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俺の記録庫
1
:
考える名無しさん
:2015/08/13(木) 14:14:22 ID:QToXdQkM0
魚拓みたいなもの。
1405
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 17:50:11 ID:rP5sRNts0
その、現在の話題の、ちょっと座間の事件故にやばめなゲームのシナリオライターの人の過去に過去作品についてのインタビュー記事を見つけた。
dengeki-hime.com/2015/09/15/508…
dengeki-hime.com/2015/09/14/508…
問題の作品のシナリオライター本人の人格・精神状態についてまで分析を進めなければいけない理由は、
(作品は作者の手を離れた瞬間から一人歩きする、という意味とは矛盾しないかたちで)
「表現された狂気」に「善性」がまだ宿っているかの「検査」のため、だと思う。
本当に狂った人間の作品については、人間の良心(調和を理屈ではなく感覚(好き嫌いの感情から自動判別する機構))が異常を察知する。
社会的な評判とか人気とか、流行りの勢いだとかで判断せずに、自己の嫌悪感に直接触れさせることで、社会人としてではなく自己として判断することが重要と思う。
人は、生まれながらに、「嫌なものは嫌」とわかる感覚を持っているはずだ。
この「嫌がわかる感覚」を鈍感化させるものに、幼少期のトラウマや自己愛による自己不可視状態などあるが、「臭いものには蓋」がされたまま、結局のところ自分として真剣に考えたことがないままの状態というのがあると思う。
例えば、「人の死」をテレビやニュースでしか知らない人は、「死について」実感を伴わない価値判断を行ってしまう。
(いや、本来、死ならば、本能的に回避するはずであるが(人は自己防衛のため、己や近い者の死を考えないように逃避させる意識を発達させている))
「この現象」を元型化させて明確に記憶しておけるかたちにすると
「私は今まで事故ったことがないから安全だよ。交通事故なんて起こらないよ。平気平気」
という感じか。
この「履き違えた自信」が自己愛バリアっぽく働き、結果的に(無学習で備わっている)「嫌がわかる感覚」を鈍化させてしまう。
1406
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 18:09:14 ID:rP5sRNts0
「事故が起こる可能性」を、「自己が見えない自己愛バリア」っぽいものと考えるとき、
「事故が起きる現実を己の姿であると認識しているか否か」ということになる。
こうなると、"自己啓発的"に、これを認識すべきか否かの判断が難しくなる。
己の損と失敗を求めるビジョンを描くかどうかの問題。
自己啓発している意識高い系の人達は、率先してそういう「自己に損をもたらすビジョン」を描かないように自己を鍛え始める。
これは、「狂気」の不協和音に「嫌悪」を「感じなくなる」【隙】を生んでしまう行為だ。
例えば、「パンがないならケーキを食べれば良いじゃない?」の台詞(マリーアントワネットと言われているがそうではないという説もある)
この台詞が醸す「不協和音」。
この貴婦人は【何】についての実感を欠損しているのだろうか?
【貧しい庶民的な生活事情】についての実感を欠損している。
「庶民の気持ちがわからないまま、(地に足突付いていない)上昇を煽る主張をしてしまう」
この状態は、既に「狂気」だろう。
その上昇気流に乗っかりたい救済志願者達、その実、「自分だけ得をしたい」と考えているわけで、結局「狂気的な歪み」により「嫌がわかる」自己の感覚を鈍化させている。
1407
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 18:15:26 ID:rP5sRNts0
もっとわかりやすくするには、どう書くべきか。
仮に、「快楽殺人の魅力」を広げようとしている異常者がいた場合、この異常者はどうするか?
その残虐行為の「旨さ・気持ちよさ」を伝えようとするのではないか?
「悪魔の囁きは甘い」というのは、こういうことだと思う。
先程、座間の事件故にやばめなゲームの話の途中に突然「現代アートと現代美術家」は犯罪者予備軍という話をしたが、
「歪さの旨さ・気持ちよさを伝えようとしている」という姿勢・方向性で刺激物を生産しているのが、そういう現代アーティスト達だからだ。
そのゲームよりも先にアウトな感を得たわけ。
1408
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 18:29:55 ID:rP5sRNts0
ここまでで俺が語ってきたことから考え直すと、
どんなに危険なコンテンツを摂取しても、”通常ならば”、人々が個々に持っている「嫌がわかる感覚」によって、人々の精神の健全性は保たれたままである。
と考えられる。
しかし、現実として異常者が覚醒する可能性はある。
この辺りの精密な整理が必要。
例えば、「奇抜さが武器の現代アート」をやりたがる人は、古典的技術にコンプレックスを持った「あまり上手くない画家達」であったりするわけだ。
基礎力では競争に勝てない。だから、飛び道具で勝負する。みたいな、自己の欠点・欠損を土俵にしないような「視点移動」が行われる。
ここが難しい問題だ。
多様性の社会。障害者も欠損者もいる。
今の文脈での欠損は能力的欠損だが、社会の文脈において「身体的不利」というのも同じこととなる。
深いところまで考えれば両者に違いは無い。
「欠損故の視点移動」という多様性を後押しする現代アートが隔離されず社会に浸食する現代。
1409
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 18:54:56 ID:rP5sRNts0
論としての先を語るのは難しいが、策としてならば案はある。
「善意」を持つ者が先に99%悪意の作品を世に出す。
そのブルーオーシャンをレッドオーシャン化させ、「奇抜という勝ち抜き方」で躍り出ようとする真性異常者・狂気の欠損者がそのマス目を取らないようにする。
そのようにして世界を守る。
つまり、
「搾取し束縛する支配」
ではなく
「飼いごろしする支配」
によって、真性異常者を隔離する。
逆は、例えば、風俗を違法化したら、凶悪性犯罪は激増、いや、【日常化】するだろう。
本当の悲劇は何なのか。
これは「嫌がわかる感覚」を鋭敏にしないと見えてこない。
嫌悪としての「嫌なこと」が自分でわかる、という事態は、もれなく自分はその不快感を体験している。
「慣れれば快楽になるのだろうか」
という段階を嫌悪を感じる度に審査して、「本当に生理的に無理な嫌なこと」を探求する方向性。
この問題は、ここから先へは論じにくい。
「音楽の和声学の禁則事項の存在」
これも問題になってくる。
最終的には「禁止事項などない」というところに行くが、初歩ほど禁止された項目が多くある。
そして、その禁止理由が歴史文脈的、つまりどこか主観的な経験則でしかないため、科学的普遍的な説得力を持たない。洗脳の可能性すらある。
1410
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 19:13:27 ID:rP5sRNts0
俺は、自分の議論が「芸術の核心に迫る傾向」にあることが、とても嫌いだ。
金にならない。
そして、
そういう議論は、肩書きと学歴と権威を持っていないと、発する意味がない。
即ち、
思いを発する時点から不毛である。
俺以外の偉い人間がそれを論述するのなら、意味があるかもしれない。
1411
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 19:52:51 ID:rP5sRNts0
俺は、結構、「芸術」に、あまり興味が無い。
しかし、勝手にそれを見分けてしまう。
そして、頭の中から私利私欲を消し去った状態で何かを論じれば、それは「芸術」についての話になってしまう。
芸術って、俺にとっては、もはや愛情も抱かない我が子の様であり、可能ならば切り離して生きたい。
1412
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 20:17:51 ID:rP5sRNts0
gendai.ismedia.jp/articles/-/534…
前の遺伝の記事は踏み台で、このリンクは画像引用元の別記事。
gendai.ismedia.jp/articles/-/533…
1413
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 20:36:14 ID:rP5sRNts0
戻って、遺伝の記事。(俺は引用箇所3行目に隙を見つけてはいるが)かなり際どいことが断言されている。
画像引用元
gendai.ismedia.jp/articles/-/534…
1414
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 20:40:27 ID:rP5sRNts0
3行目ではなくて3文目だな。
こういう俺の「単位間違い」は、完全に遺伝的な欠陥だと思う。
ものとしてはタイポの部類なのだが、単なる打ち間違いではなく、3という示したい点を示す書式に関わる部分のものだ。
1415
:
考える名無しさん
:2017/11/16(木) 01:19:33 ID:rP5sRNts0
抽象的に繋げていく文脈。
画像引用元
zakzak.co.jp/entertainment/…
そういう見方・生き方もある、では済まされない異常犯罪者と、奇をてらう型で人権獲得する現代アーティストに関わりながら。
1416
:
考える名無しさん
:2017/11/16(木) 01:59:14 ID:rP5sRNts0
>政府が取り組みを進めているAV出演強要問題。
withnews.jp/article/f01711…
アニメとか非実在青少年に人権を与えるだとかをやる前に、もしくは、同じ視野に入れながら同時に進めないといけないと思う。同時に視野に入れれば、案件ごとに極論になるようなバランスにはならなくなるはずなのだが、
「この件とこの件を『同時に』考えると、結果は『こう』なる」っていう、ちょっと、そういう思考ができる人はあんまり居ないかもしれない、というやり方で取り組んで初めて両案件についての解決の糸口が見つかってくる、という線が見えているのだが、
