を保障するように見えながら嫉妬羨望と勢力争いとを生ずる。
それは幸福を保障するように見えながら不幸を招来し、永遠を約束しながら須臾(しゆゆ)して
消えるのである。

感謝合掌

862SAKURA:2012/06/22(金) 23:10:11 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…   ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

今!「生長の家…」が、揺れ動いているようです〜〜〜ネ!
【現象】では、そう見えている方が、多いのでしょうか???
私は、あくまでも【実相】で、観ていく内に、何も起きてない位【スカイブル−世界】
其の中に、すっぽりと入り込んでいます様です〜〜〜が?
時折かしら〜〜〜ン“いじわるな方”が、此方の“領域”に踏み込んできます〜〜が、
まるで【シンデレラ姫物語】の様に、今は【トンデルワ?姫物語】でしょうか?
全てに“眠り姫?…暇”もない位に、【精神に集中】です。
■【意識=心世界が現れる事…】を「谷口雅春先生」は、もう〜〜〜!長く根本を、
私ども信者に説いていますのに〜〜〜><では!私も【富んで“心”が富む世界に〜!】

■【幸福を招く365章】
――−――本当の幸福は心の平和より来る――−――

幸福は常に内より来る。外に百万の富があろうとも、心の中に平和なければ
何の幸福ぞや外に何の富がなくとも、心に平和ありて、人を愛することが出来るとき、
それが本当の幸福なのである。心の平和は神との一体感によって得られるのである。
神は我々が離れたと思っている時にも決して離れていないのである。唯、自己に宿る
神の声をわざと聞かず、肉体の恵みに耳を傾けているとき最初は楽しいように
感られていても、それは神から遠ざかるから結局淋しくなって来るのである。
自分が他に対して腹立たしくなったり、あまりに批評的になったりして来た場合には、
他が悪いのではない。自分の心がイラ立っているのだと云うことを反省し、
周囲の人々に対して調和する祈り
(思念)をしなければならぬ。それは次のように念ずるがよいのである。
「神は愛である。神の愛が私の行く処に充ち満ちている。全ての人々は私に好意を
もっており、私は全ての人々に好意をもっているのである。私は周囲の人々から愛され
私は周囲の人々に感謝しているのである。有難う御座います。」
                             (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■確かに【心の平和…】なくしての“幸福論”はありえないと思います…。
最近!確かに「ネガティブの表現の投稿文」を、されています“コメント”…
拝読しますと〜〜〜><
こちらまで、変に【共有世界…の中へ】と、移動している“私”がそこにいます〜が?
このような方々が〜〜?と“心の中”で、攻めている“私”が其処にいます。
そうしますと〜〜〜><“イライラ病”が…

上層に浮いている〜〜〜の?とても“気持ちの良いもの”ではないのですが?
今日の「雅春先生の言葉」より、更に!このような「心境…」になるのは、
果たして“私の心の捉え方”になるとの事です…。

■「生長の家」は……
本来「雅春先生存命中…他人のせいにせず…先ず!【感謝…】でしたでしょうかと?
【心の状態…金剛心を鍛える…澄み切った“心境”になる事が…メインなのでしょう】
■ 心 の 平 安 !!
今日よりは、いつもの“イライラ病”が、生じました時、先生の“言葉”を唱えます。

                                  再合掌

トキ様へ
やはり「心の平和…」これこそが…“幸福への扉”に繋がるものと思います。
やはり“イライラ病”は、決してこの“扉”を“ノック”する事は出来ないものと、
私自身は思います…。此処最近は「生長の家…お家騒動」にて…心の平安??
何処なのですが?「トキ様」は『心の平安』どのように受け止められますでしょうか?

863a hope:2012/06/23(土) 08:56:22 ID:kJvHf4/g

みなさま、おはようございます。
お久しぶりでございます。
わたしはとても元気にしておりましたが、事情がありしばらく閲覧・書き込みをお休みしていました。
また少し生活に余裕が出て来ましたので、聖典の謹写を再開させていただきます。
数週間分の他の板の書き込みは、ほとんど拝見していませんので、
みなさまのお話について行けるかどうかわかりませんが、
また、書き込みもマイペースでしていきたいと思っています。
みなさま、a hopeをどうぞよろしくお願い致しますね。

感謝 合掌。


人生読本 谷口雅春先生著

>>797「神経衰弱を治す法」のつづき

働かないと病気の治らぬ訳


ところが、病気になった人に楽をしておれと申しますと、楽をしていればいいんだというので、
胃病なら胃病の人が何もしないで楽をしていると、胃袋にへんな感じがしている。

楽であるから他(ほか)の事に気を転ずることができないので、いつも胃袋に気がいって、
「胃が悪い胃が悪い」と、いつも胃袋の事ばかり考えている。

そのため、その人は楽をしているかというと決して楽ではない。
心は一番不快な胃袋の事ばかりを常に考えさせられている。

自分の病気の事は、病人にとって一番嫌な事ですが、
その嫌なことを一所懸命間断なく考えねばならない。

ですから、余所(よそ)から見ると身体(からだ)は楽なように見えますが、
その実一番苦しんでいるのです。

本当に働いたら病気の事なんか忘れてしまう。
役者なんかが胃病とか神経痛なんかで苦しんでいましても、
舞台に出て活動している間はちっとも痛まない。
舞台から降りてやれやれと思うと痛みだすものであります。

役者でなくとも、神経痛という病気の人で昼間働いている間は何でもなくて、
夜になって寝床に入ると痛んでくる人があります。
それはまだ働き方が足りないのです。

昼間働いている時には苦しくないんですが、夜になってから暇ができるので、
「病気が治らないナ」といろいろ考える余裕ができるから苦しくなるのです。

そういうふうに私達は働くという事は実にありがたい事であります。
働く事によって私達は健康も増し、能力も増し、財産も増し、
人からも喜ばれるという四つの徳が備わるのであります。

(つづく)

864SAKURA:2012/06/23(土) 18:19:13 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……  ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>860拝読させて頂きまして

■「ハマナス様」へ
私に“素敵なメッセ−ジ”頂きました事…感謝申し上げます。
私も“パソコン…オ―プン”させて頂きました時…
いつもの“投稿者様方…”の「聖典…」が拝読出来ませんときは??
“ア〜〜〜ッ”どうしたのかしら〜〜ン?いつも思ってしまいます…。

こちらの方こそ「ハマナス」様の文章が【毎日の日課…拝読】となっております〜の!

