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本尊と曼荼羅
411
:
問答迷人
:2005/05/19(木) 19:23:02
>問答さんが非仏教の信仰をしているという意味
ここが、僕の悩むところなんです。
『南無妙法蓮華経』=『即身成仏の呪文』という捉え方は、僕の中では確固とした信念のようなものになっていますが、果たして、これが蓮師の教えの全てか、と問われると、そう言い切ってしまってよいのか、という躊躇いはあります。
まるっきり、それでは密教ですよね。まぁ、この辺りは、不動・愛染が曼荼羅に常に書かれていることから、そういう理解で、蓮師のお考えと基本的には違わないだろうとは思っています。
412
:
吉祥仙人
:2005/05/20(金) 05:11:42
お邪魔虫が失礼します。
>『即身成仏の呪文』
新人間革命のなかでアメリカ合衆国での折伏の場面
「あのマジックワードを教えてください」
とアメリカ人が言うシーンがありました。
413
:
犀角独歩
:2005/05/20(金) 11:20:22
> 411
問答さん、結局のところ、このようなことは言えるのでしょうね。
たしかに悩ましい問題ではあります。
414
:
顕正居士
:2005/05/21(土) 12:32:03
大聖人門下掲示板に中尊は法であって仏ではないという私見について投稿しました。
http://jbbs.livedoor.jp/study/3171/gudo.html
わたしの本尊観はおよそ次のような考えです。
日蓮宗諸派にある具体的様々な本尊から別勧請や宗祖御影を報恩謝徳等の意義による造立とし外し、
一体釈尊は四菩薩を加えるのが宗祖滅後にはより適切として外し、一塔両尊四士およびこれに若干の
諸尊を加えたものを大曼荼羅の立体表現(羯磨曼荼羅)として大曼荼羅に含めれば、日蓮宗の正格の
本尊は三種ある。一遍首題、大曼荼羅、一尊四士である。三種本尊を法仏に配すれば順に法本尊、
法仏倶備本尊、仏本尊である。大曼荼羅は法仏倶備の本尊であり、本尊抄、報恩抄の説示するところ、
此の宗の基本的正格の本尊である。大曼荼羅の全体が本門教主釈尊の本身を示し、中尊は本法、
具体に宝塔であり、塔中の釈迦仏は迹身に即した本身を示す。一遍首題は中尊を毘盧遮那仏と誤解
しないよう本尊問答抄に説示するところ、元意の本尊であるが、究竟の本尊ではない。一尊四士は
四菩薩造立抄*に説示するところ、教主に即した本尊であり、宗祖在世には立教の本主を示さんため、
滅後には法仏混乱の弊を防がんために推奨される。しかし在末相対して一尊四士が滅後には基本的
正格の本尊であるという学説は遺文に根拠がない。本尊問答抄は元意の本尊を示し、報仏本体説を
遮すと同時に応仏絶対説を遮す。
*四菩薩造立抄 真偽未決とするが、宗祖在世に一尊四士が推奨された伝説は史実であると考える。
415
:
犀角独歩
:2005/05/22(日) 08:23:20
一昨日、開催された御遺文講義に質疑応答の際の小松師・渋澤師の質疑応答は、漫荼羅と本尊に関することでした。小松師は立正の先生から、漫荼羅本尊感を陳べ、しかし、渋澤師は、突っ込んだ質問を繰り返すと言った具合でした。終了後、渋澤師は「漫荼羅が何であったか、よくわかりませんよね」と、あのにこやかな調子で語っておられました。
漫荼羅本尊正意で凝り固まったつまらぬ議論と違い、有意義なものでした。
四菩薩に関しては、法華行者値難事に「本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字」ともあり、また、本尊抄一巻の大意からしても、当然のことであると思います。
やや、ずれますが、
文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字(法華行者値難事)
本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華取要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)
と挙げてみますと、蓮師は「本門の題目」と句を成していません。法華主要抄では「三つの法門」というものの三大秘法とはもちろん言っておりません。本門の題目はありか、わたしはやや疑ってかかっています。
416
:
問答迷人
:2005/05/24(火) 17:54:38
犀角独歩さん
>415
本門の題目はありか
『本門の題目』という成句は見当たりませんが、意味としては、有りだと思います。以下に該当する真蹟遺文を引用します。
観心本尊抄
『此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。』
新尼御前御返事
『上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ』
下山御消息
『世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、法華経の半分迹門十四品を譲り給ふ。これは又地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序のため也。』
417
:
犀角独歩
:2005/05/24(火) 21:20:05
問答名人さん、
うーん、どうでしょうか。蓮師の程、到な人が、「本門の題目」、「本門の戒壇」といい、しかし、本門の題目とは言わなかったという点は重視されるべきとわたしには思えます。
たとえば、四菩薩には本門は付されません。
本門の本尊とは、迹門の本尊に対する語として意味をなします。つまり久成已前・已後の対比です。
戒壇も本迹の相対から論ずることはできます。また、このような考えは蓮師は遺文から看取できるように思えます。
しかし、四菩薩は迹門の終わりで涌きい出たとにせよ、迹門の四菩薩は成り立ちません。
同じく、本門の題目に対して、迹門の題目ということは蓮師が言ったかどうか。
題目は本迹で捌く枠を出ていると見ることはできませんでしょうか。
本門の肝心が題目であるということと、本門の題目というのは、論理的には相違があると思います。
ただし、これはそう断言することではなく、蓮師が言う三つの法門とは、本門の本尊(釈尊・四菩薩)・本門戒壇と題目の五字(裏一念三千)ということが、後代、勝手に三大秘法と言われ、本門題目と成句された可能性を探ってみようと言うことです。
418
:
犀角独歩
:2005/05/24(火) 21:20:55
【417の訂正】
誤)蓮師の程、到な人
正)蓮師の程、周到な人
419
:
問答迷人
:2005/05/24(火) 22:18:13
>本門の肝心が題目であるということと、本門の題目というのは、論理的には相違がある
なるほど。そうですね、迹門の題目という表現は確かに見当たりません。
僅かに、関連するものとして、下山御消息に次のように有ります。
『故に教大師像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内、其の中円頓の戒壇を叡山に建立し給ひし時、二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ。随って又鑒真が末の南都七大寺の一十四人三百余人も加判して大乗の人となり、一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ。』
この場合、『迹門の戒定慧』という表現から、対比関係として『本門の戒定慧』が想定されていたと考える事は出来ます。そうであれば、理屈的には、その『本門の慧』を『本門の題目』と言っても不思議はないのではないかと思います。
そして、勿論、そうであるにも拘らず、蓮師が『本門の題目』と表現されなかった理由が何か、という事がやはり重要だと思います。
420
:
問答迷人
:2005/05/24(火) 22:24:54
自己レスです。
>蓮師が『本門の題目』と表現されなかった理由
『本門の慧』=『事行の南無妙法蓮華経』=『題目』なので、『本門の「題目」』では、『本門の「本門の慧」』と『本門』が重複してしまうので、「本門の題目」とは表現されなかったのではないか、と思います。
421
:
犀角独歩
:2005/05/24(火) 23:00:30
問答さん、レス、有難うございます。
いずれにしても、蓮師が「本門の題目」を成句化していない以上、この語彙の使用は慎重を期そうと思います。
語彙の使用として関連しますが、昨日、福神講義で今成師の摂折論を聴講してきました。おってブログにアップしますが、「折伏」語の使用も、慎重を期そうと思いました。それにしても、このような真面目な考証に、自分たちの教義と違うというだけで、学的考証をするわけでもなく、批判する相変わらずの石山の在り方は、噴飯者というか、世間の物笑い、読んでいて恥ずかしくなります。
妙光寺の尾林さん
http://www.myokoji.jp/page/kowa/97-2.htm
この記述のことを今成師ご本人にお伝えしたら、苦笑いをしていました。真剣に、学問的に、追究する人に対して、真偽考証もしない好い加減さで、簡単に批判を加えるというのは如何にも石山流だと思った次第です。
さらに余談ですが、最近、わたしは石山方では「学会員」と断定されているそうです。それでわたしが書いていることが間違っているというのです。わたしが書いていることが間違っていると言うとき、自分たちが書いていることが正しいという大前提があるのでしょうが、わたしは学会員ではないわけですから、既にその段階で間違っています(笑)
さきほど、とある方からご連絡を受けて、腹を抱えて大笑いをしました。
本尊と漫荼羅という当スレから脱線しましたが、真摯にその実否を考えるのに、なんでかどうしてか、事実とはまったく違うレッテルを貼り批判をする、蓮師が言ってもいないことを恰も言ったかのように語る、こんなことを随分と騙されてきたとさらに感慨を深くする昨今です。蓮師は漫荼羅を本尊と考えていたか・扱っていたか、そんな考証で足に絡むゴミを、やや話題とさせていただいた次第です。
422
:
ひたち
:2005/05/24(火) 23:03:27
横レス失礼します。
題目とは、字の如くtitleではありませんか。素直に考えれば、妙法蓮華経の経題だと思います。ですので、あえて成句にするとすれば、「本門の題目」ではなく、「法華経の題目」となると思います。ただ、南無妙法蓮華経が三つの法門の一つであることは、どちらにしても揺るがないと思いますがいかがでしょうか。
423
:
犀角独歩
:2005/05/24(火) 23:10:37
ひたちさん、記されるところ、同意見です。
424
:
犀角独歩
:2005/07/06(水) 19:50:48
問答名人さん
本日、小野文著師の講演録を読んでいたのですが、そのなかで日講『禄内啓蒙』から優那陀日輝に至る教学を解説されて
「久遠実成の釈迦牟尼仏が南無妙法蓮華経である…南無妙法蓮華経は、お題目じゃない。法じゃない。南無妙法蓮華経は寿量品の久遠本仏の大牟尼世尊のお名前…南無釈迦牟尼仏、この久遠の本仏が仏界として顕れた時のお名前、九界として顕れると、この天照大神、八幡大菩薩や諸仏世尊尼なると、これが仏界縁起である」
と記されていました。「あ、そういえば」という感じで拝読していたのです。
この考えは、日寛教学では、久遠本仏釈尊=日蓮大聖人を置換されたうえで、奪取されているわけですが、違うのは人即法の本尊という点かと思えました。
この一連の教学潮流は、人即法という一点を除くと問答さんのお考えと親和性があると思ったのですが、如何でしょうか。
425
:
問答迷人
:2005/07/07(木) 10:48:11
犀角独歩さん
>親和性があると思った
うーん。僕は違和感を感じます。
>南無妙法蓮華経は、お題目じゃない
これは、全く納得できません。僕は、字像曼荼羅の中尊、南無妙法蓮華経は、唱題の音声以外には無かろう、と考えています。ですから題目そのもの。
