したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚に聞いてみるスレ part2

298避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 01:45:27 ID:Bwz0R3.60
> あなたは、どのように悟りの道を歩まれておられますでしょうか? 差し支えなければ、お教え願いますでしょうか? 』

ほとけと言う人格的な人物がいらっしゃるわけであります。
Budha 目覚めた者、仏陀、と言う聖者に対する尊称 です。
ほとけは、仰ぎ見るものではありません。
自他一如ですから、ほとけとも、地獄の鬼とも、二ではない、一の如し、です。
どちらも、わたしです。
ほとけとは、真理さとり の事です。

わたしは 公案に取り組みました。
隻手の音声(せきしゅのおんじょう)、と言うものです。

「片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい」、と言う公案です。

32〜33歳の頃、無師独悟(むしどくご)、と言いますか、あるいは、独覚(どっかく)、と言いますか、初関を透った(しょかんをとおった)のです。
もちろん、お師家さまのもとで修行した事も無く、つまり、保証書。印可状がありません。
でも、一向に気にしてないのです。
と言うのも、人間から、影響を受ける事をその頃から特に極端に避けていたのです。

ある曹洞宗の僧が言います、引導を渡すのが、僧の資格での仕事、だと。
だから宗派の大学を卒業してから、門を叩きなさい、と言います。

片手の人がたたく拍手の音を聞いたので、これを、さとりとして、その後、20年近く、見性したと思っていました。
色即是空です。
臨済宗の僧が、この方も、隻手の音声に取り組んだそうですが、「聞いた!」 とお師家さまもさぞや喜んでいただくだろうと、方丈に喜び勇んで駆け込んだそうです。
ところが、お師家さまは小さな静かな声で、「片手でたたく音は聞こえない」、と、すぐさま、色即是空から、空即是色へとリアル世界に引き戻していただいたそうです。
それで、今のわたしは、空即是色、です。
お師家様は、と言うものは実にあったかい存在ですね、まさに老婆禅のお師家さまばかりです、弟関係とは、いいものですね。
わたしは、無師独悟、独覚ですから、20年ぐらい、色即是空に留まっていました、それも、無師独悟、独覚のわたしであり、今のわたしは、色即是空は、空即是色と返すです。

公案は、ひとつ透ればすべて透る、と言われますが、一つずつ取り組んで、一つずつ透っていきます、深遠です。

299避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 08:41:05 ID:WL2yRwjAO
実感としてわかったのはある雑念や妄想はある信念から生まれると言うこと
その信念を消すとそれに対応した雑念や妄想は消える。

300避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 08:55:11 ID:ncKanP4g0
>>299
君の場合は、何回も気づいたと実感したのに、何で全然進歩しないんだろう。って事を考えた方が良いよ。
スレチばかりだし、自分が立てたスレで自分自身ルールを守れない人が何言っても滑稽なだけ。

301避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 10:36:05 ID:NpBkhqbI0
>>300
う〜ん。それは多分、君自身に言えることだと思うぜ。
論争は不可なので、それくらいにしといてください。

302避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 10:47:41 ID:ncKanP4g0
>>301
少なくとも俺は何かを分かったような書き込みはしていない。
君は長い間、何かが分かったと書き込みをし、少し経って同じような悩みを書き込むという
ずっとそれの繰り返しだ。
何故そうなるかというと、君は実体験の書き込みをしてないからだ。
妄想で創りだした自分の悩みを、妄想の修行で解決しようとしている。
そんなんで進歩するわけがない。
有る程度修行した人が見れば、そんな事はすぐ分かるんだよ。

303避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 10:55:15 ID:NpBkhqbI0
>>302
それは分かったから書き込んでいるんだよ。
それに対して、あなたが感情的になるのはどういうこと??
もし、私が進歩しなかったとして、それに対して、反対し、反撃するのはなぜなんだろう。
俺は全然悟ったつもりはない。進歩したとも言ってない。いやむしろ進歩してないと思うよ。
「進歩しなくてはならない」という価値観があり、進歩していない自分へのいら立ちが、相手への攻撃になっているのかもしれないよ。

304避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 11:03:25 ID:ncKanP4g0
>>303
全く感情的になんか成ってないよ。
それこそ君がそう感じるのは、君の心がそう映し出してるんじゃないのかな。
反対、反撃っていうのは俺が持論でも唱えてる場合に成立する事だよね。
俺はただ君の書き込みが、他と人とは明らかに異質だからレスを付けてるだけの話だよ。
気づいた、分かったと言っておきながら自分でも進歩がないと分かってるなんて
そんな矛盾にも気づかないおかしな人は目立つからね。

305避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 11:09:19 ID:WL2yRwjAO
お互い感情的になってないならいんじゃね
ま、俺は華麗にスルーして昼飯作ります

306避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 11:11:27 ID:ncKanP4g0
スルーするっていうのは、そういう書き込みもしないって事だぞ。

307避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 19:10:42 ID:V89wh.E60
鬼和尚
仏陀でもなく衆生でもない、その中間はあるのでしょうか。

308鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/11/30(土) 20:43:08 ID:kaXJvxhM0
>>297 それは観察の法なのじゃ。
 縁起を観る法ではないのじゃ。
 そこまで観察が出来るのであれば、おぬしは観察が向いているようであるから観察を勧めるのじゃ。
 誰でも自分に向いている法を選んでやるのが良いのじゃ。
 向いてる道ならば結果もまた出易いものじゃ。
 実践してみるのじゃ。

>>307 菩薩などの修行者が中間と言われるのじゃ。
 既に生きるものであるという観念を超えたならば、もはや衆生ではないのじゃ。
 悟りを得なくともその生きるものという囚われが無ければ、衆生ではなく、仏でもない中間的な存在と言えるのじゃ。

309避難民のマジレスさん:2013/11/30(土) 22:22:23 ID:V89wh.E60
>>308

>>307です。ありがとうございました。

310避難民のマジレスさん:2013/12/01(日) 01:09:17 ID:Bwz0R3.60
臨済録 〔上堂〕一

        ,i ::  -=ニ=-  -=ニ=-   i
        \..    / ー-' ヽ.    /
          \::.| ト‐=‐ァ' |.:./  さあ!
.           \  `二´   '/
          人   `ー'  ノ
      ┌、. /     ヽ  ⌒ \.
       ヽ.X、- 、   ,ノi      ハ 
     ⊂>'">┐ヽノ〃     / ヘ
      入 ´// ノ        } ,..,.._',.-ァ
    /   `ー''"´      ,'  c〈〈〈っ<
   /          __,,..ノ ,ノヽー'"ノ
   {          ´    /

師 「 今日はわしの本意ではないが、やむを得ず世間のならわしに従って説法することにした。 しかし、禅の正統的立場から言えば、禅はまったく一言半句(いちごんはんく)の説くべきものもない。

だからお前たちの思索の足掛かりも無いのだ。

しかし今日だけは常侍(じょうじ)の強い要請に応(こた)え、思い切って禅の本領を示すつもりだ。 誰か腕に覚えのある者はいないか、もし居れば旗鼓堂々一戦を挑んで来い、大衆の前ではっきり勝負しよう。 」

僧 「仏法のぎりぎり肝要の処を伺いたい!」

師はすかさず「渇ーっ!!!」と一喝(いちげ)を浴びせた。

僧は礼拝した(さとりました)。

>禅はまったく一言半句(いちごんはんく)の説くべきものもない。

○ 分別しない。

311避難民のマジレスさん:2013/12/01(日) 01:28:52 ID:LC3de7YgO
>>308
「分別や認識の働きを観察する」とは、具体的に視覚、聴覚等感覚が記憶と結び付き認識になる瞬間をとらえるということでしょうか?
感情や思考がわく瞬間、そのきっかけ等を観察するということでしょうか?

312避難民のマジレスさん:2013/12/01(日) 02:48:52 ID:58kVA0Ys0
鬼和尚さま

瞑想と関係ない質問ですみません。
昨日たまたま、youtubeで大川隆法の動画を見てとても気分が悪くなりました。
あれが本当に悟りを開いたものの言葉だと言うなら、そんな悟りは糞食らえと思いました。
あれは、悟りとは真逆で、頭で妄想を膨らましては足がつかないように言い訳を作り続けて、一種の強力な自己暗示を継続してるだけだと思う。
騙されて大金を払っている人が可哀想です。
本当に気持ち悪いです。
ダンマパダやスッタニパータにその跡が残る仏陀の言葉は吹き渡る風のように計らいがなく、比べることすら嫌です。
鬼和尚さまも、大川隆法は偽物だと思われますか?

313鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/01(日) 19:52:36 ID:kaXJvxhM0
>>309 どういたしまして、またおいでなさい。

>>311 そうじゃ、感覚器によって捉えられた外部からの刺激が、記憶と照合されて認識となる瞬間を観察するのじゃ。
 それが出来れば自分という認識も、同じように行われているのを観察する事が出来るのじゃ。
 自我や自分というものも認識されているものであるからのう。
 自我を観察する観照が起これば無我になるのじゃ。


>>312 そうじゃ、悟っていないのじゃ。
 巫女や神降ろしの類なのじゃ。
 本人よりもそれを信じている者の方が不思議なのじゃ。

314避難民のマジレスさん:2013/12/01(日) 20:18:11 ID:LC3de7YgO
>>313
ありがとうございます。
「感覚器によって捉えられた外部からの刺激が、記憶と照合されて認識となる瞬間を観察」するためには、視覚では観察する状況設定が難しいので、瞑想しながら聞こえてくる生活音等の聴覚や足の痺れ等を対象にやってみます。

315避難民のマジレスさん:2013/12/01(日) 20:58:23 ID:58kVA0Ys0
鬼和尚さま

ありがとうございます。
そらそうですよねー。
安心しました。ありがとうございました。

316避難民のマジレスさん:2013/12/02(月) 00:33:26 ID:j..Vzewk0
自我が記憶から来る認識や身体の反応などの分離した依怙地で重い視点だとすると、観察の視点は
空間や全体性にシフトしたような感じでしょうか。

317鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/02(月) 20:22:12 ID:PAHPUIz60
>>314 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>315 どういたしまして、またおいでなさい。

>>316 そのような感じで良いのじゃ。
 観察を続ければ視点そのものに気付くじゃろう。
 観察の主体こそが観察によって変容するものであるとわかるのじゃ。
 その時まで観察を続けるのじゃ。

318避難民のマジレスさん:2013/12/03(火) 00:23:19 ID:RqjHb0Jg0
誰かに強く憧れると恍惚感と不快感があることに気づきました
相手を持ち上げた対比で自分が下がるのです
特定の何かを持ち上げる人は何かを見下す人でもあると思います
悟ると誰でも同じ価値に見えるのでしょうか
あと自分が目指すところの指標として好き嫌いは残すべきでしょうか

319避難民のマジレスさん:2013/12/03(火) 08:57:09 ID:LC3de7YgO
>>317
ありがとうございます。
昨夜と今朝、「感覚器によって捉えられた外部からの刺激が、記憶と照合されて認識となる瞬間を観察」をやってみました。
周囲のかすかな生活音、腹の鳴る音、皮膚感覚など座ってる時にある全ての感覚に気づくようにしてみました。
慣れてないのでちょっと忙しい感じがしましたが、呼吸に集中するより雑念が少なく、と言うか、雑念が割り込む余地が狭まってる感じです。
足の痺れについては、痺れはそのものとしてありながら、しかも我慢するということではなく、整理して横に置いておくと自然に気にならなくなるといった感じです。
私はサマディに対して、幼児が一心不乱に砂山作りに没頭するようなイメージを持っていますが、それとは別に、身の回り全てのことに気付き、整理された状態というのもサマディの要素なのかなと感じました。
言葉でうまく表現できませんが、意識が感覚の出現を待って漂う中で、心のイメージが、カクッとバランスが傾いたことが一瞬ありました。不快な感じではありませんでしたが、不思議でした。

320避難民のマジレスさん:2013/12/03(火) 10:59:38 ID:6NaQvIas0
性欲を昇華する方法を教えてください。

321避難民のマジレスさん:2013/12/03(火) 19:31:56 ID:RqjHb0Jg0
これからエゴに染まるであろう純真無垢な赤ん坊と悟った人の違いはなんですか
なぜわざわざ一切皆苦のこの世に来るのですか
一度泥に漬かった人と穢れを知らない人では超えられない壁があるのですか

322鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/03(火) 20:04:37 ID:kaXJvxhM0
>>318 そうじゃ、全て同じなのじゃ。
 言葉やイメージで現されるものは全て観念であるからのう。
 存在する全ては意識なのじゃ。
 それが平等という言葉の真の意味なのじゃ。

 好き嫌いは修行の妨げにならなければ残しても良いのじゃ。
 修行の妨げになるなら克服したら良いのじゃ。

>>319 かなり良いのじゃ。
 続けてみるのじゃ。
 またおいでなさい。

323鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/03(火) 20:11:12 ID:kaXJvxhM0
>>320 先ず目標を決めると良かろう。
 目標に意識を向けてエネルギーの方向を変えるのじゃ。
 
 ヨーガでは逆立ちをする方法があるのじゃ。 
 エネルギーを頭に流すのじゃ。

 腰の周りに冷水をかけると静まるのじゃ。

 日常で異性を見ないようにするのじゃ。
 見なければ性欲も起こらないのじゃ。

 そのようにしてエネルギーを勉学や商売に向けると成功するのじゃ。

>>321 赤子には未だ薫習があり、記憶能力に依存する可能性があるのじゃ。
 悟った者にはもはやそれも無く、無為なのじゃ。

 薫習がある限り、この世に生まれる可能性があるのじゃ。
 悟ればそれも観念への囚われに過ぎなかったと気付くのじゃ。

324避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 01:07:05 ID:LC3de7YgO
>>322
ありがとうございます。
今夜は、後半重い感情がわいてきたので、それを観察した。
処理しなければいけない問題を保留にして瞑想をはじめたので、それに端を発して逃避していることを嫌う感情だった。
当然瞑想をしても問題は解決しないが、冷静に対処できるようになることは確かです。
少しだけ早く切り上げ、問題を処理しました(^_^;)

325避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 01:59:40 ID:Bwz0R3.60
優良銘柄スクリーニング- 検索結果 -. 13/12/03
銘柄 業種 終値単元 PERPBR配当利 売成長3 経成長3 資産成長3 売伸び 経利伸び ROE ROA 経常利 自資比

ITFOR[4743]東証1部 情報・通信業 430 100 14.0 1.33 3.48 3.69 6.62 3.89 5.48 7.89 9.14 6.97 12.89 77.07
三洋貿易[3176]東証1部 卸売業 876 100 8.1 0.85 3.42 2.47 9.98 4.24 8.66 2.81 11.02 6.10 5.43 59.17
サンヨーナゴヤ[8904]東1 不動産業 1,192 100 7.7 0.82 3.18 2.86 10.15 7.18 11.50 1.99 10.88 6.27 9.52 57.85
セゾン情[9640]東証JQ 情報・通信業 1,118 100 8.8 1.10 3.13 3.88 2.72 7.88 7.55 22.08 10.78 6.49 9.34 64.26
キヤノン電[7739]東証1部 電気機器 1,914 100 11.2 1.12 3.13 3.36 8.06 4.02 5.26 12.65 9.38 6.84 10.10 74.60
ミロク情報[9928]東証1部 情報・通信業 390 500 10.2 1.37 3.07 3.55 26.27 1.79 4.01 3.72 13.11 7.59 10.92 59.95
アサンテ[6073]東証2部 サービス業 813 100 7.3 1.26 3.07 9.10 33.27 12.23 7.96 9.79 20.24 12.38 17.68 65.71
東計電算[4746]東1 情報・通信業 1,483 100 11.2 0.98 3.03 2.10 6.36 5.40 2.13 8.93 9.22 7.73 16.97 83.64
東邦システム[4333]東2 情報・通信業 659 100 9.5 1.07 3.03 16.34 34.95 7.42 3.89 11.04 10.83 5.90 7.81 55.64

萩原工業[7856]東証2部 その他製品 1,335 100 7.3 0.74 2.99 4.24 27.18 3.54 4.78 1.46 11.02 6.90 10.90 63.53
クレスコ[4674]東証1部 情報・通信業 888 100 12.3 1.20 2.92 13.11 43.99 10.74 15.60 8.59 9.47 5.73 7.40 59.61
NITTOH[1738]名証2部 建設業 394 1000 7.0 0.72 2.91 6.27 21.60 3.78 9.46 5.61 10.78 6.53 6.01 61.12
ステップ[9795]東証1部 サービス業 831 100 10.5 1.03 2.88 6.07 8.71 4.75 4.05 2.10 10.30 8.19 24.34 83.62
ビーエスピー[3800]東証JQ 情報通信業 2,100 100 11.9 1.20 2.85 3.98 14.51 3.60 6.84 9.49 10.50 9.04 27.88 87.16
ハニーズ[2792]東証1部 小売業 1,074 10 10.4 0.98 2.79 2.00 8.03 2.68 9.81 2.90 9.50 7.22 8.47 78.81
アルインコ[5933]東証2部 金属製品 980 100 8.8 1.16 2.65 6.92 69.80 6.20 5.66 13.63 11.26 5.75 8.70 52.05
タウンニュース[2481]東証JQ サービス業 400 100 7.5 0.90 2.50 3.83 36.42 6.29 4.40 10.20 12.26 9.57 15.18 80.14
ファースト住[8917]東証1部 不動産業 1,482 100 8.4 1.32 2.49 8.46 41.19 13.29 14.24 8.92 14.52 8.01 9.97 52.83
エレコム[6750]東証1部 電気機器 1,345 100 8.2 1.40 2.45 8.95 15.32 19.04 8.56 14.55 18.33 9.09 8.79 54.88
福井コンピ[9790]東証1部 情報・通信業 820 100 9.8 1.27 2.43 5.43 33.91 9.39 4.20 18.49 12.20 8.42 17.00 68.12
タムロン[7740]東証1部 精密機器 2,177 100 15.3 1.35 2.29 8.85 33.44 7.00 7.22 2.29 10.12 7.08 8.36 70.28
シンコウ工[6458]東証1部 機械 788 100 7.3 0.97 2.28 5.10 34.17 5.62 17.10 5.41 16.46 7.99 14.37 50.83
オーハシテクニカ[7628]東証1部 卸売業 985 100 8.6 0.87 2.23 7.84 48.60 1.14 10.73 47.83 9.12 5.16 6.03 60.38
メガチップス[6875]東証1部 電気機器 1,520 100 7.4 1.17 2.23 11.68 9.93 18.31 17.49 1.94 15.38 11.03 7.68 62.61
アークランド[9842]東証1部 小売業 1,621 100 7.0 0.73 2.22 3.57 13.87 1.72 3.00 3.53 11.10 7.12 9.20 66.46
藤森工[7917]東証1部 化学 2,552 100 10.5 1.15 2.19 4.79 20.34 4.06 5.04 14.93 12.38 5.95 7.45 52.45
大塚HD[4578]東証1部 医薬品 2,984 100 10.7 1.19 2.17 3.95 19.15 6.85 17.81 21.98 9.72 7.11 15.14 73.66
ダイト[4577]東証1部 医薬品 1,401 100 8.2 0.93 2.14 8.49 25.98 7.84 7.06 6.26 13.60 5.52 8.78 42.43
住友ゴム[5110]東1ゴム製品 1,442 100 9.0 1.33 2.08 10.63 49.82 6.35 8.41 5.42 16.05 5.03 9.48 33.11
フェンオール[6870]東証JQ 電気機器 1,320 100 9.9 1.14 2.04 6.70 65.98 2.98 11.84 1.87 13.08 6.06 7.47 49.02
西川ゴム[5161]東証2部 ゴム製品 1,801 100 7.3 0.66 1.99 14.64 20.18 8.18 10.29 11.87 9.96 5.85 10.11 59.53
協エクシオ[1951]東証1部 建設業 1,240 100 11.5 1.15 1.93 3.57 7.90 3.62 1.22 3.21 9.62 5.93 6.01 60.87
エフ・シー・シー[7296]東1 輸送用機器 2,086 100 9.7 1.13 1.91 9.20 29.27 8.91 12.48 6.67 9.65 7.02 10.40 73.09

ポラテクノ[4239]東証JQスタンダード 化学 695 100 9.0 1.14 1.79 6.98 48.75 7.74 4.83 4.12 14.55 10.96 20.97 77.06
AOKI HD[8214]東証1部 小売業 3,415 100 14.3 1.37 1.75 6.99 17.84 6.75 10.50 12.56 9.15 5.31 10.95 57.52

326避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 12:06:33 ID:byGhGyc60
鬼和尚、
強い意志の力を継続的に持ち続けるためには、どうしたらよいでしょうか?

327避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 16:15:22 ID:RqjHb0Jg0
鏡に向かってお前は誰だと言い続けると精神に異常をきたすという伝説があるのですが
ナチスが行った実験で、被験者にお前は誰だと鏡に向かって言わせ続けたところ
自我崩壊して3ヶ月で自分が誰だか分からなくなり狂ってしまいまいた
全体で捕らえていたイメージが剥がれるゲシュタルト崩壊だそうです
狂ったと言われていますが、これは鬼和尚さんの肉体観察による厭離が出来ているのではないでしょうか
悟った人は理路整然とした文を書きますが、鬼和尚さんのように自我を一時的に出せる人と
判断力が無くなってしまった被験者の差はなんでしょうか

328避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 16:45:43 ID:3qg6l7MU0
和尚様
2chなどで輪廻否定論者が居ますがこれは間違っていますよね?
釈迦は輪廻をハッキリ説いたと思うのですが?

329避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 20:05:14 ID:Bwz0R3.60
. こんな女と結婚したら地獄行きだぞ!・・・・・……( ̄ε ̄;) ボソッ

・露出度を大きくし、不特定多数を誘う投網漁法でご乱行
・胸の谷間を強調しこれ見よがしでパンチラのヘイカモーン
・コンビニ前のウンコすわりの大股びらきはノーパンで、見てしまったらオエェー出る
・膣の大掃除かよ、入れポン、出しポン、のクモの巣払いをさせる
・ブスはドテッと寝っ転がるばっかのまな板マグロ状態、共に楽しみあう性技なし
・チャカチャカ歩きが速く 他人との協調性社会性皆目なし
・目が冷たい、笑ってない 無表情 無感情
・とにかくドアの閉める速度が異常に速く、大きな音をたてて閉めちょっとでもアピール
・スーパーで絶対値引きシールの商品をさけて買わない見栄っ張り
・なんでもかんでも蛍光ピンク色を好む目が痛くなる
・自分の事をぶりっ子で名前とか、あだ名とか、チャン付けで言う
・眼鏡レンズのコーティングが剥がれてるのに新しいのを何故か買わない
・腰にくびれが皆無、ズンドウ
・下ネタにはダボハゼ喰い付き目がギラツキ舌なめずりヨダレ垂らすわ咳き込むわ
・赤信号を平気で渡る、怪我したら嫁にもらえの脅し
・スーパーのレジでお釣りを貰う時ずっと手の平を開けて待つパックンチョ態勢コエー
・宅急便の不在票入ってるの知ってるのに連絡しない
・普段は愛想いいが、見えない相手→電話ならクレージースーパーモンスターに変身する
・自分の親兄弟に暴言吐きまくる →最初は猫被ってるが慣れてくると本性を現す
・部屋が生臭い →食べたままで捨てられない洗わないの性悪ブス
・機嫌が悪くなると男言葉・自分の両親に怒鳴る
・自分の自慢話が大好きで →他人の話しは聞かないし、何でも無い事にもマジギレで食ってかかる
・価値観異常の外国人と結婚今まで性格、顔ブスが金持ち外国人と結婚し仕返したと勝利宣言するブス
・人見知りを理由に愛想悪い →会社のお茶くみ、ハンコ押しだけの使えない女に多い
・電車の中でとにかく座席確保に必死 →特に細身のマスクめがね女に多い
・スマホの親指扱いが達人
・歩きも座りもぶざまなスマホ中毒

330避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 20:08:29 ID:tHj0j65Y0
ぽったんって糞みたいなやつだな

331避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 20:28:23 ID:5QR1DKg.0
鬼和尚
坐っておりました。
己の肉体に対するわずかな感覚が残っています。
何も感じなくなることを恐れる者の正体が自我であるならば、
自我が私に対してなにがしかの手がかりを与えようとして、
意識を肉体に対する感覚に向けたのでしょう。

皮膚が衣服に触れている感覚。
膝の上に置いた両腕の感覚、
組んだ足の圧迫した感覚、
痺れと名付けられる現象。
身体が重力による加速を続け、それに対して釣り合いを保つために押し返してくる床と座布団。
これらわずかな感覚が、あるいはその認識がなくなれば、
私の肉体というものはどこにもなくなるのでしょう。
ひるがえって、私は普段いかに肉体というものを観念的に捉えていたのか、ということがわかります。

332鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/04(水) 21:20:30 ID:PAHPUIz60
>>324 良かったのじゃ。
 そのまま続けたらよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>324 昔、臥薪嘗胆という故事があるのじゃ。
 昔の王様が薪の上に寝たり、苦い胆嚢を舐めたりして、目標に対する熱意をもち続けたのじゃ。
 わざと自分に困難を与え、目標を完成するまで続けたりするのじゃ。
 そうすれば苦痛から逃れる道はそれしかないとして意志は継続されるのじゃ。

>>327 そうかもしれん。
 その状態を知っていて肯定的に捉えるならば、智慧も湧くのじゃ。
 自分も他人もその状態を狂気であるとすれば、狂った事になるのじゃ。
 インドや日本などのように無我についての知識があり、文献も多い所ならば、肯定的に捉えられるのじゃ。
 何の知識もないと病院行きなのじゃ。

333鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/04(水) 21:26:56 ID:PAHPUIz60
>>328 お釈迦様はダンマパダでこのように言っておるのじゃ。

153 、わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、
 家屋の作者(つくりて)をさがしもとめて。
 あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである。

 輪廻という言葉は使っていないが、何度も生まれ変わったと言っているのじゃ。

>>331 良い事じゃ。
 そのうち肉体の感覚も全て消えるじゃろう。 
 その時も慌てずに観察すれば良いのじゃ。
 意識は常に存在するのがわかるじゃろう。

334避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 22:24:02 ID:Bwz0R3.60
優良銘柄スクリーニング- 検索結果 -. 13/12/04

銘柄 業種 終値単元 PERPBR配当利 売成長3 経成長3 資産成長3 売伸び 経利伸び ROE ROA 経常利 自資比

NTTドコモ[9437]東1 情報・通信業 1,643 100 14.0 1.28  3.65 1.42 0.22 2.28 3.80 0.04 9.45 6.99 18.83 75.08
ディア・ライフ[3245]マザーズ 不動産業 518 100 8.7 0.96  3.47 37.82 80.61 20.45 0.80 29.89 12.87 5.97 8.04 42.66
三洋貿易[3176]東証1部 卸売業 871 100 8.0 0.84  3.44 2.47 9.98 4.24 8.66 2.81 11.02 6.10 5.43 59.17
オンリー[3376]東証JQス 小売業 86,700 1 7.6 1.13  3.22 0.62 38.21 12.12 3.85 8.99 15.00 10.39 15.25 66.98
サンヨーナゴヤ[8904]東1 不動産業 1,191 100 7.7 0.82  3.19 2.86 10.15 7.18 11.50 1.99 10.88 6.27 9.52 57.85
セゾン情[9640]東証JQス 情報・通信業 1,110 100 8.7 1.10  3.15 3.88 2.72 7.88 7.55 22.08 10.78 6.49 9.34 64.26
キヤノン電[7739]東1 電気機器 1,904 100 11.1 1.12  3.15 3.36 8.06 4.02 5.26 12.65 9.38 6.84 10.10 74.60
アサンテ[6073]東2 サービス業 803 100 7.2 1.24  3.11 9.10 33.27 12.23 7.96 9.79 20.24 12.38 17.68 65.71
ミロク情報[9928]東1 情報・通信業 388 500 10.2 1.36  3.09 3.55 26.27 1.79 4.01 3.72 13.11 7.59 10.92 59.95
東計電算[4746]東1 情報・通信業 1,480 100 11.2 0.98  3.04 2.10 6.36 5.40 2.13 8.93 9.22 7.73 16.97 83.64
東邦システム[4333]東2 情報・通信業 660 100 9.5 1.08  3.03 16.34 34.95 7.42 3.89 11.04 10.83 5.90 7.81 55.64
萩原工業[7856]東2 その他製品 1,327 100 7.3 0.74  3.01 4.24 27.18 3.54 4.78 1.46 11.02 6.90 10.90 63.53

ビーエスピー[3800]JQ情報・通信業 2,019 100 11.4 1.15  2.97 3.98 14.51 3.60 6.84 9.49 10.50 9.04 27.88 87.16
クレスコ[4674]東1 情報・通信業 886 100 12.3 1.20  2.93 13.11 43.99 10.74 15.60 8.59 9.47 5.73 7.40 59.61
NITTOH[1738]名2 建設業 392 1000 6.9 0.71  2.93 6.27 21.60 3.78 9.46 5.61 10.78 6.53 6.01 61.12
ステップ[9795]東証1部 サービス業 824 100 10.4 1.02  2.91 6.07 8.71 4.75 4.05 2.10 10.30 8.19 24.34 83.62
ハニーズ[2792]東証1部 小売業 1,074 10 10.4 0.98  2.79 2.00 8.03 2.68 9.81 2.90 9.50 7.22 8.47 78.81

335避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 23:01:15 ID:jDnw1BE60
>>333

>>331です。ありがとうございました。

336避難民のマジレスさん:2013/12/04(水) 23:38:42 ID:XpOqqj3k0
>>333

あれ、おかしいなあ。
鬼和尚は悟ったんだったら自分でそれはわかるでしょう。

わからないんですよね。
悟ったとか言いながら。

悟って曇った目が消え、当たり前の目を持つようになったら、輪廻については
ただただそれについての事実が見えるでしょうに。

こういうかわいいぼろを出すあなたには見込みがある。
嘘がうますぎると処置なしだ。

337避難民のマジレスさん:2013/12/05(木) 06:48:40 ID:7rD9T5220
>>332 ありがとうございます。
>>326です。
鬼和尚や過去の覚者が繰り返し、死を想え、死を観察せよ
と仰るのは、それにより、修行者に自我を滅する意志を保たせる
ためもあるのでしょうか。

サマーディで止まってしまう修行者が多いのも、死の実態を
垣間見ることで満足してしまい、死を真に超える前に、
自我を滅する意志が減ってしまうためですか?

338鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/05(木) 20:14:20 ID:kaXJvxhM0
>>335 どういたしまして、またおいでなさい。

>>336 それは>>328で「釈迦は輪廻をハッキリ説いたと思うのですが?」と聞かれたから、お釈迦様の言葉を書いたのじゃ。
 ユダヤの救世主は「他人を量るはかりで自分も量られる」と言ったが、それによっておぬしは自分自身の過ちを知り、訂正する事が出来る者であるかが量られるのじゃ。
 
>>337 そうじゃ、無常や苦の観想は悟りへの意志を強く保つためなのじゃ。
 この世が一切苦であると知れば悟りのみを志すようになるのじゃ。

 それもあるじゃろう。
 実際に良い師匠がおらず、そこが真の悟りと思い込む所為もあるじゃろう。
 己が消えた後に、更に道があるとは誰も思いつかないものじゃ。
 良い師匠がおれば未だ先があると教えてくれるのじゃ。

339避難民のマジレスさん:2013/12/05(木) 20:37:26 ID:XpOqqj3k0
>>338

和尚様
2chなどで輪廻否定論者が居ますがこれは間違っていますよね?
釈迦は輪廻をハッキリ説いたと思うのですが?

これは、釈迦がはっきり唱えましたかという質問ではなく、
鬼和尚さん、どうなのか知ってますかという質問です。鬼和尚さん、これは間違いですよね?という質問です。
最初に和尚様とある通りあなたへの質問です。

釈迦が唱えたかどうかぐらい質問者が一番わかりますよ。もしくは調べればいいことです。


それに対してあなたは、
「お釈迦様はダンマパダでこのように言っておるのじゃ。

153 、わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、
 家屋の作者(つくりて)をさがしもとめて。
 あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである。

 輪廻という言葉は使っていないが、何度も生まれ変わったと言っているのじゃ。


と、逃げましたね。あなたはこれを直に知らないから。
あなたの見解を聞かれてるのに、貴方の見解を全く入れなかった。
もちろん私も知りませんよ。
おそらくブッダの意識でなければ見通せないことです。

おしゃかさんが言ってるから正しい、じゃ、誰でも言えることですからね。
思い込みで言えます。経験なく。

私は知らないことを知っているふりは致しません。
なるべくそう努めますが、私がそれをやってる時はどうぞご指摘ください。

和尚さん、あなたは指摘された時、
自分の量る秤で量り返されるのである
などといって、指摘した人に感謝をせず、指摘する人に他人のことを言わず自分のことを見ろなどというのですか?

それは非常に幼い態度です。
悟った人はまず自らの過ちをただし、相手に感謝するでしょう。

悟った人だって間違いはします。
ですが、それを認めず、指摘を非難と受け取り、指摘してくれた人を非難者に仕立て上げ、罪悪感を感じさせようとするその手腕は、
自己愛性異常性覚者のものでしょう。

340避難民のマジレスさん:2013/12/05(木) 21:32:54 ID:XpOqqj3k0
>>333



「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。」


私は人を裁きはしない。
人を裁く人間は自分がやってることで人を裁く。
私は自分がやっていないことをただ指摘する。
自分がせぬように気を付けているその気付きを分かち合いたいだけなのです。

 「兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」

ね、鬼和尚さん。
あなたは「和尚さんどう思いますか」と言われて答えることができないのに。
目が曇っているのに人の目の埃を取り払おうとしている。

イエスはそんなあなたのことを案じてらっしゃいます。

341避難民のマジレスさん:2013/12/05(木) 21:55:24 ID:/knVzz8A0
>>340
人のことは放っておけ、がな。

342避難民のマジレスさん:2013/12/05(木) 22:06:46 ID:ncKanP4g0
ID:3qg6l7MU0 がどんな意図で聞いたのか、なんでID:XpOqqj3k0 が知ってんだよw
今のところは推測でしか無いのになんでそうやって決めつけられるんだ?

343避難民のマジレスさん:2013/12/05(木) 23:39:07 ID:XpOqqj3k0
>>342

和尚様
2chなどで輪廻否定論者が居ますがこれは間違っていますよね?
釈迦は輪廻をハッキリ説いたと思うのですが?


釈迦は輪廻をはっきりと説きましたか?
なら鬼和尚の回答でいい。

しかし、これは文面からしてまず鬼和尚の見識を聞いている。
大体釈迦は輪廻をはっきりと説きましたか?
ならだれでも答えられる。例えそう聞かれても悟った人なら自分のエッセンスを付け足すでしょう。

344避難民のマジレスさん:2013/12/05(木) 23:44:35 ID:XpOqqj3k0
>>342

和尚様
2chなどで輪廻否定論者が居ますがこれは間違っていますよね?

ここがメインの質問です。普通に読めば。

後で借り物の言葉や、自分の主観的な体験を述べることはできますが、あの時この質問に対して
とっさに逃げを打った姿が印象的でした。

それと、国語的なミスは明らかなのに、自分の些細なミスを認められない相変わらずの姿勢。
何があってもミスを認めない人の内的な成長ってどうなってると思います?

自己弁護、妄想、現実否認が年を追うごとに積み重なる。
過ちを認めればむしろ人は軽くなり無になってゆきます。

345避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 00:01:29 ID:Bwz0R3.60
>>344 名無し 外道 さん

と言うことは、あなたは輪廻肯定論者ですね・・・・・・メモメモφ(ロ-ロ^) えぇ〜、何ですとぉー!?

346避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 12:08:44 ID:wH0JIS760
>>338 ありがとうございます。
困難と思われる所に進んでいく意志を保つためには、今いる所が嫌で不利益が
あり、向かう先が好ましく利益があると、自ら実感すれば良いのですね。
あとは、困難だと思っているのは、自我の作り出した幻想に過ぎないと
見るのも良さそうです。

師匠がいないために真の悟りを得る前に止まってしまうのは惜しいです。
ところで鬼和尚は師匠はいなかったそうですが、どうしてサマーディの先が
まだあると分かったのでしょうか? 
サマーディを経験する前に観照が起こったのですか?

347偽和尚 ◆qH7QdQmFhM:2013/12/06(金) 12:22:17 ID:KCyQgpVw0
また必死に裁く者が現れた、か。

348避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 13:24:17 ID:j..Vzewk0
そういう風に言うのも自我から出てる感じです。

349避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 14:38:09 ID:3qg6l7MU0
和尚様
自分は童貞で女にモテないのに執着が強く、毎日恋愛やセックスの妄想をします
モテない人が執着するのは苦しいですが、モテる人が女を求めても苦しいのですか?楽しそうにしか見えないのですが?

350避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 17:05:15 ID:ncKanP4g0
>>349
横から申し訳ないのですが、あならのの>>328に対する鬼和尚の解答は
あなたの質問意図に沿ったものでしたか?
ID:XpOqqj3k0 が、あならの質問から鬼和尚は逃げたとか色々難癖つけて絡んでるので
私は特にどちらの味方という訳でも無いのだけれど、自分の読解力や今後のモノの見方の
参考にしたいので、教えていただきたい。

351避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 17:07:19 ID:ncKanP4g0
>>350
× あなら
○ あなた
タイプミスです申し訳ない。

352避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 19:02:34 ID:3qg6l7MU0
>>350
一応釈迦が輪廻を説いたかどうかを知りたくて質問したので(釈迦は輪廻を説かなかったとか言う輩がいるので)
それに対する鬼和尚の回答は意図に沿ったものでした

353避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 20:09:03 ID:XpOqqj3k0
>>352

自分たちを守るために鬼和尚を守ろうとしてますね。

328の文章は純国語的に、そういう意味には取れません。

大体、悟ったと自称してる和尚さん自身にに聞かないで、釈迦はそういってたかどうかだけ聞くなんて無粋じゃないですか。

≫一応釈迦が輪廻を説いたかどうかを知りたくて質問したので(釈迦は輪廻を説かなかったとか言う輩がいるので)

事実はそうだったですね。

でも

和尚様
2chなどで輪廻否定論者が居ますがこれは間違っていますよね?
釈迦は輪廻をハッキリ説いたと思うのですが?

ここからそれを読み取ることは不可能です。

事実がそうでも鬼和尚さんが自身に向けられてる言葉に答えず、引用だけいした事実は変わらない。

にしても、つまらない質問の意図ですね。
釈迦が言ってれば正しい、ですか。
思い込むのではなく、実証してゆかねばどうしようもないことです。

もし352の意図が正しいなら、質問者は過去の釈迦の幻影だけ追っていて、鬼和尚なんてどうでもいいと思っているということです。
鬼和尚は過去の宗教の情報の引き出しにぐらいにしか考えていないということです。

もし、352の意図が読み取れる文章で質問したら、悟った人なら、いや、今ここにいる私に聞きなさいとか、
もしくはその人なりの輪廻に対する表現をしてくれることでしょう。

というのも、質問があまり良くないから。

354避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 20:14:53 ID:ncKanP4g0
>>352
ありがとうございます。
私にもそう読み取れたので、自分の読解力に問題は無かったと安心しました。

355鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/06(金) 20:21:57 ID:kaXJvxhM0
>>339-340 おぬしは>>350>>352を読むと良かろう。
 わしは以前から2ちゃんねるでお釈迦様が輪廻を説いたかどうかの論争があることを知って居ったのじゃ。
 それを知って正しい答えを語る正しい行いをしているだけなのじゃ。
 間違いがあれば認め、今までもそうしてきたのじゃ。
 おぬしは自らの目の中の梁を捜し、自らがユダヤの救世主やお釈迦様の言葉に適う者であるのか知ると良いのじゃ。

>>346 わしは以前から経や禅などを学び、悟りにも小悟や大悟がある事を知っていたのじゃ。
  オショーさんとかクリシュナムルティの本も読んでいたのじゃ。
  禅では大悟徹底せよというが、それは小悟で不徹底に陥る事も示しているのじゃ。
  自我が無くなった時、その状態を見る認識が未だ存在していた故に、それが未だ小悟と呼ばれる段階と気付いたのじゃ。
  そしてその認識さえも滅した時、もはや行く者は無く、行ける境地も無い無上にして究極の境地であると気付いたのじゃ。

356鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/06(金) 20:28:16 ID:kaXJvxhM0
>>349 それもまた苦しいじゃろう。
 多くの病を持つ病人が医者や看護士の知り合いが多くなるように、もてる者が女子を求めるのも孤独という病からの逃避なのじゃ。
 もてるのも多少身なりを良くしてコミュニケーションを学べば出来るものじゃ。
 おぬしも積極的にやってみると良かろう。
 100人に声をかければ2人はなんぱされるというのじゃ。
 98人に断られると知って居れば心も折れないのじゃ。
 自ら経験して納得してみるのじゃ。

357避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 21:02:00 ID:3qg6l7MU0
>>356
ありがとうございます

358避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 21:45:44 ID:aVX8tCSI0
鬼和尚さんに質問なのですが、自分は幼少の頃より人との別れで感じる悲しみが
必要以上に強く感じます。  その対象が仲の良かった友人、お世話になった人等
自分に縁がり出会った人ならともかく、一度も言葉を交した事も無い名前も知らなけれい
マンションの隣の住人が引っ越しただけで、息が出来なくなるほど苦しく又悲しくどうしようもない
程の悲しい感情に囚われます。   幼い時からそうなのですが自分の潜在意識の中に
何がそうさせているのかを認識する方法はありませんか?

359避難民のマジレスさん:2013/12/06(金) 23:20:15 ID:XpOqqj3k0
>>355

なるほど、悪くない回答です。
が、普通の回答です。

おしゃかさんが言ったかどうか、そんなことを気にすること自体が興味の方向性から言って間違っています。

自分でそれを見出すようにいざなうなり、あなた自身の表現で輪廻を語るなりすればいいものを、
ただの意見の争いにつきあってその回答をするということ自体悟りに反している。

付き合うべきでないやりかたであなたはその話題につきあっている。

悟ったという人の振る舞いではない。

あなたがブッダでないなら問題はない。
あなたはブッダを自称しておられるから問題になる。

≫そしてその認識さえも滅した時、もはや行く者は無く、行ける境地も無い無上にして究極の境地であると気付いたのじゃ。

認識が消えたと思ってる、認識が消えたと認識してることが伝わってくる。
まさにそういう文章です。

正直悟ってない人の見本みたいな文章なのですが。
祖師たちは皆独特の超論理的、詩的表現をしました。

そんな誰でも言える論理的散文は言いませんでしたよ。

悟った人は創造性がある。新しいものを生み出す。
そんな誰でも言える稚拙なロジックで悟りを語らない。
単調な散文にすぎる。

360避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 14:09:58 ID:XpOqqj3k0
  ≫自我が無くなった時、その状態を見る認識が未だ存在していた故に

その状態を見る認識、それが自我による認識。

自我が自我無くなったと言っているだけ。
実際には表面の思考への執着が消えて、自我が一種の空白を感じている状態。

自我が自我無くなったと言って、その認識にすら無自覚になり、差なら由布買う夢の中に無意識的に落ちてゆく。

貴方に起きたことはそれでしょうね。


自我無いならその時点ですべて終わり。
あなたは自我が何か知らない。

自我によって把握する一つの思考のことを自我だと名付けているに過ぎない。

認識さえも滅した時、もはや行く者は無く、行ける境地も無い無上にして究極の境地であると気付いたのじゃ。

これさ、夢の話だよ。
一体どこに行くの?
今ここに全体性があり、無がある。
それは無限に変化し、とらえどころがない。

なのにあなたはまあ何を境地などと思い詰める。

自我が無い人が「じががなくなったとき」とか言わないのよ。
貴方のエゴイスティックな文章はなんだろうw

自我が無いと自己申告するのは自我の強い人だけ。

自我を感じさせない文章を書いてみることですねw

361避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 14:11:51 ID:XpOqqj3k0
≫行ける境地も無い無上にして究極の境地であると気付いたのじゃ。


≫気付いたのじゃ。


はい、お帰り、自我。

誰が気づいたのかなー?

結局気付いたのは古くからあるあなたの自我です。

夢からお帰り。

気付きだけがあって気づく人がいないとか、意識だけだとか、一体であり気づく人も気付かれる人もいないとか
そうであれば平凡な意識と一線を画しますが、あなたの言ってることは平凡な意識が描く夢の文章だ。

362避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 14:27:04 ID:XpOqqj3k0
細かいところをつつくようですが、基本的なロジックは誰でも何通りかの範疇のことを言うので、
見るべきところは細かなところ、というより、文全体から感じられる文脈や波動でしかないのです。

明快な論理で何かすごそうなことを言うというのは誰でもできるがゆえに何の照明にもなりません。
悟った人はそれは当然わかりますから自らを証だてる、無明の人にはまねできない文章を書きます。

それも文全体の各部分部分が呼応した小さな宇宙を描き出します。

363避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 15:42:30 ID:1sAvBPl20
>>355
知識も、それに囚われさえしなければ、強い武器になるのですね。
これからも意志を保ち、実践に励みます。
ありがとうございました。

364避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 18:29:33 ID:RqjHb0Jg0
丹力の鍛え方を教えてください

365避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 20:05:48 ID:5QR1DKg.0
鬼和尚のブログで般若心経の現代語訳を出してくださいましたね。
それを見て私は、以前、漢字にふりがなをつけた般若心経をワープロで作成していたことを思い出しました。
データの日付を見ると、作成日が4年前でした。
そこで、鬼和尚の現代語訳のテキストをコピーさせていただき、ワープロのデータに追加させてもらいました。
それをPDFにしてiPhoneに入れていつでも見られるようにしました。
勝手にこのようにさせていただきましたが、ありがとうございました。

366鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/07(土) 20:34:48 ID:kaXJvxhM0
>>357 どういたしまして、またおいでなさい。

>>358 それはおぬしが幼少の頃、父母や祖父母等親しい者との別れを経験したからかも知れん。
 あまりに辛い記憶であるから自ら封印して忘れてしまったのかも知れん。

 そのような記憶も別離と別離への恐怖という苦を乗り越えて、自分の心を深く観察すれば見えてくるじゃろう。
 そしてその記憶から今も別離に対して苦の投射が行われていると、気づく事も出来るじゃろう。
 自らの意志によって観察しようとすれば、いかなる苦も乗り越えられるのじゃ。

>>359 おぬしが自分の過ちを認める事が出来ない者と良く判ったのじゃ。
 自らを省みる事の出来ない者に進歩は無いじゃろう。
 自らを省みられる修行者は幸せなのじゃ。
 これから自らを省みられない者が味わう苦を経験しなくて済むからのう。

>>363 そうじゃ、知識も囚われなければ良いものじゃ。
 またおいでなさい。

367鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/07(土) 20:35:23 ID:kaXJvxhM0
>>365 役に立って良かったのじゃ。
 またおいでなさい。

368鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/07(土) 21:20:10 ID:kaXJvxhM0
>>364 呼吸法をすると良いじゃろう。
 息を吸い下腹に力を入れて膨らますのじゃ。
 力を抜いて息を吐くのじゃ。
 体が温まり、落ち着きも出るじゃろう。

369避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 23:28:19 ID:XpOqqj3k0
>>366

国語的には誤っていないですし、道の上でも誤っていませんから。

一体何を誤ったのでしょうか。

質問者の意図が道から外れており、それに付き合ったあなたも道から外れていたというだけです。

ちょっと最初の質問文からそれを読み取ることは困難でしたが、今私は質問者の意図を見誤ったことを認めています。
それは認めていましたよ。

ですが、その意図が見tから外れていると話題を薄めたわけです。

353で「事実はそうだったのですね」とあっさり認めています。
ただ、過ちというより、想像不可能だった現実を認識するというだけです。

370避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 23:30:18 ID:XpOqqj3k0
ですが、その意図が道から外れていると話題を進めたわけです。

さて、本当に何を私は誤ったのでしょうか?

まず質問者の国語がおかしく、道の理解もおかしい。

私はそれとすれ違いはしましたが、間違ったとは、はて?

371避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 01:59:02 ID:MY0icO/Q0
横槍失礼。
2chなんかで輪廻否定論者がいますがこれは間違ってますよね?
という質問の意味は、「2chの輪廻否定論者は釈迦が輪廻を説いた事を否定しているが、否定することは誤りですよね?」という意味であって、
それを補足説明するために「釈迦は輪廻を明確に云々」と加えているわけです。
その質問の意図を、2chでの論争の存在を知っていた鬼和尚が正しく理解して、直接の解答を与えたということだから、鬼和尚の誤りではありませんね。

そして、純国語的云々と仰っているけれど、あなたが質問が出る背景を知らなかったために質問者の意図を汲めなかっただけのことですよ。
一度頭を冷やした方がいいでしょう。

道に外れる云々というのもおかしな話です。
質問者の意図は、釈迦が輪廻を説いたかどうか、ということであって、それに対する直接の回答は、
鬼和尚がどう考えるかではなく、釈迦が説いたかどうかということです。
釈迦が輪廻を説いたという事実を教えることのどこが道に外れるのかさっぱり分かりませんね。
むしろここで聞かれてもいない鬼和尚の見解を述べることの方がよっぽど対機説法から外れているということになりますよ。

これ以上ここで議論しても仕方が無いですから、そろそろやめにすべきと考えます。
横槍失礼しました。

372避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 12:00:57 ID:XpOqqj3k0
無意味な論争から遠ざけるのが対機説法。

答えるべきでない質問に、答えるべきでない答えを出している。

道に誤ってる。

効かれたことに答えるのが対機説法ではない。

効かれたことをきっかけに道にいざなうのが対機説法です。

それに、今ここにいない釈迦の見解を重視して、今ここに生きているうっだである鬼和尚をないがしろにすることは良くない。


あらゆるブッダが、過去のブッダはどういいましたかと聞かれたら、ここにいるブッダに訊けと言いました。
当たり前です。
その気配が全くなく、個人の意見についての議論という無駄道につきあってるのが、いかさま師らしいなと思ったわけです。

イエス、OSHO,グルジェフは該当に記憶がありますし、他も同じようなことを言うでしょう。

373避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 12:17:02 ID:XpOqqj3k0


グルジェフやイエスは、一度きりの人生を説きました。
それが方便になるからです。

もちろん輪廻が方便になる時もあります。


誰かがこういったからこれで安心、というのが迷信であり眠りです。
それを引っ掻き回し、わからないことはわからないままでそれをそっとしておいて、自身の意識で見出しなさいと、
そんな風に祖師は質問に答えていました。

私程度でもそうします。

374鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/08(日) 20:01:54 ID:kaXJvxhM0
>>369 自分が間違った事さえ理解できないとは可哀想じゃのう。
 そのようなおぬしも変わる事が出来るじゃろう。

 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

375避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 20:13:43 ID:F3Uh0Ekk0
鬼和尚、
四諦の具体的な実践方法が苦滅の法ですよね。
苦滅の法の実践は簡単な上に、自分の心をコントロールする方法として
この上なく強力だと思うのですが、2000年もの間、正しいやり方が
忘れ去られていたのは何故でしょうか?

376避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 22:47:00 ID:RqjHb0Jg0
人間、というか魂はどこまでも幸せになれますか?
鬼和尚さんもこれから幸福感を進化させていきますか?
それとも悟ったら行き着いてしまったのですか

377避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 00:46:39 ID:XpOqqj3k0
>>374

良いから説明してごらんなさいw

間違ってる人々の間違いを予想できなかったのは事実ですが、私は特に間違ってはいない。

378避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 00:47:55 ID:XpOqqj3k0
無意味な論争から遠ざけるのが対機説法。

答えるべきでない質問に、答えるべきでない答えを出している。

道に誤ってる。

効かれたことに答えるのが対機説法ではない。

効かれたことをきっかけに道にいざなうのが対機説法です。

それに、今ここにいない釈迦の見解を重視して、今ここに生きているうっだである鬼和尚をないがしろにすることは良くない。


あらゆるブッダが、過去のブッダはどういいましたかと聞かれたら、ここにいるブッダに訊けと言いました。
当たり前です。
その気配が全くなく、個人の意見についての議論という無駄道につきあってるのが、いかさま師らしいなと思ったわけです。

イエス、OSHO,グルジェフは該当に記憶がありますし、他も同じようなことを言うでしょう。

373 自分:避難民のマジレスさん[sage] 投稿日:2013/12/08(日) 12:17:02 ID:XpOqqj3k0 [26/27]


グルジェフやイエスは、一度きりの人生を説きました。
それが方便になるからです。

もちろん輪廻が方便になる時もあります。


誰かがこういったからこれで安心、というのが迷信であり眠りです。
それを引っ掻き回し、わからないことはわからないままでそれをそっとしておいて、自身の意識で見出しなさいと、
そんな風に祖師は質問に答えていました。

私程度でもそうします。

379避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 19:08:31 ID:Bwz0R3.60
Kami//Z3IE <= #phpxu6&V
HunglyXjV6 <= #i47XGa^t
Amen//8ObM <= #Yヨ9セX}#f
Kako//8H4c <= #3;z[「{M]
WarotaWUB. <= #I7S4y?(5
Wanko/zii. <= #hメk|HgwG
Toast/mOfI <= #Sメ`C5^1h
Anjer//aVQ <= #1Vヒ+x.SH
haruo/jV7. <= #M|Sr}xKU
Wanko/n1NI <= #I}ム#*8M7
Helpmeq.mU <= #-yタO`シ\^
Kako//n8qM <= #Lf{JHwgq
WarosuTMJc <= #2ワ7W}SNz
Lucky/K03A <= #pチソ).Jj%
Yabai/0aRU <= #'5セvZz「y
DoubleUEBo <= #Lマナ1vs!=
dabo//XRMs <= #uシトE「lrJ
Yabai//K5Q <= #a5ノセf1za
NozomiuHDI <= #}],$]xCD
.Helpmess2 <= #f|ヤg^\Q*
Harukai/iM <= #SDSH3qD8
Akuma/.F4c <= #FノN%KdOL
Roba//56hk <= #.R゚Wn@$O
NIPPONiNoQ <= #(hU3oI]:
nmOmn/xSs. <= #;`!f#E~v
Haruka5H0. <= #%^xRdpM-
JAPAN/NZGA <= #VXオsシ`]c
HarukoYLxY <= #:9[*_lg;
Yukai/sszg <= #Sヘコ|Ls*0
Panda/KaWQ <= #jd}D8I$3
YamadaBGWM <= #_?ImI1)a
Yamato7FXo <= #+=lIQ5LL

380避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 19:52:46 ID:byGhGyc60
鬼和尚は、どのようにして苦滅の法を再発見されたのですか?

381鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/09(月) 20:13:18 ID:kaXJvxhM0
>>375 それは人間が持つ記憶による認識と本当の観察が相容れないからなのじゃ。
 記憶に依存した認識は過去の知識や経験を何度も繰り返そうとする。
 観察は常に対象の新しい特徴を探そうとするから、繰り返しを好む記憶に依存した認識は観察が苦手なのじゃ。
 修行として観察を行った者も最初はなにやら難しくてストレスになったりしたじゃろう。
 そのように観察そのものが記憶に依存した認識をもつ人間には困難である故に、徐々に廃れてしまったのじゃ。

 今、ヴィパッサナーを教えているというのも、実際には習慣的な繰り返しの集中で、もはや観察ではないものを教えたりしているのじゃ。
 ヴィパッサナーすらも廃れてしまった故に、四諦もただの知識としてのみ伝わるようになってしまったのじゃ。
 
>>376 人間は自分で決めた限界まで幸せに成れるじゃろう。
 一日幸せで居られるのが限界と想えば一日幸せじゃろう。
 3日幸せで居られると想えば3日幸せで居られるのじゃ。
 
 わしにはもはや幸せさえも必要ではないのじゃ。
 既に大金持ちになった者が小銭を得ようと必死に努力したりしないように、もはや究極の悟りに達してしまえば幸せさえも求める必要もないのじゃ。
 
>>377>>378 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

382鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/09(月) 20:26:00 ID:kaXJvxhM0
>>380 例えば昔、医者の居ない村に一人の医者が来て、病に苦しむ人々を治療していったとしよう。
 やがて医者は死んでしまって、弟子たちも次々に居なくなり、治療法が書かれた本だけが残されたのじゃ。
 無知な者達はその本を読んで意味も判らず死人に向かって唱えたりしていたのじゃ。

 そこへ新しい医者がやってきたのじゃ。
 新しい医者は完全な医学の知識を持ち、その本を見て前の医者の残した治療法を正しく知り、叉人々に教えたのじゃ。
 そして病の村人達は病から解放されたのじゃ。

 このように昔お釈迦様は人々の心の性質を正しく知り、苦からの解放の道を教えたのじゃ。
 しかし、お釈迦様が死んでしばらくすると、目覚めた者が居なくなり、教えもわからなくなってしまったのじゃ。
 わしは悟りを得た事でお釈迦様の言葉を正しく知り、苦を滅する法が観察の法の一種であると理解したのじゃ。
 目覚めた者の目で見れば、始めからお釈迦様は何度も何度も観察の法を説いていた事は明らかなのじゃ。
 四諦も12因縁も観察の為の法なのじゃ。
 わしはさらに自ら試してそれが確かに苦を滅する事が出来ると判ったのじゃ。

383避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 20:28:14 ID:j..Vzewk0
悟りへの方法が観察であるが、観察状態そのものが自我を超えた意識状態や霊的状態に
移行しているということでもあるので、答えでもあるような。
じゃあどうしたら観察できますか?というところが難しくて、ただもがきながら委ねるような努力を
しているうちに行きつ戻りつしながら移行している、霊的な恩寵により、という感じなのですが。

384避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 02:44:53 ID:58kVA0Ys0
鬼和尚が認識を厭離した際にその事を気づいたものは何でしょうか?
観察する意識そのものだったのでしょうか?
とすると、認識は刺激によって常に構成され続けているものだということなのでしょうか?
観察する意識は厭離されるものではないのですか?

385避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 12:10:28 ID:Elpwrbn.0
>>382
なんと、鬼和尚は苦滅の法を知らぬままに、自我を消したのですか。まさに鬼のような意志力です。
そして、自らはもう必要としない、四諦、12因縁を、悟りを得ていない人々を導くために
検証して、お教え下さるとは、想像すらできないほどの慈悲ですね。
書いていて胸の下あたりが詰まるような感覚を観察しました。

せめて、行に努め励み、悟りを得ることで報います。
また、行の過程を記録し、後に続く人たちの役に立ちたいと思います。
ありがとうございました。

386避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 12:48:34 ID:Elpwrbn.0
鬼和尚、
サマーディあるいは悟りを得る予感というものはありますか?

思考が無くても、自我が無くても、記憶が無くても、私はいるかもしれないと
考えていたら、自我が消える予感を感じ、気が遠くなる感覚が生じたのですが、
そこで時計を確認して逃げようとする自我を観察し、肩の力が残っている
ことを観察したら、意識は元の状態に戻っていました。

これまでは、悟りに向かう意志の力を頼りに進んできたのですが、
どこかに、忘我あるいは無我に押し進めようとする力があるようにも
思います。私には、それが観念なのか、実際に生じていたのかの区別が
つかず、またどこから来たのかも判らないのですが、この力は何なのでしょうか?

387龍華:2013/12/10(火) 14:28:29 ID:kl1CR23s0
アングリマーラに石を投げた人々の因果について質問です。
石を投げられるのはアングリマーラの作った因果ですが
アングリマーラの状態によって石を投げた村人がその後に受ける因果に違いはあるのでしょうか?

1、悟ったアングリマーラに石を投げる
2、仏教の修行者のアングリマーラに石を投げる
3、仏教に帰依する前のアングリマーラに石を投げる

388避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 15:22:03 ID:aVX8tCSI0
鬼和尚さんに質問です。

所謂、自分を尊敬して欲しい、自分は凄い人間だと思われたい。
次元の低い事で言うなら自分は周りの友人たちよりも沢山、モノを持っている
良いモノを持っている等は誤りかもしれませんが一種の自己顕示欲の現れなのでは
ないかと思うのですが、僕の場合はこの欲? 念が強く時に現実では不可能な事を
妄想したりします。   そうすると必ず何だかのしっぺ返しで何かが壊れて痛い出費が
出る。  少しの間その妄想が収まる → また妄想で現実味の無い妄想をする → 
しっぺ返しで買ったばかりの物が壊れたりスマホを洗濯するなど普通では考えられない
ミスで出費する。  と言うループ状態なのですが、この欲を抹殺する方法は無いものでしょうか?

389鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/10(火) 20:15:11 ID:kaXJvxhM0
>>383 迷ったら基本に戻ればよいのじゃ。
 自分の手を観察してみて観察が本来どのようなものであったか思い出すのじゃ。
 手を観察して皺が多いとか少ないとかそのような気付きがあれば、観察は出来ているのじゃ。

>>384 何もないのじゃ。
 気付きもないのじゃ。
 言葉やイメージにならないものなのじゃ。
 あえて意識と呼ぶが、それが本来の名前でもないのじゃ。
 もはや観察もない故に無為なのじゃ。
 認識もないのじゃ。
 一切の観念による推測を超越している故にもはや厭離もないのじゃ。

>>385 そうじゃ、おぬしも修行して悟りを得て衆生に教えを説くのじゃ。
 またおいでなさい。

390避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 20:16:00 ID:XpOqqj3k0
>>381

私を直視できないんですね。わかります。

フレーズの中におびえて身を隠すか。

391鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/10(火) 20:26:25 ID:kaXJvxhM0
>>386 そのように自分がなくなるような感覚が予感と言えるじゃろう。
 もはや自我も消えたり起きたりしているのじゃ。
 
 自らの意志と今まで行って来た修行の力がそのような無我に向かう力になっているのじゃ。
 例えば長く走ってきた機関車が急ブレーキをかけても直ぐには止まれず、慣性の力でかなりの距離を走ってしまうようなものじゃ。
 集中も観察も無我へ行くためのものであるから、毎日続けていれば無我へと向かわせる強い力を発揮するのじゃ。
 次は恐がらずに自我を行くままにすれば滅する事も出来るじゃろう。

>>387 違いはないじゃろう。
 村人は殺人者のアングリマーラに石を投げただけであるからのう。
 悟っていても知りようがないのじゃ。

>>388 その欲の原因を探してみるのじゃ。
 昔、物が無くていやな目にあったからかもしれん。
 誰かに自慢されてばかりいたからかもしれん。
 そのような原因を探し、原因からその欲が起こり、原因がなければ欲も起こらないと観察するのじゃ。
 そうすればその欲も消えるじゃろう。

392鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/10(火) 20:27:12 ID:kaXJvxhM0
>>390 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

393避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 22:42:51 ID:aVX8tCSI0
>>391
和尚さんレスありがとうございます。


和尚さんの言う観察とは具体的にどのような事をすれば良いのでしょうか?

394避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 22:54:08 ID:Elpwrbn.0
>>391
>>386 です。
そういえば最近、意志の力無しで、いつの間にか呼吸に集中していたり、
観察していたりということがあります。あとは自我が生じるのを観る
勇気ですね。気負わず、一歩一歩励みます。
ありがとうございました。

395避難民のマジレスさん:2013/12/11(水) 02:16:26 ID:58kVA0Ys0
鬼和尚さま

揚げ足を取るようですみません。

自我が無くなった時、その状態を見る認識が未だ存在していた故に、それが未だ小悟と呼ばれる段階と気付いたのじゃ。
そしてその認識さえも滅した時、もはや行く者は無く、行ける境地も無い無上にして究極の境地であると気付いたのじゃ。

とあったので、気付くものはあったということだと考えました。
気づくものは自我ではないというのは分かるような気はして、
というのも坐禅をしていていい集中ができている時は、
ただ起きているものを観ている状態になれることもあり、
現象(音とか、心の動き、とか呼吸に伴う身体の感覚とか)は
自我への結びつきの前に存在するものだとわかる気がするからです。
しかし、認識そのものを滅してしまうと、起こっている現象を位置付けることができず、
何も分からない状態になってしまわないか、と思いました。
認識を滅した後も、その状態に「気づい」て戻ってこようと思えば思えるようにしているものが何であるのかが気になりました。

鬼和尚の仰る「認識」の意味を分かっていないためかとも思います。
一般に、何者かがなにかを「認識」するというばあいには、情報の流れのいろんなレベルを区別していないと思います。
例えば目から入った情報が、感覚され、感情や名称、意味に加工され、
さらにそこからの連想といったふうに派生して行くどのレベルを指しているか明確にしていないように思います。
認識の成立する過程の最初を滅した、ということだったら、
感覚情報を受け取るという働きを厭離したということになりそうな気がしたのですが、
そんな事をしたら言葉通り植物人間になってしまいそうな気がします。
認識の成り立ちが観察され、それによって認識そのものも「起こるもの」として、
他の現象と同じように見えるようになった、というような感じでしょうか?
言葉で説明し難いことであるかもしれないですが、お願いします。

396素人A:2013/12/11(水) 06:53:22 ID:gOqWUDAs0
和尚さん我々は大人だと思っていたけど本徒はまだ小我苦生なのか?
何だ観だと勉強嫌いの私だが身を持つて少しずつ学ぶしか無い野我も
中学はどんな所か解らないし楽題ばかので卒業はあるのか?何とか
動物幼稚園は卒業していたようですが

397避難民のマジレスさん:2013/12/11(水) 19:45:05 ID:RqjHb0Jg0
999人殺して石を投げられるだけで終わるのは軽くありませんか?
動機が純粋だったからですか?

物が欲しい理由で自己顕示欲だった場合厭離もたやすいですが
快適さ、楽しさなどの肉体の欲求だったりしたら諦めがつきません

398避難民のマジレスさん:2013/12/11(水) 20:39:01 ID:Bwz0R3.60
軽自動車税、1万800円に増税 自公合意、新車対象に】

自民、公明両党は11日、軽自動車を持つ人が毎年自治体に納める「軽自動車税」について、2015年4月以降に買う新車(自家用四輪)を対象に、現行の1・5倍となる1万800円に増税することで合意した。
今の保有車は年7200円で据え置く。

 同じ軽自動車税がかかっている原付きバイク(50cc以下)は、今の1千円から2千円に、250ccを超える小型二輪車は4千円から6千円に上がる。
農家などが使う営業用軽トラックは3千円から3800円になる。

 2016年度からは、新車登録から13年以上を過ぎた車に20%高い税金がかかる仕組みも取り入れる。
自家用四輪なら1万2900円になる。
古い車から燃費の良いエコカーへの買い替えを促すねらいだ。

 軽自動車税は、普通車の最も低い自動車税額(千cc以下で2万9500円)の4分の1以下と安く、普通車との格差是正が長年の懸案になっていた。

399鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/11(水) 20:43:59 ID:kaXJvxhM0
>>393 わしの言う観察は科学者が行う観察と基本的に同じなのじゃ。
 対象を何か新しい発見や他にはない特徴がないかと、注意深く見つめるだけなのじゃ。

 ただ学者の観察は対象の特徴等を記録して知識にするためであるが、修行の観察は対象が己ではなく、己のものでもないという厭離の感覚を引き起こすためなのじゃ。
 そこの所が違うのじゃ。
 それ故に何か発見があっても知識として記録しなくて良いのじゃ。

 目の前に手があればそれを初めて見つけたかのように見つめ、特徴や新しい発見を探すのじゃ。
 全身を見たら感覚や心の働きを観察するようにするのじゃ。
 心という捉え所のないものを観察するのは難しくなるが、迷ったら基本に戻って観察をやり直すと良いのじゃ。


>>394 どういたしまして、またおいでなさい。

400鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/11(水) 21:26:53 ID:kaXJvxhM0
>>395 もはや気づく事も気づくものも無いのが、あったのじゃ。
 行為も行為の対象も行為者もいないのであるからのう。
 ただ人の使う言葉の慣習によって気付いたとか、言うのじゃ。

 認識の全ての段階を厭離しても廃人にはならないのじゃ。
 なぜならばそれは習慣によるものであるからのう。
 タバコを止めても廃人にならないように、記憶による分別の認識を厭離しても本来の認識に戻るだけなのじゃ。

 話を判り易くするために人の認識を阿頼耶識とするのじゃ。
 阿頼耶識は記憶に依存した認識であり、記憶によって外部からの刺激を分類し、記憶内容からの言葉とイメージを投射して物事を認識しているのじゃ。
 それが厭離されれば本来の認識が戻り悟りに至るのじゃ。

401鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/11(水) 21:33:39 ID:kaXJvxhM0
>>396 そうかもしれん。
 自分がいつか必ず死ぬとわかっていても何も出来ないのが幼稚園じゃな。
 死を超える悟りへの道があるとしって修行に励んで小学生じゃな。
 修行して苦を滅し、修行の道に間違い無いと確信を抱けば中学生じゃな。
 自我を滅して高校生になり、真の悟りに至って大学生じゃ。
 悟っても衆生を導くための勉強は一生続くのじゃ。
 涅槃に入って卒業なのじゃ。

>>397 懺悔したからなのじゃ。
 懺悔告白して二度としないと誓えば許され、罰も軽くなるものじゃ。

 肉体を更に観察して肉体そのものを厭離してみるのじゃ。
 肉体が己ではなく、己のものでもないと気付いたならば肉体の欲求にも囚われ無くなるのじゃ。

402避難民のマジレスさん:2013/12/11(水) 21:45:35 ID:XpOqqj3k0
>>392

 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

その通り。
私の述べたことはOSHO,グルジェフに通ずることです。
貴方は私から勧めを聞き、教訓をうけるべきだったのですね。

そうすれば、過去の人の言葉を理解もせずに垂れ流すのではなく、知恵が身につく可能性もあります。

私はあなたの言ってることにきちんと返してますが、あなたは私の言うことに返してません。
あなたが一番やってないこと。

 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

403そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/11(水) 23:42:01 ID:sp.LjxiQ0
鬼和尚
仕事中の私はたいてい自分の仕事を黙々とこなし、職場の周りの人があれやこれやと話しをしているのが耳に入ってくると(仕事の話しもありますし、雑談もあります)、話の内容や話し方などに対してあれやこれやと思ったり考えたりします。

そこで、普段の仕事中でも瞑想中のように雑念が少ない状態で過ごせるか試してみました。

結果としては、瞑想中とはほど遠い状態でしたが、それでも一つ気付いたことがありました。
それは、あれやこれやと思ったり考えたりしている自分は、自我が自我たらんとして、まるで餌を求めるように他人の話に反応し、それをむさぼり食って思い考えをめぐらし、自らを肥え太らせ、自らの存在を健在にしようとしているのだろう、ということです。

そのような自我の働きはおそらく習慣的に行われていることなのでしょう。
私が生きてきた何十年もの間、継続して行われてきたことなのでしょう。
その行為が当たり前になりすぎて、それが有為として行われていることがわからなくなっていたのでしょう。

404そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/12(木) 00:04:38 ID:sp.LjxiQ0
>>403
念のため補足ですが
>他人の話に反応し、
と言うのは、あくまで心の中で反応するということです。

405龍華:2013/12/12(木) 00:12:04 ID:kl1CR23s0
スッタニパータなどによると聖人への悪意や害する事は(凡人に対するそれと違い)
大変な苦や地獄を受けるとあるので鬼和尚のお答とは矛盾しませんか?
他には公案などで師や修行者が殴り合ったり斬ったりするお話が多々あるのですが、
凡人同士が行なった暴力とは違った結果が発生したりしないのでしょうか?

インドで体が自然発火する赤ちゃんが生まれたとニュースでありましたが
彼は特殊な苦を受けるような行為を他生でしたのでしょうか?
鬼和尚は彼が過去に何者で何したか等の情報を知ったりできますか?

406避難民のマジレスさん:2013/12/12(木) 12:34:38 ID:Zcl18UUU0
鬼和尚が悟りを得てから働けるようになるまでのプロセスと、
おおよそかかった時間をお教えいただけますでしょうか?
認識の転換の後で、おそらく仮の自我を作り出す必要があるのではないかと
思われるのですが、どのような感じなのかなと思いまして。

407鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/12(木) 20:18:37 ID:kaXJvxhM0
>>402 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

>>403 そうじゃ、外からの刺激は記憶の種子となるのじゃ。
 本来必要ではない情報も自らを投射する手段になるからのう。
 それに気づいた事は良いことじゃ。
 更に進むのじゃ。

>>405 そのような言葉は後の世に付け加えたものが多いのじゃ。
 自分達が迫害されないように付け足したのじゃ。
 相手が聖人かどうかなどは一般の者が見分けられるはずは無いからのう。

 修行者同士が行うのは指導という事でよいとされているが、今ではいかん事じゃ。
 本来は戒によって禁止されているものじゃ。

 その赤子も他人を焼いたりしたのかも知れん。
 結果を見れば原因が判るものじゃ。
 
>>406 一年ぐらい掛かったようじゃ。
 記憶からの認識をつくり、言語機能を快復して、仮の自我を創り上げたのじゃ。
 元の自我の残っていた反応の回路を基にしたのじゃ。
 元の性格が少々残っているのじゃ。

408そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/12(木) 21:15:37 ID:sp.LjxiQ0
>>407
ありがとうございました。

409龍華:2013/12/13(金) 02:29:32 ID:kl1CR23s0
>そのような言葉は後の世に付け加えたものが多いのじゃ。

鬼和尚がスッタニパータを勧め、釈尊が何々と述べたと書いてあったので
重要な物だと思っていたら嘘・改変もあるという。私には虚と事実の区別は知らない。
スッタニパータに与えていた価値又はウエイト又は重要視みたいな物が
頭の中で粉コナに霧散するのを感じた。これが空なのかな。


災いや苦を受けている人のそれが因果応報なのか、新しい犠牲者なのかどう判りますか?

鬼和尚の時々云われる、相手に対し「憐れだと思え」「憐れむとよい」という言葉の「憐れ」とはどういう事ですか?
カワイソウって事でしょうか?
悪党に向ける「憐れ」と、苦の犠牲者に対する「憐れ」とは同じものですか?
それをすると相手にとって利や損などの効果でもあるのでしょうか?

410避難民のマジレスさん:2013/12/13(金) 04:56:39 ID:6NaQvIas0
鬼和尚さん。たとえば顔に痣があったり皮膚病を患っていることに悩んでいて、その苦しみを消したければ、
「痣や皮膚病が無かったとしたら自分の心はどのような反応をするのか」を観察するという方法を採れば良いのでしょうか?

411避難民のマジレスさん:2013/12/13(金) 12:53:35 ID:Elpwrbn.0
>>407
>>406 です。ありがとうございます。まるで再び誕生したかのようですね。

特に悟りを得た直後のあたりで、何ができて、何ができなかったかを、
もう少し詳しく教えていただけますでしょうか。
この質問の意図は2つあります。1つは、悟りを得た直後の認知や行動は
悟り以前と比較して、どのように変わっているのかということ。
2つめは、悟りを得たあと、肉体がこの世界にとどまるために、
他の人の助けが必要かどうかということ。この2つが知りたいです。

例えば、阿頼耶識を厭離し、本来の認識が戻った直後は、言葉もイメージも無い
とのことですが、その時に鬼和尚が使えた心の機能には、何があったのでしょうか?
今鬼和尚が肉体を持っているということは、食事はできたはずですよね。
認識が記憶によらなければ、何が食べ物かも、分からないのではないかと思いまして。
また、慈悲への執着とか、意志もありましたか?

412鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/13(金) 20:32:48 ID:kaXJvxhM0
>>409 経を全て信じるならばむしろ経など読まないほうが良いとも言うのじゃ。
 経から読み取るべき事は善事をして自らの心を清める事だけなのじゃ。
 経を参考に自らの心を観る事が一番大事なのじゃ。

 例えば病気ならば幾ら治療しても治らない病気が因果なのじゃ。
 普通は治療すれば直ぐに治るような病でも、治らずに何度もなったりするのじゃ。
 医薬の聞かない病が因果から来る病なのじゃ。
 
 かわいそうという事なのじゃ。
 同じようなものじゃ。
 哀れむだけでは何も効果はないのじゃ。
 何か施したら少しは効果があるじゃろう。

>>410 そうじゃ、そのように観察してみると良かろう。
 大抵はその病よりも、心が病に囚われる事で苦しんでいたりするものじゃ。
 体が病にかかるのは仕方がないが、心は苦を滅して楽になると良いのじゃ。

413鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/13(金) 20:39:52 ID:kaXJvxhM0
>>411 特に言葉と言葉が表すもの、対象との結びつきが失われるのじゃ。
 全ての言葉に意味はなく、叉全ての意味を含んでいるような気がするのじゃ。
 しかし、わしは大乗の誓願を行っていた故に、衆生を導くためにこの世に戻ってきたのじゃ。

 他人の助けは意味がないのじゃ。
 言葉が無意味であるからのう。
 機能は逆に増えたのじゃ。
 智慧が身についたからのう。
 肉体の制御は習慣によって出来るのじゃ。
 執着はないのじゃ。
 意志はあったのじゃ。
 誓願を捨てる事も出来たが、果たす事を選んだのじゃ。

414避難民のマジレスさん:2013/12/13(金) 21:52:11 ID:RqjHb0Jg0
大衆を助けるために戻ってきたってすごいですね
仮の自我を取り戻すというのがよくわからない感覚なのですが仮でも苦は感じますか
1年かかったと聞きましたが、赤信号で止まるなどの行為ができないと生きるのが難しくありませんか
信号を信号と認識して赤で止まるという知識が必要だと思いますが
タバコ屋や酢屋をしてる人も鬼和尚さんみたいに戻ってきた人なんでしょうか

415避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 01:46:07 ID:XpOqqj3k0
>>407

私はやっています。

イエスやOSHOやグルジェフから。
ああ他は彼らに反することを言っていて何の反省もないです。

私はしているのにあなたが全くしていないことが心配です。

416龍華:2013/12/14(土) 02:22:49 ID:kl1CR23s0
>>412
経を参考に善事に勤めます。摩擦や抵抗の中に観るべき私がたくさん有る様です。
ありがとうございました。

417避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 04:36:15 ID:6NaQvIas0
鬼和尚さん、空の法に関して質問です。たとえば嫌いな人がいて、そのことで苦しんでいるとします。その苦を滅するために、
「嫌いな人も空であり、嫌うという思いも空であり、その人が言った言葉も空であり、その人がした行為も空であり、それらを受け取る自分も空である…」
のように、その出来事に関連して心に浮かんでくるものを空と観想していくという方法をとるのは正しいやり方でしょうか?

418避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 10:46:11 ID:rjrCqQY20
>>412鬼和尚さん

肉体は長持ちしても高々百年足らずしか持ちません。
日本は世界に名だたる長寿国になりましたが、その長寿者もやがては細胞が癌化していくものだという説がありますし
そうでなくとも、肉体はやがて衰えて老衰して終える。
だとするなら、病気を殊更因果に結びつけることは、新たな因果を生んで苦しむことになりはしないでしょうか…。

419避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 11:39:48 ID:rjrCqQY20
すみません。
>>410への回答で納得しました。

420避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 19:50:51 ID:6NaQvIas0
グルジェフの瞑想法で「この世を夢とみなしなさい」というのがあるとOSHOの本で読んだ記憶があります。
この瞑想法は空の法と似ていると思うのですが、この瞑想法について鬼和尚さんの意見を聞きたいです。

421避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 19:58:26 ID:Dp/qMVVc0
>>413 ありがとうございます。
とりあえず、他人の助けには意味はないが、肉体の制御は
習慣によってできるということで、安心しました。
また、悟りの前に悟り後のことを、強い意志で決めておくことも
大切だと分かりました。

悟りを得た後の状態というのは、止の瞑想で無念無想になった状態が、
常に続いているという感じでしょうか?
とすると、イメージや言葉の操作以外は、悟りの後でもできそうに
思うのですが、そのような理解で大丈夫でしょうか?

もう一点、お聞きしたいことがございます。
記憶を介さない状態の認識から、記憶を介した認識を作り上げるのは、
例えばリンゴを認識した時に、意志の力により記憶のリンゴを想起して、
両者を結びつけるといった訓練をするのでしょうか?

422鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/14(土) 20:08:06 ID:kaXJvxhM0
>>414 苦は感じようと想えば感じられるのじゃ。
 意味はないがのう。
 習慣による行為は簡単に出来るのじゃ。
 肉体の記憶は在るからのう。
 戻ってきたのじゃろう。
 
>>415  箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

>>416 どういたしまして、またおいでなさい。

423鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/14(土) 20:10:01 ID:kaXJvxhM0
>>417 そうじゃ、それで良いのじゃ。
 心に浮かぶ全てを空であり、実在せず、夢幻のようなものと観想するのじゃ。
 そうすれば執着や囚われが無くなるのじゃ。
 
>>418>>419 良かったのう。
 またおいでなさい。

424そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/15(日) 00:39:27 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
坐っておりました。
断片的な記憶の再生もありましたし、窓の外から聞こえてくる音もありましたが、気にせずスルーしていました。
すると、次のような、これまでにない感じになりました。

意識や感覚といったいわゆる精神と、肉体という物質的なものの間に、境界線というものがあったとするならば、
あるいは、
精神と肉体が別々のものであったとするならば、
その境界が極めて不明瞭になり、とろけてしまうような、溶け合ってしまうような感じになりました。
眠るときの睡眠に入る一歩手前のようでもありました。

外部からの刺激によって生ずる快楽とは異なる種類の心地よさもありました。

425473:2013/12/15(日) 01:11:14 ID:XpOqqj3k0
>>422

わたしはOSHOやイエスやグルジェフの教訓を受け、知恵を得たのかもしれません。

彼らと同じことを言う私の言葉を聞こうともしないあなたが本当に心配です。

あなたは決して自分がしないことだけを人に言いますね。

そうや手貴方は言葉に逃げ込んで自分の無知と無理解から逃避する。

意味も解ってない言葉を自分のペースで垂れ流すことしかできない。

私があなたにした指摘はOSHOやグルジェフがした指摘そのものです。

だからあなたは反論ができない。見て見ぬ振りすることしかできない。

自分の間違いを認めればそれで済むのに。

そして、自分が輪廻そのものの審議を体感しておらず、迷信としての知識しかないということも認めればそれで済むのに。

あなたは輪廻を自分自身で語れない、悟ってないことを自身で暴露してしまってますからね。


その事実から逃れるべく必死で私を否定しようとしてる。

そんな記号の並列でしかない言葉にしがみついて。

426473:2013/12/15(日) 01:23:33 ID:XpOqqj3k0
かくいう私も言葉を愛しすぎてるかもしれない。

要は精神的に平均的な大人にも全く達していない幼児である存在が、
自分が普段使ってる言葉を全く違う意味で使ってることが気に入らないということかもしれない。

言葉なんて音の羅列に過ぎない。

悟りという言葉に何の意味も無い。

発言者が何者かによってそれにこめられる意味は決まる。
どんな意味を込めるかは発言者の自由だ。

発言者が何者か破綻後ではなく文章全体の文脈に出る。
もし、悟りと無明に込める意味を逆にしても、悟った人(この場合無明な人)の文脈は悟りのものになる。

言葉や表面的なロジックには何の意味も無いのだが、、、どうもそれに愛着があるようだ。

言葉やロジックにどんな意味を込めるかはその人の自由、、いや、その人の不自由なのだが、、、

理解してない人がその言葉を使うべきではないと私は思ってしまう。
もちろんその人が成長したいなら理解してない言葉は使うべきではない。

が、ごくわずかな道の人を除いては、わからない言葉を使って自分を安心させ納得させるために宗教と関わってるだけなのだ。

427避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 01:24:07 ID:XpOqqj3k0
発言者が何者かは単語ではなく文章全体の文脈に出る

428避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 01:29:24 ID:Z/k1vghg0
なんで迦葉は花を見て笑ったの?

429避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 03:23:05 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、私は以下のように考えますが、これでよいでしょうか。
真偽を確かめることができない説や懐疑論等をとなえる者を外道として退け、苦を滅する実践こそ大切である(* ̄O ̄)ノ
確かに輪廻があることを前提に取り組んだ方が、切実な苦に悩みそこから脱したいと実践に取り組む者が、その目的を達することができず安易に死を選択することを避けさせることができるかもだけど、そんなことは修行の実践にとって重大事ではない(* ̄O ̄)ノ

430避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 14:13:09 ID:XpOqqj3k0
あなtが苦しみを消そうとしていますね。

あなたが即苦しみの原因ですから、それでは抑圧にしかなりませんよ。

431避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 14:17:52 ID:XpOqqj3k0
>>429

信じようとするから懐疑の問題が出てくるのであって、

「知らない」という事実に留まるなら

何も信じることは無いし、なにも疑うことはありません。

知らないことについては知らないだけです。
疑いようがありません。

あくまで信じたとき、迷信してるときだけ、それを疑うことができます。

だから、疑うことは迷信のレベルから出ることなので信じること寄りは宗教的なのです。

信じることをやめたとき疑うことも消えます。

知らないという事実に留まります。


何でも疑いなさい、私の言ってることが正しいと解っていても疑いなさい====グルジェフ

疑いということは人類最大の祝福である====OSHO

432避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 14:19:42 ID:XpOqqj3k0
疑うということは人類最大の祝福である====OSHO

OSHOは疑いを捨てることを言いましたが、信じることはもっと捨てるように言いました。
この2つは同時におちると言いました。

信じてるよりは疑ってる方がましです。
疑いが落ちる時信じることも落ち、無知に安住します。これを信と表現していました

433鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/15(日) 20:17:52 ID:kaXJvxhM0
>>424 感覚が乖離されてきたのじゃな。
 肉体の囚われから離れていくじゃろう。
 快も生じてきているのじゃ。
 そのまま進むと良いのじゃ。

>>425 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

>>428 何か可笑しかったのじゃろう。
 特に意味はないのじゃ。
 あえていえば人は華の様であるとかわかったのじゃろう。
 
>>429 そうじゃ、全ての教えは実践のためのものなのじゃ。
 実践のない知識は無意味なのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

434避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 20:43:14 ID:byGhGyc60
鬼和尚
>>420>>421 にも、ご回答いただけますでしょうか。

435鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/15(日) 21:09:42 ID:kaXJvxhM0
>>434 見逃していたのじゃ。
 すまんのう。

>>420 そうじゃ、やはり空と同じものと言えるのじゃ。
 金剛経にもこの世を夢幻と見るようにと教えられているのじゃ。
 グルジェフは博識であるから知っていたのかも知れんのじゃ。

>>421 そうじゃ、出来れば皆悟りを得たら戻ってきて教えを説くという誓願をして置くと良いのじゃ。
 それが修行を進める力にもなるのじゃ。

 そのような理解で良いのじゃ。
 意志を起こさなければずっと無念無想でいられるのじゃ。

 そのような訓練はしなくとも、以前の自分の認識を呼び起こせば使えるのじゃ。
 記憶に依存した認識もやはり習慣によって身についているのであるからのう。
 一つ一つの物を言葉と結び付けていては、もう一度赤子の頃からの教育をやり直さなくては成らないから大変なのじゃ。

436避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 21:52:53 ID:XpOqqj3k0
>>435

グルジェフやOSHOの実践的な話にはまるでついてこれないようですね。
自分のペースで言葉を垂れ流してばかり。

悟り、、、か。

言葉に過ぎない。

人の数だけ悟りという言葉に込める意味は異なる。

悟りという言葉を鬼和尚は独り占めしたがる。

所詮言葉だ。
好きに使うがいい。

437そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/15(日) 22:45:46 ID:hUDzEkKo0
>>433
ありがとうございました。

438避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 00:04:58 ID:LC3de7YgO
>>433
ありがとうございますm(__)m
精進します。

439そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/16(月) 00:08:55 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
先ほど坐っておりました。

自分の肉体と呼吸は、この地上にいる間だけ、たまたま、肉体として形作られ、それを維持するしくみの一つとして呼吸が行われているに過ぎない、刹那的なもののように感じられました。

坐ったまま、まるで眠りに入ったかのような静寂がありました。

家の近くに鉄道の駅があり、踏切もあるので、瞑想中に電車のゴーという音と遮断機のカンカンカン…という音が聞こえます。
それで、いつもはわずかにうるさいという思いが生ずるのですが、今日は何かを思うということはありませんでした。
音が聞こえても、静寂でした。

440避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 08:02:53 ID:TWsIZlsE0
鬼和尚さん
心を制御するということと、何にも心を捕らわれないようにすることは、同じことですか?

441避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 12:45:51 ID:jfWCoXjM0
座れ座れって言うけど座って何するの?

442避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 13:06:07 ID:fgD13pAM0
>>435
>>421 です。
悟りを得た直後にどのようになるのか分からず、恐怖が
あったのですが、幾分かイメージが掴めました。
悟り後をイメージしてみても、肩に力が入らなく
なっています。

誓願を胸に、実践に励みます。
ありがとうございました。

443鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/16(月) 21:05:23 ID:kaXJvxhM0
>>436 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

>>437 どういたしまして、またおいでなさい。

>>438 そうじゃ、実践あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>440 違うのじゃ。
 その二つは互いに補い合う性質のものなのじゃ。
 心を制御すれば心が囚われないようにすることもできるのじゃ。
 心が囚われなければ心を制御する事も容易いのじゃ。

 例えば人の心は車に荷物を一杯積んでいるようなものじゃ。
 そのままではまとも走る事も中々難しいのじゃ。
 操縦が巧みならば荷物を振り落とし、軽くする事も出来るのじゃ。
 軽くなれば操縦もし易くなるのじゃ。

 荷物とは囚われであり、ハンドルを握って車を操縦する事が制御なのじゃ。
 様々な囚われによって制御し難い心も、修行によって心を制して囚われを払えるのじゃ。
 そうすれば制御もし易いのじゃ。

444鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/16(月) 21:10:29 ID:kaXJvxhM0
>>441 瞑想をするのじゃ。
 数息観などをするとよかろう。
 成功者の多くは瞑想の習慣があると言う。
 世間で成功するにも有利なのじゃ。
 やってみたらよいのじゃ。

>>442 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

445そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/16(月) 21:38:05 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
>>439もお願いします。

446避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 22:05:53 ID:ncKanP4g0
静寂とか色々書いてる割には鬼に対する依存心が強すぎだな。

447避難民のマジレスさん:2013/12/17(火) 13:15:50 ID:9sUr3kKo0
>>443
鬼和尚さんありがとうございます。
何にも捕らわれないようにすれば、心を制御できる気がしたのですが、その二つには違いがあるのですね。

心を制御できるようになりたいのですが、数息観以外にも何か方法はありますか?
鬼和尚さんは、数息観で集中力がついてから観察をすると良いとおっしゃっていますが、
どのくらい集中力がついたかは、どうやって測ることができますか?
また、どのくらい集中力がつけば、観察に適する程になったと言えますか?

448避難民のマジレスさん:2013/12/17(火) 19:38:58 ID:wPQXVTUw0
言葉やイメージを用いない観察について質問です。
苦しみがあって、目を閉じてその苦しみを観察しようとしてみても苦しみはどこにもなく、体の感覚しか観察できません。
言葉とイメージを使った観察でしたら記憶を辿ったり連想したりして苦しみの原因を探っていけるのですが…
やり方に問題があるのでしょうか?

449鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/17(火) 20:20:58 ID:kaXJvxhM0
>>445 見逃していたのじゃ。すまんのう。
 >>439 感覚が乖離されたようじゃ。
 外からの刺激に自動的に反応する事がなくなったのじゃ。
  その静寂も更に深くなっていくじゃろう。
 更に進むのじゃ。

>>447 自分の心を観察し、囚われを少なくすると良かろう。
 囚われがあれば心は勝手に反応して制御が難しいのじゃ。
 観察して囚われを無くすのじゃ。

 時間を量ればよいのじゃ。
 10分ぐらい一つの事をやれれば十分なのじゃ。
 伝統的な教えでも第2禅までいければ観察して良いと言うのじゃ。
 観察による心の反応は直ぐに現れる故に、10分ぐらいで十分なのじゃ。

450鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/17(火) 20:27:34 ID:kaXJvxhM0
>>448 それで良いのじゃ。
 苦もまた肉体の反応として観察できるものであるからのう。
 苦があれば腹が痛くなったり喉が詰まるような感じがしたりとさまざまな反応があるものじゃ。
 それが観察できれば苦は観察できているのじゃ。

 原因を探すのは言葉とイメージを使ってよいのじゃ。
 言葉とイメージによる何らかの観念として囚われているのであるからのう。

451そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/17(火) 21:14:56 ID:hUDzEkKo0
>>449
ありがとうございました。

452避難民のマジレスさん:2013/12/18(水) 15:19:58 ID:sXV.DIYU0
>>449
鬼和尚さんありがとうございます。
何に心が捕らわれてしまうかについて、その時どきで観察してみます。

それから、集中力は10分でいいということで意外にできそうなので安心しました。
今は5分くらいしか続きませんが、がんばってみます。

集中の次の、観察のやり方について質問なのですが、座りながら10分間集中して数を数えられるようになったら、次は同じように目を閉じて座って、自分の心を観察すればいいということでしょうか?
でも、そうやってただ座っているだけでは、心もぼーっとしているだけなので掴み所がない気がするのですが、何か観察のためのちがうやり方があるのでしょうか?

453避難民のマジレスさん:2013/12/18(水) 16:36:53 ID:JXKkxHbE0
全てを空とか夢幻と観想することで、どうして(どのようなメカニズムで)悟りが得られるのですか?

454避難民のマジレスさん:2013/12/18(水) 17:48:26 ID:gOqWUDAs0
鬼さん人間は自分の体に密着して生活している殻だ。少しは余裕を持つて
身体から離れて観る事も必要なのですか。そうすれば少しは情けない
自分も見つめられる鴨。でも自分を攻めない性格の人なら安心鴨責める人は
如何なんだろう?私は責めない性格なのでそれは良くわからないし関係無いし
責めないで温かく見守れば良い鴨

455鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/18(水) 20:27:04 ID:kaXJvxhM0
>>451 どういたしまして、またおいでなさい。

>>452 心に苦があるならばそれを観察すると良かろう。
 原因を探し、原因から苦が起こることを観察するのじゃ。
 そして原因がなければ苦も起きない事を観察するのじゃ。
 そうすれば苦は消え、心の観察も上手くなってくるじゃろう。

>>453 簡単に言えば観念への囚われから解放されるからなのじゃ。
 人は自分と言う観念から自分のもの、他人のもの、自他のものではないものとか、様々に観念を抱えているものじゃ。
 その観念がある限り、己への囚われがあり、苦があり、悟る事は出来ないのじゃ。
 それを我見とか有身見とか言ったりするのじゃ。

 一切を空と見なせば我もなくなり、無我になり、無我を見る認識も去って真の悟りが得られるのじゃ。
 
>>454 そうじゃ、自分を客観的に観る事も必要なのじゃ。
 否定も肯定もせずに観られれば大きな進歩があるじゃろう。
 それこそが真の観察なのじゃ。

456そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/18(水) 23:44:45 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
坐っている間、爽快感を感じるようになりました。
脳内麻薬が出ているのかもしれません。

また、どうやらしばしの間何もしてなかったらしい、と気付きます。

457避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 03:46:26 ID:pwM0EAio0
>>455
幻想と見做す、というのは方法かもしれませんが、本当に幻想だった、と目覚めないと
自我からは解放されないので思い込みになりますよね。
自我に同化して自我がゆるせないものがあったとき、自分も他人も世界も幻想なんだ、
と見做そうとして板挟みになり心身ともに追い詰められました。
実際には幻想だと見做せていないからです。むしろ自我は絶対に幻想だと見做せないし
許せない、これを最後まであらわにしたことで、シフトがあったように感じました。
チャクラとかクンダリニーとか幻想だとか言いますが、実際に霊的状況が移行していく過程
を経なければ、幻想だという境地になれないのも事実です。はじめから目覚めている人以外は。

458避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 03:48:21 ID:pwM0EAio0
他の方の質問に横入りしてしまいました。

459避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 07:10:21 ID:JXKkxHbE0
457さんの発言について鬼和尚さんに質問です。
”めげずに何度も空と観想することで効果が表れる”という趣旨のことを
鬼和尚さんのブログで読んだ気がしますが、実際はどうなんでしょう?
自我が空を観想しても観念の遊戯で終わってしまうのでしょうか?

460避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 12:09:46 ID:7rD9T5220
鬼和尚、
実在と観念について、少し詳しくお教えください。
何か言葉で説明された時に、その言葉の指すものが、
実在なのか観念なのかを判断したいというのが、質問の意図です。

例えばリンゴは実在、社会は観念というように、言葉の
指す先のものが、五感によって認識できるものが実在であり、
言葉とイメージによって作り出されたものが観念であると
私は理解しています。

とすると法は、人が実践すべき方法と、正しく実践できた
場合に認識可能な結果が組になっているものと理解しているのですが、
これは、実在と観念のどちらでしょうか?
あるいは別のものでしょうか?

461避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 12:41:52 ID:q6nZMvw60
>>455
鬼和尚さん何度も質問に答えてくださってありがとうございます。
また質問させてください。すみません。
まだ観察のやり方が曖昧にしかわからないので教えてください。

観察する場合も、数息観をする時のように、毎日10分くらい時間をとって、目を閉じて座って、苦を観察すれば良いですか?
そのとき苦を感じていない場合は、何を手がかりにしたらいいでしょうか?

それから、昨日、苦を観察してみたのですが、体が苦しいことを見るだけで精一杯で、その原因がなかったことを想像するのはとてもできませんでした。
想像しようとしても、原因がなかった場合の心の状態をうまく実感できません。
どうしたら良いと思われますか?

462鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/19(木) 20:22:52 ID:kaXJvxhM0
>>456 快が生じてきたようじゃ。
 瞑想の味わいを楽しんだら良いのじゃ。
 世間を越えた喜びが感じられるじゃろう。

>>457 幻想の思い込みで良いのじゃ。
 それは観念を破壊する観念なのじゃ。
 真摯に行えば結果は出るものじゃ。
 途中で恐れを生じて逃避すると却って苦しいのじゃ。
 自我を放棄するまで行うが良いのじゃ。

>>459 何度も行えば確実に効果は出るのじゃ。
 むしろ途中で自分がなくなるとか、それで狂気に陥るとか思って止めてしまう者が多いのじゃ。
 効果がなかったとか言うのは大抵はそのような逃避が原因なのじゃ。
 本当に効果を知りたければ自ら試してみる以外にないのじゃ。

463鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/19(木) 20:40:16 ID:kaXJvxhM0
>>460 法とその結果は別といえるのじゃ。
 法とは観念を破壊するための観念なのじゃ。
 それ故に筏の喩えには法もまた彼岸に達すれば捨て去られるべきものとして説かれるのじゃ。

 法によって得た苦の滅や彼岸は感じられるものであるから実在といえるのじゃ。

>>461 修行として時間を取ってやるのも良いのじゃ。
 日常でも常に観察しても良いのじゃ。

 苦を感じていなければその時感じていることを観察すれば良いのじゃ。
 瞑想によって起こる快などを観察するのも伝統的な観察法として在るのじゃ。

 観察を続けていれば苦は減っていくのじゃ。
 苦を詳細に観察するだけでも半分はなくなっているのじゃ。
 やがて原因が無い事もよく観察出来るように成るじゃろう。
 全ての法は修行者が何度も繰り返し、自分だけのやり方を編み出していく事で身に付いて行くものじゃ。

464そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/19(木) 20:40:42 ID:hUDzEkKo0
>>462
ありがとうございました。

465避難民のマジレスさん:2013/12/20(金) 12:50:46 ID:TgfwljSE0
>>463
鬼和尚さん長々とありがとうございました。
観察の方法などについて、今までわからなかったことがいろいろとわかりました。

早速実践していこうと思います。
まだ数息観をやっているところなのですが、道筋が見えてきたのでやる気が出てきました。
ありがとうございました。

466避難民のマジレスさん:2013/12/20(金) 13:07:58 ID:Elpwrbn.0
>>463 ありがとうございます。
法は観念、法を実践して得られる結果は実在ということですね。

自我と認識を滅するということは、イメージと言葉と、記憶に
依存した認識を捨てるということで、それゆえ、法も神も、鬼和尚も
家族も友人も捨てることになるという理解でよろしいでしょうか?

とすると、悟りを得た後に記憶に依存した認識を創り上げる
ことで、もし必要があれば、捨てたものを再び拾うことも
できるように思いますが、この理解は正しいですか?
もっとも、後で拾えるということが囚われになって悟りを得られなければ
本末転倒ですが。

467鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/20(金) 20:08:54 ID:kaXJvxhM0
>>464 どういたしまして、またおいでなさい。

>>465 良かったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>466 そうじゃ、全て捨てるのじゃ。
 法をも捨てるべきものであるから、法以外の全ても捨て去られるべきものなのじゃ。

 拾う事は出来るじゃろう。
 しかし恐らく大抵の目覚めたものと同じように拾おうと思う事もないじゃろう。
 全てが幻想である性質に気付いてしまうからのう。

468避難民のマジレスさん:2013/12/21(土) 09:20:04 ID:4Pp0TD2o0
>>467 ありがとうございます。
自我を消す恐怖はまだありますが、悟りを得る楽しみは増しました。

止観で悟りを得る場合に、最後に捨てるべきものが法だと理解したのですが、
それで、二つお聞きしたいことがあります。
法は、いつ捨てるのでしょうか? 自我が厭離された後、阿頼耶識を厭離する前ですか?
法を含むすべてを捨てた後で、悟りを得るのに向かう力は何でしょうか? 習慣ですか?

469鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/21(土) 20:52:40 ID:kaXJvxhM0
>>468 最後なのじゃ。
 阿頼耶識をも法によって厭離した後、法をも捨てるのじゃ。
 そこにはもはや法を行うものも法も無いのであるがのう。

 法を捨てればもはやそこが悟りの境地なのじゃ。
 無為に座っていれば自然に智慧や不死の境地が開かれるのじゃ。
 それ以上に行く所はなく、行く者もなく、行くという事もないから力もないのじゃ。
 無上にして究極の悟りがそこにはあるのじゃ。

470避難民のマジレスさん:2013/12/21(土) 22:44:04 ID:7rD9T5220
>>469 ありがとうございます。
法を捨てるのは本当に最後なのですね。
阿頼耶識を厭離すれば、法は自然に捨てられるのでしょうか?

もう一つお聞きしたいことがございます。
今日、自分にとっては大きめの苦を一つ滅することができたのですが、
苦が大きいほど、それを滅する時にかかるストレスも大きい
ように思いました。まず、自我の逃避により他人に投影していた苦しみに
向き合うのにストレスがかかりました。さらに、執着ありの観想は
その執着から起こる苦しみに同化しやすく、執着なしの観想が難しかったため、
それらを何度も繰り返す羽目になりました。
厭離ができて心が平安になっても、ストレスによる胃の痛みは
うっすらと残っています。

そこで、苦滅の法の実践は、「今日はちょっと外出するのが面倒だ」
のような、軽めの苦から始めるのが楽な上に、効果も簡単に確認できて
良いのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?

471避難民のマジレスさん:2013/12/22(日) 19:20:05 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚
「別に死んでも良い」と口ずさむと、死の恐怖が薄れ、逃避行動もかなり弱まります。
死んでも全然いいんだと思うと、何かやり遂げねばという強迫観念がなくなります。
言語を使用して言語の束縛を断ち切る格好になりますが、この方法(あるいは方向)で究極の悟りまで到達できますか?
ある意味では「死んでも良い」という観念の作用が残り続けているとも言えなくもないですが。

472避難民のマジレスさん:2013/12/22(日) 19:54:12 ID:NpBkhqbI0
「死んでも良い」と唱えると、ものすごい安心感に包まれます。
消滅の肯定により一切の執着が消えるからかもしれません。

古事記の時代から、国家は物語として死の恐怖を植え付けることで、国家の構成員を支配してきたともいえるわけですが
「死んでも良い」だと、古事記以来の日本の集合的無意識をも解体してしまう訳です。
死の恐怖からあらゆる差別や逃避行動が生まれてきたとすると、死を肯定的にとらえるならば、それらは消えてしまうことになりますし、
死を肯定することによってあらゆる恐怖心が和らぐ事か観察できます。
我が国の武士も「死ぬことと見つけたり」などと言っていますが、死を肯定すると、なぜか恐怖心が和らいで、戦場の駆け引きなども、かえってうまくいくということを
経験的に知っていたのかもしれないと思います。もっとも、後代に入ると「葉隠れ武士道」なども単なる観念による支配のテキストに変貌している訳ですが
真意は、もっと素朴に、あれ?死を肯定すると悲惨な戦場でも意外に楽に生きれるぞという経験則から生まれた発見だったのかもしれないと思います。

473鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/22(日) 20:00:20 ID:kaXJvxhM0
>>470 自然といえば自然なのじゃ。
 一応法がもはや不要であると知るべきであるがのう。
 為すべき何ものもない知ればもはや法も行う事は出来ないのじゃ。

 そうじゃ、最初は小さな苦から消すのが良かろう。
 しかし、人によっては早く滅しなければ命に関わるような苦や、一刻も早く滅したいという苦もあるからそれも考えなければ行かんのじゃ。

474避難民のマジレスさん:2013/12/23(月) 19:59:36 ID:7rD9T5220
>>473 ありがとうございます。
鬼和尚は、2chで教えはじめてから数年経っていると
思いますが、衆生を理解しするのに特に難しいのはどのような
ところでしょうか? もし差し支えなければ、お教えください。

475鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/23(月) 20:42:16 ID:kaXJvxhM0
>>471>>472 昨日は見逃していたのじゃ。すまんのう。

 そのように言えば死に対する過剰な恐怖は緩和されるじゃろう。
 元々死という観念はあまりに大きく恐怖を掻きたてるものであるから、そのようにして恐怖を緩和するのも良いじゃろう。
 
 しかし、それも観念を作る故に悟りへは行けないのじゃ。
 ただ死の恐怖を緩和するだけなのじゃ。
 止観の瞑想を真摯に行えば悟りも近付いてくるのじゃ。

>>474 心を理解する事じゃ。
 既に一切の苦が無い目覚めた者には人の心は理解し難いのじゃ。
 お釈迦様も衆生の教化には苦労していたのじゃ。
 衆生の心は目覚めた者にも不可思議と言えるのじゃ。

476そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/24(火) 00:06:53 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
瞑想中に、おそらくこうだろう、と気付いたことがあります。

一つは、爽快感に浸りながらも時々ブラックアウト、つまり意識を失ってしまいそうになることがあるのですが、それに対する怖れがあったということです。
二度と戻ってこれないかもしれない、という怖れです。
それに気付いた瞬間から、気のせいかもしれませんし、言葉でうまく表現できないのですが、瞑想中の感覚がこれまでとは異なるもの(どちらかというと好ましいもの)になった気がしました。
怖れはなくなったかもしれません。

もう一つは、断片的な記憶の再生が何度も繰り返して行われるのは、そこに「我」というものを投射しようとしているからではないか、ということです。
瞑想中は外部からの刺激が極端に少なくなりますので、記憶を再生することによって、投射する対象を作り上げようとしているように見えました。
私が普段音楽を聴いたり、ネットで動画を見たりすることも、これと同じことのように思えます。

477避難民のマジレスさん:2013/12/24(火) 01:18:40 ID:XpOqqj3k0
鬼和尚が「自我」と言ってるのは、一般的に宗教でいう自我が「これが自我だ」と思う対象であり、思考であるに過ぎない。

自我が「これが自我」だと思ったものが消えれば、「自我が消えた、悟った」と感じるが、それを感じてるのが自我だ。
鬼和尚はまだ自我を知らない。
彼は自我が作ったものが現れ、そして消えるということに翻弄されてるに過ぎない。

宗教的な修行をきちっとすれば何らかの体験は起きる。
が、いかなる体験も自我が引き起こすものに過ぎない。
彼の共感の薄さ、怒り、負けず嫌いの幼児性。何一つ変わってない、もしくは平凡以下の人間のものだ。
そういう人間でも修行すれば、宗教的体験だけはできる。
これだから体験は危険だ。

>>455
何らかの原因を観察するのじゃ、というが、原因などない。
怒りは怒ってることそのものだ。そのものに覚め、脱出するだけのこと。
怒りは対象ではなく、主体である自分自身。ただ覚めることで脱出する他ない。
もし、それに原因があるとすれば、その怒り(自分)が何か理由をでっち上げて、これが怒りの理由だったのだと納得しているに過ぎない。

その納得するのはだれか、怒り(自分)である。
怒りを理解して超越する体験ができる。
が、怒りは何も変わってない。
その人の人格も生活も何も変わらない。同じ反応が続く。


鬼和尚のやってることは、自我が問題や、悟りなどの体験を作って、そしてそれを捨てたり、
無、空の観念でそれを抑圧することである。

悟りの観念を作ってから、自我の観念を作ってから、それがなくなったという体験(観念つくり)をする。


>>462

≫それは観念を破壊する観念なのじゃ。

それは観念の上書きであり、自我が余計強まる。
自我という幻想を破壊した自我の誕生です。

>>457

自我が幻想だ、というのは一つの可能性であり挑戦なのだと思います。
自我、、今の自分にとっての主客の関係が幻想だという先人がいて、そしてそれをあなた自身で見出しなさいという。
ただ覚めていなさいと彼らは言います。

自我が幻想だということは、まさに私が幻想だということです。
自我が幻想だというのは、私が自我だと思うものを幻想だとみなすことではなく、私が幻想であるということです。
祖師たちは、私が幻想であると、あなたが幻想であると言ってるのではないでしょうか。

その時、私に何ができるでしょう。
何もできないのだと思います。

何もできない絶対の無力を理解して明け渡すのだと、そういってるように思いませんか?

