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聖典引用 板
803
:
金木犀
:2012/06/08(金) 10:40:16 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである 谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より) (2)
なぜ地上に人間が誕生したのか
吾々がどうしても生甲斐が感じられる人生を生きようと思ったならば、根本的に、“人間とは何ぞや”という観方が変わらなければならないのです。それが“いのちの革命”ということになる。ここに私の書いた『いのちの革命』という本があります。ちょっと開いてみます。
『そこで神様は、御自分の生命を人間として顕現して、大自然の生の力のままでは出来なかったところの創造の御業(みわざ)を、人間の姿に神があらわれて、それを完成したまうということになったのです。これが地上に人間が誕生したところの目的であるということができるのであります』と書いてある。
火山を爆発させ、台風を吹かせ、地震を揺らせる、これらの大いなる自然力というものは、吾々が見ることも体験することも出来ますが、その大自然力で一つ、この湯呑を拵えてみよと言っても、神様には出来ないですね。どうしても、芸術的作品といったようなものは神様にはできない。神様が自然力のままではできないのです。そこで神様は、出来なものがあったら全知全能の神という資格がない、もっとも神様は資格など欲しがりはしないけれども、その全知全能の創造の働きが無限に完全に、無限に細かいところまで気がついて、そして、どんな自由自在なものでもつくるという、この神様御自身の創造の喜びを完(まっと)うするために、神様の生命が具体化として、しかも無機物的な具体化ではなくて、有意識的な具体化として、ここに人間が生れて来た。そこに、地上に人間が誕生した価値があると考えられるわけなのであります。
そこで、その人間誕生の価値を本当に生かすとすると、神様が大自然力の段階においてはできなかったその神様の生命がそこに噴出して来るということになるのですから、不可能なことはなくなる。人間誕生の価値を本当に生かした生き方に吾々の生活がグラリと変って来たときに、例えば病気でも大自然力のままではもう死ぬはずの生命であっても、それがもう一つ飛躍した高い段階で、“人間として現われた神”であってはじめてできるという価値を創造できるようになったら、それは神様の大歓喜であるから、神様の生命の流れが滔々として吾々に流れ入って来て、今までになかった新しい生命の噴出がそこに起って来るということになるわけなのであります。
こういうところから先程の諸田講師の御自身の体験でも、又、諸田講師が導かれた病人の体験でも生れてきたわけで、そういうところまで生命の自覚を高めてあげることが出来たら、どんな病人でも再び生きかえるということになるのであります。
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