今後とも“楽しく〜♫〜”拝読させて頂きま〜〜す。
尚!暦の上では『夏至…6月21日』も過ぎますと…何となく“夏本番…近づく”かと?
「ハマナス様」へ…くれぐれも“体調”に気をつけて下さいませ…。
唯今!体調調整中の【SAKURA】で〜〜す。

                                 再合掌

865ハマナス:2012/06/23(土) 21:44:05 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

富は聖なる目的に使うもの  (『新版 生活の智慧365章』P.187)

 現象の富は、神の国なる実相の富の現象界への延長であることを知らなければならない。
それであるからその富は、ただ貪(むさぼ)って蓄積するだけに使ってはならないし、浪費
するために使ってもならないのである。それは実相世界の素晴らしさを現象世界にあらわす
ための聖なる目的のために使わなければならない。換言すれば建設的な目的にのみ使わ
なければならないのである。ただ蓄積のためのみに使ってはならないし、ただ消費するため
のみに使ってはならないのである。

 無論、聖なる目的のために使うためには。半端な資金ではどうにもならない事であるから、
ある金額に達するまでそれを蓄積したり、共同貯蓄することも必要である。学校や学生寮を
建設したり宗教目的に使われる建物をつくったりするのは、聖なる目的にかなうもので、
建設的な目的に使うことに当たるのである。


SAKURA様へ
 ご丁寧なメッセージをありがとうございました。嬉しかったです。
暦の上では『夏至…6月21日』も過ぎたのですね。
SAKURA様もどうぞ、体調に気をつけられてお元気にお過ごしください。
これからも、ご投稿を楽しみにしています。

感謝合掌

866 志恩:2012/06/24(日) 05:15:27 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

おひさしぶりですね。帰って来てくださって、大変うれしいです。
また、謹写もコメントも たのしみにしています。
皆様にいつも教えていただくばかりです。これからも よろしくおねがいします。

867a hope:2012/06/24(日) 09:23:37 ID:kJvHf4/g
みなさま、おはようございます。

志恩さま、温かいお言葉ありがとうございます。
わたしも、この掲示板でこれからもたくさんお勉強させていただくつもりでいます。
こちらこそ、どうぞよりしくお願い致します。

人生読本 谷口雅春先生著

上役と調和する道


時間を無駄に費やさないで十分それを働かすという事は、
単に専門的な知識を得るというだけではなしに、
まだまだ話しても話しても尽きない功徳があるのであります。

といって、あまり勉強に凝りすぎて、一分間でも勉強しなければ損だと思って、
会社におっても与えられた会社に仕事が終わると、
ちゃんと自分の仕事は終わったから後の時間はこれは自分の時間だと思って、
自分の勉強したい本を持って来て、机の下なんかで内証に拡げて読んでいる人があります。

そうして、上役の人が何か雑談をしたり、昨日のオリンピックはどうだったなどと訊いても、
「煩(うるさ)いナ、わたしはこの勉強しなければならない、
あれもしなければならないのに、ちょっと黙っとって欲しい」などと思いますと、
上役と調和しないことになります。

上役と調和しないために、その事務所にいる事が面白くなくなってくる。
そこで仕事にも力が入らず、したがって成績も上がらず、月給も上がらない。
そこで不平の心が起こってきて、とうとうその会社を飛出す事になります。

こういう人は又次へ行っても同じ事でありまして、そんな人は、上役と調和しないから、
仕事はできても何時まで経っても出世しない事になります。
ですから人間は必ずしも能率一点張りになることがよいのではありません。

それは勉強という事に引っかかりすぎて余裕がなくなっているからであります。
善い事にでも、引っかかれば悪くなるのであります。
どんな場合でも、私達は引っかかって自由自在を失ってはならないのであります。

周囲と調和することが必要です。
「今」の時間を、「今」の機会を百パーセント生かすことが大切であります。
「今」を調和して生かす事が本当の勉強であります。

仮に上役がオリンピック大会の事を話しかけてくれたとしましたならば、
その「今」の機会を生かすのが自分の勉強です。
「今」上役がオリンピック大会の話をしかけたら、
その上役はオリンピック大会についての先生である、ありがたいと思えばよろしい。

それについてどういう表情をして、どういう気持ちで喜んでおるかという事は察して、
相手の喜びそうな事を考え、それに適当な受答えをするという事も処世の一つの生きた学問であります。

それは書物には書いてないが、本当に生きた智慧をそこから生み出してくることができるのであります。

(つづく)

868ハマナス:2012/06/24(日) 23:24:09 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。

真の富はエデンの園から  (『新版 生活の智慧365章』P.188)

 必要な建設的目的に使うために蓄積されたる富は、実相の投影であるけれども、未来に
起るであろう何か不祥事を予想してたくわえる富は恐怖の投影であるから、その予想する
心が予想する不幸を呼び寄せることになるのである。心に予想することが実現すると云う
のが心の法則であるから、不幸を予想してたくわえた富は、将来必ず予想した不幸が来て、
それを消耗してしまうことになるものである。病気したときの治療費として金を貯える人は、
恰度(ちょうど)入院費用だけが貯まったときに、本当に病気に罹(かか)って、その貯金を
治療費に使ってしまい、恰度その治療費の貯えがなくなったときに病気が治ったりするのである。

 真の富と云うものは、一切のものが其処から生み出されて来る「エデンの園」(龍宮海)
即ち実相界から供給されて来るのであって、常に実相に波長の合う心を持っておれば必要に
応じて、それが現象界の富となって供給されるのである。

感謝合掌

869金木犀:2012/06/25(月) 00:55:44 ID:qMq2iFMk
a hope様

帰ってこられて、とても嬉しく思います。毎朝、a hope様の人生読本で掲示板の一日が
始まるのが、やはりいちばん気持ちがいいですね。女子会の方も、楽しい話題を提供して
くださいね。

870a hope:2012/06/25(月) 08:09:01 ID:kJvHf4/g
みなさま おはようございます。

金木犀さま

ありがたい言葉をいただきうれしいです。。
これからも、「人生読本」の謹写感謝の気持ちを持って続けさせていただきます。
そしてもう少し落ち着きましたら、女子会の方も参加したいと思います。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。


人生読本 谷口雅春先生著

人を喜ばすのは追従(ついしょう)ではない【前半】


往々純情すぎる青年達は、上役を喜ばす事が何かを追従することだと思って、
役の機嫌をなるべくとらないようにしようと考えたがるような、
潔癖を持っていることがありますが、これは間違った潔癖であります。

むろん、阿諛(へつらい)追従の心持をもってするのは良くないかも知れませんけれども、
そうでなくて、そこに人類の兄弟がいる、そして、
たとえばここにオリンピック大会に於ける日本の選手がこういうふうな活動をしたと言って喜んでいる人がある、
その喜んでいる一人の人類の兄弟があるのに、その兄弟と一緒に喜んでやらないのは、愛の道ではありません。

