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聖典引用 板

851SAKURA:2012/06/19(火) 21:57:02 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。

昨日から、相変わらず?人に押し付けているのかしら〜〜〜ンとの“想い”?
ちょっと考え込んでしまいましたが?当初の「計画…」からは、大幅に狂って… >< 
いろんな方々がいますから、当然“相手の生活環境・考えの方”も異なります〜ョネ!
ト−タル的に考えますと“複雑“なる気分です〜〜ネ??
このような“ネガティブ感情=気持ち”で…では!本を開きま〜〜〜す。
■ 名目… 合掌!! … 沈黙〜〜〜
【我此の書を開き給いて なすべき道を〜〜〜☆】出ました…では?“スタ−ト”

■■ 【幸福を招く365章】
――――天地万物に感謝せよ――――
ブラザ−・ロ−レンスは「自分は神の愛を感じながらフライパンの上でケ−キを焼く。
神の愛を感ずるには自分にとっては地に落ち散っている藁ひと筋を拾うだけで充分である」
と云ったそうである。「木の切株に腰をおろすときにはその切株を拝んでから腰をおろせ。
大根を抜くときには、大根にお礼を云ってから抜け」と云うのが金光教祖の教えであった。
一筋の藁、一本の大根、それに神の愛を感じ、感謝出来るのが宗教的境地であって、
金が儲かるから集ると云うのは相場師の境地である。百丈和尚は一枚の大根の葉が流れ
行くのを追っかけて往って拾って頂いたと云う。
人生が退屈であったり、無意識に見えたりするのはその人の愛が乏しいからである。
愛して何事でも、愛のために行うならば自然と歓喜が湧いて来て退屈であったり、
無意識に感じられたりする筈はないのである。
仕事が退屈なのは、その仕事を経済的理由で自分の労力を切売するような気持ちで
するからである。「神様、あなたの愛をこの仕事を通して実現させていただきます。
ありがとうございます」と感謝しながら仕事をするならば、決して仕事は退屈な
重荷となってこないのである。利己主義のところに真の悦びは湧いて来る筈はない。
神の愛を実現する処にのみ真の悦びは湧いてくるのである。  (谷口雅春著)                           
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■子供の頃は!“トイレの掃除”は、意外とさせられました方?なのでしょうか?
段々と高学年になっても…正直申しまして“イヤナ感情=気持ち”はなく【実行…】
逆に…【トイレの掃除をしますと〜〜〜綺麗になれる】と、ひたすら信じる“私”
従いまして“高校卒業”しました頃、初めて化粧を…しました時なのですが?
近所の方が「綺麗に〜〜なったネ〜〜♫〜〜去年より〜〜〜綺麗に〜〜♫〜〜」
更に!「美人に見えるョ〜〜〜まるで“ハ−フ”みたいに見えるの〜〜ネ!」と…
良く云われだし、更に!専門学校に行き出してから、帰りが遅くなる…
そして更に!“音楽活動でヤマハ”に行ったり…バイトに行ったり…【時間調整が〜〜】
               <つづく>             NO.1


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