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俺の記録庫
1456
:
考える名無しさん
:2017/11/19(日) 19:18:51 ID:rP5sRNts0
「事故に遭ってみろ」っていうのは、憶測だけで勝手に結論して、事故=被害が確定しているから目を逸らし続ける、という連鎖から抜けろ、という意味でもある。
ここで、シュレディンガーの猫の思考実験を見てみる。
なぜ猫の生死が丁半博打で決まってしまうのか。
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7…
シュレディンガーの猫の思考実験における猫の生死は、実験者の仮定により定められている。
なぜ猫を題材にしたのか。実験結果を分かり易く示すためだ。
なぜ猫でなければならなかったのか。
「猫」という存在に持つ人間の感情を、理論理解への集中力として話者が「利用」したかったからではないのか?
シュレディンガーの猫の思考実験は、提唱した科学者が、まるで推理小説の中で人の気を引くために殺人事件を発生させる、というような「物の使い方」で猫を用いている。
この「物の使い方」は、殺人で何かを伝えようとする異常殺人犯罪者と変わりがない。
「事故に遭ってみろ」というのは、「シュレディンガーの猫の箱の中の猫になってみろ」ということだ。
箱の中で「あなた」は、まず、なぜ黙って殺されなければいけないのか?ということに気付くだろう。
理論を伝えるために生け贄になってくれと話者は言う。
その言葉に従うかどうか。
現実も同じ。
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