>久遠実成の釈迦牟尼仏が南無妙法蓮華経
これは、本尊抄と矛盾すると思います。
どうも、全てを『久遠実成の釈迦牟尼仏』として、統一しようという意図は分かりますが、蓮師の祖意の果たして叶うものかどうか、甚だ疑問です。
本尊問答抄の如く、逆に、南無妙法蓮華経が先ず有って、そこから『久遠実成の釈迦牟尼仏』も、三世十方の諸仏も出ているというのが、蓮師のお考えで有ろうと思います。
426
:
犀角独歩
:2005/07/07(木) 11:23:02
問答名人さん
そうでしたか、失礼いたしました。
> 南無妙法蓮華経が先ず有って…
たぶん、「三身所顕無始古仏」という点から展開であろうと思います。
わたしは、蓮師文献のなかで、この点がもっとも謎です。要は法華の説相と一致しないではないかという思いがあります。門下一般では五百塵点を無始永劫ととらえるのも、この件からでしょうが、納得できない日蓮教説の一つです。
427
:
犀角独歩
:2005/10/23(日) 22:42:23
彰往考来さんと話題にしている『大崎学報』第104号の、掲載の小林是恭師『本尊抄の本尊の主要形態』に、かつてどなたかと議論になった本尊為体、並びにその造立資材についての論及があり、大いに頷きました。
「本尊為体での主要形態なるものが、それならいかなる資材によって造立されるのか。本尊抄には本尊造立の資糧と考えられるものであろうと思うものに「木画」の文字が出ている。又第九の文に記されている聖人前の仏像が木又は金銅でのものだことから想うと、聖人が包懐されていた仏像造立の資材は、大体は木像で絵像も認知の中にあったであろうということだ。「木画」の木はいう迄もなく木材だ。「画」は「絵画」と見るのが普通だろう。而して其は多くの彩色を有つだろうし、其資源は草木であった。本尊抄・の第二の文に「草木之上不置色心因果」とは、此等が自ら仏像造立の不可欠材であるに通ずる意もあってのことと見てよいだろう。
…第一は本尊抄での本尊は第四の「本尊為体」の処で語られたものが聖人の本尊相で、以下の文に見る本尊の文字は、何れもこの本尊相のものを指示しているということ。第二は聖人の本尊相の主体仏は寿量品の釈尊で、従って「本尊為体」での主体仏は釈尊だ。これはまた聖人の本尊は尤も端的に言えば本師釈尊だということ。第三はこの本尊造立の資材たるものを本尊抄から考えると草木で、それは木像或は絵像で大体は木像であろうと想われるということだ」(『大崎学報』第104号 P66)
また、その前掲論文『御本尊造像史』で影山尭雄師は、日蓮最晩年から滅後間もない本尊状況に就き、
「宗祖御自身は伊東感得の立像釈尊の一体仏を御本尊とせられ御直門の僧俗へは文字マンダラを御授与になり御入滅程ない頃には関東の主な諸寺で御本尊として一尊四士の仏像が造立せられ、他方では文字マンダラの絵画化は既に御在世の頃から試みられたらしく、それが祖滅七十余年頃には完成せられ、これと並んでマンダラの木像化も祖滅五六十年頃から試みられ、さらに日興門流の間では本門戒壇造立に至らぬ已前は文字マンダラ本尊説が、滅後五六十年頃から盛んであったように見られる。
三宝さまと通称せられる中尊二仏式が普及してをる現状をひるがえって考えて見るに、宗祖はそのご終生まで尊崇給仕遊ばされたのは、たとえ宗祖自らの御心持ちでは四士を添えた久遠の本仏であったのは勿論でも、表現された形は一体仏であったし、御在世中に一尊四士を造立した者があったがそれは四五人已上を出ていない極めて少数の、しかも在家信者であった。これに対して、直弟直檀に崇拝の対象として授与せられた文字マンダラは現在蔵伝せられてをるだけでも百二十余幅に達してをり、滅後五六百年間に焼失破損紛失盗難などで失われた数も少なからぬことを思えば、御在世当時授与せられたのはこれ已下の数であったろう筈はない。随って祖滅三四十年ごろは御門下僧俗の殆んど大部分の者がすでに文字マンダラを御本尊と崇拝していたと思われる。ここに祖滅四五十年の間に身延三世日進中山三世日祐の両師が前後してこの文字マンダラを木像化した中尊二仏式を造立せらたのは、この当時の現状の基づかれた企てではなかろうか」(同 P61)
という記述は、興味が惹かれました。
ただ、わたしがどうも合点がいかないのは、日蓮自身が本尊とするところ(一体仏)、信者(文字マンダラ)、身延中山(中尊二仏式)と、それぞればらばらという点です。
日蓮を宗祖と仰ぐのであれば、日蓮と同じ本尊を崇敬するのが自然だと思うからです。
以上の点は、彰往考来さんに資料を送付したのち、ご意見を窺いたいと思っています。また、最近、お忙しそうなれんさん、また、一字三礼さん、独学徒さんなどは、どのようにお考えなのかお聞きしたいと思っています。最近は問答さんはお忙しいようで、ご投稿がないことは残念です。
428
:
犀角独歩
:2005/11/03(木) 13:37:11
彰往考来さん
『御本尊写真鑑』コピーのご送付、まことに有り難うございました。
わたしが先に立正大学情報センターでコピーしてきたものと付き合わせたところ、同一の本でした。
ただ3箇所、相違があります。
1箇所は立正大学所蔵本は、書名が「御本尊写真鑑 巻之一」となっていましたが、頂戴したほうは「御本尊写真帖 全」となっていました。(旧字)
もう1箇所は奥付で、立正大学所蔵本では「大正元年十二月二十日印刷/大正元年十二月廿三日」となっていますが、頂戴したほうでは「大正元年十二月廿四日/大正元年十二月廿六日」となっております。こちらは日付のところは張り紙で訂正してあるのでしょうか?
もう一箇所は、立正大学所蔵本では、1ページ目に、「日蓮宗管長」の揮毫があります。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/gohonzonshasinkan.html
429
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/05(土) 22:13:35
>428犀角独歩さん・・・3箇所、相違
>(1)は立正大学所蔵本は、書名が「御本尊写真鑑 巻之一」、頂戴したほうは「御本尊写真帖 全」(旧字)
そうなんです。(2)と関連しますが奥付の日も数日の違いがあります。今回の犀角独歩さんの投稿で逆に私は「御本尊寫眞鑑 巻之一」の存在を確認できました。
>(2)奥付で、立正大学所蔵本では「大正元年十二月二十日印刷/大正元年十二月廿三日」、頂戴したほうは「大正元年十二月廿四日/大正元年十二月廿六日」
>こちらは日付のところは張り紙で訂正してあるのでしょうか?
私が所蔵のコピーでみる限り、張り紙で訂正してあります。
私が『御本尊寫眞帖 全』を国会図書館でコピーしたのは、10年ほど前と思います。その時は原本だったと思うのですが記憶は定かでありません。最近、独学徒さんの「お薦めスレッド」 >305 の投稿で、資料としては成り立たないほどの写りの悪さということでしたので、再度、国会図書館へ出むき確認したところ、マイクロフィッシュ(マイクロフィルム)になっていて、確かに写りが悪いものでした。そのため現在、私が所有しているコピーはかなり貴重なものになってしまいました。そのおかげで立正大学所蔵本でちぎられていた箇所の内容を明らかにすることができて、よかったと思います。
>(3)もう一箇所は、立正大学所蔵本では、1ページ目に、「日蓮宗管長」の揮毫があります。
私の所蔵コピー(国会図書館所蔵本)では、このような揮毫は見当たりませんね。
この本は同一内容で、異本があるようですね。どちらが本流なのでしょうね。「御本尊寫眞鑑 巻之二」の作成予定がないので『御本尊寫眞帖 全』のほうがよいと後で思ったのでしょうか。また名前が『妙宗先哲本尊鑑』と紛らわしいので“帖”としたのでしょうか。どうもその程度のことであったのではと考えています。
430
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 22:41:27
> 429 彰往考来さん
有り難うございます。
お陰で破り取られたものを確認できました。
それにしても、「巻之一」が「全」になり、‘鑑’が‘帖’になって同じもの、なんとも大らかというか、これが今だと、ちょっと騒ぎにもなりそうですが、和綴じ本の妙味というか、「なんだ、そうか」と納得して終わってしまう自分がおかしくなりました。
431
:
ラスカル
:2005/11/14(月) 11:36:33
414・顕正居士さんの意見が気になります。一遍首題は始成正覚、一尊四士は久遠実成、大曼陀羅は久遠元初と考えるなら本尊として解り易いのですが、教主とか本仏とか絡むとヴァリエーションの問題なのでしょうか。時空軸・次元軸で内実を一つひとつ判別できるのでしょうか。ブッダ・ガヤの覚りと大乗経典の悟りと。
432
:
犀角独歩
:2005/11/14(月) 14:09:45
> 一遍首題は始成正覚、一尊四士は久遠実成、大曼陀羅は久遠元初
わたしは、この分類は納得がいきません。
大漫荼羅の二仏並座・四菩薩他脇士は霊山虚空の儀式ですから、久遠元初ではなく、教学的な意味における法華説法の在世、一尊四士は末法における上行弘法を顕わすでしょうし、むしろ、久遠已来一貫しているのは「南無妙法蓮華經」ということなると思います。
433
:
ラスカル
:2005/11/14(月) 14:51:02
返答ありがとうございます。携帯のページ検索などで犀角独歩さんと問答迷人さんの検証論議を覗き読みさせてもらいました。創価学会の幽霊会員で久遠云々などは我見ですので御容赦願います。「始成正覚は蓮が言葉の意味合いが似てるかなと思い、久遠実成は四士以外は出て来ないから、久遠元初は南無妙法蓮華経如来=日蓮と考えて」つい書き込んでしまいました。ドがつくぐらいの素人で雑学ぐらいの知識・情報しか持ち合わせてませんが宜しくお願い致します。
434
:
ラスカル
:2005/11/14(月) 14:58:13
連続書き込みで失礼します。何が一番聞きたいか考えました。やっぱり、真偽いろいろある遺文・御書で四箇格言、三大秘法、独一本門、天生原戒壇等どこからどこまでが鎌倉時代の僧・日蓮が思考展開した教義なのでしょうか。
435
:
01
:2005/11/14(月) 17:36:50
横レス、ごめん。
ラスカルさん、あんたいいやつだなぁ。おれ、ファンになっちゃったよ。
独歩ジジは気難しがり親父だけどど、うまくつき合ってヨロシクぅ。
436
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 09:45:19
> 真偽いろいろある遺文・御書
取り敢えず、パンナコッタさんが示された「現宗研 文献資料」で、真跡遺文とされるものを基に、残る写本遺文に関しては、その内容から類している現在進行形が日蓮研究でしょう。わたしは個人的には最蓮房関連、御義口伝、日向記は外します。
> 四箇格言
これは日蓮の考えです。ただし、伝説で言われるように建長5年4月28日の初登高座で述べたのではなく、佐後にかけて整理されていったのだろうと考えられます。
> 三大秘法
「三大秘法」という成句は『三大秘法稟承事』に見られる成句ですが、この書が真筆であるとする点には疑問があります。つまり、日蓮は「三つの法門」というのに留まっています。
> 独一本門
石山で言えば、日寛の用語で、江戸時代以降と考えられます。
> 天生原戒壇等
これまた、要法寺出の石山歴代が持ち込んだ考え、本来、石山にはなく、また、重須の日興にもこの考えはありませんでした。もちろん、日蓮にこの考えはありません。
437
:
ラスカル
:2005/11/15(火) 15:07:12
返答ありがとうございます。気になる所から。■三大秘法について、遺文・御書を読めば其の儘書いてあるようです。本門寿量の一品→(涌出品に秘し)寿量品の本尊戒壇題目〈口決・三大秘法〉〈義(行為)〉→寿量品事の三大事⇒事戒法→戒壇堂云々■此の遺文・御書で考えたいのは、五百塵点とは大乗経典の内容から比べた相対的時間の長さなのか。それと、曼陀羅は戒壇(受戒の儀式を行なう)足り得るか。如何でしょう。