自分だけ勉強したい、本を読みたい、出世したいという事によって、
自分と一緒に手を繋いで喜びたいと思っている人類の兄弟に対して冷淡に振舞う事は、
それは自分の愛を生かさない事であります。
生きることは働くことであり、仕事をすることでありますが、更に愛を働かすことであります。

自分の立ち対(むか)う人人(ひとびと)のことごとく喜ばし生かす事は、
またひとつの学問であります。この処世上の生きた学問を勉強するのは、
その相対する一人一人の人の気持ち察してそれと一緒に喜ぶ。

あの人の喜びは自分の喜びであると、自分の魂を打開いた気持ちになって、人間と人間とが触れ合ってゆく。
この人間と人間とが触れ合って喜ぶ勉強ができたら、その人はどこに行っても喜ばれる事になります。

立身出世という問題は、必ずしも本を読んで学者になるという事が立身出世の道ではないのであります。
学者で学問はあっても出世する人は少ないというのは、人間を掴む事を知らないからです。

それで人間を掴む道を知るにはどうしたらいいかというと、すべての一人一人の人に対する機会毎に、
その相手の人の気持ちを察することのできる一種の直感力というものを養い、
そうして相手を喜ばし生かして行くところの愛を養い、その愛を実行する技巧も知らなければならないのです。

技巧というとあまり形式的ですけれども、やはりそれもなければならないのです。
相手を喜ばす技巧というのは、或いは清らかな心を抱いている青年達には、
ばからしいお追従みたいな嫌な事だと思われるかも知れませんけれども、
人間を喜ばす技巧は決して悪い事ではありません。

それが悪いのでありましたら、習字の稽古も、絵の稽古も、茶の湯の稽古も、生け花の稽古も皆悪事になってしまいます。
要するに世の中にあるもの総てのものは、人間を喜ばせる程度に従って尊いのであります。
一人の人を喜ばせば一人に尊ばれ、万人を喜ばせば万人に尊ばれるのです。

(後半につづく)

871a hope:2012/06/25(月) 08:13:24 ID:kJvHf4/g
>>870 訂正
上から17行目

役の機嫌→上役の機嫌

872SAKURA:2012/06/25(月) 11:20:55 ID:6kMwcbRA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは…  ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

本当に…【理想…の信仰】は????でしょうか??
本来の【信仰…真理探究】は??程遠いのかしら〜〜ンと思われる様な?今回の
【お家騒動…】でしょうか?しかも乱入「他宗教組…」が入ってきているの〜?
本当の信仰とは【魂の向上…真理探究】ですかと、改めて思います。
そして、此の事が、許されますのは…当に此の【現象世界…】にてなのに〜〜〜><
そうなのです…。自分自身を磨かねばいけない事なのに〜〜〜♫“時間が〜〜〜”
さ〜〜〜ぁ!今日も【SAKURA】
天の親様なる“神”へ…アンテナ向けて…【魂…の旅…真理探究】

■【栄える生活365章】
−−――−−――生活に活用出来る真理−−――−−――

“生長の家”は一宗一派の宗教ではないのである。それは新興宗教でもないのである。
それはあらゆる宗教が、若しその宗教が人を救い得る“真理”を内に蔵するもので
あるならば、その人を救い得る凡ゆる宗教に共通せる“真理”だけを純粋に冶金し
精錬し、抽出して、わかり易く、ここに君たちの祖先が信じて来た宗教の「人を救い
得る真理」の神髄がある“と端的にその”真理“を夾雑物ぬきに示すのである。
それによって祖先伝来又は自己の従来信仰せる宗教の、どこに中心真理があるのか
今まで判らないで、ただ葬式の時にだけ職業宗教家を呼んで来て、葬式の儀式を
行うだけに過ぎなかった人たちが、祖先の宗教に内包せられている真理が、
如何なるものであるかをハッキリ知ることができ、その真理を日常生活に生きる
道を“生長の家”によって教えられる事になるのである。即ちこれを算式によって
示せば、
 祖先の宗教+生長の家=生活に生きて活し得る真理
となる訳である。

                          (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
                                 再合掌

873ハマナス:2012/06/25(月) 23:28:10 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

欠乏は心の産物 (『新版 生活の智慧365章』P.189)

  すべての欠乏は、自分の心の産物であるのである。自分の心がケチであり、もっと力を
出さなければならない時に力を出すことを吝(おし)んだり、「実相」に智慧を仰げば、もっと
よい智慧があらわれ来るのに、現象の知恵によって実相の智慧を覆い隠してしまった結果なので
ある。その道の専門家の指導で株に投資して一時大いに儲けたように見えていても、それが実相
の智慧に導からた富でない限りは、一朝経済界の破たんが来た際に、株券がただ一枚の紙片に化
してしまうのである。

 よろしくもっと全智なる神の智慧の導きに従うべきである。全智なる神が吾々自身の内に宿って
いたまうのである。よろしく吾等は神想観して深く自己の内なる神を内観し、其処から如何に富を
処置すべきかを判断すべきである。すべての人間の内部には無限の智慧が宿っているのである。
その智慧を引き出す道が神想観である。

感謝合掌

874a hope:2012/06/26(火) 07:38:25 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

人を喜ばすのは追従ではない【後半】


それですから、学校を出ただけの人間は役に立たないとよく言われますのは、
それは本当に世の中の生きた学問をしていないからです。
人間というものをよく知らないからです。

世の中を知らず、人間を知らないで本ばかりを読んだとて、
決して本当の人生というものは分からない。

中には商業学校の先生で商売をすると必ず損するというような先生がありますが、
そんな人は本当に人間というものを知らないで書籍だけで勉強しているから、
本当の事をやらせると分からないのであります。

そうすると吾々の勉強は必ずしも本だけにあるのではなく、
常に「今」どんなときにもあるという事を知らねばなりません。

むろん時間を大切にして本を読む事は大切ではあります。
しかし上役が雑談して、本を読めない時は、
その雑談している人間そのものが私達にとって教科書であります。

その人間の顔を見て、その人間の心を察して、その人間を生かすにはどうすればよいか、
その人間を喜ばすにはどうすればよいかという、その生きた教科書を見て勉強できるのであります。