まず、とりあえず、そのAV出演強要の記事中のAV会社側の応答内容を読んで、「この種の人間が異常性犯罪者と同じレベルで問題だ」というのを、自分の対人経験や人を見る目から感じ取れている、(合法性だけを機械的に計算する心になっていない)のが感覚が鈍化していない人間であると思うのだけど
逆に、その既にレイプ犯のようなAV会社の人間達から見れば、俺が表現しようとしていた豊かな人間性というものが感じ取れない・目に見えない・即ち存在しない可能性がある。
その場合、「良心の呵責」や「罪悪感」が心に生まれることはなくなる。
動物の野蛮性。野蛮性を超えた狂気の化け物として正常。
つまり、感じ取れないのだからわからないのは罪じゃない。
その感覚において盲目である。障害者である。
感覚を得る目が生まれつき見えない人である、ということだ。
そこに、障害者や精神病者であったら罪に問われない。
という一文追加で、その狂気の化け物にとって住みやすい社会になってしまう。
1417
:
考える名無しさん
:2017/11/16(木) 02:14:34 ID:rP5sRNts0
持病の痛みが増大してきたので、明日用に買っておいたサンドイッチを食べてしまった。
パズルゲーム的には明日の朝食詰んでいる状態だ。
一連の思考も、持病の痛みで頭が回転していない状態からだから全くすっきりしない。
1418
:
考える名無しさん
:2017/11/16(木) 10:58:30 ID:rP5sRNts0
過去の座間の事件の記事。
>問題なのが、同意を得ずに殺害したという自供をひっくり返して、公判で『自殺志願者に頼まれて殺した』と主張して認められた場合
>『自殺した死体を切り刻んだだけ』という主張になると、死体損壊・遺棄となり3年以下の懲役で併合罪でも4年半。
news-postseven.com/archives/20171…
もう一つ。
>“色管理”とは、主にホストの世界で語られる「客に恋愛感情を匂わせて接待する」ことである。彼氏彼女、という関係性を保ちながら、ホストは女性から金を巻き上げる
>色管理がダメな手法であるだけでなく、スカウトはそもそも、現在では違法な存在だ
news-postseven.com/archives/20171…
この容疑者は、「快楽殺人者に変貌した」のか、「生きる術として身につけた狡猾性の延長線上として殺人は突飛な行動ではなかった」のか。
何らかの原因で精神的に追い詰められた状態に落ちていく中で、精神の安定というよりは生存の安定のために立ち戻る位置がどんどん狂気の域に入っていったのか。
俺は、先述のエログロ残虐なゲームのサブ文脈として、この座間事件を視野に入れて考えている。
そのゲームのシナリオライターのプロファイリング(癖と視点の分析)をしたところ、「『もののかたち』を弄くることを本人にとって一番身近な思考・表現手段」という点を見つけている。
そのゲームをエンディングまで終わらせたが、
結末としての味は薄く、伏線回収の消化試合を終わらせることで物語が終わり、という感じだった。
一応、読者の想像力に任されるような終わり方なのだが、あれこれと想像させる力は感じられない。
終わると何もなくなった、という感じだ。
そのようにして終わると、その物語の核心部分はどこだったのか?という点において、その残酷で狂気な「殺戮されているのに気持ちよがっている被害者」という「絶対的不協和音」になる。
また、後に明かされる設定から、その被害者達を無条件で擁護するような気持ちにはならないようになっている。
作中のキャラにエロゲ作家志望がいて、そのキャラに「こういうゲーム」の良さを語らせているのだが、
「禁忌に触れるようなスリル」「人に明かせないような後ろめたさを表に立たずに楽しむ」ということが言われている。
しかし、俺は、まだ違和感を感じている。
「禁忌を犯すスリル」と「背徳感」と「苦しみが快楽へと転換される瞬間」を『共有したい』というメッセージは表面上で伝わってくるのだが、
それよりも「呪われた自分を苦しめ続けている苦痛を、他者にも味わわせたい」という意志を感じる。
1419
:
考える名無しさん
:2017/11/16(木) 11:08:07 ID:rP5sRNts0
例えば、俺は、今も絶賛持病中で神経激痛に苦しんでいる最中なのだが、
これを人に味わわせようという気にはならない。
そして、そういう気にはならない己が、そう「自己の負債」を他者になすりつけようとしないために、自分は更に痛み続けるのだろう、というところまでわかる。
その作者の場合には、俺のように痛みをため込まず、その苦しみを快楽へ変換させる昇華によって毛繕いしているように感じる。
言葉を操り他者を操作する自信もその作者には感じられ、結局のところ、作者の自己の核心部分は、未だ自己愛バリアによって自己に対しては不可視な状態であるのかもしれない。
エログロというよりスプラッター系のリアルな描写がされるわりには、その世界観はあまりリアルじゃない。
まあ、リアルじゃないからこそ創作としてそのような犯罪じみた出来事を描くことができる、という理性から自覚している部分もあるようだ。
例えば、今回の作品には見られなかったが先述の記事から言うと
「殴打されながらレイプ」される描写などを描いたりする作者なのだが、「本人は実際に酷く殴られたりした経験はあるのかな?」と俺は疑問に思うわけだ。
ここで「経験が無い」と言う方が、善良な市民っぽい、ってところがポイント。
1420
:
考える名無しさん
:2017/11/16(木) 11:18:35 ID:rP5sRNts0
その作者には、推理小説を好むような色が感じられる。
殺人事件がいっつもテーマな推理小説というジャンル。
探偵推理小説家の中で、実際に殺人を経験したり、殺人された経験がある人は居るのだろうか?
いたら、そこで作品を世に出していない。だから、居ないわけだ。
死の恐怖と死の苦痛を、知らないまま、想像で補って、疑似リアルな体感を文章で表現しているわけだ。
これの一般的な具体例は、特にアニメなどで「病中の状態の表現として、対象に咳をさせる。血を吐かせる」というのがある。
こういうのを見る度に俺は、本当の病を知らないだろ、と思っている。
実際に海外でマフィアのボスに拉致られた俺としては、「本当の緊急事態の臨場感」について、「どこか俺が知っているものと違うな」と思うことになる。
それだけ「リアルじゃない」ということで、リアルじゃないということは危険じゃない、ということで、それら作品は万事円満に完結する輪の中にある。
1421
:
考える名無しさん
:2017/11/16(木) 11:35:25 ID:rP5sRNts0
サバンナの動物にしても、殺戮を行う際には「最小限の労力と最大の効率で行う」という法則がある。
「なぶりごろす」という時を愉しむようなそぶりはない。
それら創作作品には、「なぶりごろす」シーンが多く出てくる。
現実的には、そこまで両者が「イチャイチャする」には、被害者側の了解が要る。
「ゆっくりとなぶりごろされる時を愉しむ被害者」という像が、最も穢れている、と判断できる。
この穢れ、歪みは、現実としてまず成立しえない形。それ故に絶対的な不協和音なわけだ。
ここに感じる違和感を喩えると、
「人間」という存在は、体組織が体内にまとまっているから存在している、
という抽象的には「ハーモニー」と呼べるものが、存在を成り立たせている。
それらの創作作品における「人間」は、臓器が体外にあって飛び散っていたり、そういう有り得ない形で存在している。
キメラという感じではない。
異種を融合した結果の「存在としてのハーモニー」を持った存在キメラではない。
存在としての前提が満たされていない存在だ。
そこで、その作者が、障害者や精神病者、同性愛者など、マイノリティに分類される存在が大好物な様子が思い出される。
なぜ狂気に駆られた人間を分析しなければいけないのか?
存在の枠を与えるためだろう。
狂気とは、観測者なしでは「狂い損」である可能性がある。
1422
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 17:46:28 ID:rP5sRNts0
リツイートについて。
バク転の段階で人類を超えている。
心の壁がない、つまり、イメージトレーニングが最初からMAXレベル。
先日のエログロ残虐butどこか非現実的なゲームに欠けていた「怖さ」を感じる。
Elon Muskの主張する「AIの危険性」に繋がる「心の壁超え」。
jp.techcrunch.com/2017/09/05/201…
1423
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 18:05:00 ID:rP5sRNts0
くそ、未だに持病(の痛み)が治らない。
持病中は横になるのも息を吸うのもままならない。健康な人が対岸に見える。このままどうにもならない感じ。
今まで25年以上、10000時間の激痛からわかっていることとして、平均で72時間(3日間)でその持病の発作状態(死亡状態)は抜ける。
抜けてない。
俺は果たして病人なのか障害者なのか。
現代の社会の判定基準では、そのどれをも通らない原因不明、判定不能。
存在の形を得ることができていない。
なので、全部の歪みを自分個人の中に引き受ける必要がある。
精神的や能力的なものはなんとかできるが、社会的なものはどうにもできない。
1424
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 18:16:52 ID:rP5sRNts0
(人種差別においては)ハリウッドの映画で登場人物に黒人が含まれていないといけない、みたいな形で、
俺は、何かの物語を読むときに、
「この主人公は1ヶ月の間に1度も病でダウンすることなく描かれている。明日も健康が保障された世界と意識の中で今日を無理することを当然と思っている」と感じる。
突如訪れる病、即ち「事故の可能性」について未知な人、無知な人、軽んじている人、知ったかぶりで克服できると精神論を振りかざす人、
そういう人達には、「素敵な大病を患ってみてください。知的探求としては、それが最高の教材です」
という意見しか持たない。
立場というか個の設定が違うわけだ。
例えば、片足のない人に、「足が揃ってないと遅いから邪魔だ」「足がないと体全体として見栄えが悪い」などと思い考える人達には、「自分が片足を失う事故に合う」という謎の因果が発生することが、結構な確実性で予測できる。
こういう問題について人は逃げられない。それが多分カルマ。
1425
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 18:21:28 ID:rP5sRNts0
俺は、早世する人、早死にする人に対して、可哀相と思わない。
人が死んだらとにかく冥福を祈る人がいる。
その人の頭の中は一体どうなっているのだろうか?
