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俺の記録庫

1432考える名無しさん:2017/11/17(金) 20:44:18 ID:rP5sRNts0
事故が起きたときに対処できる知がない。
けれども事故が起きたときに助けてくれる仲間がいる。

しかし、ここで終わりではない。
自分の死の瞬間まで、この事故は続く。
人生80年の内の78年を上手く生きた人がいるとする。
最後の2年だけ、助けてくれる仲間もおらず、来たるべき事故で死んでしまう。

他人の人生を客観的に見たときには、「80年中の78年も幸せに生きたなら、その人は幸せだろう」と人は思う。
言葉の上では「ご冥福をお祈りします」などと言いながら。
このようにして、この人生80年の人は、死後ですら、誰の理解も得られないまま葬り去られる。

この人生80年の人の主観では、「己の人生」が始まり、クライマックスを迎えたのが78歳を過ぎてからだ。
それまでの78年は人生本番に向けた序章だ。

本当だったら人生95年だったかもしれなかった。
本番が始まってから2年しか持たなかった。
誰も居なかった。死後も、誰も理解してくれなかった。

78歳にもなれば脳も体も衰えて、死が怖い意識すら明白ではなさそうだ。
そんな知ったかぶりの仮説を唱える者もいるだろう。

脳や体の衰えは、死というより絶望に繋がる恐怖を与える。
老人は恐れながら生きている。
しかし、衰えているのでその恐れを拭い去る言動すら発動できないでいる。

どれだけの成功と繁栄を積み上げて生きてきても、最後に死ぬ時の自己の心残りが全てである、というのが算命学の午未天中殺の人達の人生である、というところまでは把握できてきた。


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