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聖典引用 板

831ハマナス:2012/06/15(金) 01:02:13 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。
『生命の實相』の第14巻にHONNNE様のご質問に関するご文章がありましたので、
謹写させて頂きます。

現実の悪はどう改善するか  (『生命の實相』第14巻 P.108〜P.111)

 しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。「悪」をそのまま
放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらさないでもよいもので
しょうかとは、わたしがしばしば質問を受けることであります。しかしわれわれは「悪」に
執着しないでも「悪」を改めしめることは可能であるのであります。それが「悪」であると
われわれが知るのは、そこに「善」が無いということであって、悪が積極的にあるという
ことではないのです。――これは実に大切なる真理であります。「悪」は無でありますから、
「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、
さらに理想化してどこまでも無限に相手を高め上げてゆくことにすればよいのであります。
どこまでも人間を理想化して眺めても、人間は理想化しすぎるということはありません。
なぜなら人間の実相は神の子であり無限に善さを備えているからであります。

 およそ相手を善くするには自身を良くすることが第一であります。自身が良くならないのに
相手をよくなしうるということは困難であります。そしておよそ自身をよくするための方法は、
自分の心の中に光明の精神波動を照り輝かすことであります。自分の心の中に光明の
精神波動が波立っているときその人は善き人であり、自分の心の中に光明の精神波動が
波立っていないとき、暗黒の思念が押しかぶさっているとき、その人は悪しき人なのであります。
人の欠点を見るとき、その欠点に自分の心が捉(とら)われ、それをとやかく言挙げするとき
自分の心の中には暗黒の思念が波打たずにはいないでしょう。「暗黒の思念」は決して相手を
良化することはできないのです。良人(夫)を良くしてやろうと思って小言をいう細君が良人を
ますます悪くするのは、細君の心の中に「暗黒」の思念が波打っているからであります。細君を
良くしてやろうと思って叱りつける良人が細君を良化しえないのも、細君を叱るときの良人の心
には「暗黒の思念」が波打っているからであります。相手を良化しようと思うならば、先ず自分
の心の中から「暗黒の思念」を除去(とりさ)らなければならない。まず自分自身を、「光明思念」
でみたさなければならない――換言すれば、相手の悪を見るような心になってはならないのです。
結局相手の悪を見ないで実相を見る心にならなければならないのであります。ここにこそ自分
自身が光明化し、さればこそまた相手が光明化してくる可能性があるのであります。

(つづきます)


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