答えは、「自分自身が死なないように」という方向での全力の逃げの疾走だ。
日本古来の言い方では、穢れから遠ざかろうとしている。
1426
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 18:31:51 ID:rP5sRNts0
なぜアートが罪深いか。
アートというのは今俺が語った「カルマ」をオーディエンスに発動させる。
「そこに備わる問題」について「見ている己と関わらせる」
一旦、関わったならば、もう目を背けることはできない。
社会の中で自分の知らない障害で野垂れ死んでいる人を見ない振りしながら生きるみたいなことが不可になる。
この理解から、「エロマンガ家はなぜエロマンガを描くのか」が理解できた。
「性に取り憑かれた己」という障害者的な個の在り方を、「見ているあなたと関わらせる」=「オーディエンスも、このカルマ(性欲に支配された己)と向き合うことになる」
カルマとの向き合いでは、意識レベルの判断力は使われない。
無意識、瞬間的に感じてしまうこと、罪悪感を感じるよりも前に発動する、その罪悪感を覚えさせる相手に対して失礼な思い、
その思いの形から、そのカルマについて己が被る現実の行く末が決まる。
1427
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 18:55:05 ID:rP5sRNts0
アートでは、自分を隠してはいけない理由とは。
描写の仕方を少し変えて表現すると、
「お前は私の持つこの苦しみを持っていないだろ!」という部分を描き、「それを見てしまった者」に、この世に存在するカルマのなかのひとつ(自分の問題)を見た者と共有ではなく、そいつ個人の問題にさせるため。
アートにエリートは居ないはずなんだな。
現代社会のアートエリートは、アートの核心を持たないまま、学校が与える成績と組織が与える権威だけから生み出された疑似生命体のようなものだ。
「アートを行いたいと思わせる動機」は、「お前もこのカルマを知れ!!!」という強い思い。
日常的な表現では「他人に自分のことを知ってもらいたい」という風にも表現されるが、
その本質はそこじゃない。
「私のことなんてどうでもいいから、このカルマを知れ」という呪いに近い。しかし、呪いというと悪行に聞こえる。悪行ではない。最終的にはあらゆるカルマは全員に行き渡る必要がある。
そこから「アート的なSNS」というのを作るアイデアも生まれる。「いいね」で繋がる形ではなく、もっと「地雷を踏ます」ような形で繋がる空間だ。
このスリリングな空間は悪意によってではない。遅かれ遠かれ人がいずれ知らなければいけないことを知ってしまうことを促進させるものだ。
先述の先日のエログロゲームを通して、俺は、人よりも高い読解力をもって、これらのことを、座間の事件や自分の持病についての見解も合わせて、読み取った。
そういう意味では、そのゲームはとても有意義だった。
しかし、万人に薦められるかというと、わからない。弱い人もいる。
1428
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 18:57:08 ID:rP5sRNts0
「弱い人」とは何か。
弱い人とは既に流行を過ぎているものだ。エヴァンゲリオンのシンジ君みたいなやつだ。
逆ギレして強くなるなら、それは弱い奴じゃない。
本当に弱い人は、窮地に陥っても弱いまま。弱さを軸とした生存戦略を立て、弱いままゴールする。
弱い人にはアートは要らない。
1429
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 19:17:48 ID:rP5sRNts0
「芸術は生き様」というのも違う。
「社会を題材にする」というのも違う。
「努力が実を結ぶ」というのも違う。
「人々のニーズに応える」というのも違う。
そういう「浅い理解で現実を定義してしまったお目出度い人間」を「現実に呼び戻す」リアリティ溢れる行為が芸術だ。
俺は普段、ここ10年以上、自分の「アート力」を発動していない。
こんな刀を抜かずに生きれる社会を望んだが、どうやら社会に対して優しい顔を見せていては生き延びられないことを自覚し始めている。
俺は弱い人ではないので、弱者利権を貪るような似非アートはできない。
「もしも」の話として、俺に「アート力」が無かったら。
俺にアート力がなかったら、普通に一般的な学問を極め、その道の頂点を目指していた。
それを叶わせなかった原因・存在の根源、俺がアート力を持ってしまっているということ。
本当に、アートなんてものは、自分から切り離したい。
芸術の素養が無い人は、何不自由なく生きている、と論理的に断言できる。
1430
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 19:43:03 ID:rP5sRNts0
逆に言うと、ファッションとして芸術を体得しようという現代社会の風潮、これは偽物のアートで世間を埋め尽くす原因にもなり、つまり、「あらゆるカルマを知らないまま何不自由なく生きている人が、鑑賞した後も何不自由ないままでいられる作品」を社会的に「これが芸術である」と定義する方向にある。
社会というのは、それぞれぞれなりにカルマ・苦悩を持つ個々人がそれらカルマに目を向けていないときの「今なら体調良いし皆のお手伝いできるよ」という側面部分だけを切り取って寄せ集め、人数で割った平均値だ。
とはいえ、未だに俺は「性器露出アート」を主張する人間達には批判的だ。
公共の場としてのモラルについて、というのが今までの俺の見解だったが、今はその先がある。
性器露出で停止する中途半端さが偽物臭い。
それを主張する奴は、結局性欲の虜なのか?レイプされてもその主張のままか?
「なら、レイプされてからもう一度、その性器露出アートの正当性を主張しろ」
事態の悪い面、奥に潜む本質、そのままにしておくと到達してしまうそれ自体が持つ方向性を理解していない。
という意見になる。
「その性器露出アート主張者が抱えるべきカルマを抱えてから、出し方を考えろ」となる。
これは、「肌の露出の多い服をファッションとして着て歩きたい女性」が「ひとのファッションを性的に見る側が悪い」と責任を押しつけながら自分のしていることを自覚していない、ということに繋がる。
異常性犯罪者にレイプされたり最悪殺害されないと、理解しない「ものわかりの悪さ」だ。
この「知らないままのワタシ」の方向性で発達させられる「アート」は、その「何不自由なく生きている人達用の似非アート」の部類であり、
即ち、麻酔を打って、去勢して、部位欠損しまくりの身体を仮想現実端末に接続したうえでの五体満足感で自己の臨場感を初期化して、という現実感のうえにある。
つまり、どこかとてつもなくダブルスタンダードなわけだ。
このダブルスタンダードさが「公私」という概念により、その有効範囲が分けられている感が現代社会にはあるのだが、「誰かの都合」でその境界線を広げたり狭めたり、そういうことを人権屋的アーティストは飯の種にしている。
1431
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 20:26:18 ID:rP5sRNts0
レイプが無い世界が良い。
そう言う人が居るのはわかる。
先述の
>突如訪れる病、即ち「事故の可能性」について未知な人、無知な人、軽んじている人、知ったかぶりで克服できると精神論を振りかざす人、そういう人達には「素敵な大病を患ってみてください。知的探求としては、それが最高の教材です」
マフィアのボスに拉致られた俺は、持病発生という事故の他に、そういう万が一の事例発生という事故にも遭っている、ということになるのだが、
事故が日常的に発生していたら、人間の人生なんて成り立たない。
事故は一度でも起きてしまえば、その人間の人生一生分を狂わせるに十分だ。
事故の重要性を理解しない人間は、事故に遭うしかない。
それ以外に実感しようがない。
けれども誰かにそれを教えたくて事故をセッティングしてあげる必要はない。
そこまで相手のことを思っている人はいない。
事故時には、これまでの自分の知の集大成で解決に臨むのだが、足りてなければ死ぬだけ。
人の不遇には同情しても、人の死には同情しない。
その死には、それなりの意味があるはずだから。
仮に世界がループしているとすれば、その死んでしまった人は、次人生をやり直すときに、事故に対する知識を得ておかなければ、そこから先へ進めない。つまり、死んだときほど順風満帆には生きてない。
1432
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 20:44:18 ID:rP5sRNts0
事故が起きたときに対処できる知がない。
けれども事故が起きたときに助けてくれる仲間がいる。
しかし、ここで終わりではない。
自分の死の瞬間まで、この事故は続く。
人生80年の内の78年を上手く生きた人がいるとする。
最後の2年だけ、助けてくれる仲間もおらず、来たるべき事故で死んでしまう。
他人の人生を客観的に見たときには、「80年中の78年も幸せに生きたなら、その人は幸せだろう」と人は思う。
言葉の上では「ご冥福をお祈りします」などと言いながら。
このようにして、この人生80年の人は、死後ですら、誰の理解も得られないまま葬り去られる。
この人生80年の人の主観では、「己の人生」が始まり、クライマックスを迎えたのが78歳を過ぎてからだ。
それまでの78年は人生本番に向けた序章だ。
本当だったら人生95年だったかもしれなかった。
本番が始まってから2年しか持たなかった。
誰も居なかった。死後も、誰も理解してくれなかった。
78歳にもなれば脳も体も衰えて、死が怖い意識すら明白ではなさそうだ。
そんな知ったかぶりの仮説を唱える者もいるだろう。
脳や体の衰えは、死というより絶望に繋がる恐怖を与える。
老人は恐れながら生きている。
しかし、衰えているのでその恐れを拭い去る言動すら発動できないでいる。
どれだけの成功と繁栄を積み上げて生きてきても、最後に死ぬ時の自己の心残りが全てである、というのが算命学の午未天中殺の人達の人生である、というところまでは把握できてきた。
1433
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 20:48:30 ID:rP5sRNts0
午未天中殺の人は、家系の最後を務める人生。家族両親師匠上司に恵まれ、こつこつと功績を積み上げる。しかし、心を満たすものは具象的な事物にはなく、有るも無いもないところにあることを「人生の最期で」理解する人生。
というのを把握した。
この世の生き方を説く午未天中殺の人の言葉は、薄い。
1434
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 21:18:18 ID:rP5sRNts0
衰えの恐怖は、例えば今持病中で7日間できずにいる筋トレからも学習できる。
普段持ち上がるダンベルの重量で持ち上がらない事実を実感したときの不安感と焦燥感。
この「恐怖」は、入り方を間違えればトラウマにもなる。トラウマになったら、もう筋トレなんてしない人生になる。
そこから「筋肉の必要性」に焦点が移る。
日常生活に必要な分だけの筋肉量があれば十分なのではないか?と問える。
例えば、ギター演奏に使われないと思われる筋肉なのに、その筋肉を増した後初めて越えられる壁があったりする。
この壁はギターだけやってると絶対に越えられない。
美大出、音大出が芸術で大成しない理由は、美術・音楽「しか」やってない貧弱な体しているから、というところに、科学的根拠が発見できるかもしれない。
芸術分野という「ジャンルの枠」が広がるのは、他分野の能力(筋力)がその枠内にぶち込まれた結果、といえるかもしれない。
衰えは、歩める道の幅を狭める。
1435
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 21:30:40 ID:rP5sRNts0
この「衰え」た自己に【万能感】を与えるのが、
先程書いた