438
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 16:33:44
三大秘法稟承事の補足としまして、
『日親本』、京都府本法寺蔵。従来『日時本』とされてきた大石寺蔵本は、日時筆とは認められず『大石寺本』とする。
同本は「御書目録日記事」及び「三大秘法抄」を含む数通の御書写本・要文、更に『天台四教義集解』の要文、
日目伝等が収録されており、中に大石寺第十四世日主(1555〜1617)の「本持日主 花押」との記載がある。
『日朝本録外目録』『本満寺録外』『三宝寺録外目録』『刊本録外』等所収。
本書は特に近来真偽についての論争が盛んになされてきたが、今日ではおおむね山川智応・清水竜山の
真撰説が支持されている。しかし、本書には「一身即三身」などの、信頼される御書には見られず、
且つ疑義濃厚な御書にしばしば見られる用語が使用されており、今後更に慎重に検討されるべきであろう。
御書システム 解題より引用
真筆は現存しない、真偽未決文のようですね。
439
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 17:40:50
> 三大秘法について、遺文・御書を読めば其の儘書いてある
いえ、書いてありません。書いてあるのは、真偽未決という果たして本当に日蓮の文章かどうかわからない疑わしいもののなかだけです。
> 寿量品の本尊戒壇題目〈口決・三大秘法〉〈義(行為)〉→寿量品事の三大事⇒事戒法→戒壇堂云々
このフローチャートは日蓮とは関係のない後世のものです。
要は『三大秘法稟承事』(真偽未決)、『日蓮一期弘法付嘱書』(偽書)の出てくる言葉から組まれたもので、日蓮の教えではありません。
> …五百塵点とは大乗経典の内容から比べた相対的時間
相対とする二つの主語は何を指しているのかわからないので、答えられません。
> 曼陀羅は戒壇(受戒の儀式を行なう)足り得るか
これも仰る意味がよくわかりません。曼陀羅とは本来、壇も、意味するでしょうが、日蓮の漫荼羅を指すのであれば、しかし、その趣旨は、わたしは違うと考えています。
440
:
ラスカル
:2005/11/15(火) 18:37:49
情報ありがとうございます。それならば、真蹟はどれくらい残っているのでしょう。■相対的とは広くは大乗経典の他宗派の物。狭くは久遠実成、久遠元初と比べて。■日蓮聖人の曼陀羅の位置付けと出典を教えて下さい。
441
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 19:14:49
> 真蹟はどれくらい残っているのでしょう
遺文集はなにかお持ちですか。
お持ちでしたら、冒頭の目次に真蹟所在は明記されています。断片まで入れるといくつと数えることになるのか、意見の相違はあるでしょうが、御書と言われるものの半数程度。200編程度ということになりますか。既にパンナコッタさんが紹介してくださった現宗研サイトに真蹟と写本は分けて載っているので参考になります。
> 久遠実成、久遠元初
久遠実成と五百塵点は同じ時を指しています。
久遠元初は日蓮とは関係ありません。のちの教学解釈です。
> 日蓮聖人の曼陀羅の位置付け
図示の部分的説明とすれば『本尊抄』でしょうが、‘位置付け’ということであれば、「ない」というのがもっとも正確な答えになると考えます。
442
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 19:24:37
ちなみに御書システムのC分類では、
◆[C]: (部類 = class の頭文字) 御書を真蹟・写本の存否、内容の種別、システムの必要性等の理由から10に分類したものです。
「御書本文」「御書通読」の各行にも付してあります。
C=0 真蹟が完全若しくはほぼ完全な形で現存し、活字御書と対応するもの。 17.6 %
C=1 真蹟が断簡で現存し、活字御書の断簡と対応するもの。 5.2 %
C=2 真蹟の断片が現存し、活字御書の一部分と対応するもの。 11.6 %
C=3 真蹟が明治8年の火災まで身延山久遠寺に存在していたもの。 10.0 %
C=4 真蹟は現存しないが日興書写本の現存するもの。 4.5 % 以上 48.9 %
C=5 日興上人以外の上代諸師の古写本の現存するもの。 3.2 %
C=6 上記の0〜5と下記の7〜9以外の全てのもの。 31.3 %
C=7 御義口伝と御講聞書。 6.2 %
C=8 富士門流の相伝書類。 1.5 %
C=9 偽書と云われるもの。(昭和定本第三巻の第二輯続篇分) 8.9 % 以上 51.1 %
と、なっています。(注法華経や写本の円多羅義集は含まず)
443
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 19:33:17
>442
失礼、注法華経はシステムに本文が掲載されていないだけで、C=0。
円多羅は、蓮祖の写本ということで掲載していないと云う意味です。
444
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 19:39:55
パンナコッタさん、御書システムでは、真蹟は何編と数えているんでしょうか。
445
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 20:18:13
御書システムで、現在掲載されているのは、
C=0 145編
C=1 499編
C=2 114編
断簡・断片を含めて、このようになっています。
446
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 20:38:39
断簡・断片をとりあえず省いてみると、
C=0 145編
C=1 51編 (含めると499編)
C=2 58編 (含めると114編)
と、云うことになっています。
447
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 21:32:54
パンナコッタさん、有り難うございました。
448
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 21:47:52
またまた、すみません。
>443
円多羅は、蓮祖の写本ということで、システムに本文を掲載していないと云う意味です。
数と%が違っているのは、一つの遺文に断簡が多数ある物もあり、数字か違ってくるということです。
449
:
ラスカル
:2005/11/15(火) 23:26:34
犀角独歩さん、パンナコッタさん、ありがとうございます。御書全集と呼ばれるものしかありませんのでHPサイトを見てみます。
450
:
ラスカル
:2005/11/15(火) 23:51:31
■のちの教学というと日有上人・日寛上人の頃なのでしょうか。(独一本門もでしょうか)■では、曼陀羅は何故図顕され、どのような扱いだったのでしょう。■四箇格言は鎌倉時代の様相が背景にあり、それぞれ教義比較など踏まえた含蓄のある格言だと思います。でも、平成時代は三証・四悉檀で対応した方が良いと考えますが如何でしょう。■国立戒壇とかも話題になりましたが、其の先々の為、地域ごとに法華堂を建てれば伽藍は要らないと思います。文化財など否定するつもりは無いですけど。
451
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 10:34:09
> のちの教学というと日有上人・日寛上人の頃なのでしょうか
そうですね。整理集成落着するのは、日寛でしょう。
> 独一本門もでしょうか
「独一本門」という成句は、(大石寺ではなく)要法寺『本因妙抄』のなかで見られますが、これが「文底独一本門事本門戒壇本尊」というような教学的な整理は日寛です。
> 曼陀羅は何故図顕され、どのような扱いだった
真跡遺文から知られる限りでは、守札の用途ははっきりしています。その他は、実は不明です。実際のところ、日蓮自身が漫荼羅は拝んだことはないと考えざるを得ず、(拝んでいたのは所持の釈迦一体立像)では、なんのための図顕かというのは当然の質問です。この点はここでも議論されましたが、わたしは弟子への允可証ではないのかと考えています。
> 平成時代は三証・四悉檀で対応した方が良い
まあ、この考えは四箇格言よりは実際的でしょうね。四箇格言中、「念仏無間」は念仏法華の法論で法華が負け詰め腹を斬らされて以来の禁句でした。これが復活するのは明治以降のことでしょう。
現在、四箇格言が鎌倉時代同様の意味を持ち得るか。やはり、持ち得ないでしょう。
では三証はとなりますが、第一段階の「文証」で、日蓮がどのような経釈に基づいて論を構成したのかという分析は可能です。しかし、その文証とした経典、つまり、大乗経典が釈尊の直説ではなく、滅後500年以上経って創作されたものである以上、これを金科玉条の如く文証とするのは今の科学的見地は認めません。となれば、つづく理証も同様の扱いと成らざるを得ない。では実証もか、となりますが、さて、ここはどうでしょうか。実証とは学会を含む石山門下が言うような功徳、御利益の類を言うのであれば、これは別段、信仰者は誰しも、‘体験’はあるでしょうから、その体験は否定されないでしょう。しかし、文理との因果関係にあるのかは、それらが釈迦真説出ないことがわかった以上、関係しないことになります。さらに言えば、実証とは「実証証得」などという成句でもわかるとおり、元来、成仏の証を意味するわけです。こうなると、もはや、三証は、今日的な意味を持ち得るかどうか。わたしは否定的に考えざるを得ません。ただし、各人の感じる法悦は否定しませんが。
> 国立戒壇
田中智学以前の意義からすれば、国主の立てる戒壇ということになりますが、それは、ともかく、民主主義のご時世ではこの意味を取り違えているのだろうと思います。これらは、要するに国主受戒の場を自らが作ることを意味していたのでしょう。過去の戒壇建立の理由を見る限り、その様子が窺えます。もちろん、併せて僧侶受戒の意義があることは言うまでもありません。そんな、その後の扱いはともかくかくとして、本来の意味はそこにあるのでしょう。一般在家に受戒など、元来はなかったわけです。この点は藤川さん辺りと話し合いましたが、こんなことがある程度、定着したのは昭和になってから、先の戦前の話でしょう。
> 地域ごとに法華堂を建てれば伽藍は要らない
日興は日蓮御筆漫荼羅に「奉懸本門寺」と複数の漫荼羅に添書をしています。
当時の日本各地方ごとが「国」であったわけです。日本全土を指して一国という考えは、やはり、明治以降に一般化したものでしょう。当時、京と鎌倉、どちらが真性日本の首都であったか、両方かは議論の分かれるところでしょうが、それでも、それらは統一拠点以上の意味を持たなかったのが当時でしょう。つまり、複数の本門寺に懸ける漫荼羅が策定されたこと自体、ある面、「地域ごと」という考えは当たっていることになります。
452
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 11:06:27
一つ落としました。
> 四悉檀
これはたしか渡辺照宏師の指摘したことであったと思いますが、四悉檀は、梵本から訳される際、誤訳(意訳?)された誤った翻訳文に基づいて構成された教義で、成り立たないということでした。この点を記した論文を、読んだのですが、題名とも、失念しました。わたしの失念とは別に、この指摘は重要で、梵本直訳が容易に手に入る現在、この指摘が正鵠を得ていれば、四悉檀を用いる以上は、この反対文理を証明する義務があるとわたしは考えます。わたしは、この指摘を読み、もっともだと思った記憶があり、故に反対の論陣を張る蛮勇も起きませんので、四悉檀は用いません。
453
