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俺の記録庫
1406
:
考える名無しさん
:2017/11/15(水) 18:09:14 ID:rP5sRNts0
「事故が起こる可能性」を、「自己が見えない自己愛バリア」っぽいものと考えるとき、
「事故が起きる現実を己の姿であると認識しているか否か」ということになる。
こうなると、"自己啓発的"に、これを認識すべきか否かの判断が難しくなる。
己の損と失敗を求めるビジョンを描くかどうかの問題。
自己啓発している意識高い系の人達は、率先してそういう「自己に損をもたらすビジョン」を描かないように自己を鍛え始める。
これは、「狂気」の不協和音に「嫌悪」を「感じなくなる」【隙】を生んでしまう行為だ。
例えば、「パンがないならケーキを食べれば良いじゃない?」の台詞(マリーアントワネットと言われているがそうではないという説もある)
この台詞が醸す「不協和音」。
この貴婦人は【何】についての実感を欠損しているのだろうか?
【貧しい庶民的な生活事情】についての実感を欠損している。
「庶民の気持ちがわからないまま、(地に足突付いていない)上昇を煽る主張をしてしまう」
この状態は、既に「狂気」だろう。
その上昇気流に乗っかりたい救済志願者達、その実、「自分だけ得をしたい」と考えているわけで、結局「狂気的な歪み」により「嫌がわかる」自己の感覚を鈍化させている。
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