478避難民のマジレスさん:2013/12/24(火) 08:30:45 ID:ncKanP4g0
妄想で他人に絡んで、自分の指摘が間違っているという事実が分かった後にも
つまらない質問だとか国語がおかしいとか、さんざん他人のせいにした人が
もう何を言っても滑稽なだけ。
いい加減その事に気づきなさいよ。

479避難民のマジレスさん:2013/12/24(火) 12:23:14 ID:pEe1v5Oo0
>>475 ありがとうございます。
悟りを得ていなくとも、人の心を理解するのは難しいと
感じていますが、悟りを得ると、さらに難しくなるという
ことなのでしょうか。それは、仮設した自我で感じる苦は
意味がないと分かってしまっているからですか?

もう一つ、集中の瞑想でお聞きしたいことがあります。
瞑想中に自我が消えかける状態を何回か経験しているのですが、
その先に進めるのにアドバイスがありましたら、お教えください。

以前、自我を行くままにすれば良いと教わったのですが、
それが難しいです。自我が行くままにすることを意識しないように、
呼吸に注意を向け、その注意の意志力を、集中と意識が保てるギリギリ
まで下げていきます。しかし、自我の感覚の薄れに応じて、注意へ
の意志力をコントロールしようとするときに、コントロールする
意志に自我が投射してしまうようで、そこで覚醒度(?)が上がって
しまいます。

自我が消える恐れに関しては、肩の力が抜けていることからも、
最近はだいぶ少なくなっているようです。意識を保ったまま
寝るような感じに近いのかなと思っています。

480鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/24(火) 20:12:21 ID:kaXJvxhM0
>>476 気付きによって恐れがなくなったのじゃな。
 良い事じゃ。

 そうじゃ、感覚の刺激は自我の栄養なのじゃ。
 それが在る限り、自我は投射され、認識されるのじゃ。
 瞑想が深くなれば、やがて内外の刺激が認識されなくなり、無念無想の状態になるのじゃ。
 その時、自我も忘れる瞬間がやってくるのじゃ。

>>479 そうじゃ、自分の観念で自分を縛って苦しんでいると見えるからのう。
 自らを観念に因って縛らなければ苦も無いのじゃ。

 そのまま進めたらよいのじゃ。
 いつかその全てを観ている意識に気付くじゃろう。
 行うものと行いの対象を両方とも観ている微妙な意識があるのじゃ。
 それに気づけば無我でも意識はあることを知るのじゃ。

481そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/24(火) 21:59:18 ID:hUDzEkKo0
>>480
ありがとうございました。

482避難民のマジレスさん:2013/12/25(水) 12:28:14 ID:YWqLYYqo0
>>480
>>479 その後試しに集中の瞑想中、心のコントロールをやめてみたのですが、
意識が混濁して、夢を見ている状態になってしまいました。
サマーディまではもうしばらくかかるようです。
方向性は間違っていないようなので、このまま止の行に励みます。
ありがとうございました。

483避難民のマジレスさん:2013/12/25(水) 12:44:29 ID:YWqLYYqo0
鬼和尚、厭離についてお聞きしたいことがあります。
もし厭離に成功したならば、その対象の苦は
二度と再び生じないのでしょうか?

先日瞑想中に、ある苦を厭離したのですが、今日は別の刺激により、
同じ苦がわずかに生じるのを観察しました。
これが、苦滅が不十分であったためなのか、習慣により
苦が復活することがあるのか、それとも別の理由なのか
を知りたいです。

484避難民のマジレスさん:2013/12/25(水) 18:50:59 ID:PuQP.nxc0
http://www.youtube.com/watch?v=iuCClgCRJek

↑はパパジの動画です。
ここでパパジの言っているマインドの観察は
鬼和尚の提唱している観察と同じものですか?

485避難民のマジレスさん:2013/12/25(水) 19:05:22 ID:PuQP.nxc0
それと、この動画で言われていることをしたら悟りは得られますか??

486避難民のマジレスさん:2013/12/25(水) 20:17:24 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚が人生相談板に来なくなったのは何か理由がありますか?

487鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/25(水) 20:41:38 ID:kaXJvxhM0
>>481 どういたしまして、またおいでなさい。

>>482 そうじゃ、日々精進すれば行き難き境地にも行けるようになるのじゃ。
 そのまま真っ直ぐに進むのじゃ。

>>483 苦を完全に厭離すれば二度と生じないのじゃ。
 もし起きたとすれば、未だ観察による厭離が完全ではなかったか、或いは複数の原因があったからかもしれん。
 心にその苦に対する逃避があり、観ないように避けていたとしたら観察が不完全になることも在るのじゃ。
 その場合は逃避が生じているという事も合わせて観察しなければいかんのじゃ。

 苦の原因が複数であることも自らの心を観察し追求してみれば判るのじゃ。
 例えば愛する者と別れる愛別離苦でも、喪失感や孤独感によるものと、自分のプライドが傷ついたからという原因があったりするじゃろう。
 そのように複数の原因があるならばその原因も観察すべきなのじゃ。

488鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/25(水) 20:45:52 ID:kaXJvxhM0
>>484 そうじゃ、同じなのじゃ。
 観察によって自我は厭離されるのじゃ。
 パパジも観察を教えているのじゃな。
 
>>485 本当に自我が観察されたならば悟りは得られるじゃろう。
 しかし無我だけでは未だ小悟なのじゃ。
 更に認識をも厭離すれば真の悟りなのじゃ。
 無我にまで行けば容易なのじゃ。

489避難民のマジレスさん:2013/12/26(木) 09:52:40 ID:pwM0EAio0
>>477
そうですね、何もできない絶対の無力を理解して明け渡すところまで行くのに、自我がもがき抵抗する
ので凄く苦しいのですが、それが自我を明るみに出すこと=自我の死の過程として感じられるのでしょうか。
自我側からするとですが。

490避難民のマジレスさん:2013/12/26(木) 10:28:23 ID:PuQP.nxc0
>>488
・鬼和尚は前にパパジは大悟、ガンガジは小悟と評してましたが、
 パパジのいう悟りは無我のことを指してるので完全ではないってことですか?大悟した人も間違えるのでしょうか?
・パパジはガンガジを悟ったと認めて「教えを広めなさい」といったそうですが、大悟した人が小悟の人を認めることもあるのでしょうか?
・ガンガジやエックハルト・トールも「静寂があなただ」って言うけど、その教えじゃ無我までしかいけないですよね?
・常時無我の状態にあれば、悟りの何合目くらいまで到達したことになりますか?
・無我の段階で止まってる人が無認識までいくには、認識を観察して厭離できればいいんですよね?
鬼和尚も「無我まで行けば容易なのじゃ」って言うけど、何で無我の段階で止まってるんでしょう?
ほんとうに容易なことなら、もっと大悟の人がいっぱい出てきてもよさそうな気がするんですが。

491避難民のマジレスさん:2013/12/26(木) 12:49:27 ID:wH0JIS760
>>487 ありがとうございます。
>>482 真っ直ぐに進もうとしたところ、早速、魔境と思われるものが現れました。

瞑想中に脇腹に少し、痛みの感覚が観察されました。ずっと観察していると、
その痛みは胸、肩と移動を続け、最後にはほぼ消えました。
また、寝ながら数息観を行なっていたところ、明晰夢と思われる現象を体験しました。
視覚と聴覚は現実のまま、あるいはそれよりもリアルな感覚でしたが、手の触覚は感じられませんでした。
夢の中では自由に動くことができ、また、望みのものを出現させることができました。

これらは瞑想が深まってきたことによる幻覚で、今後は雑念と同様にスルーしようと思うのですが、
ひとつ気になることがあります。
それは、痛みの感覚に関して、幻覚と本当の体調不良をどのように見分けたら良いのかということです。
とりあえず、瞑想後に痛みが観察されないので、今のところ「まあいいか」と考えていますが、
このような感じで良いでしょうか?

492避難民のマジレスさん:2013/12/26(木) 16:31:54 ID:JaPsh.Zo0
>>487
>>483 確認してみました。
苦の第一原因である対象への執着は既に厭離されており、観想により
苦は生じませんでした。
そして鬼和尚が書かれていたとおり、もう一つ苦の原因がありました。
それは、記憶への執着でした。苦を含む経験だったにも関わらず、
その経験の記憶が自我を作り上げているということで、
苦の原因として見つかるのを避けていたようです。

それにしても、特に自我と深く関わる苦滅はストレスがかかります。
苦を滅した後の静かで安らいだ感覚を思い出しつつ、
一歩一歩進もうと思います。
ありがとうございました。

493避難民のマジレスさん:2013/12/26(木) 16:40:25 ID:/knVzz8A0
「厭離」って何と読むのですか?

494鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/26(木) 19:55:20 ID:kaXJvxhM0
>>486 来ているのじゃ。
 相談がないと書かないのじゃ。

>>490 知らないのかも知れん。
 小悟、大悟とは禅の区分であるからのう。
 そこまで研究が進んだ体系がないと判らんのかも知れん。
 お釈迦様も間違えたのじゃ。悟後の修行が少なければ知らない事もあるじゃろう。

 サマーディにまで到達したのならば、それを人に広める意味はあるじゃろう。
 今は多くの者が悟りもサマーディも知らないのであるからのう。
 
 何かをあなたとか自分とか名付けてしまうのならば、修行中に見た幻想を静寂や自分と思って途中で止めてしまうかもしれん。
 一切が無としてのみ現される境地にまで行かなければいかんのじゃ。

 八合目位じゃろう。
 
 そうじゃ、認識をも厭離するのじゃ。
 知らないからじゃろう。
 禅の師匠のように教えてくれる者がいれば判るがのう。

495鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/26(木) 20:06:31 ID:kaXJvxhM0
>>491 それで良いのじゃ。
 更に体が消えたような感覚が起こるとか、いろいろ奇妙な感じが起こるがみんなスルーしてよいのじゃ。

 本当に体に痛みがあるならば、その原因となる疾患が消えなければ無くならないじゃろう。
 直ぐに消えるならば幻想なのじゃ。

>>492 良かったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>493 えんりとか、おんりと読むのじゃ。
 どっちでも良いのじゃ。両方ともちゃんと変換されるのじゃ。
 厭い離れる事なのじゃ。

496そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/26(木) 22:40:50 ID:iWSGFj9s0
鬼和尚
普段リラックスしている時があります。
しかしその状態は、自我が無いからリラックスしているというわけではなくて、リラックスしている状態を自我が作り出し、リラックスしているという自覚をわざわざ自分に持たせているのであろう、と見えました。
何かによってリラックスした状態が破られると、そのことに対する怒りや憤慨などが沸くのは、自我が生きているからでしょう。
瞑想による静寂と似ているようでありながら、実は全く性質の異なるものであるように見えます。

497素人A:2013/12/27(金) 07:19:08 ID:gOqWUDAs0
鬼さん何で難で何で。神というか真実を知る宇宙人が夢中になっている物理学者
たちに自慢げに真実の物理公式を教えないのだろうか?損な公式なんて物理学者
は人に教えて貰ったら発見にならないし将棋でこっそりコンピューターの考えた
手を指してそれが自分の手と言えるのか?解らない事はわが手で解ってから感動
も有る師.教えてもらつてもわが未知とは言えないし手結局何もわからないまま
この世海栗有る苦のも正解いや世界なのですか。

498避難民のマジレスさん:2013/12/27(金) 09:41:13 ID:2eLvpbuk0
>>495
痛みの感覚へのご回答、ありがとうございました。
瞑想中に生じるそのような感覚は全てスルーして、
行に励みます。

499避難民のマジレスさん:2013/12/27(金) 15:05:43 ID:gOqWUDAs0
さあとりあえずはまあ何だ。ざ前は坐禅でブラフマンだろうが.お釈迦さん
だろうが.あほな私だろうが?皆ざ前空学ぶ事には違いが無い?これは平等に
歩く。そう思えはまあ良いかと。学ぶのは目の前の坐禅

500鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/27(金) 20:02:51 ID:kaXJvxhM0
>>496 そうじゃ、瞑想とリラックスしているのとは違うのじゃ。
 瞑想によって無我にも容易に行き着けるのじゃ。

>>497 おぬしがゴリラとかサルに物理法則を教えないのと同じじゃろう。
 言葉が違い、考えも違えばコミュニケーションは難しいのじゃ。
 
>>498 そうじゃ、更に修行するのじゃ。
 またおいでなさい。

501避難民のマジレスさん:2013/12/27(金) 20:25:08 ID:WL2yRwjAO
何故、人がやることは愚かな事が多いのでしょうか?
善かれと思ってやったことが大失敗だったと言う事ばかりです
愚かさを脱するにはどうすれば善いのでしょうか

502そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/28(土) 00:39:56 ID:iWSGFj9s0
>>500
ありがとうございました。

瞑想中のことですが、快感については、以前の爽快感を動的な快とするならば、今は静的な快があります。
瞑想による快を体感して間もない頃は、おそらく、それに対する驚きや喜びもあったのでしょう。
それが動的な感覚をもたらしていて、少し慣れた今は動的な感覚が薄れたのかもしれません。

瞑想中、静寂ではありますが、わずかな心の揺らぎも見て取れます。
それでも、以前と比べると、瞑想中のことを言葉に表し難くなってきています。

503避難民のマジレスさん:2013/12/28(土) 06:29:05 ID:EFotA.fI0
悟後の修行って何するんですか?

504避難民のマジレスさん:2013/12/28(土) 19:34:00 ID:XKsJ/sLU0
鬼和尚さんにとっては、みんな鬼和尚さんから生まれた稚児みたいなものですか?

505鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/28(土) 20:01:39 ID:kaXJvxhM0
>>501 智慧が無いからなのじゃ。
 多く学び、適切な時に適切な言動を知って行う事で自他の利益も得られるのじゃ。
 善心があっても智慧が無ければ本当に自他の利益を図る事は難しいのじゃ。
 悟りを得られなくとも智慧は常に磨くと良いのじゃ。

>>502 そろそろ言語を超えた境地に入ってきたようじゃ。
 瞑想の境地を特に言葉にしなくとも良いのじゃ。
 言葉の無い観察も出来るじゃろう。

>>503 衆生を導くために智慧を磨くのじゃ。
 知識も大事なのじゃ。
 お釈迦様も最初の説法は失敗したが、だんだんと上手くなってきたのじゃ。

>>504 そのようなものじゃ。
 わしは産めないがのう。わっはっはっは。

506避難民のマジレスさん:2013/12/28(土) 20:03:23 ID:XKsJ/sLU0
道元が悩んだ「本来本法性、天然自性身」という言葉。
みんな仏なら修行する必要ないんじゃない?という疑問らしいのですが、鬼和尚さんならどう答えますか?

507そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/28(土) 22:58:13 ID:iWSGFj9s0
>>505
ありがとうございました。

508龍華:2013/12/29(日) 01:02:14 ID:kl1CR23s0
悟った方が死後、またこの世に腹から生まれてくる事もあるのでしょうか?
その様な事をした方は誰かいますか?

その人は赤子から親に育てられても悟ったままなのでしょうか
それとも普通の人間として育って修業しないと再び悟れないのでしょうか
あるいは意図的にその生の間だけは悟らないままで死んでいくのでしょうか

509避難民のマジレスさん:2013/12/29(日) 06:28:02 ID:XKsJ/sLU0
鬼和尚さんにとっては、神も無に等しい存在ですよね?

510避難民のマジレスさん:2013/12/29(日) 09:35:19 ID:XKsJ/sLU0
あ、創造神、維持神、破壊神のことです。

511避難民のマジレスさん:2013/12/29(日) 13:57:51 ID:XpOqqj3k0
>>489

それもまた、明け渡そうとしています。

明け渡すという知識を自我が手に入れて何とか明け渡そうとしています。

だから、自我は自我のまま好きに生きて、ただ覚めて生きて、
自我が何であるか自信が何であるか知ること、覚めることを祖師は言っているように感じます。

明け渡そうとするのではなく、覚めて、自我を生き切った人に、明け渡しが起きる、理解が起きる。

どうしようもないということが理解されると言っているように思います。

どうしようもないということを理解しようとしてはいけないと。

それは副産物。

主産物としてできうることは、ただ覚めて自分らしく、自我は自我らしく生きて、それを愛しただ見つめること。
自我を憎んだり消そうとしたりしたら、それが自我なのでどうにもならない。

512避難民のマジレスさん:2013/12/29(日) 13:59:47 ID:XpOqqj3k0
>>478

OSHIやグルジェフが、同様の質問に対して、私と同じことを言っています。

513避難民のマジレスさん:2013/12/29(日) 19:44:58 ID:XKsJ/sLU0
ジュニャーナ・ヨガについて一言お願いします。

514避難民のマジレスさん:2013/12/29(日) 20:37:26 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚は年賀状を書いたり門松を飾ったり甥や姪にお年玉をあげたりなどしませんか?

515鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/29(日) 20:51:35 ID:kaXJvxhM0
>>506 それを知るために鬼のように修行したらよかろう。
 何か理由をつけて修行する必要はないとか思うのが懈怠なのじゃ。
 どんな理由があろうと鬼のように修行あるのみなのじゃ。

>>507 どういたしまして、またおいでなさい。

>>508 無いのじゃ。
 いないのじゃ。
 すでに生まれる事は無いのじゃ。
 悟る事ももはやないのじゃ。
 生まれないのであるからのう。

>>509>>510 そうじゃ、無じゃ。
 みんな無なのじゃ。

516鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/29(日) 20:54:16 ID:kaXJvxhM0
>>513 ひたすら集中するサマーディの道なのじゃ。
 集中が好きな者には役に立つじゃろう。
 最後にはやはり己を観るのであるがのう。

>>514 しないのじゃ。
 一休はしゃれこうべを持って歩いて回ったらしいがのう。
 いかす坊主じゃ。

517避難民のマジレスさん:2013/12/30(月) 09:50:15 ID:pEe1v5Oo0
鬼和尚、
在家で、年末年始になかなか落ち着いて座れない修行者のための
法話をお願いします。

518避難民のマジレスさん:2013/12/30(月) 10:00:07 ID:tsdMVz5g0
>>516
ジュニャーナ・ヨガって知識のヨガですよね。
哲学的思索により感覚を制御して心理に到達する方法、という意味だったと思う。
ひたすら集中するサマーディ-の道ってのは初めて聞きました。
なんでそう解釈したのか説明してください。

519鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/30(月) 21:09:28 ID:kaXJvxhM0
>>517 最近は自己啓発の本などに社会で成功し、億万長者になるには瞑想を行うと良いとか書いてあったりするのじゃ。
 多くの指導者が成功するための方法の一つとして瞑想を勧め、瞑想によって智慧が生じ、成功への道が開けたというのじゃ。
 昔の剣豪なども禅寺で修行して剣が上手くなったりしたものじゃ。
 智慧が生じるだけでなく、丹田に機が落ちる事で肉体にも好影響があるのじゃ。
 
 瞑想によって心が静まれば確かに智慧が生じるものじゃ。
 普段はわからないような問題でも、瞑想中ならば智慧が生じて簡単に解けたりするのじゃ。
 瞑想中には一時的に自己への囚われや環境への依存が無くなる故に、智慧も生じるのじゃ。
 誰でも普段の生活では自分と言うものがあり、自分が利益を得たり、不快を避けて、快楽に向かおうとしておるのじゃ。

 その性質が多くの情報を遮断し、視野を狭くしたり、必要な知識を思い出せなくしているのじゃ。
 良いアイデアでも少しでも不快なものであれば無意識に見ないようにしたり、避けようとするからなのじゃ。
 更に周囲の環境から常に投射されている自我は、その制約の中でしか思考は出来ないのじゃ。
 例えば今自分に一万円しかなかったら、その金でできる事しか考えられない。
 百万円でできる事など夢想として考えられないのじゃ。

 それ故に瞑想によって自分の枠を離れ、環境の制約をも超えれば、それらの障害は取り除かれ多くの智慧が生じるのじゃ。
 少しの努力や不快を要する事でも、高遠な境地にある大きな利益を見出す事が出来る。
 そして環境にも囚われずに大きな理想を感じる事も出来るのじゃ。
 更に瞑想を続ければ、人を超えた大きな喜びも感じる事が出来るようになる。
 人が望む全ての快楽と歓喜は瞑想によって達成する事が出来るのじゃ。
 
 そうであるから世間の欲を達成するためにも、自己を練磨するためにも、喜びを味わうためにも瞑想を活用しても良いのじゃ。
 お釈迦様も修行者はむしろ瞑想の喜びに触れよと言っておるのじゃ。
 
 例え欲の為に始めた瞑想であっても、続ければ瞑想の喜びが人を思いもしなかった境地へと導いてくれるものじゃ。
 死を超える事だけを考えて悟りを求めた者が、全てを手に入れて歓喜するように、瞑想が人を全てへと誘うじゃろう。

520鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/30(月) 21:13:36 ID:kaXJvxhM0
>>518 間違えたようじゃ。
 サマーディはヨーガスートラの教えじゃった。
 すまんのう。

 ジュニャーナ・ヨガは仏教の止観と似ているのじゃ。
 智慧というがやはり観察しているようじゃ。
 智慧によって観察する道という意味かも知れん。
 マハラジなどはそれが観察者を作り出すとして批判するようであるが、それもまた向いているものが行えば悟りへの道となるじゃろう。

521避難民のマジレスさん:2013/12/30(月) 23:01:36 ID:ZPFk8Jag0
素晴らしい法話ですね。感動しました。鬼和尚は天才かもしれない。

522避難民のマジレスさん:2013/12/31(火) 09:47:49 ID:byGhGyc60
鬼和尚、
覚者が中長期的な戦略や、構造のある複雑な文章を考えるときなど、
複雑な言語・イメージ操作をしなければならない時は、どのようにするのでしょうか?
仮の自我を作り出し、その上で思考しますか? それとも、意志を起こして
無我のままで思考するのでしょうか?

523避難民のマジレスさん:2013/12/31(火) 10:40:52 ID:tsdMVz5g0
>>520
ジュニャーナ・ヨガ≒仏教の止観とういう事ですか。
そうなると不二一元論と仏教の違いは、最終的にアートマン(=ブラフマン)まで
捨てられるかどうかって事だけのような気がしますね。
しかしアートマンが無いとすると、それこそ存在や現象など世の中の事象の
全てが無い事に成りませんか?
だとしたら、鬼和尚とは何ですか?

524避難民のマジレスさん:2013/12/31(火) 18:15:17 ID:XpOqqj3k0
>>519

貴方、知恵ないでしょw
出来もしないこと、ありもしないものを語ってるのは滑稽どころか憐れですらある。

貴方の感情の動きは幼稚な子供のものでしかない。

あなたは、あなたの言う宗教用語に目をくらまされる気の毒な人としか交流できない。

あなたは、世間の人と世間で付き合う時頓珍漢なことして、失敗続きで、馬鹿にされてるでしょ。

知恵なんてどこにもないでしょ。

貴方の言ってることではなく、あなたの感じてること、やってること、普段やってるであろうことに目を向けると、、
子供の自我が、無自我の体験をして何か自分が特別になったという幻想にしがみついて周りの失笑を買ってる姿が見える。

525鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/31(火) 20:39:40 ID:kaXJvxhM0
>>521 おぬしには負けるがのう。わっはっはっは。

>>522 最初は自我による思考をするのじゃ。
 慣れてきたら無我による思考にするのじゃ。
 それは身体を操作するのと同じなのじゃ。
 
 ダンスでも体操でも最初は一つ一つ教わった通りに自分で確かめながら動きを覚えるじゃろう。
 動きを体で覚えてしまえばもはや考えずに無意識に動いたほうが良く動けるのじゃ。
 志向も最初は間違えないように一つ一つ筋道を確かめて習うじゃろう。
 全ての要素を覚えてしまえば無我によって自由に思考を働かせれば、より良い智慧が浮かぶのじゃ。
 2ちゃんねるの書き込みもそのようにして智慧を働かせて書いているのじゃ。

526鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/31(火) 20:46:30 ID:kaXJvxhM0
>>523 アートマンは元々無によってのみ現されるものなのじゃ。
 多くの学者達は勘違いしておるがお釈迦様こそアートマンを本当に理解し、説いて居るのじゃ。
 認識できる全てはアートマンであり、そのアートマンは無によってのみ現されると観想した時、迷妄を離れたブラフマンが全ての事象として顕現するのじゃ。

527避難民のマジレスさん:2013/12/31(火) 23:22:43 ID:4UCH3jwY0
鬼和尚さん
今年はありがとうございました。
鬼和尚さんに観察の方法などを教えていただけたことも感謝していますが、
もうひとつお礼が言いたいことがあります。
鬼和尚さんのおかげで、頭痛になることが少なくなりました。
頭痛の原因が首にあるという他の方への回答を見てから、首を冷やさないように首にタオルを巻いて寝ることと、
圧が分散する枕を使うことを試してみたら、本当に頭痛が減りました。
子供のころからの悩みだったので、とても感謝しています。
ありがとうございました。
鬼和尚さんも良いお年をお迎えください。

528龍華:2014/01/01(水) 00:11:21 ID:kl1CR23s0
あけましておめでとうございます
昨年も皆様には大変お世話になりました
本年もよろしくお願いいたします

今年も悟れますよう

529龍昇:2014/01/01(水) 00:34:54 ID:nxQ7UtQo0
あけましておめでとうございます
昨年は大変お世話になりました
みなさま良い一年になりますように

530素人A:2014/01/01(水) 08:08:00 ID:G5HiNwNQ0
新年と言っても何が昨日と変るのだろうか?そうだ珠にはお日様見よううす曇だけど山に挟まれて黄色のお日様が出ている。
べつにお変わりは無く毎日出るのはお決まりの信念。骨はコツコツだ私もお決まりで変る輪わけは無く進歩も無くまあええか
でこつこと在る苦だけはお決まりな野鴨。今ひまで元旦だから妄想に瞑想して頭の盆脳から黄色い太陽いれて小周天で遊ぼう
もうそそうしたら簡単に廻るけどきつと足玉までつづかない。嘗てに回っている善く輪空内もののにはかなわない鴨。何か
書初めも下らない。とにかく明けましておめでとう。?何がめでたいのか私は善く輪空内

531素人A:2014/01/01(水) 08:28:22 ID:G5HiNwNQ0
あれ張り間違えた新年から鬼さんに謝る。避難所に貼り直し増す。ところで
最新物理学ではヒックス粒子が発見されたとか?其れは重い出を持つ粒子で
宇宙が出来始めは粒子たちは思いでも無く自由にあ軽く宇宙自由を飛び回つ
ていたとか?其れがヒックスにひつかかつて重いでが出来て色々な星も生まれ
地球もうまれ万有引力に左右される宇宙が出来たとかなんとか??後万ブラフマン
で何か宇宙理論東洋哲学をぱくつたのかと思うけど?

532善聖 ◆rgBot67fe.:2014/01/01(水) 15:38:08 ID:EUJYIxW20
明けましておめでとう御座います

良い年になりますように

533避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 18:21:49 ID:P.PEnNUg0
>>525 ありがとうございます。
>>522 想像していたより、自我を使わないでも様々なことが
できそうですね。とすると、自我を使う必要があるのは、
これまでに熟練していない技能を新しく学ぶ時くらいで
しょうか? 

悟りを得た人がどんな時に、仮の自我を使うのかが知りたいです。

534避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 18:24:18 ID:/rI00YOw0
>>526
なら鬼和尚は、ブラフマンの存在を認めてるという事ですね。

535鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/01(水) 20:07:03 ID:kaXJvxhM0
>>527 あけおめことよろなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>528 あけおめことよろなのじゃ。
 おぬしもよい年になる様に。

>>529 あけおめことよろなのじゃ。
 おぬしもよい年になる様に。

>>530 あけおめことよろなのじゃ。
 おぬしもよい年になる様に。

>>532 あけおめことよろなのじゃ。
 おぬしもよい年になる様に。

>>533 そうじゃ、新しい事を学ぶ時や人と話す時やなれない事をするというような時には自我も使うのじゃ。
 本来無数の選択肢がある世界で習い性と成った性質によって、選択を行うのじゃ。
 それもまた人を知るためなのじゃ。

>>534 わしはブラフマンを知っているのじゃ。
 古代インド人が何を目的にブラフマンという言葉を使い、それによって何を達成しようとしていたかを知っているのじゃ。
 お釈迦様もまたブラフマンを知り、勧請を受けたのじゃ。

536避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 21:00:20 ID:pwM0EAio0
あけましておめでとうございます。いつもありがとうございます。
>>511
自我は目覚めや正気の反対方向?の性質(自己憎悪、怒り、分離、破壊的、恐れ、死など)を持っていますが
それを余すことなく自我は自我らしく生き切るということは結局自我の死のように感じられないでしょうか。とんでも
ない苦を通らないと実質目覚められないということでしょうか?そんな実感もありますが。
鬼和尚さんはそうではなく、出し切る必要はなく観察することで厭離すると言われていますね。

537避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 21:28:18 ID:pwM0EAio0
自分=自我であれば自我を滅するのに観察することを自我が邪魔をして正確には不可能。
観察=明け渡しの視点であれば、自我がだいぶ死に絶えていないと観察自体難しいような感じもありますが。
両方が混然一体としてもがきながらいくような感じにならざるを得ないような気もします。
やろうとする、観察しようとする、という努力も自我を生き切ったことにはならないでしょうか。結局出来ないわけで。
やるだけやらないと死ねないといった感じですか?

それを十字架の道、(自我側からすると)、と表現されたりする。苦行的な。(自我の性質が苦だからそうなってしまう)
それを反対方向から行くメソッドとか教えがありますよね。幻想だ、と。でも自我として生まれてきている以上、実践して
みるとそれだけではすまされない。そんなスムーズにいくわけがない。どうなんでしょう。

538避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 21:42:15 ID:pwM0EAio0
目覚めは恩寵ですよね。

539避難民のマジレスさん:2014/01/01(水) 22:41:36 ID:Elpwrbn.0
>>535 ありがとうございます。
人と話すことは、熟練しても自我が必要になるということでしょうか。
それは、自我が無いと相手に共感したり理解するのが難しいからですか?

また、2行目の
「本来無数の選択肢がある世界で習い性と成った性質によって、選択を行うのじゃ。」
が、私には理解が難しかったです。下記のような理解で正しいでしょうか?
衆生の心を知るために、覚者が仮の自我を使うことで、本来は無数にある
選択肢の中から、敢えて記憶に依存した選択を行うことがある。例えば苦滅の検証など。

540避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 00:43:49 ID:XpOqqj3k0
>>536

≫それを余すことなく自我は自我らしく生き切るということは結局自我の死のように感じられないでしょうか。

ご理解の通りなのでしょうけど、あまり賢いと、仕掛けが働かない。
結局そういう理解はわたし、あなた、自我のもの。
賢いことは困ったものですが、賢さゆえに賢さの無意味を知るとも言われます。

≫それを余すことなく自我は自我らしく生き切る

余すことなく自我が自我として生きるには、相当の意識がいります。
というのも人は1つの自我を持っておらず、ばらばらに各部分が分断されているからです。

自我の一部分、ひとかけらとsて生きる我々は、いつも他の自我の部分と戦っています。
その内戦で本当の苦しみに気づかずにいます。

≫苦しみを通り抜けなければ

自我の全容に気づくということは、とてつもない矛盾に気づくということです。
苦しみを通り抜けるというより、苦しんでる事実に覚める、という方が近いのかもしれません。
この分裂と「苦」に直面することを避けて統合された人間はいなかったOSHO
喜びの深さはその人が経てきた苦しみの深さと同値であるグルジェフ

瞑想の道では不可避化と思います。
愛と検診の道だと違うのかもしれませんが、やはり、、、苦しみと無縁ではいないような、、。
ただ、強調しないんだと思います。
喚起と感謝の方を強調する、、が、苦しみが無いわけでもない。議題にしないだけ。

≫自分=自我であれば自我を滅するのに観察することを自我が邪魔をして正確には不可能。

それを理解してゆく道が宗教における観察するということかと思います。
最初はいわゆる観察から入るしかないんです。
でも、同時に、いかにそれが不可能で、自分=自我なので不可能で、でも、観察、瞑想からしか入れなくて、、、。
鬼和尚の言うことも部分的には一緒です。
付随する仕掛けや、誘導する方向が、祖師たちと異なるだけです。

観察することが不可能で、どんなに観察しても動意もならないと理解するために観察はあるといえるかと思います。
この辺奇跡の探求に詳しいかもしれません。

≫幻想だ

我々はこれを事実と正にみなしている。
が、祖師は幻想だと仰る。
幻想であることを確認しよう、というのは瞑想ですが、
自信が幻想に嵌ってることをほっぽりだして、これが幻想である、というのは邪道です。

幻想と言ってるのは祖師で、我々は事実とみなしている。
この現実関係を見失ってるところから始まるので初手から間違っています。
見失っているというか、見失って逃避するために誤用してるので目論見通りともいえます。

いろんな道がありますが、それはいろんな道がいろいろな脱線をしてるということでもあると思います。
脱線してなければ何でもいいと思います。

541避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 00:47:44 ID:al3KkTas0
>>535

自我があったら新しいことには対応できないし、今目の前にいる人の事実にも向き合えない。

覚醒があれば、事実をあるがままに受け取り、そして、今までになかった新しい対応を取る。
過去の経験や知識の力は刈りつつも、それに束縛されるのではなく、それを使って、新しい事実に向き合って、
新しく創造をする。

自我にはそれはできない、過去の経験の範囲で目の前の事実を解釈して、それに元ずいた、古い反応をするだけです。

貴方は自我にどっぷりつかっているから、自我を知らない。
自我を持ってすらいない。

542避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 09:09:06 ID:tsdMVz5g0
>>535
ブラフマン(=アートマン)が我々の正体だという解釈で良いのかな。
全てを捨てても消滅しないものがブラフマンという事でOKですか?

543避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 15:24:43 ID:jfWCoXjM0
http://www.youtube.com/watch?v=J4MBDAGiOXQ(エックハルト・トールの動画です)

1エックハルト・トールは悟りの何合目あたりにいますか?彼が悟りと言っているのは小悟のことであり、彼は小悟の境地にいるのでしょうか?

2エックハルト・トールの境地より先はありますか?あるならば、どうやってそこに辿り着くのですか?また、それはどのような境地ですか?

544避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 18:40:59 ID:XpOqqj3k0
>>536

自分を変えようとしている欲望に気づく、ということとあるがままの欲望に覚めつつそれに生き切る、ということはおなじことかもしれません。

人は自分を変えようと四苦八苦しているものだから。

それが無駄とか、あるがままを受け入れるとか、言葉では何とも言えるけど、
事実問題として変えようとしてしまっているから。

それそのもののしっぽを掴む。

自分を変えようとするのが当の自分なのでどうしようもない。

ただ覚めていれば、自分が求めていた、過去の束縛されない今新しく知恵を生む出す自分であれるのだけど、
理攻めでそうなろうとすると、そうなろうとする自分が古い自我だから、古い欲望と、外部から持ってきたり創造の内戦になってしまう。
その内戦こそ自我なのだけど。

545鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/02(木) 20:45:42 ID:kaXJvxhM0
>>539 そうじゃ、人は話をする時に自我を持つ者に共通の認識を通して話をしているものじゃ。
 それが無いと所謂禅問答のように他人には理解不可能な話しになってしまうのじゃ。
 
 そのような理解で良いのじゃ。
 
>>542 そのような理解で良いのじゃ。
 いずれ自ら知る事が出来るじゃろう。
 
>>543 一瞬忘我に入っただけなのじゃ。
 そこから自我を完全に滅する無我になり、さらにその無我を認識するものを滅しなければ成らんのじゃ。

 瞑想し、自らを観察する事によってそこに辿り着くじゃろう。
 そこまで行けば一切の苦は無くなり、平安と静寂があるのじゃ。
 死は無いと知り、永遠の意識が全てであると感じる事も出来るのじゃ。

546避難民のマジレスさん:2014/01/02(木) 21:35:10 ID:XpOqqj3k0
>>545

以上全部自我が見る夢です。

無いという夢、平安という夢、認識者を滅するという夢。

夢見る自我は何も変わらない。


なること、すること、得ること。
そういう文脈でしか論じてない。

単語が何であろうと関係のない話。

547避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 08:40:00 ID:aqEyZ8OU0
>>545
とういう事は、ヒンドゥー教の悟りと仏教の悟りは同じという事ですね。
まあ宗教問わず、悟りが違うものであるはずは無いですよね。
ありがとうございました。

548避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 11:40:44 ID:rjrCqQY20
明けましておめでとうございます。

>>535鬼和尚さん

ブラフマンは神道で表すところの天御中主之大神様のことではないのでしょうか。
日本の家庭では神棚と仏壇が祀られていますが、梵我一如をそのまま表しているように思いますが
私にはそれぞれの宗教の歴史や成り立ち、それらへの縄張り意識が薄いので、怒りを覚える方がおられるかもしれませんが…。

549避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 11:59:31 ID:rjrCqQY20
>>535>>545でした。

550避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 12:10:40 ID:aqEyZ8OU0
>>548
怒りは覚えないけど、それは梵我一如とは全く違いますよ。

551避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 13:28:32 ID:rjrCqQY20
>>550
そうですね。
それぞれの心のあるがままに、そう感じるのは私の心であって
全てがそうであるはずがない、そうであってはならない、そのはずでしたね…。

552避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 13:53:21 ID:aqEyZ8OU0
>>551
それぞれの心とかそういう事じゃ無くて、根本的な勘違いをしてますよ。
もちろん私も体感してるわけじゃ無いですけど、梵我一如を体感出来ないまでも
意味くらい調べてみればどうですか?

553避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 14:10:34 ID:rjrCqQY20
すみません。
私はけっこう以前から悟り=梵我一如と感じているのですが、また悟りにおいてはヒンドゥー仏教に変わりはないと思っています。
しかし最近になって、全ては繋がっているのだから、何かしらの意味があるはずだと感じているのです。
それぞれの意味を知って、なお感じる何か、これは私だけが感じることなのでしょう…。

554避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 14:17:34 ID:rjrCqQY20
神道によれば、私たちは全て神の御霊分なのですから。

555避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 14:32:29 ID:aqEyZ8OU0
私は神棚と仏壇を一緒に祀ってるのが梵我一如を表してるという事に対して
それは梵我一如を表してる訳じゃ無いと言ったまでです。
神棚や仏壇を祀る事と梵我は全く関係ないですからね。

ブラフマンと天御中主之大神が同じあってもおかしく無いと思いますよ。
名称は何であれ、両者とも宇宙の根源みたいなものでしょうから。

556避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 15:33:48 ID:fYq5qVNQ0
>>545
悟りを得た人がどのような時に仮の自我を使うかに
ついて、理解を深めることができました。
ありがとうございました。

557避難民のマジレスさん:2014/01/03(金) 18:25:44 ID:Bwz0R3.60
白隠禅師『坐禅和讃』


衆生本来仏なり       水と氷の如くにて
水を離れて氷なく      衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして   遠く求むるはかなさよ
譬えば水の中に居て    渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて   貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は     己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は   称嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等
その品多き諸善行     皆この中に帰するなり
一坐の功を成す人も    積みし無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき   浄土即ち遠からず
辱くもこの法を        一たび耳に触るるとき
讃嘆随喜する人は     福を得ること限りなし
況や自ら廻向して      直に自性を証すれば
自性即ち無性にて      已に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ    無二無三の道直し
無相の相を相として     往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として     歌うも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく     四智円明の月さえん
この時何をか求むべき   寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国        この身即ち仏なり

558鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/03(金) 20:55:31 ID:kaXJvxhM0
>>547 同じなのじゃ。
昔はバラモン教といったのじゃ。

>>548 違うのじゃ。
 ブラフマンとは別の観念なのじゃ。
 ブラフマンには人格も神格も無いのじゃ。

>>556 どういたしまして、またおいでなさい。

559避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 01:11:06 ID:Bwz0R3.60
>>558 おに さん

滝と小鳥のさえずり - 3:00:00
http://www.youtube.com/watch?v=AilNwuAPZ2E
せせらぎ - 3:00:00
http://www.youtube.com/watch?v=c4AIZcmb23s
夜通し焚き火 "Bonfire all night long " - 8:00:00
http://www.youtube.com/watch?v=jrQrewgC4fM
Nature sounds - 49本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=JD727wIPL1I&amp;list=RD8OXrY1WN93c
Nature sounds - 49本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Zxc9pA643f0&amp;list=RDJD727wIPL1I
Nature sounds - 49本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=weepXYF6fmU&amp;list=RDZxc9pA643f0

560避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 01:48:54 ID:Bwz0R3.60
食物連鎖シミュレーション  v2.61 (11/10/10)
食物連鎖の生物バランスを数量の視点で学習・実験

ソフト種別
フリーソフト

対応OS : Windows XP

作者サイトからダウンロード 

食物連鎖の生物バランスを学習・実験できるソフト。

仮想世界に生息する生物の種類と、その捕食・被食の関係を4種類から選択したうえで、各生物の特性をパラメーターで指定すると、時間経過によって変化する各生物の個体数をシミュレートしてくれる。
仮想世界には、植物の草原と1種類の草食動物を基盤に、2種類の肉食動物やもう1種類の草食動物を生息させることが可能。
草原は面積と成長速度を、各動物は初期個体数や寿命、移動能力、生殖能力をパラメーターで指定でき、肉食動物には捕獲能力も指定できる。
シミュレート中は、ゲーム風の画面で仮想世界を描くと同時に、各生物の個体数が折れ線グラフで表示され、いずれかの生物が絶滅してもシミュレートを継続することもできる。

作者名 突田 行生 氏

公式サイトhttp://www.eonet.ne.jp/~yo2kuda/

561そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/04(土) 02:27:51 ID:ohA0SgL20
鬼和尚
私には自分が言語を失うことに対する恐れがあるように見えました。

それは、ライナスの毛布のように手離し難いものです。
身につけた習慣を手離すことに対する恐れです。

それと同時に、孤独に対する恐れもあるように見えました。
言語を失うことは、表現手段の一つを失うこことです。
表現手段が失われれば、例えばここのような掲示板でも、他者とのコミュニケーションができなくなります。
また、自分自身との対話もできなくなります。
他者からも、自分からも孤独になることに対する恐れです。

562避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 07:56:23 ID:YWqLYYqo0
>>545 人は話をする時に自我を持つ者に共通の認識を通して話をしているものじゃ。

自我を持つもの同士でも、コミュニケーションが成り立たないことがあるのは、
互いの認識が異なるためでしょうか?

とすると、話をするときに相手がどのような認識をするのかを
理解すること、つまり個我によって異なる、縁起のパターンを
理解することが、人間理解の核心になりますか?

563避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 09:59:51 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん>>548です。

質問に答えて下さりありがとうございます。
いつか一度は伺いたい事柄でありましたので、思い切って人目に触れるような場所に書き込んでしまいました。
ブラフマンは宇宙の根本原理であって人格神ではない。
そして天之御中主大神さまも、おそらく人格神ではあられないと感じていたからです。
しかし私たちが人格というものを頂いている以上、大神さま以降のどこかで人(神)格を備えた存在が分霊された。
それに似せて私たちは存在しているのではないのかと妄想していました。
全ては一つの意識であっても、人格を持つ人間の夢を見るための雛形があったのではないのかと思ったからです。
いずれにしても、そんなことは私などの思案の他、分かるべくはずもない事でした。

今年は新たな思いを込めて久しぶりに神社に詣でましたが、ニ礼二拍手一礼に拘りすぎて
肝心の感謝の心は何処へやら、家には神棚もないので改めて心の中の神仏さまに感謝しました。
ありがとうございました。

564避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 20:40:22 ID:NpBkhqbI0
クリシュナムルティは、あらゆる恐怖の原因は思考と時間であると述べていますが、
鬼和尚も同意見ですか?

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/04(土) 20:44:46 ID:kaXJvxhM0
>>559 聞きながら座ると良いのじゃ。
 たばこをやめるのと早寝早起きと親孝行は今直ぐでも出来るのじゃ。
 実践すると良いのじゃ。

>>561 自分とのコミュニケーションが本当に言葉によっているのかよく観察してみるのじゃ。
 それはむしろ本当の観察を妨げているかも知れん。
 自分のイメージを保たせるために言葉を使っているのかも知れん。
 言葉によらない本当の自分を観てみるのじや。

>>562 そうじゃ、同じ言葉を使っていても微妙に言葉に対するイメージが違う事も在るのじゃ。 
 特に自己イメージは他人が持つ自分のイメージとは違うものじゃ。
 
 その理解は人間を理解するのにも役に立つじゃろう。

>>563 どういたしまして、またおいでなさい。

566避難民のマジレスさん:2014/01/04(土) 21:18:34 ID:pEe1v5Oo0
>>565
>>562 です。理解理解と繰り返し、核心という観念に囚われるところでした。
実践に戻ります。お答えくださり、ありがとうございました。

567そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/04(土) 21:23:23 ID:ohA0SgL20
>>565
ありがとうございました。

568避難民のマジレスさん:2014/01/05(日) 02:02:50 ID:Bwz0R3.60
NHKミニ英会話 - 31件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=ZenK8kKUtpQ&amp;list=PLD9CDA60F387B40B6
リトル・チャロ 21件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=V1nqYMtOk_8&amp;list=PL74E58BA1F73983DE
英語 リスニング 122本ノック - 118件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=z3y5qUNqhg8&amp;list=PL2EBDA8D1F17E820A

569避難民のマジレスさん:2014/01/05(日) 15:08:32 ID:oTGHTjYs0
数息観をすることで、どうして無我に至れるんですか?
それと、その無我というのは数息観をしている間の一時的なものですか?
それとも、数息観を終えた後も自我が起こらずに、ずっと無我のままなのでしょうか?

570避難民のマジレスさん:2014/01/05(日) 15:44:50 ID:oTGHTjYs0
無形無相の意識を、できるかぎり心に保ち続ける瞑想法で悟ることはできますか?
それとも、その意識を意識している主体を探るほうが良いのでしょうか?

571鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/05(日) 20:06:48 ID:kaXJvxhM0
>>566 そうじゃ、実践が全てじゃ。
 またおいでなさい。

>>567 どういたしまして、またおいでなさい。

>>569 自我を認識する能力が停止するからじゃ。
 完全に観られれば常に無くなるのじゃ。
 完全でなければ一時的に停止する忘我の状態になるのじゃ。
 その忘我がサマーディと言われる状態なのじゃ。

>>570 主体を探すのじゃ。
 それが出来れば瞑想すらも不要なのじゃ。
 マハリシは瞑想も知らなかったがひたすら死なないものを求めて悟ったのじゃ。
 死によって消え去るものを捨て、ひたすら不死の意識を求めるのじゃ。

572避難民のマジレスさん:2014/01/06(月) 10:42:36 ID:gOqWUDAs0
おにさん私は何も水此処に飛び込んで彼方此方貼り付けるだけなんだけど
何故か何処でもジクゾウパズルの画にハマル?自分では何でか不思議に思うけど
外の人が見たら変な画我はまつてまあ良い風景にならない鴨?とは全然私は思わない

573避難民のマジレスさん:2014/01/06(月) 17:15:35 ID:7N6JkJH60
鬼和尚、
心の観察が、とてもつらいのですが、このままつらい原因も含めて、
勇気を持って観察し続けるしかないのでしょうか?

一方で数息観をすると、以前は言葉の思考だったのが、
最近イメージ優位になっていて今はそのイメージに巻き込まれがちです。
イメージを流せるようになるという当座の目標があり、しかも頭も気持ちが良いので、
どうしても観察よりも集中の瞑想に
偏りがちになってしまいます。

集中の瞑想と観察の瞑想のバランスも含めて、何かアドバイスいただける
とありがたいです。

574鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/06(月) 20:23:16 ID:kaXJvxhM0
>>572 不思議な事じゃ。
 その原因を探して見たら良いのじゃ。

>>573 少しずつでも観察を続けたらよいのじゃ。
 苦しい時こそ修行も進んでいるのじゃ。

 人によって集中と観察に向きがあるのじゃ。
 集中が主になるようにしてもよいのじゃ。
 集中している心を観察するのも良いのじゃ。
 そのような自分にやり易い工夫はいつでもやってみたらよいのじゃ。

575避難民のマジレスさん:2014/01/07(火) 03:42:33 ID:Bwz0R3.60
怒らない猫 ~ Baby bite cat's tail ~ - 1:15
http://www.youtube.com/watch?v=SYLj372c-zM
.眠くても優しい猫 - 1:29
http://www.youtube.com/watch?v=2iS-2uMvHi8
約100年前の見世物小屋で働いていた女の子 - 2:29
http://www.youtube.com/watch?v=L-dAlvTPAqM
.見世物小屋 - 8:48
http://www.youtube.com/watch?v=gPB4tiOuNXU
.歴史上の謎の多い人物とは? - 3:51
http://www.youtube.com/watch?v=9XHvTpFgHuc
.般若心経の現代語訳が素晴らし過ぎた件 - 3:32
http://www.youtube.com/watch?v=QQBy1LA1uIU
般若心経. 現代語訳 - 5:29
http://www.youtube.com/watch?v=E_SgUM2NhM0
.般若心経 「超訳」 - 5:36
http://www.youtube.com/watch?v=fAqqpMnbmp0
.心説般若心経 長尾弘先生講演 - 1:50:40
http://www.youtube.com/watch?v=1jNQM5GhYmI
.般若心経清新版 - 7:30
http://www.youtube.com/watch?v=5VKSZArL9UE
.15_0 宇宙論における般若心経研究 - 26:25
http://www.youtube.com/watch?v=kIKR1UUtxKE
Japanese Vajrayana/Shingon - 68件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Urg73jrCBdI&amp;list=PLF25A6030ABA6A7E6
そうだ、京都行こう (秋冬) Kyoto Tourism Clips ~Autumn and Winter~ . - 15:00
http://www.youtube.com/watch?v=yZDnfnbI2Ow
そうだ、京都行こう (春夏) Kyoto Tourism Clips ~Spring and Summer - 12:13
http://www.youtube.com/watch?v=TVIu0dA7FJE
Kyoto Campaign, そうだ 京都、行こう。 - 70件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=ZgGRq6x4w6c&amp;list=PL0B02EDE4CC3AE2EB

576素人A:2014/01/07(火) 08:52:46 ID:gOqWUDAs0
和尚さん蟻我糖 今の思いつきは?私は気まぐれや偶然や駄洒落出鱈目等.何でも前に出たものはデーターものは
馬鹿にしない大切に思うからか?良くわからないけど大切に思えばなんでも答えてくれる師。そんなものあてには
ならないと思えば.まあ友ではないと答えは無いの鴨。雨がフルカラー虹が出るで。

577避難民のマジレスさん:2014/01/07(火) 13:18:51 ID:zz3du5Nk0
>>574
心の観察がつらいのは、観察しているようで、
いつの間にか、苦しみに同化しているのが原因と気づきました。
苦しみに同化していることに気づいたら、呼吸に集中すると、
苦しさは遠のいていきます。

鬼和尚のご指摘のとおり、観察と集中を分けすぎていたのが
心の観察がつらくなる要因でした。
また自我が、観察されるのを様々なやり方で避けさせようとしているようです。

できるだけ楽しめるように工夫して、観察も続けようと思います。
ありがとうございました。

578避難民のマジレスさん:2014/01/07(火) 15:05:46 ID:aqEyZ8OU0
他スレで「悟りを開かないと自我のフィルターが掛かってモノを見てるわけだから
凡夫に正見は無理。」という書き込みを見たのですが、これにつてどう思います?
正しい事というのは人によって違うから、私は一理有ると思ったけど。

579鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/07(火) 20:13:20 ID:kaXJvxhM0
>>576 どういたしまして、またおいでなさい。

>>577 良かったのじゃ。
 それも気づきなのじゃ。
 そのようにして気付きながら修行は進んで行くのじゃ。
 またおいでなさい。

>>578 対象との厭離が出来れば正しい観察なのじゃ。
 それが本当の正見なのじゃ。
 それは悟れば捨て去られるべき法である故に、悟りを開いた者には不要なのじゃ。

580避難民のマジレスさん:2014/01/07(火) 20:26:02 ID:aqEyZ8OU0
>>579
それだと何かを見る度に時間が掛かってしょうがないですね。
まあ凡夫が自我のフィルターを外すにはそれしか無いかも知れないけど、
八正道の中で言ってる正見って、観察の事なんですかね?

581避難民のマジレスさん:2014/01/08(水) 18:50:57 ID:oTGHTjYs0
感情や感覚や思考や想念なら観察できますが、自我を観て自我を厭離するというのがわかりません。
自我というのは、朝起きたときに現れる「自分という意識」のことでしょうか?
もしそうなら、自我の生成を捉えるチャンスというのは少ないのでしょうか?

582避難民のマジレスさん:2014/01/08(水) 19:19:48 ID:oTGHTjYs0
「悟った人にも思考は起こるが、彼はそれを気に留めない(重要視しない?)」
という言葉を耳にしたことがありますが、この意見は正しいものでしょうか?

583鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/08(水) 20:40:28 ID:kaXJvxhM0
>>580 そうじゃ、観察なのじゃ。
 正しい観察によって気付きも起こるのじゃ。

>>581 そうじゃ、正にそれなのじゃ。
 そのように朝起きる時に忘れていなければ観察する事も出来るじゃろう。
 普段でも何かに集中していたり、逆に放心して忘我の状態になることも在るのじゃ。
 その時に何かのきっかけで自我が起これば、観察するチャンスなのじゃ。
 一休が烏の鳴き声を聞いて悟ったとか言うのは、そのきっかけによって自我の生起を観察できたからなのじゃ。

>>582 正しいのじゃ。
 無我による思考はもはや智慧と呼ぶべきものとなっているがのう。
 智慧さえも目覚めた者には不要なのじゃ。
 衆生のためにはなるがのう。

584避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 08:36:31 ID:LC3de7YgO
>>583
観察して厭離すべき対象である自我(自分)と観察者としての自分と、自分が2人に分裂した瞬間を経験することになるのでしょうか?
観察者としての自分のことは自我ではなくなんと呼べばよいのでしょうか?
観察者の意識を消して無我に達するまでの間、自我に代わってその観察者の意識が自分になるのでしょうか?
観察者の意識を厭離できなければ、また自我が復活するのでしょうか?

585避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 10:11:46 ID:aqEyZ8OU0
>>583
だとしたら、正見ひとつ出来るように成るにも膨大な時間が掛かりそうですね。
普段モノを見るときに、自分に都合の良いように見ていないか疑うようにはしてるから
とりあえずはそれを続けてみますよ。

586避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 12:31:55 ID:pEe1v5Oo0
鬼和尚、
観念による好き嫌いに、苦滅の法を試してみたところ、
その好き嫌いをなくすことに成功しました。

ある食べ物だったのですが、食べたくない心理的原因(過去の記憶でした)を
観察し、もし、その原因が無ければ食べたくない気持ちが消えることを観想しました。
その後、その食べ物は特に意識すること無く、美味しく食べられています。

そこで気づいたのですが,苦滅の法で滅することができるのは苦だけではなく、
どのような縁起の鎖でも、観察さえできれば、断ち切れるのではないでしょうか?
もしそうだとすると、かなりの自由を手に入れられるということになります。

587避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 12:35:03 ID:aqEyZ8OU0
美味しいって言うのも観念のような気がするけど。

588避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 12:45:20 ID:voZzV2fs0
鬼和尚
喩えるなら机の引き出しのようなものが、私の中にありそうです。

引き出しはたくさんあります。
引き出しの中には、記憶や思考(のパターンのようなもの。以下同じ。)がたくさん入っています。
引き出しが開くと、記憶や思考が飛び出してきて、それを使って考えたり思ったりします。
それは、論理的であったり、感情的であったり、とりとめもなかったり、さまざまです。
引き出しが閉まると静寂になります。
記憶の再生がなくなります。
感情も起こりません。
それは、己を見て見ぬふりをすることや、押し殺すこととは違う感じです。

引き出しはおそらく自我と呼ばれる者が作ったのでしょう。
彼が、外部からの刺激を認識としてかき集め、それらをため込んでは引き出す、ということを繰り返しているのでしょう。

これまでの私は、引き出しの存在に気付いていませんでした。
引き出しの開け閉めのコントロールは、自我のなすがままだったと思います。
ほとんどの場合開けっ放しになっていて、記憶や思考が溢れ出続けていたのでしょう。

今は引き出しを意図的に閉めることが出来るようです。
ただし、すぐにまた開いてしまいますが。

589避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 17:32:18 ID:LC3de7YgO
>>584
鬼和尚がブログで説明されていること、・・・自我を観察することにより観察の主体と客体の自己同一化の働きを破壊するとのことですが、自己同一化の破壊が起こるまでの間=厭離して無我を体得できるまでの間は、観察者=観察対象=自我であろうかと思うので、無我を体得し、更に観察者の意識も厭離するためには、いわゆる『人格』を分裂させるべく心に働きかけるように取り組むべき…ということなのかな? と思い、>>584 の質問になった次第です。

590鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/09(木) 19:56:35 ID:kaXJvxhM0
>>584 分裂しないのじゃ。
 自我が観念でしかなかった事に気付くのじゃ。
 
 観察者としての自分というものは何とも呼ばなくて良いのじゃ。
 それは無いものであるからのう。
 観察しているのは阿頼耶識なのじゃ。

 もはや自分と呼べるものは無いのじゃ。
 それは観念でしかなかったのであるからのう。
 阿頼耶識は自分ではないのじゃ。

 そうじゃ、阿頼耶識が残っていれば自我もまた復活するじゃろう。
 未だ薫習が残っているからのう。

>>585 そうじゃ、やってみるのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>586 そうじゃ、苦だけでなく心の障壁も全て厭離出来るのじゃ。
 最後には己という認識さえも厭離するのが縁起を観る法なのじゃ。
 日々実践して習熟すれば己も厭離できるようになるじゃろう。
 精進あるのみなのじゃ。

591避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 20:00:45 ID:lO4vh4/Y0
自我を観察していても、果てしなく続く虚無を見ているような感覚です。
どこにも取り付く島がないのですが、何かアドバイスいただけないでしょうか?

592鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/09(木) 20:31:45 ID:kaXJvxhM0
>>588 それは自我の作ったものではないのじゃ。
 自我が投射されているだけなのじゃ。
 観念でしかない自我は本当は何も出来ないのじゃ。
 自我とは関係なくさまざまな心の働きやパターンが起こるのをみてみるのじゃ。

>>589 分裂はしないのじゃ。
 自我が観念でしかない事をみるのじゃ。

593鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/09(木) 20:37:14 ID:kaXJvxhM0
>>591 そのように観難い心の働きや自我を観るためにお釈迦様は縁起の法を教えたのじゃ。
 心の働きは縁起によっている故に自我もまた縁によって起こるのじゃ。
 十二因縁はその参考に成るものなのじゃ。
 感覚から執着が起こり、執着から苦が起こり、その苦に自我が投射されて起こるというように、次々に縁起して自分という感覚が起こる事を観察するのじゃ。
 それが縁起の法なのじゃ。

594避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 20:41:17 ID:Bwz0R3.60
国定忠治 たっぷり 5時間 - 5:10:06
http://www.youtube.com/watch?v=M-NjP8VuGAU

595そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/09(木) 21:11:22 ID:ohA0SgL20
>>592
ありがとうございます。

>>588です。名前を忘れていました。

自我という言葉を使ったのがよくなかったのかもしれません。
見えたことを言葉に表す段階で、見たことと言葉の乖離が起きたのかもしれません。
言葉にできることがなくなりつつあり、ここに書き込めることが少なくなってきます。

596避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 21:37:41 ID:LC3de7YgO
>>590 >>592
ご説明いただきありがとうございます。
アラヤシキに付きネットで調べてみました。
ア-ラヤシキ の主体という概念はそもそも無いとしることが、観察する意識の厭離であり、悟るということだという理解でよいのでしょうか?

597避難民のマジレスさん:2014/01/09(木) 22:55:26 ID:Bwz0R3.60
古今亭志ん生(五代目) 蒟蒻問答 - 23:58
http://www.youtube.com/watch?v=UMoUrWpLzC8
六代目春風亭柳橋 - 蒟蒻問答 - 25:03
http://www.youtube.com/watch?v=r3VIyDSAMic
.蒟蒻問答・古今亭志ん朝1 - 35:13
http://www.youtube.com/watch?v=Ktt8ARuLys4
.正蔵 死ぬなら今 - 24:36
http://www.youtube.com/watch?v=upHxQeN4CdE
.文楽 心眼 - 21:46
http://www.youtube.com/watch?v=moycA_gbhbE
.「坊主の遊び」古今亭志ん朝 - 29:16
http://www.youtube.com/watch?v=LXBtcXB8sU8
豊志賀の死:古今亭志ん朝 - 1:11:51
http://www.youtube.com/watch?v=jQavdL1N8cM
「野ざらし」 古今亭志ん朝 - 18:23
http://www.youtube.com/watch?v=c4Adl_Ad1Fw
.落語 「死神」 三遊亭圓生(六代目) - 53:02
http://www.youtube.com/watch?v=5b9y5qHjY0E
立川志の輔 「死神」 - 43:21
http://www.youtube.com/watch?v=Ovf539MGbcA
.柳家権太楼 死に神 - 36:02
http://www.youtube.com/watch?v=-ge5MzTDJZQ
.死神 (誉れの幇間) 三遊亭金馬 - 27:51
http://www.youtube.com/watch?v=OfPoFLK3I0g
懐かしの落語会 - 35件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=oDu7W9BOevw&amp;list=PLBCC49DC077C93B1C
名作落語 14 
http://www.youtube.com/watch?v=hJF_P-L9x70&amp;list=RDorw_VMq6QlY
名作落語 09 - 49件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=pxQbAaGVQ3Q&amp;list=RDhJF_P-L9x70
河内音頭  京山幸枝若 (河内十人斬り・他) - 3:00:54
http://www.youtube.com/watch?v=P7fto-L1H1o

598そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/09(木) 23:52:41 ID:k/7CfM/.0
鬼和尚
言葉を言葉だと思っていました。

599避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 12:07:58 ID:r3AXvjuU0
>>590
目標を達成するのに妨げとなる心の障壁を全て消すことができるとは、
苦滅の法は、悟りを得ていない人にとって最強の自己コントロールの技ですね。
しかもさらに、その技自体が悟りへの渡し船となるとは、
さすがお釈迦様が、最も優れた真理と説かれただけのことはあります。
これからも精進します。ご回答ありがとうございました。

600避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 12:43:00 ID:r3AXvjuU0
鬼和尚、
集中の瞑想に励んでいるのですが、気が遠くなるような
状態をそのまま気にせず続けていたところ、言葉とイメージが
現れても、焦点を結ばないというか、はっきりしない状態に
なりました。さらに、体の境界もあやふやな状態になり、
そこで、嬉しさに続いて、得意になっている自分の感情を
観察したところ、元に戻ってしまいました。頭の中心には
温かい感じと、快がありました。

言葉やイメージがぼんやりとしていたのは、呼吸への集中が
深まって、それらを観察し得なかったのか、それとも
自我の働きが弱まっていたのか、あるいは他の理由なのか
が知りたいです。

もう一点、これら全体が、サマーディを求める心が創り出した
幻想なのか、それとも真正なものなのかを判断する方法が
ありましたら、お教えください。痛みすら瞑想中に心によって
創られうると分かり、本物は何かを確認することが難しいと
感じています。

601避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 16:22:49 ID:wAZuhk5M0
自我の生起を観察してみました。自我は後になって現れるものだったんですね。
自我というものは、対象に憑依しないと現れることができない幽霊のようなものでしょうか?
感覚、感情、思考、想念やこの世界は、自我が口を挟まなければ、
何が起ころうとそのままで何の問題もないのではないでしょうか?

602避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 17:00:29 ID:wAZuhk5M0
記憶に依存しない認識とは、記憶を持たない生まれたての赤子の認識ということでしょうか?

認識というものは、
「ドン!(音です)」→振動をただ振動として感知するー→「音だ」とわかるーー→「うるさい」と思う
この初めの→の部分の働きのことを指すのでしょうか?それともー→もーー→の部分の働きも認識でしょうか?

鬼和尚が言われている”認識を厭離する”とは、
このような働きも対象がないと存在できない一時的なものであると気づくことでしょうか?

認識を滅すると、世界は一様であり差異は認められなくなるのでしょうか?

603鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/10(金) 20:41:37 ID:kaXJvxhM0
>>595 
 言葉の無い観察に入っていくのじゃ。
 またおいでなさい。

>>596 主体という概念を厭離しただけでは未だ無我による小悟なのじゃ。
 阿頼耶識そのものも観察して厭離しなければ真の悟りではないのじゃ。
 阿頼耶識はただ記憶に依存した認識である故に、自我が無くなれば容易に滅する事も出来るのじゃ。

>>598 それも気づきなのじゃ。
 
>>599 そうじゃ、一切の障害を滅して進むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>600 集中によって言葉とイメージを結びつける分別の働きが止まりかけたのじゃ。
 そのまま続けてよいのじゃ。
 自我の働きは無いのじゃ。

 瞑想中にはさまざまな怪異な現象なども現れるが、その一つ一つに意味は無いのじゃ。
 あっても無くても同じなのじゃ。
 瞑想中に現れる一つ一つの現象に囚われず、ただひたすらに集中すればサマーディは向こうから現れるものじゃ。
 それまで精進在るのみなのじゃ。

604鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/10(金) 21:18:56 ID:kaXJvxhM0
>>601 そうじゃ、自我は心の働きに投射される観念に過ぎないものじゃ。
 自我が投射されなければ苦しみさえも無に等しいものじゃ。
 始めから全てには何の問題も無いのじゃ。

>>602 記憶の種子の無い赤子の認識は悟りの認識に近いが、やはり薫習はあるものじゃ。
 阿頼耶識は分別と記憶による照合を行うのじゃ。
 それを行わないのが本来の認識なのじゃ。

 それも気付きの一つではあるがそのように気付くとは限らないのじゃ。
 認識が記憶に依存していると気付くこともあるじゃろう。
 気付きも言葉で限定されるものではないのじゃ。

 そうとも言えるのじゃ。
 しかし言葉で現されるような在りようではないのじゃ。

605避難民のマジレスさん:2014/01/10(金) 22:22:05 ID:LC3de7YgO
>>603
ありがとうございます。

ネットで調べてみました。↓
『唯識では,無始以来の人間の業は阿頼耶識にプールされ,その阿頼耶識が生死輪廻の主体となると考え,無我説に抵触することなく生死輪廻の機構を巧みに説明』・・・・と解説されていました。
唯識思想、阿頼耶識、輪廻という概念を用いずに、悟りを説明することは不可能でしょうか? 。

606避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 10:12:15 ID:aqEyZ8OU0
何日か前、食べ物の好き嫌いを観察したら原因が滅して以後は美味しく食べられるようになった
という書き込みがあったのですが、美味しく食べられるというのは観念では無いのですか?
美味しいという観念も五蘊・十二処・十八界の範疇で、当然縁起の法で滅せられるものですよね。

もの事をありのまま見るには自我を滅するしかないし、自我が無くなれば
全ての苦から解放されるのは理解できます。
ただそれと同時に、楽しい、嬉しい、美味しいなどの世間的にはポジティブと言われている観念も
全て消えてしまうのでは無いのですか?

ポジティブな観念も滅しないと悟りには至らないけど、ネガティブな観念だけを滅する為に
縁起の法を利用する事も出来るというなら、まあそれに越した事は無いし
ポジティブな観念もいずれは苦に変わる事に修行を続ければ気づくから、まずネガティブなものから
滅していったほうが理に適っているという事なんでしょうかね。

ただ悟ったら世界が輝いて見えるとか、素晴らしい世界が待っているなんて事もなく、
淡々と日々の生活を過ごしていくような気がするんですよね。
まあ苦しい事が無いだけで十分なんでしょうけど、過度に期待してる人も多いような気がします。
結局そういう期待が悟りを遠ざけるのでは無いのでしょうか。

607避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 12:37:14 ID:7rD9T5220
>>603 ありがとうございます。
瞑想中に起こったことは、瞑想中にはスルーできてましたが、
瞑想後に、あれこれ思考して囚われていました。
今後は瞑想後も気にしないようにしたいのですが、
一つだけ追加で質問をさせてください。
もしサマーディが現れれば、それは本人にはサマーディだと
分かりますか?

608避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 16:12:32 ID:PoOqi1b.0
鬼和尚、
観察と気づきとの関係について、教えてください。
観察によって何かを観ても、気づきが無い場合もありますか?
それとも、正しく観察すれば、必ず気づきがあるものでしょうか。
というのも、観察は能動的にできますが、気づきは他任せというか、
どこかからやってくるような感覚があります。

苦滅の法を試していて、成功した場合には、「そうか!」という
ような気づきが伴っていますが、何回か同じように対象を観察して、
それで初めて気づきが現れることもあるように思いましたので。

609避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 16:35:11 ID:Bwz0R3.60
古今亭志ん生 「怪談阿三の森」 - 55:05
http://www.youtube.com/watch?v=Cs_ac_K3VdU
古今亭志ん生 - 200件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=-0GVTduiPLE&amp;list=PLB43FE0867B789EFD

610避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 20:39:34 ID:wAZuhk5M0
悟りとは明確な理解のことではないでしょうか?

611鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/11(土) 20:46:07 ID:kaXJvxhM0
>>605 出来るじゃろう。
 阿頼耶識とは現代の言葉で言えば、記憶に依存した認識なのじゃ。
 それが記憶から自我という観念を創り上げるのじゃ。
 観念でしかない自我が苦の原因となるのじゃ。
 集中と観察によって自我を滅し、認識を記憶の依存から解き放てば真の悟りが得られるのじゃ。

>>606 それは観念ではなく感覚である事もあるじゃろう。
 体は本来健康に良いものを美味しく感じるものじゃ。
 味覚とはそのためのものともいえるのじゃ。
 今の肉体に合う物を美味しく感じ、害のあるもの不味く感じるというのじゃ。

>>607 必ず気づくじゃろう。
 我を忘れ、快が生じ、寂静が起こるのじゃ。
 光り輝く世界の真の姿が垣間見えて、自他の無い一切が一つの境涯を味わえるのじゃ。
 それによって死の恐れも無くなり、安心するじゃろう。

612鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/11(土) 21:09:02 ID:kaXJvxhM0
>>608 あるじゃろう。
 心に恐れがあって逃避して対象を本当に観察して居なかったり、自己同一化が強ければ気づきも起こらなかったりするのじゃ。
 原因が間違っていたり、複数あっても正しい気づきは起こらなかったりするのじゃ。
 常に集中して真摯に詳細に観察しなければいかんのじゃ。

>>610 違うのじゃ。
 理解や知識だけでは失う事も在るのじゃ。
 真の悟りとは観察による気づきによって自我を滅し、認識をも滅する事なのじゃ。
 それによる変容は本来の認識に回帰する事であり、永遠に戻る事は無いのじゃ。

613避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 21:29:11 ID:ZPFk8Jag0
サマーディってそのときだけのものなの?
例えば瞑想しているときにサマーディになって、瞑想終わって1時間後にはいつも通りになってた。とかもあるの?

614避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 21:38:15 ID:LC3de7YgO
>>611
ありがとうございます。
> 『阿頼耶識とは現代の言葉で言えば、記憶に依存した認識なのじゃ。
 それが記憶から自我という観念を創り上げるのじゃ。』
ここで仰られている 阿頼耶識とは、主体のない意識・・・「全体(あるいは宇宙)」の意識のようなものであり、その 「全体」の記憶に依存した「全体」の認識 であり且つ「部分」である「自我」も「阿頼耶識」を共有するという仮定を前提におくことにより、本来言葉にできない「悟り」を想像してみる…イメージをつかむ試みであるとの理解でよいのでしょうか?

615避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 21:48:20 ID:/3RaFYDk0
>>611
確かにそれだけのことが起これば、間違いなくサマーディに気づけそうですね。
懸案が解決しました。瞑想中も瞑想後も囚われず、精進します。
ありがとうございました。

616避難民のマジレスさん:2014/01/11(土) 21:56:59 ID:/3RaFYDk0
>>612
気づきが起こるまで、本心から逃げずに粘り強く、観察につとめ励みます。
ありがとうございました。

617避難民のマジレスさん:2014/01/12(日) 00:43:11 ID:Bwz0R3.60
無門関 第二則 百丈野狐

 百丈和尚、凡ソ参ノ次イデ、一老人アリ、常ニ衆ニ随ッテ法ヲ聴ク。
衆人退ケバ、老人モ亦退ク。
忽チ一日退カズ。
師遂ニ問フ、面前ニ立ツ者ハ、復タ是レ何人(ナンピト)ゾ。

 老人云ク、諾、某甲(ソレガシ)ハ非人ナリ、過去迦葉仏ノ時ニ於テ曾テ、此ノ山ニ住ス、因ミニ学人問フ、大修行底ノ人、還ッテ因果ニ落ツルヤ也タ無シヤ。
某甲対(コタ)ヘテ云ク、不落因果ト、五百生野狐身ニ堕ス。今請ウ和尚、一転語ヲ代ッテ、貴(タット)ムラクハ野狐ヲ脱セシメヨト。
遂ニ問フ、大修行底ノ人、還ッテ因果ニ落ツルヤ也タ無シヤ。

 師云ク、不昧因果。

 老人言下ニオイテ大悟、作礼シテ云ク、某甲已ニ野狐身ヲ脱シテ、山後ニ住在ス、敢テ和尚ニ告ス、乞フ亡僧ノ事礼ニ依レ。

 師、維那ヲシテ白槌(ビャクツイ)シテ衆ニ告ゲシム、食後ニ亡僧ヲ送ルト、大衆言議ス、一衆皆安シ、涅槃堂ニ又人ノ病ム無シ、何ガ故ゾ是ノ如クナルト。
食後ニ、只師ノ衆ヲ領シテ、山後ノ巖下ニ至リ、杖ヲ以ッテ一ノ死野狐ヲ跳出シテ、乃チ火葬ニ依ルヲ見ル。
師、晩ニ至ッテ上堂、前ノ因縁ヲ挙ス。

 黄蘗便(スナワ)チ問フ、古人錯マッテ一転語ヲ祇対シテ五百生野狐身ニ堕ス、転転錯ラズンバ合ニ箇ノ甚麼(ナニ)トカ作ルベキ。
師云ク、近前来、伊(カレ)ガ與ニ道ハン。

黄蘗遂ニ近前シテ、師、一掌ヲ與フ、師、手ヲ拍ッテ笑ッテ云ク、将ニ謂ヘリ胡鬚赤ト、更ニ赤鬚胡アリ。 』


 無門関 第二則 百丈野狐 

これは、色即是空は、空即是色と返す、と言っている。

618避難民のマジレスさん:2014/01/12(日) 09:46:26 ID:aqEyZ8OU0
>>611
だからその感覚も五蘊・十二処・十八界の範疇なのだから、悟りに至るためには
縁起の法で滅せられるものですよね。
それとも悟った後も美味しいとかそういう都合のいい感覚の方だけは残るという事ですかね。
都合のいいものだけを滅せられる素晴らしい法なんて有るとは思えないんですけど。

619避難民のマジレスさん:2014/01/12(日) 18:09:00 ID:wAZuhk5M0
サマーディの間は自我が忘れられるようですが、
その他の、感情や感覚や思考といったものも忘れられるのでしょうか?
それとも、それらの働きは一時的に機能しなくなるのでしょうか?
そして、サマーディの間に機能しているものは何なのですか?

ヨーガでは、サマーディに入って何日間も座ったままでいる人もいるようですが、
サマーディに入り、そのまま出られなくなるということはありますか?
それとも、サマーディに入ったり出たりするのは、意志によってコントロールできるのでしょうか?

620鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/12(日) 20:37:37 ID:kaXJvxhM0
>>613 そうじゃ、知識は増えるが認識はそのままなのじゃ。
 苦はそのまま残り、些細な事で怒ったり、悲しんだりするのじゃ。
 人によって元に戻る時間は違うがのう。

>>614 違うのじゃ。
 阿頼耶識は個人の記憶に依存しているのじゃ。
 それ故に人は自分が記憶している事しか認識できないのじゃ。
 阿頼耶識をも滅した後に真の悟りが得られるのじゃ。

 自我は記憶から起こる観念でしかないのじゃ。
 何かを共有したりは出来ないのじゃ。
 知覚対象に投射されているだけなのじゃ。

>>615 そうじゃ、精進するのじゃ。
 またおいでなさい。

621鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/12(日) 20:44:55 ID:kaXJvxhM0
>>616 どういたしまして、またおいでなさい。

>>618 感覚をそのように観察するのは、自我の投射から厭離させるためなのじゃ。
 感覚は認識と共に記憶に依存しなくなるだけで滅する事は無いのじゃ。
 悟った後も感覚はあるものじゃ。
 肉体によいものを食べさせれば肉体は喜び、うまいという認識を得るじゃろう。

>>619 思考などは止まるのじゃ。
 感情や感覚は残っているのじゃ。
 一時的に止まるだけなのじゃ。
 阿頼耶識は未だ機能しているのじゃ。

 インドではサマーディに入ったまま死んだ者が何人かいるというのじゃ。
 快が大きい故にそのまま帰りたくなくなるのじゃろう。
 意志や習慣によって出入りできるのじゃ。

622避難民のマジレスさん:2014/01/12(日) 22:15:39 ID:aqEyZ8OU0
>>621
なら肉体に悪いものを食べたら不味いという認識を得るって事ですよね。
ようするに感覚は消えないが、美味い不味いに囚われなく成るだけって事かな。
まあ私もそりゃあそうだと思いますけど、良薬口に苦しなんて言葉も有るくらいだから
体に良い物が美味いは限らないとも思いますよ。
ましてや観察で美味い不味いの味覚が変わるというのもおかしな話ですよね。

623避難民のマジレスさん:2014/01/13(月) 00:13:29 ID:LC3de7YgO
>>620
ありがとうございます。
歴史を振り返ってみると、ブッタもキリストも実践しただけで、何も書き残さず、宗教は実践者から影響を受けた人が、何とか伝えたいと切実に追求した結果結実し固定化したものかなと思いました。実践しない人が理解しようとすると思い切り違う方向に向かってしまうのかなと思いました。
座って、集中して、観察して、自分で経験することがすべてだと言い残してくれた先人に感謝したいと思いました。
ありがとうございますm(__)m

624避難民のマジレスさん:2014/01/13(月) 00:50:27 ID:wAZuhk5M0
610で質問した者です。
空の法も、”一切皆空”と理解するだけではただ知識を頭に入れただけであり、
実際に自我や認識を空と観想してはじめて悟りが訪れるということでしょうか?

625避難民のマジレスさん:2014/01/13(月) 16:59:46 ID:LC3de7YgO
>>620
やっと少し整理ができました。
阿頼耶識は個人の記憶に依存したものだけど、身体の一部が自分ではないように、阿頼耶識も自分ではない。「意識」と言った場合主体の存在を前提とするが、自我は記憶に依存した観念にすぎないので、阿頼耶識には「主体」という概念がそもそも無い。
そして自我が観念にすぎないものであることを体得するために止観の行を行う。という理解で良いのでしょうか?

626鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/13(月) 20:09:38 ID:kaXJvxhM0
>>622 体によい薬は苦くても体に合えば美味く感じるというのじゃ。
 味覚とは本来そのためにあるものじゃ。

>>623 そうじゃ、実践あるのみじゃ。

>>624 そうじゃ、知識や理解だけでは何も起こらないのじゃ。
 実践してこそ変容も訪れるのじゃ。
 法はそのためにあるのじゃ。

>>625 そのような理解で良いのじゃ。
 自我が主体であるという思い込みを持つ人間は、何を考えてもそこに主体を見出そうとするものじゃ。
 そのような人間には出世間の法を理解するのも難しいものじゃ。
 理解すれば次は実践あるのみなのじゃ。

627避難民のマジレスさん:2014/01/13(月) 20:46:45 ID:LC3de7YgO
>>626
ありがとうございますm(__)m
ここのところ、呼吸だけでなく、音、皮膚感覚等全ての感覚に気付き続けるようにして座っておりましたが、昨日からまた呼吸への集中を再開したところ、数ヶ月振りに腹部の熱感が復活しました。この熱感を育てて意念で頭まで持ち上げてみたいと思います。

628避難民のマジレスさん:2014/01/13(月) 20:54:24 ID:aqEyZ8OU0
>>626
それは個人の嗜好の問題で、甘いのが好きな人も居れば辛いが好きな人も居るって
いうのと同じものだと思うけど。
それだと体に良いと思えば美味しく感じるという思い込みもかなり入るんじゃないですかね。

味覚とは本来そのためにあるというのは、鬼和尚がいうような事ではなく
腐ったものは酸っぱい味がするとか、そういう生命の危険を
回避するために有るとかでしょ。

苦いものは苦いと感じる感覚が残るというのは納得出来ますが、苦くても体に合えば
美味く感じるというのは、それこそ体に依存した認識が残るって事ですよね。

629避難民のマジレスさん:2014/01/13(月) 21:57:06 ID:Bwz0R3.60
落語 - 110件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=92lXQTR_xsA&amp;list=PL77EB63B593F329E9

630鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/14(火) 19:50:01 ID:kaXJvxhM0
>>627 そうじゃ、実践あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>628 普段は苦くて嫌なのに病気になるとその苦味が快く感じるのじゃ。
 肉体が自らに良いものを美味として感じるのじゃ。
 動物なども病気になると普段食べない草とか泥を食べたりするのじゃ。
 体を善くする成分のあるものを美味と感じるからなのじゃ。
 体に悪いものを退け、体に良いものを美味として取り入れるようにするのが感覚の本来の役割なのじゃ。

631避難民のマジレスさん:2014/01/14(火) 19:58:51 ID:wH0JIS760
鬼和尚、
集中の瞑想における、集中と快について、お聞きしたいことがあります。
姿勢を修正することで、快が強まったり、集中が深まりやすくなったり
しますが、快の強まりと集中の深まりとが必ずしも一致しないことが
あるように思います。

例えば、腰と下腹の力を強めれば、快は増しますが、強めすぎると
体が不自然になり、集中が深まりにくいような感覚があります。

もしかしたら、慣れてくると腰と下腹に強い力を入れ続けた方が
より深い集中ができるのかと思いつつも、集中と快のどちらを
優先したら良いのかが分かりません。何か助言をいただけますと
ありがたいです。

632避難民のマジレスさん:2014/01/14(火) 21:46:49 ID:aqEyZ8OU0
>>630
それは体調で味覚が変化したって事でしょ。
観察で原因を滅したから美味しく感じるようになったというのとは全然違いますよね。

633避難民のマジレスさん:2014/01/14(火) 22:43:45 ID:LC3de7YgO
>>630
記憶に依存した観念にすぎない自我を滅し、認識を滅しても、感覚がなくなるわけではなく、それが記憶に依存したものではなくなるということですね。例えば味覚であれば、体に良いものを美味しく感じる。
要は、記憶に依存しているかいないかの違いが大であるということですね。

634避難民のマジレスさん:2014/01/15(水) 18:49:38 ID:wAZuhk5M0
理解と気づきは異なるものでしょうか?
気づきとは確信のようなものでしょうか?

635鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/15(水) 20:32:00 ID:kaXJvxhM0
>>631 そのような快は本来サマーディに達するためのものなのじゃ。
 呼吸ではなく、その快に集中するが良いのじゃ。
 下腹に力を入れて頭の中心にある快に意識を集中するのじゃ。
 慣れれば下腹全体ではなく、腰と外腹斜筋のみに力をいれて楽に丹田に力を加える事が出来るのじゃ。
 快をどこまでも強めていけば自然に忘我に入るのじゃ。

 観察もその快があることを観察してみるのじゃ。
 快が厭離出来れば更に進歩するじゃろう。

>>632 おぬしが前レスで個人の嗜好で苦味が美味いと感じると書いたから、病を得ると苦いものも美味いと感じると書いたのじゃ。
 何かの観念に囚われて体に良いものを不味いと感じられたならば、その観念が無くなれば美味いと感じる事もあるのじゃ。

 おぬしは美味いというのが観念であるという考えに囚われているようじゃ。
 苦味とか辛味とかの味覚の中に旨味というのもあるのじゃ。
 それを研究して実現したのが味の素のような調味料なのじゃ。
 体を造るたんぱく質の原料であるアミノ酸が美味いと感じるのは肉体が必要としているからなのじゃ。
 もし美味いという味覚が観念のみであるという考えに囚われていたら、 それを見つけることは出来なかったじゃろう。
 
>>633 そうじゃ、感覚はあるのじゃ。
 観念が無ければ感覚も本来の役割に還り、体に良いものを美味いと感じるのじゃ。
 それが感覚による智慧なのじゃ。

636鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/15(水) 20:38:48 ID:kaXJvxhM0
>>634 理解は気づきとは違うのじゃ。
 確信とも違うのじゃ。
 
 気づきとは物事に投射された観念を取り除き、本当のありようを観る事なのじゃ。
 例えば道に蛇が居るから通れないと思っていて、近寄ってよく観たら古い縄だったと知るのが気づきなのじゃ。
 間違った観念を正しく観察して取り除くのが気づきと言えるのじゃ。
 
 知らなかった事をただ理解するのは、間違った観念を取り除いたのではないから気づきではないのじゃ。
 確信は真実に辿り着いても居ないのであるから気づきではないのじゃ。

637避難民のマジレスさん:2014/01/15(水) 21:04:57 ID:aqEyZ8OU0
>>635
好き嫌いの原因を滅したからって、その食べ物が体に良い物に変化するわけじゃ無いでしょう。
それとも原因を滅したら体調が悪くなって美味しく感じるようになったとでも言うのですか?

そもそも不味いと思っていたものが、体にいいものだったどうかも分からないのだから
体にいいものは美味しく感じるという、鬼和尚の説明は的外れでしょう。

638避難民のマジレスさん:2014/01/15(水) 23:47:31 ID:Bwz0R3.60
米朝 『地獄八景亡者戯』  1/3 - 24:57
http://www.youtube.com/watch?v=H2Ym-lPWE60
米朝 『地獄八景亡者戯』  2/3 - 20:10
http://www.youtube.com/watch?v=7ZIasACMapY
.米朝 『地獄八景亡者戯』  3/3  - 22:49
http://www.youtube.com/watch?v=JEY4HhmkfCA
桂吉朝 「地獄八景亡者戯 」 - 1:14:56
http://www.youtube.com/watch?v=Eq8IQP7Q-NI
.桂枝雀 Shijaku Katsura 地獄八景亡者戯 1/2 - 29:11
http://www.youtube.com/watch?v=HZRVw08WZV8
桂枝雀 Shijaku Katsura 地獄八景亡者戯 2/2 - 41:48
http://www.youtube.com/watch?v=nG0rl0oOF7Q

639避難民のマジレスさん:2014/01/16(木) 01:20:27 ID:Bwz0R3.60
.初代 桂歌丸『牡丹燈篭-栗橋宿』-rakugo- .52:48
http://www.youtube.com/watch?v=DLtt9JvWwV4
怪談 牡丹灯籠 1/4 お露と新三郎 三遊亭圓生(六代目) - 1:04:02
http://www.youtube.com/watch?v=OSi9e42XiBg
.怪談 牡丹灯籠 2/4 御札はがし 三遊亭圓生(六代目) - 50:22
http://www.youtube.com/watch?v=GF9sMszJ8FU
.怪談 牡丹灯籠 3/4 おみね殺し 三遊亭圓生(六代目) - 39:51
http://www.youtube.com/watch?v=3bV0R39mfxU
怪談 牡丹灯籠 4/4 栗橋宿 三遊亭圓生(六代目) - 44:58
http://www.youtube.com/watch?v=NHrE2ma-l2w
真景累ヶ淵 No1 宗悦殺し 三遊亭圓生(六代目) - 1:06:06
http://www.youtube.com/watch?v=Vx-ue0qkYII
真景累ヶ淵 No2 深見新五郎 三遊亭圓生(六代目) - 58:33
http://www.youtube.com/watch?v=CSDroBu0hQU
真景累ヶ淵 No3 豊志賀の死 三遊亭圓生(六代目) - 1:08:32
http://www.youtube.com/watch?v=AAzCt9ALWZk
真景累ヶ淵 No4 お久殺し 三遊亭圓生(六代目) - 1:04:49
http://www.youtube.com/watch?v=l7JtfwsiNVM
.真景累ヶ淵 No5 お累の婚礼 三遊亭圓生(六代目) - 1:04:49
http://www.youtube.com/watch?v=nB_trZ3TLGc
真景累ヶ淵 No6 勘蔵の死 三遊亭圓生(六代目) - 1:15:09
http://www.youtube.com/watch?v=lOFd87Rk9c4
真景累ヶ淵 No7 お累の自害 三遊亭圓生(六代目) - 1:00:54
http://www.youtube.com/watch?v=cOL3hba7x3A
怪談 牡丹灯籠 1/4 お露と新三郎 三遊亭圓生(六代目) - 1:04:02
http://www.youtube.com/watch?v=OSi9e42XiBg
怪談 牡丹灯籠 2/4 御札はがし 三遊亭圓生(六代目) - 50:22
http://www.youtube.com/watch?v=GF9sMszJ8FU
.怪談 牡丹灯籠 3/4 おみね殺し 三遊亭圓生(六代目) - 39:51
http://www.youtube.com/watch?v=3bV0R39mfxU
怪談 牡丹灯籠 4/4 栗橋宿 三遊亭圓生(六代目) - 44:57
http://www.youtube.com/watch?v=NHrE2ma-l2w

640避難民のマジレスさん:2014/01/16(木) 07:33:02 ID:byGhGyc60
>>635
>>631 私のサマーディの理解が間違っていたようです。
対象のあるサマーディは、心の集中によって対象と一体化することで
忘我を実現するものであり、気が上丹田に上昇することによる快は
二次的なものと理解していました。

正しくは、サマーディに達するためにはむしろ気の上昇が主で、心の集中が従
ということでしょうか?
それとも、気の上昇と心の集中は互いに補い合う関係で、サマーディには両方が
同時に必要ということでしょうか?

いずれにしても、大変貴重な実践の助言をしていただき、ありがとうございます。
快に集中して瞑想を実践してみます。
また、快の厭離もその次の目標として、やってみようと思います。

641避難民のマジレスさん:2014/01/16(木) 16:09:50 ID:Bwz0R3.60
般若心経の現代語訳が素晴らし過ぎた件 - 3:32
http://www.youtube.com/watch?v=QQBy1LA1uIU
般若心経. 現代語訳 - 5:29
http://www.youtube.com/watch?v=E_SgUM2NhM0
般若心経 「超訳」 - 5:35
http://www.youtube.com/watch?v=fAqqpMnbmp0
.般若心経清新版 - 7:30
http://www.youtube.com/watch?v=5VKSZArL9UE
.15_0 宇宙論における般若心経研究 - 26:25
http://www.youtube.com/watch?v=kIKR1UUtxKE
.般若心経 Heart Sutra 〜サンスクリット、チベット、アジア各国言語チャンティング - 9:44
http://www.youtube.com/watch?v=hi5TrWNw7gQ
般若心経 Heart Sutra - 37本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=WCIFo6zPf2Y&amp;list=RDhi5TrWNw7gQ
般若心経 - 47本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=UjxlmPOoDzE&amp;list=RDEB-bYJoqvQQ
.般若心経 Heart Sutra - 49本の動画
http://www.youtube.com/watch?v=hi5TrWNw7gQ&amp;list=RDWCIFo6zPf2Y.
.瀬戸内寂聴 - 『般若心経』とは - 29:07
http://www.youtube.com/watch?v=Q-rbuvDb3bw
.12分で分かる!「般若心経」 - 12:47
http://www.youtube.com/watch?v=SiduypCL9NA
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ - 5:36
http://www.youtube.com/watch?v=EB-bYJoqvQQ
.sm12037793 - 【halyosy】「般若心経R&B」を歌ってみた【アレンジ】 - 2:44
http://www.youtube.com/watch?v=dedRPzy9R2I
般若心経RAP / AMIDA - 49件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=HVJELGsO7YM&amp;list=RDaV6VyvAHOdg
般若心経 - 33件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=TPsYd7EXJOU&amp;list=PL4B675F032CA31732
仏教の本質 哲学者「中村元」 - 8:48
http://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg..

642避難民のマジレスさん:2014/01/16(木) 16:47:59 ID:NpBkhqbI0
悟りよりもまず、世間を生きる知恵と行動力が欲しい。

643避難民のマジレスさん:2014/01/16(木) 17:46:10 ID:wAZuhk5M0
サマーディに入りながら日常生活を送ることは可能でしょうか?
それともこの2つは両立しないものですか?

644鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/16(木) 19:42:52 ID:kaXJvxhM0
>>637  何かの観念に囚われて体に良いものを不味いと感じていたならば、その観念が無くなれば美味いと感じる事もあるのじゃ。
 観念を厭離して何かが美味く感じられたのならば、それはもともと体に良いものを観念に因って不味いと思っていたからであるという推測が出来るのじゃ。
 
>>640 そうじゃ、サマーディの必要条件は正しい姿勢による気の上昇なのじゃ。
 集中するのは丹田以外の全身の力を抜き、その条件を満たす姿勢をつくり出すためなのじゃ。
 世の中には集中行を行わず、姿勢だけでサマーディにまで到達した者も居るのじゃ。
 集中もその後のエネルギーのコントロール等に必要であるがのう。
 何でも試して見たら良いのじゃ。

>>643 出来るのじゃ。
 むしろ効率よく出来るようになるのじゃ。
 武道とか茶道とかの道は、そのようなサマーディによる究極の動作を求めて行うものじゃ。
 サマーディによって自我が忘れられていれば、肉体は観念に囚われない働きが出来るからなのじゃ。

645避難民のマジレスさん:2014/01/16(木) 20:34:13 ID:aqEyZ8OU0
>>644
ようするに嫌いな原因を滅したその食べ物が“たまたま”その人の体に良い物だった
というだけであって、好き嫌いの原因を滅したから美味しく感じられた訳では無く
体に良いものだったから美味しく感じるようになったという事でしょ。

観察で嫌いな原因を滅した食べ物が、元々体に良くも悪くも無いものなら
美味しいとも不味いとも感じないし、甘いものは甘い、辛いものは辛いという
一次的な味だけを感じるはずで、その次に起こる美味い、不味いという感覚は
二次的な認識の要素が働くはずですよね。

ですからやはり、観察で嫌いな原因を滅したからといって、食べ物が美味くなったり
不味くなったりするのはおかしいし、観念の働きによるものなんじゃ無いですか。

646避難民のマジレスさん:2014/01/16(木) 20:52:27 ID:4Pp0TD2o0
>>644
快に集中して瞑想をしてみました。
はじめ座ったばかりの時は快の感覚が弱く、上手に集中できなかったので、数息観に切り替えました。
集中が深まり、姿勢を調整すると快が強くなってきたので、そこからは快に集中しました。
気が遠くなるような感覚の中で、頭の中がジンジンして、視界が白で覆われるような
感覚を観察しましたが、それに囚われてしまい、そこで止まってしまいました。
かなり良い感じなので、この行を続けてみようと思います。

また、姿勢がとても重要ということで、普段から背骨が立っているかどうか観察する
習慣をつけようと思います。普通に立っている時でも、姿勢が整うと微妙に快の感覚が
生じるようです。
おかげさまで、集中の行をさらに進めるヒントがいただけました。ありがとうございました。

647避難民のマジレスさん:2014/01/16(木) 22:01:22 ID:Bwz0R3.60
.「タイで修行、おもろい坊主」1 - 8:51
http://www.youtube.com/watch?v=0VeDLg4DvLA
.「タイで修行、おもろい坊主」2 - 9:56
http://www.youtube.com/watch?v=h-oyYSdY4vI
ヴィパッサナー瞑想の勧め。オモロイ坊主の「楽になる生き方3」 - 1:59
http://www.youtube.com/watch?v=BLjWcBIWw6I
.ヴィパッサナー瞑想&歩く瞑想。オモロイ坊主の「楽になる生き方4」 - 3:24
http://www.youtube.com/watch?v=8j-h64b9rq4
.スマナサーラ長老「悟りを開く瞑想について」 - 29:30
http://www.youtube.com/watch?v=SiqcshhHDJs
「手放すことが生きること」スマナサーラ長老との対話(2012年12 - 1;20:52
http://www.youtube.com/watch?v=xL37dMGnF9E
タイの仏教 b- 48:59
http://www.youtube.com/watch?v=ov20xbOFWFo
インド不可触民を救う日本人仏教指導者_佐々井秀嶺 - 47:53
http://www.youtube.com/watch?v=e9cAD06EXcw
親日国インド、日本を味方にして中国に対抗 - 107件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=-sVYoIeHoaQ&amp;list=PL573D8C8444BF2A38
親日国 台湾 タイ インド ベトナム 他 - 58件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Nnvnrf23h2Q&amp;list=PLE4D61955F91CA71F
日本と親日国のいい話 - 15件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=-glmyOXyuII&amp;list=PL69590755C80FE360
親日国との歴史 - 35件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=GcXTY5BkOTY&amp;list=PL3931BA8F965A38AE

648避難民のマジレスさん:2014/01/17(金) 03:45:12 ID:wAZuhk5M0
自我が忘れられる=行為者としての感覚がなくなる、でしょうか?

649避難民のマジレスさん:2014/01/17(金) 08:56:15 ID:WL2yRwjAO
うまいまずいの議論中ですが
例えば若い男にとって若い女の人が美しく感じるのは
若い女を身体に良いものだと若い男の身体が認識しているからでしょうか
若くない女を嫌うのは身体に悪いと男の身体が反応するからでしょうか
だとすると色欲は単なる観念とは言えないと言うことでしょうか

650避難民のマジレスさん:2014/01/17(金) 16:08:52 ID:zz3du5Nk0
>>644 集中もその後のエネルギーのコントロール等に必要であるがのう。

サマーディの後のエネルギーのコントロール等とは何でしょうか?
もう少し詳しく教えてください。

651鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/17(金) 19:53:23 ID:kaXJvxhM0
>>645 わしはすでに言葉で美味いという一次的な感覚もあると書いたのじゃ。
 美味いという感覚が観念ではないと理解出来ないのならば観察してみると良いのじゃ。
 観察によって観念からの囚われが無くなるのじゃ。

>>646 どういたしまして、またおいでなさい。

>>648 そうじゃ。
 行為は行為者が居ないときに最も上手くできるのじゃ。
 行為者により、自分は弱いとか下手だとか恐いとかの行為の障害になる観念がもたらされるからなのじゃ。
 行為者が居なければそのような観念は無く、行為に専念できるからなのじゃ。
 
>>649 そうじゃ。
 それも本能じゃろう。
 元気な子供を作る女子を本能が求めるのじゃ。

>>650 エネルギーをコントロールしないと不眠とか食欲の暴走等に悩まされるのじゃ。
 熱が頭にばかり篭もると白隠のように病気になったりするのじゃ。
 熱を下げるために集中による気のコントロールが必要なのじゃ。
 インドでは七つのチャクラに集中したりするのじゃ。
 胸に五つの元素をイメージする法もあるのじゃ。
 やはり集中が大事なのじゃ。

652避難民のマジレスさん:2014/01/17(金) 20:27:06 ID:wH0JIS760
>>651
なるほど、頭に上がったエネルギーを下ろすのに
集中が必要となるのですね。

私はこれまで、止観と苦滅のみを行ってきましたが、
気を上げたり下げたりする訓練もしておいたほうが良いでしょうか?
クンダリニーヨーガや気功のように、意識的に気を上げる
方法は、師がいないと危険が大きいと判断し、興味がありつつも
これまでは試していませんでした。

653避難民のマジレスさん:2014/01/17(金) 23:59:21 ID:x3qGKFVU0
>>651
美味いが一次的な感覚というのは分かったと言ってるでしょ。
だから今回は原因を滅した食べ物が“たまたま”肉体に良いものだったから
美味しく感じただけだと言ってるんですよ。

私がずっと言ってるのは、嫌いな原因を滅しても食べ物が美味くなったりしない
という事でしょ。
鬼和尚の言うとおりでも、嫌いな原因を滅した食べ物が体に悪いのなら不味く感じるだろうしし、
結局それは体に良いとか悪いとか二次的な要素が加わるから、そう感じるんでしょ。

だから舌自体がそれを一次的な感覚で感じるのだとしても、それは原因を滅したからでは無く
食べ物自体が体に良かったり悪かったりするからそう感じるだけで
好き嫌いの観念を滅したからそう感じる訳では無いと言ってるんですよ。

何回同じ説明すれば良いんですか?
なんかわざとシラバックレてません?

654避難民のマジレスさん:2014/01/18(土) 07:13:11 ID:LTUvvDAY0
鬼和尚のような悟った方は、常にサマーディに入っているのでしょうか?

655避難民のマジレスさん:2014/01/18(土) 07:15:11 ID:LTUvvDAY0
「無住心」について釈義していただけませんか?

656そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/18(土) 11:53:29 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
悟っていなくても、瞑想中でなくても、普段の行いで自我の投射のないことが持続することはあり得るのでしょうか。

657そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/18(土) 11:59:06 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
自分のある行いが、自我の投射によるものなのか、それとも自他不二によるものなのか、どちらなのか自分でわかるのでしょうか。

658そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/18(土) 13:06:38 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
自分のある行いを仮に自他不二によるものとするならば、その姿は「激高」していると表現していいと思います。
それでもどこかで自制している感があります。
自制を緩めれば、鬼のようになりそうです。
しかし、何かを破壊するでしょうが、傷つけることはないかもしれません。

659避難民のマジレスさん:2014/01/18(土) 17:47:50 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚
たまに、ひどく疲れたときなど、夢なのか現なのかわからない現象があらわれることがあります。
ダイヤブロックの人形のような細かい動物や人や建物がワーッと目の前に現れて消えたりとか
見たこともない外国の町が見えたりします。これらは脳が生み出した幻覚なのでしょうか?
それとも非物理的な、異世界のような場所なのでしょうか?

660避難民のマジレスさん:2014/01/18(土) 19:47:32 ID:bMXO5xH.0
余り思考を挟まないで直観で行動する方が知恵に近いですか?

661避難民のマジレスさん:2014/01/18(土) 19:49:20 ID:WL2yRwjAO
サマーディの状態で日常を送る心得のようなものがあれば教えてください。

662鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/18(土) 20:46:49 ID:kaXJvxhM0
>>652 座禅だけしていても百隠のように頭に気が上る事もあるのじゃ。
 出来れば気をコントロールする法を知っていたほうが良いのじゃ。
 そうすれば気が頭に上っても慌てることなく対応できるのじゃ。
 
>>653 まだわかっていないのじゃ。むしろ混乱しているのじゃ。
 おぬしは「今回は原因を滅した食べ物が“たまたま”肉体に良いものだったから
美味しく感じただけだと言ってるんですよ。」と確かに書いている。

 そして直ぐに「私がずっと言ってるのは、嫌いな原因を滅しても食べ物が美味くなったりしない
という事でしょ。」と書いておる。
 食べ物がたまたま体に良いものだったから、嫌いな原因を滅したら美味く感じられたとしても、それは嫌いな原因を滅したから食べ物が美味く感じられたと言う事じゃろう。
 おぬしはたまたまでも嫌いな原因を滅したら食べ物が美味しく感じられ事を認めておる。
 そして直ぐに否定しておる。
 観察によって混乱を離れるのじゃ。
 
 >>654 入っていないのじゃ。
 日常が混乱するからのう。
 仮にでも自我が無ければ、会話も出来ないのじゃ。

663避難民のマジレスさん:2014/01/18(土) 20:54:29 ID:x3qGKFVU0
>>662
だから違うって。
観察で原因を滅した食べ物が体に良いものじゃ無かったら美味しくは感じないんだろ。
なら観察で原因を滅しても全ての食物が美味しく感じる訳じゃないとずっと言ってるんだよ。
本当にいい加減にしろよ。
あんた分かっててわざとやってるだろう。

664鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/18(土) 21:08:57 ID:kaXJvxhM0
>>655 それは金剛経の言葉じゃな。
 前の文から訳すとこのようになるのじゃ。

 まさに色に住して心を生じてはならない。
 まさに声香味触法に住して心を生じてはならない。
 まさに住する所無き心を生ずべし。

 五感から心に浮かぶ観念にまで、何ものにも囚われない心を生じさせよと言う意味なのじゃ。
 六つの感覚に囚われない心とは、もはや無念無想に等しい心なのじゃ。
 そのようにまでなればサマーディにも近く、体も自在に動くのじゃ。

 心は本来、五感と心の働きである観念に住し、囚われ易いものじゃ。
 心が形に囚われれば形によって苦を受け、形による制約を受ける。
 そのように五感も同じであり、観念に心が囚われればやはり観念に因って苦を受け、観念による制約を受けるじゃろう。

 心が六感に囚われなければ六感による苦を受けず、その制約を受ける事もないのじゃ。
 そのように何ものにも囚われない心が無住心と呼ばれるのじゃ。

665鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/18(土) 22:14:01 ID:kaXJvxhM0
>>656 あるじゃろう。
 我を忘れて行動するというのがそうなのじゃ。
 スポーツでも緊急時でもありえるのじゃ。

>>657 わかるのじゃ。
 我と言う観念が無ければ気づくのじゃ。

>>658 自制があればまだ自我はあるじゃろう。
 分裂しているようではあるがのう。
 
>>659 認識する全ては心が作り出した幻影なのじゃ。
 おぬしの心の現れと同じ数だけ異世界はあり、幻想もあるじゃろう。
 これは幻想であり、あれは異世界であると言う秩序のない姿が本来のありように近いのじゃ。

>>660 そうかもしれん。
 直感智という智慧もあるのじゃ。
 しかしちゃんと考えて正しいかどうか判別しなければいかんのじゃ。

>>661 姿勢を正しくするのじゃ。
 骨盤を垂直にして下腹に力が自然に入るようにすると気が頭に上るじゃろう。
 後は自然な体の動きに任せるのじゃ。

666避難民のマジレスさん:2014/01/18(土) 22:28:58 ID:P.PEnNUg0
>>662 ありがとうございます。
気を下げる法に関しては、滝を浴びているとイメージする方法、
薬が体の中を下りていくとイメージする方法、胸式呼吸
を鬼和尚は他の場所で説いてくださっておりますが、
他に気を感知するコツや、気をコントロールする法で
良いものがありましたら、お教えください。

667そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/18(土) 23:14:39 ID:cAZcWhe20
>>665

>我を忘れて行動するというのがそうなのじゃ。
> スポーツでも緊急時でもありえるのじゃ。
一時的ではなく継続することはあり得るのでしょうか。

>>>657 わかるのじゃ。
> 我と言う観念が無ければ気づくのじゃ。
本当に気付いたのか、それとも、気付いたということが自我の投射によるものなのか、自分でわかるでしょうか。

>>>658 自制があればまだ自我はあるじゃろう。
鬼のような自他不二でも構わないでしょうか。

> 分裂しているようではあるがのう。
何が言いたいのかわかりません。
別の表現をしてもらえませんか。

668避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 07:48:58 ID:NpBkhqbI0
>>660 そうかもしれん。
 直感智という智慧もあるのじゃ。
 しかしちゃんと考えて正しいかどうか判別しなければいかんのじゃ

なるほど。ただ、鬼和尚さんは、普段、思考というものは過去の記憶の反応に過ぎないということをおっしゃっていたかと思います。
クリシュナムルティさんも、思考から時間が生まれ恐怖が生まれ、恐怖から逃避が生じ、あらゆる悲惨が生まれると思考というものをネガティブにとらえていたように思います。
そして、おっしゃる通りで、何かしようとするときに、私は思考がアイデンティティのために、考えてから行動することが多いのですが、考えると、過去の経験に照らし合わせて「やめて置こう」とか
消極的な結論に陥ることが非常に多いです。一方、観察は現在なので、過去に犬にかまれた経験があっても、目の前にいるのがチワワであると認識すれば怖がる必要はないように、時宜に応じた適切な行動が取りやすいのかなと思い
余り思考を挟まず、まぁ、直観も過去の記憶から生じるのですが、行動する方が良い結果が生まれやすいかなと思い、質問しました。

669避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 09:59:41 ID:NpBkhqbI0
これは知識や経験から生じてくる結論であり、それこそ疑わしいかもしれません。
智慧とは、正しく見ることから生じるのではないでしょうか?
対象が、縄か蛇かわからないで取る行動は、それが妥当なものであったとしても、それはまぐれあたりです。
しかし、それが縄ならば、拾って工具箱にでも入れるかもしれないし、それが蛇、それも毒蛇ならば、近寄らないでしょう。
しかしもし、人が、目の前のものを観察せず、「毒蛇注意」という看板を、百メートル前で見た、記憶から、夜道に落ちている縄を見るならば、それは蛇にしか見えず、恐怖し、悲鳴を上げ、助けを呼ぶかもしれません。
つまり、正しい観察によって付随的に生じる思考こそが智慧と呼ばれるべきではないでしょうか?
であれば、我々が何をするべきかというと、日常生活においても、瞑想中であろうが、いかなる時にでも、物事をよく見ることから始める必要があるのではないでしょうか?
我々は、あれをせよこれがいいといわれると混乱してしまいます。
もっとも、重要なこと、無知や混乱からの「救い」の必要十分条件を述べよというのであれば、正しく物事を見ること、ではないでしょうか?