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 12:31:57
【451の訂正】
誤)「実証証得」
正)「実相証得」
454
:
ラスカル
:2005/11/16(水) 17:41:46
素直(?)になって聞いてみるものですね。って。パソコン持ってないし大きな書店へ行かないと探すのも難しいので。もう少し質問させて下さい。■久遠元初の出典■南無妙法蓮華経如来の出典■法華経説話と一念三千の間は繋がるか■経典・サッダルマ法プンダリカ蓮の付属の表現もしくは出典範囲等。焦点絞って簡潔に書いたつもりなんですけれど解り辛いかもしれませんが、いろいろ単語・成句などを出してもらえれば、調べたり考えたりできるので宜しくお願いします。
455
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 22:03:16
■久遠元初の出典
要法寺相伝(正確には上行院と言ったがよいかもしれませんが)『百六箇抄』「久遠元初の自受用報身無作本有の妙法」『本因妙抄』「久遠元初の結要付嘱」、その後、要法寺出の日教『150箇条』「御書曰久遠元初」と見られ、しかし、日蓮遺文にはもちろんこの語句はないので、上記2抄を指すのでしょう。日教は日有の時代に大石寺に来ているので、二箇相承などと共にこの要法寺教学を伝播した役割を果たしたのであろうと思えます。その後、これら相伝は大石寺にもとよりあったような論法で日寛が教学を創り、この基礎に据えたのが「久遠元初」でしょう。ただし、これには日時以来、大石寺の歴代が学んだ仙波檀林(天台宗)には、この原型となる教学、恵心流口伝法門があるので、教学的枠組みとしては、こちらの影響も受けてのものでしょう。
■南無妙法蓮華経如来の出典
この成句は、日寛文献で読んだ記憶がありますが、今は思い出せません。文段中であったと記憶します。しかし、近代では横浜問答で蓮華会が使用しました。
■法華経説話と一念三千の間は繋がるか
羅什訳『妙法蓮華経』から天台が経て、妙楽が造語したところです。
法華経説話、もちろん、サンスクリット語原点ではつながるはずもありません。
■経典・サッダルマ法プンダリカ蓮の付属の表現もしくは出典範囲等
日蓮の教学では末法付属の正体は妙法蓮華経の5字であることを『本尊抄』に尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」と記されるとおりです。
しかしながら、上行菩薩が神力品で付属を受けたのは、漢訳妙法華でみて、「嘱累の為の故に此の経の功徳を説かんに、猶お尽くすこと能わじ。要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す。是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし」を付属と見るかどうか、見たとしても、この該当文が妙法蓮華経の五字になるかどうかは、一考を要するでしょう。わたしは、そうはならないという立場です。
456
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 22:08:21
【255の訂正】
誤)『本尊抄』に尊の因行果徳の二法
正)『本尊抄』に釈尊の因行果徳の二法
457
:
ラスカル
:2005/11/16(水) 23:14:27
龍樹の空識・一心三観から天台一門の一念三千まで認識判断の複雑化構造改革も、教義・方法論も[正法→像法→末法]や[戒→破戒→無戒]など、どういう時にどういう形で受け取るかの質量で語句の表現も変わる。というのではキツイでしょうか。表題は妙法蓮華経の事ですよね。それとも、皆成仏道だけで無く諸行無常とかも兼ね合わせての呼び掛けになるのか。宗教は学問でヴァリエーションをどれだけ具現化できるかなら曖昧な繋ぎでも良いのでしょうが。未顕真実→真実開顕ですから、実相証得が鍵でしょうか。
458
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 23:22:25
> 457
なかなかいいところを掴んでいますね。
459
:
ラスカル
:2005/11/17(木) 12:41:37
■始成正覚・空間・本仏→久遠実成・時間・本尊にはなりませんか。■曼陀羅図顕は法華経に沿った本仏と本尊の立て分け?一遍首題と十界曼陀羅は像法と末法への対応に考えられなくもないのだけれど。
460
:
犀角独歩
:2005/11/17(木) 22:24:36
■始成正覚・空間・本仏→久遠実成・時間・本尊
時空概念からということでしょうか。
こういう現代発想オチはおやめになったほうがよいでしょう。
■曼陀羅図顕は法華経に沿った本仏と本尊の立て分け?
法華経に添った部分と密教に添った部分の二重立てです。
本仏は釈迦牟尼仏(本尊抄)本尊は法華経の題目(本尊問答抄)というわけで、では、本仏=本尊となるか?という点では、いまだに落着していないのが日蓮教学研究の実像でしょう。
> 一遍首題と十界曼陀羅は像法と末法への対応に考えられなくもない
これは、どういう意味かわたしには介せません。
461
:
ラスカル
:2005/11/17(木) 23:41:27
早とちりのような書き込みで申し訳ないです。 ■曼陀羅が守札である事は想像に難くない事かもしれませんが、弟子への允可証というのは合点がいきません。弟子の名前を書いたとして本尊でない?守札を下賜するのは縄張り意識からでしょうか。日蓮聖人は「通力に頼るべからず」とかありませんでしたでしょうか。修行方法・受持即観心の戒壇と考えるなら納得がいくと思うのです。■一遍首題というのは天台・伝教の頃「宝幡」と呼び、日女御前御返事に「法華弘通のはたじるし」と書いてあります。首題と不動・愛染の名、十界曼陀羅には冥府判官其他書いてある掛け軸があるらしいですが日興上人に下賜された十界曼陀羅の事を指します。行方不明らしいですが。化導にあって像法と末法の区別とした方が宗派別に気配りしたというよりは良いと思います。憶測とテンション上がったような書き方ですみません。
462
:
犀角独歩
:2005/11/18(金) 08:02:55
■曼陀羅が守札である事は想像に難くない
これは日蓮の遺文のなかに、たしかにそのように書いてあります。
> 弟子への允可証というのは合点がいきません
そうですか。しかし、漫荼羅は1人1幅が原則で、日蓮の名、授与者の名、日付が入ります。この弟子が、法座その他を開くときには、そこに掲げられたでしょう。となれば、それだけで日蓮の弟子であるとわかります。このような用途があれば、允可証という側面はあったろうと想像できます。
> 守札を下賜するのは縄張り意識からでしょうか
違うでしょうね。密教の呪符の側面からでしょうね。二明王、「頭破七分」「福過十号」などという書き込みは、まさにそのような点を物語っています。
> 日蓮聖人は「通力に頼るべからず」
写本遺文の範囲です。真蹟には載りません。
> 受持即観心
これまた真蹟に載らない用語です。
■一遍首題というのは天台・伝教の頃「宝幡」
この点は少し調べてみましょう。
> 日女御前御返事に「法華弘通のはたじるし」
これも写本遺文です。真蹟を遺さない一節です。
> 十界曼陀羅には冥府判官其他…日興上人に下賜
これは伝説、不確かな話ではないでしょうか。記されるところが考えると、それは「臨終漫荼羅」などと言われる葬式要に考案された後世の漫荼羅の様式。創価学会が盛んに謗法だと喧伝した様式です。大石寺では日寛まで遡れたと記憶します。しかし、日蓮漫荼羅の諸尊勧請にこれが記されたものは遺りません。行方不明と言うより、伝説に過ぎないのではないでしょうか。
> 化導にあって像法と末法の区別
この区別は、日蓮的に言えば、釈迦在世は法華経典、天台に摩訶止観、日蓮に題目五字ということになるでしょう。
> 宗派別
宗派というのは、空海が日本に初めてもたらしたもので、天台の時点では南三北七の別はありますが、これは宗派に当たりません。日本では南都六宗がありますが、これも今の大学で言う学部程度の相違しかありません。日蓮の時代に念仏、禅の興起があり、日蓮自身天台法華から次第に離れ、独自性を確立していきました。しかし、三国四師という自尊に明らかなように釈迦・天台・伝教を継承する法華宗としての自覚ですから、これはその後の宗派意識とは異なっていると思います。
463
:
犀角独歩
:2005/11/18(金) 12:08:38
【462の訂正】
誤)臨終漫荼羅
正)導師漫荼羅
464
:
ラスカル
:2005/11/18(金) 17:55:38
認識判断の前提で印度応誕のゴウタマ・シッダルタは似ている箇所はあっても大乗経典以後は別人でしょうか。■日蓮聖人は密教の捉え方で何か直接的に教えた文言はあるでしょうか。■天台、伝教、日蓮の説法教化でそれぞれオリジナルな語句・成句はどれくらいあるでしょうか。金剛宝器戒はどうでしょう。
466
:
乾闥婆
:2005/11/18(金) 19:23:06
犀角独歩さん、ラスカルさん。
>受持即観心
これまた真蹟に載らない用語です。
ちょっと驚いたのですが写本遺文にもないようですね。いつごろから使われるようになった成句なのでしょうか。受持即観心の根拠は結局のところ観心本尊抄の「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」になるようです。
「此の五字を受持すれば」ということも、具体的にどういうことを言っているのか、よく分かりません。観心といっても、蓮祖と天台では違うのでしょうか。犀角独歩さんから勧められました小止観を読んでみましたが、そこで語られる「観を修す」ることとは、心を観ることにより、「諸法の実相」を観、そのことによって現実世界への執着を解体するようなもの、と読めました。どうも蓮祖のイメージと違うようなのですが、天台においても小止観と摩訶止観では違ってくるのでしょうか。それとも蓮祖の受け止め方が異質なものなのでしょうか。蓮祖においては己心に仏を見るといったように感じられるのですが。
467
:
犀角独歩
:2005/11/18(金) 20:30:47
乾闥婆さん
仰るとおりで、実は天台関連の初期文献にもこの語はでてきません。
伝教は、手許にすべて資料がないためにわかりません。
注法華経にもないようです。
富士宗学要集でみると、以下のとおりです。
観心本尊抄文段上観心本尊抄文段上
「正しく本尊の妙能に由って受持即観心を成ずるの義を明かす。これ則ち文底深秘の奥旨、久遠名字の直達の正観なり」
「受持即観心の義なり。これ則ち「於我滅度後、応受持斯経」の文「凡そ当家の意は唯信心口唱を以て、即ち観心と名づけ、而して受持とは正しく信心口唱に当る。故に受持即観心というなり」
観心本尊抄首日相聞書
「是の故に堅固にこれを秘すと云云。是れ則ち受持即観心の義を明かす故」
「初め難信難解を示し、次に世尊の徳用を明かし、三に正しく受持即観心を明かす」
「先づ無量義経の文を借り以つて受持即観心の意を示す」
「今元意を示す正に是れ受持即観心なり。何んとなれば信心修行を以つて名づけて受持となす故なり」
まあ、日寛は観心とは信心口唱、すなわち、観心の本尊とは信心の本尊とするのは、なかなか卓見であるとは思います。しかし、日蓮遺文に受持即観心がない以上、日蓮のあずかり知らないことではあるのでしょう。
乾闥婆さんの止観禅のとらえ方は、わたしもほぼ同様に考えます。
これはたしか小松師が仰っていたことですが、日蓮の時代、比叡山では参禅はすっかり廃れていたということでした(小松師の言は、記憶違いの可能性もあります)もし、これが事実であろうと思うのは、日蓮の行学から、まるで参禅が見えないからです。ですから、その意味からすれば、たしかに天台・伝教と止観そのもののとらえ方が違っているというのは、当を得た観察であろうと思います。
468
:
犀角独歩
:2005/11/18(金) 20:43:37
> 認識判断の前提で印度応誕のゴウタマ・シッダルタ…大乗経典以後は別人