木下藤吉郎が織田信長の心を察して草履を温めたというのは、
藤吉郎は自分の主人を教科書として勉強したのです。

そうしますと、凡(すべ)ての人間が皆自分の生きた教科書であるという事になって、
自分を邪魔する人間は一人もいない、皆自分を勉強させてくれるのであるという事になり、
意地悪の姑でも、意地悪の上役でも、皆ことごとく自分を勉強させてくれる生きた教科書となり、
人生の勉強を積みつつ誰からでもかわいがられて、凡(あら)ゆる場合に応じて、
自分も生き、人をも生かすところの生きた活(かつ)学問というのがそこに成立つのであります。

(第十一章 時間の生かし方 終り、次回より 第十二章 交際の生かし方 へ)

875みすまる:2012/06/26(火) 20:17:24 ID:B61Q13dQ

谷口恵美子先生著 『こころの旅路』P207〜208

物、物にあらず
神のいのちの現れである
つつましく水を使ふこと
つつましく火を使ふこと
一片の菜も、一切れの芋も
人参も牛蒡も生かして使ふこと
一枚の小皿も傷つけたら侘びること
有機物も無機物も一切の物のいのちを
永持ちするやうに心がけること
一切の物は神からの預りものである


これは、東京の両親の住居であった母屋の台所に貼ってある母の書いたメモです。その当時働いていたお手伝いさんに、台所の心がけとして書かれたものでした。

876みすまる:2012/06/26(火) 20:20:50 ID:64CLkKXQ

875投稿のご文章を、我が家も台所に貼り、意識して料理を作るように心がけています。
台所には、真理が秘めてありますね。

877SAKURA:2012/06/26(火) 23:36:11 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者様 へ
こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日は昨日の「女子会板」で“投稿”しました…若い時は、分からない事が、
スラ〜スラ〜♫〜と理解出来る…!!感激中ですが…更に!続きを“投稿”します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■【奇蹟の時は今…】        J.E.アディントン   (谷口雅春訳)

神はわが生命の内に内在するゆいいちの力であるのである。内に宿る神の
完全な生命は、外からする如何なるものも触れることはできないのである。
過去に何があったにせよ、過去の経験の何ものも、私に対して支配権を
もたないのである。私は神の子であり完全であり、何人が何を為そうとも、
何を言おうとも、神の世継としてのわが完全さに干渉することはできないのである。
わが生命の内に宿る神の力は、如何なる環境の影響力にも打ち勝つところの
偉大なる力をもっているのである。神の力は神の世継たる力であり、いつでも
使うことができるのである。
それに不適任だとかいう劣等感のすべての感情から反転して、わたしは、今自分の
内に必要なすべての資源も能力も存在することを発見するのである。
わたしは、今、わたしの内に、わたしの必要とするすべてのものを発見するのである。
過去を放ち去るに随って、わたしは贖うべき何ものも持たないことを発見するのである。
旧我を投げ棄てたとき、わたしは真の自我を発見する。わたしは人生のしがらみに
縛られる奴隷ではなくして人生を支配する主人公となるのである。
旧き習慣・悪癖の如きものはわたしを支配する何らの力をもたないのである。
環境条件等はわたしを支配するどんな力を持たない。性格がどうのこうのと
いって私を支配することはできない。わたしはわが人生の主宰者である。
わたしは今既に、そして永遠に完全であり、自由であり、円満無欠であり、
それは変ることなきしんじつである。   
                      J.E.アディントン著
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■今日改めて『心の世界』を自由に羽ばたく事が…【心の法則…】でしょうか?
母が亡くなってから…初めて【御霊様…】を見まして“ショック!!”
そうなのです〰〜ョネ!!【人間は霊的人間】と私は自覚しました時に、
管理人「トキ様」からの薦めて頂きました【霊界の小桜物語り…】
更に【死後体験Ⅱ…】を読んで【心=意識】此処まで理解する事が出来るように
なりました…。

■「J.E.アディントン」を拝読してみながら、全て【心で支配する事】なのです〜〜ネ!
では【心をどの様に自覚するのか?】といいますと…
これは■【瞑想…】になるのでしょうかしら〜〜〜ン???

■時間に捉われなく【宇宙と一体】になった時に、【心を集中する事!!】
そして【我…】を捨て去る事が出来なくては…【意識=心を集中する事はできない】と、
私は思いますの〜〜〜ョネ!

■□「旧我を投げ棄てたとき、わたしは真の自我を発見する。わたしは人生の
しがらみに縛られる奴隷ではなくして人生を支配する主人公となるのである」□■

そうなんです〜〜〜ョネ!私自身「過去はないと云う事…」更に!
今!今!前向きに進む事…私自身の【魂の目覚め】でしょうか〜〜〜?
例え、私を取り巻く周囲から…どんなに言われようと〜〜〜><
【わが精神=心は、私自身の“モノ”】なのです…。
今の私は、「現総裁雅宣先生…」に、益々【正しい理念…】と思います…。

■どんな悪の手段!“手段!”で来ましても、そこには
【ゆるぎない精神!!金剛心!!私を支配する事は、不可能なのです!】
この事を…私の“潜在意識”に強く送り込んでいきます…。

益々【潜在意識にととどけ〜〜〜心で全てが叶う〜〜法則は心で〜〜決まる】のです

■宗教は?信仰は?【一人一人の魂の目覚めを見つける事が出発点】と思います!

【SAKURA の心】は、さ迷っていますが??【心は前以上に自由〜〜になって】ます。
もう!捉われることもなく「現総裁雅宣先生の言葉通り」に、
今!今!この時にしかできない時間…更に!
私自身の出来ることから〜〜〜♫〜〜〜やって行こうと思います…。
■【 全 て 意 識 で 物 事 が 出 来 る 事】再発見!再確認!

                                 再合掌

878ハマナス:2012/06/26(火) 23:53:14 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。

肉の欲望と魂の願望  (『新版 生活の智慧365章』P.189より)

 人間は自己に忠実でなければならない。併しその「自己」と云うのは如何なる自己で
あろうか。美味なる食物を欲し、美しき服装をし、異性と戯れ遊びたいような煩悩が
本当の自分の「自己」であろうか。「自己に忠実でなければならない」と云う語(ことば)
で多くの人々は利己的本能に身を投じて、魂の節操を失ってしまったのである。

 「自己に忠実であれ」と云う場合の「自己」とは、肉体の本能的自己のことではない
のである。肉体は、魂が地上に於て仕事をなすための乗物又は作業服として、その自己
修復と自己保存のオートメーション作用としての食欲や性欲を発動するのであるが、
それらの欲望は飽くまでも「魂」の使命を果さしめるための基礎工事としての欲望で
あって、「魂」そのものの願望ではないのである。「自己に忠実であれ」と云うのは
「魂」そのものの願望に忠実でなければならないと云うことである。

