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鬼和尚に聞いてみるスレ part2
809
:
避難民のマジレスさん
:2014/02/06(木) 19:17:44 ID:jfWCoXjM0
修行者が自己を手探りで観察し続ければ、やがて大きな石のような障害に当るじゃろう。
それが自我と言うものじゃ。
それは真に大きく、修行者の全ての世界を覆っている。逃げようにも逃げられず、さけようにもさけられない、どこにでもあって、どこまでも続く巨大な石のようなものじゃ。
それを超えるには、ただひたすら己を虚しくし、観察が無意識の観察に変化するまで、修行し続けるしか方法は無いのじゃ。
ここでは、もはや何のテクニックもちっぽけなエネルギーも役に立たない。
己の心に嘘をつかず、己の心に陰の無い者だけが、その石を超える事が出来るじゃろう。
そして行者はいつか自分がその石を超えたと判る。
その石はただ言葉とイメージに過ぎなかったと、観照によって破壊する時、頂上は既に目の前に在る。 ”
↑は鬼和尚さんのブログの記事です。
1.この大きな石のような障害である自我と、
「私は在る」という感覚や存在の感覚は同じものでしょうか?
2.”いつか自分がその石を超えたとわかる”とありますが、
自我を観続けることで、いつの日か意図せずとも不意に”わかる”のでしょうか?
3.”無意識の観察”とは、
何をしていても自我を意識し続けている状態のことでしょうか?
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