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聖典引用 板
828
:
金木犀
:2012/06/14(木) 08:24:37 ID:cOQV.ogI
HONNE 様の問いかけられた問題に、少なからず関係ある気がするので、
本流掲示板の伝統様のスレッドにありました尊師の真理の言葉を転載致します。
日時:2012年06月02日 (土) 05時07分
名前:伝統
*『光明道中記(六月 神にむすばる)』より
六月ニ日 恐れずに所信を貫く日
【闇に対しては光をもって相対せよ。
非実在を滅するものは実在のほかに在(あ)らざるなり。(『甘露の法雨』)】
悪は無いと云うことと、悪を征服することとの問題が時々混同せられる。
彼らは悪が有(あ)るからこそ征服しなければならぬのではないかと言う。
併し私に言わせれば、悪は無いからこそ征服し得るのである。
暗は無いからこそ光によって征服し得るかのようにである。
光が如何にして暗を征服するかの過程をよく眺(なが)める時、
吾等は教えられるところが非常に沢山あることを発見する。
光は暗をみとめてその進軍を遠慮すると云うことはない。
光は驀(まっしぐ)らに暗に向かって進むのである。
光が暗に向かって進軍するとき暗は消える。
進軍は行(ぎょう)である。
「本来『悪』無し」とは、悪に対して卑怯にも眼を閉じて、
「悪」を見ることを避け、それに触れることを避けて、
「触らぬ神に祟りなし」式に行動することではない。
「悪」をその眼の中に直視するのである。
偽存在(にせもの)はその眼をじっと視詰(みつ)められると、裁判官の前に
引き出された罪人のように眼を外(そ)らして、其処にいたたまらなくなるであろう。
光に視詰められるとき暗は消えるのであって、
暗を消す方法は、暗なんてどうせ無いのだからとて
灯(あかり)を点(とも)さないことではない。
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