うーん、難しいですね。いちおう、仏伝は踏襲しているのが、大乗経典です。しかし、あんなスーパーマンやマジシャンみたいなブッダは初期経典とは著しく違っているのは事実です。
> 日蓮聖人は密教の捉え方で何か直接的に教えた文言
これまた、難しい質問ですが、しかし、たとえば、曼陀羅、本尊、不動・愛染ほか、これらは、みな密教に属します。
> 天、伝教、日蓮の説法教化でそれぞれオリジナルな語句・成句はどれくらい
この算出には該博な知識が必要でしょうね。
天台は華厳経ほか、当時の中国思想の影響も多々あるわけですから、これをより分けるには、わたしは力不足です。
伝教は当然、天台、妙楽等を踏襲するわけですから、その文意をさっ引いて、さらに偽撰を抜いてというのもなかなかの作業です。
天台宗その他で以上の作業をされているか多鹿いらっしゃるかも知れません。
> 金剛宝器戒
真蹟・写本通じて『教行証御書』に一度、引用されるのみであったと思います。富要にも載らないようです。
これを日蓮の教学とするのは、同書が確実な真跡であることを証明する必要があります。
469
:
とんび
:2005/11/19(土) 01:10:49
紙幅の曼荼羅(御本尊)について。
正宗では、紙幅の御本尊については、当時の信仰の厚い人に、一機一縁という
かたちで、授与していたということだったと思います。
ですから、戒壇の板本尊は、全人類の人の為に顕した..というのは、当時
納得いくものでした。しかし今は、戒壇の本尊については、日蓮さんが遺され
たものではないのでは..と感じています。
では、一体日蓮さんは、何を持って一切衆生を救おうとしたのでしょうか。
報恩抄でしたか、「日本国一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の
道をふさぎぬ」と。
あえて御本尊と書かずに、紙幅の曼荼羅と書きますが、紙幅の曼荼羅が、
信仰において、必要なものであれば、日蓮さんは生きている内に、もっと大
量に紙幅の曼荼羅を書き顕さなければ、ならなかったのではないでしょうか。
それとも、一幅の曼荼羅を多数の人で拝ませることが目的だったのでしょう
か。
正宗では、法主の書写したものを印刷して拝ませていますが、その他の門下
では、檀家の人たちはどうしているのでしょう。日蓮宗の信者の人は、曼荼羅
を拝んでいるのでしょうか。
また、日蓮さんの御書のどこに、私の遺した紙幅の曼荼羅を書写して多数の
人に拝ませなさい..という記述があるのでしょうか。
日蓮さんの、本意は..ということを論ずれば、それが一つの宗派になり、
合意点などあるはずもないのですが..。
允可証という言葉の意味がよくわかりません。なにぶん私は知識がないので
ここでの発言は、なじまないと思いますが。
470
:
とんび
:2005/11/19(土) 01:12:09
紙幅の曼荼羅(御本尊)について。
正宗では、紙幅の御本尊については、当時の信仰の厚い人に、一機一縁という
かたちで、授与していたということだったと思います。
ですから、戒壇の板本尊は、全人類の人の為に顕した..というのは、当時
納得いくものでした。しかし今は、戒壇の本尊については、日蓮さんが遺され
たものではないのでは..と感じています。
では、一体日蓮さんは、何を持って一切衆生を救おうとしたのでしょうか。
報恩抄でしたか、「日本国一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の
道をふさぎぬ」と。
あえて御本尊と書かずに、紙幅の曼荼羅と書きますが、紙幅の曼荼羅が、
信仰において、必要なものであれば、日蓮さんは生きている内に、もっと大
量に紙幅の曼荼羅を書き顕さなければ、ならなかったのではないでしょうか。
それとも、一幅の曼荼羅を多数の人で拝ませることが目的だったのでしょう
か。
正宗では、法主の書写したものを印刷して拝ませていますが、その他の門下
では、檀家の人たちはどうしているのでしょう。日蓮宗の信者の人は、曼荼羅
を拝んでいるのでしょうか。
また、日蓮さんの御書のどこに、私の遺した紙幅の曼荼羅を書写して多数の
人に拝ませなさい..という記述があるのでしょうか。
日蓮さんの、本意は..ということを論ずれば、それが一つの宗派になり、
合意点などあるはずもないのですが..。
允可証という言葉の意味がよくわかりません。なにぶん私は知識がないので
ここでの発言は、なじまないと思いますが。
471
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 05:53:15
とんびさん
> 一機一縁
この成句は真跡遺文には見られず、写本のなかでは
「真言は已今当(いこんとう)
の中には何れぞや。若し外と云はゞ、一機一縁の一往にして秘密とは云ふべからざるなり」当世念仏者無間地獄事文永元年
「真言は已今当の中には何れぞや。若し外と云はゞ、一機一縁の一往にして秘密とは云ふべからざるなり」早勝問答 文永8年
「四十二年の経の内には、一機一縁の為にしつらう処の方便」法華初心成仏鈔(
建治3年)
というような用法です。
富要でみれば、その日教、殊に日寛、また、日我の使用が見られ、主に日蓮所持の一体仏像を漫荼羅に比していう如くです。
ただし、日寛では「一閻浮提総与」との対句的な意味合いをここに持たせるために、ここから、現在の石山が初心入信者に頒布する印刷本尊を一機一縁と呼ぶ風習が生じたものと思われます。
> 一体日蓮さんは、何を持って一切衆生を救おうとした
唱題行だと思います。
> 報恩抄でしたか、「日本国一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の
道をふさぎぬ」と。
いえ、開目抄です。「盲目」「生盲」という語彙は困った用法ですが、いまはこの点は敢えて触れず、疑問の点に答えれば、この文の前文は
「他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。此事いまだひろまらず。一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と声もをしまず唱ふるなり」です。
> 紙幅の曼荼羅が、信仰において、必要なものであれば、日蓮さんは生きている内に、もっと大量に紙幅の曼荼羅を書き顕さなければ、ならなかった
これはまったくそのとおりです。
先の受持即観心とのちに成句される起因となったとのではないかと乾闥婆さんが仰ったとおり、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」(本尊抄)と日蓮は言うわけで、この受持とはまさに「南無」の異に他ならないとわたしは思えます。となれば、妙法蓮華經への信の強調、帰命ということで、それは日寛が言うように南無妙法蓮華經の信心口唱と実践されるという帰結は尤もな指摘です。(ただし、日寛の言うこと、すべてが遭っているという意味ではもちろんありません。彫刻本尊崇拝その他大半はおかしなことを言ってはいますが)
472
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 05:54:19
―471からつづく―
> 一幅の曼荼羅を多数の人で拝ませることが目的だったのでしょうか。
違うでしょうね。一つの漫荼羅は一人のためであったでしょう。
> その他の門下では、檀家の人たちはどうしているのでしょう。日蓮宗の信者の人は、曼荼羅を拝んでいるのでしょうか。
日蓮真筆漫荼羅を縮小印刷したものを本尊とすることが多いようです。
これを仏具店などで買い求め、所属寺院の住職に自分の名前を裏書きしてもらい、開眼とするようです。また、願え出れば、書写する人であれば、書写もして下付するでしょう。もちろん、漫荼羅を仏壇に奉安しています。その前に御影も置きます。信者に対して、こちらが一般的でしょう。ただし、寺院は本堂(釈迦堂)仏像奉安、祖師堂(御影堂)御影・漫荼羅奉安の二堂様式が一般的です。この二堂様式はしかし、本願寺などでも同様です。ただし、向こうは釈迦仏像ではなく、阿弥陀仏像という違いです。
> 日蓮さんの御書のどこに、私の遺した紙幅の曼荼羅を書写して多数の
人に拝ませなさい..という記述があるのでしょうか。
こんな記述があるわけはありません。
日蓮は、自分の漫荼羅が複製されることすら、まったく考えていなかったでしょう。その様子をもっとも端的に示すのは石山も重要視する
「一、御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由(よし)諸方に其の聞こえ有り、所謂日向・日頂・日春等なり。
日興の弟子分に於ては、在家出家の中に或は身命を捨て或は疵を被り若しは又在所を追ひ放たれて、一分信心の有る輩に、忝くも書写し奉り之を授与する者なり」(富士一跡門徒存知事)
というのであって、形木本尊(いまでは印刷)の禁止をしっかりといい、さらに一分信心の有る輩という個人に対して、書写授与であると定めています。これは日蓮図示以来の伝統を書写と一段遜って伝える日興の厳格な姿勢を伝えたものでしょう。
> 日蓮さんの、本意は..ということを論ずれば、それが一つの宗派になり、
合意点などあるはずもないのですが..。
これはどのような意味で仰っているのかわかりませんが、「定 一、弟子六人事不次第」という日興筆御遷化記録の一節を「定めて本弟子六人は一つの殊、不次第なり」と読み、六人一丸の意と解する仁がありました。わたしは、この読み方に賛同します。
> 允可証
この言葉がわかりづらければ、今風に言えば、免許証、免状と言ってもよいでしょう。また、認可証、許可証といっても近いかも知れません。ともかく、日蓮の弟子として認めという意味です。
473
:
ラスカル
:2005/11/19(土) 06:52:40
では、本仏=本尊は法華経に出現する仏陀と言う事になるのでしょうか?本仏の胸中の心を開けば本尊の蓮花が咲く。仏像でも漫陀羅でも軽々に下賜するものでは無かったというもので、具体的な行為としては不軽菩薩の行と唱題と言う事ですか。
474
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 13:15:35
まず、472の訂正
誤)本弟子六人は一つの殊
正)本弟子六人は一つの事
> 本仏=本尊は法華経に出現する仏陀
出現というのは、何を意味するのかわかりませんが、寿量品に久遠成道を明かすというのが正確な表現になると思います。
また、本尊という言葉は、天台は使っていませんので、日本仏教で出来上がった本尊観に久遠本仏を当て嵌めたと言うことでしょう。
日蓮は、このような本尊、仏像がそれまで、造られておらず、これから“出現”すると本尊抄に記しました。
> 本仏の胸中の心を開けば本尊の蓮花が咲く
このような詩的表現が何を意味するのか、わかりませんが、胸中の蓮華とは心臓を指します。当時、解剖学、大脳生理学は解明されていなかったので、人々は心(精神)は心臓に宿っている働きだと考えていました。
> 仏像でも漫陀羅でも軽々に下賜するものでは無かったというもので、具体的な行為としては不軽菩薩の行と唱題と言う事ですか。
唱題は日蓮の発明で、不軽の礼拝は、その通りです。これが上行菩薩等になると滅後弘教が加わります。
475
:
ラスカル
:2005/11/19(土) 17:47:37
ウィキペディアと呼ばれる電子事典で「本尊」と出てくるのは大日経らしいです。ゴーグルでイメージ検索したら、四天王も梵字のような書き方の漫陀羅が見られました。それから、専門家の研究で漫陀羅100点以上でほとんど別書き(首題の他は配置転換等)で漫陀羅が図顕されている事がわかったそうです。■覚者→印度応誕、仏陀→大乗経典、本仏→実在の人物、本尊→教義内容のように分けないとまどろっこしくて。判り辛くてすみません。■白法・大白法は、教義などの根幹・宗旨で良いのでしょうか。
476
:
とんび
:2005/11/19(土) 20:28:05
