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聖典引用 板

896SAKURA:2012/06/29(金) 08:04:24 ID:HSg8gJDc
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

おはようございます…。  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

URL http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1331290102/1667 
(上記URL)拝読させていただきまして
さて!今日は、朝から「生命の実相」投稿文が、ありましたが…
肝心な“省略の文”の所に、其の前後の深い意味がありますものと思います…。
従いまして、解釈論が…全く人により」異なって参ります…。
そこで「全文」を、此処にて“投稿”させて頂きます…。

■■『邪 説 を 排 撃 す る の 可 否』  「生命の実相30巻抜粋」
■これは別に人と争うために争うのではないのです。真理を述べるために、
他のまちがった邪説と衝突するということはこれまたやむをえないことであります。
だから、自分が正しいと考えているところの真理に対して、反対者がまちがっていると言うの
ならば、そのまちがっている点を挙げて、ここはこうまちがっていると言えと、
こういうぐあいに言っておられるのであります。

「生長の家」の説くところを時々非難する人がある。真理のよく悟れた人は非難しないで
讃嘆されるのでありますが、十分真理の悟れない人や、いわゆる宗教業者で商売敵(がたき)と
思って揚げげ足取りして非難される人がありますが、そういう場合、生長の家では黙殺することも
ありますが、他の人に誤解せしめて真理を伝える邪魔になると思われるような場合には
敢然としてその人たちの妄論を反駁することもあります。

すると「何じゃ、生長の家は全てのものと大調和をせよと教えておるのに、駁論なんかを発表する
のは怪しからん。あんなことでは、生長の家本部そのものが生長の家の教えに背いている」という
ぐあいに考える人もあるようです。
しかし、非真理に対しては、駁論を発表することが必要であることもある。
非真理が滔々(とうとう)こして弘まっている時代に真理を説くには、非真理の説を
是正しなければならない。「虚妄(こもう)を壊(え)するものは真理のほかに非ざるなり」と
聖教『甘露の法雨』の中に書いてありますが、邪説を打ち破るためには
正説の法鼓(ほうこ)をとうとうと打ち鳴らす必要があるのです。
正説の法鼓(ほうこ)を打ち鳴らすことは大調和を破っているのではない、
大調和を破っている邪説の領域を狭めて、大調和の領域を広めることなのであります。

釈迦が仏教をひろめられた時にも、ばらもん教などの邪説に対して、やはりその教えの
まちがっている処を論破することを怠らなかったのであります。ですから、邪説を論破して
大調和の真理を弘めるということと、この「山上の垂訓」でキリストの言われた
「右の頬を打たれたら、左の頬を向け」という教えとは、また別のことであると観なければ
ならないのであります。これはキリスト自身の御生涯をみるとわかるのでありまして、
教えというものと時代、環境、御自身の生活というものとを切り離して考えると、
本当の意味が解せられないのであります。教えというものは、生きた人に教え、
時代に生きているもので、教えそのものが宙ぶらりんに生きているものではないのであります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
■「現総裁雅宣先生」は、今!!当に!!
『時代にあった〜〜〜生きた〜〜〜【真理】を、別の角度から私どもに教えて下さっております。

『時 代 は 確 か に 変 化!し か も ス ピ ― ド 化 !!』しております…。
しかも人間の“心”は、「雅春先生」御存命中より、複雑です…。そして現代社会に於きましては、
『心の迷い・悩み…etc』から『自殺』へと意図も簡単に“尊い命”を…たたれます人も><
ですから、色々な観点(見方)によります【真理…】への教えを説いて頂けるものと思います…。
結局…同じ事をおっしゃつています。そして【中心帰一…】なのではないのでしょうか?

本日は【素晴らし〜〜イ“投稿文”】教えて頂きました事に…感謝申し上げます。

                                   再合掌


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