670避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 10:12:18 ID:NpBkhqbI0
余談ですが
先ほど、縄か蛇かという話をしましたが、縄か蛇かと判断するのも、実は知識や経験によるものですね。
これは縄、これは蛇、縄は安全、蛇は危険という知識に基づいて行動しています。
正しく観察しているつもりでも、その観察自体が、実は、知識による条件反射的観念であると。
多くの場合、実体ではなく、知識を見ているわけですね。
「あそこにいるのは花子だな」これも、花子という知識から生じる認識です。これも虚構であり、実体ではない。
しかし、そこまで認識を解体していくと、日常生活を送る上では不便なので、我々は、知識の基盤にのっとって、生活をしています。
つまり我々が見ているのは、実体ではなく、知識であり、どんな即物的な人間ですら、観念的に生活しているわけです。
究極的には、観察を純化していけば、「そこに本がある」ではなく、「そこに白と青の色で囲まれた一定の厚みのあるスペースがある。それは本と呼ばれているものである
ように私には見える」というような認識になってきますね。
一言でいうと「色即是空」ですが。

671そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/19(日) 14:37:38 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
自我があるとかないとか、ということと、自我の投射があるとかないとか、ということは違うのでしょうか。
違うならば、どう違うのでしょうか。

672避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 17:02:38 ID:NpBkhqbI0
もし、何かが存在するという観念が生じた場合
ああ、何かがあるという観念が生じているなぁと淡々と観察し続けることで、解脱に到達するものでしょうか。

673避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 17:10:33 ID:NpBkhqbI0
金剛法の論理や目的はわかるけれど、その意味が知的にわかるだけでは悟れないですよね。
具体的実際的に、目の前に、リンゴが現れたとき、どのように金剛経を活用するればいいのでしょうか
これは、リンゴではない、しかしリンゴでないということもないと、念仏のように唱えるのでしょうか?

674避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 17:46:03 ID:3qg6l7MU0
こんにちわ
先月和尚様のブログで心の病(神経症)で相談させて頂いた者です
瞑想で症状を悪化させてしまったことについて今すぐ瞑想を辞めるべきとのアドバイスを頂ましたが
辞めてしまっても今の症状にとても耐えられません(一週間止めていますが症状自体酷過ぎるのです)、どうしたらいいでしょうか?

675避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 18:14:17 ID:3qg6l7MU0
鬼和尚に会うことはできますか?
今の症状は信じられない程に酷いですが心の状態を観て頂きたいのです

676鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/19(日) 20:17:11 ID:kaXJvxhM0
>>663 おぬしは今まで自分が書いたレスを観察し、「全ての食物が美味しく感じる訳じゃない」と書いてある文章を見つけてみるのじゃ。
 自分では言っていないことを言っていると思っているだけかもしれん。

>>666 気とは本来様々なエネルギーなのじゃ。
 熱でも磁力のようなものでもみんな気と呼ぶのじゃ。
 熱や体が重くなったり痺れるような感覚があれば全て気がたまっているからなのじゃ。
 頭にそのように気がたまっていれば不眠にもなるのじゃ。
 気を下ろす法を行ってそのような感覚が無くなれば気が下がったのじゃ。

>>667 通常は一時期が過ぎれば止まるのじゃ。
 自我が思い出されてくるからのう。

 わかるのじゃ。
 自分と言う観念が無い状態は人にとっては特殊な状態なのじゃ。
 普段と同じ感覚しかないのならば、サマーディには入っていないのじゃ。

 怒りや何かの原因で激高しているのならばいかんのじゃ。
 自制しているものがあればそれが普通は自我なのじゃ。
 何かの原因で変成意識状態になり、自制しているものと激高しているものの二つの意識があるように感じるならば分裂しているのじゃ。

677鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/19(日) 20:28:10 ID:kaXJvxhM0
>>668->>670 そうじゃ、何でも試してみると良いのじゃ。
 実践が全てじゃ。

>>671 違うのじゃ。
 事実に沿って言えば、悟った者も悟っていない者も自我が無い事は、単なる事実なのじゃ。
 悟っていない者には自我の投射がされているのも事実なのじゃ。
 自我の投射が無いのが悟った者なのじゃ。
 
>>672 その観察が自我にまで行われれば解脱に到達するじゃろう。
 観察の対象は自己でなければいかんのじゃ。
 さまざまな観念を観るのはそのための準備でしかないのじゃ。

>>673 そうじゃ、そのように唱えたり、観想してみたりするのじゃ。
 さまざまなものに投射された観念が厭離されるのがわかるじゃろう。
 人の認識も習慣によって行われている故に何度も繰り返すことで認識も変えられるのじゃ。

678避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 20:30:46 ID:x3qGKFVU0
>>676
だから初めの頃はともかくとして、一次的な感覚として美味というのが有ると
認めてからは、そう書いてなくてもそれが言いたかったんですよ。
鬼和尚は結構曲解することが多いから、どう言えばちゃんと伝わるか
あれこれ考えながら書いたんだけど、それが余計伝わりにくかったみたいだね。

で、観察によって嫌いな原因を滅しても、全ての食物が美味く成るわけじゃない
というのには同意するんですよね。

679鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/19(日) 20:33:10 ID:kaXJvxhM0
>>674 先ずはその苦を観察してみるのじゃ。
 それは悲しみであるのか、不安や恐れであるのか、過去の記憶であるのかはっきりと観察して明らかにするのじゃ。
 それが出来れば半分は苦が消えるじゃろう。
 それがさまざまな苦を滅する第一歩なのじゃ。

>>675 わしに会っても苦はなくならないのじゃ。
 しかしわしに会わなくとも苦は消せるのじゃ。
 おぬし自身が己の苦を観察すれば、苦は消えるのじゃ。
 おぬしを救えるのはおぬしだけなのじゃ。

680避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 20:54:27 ID:3qg6l7MU0
>>679
ありがとうございます

681そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/19(日) 20:56:20 ID:cAZcWhe20
>>676
>怒りや何かの原因で激高しているのならばいかんのじゃ。
> 自制しているものがあればそれが普通は自我なのじゃ。
> 何かの原因で変成意識状態になり、自制しているものと激高しているものの二つの意識があるように感じるならば分裂しているのじゃ

普段の冷静な時の方が自制が強く、すなわち自我があると言えるかもしれません。
しかし自他不二から遠いかもしれません。
また、自制する必要の無いことまで自制しているかもしれません。

激高(周囲の人から見るとこのように見えるであろう、という意味の言葉です。)している時の方が自我(あるいはその投射)がないかもしれません。
そして自他不二に近いかもしれません。

その意味では常時分裂しているかもしれません。
分裂は統合した方がいいでしょうか。
いいならば、どのように統合すればいいでしょうか。

激高に何かの原因があるとするならば、
あるいは逆に、普段の冷静な時の姿に原因があるとするならば、
それをどのように探ればいいでしょうか。

682そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/19(日) 21:02:48 ID:cAZcWhe20
>>677
>事実に沿って言えば、悟った者も悟っていない者も自我が無い事は、単なる事実なのじゃ。
> 悟っていない者には自我の投射がされているのも事実なのじゃ。
> 自我の投射が無いのが悟った者なのじゃ。

自我が無い事が事実であるならば、無いものが投射されているということでしょうか。
無いものをどうやって投射しているのでしょうか。
投射する対象を認識することによって、本来無い自我が現れるということでしょうか。

683避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 21:07:40 ID:Zck0SGB60
鬼和尚さま
味覚の美味い不味いの話が出てますが、サマーディなどによって、
記憶や経験から生じる美味い不味いの分別がなくなって、
どのようなものでもそのものの味をそのまま感じる状態になりますよね?
あれはサマーディなんですかね?
一般的にいうところの美味い(不味いに対しての相対的な美味い)とは違いますが、
なんでも美味しいですよね。
美味しいというかそのものの味を100%感じられて、なるほどこういう味なんだと、
普段わからないような細かい味覚まで知覚全開に感じられる明晰な状態。
知覚できる(したい)ことが美味しいこと、知覚できない(したくない)ことが不味いこと、という意味では、
純粋な知覚になると全て知覚できるし全て美味しいという言い方もできるような。

684避難民のマジレスさん:2014/01/19(日) 21:49:00 ID:P.PEnNUg0
>>676
気自体には囚われないようにします。
鬼和尚の書かれていたような体の異常な感覚を観察した時に、
気を下ろす法を行い、その感覚がどうなるかを観察しようと思います。
いつも、安全かつ最短と思われる道を示していただき、ありがとうございます。
実践につとめ励みます。

685そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/19(日) 22:10:04 ID:cAZcWhe20
>>676
>普段と同じ感覚しかないのならば、サマーディには入っていないのじゃ。

サマーディ(悟りも含まれるでしょうが)以外では、我と言う観念が無いことに気付くことはできないということでしょうか。

686そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/19(日) 22:46:05 ID:cAZcWhe20
>>676
>怒りや何かの原因で激高しているのならばいかんのじゃ。

怒りや何かの原因がないものであるならば、鬼のような自他不二でもいいということでしょうか。

687そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/19(日) 23:55:16 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
瞑想しながら、激高した時の事例をいくつか再現し、トレースして、己の観察を試みました。

怒りやその他の激しい感情は特にわきませんでした。
肉体的な変化も同時に観察しましたが、特に感じられませんでした。

おそらく、自他不二となった時、だからこそ自分と他人の違いがわかり、その違いがあまりにも大きいことに改めて触れ(これまでの経験上、既に普段から違うことはわかっているのですが、直に触れると改めてそれを再認識する、という意味です)、そのギャップが激高という形で表に現れたのだろう、と見えました。

怒りに関しては、他人がその時の自分を見た姿は、単に怒っているように見えるでしょうから、他人が認識しているであろう怒りを、他人から自分へ逆流する形で受け取っているものを、それが自分の怒りではないことを明確に区分するまでに至らない、のように見えました。
自他不二の順序が逆で、他自不二です。
原因としての怒りと言うよりは、結果としての怒りという感じです。

688鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/20(月) 19:56:44 ID:kaXJvxhM0
>>680 どういたしまして、またおいでなさい。

>>681 そのような一時的な状態ならばもはや止めた方がよいのじゃ。
 自分でコントロールできなければ意味が無いからのう。
 修行によって忘我によるサマーディの状態に入るのは、心をコントロールするためなのじゃ。

>>882 本当は存在しないものを、言葉とイメージによって投射しているのじゃ。
 映画のようなものじゃ。
 何も無いスクリーンに映像が投射されるように、自我も存在しないのに感覚などに投射されているのじゃ。

>>683 そうかもしれん。
 普通は美味いものとか体に良いものを食べているからのう。
 観念がなくなれば大抵は美味く感じるものじゃ。

>>684 そうじゃ、実践が全てじゃ。
 またおいでなさい。

689鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/20(月) 20:00:09 ID:kaXJvxhM0
>>685 あまりにも興奮状態で我を失ってるならば、気づくことも無いじゃろう。
 それは先の無い袋小路の道なのじゃ。
 
>>686>>687 自分でコントロールできなければ意味が無いのじゃ。
 集中は観察の為に心をコントロールする技であるからのう。

690そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/20(月) 21:02:38 ID:cAZcWhe20
>>689

>あまりにも興奮状態で我を失ってるならば、気づくことも無いじゃろう。
興奮していなければ、サマーディでなくても、我と言う観念が無いことに気付くことがあるということでしょうか。

>自分でコントロールできなければ意味が無いのじゃ。
意味が無いとやめた方がよいのは何故でしょうか。

691避難民のマジレスさん:2014/01/20(月) 21:14:05 ID:Bwz0R3.60
YouTube ミックスリスト - 50件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=_E1OVI5KgBs&amp;list=RDsiQFCTfRMEE
http://www.youtube.com/watch?v=HJaFI4IjMIM&amp;list=RD_E1OVI5KgBs
http://www.youtube.com/watch?v=_E1OVI5KgBs&amp;list=RDHJaFI4IjMIM
http://www.youtube.com/watch?v=4mkBeoN44Og&amp;list=RDv99yO740tMI
http://www.youtube.com/watch?v=4mkBeoN44Og&amp;list=RDXC3ikQFcHxc
http://www.youtube.com/watch?v=4IT_ZHGsQXw&amp;list=RD4mkBeoN44Og
http://www.youtube.com/watch?v=v2SlpjCz7uE&amp;list=RD4IT_ZHGsQXw
http://www.youtube.com/watch?v=AV-gYE_eKFM&amp;list=RDv2SlpjCz7uE
http://www.youtube.com/watch?v=EWEl0-SX4oQ&amp;list=RDAV-gYE_eKFM
中島みゆき(Nakajima Miyuki) 夜会(Yakai) - 21件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=EWEl0-SX4oQ&amp;list=PLA10169F112DFD5C2

692避難民のマジレスさん:2014/01/20(月) 21:27:45 ID:x3qGKFVU0
>>689
>>678に返事をくれないのはわざとですか?

693そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/20(月) 22:47:30 ID:cAZcWhe20
私が現世(あるいは世間と言うか)に存在するためには、分裂せざるを得ないのかもしれません。
分裂することでかろうじて現世に適応している。
それが私が子供のころから感じている違和感の原因かもしれません。

694そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/21(火) 01:19:13 ID:cAZcWhe20
>>688

>>882 本当は存在しないものを、言葉とイメージによって投射しているのじゃ。
 映画のようなものじゃ。
 何も無いスクリーンに映像が投射されるように、自我も存在しないのに感覚などに投射されているのじゃ。

わかりません。
映画のたとえですと、投射についてはわかりますが、自我については、フィルムあるいはデジタルの映像データが自我に相当するのではないでしょうか。

695そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/01/21(火) 07:49:24 ID:cAZcWhe20
>>688
>自分でコントロールできなければ意味が無いからのう。
> 修行によって忘我によるサマーディの状態に入るのは、心をコントロールするためなのじゃ。

サマーディに入らなければ心のコントロールができないということでしょうか。
もしそうならば、サマーディに入らぬまま行う自他不二は止めた方がよいということになるのでしょうか。
サマーディに入れない人、すなわち、おそらくほとんどすべての人々は自他不二を止めた方がよいということになります。

696避難民のマジレスさん:2014/01/21(火) 11:12:56 ID:LTUvvDAY0
輪廻から脱したいというのは、悟りへ向かう正しい動機でしょうか?

697避難民のマジレスさん:2014/01/21(火) 17:33:25 ID:YWqLYYqo0
鬼和尚、
瞑想中に、あと少しで自我を手離すところまで来ているようなのですが、
そこで恐怖が生じて、抜けていた体の力が再び入ってしまい、覚醒度が
上がってしまう状況にいます。

快に集中している意志の力を少しずつ弱めていくと、意識を保ったまま眠りに
落ちていくような感覚が生じてきます。気持ちが良いし、
自分としては、サマーディの話を読んで、それを楽しみにしている
つもりなのですが、本心にはしつこい恐怖が残っているようで、落ちきれません。

この恐怖を乗り越えるには、意志を強く保ち、ひたすら励み続けるのが
良いかと思うのですが、もし、他に助言がありましたら、お願いいたします。

698鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/21(火) 20:19:27 ID:kaXJvxhM0
>>690 そうじゃ、気づきの体験とかピーク体験とか自己喪失とか言う体験があるのじゃ。
 何かのきっかけで一時的に自己イメージの投射が止まると起こるのじゃ。

 集中は心をコントロールして観察を容易にするためのものであるからじゃ。
 意味の無い事をやるのは修行ではないのじゃ。

>>692 昨日は見落としたのじゃ。すまんのう。
 >>689 そうじゃ、全てが美味く感じるわけではないじゃろう。
 体に悪いものなどは余計に不味く感じるかもしれん。
 しかし、嫌なものを食べるのは、一般的に美味いとか、体に良いとされているからである可能性が多い故に大抵は観念が無くなれば美味く感じるじゃろう。
 
>>693>>694 それもまた本来は無いフィルムの上の点やデータなのじゃ。
 
>>695 それが本当に我を失うような体験ならば、サマーディにも容易には入れるじゃろう。
 すでに己を無くす恐れを克服している事になるからのう。
 多くの者が無我にまでもいけないのは、己を失う恐れがあるからなのじゃ。
 それが無ければサマーディにまで達するのは容易なのじゃ。

>>696 それも正しいといえるじゃろう。
 一切の苦から逃れられるからのう。

699鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/21(火) 20:23:30 ID:kaXJvxhM0
>>697 無常とか死を想うのじゃ。
 今自分を手離さなくともいずれは死によって自分は消え去るのじゃ。
 それを思えば今の恐れは小さくなるじゃろう。
 本当の虚しい死に比べれば、今自分を捨てるのは永遠への門と呼べるのじゃ。
 必ず消えなくてはならない自分を今手離して永遠への門を開くのじゃ。

700避難民のマジレスさん:2014/01/21(火) 20:38:11 ID:x3qGKFVU0
>>698
今回の場合は観念を滅したらどうなるかを確かめる為に、あえて嫌いだった食べ物を食べた
と思いますよ。
まあただそう考えると、体に悪いものが嫌いでも困らない訳だから、あえてその原因を滅する
必要も無いでしょうから、鬼和尚の言ってることも一理ありますね。
ありがとうございました。

701避難民のマジレスさん:2014/01/22(水) 04:29:07 ID:Bwz0R3.60
  ヽ\、  ^\   はあ〜〜 在るもの空!無いものは無い!
\  \\ヽ、   ^\、   生成消滅いっさいくう! 
 \  \\ヽ \    |\    始まりが無いから、!終わりも無い!
  \  \  \ \    λ\、   それでも腹へりゃおまんまはたらふく喰う!
   \  \  \ \      \、     過去も無い、今も無い、未来も無い!
    \  \   \ \      ^ー)\     諸行には常が無い。
     \  \   ´⌒ヽ,⌒ヽ,_       ^)\、    存在は空!五蘊も空!
      \  \    人  λ\ ____   ^)\λ   そう言う俺さへも一切皆空!
       \  「\    、  ヽ/ _ノ ヽ、\    |
        \ \ \    ヽ / ( ○)}liil{( ○)   て
         \  \ \  /    (__人__)  \   (
          \  \ ^ |      |!il|!|!l|    |  r'"  ガビーン!
            Z_   ヽ、_\     |ェェェェ|   /  て
             Z_    \______ /   (
               Z_               r'"
                 Z、、   覚者      (

702避難民のマジレスさん:2014/01/22(水) 07:13:29 ID:LTUvvDAY0
只管打座による悟りへの道程を解説していただけませんか?

703避難民のマジレスさん:2014/01/22(水) 17:52:37 ID:1sAvBPl20
>>699 ありがとうございます。
無常や死を想いつつ、瞑想してみましたが、
実際の死の恐怖が強く生じることはありませんでした。

愚かにも、心のどこかで自分の実際の死はまだ遠いもの
という観念を持っているのか、あるいは、恐怖から、
真剣に観想するのを避けているのかもしれません。

もうしばらく無常や死の観想も続けてみます。
もし、具体的なやり方で良い方法がありましたら、
お教えください。

704鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/22(水) 20:36:15 ID:PAHPUIz60
>>700 どういたしまして、またおいでなさい。

>>702 道元はちゃんと集中と観察を教えているのじゃ。
 最初はどうしても集中の行をして集中力を養わなければならんのじゃ。
 初心の者はやはり集中力が足りないから座っても何もわからんのじゃ。
 十牛図で言えば牛の足跡も見えない段階じゃ。
 集中力がつけば心をコントロールする事が出来るようになり、少しずつ心の働きも見えてくるのじゃ。
 牛の足跡が見えるようになるのじゃ。
 そして集中力が十分につけば自分が見えるのじゃ。
 牛を見つける見性なのじゃ。
 自分がコントロールできれば牛に乗った状態なのじゃ。

 実は自分というものは無かったと気づくのが牛を忘れるのじゃ。
 さらにそれを観ているものさえなくなれば人も牛も無い状態なのじゃ。
 無為のままにすわって居れば全てが源に還るのがわかるじゃろう。
 真の悟りを得て人々に説く時が来たのじゃ。 

>>703 そうじゃ、続けてやってみるのじゃ。
 またおいでなさい。

705善聖 ◆rgBot67fe.:2014/01/22(水) 23:22:12 ID:EUJYIxW20
>>704
道元が観察を教えていると言う根拠をご教示ください。

706避難民のマジレスさん:2014/01/23(木) 08:03:26 ID:Nt9YJSNs0
道元はなんかいつも怒ってるイメージだな。
正法眼蔵読んでも人の批判しかしてない感じ。

707避難民のマジレスさん:2014/01/23(木) 16:47:15 ID:YWqLYYqo0
鬼和尚、
集中の瞑想をしていて、言葉とイメージがはっきりしなくなる状態のまま続けていたところ、
首の後ろ側あたりに、それら全てを観ている、変化のない静かな観察主体があるのに気づきました。
これは、なんでしょうか? 修行の役に立ちますか? それとも囚われずスルーでしょうか?

瞑想中に自我の感覚が薄くなっても濃くなっても、変わらずに首の後ろあたりにあります。
自我が自分ではないかもしれないという思いが深まりました。

708鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/23(木) 20:11:02 ID:kaXJvxhM0
>>705 道元の書いたものに心を観ることが書いてあったのじゃ。
 何に書いてあったのか忘れたのじゃ。
 正法眼蔵だったかのう。
 探してみるのじゃ。

>>707 それが阿頼耶識なのじゃ。
 それに集中するのじゃ。
 さらに深い意識に没入していくのじゃ。

709避難民のマジレスさん:2014/01/23(木) 20:47:22 ID:Bwz0R3.60
  ヽ\、  ^\   はあ〜〜 在るものは空!無いものは無い!
\  \\ヽ、   ^\、山川草木国土悉皆成仏さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ 
 \  \\ヽ \    |\    無始無終!始まりが無いから、!終わりが無い!
  \  \  \ \    λ\、    それでも腹へりゃおまんまは、たらふく喰う!
   \  \  \ \      \、     過去も無い、今も無い、未来も無い!
    \  \   \ \      ^ー)\     諸行には常が無い。
     \  \   ´⌒ヽ,⌒ヽ,_       ^)\、    存在は空!五蘊も空!
      \  \    人  λ\ ____   ^)\λ   有情無情のものはみな空!
       \  「\    、  ヽ/ _ノ ヽ、\    |     そう言う俺さへも一切皆空!
        \ \ \    ヽ / ( ○)}liil{( ○)   て
         \  \ \  /    (__人__)  \   (
          \  \ ^ |      |!il|!|!l|    |  r'"  ガビーン!
            Z_   ヽ、_\     |ェェェェ|   /  て
             Z_    \______ /   (
               Z_               r'"
                 Z、、四角いので覚者 (

710善聖 ◆rgBot67fe.:2014/01/24(金) 00:47:06 ID:EUJYIxW20
>>708
正法眼蔵ですか。あまり役に立たないテキストだと思いますが、読んでみます。
見付けたら報告します。

711避難民のマジレスさん:2014/01/24(金) 00:52:19 ID:Nt9YJSNs0
キンキ鬼ッズ、なんか変わったな。

712避難民のマジレスさん:2014/01/24(金) 13:20:30 ID:DZ0gjVsA0
>>708
最後に厭離する、ラスボスの存在に気づいたということですね。
その後瞑想したのですが、阿頼耶識を探そうとする心の動きの
ためか、阿頼耶識に気づけませんでした。自我の計らいを捨てて、
とにかく心を静かにする必要がありそうです。
行に励み、阿頼耶識に集中してみます。
ご回答ありがとうございました。

713鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/24(金) 20:36:58 ID:kaXJvxhM0
>>710 そうじゃ頼むのじゃ。

>>712 前の体験を求めてはいかんのじゃ。
 記憶を求めている事になるからのう。
 前と同じようにひたすら集中していればそれもコントロールできるようになるじゃろう。

714避難民のマジレスさん:2014/01/25(土) 04:41:35 ID:LTUvvDAY0
651のレスで書かれている”胸に五つの元素をイメージする法”の詳細を教えてください。

715避難民のマジレスさん:2014/01/25(土) 12:39:05 ID:RqjHb0Jg0
肉体を観察するとき目で見る必要はありませんか?
全身に意識を巡らせていく観察でかまいませんか

716避難民のマジレスさん:2014/01/25(土) 18:40:18 ID:Zcl18UUU0
>>713
阿頼耶識に気づいたかもしれないということで、気負っていました。
初心に帰って、前の体験を求めず、楽しんでひたすら集中に励みたいと思います。
ありがとうございました。

717鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/25(土) 21:26:09 ID:kaXJvxhM0
>>714 その法はヨーガの本に書いてあるものじゃ。
 日本では続ヨーガ根本経典という名前で売っておる。
 アマゾンにも売っているじゃろう。

 地水火風空の元素を胸に一つずつイメージするのじゃ。
 地の元素は黄色で四角いのじゃ。
 水の元素は白色で丸いのじゃ。
 火の元素は赤色で三角なのじゃ。
 風の元素は黒色で三日月型なのじゃ。
 空の元素は水色で丸なのじゃ。

 それらに一つずつ、神が居るのをイメージするのじゃ。

>>715 そうじゃ、意識するだけで良いのじゃ。
 そこに起こる感覚を観察するのじゃ。
 意識を向けるだけでも違った感覚が起こる事が分かるじゃろう。
 
>>716 どういたしまして、またおいでなさい。

718避難民のマジレスさん:2014/01/26(日) 13:53:19 ID:NpBkhqbI0
悟りの過程で、非想非非想という境地があるらしいですが、これは座禅をしてない時でも
非想非非想なのでしょうか?
それとも座禅しているときだけなのでしょうか?
「非想非非想」という境地に照らし合してみると、自分がなんと四六時中物事を考えたり思ったりして苦しんでいるかと愕然とします。

719避難民のマジレスさん:2014/01/26(日) 13:59:36 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんにちはm(__)m
珍しく、まだ質問がないようなので、もしよろしければ、元気の出る説法をお願いします。
お忙しくなりそうなら、次の機会で結構です( ̄▽ ̄)b

720避難民のマジレスさん:2014/01/26(日) 14:21:15 ID:NpBkhqbI0
自分の好きなこと向いていることを追求していく。→周りが見えなくなる→周りから顰蹙を買う。→苦しむ。
自分のことはさておいて周りに合わせる→自分が見えなくなる→心が矛盾して苦しい。

どっちにしろ、苦ですね。
これが釈迦が説いたという「この世で苦しみは避けられない」ということだろうか。
自己実現より、生活の安定を優先した世間の普通の人の生き方に苦しみが多いのは、自明なくらいよくわかるが
生活より自己実現を優先したような、啄木やゴッホであっても、やはり苦しみは避けられない。否、普通の人より苦しんでいるようにすら見える。

721避難民のマジレスさん:2014/01/26(日) 16:35:51 ID:5x3uyZ8o0
第三の目と悟りとは、何か関係があるのでしょうか?

722鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/26(日) 21:44:49 ID:kaXJvxhM0
>>718 それは座禅している時だけなのじゃ。
 普段は普通の意識状態なのじゃ。
 サマーディと同じなのじゃ。

>>720 そうじゃ、認識が記憶に依存している限り、苦は免れないのじゃ。
 最初は楽しくともやがては苦になるのじゃ。
 楽しければ楽しいほど苦も大きくなったりするものじゃ。
 一切の苦を永遠に滅するには修行するしかないのじゃ。

>>721 それは集中の役に立つだけなのじゃ。
 能力だけ開発してもそれに振り回されれば却って悟りは遠ざかるのじゃ。
 ひたすら集中を続ければ悟りも近いのじゃ。

723鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/26(日) 22:04:41 ID:kaXJvxhM0
>>719 明日やるじゃろう。

724避難民のマジレスさん:2014/01/27(月) 09:22:42 ID:NpBkhqbI0
読んだ本や書かれた文章に影響されやすい。
自分の考えがその文章に反映されているからという面もあるけども、
一目置いているような人が書いた文章を読むと、意識が変化してしまう。
世の中間違っていると書いているものをみると、世の中が間違って見えるようになるし
世の中は素晴らしいと書いているのをみると素晴らしく見えたりする。
このような意識の変化も苦ではないでしょうか。仏教的には無常というのかもしれません。
本当に無常です。自分の意識もコロコロ変化して無常です。

725避難民のマジレスさん:2014/01/27(月) 09:29:44 ID:NpBkhqbI0
若いころは左翼思想の影響を受けてたので、財産などは不浄だと思ってました。
しかし、労働者として苦労しているうちに、「金持ち父さん」とかの本を読むようになり、
やはり資産を持つのは自分らしく生きるために必要だと思うようになりました。無常です。
子供のころは、キリスト教の影響もあって神を信じてました。中学生くらいになると、無神論になりました。
しかし、無神論が行き過ぎてつらくなり、一種の哲学的な神を信じるようになりました。しかし、生活の役に立たないので
馬鹿にしていた新興宗教に入信しました。しかしやはり信じられないので仏教に入りました。
こういう過程を見ていくと、その瞬間瞬間は鉄の信心とすら思っていたものですら無常です。
この書き込みに対するレスポンスを読んだ瞬間にも、意識は変化します。

726鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/27(月) 20:58:20 ID:kaXJvxhM0
>>724>>725 それらの経験も役に立ってはいるのじゃ。
 文字で読んだことは現実にはあまり役に立たないという気づきをもたらしているのじゃ。
 その気づきは本を読んだだけでは判らないものじゃ。
 そのような経験によって得た気づきを忘れなければ良いのじゃ。
 やがて文字にもあまりふりまわされなくなるじゃろう。

727鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/27(月) 20:58:59 ID:kaXJvxhM0
 前にも紹介したが、お釈迦様はこのように言っておる。

1、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。
車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように。

2、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。
影がそのからだから離れないように。

 今引き寄せとか、願望の実現とか呼ばれる原理も、既に2500年前にお釈迦様が説いておるのじゃ。
 ものごとは心によって作り出される故に、人が心を清め、確信を持って直感に従えば何事も成せない事は無いのじゃ。

 心を清めるとは、決意して悪事を止めて善事を志す事なのじゃ。
 善い事をする善い者を、この世の自他のあらゆる智慧と力が助けるのじゃ。

 しかし、頭の中でちょっと考えた位では、何も叶わないのじゃ。
 自他を助ける大儀があり、心の奥に深く入って確信となった願望が実現されるのじゃ。
 
 確信とは確かな信じる心なのじゃ。
 信じるとは未だ実現していない事をも実現したかのように振舞う事なのじゃ。

 心を清め、未だ実現していない事も実現したかのように振舞えば、智慧と力が湧いて実現を促進するじゃろう。
 それが出来ればこの世で成しえない事は殆ど無いと言って良いのじゃ。

 そのような実現を妨げるのは、観念に因って築いた限界なのじゃ。
 心を観察し、観念を滅する法を知った者にはそのような観念を滅するのも用意となるのじゃ。

 そして確信を養うには正しい言葉を何度も繰り返すのが効果的なのじゃ。
 お釈迦様はこのようにも言って居るのじゃ。

 299 、 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。

300 、 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も不傷害を楽しんでいる。

301 、 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、その心は昼も夜も瞑想を楽しんでいる。

 本当は瞑想を楽しんでいなくとも、このように宣言する事で弟子たちも瞑想を楽しむようになったりするのじゃ。
 このような宣言は自己暗示とかアファメーションとも呼ばれておる。
 言葉によって宣言して確信を養う事が出来るのじゃ。
 
 このように心を清め、確信を作り上げることによって、世間の成功を求める者はそれを得られるじゃろう。
 安心の境地を求める者は困難な修行も乗り越えて安心の境地を得るじゃろう。
 一切の苦を滅した不死の境地である悟りを求める者は、必ず真の悟りを得られるじゃろう。
 修行者は心の力を知って心を清め、不信を捨て、確信をもって修行に励むのじゃ。

728避難民のマジレスさん:2014/01/27(月) 23:20:49 ID:LC3de7YgO
>>727
ありがとうございますm(__)m
精進します。

729避難民のマジレスさん:2014/01/28(火) 00:11:06 ID:Bwz0R3.60
昭和のカラー映像 01 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=fB5AuJsZYTs&amp;feature=related
昭和のカラー映像 02 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=pChd7aJCdOo&amp;feature=related
昭和のカラー映像 03 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=KnBOku7Wl0s&amp;feature=related
昭和のカラー映像 04 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=cQFmKuLowqg&amp;feature=related
昭和のカラー映像 05 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=WOqzrZRFpoU&amp;feature=related
昭和のカラー映像 06 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=vVbhZaJ92ks&amp;feature=related
昭和のカラー映像 07 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=RQmRr2wlTJw&amp;feature=related
昭和のカラー映像 08 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=wrBHAKYd0mo&amp;feature=related
昭和のカラー映像 09 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=80119uOEeo0&amp;feature=related
昭和のカラー映像 10 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=bLBczr22twQ&amp;feature=related
昭和のカラー映像 11 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=l9MFRTBfrbE&amp;feature=related
昭和のカラー映像 12 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=VMEoQSCfKp4&amp;feature=related
昭和のカラー映像 13 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=Q6JrY-Jo2gU&amp;feature=related
昭和のカラー映像 14 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=OoyFhzuo7Co&amp;feature=related
昭和のカラー映像 15 of 15
http://www.youtube.com/watch?v=EcJN4MNFAhM&amp;feature=related

730避難民のマジレスさん:2014/01/28(火) 07:18:50 ID:gOqWUDAs0
千の顔を持つ英雄 心理学から形而上学へ。 ごく最近まで〔神話象徴〕は.すべての人間生活の支えであり.哲学や詩や芸術
に息吹きを与えるものであった。伝承されてきた象徴が老子.仏陀.ゾロアスター.キリスト.マホメットによつて取り上げ
られ.すなわち精神の無上の導師により深遠な道徳的.形而上学的教えの伝達手段としてもちいられてきた局面においては.
我々が暗黒〔の無意識〕よりむしろ広大な意識と向かい合っているのはあきらかである。
したがつて我々に伝えられた神話形姿の価値をあまねく把握するには.神話形式が単に無意識的なものを現しているばかりで
なく(実際はあらゆる人間の思想と行動が無意識的なるものを露呈しているのであるが).確かなる精神原則の制御され意図
された言明でもある事を理解しなければならない。こうした精神原則は人体そのものの形態や神経組織と同様に.人類史を
通じ一定不変の痕跡をとどめている。(続くのだろうなあ続けるか)ネタも無い師大変手は憑かれるけどまあよいか。ここから
後にちやんにコピーして張るのも大変面倒だけど

731鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/28(火) 21:14:10 ID:kaXJvxhM0
>>728 どういたしまして、またおいでなさい。

732避難民のマジレスさん:2014/01/29(水) 12:21:32 ID:pEe1v5Oo0
鬼和尚、
風邪やインフルエンザなどで体調が優れない時に行をどうするか、
助言をいただければと思います。
体の回復にも良い法があれば、ありがたいのですが。

今のところ私は、短時間(10分ほど)でも座り、心拍など、
風邪でも影響が少ないものに集中するようにしています。
また、集中がしんどい時には、せめて姿勢の観察に努める
ようにしています。

733避難民のマジレスさん:2014/01/29(水) 20:31:34 ID:LC3de7YgO
鬼和尚の仰られる通り、何よりも正しい姿勢の維持を最優先させて座るように心掛けています。
最近、今までになく没入している感覚に身をおく時間が増えてきており、そのような時はできるようになったばかりのケッカフザで1時間座っても全く気になりません。
没入している感覚とふと戻ってくる感覚を行ったり来たりですが、爽快感があります。
ありがとうございますm(__)m

734鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/29(水) 21:51:12 ID:kaXJvxhM0
>>732 体調が悪い時でも一度は座ると良いのじゃ。
 しかし時間を少なくして良いのじゃ。
 形だけでもやっておけば進歩は止まらないのじゃ。
 完全に休んでしまうと、わかりかけたコツなどの微妙な感覚が消えてしまうのじゃ。
 そうであるから短時間でも座ったほうが良いのじゃ。

 ヨーガのシヴァアーサナというのをやるとよいのじゃ。
 上に毛布などをかけて大の字になって寝るのじゃ。
 二日ほど寝れば速やかに治るのじゃ。
 咳が出る時は喉や胸の堅くなったところをマッサージしてリンパ節の方向に摩るのじゃ。
 咳が止むじゃろう。

>>733 良いことじゃ。
 姿勢を整えれば進歩も早いものじゃ。
 またおいでなさい。

735避難民のマジレスさん:2014/01/30(木) 11:53:29 ID:wH0JIS760
>>734
とにかく実践を毎日休まず続けることが大切なのですね。
また、シヴァアーサナも試してみました。
アーサナのおかげかどうかは判断がつきませんでしたが、
体調はずいぶん楽になりました。今回は咳はありませんでしたが、
咳が出た時には喉や胸のマッサージも試してみます。
ありがとうございました。

736避難民のマジレスさん:2014/01/30(木) 12:27:01 ID:wH0JIS760
鬼和尚、他の板で
> シュリ バガヴァンは悟っていますか?
の質問に対して、
>悟っているのじゃ。
> 妄想はあるようであるがのう。
と回答されていましたが、悟っていても妄想はあるという
状況が理解できませんでしたので、少し詳しく教えて下さい。

悟りを得るということは、それまでの記憶に依存した認識を、記憶によって
歪められない本来の正しい認識に転換し、智慧が身につくことだと
私は理解していました。とすると、認識の転換後は妄想を持ちたくとも
持てないのではないでしょうか?
もしかして仮の自我で記憶に依存した認識を使う時に、以前間違って
記憶した事柄を、真偽を確かめずに使っているのかとも思いましたが、
智慧が身についた後でも、真偽に気づかないということもあるのでしょうか?

737避難民のマジレスさん:2014/01/30(木) 16:27:18 ID:Bwz0R3.60
趙州(じょうしゅう)、曰(いわ)く

老僧(ろうそう)は一枝草(いっしそう)を杷って(とって) 丈六(いちじょうろくしゃく)の金身(こんしん)と作(な)して用(もち)い、 
丈六(じょうろく)の金身を杷って一枝草と作して用う。

仏は即(すなわ)ち是(こ)れ煩悩(ぼんのう)、
煩悩は即ち是れ仏。 』


○ 眼は、横に。

趙州禅師は、
一枝草(いっしそう)を語らず、丈六(じょうろく)の金身を語らず。

趙州禅師は、
佛を語らず、煩悩を語らず。

では、趙州禅師は、 何を語ったのか。

738鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/30(木) 20:59:14 ID:kaXJvxhM0
>>735 良かったのじゃ。
 またおいでなさい。

>>736 夢想ならば妄想も無いが、人と話す時には想が無ければならず、その妄想も共有するからなのじゃ。
 お釈迦様も女子は悟れないとか、梵天はいるとかの妄想を語っていたのじゃ。
 それが昔のインドの文化的妄想である故に、それも共有しなければ話が出来なかったからなのじゃ。
 
 本来語る事も思うこと自体も妄想であると知ってはいるじゃろう。
 しかし判っていてもそれも使わなければ話が出来ないのじゃ。
 インドなどは今でも文化的な迷信が多い地域であるから、わしから見れば無用な妄想を共にしていると見えるのじゃ。

739避難民のマジレスさん:2014/01/30(木) 23:23:03 ID:RqjHb0Jg0
>>738
人と話す時の想は人の集合意識から拝借していたのですか?脳の記憶ですか?
鬼和尚さんも日本特有の妄想を語ることはありますか?

740避難民のマジレスさん:2014/01/31(金) 07:34:50 ID:WL2yRwjAO
確かに!
後世の人がこのスレを見て、鬼和尚がブラック企業は辞めていいのじゃとか言ってるのを見て
悟ってるのにブラック企業とか抽象的で非科学的な存在が実在するかのように語っているのに違和感を感じるかも
我々が古代人が天国や悪魔について真剣に語ってるのを不思議に感じるように

741避難民のマジレスさん:2014/01/31(金) 13:07:11 ID:7rD9T5220
>>738 ありがとうございます。
衆生を導くために、相手の文化や相手自身の持つ妄想を共有する
必要があるのですね。とすると、たとえ覚者の言葉でも、
普遍的で完全な正確さというのはありえず、それゆえ修行者は
覚者の言葉を鵜呑みにせず、自分自身で正しさを検証する必要が
あるということでしょうか。

また、衆生の立場からすると、「根拠が無い観念」を妄想と
呼びますが、覚者からすると、そもそも「全ての言葉とイメージ」が
妄想ということを知っているという理解でよろしいでしょうか?

742避難民のマジレスさん:2014/01/31(金) 18:56:39 ID:gYySA4k.0
悟り人が妥協せずに説けば誰も理解できる人間はいないでしょうね。

743鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/01/31(金) 20:39:06 ID:kaXJvxhM0
>>739 普通に脳の記憶やこの世で学んだ知識によるのじゃ。
 今の言葉や観念によるものであるからのう。

 日本があるとか民主主義が良いとかそのような事じゃ。
 日本は無くともあるとして話さなければいかんのじゃ。

>>740 そうじゃ。
 いずれ2000年も経てばわからなくなるじゃろう。

>>741 そうじゃ、言葉はその地域の文化から発生するものであるからのう。
 文化的な偏見は免れないのじゃ。

 そうじゃ、実は全ての言葉とイメージによる観念は妄想と呼べるものなのじゃ。
 しかしそれが無くては言葉による伝達は出来ないのじゃ。

>>742 そうじゃ、正しく禅問答になるじゃろう。
 悟った者同士は判るがのう。

744避難民のマジレスさん:2014/01/31(金) 20:41:48 ID:pEe1v5Oo0
鬼和尚、
集中の瞑想後に、頭の中心の熱感と頭が少し重い感覚を認識したので、
滝を浴びるイメージをして気が下りるか試したところ、それらの
症状がほぼなくなることを観察しました。

興味深いことに、水が通っているとイメージすると、該当する体の部分に
何かが動いている感覚があり、足の裏から流れ出すとイメージすると
足の裏がムズムズする感覚がありました。

また、イメージした水の流れやすさが、左半身と右半身では
異なり、右半身は一回のイメージですんなり流れるのに対して、
左半身は、数回イメージしないと左足の裏まで流れないという状況でした。
それで質問なのですが、左半身と右半身の流れやすさの違いに関しては
気にせず放っておいても良いのでしょうか?

745避難民のマジレスさん:2014/01/31(金) 20:44:25 ID:Nt9YJSNs0
なんか自律訓練法みたいな事に成ってるな。
そんなもん仏教とか悟りと関係ないんじゃないか?

746避難民のマジレスさん:2014/01/31(金) 22:14:25 ID:Bwz0R3.60
かならず儲かる ロト7 キャリーオーバー8億円宝くじが当たったら フンフンフフーン♪〜 <(゜ε゜)>

・早速100万円位の人間ドッグ検査入院する
・妻と国債共同購入。俺四億、嫁四億。予備費の4億円離婚対策
・虫歯を治療
・ホワイトクリーニングで歯がピッカピカ
・歯周病の抜歯には下あごにはインプラント手術、上あごにはザイゴマインプラント
・衣食住を全てブランドものにする
・スイス時計を5個
・イタリアンスーツ5着
・日本製革靴5足
・通販で買ったランニングマシーンで13キロ減量
・近視治療のレーシック手術をする
・パイプカットして避妊、やりまくる・・・キッパリッ!!!
・30万円週1で曜日ごとに違う高級金髪美女愛人囲う
・女達ににマンションを買い与える
・妊娠適齢期18〜23歳女性限定で無償貸金。状況により止む無く身体返済に応じる意思を持つ
・横浜にウイークリーマンション借り横浜中華街の有名シェフの中華食い放題
・一千万円越えのイタ車フェラーリ、ドイツ車ベンツを買い、運転手を雇用
・部屋をリフォーム、壁に大型テレビ配置
・1500cc単車買う
・株に1億円入れて配当4%越え狙いで年400万円稼ぎ投資家気取る
・FXで円安でレバレッジ20倍で、笑いが止まらない
・投資信託で配当10〜20%を稼ぎ出す
・ITビジネスで更に億万長者
・インフレ、バブル到来を見越して、土地の買占め三大都市圏東京名古屋大阪
・アパマン購入で賃貸、家賃収入
・当選後は会社は義理考慮し最短でも一年は勤め冷却期間ののち、円満退職、姿消す。
・銀バエヨイショの取り巻き小物にも豪華レストラン散財し常時ペコペコさせる
・やはりタバコは辞める
・朝6時起き、夜10時寝の習慣
・NET環境を充実、最新最速PC ウインドウズ8とデカモニター
・ゲーム機プレイステーション4を買い、ゲームソフト大人買い
・男性エステ通い全身を磨きぬく
・日サロに通い、サーファー気分
・トラブル備え弁護士契約
・スキューバやる赤道直下に島を買う
・オランダ首都アムステルダムにマリファナ旅行とチューリップ鑑賞
・ゴルフレッスンプロを雇用
・ハワイでのんびり別荘とゴルフヨット生活
・母ちゃんに通販の超お買い得下取りありのマッサージチェアーを与える
・釣り道具を一新新調する
・久里浜に釣り宿を買い、、投げ釣りで尺越えのひじたたきキスを釣る
・1億円で大型クルーザーを買い海外で釣三昧、釣果を馴染みの居酒屋で麦焼酎お湯割で一杯
・3630万画素一眼レフを買い、普通に持ち歩く
・8億円散財密着取材させテレビに公開し出演料を取る
・実家新築。屋上緑化ガーデン、ラブホの風呂仕様、シーサイドビューには露天風呂設置
・俺の部屋は20帖床暖
・バスルームの冷蔵庫にシャンパンキャビア、芋焼酎カキピー
・息子を東大入学させるべく腹筋腕立て伏せで鍛える
・ギターとピアノと三味線を買う
・身体と心から徹底的に毒素を出すデトックスすっきり
・世界旅行三昧、ワールドクルーズも経験
・カシオの電子辞書を買って、英会話ペラペラ
・フレンチブルドックにホットドッグをエサにして飼い、太ったらホットドッグにして喰うのツーステップ
・STAP細胞注入で10歳若返る
・身体に良いヘルシーフードのみを食す
・宝くじはやっぱ買い続けることにしよう

747避難民のマジレスさん:2014/01/31(金) 23:59:45 ID:RqjHb0Jg0
息の数を数えたりヴィパッサナーで実況するのは妄想でいっぱいになってる初心者のために
しかたなく言語で頭の中を占めるという感じですか
言葉はおいおい捨てなければなりませんか
瞑想中は何も考えずに
ヴィパッサナーの時はビギナーズラックを当てるビギナーのような集中力で観察するのが理想ですか

748避難民のマジレスさん:2014/02/01(土) 01:33:59 ID:Bwz0R3.60
自営業者鬼和尚のためのツカエル青色申告 14 フリー版 v9.10.2
無償で使える個人・小規模事業者向けの青色申告ソフト
作者公式サイトからダウンロード

ソフト種別 フリーソフト

対応OS : Windows XP/Vista/7/8/8.1
ファイルサイズ 41.1MB
青色申告ソフト「ツカエル青色申告 14」のフリー版。

各種機能は、
初期設定を行う[導入の流れ]ボタン、日常的な取引などのデータ入力を行う[日常]ボタン、最終的な青色申告書などを作成・印刷する[決算]ボタンなどから現れるポップアップ上に分類されている。
会計処理に詳しくなくても利用しやすいユーザーインターフェイスとなっている。
取引データを入力する“簡単取引帳”機能では、取引内容が“売上”“仕入”“経費”“給与・賞与”“預金”などに分類されており、取引内容をわかりやすく説明した項目から選択して入力できる。

 有償版との違いは、仕訳が年間300件までしか作成できない、データのインポート・エクスポートや集計表などの作成といった機能が使えないなど。
なお、インストール時にはメールアドレスの登録が必要。

作者名ビズソフト(株) 公式サイトNo.1見積書ソフト、青色申告・会計ソフトの紹介|ビズソフト
http://www.bizsoft.co.jp/

関連記事
?ビズソフト、フリーの青色申告ソフト「ツカエル青色申告 14 フリー版」を公開 (2013/12/16)
?無償で使える小規模事業者向け青色申告ソフト「ツカエル青色申告 13 フリー版」 (2013/4/15)

749避難民のマジレスさん:2014/02/01(土) 01:51:18 ID:RqjHb0Jg0
おぬしらは最高のそんざいなのじゃ!とブログに書いてありましたが
自分はブッダだという瞑想は役に立ちますか?
自己イメージが低いといつまでも初心者気取りで停滞しやすいと感じています
ですが自分はブッダだと瞑想して、違うと思い知らされる時の衝撃にそなえて卑下慢が出てきます
ブッダとは違うと思う方を妄想ととった方がいいですか?

750避難民のマジレスさん:2014/02/01(土) 17:05:00 ID:jfWCoXjM0
http://www.youtube.com/watch?v=CbanOlqbH1Y

↑アナディさんの動画です。この方は悟っていますか?

751避難民のマジレスさん:2014/02/01(土) 18:26:45 ID:RqjHb0Jg0
論理パズルのようなものは悟りから遠のきますか

神経解剖学者のジル博士は37歳の時に脳梗塞に見舞われて左脳の血管が破裂しました
話すことも書くこともできず子宮の胎児のようだったと言っています
リハビリで健常者と同じように生活できるようになったのですが
その後の彼女は無条件の幸福感を感じる悟ったような人になっていました
流暢に話して公演をするジル博士を見ると左脳なんかいらないのではと思います
今私は妄想をおっぱじめる左脳を黙らそうとして数息観をしているわけですが
左脳摘出手術を受ければサマーディーに自動でいけるのではないでしょうか

752避難民のマジレスさん:2014/02/01(土) 19:49:50 ID:MI1qKgms0
>>743
やはり衆生と覚者では、世界の見え方が全く違いますね。
それで悟りを得た後も、衆生を導くためには修行を続ける必要があるのですね。
また菩薩は、如来と衆生の間をつなぐ存在としても、意味を見いだせそうです。
ご回答くださり、ありがとうございました。

753鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/01(土) 20:12:38 ID:PAHPUIz60
>>744 放っておいて良いのじゃ。
 いずれ良く流れるようになるじゃろう。
 完全に詰まっていれば流れないのじゃ。
 流れていれば自然に治るのじゃ。

>>745 肉体の反応も大事なのじゃ。
 姿勢によって集中も左右されるのじゃ。

>>746 歯磨きと親孝行と禁煙と早寝早起きと息子を東大にいれるのは今でも出来るのじゃ。
 レーシックはやめたほうがよいのじゃ。

>>747 そうじゃ、未だ集中力の無い者が言葉を使うのじゃ。
 集中して観察が出来るようになれば言葉も捨てるのじゃ。
 初心に還るのが良いのじゃ。
 初めて見るかのように自分の心を観るのじゃ。

>>749 何でもやって見たら良いのじゃ。
 神仏と同化するイメージの瞑想もあるのじゃ。
 やり過ぎると傲慢になると言うがのう。
 仏陀と違う己も良く観るのじゃ。

754鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/01(土) 20:19:51 ID:kaXJvxhM0
>>750 悟っていないのじゃ。
 それは元アジズじゃな。
 
>>751 何か執着しているならば悟りから遠ざかるじゃろう。
 脳もいらないじゃろう。
 他人に教える事はできなくなるがのう。

>>752 どういたしまして、またおいでなさい。

755避難民のマジレスさん:2014/02/01(土) 21:52:28 ID:.pkCilUw0
>>754
アジズが悟っていないというのはどういうところでわかるのでしょうか?
また和尚さまから見て彼はどのような段階なのでしょうか
アジズの本は一応全部読んでるのですが自分はまだ一部しか理解(体験)できていません
アジズの本はかなり細かい内容を書いてあると思いますがああいった内容をどう思われますか?

756避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 00:26:40 ID:Bwz0R3.60
.HONDA GOLD WING TEST RIDE やさしいバイク解説 ホンダ ゴールドウイング - 8:05
http://www.youtube.com/watch?v=PeAoUKD0hDo

757避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 02:43:32 ID:5OXb5beA0
>>754
左脳が停止してサマーディになっても意味がなくて勝負はそこからの観照ということですか
ジル博士は凡人からすると悟っているように見えますが、サマーディと一緒ということですか
ジル博士はもう左脳が使えなく自我が発生するところを観照できないので悟ることはできませんか

758避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 12:09:24 ID:jfWCoXjM0
変性意識はサマーディの状態と同じものですか?
変性意識を修行に活かすにはどうすればいいですか?

759避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 15:25:36 ID:NpBkhqbI0
普通に生きていると、流れるような時間の感覚があります。
もっとも、この時間の感覚は、究極的には、死という観念によって、有限なる自分というイメージから生じるような気もするのですが、覚者には時間の感覚は特にないのでしょうか?
あれをしなきゃいけないという強迫観念(現代人はみんな持っているでしょうが)が消滅している状態なのでしょうか?

