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俺の記録庫
1421
:
考える名無しさん
:2017/11/16(木) 11:35:25 ID:rP5sRNts0
サバンナの動物にしても、殺戮を行う際には「最小限の労力と最大の効率で行う」という法則がある。
「なぶりごろす」という時を愉しむようなそぶりはない。
それら創作作品には、「なぶりごろす」シーンが多く出てくる。
現実的には、そこまで両者が「イチャイチャする」には、被害者側の了解が要る。
「ゆっくりとなぶりごろされる時を愉しむ被害者」という像が、最も穢れている、と判断できる。
この穢れ、歪みは、現実としてまず成立しえない形。それ故に絶対的な不協和音なわけだ。
ここに感じる違和感を喩えると、
「人間」という存在は、体組織が体内にまとまっているから存在している、
という抽象的には「ハーモニー」と呼べるものが、存在を成り立たせている。
それらの創作作品における「人間」は、臓器が体外にあって飛び散っていたり、そういう有り得ない形で存在している。
キメラという感じではない。
異種を融合した結果の「存在としてのハーモニー」を持った存在キメラではない。
存在としての前提が満たされていない存在だ。
そこで、その作者が、障害者や精神病者、同性愛者など、マイノリティに分類される存在が大好物な様子が思い出される。
なぜ狂気に駆られた人間を分析しなければいけないのか?
存在の枠を与えるためだろう。
狂気とは、観測者なしでは「狂い損」である可能性がある。
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