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鬼和尚に聞いてみるスレ part2
477
:
避難民のマジレスさん
:2013/12/24(火) 01:18:40 ID:XpOqqj3k0
鬼和尚が「自我」と言ってるのは、一般的に宗教でいう自我が「これが自我だ」と思う対象であり、思考であるに過ぎない。
自我が「これが自我」だと思ったものが消えれば、「自我が消えた、悟った」と感じるが、それを感じてるのが自我だ。
鬼和尚はまだ自我を知らない。
彼は自我が作ったものが現れ、そして消えるということに翻弄されてるに過ぎない。
宗教的な修行をきちっとすれば何らかの体験は起きる。
が、いかなる体験も自我が引き起こすものに過ぎない。
彼の共感の薄さ、怒り、負けず嫌いの幼児性。何一つ変わってない、もしくは平凡以下の人間のものだ。
そういう人間でも修行すれば、宗教的体験だけはできる。
これだから体験は危険だ。
>>455
何らかの原因を観察するのじゃ、というが、原因などない。
怒りは怒ってることそのものだ。そのものに覚め、脱出するだけのこと。
怒りは対象ではなく、主体である自分自身。ただ覚めることで脱出する他ない。
もし、それに原因があるとすれば、その怒り(自分)が何か理由をでっち上げて、これが怒りの理由だったのだと納得しているに過ぎない。
その納得するのはだれか、怒り(自分)である。
怒りを理解して超越する体験ができる。
が、怒りは何も変わってない。
その人の人格も生活も何も変わらない。同じ反応が続く。
鬼和尚のやってることは、自我が問題や、悟りなどの体験を作って、そしてそれを捨てたり、
無、空の観念でそれを抑圧することである。
悟りの観念を作ってから、自我の観念を作ってから、それがなくなったという体験(観念つくり)をする。
>>462
≫それは観念を破壊する観念なのじゃ。
それは観念の上書きであり、自我が余計強まる。
自我という幻想を破壊した自我の誕生です。
>>457
自我が幻想だ、というのは一つの可能性であり挑戦なのだと思います。
自我、、今の自分にとっての主客の関係が幻想だという先人がいて、そしてそれをあなた自身で見出しなさいという。
ただ覚めていなさいと彼らは言います。
自我が幻想だということは、まさに私が幻想だということです。
自我が幻想だというのは、私が自我だと思うものを幻想だとみなすことではなく、私が幻想であるということです。
祖師たちは、私が幻想であると、あなたが幻想であると言ってるのではないでしょうか。
その時、私に何ができるでしょう。
何もできないのだと思います。
何もできない絶対の無力を理解して明け渡すのだと、そういってるように思いませんか?
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