感謝合掌

879 志恩:2012/06/27(水) 02:01:07 ID:.QY5jUA6
みすまる様

恵美子先生の「こころの旅路」からの引用文の「物、物にあらず。。」
これは、とても大切な真理ですが、ついわすれがちになる真理ですね。

別板で、a hope様が、ももんが様のご紹介で購入されたという仏典から、同じ様な台所での心がけの
ことばを書き込まれていますが、これによって、やはり、真理は1つなのだということを教えて頂けました。

みすまる様のお母様は、このことばを、メモに書いて台所に貼っておられたということですから、お母様も
生長の家でいらしたのですね。私も、よく、真理のことばをメモに書いて、時々,替えますが、台所に貼っています。

880a hope:2012/06/27(水) 07:44:09 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

第十二章 交際の生かし方
立身出世の道


誰でも出世したい、月給が上がりたい、自分が勤め月給を貰っていない人でも、
自分の父や兄弟や良人などが出世をしたり、月給が上がったり、収入が殖えたりすることは嬉しい。

嬉しいのが当たり前である。嬉しくなければどうかしているのである。

しかしそれが恰(あたか)も嬉しくない出来事ででもあるかのように、
月給が上がらないように、出世をしないように努められていられる人が、
世の中には多いらしく見えるのはなぜでしょう。

(つづく)

881みすまる:2012/06/27(水) 08:00:07 ID:EsVYxlC.
志恩さま

ありがとうございます。
母がこの言葉を貼っていたというのは、恵美子先生のお母様…輝子先生が、お手伝いさんに、台所に貼り伝えていたということです。
私の母ではございません。紛らわしくて申し訳ありません。

882 志恩:2012/06/27(水) 08:50:20 ID:.QY5jUA6
みすまる様

了解です(笑)
忙しい時間帯ですので、短文で すみません。

883かぴばら:2012/06/27(水) 12:24:47 ID:8HSO87Es
みすまる様
a hope様

いつも素晴らしい投稿有難うございます。

我が家でも、以前に普及紙に載っていた輝子先生のこのお言葉を切り抜いて、冷蔵庫に貼ってあります。本日から又、肝に銘じて心がけさせていただきますね。

有難うございました。

884SAKURA:2012/06/27(水) 16:06:43 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者様 へ
こんにちは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日は昨日の「女子会板」で“投稿”しました…若い時は、分からない事が、
スラ〜スラ〜♫〜と理解出来る…!!感激中ですが…更に!続きを“投稿”します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■【奇蹟の時は今…】        J.E.アディントン   (谷口雅春訳)

神はわが生命の内に内在するゆいいちの力であるのである。内に宿る神の
完全な生命は、外からする如何なるものも触れることはできないのである。
過去に何があったにせよ、過去の経験の何ものも、私に対して支配権を
もたないのである。私は神の子であり完全であり、何人が何を為そうとも、
何を言おうとも、神の世継としてのわが完全さに干渉することはできないのである。
わが生命の内に宿る神の力は、如何なる環境の影響力にも打ち勝つところの
偉大なる力をもっているのである。神の力は神の世継たる力であり、いつでも
使うことができるのである。
それに不適任だとかいう劣等感のすべての感情から反転して、わたしは、今自分の
内に必要なすべての資源も能力も存在することを発見するのである。
わたしは、今、わたしの内に、わたしの必要とするすべてのものを発見するのである。
過去を放ち去るに随って、わたしは贖うべき何ものも持たないことを発見するのである。
旧我を投げ棄てたとき、わたしは真の自我を発見する。わたしは人生のしがらみに
縛られる奴隷ではなくして人生を支配する主人公となるのである。
旧き習慣・悪癖の如きものはわたしを支配する何らの力をもたないのである。
環境条件等はわたしを支配するどんな力を持たない。性格がどうのこうのと
いって私を支配することはできない。わたしはわが人生の主宰者である。
わたしは今既に、そして永遠に完全であり、自由であり、円満無欠であり、
それは変ることなきしんじつである。   
                      J.E.アディントン著
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■今日改めて『心の世界』を自由に羽ばたく事が…【心の法則…】でしょうか?
母が亡くなってから…初めて【御霊様…】を見まして“ショック!!”
そうなのです〰〜ョネ!!【人間は霊的人間】と私は自覚しました時に、
管理人「トキ様」からの薦めて頂きました【霊界の小桜物語り…】
更に【死後体験Ⅱ…】を読んで【心=意識】此処まで理解する事が出来るように
なりました…。

■「J.E.アディントン」を拝読してみながら、全て【心で支配する事】なのです〜〜ネ!
では【心をどの様に自覚するのか?】といいますと…
これは■【瞑想…】になるのでしょうかしら〜〜〜ン???

■時間に捉われなく【宇宙と一体】になった時に、【心を集中する事!!】
そして【我…】を捨て去る事が出来なくては…【意識=心を集中する事はできない】と、
私は思いますの〜〜〜ョネ!

■□「旧我を投げ棄てたとき、わたしは真の自我を発見する。わたしは人生の
しがらみに縛られる奴隷ではなくして人生を支配する主人公となるのである」□■

そうなんです〜〜〜ョネ!私自身「過去はないと云う事…」更に!
今!今!前向きに進む事…私自身の【魂の目覚め】でしょうか〜〜〜?
例え、私を取り巻く周囲から…どんなに言われようと〜〜〜><
【わが精神=心は、私自身の“モノ”】なのです…。
今の私は、「現総裁雅宣先生…」に、益々【正しい理念…】と思います…。

■どんな悪の手段!“手段!”で来ましても、そこには
【ゆるぎない精神!!金剛心!!私を支配する事は、不可能なのです!】
この事を…私の“潜在意識”に強く送り込んでいきます…。

益々【潜在意識にととどけ〜〜〜心で全てが叶う〜〜法則は心で〜〜決まる】のです

■宗教は?信仰は?【一人一人の魂の目覚めを見つける事が出発点】と思います!

【SAKURA の心】は、さ迷っていますが??【心は前以上に自由〜〜になって】ます。
もう!捉われることもなく「現総裁雅宣先生の言葉通り」に、
今!今!この時にしかできない時間…更に!
私自身の出来ることから〜〜〜♫〜〜〜やって行こうと思います…。
■【 全 て 意 識 で 物 事 が 出 来 る 事】再発見!再確認!