>「何不自由なく生きている人達用の似非アート」の部類であり、麻酔を打って、去勢して、部位欠損しまくりの身体を仮想現実端末に接続したうえでの五体満足感で自己の臨場感を初期化して、という現実感のうえにある。
になる。
この現代の、「弱者としての女性」が「ものわかりが悪い」まま堂々と生きれる社会、というのは、「【衰え】を自覚した老人達の描く理想社会」だと思う。
人権屋の飯の種「女性の権利」が、社会を牛耳る重鎮「老人達」の持つ不安・恐怖を体現・代弁させるのに都合が良かったのだろう。
1436
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 23:10:23 ID:rP5sRNts0
俺は一体、いつの頃から、ひとにお節介をする代わりにひとを見捨てるようになったのだろうか、と思う。
勉強しようと机に向かうと掃除を始めてしまう人がいる。
この社会は、掃除を始めてしまう人の掃除活動で回っている感じがある。
皆、もっと、自分自身から目を逸らさないでるべきだ。
俺は、〜してはいけない、〜するべきだ、という言い方をあえて使っているわけだが、こういうのは和声学や対位法の禁則事項を「別に守らなくても良い」という段階で使っている感じだろう。
〜すべきだ、と書かれて本当にそう強いていると受け取らせようとしている筆者なのだろうか俺は?ということ。
座間の事件、被害者達の「死にたい」を言質として殺害に至った容疑者であるが、「情報の伝達」において「伝わらなかった場合」の責任は、死後、社会に求めることができない。
大動脈剥離で亡くなられた声優さんはハザードを出して停車したそうだが、ハザードという伝達を忘れなかった。
続く(かは不明
ほんの少しだけ抽象論として続く。
情報の伝達。モールス信号で考えれば分かり易いが、いくらSOSを伝えていても打ち方を間違えていたら伝わらない。
例えば脳内で神経伝達物質が正しく伝達されないとADHDなど発達障害として顕現するのだが、その伝達構造に「社会的な前提」を要求することはできない。
1437
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 23:17:20 ID:rP5sRNts0
全色盲である場合、運転免許は取得できない。信号の色の伝達を正しく受け取れないからだ。
異常犯罪者というのは、ある面において、盲目であるわけだ。
それ故に見えていない色がある。
わからないのだから、平気で突っ込んでくる。レイプしてくる。
見えないのだったら運転すべきではない。
しかし、現代社会の倫理と社会の学問の感じでは、そういう身体原理的な部分を論点にしない、雲を掴むようなことを言い合っているだけで何にも纏まらない。その副作用として、見るべき箇所を見落とす。
議論者達が、その問題について盲目化してしまう。
盲目化するのならば、もう運転してはいけない。
1438
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 23:30:22 ID:rP5sRNts0
異常者から身を守る方法論としては、そのような王道の解決策があるのだが、
問題は、その解決策を、見ず知らずの人にも与えるべきかどうか、というところにある、と思う。
女性の権利問題で、なんか地に足付いてないことを宣って、結果議論上で勝てたら万々歳みたいな人が居るとして、
そういう女性に、
もしその女性が自分の身内だったら、異常者に殺されないようにするための最低限の解決策を与えるだろう。
他人だったら、
「発表は発送をもってかえさせていただきます」な感じで、その主張の真偽はご自分が死ぬか死なないかで理解してください
となる。
まあ、見捨てる。
1439
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 23:40:07 ID:rP5sRNts0
このSNS時代、どこまでを身内的な範囲と見做すか、というのの判断が難しくなってきている。
座間の事件で言えば、犯人発覚に至った被害者の兄の追跡を除いて、殆ど皆が「身内じゃないから」という姿勢でいたわけだ。偽善者とは言わないが、他人を他人と割り切る普通の人達だ。
一方の座間の犯人。SNSで積極的に接してくるわけだ。「自分のことを身内として見てくれる人」と相手は受け取る。
座間の犯人がそこまで容易く多くの被害者と繋がれた背景・原因には、その他大勢の空気みたいな人間達の「他人としての冷たさ」がある、とも考えられる。
こういう類いの議論は、もの凄い集中力と精神力を使う。
それだけのエネルギーを使うので、殆どの人は「もうそこまで拘りたくない」「自分のことじゃない」「有り得ない話をしても意味がない」と【事故る未来】から目を背ける。
みんな、弱いわけだ。強い人しか議論を続けられない。
1440
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 23:52:27 ID:rP5sRNts0
議論の結果、何を得ようとしているのか?
緊急時・事故時にとっさに取れる行動を事前に組み立てておくこと。ボタン1発で対策案が発動するようにする準備。
そのような緊急事態に陥る前用の、危険に近づいていかない法則を適用した予防策の作成。これが先述の異常者に殺されない最低限の解決策。
議論上での勝利とか、心を満たすためだとか、そういう「議題の現場」から離れたところに還元される利益については全く考えない。
如何に現場で現実で使い物になるか。
それでもまだ「私は安全地帯の中、けれども机上の空論として譲れない」という人には、「是非、事故に遭ってみてください」となる。
で、カルマの話に戻るが、
その「安全地帯の中にいるけど主張を曲げない人」が、それでも尚「自分が正しい」と強く思い続けると…
これが、事故を引き寄せるんだな。これが怖い。
俺は、この引き寄せを擦り付けるために身を引いているとは思われたくない。自然の摂理。盲目には見えない死亡フラグ。
1441
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 23:57:15 ID:rP5sRNts0
事故を経験しないと、その死亡フラグが見えない。
「私には事故が起こらない自信がある」←これは完全なる自己愛バリア。
自己愛により己に関するあらゆることが不可視になっており、自己愛性人格障害のように、自己のことは他者に投影された形でときたま見える、という状態。
盲目な状態。運転不可。
1442
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 00:18:53 ID:rP5sRNts0
そのように他人が転ぶ傾向が見えてくる。
ここで自分としては、お節介するか・見捨てるか の選択肢[A]があったりするわけだが、
例えば、その座間の容疑者みたいな存在が、今自分が選択肢[A]について考えている最中に、その転びかけている他者に付けいろうとしているのを見かけたら、どうすべきか。
この場合、「是非、事故に遭ってみてください」と見捨てる。
事故に遭う前に助けると、こちらがその自意識過剰な他者にとっての加害者になりかねない。
えん罪、というのは少し違うが、本物の狂気の存在を退けたこちら、という背景が伝わらなくなるので、こちらだけが社会の敵になる。
今、会話に出しているカルマというのは、別に変数xでも構わない。そのブラックボックスは特定の宗教の思想によるものではない。
この世の動き方・周り方を観察して掴み取った自前のもの。
カルマの問題として、こちらが助けてしまうと、この世のあらゆるカルマをこちらが独占している状態になり、独占禁止法に引っかかる。
そんな法律カルマには適用されないのだが、人一人で多くのカルマを抱えたところで人類としての個からすると効率が悪いわけであり、その場合、引き受けたこちらの罪。
1443
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 02:53:32 ID:rP5sRNts0
あれは小学生の頃、普段俺が一個下の弟と遊ぶことはないが、そのときは俺と弟と弟の同学年の友人とで公園で遊んでいた。
そのとき何かの遊びで俺が勝って、弟の友達が癇癪を起こした。
後日、弟友人の誘いで同じ公園にその3人と俺の一個上の弟の友人の兄が集まった。
弟友人が笑顔で弟を手招きした。
弟はその友人の元に駆け寄っていった。
すると、その横に立っている弟友人の兄が俺の弟を呼び寄せて持ち上げ、アルゼンチンバックブリーカー(キン肉マンのタワーブリッジ)の技を弟にかけた。
泣き出した俺の弟を地面に放り投げ、そいつの弟、弟の友人は「この前の仕返しだ」と言って去って行った。
その様子を見ていた俺は、報復する気も回らず「こいつら、頭おかしいのか?」と真剣に困惑した。
仕返す相手が違うだろう?俺だろう?そして、暴力で仕返すほどの悪意ある痛手だったのか?その先日の俺の遊びでの勝ちは?
小学生の頃からこういう頭のおかしい男子生徒を見ているので、異常犯罪者の発生が「希(まれ)」である、とかいうふうには考えられない。
かなりの割合の人間が、条件さえ揃えば、その狂気を発動させる。
この一連の話のなかの狂気はどこか?
笑顔で弟を手招きしているところだ。
1444
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 03:19:56 ID:rP5sRNts0
暴力なり損壊を与える一撃、ってのは、受け側がそれを受け入れていない限り、かなりの確率で防がれ、ダメージは入らない。
悪い奴というのは、腕っ節が強いというよりは、一撃を食らわせる前に相手を油断させる。
多分、これは本能なのだろうな。俺にはその油断させ系は備わってなさそうだけど。
引きと押しの関係でその「油断させ」の段階の「引き」が見極められれば、「その引きに乗らないようにする」という対処方法で、一撃を食らわないようにすることができる。
日本だと酒が入った上での男同士の暴行事件が多いので、そういう状態には応用できないが。
「自殺関係のツイート全削除は無意味だ」というツイッターCEOだかの意見は、「それを規制しろ」という日本政府のバカさに対しては真っ当な反論だが、同時に、民間人(ユーザー)同士で助け合えと示唆しているのであり、ということは社会や政府・自治体は民間人ほど暖かい対応を取らないという意味だ。
なんかおかしいんだよ。
事が起きたら有志のユーザーが助け、問題があればユーザー個人が罰せられる。
議論して白熱して疲れておしまい、では駄目なんだよ。
実際に、誰がどんな行動を取るのか、については触れずじまいで、触れたものが負けなかたちなのだから。
争いが起きるのはスラム街、みたいな
1445
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 03:23:45 ID:rP5sRNts0
こういうかたちが明確にされているのだから、そのスラム街ではない富裕エリアの人達が困ったときには、まず助けには行かないな。
「是非、事故に遭ってみてください」
何よりも、実感することが大事。良い機会だから被害者になれよ。立場を理解できなかったら議論は進まないままだから。
1446
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 18:06:13 ID:rP5sRNts0
リツイートについて。
これ…
この人、「目トレス」の人だよな。
天然、いや、培われた煽りの精神が染みついているな。
短く言うと、現在、自分の人生に満足していて調子に乗っている最中の人だな。
1447
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 18:07:33 ID:rP5sRNts0
本心から満足していたら、その培われた煽り精神は持たないのだけどね。
「コンプレックス持ち」が「社会システム上で不自由なくなる」と、「こういう事例が増えてくる」。
1448
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 19:05:33 ID:rP5sRNts0
持病の激痛10000時間の能力とは?