犀角独歩さん、こんばんは。
レスありがとうございます。
先にあげた、「日蓮が慈悲曠大ならば・・・日本国一切衆生の盲目をひらける
功徳あり、云々」は、やはり報恩抄のなかにありました。
本尊と曼荼羅の違いについては、個人としては、紙幅の曼荼羅が顕している
もの・指し示しているものが、帰依すべき本尊であると思っています。
厳密にいうと曼荼羅≠本尊なのだと思います。しかし正宗では、曼荼羅=本尊
と教えていたように思います。正宗の信仰をしていた時に御本尊を拝していまし
たが、紙幅の御本尊その物体を信じていたのではなく、その御本尊(曼荼羅)の
指し示しているものを信仰していたと思います(帰依すべき妙法という感じ)。
ですから、戒壇の本尊に対して疑念を持ったときにも、あまりショックは
なかったのです。
ある、日蓮富士門流の方で本を出している人に、電話で聞いたところ、その方
は、日蓮さんは、御書の中で、本尊と曼荼羅とをハッキリ区別していると言って
いました。
前の、投稿のつづきになりますが、日蓮さんが題目行・唱題行を進められたと
いうことは、わかるのですが、だとしたら、正宗を含め日蓮門家は、全て日蓮さ
んの本意を受け継いでいるわけだし、新興宗教の、題目講とかそういうのも良い
わけですよね。
でこれは、行の部分ですが、信ずる対境としては、何を勧められたのでしょう
か。人は、信ずるものによって変わってきます。
当然、法華経・南無妙法蓮華経ということになるのでしょうが、これを理解し
ようとしたら、わけがわからなくなります。
日蓮さんの本意は・・・という意味は、それぞれどの日蓮各宗派も、我が宗派
こそが、正しく日蓮さんの意志を継いだ団体である・・と思っているのでしょう
から、合意など無理だということです。
また、個々人に於いても、それぞれ違った認識を持つのがあたりまえで、合意
・同じ考えを持つことはないだろう・・・ということです。
科学や数学ではないので、日蓮さんの本意は・・・という問いに、正解はない
のだろうと感じます。
477
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 21:36:11
とんびさん
失礼しました。ご指摘の通りでした。
何を勘違いしていたのか、お恥ずかしい限りです。
では、何を指し示しているとお思いになりますか。
> 日蓮さんは、御書の中で、本尊と曼荼羅とをハッキリ区別している
まあ、これは微妙で、先にも触れた護本尊とは漫荼羅を指すことがありますので、はっきりと言ってよいかどうか。ただ、わたしはもちろん、本尊、漫荼羅は別意であると考えます。
> 正宗を含め日蓮門家は、全て日蓮さんの本意を受け継いでいる
まあ、そうとも言えませんでしょうね。
> 信ずる対境としては、何を勧められたのでしょうか。
この信じるものには対境があるという考え事態が刷り込まれたものではないでしょうか。あるとすれば、法華経でしょうし、久遠本仏釈尊というのが日蓮の考えであると思います。
> 合意など無理…合意・同じ考えを持つことはない
別段、そうは思いません。というより、そのような決めつけをするのであれば、ここで議論する必要もないでしょう。
> 日蓮さんの本意…正解はないのだろうと感じます。
そうですね。ただし、日蓮にどんな本意があったのかは、真跡遺文から大旨の予想が立つでしょう。正解がないのは、各人の情念に基づく解釈のほうでしょうね。
478
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 21:52:31
> 専門家の研究で漫陀羅100点以上でほとんど別書き
これは多分、山中喜八師、桐谷征一師の研究だと思います。
> 覚者→印度応誕、仏陀→大乗経典、本仏→実在の人物、本尊→教義内容
buddha(ブッダ=仏陀)は目覚めた人、つまり、覚者でここに区別はないでしょう。
> 白法・大白法は、教義などの根幹・宗旨
これは多分、釈迦仏法は白法で穏没、大白法は日蓮仏法という教義の語法を言われているのだと思いますが、わたしは、この点において、寿量品では常住此(娑婆霊鷲山)説法というので、このような区別は成り立たないと考えます。
479
:
ラスカル
:2005/11/19(土) 22:46:25
■文章でしか見られませんでしたが、桐谷さんの名前は書いてありました。■其れは正・像・末の例えは大袈裟だから差し引いて、法華経だけでの判断で充分と言う事ですか。
480
:
とんび
:2005/11/19(土) 22:59:09
こんばんは。
私には、日蓮さんの本意は、わかりません。正宗の影響があると思いますが、
いわば、国立戒壇、全人類帰依の理想が、幻と悟った時点で、??ということ
です。
日蓮さんは、すごいことをおっしゃっていますよね。
先の、日本国一切衆生の盲目をひらける云々。一閻浮だい第一の聖人。日蓮
がいなけれは釈尊は嘘つき人間だ(趣意)
ですから、今は御本仏と信仰はしていませんが、好意は持っています。
顕正会での信仰で、人生が狂いましたが、日蓮さんを恨んだりはしていませ
ん。ですからいまだに関心があるのですね。
今、御書を開いて、思いましたが、やはり日蓮さんが遺されたものは、三大
秘法でしょうか。
本門の本尊と題目と戒壇と。正宗系の解釈では理解できますが、曼荼羅=
本尊でないと、うまく説明できないでしょうか。
日蓮さんの、本意に近づこうと思えば、最低法華経と御書はよく読まなけ
ればならないと思います。
私には、仕事を辞めて時間の余裕が出来ないと難しいと思います。
481
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 23:10:29
> 其れは正・像・末の例えは大袈裟だから差し引いて、法華経だけでの判断
いえ、そうではなく、大集経(正像末が記される)と法華経は別々の成立であり、そこに書かれていることは整合性はないだろうということです。
482
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 23:14:21
> 国立戒壇…幻と悟った時点…??
わたしも30年前に、そして、10年前に確実にそのように思いました。
> 日蓮さんの、本意に近づこう…最低法華経と御書はよく読まなければ
そうですね。
> 仕事を辞めて時間の余裕が出来ないと難しいと思います
必要と思わなければやらなければいいでしょうし、必要があると思えばやればよい。個人の問題でしょう。
483
:
乾闥婆
:2005/11/19(土) 23:32:21
>>467
犀角独歩さん。
「富士宗学要集」からの引用、ありがとうございます。少なくとも寛師のころには使われていたということですね。
>日寛は観心とは信心口唱、すなわち、観心の本尊とは信心の本尊とするのは、なかなか卓見であるとは思います。しかし、日蓮遺文に受持即観心がない以上、日蓮のあずかり知らないことではあるのでしょう。
では「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」は寛師の解釈とは無縁となるのでしょうか。「此の五字を受持すれば」とは蓮祖において法華経の身読を意味すると私は考えているのですが、そのような行法が、そのまま「観心」となるとは、蓮祖の真意からは、離れるものとなるのでしょうか。蓮祖においては心を観るとは、己心に仏を観るということであると思うのですが。
>日蓮の時代、比叡山では参禅はすっかり廃れていたということでした
>これが事実であろうと思うのは、日蓮の行学から、まるで参禅が見えないからです。
私も不思議に思っていました。止観は参禅の方法であるのでしょうけれど、天台・伝教からの流れを尊ぶ蓮祖が、なぜ行法としてそれを採用されなかったのか、なぜ唱題行をもって、その代わりとされたのか、よく分からないのです。末法であるとか、易行化であるとか、そういったことが要求された時代であったからなのでしょうか。
484
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 08:23:28
乾闥婆さん
> 釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足…受持…功徳を譲り与えたもう」は寛師の解釈とは無縁となるのでしょうか。
日寛の解釈は受持即観心、観心の本尊、信心の本尊、受持即信心というような一連の流れがあると観察できます。ここで基をなしているのは‘即’だと思えます。しかし、本尊抄の原文での、日蓮の解釈は、門下一般でも言われることですが、‘自然譲与’にあると思います。これを即、即と解釈しないのは以下の類推によります。
本尊抄の述作は、いうまでもなく、漫荼羅図示のはじめと密接に関わっていると考えられます。この日蓮漫荼羅のテーマは、大書された南無「妙法蓮華經」の五字であることはいうまでもありません。この題目を書いて、日蓮は授与するわけです。では、授与された側はそれをどうするのか。受け持(たも)つのではないでしょうか。
わたしは日蓮がいう妙法蓮華經の五字とは、たとえば、PCに表示される活字の文字や、版木刷られた法華経典や、印刷された遺文集に見られる五字ではないと考えています。つまり、日蓮自ら漫荼羅と認めた五字です。その五字に釈尊因行果徳の二法が具わっている、だから、この漫荼羅を受け持つ人は、その功徳を自然(じねん)に譲与されるというのが、本尊抄を通じて日蓮が言おうとしていることであると、わたしは読みます。ここに主眼があるのではないのかと、わたしには思えるわけです。
ですから、その漫荼羅を受持し、そこから心で観ていく本尊が妙法蓮華經であれ、本仏釈尊であれ、受持の結果と言うことになりますし、それは信心口唱によるわけですから、受持即観心と後世、成句されることはいわば趨勢なのですが、しかし、わたしがあずかり知らないと記したのは「受持即観心」という成句のことで、これを上述の日寛のような論法で整理されることを指していったのです。
> 止観は参禅…採用されなかったのか、なぜ唱題行をもって、その代わり…末法であるとか、易行化…要求された時代
仰る点にはいくつか重要な点が含まれています。いい視点であろうと思います。
まず、参禅ではなく唱題という点は、この発明が称名念仏をモデルにしているからだと思います。
次の易行道についても当然、それは法然に求められるわけで、いったん、日蓮は、この易行道を簡ぶわけですが、却って、その意を介すことを重視しないという展開となっていきます。また、青年期には娑婆修行を訴えた日蓮は、刎頭に絶命の体験を経たのち、霊山浄土観へと傾倒していきます。一般から観れば、極楽浄土と霊山浄土、目指すところは違っても、同じ浄土観ではないかという批判になります。念仏:法華≒称:唱、念仏:法華≒極楽:霊山という対比が看取できるように思えます。この意味において、仰るように時代性と、学問背景の影響が色濃く見られると観察すべきなのだと思います。
485
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 08:31:47
もう少し書き足せば、日蓮は龍口の刎頭、極寒の佐渡流罪という臨死体験を通じて、徹底した観心修行を唱題と読書三昧に費やしたのではないでしょうか。そこで己心の仏を観、もっと言えば一念三千を体感した。ここに日蓮は自身の妙法蓮華經を感得した。この‘日蓮の’妙法蓮華經を漫荼羅に図して、授与、受持するという宗教的というか、秘技的な要素が漫荼羅授与にあるのではないのかとわたしには思えます。ですから、その妙法蓮華經の五字は、同じ文字でも日蓮の文字でなければ、日蓮の己心も、信仰も、功徳も収まっていない、日蓮の記した妙法蓮華經(漫荼羅)であるからこそ、自然譲与となるという点が、見落とされていないのかと、わたしは考えています。
486
:
ラスカル
:2005/11/20(日) 12:04:16
横割り済みません。って事は宗祖日蓮真筆以外のヴァリエーションは書いては成らない。書かない方が良いと言う事?