                                 再合掌

885SAKURA:2012/06/27(水) 17:46:35 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは…  ロ―マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
昨日から“仕事場”に泊まり込みです…。〜〜〜ので“睡眠不足?”でしょうか?
「仕事の資料」が、“山積み!ゴチャゴチャ!”していますから?
一つ一つ調べながら…それでも“眠い”です〜〜〜ネ!「オバケ目!@で〜〜す。」
そのような時、昨日の“歌”を口ずさみながら…私の瀬在意識に〜〜〜♫
又!いつものように“今日の言葉”を開きます〜〜〜ゴマひらけ〜〜〜♫

■【幸福を招く365章】
――――常に積極的な心を維持せよ――――
決してあなたは不安、取越苦労、懐疑、嫉妬……等あらゆる消極的な想念感情の
虜になってはならないのである。常に信頼、幸福、楽天の積極的想念をいだくように
すべきである。あなたの想念感情が明るい波長になればなるほど、神の導きの声が
ハッキリときこえるようになるのである。神の声をきくと云うのは耳の中で囁くように
聴こえてくることもありますし、頭の中で「声なき声」として感じられて来ることも
ありますが、誰かが訪問して来て導きになる善い話をもちかけて来ることもある。
                        (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■ここ一週間ばかり、このような感情(ネガティブ感情)が〜〜〜><
洪水の様に、押し寄せて、又!引きさがりの状態でしたが〜〜〜
彼らの(出て行かれた方)は、ネガティブな感情で…後は“女性の場合”は、
そこの世界に“どっぷり浸かる状態”なのでしょうか??
まるで【井戸端会議】のような錯覚です…。
先ず!第三者を使う【悪質手段はお手のモノ〜〜><】かなり、なれていらっしゃる様に
お見受け致しますが…このような「生長の家…原宿教団」の状態にされたのですかしら〜〜ン!
水面下での〜〜〜>もう!かなり前からの【問題…】だったのでしょうか?
もしかして!もしかして!【雅春先生亡き後…直後から始まったの〜♫〜】

■【SAKURA】はまるで【一匹狼…荒野をひとりで〜♫】の様にとも思うのですが?
かたや「学ぶ会」の皆様方は、恐らく“私個人”を、変わっていると?おっしゃってるかも…ネ!
何処を〜〜と考えてしまいましたら、友人が「その人の尺度で判断!!」で〜〜ショ!
更に【同じ仲間の尺度観】更に【世間体は、似たような世界での捉え方の仲間】での尺度ですから、
■■ 【似た者同士の仲間での…討論】になりますでしょう!私の様な仲間が入ってきますと…?
“疎外感”が生じますでしょうかしら〜〜〜ン!■ ブ〜〜〜イング!!
つまり「会社」に入りますと、当然いろんな人との【討論】をしますが…
このような方の「部署」に配属になりますと…本当に“大変”です〜〜〜ョネ!
それでも?まだ私は「受け入れ」が良かったのか?…まだ!恵まれた感じでしたが……
今!私にされている「向こう側」の彼らは、
その行動を分かってとられていらっしゃいますのでしょうか?
この様に私も「ネガティブな感情…」に、支配されやすくなっていましたら…
それで、その“感情の向きを変える”のはもちろんの事なのですが…?

■「イメ−ジ・トレ−ンニング」しますし、更に!朝は「神想観=瞑想」をしますと
“前向き体制”になるので、“物事”がスム−ズに運びますが〜〜〜
更に「神様」に任せていますから、それなりの“答”が出た時は、【一直線…】に、
真直ぐ挑んでいますが〜〜♫〜〜
今の状態は…昨日の“歌”を口ずさみながら“リズム♫〜〜♫〜〜”必ず!
「総裁先生」は、神の導きで必ず!大き「生長の家」をしていただく様になりますし〜〜〜
周辺は【聡明…知識者!なおかつ・行動力者!】になって行くでしょう〜〜〜ネ!!

■□頑張ります!!【SAKURA】は「神様」の導きは…??
此処!!!【2 チ ャ ン ネ ル で の 戦 い!!】でしょうか??
                                再合掌

PS:トキ様へ
何か?難問題が自分自身に降りかかって参ります時は、「声なき声」に、
静かに耳をかたむけますが〜〜〜?この時!【瞑想…神想観】をしますが…
“邪念”が入ってしまいます事もしばしばです…。
トキ様は、この様な邪念の【瞑想狂想曲…】体験は失礼ですが?あられますでしょうか??

886うのはな:2012/06/27(水) 19:40:02 ID:gTn97m6I
  泥棒も神の子  『光の国から』 渋谷晴雄 著

 話はさかのぼるが、私がラテン・アメリカ教化総長としてブラジル、サンパウロに
駐在して三年目のことであった。ブラジルはその面積が日本の二十三倍もある。
ブラジルでは“すぐそこにあります。ご案内しましょう”と言って、時速一二〇キロで
二〜三時間も車をとばす。
 先日サンタ・テクラ練成道場(ブラジル最南のリオ・グランデ・ド・スール州、ポルト・アレラグアイ、
ウルグアイ等から参加した人々は大抵はバスで来た。チリから練成道場までは四十二時間、アルゼンチンのツクマン市から
は三十二時間、ブエノスアイレス市からでも二十四時間かかる。
そんな距離をものともせずに集って下さる方々には頭が下がる。
ブラジル駐在三年経ってもまだ全教化支部(これは日本でいう生長の家の教区に当る。全国が約一二〇の教化支部から成っている)
をまわることができない。それでもほとんど毎週日曜日は、サンパウロ以外の土地に巡講に出ている。
 一九九三年(平成五年)の十月二日と三日は、マットグロッソ州のクイヤバというところで講師研修会を行なった。
クイヤバは自然の宝庫といわれるパンタナルの北の玄関にあたる都会である。
 私は各地に行くとき、そこの幹部の方々の体験談を聞くのをたのしみにしている。
日本から見れば地球の裏側になるブラジルでも、生長の家のみ教えにふれて幸せになった人はたいへん多いのである。
 これは、車を運転しながら教化支部長の語ってくれた話である。
ある相愛会の幹部が、強盗におそわれた。ブラジルでは強盗や泥棒がたいへん多く、これまで一度も泥棒に入られたことのない人
などまずいないようである。泥棒は拳銃を持っており、簡単に発砲する。だから強盗におそわれたら、言いなりにならないと生命が
危険なのである。