俺の持病は、むしろ「風邪」に似ていて、(風邪程度の症状に収まってくれてたら本当に風邪なのだけど、)
つまり、風邪にも同じ事が言える。
治りかけが一番注意する時期である。
あれ?もう痛みが引いたっぽいな?と思ったその時から正常運転→再発。
主症状が収まってから数日間は病中と同じ扱いの安静状態とする。
このことを、理屈で理解するのではなく、心身の異常を感じ取る感覚で理解する。
この感覚は応用すると、何日間筋トレをしていなくても、同じダンベル重量で以前と変わらずにできるか、を知る
こともできると思う。
つまり、どれだけサボっていても大丈夫かがわかる。
それは、サボることによる損失を最小限に抑える機構が体内にできあがっているということになる。
ここで俺の自動暗示解除ディスペル能力に繋がる。
持病一万時間の能力はこれひとつではないのだが、他はその別の側面に光が当たるときに書くとする。
暗示に掛かる状態というのは、暗示に掛かってあげている状態であり、暗示に掛かっている間、自分のやるべきことをやらずにサボっている状態である。
1449
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 19:15:15 ID:rP5sRNts0
暗示の中には、10年単位で掛かっていても(10年単位でサボっていても)問題ないものもある。
何がそういう暗示なのか、というのを見極めていく、というのもこの力を使う者が習得すべきことになる。
この暗示の性質に気付く上で、俺が16の時に家を出た母親の存在は大きいと思う。
結婚生活17年の暗示期間も、たったの一夜にして無に帰すことが可能である、ということを俺は目にしたわけだ。
父親はそれを裏切りと呼んだ。
(表文脈でもそれは主観でしかないため無効だが)
しかし、俺は感じ取れる。
それは裏切りではなく、完全に愛想が尽きた、ということを。
「この人と一緒にやっていく」という暗示が切れたわけだ。
世間では熱が冷めたとか表現するが、ここの表現は厳密にすべきだ。
1450
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 19:25:47 ID:rP5sRNts0
この暗示無効化の難解なところは、
例えば俺の母親(暗示無効化能力者)が、その17年の暗示期間を解き、その後20年30年生きた後に、また気まぐれで、その嘗ての暗示に掛かってみる、ということも可能となる。
何なのか、というと、「人生においての重大な岐路」すら「相対化」され、自在に操れる。
1451
:
考える名無しさん
:2017/11/18(土) 19:36:48 ID:rP5sRNts0
具体的な応用例を書くと、
日本では、大学は子供が行くところ。就職は新卒。レールから外れたら人生終了。
この大いなる暗示により社会が成り立っている。
暗示無効化ができると、このレールからの出入りが自分の好きなタイミングで行える形になる。
理屈の話ではなく、実際にできるか?の度胸も含め
1452
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 02:06:23 ID:rP5sRNts0
…。・…やっとメインPCが復活した。
ヒヤヒヤした。疲れた。くそ。
先日故障したRAIDカードのケーブルの換えが届いたので換装
→直ってない
RAIDカードのBIOSなど入れ直してみる
→プログラムがエラーで入れ直せない
PC再起動
→OSが起動しない。起動するメディアが無いと言っている
reboot and select proper boot device or inert boot media in ~ってやつだ。
ブルースクリーンよりも怖い。
OSディスクから回復を試みる。エラーで失敗。
リカバリー製品の回復機能で試みる。失敗。
とりあえず、なぜだかわからないがbcdが壊れた。これを回復コンソールから直す。
bootrec /rebuildbcd
システムデバイスが見つかりません
で続行不可能。
パスを移動して、cd /d c: あれ?英語キーボードで¥が打てない。糞過ぎる。日本語キーボード仕様。回復コンソール開始時に英語キーボードを選択したのにもかかわらず。
押し入れから日本語キーボードを探しだしてきて接続。
¥が打てるようになったあと、色々試すが全部駄目。
クリーンインストールし直しか?それは絶望だ!と嘆くがどうにもならない。
最後の悪あがき
電源落として、RAIDカード外して、diskpartで見たときのvolumeの並びが綺麗じゃなかった(システムパーティションがC:\じゃなかった)ので
SATAケーブルを差し替えて、システムパーティションが乗ってるドライブがC:と読み取られる順序に変更。
ここで再度bootrec /rebuildbcd
なぜか成功。
なので続きの処理。
確認で/scanosで見てみると、確認されたOS(0)なぜ0?
ここで投げ出したくなるのを抑えて情報を探す。
どうやら0でもいけるらしい
SCAN OS で見つかったOSゼロだったがPC再起動してみると、このとおり立ち上がった。
怖いから念のため、もう一度再起動してみるか。
1453
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 02:13:17 ID:rP5sRNts0
大丈夫そうだな。
結果として、RAIDカードのmini sasケーブルが壊れていたのではなくて、RAIDカード自体が壊れているようだ。
RAIDカードの買い直し。
不幸中の幸いだが不幸には変わらない。
ケーブル交換で直る→駄目だった
PC全交換かも→免れた
RAIDカード交換
1454
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 08:08:07 ID:rP5sRNts0
リツイートについて。
昨晩、昨日書いていた女性の権利云々の話の続きを書くつもりだったが、PC故障で書き損じていたので、忘れないうちに続きを書き留めておこうと思い立った。
異常性犯罪者は存在する。
レイプ対策をしないで無防備で歩く権利があると思っている女性は存在する。
俺は、
上記の2種は、食物連鎖の関係にあるし、その連鎖の外側(レイプ対策する女性・異常では無い男性)には「何が悪い?」と聞く耳持たないわけなので、【下層の男女】という枠でお似合いかと。
俺が続けていた異常性犯罪者を危険視する主張の方向性は、「全ての女性が守られるべき」というものではない。
女性だからといって生まれながらにその残虐な奪い合いの波長を持っていない、というわけでもない。
動物は見境無く交尾するわけで、より動物的な男女は、「そういう人達」と隔離すればいい。
社会の中で唯一解を決めて満場一致で従おう、ってのは、既に全体主義的な乱暴さにより推進される考えなので、そういう人は、もしかすると、動物寄りの波長かもしれない。
基本的に、波長が低いほど、自分で管理・対処できる別種の人間達の種類が減る。
動物は獲物と天敵、時に飼い主の3種しか見ない。
社会が女の我が儘を全部取り入れる必要が無い。
女の我が儘を全部取り入れる【社会の階層】が社会の中にあれば良いだけ。
その【我が儘が許される階層】が、仮に異常性犯罪者に狙われる層であったとしても、これならその層を選んだ女性の自己責任ということが言える。
異常性犯罪者に狙われない術は、その階層から上に上がってくれば、いくらでも教えてくれる人がいるのだから。
生き延びる道と方法はいくらでもある。
自ら死にやすい道に行くのは自己責任であるという理解が多くの人になされれば、くだらない言い争いは少しは減るだろう。
あと、事故に遭うのを推奨。
事故ったことがない人が事故後のことを定めるのは、色々おかしい。
事故童貞は、リアリティを求められないことを自覚しておく必要がある。
ずっと事故に遭わずに生きたいのなら、童貞的ファンタジーから現実に転げ落ちないように注意を払うべき。
この注意が、リアルでのレイプ対策と同じなのだけど。
1455
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 18:22:55 ID:rP5sRNts0
リツイートについて。
単なるRTにするか、先日から考察中の残虐18禁ゲームからの「惰性と快楽に対象を奪われることへの嫉妬・無力感」について言及入りRTにするか悩んだけど、
別に今俺が考えていることの理解者を増やそう、という意欲はあまりないので、普通のRTで文脈に繋げる止まりにした。
こちらとの相似に対して、こちらとの相違をまず明らかにしておくと、
「医学的に」ということを根拠にする意志の発生がある。
医学という宗教の宣教師な感じだ。教えより、甘い言葉を信じる人が多くて無力感を得る、と。
俺の言う「事故に遭うの推奨」というのは、同じ形だが、ではどう違うのか。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」の「間違った意味」が、この2者の区別をする。
歴史という部分を学問成果や教えをすれば、その女医さんの立場は歴史学ばせ重視。
事故に遭え、は愚者に「早く経験しろ」。
これの本来の意味は、歴史は他人の失敗経験、愚者は痛い目見ないと理解しない。
即ち、ニュース報道や残虐ゲームをエンターティメントとして、他人事として消化してしまう現代人には、もう自分で痛い目に遭ってもらう以外に、その後の議論を進めるための基礎を育んでもらうことができない、
それが俺の視点だろう。
1456
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 19:18:51 ID:rP5sRNts0
「事故に遭ってみろ」っていうのは、憶測だけで勝手に結論して、事故=被害が確定しているから目を逸らし続ける、という連鎖から抜けろ、という意味でもある。
ここで、シュレディンガーの猫の思考実験を見てみる。
なぜ猫の生死が丁半博打で決まってしまうのか。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7…
シュレディンガーの猫の思考実験における猫の生死は、実験者の仮定により定められている。
なぜ猫を題材にしたのか。実験結果を分かり易く示すためだ。
なぜ猫でなければならなかったのか。
「猫」という存在に持つ人間の感情を、理論理解への集中力として話者が「利用」したかったからではないのか?
