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聖典引用 板

805金木犀:2012/06/08(金) 10:54:40 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである  谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より) (4)

国柄も神様のアイディアの実現

ところで、何故私がこういう話をするかといいますと、この日本の国が天皇国家として天皇中心の形をもって現われているのは、それは住んでいる人間が勝手に相談して、吾々個人でバラバラだったら敵が襲撃して来たとき防ぎのしようがないから、自分たちを守るために国家というものをつくろうじゃないかそれには規則がいるから憲法みたいなものを拵えようというわけで、部分部分なる人間が相談をして拵えた国家というものではないということです。

日本の国家が天’皇’国’家’としてそこに出現しているということは、もっと次元の高い天照大御神様の宇宙放送局みたいなところにある“尊いアイディア”がそれを日本民族が受像する心境において、自然に天皇国家として現われて来たものである。すなわち、人為的な存在として日本国家があるのではなく、これは惟神(かんながら)の、神様の御意(みこころ)の中にある“日本国はどうしても天皇国家でなければならない”というアイディアが実現して来たものであるのです。そこに、日本国の生命の尊’さ’というものがある。

これは神様のプランの内につくられているのであるから、日本民族というものは他の民族とはとり替えようがない尊い民族であり、他の国の国柄とはとり替えようのないところの国柄が、この天皇国家なる国柄であるということが言えるわけです。ここに、日本という天皇国家なる国柄の中に生れさせて頂いた自分の使命というものの自覚が大切になって来るのであります。

例えばソ連なら、あの鎚と鎌の国旗に表れている、ああいうアイディアが具象化してプロレタリア独裁の国柄が、あそこに現われている。アメリカならば、国旗に水平の直線で表された“天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず”という平等の思想と、色々の地域民衆が各州となって星の数だけ集まっているという合衆のアイディアの実現である。これとて人間がつくった国家ではないと思うのです。アメリカ合衆国にあるテレビ・セットが、神様の無数の国家のアイディアの中から、ああいう国家のあり方を受像して実現したということなのであります。


国の生命と一つになった時本当の喜びがある

こうして、各々の国家は夫々の神様のアイディアをそこに実現しているのであるから、アメリカが大統領でもうまく治まっているのだから日本も大統領でもいいのではないかという考え方はあてはまらないわけです。それは桜の花は五弁で大変美しく出来ているのだから、すべて他の花も桜の形でいいではないか、藤の花とかボタンの花の形になる必要はないではないかというのと同じである。すべて、ボタンの花にボタンの形を与えているのは、これは神様のアイディアであり桜の花に桜の形を与えているのは神様のアイディアであるし、日本国家に天皇国家の形を与えているのも、これも神様のアイディアであるのです。

吾々日本国民はどうしても、この国家形態の奥にあるところの神様の御意(みこころ)を守って行く。そうして個人の生命が神様のアイディアの中にまで延長して行って、つまり、自分が国家のために生きることによって自分の生命を国家的な広さにまで広げて行く、小さな個人の生命が国家の生命と一つになる、そこに本当に吾々の生きる喜びというものが起こって来るのであると、私の体験から言うと、そういうように感じられるわけなのであります。

それで、この個人の谷口の生命は結局「天皇国日本」の生命と一つである、どうしても天皇国日本を守らなければならないし、又守ることが、私をはじめとして日本人ひとりひとりが本当に生きる道であって、この他に尊き道はないのであると、この天与の尊き道を生きる時その人は本当の生甲斐が感じられる。そういう感じを私は持たして頂いているのであります。

今日はこれで終ります。(拍手)   おわり


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