 その幹部の方は、誌友会の帰りに数人組の強盗におそわれ、財布、カバン、服、時計など身ぐるみ剥ぎとられた。
泥棒の一人が、カバンを逆さに振って中味を路上にあけた。そのとき、一枚のカードが落ちた。
泥棒の一人は、「なんだ、このカードは?」
それは聖使命会員カードだった。それを拾いあげたもう一人の泥棒が言った。
「あ、これはSeicho-No-Ieだ。このSeicho-No-Ieというのは、われわれ泥棒に対しても、
泥棒といわないで神の子として拝む宗教だ」
「えっ。そんな宗教をやっている人から持ち物を奪ったら大変なことになる」
こういって、彼等は、今まで奪ったものを皆返してくれたのだった。
こんな話をしながら教化支部長さんは、時速一二〇キロで道を飛ばす。行けども行けども、
まっすぐな道と両側は草原である。実はこの教化支部長は、「すぐそこに教化支部の土地があるから
見てください。将来道場を建てたいと思います」と言って私をつれてきてくれた。
三○○キロ以上も遠かったのである。

 泥棒を泥棒と見ないで「神の子」としてその神性を拝む生長の家の教えは、泥棒からも神の子を引きだしたのである。
この生長の家のみ教えをもっともっとひろげれば、ブラジルは泥棒のいない天国となる。
そのために私たちは頑張っているのである。

887ハマナス:2012/06/28(木) 00:29:56 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。

肉体の自我と魂の自我 (『新版 生活の智慧365章』P.190より)

 「霊肉の闘い」と言う語句があるが、その語句のなかにはハッキリと魂の要求と、肉体の
本能とが別であると云う直観が含まれているのである。肉体の本能的自我を「低き自我」と
云う語(ことば)であらわせば、魂の自我は「より高き自我」又は「高次の自我」とでも
言い表すべきものである。吾らは「高き自我」に対して忠実でなければならないのである。

 若し私たちが「高次の自我」に忠実ならんことを欲(おも)うならば、「肉体の自我」の
要求をしばらく退けて、ひたすら「魂の自我」の囁きに心の耳を傾ける修練をしなければ
ならない。多くの宗教教祖が、(釈尊やイエスをも含めて)断食や水行を行って、肉体的
自我の要求たる食欲や色欲や所有欲や名誉欲や睡眠欲すらも退けて、「魂の自我」の要求に
耳を傾ける修行を積まれたことは伝記の記述するところである。

感謝合掌

888a hope:2012/06/28(木) 07:40:35 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

人に好かれよ


出世しない人、月給の上がらない人は人から好かれない人です。
先ず出世しようと思うには人から好かれる人にならねばなりません。

人から好かれる人にならねば幾ら仕事や勉強がよくできても出世ができません。
月給も上がりません。

なぜなら人間は自分だけで仕事をしているのではありませんから、自分だけの仕事はよくできても、
その人がその部屋にいるために他の人の気持ちがよくないようでは、
他の人の仕事の妨げになりますし、事務所や、工場や、教室の空気を悪くしますから、
それだけその人の値打ちは値引きされるのです。
仕事はよくできる人だのに、なぜか出世できない人とはこういう人です。

ですから、出世したり、月給が上がったりするには、人に好かれねばなりません。
人に好かれる人になるにはどうしたらよいのでしょうか。

愉快な明るい人にならねばなりません。
愉快な明るい人というのは、騒ぎ廻る人のことではありません。
騒ぎ廻る人でも、人から嫌われる人もあるし、じっとしている人でも人から好かれる人もあります。
そうすると人に好かれるにはコツがあるに相違ありません。

(つづく)

889SAKURA:2012/06/28(木) 20:45:46 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

今日は、 やっ〜〜〜と“パソコン”前に、座りましたが…
昨日は、仕事の“ミス”が〜〜〜><それも、やっと!終わり今から“スタ−ト”なのです…。
【聖典】をKEYで打っていきますと“心”がもっと豊かになり、“祈り”も…
限りなく透明…そうなのです〜〜〜ョネ!素晴らしい世界に、入って行く様ですが……
では!今日も【クリアな世界】に、行ける【心の聖典】を開きま〜〜〜す。!!

■幸福を招く365章
―――――我祈れば天地応う―――――
イエスが「我れみずからにては何事も成し得ず、天の父われに在(いま)して
御業をなさしめ給うのである」と云ったのは、自己の内に普遍の神が宿っていて、
自己内在の神を「支店」として宇宙普遍の神の力を動かすことが出来るのだと云う
真理を説いたものである。自己の内に宿りたまう神を自覚するとき、はじめて吾等は
一切の不幸不安から解放されるのである。四面暗黒に見ゆる時にも、自己の内に
無限の力が宿ると自覚するがゆえに何らの不安も恐怖もないのである。
我れ祈れば天地応(こた)うである。
                           (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■毎日【神想観】をします時、まず!「希望・願い…」とか、いろいろ“お願事”を致しまして、
それから【瞑想…】に入り〜〜〜
まるで「宇宙をさまよう〜〜その様な感じ」になってきます…。そして、
また「希望・お願い…」しながら、もう十分に「神様」へ伝言が出来ましたかしら〜〜ン?
其の気持ちになり、後は「神様」に〜〜〜“おまかせ”気分に…!!

■そして【宇宙遊泳…】をしながら何か?そうです〜〜〜ネ!
一つづつ「お知らせ…モ−ド」みたいな感じで“答え”を、
【縦の真理】或いは【横の真理】から…“伝言メッセ−ジ”頂くのですョ〜〜〜ネ!
しばしば、最近ですが、又!頂くようになりました。
その後の私は、勿論!以前の様な焦りとかは、無くなりまして、更に!
今日もまた【神霊…?】を下さり、とても!楽しくなってきました…。ルン〜♫〜ルン〜♫〜

■【神霊】と言いますと“オ−バ−”ですが…
そうです〜〜〜ネ!【直観…】みたいな感じで“メッセ−ジ”を頂き、直ぐ行動しますと
100パ−セントと言っていいぐらい【良い方向…】に、行くようです…。

■今の私は「神様」に、常に委ねています…???
【不安・恐怖…このようなネガティブ感情】は、いつの間にかなくなっているのです。
〜〜〜本当に【我 いのれば… 天地 応う】当にその通りになっている様なのですが〜〜??

■この【自 己 の 内 に 普 遍 の 神 が 宿 っ て い る ! ! 】

この自覚が…「亡き母の御霊様」を見てから、認識するようになりました事に…
感謝申し上げます…。
この素晴らしい「御教え…」との出会い…感謝!!
                            再合掌

PS:トキ様へ
「我祈れば天地応う」此の認識…やっと出来るようになったのですが…??
「トキ様」は、常にゆるぎのない“神へのテレパシ−”されますのでしょう〜〜〜かと!
私は、まだ?まだ?な?????時がありますが…><如何でしょうか?

