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聖典引用 板

874a hope:2012/06/26(火) 07:38:25 ID:kJvHf4/g

人生読本 谷口雅春先生著

人を喜ばすのは追従ではない【後半】


それですから、学校を出ただけの人間は役に立たないとよく言われますのは、
それは本当に世の中の生きた学問をしていないからです。
人間というものをよく知らないからです。

世の中を知らず、人間を知らないで本ばかりを読んだとて、
決して本当の人生というものは分からない。

中には商業学校の先生で商売をすると必ず損するというような先生がありますが、
そんな人は本当に人間というものを知らないで書籍だけで勉強しているから、
本当の事をやらせると分からないのであります。

そうすると吾々の勉強は必ずしも本だけにあるのではなく、
常に「今」どんなときにもあるという事を知らねばなりません。

むろん時間を大切にして本を読む事は大切ではあります。
しかし上役が雑談して、本を読めない時は、
その雑談している人間そのものが私達にとって教科書であります。

その人間の顔を見て、その人間の心を察して、その人間を生かすにはどうすればよいか、
その人間を喜ばすにはどうすればよいかという、その生きた教科書を見て勉強できるのであります。

木下藤吉郎が織田信長の心を察して草履を温めたというのは、
藤吉郎は自分の主人を教科書として勉強したのです。

そうしますと、凡(すべ)ての人間が皆自分の生きた教科書であるという事になって、
自分を邪魔する人間は一人もいない、皆自分を勉強させてくれるのであるという事になり、
意地悪の姑でも、意地悪の上役でも、皆ことごとく自分を勉強させてくれる生きた教科書となり、
人生の勉強を積みつつ誰からでもかわいがられて、凡(あら)ゆる場合に応じて、
自分も生き、人をも生かすところの生きた活(かつ)学問というのがそこに成立つのであります。

(第十一章 時間の生かし方 終り、次回より 第十二章 交際の生かし方 へ)


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