760避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 18:07:02 ID:NpBkhqbI0
恐れている出来事がやってきたとき、それを丁寧に観察していくと、その恐れには実体が無いということに気が付きます。

恐れている出来事がやってきたとき、それを丁寧に観察していくと、その恐れには実体が無いということに気が付きます。

大事なことだから二回言いました。

鬼和尚
思うのですが、山にこもったり、部屋にこもったりする瞑想ばかりやっていると、社会や人を恐れるようになる可能性がありませんか?
そのような瞑想にならない工夫は何かありますか?

761避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 19:03:38 ID:r3AXvjuU0
>>753
気の流れの不均衡については、完全に詰まっていなければ
放置で良いということですね。
ありがとうございました。行に励みます。

762避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 20:38:55 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚は、ネット外で人に好かれる方ですか? 和顔施や優しい言葉を心掛けて、自我もない人であれば、自然に周りの人を楽にさせてると思うので、自然に好かれると思うのですが、そういうことはないのですか?

763避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 20:55:20 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚さんは頓悟ですよね?
鬼和尚さんが提唱する修行法で悟りを開ける保証はあるのでしょうか?

764鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/02(日) 20:57:02 ID:kaXJvxhM0
>>755 動画を見たのじゃ。
 心が動いているのじゃ。
 心が動くものは眼がきょろきょろしているのじゃ。
 
 妄想で自分の心の遊戯をしている段階じゃのう。
 思考したり心の遊戯をしたりするのがすきなのじゃろう。
 
 妄想ばかりなのじゃ。
 悟りへの道はそんなに多くの知識が必要であったり、込み入ったものではないのじゃ。
 マハリシのように何の知識も無く死によっても消えないものを求めるだけでも悟りは訪れるのじゃ。
 
>>757 そうじゃ、観照が無ければサマーディさえも無意味なのじゃ。
 観照して自我を厭離するためにサマーディを用いるのであるからのう。
 自分と他人を金のために欺くのを止めて、真摯に修行すれば悟れるじゃろう。

>>758 完全に同じではないのじゃ。
 自我がある状態で少し意識が変わっても変成意識状態と言えるのじゃ。
 それを自分の自我を観る助けにすれば良いのじゃ。
 普通の意識状態では観られない自我を、観照するために役立つじゃろう。

765鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/02(日) 21:08:57 ID:kaXJvxhM0
>>759 そうじゃ、無いのじゃ。
 ただ万物の表面が変化するだけなのじゃ。
 本質は変わらないのじゃ。

 強迫観念も無いのじゃ。
 何かを行うという観念も無いのであるからのう。

>>760 良い観察じゃ。
 全ての苦は実体が無いのじゃ。

 常に自分の心が見えていればそのような恐れもなくなるじゃろう。
 心が観られるということはそのような一切の恐れをも滅する事が出来るということなのじゃ。
 何ものも恐れる不安を抱く必要は無いのじゃ。

>>761 そうじゃ、励むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>762 もてもてなのじゃ。
 和顔施や優しい言葉の効果は確かにあるものじゃ。
 おぬしも実践してみるのじゃ。

>>763 そのような保証は誰にもつけられないのじゃ。
 教えた者が明日死ぬかもしれんからのう。
 他の多くの修行や練習と同じく、本人のやる気が一番成功を左右するのじゃ。
 やる気さえあればマハリシのように方法が無くても悟りを得たりするのじゃ。
 法があれば有利にはなるが、本人のやる気よりも有利ということは無いのじゃ。

766鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/02(日) 21:17:13 ID:kaXJvxhM0
>>759 そうじゃ、無いのじゃ。
 ただ万物の表面が変化するだけなのじゃ。
 本質は変わらないのじゃ。

 強迫観念も無いのじゃ。
 何かを行うという観念も無いのであるからのう。

>>760 良い観察じゃ。
 全ての苦は実体が無いのじゃ。

 常に自分の心が見えていればそのような恐れもなくなるじゃろう。
 心が観られるということはそのような一切の恐れをも滅する事が出来るということなのじゃ。
 何ものも恐れる不安を抱く必要は無いのじゃ。

>>761 そうじゃ、励むのじゃ。
 またおいでなさい。

>>762 もてもてなのじゃ。
 和顔施や優しい言葉の効果は確かにあるものじゃ。
 おぬしも実践してみるのじゃ。

>>763 そのような保証は誰にもつけられないのじゃ。
 教えた者が明日死ぬかもしれんからのう。
 他の多くの修行や練習と同じく、本人のやる気が一番成功を左右するのじゃ。
 やる気さえあればマハリシのように方法が無くても悟りを得たりするのじゃ。
 法があれば有利にはなるが、本人のやる気よりも有利ということは無いのじゃ。

767避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 21:31:26 ID:WL2yRwjAO
そんなにモテモテだとすると、自然に同僚に飲みに誘われたり、相談事をされたり、管理職にならないかと誘われたり色々あると思うのですが、
毎晩かかさずネットで見知らぬ我々の質問に答えて下さっているのが凄いなと思います。

ネット以外で相談事を持ちかけられて悟りの知慧で解決したり、争い事を解決したようなエピソードがあったら是非教えて下さい。

768避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 22:56:26 ID:vApVM42E0
>>764
目がきょろきょろといえば、シュリバガヴァンという人もかなり落ち着きが無いと感じますが、
どうしてこの方は悟っていると思われるのですか?

769避難民のマジレスさん:2014/02/02(日) 22:59:29 ID:vApVM42E0
>>764
また、この脳のお医者さんは金のために人を欺いているのですか?
どうしてそのように思われるのですか?

また、悟りに興味のある友人が、悟りというのはつまり脳の状態だから、
そういう状態になる装置を発明して、ワンタッチでできるようになればいいと言っていました。
私は過程が重要なのでは?と言ったのですが、その人は関係ないと言っていました。
鬼和尚は悟りとは物理的な刺激でも同じだと思われますか?

770避難民のマジレスさん:2014/02/03(月) 01:05:07 ID:RqjHb0Jg0
鬼和尚さんありがとうございました

オショーさんが自分のイメージは人の評価の寄せ集めファイルだと言っていましたが
なぜ外の意見を大事に取り込んでしまうのですか
少しなら弾いていてもチリも積もった暗示には勝てないのでしょうか
なんのそのと飄々と生きてる人もいますが、暗示にかかるのは羊とライオンの差ですか?
すべての原因は生存本能に行き着くと思いますが、苦を滅する観察の時そこまで掘り下げていないのは
直前の原因でも対象の苦が消えるからですか?

771避難民のマジレスさん:2014/02/03(月) 01:47:07 ID:RqjHb0Jg0
>>753
自分は最高の存在なのじゃと思うのと傲慢になるのはどこが違いますか

772避難民のマジレスさん:2014/02/03(月) 01:53:08 ID:RqjHb0Jg0
分離からの比較が傲慢で存在への賛歌が絶対の自信ですか

773避難民のマジレスさん:2014/02/03(月) 18:08:02 ID:jfWCoXjM0
悟ってる人
ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、パパジ、OSHO、クリシュナムルティ、グルジェフ
シュリ・バガヴァン(存命中!)、鬼和尚(存命中!)、白隠、道元、鈴木大拙、一休、釈尊、荘子

悟ってない人
ガンガジ、ムージ、ラメッシ・バルセカール、アジズ・クリストフ(現アナディ)、アジャシャンティ、
ヨガナンダ、ガンジー、アルボムッレ・スマナサーナ、ラーマクリシュナ、イエス・キリスト、EO、
ダンテス・ダイジ、麻原彰晃、法然、親鸞、エル・カンターレ、孔子、中村天風、谷口雅春、
瀬戸内寂聴、阿部敏郎、やまがみてるお、賢者テラ、雲黒斎、無空、バシャール、
エックハルト・トール、マイスター・エックハルト、ニール・ドナルド・ウォルシュ…その他多数。

こんな感じでしょうか?

774避難民のマジレスさん:2014/02/03(月) 18:12:18 ID:jfWCoXjM0
http://www.youtube.com/watch?v=fXOvMQO3sTE

↑ボブ・アダムソンさんの動画です。この方は悟ってますか?

775鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/03(月) 20:28:57 ID:kaXJvxhM0
>>767 特に無いのじゃ。
 そんなに揉め事も無いからのう。

>>768 わしには落ち着いているのが見えるのじゃ。
 
>>769 騙しているのじゃろう。
 それが金と名誉を得る方法だからじゃろう。

 サマーディにまでは物理的な刺激でもいけるじゃろう。
 そこから自我を観察しなければ真の悟りにはいけないのじゃ。

>>770 自分の意見に自信が無いからじゃろう。
 良く考えて自分の道は一つしかないと知ったら他人の意見には左右されないじゃろう。

 自分の意見に確信があれば他人の暗示には左右されないのじゃ。
 
 そうじゃ、苦が無くなればさこで観察をやめてしまうのじゃ。
 根元まで掘り下げれば自分にも行き着くじゃろう。

>>771 傲慢には未だ劣等感があり、そのせいで他人と己を比較したりするものじゃ。
 自分が本当に最高ならば比較する対象すらも無いのじゃ。

>>772 それでも良いのじゃ。
 
>>773 そんな感じなのじゃ。
 おぬし良く知っておるのう。
 
>>774 無我までで止まっているのじゃ。
 小悟じゃな。

776避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 14:27:51 ID:jfWCoXjM0
小悟の段階では、まだ生まれ変わらなければなりませんか?

777避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 14:34:54 ID:0MAY37j.0
鬼和尚、
瞑想後に気を下ろすことを何回か行なっていたところ、瞑想中や瞑想後に体の内部に
集中することで、気の流れのようなものが知覚できるようになりました。
それで今度は試しに、瞑想中に下丹田から上丹田に気が上がるイメージをしてみたところ、
確かに気が上丹田まで上がると、快が増すことが判りました。

ここまでのところ、腰を据え下丹田に力が入るようにし、骨盤を立てて上中下丹田を揃え、
肩や首や眉間の力を抜いて、息や快に集中することでサマーディを目指してきました。
今後はその補助として、気が上がるイメージも使えるのではないかと思うのですが、
もし何か注意点や助言などがありましたら、お願いします。

778避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 16:01:03 ID:k90l0i9o0
鬼和尚さまが他者に対して悟っているかいないのかを判断するときは、
一般の人間と同じような五感や通常の観察力で判断しているのでしょうか?
それとも第六感や智慧など一般の人間の通常の感覚とは違う領域の感覚で判断しているのでしょうか?

また、他者が悟っているかいないかに関して、
鬼和尚さま自身の判断が間違うことはあると思いますか?

779避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 16:35:50 ID:Nt9YJSNs0
そんなもん当たってるわけ無いだろ。
相談板で現世の事聞かれて答えても、ほとんどの人に外れだって言われてるんだから。
自分に意見する人はみんなカルト扱いするような人だしね。
まあ何にせよ、鬼和尚はそう思うってだけの話だよ。

780避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 19:17:52 ID:RqjHb0Jg0
羊と子供の差がよくわかりません
受動的→能動的→絶対的受動的の能動を経ていくのは観察しようと意志を起こすことを指しますか

781鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/04(火) 20:20:12 ID:kaXJvxhM0
>>776 そうじゃ、まだ薫習が残っておるからのう。
 いずれはまた自我を形成して生まれ変わるじゃろう。
 時間は掛かるかも知れんがのう。

>>777 冬は良いが夏は頭に熱が集中しないように気をつけるのじゃ。
 のぼせて不眠や熱中症になりやすくなるかせのう。
 気を自在に操れるようになるまで鍛錬するのじゃ。

>>778 妙観察智が自然に働くのじゃ。
 わしも間違うじゃろう。
 最後には自分で判断するしかないのじゃ。
 やがて自ら真の悟りを得れば、真実が判るのじゃ。

>>780 絶対的受動ならばもはや観察も無いじゃろう。
 もはや意志も無いからのう。

782避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 20:28:38 ID:jfWCoXjM0
大悟(無認識?)に至れば、もう生まれ変わることはないのでしょうか?

783避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 20:32:58 ID:jfWCoXjM0
大悟に至るためには、
・認識作用が働く瞬間を捉えて観察する。
・認識作用を空と観じる。
といった行をするのでしょうか?

その他にも法はありますか?

784避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 20:35:35 ID:jfWCoXjM0
マハリシが、死んでも死ぬことのない「私」を探求して大悟したのはなぜでしょうか?

785避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 21:43:21 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、最近はケッカフザで座り、姿勢を丁寧に整え、さてと腹式呼吸を始めると、最初の一呼吸目から下腹部に熱感が生じ、腹式呼吸時に会陰に力を入れると熱感が高まります。意念でいわゆる小周天みたいなことは、以前一度だけできたのですが、鬼和尚が仰る、クンダリーニとちょっと違うような気がして、足踏みしております。
また、今感じてる熱感もまたいつ消えてしまうかわからないので、エイヤ☆○(゜ο゜)oとばかりにグルグル回してみて、変になっちゃったら、風呂場で水ごりでもしようかな…とか思いました。今日の、冬場は良いが、夏場は気をつけなさいというアドバイスを読んで、やるなら今のうちかなと思いました。

786避難民のマジレスさん:2014/02/04(火) 22:23:12 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚さんのように、無認識の重要性を解説している人や本などありましたら教えてください。

787避難民のマジレスさん:2014/02/05(水) 02:09:11 ID:JDpV9Y1k0
>>784
お答えになっていないかもしれませんが、マハリシの伝記などによると、
彼は16歳のときに、叔父さんの家の二階で寝ているときに、
突然死が彼の中に入ってくるのを感じ、自分が死に行くところを感じました。
それはリアルな想像だったようなのですが、その瞬間、
「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!自分は死んでも死なないじゃん!!」
と気づいたのです。
ですから、私を探求したのではなく、偶然のような形で、その時が来たようです。

彼自身の言葉によると、そこから彼の内面は一切成長しなかったのだそうです。
つまり、得た境地は一切変化しなかったのだと。
ちなみに、彼は16歳の悟りの経験までは、普通の負けず嫌いな男子だったそうです。

彼はその真我の境地を誰もが会得できる方法として、
「私は誰?」と問い続ける「真我探求という手法を編み出し、伝え始めました。
ですから、彼自身は真我探求によって大悟したわけではありません。
記憶で書きましたので、細かいところが違っていたらスミマセン。

788787:2014/02/05(水) 02:10:00 ID:JDpV9Y1k0
3行目、「突然死」ではなく、「突然、死が」です・・・

789避難民のマジレスさん:2014/02/05(水) 12:41:29 ID:dYDN.FYU0
>>781
確かに今のところ、気は自在には操れていません。
集中して流れをイメージしていると、そのうちに
体の内部に、その流れに沿って気の動きが生じるのを
観察できる状況です。頭の熱を観察しつつ、励もうと思います。
ありがとうございました。

790避難民のマジレスさん:2014/02/05(水) 17:00:30 ID:DZ0gjVsA0
鬼和尚、
妙観察智が働いても間違ってしまうのは、どのような場合でしょうか?

791避難民のマジレスさん:2014/02/05(水) 17:15:56 ID:jfWCoXjM0
フーマン・エマミさんは悟っていたのでしょうか?

http://bigislandbutterfly.wordpress.com/2013/10/14/houman-e-emami-being-remembered-by-his-japanese-followers/
↑の記事に載っているのは、フーマンさんの画像です。

http://www.leela.jp/grace/part2/title4-day1-11.html
↑は、フーマンさんの対話禄です。

792ノスタルジア:2014/02/05(水) 19:07:32 ID:Myk1JOpE0
最近、悟りや解脱に興味があるんですが、どうしたら悟りを開き
解脱ができますか?

793避難民のマジレスさん:2014/02/05(水) 19:24:14 ID:RqjHb0Jg0
サマーディに達した人でも穢れを嫌う性質が残っていますが
悟るまでは浄化や付き合う人を選んだ方がいいですか?
般若心経には穢れることも清まることもないとありますが
愚痴っぽい人に会うと頭がもやもやしてやけ食いをしたくなったり
特にイライラしている人が吐き出したタバコの煙を吸うと一番感情を乱されます
(純粋なタバコの煙自体は平気ですが、人の口から出たものは明らかに邪気のような毒ガスが混ざっていると感じます)
捨の能力が未熟なのだと思いますが影響を受けなくするにはどうしたらいいでしょうか

794避難民のマジレスさん:2014/02/05(水) 21:06:30 ID:jfWCoXjM0
http://www.youtube.com/watch?v=cKe1ADxCcB8
五井昌久さんは悟っていたのでしょうか?

795鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/05(水) 21:07:12 ID:kaXJvxhM0
>>782 無いのじゃ。
 というより何でも自在なのじゃ。
 生まれ変わろうとすれば生まれ変われるじゃろう。

>>783 そうじゃ。
 無我の後に何もしない無為の行によって大悟に至る法もあるのじゃ。
 文字通り何もしないで座っている法なのじゃ。
 禅では養胎とか聖胎長養と言い、チベット密教ではマハームドラーと言ったりするのじゃ。
 しかしいつ大悟に至るかわからないのじゃ。

>>784 その死ぬことの無い私が永遠の意識であったからなのじゃ。
 自我も無くなり、認識さえもなくなった後にも永遠の意識は決して滅する事は無いのじゃ。
 死を超えたものだけを追求すれば永遠の意識に至るしかなかったのじゃ。
 それを追求するのも大悟に至る法と言えるじゃろう。

796鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/05(水) 21:31:13 ID:kaXJvxhM0
>>785 丹田に圧力を加えている限り熱は生じ続けるじゃろう。
 なんでもやってみたらよいのじゃ。
 気が操れるようになれば何でも良いのじゃ。

>>786  一応唯識論に阿頼耶識が記憶による認識であり、それが滅すると悟りであると書いてあるのじゃ。
 そこまで判っているのは目覚めた者にさえね少ないのじゃ。
 知識としての説明としてではあるがのう。

>>789 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>790 予め別の情報が与えられている場合なのじゃ。
 例えば犬は日本語では犬であるが、英語ではドッグという。
 日本で生まれ育てば犬と言う知識を予め与えられているからそう言うが、それは米英では間違いなのじゃ。

 お釈迦様もヴェーダの知識を予め与えられていたから女子は男より劣っているとか、悟れないとか思っていたのじゃ。
 
>>791 悟っていないのじゃ。
 気付きはあったようであるがのう。

797避難民のマジレスさん:2014/02/05(水) 21:34:23 ID:JDpV9Y1k0
鬼和尚、気付きがあったというのは、数回サマーディになったとかでもあてはまりますか?

798鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/05(水) 21:41:32 ID:kaXJvxhM0
>>792 わしのブログを読んで修行すると良かろう。
 先ずは数息観からやってみるのじゃ。
 心が落ち着くじゃろう。
 判らない事があればここで聞けば良いのじゃ。

>>793 残っているじゃろう。
 未だ認識があるからのう。

 選んだ方が良いじゃろう。

 そのような時に正に空であると観想するが良かろう。
 それらの人も体験も己も己の感じようも全て空であり、存在せず、幻であり、影のようなものと観るのじゃ。
 修行の程度に従って影響を受けなくなるじゃろう。

>>794 悟っていないのじゃ。
 神降ろしの人じゃな。
 大川えるかんたーれと同じなのじゃ。

799鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/05(水) 21:45:28 ID:kaXJvxhM0
>>797 あてはまるじゃろう。
 サマーディは集中によって一時的に我を忘れる忘我であるが、特に集中しなくとも人には時々我を忘れる瞬間があるのじゃ。
 自然に感動したり、意識が変化したりしたときなのじゃ。
 その時にサマーディに入った時のように一時的に世界の本当の姿が見えるのじゃ。
 それを気づきと呼ぶのじゃ。
 その時にはサマーディに入った時と同じ世界が見えるのじゃ。

800避難民のマジレスさん:2014/02/05(水) 22:19:19 ID:LC3de7YgO
>>796
ありがとうございます。精進します。m(__)m

801避難民のマジレスさん:2014/02/05(水) 23:19:52 ID:jfWCoXjM0
たくさんの質問に答えてくださってありがとうございます。

無為の行ではいつ大悟に至るかわからないとのことですが、
それは認識を観照する機会を偶然に頼るからでしょうか?

802そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/02/06(木) 00:19:34 ID:cAZcWhe20
鬼和尚
瞑想に入ってしばらくすると、自分が今瞑想しているということを忘れてしまいます。
明日も仕事があるということも忘れます。
もしかしたら、そのまま永遠に忘れたままでいられるかもしれません。

803避難民のマジレスさん:2014/02/06(木) 02:00:24 ID:Bwz0R3.60
>>802

(*´ノ0`)コソッ・・・ アルツ・・・

804避難民のマジレスさん:2014/02/06(木) 03:28:17 ID:YcbAAFkg0
>>802
でも、ここに書き込むことは忘れない…不思議

805避難民のマジレスさん:2014/02/06(木) 08:47:17 ID:eCyUzDJA0
鬼和尚は今話題の佐村河内守氏のゴーストライター騒動について
どのように観ますか?
音楽自体には何の変化も無いにも関わらず、大変な騒動に成っているのが
興味深いのでお願いします。

806避難民のマジレスさん:2014/02/06(木) 10:08:34 ID:pwM0EAio0
悟りは一種の脳の停止ですか?

807避難民のマジレスさん:2014/02/06(木) 12:04:50 ID:fgD13pAM0
>>796 ありがとうございます。
予め与えられた別の情報というのは、悟りを得る前にということでしょうか?
そして、覚者が仮の自我によって話したり書いたりする際に、既に覚者が
身につけていた(間違った)知識を使う故に、間違うことがあるという理解で良いでしょうか?

それとも、覚者が居る文化の中では正しかった情報が、他の時代や文化など、
異なった前提条件から見ると間違っているということですか?

808避難民のマジレスさん:2014/02/06(木) 18:57:47 ID:jfWCoXjM0
http://andornot.blog.shinobi.jp/Entry/154/
大悟に至る法で、認識を観察して厭離するとは、↑のようなだまし絵を見ているときに、
ひとつの認識(老婆)から別の認識(若い女の人)に切り替わる瞬間を捉えるということでしょうか?

809避難民のマジレスさん:2014/02/06(木) 19:17:44 ID:jfWCoXjM0
修行者が自己を手探りで観察し続ければ、やがて大きな石のような障害に当るじゃろう。
それが自我と言うものじゃ。
それは真に大きく、修行者の全ての世界を覆っている。逃げようにも逃げられず、さけようにもさけられない、どこにでもあって、どこまでも続く巨大な石のようなものじゃ。
それを超えるには、ただひたすら己を虚しくし、観察が無意識の観察に変化するまで、修行し続けるしか方法は無いのじゃ。
ここでは、もはや何のテクニックもちっぽけなエネルギーも役に立たない。
己の心に嘘をつかず、己の心に陰の無い者だけが、その石を超える事が出来るじゃろう。
そして行者はいつか自分がその石を超えたと判る。
その石はただ言葉とイメージに過ぎなかったと、観照によって破壊する時、頂上は既に目の前に在る。 ”

↑は鬼和尚さんのブログの記事です。
1.この大きな石のような障害である自我と、
「私は在る」という感覚や存在の感覚は同じものでしょうか?

2.”いつか自分がその石を超えたとわかる”とありますが、
自我を観続けることで、いつの日か意図せずとも不意に”わかる”のでしょうか?

3.”無意識の観察”とは、
何をしていても自我を意識し続けている状態のことでしょうか?

810鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/06(木) 20:39:00 ID:kaXJvxhM0
>>800 どういたしまして、またおいでなさい。

>>801 そうじゃ、正に無為であるから何もせずいつ訪れるかもわからんのじゃ。
 観察や空と観るならば速やかに真の悟りも訪れるのじゃ。
 このような分類や法は真の悟りを得た者さえ知らん事も多いのじゃ。

>>802 それで良いのじゃ。
 自分も忘れてしまえば忘我なのじゃ。
 あまり意識せず今まで通りひたすらに座ると良いのじゃ。

>>805 愚かな事じゃ。
 皆曲よりも物語に騙されていたのじゃな。
 本当に良い曲ならば誰が作っても同じ筈であるがのう。

>>806 違うのじゃ。
 悟りを得るために認識を停止する事もあるがのう。
 悟りとは自我の観念を滅し、記憶に依存した認識をも滅して本来の認識に還る事なのじゃ。

>>807 悟りを得る前もあり、悟った後にもあり得るのじゃ。
 妙観察智によって訂正する事は出来るがのう。
 情報そのものが間違っていれば、言葉や知識を使うときに間違うのじゃ。

 覚者が居る文化の中では正しかった情報が、他の時代や文化など
 異なった前提条件から見ると間違っているということもあるのじゃ。
 それ故に多くの目覚めた者は良く実験をしたりするのじゃ。
 何が正しいか自分で確かめるためにのう。

811鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/06(木) 20:46:53 ID:kaXJvxhM0
>>808 違うのじゃ。
 それは見出す対象が変わっただけなのじゃ。

 認識を観察するとは、今認識しているもの、認識の作用そのものを観るのじゃ。
 その絵を老婆とか女の人とかに認識する過程を観察するのじゃ。

>>809 1 自我とそのような探求の目標とは違うのじゃ。
 追求すれば自我も私ではなく、無いものとわかるのじゃ。
 
 2 自我の観照は意志とは別に起こるものじゃ。
 何かを意志すれば自我はあり続けるのじゃ。
 それが起こった時には何が起きたか判らず、後に判るのじゃ。

 3 そのようなものじゃ。
 自ら意志しなくとも自我を観察している時、自我を観る観照が起こるのじゃ。
 そこまでいくにはかなり観察に熟達しなくてはならんのじゃ。

812避難民のマジレスさん:2014/02/07(金) 00:39:38 ID:RqjHb0Jg0
ブッダが言いたいのは不足が解消された時にかんじる快に執着せず不足の原因を滅しなさいということですか?
先にとんとんと進んでいく人は劣等なものを嫌う精神セレブですか?
全員悟るまでは満足せず上昇志向を持つべきですか?

813避難民のマジレスさん:2014/02/07(金) 07:15:23 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、おはようございます。
気を操れるようになるべく座ってます。ケッカフザで座り、丁寧に姿勢を整え、腹式呼吸を行い、臍下丹田(鼠径部のリンパ腺から組んだ足の両踵の辺りを含む)に熱感が生じてきたら、息を吐ききった後に会陰に力を入れ、熱感を強める。意念でその熱を循環させるようことはせず、自然な動きに任せます。今のところ、強い熱感を感じるのは臍下丹田にあるときだけで、自然に鳩尾の辺りまで上がって来た段階では「温かい」程度になっており、それより上では熱は感じません。 今のところこんな感じです。
これをやっていて思ったのですが、従来やっていた止観の行とは、方向性が正反対なのではないかと感じたのです。
確かに、呼吸を対象とするより熱感に集中するほうが容易いのですが、明らかに意思力で身体に働きかけて変化(熱感)を生じさせているのであり、気の操作の練習は、ある意味自我を強化させているのではないかと思うのですが、その辺は止観の行の邪魔にはならないのでしょうか? ケッカフザができるようにするために、足首や股関節の柔軟性をつけたりするのと同じような、身体技法の一つと割りきれば良いのかな…とは思うのですが、ちょっと気になったので、お尋ねしました。

814避難民のマジレスさん:2014/02/07(金) 12:16:53 ID:DZ0gjVsA0
>>810
少し整理させてください。
与えられる情報には以下の3種類あるという理解で良いでしょうか?
1 妙観察智で真偽が判る。
2 妙観察智で真偽は判らないが、実験により自分で真偽を確かめられる。
3 妙観察智で真偽が判らず、自分でも真偽を確かめられない。
それで、覚者が間違う可能性があるのは、2で真偽を確かめていない情報か、
3の情報を用いて言葉や知識を使う時でしょうか?
あるいは、妙観察智そのものが間違うということもありますか?

ここまで書いてきて、自分が知識に囚われていることに気づきました。
言葉での記述は観念に過ぎないので、その観念上の正しさを求めて
自我を喜ばせるより、自分で修行して確かめたほうが良いですね。
ありがとうございました。

815避難民のマジレスさん:2014/02/07(金) 13:03:33 ID:jfWCoXjM0
数息観をすると、そのうちに、何の煩いもない静寂の状態に至りますが、
”この静寂が存在することを知っている”ものが認識ですか?

そして、それを観察しようとすることは正しい修行でしょうか?

816避難民のマジレスさん:2014/02/07(金) 13:18:32 ID:LYbh97bo0
鬼和尚さんいつもお世話になってます。

数息感をしていると身体の感覚がなくなり何かに支えられているようなふんわりとした感覚になり身体全体が気持ち良くなりますが、私はこの時に勃起します。
何もいやらしいことは考えていません。これはよくあることなのでしょうか?それを無視して何も考えないようにしながら続行すれば問題ありませんか?

817避難民のマジレスさん:2014/02/07(金) 17:12:47 ID:RqjHb0Jg0
悟った人からみたら天界人も地獄人も機嫌がいいか悪いかの差でしかありませんか
何も知らない子供の無垢と結構色々見た大人の無垢は基礎が違うように、同じ天界人でも秘めたポテンシャルはまったく違いますか?

わたしいなーい、わたしいなーいと馬鹿みたいに唱えてると我が静まって少し安らぎます
サマーディーではないのですが自分は何者でもないという感覚があって楽チンでした
でも寝て起きたらいつも通りの我の強い人間に戻ってました
まさに諸行無常です
マハルシのようにわたしを見つけ出して観照が起こらないと無理ですかね
でも安らかに生きるには続ける価値はありますか?

818鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/07(金) 20:50:14 ID:kaXJvxhM0
>>812 違うのじゃ。
 原因から起こる苦を観察するのじゃ。

 特にセレブではないのじゃ。
 
 持つと良いのじゃ。
 強制はしないのじゃ。

>>813 熱に気を取られるならば止観ではないのじゃ。
 止観とは別に気の行をすると良いのじゃ。
 それもヨーガや道教に修行の一つとして在るものじゃ。

>>814 そうじゃ、自分で真偽を確かめていないと間違うのじゃ。
 始めから間違った情報だけを与えてられれば妙観察智も間違うじゃろう。
 そうじゃ、精進あるのみじゃ。

>>815 知るのではなく、今感じているものが認識なのじゃ。
 そこにもはや知は無いのじゃ。

 正しいのじゃ。
 恐れずに更に深く進んでいくと良いのじゃ。
 
>>816 気が満ちて精力が強いとそうなるのじゃ。
 問題は無いのじゃ。
 いずれなくなるじゃろう。

>>817 そうじゃ、天にもやはり苦はあるものじゃ。
 恐れがあればむしろ知と力があるだけ悟りから遠ざかるものじゃ。

 続けると良いのじゃ。
 自我を滅する恐れが減るじゃろう。

819避難民のマジレスさん:2014/02/07(金) 21:33:44 ID:LC3de7YgO
>>818
ありがとうございます。
ある意味 気の行は、脳に器質的改善をもたらそうとするものであり、一時的に自我を強めることになっても、いわゆるクンダリニの上昇により脳の器質的改善が達せられれば、サマディを体験し、無我を実感できるといった理解で良いのでしょうか?

820避難民のマジレスさん:2014/02/07(金) 23:25:58 ID:2iIstrs20
>>818

816です。よかったです。
ありがとうございますm(_ _)m

821避難民のマジレスさん:2014/02/08(土) 00:29:47 ID:JDpV9Y1k0
鬼和尚、OSHOの本を最初に読むのはなんというタイトルの本がいいでしょうか?
おすすめの読む順番を教えてください!

822避難民のマジレスさん:2014/02/08(土) 00:44:16 ID:jfWCoXjM0
静寂を感じている認識と、他の物、たとえば感情や感覚や思考などを感じている認識とは同じもの(作用?)でしょうか?

823避難民のマジレスさん:2014/02/08(土) 12:24:36 ID:pR6SbfQI0
妙観察智?
鬼和尚と同じ視点を持つ事?鬼和尚の思考認識を妙観察?

824避難民のマジレスさん:2014/02/08(土) 18:56:19 ID:jfWCoXjM0
夢を見ていない眠りの状態とはどういった状態なのでしょうか?

そこにも静寂と、静寂を感じている認識は存在しているのでしょうか?

825避難民のマジレスさん:2014/02/08(土) 19:05:00 ID:jfWCoXjM0
OSHOはよく「リラックスしてただ待ちなさい」といったことを言っていたように思います。
これは無我の状態で大悟の時を待つ無為の行と同じでしょうか?

観察力がないと、無為の行で悟ることはできませんか?

826鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/08(土) 21:08:26 ID:kaXJvxhM0
>>819 そうじゃ、クンダリニーの目的もサマーデイに達するためなのじゃ。
 肉体からの修行と言うユニークなものであるが、それも最後には観察によって無我にもなるのじゃ。
 素質のある者や興味のある者には有意義なのじゃ。

>>820 どういたしまして、またおいでなさい。

>>821 わしもいろいろ読んだが自分が興味のあるものから読んだら良いのじゃ。
 般若心経とか、老子とか、一休道歌とか、瞑想の実践マニュアルとかいろいろあったのじゃ。
 先ずは自分が興味が在って面白く読めそうなのを選ぶと良いのじゃ。

>>822 それをおぬし自身が観察してみるのじゃ。
 わしが言うべき事ではないのじゃ。
 修行者が観察すべきことなのじゃ。
 
>>823 そうじゃ、目覚めたもの同士は互いに妙観察智があるのじゃ。
 それによって互いに観察し合うからわずかな動作でわかるのじゃ。
 拈華微笑のようにのう。

827鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/08(土) 21:10:16 ID:kaXJvxhM0
>>824 もっと深い意識なのじゃ。
 常に存在し、絶える事の無い意識なのじゃ。

>>825 そうじゃ、無為なのじゃ。
 出来ないじゃろう。
 最後にはやはり観察が必要なのじゃ。

828避難民のマジレスさん:2014/02/08(土) 22:15:39 ID:LC3de7YgO
>>826
ありがとうございます。
気の行を追求してみます。気の行を実践するに際し、三丹田を一直線にする正しい姿勢、腹式呼吸の他に注意すべき点や、上達のコツのようなものがありましたら、ご助言お願いします。

829避難民のマジレスさん:2014/02/08(土) 22:37:58 ID:E8zWDHRg0
座禅してない時に目、対象物、接触
感受と、何となく観察してたら、
体に震えみたいなのが、きて妙な感覚と恐怖感に30秒くらい包まれた後景色が色になった気がした。
その時テレビをみていたが、文字を捉えようとしても、テレビ全体でしか捉えらなれなかった。
強い気づきがあった時、にたような感覚があるような気がします。

830避難民のマジレスさん:2014/02/09(日) 19:36:11 ID:JDpV9Y1k0
>>826
ありがとうございます

831避難民のマジレスさん:2014/02/09(日) 19:38:34 ID:JDpV9Y1k0
>>826
間違えて送信してしまいました・・・

ありがとうございます!
さっそく十牛図を語るという本と、オショータイムズ「自分自身を超える」を注文しました。
楽しみですうー☆
この2冊の読みどころ、効果的な読み方、鬼和尚の感想などを教えてください!

832鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/09(日) 21:08:00 ID:kaXJvxhM0
>>828 その行を行っているといずれ頭の中に映像が見えるようになるのじゃ。
 そして映像を操れるようにもなり、声も出て現実味まがうようにもなるのじゃ。
 映像の中の神仏がおぬしはもう悟ったとか言うのを真に受けると、修行が止まる行者病となるのじゃ。
 昔はそれを魔と言ったのじゃ。
 引っかからないように気をつけるのじゃ。

 基本は熱の発生であるからなるべく多くの熱を出すようにするのじゃ。
 そしてそれを集中やイメージでもっと精妙な気に変換するのじゃ。
 ヨーガの本や仙道の本などを参考にするのじゃ。

>>829 一瞬、阿頼耶識の認識が止まったのじゃな。
 恐れる事は無いのじゃ。
 期待せずに観察を続ければまたなるじゃろう。
 そのとき冷静に己を観察してみるのじゃ。

>>830>>831 わしはオショータイムズは読んでいないのじゃ。
 十牛図は読んだのじゃ。
 オショーの本は知識を集めるよりも、心を落ち着けて座りたくなるような語り口なのじゃ。
 意味が判らなくとも、読んで座りたくなったら瞑想をしたら良いのじゃ。
 オショーの本は全てそのように知識よりも、人を瞑想に導くために話したものなのじゃ。

833避難民のマジレスさん:2014/02/09(日) 22:37:58 ID:LC3de7YgO
>>832
ありがとうございます。気の肉体的物理的な影響につきましては、実感があるのですが、精神的影響効果については、いまのところが実感がありません。鬼和尚にご指摘いただいた点に注意さながら精進します。
お薦めの書籍がありましたら、ご教示ください。

834避難民のマジレスさん:2014/02/10(月) 00:11:48 ID:tHj0j65Y0
瞑想やってるときはちっとも寒くないのに終わると急に寒さを感じたりするよな

835避難民のマジレスさん:2014/02/10(月) 15:19:47 ID:RqjHb0Jg0
我々はドーパミンやアドレナリン、セロトニンなどの脳内ホルモンに気分を支配されているのですが
よく修行の進んだ人はこれらの物質に影響を受けないのですか?
ものすごく気分が悪いという感情すら他人事のように感じていますか?
悟った人は麻薬中毒患者の体になっても苦を感じないとのことでしたが、脳内ホルモンに影響を受けないということですよね

836避難民のマジレスさん:2014/02/10(月) 16:51:35 ID:RqjHb0Jg0
生きる原動力をアドレナリンに頼っていたのですが
アドレナリンを出すような妄想や嗜好を止めたら低かった血圧がさらに低くなり腑抜けみたいになってきました
ちょうど東大出の住職小池龍之介みたいに覇気がありません
オショーやバガヴァンさんはなぜあんなに快活ですか

837避難民のマジレスさん:2014/02/10(月) 19:24:53 ID:Bwz0R3.60
       /::::::::ソ::::::::::゛'ヽ、
       /:::::::-、:::i´i|::|/:::::::::::ヽ 
      /::::::,,、ミ"ヽ` "゛ / :::::::::ヽ 
     ./::::::==        `-::::::::ヽ 
     |::::::::/ .,,,=≡,  ,≡=、  l:::::::l  
     i::::::::l゛  /・\,!./・\、,l:::::::!
     .|`:::|   " ノ/ i\`   |:::::!   言っとくけど
      i ″   ,ィ____.i i   i // 環境の破壊者は人間であります。
      ヽ i   /  l  .i   i /    現在地球4個分の消費しているのであります。
       l ヽ ノ `'''`'''''´ヽ、/   海藻は大気の半分の酸素を供給しています。
      /|、 ヽ  ` ̄´  /  海水の温暖化は、温まりにくい海水の水温上昇ですから、
   ,---i´  l ヽ ` "ー−´/      冷めにくい事にもなり、危険度はより深刻であります。
'´ ̄   |  \ \__  / |\   人間の活動を節度有るものに戻さなければならないのであります。
     |    ゝ、 `/-\ | \ `ヽ  あなたの猛省をお願いしたいのであります。
     |   / ヽ/i  / |   \  \
     `ヘ /   \ )-┘ |    ゝ  \
       /     \ | |  `i´     ヽ

838鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/10(月) 20:46:12 ID:kaXJvxhM0
>>833 ヨーガの経典を読むと良いのじゃ。
 日本では、ヨーガ根本経典とか、続ヨーガ根本経典とかの名前で売っているのじゃ。
 道教は高藤聡一郎の仙道入門とかが良いのじゃ。
 気の行に詳しいのじゃ。

>>834 集中していると感じないのじゃ。
 
>>835 多少は影響するじゃろう。
 感情を完全に厭離すれば感じないのじゃ。
 普段から瞑想によって脳内麻薬を制御していることになるから、影響は少ないのじゃ。
 肉体的に中毒があっても自分で制御できるのじゃ。

>>836 苦が無いからじゃ。
 もはや不安や恐怖も無く、まさに極楽なのじゃ。
 おぬしも苦を滅していくと良いのじゃ。

839避難民のマジレスさん:2014/02/10(月) 22:37:37 ID:LC3de7YgO
>>838
ありがとうございます。丹田の熱感自体は姿勢よりも集中により生じるものらしいことを発見してしまいました。腹部が温まり、姿勢が緩んで、うとうとと仕掛けたりします。 止観の行を姿勢第一でやっていたときには、眠くなることなどは滅多になかったのですが、こりゃまずいと反省しました。気の行でも姿勢第一で気合を入れて精進します。

840避難民のマジレスさん:2014/02/11(火) 10:11:00 ID:eCyUzDJA0
グルジェフの「注目すべき人々との出会い」という本を読んだのですが、
あそこに書いてあるのは実話実話なんでしょうか?
なんか創作を読んでる気持ちに成るんですよね。
また、グルジェフは人を騙すような商売をしていたのですが、そんな人が悟ってるという
鬼和尚の見解に疑問が湧きました。
まあ、本自体は凄く面白かったですけどね。

841避難民のマジレスさん:2014/02/11(火) 12:17:48 ID:jfWCoXjM0
http://www.asahi-net.or.jp/~hu4c-oosw/juusanbutu-top.html

↑のサイトによると、真言は、ある特定の身体の部位に反応するように作られているといっています。
たとえば、オンアラハシャノウでは、膝から下の脚部。
ノウマクサンマンダボダナンバクでは、臍下丹田。
オンアロリキャソワカでは、眉間。
ノウボウアキャシャギャラバヤオンアリキャマリボリソワカでは、百会など。

鬼和尚さんも、上のような真言を唱えると、同様の部位に何か反応を感じますか?

842避難民のマジレスさん:2014/02/11(火) 12:44:38 ID:jfWCoXjM0
http://allsatori.blog103.fc2.com/blog-entry-3043.html

近頃↑のような、悟りを促すセッションのサイトをよく目にします。
この方は悟っているのでしょうか?

また、

「このセッションは、無空庵から始まったセッションで、ホ・オポノポノのゼロ、空、無、純粋意識、愛、観照意識、ワンネス、純粋な知覚、純粋な体験、純粋な休息の領域、根源、無条件なるもの、
と呼ばれている真我の純粋エネルギーとのエネルギーワークで、satorinとの共鳴で直接触れることにより、あなたの内側にある「それ」に気づきようになります。

週に1回の共鳴により、あなたの内面は静かになり、身体もリラックスすることで、思考ではない本当の自分に気づき、愛や喜びにハートが開かれると同時に、穏やかになっていきます。」

と書いてあるのですが、このような現象は起こりうるものなのでしょうか?

843避難民のマジレスさん:2014/02/11(火) 13:00:52 ID:jfWCoXjM0
http://www.parpar.jp/azizhouman/EBT.html

↑には、「Enlightenment Beyond Traditions(Aziz Kristof・Human Emami)」という本の部分訳が載っています。
↓に一部載せますが、これらは悟りへの道筋を正しく説明したものでしょうか?
そして間違っているならば、その誤りも指摘してもらえませんか?

844避難民のマジレスさん:2014/02/11(火) 13:01:54 ID:jfWCoXjM0
覚醒のマップ

1. 無智

 無智は広く存在している。というのも、それはほとんどの人間の体験を構成しているからだ。
 無智においては、〈私〉は完全に断片化し、無意識で、何の中心も土台もない。機械的なマインドがすっかり「心」を支配し、〈実在〉Being やハートの体験を許さない。
 この状態では、人はすっかり、心的な出来事や、思考、感情に自己同化している。中心がないので、思考や感情が現れるたびに、そのひとつひとつが別個の〈私〉を作り上げる。ちょうど夢の中のように、人はまったく対象化された現実を生きる ― あるいは、自分そのものがその対象化された現実だ。そこには主体が存在しない。〈私〉は対象化され、そして、知覚され思考されたものと同一化される。それゆえ、そこに感じられる苦悩と否定性は非常に大きなものとなる。
 無智の状態とは、極めて平板で狭い世界だ。深さがない。この状態においては、気づきと感受性の機能は非常に限られ無意識的だ。この状態においては、魂は苦悩し、かつ、自分自身に気づいていない。無意識が君臨している。人はエゴ・イメージの世界に生きている。自分自身を知覚するにしても、いつも外の物を通じて行う。
 無智とは意識的な状態とは言い得ない。それは意識と無意識との間にある。それはぼんやりと曖昧で、真の主体が欠けている。それは超越すべきものだ。人はすべからく、早晩、それに挑むことになる。

845避難民のマジレスさん:2014/02/11(火) 13:02:38 ID:jfWCoXjM0
2.〈われあり〉の目覚め

 〈われあり〉I Am とは、思考や感情以前の、自分自身の全面的な体験だ。この体験は、気づき (注意)、〈実在〉Being のエネルギー、ハートの総合だ。
 この三要素すべてが、自分自身の中にしっかり根づいて初めて、〈全一性〉が現れるに至る。

注意
 マインドを超越するためには、まず第一に、注意の要素を目覚めさせる必要がある。それによってマインドの中で意識的になることができる。この注意はマインドの中で生じ、そしてそれによって、マインド自身の無意識的で機械的な面が超越される。
 自己を認識する注意が、自分自身を、「知覚されたものごと」と分離して見るとき、そこに〈覚〉の状態 State of Presence が生まれる。
 注意を養成する目的は、この〈覚〉Presence を安定化させ、確立させることにある。そして最終的に〈覚〉は、しっかりした気づきの中心となり、心理学的な自己の背景に常住することになる。
 しかしながら〈われあり〉の他の局面が育たず、〈覚〉のみが養成されると、非常にバランスを欠くことにもなる。

〈実在〉Being
 〈実在〉の局面は、〈覚〉の局面に、必要な深さを与える。〈実在〉なしの〈覚〉は、緊迫しすぎており、安らぎと手放しの要素を欠いている。
 〈実在〉の局面を養成することによって、〈覚〉のエネルギーは、自然な重力によって引っ張られ、身体全体を通って下に落ちていく。
 まず第一に、注意を〈覚〉に向け変えることによって、マインドを手放す。
 次に、自己参照する〈覚〉をリラックスさせる。すると〈覚〉は徐々に、無為の状態、無努力の坐、純粋な瞑想へと、溶け去っていく。
 当然ながら、日常活動の中では、注意の局面の方が表面に出ている。一方、坐って瞑想しているときは、〈実在〉の局面の方が表に出る。
 この時点では、〈われあり〉の注意と〈実在〉の局面が存在する。

ハート
 たとえ〈実在〉と〈覚〉の状態にあっても、覚醒したハートの深い感受性がないと、完全なる〈われあり〉の体験からはほど遠い。
 私たちはハートを感性の中心として語るが、それはまた同時に、〈実在〉のひとつの次元でもある。ハートのエネルギー的な存在は、〈覚〉と〈実在〉の涼しさに、温もりをもたらす。ハートとは内側と外側とのバランスだ。それがないと、人はあまりに内側に引っ張られ過ぎ、外側との関係がうまく広がらない。本質的に私たちは感じる存在であり、〈私〉という私たちのアイデンティティーの中心はハートに位置している。ハートがないと、根本的な感受性と内側の美を体験することができない。
 注意を養成すると同時に、他の二つの局面に働きかけることによって、私たちは徐々に〈われあり〉の全体的な体験へと近づいていく。これら三つの局面が確立して初めて、充足と幸福が感じられる。

846避難民のマジレスさん:2014/02/11(火) 13:03:13 ID:jfWCoXjM0
3.絶対状態

 〈われあり〉の下には、絶対的な休息がある。〈絶対〉とは、〈われあり〉の〈実在〉面の秘密だ。注意やハートは〈絶対〉に到達することができない。完全な明け渡しは〈実在〉を通じてのみ起こる。
 〈絶対〉への移行以前には、〈実在〉の体験は〈われあり〉に属している。それは、〈私〉の一部だと言うことができる。あたかも、〈実在〉のエネルギーがその自己意識の枠を超えられないかのようだ。
 それゆえに、〈われあり〉の〈実在〉面 ― それによって平安と休息の体験がもたらされるのだが ― は、絶対的な休息に到達することができない。〈われあり〉の内に体験される平安と休息の場合には、エネルギーと意識にまだ動きが存在する。それは素晴らしいものであり、ほとんどの魂にとっては究極のものだ。
 しかしながら、〈われあり〉を超える更に深い体験というものがある。〈絶対〉への移行は、〈われあり〉の〈実在〉面を、その原初の不在へと拡張させる。それは意識やエネルギーに先立つ領域だ。
 〈実在〉面内でのアイデンティティーの中心は、〈源泉〉へと引っ張られる。それで、人は非常に不可思議な仕方で、〈われあり〉以前のところに置かれる。ここにおいて、〈純粋な休息〉の状態が出現する。
〈われあり〉の〈実在〉面は自分自身を完全に手放し、〈不生〉に迎え入れられる。ここで〈私〉は最終的に、宇宙的な『われあり』I AM の現れの中に、自らの不在を体験することができる。


4.最終的な悟り:〈私〉へ

 〈私〉Me は、精神的探求の道に入り、内的状態もすべて完了しているかもしれない。にもかかわらず、不可思議なことに、自分自身に無意識な状態にある。〈われあり〉を悟り、〈絶対〉を悟っているにもかかわらず、悟りに到達している〈私〉に気づいていない ― 。
 誰が探求者なのか。誰が発見者なのか。ここに初めて、伝統的な知識を超えた、まったく新しい理解が現れる。〈私〉への目覚めだ。
 しかし、内的状態を達成しないかぎり、〈私〉が真にどのようなものかはわからない。内的状態が曇りなき鏡となって、〈私〉が最終的に映しだされ、把握されるのだ。
 ハートが目覚めないかぎり、〈私〉は表だって現れてこない。〈私〉の中心、本質は、ハートの中にある。私たちはそれを魂と呼ぶ。ハートの中で初めて、〈私〉は自分自身と全面的に出会う。
 しかしながら、まず最初に、〈実在〉の内的静寂と深さ、気づきの明晰さという基礎は絶対的に必要だ。
 ハートが目覚めると、それはもはや胸の真ん中ではなく、自分の存在全体に拡がる。
 〈私〉とは何か。それは、自分なるもののすべてだ ― それは絶対的に個人的で、親密だ。それは、〈覚〉と、〈実在〉の静寂と、ハートの温もりや感受性、そして知性の動きがひとつになったものだ。
 〈私〉が自分自身に目覚めるとき、それはもはや「他の状態」の内に安らぐのではなく、自分自身の内に安らぐ。無努力の在り方で、それは宇宙的な『われあり』とひとつになり、〈創造主〉と出会う。
 〈私〉への悟り、それは魂の開花、「個の進化」の開花であり、それ自身を通じて、その究極の拡張へと到達する。それは、自らの究極の境界を超え、宇宙的な『われあり』を把握し、その中に溶け入っていく。ここにおいて、個的な〈私〉は自分自身を超越し、一体性と分離を超えた至高の次元へと入っていく。

847鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/11(火) 20:51:04 ID:kaXJvxhM0
>>839 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>840 かなり創作が入っているようじゃ。
 小説のようなものとして読んだら良いのじゃ。
 作者の主張が読み取れるじゃろう。

>>841 感じないのじゃ。
 それはむしろ集中する場所を示しているのじゃろう。
 真言やマントラそのものに属性があるわけではなかろう。
 全て信じるものに効果があるのじゃ。

>>842 悟っていないのじゃ。
 金を5千円払ってそうなると暗示が掛けられればそうなっていると思うのじゃ。
 暫くすると元通りになるが、叉2万円払いつづけると、いつまでも暗示に掛けてくれるそうじゃ。
 金が余っていて捨てたいと思っているならば、払ったら良いのじゃ。
 
 お釈迦様は全ての教えを無料で説いたのじゃ。
 さまざまな手段で金を求める者達とどこに共通点があるのじゃろうか。
 
>>843 全部じゃな。
 オショーとかたばこやの親父の話から適当な単語だけ抜き出して、話を作ったのじゃ。
 そのような話を作った者は、自分が何を話しているのかさえ判っていないのじゃ。

848避難民のマジレスさん:2014/02/12(水) 01:04:14 ID:Bwz0R3.60
Jane Style
バージョン・v3.75(13/12/12)
多彩な機能を備えた“2ちゃんねる”専用ブラウザー

ソフト種別
フリーソフト

対応OS : Windows 98/Me/2000/XP/Vista/7/8

ファイルサイズ 3.4MB 多彩な機能をもち、カスタマイズ性にも優れた“2ちゃんねる”専用ブラウザー。
画面は4ペインが基本で、画面左側に“2ちゃんねる”でのカテゴリーを示す“板”をツリー表示し、画面右側上段に板ごとの“スレッド”一覧を、中段にスレッドの本文を、下段にレスの書き込み欄を表示する。
各ペインの表示はメニューやボタンで切り替えられる。
さらに、普段は板一覧ペインを非表示にし、マウスカーソルを画面左端へ置いたときのみ表示するといった設定も可能。
スレッド一覧やスレッド本文のペインは複数同時に開けるタブ切り替え方式。
終了時に開いていた板やスレッドは次回起動時に自動で再表示されるほか、現在開いている全てのスレッドの更新状況をまとめてチェックする機能も備えている。
このほかリンク画像の縮小表示機能や、マウスジェスチャー機能、スレッドの階層表示機能など、“2ちゃんねる”を快適に利用するための多彩な機能が用意されている。

作者名(株)ジェーン 公式サイト株式会社ジェーン
http://janesoft.net/

849避難民のマジレスさん:2014/02/12(水) 12:57:58 ID:eGJth9EE0
鬼和尚、
集中の瞑想での、明け渡しの段階に関して助言をいただければと思います。

集中の対象に意識を置くだけにして、少しずつ集中の意志を減じて行くと、
意識を保ったまま覚醒度が下がり、眠ったような状態に近づいていきます。
ところが集中の意志を減じると、対象に集中し続ける力も弱まり、
呼吸が止まったり、自我がぼんやりしたことに注意を奪われて覚醒度が
上がってしまったり、あるいは意識まで混濁して夢見の状態になってしまいます。

これらの問題はおそらく、集中への意志のコントロールがまだ粗雑なため
なのではないかと思うのですが、この微妙なコントロールを訓練するコツ
のようなものがあれば、ありがたいです。また、もし私の認識に
誤りがあれば、それもお教えください。
あるいは、ひたすら座って体得するしかないのであれば、
引き続きこのまま、集中の瞑想を続けようと思います。

850避難民のマジレスさん:2014/02/12(水) 16:37:13 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚さん、回答ありがとうございました。

また質問お願いします。

最近は、数息観をして雑念が静まった後の静寂を感じている認識それ自体を観察しようとしていたのですが、
瞑想中の感じが、日常生活のなかでも消えずに残っているので、意志を働かせるのが億劫になってきています。
数息観を行おうという意志や、数を数えたり呼吸に意識を集中しようという意志も、です。
そして、数息観を行っても、すぐに呼吸や数を見ている意識のほうに意識がいってしまいます。
数息観は悟りを得るまで続けたほうがよいのでしょうか?

