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俺の記録庫
1427
:
考える名無しさん
:2017/11/17(金) 18:55:05 ID:rP5sRNts0
アートでは、自分を隠してはいけない理由とは。
描写の仕方を少し変えて表現すると、
「お前は私の持つこの苦しみを持っていないだろ!」という部分を描き、「それを見てしまった者」に、この世に存在するカルマのなかのひとつ(自分の問題)を見た者と共有ではなく、そいつ個人の問題にさせるため。
アートにエリートは居ないはずなんだな。
現代社会のアートエリートは、アートの核心を持たないまま、学校が与える成績と組織が与える権威だけから生み出された疑似生命体のようなものだ。
「アートを行いたいと思わせる動機」は、「お前もこのカルマを知れ!!!」という強い思い。
日常的な表現では「他人に自分のことを知ってもらいたい」という風にも表現されるが、
その本質はそこじゃない。
「私のことなんてどうでもいいから、このカルマを知れ」という呪いに近い。しかし、呪いというと悪行に聞こえる。悪行ではない。最終的にはあらゆるカルマは全員に行き渡る必要がある。
そこから「アート的なSNS」というのを作るアイデアも生まれる。「いいね」で繋がる形ではなく、もっと「地雷を踏ます」ような形で繋がる空間だ。
このスリリングな空間は悪意によってではない。遅かれ遠かれ人がいずれ知らなければいけないことを知ってしまうことを促進させるものだ。
先述の先日のエログロゲームを通して、俺は、人よりも高い読解力をもって、これらのことを、座間の事件や自分の持病についての見解も合わせて、読み取った。
そういう意味では、そのゲームはとても有意義だった。
しかし、万人に薦められるかというと、わからない。弱い人もいる。
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