したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚に聞いてみるスレ part2

846避難民のマジレスさん:2014/02/11(火) 13:03:13 ID:jfWCoXjM0
3.絶対状態

 〈われあり〉の下には、絶対的な休息がある。〈絶対〉とは、〈われあり〉の〈実在〉面の秘密だ。注意やハートは〈絶対〉に到達することができない。完全な明け渡しは〈実在〉を通じてのみ起こる。
 〈絶対〉への移行以前には、〈実在〉の体験は〈われあり〉に属している。それは、〈私〉の一部だと言うことができる。あたかも、〈実在〉のエネルギーがその自己意識の枠を超えられないかのようだ。
 それゆえに、〈われあり〉の〈実在〉面 ― それによって平安と休息の体験がもたらされるのだが ― は、絶対的な休息に到達することができない。〈われあり〉の内に体験される平安と休息の場合には、エネルギーと意識にまだ動きが存在する。それは素晴らしいものであり、ほとんどの魂にとっては究極のものだ。
 しかしながら、〈われあり〉を超える更に深い体験というものがある。〈絶対〉への移行は、〈われあり〉の〈実在〉面を、その原初の不在へと拡張させる。それは意識やエネルギーに先立つ領域だ。
 〈実在〉面内でのアイデンティティーの中心は、〈源泉〉へと引っ張られる。それで、人は非常に不可思議な仕方で、〈われあり〉以前のところに置かれる。ここにおいて、〈純粋な休息〉の状態が出現する。
〈われあり〉の〈実在〉面は自分自身を完全に手放し、〈不生〉に迎え入れられる。ここで〈私〉は最終的に、宇宙的な『われあり』I AM の現れの中に、自らの不在を体験することができる。


4.最終的な悟り:〈私〉へ

 〈私〉Me は、精神的探求の道に入り、内的状態もすべて完了しているかもしれない。にもかかわらず、不可思議なことに、自分自身に無意識な状態にある。〈われあり〉を悟り、〈絶対〉を悟っているにもかかわらず、悟りに到達している〈私〉に気づいていない ― 。
 誰が探求者なのか。誰が発見者なのか。ここに初めて、伝統的な知識を超えた、まったく新しい理解が現れる。〈私〉への目覚めだ。
 しかし、内的状態を達成しないかぎり、〈私〉が真にどのようなものかはわからない。内的状態が曇りなき鏡となって、〈私〉が最終的に映しだされ、把握されるのだ。
 ハートが目覚めないかぎり、〈私〉は表だって現れてこない。〈私〉の中心、本質は、ハートの中にある。私たちはそれを魂と呼ぶ。ハートの中で初めて、〈私〉は自分自身と全面的に出会う。
 しかしながら、まず最初に、〈実在〉の内的静寂と深さ、気づきの明晰さという基礎は絶対的に必要だ。
 ハートが目覚めると、それはもはや胸の真ん中ではなく、自分の存在全体に拡がる。
 〈私〉とは何か。それは、自分なるもののすべてだ ― それは絶対的に個人的で、親密だ。それは、〈覚〉と、〈実在〉の静寂と、ハートの温もりや感受性、そして知性の動きがひとつになったものだ。
 〈私〉が自分自身に目覚めるとき、それはもはや「他の状態」の内に安らぐのではなく、自分自身の内に安らぐ。無努力の在り方で、それは宇宙的な『われあり』とひとつになり、〈創造主〉と出会う。
 〈私〉への悟り、それは魂の開花、「個の進化」の開花であり、それ自身を通じて、その究極の拡張へと到達する。それは、自らの究極の境界を超え、宇宙的な『われあり』を把握し、その中に溶け入っていく。ここにおいて、個的な〈私〉は自分自身を超越し、一体性と分離を超えた至高の次元へと入っていく。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板