シュレディンガーの猫の思考実験は、提唱した科学者が、まるで推理小説の中で人の気を引くために殺人事件を発生させる、というような「物の使い方」で猫を用いている。
この「物の使い方」は、殺人で何かを伝えようとする異常殺人犯罪者と変わりがない。
「事故に遭ってみろ」というのは、「シュレディンガーの猫の箱の中の猫になってみろ」ということだ。
箱の中で「あなた」は、まず、なぜ黙って殺されなければいけないのか?ということに気付くだろう。
理論を伝えるために生け贄になってくれと話者は言う。
その言葉に従うかどうか。
現実も同じ。
1457
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 19:22:44 ID:rP5sRNts0
エログロ残虐ゲームで、被害者の女性キャラが、殺人鬼に手足を斬り付けられながら激痛を覚え、死へ一歩一歩近づいている最中にレイプもされている。
そんな描写の中で殺人鬼が射精をする。その射精に対して殺されかけている被害者が、切り落とされた手足そっちのけで「気持ちいい!もっと!」と叫ぶ。
この場合、始末すべきは「殺人鬼」か「殺戮レイプを求めている被害者女性」か。
先程の「自分がシュレディンガーの猫の箱のなかの猫になってみる」話では、登場人物ではないゲームマスター、仮定を定めた実験のシナリオライターの暗示を解け、というものだったが、
現実で、殺されて喜んでいる女がいた場合、救いようがない。多重の意味で。
1458
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 19:36:42 ID:rP5sRNts0
座間の犯人のツイッターのプロフィールと固定ツイートを初めて見たが、これはカルト宗教のグル並に、自分の方法論に対して手練れだろ。いわゆる「プロ」だ。
webronza.asahi.com/business/artic…
画像、大きく出ないのか。画像引用するのもあれだし、面倒くさいことをしてくれるな。
記事において、著名心理学教授の記事がおまけで、(画像クリック後)大きく「無断転載を禁じます」と書かれた白石容疑者のツイッターアカウント画面が主菜の記事。
webronza.asahi.com/business/artic…
他人のツイッター画面のスクリーンショットに著作権を主張するとか、朝日新聞って、やばいな。
1459
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 19:44:57 ID:rP5sRNts0
こういう「層」とか、異常犯罪者とマッチングするような気がする。
j-cast.com/2017/11/183142…
このマッチングというのは、こちらが手を出すこともなく自然にかみ合って相殺される、という「ガラスの靴が繋ぐ王子と王女のペアリング」みたいなものだ。
1460
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 20:27:50 ID:rP5sRNts0
しかし、なぜ異常犯罪者は「若い女性」だけを狙うのか。
俺は悩んだ振りをしているだけで答えは出ている。
死傷させてしまうことにより失われる自己の質と等価となる質を犯罪者が実直に求めているからであり、言い換えれば「あなたのためになら死ねる」という誠実な騎士の精神とさえ重なる。
それは、狙われない女性に価値がないことを身をもって示しているということでもあり、その部分について社会は沈黙する。
「おばさん層に限定した異常犯罪者」というのは、狂った世界においてのブルーオーシャンだ。まだ、その海は見つけられていない。
これから、見つけられたケースについて考える。
おばさん達がわいわいガヤガヤ社会でうるさいのは、自分たちが既に主役の座を降ろされていることを無意識的に自覚しつつも、意識的には目を背けようとしているからだろう。
そんなおばさんだけを狙う犯罪者が出現した場合、そのおばさん達の挙動はどのように変化するか?
このときに、先程のエログロ残虐ゲーム描写の、レイプされながら手足を切り落とされて今まさに殺されようとしているその時に、殺人鬼が射精するのに合わせて「気持ちいい!もっと!もっとワタシを求めて!」と法悦に浸りながら喜びを絶叫する。
この絶対的不協和音が実現する現実的なシチュとなる。
もう社会の花形から退いたおばさんが、犯罪の被害者という立場であっても、誰かに直接求められる、他の誰でもなく自分を見てくれる、あなたはこのワタシでなければ駄目だという、そういう「性行為ではない性別的な役割」を味わわせてくれる事態に、自分の生存を超えた喜びを示してしまう。穢れている。
1461
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 20:37:13 ID:rP5sRNts0
そして、殺人鬼に蹂躙されているのが「そんなおばさん」であるとき、「なんとかしてこの殺人鬼の悪行を止めてやる」と感情移入する側の読者の感情が発生しないことにも気付く。
もう終わってるおばさんなら、まあ、それもありか。という感じで。今、世界の神経周辺をメスで切り開いた手術をしている。
そもそもその絶対的不協和音な「状況」において、こちらの「善性」が嫉妬・無力感を感じたのは、そんな行いをする殺人鬼に対してよりも、そんな行いをされて気持ちよがる女性被害者の「心の変化」についてだ。
この被害者女性が「おばさん」に置き換えられたとき、この善性の衝動が感じられなくなる。
1462
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 20:43:04 ID:rP5sRNts0
なぜそれが「おばさん」だと善性による「存在の保護」をする必要がないと感じられるのか。
それは、純粋に、その殺人鬼の意志が、そのおばさんが求めていながらも現実では諦めていたものを満たしてくれている様子が確認できたから、だと思う。
こちらの心の中に、異常な引っかかりを感じさせない。
1463
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 20:51:45 ID:rP5sRNts0
例えば道端で、おばさんが殺人鬼に斬り付けられながらレイプされているところを目撃したとする。
そしてそのおばさんは、日頃、自分の旦那が早く死ねばいいのに、と大声で話していたおばさんだとする。
一応、殺人鬼に止めに入る。殺人鬼は「我々に構うな。手出しするならお前のことも狙う」と言う。
既に片腕は切り落とされたおばさん。しかしレイプされている最中で悦んでいるようだ。
この殺人鬼を止めようものなら、こんどは俺が殺人鬼にやられてしまう。
被害者は喜んでいる。殺人鬼は手出しをしなければこちらに害を与えないという。
果たして自分は死をかけてまで被害者の喜びを妨害すべきか。
1464
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 20:56:11 ID:rP5sRNts0
この局面において、殺人鬼を生かしたまま無力化することは難しいとする。
そのとき、
既に「この自分」が、どの手段を取ったとしても、社会的に悪者扱いされることが決定する。
見殺しにしたとしても。命を奪うことで殺人鬼を無力化したとしても。中途半端に介入すれば自分が死んでしまう。
1465
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 21:04:06 ID:rP5sRNts0
資本主義社会の現在、これらの議論の「死」即ち「生命」に当たる部分を「お金」に置き換える。
すると、ものの見事に「おばさん」が金銭的に蹂躙されているこの社会の顔について、気がつくと思う。
そして、誰も、助けようとしない。
1466
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 23:40:10 ID:rP5sRNts0
持病で7日以上やってなかった筋トレを終わらせた。
筋トレ中ずっと眠くてやる気がなかったが、筋力的には全く衰えがなかった。
こうなると、普段の基本3日おきというのがオーバーワークな可能性も出てくる。
1467
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 00:04:25 ID:rP5sRNts0
RTについて。
主義の違う者同士が、互いを知らないまま共同作業を行う実験。
実験の前に、それぞれの主義者が自分の主張、対抗する勢力の批判を述べたスピーチを録画している。
共同作業で仲良くなったところで当初の批判的動画が流される。
退室するかビールを飲みながら話し合うかを選ぶ、というもの
前から俺が「政治は主義ではなくて身内かどうか」ということを書いていたのは過去のツイートにもあるが、主義の違いで対立するような関係は、初めから縁が生まれていない。
まあ「退室するかビールを飲みながら話し合うか」のところで東浩紀だったら退室するを選ぶと思うが。その本人も身内贔屓体質。
1468
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 00:40:49 ID:rP5sRNts0
eventideのプラグインのオリジナルについて検索していたところで、なぜか商品説明の下部にプロフィールが書かれていた東大工学部卒のギタリストの人。
その東京大学工学部卒のギタリストの人の動画。
youtube.com/watch?v=ulIH7S…
色々な意味で、いろいろ学べるところがある。そちら方面に碁石を先に置いてくれて助かった、という思いすらある。
多分、この人、猛練習の人だと思う。
そして、その猛練習を実現できると東京大学に入れる、みたいな、そういうエネルギーの話をしている。
ただね、その「沢山の難問を解いた」ことが明白な一方、「練習の外側」に何もない様子が、まるでそのアンプに囲まれた撮影舞台の外側と重なって醸されている。
「あれ?完璧にやり遂げたのに、いまいち反応が良くないな?」と戸惑ってしまうその理由を、客観的に教えてくれる、そんな動画だった。
Shurのギターって、もっと良い音鳴らないっけ?とも思ったりするのだが、それもきっと、意図された音作りに潜む「盲点」故の「足りなさ」なのかもしれない。
1469
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 00:52:40 ID:rP5sRNts0
先程の動画の2年後か。その「獣道(けものみち)」を歩んでいくことは、アカデミックエリート特有なので予想はしていたが、
やはり、「ネガティブスペース」(美術用語)に目が行ってしまう。
これは、白人のストリングスのオケの奏者が本体なのかな?って。
youtube.com/watch?v=RXg07k…
1470
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 00:55:35 ID:rP5sRNts0
アート的な解釈だと、これはまさしくyoutube世代ならでは、のものだと思う。
嘗て、メタル系がストリングオーケストラと共演する形っていうのは、まずはバンドで大成した後にそういう色物のオファーがあって、という段取りだ。
そこをすっ飛ばすというか、そういう物理の落下の法則ではない在り方。
1471
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 01:07:14 ID:rP5sRNts0
無重力時代なので、まあ財力さえあれば(この人は演奏力はあるよ)実現できる、というそういう、ポストモダンの横並びでの色による個性の椅子取りゲーム。
そこまでは作者の意図通りだし、その意図は伝わる。
しかし、作者の意図の「外側まで」伝わっている、というところが現在の論点。
こういうものが生まれてくる理由、「こういうものを夢見る子供達が見てきたもの」
…
適当に検索して拾ってきたが、
音圧?いや、なんだかわからないが「押し寄せるもの」が全然違うのだが、この「圧巻する力」はコピーできないのか??
youtu.be/VvMf81vJvEM?t=…
1472
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 01:16:10 ID:rP5sRNts0
本気で凄い人の演奏は「劣等感を煽らない凄さ」でリスナーを完全に聞き役に徹せさせる。
聞いているだけで楽しいわけだから、「そんなに弾けて悔しい」とかそういう気持ちが生まれる余地がない。
音の使い方としては別の解説ができるわけだが、
その個人として不必要なファッショナブルな技を披露しない。
だから、「あ、そんなこともできるんだ」っていう劣等感を刺激しない。その奏者の語り口で一部始終が語られる。
「演奏の場」で「あれも、これも、ファッショナブルに技を見せまくる」っていうのは、一体どうなのか。
客と演奏者という関係性において、そうあるべきの形を崩してしまっているのではないのか?