487
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 15:25:19
> 486
いや、そうではなく、それ以降は、日蓮となり変わって書く、あるいは書写する、しかし、所詮、日蓮には及ぶべくもないことは書・写の当人も自覚してのことでしょう。
488
:
ラスカル
:2005/11/20(日) 15:41:03
其れはそうですが、一機一縁、一期一会であからさまに言われると子細につけても大雑把につけても身分差別の位階に通じてしまうので「ヴァリエーョンはつくらない方が良い」のではと書きました。どこかの蔵から梳き返されない真蹟が発見されませんでしょうか。
489
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/20(日) 16:18:14
>462,463 横レス失礼します。
導師御本尊と臨終漫荼羅について
(注:下記文章で“曼荼羅”と“漫荼羅”とが用語不統一です。 “曼荼羅”とあるのは引用資料原文のママであるためです。私は通常“漫荼羅”を使っていますのであえて用語統一をしませんでした。“八大龍王”と“八大龍玉”も同じです。)
臨終漫荼羅とは、「曼荼羅の中に特に「閻魔法皇」「五道冥官」が書き加えられ勧請された曼荼羅」(松村壽巌『日蓮宗儀礼史の研究』(平成13年、平楽寺書店、69頁)です。日蓮宗では「臨終曼荼羅」といい、日蓮正宗(石山)では「導師御本尊」と称しています。臨終葬送の際に使用される漫荼羅です。「八幡大菩薩」と「天照太神」を省き替わりに「閻魔法皇」「五道冥官」が書き加えられ、「臨終曼荼羅」では貫首の名と花押が、「導師御本尊」では日蓮在御判とあります。
松村氏によれば、「最初に「臨終曼荼羅」の世上に現われた時期についてみると、その上限は今のところ天正二十年(一五九二)京都本国寺(引用者注:“本圀寺”ですが原文のママ)第十六世究竟院日蘅を初見」(『日蓮宗儀礼史の研究』(86頁)とされています。『地涌からの通信 別巻②歴史編』(1993年、はまの出版、177頁)はこの見解を引用しています。
しかしながら、『大田区史 資料編 寺社2』(昭和58年、東京都大田区、1303頁)に山梨県甲府市の法華寺蔵天文廿一(1552)年十月十五日の日現師図顕による漫荼羅を紹介していまして、この漫荼羅には「閻魔法皇」「五道冥官」が勧請され、“逆修”(死後の往生菩提に資するために、生前にみずからの手で供養をおこなうということ(『日蓮宗儀礼史の研究』87頁))とありますので松村氏のいう「臨終曼荼羅」の定義に合致しますから「臨終曼荼羅」の出現は松村氏の見解よりもう少し時代が上がることになります。松村氏は「閻魔法皇」「五道冥官」が勧請されているだけでは「臨終曼荼羅」と断定できず、「逆修のため曼荼羅を授けていること」(87頁)としています。
『地涌からの通信 別巻②歴史編』(178頁)では、「それでは、いつ日蓮正宗に「閻魔法皇」「五道冥官」を配したニセ本尊が入り込んできたのだろうか。あくまでこれは推測にすぎないが、桃山期、第十五世日昌上人の登座(一五九六年)から江戸中初期、第二十三世日啓上人退座(一六九二年)までの要法寺系九代の法主の間において、用いられるようになった可能性が大である。 (中略) 総本山大石寺第十五世日昌上人(一五九六年登座〜一六二二年寂)の時代は、京都本満寺の日重が盛んに、臨終曼荼羅を顕していた頃である。(現存する臨終曼荼羅で日重のものは最多で六体が確認されており、その六体は一六〇〇年から一六二二年の間に書かれている)。日重から直接ではないにしても、京都ではびこったであろう臨終曼荼羅の影響が、京都要法寺出身の〝法主〟により大石寺にもたらされたとするのは、格別無理な推論ではないだろう。」と主張しています。
490
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/20(日) 16:18:59
489の続きです。
この『地涌からの通信 別巻②歴史編』の推論はあたっているかもしれません。なぜなら、『妙光寺百年史』に第二十三世日啓師の導師御本尊の記載があるからです。
『妙光寺百年史』(平成8年、妙光寺、88頁)の「一 御本尊脇書等 (一)妙光寺所蔵 1御歴代御筆御本尊脇書」に、
「(11)二十三世 日啓上人 即身成仏之印文也 元禄四辛未年三月廿八日 授与之
(導師御本尊)(寄付主 常在寺古川廣禎師)」
とあって、元禄四(1691)年の導師御本尊を妙光寺が所蔵していることを開示しています。
また日寛上人も導師御本尊を書写しています。『創価学会員への折伏教本』(平成16年、日蓮正宗宗務院、315頁)によれば、「創価学会では「第二十六世日寛上人こそ正統な法主である」と讃えていますが、その日寛上人も導師御本尊を書写されているのですから、こうした創価学会の主張は、日寛上人にも背く邪義なのです」とあり、詳細は解かりませんが日寛上人が導師御本尊を書写されたことは確認できます。
『地涌からの通信 別巻②歴史編』(181頁:原文は平成4(1992)年2月2日の『地涌』第374号)では、「ニセ曼荼羅である導師本尊に認められている「五道冥官」は、日蓮大聖人の御書には一ヵ所も出てこない。 導師本尊に「五道冥官」が書き込まれていることを理由に、ニセ曼荼羅と断定する本紙『地涌』の史的に反論するために、日顕宗の教学関係者は「五道冥官」あるいは「冥官」の言葉を、日蓮大聖人の御聖訓の中に探そうとしている。 だが、その試みは徒労に終わるだけである。「五道冥官」「冥官」という言葉は、日蓮大聖人の御書の中にはない。あるのは「五道」という言葉だが、それも「六道」と併記されている事例のみである。「閻魔法皇」も「五道冥官」も一切、日蓮大聖人の御書中に見いだすことはできない。(中略)なお、日蓮大聖人の御書には「閻魔」「閻魔法王」あるいは「地獄」などの名称が登場するが、御本仏日蓮大聖人が「閻魔」「閻魔法王」あるいは「地獄」を記されるときは、信徒に対し、生きているときに信仰に励むことを諭されてのことである。」と主張しています。
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/11/374.html
これに対して『大白法 平成14年3月1日号』の「御法主日顕上人猊下御説法『聖愚問答抄』(専唱寺復興新築落慶法要の砌)で日蓮正宗の日顕管長は、「次の「閻魔法王」については深い意味があるのです。御先師の御本尊のなかにも御相承の上から閻魔法王をお書きになっており形もあるのであります。これをよく弁(わきま)えないで、創価学会が最近になって「閻魔法王と書いてあるのは諦法だ」などと莫迦なことを言い出しているようです。そんなことを言う輩には「ではおまえさん方の戴(たい)するところの初代会長の牧口常三郎さんも、第2代の戸田城聖さんも、みんな日蓮正宗の僧侶の導師によって、その御本尊にお経を唱えて成仏したのではないか。それを今になって諦法の曼荼羅とは、何を言っているのだ」と言ってやればよいのです。要するに、何もわけが判らないで、悪口だけ言っておればよいと思っている。しかし大聖人様はこの御書で「閻魔法王」ときちんとお書きになっているではありませんか」と説法しています。
491
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/20(日) 16:19:52
490の続きです。
『地涌からの通信 別巻②歴史編』(181頁)では、「「閻魔法皇」も「五道冥官」も一切、日蓮大聖人の御書中に見いだすことはできない」と大見得をきったのですが、日顕管長のおっしゃるとおり「閻魔法王」(=「閻魔法皇」とします)は創価学会発行の『日蓮大聖人御書全集』(昭和47年67刷(初版昭和27年、創価学会)の498頁にも出ているのです。
しかし、この『聖愚問答抄』は御真蹟の存在しない録外御書ですから真偽未決御書と考えます。よってこの御書にあるからといって御真蹟完存御書少なくとも上代諸師写本現存の御書の中にはないので“大聖人様はこの御書で「閻魔法王」ときちんとお書きになっている”とは言いきれないでしょう。もし『聖愚問答抄』が後世のものなら「閻魔法王」とあっても蓮祖が御書にお書きになっているとは言えないからです。
また少なくとも「五道冥官」は日蓮大聖人の御書中に見いだすことはできないと思います。
山中講一郎氏によれば、日寛上人の導師御本尊は大石寺の石之坊に現存するそうです。(「日寛上人書写の導師本尊について」(2000年3月18日インターネット資料:
http://www.ginpa.com/column/20000328.html
)
『富士年表』(昭和56年、富士学林、279頁)によれば日寛師は亨保9(1724)年に大石寺塔中石之坊を創していますのでそのころの書写でしょうか。
山中講一郎氏は「日寛上人書写の導師本尊について」で、「導師本尊の書写は日寛上人の本意ではなかった」としていますが、これはちょっといただけないと思います。導師御本尊をニセ本尊とするなら、それを書写した法主は寛師であれ、達師であれ、顕師であれ、少なくともその件は誤りであるという立場にたつべきです。そうでないなら、石山の主張である「宗門草創のときには顕れなかった教義や、化儀が時代とともに体系化され、時の御法主上人によって宗祖大聖人の教えを正しく敷衍する形で、顕発・化導されることは、宗門の歴史のうえで、在って当然のことです。したがって、「大聖人・日興上人の時代にはなかった」「御書にも載っていない」との理由で、宗門伝統の教義や化儀を否定することは大きな誤りです」(『創価学会員への折伏教本』314頁)との立場であるといわれてもしかたがないでしょう。
何でもありの石山ですから、「大聖人・日興上人の時代にはなかった」「御書にも載っていない」導師御本尊が時代とともに体系化されたと主張するのでしょう。宗門草創のときには顕れなかった教義をどうすると宗祖大聖人の教えを正しく敷衍する形になるのか理解に苦しむところですが、なぜ現在においても導師御本尊が必要であるとするのか全く説明がないからです。伝統という名のもとに何等精査せずただ漫然と惰性の如く昔ながらのやり方を履修しているだけなのでしょうか?上述のとおり導師御本尊を精査したなら疑問をもつのはむしろ自然でしょう。“ (株)日蓮正宗”としては利益率の高いビジネスツールである導師御本尊を営業上捨てるわけにはいかない、という程度のいなおった説明のほうがむしろすっきりすると思っているのは私だけでしょうか。
492
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/20(日) 16:20:34
491の続きです。
『地涌からの通信 別巻②歴史編』(179頁:原文は平成4(1992)年2月1日の『地涌』第373号)で公開されている本満寺日重が元和7(1621)年に顕した「臨終曼荼羅」などの座配図をみますと、その相貌には疑問点があります。それは「八大龍玉」が配座していることです。
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/zuhan/373_1.html
そもそも「八大龍玉」について柳澤宏道師は「石山本尊の研究」(平成9年、はちす文庫、150頁)で、
「日目師書写本尊 本書二一番は勧請なし
日寛師書写本尊 本書二二・二三・二四番は「八大龍王」
日元師書写本尊 本書二五番は「八大龍王」
日量師書写本尊 本書二六番は「大龍王」
日英師書写本尊 本書二七番は「八大龍王」
日霑師書写本尊 本書二六番は「大龍王」
(中略)
日寛・日元・日英の各師は「八大龍王」と書写しているが、原本である板マンダラには「大龍王」とあるのに何ゆえ「八大龍王」と書写したのであろうか。
殊に二二番日寛師と、二五番日元師のものには、書写年月日の後に「龍集」と書かれているが、これもまた奇異である。ちなみに聖祖の本尊に「八大龍王」とあるのは建治元年十一月の身延曾存のものと、弘安五年五月十五日の現在所蔵不明の二幅のみであり、座配も極めて特殊である」
と指摘しています。ここでいう二二番は亨保3(1718)年の御形木御本尊で「創価学会草創期に日蓮正宗入信者に授与されたもの」(80頁)で、二三番は亨保5(1720)年の栃木 浄圓寺蔵御本尊の御形木御本尊で「創価学会が独自に会員に授与している御本尊」(82頁)です。これらはもちろん導師御本尊ではありません。また“弘安五年五月十五日の現在所蔵不明”の御本尊がどれを指すのか不明ですが、弘安四年五月十五日の「大日本國衛護の本尊」(山川智應『本門本尊論』昭和48年、浄妙全集刊行会、235頁)に「八大龍王」の座配がありますので、多分これのことでしょう。「大日本國衛護の本尊」は『御本尊集目録』に入集した御本尊ではなく、見るからに偽筆の疑いがある御本尊です。つまり確実な蓮祖御真筆御本尊には「八大龍玉」の座配のあるものはないのです。
「石山本尊の研究」では第四世日道師から第二十五世日宥師までの御本尊が入集していないので正確なことは解かりませんが、「八大龍王」とあるのは第二十六世日寛師から第五十一世の間ということになります。途中、第四十八世日量師のように「大龍王」とされている先師もいますが、そもそも興師の御本尊では「八大龍王」とある御本尊はありませんから、「大龍王」とあるほうが自然で、第五十二世日霑師以後は「大龍王」となっています。『地涌からの通信 別巻②歴史編』(180頁:原文は平成4(1992)年2月2日の『地涌』第374号)にて公開されている日顕師の導師御本尊でも「大龍王」となっています。
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/zuhan/374.html
493
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/20(日) 16:21:13
492の続きです。
これは何を意味するのでしょうか?