890ワハハ:2012/06/28(木) 21:04:31 ID:???
神想観の時間に、こんな場所に来るようではマダマダと・・・

声がきこえました。

891トキ:2012/06/28(木) 21:23:52 ID:pwKH.sew
 こんばんは。私は毎朝、大日本神国観をしております。
外の神様ではなくて、内の神様へ祈る、というい姿勢でおります。
 神想観、真面目にされているのですね。素晴らしいです。

 お互いに、一生、勉強でしょうね。頑張ってください。

892トキ:2012/06/28(木) 21:36:08 ID:pwKH.sew
>>891

 そうですか(笑)

893トキ:2012/06/28(木) 21:36:52 ID:pwKH.sew
訂正です。890はSAKURA様、892はワハハ様宛です。ごめんなさい。

894SAKURA:2012/06/28(木) 21:48:37 ID:V.pKl3yA
トキ様 ヘ
観覧者の皆様 ヘ

こんばんは…  ロ−マ字の(大文字)【SAKURA】で〜〜〜す。
>>891拝読させて頂きまして

■【神 想 観】に関しまして…
今の私は【時として…場所として…】今では?【限定した処】でなく…
いつも「我が内なる神…」ヘの【神想観…】を、させて頂いております…。
そして「トキ様」がおっしゃっています様に…
現在の世界観・社会情勢…etcを考えますと益々と
■【 日 本 国 】この自覚が以前以上に、私の“心”の中に入り込んだ次第です…。
【 大 日 本 神 国 観 】素晴らし〜〜〜イ!「祈り」です〜〜〜ネ!

■■私もこの【水と森〜〜〜ゆたかなる国…日本国…】の“お祈り”益々させて頂きます。…。
                           再合掌

895ハマナス:2012/06/28(木) 23:58:30 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

内に宿る霊(たましい)の叫び (『新版 生活の智慧365章』P.191より)

 肉体は個々別々の存在であり、自他分離の存在であるが、霊(たましい)から言えば、
「個人の霊」は神なる「普遍霊」の一部が人間に宿っているのである。だから自己の
「内に宿る霊(たましい)」の叫びに耳傾けると云うことは、同時に「普遍霊」の導き
に対して耳傾けると云うことにもなるのである。それから無限の智慧の導きが湧き出て
くるのである。

 この「内部の霊」の呼び掛けが私たちの道徳生活に対してあらわれて来る場合には、
これを「良心の叫び」と言い、日常生活での導きや、発明発見等の場合の導きとして
あらわれて来る場合には、これを直観とか直覚とは呼びのである。それは普遍霊の導
きが、普遍霊の分霊なる「霊(たましい)の自我」を通してあらわれて来るのである。
私たちがこの「霊の自我」の導きに心の耳を傾け、その導きの通りに実践するならば、
現実生活が健康と愛と繁栄とを実現せる「実相そのまま」の天国となるのである。

感謝合掌

896SAKURA:2012/06/29(金) 08:04:24 ID:HSg8gJDc
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

おはようございます…。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

URL http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1331290102/1667 
(上記URL)拝読させていただきまして
さて!今日は、朝から「生命の実相」投稿文が、ありましたが…
肝心な“省略の文”の所に、其の前後の深い意味がありますものと思います…。
従いまして、解釈論が…全く人により」異なって参ります…。
そこで「全文」を、此処にて“投稿”させて頂きます…。

■■『邪 説 を 排 撃 す る の 可 否』  「生命の実相30巻抜粋」
■これは別に人と争うために争うのではないのです。真理を述べるために、
他のまちがった邪説と衝突するということはこれまたやむをえないことであります。
だから、自分が正しいと考えているところの真理に対して、反対者がまちがっていると言うの
ならば、そのまちがっている点を挙げて、ここはこうまちがっていると言えと、
こういうぐあいに言っておられるのであります。

「生長の家」の説くところを時々非難する人がある。真理のよく悟れた人は非難しないで
讃嘆されるのでありますが、十分真理の悟れない人や、いわゆる宗教業者で商売敵(がたき)と
思って揚げげ足取りして非難される人がありますが、そういう場合、生長の家では黙殺することも
ありますが、他の人に誤解せしめて真理を伝える邪魔になると思われるような場合には
敢然としてその人たちの妄論を反駁することもあります。

すると「何じゃ、生長の家は全てのものと大調和をせよと教えておるのに、駁論なんかを発表する
のは怪しからん。あんなことでは、生長の家本部そのものが生長の家の教えに背いている」という
ぐあいに考える人もあるようです。
しかし、非真理に対しては、駁論を発表することが必要であることもある。
非真理が滔々(とうとう)こして弘まっている時代に真理を説くには、非真理の説を
是正しなければならない。「虚妄(こもう)を壊(え)するものは真理のほかに非ざるなり」と
聖教『甘露の法雨』の中に書いてありますが、邪説を打ち破るためには
正説の法鼓(ほうこ)をとうとうと打ち鳴らす必要があるのです。
正説の法鼓(ほうこ)を打ち鳴らすことは大調和を破っているのではない、
大調和を破っている邪説の領域を狭めて、大調和の領域を広めることなのであります。

釈迦が仏教をひろめられた時にも、ばらもん教などの邪説に対して、やはりその教えの
まちがっている処を論破することを怠らなかったのであります。ですから、邪説を論破して
大調和の真理を弘めるということと、この「山上の垂訓」でキリストの言われた
「右の頬を打たれたら、左の頬を向け」という教えとは、また別のことであると観なければ
ならないのであります。これはキリスト自身の御生涯をみるとわかるのでありまして、
教えというものと時代、環境、御自身の生活というものとを切り離して考えると、
本当の意味が解せられないのであります。教えというものは、生きた人に教え、
時代に生きているもので、教えそのものが宙ぶらりんに生きているものではないのであります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■「現総裁雅宣先生」は、今!!当に!!
『時代にあった〜〜〜生きた〜〜〜【真理】を、別の角度から私どもに教えて下さっております。

『時 代 は 確 か に 変 化!し か も ス ピ ― ド 化 !!』しております…。
しかも人間の“心”は、「雅春先生」御存命中より、複雑です…。そして現代社会に於きましては、
『心の迷い・悩み…etc』から『自殺』へと意図も簡単に“尊い命”を…たたれます人も><
ですから、色々な観点(見方)によります【真理…】への教えを説いて頂けるものと思います…。
結局…同じ事をおっしゃつています。そして【中心帰一…】なのではないのでしょうか?

本日は【素晴らし〜〜イ“投稿文”】教えて頂きました事に…感謝申し上げます。

                                   再合掌


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