851829:2014/02/12(水) 17:30:48 ID:/MzwqQAU0
鬼和尚様、お答えありがとうございます。また質問です。諸行無常と諸々の欲求を苦しみと見極め、実感するには、いかにすべきでしょうか?

852鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/12(水) 20:36:11 ID:kaXJvxhM0
>>849 それで良いのじゃ。
 呼吸が止まるのは集中がかなり深くなった証拠なのじゃ。
 その集中と集中の対象を総べて見ている背後の意識に気づくのじゃ。
 脊髄や首のあたりにあるのじゃ。
 思考や集中そのものを見ている静寂の意識なのじゃ。
 それに気づけば無念夢想になるのじゃ。

>>850 続けるのじゃ。
 安楽に少々耽溺しているようじゃ。
 それはもはや人を超えた安らぎであるからのう。
 しかし暫くすればコントロールできるようになるじゃろう。
 高価な宝石も毎日見ていれば日常に成るからのう。
 それも観察によって滅するか、或いは集中によって越えれば、サマーディも近いのじゃ。

>>851 自分自身の今までの欲求とその結果などの経験を思い出して観察してみるのじゃ。
 移り変わるものに執着して苦しみ、欲求するものが得られても、得られなくても苦しんできた事がわかるじゃろう。
 更に他人もまたそのような事に苦しんでいるのも観察してみるのじゃ。
 新聞などにも惚れた女子に執着してストーカー殺人をした者の事件などが度々載せられているから、良くわかるものじゃ。
 一時の欲望で一生苦しむ人間を見れば実感も出来るじゃろう。

853避難民のマジレスさん:2014/02/12(水) 21:05:59 ID:PxSlYHco0
鬼和尚さま
背後の意識が脊髄や首のあたりにあるというのはあまり聞きませんが、
それは和尚さまや一部の人だけでなく誰においてもそうだという普遍的なことですか?

また、それに気づくためには脊髄や首のあたりを意識するのがよいですか?
それとも特に意識などせず観察や瞑想などを続けて自然とそうなるのを待つのがよいですか?
したほうがよいことなどあればおしえていただきたいです

854避難民のマジレスさん:2014/02/12(水) 22:47:11 ID:1sAvBPl20
>>852 ありがとうございます。
早速、首の後ろ、阿頼耶識へ意識を置くことを試してみました。
確かに呼吸や外の環境の変化に煩わされることなく、大変静かで安定した状態でいられました。
座っていた30分間が短く感じられました。

それで質問がございます。
サマーディに達するために、以前、快に集中すると良いと教わったのですが、
快と阿頼耶識への集中は、どちらを優先したら良いでしょうか?
ここのところ胃腸の調子が悪く、丹田に力を入れにくい状態でしたので、
快はわずかで集中が難しかったのですが、胃腸は回復してきています。
また、自分としては、苦滅に励みつつサマーディを経て、自我の厭離、
阿頼耶識の厭離という流れで進めたいと思っています。

855避難民のマジレスさん:2014/02/13(木) 09:33:32 ID:fGuBhAhw0
阿頼耶識に意識を置いてるって事は阿頼耶識の存在を掴んでるって事だよね?
そんな人が苦滅の途中の段階っておかしくない?

856避難民のマジレスさん:2014/02/13(木) 15:30:23 ID:Bwz0R3.60
LibreOffice  v4.2.0(14/01/30)
「Microsoft Office」 互換でオープンソースの無償オフィス統合環境

ソフト種別 フリーソフト
対応OS : Windows XP/Vista/7/8
ファイルサイズ 208.8MB

LibreOffice v4.1.5(14/02/11)
「Microsoft Office」互換でオープンソースの無償オフィス統合環境

ソフト種別 フリーソフト (
対応OS : Windows XP/Vista/7/8
ファイルサイズ 206.1MB
 「OpenOffice.org」から派生したオープンソースのオフィス統合環境。
ワープロソフト「Writer」、表計算ソフト「Calc」、プレゼンテーションソフト「Impress」、データベースソフト「Base」、ドローソフト「Draw」、数式編集ソフト「Math」の6つのソフトが含まれており、「Microsoft Office」と操作性やデータの互換性を備えている。
さらに「OpenOffice.org」にはない独自の機能も搭載しており、たとえばSVG画像のインポートや挿入に対応しているほか、ワープロソフト「Writer」ではタイトルページとページの番号付けを設定できるダイアログが搭載されている。
また、「Microsoft Works」や「Lotus Word Pro」のドキュメントをインポートするためのフィルタを備えるほか、PDF文書のインポートなどの拡張機能が同梱されているのも特長。
また、「Base」など一部の機能を利用する場合はJavaランタイム(JRE)が必要。

実務で使えるLibreOffice作者名LibreOffice contributors and/or their affiliates 公式サイトhttp://ja.libreoffice.org/関連ソフト

?Java Runtime Environment (JRE)
Java言語で開発されたソフトを実行するのに必要なランタイム

?Apache OpenOffice
「Microsoft Office」互換のフリーのオフィス統合環境

?よく使うCalc&Writerマニュアル
「LibreOffice」の「Writer」と「Calc」の操作を解説したPDF形式の電子書籍

?LibreOffice活用マニュアル
実務的な作業を「LibreOffice」で行う方法を解説したPDF形式の電子書籍

857避難民のマジレスさん:2014/02/13(木) 18:12:39 ID:jfWCoXjM0
>>852
ありがとうございます。数息観を続けていきます。

日常でも瞑想状態と変わらず、煩いなく過ごせるようになった為かはわかりませんが、
我(エゴ?)が動くと同時に、胸の中央あたりにグググッというかドドドッという妙な感覚を感じるようになりました。
これが自我というものでしょうか?なにかの精神疾患の可能性もありますか?

858避難民のマジレスさん:2014/02/13(木) 18:31:51 ID:jfWCoXjM0
http://divinesoul.jp/wp/wp-content/uploads/2010/10/Ramakrishna02.jpg
↑は、ラーマクリシュナが立ったままサマーディに入っている写真です。

サマーデイに入ると、このように自制が利かない状態になるのでしょうか?
もしそうなら、サマーディ中は、肉体的には危険な状態に置かれるのでしょうか?

859避難民のマジレスさん:2014/02/13(木) 18:32:09 ID:Bwz0R3.60
◆喜び・笑い◆ 単語登録

(≧▽≦)
(⌒∇⌒)
(*≧m≦*)ププッ
(*^-^)ニコ
(゚∇^*) テヘ♪
( ̄ー ̄)ニヤリッ
ニャハハ(*^▽^*)
ヾ(  ̄▽)ゞオホホホホホ
ヾ(@^▽^@)ノわはは
( ̄∀ ̄*)イヒッ
(o_ _)ノ彡☆ギャハハ!! バンバン!
(*^-゚)vィェィ♪
(((o^∀^)oワーイ♪
Ψ(`∇´)Ψ
(`/∇´)オーホホホ
o(*^▽^*)o~♪
(*'-'*)エヘヘ
(⌒-⌒)
(゚▽゚*)ニパッ♪
(・-・*)ヌフフ♪
☆^∇゜)ニパッ!!
(⌒〜⌒)ニンマリ
o(>▽<)o
(ノ∇≦*)キャハッッッ♪
(^ー^* )フフ♪

860鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/13(木) 20:23:18 ID:kaXJvxhM0
>>853 それはわしの観察と複数のものに教えた知見なのじゃ。
 人体の構造によるものであるから余程何かの障害が無い限り、誰でも気づく事が出来るじゃろう。

 そこに集中するより、集中するものと集中の対象の全てを、そこから見ているか、認識しているような感じにするのじゃ。
 ある程度集中力がついていないと気づくことも難しいものじゃ。
 少なくとも思考が己ではないとはっきり気づいていなくてはならんのじゃ。
 そうでないと思考が途絶えた時に意識も無くなったと認識するからのう。
 思考も感情も集中も集中の対象も全てをただ観る意識なのじゃ。
 それでうまくいかなければ、やはり集中が上達した後に気づくしかないのじゃ。

>>854 おぬしがやり易いほうを選んだらよいのじゃ。
 いずれにしてもそのままでも快は生じるじゃろう。
 やがてサマーディに到達すれば同じ道であったと気づくじゃろう。

>>855 そこに居る時は自我による苦は無いのじゃ。
 集中で到達しただけであるから、集中が無くなればやはり苦はあるのじゃ。
 おぬしも試して見たら良いのじゃ。

861避難民のマジレスさん:2014/02/13(木) 20:28:24 ID:Bwz0R3.60
【速報】14日〜15日の積雪マップが発表される
http://himasoku.com/archives/51832458.html

862鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/13(木) 20:34:59 ID:kaXJvxhM0
>>857 そうかもしれん。
 それを観察によって確かめられるのはおぬしだけなのじゃ。
 さらによく観察してみるのじゃ。

>>858 なる事もあるのじゃ。
 何も飲まず食わずで何日も座っているという事もあるのじゃ。
 滅多に起こらないがのう。
 忘我による究極の快によって、更に自我の意志を失う事によって、サマーディから出る意志がなくなるのじゃ。
 大抵は肉体の欲求によって還ってくるがのう。

863避難民のマジレスさん:2014/02/14(金) 12:57:45 ID:yJJ.4/gw0
>>860 ありがとうございます。
阿頼耶識への集中と、快への集中ですが、私には阿頼耶識への
集中のほうが合っているようです。
瞑想中でなくとも、寝起きにも阿頼耶識は認識されやすいように思うのですが、
それは脳が静かな状態だからでしょうか?

864避難民のマジレスさん:2014/02/14(金) 17:50:01 ID:jfWCoXjM0
>>862 わかりました。観察していきます。

   ☆ +
 +   ._  ☆
☆ へ ./〜ヽへ+
+ノ从`(。・-・)从丶 鬼和尚さん、ちょこどうぞ
ノ从从( つ(⌒⌒)丶
"""""ノ ノ ノ\/"""
+ ☆し"J + ☆
 +  ☆  +

865避難民のマジレスさん:2014/02/14(金) 18:29:32 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは。
朝晩、気の行を2〜30分、止観を2〜30分くらいの割合で座っております。気の行においては、熱感が生じてから武息と文息を交互に繰り返す温養に取り組んでおります。熱感の発生と維持についてはだいぶ安定して参りましたが、もう少し圧力が上げられるように頑張ってみようと思います。こんな感じの取り組みで良いのでしょうか?
止観の行につきましては、心を観察しようとしても、大した感情もわいてこず、自分は何て薄っぺらなんだろうか…いや、行の成果の顕れで、諸々の「苦」が厭離されたのかもしれない等と考えておりましたが、今朝方突然、不快な感情を伴う記憶が甦り、観察対象としました。今まで、積極的に覗き込み、掘り起こそうとしても、現れなかった感情がやっと出てきたのでしょうか。

866鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/14(金) 21:00:37 ID:kaXJvxhM0
>>863 そうじゃ、脳が未だ働いていないからなのじゃ。
 それに自我も未だ思い出されていないからのう。
 そのような時には阿頼耶識がよく意識できるのじゃ。

>>864 そうじゃ、精進するのじゃ。
 ありがとうなのじゃ。

>>865 それで良いのじゃ。
 急ぎすぎてはいかんのじゃ。

 そうかもしれん。
 自分で長い間逃避してきた苦はなかなか現れ難いものじゃ。 
 むしろ自我の計らいが消えた時に出たりするのじゃ。

867避難民のマジレスさん:2014/02/14(金) 21:20:36 ID:LC3de7YgO
>>866
ありがとうございます。気の行の方は、目的をもった積極的な働きかけと、その反応成果がはっきりしてるので、楽しめます。 観の行の方も心の深淵を掘り起こし、潜在意識の奥底にしまいこまれた全てを見極め尽くすことを目標にしたいと思います。

868避難民のマジレスさん:2014/02/15(土) 11:22:44 ID:eul.ldo60
>>866
阿頼耶識の意識について、ありがとうございます。
確かに阿頼耶識を認識するというよりは、阿頼耶識に気づく
といったほうがしっくりくるように思います。正確に言葉を
使いたいと思うのですが、なかなか表現が難しいです。

それで、日常でも集中すると阿頼耶識に気づけることがあるようですが、
活動に支障がなければ、いつでもその阿頼耶識の意識に没入するように
して良いでしょうか?

あともう一点、阿頼耶識の感覚が微妙なので、阿頼耶識の偽物を観念によって
作り出してしまう恐れがあるように思います。本物の阿頼耶識と見分けるには、
本物の場合は阿頼耶識を意識できると無念無想になるといった感覚を
観れば良いでしょうか? もし他に、阿頼耶識に意識をおいている時に
共通して観察できることなどがありましたら、お教えください。

869鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/15(土) 20:04:03 ID:kaXJvxhM0
>>867 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>868 そうじゃ、日常でも支障が無い限りやってみたらよいのじゃ。
 違う世界が見えてくるじゃろう。

 それに気づいている間は自我による苦や欲を離れているじゃろう。
 自我が原因の執着や執着による苦は無いのじゃ。
 名声とか権力とかの欲は無いのじゃ。

870避難民のマジレスさん:2014/02/15(土) 23:17:17 ID:Bwz0R3.60
白隠禅師(はくいんぜんじ) 坐禅和讃(ざぜんわさん)

『 衆生(しゅじょう)本来ほとけなり 水と氷のごとくにて
水をはなれて氷なく 衆生のほかにほとけなし
衆生ちかきをしらずして 遠くもとむるはかなさよ
たとえば水のなかに居て 渇をさけぶがごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異(こと)ならず
六趣輪廻のいんねんは おのれが愚痴のやみじなり
闇路にやみじをふみそえて いつか生死をはなるべき

それ摩訶衍(まかえん)の禅定は 称歎するにあまりあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 みなこの中に帰するなり
一坐の功をなすひとも 積みし無量のつみほろぶ
悪趣いずくにありぬべき 浄土すなわち遠からず
かたじけなくもこの法を ひとたび耳にふるるとき
讃歎随喜するひとは 福をうることかぎりなし

いわんやみずから回向(えこう)して 直に自性を証すれば
自性すなわち無性にて すでに戯論(けろん)をはなれたり
因果一如の門ひらけ 無二無三のみちなおし
無相の相を相として 往くもかえるもよそならず
無念の念を念として 歌うも舞うも法のこえ
三昧無礙(ざんまいむげ)の空ひろく 四智円明の月さえん

 このとき何をかもとむべき 寂滅現前するゆえに 
当所すなわち蓮華国 この身すなわちほとけなり 』

871避難民のマジレスさん:2014/02/16(日) 01:28:22 ID:Bwz0R3.60
やがて来る春競馬を前にして 迷える子羊のJRAファンに伝授する無思考必勝法・・・(笑) 枠連簡単自動二分必勝システム(笑) 著作権取得済み

第一のシステム(枠連)1〜8枠
穴狙いの場合の、無思考で買うシステム。

1点買いでは7−8 or 8−8のゾロ目
2点買いでは1−2、1−8
3点買いでは1−2,1−8,7−8

資金に余裕があれば、
1−7
2−7
2−8
を加えて、6点買いもいい。(汗)

第二のシステム
次は、確率が高いまんなか枠の3−4−5−6 の4枠枠だけを買う本命狙いのシステム。
3−4 
4−5 
5−6
隣同士の枠で、3点買い

抑えに
3−5
3−6
4−6
を加えて、この6点買い

ぞろ目は、万馬券が出やすいが、無視する。
と言っても、方向性は出さすべき、と言うことで、まんなか枠の3,4.5.6枠なら、ぞろ目でも、買えるとするシステム。

と言うわけで、ふたつのうち、ひとつの購入システムを採用するべし。

872避難民のマジレスさん:2014/02/16(日) 02:46:06 ID:Bwz0R3.60
新スレが建ちました♪
坐禅と見性第96章はるのおがわはさらさらゆくよ♪
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1392482627/

873避難民のマジレスさん:2014/02/16(日) 19:27:08 ID:7rD9T5220
>>869 ありがとうございます。
阿頼耶識に意識を置いている時には、自我はどうなっているのでしょうか?
確かに苦や欲を離れている感じがしますが、自分があるという感覚は
薄まってはいるものの、残っているように思います。

874鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/16(日) 20:08:31 ID:kaXJvxhM0
>>873 そこでも自我は弱まっているが未だ在るのじゃ。
 見る意識であるそれに投射されている時もあるのじゃ。
 あるいは集中する主体として想起されているのじゃ。

 未だ完全な忘我ではなく、観照が起こったわけではないからのう。
 意識しなくとも自我が忘れられたらサマーディなのじゃ。
 そこに到達したばかりでは未だ早いが、いずれはその境地も捨てて更に深く瞑想に入っていくと良いのじゃ。

875避難民のマジレスさん:2014/02/17(月) 12:15:21 ID:eul.ldo60
>>874 ありがとうございます。
> そこに到達したばかりでは未だ早いが、いずれはその境地も捨てて更に深く瞑想に入っていくと良いのじゃ。
とありますが、阿頼耶識に意識を置くことにも囚われないようにするという理解でよろしいでしょうか?
方向性としては、自我ができるだけ働かないように、心のコントロールを弱めていき、いずれそのコントロール
自体も無くなるという感じですか?

876避難民のマジレスさん:2014/02/17(月) 19:23:11 ID:jfWCoXjM0
観察は、"Don't think, FEEL!" ということでしょうか?

877鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/17(月) 21:22:42 ID:kaXJvxhM0
>>875 そうじゃ、それもまた通過点に過ぎないのじゃ。
 役に立つ境地では在るがのう。
 
 そのような理解でも良いのじゃ。
 もっと深く瞑想に入れば自然にコントロールするものもされるものも無くなるからのう。
 
>>876 そうじゃ、思考は集中していけば無くなるじゃろう。
 思考が無くとも観る意識は在るじゃろう。
 思考よりも感じることの方がより根源的な能力なのじゃ。
 感じる事で思考もあるのじゃ。

878避難民のマジレスさん:2014/02/18(火) 12:11:14 ID:wH0JIS760
>>877
日常生活の中で阿頼耶識に意識を置くことができたのですが、
名前の無い世界が見えました。世界そのものといった感じでした。
美しい景色に目を奪われている時の感覚と近いように思います。

それで瞑想をさらに深めるために、姿勢、態度(焦らず、恐れず、拒まず、囚われず)、
継続の他に、もし何か助言がありましたらお願いいたします。
現在1回の瞑想時間は20〜30分で、1日2〜3回座っています。

879鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/18(火) 20:21:38 ID:kaXJvxhM0
>>878 言葉による投射が一反止まったのじゃな。
 イメージも無ければ忘我にも入れるじゃろう。

 この先、今までの常識に反する現象が起きたりするじゃろう。
 空無辺定とか脱身とか意生身とか言われる肉体の外にも意識が感じられる状態なのじゃ。
 ある者は今までの世界観が崩れるからそれを恐れて修行を止めてしまう。
 ある者はそれで悟ったと勘違いして布教したりするのじゃ。
 それもまた真の悟りへの通過点に過ぎないのじゃ。
 何が起きてもそのようなものであると受け入れ、更に精進するのじゃ。

880避難民のマジレスさん:2014/02/19(水) 06:07:52 ID:WL2yRwjAO
脳が働いてない時によく認識されるとするとアーラヤ識は脳の外にあるのでしょうか

また脳溢血になった人が神秘体験を語ったりしますが、脳が壊れることで
別の世界が見えてるのでしょうか
脳を手術して神秘能力を手に入れようとした文明と言うのが過去にあったと聞きます。(ホムンクルス)

881避難民のマジレスさん:2014/02/19(水) 07:36:29 ID:WL2yRwjAO
心を清めるためには善事をせよとありましたが
以前善行とは自己の利益になること(自分を楽にすること?)と言う法話もありました
特に矛盾は無いのでしょうか

882避難民のマジレスさん:2014/02/19(水) 12:03:39 ID:Zcl18UUU0
>>879
記憶に依存しない、本来の認識を取り戻すまでは
何が起きてもそのようなものであると受け入れ、努め励みます。
ありがとうございました。

883避難民のマジレスさん:2014/02/19(水) 21:17:15 ID:Bwz0R3.60
2/23(日) フェブラリーステークス(GI) 東京(ダート) 1600m
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1392570345/

ネット競馬想定オッズ

人気 馬名 予想オッズ

1 ベルシャザール 2.4
2 ホッコータルマエ 3.3
3 ワンダーアキュート 5.9
4 ニホンピロアワーズ 8.2
5 ベストウォーリア 8.9
6 ゴールスキー 12.4
7 ブライトライン 28.9
8 アドマイヤロイヤル 44.1
9 シルクフォーチュン 44.5
10 ソロル 62.0
11 ノーザンリバー 69.4
12 ドリームバレンチノ 89.6
13 グランドシチー 120.1
14 ケイアイレオーネ 224.1
15 エーシントップ 258.9
16 ダノンカモン 776.8

884鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/19(水) 21:19:40 ID:kaXJvxhM0
>>880 そうかもしれん。
 正確に測定したわけではないがのう。 
 脳にもかなり依存しているが、それだけではないとしれるのじゃ。

 ただ見ないようにしていた世界が見えてくるだけなのじゃ。
 観念による世界観が出来上がると、それに反するものは見ないようにするからのう。
 
>>881 自分の利益になる事も善事なのじゃ。
 他人の利益になる事も善事なのじゃ。
 自他の利益を求めるのが偉いのじゃ。
 どこかの他の衆生に不利益が無い上で、自他の利益をはかるのが善事といえるのじゃ。

>>882 そうじゃ、精進あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

885避難民のマジレスさん:2014/02/19(水) 21:22:58 ID:Bwz0R3.60
        _∠L_,ヘ__ ____
       / lミリニニ二二ニ\ζ
     __/     ;  = ニ ニ ニ = )
    (∞)           \_  く_,,,_
      l, ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄''|
       'l,             ,/
       \          /
         ゙l'-、..,,,,,,,,,,,,..,、-'l゙
         ゙'-、..,,,,,,,,,,,..、-'゙
 l三三三三三三三三三三三三三三三三三|

      しし丼 並盛り ¥280

886避難民のマジレスさん:2014/02/19(水) 21:44:58 ID:Bwz0R3.60
                  ,;;;;
                  iii
           _,、 -‐''''""~|||~""''''‐-、_
             ,,-====ニニ;;;;;;   ;;;;;;彡ミミニ=、
        ,/    ,;;;゙゙゙''''''ミ''''''ミミニニ=、  `'、
       ,;´    ,r'"`  ミ''         .`i、
       /   ,,'´      ミ''              .`i,        人人人人人人人人人人人人人人人人人
      .|   ."                   . ゙l      <                         >
      |         `‐、    ,i´            |      <  トマトととまどうかまととトトマトトマト!>
      .|             ′         ,,l゙       YYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY
       ゙l,                      ,ノ
       \                    ,;'´
        `'i、                    ,,‐'´
          `''-,,_            _,,,‐'´
            `゙''ー-,,,,,,,,,,,,,,,,,,―ー'"

887避難民のマジレスさん:2014/02/19(水) 21:53:22 ID:Bwz0R3.60
                      /7ー、
                      //〃/ヽ,,_
                    i| | i| il 〃〃.カーッ、.,_
                    |||| || |!.i| ||: if: if 〃 〃ッ-、,     _,,. ,,-ァ
                 _,,  ‐"´:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.''''''"‐ .,.;.;.f._                           -:ァ
           _,, ‐'' ´.:.:.:.:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;.;.;.;.;.;.;``ヽ、_                    , .;´7;ナ´
        , ‐''´.:.:.:.:;:;:;:;:;:;:;:;:;;:;:.;.;.:.:.'':'': : . . . .:. .:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:,:' ,:'.//:' ,.:;:;:;:;:;``:;'ヽ、,.、            /.;.;;;./
     , ‐':;:;:;:;:;:;:;:;.:.r''"`.:.:.:.:.:.:.:.:.: : : :. : : : :.: . .: :.;:;:;:;:;:;/.;/.;/.;/;././../../../ r':;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:`:'ヽ ,、          /.;.';';;;チ
  , ';:;:;:;, -、"、:.:.:.:.:.:.:.:. : : ヽ:;:;:;:;;:;:;:.:.:. : : : : : : : . .  . : ; : ; : ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ; ::;:;:;:;:;:;´`:;ヽ 、_,,/.;.;.;.;.;;;/
 f_;:;:;:;:;:(f;;;;;;i ', .:.:.:....: . : . . .',: :_,.、‐ ':三´三三ニミッ. . . . . . . . . . . 、. . . . . . . . : : ; ; ; .;.;.:;:;:;:;:;:;:;:;:;;;;;;;;;;;;;;.:.:.:.:.:.;.;.;.;.;;;;;/
 !、`''=、; `''´.:.'. : : . .:ヽ、. :   ',: : : : : 、 :三彡彳' ´. . . . . . . . . . . . .ヽ.. . . . . . . .;..;..;:;:;;;;;;;;;;;;;;;;;:,、_,r_;=‐'`'´ヽ、.;.;.;.;;;;;;',
   ヽ、_.:.:.:.:.:. : ; : ;  . : ;:;    :}: . . . - '' ´: ; ; : : : : : : : : : : : : : : : : : : ....;.;.;.;:;:;;;;;;;;;;:;:;:;:.:.,, 、:r.>`'"´        ヽ.;.;.;;;;;;;',
     ''‐ .,,_.:.:.:.:.:r;;;;;;;;;;}. .:  ノ  ,,;;;;;;:;:; ; ; : : : : : : : : : : : : : ..;.:.;.;.;.;:;:;;;;:;:;.;.;.;.:.:.:.:.:.:.:_-i-'`"            ヽ.;;;;;;;;',
         ''‐ .,,_.:.:.:.´.:.:.:.:.:.:.:.:.:;;;;;;;;;;;;;;;;.;.;.;.;.;.:.:.:.:.:.:.:.:.:.;.;.:.;.;.;.;;;;.;.;:.:.:.:._,,. ィ"´ ミr'´                  ヽ.;;;;;;',
             ` - 、 __  ,...,,,,,,,,,,,___,,,,....  -‐ '''""     ヽ. ミ!                    \;ミ、
                   ``ヾミヾミ、;r''´                 ` '                      ``
                      `ミヾミ!
                        ヾ '
                  鮒じゃ!鮒じゃ!鮒侍じゃ!

888避難民のマジレスさん:2014/02/20(木) 19:29:24 ID:0MAY37j.0
鬼和尚、
私は思考に自我を投射するタイプだと思っていました。
ところが、思考が自分では無いと判った後で、阿頼耶識に気づいてから
今度は阿頼耶識に自我が投射されることがあるようです。
このように自我はどのような心の対象にも投射されることがあるのでしょうか?

また、阿頼耶識が自分であるという感覚が生じても、
気にせずそのまま集中の瞑想に励んでいて、かまわないでしょうか?

889鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/20(木) 21:22:11 ID:kaXJvxhM0
>>888 そうじゃ、観念でしかない自我は本来どのようなものにも投射されるのじゃ。
 例えば人が今日からダイエットしようとか思っている時は、思考や意志に自我が投射されている。
 しかし直ぐに何か食べたくなるのは自我が肉体に投射されてしまうからなのじゃ。
 人の心に何か起こる感覚や感情などがあれば、それに投射されていくのじゃ。

 それに気づいたならば自分が自分と思っているものと、実際に自分を感じる現象が違うということがわかったのじゃ。
 そのまま続けてよいのじゃ。

890避難民のマジレスさん:2014/02/20(木) 22:22:38 ID:Bwz0R3.60
>>889

 ,ハヽ、    ,ハヽ、    ,ハヽ、    ,ハヽ、    ,ハヽ、     ,ハヽ、  
( ,,_ ,, )   ( ,,_ ,, )   ( ,,_ ,, )   ( ,,_ ,, )   ( ,,_ ,, )   ( ,,_ ,, )

肉まん  あんまん  ピザまん カレーまん 中華まん  角煮まん

 ,ハヽ、    ,ハヽ、    ,ハヽ、      , ハヽ、      ,ハヽ、  
( ,,_ ,, )   ( ,,_ ,, )   ( ,,_ ,, )     ( ,,,,__ ,,,, )    ( ,,_ ,, )

海鮮まん チーズまん チョコまん ジャンボぶたまん チャーシューまん

891避難民のマジレスさん:2014/02/21(金) 02:05:36 ID:LC3de7YgO
>>866
思い返すと、「苦」を観察しつくして滅し尽くすことができるかもしれないと思いはじめた止観の行でした。多少集中力もついてきて、「気」の行まではじめましたが、今まで深く沈められていた、「苦」の種が次々に現れてきます。
>むしろ自我の計らいが消えた時に出たりするのじゃ
とのことですがこれは、自我の計らい = 自我による苦の憶記な抑圧、逃避。計らいが消えた時 = 自我が弱まり抑圧が薄らいだ時。それで、苦の記憶がよみがえり自我が苦を再体験しているということだと思うのですが、苦から自由になるためには全てを徹底的に観察しつくすしかないでしょうか。記憶に依存した観念に過ぎない「苦」 そのものに実態がないということを、いくつかの事例で徹底的に観察し尽くす(考え尽くす?)ことによって、苦から自由になることも可能でしょうか?

892避難民のマジレスさん:2014/02/21(金) 12:04:29 ID:LC3de7YgO
>>891
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】24
>476 に、お尋ねしたことのお答えが書かれていました。
壁にぶつかると焦ります。早く楽になりたいです。

893避難民のマジレスさん:2014/02/21(金) 16:15:26 ID:ajnHnkRc0
いつもお世話になってます

最近きづいたことがあります。
それは、全てはゴミのような存在でこの世にあるものは全て同等の価値で存在しているということです。
人も動物も同様です。
それらを愛するように生きることが慈悲なのかとおもいました。
心から愛することを実践しないとならないとおもいましたが、この考えは以前はただ漠然とおもってるだけでした。
私は正しい道に近づいてますか?
私は

894避難民のマジレスさん:2014/02/21(金) 17:02:24 ID:wH0JIS760
>>889
確かに阿頼耶識を自分だと思う時と、消えかけている自我を阿頼耶識が観ているのに気がつく時が
ありました。せっかく思考が自分ではないと判ったのに、今度は阿頼耶識を自分だと思い込んで
しまうのではないかという恐れがあって、あわてて質問してしまいました。
そのまま続けて励みます。ありがとうございました。

895鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/21(金) 21:06:14 ID:kaXJvxhM0
>>890 人

>>891 苦を滅するには原因から観察すればよいだけなのじゃ。
 それで滅するのじゃ。
 わしのブログなどを参考にするのじゃ。

 それでは一つ一つの苦は滅する事が出来るが、全ての苦は滅する事は出来ないのじゃ。
 苦は一つ一つ違う観念であるからのう。
 
>>893 それも気づきなのじゃ。
 おぬしがそう気付いたならばそれでよいのじゃ。
 気づきを多くする事が正しい道なのじゃ。

>>894 どういたしまして、またおいでなさい。

896避難民のマジレスさん:2014/02/21(金) 22:11:24 ID:uA/LfG.c0
>>895

多くの気づきに気づくようがんばります。ありがとうございます。

897避難民のマジレスさん:2014/02/21(金) 22:33:23 ID:LC3de7YgO
>>895 ありがとうございます。
質問のしかたを間違えてしまいました。鬼和尚が仰る通り、個別の苦を滅する作業は際限がありません。滅してしばらく静まっていてもまた別の顔で出てきます。
苦を免れるために、自我を滅する。自我を滅するために、自我を生じるあらゆる機会をとらえてもぐら叩きを永遠に続けなければいけないのか?
他スレにおける、苦を滅する方法についての質問に対しての↓の鬼和尚のお答えが参考になりました。
>全てを観察しなくとも良いのじゃ。
今正に肉体や思考などに自我の観念が投射されていると、観察できればそれで厭離されるのじゃ。
なぜならば観察された対象は自己ではないと、阿頼耶識は定義しているからなのじゃ。
観察主体である筈の自我が観察されて、観察対象として認識された時、自我は観察される他のものであると気づきが起こるのじゃ。 ↑ >思考などに自我の観念が投射されていると、観察できればそれで厭離される
ということは、個別の苦も、思考であり、そこに自我が投射されてると観察できればそれで厭離されるのでしょうが、どうしたら苦に自我が投射されてると観察できたことになるのか…結果楽になれればできたということなのでしょうか?

898避難民のマジレスさん:2014/02/21(金) 22:41:24 ID:Bwz0R3.60
|||||||||||||||''|||||||||||||゙|||||゙|||''|||||'゙||||゙||||||||||゙||||||||||||||||||||
|||||||||||||゙ || |||||||゙||' ||゙ ゙|| '||| ||| ゙|||||||゙ |||||||||||||||||||
|||||゙||||||゙ || ||||| ||  | || | |'||  ||  ゙||||゙  ||||||||||||||||||
|||| |||||__,,,|- ||| | '''|/| | | |\,,|''' ||| ,,,,,,||゙||| ||゙゙゙||||||
||||/|||゙ ,,,|,,|||--・''''゙゙  ゙  |  |・- |- ,,,,,,|| || ||  ||||||
|||| ,,|||-'''  | |   ::::::    ,.::::   |   |'''|-| 丿||||
|||| ''' ゙  ,,,,,,,,,,,   :::::    .:::''         ゙''- |||
| リ三,, - 'i': : : : :゙:'ヽ. ::   :::'' ,, -'':゙:゙:゙゙:':'ヽ-,, 彡 |||
   'ヽ, |': :(●): :| 'ヽ:::  .::'.'/ |: :(●): :| ゙''-,,,,,:::||
 -=-,,,丶|,,: :'''': :,,リ,-,,,|::::  ://.,,,,,,,|: : :''''' : リ/゙-ヾ 丿
゙・ ''゙゙, -・-゙'''''''''゙-=≡_丶 '''',ヾミミ゙゙''''__-'''_彡ヾ'''' /ソ
''|,  ゙       ゙゙,-'''゙   ヽ-     ̄   ゙゙  | ,ノ゙
゙ヽ,   ,,,,      //   ,ヽ       .,,,  ,||||||
||||i,,  1゙゙,,-ヽ,,,,   ,/゙゙..  :ヽ,     ..,,,,,゙゙゙リ /|||||||
|||||ヽ ゙'' |ヽ''・,,,','-  ''''ヽ,,-''''゙ ,,,,:/.,,,./:リノ 丿||||||   
:|| |||iゝ   fリt^-'',',,・-..,┬,,,,...--・・,゙゙_ リ//  /||| リノ
  ||||ゝ,,丶\::v || |:‖ -__w ヽリ゙リ゙|j:‖//  /|リ
   ヽヾゝ''ヽヽ::,, --v,‖ :リ,,リ,゙,,,,,::://ノ /リ
     ヾ|ヽ,゙ヽヽ,,   ''|'''_  :::ソ/  /リ
      | ゙ヽ.\゙Vri ri | ‖iヾソノ  / |
      |   \,゙' ,,゙''''''゙゙''''''゙゙/ /   |
      |    \ ゙゙'''''゙゙'''''''゙ /    |
             ゙'ヽ---       
            鬼和尚じゃ

899避難民のマジレスさん:2014/02/21(金) 22:50:08 ID:LC3de7YgO
>>897
訂正
>他スレにおける、苦を滅する方法についての質問・・・ → 他スレにおける、自我を滅する方法

900避難民のマジレスさん:2014/02/22(土) 01:19:01 ID:Bwz0R3.60
仏教議論スレッド90
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1392972562/

901避難民のマジレスさん:2014/02/22(土) 01:20:43 ID:Bwz0R3.60
       ||〜'i  
       ||お.|    ___________
       ||に.|  /\丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶\
       ||ぎ.|//\\丶ヽ丶丶丶丶丶.ヽヽヽ丶\
       ||り |/ 田 \\丶丶丶ヽ丶丶丶丶 ヽ丶\
       ||屋.| ̄ ̄ ̄ ̄|  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄
       ||〜'i | ̄ ̄ ̄|!| /⌒ヽ   ひとつ⑩円だお
       ||  .|!|___|!| ( ^ω^)       ..-、   ..-、  ..-、
       ||  .|   .ハ,,ハ .|.. ̄ ̄ ̄ ̄|  旦 (,,■)  (,,■) (,,■)
       l ̄i |__:',,´∀`;.|____| |i ̄i|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|i ̄l|
      ""''''"  cミ,,,,.,`;

902避難民のマジレスさん:2014/02/22(土) 20:07:25 ID:oBs5ZiWs0
鬼和尚、
瞑想中、阿頼耶識に意識を置いていたところ、以前鬼和尚が書かれていたとおり
体の外側の空間にも意識が広がっていることに気づきました。
外側と言っても、首の後ろから体を超えて右側の数10センチくらいで、左側の意識は
体の外側には出ていません。この感覚の不均衡も気にせずスルーで良いでしょうか?
もし、姿勢にその原因があったりした場合は、直しておいた方が良いかと思いまして。

903鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/22(土) 21:14:59 ID:kaXJvxhM0
>>896 どういたしまして、またおいでなさい。

>>897 そうじゃ、言葉や知識に出来なくとも、楽になれば苦は滅したとわかるじゃろう。
 そのように自我が投射されているとか、言葉の通りに観察できる訳でもないのじゃ。
 衆生の心は多くの違いがあり、苦もまた違い、観察もまた違うからのう。
 
>>902  脱身が始まったのじゃな。
 それも気にしないで良いのじゃ。
 いずれもっと広い意識が在ると気づくじゃろう。
 一つ一つの現象に囚われずひたすら精進するのじゃ。

904避難民のマジレスさん:2014/02/23(日) 00:36:11 ID:LC3de7YgO
>>903
ありがとうございます。

905避難民のマジレスさん:2014/02/23(日) 04:03:40 ID:jfWCoXjM0
意覚と阿頼耶識は、同じものを表しているのでしょうか?

906避難民のマジレスさん:2014/02/23(日) 04:56:07 ID:jfWCoXjM0
純粋な意識と、それを認識している知覚作用は、
共に離れず、永遠に存在するのでしょうか?

907避難民のマジレスさん:2014/02/23(日) 10:07:48 ID:jfWCoXjM0
http://www.youtube.com/watch?v=CKZodyLVyuc
↑は、エル・カンターレさんが霊言を語ってる動画ですが、
この中でエル・カンターレさんは忘我のサマーディに入っているのでしょうか?

908避難民のマジレスさん:2014/02/23(日) 14:59:46 ID:.hwWJJs.0
鬼和尚さん  

智慧は覚悟から始まり得ると学んだのですが何かに対して覚悟する
その覚悟とは宗教哲学的にどの様な事を指すのでしょうか?

909避難民のマジレスさん:2014/02/23(日) 20:05:26 ID:wH0JIS760
>>903
なぜ気にしてしまうのかの原因を観察したところ、世間から離れて行く恐れと、
それを鬼和尚に共有してもらいたいという思いと、脱身を合理的に説明したい衝動と、
その囚われを嫌悪する心の動きに気づきました。
その厭離はまだできていませんが、有益なご指摘を下さり、ありがとうございました。
引き続き精進します。

910鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/23(日) 21:02:50 ID:kaXJvxhM0
>>904 と゜ういたしまして、またおいでなさい。

>>905 同じではないのじゃ。
 心の働きを感じる能力の全てを意覚と呼ぶからのう。
 思考や感情を感じるのも意覚なのじゃ。
 阿頼耶識はそれらを分別し、名前をつけて認識する作用なのじゃ。

>>906 意識は永遠に在るじゃろう。
 知覚は無なのじゃ。
 もはや知覚という作用も無いのじゃ。

>>907 入っていないのじゃ。
 物真似状態に入っているのじゃろう。

>>908 慈悲喜捨の捨になるかもしれん。
 何かを捨てる事で覚悟になるのじゃ。

911鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/23(日) 21:03:32 ID:kaXJvxhM0
>>909 そうじゃ、精進するのじゃ。
 またおいでなさい。

912避難民のマジレスさん:2014/02/24(月) 06:35:16 ID:WL2yRwjAO
>今正に肉体や思考などに自我の観念が投射されていると、観察できればそれで厭離されるのじゃ。
なぜならば観察された対象は自己ではないと、阿頼耶識は定義しているからなのじゃ。

なるほど。

913避難民のマジレスさん:2014/02/24(月) 18:07:55 ID:Bwz0R3.60
   無内容の学ぶ事無くただ太るだけのばか狗、根っから腐敗(; ̄y ̄)c●〜〜クサイ〜♪

            ばか狗近影
|||||||||||||||''|||||||||||||゙|||||゙|||''|||||'゙||||゙||||||||||゙||||||||||||||||||||
|||||||||||||゙ || |||||||゙||' ||゙ ゙|| '||| ||| ゙|||||||゙ |||||||||||||||||||
|||||゙||||||゙ || ||||| ||  | || | |'||  ||  ゙||||゙  ||||||||||||||||||
|||| |||||__,,,|- ||| | '''|/| | | |\,,|''' ||| ,,,,,,||゙||| ||゙゙゙||||||
||||/|||゙ ,,,|,,|||--・''''゙゙  ゙  |  |・- |- ,,,,,,|| || ||  ||||||
|||| ,,|||-'''  | |   ::::::    ,.::::   |   |'''|-| 丿||||
|||| ''' ゙  ,,,,,,,,,,,   :::::    .:::''         ゙''- |||
| リ三,, - 'i': : : : :゙:'ヽ. ::   :::'' ,, -'':゙:゙:゙゙:':'ヽ-,, 彡 |||
   'ヽ, |': :(●): :| 'ヽ:::  .::'.'/ |: :(●): :| ゙''-,,,,,:::||
 -=-,,,丶|,,: :'''': :,,リ,-,,,|::::  ://.,,,,,,,|: : :''''' : リ/゙-ヾ 丿
゙・ ''゙゙, -・-゙'''''''''゙-=≡_丶 '''',ヾミミ゙゙''''__-'''_彡ヾ'''' /ソ
''|,  ゙       ゙゙,-'''゙   ヽ-     ̄   ゙゙  | ,ノ゙
゙ヽ,   ,,,,      //   ,ヽ       .,,,  ,||||||
||||i,,  1゙゙,,-ヽ,,,,   ,/゙゙..  :ヽ,     ..,,,,,゙゙゙リ /|||||||
|||||ヽ ゙'' |ヽ''・,,,','-  ''''ヽ,,-''''゙ ,,,,:/.,,,./:リノ 丿||||||   
:|| |||iゝ   fリt^-'',',,・-..,┬,,,,...--・・,゙゙_ リ//  /||| リノ
  ||||ゝ,,丶\::v || |:‖ -__w ヽリ゙リ゙|j:‖//  /|リ
   ヽヾゝ''ヽヽ::,, --v,‖ :リ,,リ,゙,,,,,::://ノ /リ
     ヾ|ヽ,゙ヽヽ,,   ''|'''_  :::ソ/  /リ
      | ゙ヽ.\゙Vri ri | ‖iヾソノ  / |   ガルルルゥー!!
      |   \,゙' ,,゙''''''゙゙''''''゙゙/ /   |
      |    \ ゙゙'''''゙゙'''''''゙ /    |
             ゙'ヽ-----''゙゙
狗には考える脳が無いばか露呈 脳ミソ(・∀・)㌧㌦!

914鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/24(月) 20:07:13 ID:kaXJvxhM0
>>912 そうじゃ、精進するのじゃ。

915避難民のマジレスさん:2014/02/24(月) 20:12:12 ID:1sAvBPl20
鬼和尚、
以前、アナンダの話をされた時、
> 集中力と観察力だけを鍛えて置けば、悟らずにいてその気になればいつでも悟れるじゃろう。
と書かれていましたが、これを少し詳しく教えてください。
例えば、縁起から自我が起きるのを観たとしても、悟ろうと思っていなければ
自我の厭離は起きないものなのでしょうか?

916鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/25(火) 19:51:53 ID:kaXJvxhM0
>>915 そうじゃ、自分の意志で止める事が出来るのじゃ。
 長年修行しているのに悟りを得られない者の多くは、自分がなくなる恐れから自ら止めているのじゃ。
 自分の意志が最も強いのじゃ。
 意志がなければ悟りはやってこないのじゃ。

917避難民のマジレスさん:2014/02/25(火) 21:46:39 ID:LC3de7YgO
マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.11
http://m.logsoku.com/r/psy/1372257286/723-724

↑これよはく解説できてますか(*・(エ)・*)?

918避難民のマジレスさん:2014/02/25(火) 21:55:33 ID:LC3de7YgO
>>917

引用 >723 724 についての質問です(*^(エ)^*)b

919避難民のマジレスさん:2014/02/26(水) 17:13:28 ID:Zcl18UUU0
>>916 ありがとうございます。
まさに、意志が未来を決めるのですね。
意識によってある意志を保ち続けていると、その意志が習慣化するように思えます。
そうすると意識していなくとも、その意志が働き続けるということもあるのでは
ないかと思いますが、これは正しいでしょうか?
あるいは習慣化するのは意志そのものではなくて、例えば観察や集中などの、
意志によって繰り返される(認知的な活動も含めた)行動なのでしょうか?

920避難民のマジレスさん:2014/02/26(水) 20:03:07 ID:Bwz0R3.60
杖龍之介師 登場
仏教議論スレッド90
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1392972562/
.
             /\
            / _w_\
          / /゚∵:・ヽヽ
         /  (゚∵:∵:) \
        /    ⌒~~~~~⌒  \
      /                 |
      l⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒l
      |:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・|
      |二二二二二二二二二二二|
      |:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・|             γ''"""ヽ
      |二二二二二二二二二二二|               // ゚ ▼ ゚ ) ζ
    _|:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・|_       _.   ! (,,゚ Д ゚ t[_]
  /  |二二二二二二二二二二二|  \  _△~.  `ノO─∈ つ
  (   |:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・:・|    )/_o、|、. ∠,,人,,_,,ノ
  \   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    / .|__\ノ     U''U
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

921避難民のマジレスさん:2014/02/26(水) 20:08:20 ID:LC3de7YgO
他スレに↓こんな問答がありました。
>>541さんの質問内容の概要
お仕事中・・・半身不随になって、 ほとんど意思表示もなにもできなくなっても、鬼和尚的には何も変わらないのでしょうか? ・・・周りの人に迷惑をかけるから早く死のうかなとかも考えませんか?
【相談】悟りを開いた人に聞くスレ【仏教】24
548:鬼和尚◆GBl7rog7bM 02/23(日) 22:09 xN+oBGtd [sage]
>>541 変わらないのじゃ。 何も思わないのじゃ。  教える事が出来ないならば肉体を捨てようとかするかもしれないのじゃ。

>肉体を捨てるとは自殺という意味ですね。
しかたないですよね…(;(エ);)・・・悟ると自他の別なく、生死の別なく、それを悟ってない人に教えるのが、鬼和尚が肉体を捨てずにいる唯一の理由だから、それができなきゃ、自殺するかもなんですね…(T(エ)⊂)

922鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/26(水) 20:44:25 ID:kaXJvxhM0
>>917 観察についてはよく解説できていると言えるじゃろう。
 しかし苦が生じる原因が判っていないのじゃ。
 何故人にとって全てが苦になるのかを知りたければ、認識に付いて知らなければならんのじゃ。

>>919 そうじゃ、意志そのものよりも意志によって習慣化された心の働きが継続されると言って良いじゃろう。
 意志は意識しなくては動かないからのう。
 そのように無意志で習慣化された観察が観照をもたらすのじゃ。
 意志があれば自我もおきてしまうから、無意志による観察が必要なのじゃ。

923避難民のマジレスさん:2014/02/26(水) 22:03:29 ID:LC3de7YgO
>>922
ありがとうございます。
苦が生じる原因は、全ては無常であるからですか(*・(ェ)・*)?

>>921 についてなのですが、言葉にできることは全て幻想であるとするならば、仮に本当は自殺するとしても、他者への慈悲の気持ちで、仮に一切の表現ができず、かといって狂いもせず、意識のみがより明瞭になっていくなかでも「わしは生きるのじゃ」というお答えの選択もあるのではないでしょうか?

924そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/02/26(水) 22:37:33 ID:uiAWP3Xw0
鬼和尚
職場で仕事中でも、一時的に瞑想中と同じように自分が何も想わない状態になってしまうことが、時々あります。
そのような時、誰かが話しをしていれば、それが耳に聞こえ、目にも入ります。
しかし、自分の意識だけが中空に浮かんでいるだけのような感じがします。

925避難民のマジレスさん:2014/02/27(木) 00:37:29 ID:Bwz0R3.60
ゴスペル風「般若心経」つのだ☆ひろ - 5:35
http://www.youtube.com/watch?v=EB-bYJoqvQQ
サンスクリット版・般若心経 hoka -48件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=YNX5kszeRiw&amp;list=RDEB-bYJoqvQQ
チベット僧侶によるチベット般若心経(Tibetan The Heart Sutra)
http://www.youtube.com/watch?v=xXgvRvHoqAI&amp;list=RDYNX5kszeRiw
般若心経 Heart Sutra 〜サンスクリット、チベット、アジア各国言語チャンティング - 9:43
http://www.youtube.com/watch?v=hi5TrWNw7gQ
ヒーリング般若心経 Heart Sutra (サンスクリット/梵語/Sanskrit) by N.M.Todo - 40件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=WCIFo6zPf2Y&amp;list=RDhi5TrWNw7gQ
Heart Sutra (Sanskrit)  - 50件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=xNWGh8zUdRk&amp;list=RDWCIFo6zPf2Y
Buddhist Chant - Heart Sutra (Sanskrit) by Imee Ooi - 49件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=BOK8f7ZymDI&amp;list=RDxNWGh8zUdRk
.Prajna Paramita Hrdaya Sutram 心經梵唱 - The Shore Beyond - 49件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=HfGmZfYBJ8E&amp;list=RDhGyHc3vZyCs
.Sakyamuni Buddha Mantra 釋迦牟尼佛心咒 - Imee Ooi (?慧音)
http://www.youtube.com/watch?v=OKyaTfhvayI&amp;list=RDHfGmZfYBJ8E
南無觀世音菩薩 The Guan Yin Mantra (唱誦篇) - ?慧音 Imee Ooi
http://www.youtube.com/watch?v=Gh7X0g5Rrwg&amp;list=RDOKyaTfhvayI
Tibet and Tibetan Healing Sounds - 2 full albums -Bells - Relaxation
http://www.youtube.com/watch?v=EpKCuiffHg4&amp;list=RDQ5dU6serXkg
Tibetan Healing Sounds #1 -11 hours - Tibetan bowls for meditation, relaxation, calming, healing - 11:03:39
http://www.youtube.com/watch?v=Q5dU6serXkg

926避難民のマジレスさん:2014/02/27(木) 12:41:06 ID:2eLvpbuk0
>>922 ありがとうございます。
無意志による観察が観照をもたらすと書かれていますが、
>>915 では、意志がなければ悟りはやってこないとも書かれています。
これは、
・悟りを得ようという意志がないと、観察力は身についても、
 自我の起こりを観察することを無意識に避けてしまう。
・悟りを得ようとする意志があっても、意志による観察では
 自我の起こりを観察することはできないので、自我を厭離する
 意志を保ちつつ観察に励むことで、無意志による観察を
 身につける必要がある。
という理解で良いでしょうか?

また、自分の意志が最も強いということは、意志によって
例えば悟りを得たくないといった本心をも、変えることができるという
ことでしょうか?

927避難民のマジレスさん:2014/02/27(木) 21:09:42 ID:Bwz0R3.60
ほとけ、真理さとりは この大宇宙に遍満している。
ここに有る、そこにあるというものではなく、内側にも外にも在る。

有る人の母親の言葉が面白い、興味深い。
云わく、
『 他人の痛みは 1000年でも 堪(こら)える 』

もうひとつ、
これはこれまで何度か言ってきたが、
五感のうち、視覚を情報収集のツールとして最優先している構造になっている、ので
前方だけを見る。
情報は特に日常的には、見ないし、観えない。
左右後方も顔を回して、前方の拡大として見るだけだ。

更には、自己を自己自身では見ることが出ないという構造、存在である。

禅では。聞き回るな、自己に問え、と言う。

わからない、と言ってすぐに聞いてくる。

冷暖自知である。

この60億個の細胞の集合体は、見事な寄り合い所帯なのだが、欠点、短所とは言わず、弱点と言うか、
まさに克服する課題を生来、持っている。

80歳を過ぎ大腸がんを患っていた、余命が無いと知ったガウタマ・シッダールタは生まれ故郷に戻ろうと北へ歩み進む。
ガウタマ・シッダールタは死に臨んで、云わく、
この世は甘く、美しい。

928鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/27(木) 21:13:53 ID:kaXJvxhM0
>>921 そうじゃ、もはや存在理由がないからのう。
 誰にでも来るものじゃ。
 本来は安らぎなのじゃ。

>>923 認識が記憶に依存しているからなのじゃ。
 記憶によって快楽などに執着し、執着が苦を生むのじゃ。

 肉体を存続させるのが慈悲によって人に教えるためなのじゃ。
 教える事が出来なければ維持する理由もないのじゃ。

>>924 瞑想に入ってしまうのじゃな。
 瞑想する時間を決めたり、目覚める動作をはっきりさせればコントロールできるようになるじゃろう。
 思考や感情とは別の心の性質が見えてよいかも知れんがのう。

>>926 そのような理解で良いのじゃ。
 無意識に観察するようになるために、毎日の修行が必要なのじゃ。
 
 変えられるじゃろう。
 自分の死をはっきりと自覚するようにすれば、今の自分の置かれている状況もわかるものじゃ。
 死を超越する道が修行して悟りを得る以外にないと知れば、本心も変えられるのじゃ。

929避難民のマジレスさん:2014/02/27(木) 23:14:38 ID:LC3de7YgO
>>928
ありがとうございます。
>存在理由がないからのう。誰にでも来るものじゃ。 本来は安らぎなのじゃ。>肉体を存続させるのが慈悲によって人に教えるためなのじゃ。教える事が出来なければ維持する理由もないのじゃ。
→自他の別なく、無常、無我であればこのように自然に考えられると思います。解脱する以前であればこそ、自らの「死」を想い、観察することは観の行として有効だと思います。 「大いなる悲観は大いなる楽観に通」じるとか言って、病んだ人が軽挙に至らないかだけが心配です (*-(人)-*)
私が慈悲として、自殺すると公言しない道はありませんかと質問したのは、悟ってない普通の人や、医学的に心の病とされる人に対しての慈悲としてと言う意味でした。

930避難民のマジレスさん:2014/02/28(金) 12:30:09 ID:2eLvpbuk0
>>928
おかげさまで、理解が深まりました。
無意識で観察できるように、精進します。
ありがとうございました。

931避難民のマジレスさん:2014/02/28(金) 12:34:21 ID:2eLvpbuk0
鬼和尚、
止観の行を続けている修行者を励ます法話をお願いします。

932避難民のマジレスさん:2014/02/28(金) 17:14:26 ID:JD4uzq.Q0
鬼和尚、
瞑想を終えた後、覚醒度が下がるのを感じて目を閉じたところ、意識を保ったまま
どんどん覚醒度が下がって行きました。

気づいたら、何もありませんでした。光り輝く世界もありませんでした。

後で、寝てしまったのかとも思いましたが、快と静寂と安心がありました。
これがもし死後の世界なら、死ぬのも悪くないなと思いました。

光り輝く世界といえば、その体験の後、いつもと同じ風景がとても美しく感じられています。

この体験はサマーディなのでしょうか?

933そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/02/28(金) 19:10:05 ID:GYVrjgQU0
>>928
瞑想する時はタイマーをセットしてから行っています。
時間が来てアラーム音が鳴ると、それを止めますが、最近では、その後もしばらく瞑想状態が継続します。
瞑想解くために、あえてその意志を起こし、記憶を呼び戻し、思考を再開することで、瞑想に入る前の自分との継続性を回復し、ようやく瞑想を解く、といった様子です。

934避難民のマジレスさん:2014/02/28(金) 19:23:25 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、質問です。
「半身不随になって、ほとんど意思表示もなにもできなくなったので死にたいです。」 と言う相談を受けたら。鬼和尚は、「死ねばよいのじゃ。」 あるいは「悟ってから死ぬのじゃ。」とか答えるのですか?他者に対しては励まして「生きよ!」と仰るのではないですか?
例えばALS患者のように現実にそのような状況で(あるいは近い将来確実にそのような状況になると知って)生きている人が大勢(日本に1万人くらい?)いる一方で、統計に表れるだけで毎年3万人以上の自殺者がいるようです。
悟ったら、慈悲を起こして悟りの境地へ凡夫を導く以外に生きる意味なく、それができなければ、死ぬのじゃ…でよいのでしょうか(´(△)`)?

935鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/28(金) 21:53:41 ID:kaXJvxhM0
>>929>>934 真実を知らない宗教は生にのみ希望を見出すじゃろう。
 真実を知った者は死さえももはや厭うべきものではないと気づくのじゃ。
 
 本当は肉体は誰もがやがて捨て去るべきものなのじゃ。
 自ら捨てる覚悟がない時、死は恐れられ、厭うべきものとなるが、それは執着となり苦を生むものとなるのじゃ。
 自ら肉体を捨てる時には精神は強い力を持ち、死さえも観察の対象とする最大のチャンスが訪れるじゃろう。
 人は肉体の死を観る事が出来る。
 肉体の無い意識を観る事が出来る。
 肉体も個我も越えた意識こそ存在する全てであると気づく事も出来る。
 その時肉体は捨て去られるべき塵に等しいものと知り、捨て去られても何一つ変わらない永遠の意識があり続けるのであると気づくことも出来るのじゃ。
 
>>930 どういたしまして、またおいでなさい。

>>932 そうじゃ、何もなくて良いのじゃ。
 自分もないのであればサマーディに至ったと言って良いのじゃ。
 しかし叉サマーディに入ろうとか思ってはいかんのじゃ。
 今まで通りひたすら集中すればそこに至るじゃろう。

936鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/02/28(金) 22:03:10 ID:kaXJvxhM0
>>931  今、止観と言う言葉は残っているが、その真の意味を知り、正しく修行しているのは、わしがここで教えている者たちだけじゃろう。
 お釈迦様が教えて以来、その言葉の意味すらも失われて久しいものじゃ。

 集中によって心を止め、心を観察する。
 ただそれだけの事が難しいのは、人々は自分の心を観ないからなのじゃ。
 なぜ観ないのかと言えば、観たくないからなのじゃ。

 誰でも自分について、多少の飾りがついたイメージがあり、それを壊されるのは恐いのじゃ。
 自分の心を本当に観ようとすれば、自分の心の醜さや、愚かさや、情けなさもちゃんと観なければならないのじゃ。
 自分について飾られたイメージがあれば、それには耐えられない。

 それ故に人々は観察を拒否し、忘れる事を無意識に選んだりしているのじゃ。
 その結果、本当の観は忘れ去られてしまったのじゃ。

 しかしどのように醜く、愚かで、情けない心であっても本当に自分の心が観られたならば、そこから本当に変わる事が出来るのじゃ。
 真の変容は観察によってのみ起こるのじゃ。

 心が観られなければ本当の変化も変容もあり得ないのじゃ。
 自らの心を観る事を避け続けて悟りに至った者など居ないのじゃ。

 どれほど困難であっても自らの心を観察し続ける者には、変化が訪れ、やがて変容もやってくる事じゃろう。
 長年続いた苦は観察されれば一瞬にして消え去るじゃろう。

 自我を観察できたならば、個我の観念を離れて無我に至るじゃろう。
 認識が観察できれば、真の悟りが訪れ、目覚めた者となるじゃろう。
 
 全ての変化と変容は観察によって訪れるのじゃ。
 その観察を強く完全なものとするには、集中力が必要なのじゃ。
 集中力と観察力を養う真の止観を修行する者は、真の変化と変容を味わう者となるのじゃ。

 盲亀の浮木と言うように人として生まれたものが目覚めた者に合うのは稀な事じゃ。
 既に忘れさられた止観の法を正しく知るのは更に稀な事じゃ。
 止観を正しく修行して変容を味わう事が出来るのは、真に稀な幸運な修行者と呼ぶべきじゃろう。
 修行者は自らの幸運を無駄にせず、永遠の境地に至るまで油断せず修行に励むのじゃ。

937避難民のマジレスさん:2014/02/28(金) 22:51:46 ID:LC3de7YgO
>>935
ありがとうございます。
このお答えは、仮定の話を前提に質問した私に、私の修行に取り組む姿勢と言うか、考え方を示してお答えいただいたものかと思います。修行の身であり、実際にその病であるわけでも、死にたいわけでもないのに、自らの死を見つめて厭離するためでなく、単に知的好奇心でお尋ねしたのが間違いかもしれません。
鬼和尚の仰ることに全く異論はなく、私もそう思うのですが、死を免れないことを知ることと、苦のうちに、悟ることもできず自殺する者が多い中で自殺を是とすることは違うのではないかと思うのです。正しい教えの伝えかたが間違っているのではないかと思うのです(*;(ェ);*)

938避難民のマジレスさん:2014/02/28(金) 23:05:35 ID:4Pp0TD2o0
>>935
自分もありませんでした。
ようやく5合目まで来られたようです。

鬼和尚、ここまでお導きくださり、ありがとうございます。
偽和尚、板を作ってくださり、ありがとうございます。

今後も精進し、安定してサマーディを得られるようにするとともに、
逃げていた観察の行も深めていきます。
この先も道をお示しください。

939避難民のマジレスさん:2014/03/01(土) 09:14:10 ID:JD4uzq.Q0
>>936
法話をありがとうございました。
修行がつらいときも、この法話を胸に、つとめ励みます。

940避難民のマジレスさん:2014/03/01(土) 16:07:10 ID:NpBkhqbI0
質問なのですが、クリシュナムルティなどが、社会から離れて一人で瞑想する瞑想法は無意味であり
人や社会との関係の中で現れてくる自分こそが観察に値するみたいなことを言っています。
一理あるように思われますが、鬼和尚とは対照的な瞑想法です。
目指すところは同じなのかもしれませんが、方法論が真逆なのはどうしてでしょうか?

941避難民のマジレスさん:2014/03/01(土) 16:22:39 ID:NpBkhqbI0
あと、一人で生活していると、どうしても、ネガティブな思考におかされてしまいがちです。
やはり、家族などと話をすると多少なりとも救われる面があることに気が付きます。
一方、鬼和尚は、やはり独身なのに、被害妄想や恐怖症に苛まれることはおそらく無いように思われます。
それはやはり座禅の習慣と関係あるのでしょうか?

1 最初は10秒も集中できないじゃろう。
 2 10秒間は集中できるようになる。
 3 雑念を流せるようになる。
 4 思考が止まるまで放って置けるようになる。
 5 この辺で不動心が芽生えてくるじゃろう。
 6 無念無想になる。
 7 快が生じる。
 8 忘我のサマーディに入る。
 9 対象の無いサマーディに入る。
 10 悟りを得るじゃろう。

この表で行くと4か5位の域になると、世間の中や一人でいる時もネガティブな思考を流せるようになるでしょうか?

942避難民のマジレスさん:2014/03/01(土) 17:35:25 ID:NpBkhqbI0
 私は、どちらかというと世間の中にいるとき、「口下手で、引っ込み思案で、会話が続かず、挙動不審な自分」が痛切に意識され、後からそのような自分を思い起こして自己嫌悪に陥ります。この「隠された、ある自分の性質」が将来にわたって災禍を齎すであろうことは、子供のころから、予期があり、不安を感じていました。私の最大の問題点、他者とうまく打ち解けることができない。色々心理学やメンタル操作術なども学びましたが、全く解決しない問題でした。
このような、自我の根幹にある根本的な問題を解決するには、やはり瞑想が有効なのでしょうか?
それとも、発達障害であるとか医学的な問題もあるのでしょうか?

943鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/01(土) 21:17:50 ID:kaXJvxhM0
>>937 テーラーガーターの中には一人の自殺し様として悟った尼僧の話があるのじゃ。
 その尼僧は一所懸命に修行してもなかなか悟れず、ついに自殺しようとしたのじゃ。
 首を括ろうとして縄を木にかけたのじゃ。
 縄に首を入れた時、忽然として悟りが訪れたのじゃ。
 そのように告白した尼僧の話があるのじゃ。

 自殺は悪いものとか、罪であるとか、どんな状況でも生きるべきであるとかの観念があれば、自ら死ぬことがいかんと思うのじゃ。
 肉体の執着を去る死さえも修行の足しになることはあるものじゃ。
 
>>938 良かったのじゃ。
 おぬしの修行の賜物なのじゃ。
 またおいでなさい。

>>939 どういたしまして、またおいでなさい。

944鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/01(土) 21:32:15 ID:kaXJvxhM0
>>940 それは寺に入ったり山に篭もるような形式的な修行が無意味と言ったのじゃろう。
 今ここでも出来るのが本当の観察と言いたかったのじゃ。
 実際に何の修行もしない人間が喧騒の多い都市の中で観察するのは殆ど不可能であるがのう。
 
>>941 ネガティブな思考が起きたらそれを観察すれば良いのじゃ。
 そうすれば消えるのじゃ。
 何を思考しようと本当に観察が出来ていれば影響されないのじゃ。
 観念を厭離するのが観察であるからのう。

 集中ならば5位で影響されなくなるじゃろう。
 ネガティブな思考が起きたらその刹那毎に観察し、気づく事が出来ればそれを厭離できるじゃろう。
 そしてその原因から観察が出来ればネガティブな思考を生じる事さえもなくなるじゃろう。

>>942 それはおぬしの心の中に原因があるからなのじゃ。
 原因を追求し、原因から起こる苦が観察できれば消えるのじゃ。
 

 例えば子供の頃に親に虐待されたから他人に心を許せないとか、コミュニケーションの能力がないと将来えらい目に会うと言われたとか、そのような原因から起こるのじゃ。
 原因からその苦が起こり、原因がなければその苦は無いと観察してみるのじゃ。
 そうすればいかなる苦も消えるのじゃ。そのために瞑想も役に立つじゃろう。
 詳しくはわしのブログを参考にするのじゃ。

945避難民のマジレスさん:2014/03/01(土) 22:04:20 ID:LC3de7YgO
>>943
自らの死を想うことは修行として有効だと思います、私もこのスレで、観の行としてそのように想像してみることに付いて鬼和尚にお尋ねしたことがあります。
修行としての有効性と、1時間に3人以上の自殺者(統計外の実際の数は5人10人かもしれませんが)がいる現状において、「生きる意味がなくなれば死ぬのじゃ」と自殺を肯定することとは別ではないでしょうか?悟れば人生「あがり」でしょうから、自殺してもよいのでしょうが、悟ってない普通の人が苦にのたうち回ったあげく、15分に一人づつ自殺している現状においては、自殺を是としない言い方で同じことを伝えることはできるのではないでしょうか?言葉にできることは幻想ならなおのこと容易いことではないでしょうか(*・(エ)・*)?

946そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/03/01(土) 23:57:10 ID:KBWPDCSA0
鬼和尚
>>933に何かあればお願いします。

床屋で散髪をしてもらっているとき、目を瞑った途端に瞑想中のように快が生じました。

947避難民のマジレスさん:2014/03/02(日) 05:01:04 ID:pwM0EAio0
無知なまま死んでも執着や苦も無くならないので、結局また生まれてきますよね。
生きている間に生命、生まれてくることを、ある意味で否定しきることってどう思いますか?
よく悟り系のメッセージとか作品などで、完全なままでは自分を知れないから生まれてきたんだ
とか、完全に悟ることを否定し、人間としての生を肯定するようなものが多いですよね。
結局そういうことを言っている限り、自我の誘惑を断ち切れていないと同じじゃないでしょうか。
うまくミックスさせたようなものを見ると、う〜んそうなのかな、と思ってしまう部分もあるし。

948避難民のマジレスさん:2014/03/02(日) 12:32:36 ID:LC3de7YgO
気の行、少しづつ進んでおります。
ここでも時々話題にあがるグルジェフは呼吸法には否定的だそうですね。確かに呼吸法は自律神経に直接働きかけるので、実践に際しては慎重であるべきかもしれません。丁寧な腹式呼吸と軽い武息で温養を続けています。
また、意識的に身体に働きかけ、気を操作しようとすることになるので、いわゆるサマタ瞑想からは遠ざかるかと思いきや、そうでもないようです。最近、温養中に瞑想が深まるのを感じます(*^(エ)^*)

949避難民のマジレスさん:2014/03/02(日) 17:52:49 ID:JDpV9Y1k0
鬼和尚は死刑鮮度はどう思われますか?
何人も殺したような殺人鬼であっても、やはり殺生はいけないことでしょうか?

950鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/02(日) 20:10:39 ID:kaXJvxhM0
>>945 自殺を肯定して良いのじゃ。
 それは自由なのじゃ。
 おぬしが自殺を否定しても良いのじゃ。
 それも自由なのじゃ。
 その観念に囚われているならば離れるべきなのじゃ。

 自らの意志で行うことならば自殺でも止めるべきではないのじゃ。
 それが自由なのじゃ。
 キリスト教のように罪悪として禁じるのは思想と行動の自由を縛る事になるのじゃ。
 自ら死ぬ自由さえも認めるべきなのじゃ。
 そこに悟りへの道があることもあるからのう。 

>>946 瞑想のおわりにもっと覚醒動作をはっきりさせると良いじゃろう。
 体を動かしたりして自分の意志で瞑想から出るようにするのじゃ。
 そうすれば自分の意志によってコントロール出来るようになるのじゃ。
 
>>947 そのように意志を起こせば生まれないままでいるじゃろう。
 死の意識に止まるじゃろう。
 
 悟りを否定するのは悟りを知らず、辿り着く事もできないからなのじゃ。
 自我の逃避策ともいえるじゃろう。

>>948 上手く行けばサマーディにより早く辿り着くじゃろう。
 そのまま続けると良いのじゃ。

>>949 殺さずに贖罪をさせたら良いのじゃ。
 アングリマーラも僧として贖罪の毎日を送ったのじゃ。
 お釈迦様はアングリマーラにただ耐えるのじゃと、言ったのじゃ。

951そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/03/02(日) 22:14:39 ID:KBWPDCSA0
>>950
ありがとうございました。

952避難民のマジレスさん:2014/03/02(日) 22:53:27 ID:LC3de7YgO
>>950
>自らの意志で行うことならば自殺でも止めるべきではないのじゃ。
それが自由なのじゃ。

私もそう思います。悟っていようがいまいが、死ぬのは自由です。
死を想うことの修行としての有効性も同意します。

しかし、苦にのたうち自殺して行く人々に、「自殺するのはお主の自由じゃ」 と言う前に、「死んだ気になり修行をすれば、悟りを得るのも早いじゃろう」 と言う話を鬼和尚はするはずなので、その部分の話を広げてほしいのです。せめて、「悟ってから死ねばいいのじゃ」くらいのことを言ってほしいのです。
悟った人が役割終えて死ぬことは、大往生(?)でしょうからむしろめでたいことなのかもですが、そうでない、苦にのたうち回る自殺志願者に対して慈悲を示すことは何か鬼和尚の「悟り」に反することなのでしょうか(*・(ェ)・*)?

臍下丹田の熱感は安定し、高まりつつあります。続けていればなにがしかの変容をいずれ経験できそうな予感はあります。尻尾の蛇さんが暴れだしても制御できるように備えたいと思います。ありがとうございます。(*^(工)^*)

953避難民のマジレスさん:2014/03/03(月) 14:07:24 ID:jfWCoXjM0
ラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、パパジ、OSHO、クリシュナムルティ、グルジェフ
シュリ・バガヴァン、鬼和尚、白隠、道元、鈴木大拙、一休、釈尊、荘子、ミラレパ、アシュターヴァクラ

↑の仏陀たちについて、何か一言ずつお願いします!

954鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/03(月) 20:39:25 ID:kaXJvxhM0
>>951 どういたしまして、またおいでなさい。

>>952 なぜ他人にそう言って欲しいと思うのか、自分の心を観察してみるのじゃ。
 偶像への期待も執着なのじゃ。

>>953 マハリシは正直なのじゃ。しかし無知だったのじゃ。
 マハラジは自分で商売をしていたのがえらいのじゃ。寄付を貰わなくて済むからのう。
 パパジは何もするなとか無理を言っているのじゃ。普通の人間には出来ない事じゃ。
 オショーは博学だったのじゃ。正に如来と言えるのじゃ。
 クリシュナムルティもとにかく観察すればよいと、普通の人間には出来ない事を言っていたのじゃ。
 グルジェフも自分で商売をしていたのじゃ。感心なのじゃ。
 バガヴァンは無我にまで人を導けるがそれが悟りと思っているようじゃのう。
 鬼和尚は正に鬼じゃ。自我も認識も破壊されるじゃろう。
 百隠は名僧であるがやはりお釈迦様には叶わないのじゃ。
 道元は政治嫌いじゃな。弟子たちは政治を受け入れて檀家制度を受け入れてしまったがのう。
 大拙はたださえわかり難い悟りをさらに判り難く解説したのじゃ。オショーぐらいにしかわからなかったのじゃ。
 一休は悟りをさらに破壊し続けたのじゃ。しかしやはり残っていたのじゃ。
 お釈迦様はやはり偉いのじゃ。間違いもあったが深い智慧があったのじゃ。
 荘子は残っている文はかなり禅仏教から拝借しているのじゃ。中国人らしくはあるがのう。
 ミラレパはチベットで最後の目覚めた者だったのじゃ。法は残ってもやる気が無ければいかんという例じゃな。
 アシュターヴァクラはまだ智慧に執着しているのじゃ。智慧もまた仮設されたものでしかないと気づかなければ真の悟りへは辿り着けないのじゃ。

955避難民のマジレスさん:2014/03/03(月) 21:07:49 ID:Bwz0R3.60
∧_∧    さっぶいよなー こんや
( ´・ω・)     あったかい鍋 みんなでかこんで喰っちまおうぜ
( つ旦O  こんなにいっぺー用意したんだ、
と_)_)   さあ!さあ!喰っちゃえ!喰っちゃえ!
                 
   ∬ j─i ∬   ∬ j─i ∬   ∬ j─i ∬    ∬ j─i ∬   ∬ j─i ∬    ∬ j─i ∬
    /   \      /   \      /   \     /   \     /   \      /   \
  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕   〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕
   \__/     \__/     \__/    \__/     \__/     \__/   
    _〔 从 〕_      _〔 从 〕_     _〔 从 〕_      _〔 从 〕_      _〔 从 〕_      _〔 从 〕_
    |  【○】|      |  【○】|     |  【○】|      |  【○】|      |  【○】|     |  【○】|
    かに鍋      カキ鍋      湯豆腐     すき焼き      水炊き     ちゃんこ鍋      
   ∬ j─i ∬   ∬ j─i ∬   ∬ j─i ∬    ∬ j─i ∬   ∬ j─i ∬    ∬ j─i ∬
    /   \      /   \      /   \     /   \     /   \      /   \
  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕   〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕  〔_ ̄ ̄ ̄ ̄_〕
   \__/     \__/     \__/    \__/     \__/     \__/   
    _〔 从 〕_      _〔 从 〕_     _〔 从 〕_      _〔 从 〕_      _〔 从 〕_      _〔 从 〕_
    |  【○】|      |  【○】|     |  【○】|      |  【○】|      |  【○】|     |  【○】|
    ふぐちり     カレー鍋     キムチ鍋     鴨鍋       石狩鍋     しゃぶしゃぶ

956避難民のマジレスさん:2014/03/03(月) 21:41:50 ID:/knVzz8A0
>自らの意志で行うことならば自殺でも止めるべきではないのじゃ。
 それが自由なのじゃ。

鬼和尚はアホか?それが悟った人の言う言葉か!

957避難民のマジレスさん:2014/03/03(月) 21:42:50 ID:LC3de7YgO
>>954
>なぜ他人にそう言って欲しいと思うのか、自分の心を観察してみるのじゃ。

→鬼和尚は、一切皆苦が真理であるという仏教の教えに則り、しかも悟った人と言う立場で相談にのっているのです。「苦しかったら死ぬのは自由じゃ」ではなく、「苦しかったら修行して悟ればよいのじゃ」が鬼和尚の仰るべきことだからです。
>偶像への期待も執着なのじゃ。
→私は、鬼和尚は悟ってるのかなと思いますし、話の内容もほぼ正しいだろうと思いますが、偶像視はしていません。
日本の自殺者はWHO基準だと年間11万人以上だそうです。まさに社会問題です。そんな中で悟り人の立場で人生相談に乗る鬼和尚が反社会的であると認定されかねない発言は控えないと、せっかく正しいことを述べ、道を示しても、誤解を受けることになると心配し残念に思うのです。
死ぬのは自由であるなどと言うことは言うまでもないことです。なぜそんな当たり前のことを言い続けることに拘るのですか?自ら進んで相談にのろうとする人が、苦しんで死を選択しようとする人に対して、「死ぬのは自由じゃ」と自殺を助長するようなことを言ったらミモフタモもないことになるし、鬼和尚も言いませんよね(*・(工)・*)?

958避難民のマジレスさん:2014/03/03(月) 22:02:22 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚が肯定してる自殺とは釈迦の入滅みたいな特殊例でしょ
一般人の自殺は自由意志でもなんでもなく追い詰められて仕方なく死ぬのだから、そもそも自由が欠落してるケースだろう
この場合、鬼和尚は大抵、死ぬくらいなら修行するのじゃと言ってるよ

959避難民のマジレスさん:2014/03/03(月) 22:43:58 ID:LC3de7YgO
>>958
ほぼ、その通りなのですが、今回鬼和尚が言及してることは多少意味合いが異なるのです。・・・事故などによる身体障害により教えることができなくなったら自殺するかもしれないと仰ってるのです。
私は悟った人が役割を終えて自殺するのであれば、ありがとうございました。お疲れ様(←誤った挨拶言葉)でしたてなものだと思います。
凡夫にとって、当面究極の苦である「死」 と正面から向き合うことの有効性も理解し、真剣に死と向き合う経験をした一刹那に悟りをひらくこともあるかもなので、その人のチャンスを奪うべきではないかも…とかも考えます。
しかし、それならそうと、明確に伝えるべきたのです。
悟り人が悩みに答えるとした掲示板ですから、死ぬ前にひょっとしたらばって来た心の弱った人の背中を押すようなことは、悟りを伝えるための方法論として、断じてすべきでないと思うのですが、いかがなもんでしょう(*`(ェ)´*)

960避難民のマジレスさん:2014/03/04(火) 03:43:39 ID:pwM0EAio0
>>950
悟りは人間体験の終わりでもあると思うのです。だから生きているうちに悟れた場合
ある意味で死後の世界。一回死を通過している。
悟り体験みたいなものをしている人によくあるのが、完全には悟ってないけど、人間
体験も否定しない、というもの。
では確実にその人はまた生まれてくるでしょう。輪廻から外れてもいない。
でもこの世界でヒューマニズムみたいなものを否定するのは憚られるし、一般受けもしない。
どこかで完全に自我の生命というものを否定する必要はあると思いますか?
全員が悟ったら人間もこの世界もいなくなるということです。誰もそんなこと望んでないような気がします。
だからゲームを続ける。教えるという役目の悟った人も含めて。

961避難民のマジレスさん:2014/03/04(火) 03:55:03 ID:pwM0EAio0
鬼和尚さんは人間や世界が悟って、存在理由がなくなって最終的には消えることを望みますか?
それとも悟っても、悟りに近づいても今とは違う何らかの理由で存在し続けると思いますか?
悟りと、人間存在というものは両立しますか?

962避難民のマジレスさん:2014/03/04(火) 04:07:26 ID:pwM0EAio0
私は今生きていることが無意味に感じられるんです。悟れば何も感じないですか?
無意味だと感じるから悟った人でも自殺するんですか?
前に悟れば解放されるからそういうことも感じないようなことを言われていましたが。

963避難民のマジレスさん:2014/03/04(火) 05:47:12 ID:J/xBwQ6Q0
>>954
鬼和尚さま
では
バガヴァンは悟りを理解していないということですか?
一休の残っていたというのはどういうあたりでしょうか?
バガヴァンも一休も大悟はしていたのですよね?
しかし誤解をしていたり分かっていないことがあるということですか?

964避難民のマジレスさん:2014/03/04(火) 09:26:13 ID:fGuBhAhw0
自分に都合のいい答えじゃないからと、鬼和尚を否定し始める信者にワロタw

965避難民のマジレスさん:2014/03/04(火) 10:22:27 ID:/knVzz8A0
鬼和尚の幼稚さ、バカさ加減にあきれるわ。くだらん。

966避難民のマジレスさん:2014/03/04(火) 11:22:03 ID:fGuBhAhw0
全ての問題は自我が作り出すというのは誰でも分かることだよね。
その自我をいかに無くしていくかが悟りへの道だというのも分かると思う。

だけどここの質問者の中には、理想を追い求めてる人も居るんだよね。
自我を捨てるんじゃ無くて自我を満足させたいなら、ここに居ても無駄なんだよ。

967避難民のマジレスさん:2014/03/04(火) 11:57:22 ID:JDpV9Y1k0
鬼和尚、いつもご回答をありがとうございます。

ところで、鬼和尚が悟られるとき、最後に背中をした金剛経ですが、
以下のサイトは参考になるでしょうか?
もしまずければ、どこがどのようにまずいのかを教えてください。
よろしくお願いいたします。

http://bunchin.com/choyaku/kongo/
超訳【金剛経】

968鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/04(火) 20:03:14 ID:kaXJvxhM0
>>957 わしには何の立場も無いのじゃ。
 立場によって言うべき事も無いのじゃ。
 世界とか統計なども無いのじゃ。
 そのようなものがなぜあると思うのか、自分の心を観るのじゃ。

>>960 否定しなくとも良いのじゃ。
 それは本当は無いものであるからのう。
 無い事に気づくだけでよいのじゃ。

 いずれはこの世界も人間も居なくなるのじゃ。
 観念としても、物理的にも必ず無くなるのじゃ。
 世界にも社会にも永遠への道は無いのじゃ。
 むしろ個人の心の奥にこそ永遠の意識があり、不死の境地があるのじゃ。
 それ故に賢者は犀の角のように独り歩むのじゃ。

>>961 何も望まないのじゃ。
 何も思わないのじゃ。
 その時その場で判断するのじゃ。
 人間存在というものは観念であり、存在しないのじゃ。
 それを知るのが悟りなのじゃ。

>>962 生きる意味は自分で見出したり、創り出したりするものじゃ。
 感じようとすれば感じられるのじゃ。
 自殺はしていないのじゃ。

969鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/04(火) 20:14:19 ID:kaXJvxhM0
>>963 バガヴァンは無我と悟りを混同しているようじゃ。
 禅の研究から悟りにも小悟と大悟があると知られたのじゃ。
 それは目覚めた者でさえ判り難い区別なのじゃ。
 小悟とは自我を滅し、無我に辿り着いた事なのじゃ。
 そこでも智慧は生じ、世界も如実に見えるのじゃ。
 しかしまだ観念への囚われがあるのじゃ。

 大悟とは認識さえも滅し、無認識に至った事なのじや。
 観念に因らない大円鏡智が起こり、無為に達するのじゃ。
 そこでこそ不死の境地への到達があるのじゃ。

 一休はある日説法に来ていた人妻をなんぱしたのじゃ。
 人妻は断って帰ったが旦那に言うと偉いからやってきたらよいといったのじゃ。
 人妻が一休の家に行くともうやる気が失せたと言って返したら旦那はますます偉いと言ったのじゃ。
 悟りも完全に破壊できていたら10人ぐらい子作りをしていたかも知れん。
 真面目な聖僧なのじゃ。

 2人とも大悟していたのじゃ。
 お釈迦様でさえ尼僧を僧の下にしたり、説法に失敗したりしているのじゃ。
 悟っていても知らぬ事や間違う事も多々あるのじゃ。
 それ故に悟った後の学問や修行が大事なのじゃ。

970鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/04(火) 20:22:46 ID:kaXJvxhM0
>>964 おぬしが本当の信者かも知れん。

>>967 参考にならないのじゃ。
 経に説かれている事を知識や論と思っているのじゃ。
 それは方法なのじゃ。
 知識や論理として知っても何も断てないのじゃ。
 法として実践してこそ能く煩悩も断てるのじゃ。

971避難民のマジレスさん:2014/03/04(火) 22:32:14 ID:LC3de7YgO
>>968
鬼和尚は具体例を通して唯識の分かりやすい説明をしているのかな…と思いました。
唯識論は「悟り」を説明するための一つの方便に過ぎないものだと私は考えます。
鬼和尚は、オーム事件を受けて、それまで不立文字とかいって「悟り」を説明しようとしてこなかった仏教者側の責任もあるとして、2ちゃんやブログで説法を始めたという書き込みを読みましたので、「ネットを通して悟りを説く仏教者」という立場かあるものと考えます。
鬼和尚が仰るように、唯物の立場から、全ては幻想であり、このことも私の幻想であるとした場合は、私の幻想の中の鬼和尚と折り合いをつけるために今鬼和尚に質問していることになります。
反社会的カルトが引き起こしたオーム事件の反省の上に立って始めた、鬼和尚の説法だったのに、自殺率の増加高止まりという由々しき社会問題に対して、自由意思で自殺する者を止めてはいかんのだ、と言い放つのは、私が仮設した、社会問題を助長することになると思いました。
自由意思で自殺できる人が、過去、現在、未来どれだけいるのでしょうか?
全ては、幻想だとすると、私の中の幻想の鬼和尚は、「そうじゃ、お主がそう思うならそうなのじゃ。お主がカルトなのかもしれん。」とか、答えるのでしょうか?
別スレに、戦争がしたい、戦場で、女の首をはね、屍姦をしたいと連投している2ちゃんねらーがいたので、あわれに思い、連投の合間にグロテスクな変態性欲者であると自己表明をしつこく繰り返すと自己暗示にかかるよと何度かコメントを挟んでやると、ついに切れて、「そんな話は関係ないだろう、死ね」とコメントが帰ってきました。
その後何度かやり取りをしましたが、彼は屍姦は変態性欲ではないと言いつのります。彼は、読んだ人が不快に感じる書き込みをあえてしてるのだ、と主張します。人が不快に感じることを理解できてるということは、彼自身も苦しんでいるのだろうと判断しました。
その後もやり取りを続け、2ちゃん的な煽りと受け取られないように自分なりに配慮しつつ治療受けるように強くすすめたところ、自分は幼少期の経験によりアダルトチルドレンであると告白し、暗に自分が治療を要する者であることを認めつつ、精神病などというものは本当はないのだと言うのです。
私は、君にとって残念なことに、精神病であるかないかを決めるのは、君ではなく医者や法律家なのだよ、と言ってやるしかありませんでした。
精神病などというものは、幻想なのだ…という主張です。
↑これらのこと全てが私の作りだした幻想であり、オームも鬼和尚も、屍姦くんも「全部お主の自我が作りだした幻想なのじゃ」、という以外の説明方法はないのでしょうか?

972避難民のマジレスさん:2014/03/05(水) 00:31:42 ID:Bwz0R3.60
叩けと言われた時、
叩く、叩かない、と言う選択肢が各個人に出てくる。
どちらを選ぶかは、その人の全人格であろうと思われる。
いずれを選んだとしても、主体性の現れである。
ところが、これに実の保全を確保するため、尻馬に乗ってくる奴隷達がいる、つまり、自己決定が出来ない者達である。
これは、いじめの構造の本質であろう。

たろえば、
宝くじは、買わなきゃ当たらないが買っても当たらないの常識が有るのだが、ジャンボ宝くじの売り場に行列を見たら、自分も並んで買う行動とも通じるものが有る。

つまり自己決定をし、自己責任で行動、決済が出来ないついていきます人間のなんと多いことか。。

だから、 こころ おたいらに おたいらに ゆるろゆるり とすすみましょうぞ (smile)


さとった者は、因果に落ちず

さとった者は、因果に昧まされず不昧(道理に暗くない事、聡明である事)

これは、山川草木国土悉有仏性である。
すべての存在の大前提に持つ、アジアの人々、仏教徒、禅者の共通受け取りである。

したがって、不落、不昧とも 問いに対して、全く差別するところも無く、真理さとりを言い当てている。

これと同じ構造を持つ公案が、趙州無字である。
新参の僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか。
師、答える、有。
古参の僧、問う、門前の痩せ狗にも仏性がございますか。
師、答える、無。

趙州は同じ問いに二つの対立する答えを出している。
この 無 を透れ。

973避難民のマジレスさん:2014/03/05(水) 00:37:55 ID:Bwz0R3.60
寒の戻りなのか、八日、冷たいものがむしろ合うようだ。。

          ∧,,∧
         (;`・ω・) o
         /  o ┏┛ ガリガリ
         しー-J| ̄|

 ,,,.    ,,,.    ,,,..    
,;'"'゙';,/ ,;'"'゙';,/ .,;'"'゙';,/ ,;'"'゙';,/ ,;'"'゙';,/ .,;'"'゙';,/
ヽ、ノ  ヽ、ノ  ヽ、ノ ヽ、ノ  ヽ、ノ  ヽ、ノ 
 ┴   ┴   .┴   ┴   ┴   .┴   

 曰  曰   曰  曰
ノ__丶 ノ__丶 ノ__丶 ノ__丶
||い|| ||メ||  ||レ||  ||み||
||ち|| ||ロ||  ||モ||  ||ぞ|| 
||ご|| ||ン||  ||ン||  ||れ||
`~~´ `~~´  `~~´  `~~´

974避難民のマジレスさん:2014/03/05(水) 12:58:35 ID:Ixi5VWxw0
鬼和尚、
鐘の音を聞く、縁起の法の進め方について助言をいただければと思います。
現在3分おきに鐘の音が鳴るようにセットして、瞑想を行なっています。縁起の法は初心です。
忘我には自由には至れず、呼吸が止まり阿頼耶識に気づける程度の瞑想の深さで音を聞いています。
それで質問なのですが、縁起の法の場合、集中する対象はどこにしたら良いのでしょうか?
縁起の法を行なう前は、試行錯誤の結果、阿頼耶識に気づける場合はそこに、気づけない場合は自分の
耳の音に集中してきています。
あと、観察の対象は心の動きを中心にした方が良いのか、音そのものの感覚も含めた全体を観察する
ようにした方が良いのかが、知りたいです。
また、鐘の音を聞いて観察することで微妙な集中が乱れ、覚醒度が上がる傾向にあるのですが、
これは気にせず続けていけば、乱れなくなるものなのでしょうか?
観察と集中のバランスに関しても、何かコツのようなものがありましたら、お願いします。

975避難民のマジレスさん:2014/03/05(水) 18:17:42 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、私は、無我であり、自他の別なく、生死の別なく、善悪の別なし…というのが真理であるかどうかではなく、そのようなものであろうというイメージを片隅にもって行に臨めば、新境地も見えてくることもあるかもしれない…って感じで受け止めています。
しかし、そこで使われる「言葉で表現できることは幻想」、「自他の別なし」、「善悪の別なし」、「生死の別なし」という論法をそのまま昨日書いたグロテスクな変態性欲者君が使っているのです。あるいは、自称悟った人のビジョンに従えない人間は慈悲でポアしてやるのだとするオウムも同じ論法なのです。(つづく)

976避難民のマジレスさん:2014/03/05(水) 18:56:51 ID:Bwz0R3.60
白隠禅師『坐禅和讃』


衆生本来仏なり       水と氷の如くにて
水を離れて氷なく      衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして   遠く求むるはかなさよ
譬えば水の中に居て    渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて   貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は     己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は   称嘆するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等
その品多き諸善行     皆この中に帰するなり
一坐の功を成す人も    積みし無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき   浄土即ち遠からず
辱くもこの法を        一たび耳に触るるとき
讃嘆随喜する人は     福を得ること限りなし
況や自ら廻向して      直に自性を証すれば
自性即ち無性にて      已に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ    無二無三の道直し
無相の相を相として     往くも帰るも余所ならず
無念の念を念として     歌うも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく     四智円明の月さえん
この時何をか求むべき   寂滅現前する故に
当処即ち蓮華国        この身即ち仏なり

977避難民のマジレスさん:2014/03/05(水) 19:11:00 ID:LC3de7YgO
鬼和尚は、世界はない(>>968)とする以上本来幻想でしかないはずの、オウム事件を仮設して、説法をはじめたとするのならば、同様に大きな社会問題である自殺を、あるいはその統計を仮設して、対応することも可能なのではないでしょうか?
「他人のしたことしなかったことを問題にしたらいかんのじゃ。」 ということでしょうか?

978そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/03/05(水) 19:30:52 ID:KBWPDCSA0
鬼和尚
私は昔の嫌なことを突然思い出して「バカッ!」とか「クソッ!」などと大声で叫ぶことがあります。
たいてい毎日、一人でいる時に、一日に何度かあります。
これと同様な症状を持つ人のスレッドが2ちゃんねるにありますので、よろしければのぞいてみてください。

【死ねっ】 思い出し奇声 PART12【ミソッミソッ】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/utu/1372945702/

それで、そのような苦も何とかできるだろうかと思い、私の中で何が起きているかを観察しようとしました。
そこで見えたものは、何かのきっかけで記憶を思い出して感情が起こり大声で叫ぶ、というプロセスです。
それらに特に意味はありません。
ただ起こっているだけでした。
意味のないことをただ起こしているだけでした。
起こすことで「我」という感覚を得ようとしているのかもしれません。
嫌な記憶を思い出すことは、そのための格好な材料なのでしょう。
これが記憶に基づく認識の在り方の一つであるならば、記憶に基づかない認識もまたあるのだろうと思いました。
これで厭離ができれば、今後は起こらなくなるかもしれません。
引き続き経過を観察します。

さて、その晩の寝入り端のことです。
上記のことを考えながら、その考えを自分は今反芻しているな、と眺めながらうつらうつらとしていました。
突然、私は、あらゆるものが起こるプロセスの最上流まで遡りました。
そこには何もありませんでした。
そしてすぐに元に戻ってきました。
心の中で「何も無かった!」と叫んでしまいました。
それは一瞬の間の出来事でした。
これは修行と関係あるのでしょうか。

979避難民のマジレスさん:2014/03/05(水) 20:54:12 ID:Bwz0R3.60
             A cup of coffee broke like my life

       ∧__∧ あっ
      ( ´・ω・)   c□
      ノ  つつ               ゴメン
     ⊂、   ノ          γ''´  `ヽ、     ミ  __ ガシャ
       し             ⊂,_と(´・ω・`)⊃    (__()、;.o:。
"""""""""""""""""""""""""'""""""""""""""""""""""""'""""""

980避難民のマジレスさん:2014/03/05(水) 21:40:38 ID:Bwz0R3.60
ハゲ集まれー^^
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1390919157/

981鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/05(水) 22:32:12 ID:kaXJvxhM0
>>971 >>977 わしは自由な選択を肯定しているのじゃ。
 それが自殺することであっても本人の意志を尊重するのじゃ。

 大体一つの意見には完全に良いと言うことは無く、善悪の両方があるものじゃ。
 そして状況によってはそれが束縛となり、苦を起こすものともなるのじゃ。
 それ故に一つの意見はその善悪を知り、善悪の限界を見極め、良く吟味して吐くべきなのじゃ。

 他人の自殺を認めないと言う意見はキリスト教にもあり、一見すれば人道的にも見えるが、実際には安楽死を認めず、殺人によって自らを殺させる乱射魔などを生むと言う一面があるのじゃ。
 そして規則によって人を縛り、人の意志を否定する事にもなるのじゃ。
 規則を押し付けて人の意見や行動を縛り、意志を否定する事は多くのカルトがやってきたことなのじゃ。
 それ故にわしはそれを採らないのじゃ。

 自殺を認めるのは非人道的であり、キリスト教などの思想に知らずに染まった者達の非難を被るじゃろう。
 しかしそれはただ長く苦しんだ後に死ぬ者に安楽死の選択を認め、他人をも傷つける乱射魔をなくし、人の意志を尊重する事になるのじゃ。
 人が生まれ変わると言う事実を知らない者には今の肉体にあくまで執着するために自殺は最悪の罪悪であるじゃろう。
 しかし人は生まれ変わり、意志によって後の生を選ぶ事も出来るならば古い肉体を捨てる事も出来るのじゃ。
 人の意志を尊重し、生死の在り様を知る故に、十悪以外の選択を許すのじゃ。

>>974 観察の対象に集中するのじゃ。
 音を聞く感覚、感覚から引き起こされる思考や連想などに集中するのじゃ。

 感覚をも観察し、そこから引き起こされる思考や感情をも観察するのが縁起の法なのじゃ。
 縁によって起こる連鎖を観察するから縁起の法なのじゃ。

 その「鐘の音を聞いて観察することで微妙な集中が乱れ、覚醒度が上がる」という事をそのまま観察するのじゃ。
 何であろうと、今ここで起こる事をそのまま観察するのじゃ。
 心に乱れがあれば乱れる様を観るのじゃ。それが本当の観察なのじゃ。

982鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/05(水) 22:33:18 ID:PAHPUIz60
>>971 >>977 わしは自由な選択を肯定しているのじゃ。
 それが自殺することであっても本人の意志を尊重するのじゃ。

 大体一つの意見には完全に良いと言うことは無く、善悪の両方があるものじゃ。
 そして状況によってはそれが束縛となり、苦を起こすものともなるのじゃ。
 それ故に一つの意見はその善悪を知り、善悪の限界を見極め、良く吟味して吐くべきなのじゃ。

 他人の自殺を認めないと言う意見はキリスト教にもあり、一見すれば人道的にも見えるが、実際には安楽死を認めず、殺人によって自らを殺させる乱射魔などを生むと言う一面があるのじゃ。
 そして規則によって人を縛り、人の意志を否定する事にもなるのじゃ。
 規則を押し付けて人の意見や行動を縛り、意志を否定する事は多くのカルトがやってきたことなのじゃ。
 それ故にわしはそれを採らないのじゃ。

 自殺を認めるのは非人道的であり、キリスト教などの思想に知らずに染まった者達の非難を被るじゃろう。
 しかしそれはただ長く苦しんだ後に死ぬ者に安楽死の選択を認め、他人をも傷つける乱射魔をなくし、人の意志を尊重する事になるのじゃ。
 人が生まれ変わると言う事実を知らない者には今の肉体にあくまで執着するために自殺は最悪の罪悪であるじゃろう。
 しかし人は生まれ変わり、意志によって後の生を選ぶ事も出来るならば古い肉体を捨てる事も出来るのじゃ。
 人の意志を尊重し、生死の在り様を知る故に、十悪以外の選択を許すのじゃ。

>>974 観察の対象に集中するのじゃ。
 音を聞く感覚、感覚から引き起こされる思考や連想などに集中するのじゃ。

 感覚をも観察し、そこから引き起こされる思考や感情をも観察するのが縁起の法なのじゃ。
 縁によって起こる連鎖を観察するから縁起の法なのじゃ。

 その「鐘の音を聞いて観察することで微妙な集中が乱れ、覚醒度が上がる」という事をそのまま観察するのじゃ。
 何であろうと、今ここで起こる事をそのまま観察するのじゃ。
 心に乱れがあれば乱れる様を観るのじゃ。それが本当の観察なのじゃ。

983鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/05(水) 22:52:32 ID:kaXJvxhM0
>>978 そのように観察していけば厭離できるじゃろう。

 何も無くて良いのじゃ。
 仮設されたものに気づいたようじゃのう。
 無我に気づいたともいえるのじゃ。
 無意識の内に観察が起きたのじゃ。
 恐れずにそのように何度も観察してみるが良いのじゃ。 
 それが本当に判る時が来るじゃろう。

984避難民のマジレスさん:2014/03/05(水) 23:32:16 ID:/Dz1DR4E0
>>982
>人が生まれ変わると言う事実を知・・・(り、)
 ・・・意志によって後の生を選ぶ事も出来るならば古い肉体を捨てる事も出来るのじゃ。
→ 私は、自由意思でない自殺者に対する慈悲は不要なのですか? オウム問題と同じように自殺という社会問題に立ち向かわなくてもよいのですか? と質問し続けてきたのですが、やっと鬼和尚の意図がわかりました。
5分に一人づつ死んで行く自殺者を事実上止められない以上、仮に輪廻が幻想であったとしても、それを説くことにより最後の死の恐怖を取り除いてやろうという慈悲なのですね。
こんな理解で良いのでしょうか(*・(工)・*)?

985避難民のマジレスさん:2014/03/06(木) 01:54:10 ID:Bwz0R3.60
商工会議所の検定試験
http://www.kentei.ne.jp/
中央職業能力開発協会検定試験
http://www.javada.or.jp/jigyou/gino/index.html
ビジネス系検定
http://jitsumu-kentei.jp/
日本さかな検定
http://www.totoken.com/
技能検定制度について 厚労省
http://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/ginoukentei/

986そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/03/06(木) 07:43:51 ID:KBWPDCSA0
>>983
ありがとうございました。

987避難民のマジレスさん:2014/03/06(木) 13:41:17 ID:pEe1v5Oo0
>>982 ありがとうございます。
鬼和尚のブログの縁起の法を読み直してみたのですが、
確かに縁起の法を、集中の瞑想中に行うとは書かれていませんでした。
ということは、縁起の法は特に変成意識下で行わなくとも良いということでしょうか?
とすると、集中の瞑想で培った集中力をもって観察の対象に集中し、
今、ここで起こることをそのまま観察するという理解で良いでしょうか?
また、感覚や雑念などが同時に複数感じられる時は、それらも全てそのまま観察するのですね。

988避難民のマジレスさん:2014/03/06(木) 19:15:23 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚こんばんは。
ここ数日極度に疲労困憊して、立ち上がれないくらいだったのですが
ぐっすり寝たら、憂鬱な気分が嘘みたいに晴れやかになりました。
寝る前までの引きずっていた記憶が睡眠でぶっ飛んだからだと思います。
睡眠は自我をぶっ飛ばす作用がある見たいですね。
とは言え、思考と言う引力によって再び記憶が集められ、自我が再構築されるに違いないのですが

この深い眠りから起きた直後のスカッと爽やか感は悟りと関係があるような気がします。
自我が消滅した鬼和尚はいつもスカッと爽やかなんでしょうか?
このスカッと爽やかに止まりたいのにあと数時間もすると、再び自我が構築されて、陰鬱な日常を送らねばならないのがわかっているだけに何とかしたい。

989避難民のマジレスさん:2014/03/06(木) 19:22:41 ID:WL2yRwjAO
何故、今、スカッと爽やかかというと、自分を忘れてるからです。
今日は午後から休みだったので、家にかえってすぐに昼寝をしたのです。
午前中までの自我がシャットアウトされたので
凄く快適です。
この意識に常に止まりたいのですが、仕事の準備とかを始めると、シャットアウトしたはずの自我が回帰してくるかもしれません。
今は割と無我に近い自由感があります。
職場でもこのような無我の状態でいられたら、殆ど問題なく、なんの問題もなく、爽やかに楽しく生きられるはず
自我が戻ってくる瞬間を見届けたいと思います。
何によってあの忌まわしい、日常自我が生じるのかを観察します。

990避難民のマジレスさん:2014/03/06(木) 20:12:43 ID:WL2yRwjAO
次スレ建てましたのでご利用下さい。
http://jbbs.m.shitaraba.net/b/i.cgi/study/8276/1394101534/

991避難民のマジレスさん:2014/03/06(木) 20:43:11 ID:Bwz0R3.60
無字の公案
       r ‐、 山川草木国土悉有仏性
      | ○ |         r‐‐、
     _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  新参の修行僧 問う
    (⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l  門前の痩せ犬にも仏性がございますか?
    |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒)  師 答える、有。
   │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|  
   │  〉    |│  |`ー^ー― r' |  古参の修行僧 問う
   │ /───| |  |/ |  l  ト、 |  門前の痩せ犬にも仏性がございますか?
   |  irー-、 ー ,} |    /     i    師 答える、無。
   | /   `X´ ヽ    /   入  |

992鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/06(木) 21:04:25 ID:kaXJvxhM0
>>984 そのような理解でも良いのじゃ。
 古い宗教は人に規則を押し付け、医師を縛るものであったのじゃ。
 これからはますます人の意志を尊重し、自由な選択を認める事が大事になってくるのじゃ。
 
>>986 どういたしまして、またおいでなさい。

>>987 そうじゃ、完全に集中してしまうと観察も出来なくなるからのう。
 観察力も集中力も共に高めていくのが理想なのじゃ。
 何が起きても観察すれば観察力も高まるのじゃ。

>>988>>989 それが無我による快なのじゃ。
 何度も観察すれば自我を無くす事も恐ろしい事ではないと判るじゃろう。
 後は自我が落ちるに任せたら良いのじゃ。

993避難民のマジレスさん:2014/03/06(木) 21:33:22 ID:LC3de7YgO
>>992
ありがとうございます。
(*^(工)^*)はネットが存続する限り、人類で唯一の覚者を説得した凡夫として、二千年後にも名を残すことがでるかと思ったのですが、千年早かったようです。
しかし、「無我」とか「全ては幻想」っていうのはオウム等狂人が、狂った自我を強化するためや、言い訳に使う危険な論法でもあるのですね。

994避難民のマジレスさん:2014/03/06(木) 21:42:48 ID:cVn6W8No0
>>992
確かに集中の意志と観察の意志がぶつかり合い、
縁起の法をやりにくく感じていました。
最終的には両方とも意志無しでできるようになるのが目標ですね。
集中の瞑想に加え、できるだけ自分の心も観察し続けようと思います。
ありがとうございました。

995避難民のマジレスさん:2014/03/06(木) 21:54:04 ID:Bwz0R3.60
>>990
> 次スレ建てましたのでご利用下さい。
http://jbbs.m.shitaraba.net/b/i.cgi/study/8276/1394101534/

鬼和尚に聞いてみるスレ part3
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1394101534/

996鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/03/07(金) 21:25:27 ID:kaXJvxhM0
>>993 そうじゃ、そのような危険もあるのじゃ。
 それ故に十善を推し進めるのが大事なのじゃ。
 勝義による善の否定は外道の教えでしかないのじゃ。

>>994 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

>>990>>995 ご苦労さんなのじゃ。

997避難民のマジレスさん:2014/03/07(金) 22:20:54 ID:LC3de7YgO
>>996
ありがとうございます。
十善ってなんだかよく知りませんが、それも知らずに、無我だ幻想だと振りかざす狂人には注意ですね(*`(ェ)´*)b
私がお尋ねしていたことに対するお答えは、ここ ↓ にありました。このまとめサイトを作って下さってる人に感謝です。

【仏教】悟りを開いた人のスレ【鬼和尚】(その3)-gooブロク
http://blog.goo.ne.jp/oniosho/e/1b4b4373b9b9929582a0ec993f77a55b/?page=5
↑ここの >775

998避難民のマジレスさん:2014/03/09(日) 00:25:25 ID:LC3de7YgO
(.⌒⌒⌒ )
|___|
(・(ェ)・)  。・゚・⌒)チャーハン作るよ!!
/   o━ヽニニフ))
しー-J

     アッ! 。・゚・
(.⌒⌒⌒ )
|___| 。・゚・。・゚・
( ´゚(エ)゚)て  //
/   o━ヽニニフ
しー-J    彡

   (.⌒⌒⌒ )
    |___|ショボーン
  (´・(ェ)・)
  c(,_U_U      ・゚・。・ ゚・。・゚・ 。・゚・


鬼和尚が新スレ行ったので、チャーハン作りました。
明日は芋を煮ます。

999避難民のマジレスさん:2014/03/09(日) 22:35:13 ID:LC3de7YgO
うめ
       (⌒;
  о_о  :(' ;ソ.
.( ・(ェ)・) ΩΩ
 ( つ旦O 〔 ̄ ̄〕
と_)_) |_━_|

餅焼いて食べよう。

1000避難民のマジレスさん:2014/03/10(月) 00:11:44 ID:jfWCoXjM0
   ∩___∩
   | ノ      ヽ
  /  ●   ● | 1000クマ──!!
  |    ( _●_)  ミ
 彡、   |∪|  、`\
/ __  ヽノ /´>  )
(___)   / (_/
 |       /
 |  /\ \
 | /    )  )
 ∪    (  \
       \_)

1001偽和尚 ◆qH7QdQmFhM:2014/03/11(火) 02:12:03 ID:cud.kRqg0
このスレはストップします。

次スレ

鬼和尚に聞いてみるスレ part3
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1394101534/


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板