すでに記しましたが通常の御本尊と導師御本尊の違いは「八幡大菩薩」・「天照太神」とあるか、「閻魔法皇」・「五道冥官」とあるかの違いです。つまり同じ原本でも「八幡大菩薩」・「天照太神」と書写すれば通常の御本尊であり、「閻魔法皇」・「五道冥官」と書写すれば導師御本尊なのです。そして「八大龍王」とある御本尊は、「臨終曼荼羅」に特徴的なのです。恐らくは日寛師が書写した先師の御本尊に「八大龍王」が座配していたのでしょう。その先師は京都要法寺からきた法主で当時京都にて流行していた「臨終曼荼羅」の影響を受けた「八大龍王」とある御本尊を書写していたという考えが成り立ちます。第二十三世日啓師の導師御本尊があることから、その先師は京都要法寺からきた法主というのは確実でしょう。
日霑師以後は「大龍王」となるのも興味深いです。以前、元治2(1865)年の大火で大石寺が焼亡し、戒壇本尊も焼失してしまったという考えを披露しました。「露上御自伝」によれば、「二月廿八日ノ夜半大坊ノ下男部屋ヨリ出火シ構内一宇モ残ラズ焼亡スト 是ヲ聴キ大愕非動シ遽ニ東行ヲ止メ直チニ帰山ヲ計ル」(『地湧からの通信 別巻②歴史編』27頁)とあり大惨事であったようです。“構内一宇も残らず焼亡す”とのことですから、戒壇本尊も焼失してしまった可能性が高く日霑師の時代に戒壇本尊が再建され、以後は通常の御本尊も導師御本尊も再建された戒壇本尊が書写の元になっていると考えると「大龍王」となっている件のツジツマは合います。
by 彰往考来
494
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/20(日) 16:32:01
>491 誤記訂正
誤:2000年3月18日インターネット資料
正:2000年3月28日インターネット資料
495
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 19:17:53
> 488…> 一機一縁、一期一会…身分差別の位階
これはまるで違うでしょう。
わたしは漫荼羅は免許のようなものではないかと言ったのは、つまり、いまの運転免許証に、それぞれ個人の名前が書いてあったからと言って、それが差別にならないようなものです。
日蓮が本弟子6人を定めて、他ので師と区別したところで身分差別にもならないでしょう。それと同じことです。
496
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 19:19:23
【495の訂正】
誤)他ので師
正)他の弟子
497
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 19:24:08
彰往考来さん、詳細のご教示有り難うございました。
たしかパンナコッタさんでしたか、骨壺に入れる漫荼羅があるというご投稿がありましたね。ちょっと、混乱しているのですが、この漫荼羅は、なんと呼ばれているのでしたっけ?
ところで、彫刻本尊は「八大龍王」で確定でしょうか?
498
:
パンナコッタ
:2005/11/20(日) 23:24:07
独歩さん、
それは自分ではないですよ。
ただ、未来本尊のことでしょうか。
499
:
ラスカル
:2005/11/20(日) 23:35:22
■舌足らずな書き込みでごめんなさい。「で〔〕あからさまに」⇒「で〔下賜されたのに〕あからさまに」と、在世なら派閥抗争にならないかもしれませんが、後の世を見ると差別社会に浸かりますよね。士農工商も年貢の取り立て以外はそんなのでも無かったとか聞きましたけど。■私の家の御本尊を見てみました。亨保五年、八大龍王、八幡大神、天照太神等になってます。それで字が崩し字過ぎて一文字だけ判らない字があるんです。2段目向かって右・大□天王、第六天魔王、大日天王と書いてあるのですが竃or竜みたいで解らないのですけど、何方かわかる方いるでしょうか。
500
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 23:35:45
パンナコッタさん、有り難うございます。
仰るとおりるそれでです。しかし、記憶違いでしたか、失礼しました。
501
:
犀角独歩
:2005/11/20(日) 23:42:49
> 後の世を見ると差別社会に浸かります
これは、言えますね。
> 大□天王
誰の本尊かがわかれば、もう少し特定しやすいでしょうが、位置からすると「大梵天玉」ではないでしょうか。
502
:
パンナコッタ
:2005/11/21(月) 00:23:04
ラスカルさん、
享保五年なら寛師の物だと思うのですが、”大梵天王”の崩し字だと思いますが。
503
:
乾闥婆
:2005/11/21(月) 02:55:40
>>484-485
犀角独歩さん。
>本尊抄の述作は、いうまでもなく、漫荼羅図示のはじめと密接に関わっていると考えられます。この日蓮漫荼羅のテーマは、大書された南無「妙法蓮華經」の五字であることはいうまでもありません。この題目を書いて、日蓮は授与するわけです。では、授与された側はそれをどうするのか。受け持(たも)つのではないでしょうか。
>つまり、日蓮自ら漫荼羅と認めた五字です。その五字に釈尊因行果徳の二法が具わっている、だから、この漫荼羅を受け持つ人は、その功徳を自然(じねん)に譲与されるというのが、本尊抄を通じて日蓮が言おうとしていることであると、わたしは読みます。
>その妙法蓮華經の五字は、同じ文字でも日蓮の文字でなければ、日蓮の己心も、信仰も、功徳も収まっていない、日蓮の記した妙法蓮華經(漫荼羅)であるからこそ、自然譲与となるという点が、見落とされていないのかと、わたしは考えています。
受持とは蓮祖図顕の曼荼羅受持ですか。もう一度よく勧心本尊抄を読んでみます。しかしそうなるとやはり自身の死後のことを蓮祖はどう考えていたのでしょうか。曼荼羅を自身が図顕できなくなった後、後世の人たちは「此の五字を受持す」ることはできなくなってしまうとは考えなかったのでしょうか。
504
:
乾闥婆
:2005/11/21(月) 02:56:15
>>499
ラスカルさん。
それは現在の創価学会の曼荼羅ですか。それなら私のものと同じです。皆さんの指摘どおり左側が帝釈天王で右側が大梵天王だと思います。
505
:
犀角独歩
:2005/11/21(月) 03:34:41
乾闥婆さん
> 死後のことを蓮祖はどう考えていたのでしょうか
そのために本弟子6人を定めていったのではないでしょうか。
もっとも、漫荼羅図示の在り方を伝えたか?という点では、疑問が残りますが。
506
:
ラスカル
:2005/11/21(月) 06:44:45
犀角独歩さん、パンナコッタさん、乾闥婆さんありがとうございます。考えてみれば「大梵天王」しかありませんよね。崩し字過ぎて判りませんでした。聞いて気が楽になりました。後はいろいろな曼陀羅を見に行きたいと思いました。
507
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/21(月) 07:18:59
犀角独歩さん
>497 彫刻本尊は「八大龍王」で確定でしょうか?
過去のものは解りませんが、熊田氏の『日蓮上人』で公開された戒壇本尊写真のものは、「大龍玉」です。
508
:
れん
:2005/11/21(月) 08:07:13
横レス失礼します。
完則図の「富士大石寺戒壇之本尊」では「大龍王」で、當家諸門流繼図之事における日憲師の「大石寺板本尊之事」の記述では大龍玉は在座していないようです。
日憲師の記述で気になるのは、日憲師が石山参詣の時観た「大石寺板本尊」に章安が在座していることで、蓮祖図顕曼陀羅で章安が在座しているのは、現存分では弘安元年八月日の二幅、曽存では千葉県法華経寺の建治元年十二月日のもの(日等師模本)の以上三幅で、いずれも龍樹・天親・天台・章安・妙楽・伝教の六師勧請で特徴的です。
これは私の憶測ですが日憲師が拝観した「大石寺板本尊」に章安が勧請されていることから、その日憲師拝観の「大石寺板本尊」の原本に関しては六師勧請の曼陀羅だった可能性があると思いました。
509
:
犀角独歩
:2005/11/21(月) 18:16:37
彰往考来さん
れんさん
有り難うございます。
一つお考えをお聞かせ願いたいのですが、日憲『當家諸門流繼図之事』で「天八」と天照大神と八幡大菩薩を一括りにしておりますが、これは実際のところどうなのでしょうか。万年救護本尊のように一つになっているのか、別勧請になっているのか、どちらであるとお考えになりますか。また、その根拠も併せてご教示いただければ有り難く存じます。
510
:
犀角独歩
:2005/11/21(月) 18:22:19
ラスカルさん
> 後はいろいろな曼陀羅を見に行きたい
現物を拝観するのであれば、御虫払、御風通といった御開帳のある法要。現物までといかないまでも取り敢えず写真でというのであれば、パンナコッタさんがご紹介してくださった海外サイト。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html
写真集でも、ということであれば、立正大学(五反田)情報センターは身分証を提示すれば、入館できます。
『御本尊集』、『御本尊集目録』(立正安国会)、『日蓮聖人真蹟の世界』(雄山閣)を閲覧すれば見られます。
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