だから「劣等感を客に感じさせる変な空気」が漂う。
この動画には一切ない。
youtu.be/VvMf81vJvEM?t=…
1473
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 01:28:56 ID:rP5sRNts0
俺の海外美大では、まず最初に「互いを褒め合うことは禁止」。品評の時間は頭を使って知恵を絞って相手のために批判をする。
授業中、一人一人作品発表時、残りの生徒にその発表者を批判をする順番が回ってくる。しっかりと口を出せないと授業態度が悪いとして減点対象。
クラスによっては、発表者だけ席を外して、残りの生徒で徹底的に作品を批判の限りを尽くす。そしてその批判内容を講師が後で、教えてくれない。
結果は、誰の作品が一番今回のプロジェクトが求めた質として最適であったかの投票で決まる。
批判の質というものがある。
例えば、発表者一人に対して、クラスの残り15人が一人一人批判する。
ここで「批判」が即興作品となるわけだ。
「凄い良かった」こんなことを口にしたら全員に睨まれる。「仕事しろ」と。
他人による批判に「お、それは良い着眼点」と思えたりする。批判が明るく輝く。
1474
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 01:43:23 ID:rP5sRNts0
なぜ「殿堂入りの世界的なプロ」ではないプロっぽい人の演奏には「劣等感を煽るような後味」があるのだろう?
「劣等感を感じさせる」それは、別に本当に感じている人ができないことというわけでもない。「煽りの棘」があるわけだ。
逆に言うと、大御所の音のひとつひとつは暖かい。心が籠っている。
今G3の動画を流したままで感じたのが、
スウィープで上下連続の部分があった。
「ああスウィープを聴かせられているな」とこちらが感じることなく、「音が上がったり下がったりする時のプリプリ感が聴いていて面白いな」となった。人の技能を見せられている、ではなく、面白い音と耳が遊んでいる。
1475
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 01:46:08 ID:rP5sRNts0
シンプルにまとめると、
日本人には、「楽しさ」をそのままデリバリーしている奏者がいないのかもしれない。
どこか、「弾いてる俺が凄い」というメッセージを最初に載っけている。
1476
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 02:00:06 ID:rP5sRNts0
その壁を越えない日本人達は、互いを牽制し合いながら劣等感の刺激を出し合う選民思想で輪を作る。
その輪の中もギスギスしているのだが、劣等感を刺激された、その輪の中に入りたいワナビーも生まれてくる。
海外のワナビーと日本のワナビーの質が違う。
日本のワナビーは劣等感の刺激を求めている。
劣等感が焦燥感を有む状態が「最高にクリエイティブな状態」であると勘違いしている可能性がある。
その結果、同じ技能でどんぐりの背比べをする競争が激化し、その技能のモノクロさが、その国・文化の特徴となってしまう。
実は、海外の美大受験のまえに「鉛筆を用いたデッサン」の方法など、教えられないし、「鉛筆」は、とてもマイナーな画材であったりする。
手に持つ部分が木で覆われた鉛筆を、デッサンのために削り落として、芯の部分だけ長くするとか、未だにそろばん使って計算している猿の惑星かよ?っていうくらいに異質に思われる。
向こうでは、通常はグラファイト棒を使うが、それ系は黒が強く出ないのでそもそも実力検査の主要因にならない。
1477
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 02:05:20 ID:rP5sRNts0
というか、普通の教育でも鉛筆やシャーペンを使わない文化だったな。
全部ボールペンだし、シャーペンなんて種類売ってないし、鉛筆なんて、画材としてでないと手に入れようと思い立たない。
ああ、普通の授業のマークシートに使うか。確か学校がそれ用に鉛筆を貸してくれてた。
1478
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 02:06:18 ID:rP5sRNts0
そういうのを全部踏まえた上で、日本の魅力はアニメとゲーム(と漫画)のみ、という感じか。それ以外は出力の幅が狭い。
1479
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 02:07:54 ID:rP5sRNts0
このプラグインが今セールだからギターで遊ぶように買う予定に入れた。
今見たところ、一番安いのはドンクラだな。
youtube.com/watch?v=xngdzL…
1480
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 02:18:14 ID:rP5sRNts0
筋トレするより前にIzotopeのStutter Editをもう一度有用化するために色々試してたけど、あの直感的からかけはなれた設計と、痒いところに手が届かなすぎる仕様にかなり苛ついた。
Stutterの速度変化が制御できない(拍に同期)ってところが一番駄目かな。
1481
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 07:48:01 ID:rP5sRNts0
プラスチックの箸で北米製サランラップの箱の表面でスネアのロールをやるのにはまった。
タララン、タララン、タラララララララララン、と永遠に叩き続けていた。
1482
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 20:47:36 ID:rP5sRNts0
先日の被害者加害者の関係性の話の文脈で、
「あ、今の瞬間、加害されても受け入れてしまう隙が自分に生まれた」と思えた瞬間があった。
スーパーの新店舗前でポイントカード作成の呼び込みをシニアおばちゃん売り子達数人がやっている。
その先、歩いて2分のところのコンビニがある。
俺は徒歩でその新スーパー前から呼び込みに従ってポイントカードを作り、作成後手渡される景品(ビニールに入った平たい板状のエコバッグ)をもらい、その足でコンビニに行き、また新スーパー前を通りかかった。
手には平たい板状のままのエコバッグを抱えている。先程の売り子のおばちゃんもいる。
通り過ぎる際、シニアおばちゃん売り子が声をかけてきた。「ポイントカード作りませんか?」と。
この瞬間に俺に隙が生じた。
5分前にその声に従って作ったばかりじゃないか。脇にも平たいエコバックを抱えているじゃないか。俺が今さっきポイントカードをここで作ったことは明白じゃないか?と。
あれが変性意識状態だったのだと思う。
あの瞬間にシニアおばちゃん売り子が突然「あなたは眠くなる」などと暗示をかけてきたら、その催眠術に掛かっていたに違いない。
人通りは少なかった。この5分間で20人は通過していない。
とはいえ、相手の意識からして、案内した人のことを覚えていない、というのは考えられる。
それだけならば俺は驚かない。
脇に抱えた景品による識別を突破された、というのがあまりにも想定外だった。
この景品は、あなたの言葉に従った後にしか手に入らない。
1483
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 21:01:57 ID:rP5sRNts0
その瞬間はさらに拡大して引き延ばせる。
自分が呼び込んだ客のことなど全く頭にない店員もいるだろう。
しかし、そういう店員は、目を見れば、それなりの意識で働いているのがわかるというものである。
再度「作りませんか?」と声をかけてきたシニアおばちゃん売り子の目を覗き込む。
目を覗き込んで得た情報から、誠心誠意頑張っている様子だけがそのおばちゃんの内面として感じ取られた。
ということは、痴呆?
これは、狂気だ。
と思った瞬間が変性意識状態。
このおばちゃんがロボットだったら、こんな隙は生まれなかった。NPCみたいに同じ台詞を言い続けられても変に思わない。
1484
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 21:14:53 ID:rP5sRNts0
座間の犯人について上がってきた情報を整理すると、中学生の頃に首を絞めて気絶させられたこと、首絞めながらの性行為にそそられる体質なこと、この2つが大きく関わっているようだな。
自己が受けた「苦痛と蟠り」(首絞め気絶)が、自己が求める「快楽」(首絞め性行為)に変換されている。
自己が受けた「苦痛と蟠り」⇒自己が求める「快楽」
自己が受けた「苦痛と蟠り」:自己が求める「快楽」
この式において、まだ改良が必要な部分は「自己が求める」の「が求める」の部分だ。
「自己」と「快楽」を結ぶ動詞部分が、まだ一般会話の意識レベルのままになっている。
1485
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 21:50:18 ID:rP5sRNts0
中学生の頃に首を絞められて気絶した、というのが「生存が脅かされる恐怖」と結びつけられたのだろう。
今年5月だかに別件で有罪判決が出たこと。これが「生存が脅かせる恐怖」を呼び起こさせた。
この(同じ)「恐怖」から首絞め気絶の文脈にギアが入ったわけだ。
首絞め性行為がそそる理由、支配欲を満たす行動としての首絞めは、
そもそも支配とは何なのか?を介して解明される。
生存を脅かす恐怖を払拭する手立てとしての支配。
あえて「死」という語を使わずに関数的に関係性を記す必要を見ている。
恐怖を覚えたのなら、支配を発動してコンフォートゾーンへの回帰が必要だ。
首絞められたことにより、自己にとって首締めが「恐怖」のトリガーとなった。
「支配」(万能感による自信回復を下地にして主観的に増大する快楽)は自己の恐怖(首絞め)を他者に投影することにより得られるようになった。
有罪判決にこの上ない恐怖を感じた犯人は、その恐怖の度合いに見合う強大な支配を求めた。
首絞め性行為では足らず、殺害・切断と行為の先を求めた。殺害・切断・人数と先を求めた。
恐怖からの立ち直り方を自前で製造してしまったことの弊害か。
最初に負った心の傷のケアが、社会システムとしてできていなかった、というのが言える。
ザルのように穴だらけな現代社会の「市民をしっかりサポートしてますよ」感が、「いや、サポートされてないし。そのやってるぜ感が余計にサポートされない人の孤独感を煽る」という結果になっている。
1486
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 21:54:15 ID:rP5sRNts0
まあ、これ故に、謎の凶悪犯罪は、社会システムが真っ当に成熟するまで、いつまでも発生してしまうのだと思うけど。
逆から見れば、異常犯罪者がどこからでも湧いてくるこの恐ろしい現代社会は、社会システムが改良されない限り、怖い社会のまま在り続ける。
1487
:
考える名無しさん
:2017/11/20(月) 21:56:54 ID:rP5sRNts0
社会は「守るべきもの」ではなくて「常に批判されるべきもの」であるはずなんだよな。
ここができないと、怖い社会になる。
異常な事件・事故が起きても異常な個人の責任、社会は悪くない、社会は犠牲者側、という物の見方である限り、テロ的な脅威は消えない。
テロを生んでいるのは社会を守る心理。
1488
:
考える名無しさん
:2017/11/21(火) 21:42:48 ID:rP5sRNts0
これは、「非実在青少年の人権の保護を強制する動き」がピークだった数年前から一転して鈍化した、と捉えて良いのだろうか。
この鈍化した価値観の意見で良いと思うよ。現実・非現実両方についての規制をするにしても、まず現実側に優先順位を持たせるのが手順として狂ってないから。
1489
:
考える名無しさん
:2017/11/21(火) 22:03:13 ID:rP5sRNts0
80歳過ぎの年配者の意見だ。人生を謳歌するための秘策とも言えるのだろう。
でも俺は、そういう生き方は嫌いだな。
そんな自分の考え方に無償奉仕・自暴自棄・玉砕瓦全の精神があるのを知っている。
姑息な人は自己を大事にする人だ。大事と思った自己を保護して幸せかは、死ぬ瞬間にしかわからない。
1490
:
考える名無しさん
:2017/11/21(火) 22:05:45 ID:rP5sRNts0
玉砕瓦全の意味として、
・ 名誉を守るために未練なく死ぬことと、何もすることなく長く生きること。
・名誉を重んじて潔く死ぬこと。男子は身の安全を願って平凡な一生を送ったり、不名誉なまま生きるべきでないという教え。
この相反する2つが出回っているのが困る。
1491
:
考える名無しさん
:2017/11/21(火) 22:22:16 ID:rP5sRNts0
この世が地獄である理由。
コンプレックスの認識において、「自己が感じ取る苦痛・焦燥感の量」は、【比較対象とコンプレックスのある自己の状態の差違】が【小さい】ほど「大きく」なる。
多分、これだ。
1492
:
考える名無しさん
:2017/11/21(火) 22:36:36 ID:rP5sRNts0
俺はこれ、小学生の時に悟りとして獲得していたはずなのになあ。
本当の意味で理解するには至っていなかった。
友「俺君はテストの点良いから良いよね」
俺「95点だと『あと5点なのに!』と苦しむから点数悪い方が羨ましいな」
これと同様の「苦しみ」が色々なところに見られる。次にその具体例。
年収を上げていく人達。
年収900万まで上がった。年収1千万まであと少しなのにその埋められない差に苦しめられる。
ダイエットの壁。
順調に体重は落ちている。しかし目標体重に近づくにつれ、自分の太さが気になりダイエットどころの精神状態ではなくなる。
適当にでっち上げた具体例だが、多分、そういう風に物事は動く。
いや、動いているのは物事ではなく、人間の心か。
先程のRTの流れを少し汲んでいるのだが、「自分自身のことを好きでいられる」ということを揺るがずにできる人間はどこか姑息で狂気を宿している。(コンプレックスに痛まない自己)
1493
:
考える名無しさん
:2017/11/21(火) 22:50:45 ID:rP5sRNts0
その「狂気の自分大好き人間」が、「コンプレックスにより自己が苦痛を感じていない」というところから、もしかすると「比較対象と自己の間の差違がもの凄く大きいままのかもしれない」という仮説も立てられる。
例えば、口には出さずに心の中では人を呪い、脳内では嫌いな相手を殺害しまくっている「狂気の自分大好き人間」は「心の中で、嫌いな相手になにもしていない人」にコンプレックスを感じるかもしれない。
この比較対象の存在は現実では確認できない。故に、コンプレックスが刺激されないまま生きれる。
言うなれば、これは精神的身体の形状なわけだ。
この物質世界において評価対象となるのは健康状態と、肉体の美醜だけだ。
精神的身体の健康状態とその形状の美醜は、おそらく、これこそが死ぬそのときまでわからないもの自体の様に感じられる。
ダイエットすれば引き締まる肉体も、頑張れば上がる年収も、媚びれば増す人気も、死んだときには全部この世において、自分は旅立つ。
その旅立つときの自分の姿が、その精神的身体だ。
そのとき、精神的身体の醜さ・美しさに自覚するのではないのか?
なぜ生前、自分は心を磨かなかったのか!と。
1494
:
考える名無しさん
:2017/11/21(火) 23:04:02 ID:rP5sRNts0
処方箋・解決策として、どのようなことが言えるだろうか。
「理想は、持ってはならない」
理想は、絶対に叶わない。
理想に近づくほど、コンプレックスの苦痛と苦悩と焦りは増す。
とはいえ、ニュアンスの伝達が難しい。
なにやら理想とは変数を複数持っている。
まだわかりにくい。
例えば、「あの歌手みたいな歌唱力を理想とする」という人がいる。
この人は、その歌唱力は得られない。
歌唱力を求めるならば、歌唱力以外の項目を理想として、手段としての歌唱力を突破させる。
1495
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 00:08:18 ID:rP5sRNts0
リツイートについて。
現在、俺が目を通している順序を残すために、こうRTしているが、(RTされたもののRTはその介在者の存在を部脈に残す仕様になっているのだろうかツイッターは?)
まずは、文面上の表面的なところを話題にする。
この人はタルパについて語り途中だが、
この人はタルパについて語り途中だが、この定義だと、俺の「やまびこ現象」もタルパになる。
しかし、時間を超越している部分は、タルパの定義を超えているので、完全にそうであるとはまだ言えない。
この画像のゲームのこの赤目の存在も、話中設定では「そうではない」のだが、話中を通して完全に「タルパ」として描かれている。
おっと、そのRTの人の定義から言うと、そのゲームの赤目のキャラは、そこで開かれている日記帳に紐付けされているので、タルパではなく人工精霊となる。
1496
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 00:18:05 ID:rP5sRNts0
RTについて。
この人の最近のツイートは一通り読ませてもらったが、ひとつ気になる点がある。
その点を解説すべくRT。
このRTで書かれた内容を言う人は、書かれた通りに「専門の師匠の元で修行した」実体験の持ち主なのか?ということだ。
これが否である場合、体験を持たない立場からの言葉となる。
体験を持たない立場からの物言いとは?
食わず嫌いの逆である。
食わずに、食した後の感想を述べる人である。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」の通りの賢者とも言える。
だとすると俺は、「もしかすると賢いだけでも欠ける部分ができるのでは?」と相手から虚ろさを感じ取ったわけだ。
1497
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 00:22:04 ID:rP5sRNts0
分析モード中の俺は、自尊心と自己保身がゼロになる反面、分析・解析能力が上がるので、「脈絡もなく攻撃的」と思われるかもしれない。
だが、俺にあるのは「好奇心」だけだな。
現在の分析対象の人は、常に煮え切らない感じで力を持て余している感が俺に似ていながらも、どこか違う。その点の探索。
1498
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 00:44:25 ID:rP5sRNts0
RTについて。
現在、この人のツイートを読んでる最中で、そのタイミングでRTしている。
例えば、「座間の事件の犯人は、犯罪を繰り返すごとに、自己を苦しめる脳内の苦痛を解放していった」と、この内容から応用して導ける。
導かれた内容の是非は、応用した道理の設計の見直しに繋げられるべきだ。
1499
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 00:48:24 ID:rP5sRNts0
ツイッターの表示される順序が、時系列逆順なので、読み進めることで、しっかりと論の補強が成されていたりする。
こういう流れは俺の「やまびこ現象」っぽいわけだが、現実としては時間の流れが逆。
そして、時系列を逆に読ませるツイッターは、とても悪意のある、またはバカな設計者だ。
1500
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 00:50:00 ID:rP5sRNts0
ツイッターの終焉は「存在する」と思う。
ツイッターが終わるとき、フォロワー数だけが人生の功績だった人達は、どうなってしまうのだろうか。
1501
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 00:54:04 ID:rP5sRNts0
ツイッターで文章を書くとき、文法どころか、対応する語の格を書き間違えることが多いのだが、これは、文字数制限に引っかかると本当にやる気を無くす=これを超える苦痛はない、というところが原因だな。
32行書けた2ch掲示板時代には、こういう形のタイポや書き損じは、まず発生しなかった。
1502
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 00:56:09 ID:rP5sRNts0
1レス32行2048バイト含有できるSNSがあるのなら、ツイッターから移る必要がある。自分の創造性をカタワにしないために。
1503
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 01:05:33 ID:rP5sRNts0
この連続RTについて。
この付近でこの人が語っている内容、掴みにくくて色んな解釈に分散してしまうのだと思う。
ここの部分は俺の具体例の方が分かり易いと思う。
プロ画家の娘だが自身は平凡で芸術に劣等感を持つ元彼女だが、俺は元彼女の持つ「現実に錨を降ろした存在感」にかなり救われている。
1504
:
考える名無しさん
:2017/11/22(水) 01:09:15 ID:rP5sRNts0
辰巳天中殺らしく実体験から語る俺か、そのRTの人のように実体験があるか不明だが事例として心得ている人か、
その違いは、「そこから先」を論じるときに出てくると思う。
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